古武道を修行する大きな目的の一つは修行です。仏教的な意味合いから言えば名誉欲や金銭欲などの人間的な欲望から解放され、悟りを得ることを目指すことであり、神道的にみると清き明き心をえるということになるでしょうか。いずれも世俗的な欲にまみれていてはどうにもなりません。
ところが修行しなければならない古武道の世界では反対のことがよく起こります。「自分は何何流を稽古している。すごいだろう。」「自分は何年も古武道を稽古している。」「自分は何何流の代表である。」「自分の流派は何代も前から古武道の世界に貢献してきている。」「このような技を遣えるのは自分だけだ。」などという名誉欲がとても強いのです。自分を誇るのです。さらには自分自身が自分を誇っているだけであるのに、それを用いて自分の思い通りに物事を進めようとする人もいます。
このように思う人たちをいやというほど見てきました。本来修行が進めば進むほど自分のダメな部分が見えてくるはずです。このような人を育てるのであれば極論すれば武道は無くなってもよいとさえ思います。
少なくとも貫汪館で稽古する方は謙虚でない自分を感じたら、その時には自分が道をそれていると思ってください。自分自身に常に気をつけておかなければならないのです。道を大きくそれてしまうと自分が道をそれていることにすら気付かなくなり、自分が歩いているところが正道だと思うようになってしまいます。
大阪講習会での気づき 1 大阪講習会での気づきを述べます。無雙神傳英信流の稽古では初動が無雙神傳英信流の動きからかけ離れていました。初発刀の動きはじめが臍下丹田ではなく上半身で外形上の前傾した姿勢を作ろうとするのです。これは今、直ちに直していかなければならないところです。すでに何度も教えているにもかかわらず身についていないというのは日常生活で臍下丹田から動いてはいないのです。今までに経験したことがない動きをしようとするのですから日々稽古でなければ身につくはずはありません。指導して1週間たち、稽古日が来て習ったことを思い出そうとし、さらに1週間たって習ったことを思い出そうとすれば思い出すどころか忘れ去って外形だけの動きをしていくようになります。武道は日常生活とつながっており、週に一度楽しみのために体を動かすスポーツとは根本的に異なっているところです。日常生活と武道の動きは別ではないのです。
貫汪館の3流派は日常生活の中で稽古しなければ身につくことはありません。稽古といっても特別なことをするわけではありません。人は歩き、とどまり座り寝ます。座行住坐臥です。日常生活が武道か武道が日常生活かというところです。365日24時間が稽古です。ここが腑に落ちる人は速やかに上達します。
- 2023/03/01(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
初めて公の場で演武したり日本武道館などの大舞台で演武すると緊張すると思います。その緊張し、集中して取り組もうとするときにダメな動きが出てきます。
幼稚園から高校まで私たちは良い兵士となるための教育を受けてきています。と言うと何のこと?と思われるかもしれませんが体育の授業は明治時代の富国強兵のために取り入れられたものです。「気を付け」「休め」「前へならえ」や行進などは兵隊を作るための動きなのです。この体育や授業の始まりの「起立、気を付け、礼」によって躾けられた良い姿勢が物事に集中しようとしたときに頭をもたげてきます。
一生懸命に取り組もう、良い姿勢をしなければならない→軍人のように膝も足首も伸ばし背筋を正した良い姿勢となってしまいます。生真面目に生きてきた人ほどそうなるようです。
何かに集中して取り組もうとするときには、逆に体も心も緩めるように習慣化してください。
大阪講習会での気づき 2 無雙神傳英信流ですが、指導者の動きを写し取らせるときには己を無にして指導者の動きに乗ります。のるというのは指導者に合わせて同じスピードで抜くということではありません。完全に己を無にしてどうしようこうしようという思いを離れてただただうつしとるのです。しかし、一緒に抜いていても写し取るのではなく自分の考えで自分の動きをして指導者についていこうとする方が散見されました。そのような動きでは一緒に抜く意味はありません。
また、一人一人自分のペースで抜く稽古をしてもらう時にも指導者と一緒に抜く速さで抜こうとする方もおられました。一人一人に自分の動きを正してもらうのですから、ゆっくり丁寧に動いて自分を見つめなければなりません。自分の動きと心が自分でわからないのは早すぎるのです。2倍3倍とゆっくりした動きで自分の心の焦りと動きの歪を確認しなければなりません。
- 2023/03/02(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
ある人が、学んでも達成できない原因は自分の立ち位置がわかってないからだということを話されていました。立ち位置がわかっていないのでどちらに行っていいかわからないのです。
武道を教えていても上達できない人の原因は多くがそうです。自分が見えていないのです。いくら指導したとしても指導された本人が自分が見えておらず「そこまででもないだろう。」とか「自分は出来ているが先生は自分をよりよくするために指導しているのだ。」程度に考えて自分が見えていなければいくべき方向に行けるわけがありません。10数年前に指導したことに正しく向かい真剣に取り組んでいなければ10数年後はただ手慣れただけの動きにしかなっていません。根本的に変わっていないのですから上達していないにもかかわらず、自分が手慣れた動きをしていることを上達したと勘違いしているのです。手慣れた動きと真の上達は全く異なるものです。これも慢心のなせるわざかもしれません。ただ稽古しているだけでは絶対に上達しません。
大阪講習会での気づき 3 大阪支部は半数が現代剣道経験者であるため上半身中心、スナップを使う動きになりがちです。自分では意識できていないようですので、今している動きが上ずっているかどうかを意識しながら稽古してください。またスナップを使う動きは気を付けていたとしても抜付けの最終段階、斬撃の最終段階、血振いの最終段階ででてきます。最後まで繊細で丁寧な稽古をしてください。
