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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

柳生心眼流奉納額(備後一宮 吉備津神社)

 吉備津神社の拝殿は流派武術の奉納額は2面しかありませんが絵馬殿といっていいくらいに多くの絵馬が掛けられています。

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 柳生心眼流の奉納額もその一つで明治時代にかかげられており、門人の人数も非常に多く記されています。
 この額の面白いところは流祖以来自分に至るまでの伝系が記されている事で、これを見ると先生の高橋五郎治までどのように伝わったのかを解明することが出来ます。

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 額には網が掛けられているので写真ではよく見えませんが、飯笹長威斎を流祖におき、上泉伊勢守を次に、さらに柳生但馬守を次にもってきています。明治40年の額ですので私が生まれた頃はまだ門人の御一人くらいは生存されていたかもしれません。

 吉備津神社の記述は明日で終わりです。

 11月3日午前10時から明治神宮西参道芝地で日本古武道振興会の日本古武道大会が行われます。無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術も演武致します。お時間がある方はお越しください。

 11月14日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会のテーマは「澁川一流の居合」です。貫汪館ホームページを御覧になり、どなたでもご参加ください。

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/11/01(月) 21:25:46|
  2. 武道史

現代武道の奉納額(備後一宮 吉備津神社)

 吉備津神社には、流派武道の奉納額だけでなく現代武道の奉納額もあります。奉納試合をしたときの戦前の優勝者の名前が書き連ねられていました。
 字が薄くてよく読めないのですが、昭和十七年、十八年の記録には銃剣道の名も記されています。このあとの終戦後の大会では銃剣道はなくなっています。

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 銃剣道は多くの人からは戦争の時に兵隊が白兵戦をするためにのみ用いられる格闘術だとしか見られておらず、現代武道でありながら現代剣道や、柔道のような地位は与えられていません。
 また、最近はこともあろうか自衛隊で訓練として徒手格闘が銃剣道よりも遥かに重んじられていますから銃剣道は衰退するばかりです。自衛隊の偉い人は一体何を考えているのかゲリラなどの敵が急接近してきたら、小銃を捨てて素手で戦えというのでしょうか。
 下の写真は吉備津神社の本殿です。小さなお社が他にも沢山ありますが時間がある時に訪れてみてください。
本殿の下の写真は神域の前景図と厳島神社のある池です。初めてお参りしましたがなかなかよい場所でした。

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 11月14日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会のテーマは「澁川一流の居合」です。貫汪館ホームページを御覧になり、どなたでもご参加ください。
 
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/11/02(火) 21:25:08|
  2. 武道史

大牟田市の久福木の諏訪宮の天井絵

 以前記しました大石神影流の稽古が行われていた場所のひとつである久福木の諏訪宮の天井絵を先月改めてみてきました。
 結論から言うと明治に描かれたもので、全ての絵に共通のテーマがあったようでした。3段目の左側の写真に明治21年と記されているのが読めると思います。また3段目の左側の写真で絵のテーマが分かると思います。4段目の写真でこの事件の発端が分かります。

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 描かれた当時はさぞ綺麗だったのだろうと思います。今は絵も薄れ残念です。明治21年というとまだ江戸時代の武士の生活を送った人も多く活きていた時代ですから絵に描かれている武士の行動もそれほどおかしなものではないのだろうと思います。
 剣術の稽古をつけていただくまでに少し時間があったので、江戸時代に大石神影流の稽古が行われていた早馬(はやま)神社にお参りしてきました。左の写真は旧大石邸の跡地です。現在は全く関係が無い人がすんでいますが、敷地が広いだけに現在立って居る家も大きな家です。写真左の奥に植えられている木々は大石邸があった頃とかわっていないようです。また右の写真の右側に道場が立っていたようです。大石邸は小高い丘の上にあります。柳河藩は全ての武士を城下に集住させていたわけではなく、自分の土地に住んでいた武士も多くいました。大石家もその一つです。それで当時20石であった大石家のあととりの大石進も農作業をしていたわけです。城下に集住させず領地に住まわせたのは柳河藩の藩境を警護させる目的もあったと言います。

大石邸1DSC_0105 大石邸2DSC_0113


 11月14日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会のテーマは「澁川一流の居合」です。貫汪館ホームページを御覧になり、どなたでもご参加ください。
 
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  1. 2010/11/03(水) 21:25:47|
  2. 武道史

琉球古武術保存振興会 国際セミナー2010

 10月31日(日)琉球古武術保存振興会の国際セミナー2010の最終日の演武大会に招待され、演武を拝見してまいりました。国際セミナーですので海外の琉球古武術保存振興会の100名を越す会員が集られているのは素晴らしい事でした。覚えている国名だけでも南アフリカ共和国、カナダ、デンマーク、アメリカなどから三日間の稽古のために来られていました。
 演武の進行は日本語と理解し易い英語で行われ、国際セミナーである事を感じさせました。
 琉球古武術は棒術・釵術・トンファー術・鎌術・鉄甲術・スルジン術・ティンベー術などが団体演武と個人演武で紹介されました。また招待演武として根岸流手裏剣術・大東流合気柔術・立身流の演武も行われました。最後は琉球古武術保存振興会の宗家・会長の井上貴勝先生の素晴らしい棒術の演武で締めくくられました。
 写真は一段目の左が根岸流手裏剣術、右が大東流合気柔術、二段目の左が立身流、右が井上先生の演武。3段目は閉会式の模様です。

根岸流DSC_0315大東流DSC_0328

立身流DSC_0340井上先生DSC_0350

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 国際セミナーで印象に残ったのは海外の方の熱心さですが、それと同時に良い意味で演武を楽しまれている事も感じられました。好きであるから熱心であり、また稽古も演武も楽しいのだと思います。
 海外の方は師にたいする礼も忘れられず、井上貴勝先生の演武の時には皆さん正座して見学しておられました。
 非常に盛大な活気のある演武を拝見する事ができました。今後の私達の活動に反映していきたいと思っております。
 プログラムの井上先生の英語のご挨拶をのせます。英語が母国語でない各国の門人の方にも理解し易いように平易な英語で書いておられますので、御一読ください。画像はクリックしていただくと拡大します。大きくなった画面の右下に出るマークをクリックしてさらに拡大していただくと読みやすくなります。

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 11月14日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会のテーマは「澁川一流の居合」です。貫汪館ホームページを御覧になり、どなたでもご参加ください。
 
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  1. 2010/11/04(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大刀剣市

