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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

腹と腰

 今日、久々に無双神伝英信流抜刀兵法九州支部長が稽古に来ました。前回の宿題であった、絶対に腹筋に力を入れてはいけないという課題はずいぶんと工夫をしてきていたようでした。
 しかし、動きを見ていると、どこかぎこちないところがあり、 重心も若干高めでした。良く見ると「腰を入れる」ということを勘違いされ、異なる体の備えをされていました。一般に「腰を入れる」というとズボンのベルトの上の部分を前方に押し出すように考えられているのですが、無双神伝英信流にあってはそのような体遣いはありません。むしろその部分は自然に弛んでおり、大切なのはその下部なのです。
 腹筋に力を入れないように努力していても先ほどの部位を前に押し出すと腹筋に力を入れていないようでも、無意識に入っています。その部位を自然に緩めてやると腹は弛み、呼吸も深くなるのですが、その下部の用法を知らなければ、武術的でない「へたった体遣い」となってしまいます。
 ここでは詳しい解説は避け、他の方には道場において指導いたします。一般的な体遣いの常識と武術における体遣いは随分と異なることもあるということは、頭に留めて置いてください。

 貫汪館ホームページに会報54号を載せました。御覧下さい。

 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
 今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。
  1. 2007/12/01(土) 21:07:36|
  2. 居合 総論

中極意

 渋川一流柔術の古来からの許しに初伝・中極意・免許皆傳、上極意の三段階があります。厳密に分ければ四段階なのですが、免許皆傳と上極意は通常同時に授けられています。
 修業の成果がでて来春にも中極意になられる方が二名おられますので師 畝重実嗣昭先生よりお聞きした中極意についてのお話を記します。
 中極意は渋川一流柔術の修業の半ばまできた段階で、師のもとに稽古に通いながら自分の道場を持つことが許される段階です。つまり、それだけの中身が求められる段階であり、流儀の体を身につけた段階です。
  道場を構えて教授することが出来る段階ですので、渋川一流の技術は勿論、武道史にも通じ、見識を広げ、武術のありように関する自己の考えをしっかりもっていなければなりません。
 過去には中極意で道場を開いたものの、師がなくなられたり、自分が稽古に通わなくなったりして免許皆伝、上極意に至る事無く指導を続けた方もおられるようです。そのような方の中には、自分で中極意の上の段階をこしらえて発行された方もおられたようにお聞きしました。
 そのようなことがおこらないよう今後もしっかりと稽古を積まれてください。


  貫汪館ホームページの渋川一流行事のページに厳島神社・第18回日本古武道術技向上演武大会 (日本古武道協会主催)の演武写真を載せました。
貫汪館ホームページに会報54号を載せました。御覧下さい。


 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
 今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。
  1. 2007/12/02(日) 20:51:10|
  2. 柔術 総論

「受」

 渋川一流柔術では方稽古において技をかける方を「捕」といい、技を受けるほうを「受」といいます。
 今日の稽古を見ていて、以前述べたことではありますが、再度「受」の仕掛けのありようについて認識していただきたく、ここに述べます。
 通常の渋川一流の形では「受」の仕掛けに対して「捕」が技をかけ、「受」の仕掛けは一度のみ行われ、「捕」の掛ける技に応じることはありません。「捕」の掛ける技に応じて「受」が技を返す。さらに「捕」が返す、さらに「受」がかえす稽古は二段裏、三段裏と呼ばれ、通常の稽古とは別に行われます。
 陥り易い過ちは、「受」の仕掛けが一度だけだと思い履形であれば中段を突いた「受」の姿勢が固まり、居着いていることにあります。形であり手順が決まっていても「受」が一度の仕掛けで固まり居着けば、「受」は形のなかで全く稽古していないどころか、自ら動けない体を養っていることになります。
 「受」はたとえ手順どおりに技を掛けられるにしても、常に自由に動ける体の状態で無ければなりません。実際ならば、はじめの仕掛けをかわされたなら第二、第三と動けなければならないのです。固まり居付いている余裕はありません。「受」が固まっているか、あるいはいつでも、どのようにでも自由に動ける状態を保っているかでは、「受」の動きの差には雲泥の差が生じてしまいます。
 くれぐれも形のための形になってしまわないよう心してください。 

  貫汪館ホームページの渋川一流行事のページに厳島神社・第18回日本古武道術技向上演武大会 (日本古武道協会主催)の演武写真を載せました。
貫汪館ホームページに会報54号を載せました。御覧下さい。


 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
 今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。
  1. 2007/12/04(火) 01:37:06|
  2. 柔術 業

