もうずいぶん前に聞いたことですが、ある居合の流派は講習会を受け続けてその流派の形をすべて覚えたら免許皆伝となるということを実際に免許皆伝をもらった人に聞いたことがあります。少し調べればその流派は師から全てが伝わっていなくて過去の記録から大きく補った流派だということがわかります。
貫汪館ではすべて形・手数を手覚えても中身がなければそういうことにはなりません。覚えて多少できるだけならだれにでもできることです。修行と思い腰を据えて取り組んでください。
- 2021/08/01(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
無雙神傳英信流の抜付けで右手が強い人がそれを修正しようとして左ばかり意識してしまうと体が左に歪んでしまい抜く動きの中で重心が左に寄ってしまいます。
特に大森流では正対したところから動き始め半身になりますが、半身になっていってもあくまでも中心を開く動きですので、繊細な感覚を以て自分自身を見つめ偏らないでください。
- 2021/08/02(月) 21:25:00|
- 居合 業
-
-
たんに力まないことことを無理無駄がないと誤解してはなりません。抜付けたときに体の中心の働きが切先まで作用していない状態で肘が引力に引かれておりていたとしても、それはへたっているだけです。無理無駄がないこととは異なり武術ではありません。斬撃するときにも同じで臍下丹田とつながっていないのに肩や肘に力を入れてないといっても刀は死んでいます。ひょろっと刀がおりてくるだけです。いくら似せても似せているだけでは物まねであって上達ではありませんので、いくら時間がかかろうとも本質から正していかなくてはなりません。
- 2021/08/03(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
日々の稽古は今までの自分から新たな自分を築いていくための修業です。したがって今までの自分の知識や経験からのみ習ったことを理解しようとする態度は否定されなければなりません。自分の枠の中だけで物事を考えていたら、今までの自分から変化していくことはできないのです。
実際は異なることを教えられているにもかかわらず今までの知識や経験からのみわかったと思う方が多いように思います。未知なるものを探求していかなければ変化は起こりません。一度自分がこれまで得たものをすべてなくしてしまわなければなりません。
- 2021/08/04(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
本物ではないけれどもよく似せているものを偽物といいます。身近なところでいえば大石神影流には手数の解説書がありますが、師から習っていないのにその古文書のみで稽古すれば、本質的に異なってはいても似たようなことはできます。その似たようなものを人前で行って「私は大石神影流を稽古しています。」といった場合は偽物です。「大石神影流の研究者です。」といった場合には偽物とはなりません。
無雙神傳英信流にも簡単な技の解説があります。同じように師傳ではないのにその解説書のみで稽古して人前で行い「私は無雙神傳英信流を稽古しています。」といった場合は偽物です。「無雙神傳英信流の研究者です。」といった場合には偽物とはなりません。
澁川一流柔術にも師が記してくださった形の備忘録があります。同じように師傳ではないのにそれのみで稽古して人前で行い「私は澁川一流柔術を稽古しています。」といった場合は偽物です。「澁川一流柔術の研究者です。」といった場合には偽物とはなりません。
このようなことは世の中では実際に行われています。自称は研究者ではなく○○家なのです。偽物ほど素人受けすることを行い人目を惹きます。さも伝統的で過去から続いているように言い、文化を大切にしなければなどとまで公言します。
- 2021/08/05(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
慈愛の心は武道を行うものには大切で、この心がなければ武道が唯の暴力になってしまう危険性があります。しかし時に慈悲の心は流派の崩壊をもたらします。居合の師である梅本先生は組織の中でわがまま勝手にふるまおうとする者がいる場合には、組織から遠ざけておられました。それで先生の生前には比較的大きな流派は保たたれていました。柔術の師である畝先生は慈愛の心が強い人でした。「破門に値する。」と思われても「人は改心できる、そのチャンスを与えなければならない。破門はそのチャンスを奪うことになる。」とニ人を破門にはされませんでしたが、結局二人とも葬儀にも顔を出すことなく弔電も送られてくることはありませんでした。人はよほどのことがなければ改心はできません。剣術の師である大石先生は私が入門させていただいたときにも大きな流派を作るという思いはなく、真面目に稽古修行する人だけを教えられたいようでした。そのため、免許皆伝を授かっていた方は私の前にはお二人だけで、しかも最初の方はお亡くなりになっておられ、二人目の方も手術を受けておられ、稽古もかなり厳しいようでした。私が入門させていただく前にも後にも、人を見て入門希望者を断っておられました。
