幕末に江戸への武術の遊学は盛んになりました。常府の武士や参勤で江戸に出た武士だけでなく修行名目で江戸に出た人物達です。
有名な人物には鏡新明智流の桃井春蔵のもとに遊学した武市半平太。北辰一刀流の千葉重太郎のもとに遊学した坂本龍馬、神道無念流の斎藤弥九郎のもとに遊学した桂小五郎などがいます。武市半平太はもともと高知で小野派一刀流(いわゆる中西派)を修めていますし、坂本龍馬は高知で小栗流をおさめています。桂小五郎は萩で新陰流を修めています。もっとも桂小五郎の剣術の師は内藤作兵衛で内藤は防具着用の稽古は大石進に習っていますので、桂小五郎は防具をつけたら大石神影流といっても過言ではありません。
以前述べた蓮池藩の富永清大夫も心形刀流の伊庭軍兵衛のもとに遊学して蓮池藩の心形刀流の師範となっていますがもともと大石神影流の免許皆伝です。
前置きが長くなりましたが、梅本先生の弟子で先生に「もう10年は稽古しているのだから免許が欲しい。」といった人物がいました。とんでもないことです。その人物は桂小五郎の神道無念流の例を出して免許皆伝にはすぐなれるものだと話していました。その時に私もいたのですが、先生が私の方を向かれたので上記のようなことを述べたことがあります。大学生の頃だったと思います。
- 2023/04/01(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
澁川一流柔術の代表として日本古武道協会と日本古武道振興会で演武をさせていただき始めたときに師の畝重實先生は御存命でした。私が師の御存命中に代表とさせていただいた経緯はこれまでに述べているとおりです。
演武するということは場合によっては畝先生の名誉にもかかわることでしたし澁川一流柔術の名誉にもかかわることでしたので演武の最中は言うに及ばす、演武の会場に入る時から去るまでが緊張の連続でした。私の行動によって澁川一流柔術の価値が判断されるのですから当然です。肩書は代表であっても心は先生の名代でした。
演武が終わったら演武のビデオを翌週には先生にお持ちしていました。これも当然のことです。先生の名代なのですから先生に教えを受けていました。
各支部長は私の師範代です。各支部において流派を背負っています。支部の稽古日誌もそのつもりで記していただくべきものと思いますし、常日頃の稽古も流派を背負って指導していただいていると思います。流派を背負っているという覚悟があれば上達もすみやかです。いささかも私見を交えることは出来ないのですから。
- 2023/04/02(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
組織の一員である人物が対外的にすべきことをせず、してはならないことをすればその人物の責任になるだけではなく組織全体の責任となります。そのような行動をするのは全てその人物の「我」が強いからです。組織のために動くのではなく自分が組織を利用して自分の為に動くのです。したがって組織は目的を達することができず滅んでいきます。勝手な行動をしているにもかかわらずそのような人物は自分は組織が自分のためにあると誤解していますので、自分は組織のために働いたと主張します。
江戸時代には道場ごとに一つの組織であり稽古する者は道場に迷惑がかかるという意識があったと思いますし、破門もありました。現代にあって古武道の流派が一つの組織です。日本古武道協会や日本古武道振興会は基本的には1流派1代表です。流派に所属する人間が自分勝手な行動をすれば流派の責任になります。稽古を始めて修行年数が浅い人はともかく、10年を超えるような修行年数があればその人の行動は直接流派にかかわってきます。そこが理解できない人はそこまでの人にすぎず、いくら稽古をしたとしてもものにはなりません。
江戸時代の廻国修行者が携えた英名録には流派名と師匠の名と、自分の名が記されていました。「我」ではなく自分は流派を師に学んで稽古しているからです。
- 2023/04/03(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
以前、とある人物が「間違いであろうがなかろうが新たに分かったことは先に発表したものの勝だ。間違っていたら後で訂正すればよい」という意味のことを話していて、実際には訂正されることがないということを述べたことがあります。その人物に限らず、調べつくすこともせずにこのようなことが分かったと先に発表したもの勝ちだと思っている人物は少なからずいます。武道学会では人の研究分野を犯さないということが暗黙の内にルールになっているところがありますが、一般の人はお構いなしです。自分が先に発見していた。自分の方が多く知っているという名誉が欲しいだけなのですから。それゆえに稽古もしていないにもかかわらず、またその流派と全く係わりがないにもかかわらず、責任がないので言いたいことを言いたいだけ言います。このようなことにならないように貫汪館では多弁を戒めています。
こと武道に関して多弁な人物は自分の知識を誇りたいのです。何度も言っていますが武道は行動の学問です。できもしないのにまた生半可な知識で話す人物は技が進むことはありません。貫汪館の門人は
必要に迫られて話さなくてはならない時には既定事実以外は断定口調で話すのではなく、「そのように考えます。」「そのように思います。」「そのように伝えられています。」といった表現を用いてください。言葉がそれを話す人物をゆがめてしまいます。武道学会で既定事実のようになっていることでさえ覆ることがあります。
- 2023/04/04(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
指導するときはそこを正しておかなければ全体的に上達しないという点を指摘しています。稽古中に稽古する方がそこに意識を持って稽古し始めたときには次を指摘することがあります。また、指摘しても本人が理解できていない時にはほかの点を指摘して遠回りに正そうとすることもあります。数か所指摘しても稽古する人がそれを正そうとしない時には自分で理解できるまでそのままにしておくこともあります。
それを誤解して「自分は出来ているから何も指摘されないのだ。」と思う人がいますが、実際は何度も指摘しているのに本人が正そうとしないので指摘しなくなっているだけなのです。「良し」とも言われていないのに、自分自身でよくなったと思うのは大きな間違いです。そもそもそんなに簡単に正せるようなことであれば、示しているので指摘しなくとも自分で正していけるはずです。
- 2023/04/05(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
他の人が指導されていることを自分のこととして聞く人は上達し、もう習得しているとか自分には関係ないこととして聞かない人は上達の機会を失います。また知識を増やそうとのみ考えて聞く人は動きとは全く結びついていないので理兵法になって下手になっていきます。
ごくごく初心者に教えている手順などにはもう覚えていることもあるでしょうが、手順の奥にあることはだいぶ進んでいる人であっても習得できていないこともあり、また慣れることによってできなくなってしまったこともあります。慣れることによってできなくなった場合には大きなマイナスですので、それ以上は上達しません。
真に聞く者は上達し、聞かざる者は下達します。
- 2023/04/06(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
一般的な社会人が身につけておくマナー、常識を身につけていない人は稽古を始めたときにはすでに遅れていると自覚するところから始めめなければなりません。たとえ形・手数を覚えても心がないので知識が身についただけどんどん遠ざかっていきます。
たとえば
・先に入ったのだから当然とばかりに上座につく。
・人の物があるにもかかわらずその手前に自分のものを置き他人の行動を妨げる。
・借りたお金をすぐに返さない。すぐに返さないどころか催促があっても忘れたふりをして返さない。
・周りを見ずに自分中心に行動して他の者に迷惑が掛かっていることにも気づかない。気づいても自分中心なのでそれが当然と思う。
・適切な受け答えができず目上の人間に「うん」とか「ほー」とかで応じる。
・自分中心に自分が損しないように、得するように物事を考え他の者に対する配慮はない。
・乗せていただいた自家用車に自分のごみを残していく。
・人にお金を使わせて自分は払わない。
・事態が悪くなったら言い訳を考え、しかも言い訳に辻褄が合っていないにもかかわらずそれで済ませようとする。
・自分はこの程度でよいと考えるが、かえってそれをすることで失礼になることをしている。
・人にものを託され必ず渡すように言われているのに、渡すのを渋ってできるなら自分のものとしようとする。
・自分ができるわけでもないのに知識を誇り多弁である。
・自分の方が有利な立場だと判断したら偉そうな態度をとり優劣を示そうとする。周りは不快な思いをしてしまう。
・人ごみの中で自分が背負っている荷物が邪魔になっていることに気付かない。
このようなことに心当たりがある人はまず普通の人になるところから始めなければ武道は上達しません。といいたいのですが、自分が気付かないので平気で上記のことをしてしまいます。一回か二回は人は注意してくれますが、本人に改める気がなければ人は遠ざかっていきます。道場であれば放っておかれるか、厳しければ破門になるでしょう。
剣術の師である大石先生は入門した現代居合道の高段者の方が「居合ができるので足運びは出来ます。」と高言したにもかかわらず全く自由に動けないので、少年剣道に行って足運びを稽古してから来てくださいと言われたそうです。決まりきったところに足を置くことは出来ても、それは足運びができるとは言わないものです。
- 2023/04/07(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
