澁川一流柔術の形稽古や演武における受け身はどういう技がかけられるのかがわかっているのですから、難しいことはありません。また捕が関節などに無理な技の掛け方をしない限り正しく受け身が取れれば怪我もしないはずです。
にもかかわらず、技を掛けられた時にダメージが大きい場合は自分の受け身の未熟を恥じなければなりません。このような場合は稽古不足から瞬間的に技を掛けられまいとして体がこわばってしまうからであり、体が柔らかく動いていないためにダメージを受けてしまうのです。
また、現代柔道と澁川一流柔術とは考え方が異なっており、背中が床に着いたから勝敗が決まるという事はなく、そこからの返し技も将来的には稽古しなくてはなりません。受け身が苦手な方は自分自身でしっかり稽古してください。
- 2017/07/01(土) 21:25:00|
- 柔術 業
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大石神影流剣術では間を隔てたときに「位をみる」ことが大切です。位をみることがなければ、相手も知らず、ただ打ち合ってしまうことになります。この「位をみる」ことは澁川一流柔術に言葉こそありませんが、対峙したときに必要なものであり、また、無雙神傳英信流抜刀兵法の太刀打や詰合に必要なものです。
- 2017/07/02(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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忍れと色に出にけり我恋は
物や思ふと人のとふまで この歌は表に自分の心を表すことを戒めると同時に、相手が打つべき時を知らせてくれるということを示したものです。
心が一番表に現れやすいのは顔です。武術として居合を稽古している方は自分の顔が普段のままであることを良しとしなければなりませんが、競技として居合を稽古される方にはいかめしい顔をすることを良しとする傾向もあるようです。私たちは体にも心にも自分の心を表してはいけません。
- 2017/07/03(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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形・手数の動きはどんなに難しく見えても、短期間で習得する覚悟を持たなければなりません。
外から見ただけでは理解できない動きであっても、師から直接習えば、どのような状況の中で、相手とのどのような関係性の中で、どのようなタイミングで、どのような動きでということを習うことができます。そのような条件を理解することができてその形の動きが有効となるのですから、ただ見ただけの方とは習得の早さが全く異なります。基礎が身についているのであれば一度の稽古で習得する覚悟を持たなければなりません。
- 2017/07/04(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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澁川一流柔術には刀を用いる居合もあれば六尺棒、鎖鎌などの形もあります。無雙神傳英信流抜刀兵法には素抜き抜刀術だけでなく、太刀打のような剣術の形もあれば、大小詰のような柔術の形もあります。
ただし二つの流派では根本的に求め方が異なります。渋川一流柔術では何も持たない動きが元になって素手の延長として武器が存在します。したがって六尺棒や鎖鎌を手にして使った時に素手の時の感覚がなければ、柔術に含まれる六尺棒の形や鎖鎌の形ではありません。そのためには素手の形で十分に体を練ったのちに、六尺棒や半棒を手にする必要があります。順序が逆だと六尺棒や半棒、鎖鎌の形ができたとしてもそれは澁川一流柔術の形とは本質的に異なります。あれもこれも別々の基準で行っているにすぎません。
無雙神傳英信流では自分の体と刀とが一体となったのちに太刀打や大小詰の稽古をします。そうなってもいないのに太刀打の稽古をしても、ただ木刀を振り回しているだけになり、大小詰の稽古をしてもただ相手を投げているだけで、自分の刀を扱うのと同じように相手をも自分の一部にするという動きができるわけではありません。
流派によって求めるには求める順があります。
- 2017/07/05(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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情報を発信している人物の人間性がわかっていれば、まちがった人物が発する情報が玉石混交であっても基本的に自分のために行っていることなので、その発信されるものを避けるべきです。
よく知っているからと言って情報だけを得ようとそういう人物の発信するものに接していたら、そういう人物は知識を自分の私利私欲のために利用しているので必ず影響され自分もいずれそのような人物になってしまいます。近づくべきではありません。
- 2017/07/06(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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体が鎮まらない方は呼吸の稽古をしなければなりません。頭を働かせる傾向がある方は特に意識して呼吸の稽古をしてください。4月にヨガの指導をしていただいた時の呼吸法も非常に即効性のある方法であることに驚きましたが、この講習を受けていない方は、ただ正座して体が鎮まるまで床下から息を吸い上げまた床下に返していく稽古を重ねてください。やがて数度の呼吸で体が鎮まるようになります。体が鎮まればそのままで動けるように形の工夫をしてください。