- 2023/03/03(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
こと武道に関しては願い続ければ願いは叶います。不思議なことですが思いが動きを変えていくようです。しかし願い続けたからといって願いがかなわないことがあります。自分が理想とする目標が流派が求めるものとは異なっているのです。
自分では一生懸命に稽古している。ずいぶんできたような気もする。しかし、認められない。このようなときには自分が求めようとしていることと流派が求めることが違うのです。極論すれば自分の流派を作ろうとしているのです。正しく求められていることを把握し、それにかなった自分を目標とはしていないのです。
何年何十年稽古しようとここが異なっていれば叶うことはありません。叶うとしたら自分の思いをかなえているだけで流派の求めることとは異なっています。そうなりたいと思っているところが異なっているのです。正しく願うことが大切です。
大阪講習会での気づき 4 大石神影流の鎗合は打太刀が鎗を使えなければ仕太刀の稽古になりません。大石進種次の祖父である遊釼から、大石進種昌までは大嶋流槍術の師範も兼ねておりまた、大石進種昌の末弟である大石雪江も大嶋流を習得していました。明治維新で大嶋流は教えられなくなりましたが大石雪江を通じて大石一は槍術の一部を教えられ、私の師の大石英一も槍術の一部を教えられました。私がお教えしたのは師から教えられた槍の使い方の一部です。
槍術をある程度身につけようとしたら槍の素突きは不可欠ですので6尺棒を用いて家の中ででも下半身中心の素突きの稽古をしてください。
- 2023/03/04(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
上手な演技と演武は素人には見分けがつきません。演技はあくまでもお互いに動きを合わせており、演技が上手であればあるほど動きもタイミングもそれらしくみえます。一方演武は動きを合わせているわけではありません。そうなるべくしてそうなっているのです。したがって動きは悪くても演技とは全く異なるものです。前者は頭を使って計算して動き、後者は心で動いています。ここがわからなければ形・手数の稽古で上達することはありません。
普段できる人であっても大舞台だから失敗しないように動こうと心掛けたとたんに演技になってしまいます。
大阪講習会での気づき 5 長刀合は長刀が刀に勝つ手数です。長刀は刀と違って左右の手が位置をかえながら広がったり狭まったり前後が逆になったりと両手両足が自由に働かなければなりません。剣術で附けの構から左手の打ちを滑らせて変化するのとは大きな違いです。長刀の手数は動きが多いために上半身中心で動いてしまいがちですが、ゆっくりと下半身中心として上半身に力を入れず、足、手に少しも力みを入れず体の左右を均等に用いる稽古を自分の家で行ってください。木刀の刃の部分を柄に見立てて稽古できるはずです。
自宅でゆっくりと着実な動きを身につけることなく道場で打太刀をつけて稽古しても、ただ小手先で打太刀に合わせる動きとなってしまいます。
- 2023/03/05(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
我が家の前には空き地があり、その前には保育園があります。2階にいれば保育園のグランドで行われていることがすべてわかります。我が家の猫娘たちは保育園のお遊戯の音楽に合わせてしっぽっを振りながらキャットタワーから園児たちを眺めています。
さて、あるとき警察の方が来られて交通安全教室をされていました。気づいたのは、普段の園児にわかりやすい保母さんの優しい話し方ではなく、政治家が演説しているのかと思う何を言っているかよく聞き取れない低い声の男性の声がしていたからです。何が起こっているのかと思って2階からのぞいたら、交通安全教室でグランドに横断歩道を描いて横断歩道の渡り方を園児に実習させているところでした。声の出し方ひとつで通じやすい、通じにくいがあります。また、話し方にもよります。
貫汪館の支部で指導されている方は、教え方としての話し方を工夫されているでしょうか。初心者にも初心者を脱した当たりの人にも長年の経験者にも同じような話し方はされていないでしょうか?
警察官の方の最後のお話は、誘拐に関するお話で、「小学生になったら保育園と違って自分たちで登下校します。下校中に優しい叔父さんやイケメンのお兄さんに声をかけられても、ついていってはいけないよ。」というお話でした。が、その理由が登下校中もお勉強のお時間だからというものでした。言いたいことは大人の私にはわかります。しかし、保育園児に伝わるのだろうか?と思ってしまいました。
各支部で指導されている方は相手によって話し方や指導方法を変え理解できる指導を心がけてください。同じことを教えるにもいくつもの方法があります。ダメな方法は大家ぶって自分もできないことを難解な言葉だけで指導することです。
大阪講習会での気づき 6 二刀は下から遣います。手数の稽古で「自分」が「刀」を使うという意識がある内は上から使っています。上から使うと「清風」「綾之調子」「紅葉重」「有明」などの下段から使う手数では仕太刀と刀があった瞬間に打太刀の腰を崩すことは出来ません。ただ打太刀の一刀と仕太刀の二刀が合っただけになります。これでは手数の理合にかなわず打太刀は刀が合った後に自由に動けます。
二刀を下段から上げていくときに臍下丹田から動いているのか、肩で上げているのかを一人でゆっくり動いて感じてください。また下段におろしているときに足心を感じているのかどうかも大切です。
- 2023/03/06(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
演武と演技の違いがを少し詳しく述べておきます。
初心者には「打太刀がここに斬りこんできたら、このタイミングで下がり、小手を斬る。」とか「打太刀が胴を突いてきたら、自分の剣を伏せて打太刀の切先の向きを変えたのち・・・。」とか「打太刀が斬りこもうとしたらその心の動きはじめをとらえて・・・。」という風に順序だてて教えます。仕太刀は習った通りに稽古しますがこの段階は演技です。シナリオに沿って稽古しているのです。どのように絶妙のタイミングでやり取り出来て迫真の演技になったとしても演技です。
