ホームページに「道標」として新しいページを加えました。貫汪館で稽古されている皆さんに、無雙神傳英信流抜刀兵法 澁川一流柔術 を稽古する上での心構えや、業の留意点、流派の歴史について記していきます。
不定期に記入していきますが、読み落としのないようにお願い致します。
- 2006/10/09(月) 23:47:51|
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一昨日昼から、ZRX1200Sに乗りツーリングに出かけました。
山陽自動車道を本郷まで走り、一般道を経て三原須波港へ至り小休止、須波港から瀬戸田の沢港まで20分フェリーに乗って、再び走り始め、しまなみ街道の多々羅大橋をわたって大山祇神社へ至りました。
目的は神社の太刀・大太刀を見ること。もう何十年も前に訪れて、大太刀の長さに圧倒された記憶だけが残っていました。今回、あらためて訪れてもその長さに圧倒されたことには変わりません。南北朝時代の「千手院長吉」136cm、「無銘 伝豊後国友行」180cm。圧倒されるばかりです。また大長刀も室町時代の「石州和貞作」172cm、南北朝から室町時代にかけての無銘151,8cm、など長大なものがあります。
子供の頃と今とで見て感じる違いは、「おそらくは、このような長大なものでもこのように使ったのだろう。」という想像ができること。
まだ訪れていない方は一度行かれる事をお勧めします。
- 2007/04/11(水) 00:57:54|
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明治神宮での奉納演武に上京し、給料日まで軍資金が乏しい状態になってしまったので、日曜日は終日、がま口バッグ作りをしました。今回の作品は秋にふさわしい作品です。
2作品とも1年以上前にオークションで購入した古布で作ったバッグで、多少しみはあるものの、遠目に見れば分かりません。
バッグ作りは布のどの部分を切り取るかがセンスの必要とされるところで、また、針の運行はずいぶんと刀の使いようを教えてくれるものでもあります。数年前に針の動きから、自分の武術の動きの至らぬ箇所を知ることが出来たのは私にとって記憶の新しいところです。
何をしても武術の稽古にならないものはありません。大切なのはどのように取り組むかということだと思います。
貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術の行事のページに明治神宮奉納演武の写真を載せました。ご覧下さい。 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。
- 2007/11/13(火) 00:10:15|
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新作のがま口バッグを三つ紹介します。今回はそごう9階のクラフトワールドで買った日本昔話の生地で製作しました。
三つともとてもかわいい絵がプリントされているのですが、私が小さな子供だった頃に父から毎晩読んでもらった昔話とは随分印象が異なっています。
私の記憶では、かちかち山は狸の所業は恐ろしく、兎のお爺さんの代わりにする復讐もまた恐ろしいものでした。
猿蟹合戦でも、真面目な蟹は哀れで、猿は狡猾でしたし、桃太郎でも鬼はあくまでも悪く、恐ろしく、強く、桃太郎はそれに勇敢に立ち向かう強い若者という印象が残っています。
そんな印象を、絵にしたらとても現代には売れそうもないので、このような図柄にはなるのだと思います。
しかし、私達が稽古している無双神伝英信流抜刀兵法や渋川一流柔術は、現代的な行動や姿勢の概念からして見栄えはしないものであるかもしれませんが、売り物にしたり見世物にするわけではありませんので、本質は変えるわけにはいけません。(余談です。)
いつもの事ですが裁縫は心の面でも体の面でも本当に良い稽古になります。
かちかち山
猿蟹合戦
桃太郎
年末の奉納演武は終わりましたが、居合の稽古は26日(水)は七尾中学校武道場で、27日(木)は廿日市市スポーツセンター武道場でそれぞれ行います。日頃、柔術の稽古を専門にしておられる方でも、時間のある方はお越しください。
- 2007/12/26(水) 01:16:28|
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また、新作バッグの紹介です。稽古の休みの間に新作を全てご紹介します。
このバッグも古布のはぎれを購入して作りましたが、柄が派手なようでそうでもなく、どの部分を切り取ってよいか迷いました。裏も花の種類は異なっていますが、大体同じような図柄になっています。生地が少し柔らかく、縫った糸が出ないように少しきつめに縫い合わせました。ただ、あまりきつめに縫い合わせてしまうと曲線にしわがよりすぎてしまうので、程度の加減に少し気を使いました。
このバッグも古布のはぎれですが布がしっかりしていて縫い合わせるのにはあまり気を使いませんでした。ただ、生地の巾が細かったため、いままでの自作の型紙が使えず、新たに少し変更したものを作りました。丸みが消えてしまったので少し硬い感じがします。色々試行錯誤した結果、上のバッグの形が一番使い勝手が良いようなのですが、がま口の金具は直線のものも、その他の大きさのものも手持ちがありますので、気が向いたら作ってみます。
写真ではバッグの表側の写真のみ写していますが内側の生地の色を選ぶのにも気を使っています。表の柄や色と合うように選ぶのもけっこう難しいものです。自分自身の気分によって、同じ色でも、その色に受ける感じが違いますので、何日も考えることがあります。
こじつけになりますが、色々な生地を縫い合わせて思うことは生地によってその性格は色々で、全てを同じような感覚で縫い合わせることは出来ません。人も同じで、道場で子供達に教えてくださっている皆さんは良くご理解されておられると思いますが、古武道の指導はそれぞれの人に応じた指導をしなければ、伸びるものではありません。集団教授法が取れないのです。地道な手間のかかる指導ですが、指導者の皆さんには今後とも宜しくお願いいたします。
廿日市天満宮奉納演武の様子を貫汪館ホームページの無雙神傳英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに載せました。御覧下さい。
- 2007/12/28(金) 17:12:47|
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草木染めのマフラーの写真です。草木染めは文字通り植物のもつ色を用いて染色しますが、あかねは根を煮て色を取り出します。色を定着させるのに金属を用いますが、鉄や銅、アルミといった金属の違いで同じ植物から取り出した色も異なった色合いに変化します。
写真のマフラーはあらかじめ編んであったものを購入して染めたものですが羊毛は急に熱を加えればフェルト化しますので、低温から慎重に染色しなければなりません。シルクや木綿よりもデリケートです。
事前に防縮加工をしているのですがこの加工に数時間要します。糸は最初に煮出した液に漬ける時に色を急速に吸収しますので、はじめに良く染色鍋の中で泳がせておかなければむら染めになりますので、はじめは気が抜けません。
これは道場で初心者を教える時も同じですが、はじめ間違った方向に行ってしまうと、取り返しのつかないことになります。
貫汪館ホームページの会報のページに会報55号を載せました。御覧下さい。
廿日市天満宮奉納演武の様子を貫汪館ホームページの無雙神傳英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに載せました。御覧下さい。
- 2007/12/29(土) 16:27:07|
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今日はくるみボタンの紹介です。
くるみボタンは自分の好きな柄でボタンを作ることが出来ます。大きいものから小さいものまで作れますが、写真の大きいものが直径22mm、少し小さいものが18mmです。
このくるみボタンは1年半前に浴衣のはぎれで作った夏用のバッグのあまり布を保管しておいて花柄の部分と風鈴柄の部分で作ったものです。桜の模様が風鈴の模様です。あまった布を捨ててしまうのがもったいないので何か出来ないかと思っていたところ、門人の女性に教えられ作りはじめたものです。
裏側が写っているくるみボタンが二つありますが、二つのくるみボタンをヘアゴムで結んでいます。女性が髪をまとめるのに使うことが出来ます。
本日、18日の中國新聞の朝刊の17面の「わたしの作品」のコーナーに、がまぐちバッグを載せていただきました。御紹介します。
貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに平成20年度の行事予定を載せました。未確定のものもありますが、ご確認ください。 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古始は1月9日(水)午後6時半から、廿日市市立七尾中学校武道場です。以後稽古は平常通り行いますのでお間違いになられないで下さい。
- 2008/01/08(火) 20:10:50|
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今日は山口県にある石城山に行ってきました。石城山には無双神伝英信流抜刀兵法の師である梅本三男貫正先生がいつも奉納演武をされた神社があり、私もよく連れて行っていただきました。
また、御神名は伏せますが、この石城山にある神社のうちの一つのお社の御神剣と同じ鋼で作られた大神の分御霊である剣を4年半前にさる縁により授かり、我家の神棚に御神剣としてお祭してあり、私にとっても石城山は武術の上で非常に縁のある山です。
さて、石城山は歴史学上、神籠石で有名な山です。神籠石とは山の中腹から8合目あたりを帯状に取り囲む石積みを言いますが、神域であったという説と山城であったという説があり、現在では山城説が有力のようです。神籠石の写真を御覧下さい。
現在では土に覆われて見えない部分も多いのですが、このように露出している部分もあり、はっきりと見ることが出来ます。
また、龍石という龍が口をあけたような形の岩もあり、古代の城跡であったとしても宗教的な色彩は濃いものであったように思います。写真は龍石です。
これらの神籠石には山口県教育委員会と光市教育委員会による説明板が立てられており、山城説をとっています。説明板の写真です。
石城山の最高峰の高日ケ峰からは四国、九州を含め360度を見渡すことが出来ますが、地理的に新羅が攻めて来たのを防ぐ為だけの城だと考えるには無理があるように思います。新羅から攻めてくるには当然船を用い、船であれば陸路を通らずに瀬戸内海を直接近畿地方に行っても良いわけですし、たとえ陸路を取ったにしてもわざわざ、敵が籠る備えのある山城を攻略するよりも素通りして平野で戦えばよいのですから。
山城であったとしても、そこが古代からの神域であったから守ろうとしたと考えるほうが自然なように思います。
1時間ばかり歩いて約1周しましたが、最後に瀬戸内海の見える神社で景色を眺めて帰りました。非常に心が落ち着く山ですので、皆さんも一度訪ねてみてください。写真は境内に咲いていた桜です。
