貫汪館の方は人に自分が刀を持っているということを自ら言うことはありませんが、状況によってそのようなことになった場合、それを聞いた人が「刀は心を落ち着かせるのものですか。」とか「美しいものですか。」と聞かれれば、刀を持っている人が正しく普通の人として感じられているということです。しかし、「斬りたくなりませんか」というような質問をされたら、その人は自分の修業を見直さなければなりません。その人に凶気が宿っているか、普通の人には見えない何か異質なものがあるからそのような質問をされてしまいます。
自分がどのような思いで刀を用いて稽古しているか自分自身に問うてください。
- 2021/02/01(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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昨日記したことと同じようなことですが、古武道を稽古しているとわかると、古武道が何かを知っている大方の方の反応は「伝統文化を稽古している」とか、「武士が行っていた古いことをしている」というものです。右翼だとか民族主義だという反応をされることはありません。
もし、貫汪館で稽古される方が、ほかの人に国粋主義者だとか、右翼だというような印象を持たれたのだとすると、古武道にではなく、稽古している人自身にそのような傾向があるのだと思い、自分自身の言動を振り返ってください。
- 2021/02/02(火) 21:25:00|
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武道を稽古する人は言動を慎まなければなりません。自分の言動が敵を作り、争いに至ることもあるからです。武道を知らない相手と争いが起これば、武道を知る自分が悪い人間となります。相手が武道を知る人間であっても喧嘩両成敗、負ければ恥です。
争いを起こさないためには言動を慎むことが武道を稽古する人には求められます。表現の自由があり、自分が正しいとわかっていても言動は慎みます。議論を吹っ掛けたり、これ見よがしに相手に知識を披露すれば必ず相手は気分を害します。もし正しいことを広めたいのであれば、だれかを相手とするのではなく自分の考えを論文にしたり、本にしたりして広めれば済むことです。
- 2021/02/03(水) 21:25:00|
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日本古武道振興会や日本古武道協会の演武会での流派解説を聞くと、自分の流派の歴史を間違っていたり、意図的に改変したのではないかと思えるものがあります。
なくなっている人物が明治時代に生きていることになっていたり、どう考えてもその時代にその人物がその地域で教えているはずもないことが史実とされていたり、様々です。そのような間違ったことを語らないためにも自分が稽古している流派の歴史について時代背景も含めしっかり勉強してください。
また、ことさらに自分が稽古する流派を持ち上げようとする気持ちを持つことも禁物です。自分の流派が凄ければ自分が凄いと思いたいのでしょうが、そのような気持ちから嘘、偽りが生まれてきます。
- 2021/02/04(木) 21:25:00|
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物事は形、外形から入りますが、その形の理が自分のものになったら、形から離れてもおのずと形になります。しかし、いつまでたっても初めの形にこだわり安住し、不自由なままである方もおられます。むしろ初めの形にこだわるばかりに、より(自分なりに)洗練した不自由な形としてしまう方さえいます。
理がわかれば初めの形から離れなければ本当の形は会得できません。
- 2021/02/05(金) 21:25:00|
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銃剣道をしていて現在の銃剣道の動きと教えていただいた旧軍の軍人さんたちの動きが異なるのを感じていましたが刃のない棒の先で防具を強く突くのと、刃物で体で突き刺す動きとの違いだったのだと思います。現在の銃剣道の動きのほうが激しいように感じられますが、旧軍の軍人さんたちの木銃の動きは素直で濁りがなく、無駄な力がなくまっすぐに心臓に向かってきていました。
この違いが判る人がどの程度いるのかはわかりませんが、これを剣術に置き換えると竹刀で打つのと竹刀を刀の代わりとして斬るのとの違いだと思います。大石神影流の防具着用の稽古ではしっかりとした本物の稽古をしてください。ここがあいまいになると防具着用の稽古は弊害になってしまいます。
- 2021/02/06(土) 21:25:00|
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ウエブ上の画像を何の断りもなく盗用し自分のサイトに載せる方もおられるようですが、貫汪館で稽古されている方はそのようなことは絶対に行わないでください。