全て

 武芸十八般といいますが、現代武道的なセンスで武術をとらえると、18種類の武術を修めるためには、とてつもない修行が必要のように思います。
 現代剣道の稽古をする方が講道館柔道もまた人並み以上であるという話はあまり聞いた事がありません。しかし、いわゆる古武術を修行するものにとって他の種類の武術を行うことに何らかの抵抗感や苦手意識があってはなりません。なぜならば、全て共通でなければならないからです。
 渋川一流柔術には素手による柔術だけでなく、棒術、十手術、分童術、居合術、捕縄術などがありますが、これらは全て共通であり、どれかに苦手意識があってはならないものです。もし、苦手意識や抵抗感があるとすれば、基礎となる素手による柔術の動きに歪みがあるためであり、そのひずみに気づかねばなりません。得物を持つ武術が苦手な方が多いようですが、その方たちに共通するのは肩の力みです。肩に固まりがあって先にとおっていかないために結果として得物が自由にならず、腕力で振り回しているという状況に陥っています。これは素手での柔術においても欠点として現れているはずですので、再度、自分の動きを見つめなおしてください。
 無双神伝英信流にあっては素抜き抜刀術のほかに太刀打、詰合といった剣術技法、大小詰、大小立詰といった柔術技法がります。あるていど稽古が進んだ方は居合という視点から見た場合、全ては同じであるということに気づかれていると思います。大森流、英信流表の素抜き抜刀術の稽古をされて、太刀打、詰合の稽古を始められている方でどうしても動きが不自然になる方が居られます。素抜き抜刀術における歪みが拡大された形で現れているためです。もう一度、自分の動きを見つめなおしてください。
 二年足らずのうちに稽古が進み、大森流、英信流表、太刀打、詰合、そして大小詰へと入られた方が居られますが、相手を投げ、抑えることも素抜き抜刀術の変化に過ぎないということが体感として分かりつつあるように思います。大小詰においても術理は素抜き抜刀術となんらかわらず、自分の体を自然に動かすだけで相手は自分に制御されています。ことさら何かをする必要は全くありません。もし、違ったことを行っていると感じたならば、それは間違った方法を取っているということになります。
 私自身は幸いに航空自衛隊におりましたので、拳銃も自動小銃も幹部候補生学校で訓練を受け、携サムや対空機関砲、ペトリオットの扱い方もわかります。銃剣道も短剣道も退職後も続けましたので、七段を頂き、今でも動きは忘れません。しかし、それらも私自身はいずれも私自身に養っていた共通のものを用いていたので、用い方になれさえすれば、取り立てて困難な物ではありませんでした。
 幹部候補生学校での拳銃の実弾射撃で、中隊長が「森本は武術の動きで拳銃を売っているのか。ほかと違うな。」と仰ってくださったことを覚えています。また、夜間の訓練で、草むらに潜む人間がいると私だけ主張し他は誰一人気づかなかったのですが、後からこっそり教官が「俺が潜んでいた。森本はさすが武術をやっているだけあるな。」と褒めていただいたのも記憶にあります。私にとっては全て共通のものでした。
 それは武術ではないバイクでのツーリングや野宿、裁縫や草木染めにも共通するもので、人によっては私が様々なことができると驚かれる方もおられるのですが、何をやっても今の自分の武術のレベルを越えるものではありません。
  自分のすることを武術以外の物を含めて再度見つめてみてください。

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  1. 2007/12/04(火) 22:01:23|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鼠径部

 今日、先日に続き九州支部長が休みを取り稽古に来ました。今回は日曜日の講習会まで稽古を続ける予定です。先日来の課題、腹筋に力みを持たない事には随分となれてき、先週の課題であった腰を入れるということの間違いもなんとか直しつつあります。
 今日の課題は、鼠径部でした。腹、腰にこり、かたまりが無くなり随分と自然に座れるようになっても、鼠径部に力みがあっては、重心はやはり高くなってしまいます。
 座る前から鼠径部の緊張を解き、座ったあとにも鼠径部は弛み続け、上半身が埋まるように感じる位まで緩めます。
 ここで、始めて座していても姿勢を作っていない、そこにあるがままの姿勢になります。よくよく、稽古してください。、
 以上の状態となったとき、体は完全に弛みますので、動けないと感じるかもしれません。しかし、そこから業は生まれていきます。弛んで動けないと感じた体を、今までとはまったく別の方向からみた場合、これほど自由な動きとなる姿勢はないと感じます。
 委細は道場において。


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  1. 2007/12/07(金) 01:00:47|
  2. 居合 総論

呼吸

 無双神伝英信流では腕や肩の筋力を用いて刀を扱いません。斬撃力や、抜付けの威力は呼吸によって生み出されます。
 体の中央からの力は脇や肩や腕を緊張させることが無ければ切先まで伝達されますが、呼吸が弱ければ伝達される力も弱くなってしまいます。呼吸は、はくときに力が生まれ、抜付け・斬撃・血振いなどの動作は息をはくときに行われます。呼吸が弱ければ、切先までの力が弱く、それまで養ってきた無理の無い体の備えでは物足りなく感じられ、腕力で刀を振りたくなってしまうと思います。
 息を吐くときに、お腹に力を入れて、お腹を勢い良くへっ込ませる方がおられましたが、これは短い息しか出来ずまた、せっかく降りていた重心を吊り上げる元となります。息を吐くときにはお腹をへこませるのではなく、逆に丹田を中心とした肚は充実しなければなりません。委細は道場で指導しましたが、よくよく工夫されてください。

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  1. 2007/12/08(土) 01:34:48|
  2. 居合 業

英信流立膝

 無双神伝英信流の立膝の姿勢は無双直伝英信流とも夢想神伝流とも異なり、独特の座法を用います。そして、この座法から生まれてくるのが無双神伝英信流の業であり、座法が定まらなければ、業は異なったものとなってしまいます。
 数年稽古している方に未だに立膝に苦労されている方が居られますが、座した時に体が沈まないのは座す前の、右足の出しかたに原因があります。
 右足を出すときには全ては下方に下りており、立っていても座しているのと同じ状態に無ければ以後の動作で如何に座ろうとも立てひざが定まることとはありません。具体的には右足を出した時の大腿部や膝・足首のどこにも緊張は無く、全てが楽に緩やかな状態にあります。
 以前正座について書きましたが立膝は正座よりも、さらに沈んだ状態にあります。立膝で不安定さを覚える方は、はじめの一歩から工夫を重ねてください。
 

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  1. 2007/12/09(日) 00:45:49|
  2. 居合 業