- 2008/01/15(火) 00:32:16|
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今日は所要があって夕方から広島市内に出かけました。広島市内に出るときはたいていZRX1200Sで出かけます。駐車料金が何時間とめても200円だからです。
今日は時間帯もあってかタクシーが随分無茶な運転をしてきました。もともとバイクは車からは視認しにくいのですが、タクシーは夕方の稼ぎ時ということもあってか急に真横から車線変更してきたり、いきなり路側帯から急発進したり、はなはだしいのは後方から無理やり幅寄せしてきたり、気付かなければ何回も死んでしまうところでした。
気づくといっても、武術と同じで感じるだけで、いちいち頭で考えて「くるかもしれない。くるだろうな。」と思っていたのでは間に合いません。感じて動くだけです。
以前、述べたことがあると思いますが、バイクに乗っている人でも頭で乗っている人と、体で乗っている人がいます。大半の人は体で乗っているのですが、頭でバイクに乗っている人は危なっかしくて見ていられません。特に、中年の女性の50ccのスクーターに多いようです。
3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 4月13日(日)午前9時より、廿日市市の速谷神社で貫汪館奉納演武会を実施いたします。
- 2008/03/07(金) 22:09:51|
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昨日は身内の者を連れ、広島県の廿日市市の冠高原から少し奥に入ったところにある山口県の寂地峡に行ってきました。簡単なハイキングコースで小さな瀧をたくさん見ることができ、また、街からは遠いところにあるので、この季節は特に静寂な雰囲気の中にいることができます。昨日は霰が降るような寒さでしたので、訪れる人もなく、山の気を感じる事もでき、よい心の修行になりました。
このような瀧を見ると、瀧に打たれて修行ということを連想する方もおられると思いますが、教えを受けた方のお話では、先達のない方法も知らぬ勝手な瀧行は魔に入られる機を作ってしまうので、絶対にすべきではないとのことです。瀧に打たれて修行し、みえるようになったと言われる方の中にも、魔に入られた上での言動をされる方も多いという事ですので、要注意です。
静寂な山の中を歩くほうが熊にさえ気をつければ、よほど良い稽古になるかもしれません。
瀧を見ながら山を登り、さらに竜が岳の観音岩に至りました。頂上ではなく簡単にいけるところにあるのですが、岩からの見晴らしもよくまた、絶壁の上にありますので、瀧とは異なった気を感じます。観音岩の名の通り、岩の上には観音様が祭ってあります。観音岩からの眺めです。
人が廻りにいるときは避けたほうが良いかもしれませんが、このような場にいるだけでも瀧と同じように心には良い影響をもたらします。こころみてください。
今年一年、貫汪館で稽古される方にはお世話になりました。会報も私の手から離れ渋川一流柔術の師範代のもと皆さんに執筆していただいておりますが、自分自身を見つめるためにも書く事は良い修行上の効果をもたらしていると思います。
また、無双神伝英信流抜刀兵法の講習会にも貫汪館で稽古される方だけでなく、他流派や遠方からご参加いただきました。流派の活動が維持できるのは私達の流派以外の方々のおかげでもあります。この「道標」をかりて御礼申しあげます。
無双神伝英信流抜刀兵法久留米道場は今年発足しましたが、師範代代理に運営の中心となっていただき活動を続けていただきました。有難うございました。久留米道場の皆さんのますますの向上を期待しています。
年末にご挨拶を頂きながら、時を失して御礼申しあげていない失礼もあろうかと思います。御礼申しあげます。
皆様にとって平成21年がより良い年でありますように。
渋川一流柔術の七尾道場の稽古始は1月5日(月)、廿日市市スポーツセンター武道場での稽古始は1月10日(土)です。
無双神伝英信流抜刀兵法の七尾道場の稽古始は1月7日(水)、廿日市市スポーツセンター武道場での稽古始は1月8日(木)です。
1月24日(土)18:30~20:45、25日(日)9:30~16:45の間、久留米市荘島体育館剱道場で無双神伝英信流抜刀兵法稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページの稽古のページの連絡先へご連絡ください。
福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねくださり、お声をおかけください。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)を開設しました。徐々に更新していきますので御覧下さい。
- 2008/12/31(水) 19:12:05|
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東京で倭式騎馬会を主催される森先生から会報を送っていただきました。倭式騎馬会は全て倭駒を用いて流鏑馬をしておられ、西洋の馬とは全く異なった日本の馬は乗ったときの感覚もまた異なっており、日本独特のものがあるようです。
「倭式騎馬会」の「倭」という漢字を用いる理由を説明しておられました。不思議なことに私自身は「倭」という漢字に違和感をもたなかったのですが、いわゆる識者は「倭」が日本に対する蔑称だとしてこれに抵抗感があるということです。
私自身が「倭」の漢字に違和感を持たなかったのは倭建命(ヤマトタケルノミコト)や倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に見られるように御神名や人名に「倭」の漢字が使われているのに慣れていたからだと思います。
倭式騎馬会の会報には以下のように述べられています。
漢字「倭」は「ちっこい」とか中国人が日本を軽点する意だそう。しかし倭は「人」「女」「禾=弓矢=男」から成り立つ。日本の源の名は「倭」(やまと)であり、この事実は日本史として記録に残る。全然恥ずかしがらず堂々と用いたい。文字を持っていなかった大和人が大陸から文字を借用、その伝達方法を「ひらがな」等の「自分達の文字」としたものか。もし中国語をそこまで意識するなら日本も韓国朝鮮の様に漢字文化を放棄すべきか。日本古来の武の代名詞倭建命(やまとたけるのみこと)の字を大切にしたい。東征に際して天叢雲剣を健命に与えた天照大神の御杖代になった伊勢神宮での倭姫命(やまとひめのみこと)の表現も「大和」ではない。天皇の美称として倭根子(やまとね)と使われ詔勅等で天皇の上に用いられた文字でもある。今日、西洋文明の流入を有難がっている様に、当時の日本は喜んで中国からの文化を受入れ、やがて日本に同化させ独自の文化を作り上げる。これを「倭式」としう。もし中国を意識する和人がいれば中国を支那と呼び、JAPANという国際表現をNIPPONに変える運動したい。何故って日本まで到達しなかったマルコ・ポーロが支那にいて、黄金国名の支那語呼びをイタリア語に英語になったと聞く。日本人達が国外で読んでもらいたい国名ではなく、他国に持ち遊ばれ外人達に勝手に名付けられたから抵抗感有。日本文化を認識する上で重要。
とあります。「倭」の漢字が蔑称かどうかは学説は定まっていないようですが、私はそれほど忌み嫌うべき漢字ではないように思います。
倭式騎馬会は4月18日(土)、小鹿神社春祭りで小鹿野中学校グランドにおいて午後3時から小鹿野流鏑馬を実施されます。興味のある方はお出かけください。
無双神伝英信流抜刀兵法の次回の講習会は5月31日(日)英信流の予定です。多くの方のご参加、お待ちいたしております。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は
4月は毎週水曜が荘島体育館剣道場での稽古となります。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。時間は午後七時くらいからになります。
- 2009/03/29(日) 21:30:00|
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山口県の三丘にある司箭社は安芸高田市にある五龍山にある宍戸司箭社を勧請したものです。もう10年以上も前に調査したとき、地元の郷土史の先生に存在はお伺いし、絵に書いた御神像が御神体として存在するとお聞きして折り、いつか、たずねてみたいと思っていました。
場所は高速道路のすぐそばで、久留米道場への行き帰りに何度もそばを通っていた場所でした。日曜日に九州から帰ってきたのは日中でしたので、はっきりと場所も高速道路から確認することができました。
三丘の司箭社への登る道は雰囲気が五龍城への道と似ていますので、意識されたものかもしれません。はじめに鳥居があり右側の鳥居の柱には「三丘邑主 源就年」と刻まれ左の柱には「寛政四・・・」という文字が刻まれています。参道には小さな石が石段を作っています。
しばらく歩いて上るとお社が見えてきましたが、正面に立ってあっと驚きました。お社が崩壊しているのです。屋根が落ちたお社の中にはまだ色鮮やかな神輿もあり、残念でなりません。修復することは不可能でしょうから、建て直しを待つだけですが、三丘の宍戸家はすでに直系が途絶える寸前で、他家の性を継ぐ孫に宍戸の名を告がせようという計画があると聞いたのは10年くらい前のことです。立ち消えになってしまったのでしょうか。案内板にあるように宍戸家の鎮守ですので、宍戸家が再建するしかないのだと思いますが、どうなってしまうのでしょうか。お社の向かって左側には奉納演武ができるような場所がありました。
案内板には宍戸家に兵法の密法を伝えたとありますが、以前研究紀要でも述べたように、武者修行に名をかり情報収集、また京では有力者に近づき、宍戸家を護ったというのが真実であろうと思います。
帰りに ZRX1200Sの写真を撮ったら、いわゆるオーブといわれる光の玉がたくさん写っていました。宍戸司箭の感応・・・ではなくレンズに付着したほこりが傾きかけた太陽に反射したのでしょう。
久留米道場の稽古記録が更新されています。お読み下さい。
無双神伝英信流抜刀兵法の次回の講習会は5月31日(日)英信流の予定です。多くの方のご参加、お待ちいたしております。
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福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は
4月は毎週水曜が荘島体育館剣道場での稽古となります。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。時間は午後七時くらいからになります。
- 2009/03/31(火) 21:41:57|
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一年間で車をよく走らせたもので気がついたら先日13万kmになっていました。