一度形・手数を覚えてしまえば、形・手数は忘れなければなりません。忘れた結果、異なる所に斬りこんでも理にかなっていれば打太刀はそれをよしとします。理にかなっていれば打太刀は一通り終わったところで仕太刀に異なる所に斬り込んだことを知らせます。形・手数の手順を忘れていながら理にかなった動きになっているのが形・手数の稽古なのです。シナリオは頭にはありません。シナリオなく自由に動きながら理にかなうのが演武です。そうなるためには当然数えきれないほどの稽古をして流派の理が身につかなければならないことは言うまでもありません。
いくら稽古を重ねてもシナリオ通りに見事に行おうとすればそれは所謂華法剣術です(華法を流派の形と言いう意味で使った例もあります。ここで華法剣術といったのは役に立たない見栄えだけという意味です)。演技なのです。この違いが判らなければいくら稽古を重ねても上手な演技ができるようになった段階にとどまります。
大阪講習会での気づき 7 大石神影流の小太刀は当然ながら右片手で持ちますが、右手で使うわけではありません。ましてやスナップで小太刀を使うわけではありません。無雙神傳英信流の抜付けや血振いのように左と右が均等に働くので小太刀が働きます。俗に言われている鞘手ということではなくもっと奥にある働きです。左右均等に働くためには中心を開き閉じることが大切です。これはゆっくり動いて体を感じなくてはなりません。一人稽古をしてください。
- 2023/03/07(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
貫汪館で稽古される方の中には私が武道史研究ができるのは筑波大学で中林先生に学んだからだと思われる方もおられると思いますが、それは一部は当たっていても大方は違います。私がどのようにして武道史研究を自分でできるようになったのかを順を追って少しお話ししておきます。
私が武道史に興味を持ったのはいつもお話ししているように中学校で剣道部に入った時からです。上下振りの稽古まではそれほどの違和感は覚えませんでしたが、打ち込み台を打ち始めてから面を打って向こうへ継足で走り抜けていくことに大きな違和感を覚えたのです。上下振りと違って対象を斬っていないのです。当てたのちに走り抜けていく動きは打撃ではあっても斬撃ではありませんでした。この時点で私は「この中学校で行っている剣道は剣道という名を持ちながら西洋のスポーツとミックスされたものであり武士が行っていた剣道とは違うものではないか。ほかの学校では違う剣道が行われているのではないか。」と思いました。しかし、試合に出たときにほかの中学校も同じ剣道をしているのを見て、「剣道そのものがGHQによって白兵戦で使えないようにスポーツに変えられたのではないか?」と思ってしまいました。ついでに同じ会場で行われていた柔道の試合を見てショックを受けました。「柔よく剛を制す」という言葉に幻想を抱いていたのにその幻想は打ち砕かれてしまいました。目の前で繰り広げられていたのは力と力のぶつかり合いで筋力の勝るものが弱いものを引きずり回している試合でした。
その後、中学生が読むことができる武道史の本を読み漁りました。下川潮の『剣道の発達』も中学生の時に読みました。中学生を卒業したときに書店で働いていたおばに勝ってもらったのは山田次郎吉全集で『日本剣道史』もこの時に読みました。梅本先生に入門してからは先生が『武術叢書』をコピーして読ませてくださいましたし、オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』をお貸しくださり読みました。『弓と禅』はすぐに買い求めました。月間武道に連載されていた渡辺一郎先生の著述を読ませていただいたのもこの頃です。広島に現存する古武道がないので広島県史や市史の武道史に関する記述も読みました。しかし高校生の頃には、それが限界でした。もしその頃に実地調査をしていたらいくつもの流派の免許皆伝の方が御存命であったことと思いますが、高校生には思いつかないことですし、思いついたとしても交通費がありませんでした。
そうこうするうちに大学入試が迫ってきました。筑波大学の体育専門学群に剣道専攻で入り、比較文化学類を受け直したことはお話しした通りです。2年間は武道史の勉強は停滞しました。
今日はここまでです。
大阪講習会での気づき 8 澁川一流柔術は最終的に刃物を相手にして身を守ることを目的にしています。触れたら切れるのですから繊細な心と動きが必要になります。素手と素手で行っている稽古はその過程です。
いつもお話ししているように受は捕を導かなければなりません。導くためには捕の心の状態や技量に応じてしかけけていかなければなりません。大石神影流の打太刀や無雙神傳英信流の打太刀が行わなければならないことと同じです。穂の技量が伸びるようにしかけていくのです。捕の技量を考えずに仕掛けていくような人は受を務めるレベルにはないと言えます。繊細な稽古を心がけてください。
- 2023/03/08(水) 21:25:00|
- 武道史
-
-
2度目の筑波大学の入試に合格して筑波大学比較文化学類で学ぶようになってからはしばらく武道史というよりも武士道に関する書籍を読み漁りました。新渡戸 稲造の『武士道』の英文や日本語訳は当然のこととして、山本常朝の『葉隠』、大道寺友山の『武道初心集』、山岡鉄舟述 安部正人編の 『武士道』、井上哲次郎, 有馬祐政 共編の『武士道叢書』や『甲陽軍鑑』等々。
武士道と武術家の思想の異同ははっきりわかりました。また一口に武士道といっても時代や地域、立場によって思想や行動が変わる者であることも学びました。 ここまでは各支部で行っていただいているような地域の武道史の勉強のレベルとそれほど変わるものではありません。
比較文化学類で学ぶようになっても体育専門学群の中林先生の研究室をお訪ねして個人的に学ばせていただいていました。また、中林先生の武道論の授業もとらせていただきました(筑波大学は授業をされる先生の許可さえいただければ他学群学類の専門科目を学ぶことができました)。卒業論文は北条流兵学についてでしたが主となる指導教官は仏教の奈良先生、副の指導教官は中林先生になっていただきました。実質的に指導いただいたのは中林先生でした。兵学の研究ですが、原史料に当たることはなく復刻された書籍によって卒業論文を書きましたので、これも支部で武道史の調査をされている方と大した差はありません。北条流兵学の研究ではあっても実際に兵学を伝える人はおられませんので大したことはわからず、戦中戦後兵学や軍事史の研究をされた有馬成甫先生と同じく兵学の研究をされた石岡久夫先生に中林先生のご紹介でお会いし、少しお話をお伺いしたくらいでした。今に思えば貴重な御縁を活かすことができませんでした。