無双神伝英信流居合道講習会への御参加有難うございました。

 12月9日(日)無双神伝英信流居合道講習会を開催したところ、剣道連盟、その他の連盟に所属される方を含め多数の方にお集まりいただきました。ここに感謝申し上げます。次回は3月下旬から4月にかけて実施する予定です。日程が確定いたしましたら、「道標」ならびに貫汪館ホームページでお知らせいたします。引き続き公開した形での講習会を実施いたしますので、他流派の方を歓迎いたします。
 さて、今回の講習会で感じたことをいくつか述べたいと思います。
 はじめに無双神伝英信流抜刀兵法は武術であるということを再確認しましょう。武術である以上相手(敵)がいますので、たとえ、素抜き抜刀術の稽古をしているとしても生きて自由に動く相手(敵)を想定していなければ武術にはなりえません。
居合の稽古をされる方のほとんどが居合という枠の中に閉じこもり他の武術を見ようとしない傾向にあります。しかし居合が武術である以上、相手(敵)は刀や槍や長刀を持って自由に働き、我に斬りかかる者であり、その相手(敵)を気迫で制してその間に抜付けるという空想は成り立ちません。これが、理解できない方は毎年、11月に行われる日本古武道協会主催による厳島神社・日本古武道術技向上演武大会を御覧になられることをお勧めいたします。
 さて、以上の「居合は武術である。」という大前提から、第一に「実感を求めてはいけない。」という事についてお話いたしたいと思います。
 講習会のはじめに座法や礼法を稽古いたしましたが、全ては業であり、座法や礼法は業と別物ではありません。刀(柄)を手にしていない状態での座法や礼法では、直接実感を求めることが無いために、なんとか、ごく自然に、あるがままに存在できるようになった方が、いざ刀を手にすると、脇をしめて、手首を入れて、腰を定めてなどと考え、あるがままの自己の存在をなくし、武術とはいえない不自由な自縛する動きを求められています。武術はどのようにでもあることができる術でなければ、斬捨てられてしまいます。自ら、決まった様にしか動けない体を養ってはなりません。たとえ手順が決まった形を稽古していても、その形は如何様にも変化できる形で無ければならないのです。自由自在とは如何なることか、深く考えていただきたいと思います。「脇をしめる」「手首を入れる」「腰を入れる」等々の実感は体の緊張に過ぎず、「やった。」という思いは残るでしょうが自由自在からは程遠いものです。
実感があるとすれば、「楽である。」という実感のみです。稽古をしたら体が楽になっていく、自由になっていくという実感。師 梅本三男貫正先生は「正しく動けば体が喜ぶ。」という表現を用いられました。
 次に全くの初心者の方に対してですが、上級者の動きに惑わされて、外見を真似ようとしてはいけません。上級者が速く強いのはあたりまえのことで、上級者は「速く」とも「強く」とも思っていません。それらは全て結果にすぎません。
素人のちゃんばらのように、ただ刀を振り回すだけでは刃筋も通らず、ただ叩いているだけになっています。しかも刀の伸びもないために実際には相手に届いてもいません。「はじめは正しくゆるゆると」忘れてはなりません。はじめに間違ったことを身に付けてしまえば、後からの修正はその何倍もの時間を要してしまいます。本質を身に付けていけばやがては上級者のように、意図せずとも速く鋭い動きは生まれてくるものです。決して結果を直接求めてはなりません。
 また、ある程度、稽古が進んだ方は自らの感覚が繊細になることを心がけてください。体の歪や力みが生じたことに気付けないような感度では稽古が進むことはありません。これは道場の中でなくとも日常生活全てにわたって稽古できる事柄です。また、繊細でなければ相手(敵)の変化に気づくこともありません。
 最後に体がある程度自由になった方で、呼吸が浅い方がおられたようです。呼吸は全ての動きを無意識のうちにコントロールしてしまいます。呼吸法については、個々にご指導いたしておりますので、工夫してください。
 以上気がついたことを幾つか述べましたが、決して外見にとらわれることなく、どうしたら自由自在であれるか深く追求していただきたいと思います。 



  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。
  1. 2007/12/10(月) 22:12:14|
  2. 居合 総論

座法

 先日の講習会を受講された方から、後日、力を抜きつつ芯を自覚する方法はという質問がありましたので、再度ここに述べさせていただきます。
 当日述べましたが、居合においては座法こそ極意で、座ることが出来れば、あとの業はただ動いているに過ぎず、その動いている状態も座している状態と変わるものではありません。
 講習会で稽古していただいた座法を、たかが座法、形とは別と考えてしまえば、いくら形を稽古してもそれ以上の物を形から会得することはできません。ここでは座法について詳述いたしませんが、あるがままに座れれば中心など感じようとしなくとも存在しています。
 もし「無理無駄が無く座れているのに中心が自覚できない」と感じているなら、無理無駄がなくなったというのは錯覚に過ぎません。
 初心者の方は座れていないのにむやみに動き刀を振ろうとする傾向がありますが、大きな間違いで、それは立つことができない赤ん坊がいきなり走り出そうとするようなものです。
 貫汪館では初心者の方に、刀を振ることなく座法、歩法の稽古を3ヶ月から半年以上重ねていただきますが、はじめから極意を稽古しているのだと自覚してけして稽古を疎かにされないでいただきたいと思います。
 

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  1. 2007/12/11(火) 22:49:15|
  2. 居合 業

道場の色

 道場には色というものがあります。その色が一つの色なら、落ち着いた道場、ばらばらの色が入り混じっていれば、その道場で稽古しても意味は無いでしょうし、教える師もまったく教えがいはありません。
 無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生は、かって居合の大会で、自分の弟子が指導する道場ごとの集団の演武で、「道場ごとの色が同じであれば良い。稽古のレベルは各人それぞれなので、動きが統一されている必要は全く無く、むしろ動きが同じであるのは武術としての居合ではない。」と私にお話くださいました。
 また、ある日の稽古で、「やっと、色が同じになった、皆の求めるものが同じになった。こうでなければ稽古にはならない。」とも話されました。
 師が目指し教える内容を弟子が目指す事を色に喩えられたのですが、師事していたとしても、「師はこう言われたが、この部分は自分はこう思うので、このように動こう。」と各人が考えていたら、それはばらばらの色が入り混じっている道場であって稽古をしても向上は望めません。また、師の話すこと、指導の内容を飛び越して、師の外見のみを求めてもそれは同じ色ではありません。
 大切なのは本質が同質となること。心掛けてください。

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 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/12(水) 23:58:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

はら

 無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生はかって「はらで抜いて、はらで斬る」とよく言われました。また、理想はだるまのようにはらのみで動くとも・・・。
 今日の稽古で、2名の方がやっと理解されかけたように思います。無理無駄を排除し、心も体も極力何も無い状態にある時、「はらで抜いて、はらで斬る」という感覚が生まれます。自分ではほとんど何もしていないのに刀が自由に動いている感覚です。
 しかし、この動きも少しでも腕、肩、脇などを使おうと思ったが最後、できなくなってしまいます。そして体がばらばらになったのを無理に統一しようとして、手首を入れるだの脇をしめるだのという動きを故意に行わなければならなくなり、重心が上がってしまうのを無理やり下腹部に力を入れ、体を固めてしまいます。このような固まった状態にある体を、自由に動く相手に対応できるものとする方は居られないでしょう。
 2名の方は今日経験された、何もしないのに、はらの働きで体は自由に動くという感覚を忘れないようにして下さい。そしてさらに深化させていくことによって、体の動きの自由を会得してください。。少しでも、ああしようこうしようと意図的な動きをしてしまえば、「はら」はいずこかへ消え去ってしまいます。よくよく稽古してください。


