左足を過度に上ぐるもの
(害)
左足を過度に上がるものは進出の俊敏を欠き、進出量減少し且刺突時左脚を突っ張るか或いは左ひざ過度に屈り、姿勢崩れ易きのみならず左の害あり。
(1)踏み切る時、時機遅れて右足を引き摺りまたは刺突遅れて臂脚体の一致を欠く
(2)左足の過度に上りたる為、跳ぶ如くに進出するものにありては刺突敏活を欠き、且刺突する力なく、只剣尖を敵に體部に接着するに止まり易し
(3)左足を過度に上くるため、強く踏み着くるに至り易きを以て、踵の挫傷を生じ易し。
(原因及矯正法)
一、左足を過度に上たるものは殊更に左足を強く踏み着けんとするに因るもの多し
此の如き者に対しては、左足の完全なる踏み締めは進出の要領良好なる時に於いて初めて得らるるものなることを知らしめ、殊に腰の推進並左足の出し方に注意して矯正するを要す。
二、過度に進出量を大ならしめんとするに因ることあり。
此の如き者にたいしては上欄(※前述の)害あること、並びに大なる進出量は右足の踏み切り十分にして腰の推進之に伴うものなることを知らしめ、以て矯正するを要す。 この文も左右逆に考えてください。
(1)の「踏み切る時、時機遅れて」というのは大石神影流でも同じです。
(3)の「左足を過度に上くるため、強く踏み着くるに至り易きを以て、踵の挫傷を生じ易し。」というのは特に気を付けなくてはなりません。下が固いところでは強く踏みつけすぎると踵だけではなくやがて膝をも痛めてしまいます。
- 2020/03/01(日) 21:25:00|
- 剣術 業
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両肩特に右肩に力を入るるもの
(害)
肩に力を入れ過来るときは下腹部の力抜け刺突力薄弱となり、且刺突の方向を誤るのみならず、なお左の害あり。
(1)一般に動作の迅速確実を期すること困難なり
(2)連続する刺突困難なるのみならず、変化する動作をなすこと亦困難なり。
(3)刺突時姿勢の堅確を欠き易く且疲労を速やかならしむ
(原因及矯正法)
一、肩に力を入れ過ぐるものは強く刺突せんとし過早に臂に力を入るるに因ること多し。
此の如き者に対しては特に下腹部に力を入れしめ、最初は緩徐に銃を突きだして両手を握り締ましめ漸次其速度及力を増大せしめ以て矯正するを要す
二、過度に強く刺突せんとするに因ることあり。
此の如き者に対しては前項の要領に準じ矯正するを要す。 肩に力が入ることはよくあります。ここでは「下腹部に力を入れしめ」とありますが私たちが言う臍下丹田の用い方とは異なるかもしれません。初心者がすぐに会得できるほど簡単ではないので。
突く時に肩に力が入ることはよく見ますので、ここに記してあるように「最初は緩徐に」を心掛けさせてください。
- 2020/03/02(月) 21:25:00|
- 剣術 業
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押し突きとなるもの
(害)
押し突きをなすときは其用いたる全力に於いては強大なるも、刺貫する力に乏しく且姿勢を崩し易きのみならず、なお左の害あり
(1)敏活に連続セル刺突をなすこと困難なり。
(2)刺突直後敏活に変化或る動作をなすこと困難にして、刺突脱るる時は一層姿勢を崩すに至る。
(3)刺突敏活を欠く
(原因及矯正法)
一、押し突きをなすものは腰の推進遅れ臂脚體一致せず、銃を突き締むること遅れ、又は右拳の上げ方遅くるるに因ること多し。
二、過度に強く刺突せんとし上体前に傾きまたは肩に力を入れ過くるに因ることあり
三、刺突時左ひざ過度に屈り、其體重の保持不良なるため敵の胴を刺突して之によるにあらざれば姿勢を保ち得ざるに因ることあり。
此の如き者にたいしては左脚を以て前進する体重を前下方に支ふることなく、反て前上方に支うるごとく踏み締ましめ、以て矯正するを要す。 これも左右逆に考えてください。いわゆる手突きのことを言っています。大石神影流でも刺突するときにこのようになる初心者の方がおられます。原因として「押し突きをなすものは腰の推進遅れ」「過度に強く刺突せんとし」ということも共通しています。工夫してください。
銃剣道そのものの技術に関してはいろいろ興味深いことが記されていますが、剣術とは異なるため、これで抜書は終りにします。
- 2020/03/03(火) 21:25:00|
- 剣術 業
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ゆっくり動くのは自分の歪を知るためですが、ゆっくり動くこと自体を目的にしてしまうと腕や肩で刀の動きのスピードをコントロールしようとしてしまいます。そうなると本末転倒でかえって自らひずんだ小手先の動きをしてしまうことになります。
ゆっくり動くのは臍下中心に動き無理無駄な力が肩や腕に入っていないか、偏った動きをしていないか、単に勢いで動いていないかを知るためですので注意してください。
