これまで大石新影流の歴史に関しては主に口承をもとに執筆されており、典拠は明示されていませんでした。それは大石本家が記録類も含めて家に伝わったものを散逸し、さらに断絶していることも大きいと思います。
口承は語り継がれる間に変化し、天保3年が4年になったり、あったことがなくなったりします。
私が調査しているのは記録に基づく正しい歴史ですので、大石本家の史料が失われてしまっているために、まとまった史料は期待できないので多くの史料にあたって史実を明らかにしようとしています。困ったことに柳川市・大牟田市の研究家によって戦前に書かれたものにさえ多くの過ちがあります。大石新影流の周辺にいた方でさえ伝承と史実を勘違いし、真実であろうという思いのもとに歴史を語られています。
はやく調査をまとまったものにしなければなりません。柳川藩の記録の多くを調べてきましたので、今後は大石進種次・種昌の他藩の弟子に残されたかもしれない記録を探さなければなりません。
- 2021/06/01(火) 21:25:00|
- 武道史
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柳川古文書館の館長さんに教わったことですが、「記録が残ってないからといってなかった事を証するわけではない。」つまり記録がなかったとしても伝承が正しいことはあるということなのです。
大石神影流はいつも述べているように残された記録は少ないため、残された記録から正しい伝承なのか、間違っているのかを判断する必要があります。
- 2021/06/02(水) 21:25:00|
- 武道史
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大石神影流の手数や無雙神傳英信流の太刀打、詰合また、澁川一流の棒術など上位者の打太刀が仕太刀と調和がとれないと感じるときがあるかもしれません。仕太刀がやっと形を覚えたかどうかという場合を除きたいていは打太刀の側に責任があります。自分のペースでおこなっていて(つまり仕太刀を無視して、自分勝手に動いて)それを仕太刀のせいにしてしまうのです。上位者である打太刀の責任転嫁であり、打太刀が正しく務まっていない言い訳にすぎません。そういう時は自分をかえりみなければなりません。
- 2021/06/03(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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武道の世界で偉くなりたい、地位を得たいという方は必ず一定数おられます。競技武道で上位の成績をおさめたいということではなく、組織の中で上位の地位を占めたいと思うのです。また、SNSなどで実力者として認められたいという傾向の人もいます。特に競技がない古武道の世界でその傾向が強いようです。
無雙神傳英信流の師梅本三男先生は居合は自分が自分のためにする修行であると教えてくださいました。
- 2021/06/04(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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偉くなりたいと思う方は組織の中で地位を得ても皆さんのためにという考えでは動きません。一見そのように見せていますが、「皆さんのために」ではなく、「自分の思い通りに」なのです。それゆえ身近な人間(尻尾を振ってくる人間)には便宜を図り、そうでない者はほっておきます。異なる意見を持つものは罪を捏造して陥れます。
尻尾を振ってくる人間に恩を売るために、普通にしていれば通ることでも、私がいたからスムーズにいったと思わせます。そうやって親分子分の関係を作り、自分の考えだけを通す組織を作っていくのです。そういう組織になってしまうとよほどの改革が行われなければ正しい組織に戻すのは困難です。また正しい組織に戻ったとしても、影響を受けた人たちは自分が次の親分になろうとするために、組織は常に獅子身中の虫に気を付けておかねばなりません。
- 2021/06/05(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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海外の人が持つ誤情報は言葉の壁と、これまで日本から発信された間違った情報(土佐の居合に関しての誤情報の多くは師が偉ければ自分が偉いという発想に基づいて発信されています)をそのまま信じているところにあります。そして、その誤情報が海外の武道家によって増幅されています。
日本語が理解できる外国人の方には真偽を確かめようとする方もいますが、ほとんどの人は誤情報を真実と思っていますので話がかみ合わないことがかなりあります。
- 2021/06/06(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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道標には冒頭に「無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために」と記しているように、貫汪館で稽古されている方を対象に記しています。
ずいぶん前にも書きましたが、私は三人の先生方に稽古が終わった後にお話をお聞きする時間が十分にあり、先生方は稽古後に様々なことをお話ししてくださいましたし、私からお尋ねすることもありました。体を動かして稽古する時間も貴重でしたが、お話をお伺いする時間は体を動かして稽古する時間と同じ又はそれ以上に貴重でした。公共施設を用いていると稽古後になかなかそういう時間が取れませんので道標に書き込んでいます。