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 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/14(金) 00:36:18|
  2. 居合 業

覚悟

 「道場として複数の人数で武道の稽古をするのに、たとえ稽古日が週に一回でも二週間に一回であっても、稽古の日には何があっても稽古に来るような者が集まらなければ、道場としては駄目だよ。」と武道に長年関わってこられた私の良く知っている方が、以前、ある人に話されました。 
 私も全くそのとおりだと思います。武道・武術の稽古は趣味にはなりえないということは以前述べましたが、稽古には覚悟が必要です。仕事上どうしても無理な場合を除き、「今日は少し疲れているから。」とか、「今日は友人と飲みに行くから。」とかあれこれと理由をつけて稽古をしないようでは上達は望めるものではありません。他の日に回せるものは他の日に回し、時間を作って稽古に望むという姿勢が無ければ上達は無いのです。
 現在は無双神伝英信流抜刀兵法の稽古日は週に2日あり、さらに自主稽古の日も2日あります。また、渋川一流柔術の稽古日は週に2日あります。週に1日の稽古の方でも、どうしても都合のつかないときには他の日に稽古することも可能なのです。その時間のやりくりさえする覚悟もないようで上達を望むのは虫が良すぎるというものです。武道・武術は心のあり様と密接不可分のものですから、覚悟が無ければ上達もありません。
 子供の稽古であっても、たった週に一度の稽古を簡単に休ませるようでは、子供はただ武道・武術を経験しているというだけで、真の上達はありませんし、得るものもありません。保護者の方の覚悟もまた子供の教育には必要です。
 無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生は週に5日門人に稽古をつけておられ、仕事の後にご自身の時間というものはほとんどもたれませんでした。
 渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生にはご自宅で稽古を付けていただきましたが、稽古日をご自身の都合で休みにされることはありませんでした。
 私は不肖の弟子ではありましたが、御二人の先生の、そのような姿勢を見て育ちました。
 現在、私自身は週に4日、道場に出ており、稽古日以外に稽古をつけることもあり、自身の稽古の日も入れれば、ほぼ毎日といっても過言ではありません。週に4回の稽古日は、仕事を持ち帰り、稽古の後に深夜まで仕事をすることもよくあります。
 無双神伝英信流抜刀兵法・渋川一流柔術を稽古してなにかを会得されようとされる方は初心を忘れず、常に覚悟を新たにしてください。
 今年講習会に一度も欠かさず遠隔地から参加された他流の方は、無双神伝英信流抜刀兵法の長足の進歩をされました。交通費もかかり日程もやりくりされての参加です。稽古に望む覚悟が違うのです。
 道場行事の年2回の奉納演武、数回の講習会もあらかじめ日程が決まっています。遠隔地に居られ、普段稽古に来れない門人にも、また参加可能な日程になっています。ましてや、地元に居られる方は稽古の機会を疎かにせず、修行していただきたいと考えます。

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  1. 2007/12/15(土) 03:13:55|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

樋口真吉展

 本日、高知県立坂本竜馬記念館に樋口真吉展を見に日帰りで行ってきました。ZRX1200Sが少し不調なため、自動車で行きましたがさすがに往復計7時間は少し疲れたため、帰ってから温泉で疲れを癒しました。
 樋口真吉は大石神影流の免許皆傳を初代の大石進から授かった土佐藩の中村の武士です。樋口真吉の業績は南寿吉先生の研究で明らかになっていますが、私は来年の武道学会に向けて樋口真吉がどのように大石神影流の稽古をしたのかを明らかにしたいと思っています。
 さて、今回の展示で始めて樋口真吉の刀を見ました。夏に見たのは稽古用の刃引ですが。今回は実際の差し料も展示されていました。左行秀の作で、長さは93cmで約三尺、柄も異様に長く、附けの構えから、片手での突き業をなすにはちょうど良い柄の長さなのだろうと感じました。
 刀身は普通の刀より極端に細身で長さの割には重量はあまり無いだろうと感じられました。まさに、突き業のために作られた刀です。他の大石神影流の武士もこのように突き業に特化した刀を差し料としていたのか興味深いところですが、初代大石進は胴を切る業にも優れていたと言うことなので、この細身の長刀は樋口真吉のみの工夫なのかもしれません。興味深いところです。
 樋口真吉展を見た後、さる場所に行き、無双神伝英信流抜刀兵法に関し、あることを授かりました。秘すべき事ですので、しかるべき方には道場でお伝えいたします。
 

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 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/17(月) 00:11:30|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

初心の熱意

 本日は渋川一流柔術の稽古日でしたが、いつもは土曜日に稽古に来られる方が、お仕事の後に稽古に来られました。家からは50分近く掛かると思うのですが、良く来ていただきました。
 初心のうちは何事も目新しく、熱心に習得しようとしますので、この時期に大いに稽古されることが後々、稽古の成果となって現れてきます。
 この時期に心掛けていただきたいのは、けして焦らないことです。早く形を身につけたいためにどうしても使い慣れた日常の体遣いで形を遣おうとしてしまうのですが、武術は今までに経験したことの無い、無理無駄の無い体遣いを身につけさせて業とするものです。したがっていくら動きが速くても、形の上で受(相手)を投げ、抑えることが出来たとしても、その動きが、術の要求する動きでなければ、下手な動きなのです。逆に、ゆっくりしか出来なくても拙くても、それが術の要求する動きの理にかなっていれば、良い動きなのです。なぜならば前者の動きはそこで止まってしまいますが、後者の動きはいくらでも上達できる動きであるからです。
 一度下手な動きで満足し、その方向で上達しようとかってに考えてしまうと後には取り返しのつかないことになってしまいます。勝手に行った方向から戻ってこなければ進めないので、素直に稽古して上達する形の何倍もの時間を必要とすることになります。一度身に付いた下手な動きはすぐに消えるものではありません。
 しっかりと自分を見つめながら稽古を続けていただきたいと思います。 

  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/17(月) 23:41:58|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大小詰

