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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

形稽古の形骸化(居合)

 居合においては時に素抜き居合術で形骸化しますので、心しておかなければなりません。想定があり、仮想の敵がありますが、仮想の敵の位置や間合いをきっちりと決め、敵との間合いはこの距離、敵の頭の位置はこの高さ、斬り込んだ切先は床から何センチメートル、抜付けで抜付けるのはこの高さと決めて稽古してしまうと、その条件にきっちりあった相手にしか対処できなくなってしまいます。
 これまで柔術や剣術で述べたように、相手の身長・体重等はすべて異なっています。想定の固定化は居合の稽古の形骸化をもたらしてしまいます。植田平太郎先生が記しておられるように抜付けは「相手の右側面」であり、素抜き抜刀術であっても、自由でなければなりません。

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  1. 2018/08/01(水) 21:25:00|
  2. 居合 総論

心の教育と金儲け

 人を育てる、子供の心を育てるという目的をもった活動と、それらを通じて金儲けをするのは表面的に同じような活動をしますが、全く目的が異なります。
 僧侶や神官が宗教を通じて金儲けをしようとするのか、あくまでもお布施や寄進で生活して人のために働くのかという違いがあります。
 人を育てる、子供のためにと表に出しながらその目的が金儲けで、物販で収入を得るためであれば必ず、どこかの宗教にあったような矛盾がその教えにはあります。たとえば子供の心を育てるためには、という講座やセミナーが夜、頻繁に行われているのであれば、実際には子供と親との時間を奪っていることになります。
 武道を稽古する方はそれに気付く感覚と目を養い、騙されないようにしなければなりません。世の中には騙されて自ら積極的に協力している人が多くいるのを見ます。物事を見る感覚や目を養わなければ、その協力している時間は、自分の子供を育て、身内のために動ける大切な時間なのだということにも気付けなくなるようです。

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  1. 2018/08/02(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

小城藩興譲館 1 寄宿者

 藩校教育は寄宿の制度など興味深いものがあります。手許にある資料から現在の佐賀県域の藩校についてみてみます。
 小城藩の藩校である興譲館に関する記録は残っていないようで個人の記憶によって記述されているようです。
 小城藩の興譲館は天保末年に拡張整備されています。藩士の嫡子は15才より24歳までは入学寄宿する必要があり、食事は藩からの支給です。よほどの人材でなければ、この年齢の者は藩の職には就けなかったようです。 次男以下は希望すれば寄宿でき、食事は半分だけ藩からの支給になります。
 藩士一般は毎月10日に経書の講読を生徒とともに聴聞します。
 藩士以外は興譲館には入学できず寺子屋または家塾でまなびました。

 卒業した藩士で優秀な者は藩費で遊歴し遠方の師につかせることがあったようです。また24歳に満たない者でも私費で遊学する者にはこれを許したようです。

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  1. 2018/08/03(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

小城藩興譲館 2 教育内容

 興譲館の年齢ごとの教育内容を記します。
15歳 素読、返書、四書五経
 ※なぜか武術の稽古は入っていません。記し忘れでしょうか。
16歳 読史、蒙求、左伝、国語、史記、前漢諸、小学内外篇
    槍釼弓馬試撃 錬馴毎夕
   ※釼と試撃を別に記しているのは形稽古と防具着用稽古を別のくくりでとらえているのでしょうか?これだけではわかりません。
17歳 読史、詩文、三国志、文章軌範正読、三體詩
    槍釼弓馬ノ稽古前ニ同シ
    経書、孟子、論語、会読、毎月作文、作詩
18歳 読史、易知録、細鏡、八代家文読本正読、経書、大学、中庸、左伝会読
   ※武術は18歳以降書いてありませんが、続いていたと考えられます。
19歳 読史、温史、綱目、経書、書経会読
20歳 読史、唐史、五代史、経書、詩経会読
21歳 読史、晋書、宋書、南北史、経書、易経会読
22歳 読史、宋書、金史、元史、明史、諸子類、律書類会読
23歳 国史類