- 2020/03/04(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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まともな感覚を持つ日本人であれば先生と呼ばれることに初めのうちは抵抗を感じるものです。先生は称号ではなく、その人のことを尊敬にたる人であると考えたときに、他者がそのように呼ぶものだからです。初めて先生と呼ばれたときには自分がそのように呼ばれるにたる中身を持った人物であるかどうかを自分自身で疑います。それが普通の感覚の持ち主です。
ところが、中には先生が称号であるかのように他者に絶対に自分を先生と呼ばせようとする心根の卑しい人物もいますので気を付けなければなりません。自分の弟子でもない者にまで自分を先生と呼ばせようとするのです。「先生」とはタイトルではないと指摘されても先生と呼ばれることに心地良さを覚え絶対に自分を先生と呼ばせる。武道をすることによって自分が他者よりも優れていると考え、そのようなそのような態度をとる者は貫汪館には無用の人物です。
- 2020/03/05(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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「豆腐を斬るように」とは私が力で刀を振りまわしていたころに無雙神傳英信流の師梅本三男先生に教えられた言葉です。豆腐を斬るように刀と刀の刃を繊細に扱い、斬っている最中でもその感覚を感じながら刀を振らなければならないという教えでした。
ただ振ればよいというものではありません。
- 2020/03/06(金) 21:25:00|
- 居合 業
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居合の稽古をしていて、体や心の調子が悪いときにはどうしても正しい動きからのずれが生じてきます。そういう時は無理に多くの形を稽古しようと思わず、斬撃なら斬撃の稽古を続けて心身を整えてから形の稽古に移り、初発刀なら初発刀のみを繰り返して『心身を整えてから次の形に移るようにしてください。無理やり多くの方を稽古しようとするとかえってずれが大きくなっていくことがあります。
- 2020/03/07(土) 21:25:00|
- 居合 総論
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古武道を稽古する人が陥りやすいのは「こういうことを発見した」と言う錯覚です。正しく流派が続いていれば、その流派の中に多くの教えが含まれており、「できるようになった」「自分のここが駄目だから、これまでできなかったことが分かった」「こういうことだったのか」という気付きはあっても流派で教えられていない事を「発見」することはありません。もし「発見」ということが用いられる状況と言うのがあるとすれば、その流派がちゃんとした形で伝わっていないか、伝書に基づいて復元したものであるかということになってしまいます。
貫汪館で稽古されている流派について「わかった」ではなく「発見した」と思われたときは、自分が間違ったことをしているのではないかと自分自身を疑ってください。
- 2020/03/08(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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体を痛めているときには無理に稽古をしないでください。痛めたところが悪化する可能性もありますし、痛めたところを無意識にかばおうとして歪んだ動きになって悪い癖を身につけることもあります。
かといって、道場に出ない人はそこまでのレベルでしかありません。体調を崩していないのであれば道場で見取稽古をして感覚を養う人が上達していきます。
- 2020/03/09(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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長い間武道にかかわってきて人さまざまだと感じることがあります。私自身は無雙神傳英信流の師、澁川一流の師、大石神影流の師に強く感化を受けて稽古してきましたので武道の稽古は修行だという意識が強くあります。
しかし、たんなる暇つぶしで行う方もおられます。こういう方でも口では立派なことを言われます。しかし、どんなに全身全霊で教えても最終的には自分の都合が悪くなればあっさりとやめていきます。暇つぶしで行ってきた事だからです。ちなみに日本人は「趣味=hobby(英語)」と考えるのですが英語圏ではhobbyは「行うために専門的な技術が必要な趣味」ということであり、自分の仕事以外で実用的な知識・技術を必要とし、相当な時間とお金をかけて創造的にまた積極的に行うもののことのようですので、外国人がhobbyというときには日本人の趣味と言う感覚とはずいぶん異なっています。