 昨日の無双神伝英信流抜刀兵法の自主稽古と本日の自主稽古で、稽古の進んでいる方に大小詰の稽古をつけました。
 大小詰は、柔術技法ですが、素抜き抜刀術の業がそのまま柔術となります。脇をしめるだの腰を入れるなどということとは全く無縁。何も意図しないそのままの動きが相手を崩し抑えます。少しでも自分の体をしっかりさせて脇をしめてそれから投げる、などという思いが出たときには相手は動くものではなく、かえって自分に隙が出来てしまいます。
 無双神伝英信流にあっては素抜き抜刀術(居合技法)、太刀打・詰合(剣術技法)、大小詰・大小立詰(柔術技法)の全ての動きは共通であり、ばらばらのものではありません。素抜き抜刀術の稽古がある程度進んでから太刀打、詰合、大小詰、大小立詰と進んでいきますが、素抜き抜刀術で養った動きと少しでも違和感があれば間違った動きをしていることになりますので、よくよく自分自身の動きを見つめなおしてください。

  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/18(火) 23:11:24|
  2. 居合 業

抜こうとすれば抜けず、抜こうとしなければ抜ける事

 ここで言う抜けるとは、単に刀が鞘から外れることを言うのでも、抜いた後に強く斬りつけようとすることでもありません。無双神伝英信流の業としての抜付けが出来ていることを言います。
 初心のレベルで体の動きを一通り覚えたならば、覚えたことをよりはっきりと、より強くと努力すればするほど業からは遠いものとなってしまいます。業とは意図的に意識的に体を動かすのとは隔たったもので、たとえば、頭が痒いときに無意識にかいている様なものです。
 手の掛かりを、しっかりと、丁寧にと、思えば思うほど心と体にブレーキがかかり間に合う抜付けは生まれません。手の掛かりなど、そこには何も無いかのように体が感じ、動いているだけで良いのです。抜きつけて敵にしっかり斬りつけようとすればするほど鋭さは失われてしまいます。抜けたらそれでおわりです。それだけで、なにもせずとも鋭い抜付けは生まれます。
 皆さん、縁あって貫汪館で稽古されているのですから、間違った道は歩まれないで下さい。
 

  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/19(水) 22:56:23|
  2. 居合 業

より楽に

 今日の無双神伝英信流の稽古で特筆すべきことは、稽古を始めて間もない中学生の男の子が、学校行事で下校が遅くなり稽古の終了時間に間に合わなかったにもかかわらず、刀と稽古着をもって挨拶に来てくれたことです。比較的遠方であるのにもかかわらず、このようなありがたい姿勢を持つことは、きっと上達につながっていきます。保護者の方もご協力有難うございました。
 さて、今日は人数も少なかったので、1時間以上の通し稽古をしましたが、どのように感じられたでしょうか。体に疲労を覚えたり、筋肉の疲れを感じられた方は、未だ自分の動きが理にかなっていないということを知らなければなりません。稽古が進んだ方は「以前より随分と楽になっています。」と話してくださいましたが、それが本当の稽古のあり方です。
 居合に体力や筋力は必要なく、刀を手にするが故に、何も無い状態で動くよりも楽に動けなければなりません。随分前の話ですが、私が大学生のころ、大学の居合道部では筋力トレーニングをすると聞いて驚いたことがあります。何故無駄な時間を費やすのかと。
 今日、あの程度の通し稽古で、疲労を覚えられた方は、自分の動きのどこが、おかしいのかを、よくよく研究し次回の稽古に臨まれて下さい。

  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/21(金) 00:32:49|
  2. 居合 総論

渋川一流柔術 初段論文

 渋川一流柔術の初段受審者の論文を載せます。元来、渋川一流柔術には「初傳」「中極意」「免許皆傳・上極意」の段階がありますが、修行に倦むことを避けるため、「初傳」までに初段・二段を「中極意」までに四段を、「免許皆傳・上極意」までに六段をそれぞれ設けています。
 本受審者は 何年ももかけて努力した甲斐があって、やっと柔術とは何かということがわかり始めたようです。あとは我意をもたず、体得の努力を惜しまず、向上していただきたいと思います。


姿勢について

 武道における姿勢は、外見で形を整えようとするものではなく、内面や心といったものと強く結びついていると考える。
 姿勢のあり方として、体の力をぬいたり、体軸といった体の中心や丹田を意識した呼吸といったことがあるが、これら姿勢のあり方に集中してしまい自分自身の体を固めてしまうことがある。また、敵の想定を意識するあまり、前方へ意識が集中し体の中心がずれてしまうことがある。
 こうした、何かをしようとする思い、心の動きが本来の姿勢を妨げているのである。
 武道の姿勢は、相対する敵の動きを制することが前提である。目の前の敵、または四方の敵が迫ってくる。そうした敵の動きに対応できる姿勢でなければならない。しかし、何かをしようとする心の動きによって、本来の姿勢を失ってしまっては、とても敵の動きを制することはできない。
 姿勢のあり方、敵の想定といったことに心が囚われず、本来の姿勢を失わない、平静な心が重要なのである。
 体を地にあずけ、心を落ち着かせていれば、いかなる姿勢をとろうとも、己の中心を見失うことはないであろうし、また敵のどのような動きにも心は反応し、体も自ずと動くのである。
 こうした心のあり方は、宮本武蔵の記した「五輪書」において「兵法の道において、心の持ちやうは、常の心に替わる事なかれ。」とあり、いわゆる平常心の重要性を記している。また、他の武道書にも、こうした心のあり方を記してあり、心の稽古に苦心している。
 しかし、こうした心を平静に保つことは容易なことではない。まして、相対するものが向かってくる時に平静でいるということは尚更である。例え、心の平静を保っていても、何かをしようとする思いによって無意識に心が囚われ、それが姿勢に表れてしまうものである。
 この無意識の思いをなくすには、日常生活においても自分の感覚のあり方に注意しなければならない。
 「兵法家伝書」において、「初重の心持を修行して修行積りぬれば、着をさらんとおもはずして、ひとり着がはなる也」と記されおり、常日頃において心の稽古の重要性を謳っている。
 日々の生活において、どこか体に無駄な力が入っていたり、無理な姿勢をとっていたりする時がある。そういう時は、得てして何かに意識が向いていたりと、自分の感覚を無視している。この日常において、より感覚を働かせ体の違和感を感じとり、心のあり方を変えていくことが、無意識の思いをなくすことができ、より自然な本来の姿勢になるはずである。
 自分自身、未だに未熟であり、稽古や日常においてもどれだけ己を理解しているか考える。これからもより己の感覚をみがき、理想とする武道の姿勢に近づけるよう稽古を続けていきたい。