私がウエブ上で載せている武道史関係の伝書や肖像は、利用する許可を得ていますが、それを第三者が勝手に引用したり、加工して用いることはできません。所蔵者に許可を得ていないからです。私が許可をえているものの中には個人の所蔵品も多くあり、ご先祖のものもあります。法的解釈によってさまざまなことがありますが、基本的に他者の画像を断りなく連絡することもなしに、状況もわからず用いてはなりません。道義的にも反しています。
貫汪館で稽古されている方は心してください。
- 2021/02/07(日) 21:25:00|
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土佐の居合がお留め流であったと、何の根拠もなく自分が稽古している流派を素晴らしく見せるために言う方がいますが、貫汪館で稽古される方はこのような言説には十分に気を付けてください。
これまで高知県に何十回と足を運び、武道史の調査をしていますが「お留め流」などと記した古文書を見たこともありませんし、土佐史談会の機関紙である「土佐史談」や郷土史関係の書籍、高知県史やその他の市町村誌にもみたことがありません。居合の実技関係の歴史を研究したことがない方の比較的新しい書籍に出て来るのみです。
このようないい加減な言説があるから古武道は文化として認められがたいという面があると思います。正しい歴史認識をもって稽古してください。
- 2021/02/08(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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土佐の居合に関して下村派 谷村派 などという言葉も高知の古文書にも「土佐史談」にもでてきません。いったい誰が言い出したことなのかも定かではありません。
天保の初めに教授館総裁が見分しているのは山川久蔵の弟子たちと林八郎次(文化文政の頃に活躍した人です)の弟子たちです。林八郎次は天保2年に亡くなります。天保5年になって初めて谷村亀之亟の名が出てきますので、その間は谷村亀之亟は土佐藩の師範としては認められていなかったのでしょう。
土佐藩の藩校文武館ができたのは文久2年です。文久元年に谷村亀之亟は居合導役になっています。その年に谷村亀之亟は亡くなりますので、文久2年に子の自脩が居合導役になります。しかし同じ年に亡くなっています。
山川久蔵は文政3年に居合指南役になっています。指南役は導役よりも上位の役職です。
下村茂市は文久2年に居合導役となり、明治元年に指南役になっています。
もし下村派 谷村派 というのであれば谷村亀之亟ではなく、その子の谷村自脩と下村茂市を対比させたということになりますが谷村自脩が居合を教えた期間は2か月です。導役になった月を比べると下村茂市と2か月しか重なっていません。谷村亀之亟は導役となった年月からすると下村茂市とは1か月しか重なりません。
活躍した年代が重ならないのです。どうしたら下村派 谷村派 となるのか不思議です。両派を修めたといいたい人がいるのでしょうか。
- 2021/02/09(火) 21:25:00|
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何度も道標で手の内について記していますが、まだ軽く考えている方がおられるようなので記しておきます。
手の内は体と刀や体と棒などをつなぎ、それらを自分の体の一部とするために大切な働きをします。握り込んでしまうと刀や棒は物としてしか扱えなくなり、自分の体の一部とはならなくなってしまいます。ここを理解できない、理解しようとしない人は
自分が刀や棒を扱うという実感に満足を感じてしまう方ですので、の残念ながら貫汪館の三つの流派にはむきません。
あらためて自分が何をしたいのかを自分自身に問うてください。
- 2021/02/10(水) 21:25:00|
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古武道に古武道という名称が付せられたころから古武道は武道としてだけではなく、文化としての価値も付与されています。
武道という観点のみから見れば、その技は時代に応じて変化していくものですが、古い文化を保護・保存するという考え方からすれば、稽古によって技を深化させることはあっても、新たに時代に応じて流派の体系や形を変化させるということはすべきではないことです。そこが現代武道と古武道との大きな違いです。
外国人には古武道を武士が行った格闘技という面からのみとらえて、勝手に時代に合うように技を変えながら流派を名乗る人もいますが、文化という面から武道をとらえることができないからだと思います。文化を守り伝えていくという視点からの稽古は不可欠です。
- 2021/02/11(木) 21:25:00|
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技の上で居付くということもあってはならないのですが、新しいことを稽古をするうえで自分の経験に居付くことは上達に大きな妨げになってしまいます。
かつて稽古した〇道や〇〇道に同じような動きがあるからと、そこに居付けば新たなことは身につかずいつまでたっても癖の強い動きしかできません。また、これもあったことですが定年前に会社の中で地位が高かった人はその地位のまま物事を習おうとしますから謙虚に物事を習う態度がありません。したがって上達もできません。