- 2017/07/07(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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形・手数を一度稽古したら体はそれを忘れないものです。忘れてしまったり、出てこないのは頭で手順を覚え頭からそれを取り出して体に現そうとするためで、素直に自分の体を自由にさせれば動きは自然に出てくるものです。
稽古の後に頭のなかで「いち、に、さん」と再現して覚えようとし、次の稽古で頭からそれを取り出そうとする稽古をしてしまえば、体も動いてはくれません。体で覚えたことは、そのまま体から出てくるような稽古をしてください。
- 2017/07/08(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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武道を稽古する方の中には奇抜な格好をする方もおられます。演武で陣羽織のような派手すぎるものをはおったり、講談に出てくるような恰好をしたり。
戦国時代末期や江戸時代初期にはそのような格好をして人目を惹き、仕官の口を探す必要もあったかもしれません。しかし、今そのような格好をしても陳腐にしか見えません。
人目を惹きたいという気が起こったら、自分は何のために武道の稽古をしているのかという初心に立ち返ってください。
- 2017/07/09(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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物事は全てを黒か白か、善か悪かでとらえることができません。特に集団である場合にはそれが顕著です。
一つの集団の中にはリーダーにとって代わりたいと思う者もあり、リーダーが隙を見せたときに、その座を狙いたいものは一見まともなことを言って取って代わろうとします。外から見ていれば流れが変わりつつある、その集団の本質が変わるのではと思えても、一過性のものであり、そういった人物がその座についても、同じ集団が本質的に変わっていくことはありません。また賛意を得ようとしてその集団が全体として欺くこともあります。これは右にも左にも言えることです。本質は何なのかを見極める目を持たなければ騙されてしまいます。また、どちらの立場にも善悪が混在し、個々の事象について判断しなくてはならない場合が多々あります。
武術においてもそうです。武術においては相手は様々な動きを見せます。色を見せる場合もあれば、色を見せていると思われる場合であっても本当に相手の失敗であることもあります。そのような中で自分自身が情報の取捨選択に迷ってしまえば自分を全うすることができません。自分をしっかりと持ち、本質を見抜く目を養っていかなければなりません。
- 2017/07/10(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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武道の師は自分で選ぶものですが、縁が大きく左右することがあります。いくら自分にとって良師を探しても巡り会えない事もありますし、巡り会っていてもすぐには師事できない事もあります。
私が無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生の居合を初めて拝見したのは入門する2年前で、そのときに感銘を受けたものの中学生であったので入門することは考えませんでした。しかし、中学を卒業して剣道の先生に紹介を受けたのが、梅本先生でした。
澁川一流柔術の師 畝重実嗣昭先生を知ったのは私が20歳くらいのときで、近所に住んでいた居合の兄弟子をご自宅までお送りしたときにお話をお伺いし、稽古に行かないかと誘われ、先生にごあいさつしたこともありました。しかし、当時は筑波大学の学生だったため稽古はできず、卒業後も全国を転々とする仕事であったため稽古はできませんでしたが、仕事をかえ、稽古をつけていただくことができるようになりました。
大石神影流剣術の師 大石英一先生と初めてお会いしたのは武道史研究の為でした。その時は遠方でもあるため稽古に通わせていただくことなど思いもよりませんでしたが、無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古が一番進んでいた方が久留米に転居したため、全てをお教えしておこうと思い、久留米まで指導に行っていた時期に入門させていただくことができました。先生のお住まいがある大牟田と久留米はそれほど離れていませんし、当時高速道路の料金が安くなった時期でもありました。
私の場合、良師と巡り会うことは長年望んでいたことであり、願いが叶い、御教えを受けることができたということだと思います。