各支部長は支部で稽古される方に道標を読むようにお話ししていただき、質問がある場合には支部長に尋ねるようにし中途半端な理解をしないようにご指導ください。
- 2021/06/07(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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支部長の中でこの記事は自分に対して書かれているのではないかと誤解されている方もおられるのですが、実は道標は書き溜めています。1か月分、または2か月分書き溜めていることもあります。公開するときに特定の人をイメージして書いているのではなく、ずいぶん前に書いていますので杞憂されないでください。私に予知能力があって書いているわけではないので、たまたま自分が思っていることと重なったとしても偶然にすぎません。同じように不十分なところはだれでも持っています。貫汪館で稽古される方にとってどなたにでもあてはまることかもしれません。
- 2021/06/08(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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稽古しているうちに、自分の考えで異なる動きをしていることがあり、また自分自身ではそれに気づいてないことがあります。
たとえば以前も述べたことですが、澁川一流柔術での蹲踞礼で拳を床につけるとき親指を四指の外に出すのか内側に握るのかではその意味に大きな違いがあります。当然、四指の外に出すのですが非常に大切な演武会で親指を内側に握って礼をされた方がいました。澁川一流柔術では親指を内側に握るのは当の場合ですが、これを礼のときに用いてしまったら礼の意味をなしません。外部の方に指摘されてその人がそのような礼をしたことに気づきました。
本人は自分の考えでそのようなことをしたようですが、ちょっとした違いが実は大きな違いとなってしまっているのです。小さなことだからといって、自分の考えを入れるものではありません。
- 2021/06/09(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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もう何十年か前のことですが、無雙神傳英信流抜刀兵法の指導を受けているときに、他の人が虎乱刀の稽古をしているときに梅本先生から「なぜ親指を握って立っているのか」と聞かれたことを覚えています。その人は「ある本に武士は親指を握りしめ・・・と書いてありました。」と答えていましたが、梅本先生が教えてもおられないことでした。先生は「そうか・・・」と答えられ、それ以上は言われなかったように覚えています。つまり、その時点でその人にとって梅本先生の教えよりも本に書いてあったことが大事だと考えているのだと梅本先生は感じられたのでしょう。
立った時に親指を内に握りしめるかどうかは、その人にとって大した違いではなく、むしろその方が良いと思われ梅本先生の指導と異なることをしたのですが、柄に右手がかかるまでの動きを理解していれば、そうすることがどれだけ動きを阻害するかはわかるのですが・・・。
- 2021/06/10(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無双神伝英信流抜刀兵法では最初に習う礼法がそのまま形・技につながることは述べているとおりですが、刀礼の右手左手の出し方がおろそかになっていると抜付けも、そのレベルにとどまってしまいます。たかが手を出すタイミングくらいと思っていたら、抜付けもたかが手を出すタイミングくらいとなってしまうのです。丁寧に正しく微細な動きの違いも感じられるように礼を行うことによって、方も大きく変え合ってきます。
- 2021/06/11(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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日本武道学会第52回大会での軽込克尊先生の「直心影流藤川派に関する一考察 ―『整斎先生長月物語』を中心にという御発表のなかで大石進種次に触れた部分がありましたので紹介します。『整斎先生長月物語』は天保12年に記された資料だそうです。
『整斎先生長月物語』の一部に「この十とせばかり、こなた筑後国の簗川をしらす殿の藩士に大石進といふ新陰流の剣師この江戸へ勤番をせし頃、諸片に門戸を立てたる剣師とこころみ稽古といふ、
世に是を他流しあひといふ、事をせしといへり、此人常の人よりも丈高く、力もありて、しなひの長さ五尺はかりなるをつかへりとそ、然るを、よの剣師の中にも、かのおとこの業を得道とおもへる、かゆうかゆうの流ともに長しなひをつかふといふ、各師たるものは先師伝来の流派ありといへとも、今時の稽古のしかた、またまたかの進か風儀をまなひたりと見ゆ、誠にこの人英雄豪傑と見へたり」
大石進種次については、身長7尺ということや牛が引く鋤を余興として牛の代わりに自分で田で引いたという剛力についてはなぜか語られなくなり、長い竹刀でインチキをしてかったというように言われることがありますが、当時の人の認識には大石進種次は背も高く力もあり、英雄豪傑のように思えるという認識があったのだと思います。