「常在戦場」は長岡藩の牧野家の家訓であったということで、旧長岡藩家老山本家を嗣ぐために高野姓から山本姓になった山本五十六も揮毫しています。
如何にもかたぐるしい厳しい言葉に思えますが、武道を稽古する者はこの言葉を忘れてはならないと考えます。稽古しているとき以外は礼節をわきまえずいい加減な態度をとる。人よりも自分を優先させ常に自分を甘やかす。日常生活で周りが見えておらず迷惑をかけている・・・などは「常在戦場」という言葉を心の片隅に置いておけば無くなります。
- 2023/04/08(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
以前、慢心についてお話ししましたが、慢心がこうじると魔が入ってきます。人の慢心以上におどろおどろしいものになっていきます。自分は偉いのだと錯覚するところに魔が入りますので自分が絶対になっていくのです。
自分に落ち度があった時には口先では何とでも言いますが、毎回同じことを繰り返します。現状では組織的に自分の目上の者がいるので従う振りだけして実際は従っていないのでです。自分は間違っていないと思っているのですから当然です。師がお亡くなりになった後は全ては自分の下にあると思って行動します。このような人を梅本先生の元でも畝先生の元でも見てきました。慢心ではなく自分が絶対となるのです。本当に「魔」が入るのかどうかはわかりませんが物腰態度迄変わってきます。まともな時もあるのですがこと武道に関しては魔が入ったとしか思えない状態になるのです。武道の組織があれば必ず見る現象です。貫汪館にも現れる現象だと思います。ゆえに常日頃自分自身で慢心には気を付けておかなければなりません。このような状態になった人に助け船を出しても利用され食いつぶされるだけになります。放っておくしかないのだと思います。
- 2023/04/09(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
人は年齢を重ねれば重ねただけ仕事や趣味で身についた体の癖が武道の稽古をするときにも出てきます。しかしそういう癖が強い人であってものんびりと飲み物を飲みながらお話ししたりするときには体はゆったりと楽になっており自然な状態にある方が大半です。刀を持つと偏ってしまうのです。刀を手にすると偏ってしまう方は何かするという意識を持たずに、刀を腰に差しても、構えても日常の延長だと自分に言い聞かせてください。温泉に入っているときのような状態のままに刀を手にしてください。武道はその時間だけ特別なことをしていると思い込むとかえって歪が出てくるものです。
- 2023/04/10(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
若いときに現代剣道を経験したことがある人は私たちの流派の目から見れば上半身中心に刀を振り下半身がそれについていくか脚力で上半身の動きに下半身を合わせて刀を振る傾向が強く現れます。一生懸命に稽古しようとすればするほどその癖は強く現れるのです。
それをなくして流派の動きにしようと思えば鼠径部を緩めることに集中してください。刀が振れている、振れていないは忘れた方が流派の動きになっていきます。若い人ほど、負けん気が強い人ほど上半身中心の動きをしてしまいますので、正そうと思ったら心がけてください。
テーマ:武道・武術 - ジャンル:スポーツ
- 2023/04/11(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
自分ができてもいないのに、また師からできているとも言われていないのに、さも自分ができているかのように得々と語る方もいます。「知っていることができていることだ」と完全に勘違いしているのです。得々と語るのは自分ができていると思い込んでいるのです。できてもいないのに語るべきではなく、またできていないことを知る人は語りません。できてもいないのに語る人は体で示すことができないのですから聞いたことを自分でアレンジして他人にいい加減な中身のないことを語ります。それも自分より修行年数の少ない人に語り後進を惑わせます。
かつて梅本先生のもとにもそのような方がおられました。先生は私に「禁言の行」ということを教えてくださいました。貫汪館はいくつかの支部を持っています。特定の人物がおかしなことをするだけで本部と全ての支部で稽古をする方に悪影響が及びます。組織を守るためにはそのような人物が出たら「禁言の行」をしていただかなければならないとも思います。
- 2023/04/12(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
回数を稽古したらできているのだと考える方がおられます。「自分は連続100日稽古した。」「自分は1年間欠かさず稽古した。」「自分ほど稽古している者はいない。」女子高校で指導を始めたときから数えると30年以上たちますが、そういう人は何人もいました。しかし、たとえ1000日稽古しようと10000日稽古しようと師に手直しを受けることもなく自分の思いで稽古すればどんどん遠ざかっていくのはお話ししているとおりです。特に以前何かの武道をしている方ほど自分の思いが強く、その思いを捨てられずに稽古しているので一人で稽古すればするほど遠ざかっており稽古しない方がよかったのにという状況を嫌になるほど見てきました。入門前に何もしていなかった人が自宅で復習してくるのとは大きな違いがあるのです。何かをしていたばかりにすでにマイナスの地点にあると考えた方が良いのです。したがって指導を受けてから1週間手直しを受けずに自分だけで稽古していたら1週間遠ざかっていますし、1か月手直しを受けずに一人で稽古していたら1か月分どこか遠くへ行っています。1週間に一度道場で指導を受けて稽古するだけの方がはるかに前に進むことも多いのです。たとえ1000日手直しを受けることなく一人で稽古しようと、10000日手直しを受けることなく一人で稽古しようと他人に自分はこんなに稽古したと語れる話ではなく、語ったとしたらそれは師なしでも自分は上達できるのだという慢心です。以前お話ししたように大学時代に私が帰郷して指導を受けるたびに「また下手になって帰ってきた。」と師に指導を受けていた状態なのです。
自分がどのような言動をしているのか振り返らなければなりません。
- 2023/04/13(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
貫汪館では段位制を採用しており七段取得以降に目録(初伝)、中伝(中極)、免許皆伝(上極意)などの旧来の伝授をすることになります。七段取得までに最短でも10年はかかります。その間に人物を見ています。
旧来の伝授をする基準は私自身の稽古と照らし合わせて考えています。少なくとも私自身がしてきたような稽古をするような人でなければ旧来の伝授をするべき人とは考えていません。私は私自身が師にお仕えする態度や、先生方が御存命中の私自身の稽古が不十分であったと考えているからです。その不十分であったことが最低ラインです。
どのようなことかというのはこれまでに述べたとおりですが、いくつか具体的に述べると、
奉納や演武会は師が声をかけていただいたら仕事などの支障がない限り必ず出て演武する。
遠方にあっても必ず手直しを受けるために通う。
稽古日ではなくても、先生のご都合を聞き先生にお時間があられればお話をおうかがいにお訪ねする。
師の教えが絶対であり私見を挟んで稽古しない。
流派にかかわることは必ず先生にお考えをお聞きしてから行動する。
少なくとも不十分な私自身を基準にしなければ三つの流派は伝えられているうちにどんどん中身は無くなり、流派名だけ残り、中身は全く異なったものになっていきます。
- 2023/04/14(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
昨今は企業関係でお中元、お歳暮を取りやめるところが多いようですが、武道は営利目的の人間関係に基づいているわけではありません。
私は三人の先生方に日ごろの御礼にそれぞれの先生方が好まれる御品を選んでお中元、お歳暮をしてきました。また演武で遠方に出かけたとき、旅行したときにはその地の品で先生方が喜ばれそうな品を選んでお話とともにお土産をお渡ししていました。高価なものではありませんでしたが心です。先にも述べましたが昨今は企業の営利目的の中間・歳暮と師に対する心を混同している人たちも多くなってきました。武道の師弟関係でもお中元・お歳暮やお土産を賄賂と同じようなものと考えているのです。そのようなつもりでいる人は武道以外の師弟関係に基づく伝授においてもそのように考えるでしょう。そこにいけば「古武道を稽古していた人なのに・・・。」と思われても仕方ありません。日本文化における師弟関係は学校の先生と生徒とは異なります。体育祭の後には先生が生徒にアイスクリームをくれていたという変な風習とは無縁なのです。武道をビジネスと考える人は師弟関係をもビジネスの営利関係ととらえているのだと思います。
昨日述べたように、流派の修業は私を基準として門人を見ていますので、師弟関係をビジネスにおける関係と同じように考えている人は旧来の伝書の授受は無理だと思っています。
- 2023/04/15(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
流派の修業は師と自分の一対一の関係です。学校教育に置けるような大勢の内の一人ではありません。師と自分の一対一の関係の中で師をないがしろにしたり、少しでも対等だと思う心があれば修行は成り立ちません。その人の中で師としているかどうかは行いにすべて現れて来ます。言葉面で見ているのではなく、稽古に向かい合う姿勢で見ています。