- 2017/07/11(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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良縁について述べましたが悪縁というものもあります。その縁が自分に悪影響をもたらす縁であるということです。
少しでも人目に付くようになると、悪縁も生まれやすくなってきます。利用しようとする者がやってくるのです。早く気付けば真面目に稽古している方が不快な思いをすることがなく済みますが、少しでも情けを掛けたり、何とか正しい方向に導こうという慈悲の心を起こしてしまえば、ますます悪縁は強くなり、利用しようという思いは強くなるようです。やがて利用しようが、とってかわろうとし始めます。
師を立てずに自分が表舞台に出るのです。しかも師が撮った写真などを無断で用い、自分が主体となった本を書いたりすることもあります。。
そこまでではなくても、良心的な方が指導していた道場がいつの間にか乗っ取られてしまったような実例もいくつか見てきました。
悪縁は早期に断たなければなりません。
- 2017/07/12(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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大石神影流の「正当剣」や「無意剣」「千鳥」などで打太刀の肘通りを斬るとき、自分の手元が高くなってしまうのは木刀を振り回しているからです。これは「正当剣」で打太刀が胴を斬り、「千鳥」で脛を斬る場合も同じです。このような傾向がある方は面を斬るときにも振り回しており、肚中心には動けていないものです。
- 2017/07/13(木) 21:25:00|
- 剣術 業
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英信流表の形は体が浮かなければならない動きが多く、その最たるものが浮雲です。
体が浮くというのは体重が軽くなった感覚があり、踏ん張らなくても立て、踏ん張らなくても中腰になれる状態です。
この動きが難しい方は浮こう浮こうとして気が焦り上半身を上へ上へと使おうとするために、却って下半身が鈍重になっています。浮くためには下半身を緩め全てを下方にゆだねる必要があり、ゆだねると浮く感覚を覚え始めますので心を楽にして落ち着いて稽古してください。
- 2017/07/14(金) 21:25:00|
- 居合 業
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頭で理解して体も動くようになっているにもかかわらず、できなくなってしまうこと、レベルが低くなってしまうことがあります。そのようなときはたいてい自分の心が自分の邪魔をしています。
早くと、少しでも焦る心があれば崩れますし、強くと少しでも思う心があれば力みます。タイミングが悪くなったり、間合いが崩れてしまうのも心が邪魔をしているからです。
自分の心の状態を正してください。
- 2017/07/15(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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形を通じて上達しようとするためには間合いを大事にしなければなりません。
一般に木刀を用いた大石神影流の稽古では間合が遠くなる傾向があり、素手で行う澁川一流柔術では対峙した時に間合が近すぎる傾向があります。
打太刀が相手に届かない空間に斬り込んでいたら、仕太刀は間を切る必要はなくまた、仕太刀から斬り込むときにはより大きく踏み込まなければなりません。素手の柔術ではいつもお話ししているように近すぎる間合だと蹴り込まれてしまいます。
打太刀や受をされる方は正しい間合が取れるように仕太刀や捕をその都度指導してください。
- 2017/07/16(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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頭で理解しても、すぐに体が動くわけではありません。しかし、自分にはできない事だとか、すぐにできるようにはならないから、それは置いておいてと考えるといつまでたってもできるようにはなりません。
常に求め続けることによって体がかわりはじめ、できなかったこともできるようになっていきます。求める心が浅ければ与えられるものも与えられませんが、求め続けていれば与えられるものなのです。
- 2017/07/17(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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「我々の道場には代々〇〇の伝承刀が伝えられている。」
このような言葉で稽古する人を集めているチラシを見ました。何も知らない一般の方は歴史あり権威ある流派だと騙されるのかと思います。
しかし、その刀は戦後刀屋で購入された刀です。今は詐欺まがいのことまでして人を集めなければ集まらないのかと思いますが、古武道をする者がそのような詐欺まがいのことをしてしまうので、古武道がますます信用されなくなってしまいます。試合もないので実力は見える人にしか見えず、自分を良く見せるために、飾り立て権威付けをするのだと思います。
私たちは、まっすぐ歩まなくてはなりません。