 10月29日.30日.31日と東京の東京美術倶楽部で大刀剣市が開かれていたので見に行ってきました。図録つきですが入場料が2,000円かかります。しかし、出品されている刀は博物館にあるようなものも多く、しかも数多くあるのですから刀に興味がある人にとっては決して高い金額ではありません。海外の方も多く、英語やロシア語が話されていました。
 大刀剣市にはいつもお世話になっている濃州堂さんも出店されていましたので挨拶に伺いました。沢山ある刀屋さんのなかでも濃州堂さんの出店スペースは私にとってほっとする安心感を覚える場所です。
 私は、昔から刀の良し悪しが分からず、同じ人によって作られた刀でもキズが無い刀のほうが随分と価値が高いという事を最近やっと知り(多少キズがあろうがなかろうが実用には関係ないので気にしていなかったのです)、また、なんとなくですがどういうものが良い刀とされるのかがわかってきました。
 武術として刀を使う者にとっては美しさよりも折れず曲がらず、其上でよく斬れる刀が欲しいので、美術的な観点からよりも、どうすればそのような刀の見分けがつくのかと思っていたのですが、以前、研師の上田先生に聞いたところ、見た目では判断がつきにくいので山田朝衛門たちが試し物をしたのだという話をしてくださった事があります。
 私は刀の良し悪しはよく分かりませんが、鍔や目貫などの良し悪しは分かるようにはなってきました。鍔のデザインが好きで自分自身でも集めましたし、目抜きにも興味を持って見てきましたので良いものが分かるようになったのだと思います。ただし、私の持っている鍔は実用を考えているので高価なものはありません。
 大刀剣市には刀身以外にも鍔や目貫などの小物も沢山展示されており欲しい物も沢山ありました。特に短刀の拵は美しいものが多く、お金を貯めていつか手に入れたいと思っています。
 皆さんも教養として刀の観方は勉強されておいたほうが良いかと思います。機会があったら博物館などに足を運んでみてください。

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  1. 2010/11/05(金) 21:25:16|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

練兵館道場跡

 上京した際に日本武道館へ行き、全日本銃剣道連盟や日本古武道協会での所要を済ませ、久々に靖国神社に参拝しました。写真は携帯でとりましたので画像はよくありません。

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靖国3F1000385


 拝殿を左に廻ったところに神道無念流の斎藤弥九郎の練兵館跡があります。明治五年の靖国神社のもととなる招魂場建設のために立ち退きになったということです。

練兵館1F1000381 練兵館2F1000383


 斎藤弥九郎(篤信斎)は剱術家として有名ですが、江川英龍の配下であり西洋砲術も修めており、早くから剱術は戦場における最後の白兵戦において用いるものという意識があったように思います。古くは槍は戦場において用いる主要な武器であったものの、幕末、武士が小銃を用いるようになってからは槍を携える事は出来なくなり、多くの藩校では槍術の指導は取りやめになっています。
 斎藤弥九郎(篤信斎)の安政5年の野試合は有名ですが、これは銃隊・騎馬隊等をもって構成し近代戦の演習を行ったもので、最後に剱術を用いるという実用的なものでした。野試合についてはいつか手許にある資料で分析してみたいと思います。
 斎藤弥九郎(篤信斎)については『剣客斎藤弥九郎伝』(木村紀八郎著・鳥影社刊)にこれ以上は無いというくらい詳細に記されています。

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  1. 2010/11/06(土) 21:25:22|
  2. 武道史

明治神宮鎮座90年 日本古武道大会

 11月3日に日本古武道振興会による「明治神宮鎮座90年 日本古武道大会」が開催され、私と竹本夫妻が演武してきました。当日は快晴で暖かく演武には良い環境でした。演武は56流派団体が行いましたが、いずれの流派も稽古を良く積んでおられ、その態度は皆さんに習っていた諾だきたいと思いました。ただし、演武では私が奈良って育った事と異なる事をされる流派もありましたので、無雙神傳英信流抜刀兵法や澁川一流柔術はこのようにするのだということを思い出すままに記しますので、しっかりと覚えておいてください。

 神前で行う演武は奉納であって、観客が見易いようにと神前にお尻を向けてはならない。

 武術は何時如何なる突発事態にも応じられなければならぬものであるので、演武前の練習は行わない。

 稽古道具や武具をぞんざいに扱わない。

 他流派を侮ったと受け取られないような笑いを顔に出さない。

 他流派の演武中に大きな声を出さない。

 狭い会場内では進退に気をつけ他流派の迷惑にならぬよう心掛ける。


 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

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  1. 2010/11/07(日) 21:25:07|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

福山城

 二週間前、茨城歴史民俗博物館にあるコピー資料の原本を写真撮影するために福山城へ行ってきました。福山藩は阿部家が治める前は水野家が治めており、水野家は後継ぎが無い事から改易となりました。水野家は後に茨城県の結城で御家の再興がなされます。
 この水野家に仕えていた武士の江戸での槍術の記録が縁のある福山に寄贈されているのです。本来なら茨城県にあってしかるべきですが事情により福山城博物館の鏡櫓文書館に寄贈されたのだそうです。
 当日は雨でしたが、学芸担当の方のカメラ等を濡らしてしまわない様にとのご好意により車をお城の中に入れていただきました。江戸時代でさえ馬を乗り入れることも無かったであろう場所に入れていただいたのですから、何とも不思議な気持ちになってしまいました。福山城の建物は本丸も鏡櫓も再建ですが立派な建物が立っています。写真は本丸と鏡櫓の横の私の車です。

本丸DSC_0299鏡櫓文書館DSC_0293

 訪ねた日には「幕末の福山藩」という特別展が行われていました。幕末の藩主阿部正弘は老中として日米和親条約を締結、同時に江川英龍、勝海舟、高島秋帆等を登用して海防の強化に務めた人物です。譜代大名ですので戊辰戦争の折には立場が難しかったようですが、倒幕の側に立たざるをえず、戊辰戦争には函館に出兵しています。特別展は14日(日)までです。小さな画像をクリックしていただくと特別展の雰囲気が伝わってきます。

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 鏡櫓文書館では学芸担当の方に調査目的以外の、解読された資料を頂きました。それによって分かった事もありますが、それについては日を改めて記します。


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  1. 2010/11/08(月) 21:24:28|
  2. 武道史

岡山の博物館と福山の博物館

 週末、次男を連れて岡山の博物館と福山の博物館に行きました。
 岡山ではまず岡山県立博物館に入り、「晴れの国の名宝」という特別展を見ました。太刀・刀も沢山展示してありましたが目を引いたのは国宝の無銘一文字でした。下の小さな写真をクリックしていただくと、この太刀の写真が載っています。ハバキのあたりに欠けている部分があるのはこのたちが実際に使われていたものであるからということです。

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 次に30年ぶりに後楽園を訪れました。30年前の記憶ではただ広いという印象しか残っていなかったのですが、今回あらためて訪れてその美しさを感じる事が出来ました。写真は主に次男が撮影しています。

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 後楽園のあとは岡山城に登りました。戦災で焼失したため再建の建物ですが忠実に再現されているらしく美しい建物です。写真は後楽園から見た岡山城天守閣と、間近から見た天守閣です。

