昇級試験の課題の作文を載せます。小学校4年生の男子の作文です。
『上達するためにしなくてはならないこと』
「 僕は柔術がすきでも嫌いでもありません。だけど自分の身を守るため、自信をつけるために稽古をしています。
僕が上達するのにしなければいけないことは、先生の話を聞くことです。先生の話を聞いていなかったら、今何をしなければいけないか。どうしたらよいのかがわからなくなってしまいます。
次に上達するためにしなければいけないことは、相手の目を見ることです。蹲踞の礼をするときから、ずっと相手の目を見ないといけません。
最後に上達するためにしなければいけないことは、業を覚えることです。稽古や試験の時、業を忘れることがあります。業を忘れてしまったら何もできません。
上達するために僕がしなければならないことは、まだまだあると思うけど、この三つが一番しなければならないことです。」
柔術が好きでも嫌いでもない子を上達させるのは、指導者にとって至難の命題です。救いは柔術を稽古する目的をもっていることです。向上させる糸口は、本人に目的に添った稽古をしているかどうかを自覚させる事にあると思います。
貫汪館H.Pの貫汪館会報のページに月刊『武道』8月号の記事を載せました。 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会への御参加有難うございました。次回は11月または12月に実施する予定です。日程は近日中にご連絡いたします。。
- 2007/10/01(月) 22:27:22|
- 昇級審査作文
-
-
月曜日の渋川一流柔術の稽古で気付いたところを述べます。
柔術の稽古を積んで来た中堅所の方の稽古を見て感じたのですが、形の極めを焦るばかりに形に入る前の、歩法や礼式でできている動きが消え去ってしまうことが度々おこっていました。
歩法や礼式の動きと形に入ってからの動きは何ら異なることは無く、異なってしまっているとすれば、それは自分の心がそうさせているということに気付かなければなりません。柔術も本来ならば対峙したときには、既に自分が中心にありながら「受」との和が保たれていなければなりません。「受」の手を捕って後、技をかけると思うが故に焦りが生じ、「受」との和を乱してしまうどころか、自分の内なる働きをも乱してしまいます。
少なくとも、形の稽古においては「受」の手を捕ったときには「受」は既に自分を中心とした和のなかにあるという稽古を目指していただきたいと思います。手を捕ったときに「受」との関係において自分が中心にあれば業を極めることを焦る必要は全くありません。
自分を乱しているものは自分自身なのです。
貫汪館H.Pの無双神伝英信流の行事のページに居合道講習会(詰合)の写真を載せました。 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会への御参加有難うございました。次回は12月に実施する予定です。日程は近日中にご連絡いたします。。
- 2007/10/03(水) 17:45:43|
- 柔術 総論
-
-
今までに経験したことの無い新たな動きを稽古するとき、あるいは今まで身についた悪癖を要求される動きに直したいとき、なぜか人は「新たな型にはめよう」と思いがちです。
貫汪館では無双神伝英信流抜刀兵法の動きも渋川一流柔術の動きも、繰り返すことによって、動きを型にはめようとはしていません。これは貫汪館で稽古をされた方ならお分かりであろうかと思いますが、求めている動きは筋力や瞬発力を必要とするものではなく、本来ならばごく自然に行えるものであり、もともと人に備わっている動きを業として現そうとしているに過ぎないからなのです。
もし、稽古において肩こりや筋肉痛が生じるとすれば、それは「新たな型にはめよう」として無理な動きを繰り返しているためであり、それをもって稽古をしたという満足感を得たとしたなら、それは大きな間違いです。
無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生は「正しく動けば体は喜ぶ。」という表現をされました。また渋川一流の師 畝重實嗣昭先生は言葉はあまり用いられませんでしたが、私達が動きに苦労していると、不思議そうな顔をされ「こう・・・。」と言ってごく自然に、そうであるのが当然で、何らの造作も無く技をかけて見せてくださいました。その動きは少しでも気を抜いて見ていたら、そのまま見過ごしてしまう動きでした。
「道場で稽古をしたら、体が楽になった。」と感じて家に帰れる稽古を心がけてください。