武術は2術以上ノ免許ヲ得ルヲ要ス
※武術は2つ以上の免許を得なければならなかったのですから、小城藩士は全員免許を持っていたということになります。免許のレベルが比較的緩かったのか、全員のレベルが高かったのか・・・。

 こういう旧来のかたい学問の教育内容を受けてきた人は幕末の動乱には対応しにくかったのではないかと思います。

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  1. 2018/08/04(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鹿嶋藩弘文館 1 寄宿者

 小城藩と同じ佐賀藩の支藩である鹿嶋藩では安政6年に藩校教育の刷新が図られ、徳譲館を弘文館と改めます。
 寄宿する者は小城藩よりは緩やかであったようで、4等士族以上の子弟と5等士族以上の長子で15歳以上のものは必ず寄宿舎に入れたとあります。小城藩と異なって身分によって寄宿舎に入るべき者がことなっています。また半食の科米を給したとありますから、小城藩と異なりおかずと残り半分のコメは自分持ちであったことになります。
 寄宿の年数に関しては4等士族以上の長子は3年以上、そのほかの者は2年以上、とありますので小城藩よりは緩やかです。
 15歳未満のものと1等卒(足軽でしょうか)の長男は遠方の者を除き弘文館付属の明倫校に通学する必要がありました。
 小城藩と同じように遊学も許可され、優秀な者は藩費を出し、私費で遊学する者にも試験を課したうえで学費を半額補助したようです。

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  1. 2018/08/05(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

学ぶ(マニュアル依存からの脱却)

 学ぶために最も大切なのは、結果を安易に出すことではなく、自分自身で、結果を出すための過程を試行錯誤することにあります。
 しかし、世の中には子供たちに、安易に「こうすれば結果が出る。」「こういう方法をとれば、簡単に目的を達成できる。」というマニュアルにのっとって楽に物事を行なわせようという流れもあります。簡単に結果をださせる方法を提示したほうが、保護者も結果が出たと錯覚し、提示する人物が素晴らしいとか、優秀な人物だと誤解を与えることができ利益を得ることができるからです。教育ではなく、自分の利潤追求のためにそのような本を書いたり、提示しているのです。しかし真の教育という面からみれば全くの詐欺的、利潤追求的行為なのです。
 マニュアルに依存して結果を出すのは非常に簡単かもしれませんが、結果を出すまでの試行錯誤の経験を子供たちに積ませることができません。試行錯誤の経験がないため、マニュアルに依存して、物事がスラスラできるようになったと錯覚している子供たち(保護者も)は、新たなことに直面した時には、マニュアルがなければ何もできなくなってしまいます。
 特に子供のうちに結果を安易に出せるマニュアルにのっとって物事をさせるのは子供が延ばすべき能力を奪ってしまうことになります。子供に苦労させなければならないというのは物事を解決する能力を自分自身でつけさせるためなのです。したがって、どんなに時間がかかっても大人は、辛抱強く待たなければなりません。
 武道の修行も同じで、良師は安易に方法を教えないどころか、「見てとる」ことを良しとします。自分自身で工夫してみてとったものは自分の身になり何かあった時に応用でき、役に立ちますが、マニュアルにのっとってできるようになっただけでは、自分自身で何かするとき、新たな事態に面した時には応用ができないからです。
 親や師となるものがなすことは子や弟子が自ら試行錯誤し、工夫して、自ら方法を見つけながらも、どちらが良いかと迷い、教えを求めてきたときに、わずかに道を示すことです。また、子や弟子が試行錯誤を重ね自ら導き出した方法が間違いであり、それに気付かずにつき進むときに、その道を正すことです。

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  1. 2018/08/06(月) 06:35:54|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鹿嶋藩弘文館 2 教育内容

 小城藩のように年齢による学科は記されていませんが、以下の教科書を用いたようです。
 四書、忠孝経、小学、五経、皇朝史略、日本政記、外史、国史略、大日本Ⅳ、十八史略、元明史略、清三朝実録、史記、館書、国語、綱鑑易知録、綱鑑補、皇明朝通記明朝記事本末、資治通鑑、等