卒論発表ののち、航空自衛隊幹部候補生学校に進む私に中林先生は「働くようになっても武道史の研究は続けなさい。」と声をかけてくださり、その教えに従って今に武道史の研究を続けていますが、航空自衛隊で幹部自衛官をしている間は武道史の研究はできませんでした。
大阪講習会での気づき 9 澁川一流柔術ではことさらに受け身の稽古はしません。まったくの素人に一二回示せば終わりです。昨日もお話ししたように繊細な稽古を心がけているので、強く投げつけるということもなく、投げられながら稽古します。上達していく頃には受け身は身についていますので普通に技をかけられても対応できるようになっています。
受け身で大切なのは自分の臍を見るということです。ことさらに受け身の稽古をしないのは畝先生が若いころに稽古されたときにもそうです。畝先生も「投げられながら受け身の稽古をする。」と指導してくださいました。
現代武道的な考え方から抜けきれない人は何事もパーツに分けて稽古させようとし、またしようとしますが、そのような稽古方法はなく、またすべきではないと考えます。
- 2023/03/09(木) 21:25:00|
- 武道史
-
-
航空自衛隊の幹部自衛官時代には武道史研究はできませんでしたが依願退職をして広島に帰ってからしばらくして落ち着き、中林先生のお教え通り武道史の研究を始めました(この時にはすでに中林先生はお亡くなりになっておられました)。広島に古武道が残っていなかったので、私の武道史研究は広島藩の武道史の研究から始まりました。
手始めにもう一度広島県史、広島市史の武道史に関する部分を読み、広島県立文書館に行き武道史関係の古文書の存在を尋ねましたが、答えは「ありません。」でした。武家文書は多くあるのに武道関係のものがない理由を尋ねると、「先輩方に武道に興味がある方がおられなかったのだと思います。」との答えでした。さすがに平和県です。徹底していました。今広島県立文書館にある武道史関係の史料の90%はその後に私が武道史調査の過程で知った古文書を所蔵者に寄託や寄贈していただいたものです。
県史や市史からではほとんど何もわかりませんでしたのでさらに古く明治時代や大正時代に書かれた書籍に当たりました。そこには墓石の所在や墓碑銘が記されていました。また町史や村史にもあたりました。墓石の所在地から訪ね当てたのが貫心流の細家の所在でそこから貫心流の研究が始まりました。また町史、村史の記述からたどっていったのが難波一甫流です。町史、村史を中心になって書かれた郷土史家の先生方をお訪ねして直接教えを受けました。広島藩の渋川流の研究もここから始まりました。ここらあたりから直接原資料を読んでの研究が始まりました。
広島藩の武道史の研究が原爆の影響による史料の消失という現実に直面してとん挫している頃に出会ったのが津和野藩士原田康人の槍術の廻国修行の英名録でした。その後研究が広がり、柳川古文書館を訪ね。それが大嶋流や大石神影流の研究につながります。
土佐藩の武道史の研究は意図的に行っているものです。土佐藩の居合についてはいい加減なことばかりが言われ史実が表に出ていません。これは「先生が偉ければ自分が偉い。」という図式に乗って嘘が真実となり、推測が真実となっていったためです。もう25年以上は研究していますが、原史料がなかなか出てきません。この25年の調査の過程で細川さんと面識を得たのですが細川家の武道関係の原資料が持ち去られているという事実にも直面しました。筆写相伝と言っていたものがたんなる相伝となり林崎神社の奉納額には伝書拝受記念とまで記されています。借りられたはずのものがどこかへ消え去ったのです。居合の伝書のみならず他の武道の伝書や神文迄ごっそりなくなっています。
武道史の研究をしていると細川家だけでなく有ったものがなくなっているということがしばしばあります。子孫が興味を持たず捨ててしまったり、骨董屋に行ったり、家が絶えていたり、借りられてそのまま返却されていなかったり・・・。
新たに史料が出てくることもありますが、骨董屋に出てしまうと流通過程でその流派が行われたのではない遠い地域に行ってしまいますし、個人の所蔵になるとわかるべき真実もわからなくなってしまいます。
貫汪館に所属する方は、武道関係の古文書が知人の個人に所蔵されているときには許可が得れれば写真に収めてください。
私の武道史研究はこれでおしまいです。日本武道学会中四国支部会で「どのように史料を見つけているのか。」という質問が出ましたので、気が向いたときにそれについて記します。いろいろな方法があります。
大阪講習会での気づき 10 形を求めることは上達から遠ざけてしまいます。また頭を使うことも上達から遠ざけます。自分の状態は感じるのです。特別の時間に何かを稽古するというのではなく四六時中です。何をしていても肚で動いているかどうかは自分で感じます。動けていなければ動けるようにするだけです。稽古の時間にそれを稽古しようとしても身につくものではありません。基本中の基本なのですから。
また外形を作ろうとするのはしてはいけないことです。形にとらわれ絶対に抜け出すことができなくなります。内面ができるから形ができていきます。しかも自然にそうなるべくしてそうなるのです。頭で計算して作るものではありません。頭は使ってはいけません。気付いたらそういう形になっていた。そういう稽古をしてください。
- 2023/03/10(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
貫汪館には支部があり支部長が支部を統括しています。支部長は館長の代理として支部を支部員を指導します。師範代といってもいい立場にあります。師範代はあくまでの師範の代理であり師範の指導を代わって行っています。故に師範代独自の考えで弟子を導くことはありません。館長の指導を代わりに支部長が行っているのであり館長が考えるとおりに指導が行われなければなりません。これはロボットになれということではなく、教えている人は年齢も様々考え方も様々体つきも様々ですので、館長の考えに基づいて個々に応じた指導はしてもよいということです。