貫汪館H.Pの無双神伝英信流の行事のページに居合道講習会(詰合)の写真を載せました。 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会への御参加有難うございました。次回は12月に実施する予定です。日程は近日中にご連絡いたします。。
- 2007/10/04(木) 17:45:49|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生はご自分の稽古においてよく自分の動きをビデオにとって検証しておられました。また、私達の動きも写真やビデオにとって指導してくださったものでした。
しかし、先生のビデオによる検証を形を正すためと勘違いされ、先生のビデオを貰い受け自分の動きを先生の形に似せようとされた方もおられたのは残念な事です。
先生は外見を見せる猿真似を大変嫌っておられました。「猿真似できるのは悪癖だけ真の動きは真似ることはできない」と。
先生がビデオで検証しておられたのは自分の動きではなく、自分の心のありようだということは、多くの弟子にもお話になっていなかったことのようです。形は心の現れ、したがって心に、ひずみ、たるみ、弛み、強張りなどがあれば必ず形に現れてきます。先生は自分自身でも気付いていないかもしれない心を正そうとされていました。
私も演武会等では貫汪館の皆さんの演武の写真をとってお渡ししていますが、これは自分自身で自分に気付いていただきたいためであって、記念写真としてお渡ししているわけではないことはお話しているとおりです。
形は心の現れであり、ビデオや写真は己の心を正すための手段であって形を作るための手段ではないということを、よくよく心してください。
貫汪館H.Pの無双神伝英信流の行事のページに居合道講習会(詰合)の写真を載せました。 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会への御参加有難うございました。次回は12月に実施する予定です。日程は近日中にご連絡いたします。。
- 2007/10/05(金) 17:46:56|
- 居合 総論
-
-
無双神伝英信流の稽古では自分の動きを日々新たな視点で確認しながら稽古を進めていただきたいと思います。
「ある程度のことが出来るようになった。肩の無駄な力はある程度なくなった。重心も真ん中にある。座れるようになった。」等々、人の陥り易いことですが、くり返し同じことをしていて少しは以前より上達したという実感を持つと、どうしてもその時点の身勢、身体遣いを記憶してしまいがちです。その記憶を元に、次の稽古では、そこまでは出来ていると思い込み、記憶しているものを再現して、さらに深いところを求めていこうとします。これは特に、ある程度稽古が進んだ初心者の方が陥り易い過ちです。
しかし、この記憶ほど不確かで、自分にとって都合が良いように変化するものは無いようで、記憶に基づいて稽古を進めようとすると、必ず異なった方向へと進んでいきます。したがって前回できたところまで再現し、そこから稽古と思われたら、さらに深くどころか、全く別の方向へ行き、別の物を作り上げていってしまいます。
稽古は毎回、自分の動きを日々新たな視点から新たな感覚で全てを見直しながら、進めなければなりません。
初心者の方は稽古の進め方として、よくよく心してください。
- 2007/10/06(土) 21:55:41|
- 居合 総論
-
-
新作のがま口バッグが完成しました。
生地は着物の反物をオークションで購入し、春先からこつこつと・・・。縫い上げてはいたのですが、金具をつけず持ち手を作らず、しばらく寝かしておいてしまいました。
写真を撮ってみても思うのですが、私のようなただ、武道ばかりしてきた武骨な人間がよくこのような物を作れるようになったものだと我ながら感心します。
思えば大学卒業後、航空自衛隊の幹部候補生学校に入校、始めは高射整備幹部として今はモニュメントとしてしか存在しない地対空ミサイル ナイキJの組み立てなどを自分でも行っていましたから、そのころから若干、器用になり始めたのかもしれません。
武術という視点から、今、振り返ってみれば、ミサイルの組み立ても、がま口バッグ作りも、草木染も、友禅染も、バイクの野宿のツーリングも、刀を用い、棒を振り、相手を押さえ投げる事もなんら変わるものではないと思うのが不思議です。
10月14日(日)午後2時から安芸高田市吉田歴史民俗資料館主催の公開講座が行われます。今回の講座は私が「宍戸司箭の武術ー司箭流の長刀と貫心流の剣術ー」と題して講演します。