私は優しいようで厳しいので言葉には出さず、その人を判断しています。畝先生も梅本先生も優しい方でした。言わないのは優しいのではなく厳しいのです。弟子が自分自身でわきまえていなければ私は弟子とは思っていません。「生徒さん」です。私が師弟関係の中で弟子として稽古に取り組んできたことができないのですから弟子にはなってないのです。厳しく言われなければ動けないのであれば求めるものが異なるのです。そこがわからずに、弟子でもない「生徒さん」でもないようなあいまいな態度をとりながら流派の中で上達しようとする甘い考えの人もいます。梅本先生の弟子にも畝先生の弟子にもいました。私は一対一の関係で師弟関係をとらえていますので、あくまでも師は師、弟子は弟子です。弟子としての態度がとれなければ「生徒さん」です。「生徒さん」にもなれないような人もいます。学校教育を受ける中で皆さんも経験したことがあると思います。今は当然のことも当然としてできない時代です。人を得なければ流派は滅びるのかもしれません。
- 2023/04/16(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
澁川一流の師である畝先生は入門を許していただく際に、「弟子の権利は師を選ぶことだけ、入門したらすべて師の言うことに従わなければならない。」と言われました。無雙神傳英信流の師である梅本先生も先生の師が来いと言われれば行き、ああせよと言われればああし、こうせよと言われればこうし、すべて師に従っておられました。先生がその師に従われる姿を見ることができたのは幸いでした。大石神影流の師である大石英一先生はお父様が大石先生の誕生後まもなく亡くなられたので祖父の大石一先生に育てられ小さいころから剣術を教えられました。よくおじいさまの話を聞きましたが、しつけは厳しくしたがうのも当たり前の事でした。私が居合に用いる刀を打ってくださった上田先生は「師匠が烏の頭が白いと言ったら白いのだ。」と言っておられます。いずれの師弟関係も同じです。
ここがわからない人は真の修業は出来ません。自分が持っている考えに固執したままで会得しようとすることは無理なのです。
- 2023/04/17(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
貫汪館で稽古する流派においては心と関係なく業が成り立つことはありません。心と業は密接に結びついており心がなければ技は成り立たないのです。心というと嫌う方が一定数ありますが、そのような方は貫汪館で稽古してもどの流派も上達できません。
無雙神傳英信流の稽古で刀礼をしていた時に梅本先生が私に「森本君の刀礼には刀に対して礼をする心がなく形だけになっている。」と指導してくださいました。それから心のこもった刀礼を心がけるようになり抜付けの質が変化し始めたのです。心がこもっていれば動きは変化し、求められる抜付けができるようになりますが心のこもらない外形だけ恭しい礼を繰り返していても絶対に抜付けができるようにはなりません。これはすでにお教えしているとおりなのですが、ここがわかっていない人が一定数おり何年たっても形だけの礼をしてしまうため抜付けも本質を会得できません。初めは心がこもっていたのに、なれによっていい加減になる人もいます。そのような方の抜付けもまたいい加減になっています。
澁川一流の蹲踞礼、大石神影流の上座に対する礼も同じです。畝先生も大石先生も丁寧な心がこもった礼をされていました。業につながっているのです。さらには日常生活で周りに配慮する心、師や兄弟子に対する心、兄弟弟子に対する心・・・すべてです。貫汪館では心なしに技が成り立つことはありません。
- 2023/04/18(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
武道に関する先入観が強く、価値観を確立している人にはいくら指導しても効果がありません。指導も自分の価値観に基づく指導を求めるのです。
稽古中に何度も手の内を指導しているのに、自分の手の内を確認せずに刀を振ることに夢中になっている方、何度も肩肘の無駄な力を抜くようにと指導しているのに肩を上げ脇を大きく開いて振りかぶる方、何度も踵に体重を乗せるなと指導しているのに改めようとしない方、何度も何度も鼠径部を緩めるように指導しているのに、稽古が終わってから上達するためには何が必要ですかと聞いてくる方もおられます。
このような方たちは自分が求めることをしたく、自分がしたいことをするための指導が欲しいのです。上達は不可能です。反対から言えば指導されたことを素直に受け止め、ひたすらそれを会得しようとする人は上達が速やかです。
- 2023/04/19(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
過去を振り返るときには自分がこれだけ稽古したということではなく、自分の至らなかったところを思わねば将来的に上達はありません。
自分はこれだけ稽古したというところを思えば、その思いは「だから今の素晴らしい自分があるのだ。」というところに至ります。そこからは自分が気付かなくても上達は止まっています。むしろ下達しているかもしれません。毎回稽古日に稽古しても、その稽古で至らなかったことは何なのか、たとえ自分で1年間毎日稽古したとしても、その中で至らなかったことは何なのか。それを思うことがなければ「自分は稽古日には毎日出ていた。」「自分は五年間毎日自主稽古した。」ということが自慢につながり慢心を生み出します。すでに言葉に出た人は自分が慢心していることに気付かなければなりません。
私には居合、柔術、剣術の三人の師匠がおられました。私は居合の師匠に初めてお仕えしました。次に柔術の師匠です。最後は剣術の師匠でした。三人の師匠はお仕えした順にお亡くなりになられました。師事するという思いは当然のことで、お仕えするという思いで習っていました。居合の師匠にお仕えしたことも不十分であり、柔術の師匠にその思いを持ってお仕えし、さらに柔術の師匠が亡くなられた後は不十分であった思いで剣術の師匠にお仕えしました。すでに三人の先生方にお仕えすることができなくなってしまいましたが、今でも不十分であったという思いが残っています。業の上でも同じです。先生方に示されたことが先生方の御存命中にできるようになったわけではなく、不十分であったという思いがあるので今もさらにさらにと目指していくことができます。
奉納演武の機会も増えてきます。演武は上達するうえで自分の至らぬところを知るための大きな機会です。奉納演武をすることで自分の至らぬところを知り、それが次の大きな上達に結びつきます。武道史を学んでいる人はお気づきでしょうが、先人も様々な機会を得て飛躍しています。ただ稽古しているだけではありません。演武し、自分の至らぬところを知り、稽古し上達し、さらに自分の至らぬところを知ることによって上達していきます。
- 2023/04/20(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
本気で上達するための稽古をしているのであれば師から指示されたことはしなければなりません。
私は師からお話があった演武会や奉納演武にはすべて出てきましたし、今日から連続して稽古日には毎日来なさいと言われた3か月間は毎日稽古にお伺いし、指導を受けました。上達しようとしたら師の指示に従うのが当然だからです。「先生から案内を受けたがこの演武会には出て、あの演武会には出まい。この奉納演武には出て、あの奉納演武には出まい。」という選択肢は上達を目指す私にはにはありませんでしたし、「3か月間は長いのだから週に一二回は稽古しなくてもよいだろう。」という考えも持つことはありませんでした。上達しようとしていたからです。師の言われることは絶対でした。それが師事するということだと知っていたからです。師は最適な指導をしてくださいました。それを受け取らないということは上達の意思はないということです。
もし私が自分の都合に合わせて演武会や奉納演武また稽古に出たとしたら私にとって武道が日本的な意味の趣味で、人生をかけて求めているものではなく、免許皆伝に至ろうという思いはなかったということです。
趣味の人でも英語の趣味(英語でhobbyには創造的で、
ある程度の技術や知識が求められる非職業的活動という意味があるようです)の意味での取り組み方であれば初伝、中伝に至ることもあり得ますが、免許皆伝に至ることはありません。
ある先生が「免許皆伝を大学卒業程度と考える者がいるがそんな程度のものではない。」と言われましたが、私もそう思います。私が歩んできた道を考えると誰でもが卒業できる大学卒業程度ではありえません。
- 2023/04/21(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
動いた後で、今の動きはダメな動きであったと気づく人はおられます。よく気付いたと褒めたいところですが、毎回毎回動いた後に気付いているということは毎回毎回ダメな動きをしてダメな動きを身につけているということになります。やがて修正しようとしても身についたものはなかなか正せるものではありません。
動く前にどのような動きをすべきかをしっかり頭の中で思い描いて稽古に臨んでください。動きの最中にも修正できるような繊細な稽古をしなければなりません。もし何回も同じ過ちをするようであれば動く速さが自分の能力を超えていますのでゆっくり正しく稽古してください。これでいいのだろうかと思えるようなゆっくりしたスピードです。指導者はそのように指示しなければなりません。
- 2023/04/22(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
居合の抜付けの最終地点、剣術の仕太刀で最後に斬突し打太刀の体に当たる前で剣が止まる時、柔術で受を投げ関節を決める時、体を力ませて充実感(やったという感覚)を得て、それで良しとする方が少なからずおられます。道標に何度記してもそうなのです。支部長は当然毎日道標を読むように言っていると思いますが、何度も何度も述べていることです。