私がもし無雙神傳英信流、澁川一流、大石神影流を自分の勝手な考えで稽古していたら今の私はありませんでした。
私が自分の思い中心の稽古をしていたら無雙神傳英信流の師である梅本三男先生は私に個人指導はおろかまともに指導してくださらなかったであろうとおもいます。入門したときに「教えるということはコップの水を全て注ぎ込むということで、注がれる方にすでに水が入っていればすべてを注ぐことは出来ない。」と教えてくださったほどですから。
澁川一流柔術では畝先生は「弟子の権利は師を選ぶことくらいだ。」と入門を許してくださったときにおっしゃいました。師が教えられるとおりに稽古するのは当たり前のことでした。畝先生は同時に「師弟と言えば親子も同然。我が子の危機に際しては親は自分の命を犠牲にしても子を助ける。」とおっしゃってくださいました。
大石神影流では大石先生は入門を許してくださったときに「森本さんがすべてを私から学べば、大石神影流は森本さんが師から独立して教えることになります。それが大石神影流の代々のありようです。そのためには教えることを全て身につけてください。」とおっしゃいました。後に入院されたときには「いい息子ができた。」とまでおっしゃっていただきました。畝先生のお言葉と同じような内容です。梅本先生のもとに新興宗教の教祖様が修行に来られていた時にも「梅本先生は森本さんを実の子のように思っておられますよ。」と話してくださいました。
とかく修行する過程では自分の思いというものが頭をもたげてきて、このほうが良いのではないかと考えたりします。そのときに自分はまだ修行中の身であり師が教えられることを身につけねばならないと思った人は素直に伸びて行けますが、もし自分の思い中心の稽古、指導をしてしまったらそこからは自分自身だけでなく支部員も大きく道を外れていきます。
時に以前の講習会ではよかったのにと思う支部員がいます。次に稽古したときにはダメになっているのです。しかもそのダメになり具合が支部長と同じことがあります。支部長は自分の責任を思い、まっすぐに稽古、指導しなければななりません。
- 2023/03/11(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
例えば自分が好きなタイプの車がコンパクトな車だったとします。それをもって大きなSUVに乗っている人に対して小回りが利かず燃費も悪く、楽しくないだろうと言ったら大きなお世話です。人ぞれぞれ楽しみは異なるのです。
武道の流派にしても同じことです。様々な流派があるのは目的に向かって歩くときの道の異なりで何が良い悪いではありません。人によって歩く道の好みは異なるのです。自分の好みで流派を判断することは間違いです。
大切なのは武道の流派はこの車に飽きたから次はこっち、その次はあれにしようところころと変えることができない点です。世の中にはそのように、ころころと流派をかえる人もいますが、大成することはありません。流派を変えるたびにまた初めからなのですが、そういった人はえてして、こちらでここまで進んだからあちらでもそここら進めばいいと安易な考えを持ちます。歩き始めたばかりで形を知っただけなのにできたつもりでいるのです。
- 2023/03/12(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
現代武道を経験した人は素振り何回、素突き何回といったように自分に毎日ノルマを課して稽古しがちですが、貫汪館の流派の稽古では、数を稽古するとき以外ノルマを課しての稽古にはあまり意味がありません。1回良い動きができればそれでいいのですし、身についたらしなくてもよいのです。むしろダメな動きを繰り返せば繰り返すほどダメな動きが定着して抜け出せなくなります。
たとえば斬撃を毎日100回ノルマを自分に課して稽古したとしても、その100回が手慣れただけの動きで、動きの質を全く考えていない動きであったとすれば害悪にしかなりません。また、いくら蹲踞が大切だとしてもスクワットをするための蹲踞ではないのでダメな脚力をつけるための動きを繰り返していたら斬撃のダメな稽古と同じになってしまいます。
以前も述べましたが基本的な稽古であるがゆえに基本が違う方向に行ってしまえば取り返しはつきません。ダメな基本の上にいくら形・手数の稽古を重ねても全く異なったものになるだけです。10日ダメな稽古をしたら戻るには確実に10日以上かかります。10日遠ざかったら戻るには20日以上かかると考えた方が良いと思います。そのための手直しです。ひそかに上達しようと思ってもかえって下手になることの方が多いものです。
- 2023/03/13(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
流派にはそれぞれ稽古のための約束事があります。
たとえば澁川一流柔術の当ての形は四留が習得できるまで(たんなるまねごとができるではありません)教えない。無雙神傳英信流の奥居合はよほどできるようになり師から許しを得る段階にならなければ教えない。大石神影流の神伝截相は免許皆伝のときに教える。
そのようなことは教えているはずですので必ず守ってください。隠すためではなく上達させるためです。段階を追っていかなければ道をそれ上達できないのです。先を教えようと思ったら、今稽古しているところをしっかりと身につけさせることが大切で早道です。
- 2023/03/14(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
『塵壺』は長岡藩の河合継之助が備中松山藩の山田方谷に学んだ時に一時方谷が不在となったため、その間山陽道から長崎まで行き熊本を経て備中松山まで帰った時の道中記です。武術修行の廻国日記ではなく学者の見分記録のような感じですが、多少武術とかかわりのある個所や、武術にかかわりがなくても興味深い箇所がありますので何回かに分けてそのようなところを記していきます。読みたい方は東洋文庫から出版されています。