場所は甲田町ミューズ(広島県安芸高田市甲田町高田原1446-3)で行われます。
http://www.akitakata.jp/site/page/institution/public_hall/kouda02/guide/広島藩伝の司箭流・貫心流には現在のところ継承されている方を探し当てることが出来ませんので、文献のみからの講演となりますが、始めて使うパワーポイントを用い、なるべく分かり易い講演にしたいと思っています。
興味のある方は安芸高田市吉田歴史民俗資料館(0526-42-0070)まで事前にお申込ください。受講料は無料です。
- 2007/10/08(月) 18:52:46|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
日曜日に無双神伝英信流の指導をしていて気づいた稽古の方法について少し述べます。
ある程度、形の稽古が進み、手順も覚えており、如何に動かねばならないかも良く理解していながら、動きに歪みがある場合、これを意図的に修正しようと、その歪みの部分を集中的に稽古しても結局のところ総体的に見た場合には何も改善されていません。
むしろ、無理なく、あるがままに稽古していけば、ひずみも自然に正されていくものです。
そのように日曜日に指導をすると、その人のひずみのあった動きは本人が気づかぬうちに自然に修正されていました。本人が気づいていないわけですから、「直りました。」と言っても、本人は何故そうなったのかはわかりません。結局のところ意識にひずみが生じ、その意識のひずみが身体にひずみを生じさせていたからです。作為的に意図的に何かをしようとしていた所から生じた体・動きのひずみですから、それがなくなったとき体・動きのひずみがなくなっていたわけです。
渋川一流の稽古においても、ずいぶん稽古をされているにもかかわらず、ここをあしよう、あそこをこう動かそう、という思いが身体のひずみを生んでしまい結局、業が上手く掛からない状況を散見します。
自分の心のゆがみ・ひずみに自分自身で気づかなければなりません。
10月14日(日)午後2時から安芸高田市吉田歴史民俗資料館主催の公開講座が行われます。今回の講座は私が「宍戸司箭の武術ー司箭流の長刀と貫心流の剣術ー」という演題で講演します。
場所は甲田町ミューズ(広島県安芸高田市甲田町高田原1446-3)で行われます。
http://www.akitakata.jp/site/page/institution/public_hall/kouda02/guide/広島藩伝の司箭流・貫心流には現在のところ継承されている方を探し当てることが出来ませんので、文献のみからの講演となりますが、始めて使うパワーポイントを用い、なるべく分かり易い講演にしたいと思っています。
興味のある方は安芸高田市吉田歴史民俗資料館(0526-42-0070)まで事前にお申込ください。受講料は無料です。
- 2007/10/09(火) 16:23:53|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
本日の無双神伝英信流の稽古では焦らずにという事を指導しました。
初心者の方は正座の姿勢において無理なく自然に座れるようになっていても、動き始めるとどうしても余分な緊張や力みが生まれてしまうものです。一度それらが生じてしまうと、どうしても動きは体の緊張や力みに妨げられてぎこちなくなってしまいまい、ひずみが生じてしまいます。
このひずみを正そうとして、バランスをとらせるためにさらに身体をひずませ。ひずみの釣り合いによってあたかも自分の身体が正しい位置にあるかのように自分自身を錯覚させて納得してしまうということが、よく起こります。
この始めにひずみが生じた時にとき、焦らずに身体が落ち着くのを十分に待てば自ずと身体はあるべき場所に納まります。焦って形を整えようとするのではなく、整うのを待つ心を持って稽古してください。
10月14日(日)午後2時から安芸高田市吉田歴史民俗資料館主催の公開講座が行われます。今回の講座は私が「宍戸司箭の武術ー司箭流の長刀と貫心流の剣術ー」という演題で講演します。
場所は甲田町ミューズ(広島県安芸高田市甲田町高田原1446-3)で行われます。
http://www.akitakata.jp/site/page/institution/public_hall/kouda02/guide/文献を中心とした講演となりますが、始めて使うパワーポイントを用い、なるべく分かり易い講演にしたいと思っています。
