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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

諸刃の剣

 武道、特に古武道をする人の中には下記の症状に当てはまる方がいるように思います。古武道をしたい方にそのような比率が高いのか、古武道をするようになってそうなるのかはわかりませんが、両方のような感じも受けます。

行動に対する責任が取れない
罪悪感が皆無
良心が大きく欠如している
他者に共感せず冷淡
平然と嘘をつく
口が達者で表面は魅力的
自尊心が過大で自己中心的
想像力が異常に旺盛で、空想を現実よりも優先する
弁舌が淀みなく、人を驚かす言説を好んでなす。
一見才能があり博学であるが、その知識は他人の話からの寄せ集めである。
自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さない。

 これに当てはまる方を何人も見てきています。大きな組織を作ってているわけでもないのに、いかにも大きな組織をかたりその代表者を名乗ったり、自分が絶対だと人の言説を否定しておいて、なおかつ自分が正しいのだからとそこから情報を得ようとしたり、学者めいた口調で話したり・・・。

 このような兆候に自分が当てはまっているのに気づいたら、自分を冷静に見つめなおさなければなりませんし、近くにいる人物にこのような者がいたら必ず距離を置かねばなりません。

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  1. 2017/12/01(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

抜き付けは一拍子

 無雙神傳英信流抜刀兵法の指導において序破急という言葉は用いません。初めから終わりまで一拍子です。
 居合では一般に序破急という言葉が用いられるためか、貫汪館で稽古される方の中にも鞘から切先が離れるころに一段とスピードを増して早く鋭くと、勘違いされ、なおかつ手の内を握りしめている方がおられますが、すべてはじめから終わりまで一拍子です。詳しくは良く指導を聞いてください。

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  1. 2017/12/02(土) 21:25:00|
  2. 居合 業

斬られる覚悟

 澁川一流柔術は形の構成から最終的には刃物に対する技術を身につけるようになっています。
 素手で刃物に対することは非常に困難で、素手と素手であれば致命傷にならなくても軽く触れられただけで致命傷になる可能性があるのが刃物です。また、考えておかねばならないのが刃物を持っている者もまた刃物の遣い方になれている者であるということです。
 「打込」を始めて稽古する方の中には早々とその位置を変えて刃物を避けようとしたり、早くから手先で相手の手首を取ろうとしたりする方もられますが、これでは物を持っている方がその動きを変化させたり、手首を切りに来たりします。心を落ち着けて(一度死んだものだと覚悟して)相手の刃筋をよく読み対処する稽古を重ねなければなりません。

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  1. 2017/12/03(日) 21:25:00|
  2. 柔術 業

血振い

 自分の流派の考え方に基づいて他流派の動きを理解しようとしても理解はできません。それぞれの流派にはそれぞれの流派の考え方があるからです。
 とある居合の流派の方が無雙神傳英信流抜刀兵法の大森流の血振いが植田平太郎先生が記された「刀を右外より廻し肩の後ろへ釣下げ」とある切先が床を這うように(切先が鍔もとよりも低く)巡り、血振いの前には切先は引力に引かれて下に向いた状態にある動きをみて、あの動きは理解できぬと何度も言われるのを聞きました。
 しかし、字義通りに血振いであるとすれば、その方の流派で行われているように血振いの前の動作で切先を上にあげてしまえば、血を払うどころか、刀身についた血は鍔もとに下がってきて、下手をすれば自分の右手を血で濡らすことにもなりかねません。たとえば傘についた雨を払おうとして、予備動作として傘の石突を高く上に挙げてから降ろうとすれば、水は手元に流れてきてしまいます。
 流派によって理論は違うのですから、私達はたとえ近い流派であると言っても異なった流派の動きを軽々に口にすることは慎まなければなりません。

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  1. 2017/12/04(月) 21:25:00|
  2. 居合 業

植田平太郎先生

 植田平太郎先生に関して中山博道先生の「随身門人」で、中山博通から居合も習った。中山派の居合である。という愚にもつかない言説があるようなので正しておきます。略歴は以下の通りです。植田平太郎先生は地方にあって地方における稽古で中央に通じる剣道の実力を身につけた方として知られています。

