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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

河田佐久馬

 以前、鳥取藩の因藩二十士(特に河田佐久馬)について鳥取県立図書館や資料館に行ったことがあります。その時は河田佐久間の家が断絶し、資料が散逸していたために、武術に関する原資料はなにも見ることができなかったことを記したと思います。河田佐久馬はもともと一刀流ですが、長州の多賀寅雄に大石神影流を習い、そののち二代目の大石進にも習った事が大石家の『諸国門人姓名録』に下の写真の様に記されています。
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 鳥取県立図書館の書籍には河田佐久馬と大石神影流とのつながりは全く記されておらず、香取で香取神道流をも修業したという事のみが記されていたと記憶しています。
 それで、河田佐久馬は大石神影流も習ってみたかったという程度の思いしか持っていなかったのではないかと思ていました。しかし、最近見た広島藩士の「英名録」には河田佐久馬は下の写真のように一刀流兼大石神䕃流と記していました。河田が大石神影流をある程度本気で習ったのではないかと思える資料です。また、師範として流名を名乗っていたという事は、はじめの大石神影流の師である多賀虎雄から免許を授かっていたのかもしれません。

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 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
  1. 2012/02/01(水) 21:25:11|
  2. 武道史

手にしたものは

 理想的には手にしたものは、その時に自分の体と一体にならなければなりません。無雙神傳英信流抜刀兵法の師である梅本三男貫正先生は、どのような刀であっても手にしたらそれを用いることができなければならないといわれました。
 それは手にしたときにその刀と自分とが一体になっていなければならないことを意味します。刀を振り回そうとか、タメヲ作って威力を加えてという考えを持っていては、とてもそのような状態になうることはありません。自分が使いこなそうとか振り回そうとするために、刀は自分とは別物になり、ひどい場合には柄が傷んでいようが目釘が傷んでいようが感じることがありません。
 刀と一体になるためには自分の体の状態がどのような状態であるのかがわからねばならぬことは言うまでもありません。

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  1. 2012/02/02(木) 21:25:43|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

河田佐久馬と多賀虎之助

 鳥取藩の河田佐久馬が大石神影流をある程度本気で習ったのではないかと思われる資料を昨日載せました。では河田佐久馬の最初の大石神影流の師である多賀虎雄は誰に大石神影流を習ったのでしょうか。
 多賀虎雄の名は下の写真のように『諸国門人姓名録』にその名がありますので大石家に習ったことは間違いありません。しかしこれだけでは初代の大石進に習ったのか二代目の大石進に習ったのかはわかりません。

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 多賀虎雄は萩藩の支藩である長府藩の藩士です。長府に多賀虎雄に関する資料が残っていました。多賀虎雄は田原英之助と名乗っている時期がありますので、天保14年に出された皆傳の伝書には田原英之助と記されています。この伝書に記されているように多賀虎雄の大石神影流の師は初代の大石進種次であったことがわかります。

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 河田佐久馬については『諸国門人姓名録』には「右文久二戌冬在坂中頼入 伏見大坂留守居元来長府多賀虎雄取立又弟子」と記してあり河田が二代目の大石進に入門したことがわかります。



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  1. 2012/02/02(木) 21:25:47|
  2. 武道史

多賀虎雄と笹尾羽三郎

 さて、昨日述べた多賀虎雄ですが多賀は大石神影流を修業する前に一刀流を修業して免許を得てます。一刀流も中西家を経た一刀流ですので防具着用の剱術は大石神影流以前に稽古していたことになります。昨日述べたように多賀は一時田原を名乗っています。
 下の写真で分かるように多賀の一刀流の師は笹尾羽三郎です。

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 笹尾羽三郎というと『諸国武術御修行者姓名録』を残した人物として有名で、この資料によって何藩の何流のどういう人物が廻国修行を行っていたのかがよくわかります。
 さて、ここで笹尾羽三郎が一刀流を教えていたという事が多賀宛ての資料からわかりました。

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 ところで、土佐の樋口真吉の嘉永5年8月の日記には以下のようにあります。笹尾羽三郎は、のちに羽十郎と名を変えます。

六日
早旦梶山氏来訪、夢中不知、二里五十丁ミチして小月オズキノ驛、毛利讃岐様御領、一里而吉田驛ニ至、萩領也、茶店ニ憩ヒ笹尾羽十郎へ引合之為介馬・文三郎行、笹尾氏より宿を指し手引の門人来る、暫有て羽十郎出来る、笹尾亦大石氏同門也