力んだらそこで自分は死に体です。それ以上応じることは出来ません。形・手数の終わりはきめるのではありません。永遠に続くかもしれない一部です。演技ではないのです。形・手数を通じて上達しようとすればここを理解するところから始めなければなりません。
- 2023/04/23(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
大石神影流では最初に習う試合口五本の中に「張る」動きが三本あります。初心者の方がおちいりやすいのが張るときに膝を曲げて腰を引いてしまうことです。これは構えたときに立つ形を作っているので起こることです。膝。足首、鼠径部を突っ張らせて立っているのです。緩んで力みなくたつのではなく、その形を真似して膝、足首、鼠径部を曲げて力んで形を作っています。
まず習った通りに正しく立つことを心がけていれば、張るときには体はまっすぐ下に落ちます。習ったことを心がけていなければ次に進んでも意味がありません。大切なことを積み重ねていくからこそ会得できます。
- 2023/04/24(月) 21:25:00|
- 剣術 業
-
-
昨年末に実施した横浜支部の昇段審査の論文を載せていきます。今日は無雙神傳英信流初段の論文です。
今回、無双神伝英信流抜刀兵法の昇段審査を受けるにあたり、貫汪館館長及び横浜支部長から温かいご指導ご鞭撻を賜り、また他館員の方とも稽古の上で互いに切磋琢磨する事が出来ました。心より感謝申し上げます。
1.初めに
まず、国語辞典1)で調べたところ、礼とは;
1.1 社会の秩序を保ち、人間相互の交際を全うするための礼儀作法・制度・儀式・文物など。儒教では、五常の一つとして、人の道として踏み行なうべき最も重要な規範とした。礼儀。
1.2 感謝の気持を表わすことば。また、謝礼として贈る金品。
1.3 敬意を表わすこと。また、そのために頭を下げること。おじぎ。拝礼。
1.4 神への供えもの。供物。礼奠(れいてん)。
1.5 年始の祝賀の挨拶。年礼。
等とされており、現代社会に生きる我々には一般的には1.1から1.3までが馴染みのあるものと思われる。
1.4と1.5は近年では減少傾向であることは否めないが、宗教施設や複数名の集まる場では今尚行われている習慣である。
筆者は1.1から1.3までは日常的に行っており、1.4にあっては頻度こそ少ないながらも父祖の供養や地鎮祭等で行っている。
1.5については最近では行った記憶がない。
2.武道における礼
筆者の武道の経験は貫汪館を除いて殆ど無い。筆者は中学校、高等学校での体育の授業での柔道の経験しか無い為、武道での礼を論じる程の知識や経験が無いので筆者の調査した内容を記述する。
武道における礼を調べるに当たり、複数書籍を参照している中で、新渡戸稲造著「武士道」2)に興味深い記述があったので、これを紹介したい。
小笠原流礼法第28代宗家、小笠原清務は「禮道の要は、心を練るにあり、礼を以て端坐すれば、兇人劔を取りて向かふとも害を加ふること能はず」という言葉を残している。
ここで、「心を練る」と「害を加ふること能はず」について筆者なりの考察を述べると、「心を練る」については「心」とは精神や神経の働き全般であり、練るとはムラが無いように均一にすることであり、 心の働き、つまりは喜怒哀楽等の感情や緊張、不安や恐怖等の状態を取り除く事、また「害を加ふること能はず」については、単に加害が出来ないという意味ではなく、礼そのものが全てのもの(この場合は物と者の両方の意味)に対してのものであり、 また礼をもって端座している状態であれば自分自身だけではなく敵に対しても調和している状態であり、次の二点から「害を加ふること能はず」になるのでは無いかと思われる;
2.1 自身に礼を以て接する者を斬り掛かるという不義が出来ない
2.2 たとえ斬り掛られたとしても礼の中で精神的、肉体的な調和が取れているので容易にこれに対処出来る
次に武道における礼についてを論じるに当たり、広く普及している現代武道について焦点を当てて調べた内容を述べる。
本論文が無双神伝英信流抜刀兵法についてのものなので、居合道について調べた内容を述べる。
居合道に関して言えば、複数の所轄団体があるのと、複数流派合同で立ち上げた為(一部の団体では一流派の様であるが)、全くの同一の礼法であるかまでは調査し切れなかったが、共通して、演武者は、始める場合は、立った状態での神前への礼、正座をした状態での刀礼、正座の状態で帯刀、立ち上がるの礼法である。
他の例では、柔道の礼法においては立礼と坐礼があり、それぞれに敬礼と拝礼がある。
立礼は立った状態でお辞儀をしつつ両手を膝に当てて一拍置いてから戻るものである。坐礼は正座をするところから始まり、直立した状態から左足を少し引いて身体全体を垂直に下ろし、左ひざを床に付け、次に右足を引き、つま先が立っている状態からつま先を伸ばし、次いで腰を落とし両手を足の付け根に寄せる。正座が出来たら、その状態で自身の前に両手を出し、床につけ上体を前に倒し礼をして一拍置いてから正座の状態に戻り、立ち上がる。立ち上がる時は右足を前に出し片膝を立てた状態にし右足に体重を預けながら立ち上がり、左足を寄せて直立状態に戻る。
敬礼と拝礼はそれぞれ上体を倒す角度の違いであり、敬礼よりも拝礼の方が深く上体を前に倒す。各々の使い分けに関する詳細な記述は見られなかったが、神前等では拝礼を、それ以外では敬礼をと一般的な最敬礼と敬礼の使い分けと同様に行っているようである。
一般的には柔道の試合時は立礼のみを見るが、柔道形では坐礼を見ることが出来る。
過去には蹲踞での礼法も行われていたが、現在では行われていない。
次に剣道の礼法を述べる。剣道の礼法は三つあり、一つは座礼であり、この時の方法は先述の柔道のものと同様である。二つ目に立礼であるが、竹刀を持っているので、納刀した状態の刀を左手で保持している形で行うお辞儀の礼法である。三つ目に蹲踞の礼法がある。これは、剣道の試合時に行うものであり、蹲踞は納刀状態の竹刀を抜刀し、中段に構えた状態から左足を寄せ左右の踵が揃った状態で重心を落とし、踵に臀部を載せて、審判員の始めの号令と共に立ち上がる。
柔道はオリンピック競技にもなっており、海外の選手もこれを行っているが、勝利に対しての喜びを表現する為にガッツポーズをしたりという場面が見受けられる。
また、試合に負けた選手が礼を拒むという場面もあるようで、品位を問われる問題であり、礼をしないのは武道を行う上では論外であり、見える形でガッツポーズをすることも相手選手や審判員、観客その他に対しての礼を欠いている行いであるとも筆者は思う。
剣道では勝利者がガッツポーズ等を行ったりと品位を疑われる行いに対しては失格とすることが出来る。
近年では、このような傾向に対して課題が残っているという認識があり、改善に対して期待が出来るのでは無いかと筆者は期待している。
3.無双神伝英信流抜刀兵法における礼法
無双神伝英信流抜刀兵法における礼法について述べる。
筆者は、無双神伝英信流抜刀兵法については礼法及び大森流の十一本の形を現在まで稽古をした。
貫汪館横浜支部に入門した当初、礼法は極めて重要であり、礼法が出来ないのであれば、例えば演武が上手に出来たとしても意味の無い事であり、礼法の程度が低いとその演武者の程度が知れると指導を受けた。
入門当初、無双神伝英信流抜刀兵法の稽古では礼法のみを稽古していた。
礼法の所作を居合に限らず、武道の経験の無い筆者には物覚えが悪く、とても苦労をしていた記憶がある。
神前への礼であるが、お辞儀の礼をするに当たり、手に持っている刀を下げてしまったり、正座するに当たり音を立てたり、体勢を崩したり、と出来ない事も多かった。
これら動作に関して共通することは、無駄に力を入れない、鼠径部をゆるめると指導されている。
4.最後に
筆者は武道における礼の中の居合道のものと無双神伝英信流抜刀兵法における礼法については、極めて近しい存在であると考える。
ただ、無双神伝英信流抜刀兵法での礼法は、現代武道である居合道のそれと比べ、身体全体の力を抜き、鼠径部をゆるめて行うので、人によっては感じ方が異なると思われる。
今後も無双神伝英信流抜刀兵法の礼法を稽古するに当たり、礼法が形だけのものにならない様に気を付けたい。
参照文献
1) 精選版 日本国語大辞典 第二版、小学館、第二版、2006年
2) 新渡戸稲造:武士道 、丁未出版社、1908年
3) 公益財団法人 講道館:http://kodokanjudoinstitute.org/courtesy/etiquette/
- 2023/04/25(火) 21:25:00|
- 昇段審査論文
-
-
無雙神傳英信流抜刀兵法 初段昇段審査論文
武道における礼と無雙神傳英信流抜刀兵法における礼法について
はじめに
本論文は武道における礼と無雙神傳英信流抜刀兵法における礼法について、無雙神傳英信流抜刀兵法を習い始めた筆者が稽古を通じて得られた経験、知識をもとに資料、文献などから独自に解釈して述べるものとなります。
武道における礼について
武道は「礼に始まり、礼に終わると」といわれています。この言葉は現代のあらゆる武道、武術において取り入れられています。
これは単純に最初と最後に形式的に礼をするという事ではなく、相対するものに対して敬愛を以て臨む事を意味しています。このように礼を以て武に臨む事で武技を高めるだけでなく、精神のあり方も磨き抜かれるものとなります。
武道と礼について歴史的に見ていくことで、その関係性や意味合いを考察します。
武と礼の歴史
最初に礼の歴史についてですが、概念自体は春秋戦国時代の中国に広まり、儒学の孔子などが説く「仁」と「礼」に由来しているとされています。
「礼」は日本には仏教伝来と同じ時期に伝来し、日本の精度、風習に合わせて独特の形で発展したとされています。
「武」と「礼」については鎌倉時代には封建制度における武家社会における秩序として制定されていきます。
江戸時代では施政者が臣下を治めるものとしての「礼儀および法規」として採用され、武士の教養として扱われるようになります。
鎌倉時代より礼をまとめる小笠原家が将軍家の指南役となり武家社会に浸透していくことになります。