 植田平太郎竹生先生の略歴は『皇太子殿下御誕生奉祝 昭和天覧試合』37)の「武道家名鑑 剣道之部 範士」に記してあるので、そのまま引用します。

神道流
明治十年十月香川県に生る。實父に就き神道流剣道を、酒井親時に就き宅間當流柔道を修行何れも免許皆傳を受く。後武徳会本部に於いて剣道修行、同四十四年剣道精錬證を、大正八年六月剣道教士の称号を拝受、同年七月より高知県細川義昌先生に就き無双神傳流抜刀術を学び同十二年皆傳を受く。昭和四年五月御大礼記念武道天覧試合には剣道指定選士として出場の光栄に浴し、翌五年五月剣道範士の称号を拝受し、同年七月居合術精錬證、同六年五月居合術教士の称号拝受。同九年五月皇太子殿下奉祝武道大会には審判員並に特選試合出場の光栄に浴す。(現住 香川県高松市六番丁二四)

 居合に関しては『剣聖植田平太郎伝』の「居合術の師、細川翁を囲んで」の項に次のように記されています。

植田先生の居合術はまた、実に見事で、凄いというよりも、その型の美しいことは比類がなかったといわれる。
居合は、大正八年六月ごろから習ったが、その師は、居合の名人といわれた高知県吾川郡春野町秋山の、故細川義昌翁であった。細川翁は、長谷川英信流の達人であったが、人に教えない、弟子をとらないので有名であった。中山博道範士と、植田先生の二人だけにしかその真技は教えなかったといわれる。中山範士は、のち居合の第一人者となったが、これには中山範士の自己流も多少入っていた。ところが、植田先生の居合は、まともに細川翁の流れを、そのまま受けついだ唯一人の門弟で、…以下略

 植田平太郎が中山博道の「随身門人」であったというのは自流を尊しとして飾りたいための捏造でしかありません。中山博道がどのように細川義正から居合を習ったかは、その日記に明らかで、なぜ細川義正の教え通りではないのかという理由もわかりますが、現時点では公開しません。

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  1. 2017/12/05(火) 21:25:00|
  2. 居合 総論

此土藩人程ノ壮快ハ見ヘズ

 再び随筆等の記述を見ていきます。
 岡鹿門の『在臆話記』に武術について次のような記述があります。文中に吉田東洋暗殺が新聞(新しい情報)とありますので、土佐藩において他流試合が解禁されて程ないころのことでしょう。

 上方にいた頃、仙台藩侯の側近の守屋、甲田の2名が四国九州を遊歴するために藩侯の命を受けてやってきたので、摂津の海の海岸防備に当たっていた千人以上の土佐藩の陣営を見に行った。土佐藩の兵士は正規の兵士ではなく書生であった。
 守屋は狹川の新陰流を伝授されていたので名刺に剣客と書き、甲田は砲家と書いた。それで土佐藩士は廻国修行のものと思い、撃剣場に案内し、試合を請うた。相手は4.50人いた。
 新陰流は藩主代々の師範家で他流試合は禁じられているといったが、奥州弁であったためか是非にと試合をさせられることとなった。狹川流は細い丸竹の撓竹、一刀流は竹を割いたものを革袋に包む太いものを用い、両手の握りに余る。
 甲田は1試合目は面と左右の胴を打たれ、2試合目も胴を打たれ、3試合目は1間ほど蹴飛ばされた。その後も我も我もと試合を臨んできたが、甲田は面を捕り試合を断ったが、言葉が違うので通じない。そこで自分が新陰流は他流試合を禁じており本人はすでに疲弊しているので諸君の演撃を拝見したいと言って断った。
 土佐藩の稽古は激しく、勝敗が決しなければ組打となり、気力のあらんかぎりを尽くす。自分は斎藤・千葉の道場で稽古を見ているが、「此土藩人程ノ壮快ハ見ヘズ」
 仙台藩の澁谷・狹川の撃剣は児戯のようである。

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  1. 2017/12/06(水) 21:25:00|
  2. 武道史

下緒

 水戸藩小宮山楓軒が文化8年から文政4年に記した『懐寶日札』に白河藩の士について次のようにあります。

 白川藩では侍以上は刀の下緒を必ず下げる。雨天には蛇ノ目傘をさす。羽織の紐の色で格式を分ける。5年の間に武士の風俗が良くないものを170人追放した。

 上記のように記されているという事は他藩では下緒をつけていない武士もいたという事でしょうか。最近のものに武士は傘をささないと書いた本もありましたが、これでその記述は間違いだとわかるでしょう。
 170人追放という事はその期間に170人が浪人となったという事でしょうから、この人たちの生活はどうなったのでしょう。

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  1. 2017/12/07(木) 21:25:00|
  2. 武道史