ご存知のように大石神影流では旨の高さまでの長さの竹刀や刀は用いることができるとしていますので初代大石進種次が用いた竹刀は5尺3寸、初代よりも背が低かった大石進種昌は4尺五寸の竹刀を用いたようです。私は大石神影流の手数を稽古するには身長に合わせて総長4尺1寸の真剣を用いています。
- 2021/06/12(土) 21:25:00|
- 武道史
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「まず、指導されたことができるようになってから」という思いがなければ勝手に自分の思いでいろいろなことを付け加えたり改変したりするようになります。
無雙神傳英信流の貫汪館の稽古方法だといってその場にとどまったまま斬撃をさせ(大石神影流の素振りを取り入れて)これが斬撃の稽古方法の第一段階、次に歩みながら稽古するのが第二段階といって広言している人もいましたが、自分が考えて行っているだけで、そんな稽古方法は指導したこともありませんし、指導されたこともありません。稽古方法には意味があるのです。勝手に自分の考えを交えて稽古していたら速やかに行くことも横道にそれてしまいます。
- 2021/06/13(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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貫汪館の古武道の上達には特効薬はありません。呼吸法を身につけたらすべてうまくいくと思って呼吸法の練習を長時間を取り入れて練習したり、丹田だといって練丹の術を長時間取り入れて稽古しても、宗教だといって長時間座禅をしたり、長時間お題目を唱えても急速に上達するものではありません。自分が上達しないからといってそのようなことにすがっても時間の無駄を生じるだけになります。いけるところまで行っていないのであれば、しっかりと丁寧に正しく満遍なく稽古をすることが着実な上達につながります。
- 2021/06/14(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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随分前のことになりますが、ある武道を研究される方が「生ものは扱わない。」と話されたことがあります。
どういうことかというと、自分が稽古している流派は別にして、今現在活動されている流派を研究テーマに選ぶと、いらぬ軋轢やもめ事を起こすことがあるということらしいのです。「これが真実だ」とか「この系統のほうがより多くを伝えている」とか、その流派を稽古していない他者が、「これが正しいのだ。」と書くことがあったとします。しかし、いくら正しいことであってもそれは現実に稽古している流派が間接的に間違いを伝えている流派であると非難することになるため、そういうことはしないということらしいのです。
なるほどと思いました。
- 2021/06/15(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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貫汪館ホームページを下記に移行しました。
https://kanoukan.jimdofree.com/
- 2021/06/16(水) 16:13:36|
- 居合・剣術・柔術 総論
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この状況ですので、私が海外で直接指導することもできず、また海外の門人が日本に来て稽古することもできませんが、海外の支部長はコンスタントに彼らの稽古の動画を送ってくれています。
嬉しいことには長く直接指導していないにもかかわらず、自分自身の調和や相手との調和をしっかりと念頭に置いて稽古してくれています。無理無駄なく相手とも争わずに調和を第一に稽古してくれているのです。下手な時代劇やアニメに影響を受けず真摯に求めてくれている姿勢にはありがたいものを感じます。
- 2021/06/16(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流の師梅本三男先生は戦前戦後に剣道をしておられましたが中国で負傷した体が子供に打ち込ませるたびに痛むため稽古をやめられました。
先生の晩年にのあるとき「森本君、剣道は忘れねばならんな」と話されました。このことは以前にもお話したことがありますが、その時私は先生に剣道の癖が残っているようには見えませんでした。
私は自衛隊の教育隊で仕方なく現代剣道を数回し、また、退職後の仕事でやむなく現代剣道を数回した限りで何十年も剣道をしていませんが、先日、まだ剣道の悪癖が残っていることに気づきました。見た目にはわかりませんし、自分自身が気付いていませんでしたが、ここをなくさなければ次に進むことができない悪癖です。「剣道は忘れねば」というのは現代剣道で身につけたすべてという意味ではなく、無雙神傳英信流の教えに当てはまらない部分という意味ですが、これがしつこく残る部分なのです。一度身につけたものは消し去ることが難しいものだと感じています。
貫汪館にはこれ迄に色々な武道を経験された方もおられますが、今一度自分が持っている癖にはどのようなものがあるか考えてください。
- 2021/06/17(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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上達を焦ると不必要なことをしたり、このほうがいいと勝手に改変したり横道にそれてしまいます。指導されたことを会得するには自分自身が変わっていかなければならないのですから当然時間がかかってしまいます。また異なる思いを持っていたとしたら自分の考え方を修正していかなければなりませんのでもっと時間がかかってしまいます。時間がかかるのは当然のことだと思い、わずかな自分自身の変化を楽しむ心の余裕が上達につながります。