さて今日は広島に関する箇所です。広島については「余り富国にはあらざる由、貧富は実に仕方に限りりし事なり。河の掘り方と云い、戸口の多く、繫華なるは、三都を見ざれば驚く可き程なり。」と述べています。これは柳河藩の大嶋流槍術師範加藤善衛門の弟子で槍の武者修行をした諫早の藤原左右一という武士が記した『大日本諸州遍歴日記』に記してある広島の賑わいは長崎に勝るという記述と一致します。また藤原は広島の上の者は下の者のことを考えていないという意味のことを記述していますがこれも河合が記した「貧富は実に仕方に限りりし事なり」と同じような意味にも取れます。今も昔も広島の為政者は民のための政治をしないのでしょう。
河合継之助が広島について褒めているのは間引きが行われていないことです。「亦、安芸は至て人衆(おお)し。これは近国と違いマビカざる故なりと。万一、右様の事知れると、重罪に行われる由、これは善政なり。」と記しています。
- 2023/03/15(水) 21:25:00|
- 武道史
-
-
河合継之助はあまり個々の武術に興味はなかったようですが岩国の記事に「錦帯橋見物の中、面・小手・シナイを持ち、数々往来するを見る。」とあります。これは藩校で稽古する岩国藩士の事とも取れますが、岩国は山陽道を廻国修行する人たちが通らざるを得ないところなので廻国修行する人たちが多くいたと読むこともできます。安政6年(1859)年のことですので、すでに剣術の稽古にはほとんどの流派で胴が用いられていると思います。「面・小手・シナイ」と書いて胴を書いていないのは多くの流派が胴を用いるようになる前には防具というのは面・小手であったので、その頃の名残で防具というと面・小手と書いたのでしょうか。
- 2023/03/16(木) 21:25:00|
- 武道史
-
-
河合継之助の福岡での記事です。
又、同宿に加州のお人あり。町人の出立にて、町人にてもなき様子、其の人、日本国中、諸藩の様子、家数、物成り、いかにも委しく咄を致す。奇体の男也。・・・その他諸々の咄、戸口の多少、城下はたいてい行きしと云う。歴々たる話し故、虚(うそ)かは知らざれ共、面白く思いしなり。何をする人と尋ねければ、葉商人にて、ぶらぶら遊び居るなどと云いて答えず。曽て聞く、加州藩は観国者を出すと。其の人にてはなきか抔と思いしなり。 いわゆる情報収集のための忍者なのかもしれません。
現代で忍者と自称する人たちもロシアの現在の国情をつぶさに調べてきたり、戦況を調べ、後方攪乱をしてきたら本物の忍者と認められると思いますが、売り物の忍者であればそのようなことはできずに、イメージ上の忍者をビジネスとしておけばよいというところでしょうか。
長州藩では廻国修行に出る者には必ず訪ねた国の国情を届けさせていたという記録が残っています。柳河藩は長州の武士が城内を歩いているので非常によろしくないとしています。師として仰ぐ加藤善右衛門や大石進の柳河藩でさえ偵察していたのでしょう。
- 2023/03/17(金) 21:25:00|
- 武道史
-
-
河合継之助の太宰府あたりでの記録です。
朝立前、人吉の士云う、「用向ありて来れ共、未だ弁ぜず、退屈故、太宰府まで御供仕る」と。前夜よりの咄と云い、質朴の人にて、互いに名乗りもせずに懇意になる。我が不案内故、尋ねし事あり、それ故、連呉れる心持あり、達て辞退しけれ共、左様なる訳には之無く、退屈と云わる。幸いに大宰府道も知られ、都合も宜し。妙なる男也。
「何御用に御出でか。」と尋ぬるに、
「鎗剣の道具に致す牛の皮を求めに来り、其の用はいまだ済まず。」と。
国よりは値廉にて一皮壱両弐分くらいと。先に中国にて数枚を馬に付けしを見る。聞くに一枚二両位と。それに比すれば安く思う。中国の皮の値は我の聞く処なり、其の外、熊本へ注文の刀の咄など致す。武は励む処の様子、好人物也。此の男の振舞にて始めてシガタラを前夜食う。此の人、全体武人らしくも何となく当時は産物等に心を配り、経済に仕うる役人と思わる。
武道の稽古に用いる皮は、当時も高価だったのだと思わせる一文です。防具を着用した稽古が一般的になっているので皮も需要が多かったのかもしれません。
- 2023/03/18(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
河合継之助はその土地その土地の国柄人柄について述べています。岩国については
土着の士も多くある由。法厳くして、人驕らず、人柄も穏かに思わる。わずかの隔りにて、宮島とは雲泥の違いなり。 佐賀については
全体、佐賀藩は驕慢の風ありと人も云い、我も左思え共、此の如き下郎迄、己の国程好(よ)きは無き様に自慢し、予聞くに厭きたり。これは尤も変人なり。去り乍ら親切にも案内の心持故、我も能に挨拶す。
河合継之助が他藩についての風聞と自分の思いと実体験から国風を述べています。
帰りの福山では
福山の名産、油餅、其の外、色々の菓子の名を、此の辺の者、誇る。依って油餅を食し見る。なるほど菓子は好き(よき)所の由。人の悪き所の由。治政、開けも相応にあり。 と書いています。
- 2023/03/19(日) 21:25:00|
- 武道史
-
-
河合継之助が長崎経由で雲仙をへて熊本に入った時の話です。これまでの記事にも面白いものはあるのですが武道に関係する話ではないため省略します。
刀鍛冶(延寿信勝)を訪ね、其様子を見る。これは先に筑前にて、同宿の士の咄ある故也なり。短刀二本を見る(清正の品もある由)、なお瑕ある菊池鎗を見る。相良の士、注文の咄も虚に非ず。 柳河藩の加藤善右衛門に入門中の高槻藩士 藤井又市の廻国修行の日記にも延寿を訪ねて延寿の槍で鉄板を試した記事があるので延寿は商売上手であったのかもしれません。
- 2023/03/20(月) 21:25:00|
- 武道史
-
-
河合継之助が瀬戸内海の船の中で乗り合った薩摩の武士に関する話です。
乗合に薩士の剣客、江戸へ修行に出る者、義弘(島津義弘)、万里朝鮮征伐より帰国の節の歌とて歌いたり。尤も奇なり。又我に豊後(銘は忘る)の刀をみせたり(これは道中にて求めし様子)、美事なる品なり。其の質朴実に戦士也。我れ、蘭画の咄をせし処、頻りに乞われ見せたり。 来嶋又兵衛も大石導場に廻国修行に来た薩摩の武士に就いて日記に「剛勇」という言葉で評しています。当時薩摩の武士は他藩と異なる気風を持っていたのでしょうか。