飢えと食事 / JA広島総合病院

 同じく『懐寶日札』に天明の飢饉で飢えた人が新米を急に食べて死んだ者がある。心得るべきことで、粥にして少しずつ食べその後に飯を食べるべきだとありました。
 航空自衛隊の幹部候補生学校でレスキューの教官にも、遭難して何日も何も食べていない者にいくら欲しがっても固形物を与えてはいけない。重湯から徐々に。また何も飲んでいない者に大量の水を与えてはいけない。少しずつと習いました。

 私は病院で3週間近く何も食べず点滴で暮らしたのちに、高野豆腐とほうれん草と野菜の煮びたし、三分粥を食事に出され、胃にとどまって消化せず、胃から吸い出された経験があります。幹部候補生学校で多少の知識を得ていた私は食事が出された時には特殊な食事かと思い医学が進歩したのかと思いましたが念のため一口100回以上咀嚼しました。それでも無理でした。JA広島総合病院の外科医にはそんな基礎的な知識もなかったらしく、その後再び数日点滴が続いたのちに、患者の私に「もう食事を出してもよいですか。」と尋ねられたことがあります。
 憩室出血が止まらず、内科で安静にしていたのですが、出血が止まらないため、内科医の判断で出血部分を切除することになったのですが、そのときの内科医の判断で出血部位は大体わかっているので少し広めに切除しますと言われたのちに外科にまわされた時の出来事です。
 内科医の説明とは異なり、関係のない小腸の一部と盲腸、上行結腸の全てを切除されてしまいましたが、何故そのように広範囲に切除したかという説明はその医師から何も行われませんでした。廿日市市にあるJA広島総合病院の外科の中村医師の執刀です。外科医を選べるシステムが作られなければこのようなことは繰り返し起こると思います。

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  1. 2017/12/08(金) 21:25:00|
  2. 武道史

居合とはへちまのかわのたんぶくろすっかりとしてみはどっちやら

 「へちまのかわのたんぶくろ」とは役に立たないものの譬えにつかわれるようですが、これについて『懐寶日札』は次のようにあります。

 べちかんという茶人がいつも革の袋に茶器を入れて持ち歩いていた。これを言ったものである。

 これがどのように役に立たないものという意味になったのかは記されていません。

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  1. 2017/12/09(土) 21:25:00|
  2. 武道史

敵討ち

 『懐寶日札』に神道無念流が敵討ちの世話をしたことが三度あったと記されています。
 一度目は戸賀崎の時に江戸の神楽坂で富吉の敵討ち、二度目は岡田の時に奥州須賀川の兄の敵を討った大島常吉、三度目は常州平方で父の敵を討った川越両原村の相撲取り久太郎の子の小十郎のとき。小十郎は松平大和守に仕え100石取となり原小十郎と称した。
 神道無念流の門人が多くなったのは一度目の敵討ちが契機となっているのはご存じのとおりです。

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  1. 2017/12/10(日) 21:25:00|
  2. 武道史

田宮流と一宮流

 『懐寶日札』に田宮流についての記述があります。

 木内彌介は田宮流後手付仕方を和田平助に相談して、和田はそれも尤もであると言って、一派をなさせた。
 紀州に田宮平兵衛の子孫がいる。その流儀はたいてい一宮流に似ている。

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  1. 2017/12/11(月) 21:25:00|
  2. 武道史

会津の武藝は

『懐寶日札』に北原甚五衛門の話として

 「会津の武藝は一流限りにあらず。他流と勝負を試み仕合することなり」
 会津藩では他流試合が進んでいたのかもしれません。

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  1. 2017/12/12(火) 21:25:00|
  2. 武道史

仙台藩の編笠

 『懐寶日札』に仙台藩の武士の風俗について次のようにあります。
 
 編笠をかぶって歩行する武士が多い。これは忍ぶ姿であって、途中にだれと会っても礼をすることはない。
 編笠をかぶらないときには手討ち(無礼討ち)にすることもあるが、そばに証人がおり余程の無礼がなければ手討ちにはしない。
 相撲取りの谷風の子が通り過ぎるのを見た。普通よりも大きな体で、今は仙台藩士となり両刀を帯びて羽織袴を着用している。従僕はいなかった。谷風33年忌の時には江戸の相撲取りが皆仙台に来て興行を行った。

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  1. 2017/12/13(水) 21:25:00|
  2. 武道史