また、自分の名誉欲のために行う方もおられます。こういう方は一生懸命寸暇を惜しんで稽古され、それなりに上達していかれる方もおられますが、目的が違うために、同じ場所にはいたくないと感じてしまいます。謙虚さはなく自分がいかにすごい人物かと言うアピールが強いのです。
むしろ、自分の健康や、身を護るために稽古を行う方の方が謙虚で真摯に稽古されますので、目的は修行だという意識がなくてもまともに上達していかれます。
道場にはそれぞれ指導している方の色が現れます。そのような方の集まりになっていきます。色に合わない方はやがて淘汰されていくようです。
- 2020/03/10(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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幕末は銃の時代であり剣は役に立たないというイメージが土方歳三などの言葉から定着していますが、全く排すべきものではなかったことは戊辰戦争あるいは維新後の西南戦争で実証されています。当時の戦い方は銃撃砲撃ののち最後は銃剣突撃によって勝敗が決するもので、その銃剣突撃の部分に武士は刀を抜いたからです。
武道学会で発表した「幕末の銃剣道」「斎藤弥九郎の野試合」でも明らかにしているところですが、幕府歩兵は農民や町人から採用していますので銃剣突撃をしますが、武士は最終局面では刀を抜いているのです。それゆえに戊辰戦争に従軍した大石進種次の子の大石雪絵は「十数度の戦場に出で剣術の功徳著大なるを感じ」と記しています。
- 2020/03/11(水) 21:25:00|
- 武道史
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ある映画で面白い場面がありました。架空の西洋の映画で剣術の指導の場面で師が「剣はデリケートに扱え」というのです。どうも手の内のことであったようで「自分の腕が肩から外れて落ちたことがあるか・・・」という事も言っていました。
全く私が言っていることと同じです。映画の関係者で日本の剣術を学んだ人がいたのか、西洋でも同じ教えがあるのかわかりませんが、私は物を扱うという事に関しては西洋も東洋も同じようなものと感じているので、西洋にもそのような教えがあったのかもしれません。
- 2020/03/12(木) 21:25:00|
- 剣術 総論
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以前、博物館で勤務される方にお聞きしたことです。過去に先祖が行った偉業で、その子孫として座談会に呼ばれたりする方の中には何回かいろいいろな場所に呼ばれるうちに御自身が何をしているわけでもないのに、あたかも自分が大人物になったかのように錯覚して、あなたとは違うという態度を取り始める方がかなりおられるようです。
そういうものなのかなと思っていましたが、武道の世界にも「自分の先祖はこうこうで・・・・」というご自身がいかに素晴らしい出自の人物かというところからとうとうと語り始める方がおられますので、そういうものなのかもしれません。ご自身が素晴らしい方からはそのような先祖自慢を聞いたことはないのですが、どういうことでしょうか。武道を修行としてとらえられている方は自分を飾り立てる必要を感じないということでしょうか。
- 2020/03/13(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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私もだいぶ年齢を重ねてきたので、以前に述べたことと重なるかもしれませんが思い出せるときに先生の想い出を記しておきます。
私が高校生の頃の想い出ですが、修学旅行に行ったときに先生にお土産として静岡県でわさび漬けをお持ちしたことがあります。先生はとても喜んでくださり「わさび漬けは好物だ。」とおっしゃってくださいました。そして私がお土産をお持ちしたことを他の大人の門人にも話しておられました。
その後15年以上も立ってから経ってから、高校生の門人が私と同じように梅本先生に修学旅行のお土産を持って行ったことがあります。その時先生は「〇○君は森本君と同じように修学旅行のお土産を持ってきてくれた。」と喜ばれていました。
- 2020/03/14(土) 21:25:00|
- 居合 総論
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筑波大学に入学する前に、先生にごあいさつにお伺いしたときに先生は、今後は目上の人には毛筆で手紙が書けるようになりなさいと教えてくださいました。私は子供のころから悪筆で、字を書くのが大の苦手ですが、先生はお手本として『孔子廟堂碑』を用いなさいとお話しくださいました。大学生になってから練習はしたものの小学校3,4年生の頃についた悪癖は抜けず、下手な文字しか書けませんでしたが、それでも先生には毛筆でお手紙を出すようにしていました。