 小城藩校では用いられていない教科書も用いられています。

 武術は弓馬槍釼砲術遊泳と記されていますが、4等士族以上は一つは目録以上、一つは免許を受けていなければ家督が継げませんでした。また5等士族は槍釼の二つが目録以上でなければ家督は継げませんでした。

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  1. 2018/08/06(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

唐津藩 志道館

 唐津藩は藩主の家がよく変わった藩で寺沢家、大久保家、松平(大給)家、土井家、水野家、小笠原家とかわっており、小笠原家が1817年から明治維新まで藩主となっています。
 小笠原藩の藩校は志道館ですが、詳しくは記されていません。生徒は7歳以上12歳までとあります。書籍は藩費で購入して師弟に貸与され、生徒は優劣の席順を共感に認定され臨時卒業したとありますので、優秀であれば早く卒業したのでしょう。
 志道館寄宿寮の規則もあるのですが、年齢等は記されていません。
 教科書は四書、五経、左伝、国語、史記、漢書であり、撃剣、柔道(ママ)、馬術、弓術を稽古したとあります。
 授業は早朝から三時間行われ、田井三吾は寄宿舎の九思両で自学自習であったようです。
「十六之日放程」「上已、上元、端午、七夕、盆中、重陽、右放程事」「天長節遥拝、唐津明神祭礼、釈典右同断」とあり、これらの日は休みであったのだろうと思います。現在より休みの日はかなり少ないことになります。

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  1. 2018/08/07(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

対馬藩田代領 東明館

 対馬藩田代領は対馬藩の飛び地で現在の鳥栖市にありました。この飛び地にも東明館が設けられました。他の藩校が藩士を対象としているのに対して東明館は一般の人々の入学をゆるし、儒学を主として撃剣、柔道(ママ)、鉄砲なども教育されたようです。
 東明館では無双一睡流と愛洲神蔭流が教えられ廻国修行者と試合をしていますが、対馬藩田代領で試合をし、英名録に名字が記されていても武士ではないかもしれません。
以上で佐賀県域の藩校については終わります。佐嘉本藩については別の機会に。

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  1. 2018/08/08(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

異なるもの

 私たちが稽古している無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術は学校体育的な動きや、いわゆるスポーツ的な動きとは異なったものです。練習を重ねれば筋力が強くなり、片腕が太くたくましくなるのではなく、上達すれば上達するほど、筋力は不必要になるものであるため、体育的な体格の向上はありません。
 ここが理解できなければ、素早く動こうとしたり、刀を力強く降ろうとしたり、相手を筋力で倒そうとする技にならない技から離れることはありません。
 今まで行ってきたものとは異なるものを稽古しているという思いをもって稽古してください。それが上達の近道です。

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  1. 2018/08/09(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

経験

 なにも苦労していない方には人の苦労はわかりません。あったとしても、思い通りにならない自分自身のフラストレーションだけで、それを自分の苦労と思い込んでいる程度です。自分のために苦労してくれる人がいても、当然のことであるし、それが苦労して成っているという事も理解できません。したがって他者がどれほどそのために心と時間と体を使っていても感謝の心は起きません。自分が経験したことがなく全く理解できないのですから、仕方ない事なのかとも思います。そのような方に理解を求めることは無駄な努力なのです。理解できない人が年を取り亡くなるまでに理解できるようになるかどうかすらわかりません。
 稽古も同じようなもので、この動きの方が無理無駄がなく楽なのだと説明しても、無理無駄な動きを経験していない方には理解はできません。比べようがないからわからないのです。日本人は体を使って作業することが少なくなっていますから、体を使って作業することに経験豊富な外国人の方が上達が早いのは自然なことかもしれません。
 不必要な苦労はなるべく経験しない方が良いのですが、苦労しているほうが上達は早いと言えます。

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  1. 2018/08/10(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

武道の負のイメージ 1

 明治維新以降、競技中心に変化していった現代武道はとくに戦時中は人を鍛えるという名目のために所謂シゴキが行われたり、体力的にもきつい稽古が行われることがありました。そのためか戦時中に武道教育を受けた方には武道を毛嫌いする方もおられ、その方たちの影響を受けられた方もおられます。
 そのような武道と私たちが稽古している古武道は異なるのだということも一般の方はご存じありません。むしろ古武道だからよりひどいのではないかと想像する方もおられます。このような負のイメージをどうすればよいのか、大きな課題です。