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一年間で3万km走った事になります。月に一二度、久留米に稽古に行っても往復700kmくらいにしかなりませんのでそれだけだと1万キロメートルと少し、通勤は片道5キロメートルくらいなのでたいした距離にはなりません。これ以外に道場の行き返り、これがけっこう馬鹿に成りません。また武道史調査。
ストリームはよく走ってくれ、車の中での寝泊りまでさせてくれます。あとどれくらい車が持つ事か・・・。ホンダのメカニックの人にかって聞いたところでは、「これより前の型のストリームは10万キロメートルくらいで駄目になるけど、これはもう少しもちます。」ということでした。もう少しの分は走っているような気もします。
久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
4月25日(土)18:30~20:45、26日(日)09:30~16:30久留米市で無双神伝英信流抜刀兵法の稽古を行います。25日(土)は久留米市武道館小道場で、26日(日)は荘島体育館剣道場での稽古です。興味のある方は久留米道場の連絡先からご連絡ください。
無双神伝英信流抜刀兵法の次回の講習会は5月31日(日)英信流の予定です。多くの方のご参加、お待ちいたしております。
福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は
4月は毎週水曜が荘島体育館剣道場での稽古となります。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。時間は午後七時くらいからになります。
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- 2009/04/23(木) 21:10:15|
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先日、身内の中学生を連れて岡山県高梁市へ行ってきました。高梁市には山城があり江戸時代からの天守閣と、二重櫓が残っています。いつもお話していますが古武道を稽古するものにとって歴史を学ぶ事は欠かすことができません。
備中松山藩で有名な歴史的な出来事は江戸時代の領主であった水谷家の末期養子が認められず1963年に減封となったときの松山城受け渡しです。松山城受け渡しには、赤穂藩主・浅野長矩が任ぜられています。長矩の名代として家老大石内蔵助が次の藩主が来るまでの1年半、備中松山城を管理していますが、城明け渡しにあたって内蔵助は、単身で松山城に入り、水谷家家老鶴見内蔵助と対談したといいます。このときの経験が、後に赤穂浅野家取り潰しの際に大石内蔵助が城を明け渡す大役を無事にこなすための経験になったと考えられています。
高梁市についてまず山に登りお城を見ました。途中までは車で登ることができ、そこから土日はシャトルバスでさらに上まで、そこからは約20分かけてお城まで登ります。写真は途中から見た高梁市街です。写真のほとんど全ては一緒に行った中学生が撮ったものです。
本丸近くになって見えてくるのが険しい石垣で、これだけをみても攻めるのが難しいことがわかります。その隣の写真は三の平櫓東土塀で江戸時代のものがそのまま残り、国指定重要文化財となっています。
本丸は小さな建物ですが、江戸時代のまま、広島城のように復元ではありません。
本丸の隣の写真が修復前の本丸の写真です。このお城は山にあったため他のお城のように明治維新後に破壊されることはありませんでしたが、放っておかれたために修復が必要になるくらい崩れかけていたものを大正年間に志のある方が修復を始めたということです。
本丸は二階建てになっていますが二階には北側に杉戸の奥に大きな神座がありここに守護する神と守護神としての三振の宝剣祭られていたということで、今も厳かな雰囲気があります。
右側の写真が宝剣の写真ですが、今までに見たことのない形をしています。
本丸の後方にある二重櫓も修復されています。本丸、二重櫓ともに国指定重要文化財です。
山の下には城下町があり、今もその名残があって武家屋敷のあった町並み、商家の町並みは説明がなくてもわかるくらいです。公開された武家屋敷には新影流の絵伝書がありました。藩ですので藩校のあともあり、明治維新では幕府方につきましたが、優秀な教育がなされていたといいます。江戸時代初期には備中松山は天領であり小堀遠州が統治していた期間があり頼久寺には小堀遠州の作った蓬莱式山水庭園が残されています。
6月の久留米での稽古会は13日(土)6:30~8;45、14日(日)9;30~16:45。両日とも荘島体育館剣道場での稽古です。興味のある方は無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の6月の稽古は
第1、3水曜日 荘島体育館剣道場 19時~20時45分
第2、4水曜日 城南中学校剣道場 19時~21時
です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
- 2009/06/11(木) 21:26:37|
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昨日、梅雨の合間に県北の吾妻山に行ってきました。吾妻山は何年か前に、ある人からその存在を教えていただきました。標高1239mで簡単に登れる山ですが、とても美しく、心をさわやかにしてくれます。この山の上にいるような心の状態がいつもの状態であれば随分と武道も上達する事だろうとついつい感じてしまいます。皆さんも一度訪れてください。
吾妻山の名前の由来は死後比婆山頂に葬られた伊邪那美命(いざなみのみこと)をしのび伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が山で「吾が妻よ」と言ったことに由来すると言われています。
そこまで思っていても、また思われていても黄泉国での出来事の神話が物語る事態になるのですから、人の(神の)心ばかりはわかりません。
写真を撮ったので載せてみます。曇っていたのであまり鮮明ではありません。
山を下るときに葉の上に小さな蛾がいました。普段はかわいいとも感じないのですが。
吾妻山へ登る道には砂鉄をとるためのかんな流しのあとがありますが、木が生い茂り、その遺構はよくわかりません。今は自然破壊につながるということでかんな流しはできず、岡山県長船町の上田刀匠は砂鉄集めに苦労しておられます。
久留米道道場の7月8日の記事が更新されています。お読みください。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の7月の稽古は
全ての水曜日 荘島体育館剣道場 19時~20時45分
です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
- 2009/07/13(月) 21:26:46|
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先日やっと愛車XRX1200SにETCがつきました。助成金が既定の代数に達して、助成が受けられないためキャンセルが相次いで、やっと順番が廻ってきました。バイク用のETC車載機は1社だけが独占製造して月産1000台というのですから、何か裏を感じます。しかも高額。車のように音声案内も無いのにもかかわらず、分離式で取り付け手数料を入れて4万円です。馬鹿にしているとしか思えない金額です。これで、高速道路の通行料が選挙後にただになったら、どこに抗議してよいのか・・・。
さて本題です。ETC車載機を取り付けてもらっている間、バイクの本を読んでいると、雨の日の走行について特集してありました。雨の日は、マンホールは滑るし、水溜りでは車体が浮くし、バックミラーを良く見ないドライバーが車を急に幅寄せしてくるし、バイクにとっては危険だらけです。
目がとまったのは雨の日のバイクの乗り方です。どのような状況にも対応できるように体のどこも緊張させてはならず、グリップもごく軽く持つ。どうしても体が緊張する人は一度体を強く緊張させてから力を抜いてみる。など、まるで武術の体の備えについて書かれているようでした。
路面の状況や、突風など突然変化する状況に全身で対応しなければならないバイクの乗り方と、自由に変化して、どこでも攻撃してくる敵に対応しなければならない武術の動きとが、自由でなければならないという点において一致しているのです。
私も色々な状況でバイクに乗りましたが、結局は体を自由にしておかなければ不測の事態には対応できません。バイクの雑誌を見て共通するものだなと今更ながらに思いました。
貫汪館ホームページに貫汪館居合道講習会のご案内を載せました。 今回の講習会では 「太刀打」、「詰合」を稽古します。講習会のテーマは「居合の動きを正す」です。
素抜き抜刀術において起こりがちな誤った動きを正す事を主眼に稽古します。貫汪館ホームページの無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古のページをお読みください。講習会の場所は旧平良小学校体育館です。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の7月の稽古は
全ての水曜日 荘島体育館剣道場 19時~20時45分
です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
- 2009/07/21(火) 21:22:58|
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毎日毎日、稽古と武道史調査と研究で頭が武道からはなれず、体も過労で疲れ果てて、寝ても疲れが取れない状態が続いていたため連休初日(とはいっても土曜が稽古だったので日曜日ですが)に何もかも忘れてバイクでツーリングに出ました。時に何もかも(特に武道のこと)を忘れないと、修行の上にも研究にも行き詰まりが生じてしまいます。
金銭的余裕があれば四日間で九州の温泉を廻ろうとも思ったのですが、何分軍資金が無く、日帰りで山陰の温泉へ。
高速を走って濱田から温泉津へ行き、朝風呂に入りました。
温泉津へ行ったのは3度目で、一度目は元湯、前回と今回は薬師湯に入りました。温泉津は広島藩の武士も湯治に来ていたところで、私が今まで入った温泉の中では一番疲れが取れる温泉です。ここはお勧めします。
温泉で今までの疲れを全て癒し、一路、出雲大社へと思ったのですが、途中に五十猛神社があることを思い出し、参拝しました。五十猛神社は五十猛(いたける)大神をお祭する神社で、我家には五十猛大神がお祭してあります。私が何故、五十猛大神と縁があるのか今だにわかりませんが・・・。五十猛は「いたける」と読みますが、山陰では五十猛(いそたけ)町ですし、五十猛(いそたけ)神社です。神社の後ろは小さな丘があり、丘からは日本海が見えます。五十猛(いたける)大神は日本国中に木を植えたとされます。丘には狸が掘った狸穴がありました。
神社の横の摂社には古そうな狛犬が左右にありました。場所が狭いせいか体は正面を向き顔だけ横に向いているようです。
神社から日本海を左に見ながら出雲大社へと向かいました。
出雲大社は現在、平成の御遷宮が行われ、神々は仮殿に遷座され、本殿は御修造がなされています。大国主大神には武の良縁を多く結んで頂いていますので、お参りしないわけにはいきません。