広島に帰って稽古にお伺いしたある日、兄弟子の前で先生は私の手紙を出され、「森本君は毛筆で手紙をくれるようになった。」と嬉しそうにほめてくださいました。悪筆であっても、「目上の人には毛筆で手紙を書く」という先生の教えを私が守ったことをほめてくださったのだと思います。
この時の教えで大石神影流の大石先生に入門をお願いするときに、失礼がない手紙を書くことができました。
- 2020/03/15(日) 21:25:00|
- 居合 総論
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航空自衛隊幹部候補生学校の戦史研究で沖縄に行ったときの自由時間に泡盛を買って、休暇の際に先生にお持ちしたことがあります。当時は月曜日から土曜日まで6日間稽古がありましたので土日で広島に帰ったのだと思いますが、この泡盛も気にいっていただけました。先生は酒飲みではありませんが、たしなむ程度には召し上がられていました。
- 2020/03/16(月) 21:25:01|
- 居合 総論
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無雙神傳英信流の師 梅本三男先生が喜んでくださったこといくつかあります。その一つをお話しします。
航空自衛隊幹部候補生学校を出たあと第一高射隊での出来事です。中空検閲というのがあり、その中で小隊教練の項目がありました。そのための訓練で防大出身の1尉の方が号令をかけて小隊を動かされていたのですが、声の調子が悪くなり、急遽シナリオを渡されて私が号令を代わりにかけました。その後の訓練で数回私が号令をかけていたのですが、森本3尉が検閲でも号令をかけるようにと言われました。号令次第で小隊の動きが変わり、第一高射隊の評価が変わるのですから覚悟して事に当たりましたが、40人の小隊を動かす号令をかけるタイミングが居合の呼吸と同じであることが分かった後は、小隊教練も居合の稽古も同じように感じ稽古をしているようで楽しかったのを覚えています。余談ですが中空検閲前に防大1期の第一高射群司令が視察に来られた時に、「森本は教練をどこで覚えたのか?」と不思議そうに尋ねられ。「幹部候補生学校で習いました。」と答えると、「それでは防大は不要ではないか。」とお褒めいただいたことを覚えています。
この小隊教練の号令と居合の呼吸が同じであることに気付いたこと、検閲の評価もよかったことを手紙で梅本先生にお知らせしたところ先生は大層喜ばれて、そのことをご存命であった梅本先生の師の尾形先生に手紙にして送ったとお返事をいただきました。居合が居合のみにとどまらず他に応用できることを喜んでくださいました。
- 2020/03/17(火) 21:25:00|
- 居合 総論
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梅本先生は私が30代の頃に「正しく動けば体がよろこぶ。」と教えてくださったことがあります。初めは何の事かわかりませんでしたが、先生の指導に忠実に繊細に稽古していくとあるときにそれが理解できるようになりました。
正しく動けば体は稽古の前よりも楽にリラックスしていけるということが分かったのです。このことを先生に「私も正しく動けば体がよろこぶということを少し理解できるようになりました。」とお話しすると、「森本君もわかるようになったのか。」と嬉しそうにおっしゃいました。それは仲間ができたとでも言われるような表現でした。
- 2020/03/18(水) 21:25:00|
- 居合 総論
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私が銃剣道をしていることを梅本先生はあまり喜ばれてはいませんでした。私の「前へ前へ」という癖が銃剣道に由来すると考えられていたからです。
広島で国体があった時に私は銃剣道競技の運営担当者として競技が行われる町役場で週に2回勤務していました。私は37歳でしたが、そのころには私も多少無雙神傳英信流抜刀兵法が分かるようになっていました。銃剣道競技の開始式で銃剣道の形の演武を八段の先生と行うようになり、形の稽古も集中して行っていました。また指導も銃剣道連盟本部の先生に仰いでいました。
そのことを先生にお話しすると、それまであまり銃剣道の稽古を快く思われていなかったと思っていた先生が「良い経験をさせてもらえる。指導してくださる先生も元自衛隊体育学校の教官と言うことであれば立派な方で高いレベルの事を教えてもらえるだろう。しっかりやりなさい。」と言って喜んでくださいました。そのころには私の中で居合も柔術も銃剣道も融合し始めていましたので、それを見て取っておられた先生はこのように話してくださったのだと思います。
- 2020/03/19(木) 21:25:00|
- 居合 総論