興味のある方は安芸高田市吉田歴史民俗資料館(0526-42-0070)まで事前にお申込ください。受講料は無料です。
- 2007/10/10(水) 23:50:02|
- 居合 総論
-
-
水曜日・木曜日と無双神伝英信流抜刀兵法の指導をしていて言葉による指導の矛盾を感じざるを得ませんでした。
動きを見せながら言葉を用いて説明しても、初心者の方は動きではなく言葉にしばられ、さらに言葉から自分がイメージを作り上げ、そのイメージにあわせた、縛られた動きをしようとします。
本来自由である動きが、鋳型にはめられて、そのようにしか動けない動きに変質してしまいます。
一言の言葉の裏には、無数の事柄がお互いに関係を持って存在しています。したがって、一を聞いて百を知るレベルの人でなければ、言葉は有害な物となってしまう事のほうが多いようです。
初心者の方は、まず本質を見取る稽古をされ、自分の内なる動きを感じる稽古をして下さい。言葉にはけっしてとらわれないように・・・。
かつて稽古に来られていたある人が「いくら良い流派であっても、万人が上達できる何々理論といったものが存在し無ければ、その流派は栄えることはない。」といわれたことがあります。
しかし、何々理論と作り出したが最後、人はその理論に縛られ、自由ではくなってしまいます。言葉で説明できるのは、ほんの僅かな部分でしかないのです。
初心者の方は見て取る努力を惜しまず、見る力を養ってください。
10月14日(日)午後2時から安芸高田市吉田歴史民俗資料館主催の公開講座が行われます。今回の講座は私が「宍戸司箭の武術ー司箭流の長刀と貫心流の剣術ー」という演題で講演します。
場所は甲田町ミューズ(広島県安芸高田市甲田町高田原1446-3)で行われます。
http://www.akitakata.jp/site/page/institution/public_hall/kouda02/guide/文献を中心とした講演となりますが、始めて使うパワーポイントを用い、なるべく分かり易い講演にしたいと思っています。
興味のある方は安芸高田市吉田歴史民俗資料館(0526-42-0070)まで事前にお申込ください。受講料は無料です。
- 2007/10/12(金) 22:48:00|
- 居合 総論
-
-
本日、10月14日(日)午後2時から安芸高田市歴史民俗資料館の主催で、第5回の公開講座が甲田長ミューズ大会議室で行われました。
今回は安芸高田市歴史民俗資料館の学芸員 川尻真先生の依頼で私が「宍戸司箭の武術-司箭流の長刀と貫心流の剣術-」と題して講演させて頂きました。講演の機会を与えていただいた安芸高田市歴史民俗資料館の皆様に感謝申しあげます。
また、講演には約80名の方にお越しいただき、たいへん熱心に講演を聞いて頂きました。その熱心さは講演をする者にとって、非常ににありがたいもので、心のそこから感謝の念が湧き上がってくるほどでした。自分自身でもあのような態度で聴講できたか、自信がありません。
また、講演用の資材の運搬や写真撮影、パワーポイントの操作などのご協力をしていただいた貫汪館の皆様、本当に有難うございました。
このような講演の機会を与えていただいたのは今回が始めてでしたので、武術そのものを御存知ない方にどのようにお伝えしようかとパワーポイントの使い方を1から教わり、前半では広島藩においてどのような武術が稽古されたのかから始め、源義経からの伝授を細家の司箭流・貫心流の資料をもとに解説。後半では時代によって武士が用いる主要武器の変遷を示し司箭流の長刀、貫心流の剣術が具体的にどのようなものであったのかを槍や木刀真剣などを用いて説明していきましました。自分では70点くらいの出来だと思いますが、98点の出来だと言ってくださった方もいましたので、講演は成功であったと思います。
今後も機会あれば、広島の武道史について、可能な限り、一般の方にお伝えしていきたいと考えます。
このたびは有難うございました。
- 2007/10/14(日) 22:52:02|
- 武道史
-
-
無双神伝英信流抜刀兵法の稽古にも渋川一流柔術の稽古にも共通して言えることですが、指導されたことを疎かに考えて、ただ回数をひたすら重ね繰り返していれば上達するだろうと思っていると、上達するどころか武術としては全く使い物にならない動きが形作られていきます。