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  1. 2018/08/11(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

武道の負のイメージ 2

 古武道の柔術の負のイメージは歴史上意図的に形作られた部分もありますし、外来のジュージュツが古武道の柔術のイメージを異なったものにしている部分もあります。
 一般の方は柔術を柔道と同じように素手と素手で競い合うものというイメージをもたれています。このイメージをどう正すか。これも課題です。

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  1. 2018/08/12(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

古武道の負のイメージ 3

 日本は「葦原の瑞穂の国は神ながら言あげせぬ国」とうたわれるようにあえて言葉にしない習慣がありました。古武道の多くの流派は裏に貴重な思想を秘めていても自己の存在をアピールするために言葉にして宣伝することはしてきませんでした。
 一方で現代武道は明治維新以降に日本の西洋化が起こったあとに成立したものですので、「言あげ」は巧みで上手です。一般の人のイメージは古武道から発展したのが現代武道であり、古武道は古臭いものというものです。
 このようなイメージを変えるためには、「こんなところが良いところだ」と語る必要もあるのかもしれません。

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  1. 2018/08/13(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

人と深くかかわる

 現代は人と人との接点はより離れたものになりつつあり、他者が行っている華やかなところとだけ付き合って、表面上、楽しく、華美であれば良いという傾向があります。したがって人との接点が近くなって人の苦労を見るのはいやで、見えてしまうと自分の領域を侵されたくらいに感じてしまい、すぐに離れていきます。人の苦労している部分を全く見ない、見えないのですから、自分の苦労が軽ければ自分だけは楽しく暮らしていくことができます。
 国会議員が立派なことをいくら言っても、多くの国民が幸せを実感できず、日本人の自殺率が高いのを見れば、国会議員になりたい人には口先では立派な事を言っていても、上記のような人が多いのかもしれないと思います。
 武道は、特に古武道は人と人との接点は近く、稽古相手はより見えてきます。相手が見えていなければ、命がかかったことを稽古することはできないからです。師弟となればそれはより深くなります。本来、師弟が1対1で向き合って指導するものですから、かかわりが深くなければ伝えることもできません。澁川一流柔術の師 畝重実嗣昭先生は「師弟と云えば親子も同然、子の危機に際しては親は命を懸けてこれを助ける。」と話されました。それほど深くかかわっていなければ心と技はなかなか伝わるものではありません。人と深くかかわることが嫌いな方には古武道の習得は難しいものだと思います。このような武道を稽古する方には人の苦労が全く見えない、見ないという状態に自分を置くことはないでしょう。

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  1. 2018/08/14(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

振りかぶった時

 刀・木刀を振りかぶった時、小指を伸ばすことで臍下丹田と切先までのつながりが途切れることが初心者の内には起こりがちです。
 居合であれば抜き付けて運剣し、振りかぶって左手を柄に添えた時点で、柄をつかもうとして小指側が伸びている。剣術で初めから左手が柄とつながっていても、斬り下ろそうとするときに無理な動きをして手の内が甘くなってしまう。という状態になります。
 このような状態から刀・木刀を振り下ろす時に左手の小指を握りしめて力が入ることによって自己満足してしまうのですが、腕先、または肩から先の振り方であって肚は働いていません。振りかぶって斬り下ろそうとするときの手の内を自分でよく確認してください。

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  1. 2018/08/15(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

振りすぎない

 形稽古をするときに強く振ろう、斬ろうとしてしまうと振りが大きくなりすぎ自分自身に隙を作ってしまいます。
 たとえば大石神影流の「正当剣」の打太刀は仕太刀の胴を斬りますが、強く斬ろうと思って振りすぎると、体勢を立て直さなければならないので、次の突きの動作までかなり時間がかかってしまいます。胴の幅だけ斬っていれば突きはすみやかに行うことができます。ほんの一例にすぎませんがすべての動きに起こりうることですので、無駄な動き、無理な動きをしていないか自分自身で確認してください。

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  1. 2018/08/16(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