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銃剣道の試合の団体戦で私が良く短剣で銃剣と試合していたころのことです。その頃は今のように短剣道がスポーツ化してはいませんでしたので、短剣と短剣がたまたま団体戦の組み合わせで試合をすることはあっても、短剣は銃剣と試合をするものだというのが常識でした。したがって今の短剣道とは動きもかなり異なり構えも古武道的な構えでした。、今の短剣道でそのような構えや動きをしていたら昇段審査では落とされるのではないかと思います。
話は元に戻しますが、短剣で銃剣と試合をしているというお話をしたときに、先生は軍隊におられたころに部隊では短剣を任せられておられ、銃剣と試合をしていたことや、短剣と銃剣とで試合をするときの心得などをお話しくださいました。また、その頃には今と違って短剣はけがを防止するために防具も「右の肩」を装着していたことなどを話してくださいました。先生の短剣の用い方は居合で相手と対するときの心構えと同じであると感じたことを覚えています。
- 2020/03/20(金) 21:25:00|
- 居合 総論
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梅本先生に柔術の稽古をする許可を求めたときに先生はしばらく考えられたのちにお許しくださいました。柔術の稽古がその時の私の居合にとってプラスになるのかマイナスになるのかをお考えにいただいたのだと思います。
私の中で柔術と居合が融合し互いに両者を向上させ始めたころ・・・これは銃剣道の融合とも同じくらいの時期なのですが・・・先生はそれを見てとっておられ、先生が知っておられる昔の居合の先生の誰々は柔術も稽古していたことや先生の師である尾形先生が貫心流の柔術も稽古されたことなどを話してくださいました。そして先生が子供のころには広島の武徳殿の近くに住んでおられたので、よく武徳殿へ稽古を見に行かれ様々な古武道の流派の形の稽古も見られ,当時の先生の良いものをたくさん見たことがあることをお話しくださいました。
今から考えると梅本先生は非常に長い目で私の居合の成長を見守ってくださっていたのだと思います。
- 2020/03/21(土) 21:25:00|
- 居合 総論
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梅本先生の晩年のお話ですが、私が居合において道を間違うことはないだろうとお考えになってからのことです。それまでは私が柔術や銃剣道を稽古することによって道に迷うことを心配されていたように思います。
日本古武道協会の宮島の演武会で演武することをお伝えすると、「素晴らしい先生も多く来られると思うから、しっかり学んできなさい。」とおっしゃっていただきました。他の門人がいろいろとすることには難色を示されることが多かったのですが、私に対してはこのようにお話しくださいました。先生が私の成長を長い目で見守ってくださっていたということを感じたお言葉でした。
- 2020/03/22(日) 21:25:33|
- 居合 総論
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梅本先生に入門させていただいて少し経った頃のことです。演武会の当日朝、式が始まる前に稽古する方が多かったのですが、その時に先生は私に「本来は当日の朝に稽古して演武に備えるということは居合にはないものだ。居合はいついかなる時にも相手に対処できなければならない。そのために日ごろ稽古しているのだから。」と教えてくださいました。確かに先生が当日の朝会場で刀を振られているところを見たことはありませんでした。
それ以来、初めて演武する方と同時に演武しなければならない場合の場所の確認等は例外として、先生の教えに従っています。
- 2020/03/23(月) 21:25:00|
- 居合 総論
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私が高校生の頃、土曜日午後の稽古は私一人であることがたまにありました。そのようなときには先生にマンツーマンで教えていただくことができました。大森流の形をすべて覚えたころにもそのような機会があり、はじめて先生と向かい合って大森流の形を初めて抜かせていただきました。向かい合ってと言っても万が一のことを考えられ少しずらして向かい合います。
なにしろ大森流の形をやっと覚えたくらいの頃でしたから先生がゆっくり抜いてくださっても間に合わないので、何とか遅れまいと早めに動き始めたり、素早く動こうとしたとき先生は「写し取る稽古なので私に遅れまいと考える必要はない。また早く動いたら写し取ることにはならない。」と教えてくださいました。
今にして考えると、初心者の高校生の私にマンツーマンで先生の動きを写し取らせてくださるという貴重な機会を何度も与えていただき本当に幸せ者でした。
- 2020/03/24(火) 21:25:00|
- 居合 総論
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先生の趣味の一つに写真がありました。私が高校生の頃に演武会などがあると写真を撮ってくださり、ご自身で現像されてよくその意写真をくださいました。年賀状にして送ってくださったこともあります。いいタイミングで取れている写真ばかりでした。