そのときに指導したことはその人の全てを見た上で、今の段階で此処を直しておかなければ、あるいはここを伸ばしておかなければ、先々絶対に行き詰まってしまうという事を見越した上で指導しています。決して思いつきで言っているわけではありません。指導するということはまさに精神をすり減らす思いで指導しているのです。
指導されたことをしようとしても出来ないのと、あまりたいした事と受け取らずに聞き流していて出来ないのでは大きな差が生まれてきます。無双神伝英信流の我師 梅本三男貫正先生の師である尾形郷一貫心先生は「君子は上達し、小人は下達する。」と述べられましたがまさにその通りです。
形の稽古は諸刃の剣で、形によって求められている動きを、そのままに稽古していけば自由な動きが身についていきますが、少しでも我意を交えて稽古していくと素人目に上手に見えても、まったく自由がない体が作られていってしまいます。
そこを見抜いた上で個々に応じて指導していますので、指導された事は、かならず、求めに求めて稽古してください。昔の師は二度教えて出来なければ、道場を出て行ったと聞いています。それが出来るようにならなければ次の指導はないという意味です。本来、武の修行は、それほど自分自身に厳しさを求めるものなのです。
- 2007/10/15(月) 22:39:10|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
先週の土曜日の渋川一流柔術の稽古で感じたことを述べます。
渋川一流柔術には投げ捨てるという形はほとんどなく、形の終わりには極めとなる動きがあります。この動き、「極める」と意識して行うと結局のところ最後の最後に隙を作ってしまいます。
「極める」のではなく「極まる」のであって、決して作為を持って最後にきめようとしてはいけません。作為を持って極めようとした時、必ず、極める前に一度、動きの流れが止まってしまってから再度、力を入れようとしています。そして、自分では極まったと思っても、それは力みに過ぎません。また、一度流れが止まった時点で、本来ならば、「受」に裏を掛けられてしまっているのです。
最後はそれまでの動きの結果として自然に「極まる」のであってもし極まらなかったとしたら、それまでの動きがくるっているのです。「全ては何かの結果」であって「結果」を求めてはいけません。
工夫してください。
- 2007/10/16(火) 22:37:22|
- 柔術 総論
-
-
無双神伝英信流の稽古では初心者の方に「ゆっくり静かに」稽古を、とお話しています。これは初心者の方は自分の身体を感じる力(感度)が弱く、ややもすれば自分自身で力みやひずみが認識できない速さで動いてしまうので、自分自身で力みやひずみが認識できる速さでという意味でお話しをているのです。
しかし、誰にでも起こることですが、少し形を覚えたらできたものと錯覚し、先輩や師の速さで動こうとしたくなってしまいます。いつもお話していますように、貫汪館での居合の速さは無理無駄が無くなった結果としての速さであるので、速さを求めてそのようになったものではありません。したがって初心者の方には速く見える動きも、刀を抜いている本人にとっては速いと感じられる動きではないのです。自分で速いと感じてしまった動きは調和の取れていない動きです。
居合は誰かに形を正されて、正されたとおりに外見上の形を覚えたら上達するというものではなく、己自身が自分のひずみを正すことが出来なければ上達は難しいものです。初心者の方はくれぐれも勘違いされず、「ゆっくり静かに」稽古を重ねてください。
- 2007/10/18(木) 12:06:27|
- 居合 総論
-
-
先日、無双神伝英信流の稽古に関して「ゆっくり静かに」ということを述べました。これは初心者の方で自分の動きを認識できない方に対しての指導です。
自分の動きの力みひずみが認識できるようになった中級者の方が「ゆっくり静かに」という言葉にとらわれてしまうと、これは心の力みであり、逆にひずみを生じてしまいます。
身体の力み、ひずみを無くすのは動きの中に少しの抵抗も生じさせないためで、自由に動けるようにするためなのですが、自分の動きを認識できるようになった方が「ゆっくり静かに」を意識しすぎた結果、自分の動きにブレーキをかけてゆっくり静かに動いてしまっては元も子もありません。次々と日々新たな段階に移って行く訳ですから、過去の稽古をいつまでも引きずらずに、今の稽古をしてただきたいと思います。
同じようなことですが、今日、子供達の渋川一流柔術の稽古を見ていても、「確実に手順を間違えずに形を行おう」と思うばかりに「いち、に、さん」と形に段をつけて動いている子供達が散見されました。流れが途絶えた時それは隙になります。指導して頂いている方は心を鬼にして子供達の隙を身体で覚えさせてください。