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 その後、以前から行ってみたかった林原美術館を訪ねました。林原美術館は刀剣で有名な美術館です。「林原美術館の国宝と重要文化財」という企画展が行われていました。国宝3点があるのですがいずれも刀剣です。一点は太刀銘「良房」、左側の写真に写っています。二また一点は太刀銘「備前國長船住左近将監長光造」、真ん中の写真に移っています。そしてもう一点は短刀無銘正宗、右側の写真に写っています。岡山県立博物館の刀剣も林原美術館の刀剣も素晴らしいものばかりで非常に美しいと感じました。しかし、やはり欲しいのは使い勝手の良い自分の遣い方にあった刀だという思いは変わりません。
 国宝の刀剣と、美術品としての価値は低いが刀剣の「折れず曲がらずよく斬れる」という本質が備わり自分に合った刀のどちらかを選べといわれれば、やはり後者だと思います。(選べといってくれる人は居ないでしょうが。)

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 岡山からの帰りに広島歴史博物館により「幕末の動乱と瀬戸内海」という企画展を見ました。武道史を通じて幕末を見ても、またこのような展示を通じて幕末をみても戊辰戦争は日本にとって大きなマイナスであったのではないかという思いがどうしても残ってしまいます。

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  1. 2010/11/09(火) 21:25:38|
  2. 未分類

工夫する事と、頭を使いながら動く事

 いつも工夫しなさいといっているためか、「工夫」という事の意味を間違って捉えている方も居られるようですので、一言記しておきます。
 先に問題点を指摘しますが「頭を働かせながら形を行う事」は工夫とは云いません。頭を使いながら、ここはこうすべき、ここは、このようにとってなどと考えて形を行っても、全体として良い動きが出来るわけではないのです。頭で計算して動くばかりに、人が生まれながらに持っている、あるいは人が赤ん坊の時から、這い、座り、立ち、歩みという訓練で身につけた自然な動きを台無しにし、最近のロボットの動きにも劣るようなゴツゴツした動きが生まれてしまいます。
 工夫せよというのは、そのような駄目な動きをしてしまったら原因がどこにあり、どうしたら改善されるのかを見つけなさいという事で、見つけて正したことが、本当に良かったのかどうか形稽古の中で検証し、だめであれば、再び原因を見つけ改善策を見つけて、形稽古の中で検証しという繰り返しを行いなさいという事なのです。
 頭を使いながら動けば体は臍下を中心とした動きが無くなり、上半身中心の体の各部が自分自身の中でゴツゴツとぶつかる動きしか出来なくなってしまいます。

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  1. 2010/11/10(水) 21:25:34|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

我意を捨てる

 無双神伝英信流抜刀兵法においても澁川一流柔術においても我意を用いて稽古する方はなかなか上達しません。我意とは「自分が」という思いです。
 抜付けにおいて心を沈め力みも無くなり静に滞りなく発し始め、そのままであれば良い動きの抜付けとなるのに途中から「自分が」と言う思いを起こし腕力や、自分の腰の推進力を用いて勢いをつけようとしたが最後、刀には濁りが生じ、真の速さ強さは生まれなくなってしまいます。
 柔術の技をかけるのも同じ事です。いくら静に立っていても、相手が動き出した瞬間、いまだとばかりにその動きにあわせ(つまり敵に合わせ自分を失い)とにかく技をかけようとしてしまう。このような動きは調和もなく無理無駄の固まりで相手に簡単に崩されてしまいます。
 何のために座り、何のために無構えなのかしっかり考えたうえで稽古に望んでください。

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  1. 2010/11/11(木) 21:25:12|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分の動ける速さを知る

 澁川一流柔術の形稽古で自分の動ける速さを越えて動こうとする方があります。速く動かなければ業ではないという気がしているのだろうと思います。
 しかし、その速さによって自分自身の動きが体の各部をぶつけてしまい、動いたと思ったらぶつかって滞り、また動いたと思ったらぶつかって滞りといった動きを繰り返して形を行っているのです。ぶつかって滞ったところは相手にとっては技を返す機会であり、自分が技をかけるときに絶対にとどまったり、滞ったりしてはならないものです。未完成の自分の動きを少しでも上達に導くためには、そのような自分自身の体の各部のぶつかり合いを無くさなくてはなりません。そのためにはぶつかり合わない速さで稽古を積むしかないのです。
 普通ならば自分自身の動きが滞ったり、止まったりした場合には自分で気付きそれを修正しようとする事が出来ますが、気付く事すら出来ていない方は、ただわき目も振らず猛スピードで(しかし滞ったり止まったりしながら)動いているだけです。指摘されてはじめて気付くような方は自分自身の動けるスピードを遥かに越えてしまい、何をしているのかすら分かっていない状態です。
 崩れの出ない自分自身のの動ける速さを知り、自分自身で自分を正すことが出来なければなりません。
 
  
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  1. 2010/11/12(金) 21:25:46|
  2. 柔術 総論

岩国の武術奉納額

 先月、東京から来ていたおばを連れて岩国に行きました。写真は岩国城です。鉄筋コンクリートのお城ですが、中には素敵な拵えや刀が展示してあります。

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 岩国も武術が盛んであった地なのですがいまだに奉納額は今からご紹介するものしか見たことはありません。奉納額があるのは明治18年に旧岩国藩主吉川家の居館跡が公園として開放された際、造られた絵馬堂である錦雲閣です。明治18年に建てられているので、当然ですが新しい額しかなく、紹介する奉納額も明治18年に奉納されたものです。錦雲閣には多くの額がかかっていた跡があるのですが、今はほとんどなくなっています。写真は錦雲閣と武術奉納額です。

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 見て分かるように額の文字はほとんど消えており、「明治十八年十一月吉日」と「演武場」という文字しか見えません。「演武場」という言葉は江戸時代には一般的に藩なり領主なりの稽古場に用いられていた言葉のようで、特定の流派の道場を指す言葉ではありません。したがって岩国には明治18年になっても各流派が集って稽古する場のようなところが残っていたのではないかと思います。
 岩国の片山伯耆流に関しては日本武道学会の和田先生が詳細な研究をしておられますが、他の流派については私自身調べた事がないのでよく分かりません。今山口県で行われている伯耆流柔術というのは江戸時代からつづいていた流派ではなく、伝書などから創られた現代流派です。
 天保八年頃の、岩国の槍術・剱術の様子は土佐の樋口真吉の日記に記されていますので明日、ご紹介します。
 吉香神社の前の道を歩いていると井戸のふたの上に猫が昼寝をしていました。暖かな一日でした。

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  1. 2010/11/13(土) 21:25:15|
  2. 武道史

岩国藩の武術(天保八年)

 土佐の樋口真吉が大石進のもとで修行した後、土佐への帰途各地で試合をしていますが、その中に当時の岩国の様子が記されていますので長くなりますが引用します。それほど難しい文章ではないのでお読みください。