明治時代に入ると武士はいなくなり、武家の教養としてあった礼法の意義が薄れていくのですが、その中で武術が存続するにあたって体育として変容していく必要があり、教育的要素として礼法を含む武道が成立することとなります。
歴史的には1882年の嘉納治五郎による講道館柔道の創設により武術が体育、教育として活用されるようになり、1919年に大日本武徳会によって剣術・柔術・弓術の「術」の字を「道」に変えるように通知した時が武術が武道として広まる転機になったと考えられます。
そして、武道は国民の心身鍛錬を目的として学校教育に取り込まれるようになります。
以前からも武術には精神修養の目的もあり礼の概念も各々存在していたのですが、武道における礼との関係性はここから明確に現れるようになります。
明治時代から昭和初期にかけて、教育、体育としての武道が形成され発展していくこととなります。
このように浸透していった武道ですが、第二次大戦終戦を迎えると新たな転機を迎えます。
戦後の占領統治をしたGHQは武装解除の名目で武道に対して廃止命令を出します。
このままでは武道は廃れていくこととなるのですが、様々な方々の尽力により、武道はスポーツとして留まることに成功します。
そして現代武道は競技性を高めたスポーツとして発展しつつ、「礼に始まり、礼に終わる」といった精神修養を含むものとして、世界にも認められ広く普及していくものとなります。
無雙神傳英信流抜刀兵法における礼法について
無雙神傳英信流抜刀兵では神前の礼、刀礼、帯刀し、形をとり行った後に刀礼、神前の礼を行います。
礼については精神的、儀典的な意味合いを以て行うところもあるのですが、無雙神傳英信流抜刀兵ではそれ以外にも武術の基本となる姿勢や身体操作も含まれています。
「礼に始まり、礼に終わる」という武道の標語はありますが、武道でよく言われる心の持ち方だけでなく、日常から武への切り替わり際して、礼法における姿勢や動作についてもしっかりと意識してとり行う必要があるといえます。
今までの稽古でご教授いただいた内容を元に、それぞれの所作について記載させていただきます。
神前礼について
神前の礼は文字通り神様に対する礼となります。武道の神に稽古できることを感謝し、稽古の無事を願いつつ、敬愛を以て礼を行います。
所作としては、刀を刃が上、柄が前になるように右腰に持ち、鼠径部を緩めて自然体で神前に向き合います。次に右腰に持った刀を神前に対して刃が向かないようにそのまま自然にすっと前に出します。刀は前に出しすぎることなく、左手が添えられるところまで出し、そこで左手を右手同様に下から自然に前に出して鞘の中程を持ち、刃先を右前下、柄を右脇になるように持ち替え、左手を元に戻して姿勢を正します。
そして、ゆっくりと頭からではなく、腰から45度ほど曲げて神前に対してお辞儀をします。神前に対する礼という事で深々と頭を下げる最敬礼を行います。そして、お辞儀の一番深いところで止め、神々に敬愛を示します。
しっかりとお辞儀をしたらゆっくりと腰を中心に体を戻します。
これが神前の礼の一通りの所作となります。
所作としては前述の通りとなりますが、一つ一つの動作において慌てて行わず、形だけを模倣するのではなく、体の微妙な感覚を感じながら丁寧に進める必要があります。礼法の中で培われる所作によって、術を行うに際しても自然で滑らかな動きが出来るようになります。逆に礼法によって培われる体の使い方が行われていない稽古は正しい稽古といえず、誤った動きを身につけてしまうことになります。
続いて稽古の初めには神前の礼に引き続き、刀礼を行います。
刀礼について
刀礼は文字通り刀に対して礼を行います。神前礼から引き続き行うことになるのですが、神前礼は立位で行い、刀礼は座位で行うため、立位から座位への動きから始まります。
立位から座位への移行では、重力を意識して、刀の鐺を地面に当てないようにやや平行に持ち、左掌を鼠径部に置きつつ重心を下に落とすように腰を落とします。
腰を落としたら静かに膝をつき、ゆっくりと前傾はせずに、足の裏の土踏まずに尻が収まるように踵を外側に広げつつ、腰を下まで降ろします。左手は鼠径部に、右手は刀を持った状態となりますが、左手の形としてはぶらんと降ろした状態から肘を折って前に出し、脱力した状態でそのまま置きます。
着座した状態では胸を張りすぎず、背筋を伸ばしすぎず、重心を中心に据えて体を緩やかにします。
着座が出来たら刀を前に置くのですが、置くときも立位時のお辞儀と同じく背中を曲げずに体を腰から倒して傾け、鐺を右前方に置き、刃はこちらになるように柄を左前方に置きます。この時の刀を置く動作も立位時の刀の扱い同様に力任せに置くのではなく、力を抜いた状態で自然に前に出るようにします。この時の刀の位置は、自分の体が刀の中心になるようにします。刀を置いたら下緒を栗形から鐺へと伸ばし鐺より長い部分は揃えて手前寄りに配します。
刀を置き、姿勢を正したら刀に対するお辞儀を行います。道具に対して敬意を払うだけでなくお辞儀をするのは日本文化らしく、刀は自らの命を護るものでもある事や神話などでも重要な役割を担うものであるため、特に敬意を以て扱われます。現代居合においては真剣を用いず模造刀を用いる事も多々ありますが、稽古道具に対して敬意を払う事は変わりありません。
立位時のお辞儀同様に腰から背中を曲げずに倒れるように曲げていき、前に出る動作から自然となるように刀の手前に左手を出し、続けて同じ位置に右手を出し、更に腰を曲げていって両肘をつけ、地面と平行になるように腰を曲げます。手の形は人差し指と親指の先を合わせ三角形を作るようにし、そこに頭の位置が来るようにします。
深々と頭を下げ、刀への敬愛を示したらゆっくりと体を同じように戻していきます。
手、腕も自然に体についてくるように、体を起こしつつ右手を鼠径部付近に戻し、体が起ききるところで左手を鼠径部付近に戻します。
次に刀をとるのですが、お辞儀の時と同じように腰から曲げ、倒れこむように右手を前に出して下緒を中央から中指で三つ折りになるように取って人差し指を鍔に当て、栗形付近を持ち、刃が上になるように置いた時とは逆の流れで自然に右腰に戻します。
これが刀礼の一通りの所作となります。
帯刀した状態からも同様の手順を追って刀礼を行います。
無雙神傳英信流抜刀兵法では形をとり行うにあたって袴を着用するため、帯刀時に立位から座位になるには袴捌きが必要となります。
無雙神傳英信流抜刀兵法の袴捌きは着座時に袴を払う袴捌きと異なり、立位の状態から始まります。
両肘を肩甲骨を使って後ろに引いて手を持ち上げ、袴の脇あきに入れます。脇あきに入れた手を外旋しつつ肘を撓ませ上げます。手を持ち上げる事で袴が持ち上がるので、この状態で重力を使って重心をそのまま落とすように腰を落とします。腰を落としたら袴の脇あきから手を抜き、左手は親指が鍔にかかるようにして鞘を持ち、右手は着座時の位置と同じ鼠径部よりやや前に掌を下にして置き、ゆっくりと音を立てないように膝をつきます。膝をついたら前傾せずに、足の裏の土踏まずに尻が収まるように踵を外側に広げつつ、ゆっくりと腰を下まで降ろします。腰を下まで降ろしたら、左手を刀から放し、右手同様に鼠径部よりやや前に掌を下にして置きます。
着座したら帯刀していない状態と同様に両手は鼠径部前にし、両腕には力を入れず、自然な形になります。
刀礼を行うために帯刀している刀を左腰から取り出し、先に記載した内容と同じ所作で刀礼を行います。
このように、無雙神傳英信流抜刀兵法では礼における身体操作においても細心を払って行うようにされており、敬愛の礼だけではなく、基本となる姿勢や身体操作を意識して行うようにされています。
おわりに
現代武道の礼は歴史的な経緯から精神的、儀典的となったものが多く見受けられますが、無雙神傳英信流抜刀兵法においては武道の基本となる姿勢や身体操作についても習得できるようになっており、「武道の礼法」に記載される「実用、省略、美」の概念が揃っているものと感じられました。礼法を見ればその人の熟練度が見て取れると先生に教えていただきましたが、礼法の稽古を積めば積むほど、姿勢、身体操作の難しさを認識することが出来、その言葉の意味を理解できるようになりました。
礼法によって精神、姿勢を正し、現代生活にはない身体操作を確認し、それを以て今後の稽古にも励んでいきたいと思います。
参考資料、参考文献
小笠原 清忠 著「武道の礼法」
筑波大学附属図書館 「明治時代に礼法はいかにして伝えられたか」
福島大学 武道学研究 43-(2): 1-11, 2011 中村 民雄 「中学校武道必修化について ―武道の礼法―」
福島大学教育学部論集第42号 1987-11 中村 民雄「武道場と神棚(2)」
Wikipedia 「礼」
貫汪館 ホームページ、道標
- 2023/04/26(水) 21:25:00|
- 昇段審査論文
-
-
二段論文 無雙神傳英信流抜刀兵法
1.これまで修行上留意してきたこと
これまでの修行において、姿勢、重心、刀の振り方、礼節について留意してきた。それぞれについて個別に述べる。
1-1.姿勢と目線
稽古を始めた当初は、猫背のために、背中が丸まり肩が前に出ていた。頭も前に出るため、重心がひっぱられて前方にあった。上半身が前のめりのため、重心の垂線は両足の間でなく、前足近くにあった。この姿勢は、重心が前足に乗り固定されるため、居つく姿勢で、移動がスムーズにできない。例えば前足から前に進むには、重心を前足から後ろ足に移してから、進む必要があり、二挙動になる。この動き方は、敵からの攻撃に対し遅れをとる悪い動きであり、それは悪い姿勢が原因であった。
先生からのご指摘を頂き、普段から猫背を治すよう努力した。これにより、前かがみだった頭が上方へ移動し、下向きの視線が水平になり視界が広がり、重心は後ろに移動し、重心の垂線は両足の間に落ちるようになった。ただし、このような姿勢ができるのは、注意されて直したときのみで、気を抜くとまた元通りの猫背になってしまう。形を演武する際には特に顕著で、形を間違えないようになぞることに注意が向いてしまい、姿勢や重心への注意が抜けてしまう。