宮城野・信夫の仇討

『懐寶日札』に白石の宮城野・信夫の二女の敵討ちについて次のように記されています。

 先年ある人が白石で宮城野・信夫の二女の父の仇である志賀団七に対する敵討ちについて尋ねたところ、答えるに、白石領二十七村にそのようなことはなく狂言零綺語の作りごとであると言った。
 自分がこのことを白石で問うと、これは白石の国制で他に語るべきではないのだけれどと、ひそかに語った。それによると、志賀大七という武士が殿の名代として白石に参詣の帰り道での出来事である。白石の東で百姓の與太郎とその娘が草取りをしており、娘があやまって泥土を大七にはねかけてしまった。大七は殿の名代にと憤り、與太郎が詫びるにもかかわらず與太郎を手討ちにしてしまった。この與太郎は元上方の武士であったが身に寸鉄も帯びていなかったので討たれてしまった。二人の娘は江戸に出て剣術を学んだ後に立ち返り、仇討を願い出た。そこで西町に柵をこしらえてその中で勝負させ二人の娘は大七を討ち取った。その後二人は剃髪し殿より扶持を授かって一生を終えた。
 白石の民は質実で、国制を守り他言しないのは感心すべきことだ。

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  1. 2017/12/14(木) 21:25:00|
  2. 武道史

或る剣術者の指南に

 『牛の涎』は元禄3年(1690)に生まれた江戸深川の儒者小倉無隣による随筆で、延享2年(1745)に全編が、宝暦5年(1755)に後編が成立しています。その『牛の涎』に次のような記述があります。

 ある剣術者の指南に「小鬢を少し切らせて敵の首を斬り、敵に我が股を突かせて敵の胴腹を突くべし。これを印可という」とある。しかしこのようにいくとは限らない。俗語に「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というようにまず自分の首も胴も先に敵に渡してしまうべきである。そのうえで敵に先んじられてもあらかじめ敵に差し出した身であるので自害も同然で後悔はないものである。もしこちらが先んじれば大幸である。勝負は兵家の常であるので勝っても珍しいことではなく、負けても恥辱ではない。ただ義に勇のを剛の者といい、義を知らないのを腰抜けという。

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  1. 2017/12/15(金) 21:25:00|
  2. 武道史

足軽、中間の類には

 『牛の涎』に次のようにあります。

 足る、中間の類には剣術よりも棒術をもっぱら修練させるべきである。雑兵大勢をかり集めたときも刀剣は少ない。竹木は山林藪にたくさんあるものなので常用に調いやすい。また平和なときにはなおさら刀剣よりも棒の方が役に立つ。

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  1. 2017/12/16(土) 21:20:00|
  2. 武道史

心気兵器に発動す

 『牛の涎』に次のようにあります。
 ある剣術者の指南には敵の兵器を見ずに敵の顔色を見よと言い、また他の者は敵に兵器を見ずに敵の心気を見よという。しかし、これは皆了見違いである。ただひたすら兵器を見るべきである。これを「敬一」という。気はただ一つに立つものであり、それ故に兵器をとるときは心気は兵器に発動する。兵器を転移するときには兵器以外に心気はない。兵器を用いず手で打つ時は心気は手にあり、踏むときには心気は足にあり、噛むときには心気は歯にある。敵は具足を着して面顔を隠し、盾を持って身を覆うので見ることはできない。兵器のほかに心気は見えない。

 単に手にする兵器を見よと言っているのではなく、兵器にあらわれる心気を見よと言っています。しかし、普通であれば手にする兵器の動きに心を奪われてしまい、兵器の心気を見るに至りません。このような考え方を初めて見ました。

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  1. 2017/12/17(日) 21:25:00|
  2. 武道史

礼と法

『牛の涎』に次のようにあります。

 ある人が問うた。敵を見たら真直ぐに進むべきか。答えは不可である。また問うた。敵を見たら退くべきであるか。答えは不可である。
 ではどうすればよいのでしょうかと問うた。
 「敵を見たら礼に従って進み、法に従って退くべきである。」

 難しい教えですが、武を学ぶものはそうあるべきでしょう。

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  1. 2017/12/18(月) 21:25:00|
  2. 武道史

望の方は御出可有 相手に成可申

 『牛の涎』に次のようにあります。この話は筆者が大阪にいたときの睦ましくしていた人々のことという事ですから実話であろうと思います。伊予松平家の財政を立て直した銀方の唐沢家の唐沢久衛門が目付好川番伴助に寝込みを襲われ惨殺された事件の余話です。この唐沢久衛門の内室の兄で高槻藩で300石であった柳原という人物についての話です。