七日
笹尾氏ヲ訪、町ヲ離レ山中ニ入コト十丁許、導場都て渓間ノ岸壁ニ棲處ス、門人皆近遠ニ散居ス、午後皆集ル、人数十六人、此日予風邪未愈稽古不致、羽十郎亦眼疾ナリ、稽古業前先長府ニ同し而、長府ハ兄、吉田ハ弟ノ如シ、會終酒ヲ置、酔て帰る、宿ハ笹尾氏ノ賄ナリ 

 笹尾羽三郎は一刀流ではなかったでしょうか。

 貫汪館居合講習会を3月4日(日)に行います。今回の講習内容は大森流です。後日詳細をお伝えいたします。

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  1. 2012/02/03(金) 21:35:12|
  2. 武道史

笹尾羽三郎

 笹尾羽三郎について昨日述べましたが、笹尾羽三郎は一刀流だけでなく大石神影流も修行していました。笹尾は天保14年に免許を授かっています。『大石神影流剣術陰之巻』『諸国門人姓名録』に下の写真のように記されています。

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 また武市半平太の『剱家英名録』には次の写真のような記述があります。

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 この当時、複数のの剱術流派を学び、複数の流派を教えていた者は珍しくありません。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
 貫汪館居合講習会を3月4日(日)に行います。今回の講習内容は大森流を中心といたします。後日詳細をお伝えいたします。

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  1. 2012/02/04(土) 21:25:05|
  2. 武道史

虎乱刀

 大森流の虎乱刀の想定は前方に逃げ行く敵を追いかけて抜付け、斬撃します。最初の抜付けは相手に届かぬ想定です。
 植田平太郎先生はこの動きを次のように解説しておられます。「(対手の左側面へ)抜付けたるも剣先が届かぬため直ぐ左足を踏込みつつ諸手上段に引冠り更に又右足踏込んで斬込み・・・」
 この虎乱刀で陥りやすい間違った動きは抜付けた時に敵に対して正対してしまいそうになることです。抜付けはあくまで半身で行われなければならないのですが、相手を追いかけ抜付けると、どうしても左足で床をける動きになりがちで、床をけってしまうと、上半身は相手に正対しようとしてしまいます。このようにならないためには下肢を緩め、足首・膝が前に送られることによって下肢に居っている上半身も前に出るようにしなければなりません。
 工夫してください。

 前庭の白梅のつぼみです。
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 貫汪館居合講習会を3月4日(日)に行います。今回の講習は大森流を中心に行います。後日詳細をお伝えいたします。


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  1. 2012/02/05(日) 21:25:05|
  2. 居合 業

稽古道具

 自分自身の稽古道具を所有すると確実に上達してきます。渋川一流柔術では初めのうちは稽古着のみでよいのですが、6尺棒や懐剣、半棒、3尺棒、鎖鎌や十手・分童、居合刀などの稽古道具が必要です。無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古でも居合刀や鞘木刀は必需品です。
 はじめからこれら全てを買い揃えるのはたいへんですから、お貸ししていますがいつまでも借り物に甘えていると、なかなか上達しません。人の心がそうさせるのか、せっかくお金を出して買ったのだからと本気になって稽古するようです。
 特に真剣などの高価なものを買った場合はそのような心理が作用するようで、まじめに稽古している方は真剣を使用し始めると、さらに上達しようとして、より真剣に稽古に臨むようになられます。
 高価な稽古道具だと思いますが、計画を立てて購入してください。

 昨日、父の家の前庭に咲いていました。

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 貫汪館居合講習会を3月4日(日)に行います。今回の講習は大森流を中心に行います。後日詳細をお伝えいたします。

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  1. 2012/02/06(月) 21:25:01|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

正対してしまう

 初心者の方が抜付けられると、体が正対してしまう事があります。抜付けは体が開き半身でなければならないのですが、正対してしまう大きな原因は前に出ようとすることにあります。
 体の遣えぬ方が前に進もうとすると立っていても座っていても後脚で床をけってしまいます。後脚で床を蹴ると左腰は前に出て体は正対してしまいます。これは英信流で立膝に座ろうとする時に体が正対してしまう方にも共通して言えることです。自分がどのように動いているか自分自身の動きを感じてください。

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  1. 2012/02/06(月) 21:25:13|
  2. 居合 業