正しく流派を守り伝えるという点で時に鬼になることも必要なのだと思います。難しいところですが、外形はともかく中身が変わってしまえばそれが流派と呼べるのかどうか・・・。
- 2021/08/06(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
稽古した成果が日常生活で役に立たなければ修行ではなく趣味以下のものにすぎません。無理無駄のない稽古を心がけていれば日常生活でも無理無駄がない動きができるようになっていくはずですし、そうでなければ稽古が間違っています。正しい礼を心がけて稽古していれば日常生活でも人を敬うことができ、言葉遣いもぞんざいになることはないはずですが、そうでなければ、道場で心がこもった礼ができていないのです。鎮まった心で稽古することを心がけていれば日常生活でもそのようであらなければならないのですが、そうでなければ、道場でそのようにふるまっているに過ぎないのです。
稽古が日常生活につながり、また日常生活が稽古につながっています。
- 2021/08/07(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
刀礼後に刀を腰に差すとき、そこまで正しく動けたとしても体を傾けて無理やり刀を腰に差しては、すべてが台無しになります。焦るのでしょうが肩を体から遊離させて上下させたり体を左右に傾けたり、おそらくは始まりはヨーイスタートにあると勘違いしているのかと思います。
特に居合も剣術も柔術も武という面から見れば日常生活がすべてで始まりも終わりもありません。
- 2021/08/08(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
昨日述べた刀を腰に差すときと同じで刀を腰に差した後下緒を袴のひもに挟むときに肩を体から遊離させて上下させたり体を左右にゆすったり。
すべて焦りが原因だと思いますが、少なくとも道場に入った時点で始まっていると考えていなければ行っていることは武道ではなくなってしまいます。
- 2021/08/09(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
「衣食足りて礼節を知る」のはむしろ動物であり。衣食が足りた猫は小動物を襲わなくなりますし、犬猫も仲良くなります。しかし人は衣食が足りても次々と欲望がわいてくるもののようです。
豊かな生活を送っているのに他人に対してドケチな人もいますし、ますます貪欲になる人もいます。お世話になっていようが、教えを受けていようがお構いなしです。教育の場でもそのような管理職がたくさんいました。口では生徒の為と言いながら、自分の部下を踏み台にしてさらに上を目指したい亡者のほうが多くいました。保護者のわからない闇です。ますます貪欲になっていく生き方をしたいのか、
衣食足りなくても礼節を知る人でありたいのか、自分自身で決められることです。
- 2021/08/10(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
業でも流派でも史料でも邪な者にわたってしまうと取り返しがつかないことになってしまいます。あとは邪の増殖です。正しい流派であってもその時点から邪が離れなくなってしまいます。真面目に道を求めようとする人は寄り付かなくなり、邪な者と何もわからず、やがて影響を受けて邪になっていく者だけが集まっていきます。正しく伝え続けるのは難しいことです。
実際にこの目で見てきただけに恐ろしさがよくわかりますし、故人が真実の人にのみ流派を託そうとしたのも理解できます。
- 2021/08/11(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
幕末試合槍術では東は会津藩の志賀小太郎、西は柳河藩の加藤善右衛門が東西で有名であったということですが高槻藩の藤井又一が加藤善右衛門に入門した理由は志賀小太郎が九州を廻国した時に加藤善右衛門と試合し、「志賀先生サンザンノ敗ヲ取リ」、加藤善右衛門の名が高まったからということのようです。真実はどうかわかりませんが、当時世間ではそのような評判があったので、加藤善右衛門の導場はにぎわったのだと思います。
柳川古文書館でみた日記に志賀小太郎が江戸の柳河藩邸を訪ねて、柳川藩士に加藤善右衛門を訪ねたいと相談している記事がありました。柳川藩士は加藤が受け入れてもてなしてくれるだろうと答えています。試合は行われたのだと思います。
- 2021/08/12(木) 21:25:00|
- 武道史
-
-
恥を知っている人は自律できますが恥を恥と思わない人は自律できません。自分が行っていることが恥ではないのですから。
二枚舌も世間をうまくわたっていくための知恵であると思う人にとっては恥ではありませんし、実体験もなく行うこともできないのに知識をひけらかす人にとっても、それで人よりも優位な立場に立てるのですからその行いは恥にはなりません。