先生は居合の写真を見るときには自分の至らないところを見なさい。ガマガエルが鏡の前におくとタラリタラリと油を流すような状態になると教えてくださいました。それ以来自分の至らぬところを見る癖がつき、修行には大いに役立っていますが、表に出せる許容範囲の写真が少なくて困ります。
梅本先生の想い出はまたいつか。
- 2020/03/25(水) 21:25:10|
- 居合 総論
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大石神影流の昇段審査の論文を載せます。これまでの自分の経験と照らし合わせて考察された論文です。
これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないこと はじめに 師承形式により伝授される武術において留意すべきことは、流派の教えを伝える師匠の言葉と動作(大石神影流において師の人格面、人生面を真似ぶべきかは浅学と稽古時間の制限等故に今だ不知である)への留意である。しかし、そのためには教えを受けた弟子が、(現代文の試験のように)教えの真意、内容を正しく素直に受け取り、より深く理解しようとする過程と、理解した内容を実行しつつ自らの癖などに気付き対処する過程、が必須であるように考える。
以下本審査課題規定に則り、これまでと今後について、師から受けた指導の言葉と、それから受け取り読み取る事が出来たもの、実行に当たって気付いた自らの悪癖と対処方針などについて述べる。
また師匠より受けて来た指導が主に、丹田で動くこと(鼠蹊部をゆるめる事を含む)と、相手との調和を目指すことに二分類が可能であるため、その点でも分類し、分類不能の教えはその他として、最後に述べることとした。
これまで修行上留意してきたこと 丹田で動くことについての言葉
師匠からの指導では貫汪館の全ての流派は丹田で動くとのことである。丹田が進み退く、丹田が開き閉じる、丹田がまわる。手も足も常に丹田に連れて動き、末端が単独で動くことはない。上半身の前面の狭い範囲があり、手はその中のみで動く。肩に力を入れてはならない。丹田を動かすには鼠蹊部のゆるみが非常に大切である。鼠蹊部のゆるみと曲げは異なる。無駄な力を抜いて丹田で重さを感じる。正しい立ち方。などが丹田について主に習った内容である。
丹田で動くことについての当時に受け取れた内容と留意したこと
総じて無駄な力を使わない事を常に意識した。ゆっくりで良いので無理無駄を避け、丹田で重さを感じられる事を目標とした。
丹田で動くことに関する当時に実行して気付いた悪癖と対処方針
やはり丹田で動く事は基礎であり非常に難しいものであると感じた。注意していれば、相手が居なければ、慣れている場所ならば、体調が悪くなければ、などの諸条件が満たされていれば、それなりに形にはなるようだが、条件が乱れたり、足が疲れている時などは、特に鼠蹊部が固くなり棒立ちになってしまうのを感じた。これらは中国武術でも腰が高くなりやすい、胯(鼠蹊部とほぼ等しい)が固くなりやすいと注意された点である。おそらく日常生活で脚部(特に膝)への体重負担を散らそうとして身体が勝手に鼠蹊部を固めてしまうのだろうが、日常生活と密接に結びついた悪癖であり、改善には長い時間がかかると思われるので、今後留意しなければならない事にても後述させて頂く。
また上半身、肩から先に力が入り、手で動かしてしまいがちであるが、注意を受ければ出来る事が多いため、(打太刀をつけた)稽古時間の不足により無意識に出来ていない事が問題であると考えた。
相手との調和を目指すことについての言葉
貫汪館の武術は全て相手との調和を目指す。自分勝手に行動してはならず、形だけを追ってはならない。師である打太刀の動きをよく見て、それに合わせ、残心なども含めて仕太刀が先に行動してはならない。相手と繋っていれば自然と身体が動く。手順を追うと相手と調和できない。などが師匠に習った主な教えである。
相手との調和を目指すことについての当時に受け取れた内容と留意したこと
稽古が主に打太刀仕太刀形式で行なわれるのは日本の武術の特徴の一つと考えられる。相手を見るのみでなく、調和するというのはさらに深化したものであり、これを非常に重視する事は貫汪館の武術が日本の伝統に則っりつつ、そのより深き所を差し示す道標として確かなものであると感じさせる。
相手との調和を目指すことに関する当時の実行して気付いた悪癖と対処方針
非常に内向的な性格と、主に独りで練習する中国武術経験のため、とかく形を追いやすく、また相手を無視して自分の内面を追及してしまう傾向がある。この内容は内向的で独りで動く事を好んで来た性格的な問題点が強いように考えられる。師匠の指導と稽古の中の影響力で改善の兆しはあるが、まだまだ改善の余地は大きく思える。今後留意すべきことにても後述する。
これまで修行上留意してきた、その他のこと
礼法は丹田での動き、相手との調和のいずれにも非常に有用と考えられる。特に師より御辞儀を少し長く行なう事は見えない状態での相手を感じようとする訓練として非常に有用だと感じられた。