出雲大社にお参りした後は宍道湖の北側を松江に向かい、松江でお城を眺めて和菓子を求め、今度は宍道湖の南側を玉造温泉に向かいました。玉造温泉で再度疲れを癒し、廿日市へと戻りました。総走行距離470kmでしたが、疲れがなくなっていました。
もっともバイクは車と違って周囲を外界と遮断されていませんので、後方も含めて周囲を感じる事ができるため精神的な疲労は少ないのですが。
9月27日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。今回の講習会のテーマは「奥居合・・・自在に動くために」です。貫汪館ホームページの無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古のページを御覧いただきどなたでもご参加ください。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の9月の稽古は毎週水曜日 荘島体育館剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2009/09/25(金) 21:25:51|
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9月22日(火)に、子供をつれ高知に日帰りの旅に出ました。いつもは調査に行くために観光などの余裕はありませんが、今回は桂浜にもおり、高知城にもあがりました。
渋滞をみこして朝5時に出発、坂本龍馬記念館に着いたのは8時半前でした。当然、この時刻なら車をとめる事もでき、桂浜の渋滞にも巻き込まれません。
9時になり坂本龍馬記念館を見学し、(あっという間に身動きが取れないくらい一杯になりました)
その後は桂浜へ歩いており、海を見て水族館に入りました。随分前に水族館には入った事がありましたが海がめのプールには高い柵がしてありました。えさを買ってやれるようにはなっているのですが、高いところから落とすしかありません。以前来た時には柵が無かったので箸で海がめの口にまでえさを運ぶ事が出来ましたが、誰かが怪我をして、柵が設けられたのかもしれません。以前餌をやった時には海亀は割り箸を口で簡単におってましたから、子供の指なら大怪我をすると思います。
いるかの数は一頭だけになってしまっていました。向うを向いて頭を浮かべたり沈めたりしていたのですが、子供が手を叩くと横目でちらりとこちらを見ていました。
あしかは顔の表情がかわり、やはりこちらを気にしてチラチラと見、毛の短いダックスフントを見ているようでした。
水族館をでて車に乗り込み自由民権記念館に向かいましたが、その時にはすでに桂浜への道は何キロもの渋滞になっていました。桂浜の人ごみは桂浜だけの事であったようで高知市内には渋滞はなく、人でも多いとは思えませんでした。
自由民権記念館では調査に何度も行っているにもかかわらず、久しぶりに(七年ぶりくらいでしょうか)展示をみました。自由民権運動には実に様々な多くの人たちが関わって活動をしており、教科書で習う事はその何十分の1でしかありません。一度、行って見られることをお勧めします。
ここでは田岡嶺雲という方が所持していた大きな十手を目にする事が出来ました。ただ箱書きには鉢割と記してあります。
自由民権記念館のあとは山内宝物資料館へ、ここも調査に何度もお邪魔していますが、資料館を見るのは何年ぶりでしょうか。その後は、高知城へ。高知城では三ノ丸石垣改修工事が行われており、咸臨閣」という別称を持ち国の重要文化財に指定されている本丸は化粧直しがおこなわれていました。廣島城が原爆で破壊されたのが残念でなりません。
天守閣の庭は小さく可愛い空間です。一段高い藩主の間の横にある武者隠を見たら「次の間に居る者を斬る」という想定の「虎走」を思い出してしまいました。
この後、ひろめ市場でかつおの叩き丼を食べて、最終目的地へ向かいました。最終目的地についてはまた別の日に記します。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の9月の稽古は毎週水曜日 荘島体育館剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2009/09/26(土) 21:25:02|
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備前焼を見に行く前に長船に行き、最初に備前おさふね刀剣の里へ行き、特別展 「第四回お守り刀展覧会」を見学しました。
先日、東京に出た際、研師の上田健一氏に刀剣博物館に連れて行っていただき、時代の変遷と太刀、刀の変遷についてお話をお伺いしていましたので、興味深く見学する事が出来ました。一般的に平和な時代になれば刀を売るために刃文は華美になると教えていただきましたが、まさしく華やかな刃文の刀が多くありました。
次に上田祐定刀匠の備前長船日本刀傳習所を尋ねました。上田祐定刀匠は私が普段遣っている二尺八寸二分の刀と、三尺一寸八分の刀を打って頂いた方です。日本の伝統文化である日本刀製作の技術を次世代へ伝えるべく備前長船日本刀傳習所を設立され、多くの弟子を養成しておられ、砂鉄から和鋼をたたらで作り(自家製鋼)、日本刀を製作しておられます。
行った時には弟子の方が積み沸かし、折り返し鍛錬の行程をされており、それを指導しておられました。写真に写っているのは弟子の方です。また門人の山本祐永刀匠はセンをかけておられました。
お昼頃までお邪魔して作業を見学させていただき、備前焼の見学に向かいました。
備前長船日本刀傳習所のホームページ(←クリック)です。
10月17日(土)午後6時半~8時45分まで久留米市武道館小道場で無双神伝英信流抜刀兵法の稽古を行います。興味のあるかたは久留米道場の連絡先からご連絡ください。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の10月の稽古は毎週水曜日 荘島体育館剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2009/10/16(金) 21:25:48|
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先週末、第13旅団創立10周年・海田市駐屯地創立59周年記念行事に招かれ、行ってきました。
私自身は航空自衛隊にいたのに退職してからは銃剣道の関係で陸上自衛隊にばかりご縁があります。
行事でははじめに観閲式が行われ、観閲行進があり、空挺隊のパラシュート降下がありました。第一空挺団のある習志野駐屯地内には私が最初に所属していた航空自衛隊第一高射隊が習志野分屯基地として所在していました。また、習志野演習場の中に当時の地対空ミサイルのナイキの発射地区と射統地区があり、私は発射小隊にいました。式典のあとで二番目に降下された方とお話しする機会があり、展示されていた写真で現在の習志野演習場を見て懐かしく思い出しました。下の写真は観閲式とパラシュート降下と偵察隊のバイクによる訓練展示のものです。
観閲式の後は模擬戦闘が行われましたが、新しい小銃の空砲の音が小さいので後で聞いてみると口径が随分小さくなっているとの事でした。最後に敵陣地を制圧するのに「突撃に進め」という号令が聞こえたのも懐かしく思い出しました。
私が航空自衛隊の幹部候補生学校ではじめて戦闘教練の教育を受けたときの事です。分隊での戦闘教練の模範を教官方から見せられました。戦闘訓練に用いられる号令も始めて聞いたのにもかかわらず、その後いきなり区隊長が「森本が分隊長をやれ」と言われ、分隊を指揮し最後の号令を「突撃に前に進め」と間違ったことも思い出しました。
写真は模擬戦闘のときの写真です。
江戸時代であれば、一騎前の武術だけでなく、用兵・築城の法も兵学、軍学として学ぶこともたしなみであったので、兵学の流派が残っていない現代に幹部候補生学校で戦史や用兵を少しでも学べたことはよい勉強になったと思います。
貫汪館居合道講習会を11月15日(日)に行います。貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページを御覧になり、どなたでも御参加ください。
今回の講習会のテーマは「渋川一流の居合」です。 貫汪館ホームページに明治神宮奉納演武の写真を載せました。御覧下さい。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の11月の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2009/11/12(木) 21:31:25|
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昨日は第13旅団創立10周年・海田市駐屯地創立59周年記念行事について記しましたが、パラシュート降下をされた方と話していたときに一緒に行っていた次男が「降下は怖くないですか。」と質問しました。
私はといえば高いところは嫌いですが、習志野演習場で何回となく降下されるのを見ていましたので、第一空挺団の隊員の方が「怖い」と感じるはずもないだろうと思っていました。
しかし、その方は次男にこう話してくださいました。
「はじめは怖いと思っていました。しかしやがて慣れて怖くなくなります。だけれども100回目の降下には何か起こるのではないかと怖くなりました。節目節目にそういうことが起こります。」
命をかけてお仕事をされているのだと今更ながらに感じました。とても謙虚な方で降下の回数も多い方でしたが、このような命をかけたお仕事が人間性を高めているのではないかとも感じられました。武術、武道の稽古は口先では竹刀を刀と思えとか、命に関わる稽古をしていると言いますが、実際にはスポーツ感覚で行っている方も多くおられます。
稽古するものは深く考えねばなりません。
久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。 貫汪館居合道講習会を11月15日(日)に行います。貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページを御覧になり、どなたでも御参加ください。
今回の講習会のテーマは「渋川一流の居合」です。 貫汪館ホームページに明治神宮奉納演武の写真を載せました。御覧下さい。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の11月の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2009/11/13(金) 21:25:17|
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久留米での稽古の翌日の月曜日、岡山県にある和気神社へ行ってきました。和気神社の御祭神は和気清麻呂公をはじめ和気氏に関係のある神々です。写真は和気神社と和気清麻呂公の銅像です。
和気清麻呂は言うまでもなく道鏡事件に関係がある人物ですが、道鏡事件について神社の説明をお借りすると、