- 2021/06/18(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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自分の弟子や後輩を指導するときにも焦りは禁物です。早く上達するに越したことはありませんが、私たちが行っているのは競技ではありませんので、いついつまでに完成させなければと考える必要はありません。
指導に焦ることが、自分自身をみえなくさせ、上達からも遠ざけてしまいます。指導に焦った時は、では自分自身はどうかと自分を振り返ってください。
- 2021/06/19(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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自分が行っていることが素晴らしいと思い込み、それを人に勧める方もいます。梅本先生のもとにもおられました。先生がお示しになっていたことと異なることをし、このほうが良いといって人に勧める。先生が指導していない方法で指導してこのほうが良いと勧める。私は若いころから長く先生のおそばにおらせていただいたので、そういう方をたくさん見てきました。
なぜそういう方向に行ってしまうのかというと、先生が指導されることができなかったからなのです。また、先生の指導のように自分の弟子を上達させることができなかったからなのです。
焦りすぎると下達してしまいます。
- 2021/06/20(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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剣術が剣道になり、柔術が柔道になり、武術が武道になり、術から道という言葉を用いるようになり、戦いの技術の練習から人間形成の方法に変わったようなイメージを持ちますが、道を使うようになって、かえって勝ち負けをはっきりさせる競技となり、競技のための、試合に勝つための術に重点が置かれて稽古されるようになり、また勝たねば無意味になってきたため勝たせるために若いうち、幼いうちから無理もさせるようになり・・・。
道といいながら術の時代の伝書を大切にしたり・・・。
本当は術から道に代わることで何が起こったのでしょうか。
- 2021/06/21(月) 21:25:00|
- 武道史
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なんでもかんでも教えすぎることは習っている人たちにとって二つの問題を生じさせます。
一つは知識として知ることができるようになったと錯覚を起こさせることにつながること。
二つ目は消化不良になって訳が分からなくなることです。
その人ごとに、できるようになったレベルに応じて少しずつ与えていくことが大切です。
- 2021/06/22(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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どこの世界にもいると思いますが、口は出すけれども体は動かさない。ああしろ、こうしろと言い、犠牲を伴わなければというけど自分自身が犠牲になろうとはしない。おいしいところだけを持っていこうとする。成功すれば自分の手柄にし、失敗すればそれ見ろ言わんこっちゃない。
こういう人は武道の世界では上達はしません。 まず、動く。人のために働く。武道は行動から学ぶ道です。
[口は出すが体は動かさない]の続きを読む
- 2021/06/23(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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以前ある先生がお話しされたことですが、その要旨は「免許皆伝を大学を卒業する程度のことだと考えている人がいるが、そんなに甘いものではない。」というものでした。
私は武道史の研究から、多くの流派でまじめに10年間稽古をして免許皆伝というのが 多くの流派で行われているので、大学卒業程度のことと思っていましたが、現代ははそんなに甘いものではないと実感しています。大学をどのようなものとしてとらえるかによりますが、小学校、中学校、高校、そして真面目に(点数を取る能力とは別です)大学生活を送った人には大学卒業程度ですが、そうではなく適当に学校生活を送った人には当てはまらないことでした。
そもそも、江戸時代の10年稽古するということはほぼ毎日、剣術だけではなく人によって柔術や、槍術、馬術などの複数の種目をまじめに稽古しながらの10年ですので、江戸時代の稽古の10年と現代のように学校に行った後、仕事の後、週に1回か2回程度の10年ではありません。
- 2021/06/24(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流では初伝、中伝、免許皆伝の三段階の許しの制度があり、澁川一流には初伝、中極意、免許皆伝上極意、大石神影流にも初伝、中伝、免許皆伝があります。