この点は、姿勢だけでなく、顔の向きと目線も同じであった。稽古初期にはよく目線が下がっていると注意を頂いた。この癖は中々抜けず、いまだに新しい技を稽古する際に出てくる。敵は外にあるのに、注意は自分の内側に向いており全く敵に対応できない。この点は常に意識してきたが、今後も十分注意して稽古して行きたい。
1-2.重心の位置
重心の位置も、常に意識して修行してきた。貫汪館で稽古する他の2流派でも同じであるが、特に英信流の稽古において、鼠径部のゆるみをご指導いただいた。鼠径部がゆるむことで重心が安定するが、重心がどちらかの足に乗るわけでないため、いわゆる居ついた状態にならず、動きの自由度が上がり、敵の動きに即応できる。この鼠径部のゆるみは、普段の稽古でも、始まりから終わりまで続くように留意してきた。
最近になって、重心の位置の大切さに、改めて気づくことがあった。それまでは何も違和感なく行ってきた、初発刀の血振い時の立ち上がりが、ある日突然ふらつくようになった。ふらつく原因は、前足に重心が乗っているため、片足に重心が偏ったことにあったようである。前後に足を開いた状態で、片足に重心が乗っていると、ちょうど片足で立っているような状態になり、ふらつきの原因となる。左刀では左足が前のため、右手の刀をふってもふらつかないが、初発刀の場合は、右足が前に来るのに加えて、右手に刀があるため、右側に重心が移動してしまうようである。重心を意識するようになってから、ふらつくことは少なくなったが、時々ふらつくことがあるので、さらに注意したい。
1-3.刀の振り方
流派の刀の振り方は、剣道経験者は、中々身につかないようである。かく言う私も、剣道は中学の授業で少し習った程度だが、ほんの少しにも関わらず、その振り方が未だに抜けない。その振り方は、①刀を握る、②振ったときに右手が伸びる、③狙った位置で止まる、の3点である。
①刀を握ることは、当初中々変えられず、気が付くと人差し指と親指で刀を握っていた。これでは、抜きつけようと刀に手をかけた際に、手が左を向き、これに伴い肘が前に出てしまう。これを握らなくすることで、手は座っている時の向きのままの、左前方を向いたままの自然な状態で、肘を前に出すこともなくなった。さらに抜きつけの際にも、刀を握っていては、途中で刀が止まってしまうが、握らないようにすることで切っ先が途中で止まることがなくなった。
②振ったとに右手が伸びるのは、剣道では相手の面を狙うときに、少しでも速く遠くに到達させるために重要であろうが、流派の求める振り方ではない。手の角度は、刀を持った形のままで上げ下ろしされるべきであるが、上げるときは、後ろ倒しになり、下げるときは前倒しになってしまうことがある。上げるときの角度は、剣道の授業で、竹刀が面を擦るようにと教えられたことが未だに残っているためと思われる。
③狙った位置で止まるとは、剣道では面を狙って打つので、面を打ち抜く動きでなく、面を叩く動きにになる。その場に敵がいなくなれば、面の位置で竹刀は止まる。この止めてしまう動きでは、太刀打の心妙剣においては、打方の刀を払うことが不十分で、切り込む隙を与えてしまう。相手の刀が目標でなく、止めないよう留意している。
これらの3点を、流派の振り方にするべく留意して修行してきた。
1-4.礼節
礼節は、入門前に身につけておくのが本来の姿であるが、礼法は、流派独自であるため入門後に学ぶ。この礼法を学ぶなかで、これまで身に着けてきた礼節が、ズレていることに気づいた。そもそも礼節は学校で習うものではなく、親や周りの大人によって教えられてきたものであり、社会に出てからは仕事場などで学ぶが、その業種により独特の礼節があるのに加えて、そもそもの礼節が明文化されたものでないので、多少なりともズレが生じる。
細かい礼法は、それぞれの場面で学べば良いが、その基本原理は共通していると思われる。つまり、身上の人に合わせたり、優先させるという原理は、打太刀の礼に仕方に打方が合わせたり、演武の場への入場に際して、下座側に位置するということ共通している。
道場で学んだ礼法は、道場だけでなく、実生活でも区別せず行っている。道場外でも同様の行動を取ることで、稽古の際には意識せずとも流派の礼法が取れるよう留意している。
2.今後留意しなければならないこと
今後留意して稽古しなければならないと思うことは、目を養うこと、力を抜くこと、満足しないことである。これらは先生のご指導の受け売りであるが、稽古をする上で腑に落ちることが多々あり、今後も留意し続けなければならないと思っている。それぞれの留意点について述べる。
2-1.目を養う
稽古の年月が長くなってくると、後輩が入ってくるので、慢心する誘惑が生じてくる。それは後輩の悪い点がよく目につくためだと思う。
このため、口出ししたくなるが、見る目を持ってないのに、果たしてそれが悪いと言えるのか疑問である。これまでは、先生からの指導もあり、口出ししたことは無いが、今後段位が進につれ悪い点がより目につくと思われるので、これまで以上に留意すると共に、これまで以上に先生方の動きを注意して観察し、見る目を養っていきたい。
2-2.力を抜く
力を抜くことは、鼠径部のゆるみのみでなく、礼法での刀の取扱いなどで全ての動きの中で注意すべき点である。これは道場での稽古で、気を付けてさえいれば身につくとは思えない。このため、これまで日常生活において、常に力を抜くよう注意してきた。仕事などで集中していると、肩に力が入っているのに気づくので、時々確認し、都度力を抜くようにしてきた。
それでも最近の稽古で、力が入っているのとご指摘いただいた。このご指導をよくよく考えてみたところ、これまでの認識に間違いがあったのではないかと思っている。それは「力の抜けが不十分」「力を抜くのでなく、力をいれない」の2点である。力の抜けは、何段階かあるようで、これまでは1段階までしか抜けていなかったようである。そこで止まらず、どうしたらさらに抜くことができるか考えて実践して行きたい。
また、力が入ったから抜くのでなく、常に力が抜けている状態であるようにすることは、これまでの方法、つまり力の状態を監視して、力が入ったと気づいたら抜くという方法ではできない。このため認識を改めて、無意識に力を入れるのはいつなのか自分を観察し、それを除くような工夫を行って行きたい。
2-3.満足しない
技が出来るようになってくると、その技を稽古しなくなり、忘れることも出てくる。忘れることは論外であるが、技が出来るようになったと思うと、その先に進めなくなり上達が止まる。現在は、全ての技にはそれぞれ、課題が多々あるため、満足にほど遠い。しかし、この先上達した時に、できるようになったと思わず、まだまだ先があるとの認識で稽古に望みたい。
参考文献
1)貫汪館 本部道場ホームページ館長ブログ「道標」
2)貫汪館 横浜支部ホームページ横浜支部長「稽古日記」
- 2023/04/27(木) 21:25:00|
- 昇段審査論文
-
-
武道における礼と渋川一流柔術における礼法について述べなさい
段位:初段
今回、渋川一流柔術の昇段審査を受けるにあたり、貫汪館館長及び横浜支部長から温かいご指導ご鞭撻を賜り、また他館員の方とも稽古の上で互いに切磋琢磨する事が出来ました。心より感謝申し上げます。
1.初めに
まず、国語辞典1)で調べたところ、礼とは;
1.1 社会の秩序を保ち、人間相互の交際を全うするための礼儀作法・制度・儀式・文物など。儒教では、五常の一つとして、人の道として踏み行なうべき最も重要な規範とした。礼儀。
1.2 感謝の気持を表わすことば。また、謝礼として贈る金品。
1.3 敬意を表わすこと。また、そのために頭を下げること。おじぎ。拝礼。
1.4 神への供えもの。供物。礼奠(れいてん)。
1.5 年始の祝賀の挨拶。年礼。
等とされており、現代社会に生きる我々には一般的には1.1から1.3までが馴染みのあるものと思われる。
1.4と1.5は近年では減少傾向であることは否めないが、宗教施設や複数名の集まる場では今尚行われている習慣である。
筆者は1.1から1.3までは日常的に行っており、1.4にあっては頻度こそ少ないながらも父祖の供養や地鎮祭等で行っている。
1.5については最近では行った記憶がない。
2.武道における礼
筆者の武道の経験は貫汪館を除いて殆ど無い。筆者は中学校、高等学校での体育の授業での柔道の経験しか無い為、武道での礼を論じる程の知識や経験が無いので筆者の調査した内容を記述する。
武道における礼を調べるに当たり、複数書籍を参照している中で、新渡戸稲造著「武士道」2)に興味深い記述があったので、これを紹介したい。
小笠原流礼法第28代宗家、小笠原清務は「禮道の要は、心を練るにあり、礼を以て端坐すれば、兇人劔を取りて向かふとも害を加ふること能はず」という言葉を残している。
ここで、「心を練る」と「害を加ふること能はず」について筆者なりの考察を述べると、「心を練る」については「心」とは精神や神経の働き全般であり、練るとはムラが無いように均一にすることであり、 心の働き、つまりは喜怒哀楽等の感情や緊張、不安や恐怖等の状態を取り除く事、また「害を加ふること能はず」については、単に加害が出来ないという意味ではなく、礼そのものが全てのもの(この場合は物と者の両方の意味)に対してのものであり、 また礼をもって端座している状態であれば自分自身だけではなく敵に対しても調和している状態であり、次のに点から「害を加ふること能はず」になるのでは無いかと思われる;
2.1 自身に礼を以て接する者を斬り掛かるという不義が出来ない
2.2 たとえ斬り掛られたとしても礼の中で精神的、肉体的な調和が取れているので容易にこれに対処出来る
次に武道における礼についてを論じるに当たり、広く普及している現代武道について焦点を当てて調べた内容を紹介したい。
本論文が渋川一流「柔術」についてのものなので、先ずは歴史的に「柔術」と関わりのある柔道について述べる。
柔道の礼法においては立礼と坐礼があり、それぞれに敬礼と拝礼がある。