銃剣道の元祖は高島秋帆

 銃剣道は西洋から輸入されたものを日本化した武道ですが、一般には明治になって帝国陸軍とともに発達した武道とされています。このイメージは帝国主義を進める大日本帝国の富国強兵のもとで作られた侵略のための武道という負のイメージを持たれかねません。また、一般にもそのような負のイメージを持っている方が多いと思います。
 銃剣道は、かっては旧軍出身者が中心であったものが現在は自衛官が中心となって稽古されています。したがってこのような一般の人のイメージは銃剣道をする大多数の人たちにとって全く気になっていないように思えます。自衛官は銃剣道を一般に普及させるという目的は持っておらず、自分たちが大会で勝つことに大きな意義があるからです。

 ところが実際に銃剣(剣付き鉄砲)を輸入し、その使用法を日本人に教えたのは高島秋帆であり、その時から銃剣道が日本において始まったといってもよいと思います。
 つまり、「銃剣道は幕末植民地を得ようとしていた西洋列強から日本を守るためにはじめられた武道である。」と定義できると思うのです。
 このように銃剣道の始まりを定義し、高島秋帆を日本における銃剣道の元祖としたら銃剣道に対するイメージも変化してくるでしょう。
 私がいくら、そう考えても銃剣道をする人達が歴史に興味関心を持たなければどうにもならないことですが。

 写真の絵は高島秋帆が徳丸原で高島流の演習をしたときの絵巻の一部です。この砲手の中に神道無念流の斉藤弥九郎もいます。
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  1. 2012/02/07(火) 21:25:30|
  2. 武道史

銃剣術の技

 銃剣術は銃槍術と記されることがあります。特に江戸時代には表記が混在しています。父が子供の頃には在郷軍人の方の中には「銃槍(じゅうそうじゅつ)術の稽古をしよう。」と言っておられた方もおられたようですので、明治以降の陸軍では正式には銃剣術と言っていたとしても銃槍術という言い方はかなり長い間使われたものだと思います。銃槍術ですが江戸時代には銃鎗術と記されており槍の漢字はまだ見たことがありません。また「鎗」と書いて「けん」と読み仮名がふられているものもありますので「銃槍術」と記されていても「じゅうけんじゅつ」と呼んだ場合もあると思います。
 銃剣と銃鎗のちがいは銃の先につけたものの形状の違いによるものだと思います。バヨネットと言われていたものを翻訳するときにその形容からただ針状にとがって鎗に似ていたものを銃鎗と訳し、短剣の形状になっていたものを銃剣と訳したものと思います。したがって当時翻訳された出版物には「銃剣または銃鎗」という表記もあります。
 さて輸入されたものは翻訳されると同時に日本化していきますが銃剣の使用法もその例外ではありません。当時の翻訳書をそこだけ読むと、日本の武道であるかのような錯覚を覚えることもあります。
 具体的な技術は翻訳の出版物に、原初の挿絵をそのまま用いているものがあり見て取ることができます。また当時の教練の様子を双六に描いたものもありその様子を知ることもできます。写真は双六の一部ですが、絵の右の右の防ぎ方は現在の銃剣道連盟では用いない方法です。しかし、私が旧軍の軍人さんに、かってはこのような防ぎ方をした方もあり、教えられたこともあると、教えられた方法にそっくりです。右手首を内側に返し銃の上下がさかさまに近くなるようにして防ぐ方法です。
 服装は講武所スタイルといわれる幕府軍の軍装ですが刀を背負い、脇差を腰にしています。

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  1. 2012/02/08(水) 21:25:07|
  2. 武道史

英国の銃剣術

 幕末にはオランダやフランスイギリスなどの軍隊の教本が翻訳されて日本で教本として用いられました。それらのなかには文字で示すだけでなく絵図が挿入されているものもあります。
 写真の銃剣術の絵は英国の軍隊の教本を翻訳したものに載っている挿絵です。今現在の銃剣道は競技化があまりに進み、刺突したときに腰を入れることはしなくなくなってしまいましたが、私が初めて習ったころは上の図にあるような腰を入れた刺突をしていました。刺突したときの右手の位置や左手の保持の仕方などは異なっていますが、おおむね同じといってもよいかもしれません。構えの姿勢は異なっていますが何か、この構えをする必要性があったのかもしれません。今後の研究次第で分かると思いますが、寿命が150歳位まで伸びるのでなければ、たぶん私は西洋の銃剣術の研究まではしないと思います。

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  1. 2012/02/09(木) 21:25:56|
  2. 武道史