その他には大石神影流について貫汪館の他の武術よりも半身で腰を落とす、中国武術に近い部分も多いので中国武術の経験も応用可能(私も師匠も中国武術、内家拳の経験者である)などもある。前者については今後の点でも重要な気付きの元となったので今後留意すべきことの中でも述べる。
今後留意しなければならないこと 丹田で動くことについての最近受けた言葉
森本館長より、手の内が握り過ぎている、固いという点をそれまでよりも重視して、より深く指導された。また全流派において半身過ぎる、歩幅が広過ぎるという指導を受けた。
丹田で動くことについての現在受け取れている内容と今後留意すべきこと
これまでと変わらない部分は継続して留意すべきである。手の内については森本館長の実際に手で示しての指導により、握らず、たとえていえば手の平に剣が置かれているような状態を理想とすべきだと考えるようになった。これは中国武術の剣術において剣は落ちないように引っかけるだけと指導された事に近いと現状では理解している。ただ以前より師匠から親指を離さないという指導を受けているので、今後はこちらとの関連を質問させて頂く事になると考えている。
また丹田に重さを落とすには手や肩だけでなく体幹部の力みもなくし、正しく体重を真下に落とす必要があることを実感した。
丹田で動くことを実行して気付いた悪癖と未来への対処方針
鼠蹊部が固まってしまいやすい点については、稽古も無論であるが、日常生活での問題点がより高いように考えている。猫背やベルトの締め付け、デスクワーク中心の生活などにより、下腹部から鼠蹊部に力を入れ、筋力でバランスを取ろうとする癖がついているようである。日頃から気付いた時に、深呼吸とともに鼠蹊部をゆるめ、日常生活でも無理無駄がないように生活していくのが肝要であると考える。
手と肩の力みについては、手で動作するイメージを消し、身体で操作するイメージをより鮮明に習慣化することで改善すると考えている。またそのためには体幹の力みも消し、身体の重さを丹田に集める必要があるだろう。また呼吸が浅くなりがちのため、日常でも意識的に深呼吸を取り入れる予定である。
半身に過ぎる。歩幅が広過ぎる点については、一部は中国武術からの習慣が出たものであるが、なによりも見取り稽古の不足であるように考えられる。見取り稽古についても最後に述べる。
相手との調和を目指すことについての最近受けた言葉
特に新しく受けた指導はない。
相手との調和を目指すことについて現在受け取れている内容と今後留意すべきこと
型における表面的な動作のみに囚われやすかった以前より、相手と自分の心や身体の状態など、喩えるなら中国武術でいる聴勁のような部分をより意識すべきだと考えるようになった。
相手との調和を目指すことを実行して気付いた悪癖と未来への対処方針
稽古の中でも手順や自分の中の感覚のみを追及してしまい、相手を感じていない瞬間がまだまだ存在している。独りで稽古する時も先生の打太刀姿を想像し、より相手を感じられるように稽古しようと思う。
また仕事や日常生活なども含め、単独で動くのを好む内向的な性格からしばしば根回し不足などによるトラブルの発生などもあった。性格を変える必要があるかは不明であるが、相手や周囲との調和を目指し、自らの「正論」のみでの行動や、逆に自分のみで悩んで空回って突然縁を切る事等を避けることにより、より武道の修行としても、また人生の幸福にも繋るように改善していきたいと考えている。
今後留意しなければならないその他のこと
森本館長より半身に過ぎるという指導を受けた時に、師匠の動きの見取りが足りなかったと猛省させられた。これは日頃マンツーマンでの稽古が多く師匠の動きを見る時間があまりないのと、中国武術では攻撃側も防御側も型であり、分かりやすいように同じ方向を向いて同じ型として指導をうけていた経験のせいだと考えられる。
より深く流派について理解するために、言葉や手順のみに意識を奪われるのでなく、師匠の状態や丹田の動きなどを、心の調和とそれを齎す身体を通じて、しっかりと感じる事により見取り稽古としての質も向上させていきたいと考えている。
体幹部の無駄な力を深呼吸などで抜き、それにより鼠蹊部をゆるめること、相手や仮想敵を感じ、感じる事でより見盗ること、この二点が暫くの稽古のテーマになるかと現状では予想している。
むすび 大石神影流は幕末の名高き剣豪、大石進種次先生が創始された日本剣術の精華の一つである。それは刀を持っての強さのみでなく、心の調和と負担の少ない動きなどを合わせて、人生自体を豊かに幸福にしうる貴重な教えである。この素晴しい伝統が現代にも残ってくれた事と、それを残してくれた先人方、さらに直接教えて頂いている森本館長と師匠に心から感謝するとともに、今後もより深く流派の教えを体現すべく留意し修行させて頂く事を誓わせて頂こうと思う。
以上
参考文献 貫汪館HP道標
- 2020/03/26(木) 21:25:00|
- 昇段審査論文