一人稽古の危険性

 師が見ていない場所での一人稽古は大切なことで必要なことですが、一人稽古を繰り返したばかりに取り返しがつかない状態になることもあるので心しておかねばなりません。
 それは、初心者の内にまだ基本が不十分であるにもかかわらず、一人稽古ばかりして師に指導していただく機会がない場合です。間違った方向に行くのを正せるのは師ですから、長い間師に正されることがなければ道を大きく外れてしまっても自分では気付けず、どんどん間違った方向に進んでしまうのです。道をそれたまま進んでしまうと稽古すればするだけ救いようがなくなってしまいます。初心者の内にはできるだけ頻繁に師の指導を受けるようにしなければなりません。

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  1. 2018/08/17(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無雙神傳英信流抜刀兵法の特徴 1

 無雙神傳英信流抜刀兵法ではその多くの形が座姿勢から始まります。無雙神傳英信流の座姿勢は天地を体の中に通し、自然に従い体を地にあずけるため、体の不必要な緊張や力みがなくなります。姿勢を作らないため体が楽になっていますから、心を空にしやすく精神的に開放されやすくなるのです。
 稽古の最中や稽古が終わったのちに心が軽くなるのは、このような稽古をしているからです。

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  1. 2018/08/18(土) 21:25:00|
  2. 居合 総論

無雙神傳英信流抜刀兵法の特徴 2

 昨日は無雙神傳英信流抜刀兵法の座姿勢について述べました。その動きから見た場合、無雙神傳英信流の動きは自然に従い無理無駄をなくすため、静かで座した状態と変わらず、動きながらも心を空にしやすいことに特徴があります。また、動きに無理無駄がなく、体は自然に動くため「体がよろこぶ」という状態になり、稽古後には体が楽で、また新たになった感覚を得ることができます。

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  1. 2018/08/19(日) 21:25:00|
  2. 居合 総論

無雙神傳英信流抜刀兵法の特徴 3

 無雙神傳英信流抜刀兵法の特徴の一つに初心者の内は一人で形を稽古することにあります。しかも無雙神傳英信流ではきめられた外形を作る稽古をするのではなく、内面を探求した結果、外形ができるという考え方で稽古します。
 したがって、自分自身と対話しながらの稽古になりますので、知らなかった自分自身を発見でき自分をより深く知ることができるようになります。

 いくつか無雙神傳英信流抜刀兵法の特徴を述べ、そこから学べることを述べてきました。無雙神傳英信流を稽古することによって、心と体を静かにより楽にさせ、自分自身をより深く知ることができるようになるといえます。

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  1. 2018/08/20(月) 21:25:00|
  2. 居合 総論

大石神影流剣術の特徴 1

 大石神影流剣術では有声の気合いをかけ、木刀が当たる音がする場合もあり一見すると互いに争う戦いのための稽古にしか見えないかもしれません。
 基本の試合口で「位をみる」のは一般的な説明では相手の技と心を知るためとしますが、深い稽古では切先と切先が重なるときにお互いの心と心がつながっているのです。互に心と心がつながれば、お互いの動きは調和します。一見戦っているように見える手数(形)ですが、深く見ればお互いの動きが調和し、過不足ないことが分かります。この調和は二人の間だけの調和ではなくやがては自分の周囲、天地自然との調和につながっていきます。
 
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  1. 2018/08/21(火) 21:25:00|
  2. 剣術 総論

大石神影流剣術の特徴 2

 大石神影流剣術の手数には刀を抜かずに終える手数(形)や相手の刀を受け止めるだけの手数(形)、などが多くあります。勝敗、勝ち負けをつけ、相手に勝る事のみを良しとはしていません。今の世の中の風潮とは異なる所があります。 一般の人から見れば闘争の術であるにもかかわらず、大石神影流は他から斬りかかられても、自他ともに傷つかないことを良しとしています。心と心がつながり調和した動きになれば、互いの心は無であり相手を斬ろうという心はどこかにいっています。 