何事も居付きがあればむつかしいと感じます。
- 2021/02/12(金) 21:25:00|
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事情があり、長らく稽古に来れなかった人が久しぶりに姿を見せたとき、形・手数を忘れているだろうなと思って稽古を始めました。斬撃は少しアドバイスしただけで以前よりもはるかに良い動きを見せ、大石神影流の手数も、忘れていないどころか無理がなくなり、良くなっていました。
稽古が終わった後に聞くと、6か月の間自主稽古を重ねていたというのです。もともと熱心な方ですから、自主稽古の間に私が指導することが体で理解できていったのだと思います。この段階までくればあとは速やかに上達していきます。
- 2021/02/13(土) 21:25:00|
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個人の道場がないので公共施設を借りて稽古せざるを得ない状況にありますが、これまで経験したことで、私たちが行ってはいけないと感じたことを記します。
他の団体と同じ場所で稽古しているときには絶対に更衣は更衣室で行うこと。
自分たちは見られても大丈夫という意識なのでしょうが、見せることがセクハラにつながります。女性がいても平気で道場で着替える男性があり、しかもある武道では下着まで脱いで稽古着を身につけることをされている方がおられました。こういうことはしてはいけません。
専用で借り切っていて男性だけで稽古する場合であってもドアのロックをかけられないような場所では、だれが入ってこられるかわかりません。気を付けなければなりません。
あるとき個人利用でとある武道を二人でされていました。二人とも初老の方で穏やかそうな方たちでした。しかし稽古を終えられると、更衣室が間近にあるにもかかわらず、道場の中で着替えられ始めたのです。隣の畳の上には合気道をする小学生の女の子がおり、また入口には合気道の保護者の女性も数人おられるにもかかわらず。時が移れば武道の常識は世間の非常識ともなることも理解しておかなければなりません。
- 2021/02/14(日) 21:25:00|
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他の団体と同じ場所で稽古しているときには談笑は慎むこと。
こちらが静かに稽古しているにもかかわらず、稽古前にふざけていたり、休憩中に大声で話したり、道場に寝そべっている武道の団体がありました。いろいろな団体が乱立する武道であり、団体の質も様々なのかもしれません。
ここまでする方はなかなかおられないと思いますが、気を付けておかなければ大きな声で話してしまうことがあるかもしれません。他者に気を遣うことができなければ格技ではあっても武道にはなりません。
これは他団体があるときだけではなく自分たちだけでその施設を使用しているときも同じことです。
- 2021/02/15(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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同じ公共施設を供用しているときに他団体のスペースに入らないこと。
保護者がたくさん見に来ている武道の団体で、こちらのスペースにかなりの数の保護者が入って座り込んで話しこんでいることがありました。私たちは真ん中からかなり内側で稽古していたのですが、そうしているとさらにこちらによって来られるので、危ないほどでした。
その団体の指導者に一言いうと「何か問題があるのか」と上から目線で言ってこられたので「私たちは後ろには目がありませんから、刀が刺さるかもしれません」とお話しするとあわてて保護者に話しておられました。立派なスローガンを古くから掲げる武道の団体でしたが、末端にまでは行き届かないのかと思います。
私たちはそのようなことがないように気を付けなければなりません。また、そのような団体があるときにはこちらが気を付けておかねばなりません。
- 2021/02/16(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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公共施設の利用で我先に施設を使用しようとする団体もあります。廿日市で使用している施設は県大会であると優先的に利用できます。その武道は全国的な団体はあるものの、そこに属さない小さな団体がたくさんある武道です。そういうことは公共施設を管理している人たちは知らないので、広島県に二つの道場しかないにもかかわらず県大会ということで優先権をえて使用させます。日曜が大会なのに土曜の昼から大会準備という名目で道場が借りられているので、仕方なく運動をするためにも使えるカーペットの下がコンクリートの会議室で静かな稽古をして、稽古が終わった後にどんな準備をしているのかと思って道場をのぞくと準備ではなく稽古をしているのです。会場準備という名目で稽古時間を増やしたかっただけなのです。