叩き合うのではなく

 太刀打の稽古で決められたとおりに手順を繰り返すと稽古にはならないと指導してきましたが、かといっていかにも真剣に行なっているということを自分で感じるために勢いに任せてただ叩き合っても稽古にならないどころか下達する稽古になってしまいます。
 たとへ斬り込む刹那であっても相手の変化によってはこちらも変化せねばならず、斬り込んでいても相手に流されれば更に変化しなければならないのが武術です。決められた通りをいかにも稽古しているかの実感を得ようとして激しく斬りこんだとしても、それは形を通じてどのようにでも動ける体と心を養うことにはなりません。常に体も心もニュートラルであって、どのようにでも動ける中で一つの太刀筋を稽古しているのだと心得なければなりません。


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  1. 2012/02/09(木) 21:25:59|
  2. 居合 総論

高島流と斉藤弥九郎

 高島秋帆が徳丸原で高島流の演習をしたときに神道無念流の斉藤弥九郎が砲手としてこれに参加していたという事は述べたとおりです。斉藤弥九郎は伊豆韮山代官の江川英龍の家臣という立場にありました。(実際には家臣というよりも神道無念流の同門として斉藤弥九郎の社会的地位を上げ、また力も借りるために家臣という地位を与えたのではないかと思います)。江川英龍は高島秋帆の弟子となりやがて免許を得て高島流を教えることになります。斉藤弥九郎は門人に土木作業をさせたといいますが、これは西洋砲術が土木作業の知識なしにはなしえないことであったからといいます。
 長州の来嶋又兵衛は江戸で斉藤弥九郎にあって、その学問の深さに感銘を受けて、長州から江戸へ剱術修行に行くものは斉藤弥九郎のもとで修行する事をススメ、自分の息子にも江戸で神道無念流を学ばせています。学問の深さに感銘を受けたというのは一般的な儒学ではなく西洋砲術の知識の深さに感銘を受けたという事ではないかと思います。
 斉藤弥九郎については新資料を用いて、その1面を9月の学会で発表したいと思っています。写真は徳丸原で高島秋帆が演習をしたときの名簿の一部です斉藤弥九郎の名があります。

阿蘭陀直伝高島流巻3


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  1. 2012/02/10(金) 21:25:54|
  2. 武道史

剱に剱なし

 居合の方を覚えある程度抜き差しが上達すると刀をより思い通りに操作したくなりますが、ここに落とし穴があります。
 それまでは基本に忠実に体の力みをなくし、ゆっくり静かに臍下中心に体を動かそうとしていたため、知らず知らずのうちに体の調和が保たれ、刀も正しく動くようになっています。しかし、腕力を用いていないために刀が威をもって動いているのか速く動いているのかは自分自身で非常にわかりにくい状態にあります。
 そのため欲が出てしまい、自分で刀を操っている実感を持とうとしてしまい、臍下ではなく小手先で刀を扱おうとしてしまうのです。小手先で刀を扱えば刀の重さが前腕にかかり刀を振っている実感を得ることができますが、しょせん小手先の技にすぎません。起こりははっきりわかり、変化も簡単に見て取ることができます。
 
 「剱に剱なし、體を持って剱となす」という言葉がありますが、この言葉の意味することをよく考えて稽古してください。

 父の家の庭に咲いていた花です。

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 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

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  1. 2012/02/11(土) 21:25:57|
  2. 居合 総論

勘違い

 力みをなくすのは、体をより効率よく用いるためであり、腕の重さを用いるのもまたこの重さを効率よく用いるためであって、腕の重さを用いるためにただ単に力を入れずに、だらだらにして用いればよいのだろうと考えるのは大きな勘違いです。
 込込や切落の形を稽古するときには腕の重さを用いるのが効果的ですが、これを力抜きさえすればよいのだと考えると相手に接触したときに自分の方が砕けてしまい、腕の重さが相手に伝わるべきものが自分の体に吸収してしまうことになります。
 感覚的に言うと力みは抜き去っていながら臍下から指先まで通じていなければならないのです。染んだじょうあちでは何も起こりません。言葉尻にとらわれず工夫を重ねてください。

先日、裏山に久しぶりに猿達がでてきました。夜ずっと泣き声がしていましたので子ザルたちが寒くて泣いてるのかと心配でしたが、次の日仕事から帰ると元気に木の葉の下から何かを拾って食べていました。
 夕方なので、あまりはっきり写っていませんが同じ猿の3態です。大きな大人のサルたちは写真を撮ろうとしてもすぐに逃げて山に入ってしまいますが、子ザルたちはあまり気にならないようです。裏山のサルたちもずいぶん人様のものを盗って食べていますので、この地域の人たちからは嫌われて追い払われていますので、人には用心しています。

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  1. 2012/02/12(日) 21:25:21|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自ら会得する