 この柳原が不首尾を起こし浪人し、大阪に出、また、江戸に出て剣術指南をした。柳原は背が低く頭は大きく、耳が不自由であった。江戸で三か所に絵馬を掲げ木刀を掛けその下に剣術流儀の自慢を書き、「望の方は御出可有 相手に成可申」と記した。所は浅草寺であったが、他の2か所はどこであったろうか。
 そうしたところ、前橋の松平大和守の侍医の18歳になる子が大兵で剣術に自信があり、勝負に出かけた。剣術指南の弟子は5.6人勝負をしたが負け、また。指南していた柳原も負けてしまったので、若者は三か所の絵馬を外し、そこに書付をした。
 柳原は江戸におられなくなり、また大阪に戻った。

 この話は、鏡新明智流の初代の話とも類似していますが、この話が鏡新明智流の話とされたのか、同じようなことがあったのか、どちらでしょうか?

 江戸時代の書籍の考察は、少しお休みします。

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  1. 2017/12/19(火) 21:25:00|
  2. 武道史

 人の縁は不思議なもので、正しい方向に物事を進めようとしていれば、そのような縁をさずかり、私欲に基づいて物事を進めようとすれば、そのような縁が生じます。
 正しい方向に歩もうとしてできる人の縁はさらに縁を生んでいき、世界が広がりますし、私欲に基づいたものであっても、その縁の広がりはでき、それなりに満足することもできます。
 環境が変わっていけば、自分も変化していきます。
 このような縁を結んでおられるのが毎年奉納演武をさせていただく出雲大社にまします大神様です。

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  1. 2017/12/20(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

苦手意識

 貫汪館では無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術の居合・柔術・剣術の三つの種目の武道を稽古しています。
 このなかで特に何かの種目に苦手意識があるとすれば、実は他の種目の武道も自分で考えているほどできてはいないものです。刀を手にするのが苦手だという方の柔術の手の内はその程度でしかありません。剣術は何とか出来ているが居合は、と思う方は剣術でも正しい動きはできておらず我儘な動きをしています。鞘の中に刀がないので自由になっていると錯覚しているにすぎません。
 ある程度満遍なくできなければ、自分が得意だと思っている種目にも大きな欠点が存在します。

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  1. 2017/12/21(木) 00:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

居合刀

 居合刀というのは本来居合のための刀という意味で、稽古用の模造刀という意味ではありませんが、模造刀について述べます。江戸時代には合金製の模造刀はありませんので当然真剣を稽古に用いましたが、刀鍛冶が正規に打つものですので傷はあったとしても、野鍛冶が刀の形に似せて打ったものを用いたわけではありません。細川義昌の父親である島村義郷の日記にも銘がある刀を居合刀にしたことが記されています。
 ずいぶん前の居合刀(模造刀)にはいい加減なものもあり、手にしても、ぼてっとしてどこに重心があるのか、中心が通っているのかいないのかよくわからないものがありました。おそらくは刀身の中にすがあったりして、バランスが偏っていたり、均一な合金でなかったり、メッキに偏りがあったのではないかと思います。
 このような居合刀(模造刀)は現在にはないのではと思いますが、粗悪なものを使っていると上達する者も上達しなくなってしまいます。居合刀(模造刀)と言えども選ばなければなりません。

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  1. 2017/12/22(金) 21:25:00|
  2. 居合 総論

日常生活

 道場以外の場を稽古の場と考えたり、道場での稽古を活かす場と考えることができる方は上達が早く、別物と考える方は上達は遅くなります。
 例えば道場では礼をするときに師や先輩より早く頭を下げ、遅く上げることができても、食事に一緒に行った時に、我先に箸をつける方は、道場と日常生活が別物であるために、上達は遅く、周りを見て箸をつけることができる方は道場の稽古が日常生活と通じていると言えるでしょう。
 また、日常生活で周りの状況を見て取ることができない人は、稽古で打太刀がいるのに自分の動きしか考えない方でもあります。
 稽古と日常生活はつながっています。

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  1. 2017/12/23(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

気合

 有声の気合は無声の気合に音が乗るものと考えてください。
 ただ大きな声を出さなければならないと思い、自己満足にすぎない乱暴で粗雑な声を出せば、体は緊張し、動けなくなってしまいます。大きな声を出すのが良いのではなく瞬間的に吐く息に音が乗った結果、大きい声が出るのであって大きい声を出すことが目的ではありません。

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  1. 2017/12/24(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