 現在の世の中は、全て競争と言っても過言ではありません。経済は競争で負ければ倒産します。
 学問の世界も堅実に研究されていてしっかりとした業績があるにもかかわらず、世間に注目されない方もおられます。一方で口先では人のためにと講演を行い、本をたくさん書いているような人気のある大学の准教授や教授も裏を見れば、自分の研究から来たものではなく、他者の知識をいかにも自分のものとして人受けするように話しているだけで、人のためにではなく自分の地位を作ろうとしているだけの場合もあります。大学経営の視点からは人気がある後者がもてはやされます。よしあしにかかわらずすべて世間は特定の価値観において競って勝る方を素晴らしいと思い、中身がないものであっても、勝った方に引き付けられるようです。その裏にある心をみることは忘れ去られています。
 何に価値を置くか、価値観を稽古を通じて再考させられます。

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  1. 2018/08/22(水) 21:25:04|
  2. 剣術 総論

大石神影流剣術の特徴 3

 大石神影流剣術の手数(形)には様々な状況を想定したものがあります。様々な状況の稽古をすることで実際に何かあった場合に柔軟な対応できるようにするためです。
 大石神影流の稽古は実生活の問題を解決するための大きなヒントを与えてくれます。

 いくつか大石神影流剣術の特徴を述べ、そこから学べることを述べてきました。大石神影流を稽古することによって、お互いの心がつながり調和のある行動をとれるようになり、また争いを争添わずに終える知恵を学び、さまざまな状況に対応できるヒントを得ることができます。

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  1. 2018/08/23(木) 21:25:00|
  2. 剣術 総論

澁川一流柔術の特徴 1

 澁川一流柔術の稽古は直接相手と接触するため、相手をいたわりながら稽古することが大前提となります。決して稽古相手を痛めることがあってはならないのです。師は関節をきめられるときも、抑えられるときも痛みを与えられることはなく、全て動けない状態にされていました。
 さて、このような大前提で稽古しますから、相手の心身の状態を感じられるように動きは繊細で優しくなければなりません。相手の状態を常に感じながら稽古していきます。
 
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  1. 2018/08/24(金) 21:25:00|
  2. 柔術 総論

澁川一流柔術の特徴 2

 澁川一流柔術の稽古は相手をいたわりながら稽古するため怪我をすることはありませんが、関節をきめ、抑えるため受を取る者には適度な体へのストレッチ効果があります。また、投げ技に対する受身は手で床を強く叩くことなく柔らかに衝撃を吸収する方法を身につけますので、畳の上ではなく小石が転がるような場所で転倒しても体を痛めることがない受身を身につけることができます。

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  1. 2018/08/25(土) 21:25:00|
  2. 柔術 総論

澁川一流柔術の特徴 3

 澁川一流柔術の稽古は素手と素手で稽古するだけでなく、六尺棒や半棒、十手、分童、鎖鎌など稽古に用いる武器の種類が多く、多様な稽古をすることすることで自分の心や体の動きに偏りを知ることができます。
 
 いくつか澁川一流柔術の特徴を述べ、そこから学べることを述べてきました。澁川一流を稽古することによって、他者を大切にする心を育て、健康を保ち、外傷を防ぐ方法を身につけ、心身のバランスのとれた発達を促すことができます。

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  1. 2018/08/26(日) 21:25:00|
  2. 柔術 総論

専門

 一つのことを専門に研究した方はその専門領域の周辺にも詳しくなっていきます。掘り下げようとすればするほど、周辺の知識も必要になってくるからです。
 しかしながら、これまで接してきた素晴らしい業績がある先生方はたとえ知っていたとしても専門外のことをことさらに自分の知識として話されることはありませんでした。専門に研究されていればいるほど、研究が深ければ深いほど、専門に研究することの大変さを知っておられるからです。
 私に弓術のことを聞かれても、多少の知識はあっても語ることはしませんし、長巻の使用法について聞かれても、そもそも長巻そのものを稽古したことがないので語ることはありません。また、自分が稽古する流派の中に槍や長刀、鎖鎌や棒、十手や分童などがあってもあくまでも自流派の中での使いようであって、他流派について聞かれても答えることはできません。
 ただ、世の中には自分の専門でもない事を得々と語り、それをお金にしている輩もいるようです。専門ではないので深い知識もなく発言に責任も持てないにもかかわらず、SNSや会話での美辞麗句で自画自賛し取り巻きを作り、いかにもと思わせて集客する。そのような手口に惑わされる方も多いのですから、人をだますことは意外と簡単な事なのかもしれません。
 私たちは人物を判断するとき、専門外でない事を得々と語っているかどうかを判断材料とすることはできると思います。