「薩士の剣客、江戸へ修行に出る者」と記しているので防具着用の稽古をする者であると思います。薩摩で行われていた直心影流か、その他の防具着用の稽古をする流派かわかりません。それ以上の情報は記されていません。
- 2023/03/21(火) 21:25:00|
- 武道史
-
-
河合継之助の福山までの記録です。
宿屋、所々行きけれど共、独り旅の故か宿さず。文武宿へ行き、宿ル。大村(大村家二万八千石)の剣客三人も宿り居れり。我に帳面を見せける。 文武宿というのはいわゆる修行者宿のことで、そこに泊まれば1,2泊程度はその藩の支出で食事もできる宿です。河合継之助は文武宿と記していますので「文」の廻国修行者もかなりの数がいたのでしょうか。
「我に帳面を見せける。」というのは廻国修行者が持ち歩く英名録(試合をした相手方にその道場・流派で稽古する人の名前を書いてもらった手帳)を見せてもらったということでしょうか。河合継之助が福山を訪ねたときには大村藩神道無念流師範の斎藤歓之助はすでに中風(酒の飲み過ぎといわれています)になっていますが、斎藤は何度か福山に指導に行っています。ちなみに福山藩には元長州藩陪臣で福山藩に養子としてきた河内俊雄がいます。河内は多年大石導場に詰めて免許皆伝を得ており、大石神影流は福山で明治まで続いていました。
これで河合継之助の『塵壺』からの抜き書きは終わります。興味がある方は東洋文庫の『塵壺』をお読みください。
- 2023/03/22(水) 21:25:00|
- 未分類
-
-
見せても見えないのは稽古する者のレベルが低いからですが、話していても全く覚えていないのは自分の興味関心がそこになく、自分がこうだと思っていることを信じ込んでいるからです。極論すれば素直でないのです。
これは各支部の初心者だけでなく支部長クラスにも起こります。すでに何度か直接話しているのに全く知らなかったかのようにあらためて聞く聞く支部長もあり、ダメだと直接何度も言っているのに、ダメなことを指導する人もいます。その人のために1対1で二度くらい話していても忘れていたり覚えていない支部長もいるのです。自分が思っているのと同じことは聞けても、自分の考えと異なることは全く耳に入っていないのです。馬耳東風です。
自分が聞きたいことだけを聞いているのでごっそりと抜け落ちているところがあり、それが基本的な部分であると何年経っても全く上達しません。「我」中心なのです。自分では聞いてそれに従って素直に稽古しているつもりでも、聞きたいところだけをを聞いているのですから上達しません。稽古年数が長くなり自分はわかっていると思う人におきがちなことです。
上達の速い人なら「一を聞いて十を知る」のですが、十を聞いて自分にとって都合の良い0.5だけを聞き取って9.5は捨ててしまい、その0.5を10だと思い込んで稽古をするのです。かって、ひどい場合には10教えたのに全く反対のマイナス10の方向に聞きとっていた人もいました。「我」の塊です。
せめて聞きとれるように稽古に臨んでは自分の「我」をなくして全てをそのままに聞かなければなりません。何度も言っていることなのですが上達しない原因は「我」です。
- 2023/03/23(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
心に焦りがあると、受や仕太刀の動きにお構いなく自分の思いで動き拍子が合わなかったり、素抜き抜刀術では敵がいない、ただ速いだけの動きをしてしまいます。ゆるゆると動けないのです。
それを直すには素抜き抜刀術では座したのち自分の中で最も深い呼吸を2回したのちに動き始める稽古を繰り返し、抜付けたときには必ず敵をしっかり見てから動くように心がけてください。また柔術や剣術・太刀打などでは打太刀や仕太刀の動きに応じて動くように心がけてください。焦りは拍子が合わず隙となりますので必ず直さなければなりません。
- 2023/03/24(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
初心者でなければ、大切なことを二度も三度も同じことを指導しません。中級者になっているのに大切なことを指導されてもそれに取り組まないのは自分が取り組みたくないか、どうでも良いと考えているのです。
ここを直さなければ上達はなく下達してしまう原因となると考えて指導するのですが本人がどうでも良いと思っていることを二度も三度も指導することはありません。本人にとってどうでも良いことと考えるのであればその時点で心は流派から離れていて自分自身が考えたことをしたいのですから流派の中での上達はありません。取り組みたくないのも同じことです。難しいから取り組まないのであればそれ以上のものを身につけることは出来ません。そんな事よりもほかのことを先に身につけたいと考えるのであれば根幹よりも枝葉を身につけたいのですからそれ以上成長することはありません。
このような人は自分がそう考えていることにも気づいていないことがあります。何を教えられたのかを整理するところから始めてください。
- 2023/03/25(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
流派によっては真剣形試合といったり、たんに形試合と云ったりするようですが、私たちの流派にそのような言い方はありません。
稽古は動きの稽古のための形・手数の稽古と奉納のための稽古あるいは奉納そのものに分けてもよいかと思います。動きの稽古のための形・手数の稽古であればダメなところを直しながら稽古しますので動きを中断したり繰り返したりと正すための稽古をします。奉納のための稽古や奉納そのものは前述した真剣形試合または形試合です。形・手数を行いますが、真剣勝負と変わりません。場に出るときに隙があったり形・手数の合間に隙があったりすることはあり得ません。人によっては場に出るときに敵のないたんに場に出るのだという動きをしたり形・手数の合間にたんに移動するのだという動きをして打太刀と仕太刀の間には全く緊張感はありません。場から出る時も同じで下を向いたり、終わったという心がそのまま表れる人もいます。動きの稽古のための稽古と奉納を同じにとらえているのです。