12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。
- 2007/10/20(土) 13:31:20|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
人は一度教え込まれたことから脱するのは容易なことではないと、つくづく感じました。
中級者の方でも頭では無双神伝英信流の姿勢は「あるがまま」であると分かっていて座法も出来、ある程度動くことも出来るのに、動きの結節点ごとに、良い姿勢のなごりがでてしまいます。抜付けの終わり、斬撃の終点、そういったところに子供の頃から教え込まれている良い姿勢が出てしまうのです。動きの始めや途中には出ないので業になっているのですが、どうしても動きの間がおかしくなってしまいます。そこは当然のことながら隙になっています。
これが初心者となると、どう教え込んでも、何をいっても、子供の頃から教え込まれた良い姿勢から脱することが出来ない方もおられます。一度赤子に戻って全てを捨ててみれば良いのでしょうが、それができないから苦労されているのだとは思います。
子供の頃のことを思い出せばよいのですが、幼稚園や小学校・中学校で「気をつけ」を習ったり、椅子に座って良い姿勢を習ったときに窮屈さを感じなかったでしょうか。背筋を伸ばし、首の後ろを伸ばし、胸をそらす。いわゆる軍隊での「不動の姿勢」です。作らなくては出来るものではありません。しかし、武術にあっては作ったが最後、自由には動けなくなってしまいます。
わかっていてもそうしてしまう。「習い性となる」とはよく言ったものだと思います。
貫汪館ではあるがままが良い姿勢であり、背筋を伸ばしたり、腰を入れたりといった作った姿勢を良しとしませんので、思いを変えて稽古に臨んで下さい。
12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。 11月3日(土)午前9時半から明治神宮西広場芝地(雨天の場合は至誠館剣道場)において日本古武道振興会主催の明治神宮奉納日本古武道演武大会が開催されます。貫汪館からも無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が演武します。お時間がある方はお越しください。
- 2007/10/22(月) 23:43:56|
- 居合 総論
-
-
無双神伝英信流の稽古が進み、想定も生きたものになり、何も考えなくても手順を間違えず、自分の動きの力み、ひずみも分かるようになったら、自分の身体を信じ、身体に任せてみてください。
体を開いてとか、右手はそこにおいたままにとか、重心は下にとか、全て頭から消し去り、ただ無念無想に敵に向かって抜くことだけをしてみてください。身体は不思議なもので、無理無駄ない動きの稽古を重ねたら、あとは信じて任せきっても身体がかってに動きを調整してくれます。そのほうが身体にとって楽だからです。
身体は自ら調和の取れた動きをしようとするようです。そこに人の頭で考えた作為が入るために力み、歪みが生じてしまい、結果として身体の調和が取れなくなってしまいます。頭が身体の調和を乱しているのです。
おそらく、始めのうちは物足らなく感じるかもしれません。なぜなら調和が取れた動きだからです。自分の頭を使い調和が乱れた動きをし、さらに無理に筋力を用いて緊張によって崩れを防げば、何かをしたという強い実感が残ります。しかしそれは自由に動けることとは正反対の動きでしかありません。
身体を信じ任せてみてください。
12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。 11月3日(土)午前9時半から明治神宮西広場芝地(雨天の場合は至誠館剣道場)において日本古武道振興会主催の明治神宮奉納日本古武道演武大会が開催されます。貫汪館からも無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が演武します。お時間がある方はお越しください。
- 2007/10/24(水) 23:08:49|
- 居合 総論
-
-
今週水曜日と木曜日の無双神伝英信流の稽古を見ていて、初心者に「左刀」に苦しんでおられる方がおられるのに気づきました。