立礼は立った状態でお辞儀をしつつ両手を膝に当てて一拍置いてから戻るものである。坐礼は正座をするところから始まり、直立した状態から左足を少し引いて身体全体を垂直に下ろし、左ひざを床に付け、次に右足を引き、つま先が立っている状態からつま先を伸ばし、次いで腰を落とし両手を足の付け根に寄せる。正座が出来たら、その状態で自身の前に両手を出し、床につけ上体を前に倒し礼をして一拍置いてから正座の状態に戻り、立ち上がる。立ち上がる時は右足を前に出し片膝を立てた状態にし右足に体重を預けながら立ち上がり、左足を寄せて直立状態に戻る。
敬礼と拝礼はそれぞれ上体を倒す角度の違いであり、敬礼よりも拝礼の方が深く上体を前に倒す。各々の使い分けに関する詳細な記述は見られなかったが、神前等では拝礼を、それ以外では敬礼をと一般的な最敬礼と敬礼の使い分けと同様に行っているようである。
一般的には柔道の試合時は立礼のみを見るが、柔道形では坐礼を見ることが出来る。
過去には蹲踞での礼法も行われていたが、現在では行われていない。
次に剣道の礼法を述べる。剣道の礼法は三つあり、一つは座礼であり、この時の方法は先述の柔道のものと同様である。二つ目に立礼であるが、竹刀を持っているので、納刀した状態の刀を左手で保持している形で行うお辞儀の礼法である。三つ目に蹲踞の礼法がある。これは、剣道の試合時に行うものであり、蹲踞は納刀状態の竹刀を抜刀し、中段に構えた状態から左足を寄せ左右の踵が揃った状態で重心を落とし、踵に臀部を載せて、審判員の始めの号令と共に立ち上がる。
柔道はオリンピック競技にもなっており、海外の選手もこれを行っているが、勝利に対しての喜びを表現する為にガッツポーズをしたりという場面が見受けられる。
また、試合に負けた選手が礼を拒むという場面もあるようで、品位を問われる問題であるり、礼をしないのは武道を行う上では論外であり、
見える形でガッツポーズをすることも相手選手や審判員、観客その他に対しての礼を欠いている行いであるとも筆者は思う。
剣道では勝利者がガッツポーズ等を行ったりと品位を疑われる行いに対しては失格とすることが出来る。
近年では、このような傾向に対して課題が残っているという認識があり、改善に対して期待が出来るのでは無いかと筆者は期待している。
3.渋川一流柔術における礼法
渋川一流柔術における礼法について述べる。
筆者は、渋川一流柔術については;
六尺棒:表及び裏
半棒:表
履形
を現在まで稽古をして、各々の礼法を稽古で学んだ。
それ以外での形での礼法については稽古が進んでいないので、筆者には分からないが、前述の形グループは全てにおいて蹲踞での礼法である。
六尺棒及び半棒は左手で棒の端面を持ち、右手で剣を持つのよりも心持広く持ち脇を締めて、力を入れずに顔の前で立てて前項2での蹲踞の姿勢と同様にし、六尺棒及び半棒を音を立てずに床へ置き両手を太ももの上へ自然な形で置き、握りこぶしを作り、床へ静かに降ろし、また太ももの上へ置き、膝を伸ばし切らない様に立ち上がり、右手を返し(右手親指側が自身へ、小指側が前方へ向く様に)棒の中心付近を取り六尺棒であれば自身の正面へ、半棒であれば自身の体側へ音を立てずに立てる。
履形での礼法では、棒が無いので、両腕を自然に降ろした状態から始まり、蹲踞の姿勢、握りこぶしを床に付ける、元に戻る、立ち上がるを行う。
この後、履形においては受けが捕りを突いて来るのを受けて、押し返すという履形の目録に無い形がある。
この形を含む礼式が渋川一流柔術の履形の礼式であり、礼法とも合わせて指導されている。
これら動作に関して共通することは、無駄に力を入れない、鼠径部をゆるめると指導されている。
4.最後に
筆者は武道における礼と渋川一流柔術における礼法については、根源的なものは同じであると考える。
礼法を重要視するのはどちらも同様であるが、渋川一流柔術のそれは古武道としてのとても古い形態を色濃く残しているのだと思われる。
ただ、武道における礼が形骸化しつつあるのではないかと筆者は思っており、渋川一流柔術の礼法が同様に形だけのものにならない様に稽古に邁進していきたい
参照文献
1) 精選版 日本国語大辞典 第二版、小学館、第二版、2006年
2) 新渡戸稲造:武士道 、丁未出版社、1908年
3) 公益財団法人 講道館:http://kodokanjudoinstitute.org/courtesy/etiquette/
- 2023/04/28(金) 21:25:00|
- 昇段審査論文
-
-
澁川一流柔術 初段昇段審査論文
武道における礼と澁川一流柔術における礼法について
はじめに
本論文は武道における礼と澁川一流柔術における礼法について、澁川一流柔術を習い始めた筆者が稽古を通じて得られた経験、知識をもとに資料、文献などから独自に解釈して述べるものとなります。
武道における礼について
武道では「礼に始まり、礼に終わる」という標語に示されるように、スポーツのように単なる技術や体力の競い合いを第一目標とせず、相手に敬愛を以て対するという精神性も含まれています。スポーツにももちろんスポーツマンシップというものがあり、競技における精神性をもってはいますが、相手に対する敬愛を礼という形にし、それを鍛錬の中においても実践しているものは多くはありません。
武道の元となる武術は戦技として発達したもので、現代にも残る古武道の源流は戦国時代に創始されたものが多くあります。生き残るために相手を打ち倒す術として武術は発展していきますが、何故、礼と結びついたのでしょうか。鎌倉幕府時代以後、武をつかさどる武士が支配する武家社会ら始まりますが、その支配における秩序として礼が取り込まれていくようになります。やがて戦の時代が終わり、江戸時代になるのですが、その時代において武士の秩序、教養として礼が取り込まれるようになります。武と礼は武士の教養となりますが、戦のない太平の世では武がその威を表す場所もなく、教養の一つとして磨き上げられていくことになります。そういった中で武における礼の動作は日本人文化にある
「実用・省略・美」の中で、身体操作的なものも取り入れるようになったと考えられます。
明治に入り、武家社会から近代社会に変わり武士階級の教養である武術は廃れていくのですが、国民教育の一環として体育、教育として活用されるようになり、柔術、剣術、弓術といった武術は柔道、剣道、弓道という武道として発展していきます。
現代武道における礼法は武術にあった礼法や修身教育で行わる礼法などと混ざりながら、この時期に基礎がつくられていきます。古武道として伝えられているものはその限りではないですが、古武道も礼と合わせて伝えられています。
戦前においては皇民教育の一環として武道が用いられる事になりますが、戦後では皇民教育としての武道は廃され、スポーツとして扱われるようになります。
スポーツにおいては合理性や競技性、国際性が重視され、儀典的にもなりがちな礼は軽視され、礼の精神性の教育も疎かにされていくこととなります。
近年、武道の国際大会において武道の発祥地たる日本の選手であっても礼を失する行為をとるものも見られたり、道徳的にあってはならないことをするものが見られるのは、礼の教育を疎かにしがちなスポーツ化の弊害ともいえるかもしれません。
相手を打ち倒す技法である武ですが、相手を敬愛する礼と合わさって武道として成立しています。敬愛なしでは争いが延々と続くこととなってしまいます。スポーツ性の強い武道においては礼を失する行為などが見られますが、そのような事では争いの種を生むばかりです。武道においては礼によって敬愛の精神も養われます。それを忘れないように武の道を進むのが必要な事だと思います。
澁川一流柔術における礼法について
澁川一流柔術における礼は蹲踞礼を用いますが、その後に礼式を行います。
礼式は澁川一流柔術の「何かを仕掛けられた場合にこれを押し返すのみである」という理念を表したものです。礼式はそのような理念を以て行われるものではあるのですが、単なる礼の形をとり行うものではなく、形の基本となる姿勢や身体操作を含んでいます。
澁川一流柔術では形稽古の際に技をかける「捕」と技にかかる「受」とに分かれて行います。
礼式の動作としては、「受」を押し返した後に、「受」は相手と相対するように向きを変えて胸前に掌を下に指先を合わせ、「捕」は「受」を押し返しつつ左膝をつき片膝の体勢になり、「受」と同じく胸前に掌を下に指先を合わせ、「受」「捕」が各々意識を合わせた状態で掌を水平に、腕はぴんと伸ばさず緩やかにし、体を広げる事で左右に広げ、広げ切ったところで気合を入れます。その後、手を静かに体側に下ろすのですが、手を下ろすという動作を行うのではなく、気を臍下により沈めることによってなされます。
そうして自然体に戻り、押された「受」は元の位置に戻ります。
元の位置といっても、適当にするのではなく、相手の蹴りがギリギリ届かない位置に正対するようにします。
澁川一流柔術は様々な武器を用いますが、例えば棒であったとしても、蹲踞礼を行います。蹲踞礼は、先ず姿勢を自然体にするところから始めます。自然体とは全身に無駄な力を入れずに、地球の重力を感じるままに体の中心を落として膝が軽く曲がった状態での立ち姿勢となります。自然体が出来ていれば、あらゆる状態に澱みなく対応できる状態となり、武道の基本と言える姿勢とされています。
自然体の状態になったら、重力を感じながらまっすぐに体の中心を落とし、手は鼠径部よりやや前に置いて蹲踞の形になります。蹲踞の形になったときも余計な力を入れずに体の中心を意識して無理、無駄な力を省きます。ここから蹲踞の形からお辞儀をしていくことになるのですが、頭から降りずに腰を肚の中心から曲げるように静かに倒していき、両手を軽く握り、腕はまっすぐ伸ばさず軽く曲げ、重心をかけずに地面に置き、お辞儀を行います。お辞儀をしたら、倒した時とは逆の動きで両手を同時に地面から放し体を蹲踞の姿勢に戻します。蹲踞の姿勢に戻ったら、普通の立ち方のように前のめりになって勢いを使って立つのではなく、重心を中心に据えて両足の力を使って、中心をまっすぐ持ち上げるようにして自然体に戻ります。