しかし、貫汪館ではその前に初段から七段までの段位制度を設けています。初めは順を追って形、手数をしっかり覚えるという目的で段位制度を設けましたが、現在はその機能も持っているものの、その間に十分人物を見定めてからその後に伝書を発行するという機能を有しています。
人物を確かめるのは難しいことで、初めのうち数年は良いことを言っていても次第に行動が伴わなくなるのはよくあることです。形・手数も覚え数年たったから初伝、あるいはもう少し立ったから中伝と伝書を発行していたら「その人」でない者に伝書を発行することになってしまいます。それを防ぐという意味でよく機能しています。10年もあれば人の本当の姿が見えてくるからです。
- 2021/06/25(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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若いころに持っていた心の欲は年を取ったら増幅されることがあるようです。
若いころから名誉欲があれば、年をとっても名誉を得ることにしがみつき、高齢になってもそこから離れられません。より大きな名誉を求めようとします。
地位を得ることに欲があれば、年をとっても後進に道を譲らず、院政をしきます。しかし本人はみんなのために働いていると思い込んでいます。
いくつも実例をみてきたことですが、武道においては若いうちから修行と心得て、心を磨いておかなければ全く異なる道を歩いてしまいます。
- 2021/06/26(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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指導していてもなかなか指導が通らない方がおられます。自分の動きを自分のこととして捉えきれていないときにおこることです。そのような方に対しての指導は一段レベルを落としたところで指導してください。
まだ、感覚が発達していないのに求めるところが高すぎると、ハイハイができるようになったばかりの赤ちゃんに立って走れというようなものです。焦らずゆっくり指導してください。
早く上達させようと思って高すぎることを求めても、かえって上達できないか、わかったつもりにさせるだけです。
- 2021/06/27(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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人は一度手に入れたものを捨てることが難しいもののようです。それが良いと思って行ってきたことなのでそうなりがちかもしれません。言葉一つとっても無雙神傳英信流では名詞として「斬撃」という言葉を使っているのにいつまでも「斬り下ろし」という言葉を使ったり・・・・動詞として斬り下ろすという言葉は用います・・・、動きに至ってはそれこそ長年の癖が消えなかったり、さらには指導方法にも昔習っていた他の武道の指導方法を用いたり・・・。
「剣道柔道の経験はないのですが。」といって見学に来られる方がおられますが、「全く何も経験されていない方のほうが上達は速やかです。」といつもお答えしています。
- 2021/06/28(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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貫汪館の段位制度については以前述べましたが、貫汪館の段位は旧来の許しの前段階としてあるものです。
したがって、指導者は形・手数をしっかり覚えたら積極的に受審するように指導してください。次があるから今を頑張ることができます。次が見えないのに今を頑張ることはできません。ずるずると稽古だけさせて次が見えていない状態のままにしておくのは最悪の指導です。また、段位も受けさせることなく、ずるずると多くの形を覚えさせるのは、自覚のない人に知識のみを与えることになり真の上達にはつながりません。自分はこの流派にあって如何にあらねばならないかというのが自覚ですが、幼稚園児には幼稚園児なりの自覚ができ小学生、中学生はそれに見合った自覚があります。大学生となればなおさらです。いつまでも幼稚園児のままで知識を与え続けても単なる知識にすぎません。本人に自覚がないからです。かつて私自身も段位・許しを得たらその段位・許しにふさわしい人間にならねばならないと教えられ、そのように努めてきました。
指導している方は「いついつを目途に受審させるので、それまでにしっかりしたものを身につけ、論文も書いておいてください。」といえる指導をしてください。
- 2021/06/29(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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いくら立派なことを言っても、いくら自分は過去にこんなすごい稽古をしたと言っても、それが口先からの出まかせか本当にそうなのかは言った人を見ればわかります。
覚悟があるかないかはその人にどうしても現れるものだからです。穏やかな顔をしているとか、優しい顔をしているとか、物腰が柔らかいとかといったことではなく、その奥にあるものです。
稽古を通じて覚悟がある人かどうかを見ることができる力を養っていかなければ、表だけしか見れず騙されてしまいます。真の稽古をしなくてはなりません。
- 2021/06/30(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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