- 2017/07/18(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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「我々の流派は400年の歴史を有する由緒ある流派である。」
10年前まで「我々の流派の復元をよろしくお願いします。」と言われていたのに、今では400年の歴史を有することになっています。いずれは無形文化財になるのかもしれません。
数本の形が伝わっていたとしても正式にすべて伝授されたわけでもなく、すべてを教えられたものでもありません。行政の担当者は古武道に詳しい者はまれで、江戸時代の資料が残っていれば、それを信じる可能性すらあります。
たとえ類似した流派の免許皆伝まで修行したとしても別の流派には別の教えがあり、直接師事して習わなければ伝わらないことの方が多くあります。もし、400年の歴史が認められるなら、今は映像によって何流の師範にでもなれます。しかし、それはしょせん外形であり、中身のあるものではありません。見様見真似で何とかできるようになったとしても、また古文書をもとにスムーズに動けるようになり手順が同じだとしても、それは自分の流派であり、伝統を受け継いでいるものではありません。
- 2017/07/19(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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業の上でも流派についても口伝を受けていない人は想像でそれらしいことを述べることがあります。流派名や形の名前についても同じで口伝を受けていないので、自分の想像で思い付きを言い、流派名を一般に考えられることを述べて、それが正しいと言ってはばかりません。どのような過程で流派が成立したということも聞いていないので、奇抜なことも言い始めます。しかもそのような者に限って自信をもって断言するので惑わされる人もいます。
もっとも5、6回程度の稽古で口伝を授かることもありません。稽古を重ねて初めて授かれるものです。
- 2017/07/20(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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手の内は刀を手にしても、両刀でも、小太刀でも棒、十手、分童、長刀、鎖鎌、鎗であっても基本的に変わるものではありません。素手で相手の手を取っても同じ事です。
基本的に同じ手の内が手にする物の形状や重さや用途によって変化するだけです。
- 2017/07/21(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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呼吸にのって動くことができず、小手先からどうしても動いてしまう方は臍下丹田が意識できていないので本当の腹式呼吸ができていません。臍下丹田を中心に座礼をするときのように三角を作り静かに揺することを繰り返して臍下丹田が意識できるようになったら、日常生活の中で臍下丹田まで息を吸い込んでは吐く意識的な稽古を繰り返してください。風呂に入った時、寝る前、いくらでも稽古できます。道場に出てからと考えていてはなかなか身に付かず、他に後れを取ってしまいます。
- 2017/07/22(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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大石神影流剣術では正式な演武においては脇差あるいは短刀を腰にしたうえで鞘木刀を用います。初心者の方は脇差は鞘木刀で代用しますが、ある程度稽古が進んだ方は模造刀を用いていただいています。
さらに進んだ方はできれば真剣の脇差・短刀を用いるようにしてください。バランスの上、腰回りの感覚で模造刀と違うというわけではありませんが、覚悟の上で違うものを感じるはずです。
- 2017/07/23(日) 21:25:00|
- 剣術 業
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江戸時代の大半の武士はいくつかの流派を兼習しました。まれに剣術を数流派、柔術を数流派、槍術を数流派といったように学ぶ方もおられましたが、多くは剣術、槍術、弓術、柔術と各術につき1流派でした。幕末の剣術や槍術で複数流派学んだのはその目的が防具を着用したうえでの試合稽古に優れた流派を学ぶことにありました。また、剣術2流派を「兼」という言葉を用いて表看板にされる方もおられましたが、やがては1流派のみを名乗るようになったり、新しい流派を作って名乗られるようになっています。
いつもお話ししているように流派によって、その理論は異なっており流派ごとの動きが必要とされます。したがって剣術をたくさんの流派学び、柔術もたくさんの流派学ぶことは一つの体の中に異なった理論を取り入れることになりますので、よほど器用な人でなければ困難です。また、できたとしても形の手順はそれぞれの流派に従っているけれども体を使う原理は全てが同じか、すべてが中途半端になってしまいます。
稽古に時間がさける江戸時代であっても稀ですので、現代人が多くの流派の剣術、多くの流派の柔術をそれぞれの流派の理論を体得しそれぞれの演武をするときには、それぞれの理論で動くことは不可能と言っても過言ではありません。ましてや剣術を数流派、柔術を数流派、居合を数流派指導するという事は本質ではなく外形のみを教えているにすぎなくなります。