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梅本先生や畝先生がお亡くなりになられたとき、私自身とてものことに先生方のレベルには至っていないと自覚していました。しかし、幸いだったのは先生方が私を自分自身が見える力を持つことができるレベルにまで指導してくださっていたことでした。それゆえに先生方がお亡くなりになってからも先生方が教えてくださったことを目指して稽古し、少しずつですが会得することができ、無雙神傳英信流や澁川一流柔術を護ることができています。
ただ外形だけ覚えてそれで良しと言うレベルでしかなかったら、勝手なことをし、新しい理論をとくとくと述べ、外形を飾りたてることを上達と勘違いし修行とは全く異なったことをしていたかもしれません。
- 2020/03/27(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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古武道には流派があり、流派には流祖以来築きあげられてきた上達の方法論があります。したがってその方法論にのっとって稽古し、わかった、理解できた体得できたということがあったとしても、新たな理論を発見したとか、新たな技を開発したとか、こういう方法が有効であるとわかったということはありません。
したがって師は師であり弟子は弟子は弟子です。師も道を求めて稽古し続けますがそれは流派で求められることを極めようとして稽古してます。また、師は道を示し弟子が道に迷わないように導いていきます。お互いに共同研究をして新しい理論を発見するというものではありません。流派であり、古武道であるゆえんです。
新たな理論、新たな工夫・技を生み出して流派を超えて異なるものにしていけば、それは新たな流派や新たな派であって旧来のものではありません。過去のだれだれが素晴らしかったと考えるのであればまず、そこに追いつかなければ新たなものは生まれようもありません。追いついてもいないのに、新たな理論や技が生まれると考えるのは、自己流にすぎません。
- 2020/03/28(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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防具の発明は槍術が先であり、それが剣術に用いられるようになったという説は武道史を研究されている先生がたの間では常識になっています。
大石進種次の面、胴はその当時江戸から伝わった直心影流や一刀流の防具を大石進種次が改良したものと考えていましたが、よくよく考えると、大石進種次は村上一刀が柳川藩に伝えた愛洲新陰流剣術と大島流槍術を伝える人物であり、村上一刀は槍術と剣術ともに試合稽古をしていた人物で槍術も入り身試合ではなく相面試合をしていた人物でした。
したがって大島流槍術の稽古にはふくらみのある胴と鉄で中央が高くなっていた面が用いられていたと考えられます。ただし槍術用の胴ですので左半身を守っている胴と考えられ、また当時の稽古槍のタンポは大きかったことから面鉄も横に並んだ鉄の幅は少し広めであったと考えられます。つまり、大石進種次は剣術への突き技と胴切の導入に伴って、面は槍術用の面を改良し横に並んだ鉄の本数を増やし、胴も槍術用のものを改良して左右の胴を守れるようにして剣術に用いたと考えるのが自然ではないかと考えています。
天保年間の大石進の門人の日記をみても槍術の稽古と剣術の稽古を続けて行っても防具を変えた記述がないことから大石進種次は槍術にも剣術にも同じ防具を用いていたのではないかと推定できます。ただし槍術の稽古には肩と腕を保護する防具は付け加えたのではないかと思います。当時の防具を発見できないのが残念です。
- 2020/03/29(日) 21:25:00|
- 武道史
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無雙神傳英信流の師 梅本三男先生は稽古するにあたっては正しく動いていて斬られれば仕方ないと思わねばならないと教えてくださいました。覚悟の問題です。ここが体で理解できていなければ本当の意味で稽古が進むことはありません。これなくしては砂上の楼閣になってしまいます。よく考えてください。
- 2020/03/30(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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渋川一流の畝先生は柔術を何かあった時には心強いものとお話しくださいました。何かあった時に心強いものにするためには覚悟がなくては働けません。それをもって稽古しているのかそうでないのかでは同じ時間稽古しても全く別のものなってしまいます。
- 2020/03/31(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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