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  1. 2018/08/27(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

講演・セミナー

 東京であるレストランに入った時に、大きなテーブルを囲んだ知的なグループが食事をしていました。話のレベルが高いので大学関係者か博物館等の関係者のグループかと思いました。テーブルが近いうえに声が大きいのでどうしても聞こえてくるのです。そのうち、講演やセミナーでお金を得て暮らしている人たちのことについて話しだされました。要約すると、

 講演やセミナーでお金を得て暮らす者たちは、まず本を書く。その本も自分で調べたり研究した成果ではなく、多読して、そこから得た知識で、大衆に受け入れられやすいように言葉を変え本を書く。そしてその本を出版することによって次のステップとして講演やセミナーを開く。たいした中身はないんだよ。それでも、それに引きつけられる人たちがいて集金できるようになっている。

 というものでした。なるほどと思いました。一般の世界でも、そのような者に引き付けられる人たちがいます。武道の世界でも、信頼できない人物が海外向けに海外受けする英文の本を書いて海外中心に教える人もいました。

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  1. 2018/08/28(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

どの世界も同じ傾向にあるようです

 私の刀の内の一振を打ってくださった方のブログに共感できる事が記されていました。許可を得ているので最後に引用させていただきます。
 今の世の中は急速に「実」のない時代になってきました。何でも言葉によって真意を隠し、ごまかして美化し、いかにも内実が素晴らしいもののように見せかけてしまう。しかしそれは裏にある意図を隠すためであり、心、成長をうたいながら実際は金儲け、利己。問題は心をうたうところにあり、実際の目的がそこにないのですから、心が育つこともありませんし、心が通うこともありません。
 多くの人が、うわべの素晴らしさに心を奪われるようにもなってきました。それ故に「実」はなくてもよいのです。
 実際はたんに営利目的で観光客を呼び込むことに大きな目的があり、その目的のために「おもてなし」をうたった場合、いくら表面的に立派なおもてなしをしたとしても、心が先にあるわけではないので、いずれは観光客にわかってしまいます。あとから心を育てることは難しいのです。外国人を呼び込む場合も、はじめは心のない日本的な「おもてなし」に惑わされたとしても何度も訪れる内にわかってしまいます。
 大切なのは心を育てることを第一とすることです。心のないビジネスとしての「おもてなし」ではなく本当の「おもてなし」の心を先に養うことです。
 実際は助成金を得たり、自分の名を挙げる為であるのに「地域のため」「子供たちの将来のため」「老人の生きがいのため」とうたえば、助成金も得ることができ、助成金による活動によって自分の名もあがりますが、それによって地域がどうなるか・・・。その子供たちが将来どのような大人へと成長していくのか・・・。まだ心が育っていない子供たちはそのような大人に知らず知らずのうちに影響を受けて、大きくなります。そしてお飾りの美辞麗句を掲げ、同じようなことを繰り返す大人へ成長していく。地域も一時的には活性化しますが、目的は一時的に活性化してしまう事にあるので、長い目で見れば祭のあとの・・・。
 
 師は「昔は物事の本質がわかる人が100人、わからぬ人が100人と言ったけれど、今はわかる人は1人でわからない人が99人」と言われたことがあります。そのような時代になってしまったので美辞麗句に「実」があるのか、ないのかを判断できる人は少なく、美辞麗句をたくさん言った方を素晴らしいと感じてしまうのだと思います。本質を見ることができる力があれば、そのようなことは起こらないのですが、本質を見る力がないので、表面的な優しさ、美辞麗句、行動を真実だと思い込み、その奥は見ようともしません。
 我々がなさねばならぬことは武道を通じて本質を見る力を育てること。これは大人に対しても同じことです。大人が育たなければ子供は育つことがありませんし、大人が本質を理解できないのに、子供に成長しろと言っても道を間違わせるだけです。