 明日の稽古は居合・柔術とも1時より2時まで廿日市スポーツセンター武道場で行います。その後、廿日市天満宮に移動し奉納演武を実施いたします。
  1. 2007/12/21(金) 21:19:52|
  2. 昇段審査論文

廿日市天満宮奉納演武

 本日、廿日市スポーツセンター武道上での稽古の後、廿日市天満宮に移動し、本年最後の奉納演武を行いました。
 今回の奉納演武は仕事によりどうしても参加できない方が多かったため、約20名での演武となりましたが、非常に厳粛な雰囲気の中で演武が行えました。
 渋川一流柔術では始めに師範代が模範演武を行ったためか、子供の演武が全員普段以上の優秀なできでした。演武に先立って「本日の演武は神様に見ていただくものだから、形ではなく素直な心で演武しなさい。」と話したのもよかったかもしれません。皆、業の間の動きにも隙が無く呼吸も深く、自然な無理の無い動きが出来ていました。
 大人の演武も初心者の方が素直な動きで、今後の上達が楽しみな演武をされていました。
 無双神伝英信流抜刀兵法では師範代代理に1ヶ月くらい前から稽古をつけ始めた大小詰の演武をして頂きましたが、非常に良く出来たと思います。大小詰は柔術技法ですので、単純に考えると、また、居合の稽古が足りていない者が安易にこれを行うと力業になるものですが、師範代代理は素手の動きを居合の理合で無理無駄なく行うことができました。これで、無双神伝英信流抜刀兵法にあっては居合・剣術・柔術技法がそれぞればらばらのものではなく全く同じものであるということが体得できたと思います。
 居合の初心者の中学生にも短期間で稽古した礼法と歩法のみの演武をして頂きましたが、驚くほどに普段の稽古以上の動きができていました。
 今回の奉納演武は公開して行うものではなく、それぞれが神々に1年間の稽古の成果を見ていただくための演武でしたが、参加された方は全員、大きな物を得られたと思います。今後の稽古に活かされます様、お願い致します。
 12月27日(木)は廿日市スポーツセンター武道場で、無双神伝英信流抜刀兵法の最後の稽古を行います。お時間がある方は御参加ください。
  1. 2007/12/22(土) 22:38:20|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

京都の建物

 昨日は所要あり、日帰りで京都へ行きました。往復で約8時間、先週の高知行きよりも時間がかかりましたが、高速道路代は深夜割引を利用したおかげもあり安くつきました。京都市内の移動等もあり、広島に帰ってからも、まだ所用があって自動車を使いましたので、1日で11時間以上運転していたことになりました。
 京都行きでも、さる事を授かったのですが、それは道場でお話することとして、京都の建物について感じた事を記します。
 私自身は京都に数十回行っていますので、なにも感じなかったのですが、同行の年少者が「京都も広島の町と変わらない面白くない。」と言ったのです。よく話を聞いてもいると京都の建物は旧来の日本建築の建物ばかりのようなイメージを持っていたということで、そういうイメージを持っていたら現代的な建物ばかりの京都の町はつまらなく思えるだろうなと感じ入ってしまいました。そしてしばらくして古い神社仏閣を見ると、年少者が「やっと京都らしい。おちつく。」と言いました。
 私自身も建物が気になってみていたのですが、以下のように感じました。
 旧式の建築物の神社仏閣や庵の重心は大地に根を下ろしたように低くどっしり、ゆったりとしていて、柔らかく、現代工法の建物の重心は高く、硬い。
 まるで、居合の違いを見ているようでした。前者が古武道としての居合、後者が現代居合道です。無双神伝英信流抜刀兵法の稽古をされている方で長年稽古をされているにもかかわらず、後者の居合をされる方がいます。同じ建物、雨露がしのげればよいのではないかと思われるかもしれませんが、基本的な思想が異なっています。思想が異なれば、動きの本質もまた異なります。
 よくよく考えて稽古に望んでいただきたいと思います。

 年末の奉納演武は終わりましたが、居合の稽古は26日(水)は七尾中学校武道場で、27日(木)は廿日市市スポーツセンター武道場でそれぞれ行います。日頃、柔術の稽古を専門にしておられる方でも、時間のある方はお越しください。
  1. 2007/12/24(月) 22:34:40|
  2. 居合 総論

新作(日本昔話)

 新作のがま口バッグを三つ紹介します。今回はそごう9階のクラフトワールドで買った日本昔話の生地で製作しました。
 三つともとてもかわいい絵がプリントされているのですが、私が小さな子供だった頃に父から毎晩読んでもらった昔話とは随分印象が異なっています。
 私の記憶では、かちかち山は狸の所業は恐ろしく、兎のお爺さんの代わりにする復讐もまた恐ろしいものでした。
 猿蟹合戦でも、真面目な蟹は哀れで、猿は狡猾でしたし、桃太郎でも鬼はあくまでも悪く、恐ろしく、強く、桃太郎はそれに勇敢に立ち向かう強い若者という印象が残っています。
 そんな印象を、絵にしたらとても現代には売れそうもないので、このような図柄にはなるのだと思います。
 しかし、私達が稽古している無双神伝英信流抜刀兵法や渋川一流柔術は、現代的な行動や姿勢の概念からして見栄えはしないものであるかもしれませんが、売り物にしたり見世物にするわけではありませんので、本質は変えるわけにはいけません。(余談です。)
 いつもの事ですが裁縫は心の面でも体の面でも本当に良い稽古になります。

かちかち山
かちかち山

猿蟹合戦
猿蟹合戦

桃太郎
桃太郎

 年末の奉納演武は終わりましたが、居合の稽古は26日(水)は七尾中学校武道場で、27日(木)は廿日市市スポーツセンター武道場でそれぞれ行います。日頃、柔術の稽古を専門にしておられる方でも、時間のある方はお越しください。
  1. 2007/12/26(水) 01:16:28|
  2. 未分類