このようなことをする支部は貫汪館にはないと思いますが、念のため記しておきます。
- 2021/02/17(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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昨日書いたことと重なるような内容ですが、大きな武道の団体が西日本大会をするために日曜日にメインアリーナを使う、休憩所として武道場を使う。会議室を使う。それも大会準備という名目で土曜日午後から、ということがよくあります。
大会を始められたころには夕方以降の時間に準備されていたのですが、そのうち、昼間に準備しておいてということが始まりました。
準備は1時間程度で終わっています。あとの時間、道場はあそんでいます。夜は指導者の懇親会ということらしいのです。これも古くから立派なスローガンを掲げている団体が行うことなのですが、スローガン通りだとこのようなことは起こらないはずです。
私たちにはそんなに大きな大会は開けませんが、気を付けておかなければならないことです。
- 2021/02/18(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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公共の施設を利用する場合には利用時間が決められていますが、この時間を勝手に延長して利用している個人や団体が武道関係によくあります。
個人利用をして時間が過ぎてからやっと防具を片付け始めたり、談笑していて「私たちの稽古時間ですから」というと、何事もないかのように「どうぞ」といわれるので、「お金を払って場所を借りていますから。」というと、初めて気が付いたかのように動き始める人たち。まだ、私たちの利用時間終了15分前なのにずかずかと入ってきて、準備をし始める人たち。いくら武道だ、道だとっていても、このようなことはおこります。
武道をする人たちのほうが、一般の人よりもダメな場合が多いのは本当に困ったことです。真面目に武道を稽古している人たちも、「武道をする人たちは・・・。」という目で見られてしまいます。江戸時代であればそのようなことをしていたら、どうなるか。武道をする人たちの一部は、試合に強い弱いにしか関心がなく、そういうことも考えられなくなっているのだと思います。
気を付けなければなりません。
- 2021/02/19(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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柳川藩の日記に書かれる名前の順番は、たとえ剣術の稽古に他藩に行くにしても、石高の順に書かれているものが多いようです。剣の腕の順ではないのは江戸時代の価値観の一つである身分制度が固定したものであったためでしょう。当然、いろは順に書かれたものも柳河藩の記録で見たことはありません。
- 2021/02/20(土) 21:25:00|
- 武道史
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長州藩が貪欲に剣術の実力を高めたかったのだろうと推測できる記事が柳河藩の日記にあります。江戸では柳河藩邸の腕の立つ人を何度も長州藩邸に招聘したり、長州藩士を柳河藩邸に送ったりしています。
どういう理由かわかりませんが、柳河藩は萩へ柳河藩士を派遣するのも江戸で柳河藩邸から長州藩邸に藩士を派遣するのも受け入れるのもやめています。
- 2021/02/21(日) 21:25:00|
- 武道史
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津幡から柳河藩の大嶋流槍術師範 加藤善右衛門に入門したのは中村貫一郎、小野寺熊吉、佐々時之助、澤 勸、 髙瀬藤太、小川雄次郎、富増藤右衛門、濱一右衛門、山本吉兵衛、長井由三郎ですが、津幡の江戸藩邸から柳河藩の江戸藩邸に自分の藩の武士が加藤善右衛門に世話になっているから加藤に渡してくれと金子がおくられています。他藩の武士に他藩から直接金子を送るのははばかられたものなのでしょうか。
- 2021/02/22(月) 21:25:00|
- 武道史
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無雙神傳英信流の斬撃の稽古の際、普通に刀を抜いて中段に構える稽古、また刀を納める動きが抜付けにつながります。大石神影流の手数の稽古での刀の抜き差しも同じです。よどみなく力みなくこれらの動作を行ってください。ただ刀を抜くだけ、納めるだけと思い、鯉口を安易に握って鞘を後ろに下げるだけで小尻まで意識がいっていない抜き差しを繰り返すと、抜付けの動作も質の低い動きになってしまいます。
工夫してください。
- 2021/02/23(火) 21:25:00|
- 居合 業