 海外の門人を教えている中で、日本人は本来持っていたものを失いつつある、失ってしまった人の比率が高いのだと感じざるを得ません。私が日本的な心だと教えられてきたものは外国人のほうが持っているのを感じます。

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今の世の中は、嘘でも何でも言った者が成功します。
何故なら、買う方は分からないから、、、
嘆かわしい。
・・・中略・・・
分かる人が居ない。それは、無法地帯です。
北斗の拳のヒャハ〜モヒカンの世界と同じです。
悪い刀を真面目な作品です。と高額請求。
へんちくりんな小物を、玉鋼は良く切れまっせ〜。
と買い手の心理を操作して虚偽販売。
知らぬが仏。買う側も良し悪しが分からないので、鵜呑みにして満足してしまいます。
すでに、そうなりつつあるのです。
厄介な事に、売り手も分からなくなっている場合もあり、悪意なく、高額で売っている場合が殆どではないでしょうか。
そして生き残るのは、ビジネス刀匠だけです。
ネガティブなブログ内容が多いのは、それだけこの業界の先行きが暗いからです。
私が望むのは、日本人としての自覚の復活です。
今、自分が生きているのはご先祖様のおかげです。
その誇りのシンボルが刀です。
ですから、刀を正しいポジションに戻して、日本人として、誇りを持って刀を所持して頂く事です。
そこに、ビジネスを挟んで貰いたくない。
職人も、ビジネスでやらず、真っ当にして貰いたい。
それでダメなら、滅びましょう。見世物に成り下がって何のプライドか。
ビジネスとは、商売人のやる事です。

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  1. 2018/08/29(水) 09:21:25|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

虚飾

 自分の行動を過大に美化してインターネットに載せて、それを見る人も素晴らしいと思う時代です。実行できもしないのに絵に描いた餅で人を引き付けて素晴らしいと思わせ、実行できなくてもそれに応えなかった自治体や周囲が悪かったように思い込ませる、またそのように仕組んでおく。そしてそれを信じる。そういう時代になってきました。
 物を言わずに実行していても評価はされません。また、ものを言って、言った通りのことをするよりも、過大に飾り立てたことを言い、実行できたことが小さくても効果が絶大であったように宣伝すると、それを信じてしまう。そういう時代です。それを信じてしまうどころか、飾り立てた人物そのものを信じてしまう。
 いつからそのようになったのか記憶にありませんが、それとともに世界の中での日本の地位は落ちているように感じます。
 どう考えても自分が稼いだお金を用いたわけでもないのに、自分は何十か国も廻っていると宣伝して、それをビジネスのために利用する。しかも、それを子供の将来の糧になるといって講演して金儲けに利用する。簡単に物事を信じる人たちは、自分で判断することはせずに、インターネットに載っていることを信じ、子供たちに聞かせて喜び、良い話だったと信じる。
 直観で判断できると自信を持っている人達の多くが、実際は直観はではなく、すばらしい虚飾を見て信じていて、虚飾に騙されているにすぎません。
 古武道の世界も同じようになってきました。さて、どうすればよいのでしょうか。

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  1. 2018/08/30(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

徒党を組む

 虚飾で小さなものを大きなもののように見せてそれを信じ込ませてお金を得る人たちは、同じような人たちをお互いに推薦し、宣伝し合って、さらに信じる人たちを増やしているという構図もあります。
 一度、ある人物を素晴らしいと信じた人が、その素晴らしいと信じた人物が徒党を組んでいる仲間内の他の人を推薦すると、その人は自分で判断することもなく(そもそも判断する能力がないので)容易に勧められた人を信じて、その人をさらに他の人に勧めていく。
 このようになったら、どうしようもありません。全く悪循環です。日本にはそのような人たちが増えてきました。そのような徒党を組んでいる人たちと私が接触させられた時が何回かあります。ほとんどの場合、そのような人たちはその場においても私から距離をおこうとします。本人は無意識な動きをしているのかもしれませんが、武道を稽古していれば見えるような動きです。自分たちの手法が通じないと思うのでしょう。

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  1. 2018/08/31(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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