- 2017/07/24(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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人によっては急に理解が進むことがあります。このようなときは新たな形を次々と教え導くときです。
多くの事を吸収できるときですので、このようなときに「基本が大事」といって指導のペースを変えなければ上達の機会を奪うことになってしまいます。
- 2017/07/25(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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貫汪館では初発刀の初動のように意図的に自分のバランスを崩して動くことがあります。バランスを崩せば体は動き始めますがこの時に支えよう維持しようとしてしまえば力みが生じてしまいます。崩れていくのをうまく利用して体を軽く用いなければなりません。
- 2017/07/26(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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形に手馴れてきたら、形を上手く行おうという心が生じます。その段階で道をそれ始めます。初心者をやっと脱した人が自分の基準で「上手く」なのですから素早く行おうとしたり、強く行おうとしたり自分を歪ませることばかりを行ってしまいます。
形を覚えた方が求めるべきものは自己自身の調和、向かい合っている方との調和です。
- 2017/07/27(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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一生懸命求めていれば、稽古中に一言アドバイスされるとすべてが一気に向上することがあります。漠然と回数を繰り返しているとなかなか訪れない事です。
常に理想に近づこうと求め続け漫然と稽古しない事が大切です。無雙神傳英信流の師 梅本三男貫正先生は小さな悟り(気づき)は何百もあり、それを通じて大きな悟りに至ると話してくださったことがあります。
- 2017/07/28(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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なかなか上達せずに停滞していても、ふとしたきっかけで何かに気付くと気があります。その時が上達のチャンスであり、気付いたことを自分のものにするために集中して稽古しなければならないときです。この時にいつも通りのペースでしか稽古せずにいたら、一段階上に行く機会を失うことになります。
集中して稽古すると言って、これまで道場で稽古していた回数を無理に増やすことはなく、自宅でまた日常生活の中でできる範囲でそれを体得できるはずです。試みてください。
- 2017/07/29(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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初心の段階では座ったり、礼をしたり、歩いたり、の基本の稽古ばかりで、1月もこれが続くと早く兄弟子のように形の稽古をしたいと思うようになります。形の稽古をはじめたら早く多くの形を習いたいと思うようになります。
大切なことは次の段階に行くために基本の稽古、形の稽古を通じて体得すべきことを身につけているかどうかなのですが、気ばかり焦りそこに目がいきません。上達が速やかな人はそこに気付ける人なのですが。
- 2017/07/30(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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形の手順を覚えようと、「こう動いたら次はこう、その次はこう。そしてその次は・・・」とメモ書きするのは良いのですが、そのメモ書きに居付くと上達しなくなります。
貫汪館の三つの流派の形はいずれもシンプルなものが多く、すべて一続きの動きで成り立っています。これを分解して動きをひとつずつに区切ってしまうと、形の稽古を通じて会得すべきものは会得できなくなるばかりか、稽古を重ねることによってますます遠ざかってしまいます。
兄弟子が初心者を導くときに最も注意しなければならないのもここで、弟弟子がなかなか動きを覚えられないからと言って、動きをひとつずつに区切って教えてしまうと、後々そこから抜け出すことができなくなってしまいます。覚えられない方には先をあせることなく何度も技をかけ、何度も繰り返してもらい、また二人で行う形であっても一人で行ってもらって正すように心がけてください。
- 2017/07/31(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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