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以前も立場が人を育てるということについて記したことがありますが、あくまでも武道を行う人は自己を向上させることを目標としてしているという性善説に立って述べています。
人を導くようになったら指導者として恥じることがないようにさらに自己を向上させようと思う方にあてはまります。そのような人は責任感も強いのですから、一生懸命稽古している人たちが困らないようにと心を用いますし、師弟で向上していくことができます。ただし、真面目に稽古してくれる方が稽古に来られればという条件が付きます。「趣味でーす。」と考えている程度の方に、誠意を尽くしても空回りするだけですので、わりきってよい師弟の縁が結ばれるまで我慢しなければなりません。
- 2021/02/24(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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師から道場を持ちなさいと言われたときには、素直にその教えに従うべきです。無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男先生は私に道場を持つように指示されたときに、私は自分の実力ではまだまだで、かえって流派を汚すことになるのではないかとおそれました。先生は「自分が指示してもないのに勝手に公民館で教え始めた者もあり、また自分から道場を持たせてくれといった者もあるけれど、本物の居合を教えることはできていない。私が道場を持ちなさいと言っているのだから森本君にはそれができる。私が教えた本物の居合を教えればよい。」といってくださいました。
昨日述べたように、自分自身の経験から良い方が稽古に来られれば、私自身がより良い居合を示さなければと思い、自分自身で自分の向上を感じました。もし先生の言われるとおりにしていなければ、そうはなっていなかったと思います。
しかし、一視同仁と思い、「趣味でーす。」の人にまで心を用いて上達していただこうと考えたのは失敗でした。空回りするだけで真面目に道を求める人の指導の時間を無駄にしました。また、口先ではよいことを言っていても、何もわかっていない方、できないのではなく しようとしない、自分のやりたいようにしたいという方にも要注意です。自分の努力・苦労はただ空回りして疲れ果ててしまうだけになります。人の本質はなかなか変わるものではありません。
- 2021/02/25(木) 21:25:00|
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無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男先生に梅本先生の道場の事務局長を命じられた時も、良い機会でした。お話をしたことがある森先生が亡くなられた後のことでした。突然、他の方がおられる前で命じられ、お断りすることもできませんでした。
先生の道場の事務局長をさせていただいて気付いたことがありました。先生は弟子にどのようにすれば気づかせることができるかということにいつも意を用いられていました。しかし、受け取る方にそれを感じる力がなかったり、ひどい場合には先生に習っていながら、自分が考えることにしか興味がなかったりする方も多く、そのような人たちは偏った稽古しかできないために、いつまでたっても上達はしませんでした。
- 2021/02/26(金) 21:25:00|
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立場が人を育てることについて記してきましたが、立場を得ても育たないばかりか、停滞や下降をしてしまうこともあります。
立場を得て育つ人はその立場にふさわしいものになろうとするのですが、立場を得たことは自分の実力であると慢心して自分は他と異なると思う人です。人よりも一歩抜きんでていると思う人です。口に出さなくても、また態度に出さなくても、また自分自身では意識できていなくても無意識のうちにそのようになってしまっている方はなかなか自分の至らぬところに目がいかないのですから自分自身に気づくまでは育つことはありません。
- 2021/02/27(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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立場があっても育たない人は、利他的になれない人です。自分のもとで真面目に素直に道を求めて稽古している人がいても、その人が上達しないのを自分の責任として考えられない人です。
人を導くためには自分が持てる最高のものを示さなければなりません。自分が最高のものを示していると思いながら、なおその上で真摯に道を求めている方が上達しないのであれば、それは自分自身のどこかが至らぬからだと思わねばなりません。しかし、そこで自分ではなく習っている方が至らないためだと思う人は、その時点で自分自身の成長はありません。
- 2021/02/28(日) 21:25:00|
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