 稽古は自ら技を習得する心で行わなければ上達にはつながりません。教えてもらえるという甘い考えでは上達は難しいのです。
 一度示されたら、その示されていることに集中して動きの細部まで見逃さない気持ちで見て取り、それを自分のものにする稽古をしなければなりません。また、いつでも同じことを教えてもらえるという甘い考えでは上達する方の10倍以上も時間がかかってしまいます。見せてもらえるのは一度だけ、その中で見て取ろうという覚悟がなければなりません。
 また、何度も繰り替えしていればそのうちに上手になるだろうお考えるのは大きな過ちです。何度もダメな動きを繰り返していれば駄目な動きのみが身についていき、ますます上達は困難にって行きます。自分自身の次の一度の稽古のみで示されたことを完璧に身に着けようという覚悟がなければその稽古は上達へつながりません。
 いつまでも同じ指導ばかり受けている方は自分がどのような稽古をしているか振り返ってください。

 三日前の朝、朝ご飯を食べに裏山に出てきた猿です。猿と私の距離は10m位です。3枚とも同じ猿です。裏の戸を開けるとほかのサルたちはゴソゴソとあるいはバッと逃げるのですが、この猿は逃げませんでした。
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  1. 2012/02/13(月) 21:25:50|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

不思議な感覚

 稽古をしていて指導者に教えを受けると、時に自分自身の動きに不思議な感覚を覚え、技が不思議に上手にかかると感じることがあります。今までに経験したことがない不思議な感覚です。
 実は、それは不思議でもなんでもなく、ただ自分がそのような体遣いをしたことがなく、そのような動きをしたことがないだけなのです。したがって初めての経験であるので不思議に感じるだけなのです。
 不思議に感じたら、それを不思議と思う事なく自分自身の中でさらに発展させ、そのような遣方が当たり前にできるようになり、さらに繊細な動きを身に着けようと工夫していかなければなりません。

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  1. 2012/02/14(火) 21:25:34|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

幕兵の歩兵調練

 勝海舟全集のの『陸軍歴史』という本の初めに載っている「幕兵の歩兵調練」という題がつけられた写真です。必要があって少しずつその当時の軍事について学んでいますが、当時の教練などの印刷物はオランダ語を翻訳したものなので、なかなかピンときません。
 当時なぜ大隊教練などが行われていたのか、全く理解できませんでしたが、当時の戦法にあっては必要とされていたのだというこおもやっとわかってきましたし、それがやがて散開して戦うようになり中隊主体へと移行し始めていたこともわかっていました。
 銃鎗といい、銃剱といった違いはなぜなのかというのもおぼろげにわかってきました。
 「抜隊龍」という言葉などは皆目見当もつきませんでしたが、やっとわかってきました。しかしいまだに小さな穴から覗き見している程度です。もっとも私の研究に必要なのは銃剣術だけなのですが・・・。
 下の写真で何か気づくところがありますでしょうか。私は漠然と見ていたので次男が言うまで気づきませんでした。

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 気づかれましたでしょうか。おそらく前列の指揮官は長身の者ばかりを集めたのではないでしょうか。とくにその中でも数人は、ひょっとしたら初代の大石進のように2mくらいあったのかもしれません。
 部隊として長身の者が前にいたら外人から見ても見劣りしないという思惑があったのかもしれません。真相はわかりませんが。

 貫汪館居合講習会を3月4日(日)に行います。今回の講習は大森流を中心に行います。後日詳細をお伝えいたします。

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  1. 2012/02/15(水) 21:25:52|
  2. 武道史

中子

 太刀から刀に変わる頃、中子の長さがどのように変化していったのか興味があるところです。戦国時代終わりごろに記された高名な流派の絵伝書には両手は鍔に寄せてもち、柄頭のあたりをずいぶん余らせていました。なぜそのような持ち方をするのか不思議でしたが、そのころ用いてたものが中子が短い太刀であり柄は長くなっていたものの柄の中の中子が短かったとしたら納得できる持ち方であると思います。
 実際に、繊細になって試みてみられればわかりますが左手がただ木しかない柄の部分をもち右手が刀の中子がある部分を持って刀を振るのと、両手とも中子がある部分をもって振るのではずいぶん感覚が異なります。
 さらに左手が木だけの柄の部分を持って兜に斬り込んだ場合柄はどのようなダメージを受けるでしょうか。
 研究してみる必要があります。

 3月4日(日)に貫汪館居合講習会をおこないます。貫汪館ホームページの無雙神傳英信流の稽古のページをご覧になりどなたでもご参加ください。今回の講習のテーマは「大森流の体遣い」です。