写真

 先日の廿日市天満宮奉納演武でカメラを3台持っていき、主に柔術を稽古される方に写真をとって頂きました。
 写真を撮ることは武術の稽古となるということは何度か述べました。特に写真は一瞬であり、武術の動きもまた一瞬であることから、ただ、演武を漫然と見ていることよりも写真を撮ることは武術の動きを読む良い稽古になります。今回写真を撮って頂いて気づいたことを幾つか述べます。
 はじめに写真を撮りなれていない方に起こる技術的な問題ですが、被写体が流れている写真がかなりありました。暗い場所ではシャッタースピードを速く出来ないので、必然的に動きが速い武術の場合画像は流れてしまいます。したがって動きの最中ではなく一瞬の静止した瞬間をとらえるようにしてください。
 居合の動きがとらえきれない写真がかなりありました。特に無双神伝英信流抜刀兵法ではタメやキメといた作為的な動作はしませんので、難しいとは思いますが、刀に対抗しえる柔術の業を身につけるためには刀の一瞬の動きが読める稽古をしなければなりません。
 次に被写体が中央に無い写真も何枚かありました。無双神伝英信流にも渋川一流にもその場にとどまって行う形はほとんどありませんので、次にどのように変化していくのかをあらかじめ読んだ上で、事前にカメラをどの方向にもっていけばよいかを知っていなければなりません。
 写真を撮ることを通じて動きをより正確に読む稽古をしていただきたいと思います。
  1. 2007/12/27(木) 22:41:48|
  2. 居合 総論

無双神伝英信流抜刀兵法 稽古納め

 本日が無双神伝英信流抜刀兵法の本年の稽古納めでした。本日は居合を専門に稽古される方のほかに渋川一流柔術を主に稽古される方が3名来られ熱心に稽古されました。
 渋川一流柔術は現代の格闘技のジュージュツと異なり、江戸時代、武士の時代の武術ですので、素手と素手で勝負して優劣を競うものと言う発想が全くありません。当然武士は事ある時には刀を用いますので、たまたま刀が側に無い場合に斬りかかられた、あるいは抜きあわす間が無いくらい急に斬りかかられた、懐剣で急に斬り付けられた際に何とか素手で対処できるレベルに動きを高めるのが渋川一流柔術の業の上での目標です。したがって刀の動きを知らなければ刀に対処する業を身につけることは至難のことになってしまいます。時間が許せば無双神伝英信流の稽古にお越しいただくことをお勧めいたします。
 さて本日の稽古の気づきですが、柔術を専門に稽古される方と居合の初心者の方は、自らを客観的に感じることが出来るようになっていただきたいと思います。ただ、一生懸命稽古しているだけでは己の歪みは見えてきませんので、自分の隙にも気づけず、動きを正すことも出来ません。稽古においては今の自分の状態がどのようになっているのか、冷静に観察できる心のゆとりが必要です。
 次に、稽古が進んだ方ですが、動きの出来不出来に大きな波が存在します。ある時には今までに無く良い動きをされているかと思えば、少したつと全く駄目な動きをされていたりまします。これは全て自分の心が引き起こしていることですので、自分の心の動きを感じれるようにしてください。私が動きの拙さを指摘する時にはたいてい、意識的にせよ、無意識にせよ速く動こう、強く振ろう、スムーズに動こう、滑らかに角立たぬように動こう、静かに動こうなどといったいらない意識が働いています。自分の心が自分の素直な動きの邪魔をしているのです。
 「心こそ心惑わす心なれ心に心心許すな」
 
 渋川一流柔術の稽古始は1月5日(土)午後2時から廿日市市スポーツセンター武道場で行います。また、無双神伝英信流抜刀兵法の稽古始は1月9日(水)午後6時半から七尾中学校武道場です。しばらく稽古はお休みですが、意識の稽古等は怠らないで下さい。
  1. 2007/12/27(木) 23:27:50|
  2. 居合 総論

新作の紹介

 また、新作バッグの紹介です。稽古の休みの間に新作を全てご紹介します。

bag1

 このバッグも古布のはぎれを購入して作りましたが、柄が派手なようでそうでもなく、どの部分を切り取ってよいか迷いました。裏も花の種類は異なっていますが、大体同じような図柄になっています。生地が少し柔らかく、縫った糸が出ないように少しきつめに縫い合わせました。ただ、あまりきつめに縫い合わせてしまうと曲線にしわがよりすぎてしまうので、程度の加減に少し気を使いました。

bag2


 このバッグも古布のはぎれですが布がしっかりしていて縫い合わせるのにはあまり気を使いませんでした。ただ、生地の巾が細かったため、いままでの自作の型紙が使えず、新たに少し変更したものを作りました。丸みが消えてしまったので少し硬い感じがします。色々試行錯誤した結果、上のバッグの形が一番使い勝手が良いようなのですが、がま口の金具は直線のものも、その他の大きさのものも手持ちがありますので、気が向いたら作ってみます。
 写真ではバッグの表側の写真のみ写していますが内側の生地の色を選ぶのにも気を使っています。表の柄や色と合うように選ぶのもけっこう難しいものです。自分自身の気分によって、同じ色でも、その色に受ける感じが違いますので、何日も考えることがあります。

 こじつけになりますが、色々な生地を縫い合わせて思うことは生地によってその性格は色々で、全てを同じような感覚で縫い合わせることは出来ません。人も同じで、道場で子供達に教えてくださっている皆さんは良くご理解されておられると思いますが、古武道の指導はそれぞれの人に応じた指導をしなければ、伸びるものではありません。集団教授法が取れないのです。地道な手間のかかる指導ですが、指導者の皆さんには今後とも宜しくお願いいたします。

 廿日市天満宮奉納演武の様子を貫汪館ホームページの無雙神傳英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに載せました。御覧下さい。
  1. 2007/12/28(金) 17:12:47|
  2. 未分類

草木染め(あかね)