一番ダメなのは奉納であるにもかかわらず最初から対敵動作になっていない演武です。心がパフォーマンスか何かをする状態にあり終始対敵動作の真剣勝負になっていないのです。こういう人は「武」とは何かを真剣に考えなければなりません。
- 2023/03/26(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
インターネット上に、とある捏造流儀を見てある方が他の近縁流派と異なると評している一文がありました。その流派は大半を伝書からつくった流派です。「自分の師がその師の伝書を見て・・・」と指示したという話まで捏造して自己正当化を図った流派です。師が免許皆伝を得ていたなら全てが伝えられているので、さらに自分の師が受けた伝書をその家に行って見よと指示するわけがありません。もしそう言ったとしたら師が免許皆伝を授かっていなかったということを公言しているようなものです。師が免許皆伝を授かっていなかったか、「自分の師がその師の伝書を見て・・・」と指示したいう話が捏造であったかいずれかになります。
そもそも他の近縁の流派と違うのは捏造したものであるので当然です。自分だけが真実を知っているというためにはあえて他派と異ならせなければならないのです。このようなことが行われる古武道の世界です。「古武道」として一ひとかたまりで見たときには文化財になるのは困難でしょう。
- 2023/03/27(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
大石神影流の稽古をするときには形の手順を覚えたら試合口五本なら五本すべてを続けて行い、陽之表なら十本全てを続けて行うということは述べたとおりです。これは無雙神傳英信流でも同じで大森流十一本は続けて稽古しなければなりません。澁川一流は形のグループの形数が多いので途中で休むことはあったにしても目録の形の順番で稽古していきます。
形と形の間で気を抜くことなく続けて稽古することに意味があり、気を抜いてしまえばバラバラに稽古しているのと変わりありません。
初心者が行う礼法の稽古や斬撃の稽古も同じで一つ終わって気を抜きまた一つ終わって気を抜いていたら身につくことも身につきません。気を抜いてもかまわないのは休憩の時間だけだと考えてください。
- 2023/03/28(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
剣術・居合・柔術に限らず相手と間(距離的な間)があるときには心に隙ができがちです。
たとえば大石神影流では通常仕太刀が三歩進んで打太刀・仕太刀の切先が交差する間に入ります。初心者は三歩進んでからが手数の稽古だと安易に考えてしまい。相手との間(距離的な間)があるときだけでなく、相手に接近していく間も隙だらけな方がおられますが、おそくとも双方が上座に礼をするときから心はつながっていなくてはなりません。隙があってはならないのです。
素抜き抜刀術の形を行う時も同じで座る前から仮想の敵は存在します。座ったのちに呼吸をするときに仮想の敵が現れるわけではありません。太刀打は大石神影流と同じです。詰合も座ってから形が始まるわけではありません。上座に礼をするときにはすでにつながっていなければならず刀を抜き始めてからではありません。
澁川一流柔術しかりです。蹲踞をするときにはつながっています。蹲踞礼の後に隙ができ、新たに形を始めるわけではありません。技をかけて離れたのちに目だけは相手を見ていても体は隙だらけで心が相手ともつながっておらず形の初めの位置にささッと戻る人もありますが大間違いです。隙だらけなのです。
自分がどのような状態にあるかを感じてください。
- 2023/03/29(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
言葉に言霊が宿るというのは知られたことです。日本は「言霊の幸ふ国」であるというのも聞いたことがあると思います。正しく思い言葉にすれば実現するようです。
ことさら言葉に出して言いたてることを言挙げといいます。自分の意思を言葉にしてはっきりと宣言すること上げなのですが、それが自分の慢心に基づくものであった場合にはかえって災厄をもたらすと考えられています。慢心に基づく言挙げがしてはならぬものであって言葉そのものが悪いものではありません。
世の中にはわかっていなくてもその場を取り繕うために「わかりました。」と言い、できもしないのに言挙げする人もいます。自分が武道の稽古をするにあたってどのような言葉を用いているのかも考えてください。
- 2023/03/30(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
相撲用語で「死に体」は姿勢のバランスが崩れ、そこからは回復できない状態を指すようです。居合・剣術柔術の稽古でも死に体になってはいけません。
無雙神傳英信流の素抜き抜刀術では正座・立膝で動いていないときは動いてはいませんが心も体も生きています。立派にみせようと作った姿勢はしていません。作った姿勢は死に体です。抜付けから斬撃に至る間、振りかぶった時に一瞬敵を見定めますがこの時にも体を固めているのではありません。斬撃後、血振い後もしかりです。動きは止まっていますが固めているのではなく心も体も生きています。
大石神影流剣術や無雙神傳英信流の太刀打・詰合では打太刀を務める者で手数・形の稽古で死に体になる人があります。特に特定の他流派の経験者で形と演技の区別がついていない人にありがちです。打太刀を務めているのにいかにも負けましたという演技をするのです。打太刀は仕太刀を導きますので死に体になっては導けません。未熟でそうなってしまうのであれば稽古によってそれを正すことができますが、演技をするという考えがあれば正しようがありません。打太刀・仕太刀の別はありますが負けるほう、勝つほうという演技をしているわけではないのです。
柔術もしかりです。演技をする人は受を務めて受け身でも演技をします。いかにもやられましたというように前に飛んだり後ろに飛んだりします。これでは最終的に稽古する裏の形ができようもありません。
どのような状態にあろうとも心と体は生きていなければなりません。
- 2023/03/31(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-