奈良時代、神護景雲3年、僧道鏡が、女帝の称徳天皇から特別深い寵愛を得て、太政大臣に、次いで法王となり、最後には天皇の位を望むようになりました。そこへ、九州大宰府の主神(かんずかさ)習宜阿曽麻呂(すげのあそまろ)が朝廷に「道鏡が天皇の位につけば天下は太平となる」という宇佐八幡の神託をもたらしました。
天皇は驚き、神意を確かめるために清麻呂公を使いとしました。宇佐に到着し、神前に額ずく清麻呂公にもたらされた神託は、
「我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし。」
宇佐から帰京した清麻呂公は堂々と、この神託を言上しました。
当時の大部分の人が道鏡への譲位に疑問をもっていたにも関わらず、左大臣以下だれも声にあげて反対することができなかったのに、命をかけて抗議したのが清麻呂公ただ一人でした。
これにより、清麻呂公は大隈国(現鹿児島県)に流罪となり、大隈国に流される途中に、怒りおさまらぬ道鏡により放たれる刺客などに襲われますが、天変奇異に助けられ、また神の使いか「猪」に守護されながら、無事大隈国へと到着しました。
2年後、称徳天皇の崩御により道鏡は失脚。清麻呂公は許され、都に帰り本性本位に復し、桓武天皇の信頼を得て、摂津大夫・民部卿として、摂津・河内両国の治水工事に当たります。
延暦13年(794)清麻呂公の建言により平安京造営、自ら造営大夫として新京の建設に尽力しました。
猪は説明にあるように和気清麻呂を守った動物で、神社には狛犬ではなく狛いのししがあります。
現在の本殿は明治18年には、邑久郡の大工棟梁「田淵耘煙斎勝義」が建てられたものですが、和気町指定文化財になっています。彫刻は写真に見るようにすばらしいものだと感じました。
残念だったのは神社に隣接する和気町歴史民俗資料館が月曜は休みということで閉館されていたことです。最近は月曜が定休のところでも祝日は開館して次の日を休みにするところが多いだけに学ぶことができず、さびしい思いをしました。
和気神社のあとは、前々から行ってみたかった閑谷学校へと向かいました。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2009/11/27(金) 21:25:21|
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草木染めとがま口バッグの新作です。草木染めは勤務する高校の文化祭にあわせていくつか染めました。私がいわゆる古武道をするため高校では剣道や柔道などの武道関係の顧問をしているのだと思われてしまいますが、する気もありません。江戸時代からの流派武道と、競技を中心として成り立っている現代武道とではあまりに大きな隔たりがあるからです。
江戸時代からの流派武道には皮脂をもきらう草木染めや狂いは許されないがま口バッグ作りなどの繊細さを必要とするもののほうがより近いのです。ということで手芸部の顧問をしています。
写真の草木染めは上段左:桜の葉、右:ログウッド 中段二枚とも:あかね 下段二枚とも藍染です。バッグは反物で買った生地で作りましたので、以前作ったものと柄は同じです。藍染のものはなかなか気に入っているのですが左の羊毛のマフラーを染めたものは絞って白い部分を大胆に残し縞とし、木綿を染めたものはグラデーションにしています。
渋川一流柔術の師範代は革細工をしますし、七尾道場長は写真をとる技術も随分上達してきました。久留米の無双神伝英信流抜刀兵法の師範代も帽子を編んだり人形を作ったり、柳井西蔵で機織をしてブックカバーを作ったこともあります。
ひょっとしたら現代的な感覚からするとかわった道場かもしれません
今月の久留米での稽古は19日(土)、20日(日)です。詳細は後日。 貫汪館、稽古納めは27日(日)です。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2009/12/10(木) 21:25:19|
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昨日、父母と私と息子二人と5人でテレビニュースの成人式の様子を見ていたら、毎年のように愚かな行為をする若者が映し出されました。私が「ああいう状況なのに成人となる年齢を18歳とするということは考えられない。18歳で成人という事は長男も間もなく成人という事になる。」と話すと、父が自分の18歳のころのことを息子達に話してくれました。大正15年生まれの父は志願兵として16歳で海軍の軍人になっていました。
戦時中の話ですので正確な記憶かどうかわかりませんが、このような話を息子にしてくれました。
18歳の時には南方の島にいて海軍の飛行場を守っていた。敵の艦砲射撃が激しくこちらの大砲の射程は短いため一方的に攻撃を受けるばかりで被害が出るばかり。昼夜を問わない攻撃のため寝る事は出来なかった。敵の艦載機の爆撃も行われ、塔に登って敵機の動きを見ていたら塔の高さよりも敵機の高度が低いようにも見えた。
そんな中、日本の戦闘機が9機特攻に飛び立った。一機は戦果を確認する為の航空機で帰還してきて報告をしたが残りの8機は全て敵の戦艦、航空母艦に突入していった。塔の上から見ていると航空母艦は撃沈され他にも沈んだ船があった。空中にあった敵機は帰還する航空母艦が無いため次々と海上に不時着しパイロットは脱出していた。
夜になっても敵の艦船は海上に漂っている沈んだ船の乗組員を救助するために海面をライトで照らしていた。
私は何歳になっても知識がどんなに増えても、人間的な底力が父に追いついたと感じた事がありません。このような経験をして責任のとり方を知っていた18歳と、今の18歳を比べる事ができようはずもありません。
政治は夫婦別姓や、外国人の参政権、成人の年齢の引き下げといった微妙な問題を急激に変えようとしていますが、はたして国民の間にこのような問題に対する答えが出ているのでしょうか。
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- 2010/01/12(火) 21:28:42|
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週末、次男と姪を連れ岡山県の吹屋へ行ってきました。1年半前にも行ったのですが、そのときは時間切れで吹屋銅山笹畝坑道へ入ることが出来なかったため、今回の目的地は坑道のみでした。吹屋の町並みではフジテレビの50周年記念の撮影がおこなわれていましたが、雨であったため町並みでの撮影は中止になり家屋内だけでの撮影があったようです。小学校ではエキストラを使った撮影もあったようで、大東亜戦争の頃の衣装を着ておられました。また町の中にもその当時の看板や小道具が置かれていましたので、時代は大東亜戦争終結の頃であるようです。 吹屋については以下のページをご覧下さい。
http://www.okayama-kanko.jp/modules/kankouinfo/pub_search_keyword2.php?HypEncHint=%A4%D7&sel_text=%BF%E1%B2%B0&btnG=%B8%A1%BA%F7&ak=1&ab=1&at=1&ae=1 さて吹屋銅山笹畝坑道ですが807年頃に発見され毛利氏と尼子氏の争奪戦をへて江戸時代は天領として、維新以後は三菱によって経営されたようです。詳しくは案内板の写真をみてください。坑道入り口の写真と案内板の写真です。
坑道は吹屋の喫茶店のご主人のお話では公開されている部分は江戸時代の手掘りの部分だそうですが、手掘りだけに当時の雰囲気が伝わってきます。入る前は子供たちの期待を裏切るような短い範囲の公開だと思ったのですが結構楽しめました。
以下の写真は今も残る黄銅鉱です。
江戸時代の作業の様子が人形で再現されていました。刀装具に用いられている銅ですが、今気軽に手にとっている江戸時代のものでも、当時環境の悪い鉱山の中で工夫の人たちによって手掘りされたものが精錬されて形になったものだと思うと。おろそかに扱う事はできません。
劇団夢現舎が6月18日(金)、20日(日)第三回ルナティック演劇祭(下北沢小劇場「楽園」で公演を行います。パンフレットを御覧いただき是非お出かけください。
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- 2010/06/16(水) 21:25:08|
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調査旅行ではなく久々に楽しむためだけに日帰で子供達2人と出かけました。大宰府天満宮から柳川へ行き帰りには福岡のキャナルシティーへ。大宰府天満宮は何時行っても人が多く、二年前にいったときもそうでしたが今回も中国語があちこちから聞こえてきました。
江戸時代の日記を読むと大宰府へは廻國修行をした武士達も立ち寄っていたようで、かたぐるしく修行しただけでなくちゃんと観光もしていたようです。
柳川へ行くのはいつも古文書館へ行くためで、ウナギの蒸篭蒸しといったご飯とは縁遠く、昼食も近くのスーパーで済ませていますが、今回は夜明茶屋という有明海の魚介類を食べる事が出来るお店に行きました。
一枚目の写真は有明の幸定食。クチゾコの煮物やエツ、いそぎんちゃくやくらげなどです。
二枚目の写真はエイリアンに似ているワラスボとムツゴロウの活造。
三枚目の写真はエツという筑後川河口でとれる小骨の多い魚です。
最後の写真は有明海です。小さな写真はクリックしていただくと拡大します。
その後、旧柳川藩主・立花家の別邸「御花」へ行き、資料館で甲冑等をみて、別邸へ別邸には無造作に雑兵が用いていた兜がかけられています。もったいないとしか思えないのですが。
その後、北原白秋記念館へ行きました。柳川は北原白秋が生まれたところだそうですが、高校生の頃伝習館という藩校の伝統を受け継ぐ高校で一人の教師と争いとなり中退して上京したそうです。北原白秋に関しては恥ずかしながら入試の時に暗記事項として名前や作品名を覚えただけなのですが、展示してある作品をよむと、日本語がここまで美しく生き生きするのかと思うほどに素晴らしく思いました。その後福岡キャナルシティーへ向かいましたが不景気なのは自分一人ではないのかと思えるくらいに活気がありました。
久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。 7月31日と8月1日、久留米に指導にまいります。興味のある方は久留米道場のH.Pの連絡先へ御連絡ください。
7月31日(土)17:30~20:45 久留米武道館小道場
8月1日(日) 09:00~16:30 田主丸武徳館剣道場 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2010/07/20(火) 21:25:01|
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クラウゼビッツの『戦争論』という書があります。大学の卒論で日本の兵学を研究した際、西洋についても知らなければならないと思い読みこみました。『戦争論』は1832年に出版されたもので、フr-ドリッヒ大王とナポレオンの戦績から得た教訓をもとに書かれたものです。日本には森鴎外によって導入されましたが、軍医としてドイツに留学していたときにこれを読み、のちに陸軍士官学校に協力して訳文を『大戦学理』として出版したという事です。