天保8年12月
十日、雪、今市道傍義奴六松碑有、文政紀元戌寅秋九月三丘山田時文運平撰、□府矢埜允一蔵書と有、文字難見定、夫より高森の町ヲ通、玖珂ヲ経、此跡ニ西熊毛郡、東玖珂郡との境あり、岩田川、岩国着、里数七里、岩国ニ至る處山あり、一翁ニ遇、山縣先生ヲ問、則委教くれる、山縣氏ヲ訪、先生酒ヲ出、後川野屋平左衛門ニ行て宿、山縣氏門人四五輩出テ挨拶す、また米原新三郎案内して湯屋ニ行、山縣先生弟宿ニ来、同道ニて先生宅へ行、稽古人退散、宿ニ帰ル、暫時ニして佐々木与助酒肴ヲ齎来る、八ツ時山縣氏へ行、則人数貮拾人、木流槍術稽古有之、桑原氏三人相手、尤素槍(二間半)、山縣氏門人入身なり、木流他流試合せず、山縣門人國元への傳書ヲ余等ニ託、黄昏稽古畢、米原新三郎宿ニ来、談話二更ニ過、家中有鑓

 樋口真吉は12月10日に岩国に到着し、木流槍術の山縣先生を訪ねます。岩国の高木流は所謂互角の試合(相面試合)をしておらず、「入身」といわれる変則的な試合稽古のみをしていたようです。「入身」とは片方が長い槍を持ち、もう片方が短い槍を持ちます。短い槍を持ったほうが長い槍を持ったものの手許に入っていく稽古で、当然の事ですが長い槍を持った方は、入られぬように短い槍を持ったものを突きます。江戸時代の後期に互角の試合がほとんどの流派で行われるようになるまでは、このような「入身」試合が行われていました。
 「山縣門人國元への傳書ヲ余等ニ託」とありますが、高木流槍術は高木流體術とともに土佐で行われており、後に岩国の高木流を学びに行ったものがいますから、文脈からははっきり分かりませんが、土佐の人にあったのか土佐の人あての伝書をたくされたのではないかと思います。岩国で学んだ人物は後に柳河の大嶋流師範加藤善右衛門の下でも学んでいます。
 次の記事は12日になっていますが、10日の記事のところに11日分まで纏めて書いているのではないかと思います。


十二日、早朝、與助来る、新三郎の弟、余等ヲ誘引して米原氏ニ行、暫有て諸士数十輩入来る、其後小川一摩、備前修行者、馬場晴二同道ニて来る、白砂ニテ試合す、第一番馬場晴二神道無疆流也、予相手、第二番小川一摩(大兵)難波一甫流、桑原相手、三番一摩と余、四番晴二と余と再なり、五番一摩と余、槍試合、一摩貮間一尺之槍ニ大鎌附ヲ遣、次六番一旨流(管槍)某予と也、七番小川氏と剣桑原再也、八番小川門人某と余、剣術、九番小川門人と桑原立合畢、委ク姓名修行帖ニ識ス、衆皆退、山縣先生僕等三人跡ニ止る、飯出、帰宿、諸士追々入来、時三戸某余ニ對面申度由佐々木与助ヲ以申来ル、早速遇之、三戸氏愛洲新陰家也、師祖図景ヲ予ニ□、因テ記して与之、三戸家傳来之景図識置、夕陽岩国ヲ発、山縣両先生(老先生杖倚来)ヲ初数送テ渡頭ニ至、過錦帯橋(橋穹窿然)ヲ、小川氏の宅ニ立寄、晴二稽古ヲ舎テ出ツ、余カ荷ヲ叩テ曰、余明年剣技ヲ磋て足下の国ニ行ント、夫より新港ニ着、岩国ヨリ五拾丁、夜五ツ時發舟、
行尽晴中寓旅郵、衆人擁火咸他州
二更倩艇出新港、漏鼓無端發渡頭
海上五里にして鶏鳴宮嶋ニ着、則白銀屋与兵衛ヲ起し宿


 12月12日は剱術は神道無疆流・難波一甫流と試合をし、槍術は難波一甫流・一旨流(管槍)と試合をしています。槍術では難波一甫流と一旨流(管槍)は入身ではなく互角の試合をしていたという事が分かります。
 難波一甫流は広島の農村部では柔術が主体となり、槍術も枕槍といって室内で用いるような短い槍を稽古しており、目録にも枕槍という種目しか記されていません。剱術も形稽古が中心であったのではないかと思います。
 沼田にのこる絵伝書では長い鎌槍と素槍を用いているので不思議に思っていましたが、本来広島でも長い槍も用いていたのかもしれません。また岩国では難波一甫流が「一摩貮間一尺之槍ニ大鎌附ヲ遣」と鎌槍を用いている事が記されていますが、広島の難波一甫流の伝系には広島藩に宝蔵院槍術を伝えた人物と思われる名前が入っていますので、難波一甫流には宝蔵院の槍が取り入られていたのではないかという私の推測も正しいのではないかと思います。
 いつか岩国の武術史の調査もしてみたいと思っていますが、なかなか時間がありません。
  
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/11/14(日) 21:25:29|
  2. 武道史

貫汪館居合講習会

 昨日、貫汪館居合講習会を実施しました。いくつかの気付きがありますので述べてみます。
 昨日は澁川一流柔術の居合と半棒術、大石神影流の試合口と小太刀の稽古をしました。
 初めに述べておかなければならないのは刀の使いようと棒の使いようは異なるという事です。刀には刃がついており振れば斬れ当れば突き切ることができます。しかし棒はただの木の棒であり触れただけで威力を発する事は出来ません。威力を発するためには打撃力が必要となります。この違いがあいまいな方が居られるように感じました。刀を力任せに振り刃筋がくるってしまっている方、逆に木刀で受けて棒で打ち込ませる形であるにもかかわらず棒の打ち込みの威力がない方など様々ですが使う物によってその効果の発せさせ方は異なるのだという事を認識する必要があります。
 次に澁川一流の居合についてですが、柔術を随分稽古している方であっても、刀を遣える段階には至っておられません。得物は素手の延長であるといっても、やはり刀には刀の使いようがあります。根本的な体の用いようは同じであっても刀を持ったとたんに素手の柔術のときの体遣いさえ忘れ、全くの素人のように刀を己が操ってやろうと考える方が多いのです。刀を稽古しなければできるようにならないのだと思います。澁川一流の居合が失伝しないように密かに一人稽古は重ねてください。
 大石神影流の手数(所謂形のことを手数といいます)の試合口ですが、刀を手にしたときの間合を頭に入れておかなければなりません。ほんの僅かの間が生死の境目ですのでいい加減にしてよいはずはありません。これは小太刀の使いようも同じ事です。太刀の間、小太刀の間をよく理解し、小太刀が太刀の長さに対するためにはどのように間をとらねばならないかを工夫することなくただ手順を繰り返しても、武術を身につけたのではなく手順を覚えたというに過ぎなくなってしまいます。
 次回の講習会は3月に行います。