正対してしまう

 大石神影流剣術や六尺棒などの構えでは相手に対して正対することはなく、半身に構えます。
 下半身の両つま先が開いているにもかかわらず体が正対しようとしているときは後方の足が床を蹴り、膝や大腿部、股関節に力みが入り上半身をひねっていることが多いので確認してください。

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  1. 2017/12/25(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

繊細さ

 自分の動きが良くなっているにもかかわらず、頭で計算して今まで通りのことをしていたらかえって崩れてしまいます。
 下半身が緩んで、その結果自然に歩幅が取れるようになっているにもかかわらず、無理やり歩幅をとろうとすれば敵との遠近はうまくいきません。
 構えが良くなり上段からはただ落とすだけになっているのに、今まで通りの振りをしていたら無駄な動きがより強調されて遅くなってしまいます。
 そのようになるのは自分の変化に気付いていないためですから、繊細に自分自身を感じ続けていなければなりません。

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  1. 2017/12/26(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古は積み重ね

 初心者は早く上手になりたくて、上級者の物真似をすることがあります。
 上級者の気合が大きいのは大きい声を出そうとしているのではなく、呼吸に音が載って自然に大きい気合になっているのも拘わらず、物真似をして無理やり大きな声で怒鳴って体が固まって不自由になる。
 上級者の刀の動きが早いのは無理無駄なく動いていて結果として早いだけで体の中心を保っているので体感としてはゆっくりであるのに、真似をしようとして小手先であわただしく刀を動かす。
 その他多くのことがありますが物真似は物真似であり、稽古を積み重ねた結果そうなったのではないのですから、簡単に崩れてしまいます。指導されたとおりに着実に稽古していけば知らず知らずのうちにそうなっていきます。

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  1. 2017/12/27(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

乱暴な稽古

 柔術の稽古で、相手を無理やり投げつけたり抑えたり、してはなりません。稽古の時には常に相手を思いやらなければなりません。相手をいたわらなければならないのです。
 稽古相手が、抑え投げられようとするときにそれに対して抵抗して我慢したり、意図的に(形以外の動きで)何かしようとする場合、相手が大きく崩れてしまうのは仕方ないかもしれません。それでも相手をいたわって稽古しなければなりません。澁川一流柔術では見栄えよくするために、抵抗したり我慢したりしていない相手を、投げつけるような稽古や演武はありません。
 剣術や太刀打、柔術の得物を用いる稽古も同じです。相手との関係性を無視して、我儘に打ち込んだり斬り込んだり突くことはありません。そのような稽古は自分の「我」を大きくするだけの稽古にすぎません。
 自分がどのような稽古をしているか振り返ってください。

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  1. 2017/12/28(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

説明

 貫汪館の武道 無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術を稽古して何かを得た人は貫汪館の武道の特徴あるものであるという事を感じてくださるのですが、一般の方に他との違いを説明しようとすると、難しいと話されます。
 一般の方の古武道に対する先入観が強すぎて、違いを説明しようにも実相をうまく説明できないのです。精神的な面を説明しようとすれば宗教的になり、動きの面を説明しようとすれば体育的なものから遠ざかった不可思議なものになり・・・。
 見てわかる人には良いのですが、大多数の一般の方は見てわかりにくいのが貫汪館で稽古している武道なのです。

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  1. 2017/12/29(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

経験

 貫汪館で稽古を始められる方の中にはそれ以前に他の武道を経験されている方も多く居られます。この経験がうまく生きる場合と足を引っ張る場合があります。
 うまく活きる場合は他武道を経験していても、まったくの初心者であるという自覚のもとに稽古される場合であり、その場合には一つの物事を多角的に見て吸収することができます。
 他武道の経験がうまく活きない場合は、自分が経験してきた武道に自信がある場合で、そのような方は貫汪館で稽古を始められても自分が積み重ねた経験に基づいて貫汪館の武道を稽古されるため、他の武道が足を引っ張ってしまい、貫汪館の武道に不必要な色を加えてしまいます。しかし、そのような方でも、初めの内は経験が多少は役に立つので自分がそうなっていることには気づきませんから余計に習得が遅くなってしまいます。
 難しいものです。

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  1. 2017/12/30(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

省みる

 今年も終わります。歳を重ねて来ると、毎年巡ってくることなので特に感慨もありませんが省みるには良い節目であると思います。
 今年1年で自分自身に変化はあったのか、ただ稽古を重ねただけで、上達したと錯覚はしていないか。精神面で自由になっているかどうか。体も自由になっているかどうか。
 省みることはたくさんあると思います。来年に生かしてください。

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  1. 2017/12/31(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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