広島県の感情論的な平和教育(平和を構築する為の具体策が何ら検討されず、過去の日本を否定するだけの教育)をうけて育った私には『戦争論』の言葉はショックでもありました。
戦争は他の手段をもってする政治の継続に過ぎない。 戦争とは、他の手段を交えて行う政治的関係の継続に過ぎない。 政治目的は戦争活動を支配する。 戦争は多くの現代の日本人にとって非日常的なものであり、あってはならないもの、避けなければならないものという考え方が一般的だと思います。しかし、『戦争論』では戦争は政治の一枚のカードに過ぎません。現在でもそうなのかと問われれば、そうだと答えざるを得ません。大量破壊兵器が無い事が明らかであったイラクはなぜ米軍に戦争という形を持って攻撃されなければならなかったのかを考えれば分かると思います。
また、チベットはどういう形で中国の領土となったのかを考えれば明らかだと思います。
侵略者はつねに平和主義者である。戦わないで侵略するほうが簡単だからである。 最初に戦争を起こすのは防者である。攻者はたんに物を取ろうとするに過ぎないが、防者は敵を払いのけようとする。 今、尖閣諸島で何が起こっているのかを考えれば、実際の動きとしてよく理解できます。今、ガス田はどうなっているのか、この間の中国が仕組んだ茶番劇で、双方冷静に対処しなければならないといっている間にガス田がどうなっているのか。
また尖閣諸島を守ろうとして当然の仕事をした海上保安庁は海外では軍隊の一部とみなされます。魚を捕ろうとした(実はその奥にあるものをとろうとした)者を払いのけたのは海上保安庁です。中国では海上保安庁の巡視船は悪玉です。
思想統制・情報統制がなされている中国で真実を何も知らない中国人が反日デモをするのは、これを何が操作しているのか。そして日本の企業を一見守っているように見える中国の警察は、どこがコントロールしているのか。
日本の無能な政治家は日中双方冷静にとしかいえません。冷静に事が収まるのを待つには尖閣諸島を守る為に何ら手立ては講じられないという事です。
手立てが講じられないように仕組んだのは、一体誰なのか。考えれば分かる事です。そのうちに日本の政治家は手立てを講じなければならないということすら忘れてしまいます。自分の今ある地位と名誉とお金しか考えないのですから。
自己保存の意欲と実力の無い国を、外部の力だけで維持する事は難しい。 國は他国を援助する事はあるが、自国のことほどには真剣に考えない。敗勢を盛り返す見込みが無くなれば手を引く。 二国が協力して第三国と戦う場合、必ずしも同じ程度に敵視しない。 日本が置かれた状況です。結局は頼れるのは自分自身であり、自分を守ろうとする意識が無い者がターゲットになった場合はとられるものをとられるだけです。
軍の戦力は、これを指揮する将帥の精神力によって決まる。 名将は、精神的教養の高い国民の中からでなくては生まれない。 将帥の判断のためには、しばしばニュートンのような数学的頭脳を必要とする。 自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣です。このような指揮官であるのかどうかは皆さんの判断にお任せします。このような指揮官であれば、尖閣諸島を守る為に見えないところでニュートンのような数学的頭脳を働かせて緻密な計画を立てているでしょう。
もう、20年以上になりますが自衛隊の中央観閲式で航空自衛隊の徒歩部隊の幕僚でk総理の前を歩いたときに私がどのように感じたかは皆さんのご想像通りです。
今までのところは中国の漁船の船長の行動から中国国内の反日デモ、ガス田、レアアース、全ては中国の戦術通りです、このまま作戦通りに行けば尖閣諸島は確実に中国の領土になるでしょう。そしてやがて日本海も韓国の言うように東海になるか、または中国名が付き・・・、沖縄も中国領になるか、日本から独立してかってのように朝貢國になり・・・。
きっと日本政府は何か水面下で綿密な作戦を立てているのでしょう。
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- 2010/10/18(月) 21:25:18|
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武道とは全く関係がありません。久しぶりに新作を作りました。はじめの写真はいつものようにストールやマフラーの草木染めです。左側が栗のイガでそめたもの、右側が枇杷の葉で染めたものです。生地はつむぎです。
次の写真は藍染です。三枚とも羊毛の染色用のマフラーを染めました。左は絞って白地を残したもの。真ん中は絞って白地を残し、さらに絞りをほどいて二度染し、絞った部分を薄く染めたもの。右はややグラデーションに染めたものです。藍染は木綿の生地が一番藍らしく染まるのですが、私自身は羊毛の発色もなかなかよいと思っています。
次の写真は藍染のショールです。記事は木綿で随分前に鍋の蓋で板締めにして染め、染め上げてから蓋をずらして再度染め濃淡をつけました。長い間、両サイドの房をくくらず、ほっておいたのですがやっと完成しました。
最後の写真は始めての作ったものでタペストリーの一輪挿しです。麻の生地を染め、裏山で切ってきた竹を用いて完成させました。左から柿の葉、枇杷の葉、栗のイガで染めています。
今週末、福岡県久留米市で無雙神傳英信流抜刀兵法の指導講習を下記の日程で行います。御興味があられる方は久留米道場のホームページに記してある連絡先へ御連絡ください。どなたでも歓迎いたします。
11月20日(土) 久留米市武道館 小道場 17~21時
21日(日) 久留米市筑邦市民センター 多目的ホール 9時30分~17時30分
22日(月) 久留米市勤労青少年ホーム 軽運動室 19~21時 11月23日(火・祝)福岡県大牟田市民体育館で午前9時半より開催される剣道大会で大石神影流の演武が行われます。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
- 2010/11/16(火) 21:25:25|
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廿日市天満宮での奉納の翌日、ハワイから帰ってきている姪と次男を連れて下関に行ってきました。姪は水族館へ行くのが目的で子供達にとっては神社はついでです。中国道は雪が降っており雪景色の続くところもありました。
海響館のあしかとイルカのショウはよく作られていて、動物達は疲れないのだろうかと心配するほどの長時間の演技でした。水族館の中は以前行った時と変化はありませんがペンギンの水槽は良く出来ていてペンギンが泳ぐ姿がよくわかります。あんなに速く水中を泳ぐと言う事がはじめて実感できました。下の右側の写真の中で白く長細いのがペンギンの泳ぐ姿です。
海響館のあとは市場に行って御寿司を食べましたがとても美味しく頂きました。昼食の後長府の忌宮神社に参拝しました。神社には熊襲が反乱を起こしたとき、朝鮮半島の新羅国の塵輪が熊襲を煽動し豊浦宮に攻め寄せたのを逆に討ち取りその首を埋て覆ったという鬼石があります。真偽は歴史の検証に任せるとして古い歴史を感じさせる神社です。拝殿には清末藩主が奉納した額が掛けられています。
今回最後に参拝したのが乃木神社です。乃木大将は長府の出身です。神社のそばには乃木希典が子供の頃に過ごした家を復元した建物がたっています。また博物館には乃木大将の書もありますが、いずれも人柄を表すような誠のこもった書です。歳の終わりに乃木神社に参拝できて心が清められ、心残りがない思いがしました。
貫汪館ホームページの無双神伝流と渋川一流のリンクのページに長谷川流棒術(大和柳生 長谷川家伝承の長谷川真刀流棒)のホームページをリンクしました。御覧下さい。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2010/12/28(火) 21:25:33|
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先日初めて久留米の水天宮に参拝しましたので、水天宮についてご紹介いたします。久留米の水天宮は全国にある水天宮の総本宮で、全国にある水天宮はこの久留米の水天宮の御分霊社です。水天宮の御祭神は天御中主神 、安徳天皇 、高倉平中宮 、二位の尼でその由来は以下のように伝えられています。
平清盛の血をひく安徳天皇は、壇ノ浦の合戦で源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の二位の尼に抱かれ、母の建礼門院と共に波間に身を躍らせました。そのとき建礼門院に仕えていた官女、按察使局 伊勢も壇ノ浦で共に入水しようとしたところ、二位の尼にとどめられ、生きてわれら平家一門の霊を慰めよとの命を受けました。戦の後、源氏方の追っ手から、九州の千歳川(現在の筑後川)辺りの鷺野ヶ原に遁れ、この地に祠を建て、安徳天皇をはじめ平家一門の霊を祀る日々を送りました。
水天宮に向かって左側には筑後川があります。
鳥居を潜って右側には真木神社があります。真木和泉守保臣を祭る神社ですが真木和泉は久留米藩士であり水天宮の第22代宮司です。水戸学の継承者として位置付けられ、楠木正成の崇拝者でした。幕末に国事に奔走し長州の禁門の変(蛤御門の変)の際に行動をともにし、天王山で自害しています。写真左側が真木神社で、右側は久留米で藩政改革に失敗し謹慎していた時に寓居していた家を模して建てられたものです。銅像は真木和泉です。
死に急いだように私には感じられます。享年52歳で以下の辞世を残しています。
大山の 峯の岩根に うづみけり わが年月の やまとだましひ 続く
貫汪館ホームページの無双神伝流と渋川一流のリンクのページに長谷川流棒術(大和柳生 長谷川家伝承の長谷川真刀流棒)のホームページをリンクしました。御覧下さい。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2010/12/29(水) 21:25:20|
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久留米の水天宮の続きです。真木神社を過ぎ少し進むと本殿があります。
本殿の前左右には可愛い狛犬があります。水天宮という名にふさわしくかどうかは分かりませんが、左側の狛犬は庇から落ちる水滴でぬれていました。
本殿を後ろに回ると筑後川の側に水神社という水徳の神様の彌都波能売神(みつはのめのかみ)、安産の神様の鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)が祀られる小さな神社があります。写真は筑後川を下流から上流に向かって写したものと水神社です。水神社の前には肥前肥前狛犬というう、小さくて可愛いけど少し奇妙な狛犬があります。後から知ったのですが、自分の痛いところを撫でればその痛みがとれるという事で「撫で狛犬」とも言われているそうです。
以上で水天宮の紹介を終わります。正月には神社に参拝されると思いますが、それぞれの神社の御祭神や由緒を知る事でより八百万の神々を身近に感じられるようになるのではないかと思います。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2010/12/30(木) 21:25:56|