 貫汪館HPの無雙神傳英信流抜刀兵法の行事のページに明治神宮奉納演武の写真を載せました。また澁川一流の行事のページに明治神宮奉納演武と貫汪館居合講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 今週末、福岡県久留米市で無雙神傳英信流抜刀兵法の指導講習を下記の日程で行います。御興味があられる方は久留米道場のホームページに記してある連絡先へ御連絡ください。どなたでも歓迎いたします。
11月20日(土) 久留米市武道館 小道場 17~21時
  21日(日) 久留米市筑邦市民センター 多目的ホール 9時30分~17時30分
  22日(月) 久留米市勤労青少年ホーム 軽運動室 19~21時


 11月23日(火・祝)福岡県大牟田市民体育館で午前9時半より開催される剣道大会で大石神影流の演武が行われます。
  
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/11/15(月) 21:25:51|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

新作

 武道とは全く関係がありません。久しぶりに新作を作りました。はじめの写真はいつものようにストールやマフラーの草木染めです。左側が栗のイガでそめたもの、右側が枇杷の葉で染めたものです。生地はつむぎです。

             栗枇杷F1000391

 次の写真は藍染です。三枚とも羊毛の染色用のマフラーを染めました。左は絞って白地を残したもの。真ん中は絞って白地を残し、さらに絞りをほどいて二度染し、絞った部分を薄く染めたもの。右はややグラデーションに染めたものです。藍染は木綿の生地が一番藍らしく染まるのですが、私自身は羊毛の発色もなかなかよいと思っています。

藍F1000390

 次の写真は藍染のショールです。記事は木綿で随分前に鍋の蓋で板締めにして染め、染め上げてから蓋をずらして再度染め濃淡をつけました。長い間、両サイドの房をくくらず、ほっておいたのですがやっと完成しました。

藍F1000393

 最後の写真は始めての作ったものでタペストリーの一輪挿しです。麻の生地を染め、裏山で切ってきた竹を用いて完成させました。左から柿の葉、枇杷の葉、栗のイガで染めています。

     柿F1000387  枇杷F1000388  栗F1000389



    
 今週末、福岡県久留米市で無雙神傳英信流抜刀兵法の指導講習を下記の日程で行います。御興味があられる方は久留米道場のホームページに記してある連絡先へ御連絡ください。どなたでも歓迎いたします。
11月20日(土) 久留米市武道館 小道場 17~21時
  21日(日) 久留米市筑邦市民センター 多目的ホール 9時30分~17時30分
  22日(月) 久留米市勤労青少年ホーム 軽運動室 19~21時


 11月23日(火・祝)福岡県大牟田市民体育館で午前9時半より開催される剣道大会で大石神影流の演武が行われます。
  
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/11/16(火) 21:25:25|
  2. 未分類

はじめの一歩

 初心者の方に受身の稽古をして頂いていますが、それについて気付きを述べます。
 前まわり受身をしようとするとき、初心者の方にとって回る事が大切だという思いしかありません。従ってはじめに踏み出す右足、または左足にはまったっく意が用いられず、硬い足のまま踏み出し、硬さを残したまままわろうとされるので結果的に受身も上達する事が出来無くなってしまいます。
 柔らかに動こうとするのですから、はじめの動きから大切にしなければならず、不用意に出している足は、本当はそっと、どこにも凝り固まりが無いように出さなければならないのです。
 受身の話をしましたが、これはどの動きにも共通する事ですので、それぞれのレベルに応じて工夫してください。
 
 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

 今週末、福岡県久留米市で無雙神傳英信流抜刀兵法の指導講習を下記の日程で行います。御興味があられる方は久留米道場のホームページに記してある連絡先へ御連絡ください。どなたでも歓迎いたします。
11月20日(土) 久留米市武道館 小道場 17~21時
  21日(日) 久留米市筑邦市民センター 多目的ホール 9時30分~17時30分
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 11月23日(火・祝)福岡県大牟田市民体育館で午前9時半より開催される剣道大会で大石神影流の演武が行われます。
  
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  1. 2010/11/17(水) 21:25:02|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

流れ

 初心者の方は柔術ではどうしても技をかけることにのみ意識が行き、居合では抜きつけるところ、斬撃するところにばかり意識が行ってしまいます。
 その結果動きの流れは途切れ途切れになり、隙だらけになって、相手に反撃の機会を与えてしまいます。形稽古の欠点は相手が反撃してこず、それに気付きにくいところにあります。いくら兄弟子が指摘しようと反撃されないのですからなかなか体で気付く事はありません。
 澁川一流の稽古では形稽古であっても隙ができるところは指摘し、それでも直らないようでしたら技を返してもかまいませんので初心者の流れが途切れる動きを正してください。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の素抜き抜刀術の稽古出はそのようなことはできませんが、太刀打や詰合では可能です。厳しく指摘しようと思います。

 今週末、福岡県久留米市で無雙神傳英信流抜刀兵法の指導講習を下記の日程で行います。御興味があられる方は久留米道場のホームページに記してある連絡先へ御連絡ください。どなたでも歓迎いたします。
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 11月23日(火・祝)福岡県大牟田市民体育館で午前9時半より開催される剣道大会で大石神影流の演武が行われます。  

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  1. 2010/11/18(木) 21:25:07|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

癖を直すのは心の修行

 一度身に付いた悪癖を直すのは新たな事を修得するのに比べ数倍、数十倍の努力を必要とします。癖を身につけた期間が長ければ長いほど必要とされる直すための努力はより大変な物となってしまいます。
 動きの癖の多くはほとんどと言っていいほど心の偏りから生じてきます。我が強い人は己を頼るために腕力を用いて相手をねじ伏せ、また刀を使っては力任せに振ろうとします。自分を守ろうという意識が強すぎる方は体を硬直し、硬い動きとなってしまいます。
 このような癖を直すためには外形を無理矢理正しても意味はありません。心の歪と体の動きはすぐに一致して動きは元通りの悪い動きとなってしまいます。
 悪癖を直すためには心を中庸に保ち動く事が遠回りのようで一番の近道です。心を正し動きを正し、また動きを正すことによってさらに心も正されていきます。
 心にも動きにも歪無く偏りなくなることを上達と言います。

 今週末、福岡県久留米市で無雙神傳英信流抜刀兵法の指導講習を下記の日程で行います。御興味があられる方は久留米道場のホームページに記してある連絡先へ御連絡ください。どなたでも歓迎いたします。
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 11月23日(火・祝)福岡県大牟田市民体育館で午前9時半より開催される剣道大会で大石神影流の演武が行われます。  
 
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  1. 2010/11/19(金) 21:25:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大石進の石碑