武道の世界も同じで、一般的に恥であると思われることであっても本人にとって恥ではないのですから当たり前のようにそのような人が存在します。常識的な世界に出れば「武道をしている人が」とさげすんで見られるのですが。今は「武道をしている人だから。」と思われているかもしれません。
- 2021/08/13(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
丁寧に言葉を選んで口にする人と、そうではなく言葉遣いに全くお構いなしに話す人がいますが、それは武道であれば業の上に現れます。丁寧に言葉を選んで口にする人は落ち着いた隙のない技を使いますが、そうではない人は雑で凹凸のある技を遣う様に感じます。見る人によっては雑で凹凸のある技のほうを見事と思うようですが、私たちの求める方向とは異なります。
自分がお世話になっている方や年上の方、師にどのような言葉遣いをしているか省みてください。
- 2021/08/14(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
「素晴らしい人のそばに居らせていただくだけでその感化を受けることができる。」と無雙神傳英信流の師 梅本先生は教えてくださいました。私が大学生になってしばらく先生から離れて暮らすようになる前でした。その教えを今も忘れておらず、幸いに私は武道では素晴らしい他流派の先生に接し教えを受ける機会、学問でも素晴らしい先生方に接し教えを受ける機会に恵まれてきました。
この教えを反対からとらえると「ダメな人のそばに居れば、ダメな感化を受ける。」ということになります。これもまた真実で、自分の心がダメな人から離れられなければその感化を受け続けてしまいます。どっちつかずの中途半端な人もいますが、そういう人は中途半端なままに終わってしまいます。自分の心がそうさせていますから人から言われてもその行動が変わるものでもありません。自分がどうなりたいかが決めるように思います。
- 2021/08/15(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
すべての道において本物を見続けることが真贋を見極める能力を身につけさせます。
ダメなものしか見ていなければ良いものが現れたときにそれが良いものだということはわかりません。たまに良いものを見て、いつもはダメなものしか見ていない場合、自分は良いものを知っているといってもダメなものに強い影響を受けてしまいます。頭と感覚は異なっていますので頭で知ったつもりになっていても体はダメな方へなびいていきます。
- 2021/08/16(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
曹洞宗の修業は厳しく、永平寺の山門には
家庭厳俊不容陸老従真門入
鎖鑰放閑遮莫善財進一歩来とあるそうです。
全て修業は厳しいものですが、心さえあれば誰にでも門戸は開かれています。
- 2021/08/17(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
柔術の稽古は直接師に触れていただくことで師がどのように動いておられるかが居合や剣術に比べてわかりやすいことが利点です。無雙神傳英信流の太刀打ちや詰合、大石神影流の手数なども木刀を通じて師の業に直接触れることができますが、木刀を介することでわかりにくくなってしまいます。
柔術では稽古のたびに触れていただくことでその感触を覚えることができ、たとえば師が力を込めておられるのか、リラックスされているのかどこを中心に動いておられるのかといったことも初めのうちは感じられなくても何度も技をかけていただいているうちにわかるようになっていき、その感覚を求めて稽古していくことができます。私は畝先生の柔らかくて暖かく優しい手の内を追い求めています。手の内といっても手だけではなく当然体の中心から流れて手の内を通じて私の中に流れてくるものがあり、それを前提にした手の内です。
柔術の稽古ではとくに手順を覚えるということではなく、師に技をかけていただきその感触を覚えるという事を心がけてください。手順だけ覚えて真似事をしても全く意味はありません。数回の稽古で手順を覚えたといっても中身はないのです。中身のないものは流派を習ったということもできません。
- 2021/08/18(水) 21:25:00|
- 剣術 業
-
-
無雙神傳英信流の稽古で刀を振りかぶるときに起こりやすいことです。実際は体の前に刀を振りかぶっているにもかかわらず、自分では中心に振りかぶっていると思っています。自分自身の意識の中での中心が実際の中心よりも前に出ているのです。それで意識の中の中心に振りかぶってしまいます。
原因はいくつかありますが、体に力みがあり引力を感じられなければ前へ斬り込むという意識が自分の中心を勝手に作ってしまうことがあります。また速く、速くという焦りが自分の意識の中心を実際の中心よりも前に出してしまうこともあります。
自分がどうしているのか静かに落ち着いて動き確認してください。
- 2021/08/19(木) 21:25:00|
- 居合 業
-
-