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インターネットの産経ニュースで航空自衛隊の松島基地の復旧について取り上げられていました。記事は自衛隊に好意的に記されていましたが記事の中にやはりマスコミの記事だと感じてしまった箇所がありました。
「応援部隊は志願制で士気も高いが「地べた」の活動に慣れていない。くぎを踏みけがをする隊員も相次いでいる。」
航空自衛隊であると云うことを強調したいために記された一文なのでしょうが、航空自衛官の中でのパイロットの比率がどれくらいあるかというのは記者もご存知のはずです。大多数の航空自衛官は地上勤務です。
また、底の厚い作業靴をはいていれば「くぎを踏みけがをする」という事態も起こりがたいことです。作業中ではなく休んでいる時に起こった事故ではないかと思います。
今日の記事などは記者の話題づくりのためと笑い話で済ませる事ができるようなものですが、もう随分前に、ある新聞社の記事で日本が保有している旧式の地対空ミサイルの射程は北海道の北方4島に近いところに配備すると、北方4島を射程に入れる事ができるのでロシア(当時はソ連)にとっては大きな脅威なのだという記事が載っていた事があります。自分を守る地対空ミサイルを配備したところでいかほどの脅威があるというのでしょうか。ソ連が侵攻するのが難しくなる事をソ連にとって脅威と言うならばその記事を書いた記者はソ連に雇われていたとしか思えません。
マスコミを妄信してしまうと、とんでもない事態に陥る可能性もあります。
久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。 次回の貫汪館居合講習会は5月22日(日)を予定しています。講習は大森流や英信流表の難易度の高い形について行う予定です。詳細は後日お知らせいたします。 4月30日(土)の稽古は前倒しして4月29日(金)に行います。稽古時間は午前9時~12時までです。場所は廿日市スポーツセンター武道場ですのでお間違えのないようにしてください。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2011/04/18(月) 21:25:34|
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1.諸悪の根源は警察が守る 警察は自衛隊と意識が全く異なるのは就職試験のときに感じたことです。警察庁で制服を着て威張っているのはキャリアと呼ばれる警察官僚で県警本部長やその他の県警の要職もキャリアの警察官僚が勤めます。制服は着ていても意識は上しか見ていません。
一方、防衛省はキャリアと呼ばれる人たちは制服を着る事はなく、防衛省の中でスーツを着てすごします。自衛官のトップは官僚ではありません。自衛隊は国民と國を守るという意識を自衛官は持っています。
2.国民を二分する政治 まるで日の丸が上と下に分離しているように見えます。自民党も同じですが、国会議員は自分達さえ良ければ国民の事などお構いなしです。このたびの大震災を利用して、どれだけ美味しい思いをしようかと政治の中枢に居ようとして醜い争いを繰り広げています。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2011/06/07(火) 21:25:05|
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日帰りで長男と大宰府天満宮に祈願に行ってきました。高速道路休日1,000円がなくなるのでこの時期にしましたが、国会議員の新幹線ただで乗り放題がなくならないのは一体どうした事でしょうか。また、東北地方の復興のために東北地方の高速道路を無料にするのに休日1,000円を廃止するといっていたのに東北地方の高速道路が無料にならないのはどうしたことでしょうか。震災の復興だけならいくら費用がかかるか目安は立てられるけど、情報を小出しにしてきた原発の被害の弁償等にどれほどの金額がかかるか分からないので、できるだけお金を集めたいという事なのでしょうか。
国会議員は自民党も含めて全く信用できないのはわかりきった事なので、庶民は何とか自分の力で生き延びる方法を考えなければなりません。今後は武道史の研究にも交通費が沢山かかるようになってしまいます。研究費というものが全くでない私には大きな痛手です。
さて、大宰府天満宮ですが、菅原道真は「天満大自在天神」という神号をもたれますが、弓の名手であったといわれ武術上達の祈願もできます。弓の名手として伝えられているという事は、当時は武術の中でも弓の技術を最も尊んだという事でしょうか。雨にもかかわらず、刀を手にし、紋付を着た方が沢山おられました。奉納演武が行われたようです。
大宰府天満宮への行き帰りの関門橋は雨の中でとても美しく見えました。左の写真が下関から見た関門橋で、右の写真が門司から見た関門橋です。海面には橋の影も映っています。
大宰府天満宮は外国からの観光客の方が多く来られていて、以前参拝した時は中国語が多く聞こえてきたのですが、今回は韓国語が聞こえてきました。写真は参道と、本殿です。雨が激しく降っていましたので本殿の写真には雨が写っています。
雨が降っていたのですが普段は行く事がない摂社にも行ってみました。写真は摂社と摂社から見た本殿の方角です。摂社には誰一人御参りする方はなく別世界かと思えるほどに落ち着いた雰囲気がありました。こういう空間にいると、それだけで心を鎮める稽古になります。
貫汪館居合講習会を7月10日(日)に行います。今回の講習会のテーマは「居合のありよう」です。素抜き抜刀術以外の形(太刀打・詰合・大小詰)や大石神影流の形の稽古を通じて居合のありようのヒントを得る事を目的とします。貫汪館HPの無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古のページを御覧頂き、どなたでも御参加ください。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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- 2011/06/13(月) 21:25:21|
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先月、熊本県立図書館へ行ったとき、係の方の対応も、その他の窓口の方の対応も非常に親切で居心地の良い思いがしたのですが非常に残念なことが一つありました。
それはどこにでも設置してあるご意見箱への対応でした。
ご意見箱への意見への返事がエレベータターのそばに貼ってあったのですが、意見は「喫煙場所が玄関わきに設置してあり、玄関を通るたびに子供たちがたばこの煙を吸わざるを得ない状況になっている。設置場所を変えてほしい。」という趣旨のものでした。それに対する答えが「雨の場合には屋根が必要であり、適切な設置場所もないので、今後とも場所を変える考えはない。」というとんでもない回答でした。
一部の大人のエゴを通すためには子供のことなど考えてはいられないという返答でしかありません。健康のため子供には喫煙は禁じておいても、たばこの煙は吸い込まざるを得ない状況を公共施設が作り出して、それを疑問にも思わないどころか、利用者から寄せられた意見を踏みにじるような回答をする公共施設の責任者の対応には、ただただあきれるばかりでした。
図書館は子供ばかりではなく、呼吸器系の弱い人も利用されるでしょうし、公共施設の責任者としてそのような回答をなすべきかどうか熟慮すればわかるはずです。公共施設で窓口で働く方の対応が素晴らしいのに上に立つものが全くダメというのはよく見る図式ですが、子供たちも利用する図書館の責任者としては、全くダメな責任者だと言わざるをえません。
もし人の目のつかない場所に喫煙場所を設置したら火事になる恐れがあると考えるならば、全面禁煙にすべきです。子供たちを犠牲にしてまで喫煙者の権利を守ろうという考えは政令指定都市となる熊本市にある熊本県の県立図書館の上に立つ人間の持つべき考えではないと思います。。
次の久留米での指導は10月29日(土)です。詳細が決まりましたらお知らせします。
次回の貫汪館居合講習会は12月4日(日)です。講習内容は「大小詰」と「奥居合座業」です。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
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- 2011/10/21(金) 21:25:11|
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武道とは関係ありません。
先日エンジンオイルをやっと変えたので、ちょっとだけツーリングしてきました。後輪タイヤを買い替えるお金がないので遠出はできません。このままでは走ることもできなくなってしまいます・・・。
山口県の光市のいつも行く石城山にいってきました。
石城山に上り初めに石城神社に参拝しました。山門と参道の古木、石城神社の本殿です。石城神社は574年に鎮座し、本殿は1469年に大内政弘が再建し、その後解体修理などが行われています。他にも小さな神社がたくさん建てられています。
次の写真は上関方面で、風光明美な場所です。原発の工事が今は中断されています。再開されないことを望みます。その次は柳井方面で柳井は岩国藩の商業の中心地で、柳井縞という織物が名産でした。
次の写真は日本(やまと)神社の境内の四季桜です。いつ行っても桜が咲いています。
鳥のさえずりや風の音、そして小動物の気配。山にいた時間は短かったのですが心の休養になりました。
貫汪館広島護国神社奉納演武は4月1日(日)9:30から行います。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
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- 2012/03/27(火) 21:25:19|
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先日、長男の大学入学準備のために京都に赴き、その帰りに次男を連れて奈良によりました。奈良では30年ぶりくらいに航空自衛隊幹部候補生学校に立ち寄ってみました。30年近くたったとは思えません。月日が経つのは速いものです。
幹部候補生学校の正門は昔に比べて立派になったように感じますが、当時の記憶がありません。
左側手前の建物が銃剣道を稽古した体育館、奥が食堂で変わっていないように思います。
1年近く生活した隊舎です。
5メートルの高さから頭からまっさかさまに飛び込まされた飛び込み台です。このプールで鍛えられ、泳ぎが得意ではなかった私も4km遠泳ができました。
幹部候補生学校の東西にあるウワナベ古墳です。東側の古墳は夏に水が干上がって古墳の下部に沢山の円筒形埴輪が見えました。
貫汪館居合講習会は5月27日(日)に行う予定です。今回は英信流表を中心に稽古します。詳細は後日お伝えいたします。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
- 2012/04/05(木) 21:25:47|