二人とも「初発刀」は何とか抜けているのですが、「左刀」になると全くと言って良いほど動けません。はじめは左に向こうとするあまり、下半身に力を入れることで自分の動きを乱しているのだろうと思っていたのですが、どうもそうではなく「抜ける」ということの理合が身体で認識できていないのだと分かりました。
「初発刀」が何とかなっているのは理合を体で会得しているのではなく、外見上の動きを作る事によって、それを可能にしているのであって、理合を身体が分かっていていないために、左足が前になって「左刀」の抜付けをしようとしたら、全く別の動きを新たに構築しようとしてしまうのだと思います。結果として、「初発刀」がある程度できるようになったにもかかわらず、「左刀」は全くだめな動きしか出来ないのです。
「抜ける」というのは「初発刀」「左刀」「右刀」「当刀」 その他全ての形に共通した動きです。「左刀」に苦しんでいる方はもう一度、「初発刀」に戻って「抜ける」ということの理合を身体に会得させてください。
12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。 11月3日(土)午前9時半から明治神宮西広場芝地(雨天の場合は至誠館剣道場)において日本古武道振興会主催の明治神宮奉納日本古武道演武大会が開催されます。貫汪館からも無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が演武します。お時間がある方はお越しください。
- 2007/10/27(土) 00:58:17|
- 居合 業
-
-
渋川一流柔術では幼児から稽古に受け入れています。そして、毎年秋に行われる厳島神社での演武会には子供達も出場させて頂いています。
これに関しては以前、真に愚かな流派が「子供に古武道の演武をさせるとは・・・。」と言ったことから演武会に出場できなかったことが過去に一度あります。このとき、古武道協会の事務局長であった花輪先生は海外への武道の派遣団に同行されたため事務手続きは他の方がされていたので、もめ事を避けようとしたその方の考えで、その愚かな流派の言いなりに、出場が出来なくなってしまったわけですが、後にその話を聞かれた花輪先生は「私が、事務手続きをしていれば、子供達を出場させたのに、申し訳ない。」と仰ってくださいました。
花輪先生は子供が古武道をしなければ古武道の将来はないというお考えで、積極的に子供達に教えることを良しとされています。いまも渋川一流の子供達が宮島の演武会に出場させて頂いているのは花輪先生のおかげであります。本当に感謝の気持ちで一杯です。
「子供に古武道の演武をさせるとは・・・。」といった流派はどんな考えかは分かりませんし、何をもって良しとする流派かも知りません。しかし、大人が数年稽古して、身体を一杯に力まして、いかにも迫力のあるように見せる演舞(演武ではなく)よりも、真摯に師に教えられるままに数年稽古して業の本質を掴もうとしている子供達の演武のほうが業の内容からすれば、はるかに高度であり、時に私も子供に見習うことさえあります。愚かな人物は古武道の師範でありながら、そのようなことも見抜けなかったのだろうと哀れではあります。
世間には未だに古武道は大人が稽古するものであり、子供が稽古するものではないという考えの方がいるようですが、江戸時代はどうであったのか。現代剣道や現代柔道がない江戸時代には現在でこそ古武道と呼ばれる武道しかなく、当然のことながら子供が稽古できるのも古武道しかありませんでした。私の武道史の研究から見ても柳川藩等では大石進を始めとして子供の頃に藩主の前で演武した者などは皆、藩主からご褒美を頂いています。
さて、十数年子供達を教えていて、子供達はどれくらいの年令から稽古を始めるのが良いのかということが次第に見えてくるようになりましたが、やはり早ければ早いほど良いといわざるを得ません。
大人が稽古を始めるのは目的意識があって始められるので、本人の稽古に取り組む姿勢によっていくらでも向上していくのですが、子供は親の勧めによってという理由が大半です。これまでの経験から低学年以下の子供達は純粋にできるようになりたい。先生のようになりたいと思う子が多いので年数はかかっても、じっくりと動きが業になっていくように思います。そして少しでも出来るようになると、それを純粋に喜びます。それに比して中学年や高学年から始めた子供は知能が発達しているので形を覚えるのは早い傾向にありますが、覚えればおしまいで、それを向上させていこうという意識が弱いように感じます。(途中で目的意識をもった子供は別ですが。)