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  1. 2012/02/16(木) 21:25:32|
  2. 武道史

腰でもなく、足でもなく

 基本ができてきたら、腰から動くとか、腰を入れてとか、腰を中心としてとか、あるいは足の働きを第一に考えてなどという事は忘れなければなりません。
 基本ができたらというのは、無雙神傳英信流抜刀兵法であれば正しく座れ、正しく礼法ができ正しく斬撃ができというレベルに達したらという事であり、澁川一流柔術であれば正しく座れ、正しく礼式ができ、正しく受け身ができるというレベルに達したらという事を言います。
 正しくというのは臍下丹田を中心として全身が調和を保って無理無駄なく働くことを言います。そのような状態に達したならば、手から動こうと、足から動こうと、頭から動こうと、すべての動きは臍下中心で調和が保たれていますので動きが乱れるという事はありません。むしろ腰と思えば腰にのみ意識がいき体が硬直したり、足と強く意識したら足のみが先走り調和は乱れてしまいます。
 その位に至られている方にはお教えしていますので、過去の思いは捨てなければなりません。。

 3月4日(日)に貫汪館居合講習会をおこないます。貫汪館ホームページの無雙神傳英信流の稽古のページをご覧になりどなたでもご参加ください。今回の講習のテーマは「大森流の体遣い」です。


 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
  1. 2012/02/17(金) 21:25:16|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古を始めた頃の気持ちを大切に

 誰でも稽古を始めた頃は上達しようとして、教えられることは一言も聞き漏らすまいとし、すべてを吸収しようとして細心の注意を払って稽古します。人生で始めて教えられることも多いのですからそのような気持ちになるのは当然かもしれません。
 しかし、稽古を始めてしばらくたつと、次第に稽古に来る時間が遅くなり、また、一度習った事だからとか、この前も習った事だからと感じてしまい自然に集中力も薄くなり、上達しなくなってしまう事があります。このような状態になる時期は人それぞれですが、覚悟が定まり稽古熱心な人には、このような状態にならない方もおられコンスタントに上達していかれます。
 一度習った事を何度も教えられるのはできていないからであり、出来ていないという自覚を持ち稽古せねばならないのに、それができなくなってしまうのは慢心です。手順を追えるようになったという段階で慢心する人もおられれば、ある程度自由になり始めて慢心される方もおられますが、やはり、「まだまだ、まだまだ」と思え、探求を続ける方が上達します。
 自分はどのような心の状態にあるか、振り返ってください。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

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  1. 2012/02/18(土) 21:25:26|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

振りかぶって斬る

 太刀打の稽古で打太刀を勤めていると、皆さんの隙ができるポイントがよく見えます。多くの方は振りかぶりから斬り下ろしに移るところで瞬間的に動きが止まってしまい。僅かな隙が生じています。
 これは、かって自己流で木刀などを振っていた時に、「いち」と振りかぶり「に」と斬り下ろす稽古をされていた方や、心の力みから強く斬り込もうとして、無意識のうちにタメを作っている方に起こりやすい悪癖です。
 私が打太刀を勤めている時には、そのような隙に斬りこみ、隙を知らせる事ができるのですが、皆さん全員の打太刀を勤めることは出来ません。自分がどのような動きをしているのかを確認して自ら直せるように工夫してください。

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  1. 2012/02/19(日) 21:25:04|
  2. 居合 業

受身

 初心者の形が受身の稽古をされるのを見ていたところ、自分自身で体に力みが入り上手くいっていないのに気づかれ、体の力みを抜こうとされました。
 しかし、よくあることですが上体の力みだけを抜こうとされるためにやはり受身はゴツゴツしてしまいます。「下半身から」というアドバイスをし、それに従われたので受身も何とかできるようになられました。
 全てそうなのですが、らだの力みをなくそうとする時に、上半身のみを何とかしようとしても下半身が力んでいれば下半身に乗った上半身は下半身につれられて悪い方向へといってしまいます。自分がどのようにしているか、考えてください。

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  1. 2012/02/20(月) 21:25:27|
  2. 柔術 業

一度指導を受けたら

 悪いところを正され、出来るようになっても、次の稽古の時にはまた元の悪い状態に戻ってしまう方も居られます。 直されたその場では、分かったつもりになっているのですがあまりに理解が浅いのだと思います。
 自分自身で出来るようになったわけではないのですから、ただ「できた」と思っているだけでは元の状態に戻ってしまうのは当たり前のことです。自分はどのように直されたから出来るようになったのか、それ以前はどのような状態であったのかを自分自身で探求しなければ、その指導は向上につながることはありません。つまり、できない方は求めようが浅すぎるということなのです。
 一度指導を受けた事は二度と指導を受けまいとする覚悟をもって稽古に臨まなければ、なかなか上達するものではありません。