相手のいる形においては相手と調和していることが重要であり、同じ動作を相対して行う蹲踞礼においても、相手に対する敬愛の意を示しつつも、相手と調和することで正しい形がとり行えるようになります。また、相手と調和し、自然体であれば、予測された動作を相手がしてこない場合であっても、自然と体が反応して対応が出来るようになります。
おわりに
武道における礼については、その意義と歴史について述べさせていただきました。
澁川一流柔術における礼法については、姿勢や身体操作と精神的な意義について述べさせていただきました。
筆者は高校時代のクラブ活動で柔道を行っていたのですが、その活動においては指導者がおらず、先輩、後輩の間で技を学ぶというものでした。残念ながらその当時は礼については殆ど習うことが出来ず、敬愛を以て礼をするという意識はかなり低い状態でした。結果として、体の鍛練を十分にせず、基本技を疎かにし、特異な形の相手の事を思いやらない技を使うようになり、未だにその技を使っていた事を後悔しています。
改めて澁川一流柔術を稽古するようになりましたが、単に形を学び進めるという事はなく、礼法における精神の在り方、身体操作に含まれる基礎となる動きを丁寧に行う稽古が出来ることは素晴らしく感じております。今更ではありますが、あの時にこのような稽古が出来ていればよかったのにと思わずにはいられません。
体育の授業などでも柔道や剣道といった武道を習ったりはするのですが、澁川一流柔術のように精神性、身体操作の在り方も学べるとよいと思います。
参考資料、参考文献
小笠原 清忠 著「武道の礼法」
筑波大学附属図書館 「明治時代に礼法はいかにして伝えられたか」
中村 勇、濱田 初幸, 2007「鹿屋体育大学学術研究紀要 第36号 柔道の礼法と武道の国際化に関する考察」
貫汪館 ホームページ、道標
- 2023/04/29(土) 21:25:00|
- 昇段審査論文
-
-
初段論文 澁川一流柔術
本論文では、まず礼とは何かについて調査した内容をまとめ、このまとめを考慮して「武道における礼」と「澁川一流柔術における礼法」について論じる。
1. 礼とは何か
礼と聞いて、まず礼儀と礼節が思い浮かぶ。礼儀はマナーや作法を意味し、礼節は礼儀に心が伴うことを意味する。つまり相手への敬意や思いやりを伴った礼儀を礼節という。
では礼とは何かを調べると「さまざまな行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具などの総称。春秋戦国時代、儒家によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序を維持するための道徳的な規範をも意味するようになった」(Wikipedia)とある。つまり、儒教により体系化された礼儀や礼節といえる。
儒教の教えは経典である六経に明文化されたが、はやくに1つ失われて五経になったり、原文が残っておらず注釈書として伝わっていることから、本来の姿から変性していることが推測される。このため礼とは何かに対する答えは、文献で調べてみても分からない。例えば、なぜ法律とは別に必要か。法律との違いは何か。なぜ礼を守らせようとするのか。なぜ敬礼・返礼・儀礼・参賀など複数の相互関連のなさそうな要素も全て礼なのか。など解明されていないことが多い。この儒教を輸入し、さらに 口伝や躾により、日本人集団の中で継承されてきた日本の礼は、独自に変化しており、さらに答えが分かりにくくなっている。
この、答えが分かりにくい例としては、学校の朝礼が挙げられる。「起立・礼・着席」の合図に従うが、なぜ行うのか。という問いに対しては、「そういうルールだから」「従わないと怒られるから」という答えが帰ってくる。また、なぜ頭を下げるのかという問いには、礼とは頭を下げるお辞儀だからと答えられるが、これは間違いで、頭を下げる行為は拝であり礼ではない。このように一般的には、明確な定義がなく、人により受け取り方が曖昧で、間違ったり曖昧なまま受け継がれている。
しかしながら、様々な礼を含む五経から、武道に関連する礼に限定することで、礼とは何かに対する答えが、明確化できると思われる。よって武道の礼に関連する項目を挙げる。
1-1.譲る
五経には「礼は敬うこと」「君子曰く、譲は礼の主なり」とあることから、礼=敬うこと=譲ると言える。目上の人に敬語を使ったり、道を譲ることは、自分を不自由にすることで相手を快適にすることと言える。
五経の1つ礼記には、食膳の並べ方まであるが、これも食事をする人を快適にするために定められている。たとえば、ご飯は頻繁に上げ下げするため、上げ下げする左手に近い左に配置する。どちらに置くか相手を思い、手間をかけることは、自分の行動を制限し不自由にさせるが、これが礼ということである。
他の例では、刃物を渡す際には相手に刃が向かないようにする。これも相手が取りやすいように快適にすることであり、また刃を自分の側に向けることは、自分に危険性が増しても、相手の危険性を除くことにつながる。立っている相手に物を渡すときには、自分も立ち、座っている相手には、立ったまま渡さず、座って渡す。相手が立っていても、目上の人なら座った方が謙って(へりくだって)良さそうだが、受け渡ししやすいようにするには、相手と同じ姿勢にした方が良い。相手に合わせることは、自分の姿勢を変える煩わしさがあるが、これをあえて行うことが礼である。
どの例でも、相手を思い、あえて譲る手間をとる行動が礼とされている。
1-2.心をともなう
儒教では、葬礼の際の礼は、哀しみの心が重要としている。哀しみの心情が不十分で、礼を十分に尽くすより、哀しみの心情が十分で、礼が不十分な方が良いとされている。心と礼が両立しない場合、どちらかが重要かと天秤にかけたら、哀しみの心情の方が大事であるとされている。
礼の形である礼儀は心を表現したものであり、心が礼儀に意味を与えている。礼儀に囚われて、心のない礼は形骸であると戒めている。
2. 武道における礼
武道の礼は、試合の始まりと終わりを区切り、演武においては、緊張と弛緩とのけじめをつける効果がある。これは、演武している者だけでなく、見学している外部の者に対しても効果があり、初めてみる演武でもどこから始まり、どこで終わるのかが分かりやすい。
武道において、相手への礼の場合、相手は師、兄弟子、弟弟子、試合相手となる。相手も同じ形に従い礼をするので、一見すると、先述の礼で述べた、上位者へ譲るような大きな不自由は見られない。ただし、演武や神前への礼の際には、上位者が上座で下位者は下座に位置するし、お互いの礼に際しても上位者に下位者が従う。
武道における礼は「礼に始まり礼に終わる」という格言が有名で、この格言は、 1907年7月『武徳誌』に内藤高治が発表した論文「剣道初歩」が初出であり、原文では「武術の講習は總て禮に始まり禮に終わるを以て肝要とす前後の禮は最も大切なり、故を以て心事正しからざれば禮正しからず、禮正しからざれば道行はれず、道行はざれば其術も畢意無用のみ、禮節は人道の始にて又武を講ずるの門なれば苟も武に志しあるに於ては何人も先ず此心懸け第一なり」とあり、武道には礼が最も大切と説いている。礼の無い武道は、道を外したただの暴力になりかねない。
ではなぜ武道に礼を取り入れられたかを考えたとき「衣食足りて礼節を知る」が思い浮かぶ。これは菅子の「倉廩実則知礼節、衣食足則知栄辱」から来ている。「衣服や食事などの生きるために必要なことが満たされてこそ、礼節をわきまえた言動をすることができる」という意味がある。つまりは、生きることに必死なときは、礼節をわきまえる余裕など生まれないということである。実際、武道の礼法が意識されはじめたのは、江戸時代中期ころで、実戦から遠ざかった武士たちにより整備され、武士の教養として重要視されてきた。なおこれ以前にも、師や兄弟子への礼儀はあったはずであるが、礼法として成立したのがこの頃ということである。
3. 澁川一流柔術における礼法
礼法とは、日本において望ましいとされる行動様式や心構えを指す言葉である。行動様式は礼儀であり、これに心構えが伴うことから、先に示した礼節に通ずる。
武道の礼法は、蹲踞礼、立礼、坐礼に分けられる。蹲踞礼は江戸時代の享保年間(1716~36)に相撲で採用され、その後に剣術や柔術に影響を与えた。礼法において蹲踞礼を行う渋川一流柔術にも、影響があったと思われる。
これまで澁川一流柔術の六尺棒、半棒、柔術を稽古してきたが、どれも蹲踞してこぶしを床につける形である。六尺棒と半棒の場合は、相手との間に置いて、武器が手から離れた状態で礼を行う。この状態は互いに無防備になるが、鼠径部はゆるみ、いつでも自由に動ける状態になっている。また相手から注意をそらさず、相手とのつながりを繋いだまま礼を行うことにより、相手の動きを読み取り攻撃を制している。柔術の礼式では、受を制することなく、押し返すのみの動作がある。これは澁川一流柔術の理念が、人と争わないことにあるということを表している。
これまで述べてきたことを考慮して、武道における礼と、澁川一流柔術の礼法を考察すると以下になる。
武道における礼とは、相手を敬い譲ることであり、その礼は心をともなう礼儀、つまり礼節であるべきである。これは、生死の危険から遠ざかり「衣食足りた」武士によって体系化され、武道における礼法となった。
澁川一流柔術の礼法も、心をともなう礼でなければならない。その心は、武道における礼と同じく、相手への敬いと譲ることが伴う必要であるが、これと同時に、相手への注意を怠らず、いつでも行動を起こせる状態で行うことが重要である。
参考文献
1)外山皎:學剣乃技折、廣江活版所、初版、1912年
2)中村民雄:中学校武道必須化についてー武道の礼法ー、武道学研究、43-(2)、 2011
3)藤川正數:礼の話、明徳印刷出版社、初版、1993年
4)桃崎有一郎:礼とは何か、人文書院、初版、2020年
5)貫汪館本部道場ホームページ館長ブログ「道標」
6)貫汪館横浜支部ホームページ横浜支部長「稽古日記」
- 2023/04/30(日) 21:25:00|
- 昇段審査論文
-
-