 以前大石神影流の史跡について述べましたが、大石進の石碑について述べていなかったので、写真を載せておきます。
 大石進の石碑は早馬神社からそう遠くないところにあります。大石先生のお話によると石碑が建てられているのは旧街道で大名行列も通っていたところだという事です。とはいっても石碑そのものは写真に見るように明治時代に建てられていますので、当時の武士に大石神影流を喧伝するという目的ではありません。

大石石碑と街道DSC_0115


 大石石碑1DSC_0118 大石石碑2DSC_0120

 写真の基部の向かって左側には写真ではよく見えないのですが門人の名が記されています。以前紹介した今村広門の名も右から3番目に記されています。石碑の基部の周囲に盃状穴がありました。明治時代に剣術の上達を祈願した名残なのでしょうか。

大石石碑3DSC_0122 大石石碑4DSC_0125

 石碑には大石進の身長を「身長七尺」と記していますが実際には200cm位だったようです。石碑に六尺七寸とか中途半端な数字は彫らなかったのでしょう。宮本武蔵も坂本龍馬も山岡鉄舟も身長六尺と言われていますが、実際にはどうだったのでしょうか。また、「音吐如洪鐘」と声が随分大きかったように記してありますが物静かな方であったようです。剱術の気合は体に応じで大きかったのではないかと思います。


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  1. 2010/11/20(土) 21:25:49|
  2. 武道史

久留米での稽古

 昨日土曜日、大石神影流の稽古をつけていただく前に大石進先生の墓参りに行きました。初代の大石進先生の命日は写真に見るように文久3年11月19日です。67歳で亡くなられています。我師が命日の前にお墓の掃除をされ花も供えられています。

boseki.jpg

 久留米での土曜日・日曜日の無双神伝英信流抜刀兵法の稽古ですが、数年来稽古しておられる方が随分と流派の体を身につけてこられ、あと半年もすれば、わかる方には「無雙神傳英信流ですね。」と言っていただけるほどのレベルにまで至っておられました。ここまでよく辛抱され頑張ってこられたと思います。
 稽古は自分との勝負です。無双神伝英信流抜刀兵法の特徴は無理無駄なきことですが、年齢を重ねれば重ねただけ「思い込み」や「癖」が強くなり、自分自身と向かい合い、自分の心と体の歪から来る無理無駄をなくすのは容易なことではありません。現在のレベルに至るには並大抵のことではなかったと思います。
 あとは稽古でお話しした切先が鞘を離れる間際の手の内と体の開きの工夫を重ねられればよりよい動きへとなっていくと思います。
 初心者の方も稽古に工夫をされていましたが、向上していくためには、より深く自分自身を知らねばなりません。より繊細により細部に至るまで自分自身を知らなければなりません。そのためにはゆっくり静かに自分自身と向かい合う必要があります。自分自身と向き合い、至らぬところを知り、正し、過ぎたところをなくし、無理無駄をなくしていく過程が大切です。
 上級者が楽々と速く動いているように見えるのはそのような積み重ねの結果であり、速く強くと求めたのではありません。自分自身と向き合い、無理無駄をなくしていった結果おのずとそのような状態に至ったのです。
 工夫に工夫をかさねてください。

 土曜の夜は佐賀県鳥栖市の牧のうどんでした。「キムチ・肉うどん」に野菜揚げをトッピングしたのですがキムチの味が強すぎて肉のうま味を消してしまっていました。次回はキムチはなしにしようと思います。いつも通り食後にうどんがどんどん胃の中で膨らみ、時間がたつにつれ満腹になってしまいました。

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11月23日(火・祝)福岡県大牟田市民体育館で午前9時半より開催される剣道大会で大石神影流の演武が行われます。
    
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  1. 2010/11/21(日) 21:25:50|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

福山藩誠之館一件帳にみる高槻藩藤井又一の動向 1

 今年の日本武道学会では高槻藩士藤井又一の柳河藩加藤善右衛門のもとでの修行について発表いたしましたが先日福山城に行った折、学芸担当の方から誠之館一件帳を解読された資料を頂き、藤井又一の福山における動きが分かりました。
 藤井又一の父である藤井竹外の日記には柳河藩から帰る途中に福山藩での指導を願われ扶持をもらいながら指導した事が記されていましたがその裏づけとなる資料でした。
 高槻藩士である父藤井竹外の息子が他藩から扶持をもらい、その藩の門人を指導するという事はちょっと考えられなかったのですが真実のようです。藤井又一は安政5年の9月末に加藤善右衛門に免許を授かり柳河を発った後、山陽・山陰と試合をしながら年末に福山に至り、そこから約4ヶ月滞在して指導したようです。
 福山藩は譜代大名であり保守的なイメージがありますが優れた者は厚遇し藩士に指導させる藩であったのだと思います。

 安政六年の記事に以下のように記してあります。少し難しいかもしれませんが読んでみて下さい。

 二月十一日
 差之通両流槍術師範へ申談候様惣裁織馬殿より被仰聞候間、権五郎相招  申談候事
但、又市へ御扶持被下置候付、是迄御仕向之泊り旅篭并支度等之処は御仕向不被為下候間、右八人扶持之内ニ而手前賄ニ被致候様、可申段旨も申段候
   
      藤井又市
  右之者逗留中御賄料八人扶持師範之場へ被下置候間、両流槍術厚申合侯様可申含候
   右之通可被申談候 以上
     二月十一日    大目付江
一 前条又一へ御扶持被下置候付、受取方は師範之者通ヲ以受取又一へ相渡侯事ニ相成候て宜旨、御元〆より申聞侯間、是亦権五郎江申談候

二月廿三日
一 左之通両流槍術師範江申談候様、御用番被仰聞候付、則師範へ申談
〔藤井又一へ随従いたし一際出精可頂旨 両流槍術門弟一統へ
〔別段修行被仰付侯、
急度上達いたし候様
 千原虎之助
 鶴岡七之介
 廣川順次郎
 三浦隣雄
 小川陽之進
 菅谷充之進
 町野先三郎
 内藤重馬
 宇津野寅之助
 川越光之進
 佐分利庄之介
 加藤 蔀
 西内赦之助
 井上吉之進

〔前文之通承知之上、厚申合引立候様
 松崎 弼
 坂 兵馬
 吉岡大九郎
 天野藤馬
 川越秀三郎

 明日は藤井又一が福山藩を去るに当ってどのように送り出されたかについて記したいと思います。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

 11月23日(火・祝)福岡県大牟田市民体育館で午前9時半より開催される剣道大会で大石神影流の演武が行われます。  
  
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  1. 2010/11/22(月) 21:25:30|
  2. 武道史