この差は指導者に対する子供達の意識の差にもあるように思います。低学年から稽古を始めた子供は指導してくれる先生を文字通り自分達が出来ないことを教えてくれる先生としてみ、学びます。しかし、中学年、高学年から稽古を始めた子供は道場で指導をしてくださる方を学校の教師と同じく友達感覚でとらえている者が多いようです。これは世間一般の学校の教師を低く見る思想が子供に現れたものだと思いますが、師を敬う気持ちの無い者が業を学べないのは当然の事です。
子供であっても大人であっても純粋な者ほど向上する。動かしがたい真実です。
12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。 11月3日(土)午前9時半から明治神宮西広場芝地(雨天の場合は至誠館剣道場)において日本古武道振興会主催の明治神宮奉納日本古武道演武大会が開催されます。貫汪館からも無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が演武します。お時間がある方はお越しください。
- 2007/10/28(日) 16:47:31|
- 柔術 総論
-
-
土曜、日曜、遠隔地に転勤になりながら無双神伝英信流の稽古を続けておられる方に特別に稽古をつけました。どういうわけか動きがいびつであり、どのような方法をとっても修正できなかったのですが、今回の稽古で初めて修正の糸口を掴むことが出来ました。
それは、腹筋の緊張にあったのです。長い間気づかなかったのですが、その方はいつも腹筋を緊張させており決して緩めることは無かったので、常に細いお腹をされていました。私も常に全身の緊張をとくように教えていましたので、いつも軽く腹筋を緊張されていたことに気づきませんでした。
腹筋を緊張させては腹をひっこめると、動きの中心は胸になり、下丹田を中心とした動きはできようはずもありません。世間では一般に腹に力を込めといいます。下丹田に力を込めるという意味でしょうが、無双神伝英信流にあっては力を込めることは無く、腹筋の緊張を完全に解くことによって下丹田が充実することを良しとします。
これは渋川一流柔術にもあてはまることで、上半身中心の動きとなる方の多くが腹筋を緊張させておられます。自分自身で、動きがぎこちなく、角が出来ると感じておられる方、自分の腹筋の緊張を感じてみてください。
12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。 11月3日(土)午前9時半から明治神宮西広場芝地(雨天の場合は至誠館剣道場)において日本古武道振興会主催の明治神宮奉納日本古武道演武大会が開催されます。貫汪館からも無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が演武します。お時間がある方はお越しください。
- 2007/10/30(火) 00:04:28|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
無双神伝英信流の太刀打の稽古をしました。ある程度使えるようになった人なのですが、手順を考えてしまい、外見は似ていても動きが武術の動きではなくなっていました。
そこで、「ただ斬る事に集中し、前に進む時にはすでに敵に勝ち、敵を斬っていなさい。」と指導すると、武術的に質の良い動きに変化することが出来ました。太刀打にしても居合にしてもその場に自分がある時点で、既に敵に勝っていなければ、形の稽古にはなりません。「こうしてああして丁寧に。」などと考えるのはごく初期の、形の手順も覚えていない初心者のすることで、形の手順を覚えてしまったら、そのようなことを考えていては、いつまでたっても動きの質は変わりません。自由になるための形がかえって自分の動きを制約し、結局動かない自由でない身体を作ってしまいます。
太刀打の打太刀は上級者が勤めますので、たとえ遣方が形を間違え異なる所に斬り込んだとしても打太刀はそれに応じることが出来ます。思う存分に稽古してください。
12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。 11月3日(土)午前9時半から明治神宮西広場芝地(雨天の場合は至誠館剣道場)において日本古武道振興会主催の明治神宮奉納日本古武道演武大会が開催されます。貫汪館からも無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が演武します。お時間がある方はお越しください。
- 2007/10/31(水) 00:15:22|
- 居合 業
-
-