 草木染めのマフラーの写真です。草木染めは文字通り植物のもつ色を用いて染色しますが、あかねは根を煮て色を取り出します。色を定着させるのに金属を用いますが、鉄や銅、アルミといった金属の違いで同じ植物から取り出した色も異なった色合いに変化します。
 写真のマフラーはあらかじめ編んであったものを購入して染めたものですが羊毛は急に熱を加えればフェルト化しますので、低温から慎重に染色しなければなりません。シルクや木綿よりもデリケートです。
 事前に防縮加工をしているのですがこの加工に数時間要します。糸は最初に煮出した液に漬ける時に色を急速に吸収しますので、はじめに良く染色鍋の中で泳がせておかなければむら染めになりますので、はじめは気が抜けません。
 これは道場で初心者を教える時も同じですが、はじめ間違った方向に行ってしまうと、取り返しのつかないことになります。

あかね


貫汪館ホームページの会報のページに会報55号を載せました。御覧下さい。
廿日市天満宮奉納演武の様子を貫汪館ホームページの無雙神傳英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに載せました。御覧下さい。

  1. 2007/12/29(土) 16:27:07|
  2. 未分類

 写真は畝重實嗣昭先生の師 車地國松先生の三回忌の法要の時の写真です。写真が鮮明ではありませんが中央に國松先生の遺影をもっておられる、体が一回り大きな方が畝先生で、その周りにおられるのが国松先生の門人やご家族の方です。この法要は畝先生が中心となり行われました。
法要

 畝先生は私が稽古をつけていただいている時も、弟弟子である国松先生の他の門人の方と親交があり、畝先生の弟弟子であった方が、かわるがわる稽古を見に来られては、「いい師匠につかれました。」と仰ってくださいました。
 先生と国松先生のお話は以前にも書きましたが、畝先生は国松先生がお亡くなりになってからもお墓参りを欠かされたことが無く、晩年膝が悪化されて山に登ることが出来なくなられたときには、私に「私の代わりにしっかりお墓参りをしてください。」と仰ったほどでした。
 武術は技だけでなく心を伝えるものでなければたんなる格闘技に終わってしまいます。勿論、技が無ければ武術にはなりませんが、技のみでは破壊しかもたらしません。心は師弟関係があることによって始めて伝わります。畝先生は「師弟といえば親子も同然。」とお話くださいましたが、そのような気持ちが無ければ本当の技は伝わらず伝わりようも無いのです。
 法要の写真には畝先生の弟弟子であって国松先生から免許を得られた方が写ってはおられません。先生は寂しそうに「あれはこんかったのよ。」と話されました。たとえ免許を得られても、その後は師弟関係に無いと思う方は後世に何を伝えられるのでしょうか。
 畝先生には私以外にも弟子がおられましたが、畝先生のご葬儀には誰一人来られませんでした。ましてや奥様のご葬儀にも。来たのは私が畝先生の師範代をしている時に入門した今の師範代のみです。他の門人は誰一人・・・。弔電さえありませんでした。畝先生のご生前にはあれほど先生を利用されたにもかかわらず・・・。そのような方が後世に渋川一流の何を伝えられるでしょうか。畝先生がお亡くなりになって、もう七年が経ちました。その間、お墓参りのたびに先生のお宅に伺い、ご長男に挨拶をし仏壇に御参りさせていただきますが、ご長男はきまったように「父が無くなってから森本さん以外は誰も来ません。来ていただけるのは森本さんだけです。」とお話になられます。
 幸い現在、道場に集まり渋川一流を稽古して頂いている方は全員心のある方ばかりです。これは師範代以下古参の門人が心ある方ばかりだからだと思っています。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の以前の門人の状況については述べたことがありますが、今の門人は、渋川一流同様、心のある方が集まっておられます。これはたとえ稽古をするものが少なくとも人を選び安易に入門を許していないことにもよります。
 今後も、入門に当たっては厳しく人を選び、あやまちが後世に伝わらないよう心したいと思っています。

貫汪館ホームページの会報のページに会報55号を載せました。御覧下さい。
廿日市天満宮奉納演武の様子を貫汪館ホームページの無雙神傳英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに載せました。御覧下さい。

  1. 2007/12/30(日) 18:27:40|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

年の終わりに

 大晦日です。廿日市では雪がふっています。元旦の朝はたくさん積もっていることでしょう。

                                    雪

 今年も皆さんよく稽古して頂きました。年の終わりに稽古のありかたについて述べます。
 無雙神傳英信流抜刀兵法においても澁川一流柔術においても自ら気づいていただくという稽古方法をとってきました。これからも、稽古方法がかわることはありませんので、今後もしっかりと自分自身で掴んでいっていただきたいと思います。
 無雙神傳英信流の師 梅本三男貫正先生は晩年、居合が大きく変わられてからは事細かに言葉によって説明されるのではなく、感じとることを求められました。形にはめることなく外見を作らせることなく本質が同じになることを求められました。自らが感じ取らなければ本質は決して伝わるものではないからです。
 澁川一流の師 畝重實嗣昭先生の指導は、はじめから<見せる、やらせる>という方法で、見とれなければそれで終わり、事細かに言葉で説明されることはありませんでした。したがって、師のされることは全身全霊で見ておかなければ習得できるものではありませんでした。これは無雙神傳英信流の師 梅本三男貫正先生の晩年の教え方と同じものです。
 本質とはその流派そのものであり、たとえ外見が似ていても本質が異なっていれば、その流派を稽古していることにはなりません。
 このような指導は冷たいように感じられるかもしれませんが、本質を掴むのは自分自身でしかありえず、事細かに手取り足取りして、動き手順を教えてしまえばいわゆるコピーしか出来上がりません。一度、自分の頭で自分の理論を構築して頭で覚えたものは、そこから抜け出すことは困難であり、自由を得ることは出来ないのです。
 皆さんには、それぞれの段階に至った方には、その段階に応じて新たな内容を示しますが、それを自分のものにするのは自分自身であるという心掛けを忘れず、今後も稽古を続けていただきたいと思います。

 貫汪館ホームページの会報のページに会報55号を載せました。御覧下さい。
廿日市天満宮奉納演武の様子を貫汪館ホームページの無雙神傳英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに載せました。御覧下さい。

  1. 2007/12/31(月) 16:27:13|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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