柳河藩では7歳以下の子供が藩主の前で演武すると絵画を褒美にもらっていたようです。藩主直々に授けるということではなく役職の者から与えられていたようです。7歳といっても満ではなく数えなので6歳以下ということになります。小学生になっていないくらいです。この年少の子供たちがよく演武しているのです。
多くの藩では道場に通うようになるのは元服の年位でその前は父親や親戚が教えていたようですが、柳川藩ではどうであったのか史料は出てきません。大石進種次がその始まりだったとする人もいますが間違いで種次以前から行われています。
大人と一緒に道場で稽古していたとは考えられませんので、親、親戚が教えていたのかと思いますが、剣術だけでなく、居合や槍術、砲術にまで小さな子供が演武した記録があります。どのような教育方法を取っていたのか興味ある処なのですが史料がありません。
- 2021/08/20(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
大石神影流では防具着用の稽古を行いますが、現代剣道とは全く異なっています。
ずいぶん前に古武道をする私の知人が現代剣道の方と防具を着用して試合稽古をしたことがあります。知人は古武道的な考えで触れれば斬れると思っているのですが、現代剣道の方は気剣体の一致でバンと打ち込まなければ有効ではないと思っています。それを知人はよくわかっていませんでした。私に後から話してくれるのにいくら竹刀が触れているといってもなんとも思っていなかったようだ。」といっていました。私は現代剣道の経験がありますので、一本の基準が違うことなどを話すと、少し考えていましたが現代剣道の方と試合稽古をするのは無意味だとわかったようです。
私たちも防具をつけた稽古で飛び込むわけでもありませんし、打ったあとに向に走り抜けていくわけでもありません。また手首を主に用いて小さく面を打つということもしませので、競技中心に現代剣道を稽古してきた方と稽古してもかみ合うことがありません。もし一緒に稽古を続ければ私たちの防具着用の稽古も現代剣道の動きになっていくと思います。
- 2021/08/21(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
20年くらい前だったと思いますが、公共の施設でなにやら格闘技らしき、ジュージュツもどきのようなものを練習していた20歳か25歳にいかないくらいの人たちが、個人利用の時間が終わり私たちの柔術の稽古を少し見て、「一緒に稽古をしませんか」と話しかけてきたことがあります。どういう意味か分からなかったのですが、どうも私たちが稽古しているのが格闘技のためのものだと思ったようなのです。日本の柔術だということはわかったようなのですが、古武道の柔術も素手と素手で戦うためのものだと理解していたようです。
澁川一流には素手と素手で戦うのが目的であれば随分と無駄な技が多くあります。目的が素手と素手との戦いにあるならばそんな技は稽古しないでしょう。
- 2021/08/22(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
梅本先生は戦場で体を痛められて戦後子供に打たせると痛みがひどくなられていたので剣道の稽古をやめられましたが、晩年の白石元一先生の剣道について話してくださったことがあります。私が白石先生に習ったときにはもう防具をつけられることはなく剣道形のみを習ったのですが、それ以前の話です。白石先生は武専を出ておられました。
梅本先生がお話しされるには白石先生の晩年の防具をつけての稽古は、必要なときに必要なところへゆっくりとポン、ポンと竹刀を落とすような稽古だったそうです。それでいてポンポンと的確に当たっているような動きなのだそうです。昔の稽古ぶりなので打った後に向へ走り抜けていくような動きではありません。
- 2021/08/23(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
初心者の内は習ったことをメモして後で読み返すことは上達にとって助けとなりますが、ある程度上達したら、そのメモを見返すのはかえって上達を阻害する場合が多くあります。日々上達し日々理解も深まっていきますし、指導する方も、弟子の上達に応じて指導方法を変えていきます。いつまでも同じところにとどまるわけではありません。生真面目な方は以前はこう習ったと過去に居つこうとしますが、捨てることが上達につながることもあります。
- 2021/08/24(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
古武道においては形・手数の稽古は大切なものです。無雙神傳英信流抜刀兵法には基本的に試合稽古はありませんし、大石神影流剣術では流祖の大石進種次が手数の稽古を大切にし、手数の稽古をせずに試合するのは力士が下稽古をせずに土俵に上がるようなものといっていたと伝わっています。澁川一流柔術には意治稽古は伝わっていますが畝先生がお話しされたように「寒い日に体を温めて・・・」というような位置づけでした。3つの流派ともに形・手数の稽古を大切にする流派です。