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昨日に続き奈良の写真です。航空自衛隊幹部候補生学校を文字通りのぞいた後、東大寺に向かいました。写真は次男の撮影です。
駐車場から東大寺に向かう道の傍らに工場跡を利用した喫茶がありました。
東大寺に向かう坂道です。
雨が上がったばかりで桜も濡れていました。
有名な南大門の仁王像です。いつ見ても立派です。奈良に住んでいたときによく仏像を見ては、その動きを探ったものでした。
続く
貫汪館居合講習会は5月27日(日)に行う予定です。今回は英信流表を中心に稽古します。詳細は後日お伝えいたします。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
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- 2012/04/06(金) 21:25:48|
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東大寺大仏殿はいつみても偉大なのですが、奈良時代には現在の建物の二倍の大きさがあったそうです。現在の建物は江戸時代のものです。
大仏とその周りの広目天などの仏像です。普段目にするものに比べて、その大きさに圧倒されてしまいます。
まだ、見ておられない方は一度は見た方が良いと思います。
続く
貫汪館居合講習会は5月27日(日)に行う予定です。今回は英信流表を中心に稽古します。詳細は後日お伝えいたします。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/04/07(土) 21:25:16|
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大仏殿を見た後は二月堂、三月堂へ向かいました。三月堂は締まっており非常に残念でした。あの空間には1時間いても2時間いても退屈することがないのですが…。 写真は全て次男の撮影です。奈良観光はこれででおしまいです。
二月堂の裏の写真です。
東大寺周辺を見た後は平城京跡を通り過ぎ唐招提寺に向かいました。幹部候補生学校から訓練で走って行ったことがあります。今回車で行くとかなりの距離がありました。
貫汪館居合講習会は5月27日(日)に行う予定です。今回は英信流表を中心に稽古します。詳細は後日お伝えいたします。 貫汪館HPに廣島護国神社奉納演武の写真を載せました。ご覧ください。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
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- 2012/04/08(日) 21:25:01|
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土曜日の午前中に裏山に筍堀に上がりました。人里離れたというわけではないのですが、一人で竹やぶ深くはいると人の声も聞こえなくなり、次第に自分の感覚が繊細になるのを感じます。すると風の音や、鳥のさえずりがよりはっきりと聞こえるようになり、小さな変化にも気づくようになります。
機会があったら安全な範囲で、整備されてない自然の中に身を置いてください。何かを感じるはずです。
写真は筍が頭を出したところと、地下茎につながっているところ、その日の収穫です。
貫汪館HPに廣島護国神社奉納演武の写真を載せました。ご覧ください。 貫汪館居合講習会は5月27日(日)に行う予定です。今回は英信流表を中心に稽古します。詳細は後日お伝えいたします。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
- 2012/04/09(月) 21:25:48|
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竹田には瀧 廉太郎が小さなころに住んでいた家があります。日出藩の家老職をつとめた上級武士の家柄であったため維新後は内務官僚として勤め、また地方官として神奈川県や富山県、大分県竹田市等を移り住んだためです。私は音楽とは無縁でというか小さなころピアノを習ったのですがそのピアノの先生が音楽の楽しさより厳しさを教える方であったため音楽に対して拒否反応がでるようになりました。
が、瀧 廉太郎の歌は好きで「荒城の月」お正月」「鳩ぽっぽ」「箱根八里」などは小学校の時に習ったのにメロディーが流れるといまだに下肢を思い出します。
写真は瀧 廉太郎が住んでいた家です。元々武家屋敷であったという事で、家の中には槍かけもあります。一度解体して修理したようです。中は小さな資料館になっていますが、瀧 廉太郎は子供の沖から顔つきが普通の子供と違いました。育った環境がそうさせるのでしょうか。
最後の1枚は蔵の2階の写真ですが瀧 廉太郎はここで勉強したという事です。縁側の下にはキツネの親子が住み着いており瀧 廉太郎はキツネ達に油揚げを与えるのをたのしみにしていたようです。人柄がしのばれます。
- 2013/03/29(金) 21:25:21|
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先日、航空自衛隊幹部候補生学校の同期会があり奈良へ行ってきました。幹部候補生学校は航空基地とは全く関係がない奈良にありウワナベ古墳に囲まれた静かな地にあります。
はじめに幹部候補生学校前に集合して学校見学の後、宴会が行われました。30年ぶりに幹部候補生学校に入り見学してきました。同期には30年ぶりにあった者もいるのに、何故か月日の流れを感じず心が通います。ほとんどの者は現役ですが、一部は定年された者もいました(55歳定年)。
また悲しいことに、遠泳の時にバディーであった親友は沖縄で情報の仕事をしており、連日の中国の挑発に対応するため休みなく働き、1か月前に過労で殉職していました。戦死したようなものです。このようなことはニュースにもなりませんから、国のために亡くなった自衛官がいるという事を知る人もいないでしょう。
最初の写真は正門を入ってすぐのところにある旧式の戦闘機の展示場です。私が初めて部隊に行ったときに扱った旧式の地対空ミサイルのナイキもおいてありました。30年前の覚悟と若干の不安が混じった気持ちがよみがえりました。
次の写真が11か月暮らした学生隊舎です。はじめは時間どおりに行動することになれず、苦労したものでしたが、5月の連休が過ぎたころから体がなれてきました。その当時の生活が30年たってもよみがえります。
次の写真は学生隊舎から教育部に行く道です。学校教育と異なり教育は効率的で、午前が座学、午後が教練・体育、クラブ活動(体育系ばかりですが)でした。ある雨の日でしたが、急いでいたので、この道を教場へ小走りに走ったことがあります。それを学生隊長が見られて、幹部は雨の日でもは知らないと指導してくださったのをはっきりと記憶しています。
次の写真は今は使われていないプールです。ここで徹底的に水泳をしこまれて100m程度しか泳げなかった私が日本海で4km遠泳をしました。飛び込み台の高いほうは5mなのですが頭から垂直に飛び込むのは恐怖心が伴いました。
次の写真は何のへんてつもない隊舎の周りの道ですが、ここを何週も走り10km走のタイムを計った記憶は忘れません。また、右側の植込みでは真夏に戦闘教練をした記憶があります。
- 2013/05/01(水) 21:25:44|
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この写真はグランドです。向うに見えるのが学生隊舎です。朝、起床と同時にこのグランドに走って出て点呼の後に約1.5kmを走りました。はじめは体が慣れませんでしたが、そのうち何ともなくなりました。居室に戻ったら、ベッドの上の毛布を狂いなくたたんで重ねなければなりません。
夕食後には、隊舎に向かって大きな声で号令調整をし、頭の中で部隊を指揮する練習をしましたが、そのころから私の声は大きかったような記憶があります。その当時はこんなに整備されたグランドではありませんでした。
ここで基本教練や自衛隊体操を仕込まれ、射撃の基礎の訓練も受けました。行進の練習も何度も行われ、指揮官として行進しながら「頭 右」の号令をかけるタイミングも覚えました。
また、初めての戦闘教練で、区隊長や助教による展示の後に、何も教えられることなく「森本候補生、分隊長として指揮せよ」と命令されたことも記憶にあります。指揮の後に「よくできた。」と区隊長からお褒めの言葉をいただきましたが「最後の号令は「突撃に前へ進め!」ではなく「突撃に進め!」だと教えていただきました。最後は着剱して突撃しました。
その区隊長も、もう随分間に築城基地で業務隊長をされていたときに過労死されています。お世話になったのにお会いできません。
次の写真は武道場です。ここでは主に柔道剣道の授業が行われました。私は銃剣道を選択していたので体育館で稽古があり、この道場を利用したのは個人的に居合の稽古をしたときと、徒手格闘の教育を受けた時くらいです。土日の休みの日に武器ロッカーに預けていた自分の居合刀を取出し、一人で気が済むまで稽古しました。夕方になり暗くなり始めた時に電灯をつけずに稽古するのが一番心が静まっていたように思います。
幹部候補生学校にいた頃の高い志を持って生活した記憶がよみがえり、武術修行に専念するために依願退職した時の気持ちと今の自分を振り返り、「このままで死んではならない。」という思いを強くしました。
5月4日の下鴨神社の奉納演武と5月5日の白峯神宮の奉納演武のプログラムを載せました。小さな画像をクリックしていただくと大きくなります。両日とも無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術も演武致します。
- 2013/05/02(木) 21:25:25|
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貫汪館の一人の方のお力で貫汪館フェイスブックができました。有難うございました。皆さん検索してみてください。 6月8日16:00~20:00まで福岡県久留米市北野コスモス館 交流ホールで指導を行います。興味がある方は久留米道場の連絡先へご連絡ください。初心者の方、他流派の方も歓迎いたします。 流鏑馬の行事の後も、森さんに祝宴に招かれて飲めない身ながら参加してきました。そこには地元の方々もたくさんおられ、今まで知らなかったことも教えていただきました。
いままで神有月には出雲大社で神々の縁結びの相談が行われていると思っていたのですが、集まられるには集まられるのですが会議場は別のお社でした。神有月に出雲に行かれる方はぜひこのお社にも参拝ください。
出雲大社から西に稲佐の浜方面に向かいいなさの浜の交差点の手前15メートルくらいにある釣具屋を目安にそこから北に5メートルくらい入りすぐ東に20メートルほど歩けば目に入ってきます。車は入れませんので稲佐の浜の駐車場に車を止めて歩いてください。
稲佐の浜の写真です。ここからは7月に合宿する餘手の三瓶山も見えます。
- 2013/06/01(土) 21:25:43|
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