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  1. 2012/02/21(火) 21:25:31|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

やはり素直さ

 上達の絶対条件は素直さである事と書きましたが、中学生や高校生の稽古を見て、大人の稽古と比べるとどうしてもそう感じざるを得ません。
 中学生や高校生は一度指導されたことは、常にそれを求めようとしていますが大人は一、二度試みたら深くも遠めることをせず自分の興味関心のあることに自分自身の注意が向く傾向が強いようです。その傾向は年齢が高くなればなるほど強く現れてきます。
 しかし、大人であっても、これまで上達が速かった方は、子供と同じような素直な心で指導されたことができるようになるまで求め続けられています。
 この違いが上達の速さの違いとなるようです。

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  1. 2012/02/22(水) 21:25:40|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

焦らない

 初心者にとって大切なことは教えられた事全てを意欲ですが、少し間違えると手順をすべて覚えてしまおうという方向へ行ってしまう事があります。
 もちろん手順を覚えることも大切なのですが、そこにばかり心がってしまうと大切なことを稽古するのを忘れてしまいます。
 初めに、自分の姿勢はどうあるべきかをしっかり教え込まれ、力みをなくし形を作らず、引力に従う無理のない勢を求められているのですが、形の稽古が始まると、どうしても手順を覚えようとされ手順を間違いなく繰り返そうとされるようになります。しかし、そうなった時に初めに教えられ求めていたはずの姿勢は完全に忘れてしまい崩れ、またもとの稽古を始める前の不自然な姿勢になってしまい手順を追いかけられるようになります。
 このまま稽古を続けてしまうと、確かに手順は覚えたけれども中身は全く異なっているといったものが出来上がってしまいます。
 稽古は教えられた事を着実に一歩一歩進むように心がけ、けっして焦ってはいけません。

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  1. 2012/02/23(木) 21:25:13|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

加藤善右衛門の鎗

 写真の鎗は柳河藩大嶋流槍術師範 加藤善右衛門の家に伝わった鎗です。『槍と槍術』によると加藤善右衛門の大嶋流ではもっと短い穂先を用いたように記されていますので、この鎗は加藤伝の大嶋流槍術の鎗というよりも加藤家に代々伝わる鎗なのかもしれません。
 これまで武道史の調査の過程で多くの旧家を訪ね、お話を聞いていますが広島では原爆で全てがなくなったお家や、大陸や、半島に渡られていて引き上げの際にほとんど全てをなくされたお家が多くありました。他の地域でも例外ではありません。
 この鎗もご子孫の方の努力で、何とか日本に存在しているものです。

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  1. 2012/02/24(金) 21:25:27|
  2. 武道史

松前藩精英隊 三上長順

 戊辰戦争で官軍と戦った小杉雅之進という人が記録した『麦叢録』という北海道での戦記にある記事です。松前の新城を攻め、松前藩兵が敗走している中、松前藩の精英隊三上長順という僧侶が城の中で奮戦して戦死した様子が記されています。この話は大鳥圭介の記録にも、今井伸郎の記録にも出てきますので、真実なのだろうと思います。

此時敵中一個の坊主あり三上超順と名乗。乱丸の中をも恐れず左の手に俎板を持、丸を防ぎ右の手に刀を閃かし兵壱両人を切たおし我嚮導役伊奈誠一郎と戦い、伊奈小銃を以て防兼しを横田豊三郎事之を見てみ近き、力を合せ超順を獲んとて馳行きしに、超順早くも誠一郎を切りたおし横田を目掛て馳来るを豊三郎ビストールを以て立迎い打懸しに如何したりけん発せず、之に由り刀を抜に暇あらず柄に手を掛、聊退しに降積りたる雪に蹶き倒るる所を超順得たりと乗掛り切付る。此時堀寛之助、黒沢正介遥に之を見て飛が如く馳付、超順を切斃し横田を救う。

 左手には「楯」と記していたるのがあったり、「鍋蓋」と記しているものがありますが、弾を防ぐのであれば厚いまな板のような木の板だったのかもしれません。
 物語として読めば勇壮な話ですが、私には悲しい話でとしか感じられません。勝つ見込みは無い中で死ぬために戦うのは・・・。
 どのような思いで戦ったのでしょうか。恩のある松前公のために討死しようとしたのか、味方を逃がすために時を稼ごうとしたのか。最後に名を残そうとしたのか。