しかし、素人の方が形稽古と聞いて思い浮かべるように、手順を追って手順通りに、また体の角度や手の高さを指導通りに動こうとするのは形・手数の稽古ではありません。それでは初心者の域を出ていない稽古です。いつも言うように外形は内なる働きの表れであるということが理解できていないためにいつまでたっても外形ばかりを追いかけてしまいます。
大石神影流の構えで截目録の絵図のような下半身になるのはどのような体の働きによってそうなっているのか、澁川一流の蹲踞礼はなぜあのような腰の位置になるのか、無雙神傳英信流の抜付けで体が前傾するのは体のどのような働きによるのか、そのなぜの部分が会得できたうえでの形・手数の稽古になっていなければ初心者の域から出られず、何時まで経っても中級者にもなれません。勿論上級者の稽古では何もない稽古になっていなければなりません。
自分はどのような形・手数の稽古をしているのか考えてください。
- 2021/08/25(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
一人稽古をしたいけれど庭もなく部屋も狭い場合でも工夫すれば稽古はできます。
以前もお話ししましたが、私が学生のときの学制宿舎はとても狭く、何もできないと思っていましたが、大森流の抜打の稽古はできました。時間を取って体が鎮まるまで待ち、呼吸にのせて静かに抜打の稽古を繰り返すのです。体を開く稽古はできますし、斬撃納刀の稽古もできます。
動きが少し大きくてもよいのであれば英信流表の虎一足や奥居合の柄留などもできます。工夫次第で稽古はできるものです。
- 2021/08/26(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
立っての斬撃の稽古はできませんが、初発刀で振りかぶった状態を撮ってください。まだ右足は前に出さず左ひざを右足に引き付けた状態です。大きく息を吐きながら斬撃することを体を正しながら行えば十分斬撃の稽古になります。いつものように立って行いたいようであれば小太刀を鍔をつけずに振れば十分です。五歩歩みながら斬る必要はありません。三歩で行えばよいのです。もともと斬撃の稽古は下半身に上半身を乗せて臍下中心猪使う稽古ですから、正規の長さの刀や木刀を用いる必要はありません。小太刀を用いて物足らない、また上半身がとられるようであればいつもは上半身中心に刀を腕力で振っていることになります。体の内側の働きを感じてください。
- 2021/08/27(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
貫汪館では無雙神傳英信流の稽古を行っていますので素抜き抜刀術で仮想の敵を意識することはできているはずです。
大石神影流の稽古は小太刀を用い、打太刀を仮想の敵としてイメージすれば立って行ってもよほど天井が低い部屋でなければ十分に稽古できます。小太刀を用いても通常の長さの木刀を持っているとイメージします。この時に物足りないと感じたら普段は下腹中心でなく腕力を用いて手数の稽古をしていることになります。
もともと大石神影流の手数の動きは狭い空間でもできるようにつくられています。構や素振りの稽古は言うに及びません。
- 2021/08/28(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
澁川一流の動きは他の柔術流派に比べて非常にシンプルです。畝重實先生は高度成長期に稽古する方がおられなくなったときには形を一人稽古しておられました。柔術は二人でなければできないということはありません。貫汪館で稽古している方は仮想の敵をイメージできるはずですので十分に柔術の一人稽古ができると思います。。大切なのはやる気です。
六尺棒を回す稽古も半棒でもできますし三尺棒を用いても行うことができます。澁川一流の居合(抜刀術も)も稽古しようと思えば立居合は小太刀を用いて行うことができます。
- 2021/08/29(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
村上傳次左衛門、村上一刀、粟生勘平、橘軍八、すべて同一人物です。名前がこれだけあると比定するのに何年もかかりました。諱や筆跡、手掛かりとなる古文書の発見。わからなくなってしまった歴史を残された数少ない史料から再び見つめるのは難しいしいことです。橘軍八が同一人物であることはなかなか気づきませんでした。
- 2021/08/30(月) 21:25:00|
- 武道史
-
-
新陰流、愛洲陰流、愛洲神影流、愛洲蔭流、これもすべて同じ流派に附けられて用いられた流名です。これは比較的わかりやすかったのですが、新陰流はこれまで研究対象から外してきたので同じものと分かったのはしばらくたってからでした。フィルムで写真を撮っていた時にはお金に限りがあるので、自分の研究に役立つものしか撮影しませんでしたが、デジカメを用いるようになってからは枚数を気にせずに撮れるようになったので、後から見直して同じ流派だとわかりました。
- 2021/08/31(火) 21:25:00|
- 武道史
-
-