福山藩誠之館一件帳にみる高槻藩藤井又一の動向 2

 昨日に続き、藤井又一について記します安政5年末から福山藩に滞在した藤井又一は4月に福山藩を去り高槻藩に帰ります。このとき福山藩は藤井又一に謝礼とご馳走をしています。金五百疋というのは百疋が1,000文という事ですので約1両1分ということになります。出されている料理もご馳走のように思えます。
 藤井又一は後、万延元年の8月頃に福山藩に約一月くらい逗留したようで、このときは銀二枚を送られています。実力のある武術家にとっては良い時代だったのだと思います。今は武術を昔気質の「武士は食わねど・・・」という気風で行っていると、どんどん貧しくなっていくばかりです。
 褒章をくれる大名はいませんし、古武道の振興を歌っている日本武道館傘下の古武道協会の行事に参加しようと思うと年会費だけでなく交通費等の諸々の出費がかさむ一方です。
 

(安政六年)四月四日
一 槍術修行者摂州高槻藩中藤井又丁与申者、昨年巳来逗留中、爰元門弟引立候処、此度罷帰り候付、誠之館御覧場ニ而御酒被下置候、尤御用人・御役方・文武懸りも一緒頂戴いたし候、且亦金五百疋又一へ被成下候

一 吸物 鯛切身
一 鉢  湯鯛・索麺
一 同  いか・ちさ・木ノ芽・ミそあへ
一 平皿 鯵あんかけ
一 飯  香のもの
一 酒  三升入用之よし

一 前条御給仕御足軽両人御者頭へ掛合持出ス


(万延元年8月10日)
一 藤井又市、廿六日位逗留
   一 銀弐枚相贈ル 


 次の機会には福山藩に槍術の指導に赴いた柳河藩士で加藤善右衛門の甥の谷川進吾がどのような待遇を受けたかを見てみたいと思います。
  
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  1. 2010/11/23(火) 21:25:41|
  2. 武道史

あがる

 演武をするときに「あがる」方が居られます。良い意味での緊張なら多少はあってもよいのですが、過度の緊張は自分が何をしているのかを忘れさせてしまい、真っ白になってしまいます。
 私は緊張する事はあるのですが「あがる」ことはありません。しかし、昨日は久々に、それこそ何十年ぶりかに「あがる」という気持ちを感じました。
 昨日は第37回大石武楽先生追善少年親善剣道大会が大牟田市民体育館で行われたのですが、師命で大石神影流の表十本の手数(形)の仕太刀を務めさせていただきました。全く存じ上げない方ばかり居られ、全く知らない場所ですので、もし、何か失敗したら師の恥となると考えたとたんに少し「あがる」という状態を経験しました。何か失敗というのは、弟子として師にお仕えし、お供する行動の中で粗相をしたり、来賓の方々に師の弟子という立場で気付かずに何か失礼な事をしたりという事なのですが。
 演武が始まるまでその状態が続きましたが、私の場合は演武が始まってからは打太刀の師の動きに集中し、何が起こるかわからない四周へ気が至りますので、演武中に真っ白になってしまうという事態にはなりません。「あがる」余裕が無いともいえるかもしれません。演武はこれまで稽古した以上のことはできませんし、後から省みても稽古中駄目だなと思う動きはそのまま駄目な動きとしてでています。大石神影流の演武の写真を貫汪館H.Pの無双神伝英信流の行事のページに載せましたので御覧下さい。

 ひるがえって指導する師としての立場から言うと、道場で稽古されていて演武の場にでていただく場合には、その方の業前等を全て見極めたうえで演武していただきますので、何が起こっても、また演武における所謂失敗をされても、それは想定の範囲内です。
 したがって、「師の手前」という事は全く考えていただかなくても結構です。よく出来ても、よく出来なくても全ては想定の範囲内なのです。安心して演武していただきたいと思います。

  
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/11/24(水) 21:25:23|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

第21回日本古武道厳島神社演武大会

 第21回日本古武道厳島神社演武大会が11月28日(日)午前9時20分から厳島神社祓殿で開催されます。演武流派は下記の通りです。時程は下の写真をクリックして出てきた画像を大きくしてご御覧下さい。澁川一流柔術はプログラムの一番目に子供が演武し、最後に大人が演武致します。
 毎年冷え込みが厳しいので、見に来られる方は防寒具と携帯用の懐炉が必需品です。

プログラムFile0583


澁川一流柔術(A)
天真正伝香取神道流剣術
沖縄剛柔流武術(A)
神道夢想流杖術(A)
無双直伝英信流居合術
為我流派勝新流柔術
鹿島神伝直心影流
柳生心眼流甲冑兵法
楊心流薙刀術(A)
田宮流居合術
琉球古武術
無比無敵流杖術
沖縄剛柔流武術(B)
柳生新陰流兵法剣術
竹生島流棒術
柳生心眼流體術
直心影流薙刀術
兵法二天一流剣術
尾張貫流槍術
本髄楊心流柔術
タイ捨流剣法
琉球王家秘伝本部御殿手
楊心流薙刀術(B)
宝蔵院流高田派檎術
大東流合気柔術琢磨会
円心流居合据物斬剣法(A)
神道夢想流杖術(B)
起倒流柔術
円心流居合据物斬剣法(B)
心月無想柳流柔術
初實剱理方一流剣術
竹内流柔術(腰廻小具足)
伯書流居合術
糸洲流空手道
鐘捲流抜刀術
佐分利流槍術
澁川一流柔術(B)

  
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/11/25(木) 21:25:50|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

特別展「立花宗茂」-1

 特別展「立花宗茂」が11月13日(土)から1月10日(月・祝)まで福岡県柳川市の御花資料館で開かれています。私は先週末の土曜日と、月曜日の二回見に行ってきました。私は立花宗茂についてはじめ武道史の調査で新陰タイ捨流の免許皆傳であるという事くらいしか知りませんでした。しかもそれを知ったのは丸目蔵人から立花宗茂あての巻物の実物を見たときというお粗末さです。
 武道史調査のたびにすこしづつ知識を得るようになりました。下の写真は「立花宗茂」展のちらしです。クリックしていただくと大きくなります。右側の写真は明治維新後の御花の建物です。
  
   たちばなFile0596 01.jpg


 「立花宗茂」展ではフラッシュを使わなければ写真を撮らせて頂く事が出来ます。もっていったカメラのレンズがズームレンズなので暗く、感度を上げなければならなかったので見えずらいかもしれません。入り口を入ると立花宗茂着用の甲冑と西洋風の兜が迎えてくれます。

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 左から立花宗茂の父高橋紹運、養父戸次道雪、道雪の娘で妻の、そして立花宗茂の肖像です。 
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 展示で目を引くのは刀剣類で良し悪しは分かりませんが逸話とともに伝わる刀剣には美術品としてではなく武具としての威を感じます。はじめの写真は戸次道雪所持の豊州高田住平家盛作の長刀で65.0cm。後方の拵えも室町時代のものだそうで、非常に質素ではありますが剛健さを感じさせます。

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 下の写真の備前長光の剣は立花宗茂が戸次道雪のもとに養子に行く際、父の高橋紹運から、「万一敵味方となった場合は自分を討て、さもなくばこれで自害せよ。」と言って授かったものであるという事です。