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  1. 2012/02/25(土) 21:25:06|
  2. 武道史

 正しければ「強」も「速」もついてくると無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は教えてくださいました。まだ、そのころ私は強さを求めたり、速さを求める心があったので教えは受けても腑におちるという事はありませんでした。
 しかし、師の教えを求め続けていると、なるほどというところに至りました。「強」も「速」も求めずともついてくるものなのです。むしろ「強」や「速」を求めるから真の「強」や「速」に行きつくことがありません。それらを求めて稽古していても自己満足のそのように自分が感じる動きでしかないのです。
 では「正」とは何かというと外見上の動きの正しさではありません。そのような外見上の動きを似せていても物真似にすぎず、それは「正」とはいえません。「正」とは理にかなった動きのことを言います。求め方を間違ってはいけません。


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  1. 2012/02/26(日) 21:25:35|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

形にはまろうとせぬ事

 無雙神傳英信流抜刀兵法も澁川一流柔術も形稽古を中心として稽古を進めます。しかし、形稽古の目的は自由に動けるようになる事です。体も心もいつかず、自由にすらすらと動けるようになるための手掛りとして形を稽古します。
 しかし、形が上手になれば、自由になると勘違いしてはいけません。この「形が上手になれば」というのは私が求める動きができるようになればという事ではなく、「それぞれが自己満足で形が上手になったように思う動きができるようになれば、自由になる。」と勘違いすることを言います。
 このように勘違いされる方は、いくら言ってもタメを作って強く斬ろうとされたり、抜付けの最中にさらに力を込めて抜付けようとしたり、相手を押さえた後にさらに腕力をこめようとされます。全く不必要で、かえって隙を作るもとになるのですが、そのほうが素人受し自己満足できるから厄介です。
 自由になるために行っている稽古が、逆に自分自身を不自由にするもととなってしまいます。このような稽古をするのであれば何もしなかった元の自分の方が自由であったという事にもなってしまいます。
 心して稽古してください。

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  1. 2012/02/27(月) 21:25:01|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

表裏

 物事には表と裏があり、表に見える者は見えない裏の働きの結果であるといってよいと思います。これは全ての事に当てはまることだろうと思うのですが、いくら説明しても居合や柔術の初心者の方の多くが裏の働きではなく表に現れたことをそのまま写し取ろうとしてしまいがちです。
 力みが少しずつなくなることによって足首や膝のツッパリがなくなり自然につっ立たない状態になるのですが、表に現れた事を直接求めて無理やり足首や膝を曲げてかえって下肢を突っ張らせ不自由にしてしまう事はよくあることです。
 また、上級者の刀のスピードが速いのをただ真似して無理やり腕力を用いて力任せに刀を振ってしまったり、力任せに相手を抑えつけようとするのもよくあることです。
 しかし、それは単に表面を真似しただけであって技とは程遠いものです。
 師は本質が同じであれば表に現れるものは、異なっていてもそれが自然であると話されました。もっとも本質が同じかどうかは見える人にしか見えないものですが。
 初心者の方は表よりも裏の働きが大切なのだという事を忘れないでください。

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  1. 2012/02/28(火) 21:25:53|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

蓮池藩 富永清太夫

 土佐の樋口真吉の日記に以下のような記述があります。天保11年11月4日の事ですから、初代大石進が江戸に二回目に行った年です。

廿四日晴
東吾・猪三郎・喬二郎、此日肥前蓮ノ池ノ人富永清太夫来り同宿、此人原五郎川大四郎弟子、酉ノ年江戸へ出伊庭ノ門ニ入且大石先生ヘモ出入シ即諸家ヘモ先生ニ従稽古致スヨシ、人前江戸稽古附ニ委シ、清太夫酒肴ヲ買テ我等ニ出ス 

 富永清太夫という名は聞く事がない名ですが、大石神影流の『諸国門人姓名録』の蓮池藩の筆頭に出てきます。この記事によると富永清太夫という人は、はじめ大石進の弟子であった五郎川大四郎に学び、心形刀流も習いかつ大石進に付き従っていたようです。一体どういう人であったのか興味があるところで『江戸稽古附』という書き物もどのような内容か興味があるところです。いつかわかるかもしれません。
 斎藤新太郎が廻国修行した嘉永2年4月25日には心形刀流と名乗って試合をしています。

 『諸国門人姓名録』の写真です。
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  1. 2012/02/29(水) 21:25:45|
  2. 武道史

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