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 下の写真はもと「千鳥」という名を持っていましたが後に「雷切丸」と名付けられた無銘の脇差です。道雪が昼寝をしていたところ雷が落ち、落ちた雷路この脇差で切り払ったという由来があります。
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 下の写真無銘兼光。戸次道雪が用い、立花宗茂に譲られ、いつも合戦には使用していたということです。
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 下の写真は無銘ですが立花宗茂の秘蔵であったということです。
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 最後の写真は安吉の短刀で立花宗茂から養嗣子の忠茂に贈ったものだそうです。
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 明日は刀剣以外のものについて紹介します。

  
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  1. 2010/11/26(金) 21:25:47|
  2. 武道史

特別展「立花宗茂」-2

 特別展「立花宗茂」の図録に間違いがあったので御花資料館の学芸員の方に昨日電話しました。まだ気付いておられなかったようで、電話の向こうで随分あわてておられる様子がわかりました。「後日差し替えを送ります。」と言って頂けるのかなと思ったのですが、それどころではない様子だったので、こちらから失礼します。といって電話を切りました。
 間違いというのはNo.8の写真が無銘兼光のものではなく、No,23の脇差の写真と同じものだったのです・・・。

 今日は采配や軍配などの写真です。いずれも立花宗茂所用とされるものです。左の写真は日月梵字軍扇と采配です。軍扇の骨は鉄製で表は日輪、裏は月輪だそうです。采配の房は細く切った城紙です。
 真中の写真は金地三日月軍扇です。
 右の写真は日月梵字軍配です。
 これらを実際にてにして戦場に臨んだのかと思うと感じさせられるものがあります。
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 下の写真の右側は播州住政国作の片鎌槍。右は軍神掛物で、宗茂が陣中に持参した御守本尊であるということです。中央の猪に乗るのは摩利支天、左は将軍地蔵、右は高野明神と思われるとの事です。
 精子が掛った戦場で神々に守護を頼むのは人の心として当然の事なのだと思います。朔日ご紹介した刀剣にもいわゆるキズというものはありませんでした。刀剣にキズがあることは戦場でキズを受けることにつながると考え、瑕の無い刀を求めたのでしょう。
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 最後の写真は霊符です。日本六十余州の大小の神祇の霊符を21枚集めて祈祷したものだそうです。戦場を往来した武士は少しでも自分を守るものが必要だったのだと思います。
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  1. 2010/11/27(土) 21:25:17|
  2. 武道史

特別展「立花宗茂」-3

 特別展「立花宗茂」についての最後の報告です。今日は鎧兜です。
 左は立花宗茂所用「鉄しぼ革包月輪文最上胴具足」、朝鮮出陣の折に着用しているという事です。中央は立花宗茂所用「伊予礼縫延栗色革包仏丸胴具足」、関ヶ原合戦の直前頃の製作と考えられるということです。右は立花忠茂所用「碁石頭伊予札縫延丸胴具足」
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 立花家では武具類が大切に保管されていたようでいずれも古さを感じさせません。次は兜です。左の兜は「黒漆大文字形兜」で大の字は末広がりを意味します。髑髏は武具などに良く用いられていますが、いつでも屍をさらすという覚悟を示すものだとよく説明されています。右の兜は神仏の加護を得る事をモチーフにした「黒漆兜巾形兜」で修験道の山伏がかぶる兜巾をつけ後方には利剣をかたどった後立をつけているということです。

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 次の左の兜は「黒漆塗烏帽子形兜」で烏帽子に鉢巻をさせています。右は「黒漆塗獅子頭形兜」で見て分かるように獅子の頭をかたどっています。四つの兜はいずれも江戸時代初期頃のデザインであるという事で、よく保存されています。

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 以上で特別展「立花宗茂」の報告を終わります。歴史は文献から学ぶ事が出来ますが、これらの当時のものを見る事によってより理解が深まります。機会があったら博物館等で学んでください。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

  
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  1. 2010/11/28(日) 21:25:47|
  2. 武道史

第21回厳島神社日本古武道演武大会について

 日本古武道協会主催、第21回厳島神社日本古武道演武大会が昨日厳島神社祓殿で行われました。例年のように澁川一流柔術も一番初めに子供の演武を、最後に大人の演武をさせていただきました。
 子供達の演武は今までの中でも最高の出来で、大人よりも立派な演武が出来たと思います。子供達は純粋で出来なくとも私見を交えることなく教えられたとおりに行おうとするひたむきさがあります。この素直な心が演武を立派なものにしているのだと考えます。
 今後も子供達の素直さを失わせないよう、どんどん伸ばしていきたいと考えます。
 大人の演武も稽古した内容がそのまま出ており特に気負いすぎる事も無く、緊張しすぎる事も無く80%以上の出来であったと思います。欲を言えば仕事等の都合で稽古量の少ない方は、稽古量に応じた演武しかできないのが実状です。道場で稽古する時間が十分に確保できない方は、一人稽古を怠らないでいただきたいと思います。
 他流派の方は非常に良く稽古を積まれておられ、稽古量を大いに参考にさせていただかなければならないと思います。また直真影流薙刀術の演武は太刀と薙刀の間合の取りようが絶妙だと感じました。昨日演武に参加された方は様々な流派を見学されて感じるところがあったと思います。今後の稽古に活かしていただきたいと思います。
 厳島神社で演武が出来ましたのも楊心流薙刀術の皆さんのおかげですので感謝を忘れてはならないと思います。
  
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  1. 2010/11/29(月) 21:25:46|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

左刀

 大森流の初発刀・左刀・右刀・当刀は基本中の基本ですから簡単だと思ったら大きな間違いです。基本が出来れば応用は簡単に出来るくらいの難易度の高い形がはじめに稽古する形なのです。
 とくに左刀で苦労される形が多いようですので少し述べてみます。初発刀・左刀・右刀・当刀ともに抜くという原理は同じものです。左足がでようが右足がでようが抜くという観点から見た場合に同じ動きでなければなりません。右足が前にでている場合には比較的半身が出来易いのですが、左足が前に出て抜付ける時にはややもすれば敵に正対しがちになります。
 敵が左90度の位置にいるからといって左腰が90度左に向くだけでは抜付けの要件を満たしません。これでは正対するだけであって半身にはならないのです。したがって左腰は90度以上に開かなければならないのですが左足が前にあるばかりに90度以上に開く事を難しく感じておられるようです。
 難しく感じるのは抜こうとしてそけい部に力みが入り股関節が固まってしまうからです。したがってこのような状態にある人は刀を抜こうとは考えず、ただ股関節の力を抜き左足の股関節を自由にしてやるのが早道です。
 抜付けは己が抜きつけるのではなく体を使った結果自然と発するものです。
 しっかり工夫してください。
  
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  1. 2010/11/30(火) 21:25:05|
  2. 居合 業

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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