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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

初心者にとって大切なこと

 無雙神傳英信流で初めに稽古する方は素抜き抜刀術の大森流ですが、そのまえに流派の基礎を身につけるための礼法をしっかり稽古しています。
 礼法の稽古で身につけるべきことは多くあります。立っているときには頭のてっぺんと足心にまっすぐな線を通し足心を通じてゆったりと床に体を預ける事、立礼のときには上半身を曲げるのではなく臍下丹田が働き鼠径部を緩める事、正座は姿勢を作るのではなく立姿勢と同じように体を床に預ける事、物体として安定する角度であること、座礼は手を出していくのではなく立礼と同じように成臍下丹田が働き御尻が後方に下がるような感覚であること、左手は体が倒れるので前に滑り出る事、右手は少しブレーキをかけておき、左手掌・腕の重さが床におりてからつかにつくこと、体を起こすときには臍下丹田の働きで体を起こすこと等々。
 これらの動きを基本として大森流を稽古します。大森流の形を稽古しているときにそれ以前に稽古した礼法での体の遣い方ががなくなっていては手順の真似をしているだけになり、それではビデオを見て習いましたというのとかわりません。大森流の形稽古で大切なことは礼法で養った動きが形の動きの中でもできているかどうかです。それなくして手順だけ稽古しても流派を身につけることにはなりません。
 指導者は形の手順を覚えさせることに目が行きがちですが、稽古する方に礼法で養った動きに基づいた形の動きになっているかどうかをゆっくりと動かさせることによって確認させてください。
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  1. 2022/11/01(火) 21:25:00|
  2. 居合 業

足を踏み揃えるとき

 大森流の初発刀、右刀、左刀、当刀、陰陽進退、勢中刀など血振いの後に後足を前足に揃え、倒れた敵の気息を窺う時の体の状態ですが、両足をそろえたときは敵は倒れていますので体の角度はそれに合わせて敵に覆いかぶさるように前に倒れた角度になります。この時初心者の方が間違いがちなのが、下半身を固めて上体だけを前に傾けることです。体のバランスが取れないので下半身を固めてしまいます。
 足を踏み揃えたときは上半身は敵の気息を窺えるように前に傾けますが、鼠径部に無理がなく緩んで膝・足首が緩んでいればお尻は後方に突き出た形になり結果として上半身の前後のバランスが保たれています。その時の下半身は膝が曲がり「く」の字になります。また足の裏は柔らかく床に接し、重心は足心を通じて床下におりますので体全体はどしっとして安定しています。上半身は敵に覆いかぶさる状態に軽く前傾して背中は丸くならずに外側から見れば軽く反った形になります。
 足の踏みかえを急ぐと重心移動ではなく脚力で動いてしまい、体が床に預けられた感覚はなく、足の裏も固いままです。心と体を鎮めてしっかりと倒れた敵の気息を窺う心をわすれなければ、なるべくしてそうなるはずです。

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  1. 2022/11/02(水) 21:25:00|
  2. 居合 業

左右のバランス

 澁川一流柔術も無雙神傳英信流や大石神影流と同じように体の中心を用います。刀を持っているわけではないので、刀を持った時に比べ形の中で左右の手は離れて働きます。
 初心者の方が間違いやすいのが「裏投」「呼吸投」「投込」などのように右手が相手の体の中心に近い部分に触れ左手は相手の手首をとり、左右の手が大きく離れているている形の場合です。自分の中心を用いて技をかければ自然に左右の手が均等に働きます。しかし相手の中心に近い部位に触れる右手に意識がいき中心が働かず、左手がおろそかになって相手を単に押し倒そうとしていることがあります。技をかけるときには自分の中心が保たれ左右が均等に働くことによって左手も大切な働きをしています。その思いで稽古をすると自分の技の質が変化していき楽に技がかかるようになります。工夫してください。

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  1. 2022/11/03(木) 21:25:00|
  2. 柔術 業

攻防

 海外の支部のアメリカ人を教えて感じるのは動きが未熟であってもしっかりと形・手数が攻防であるということを理解しており、相手との心のつながりがあるということです。
 日本人にはある程度の年月稽古した人でも、動きや手順に目が行き、どう動くかという手順がその人の興味関心であることがあります。攻防のための心のつながりがないのです。攻防のための心のつながりがあるように演技する人さえいます。
 この違いは、危険な国に住んでいるかどうかの違いであるかもしれません。あるアメリカの門人は救急医療に携わっている一人ですが、患者がナイフを振り回したことがあるそうです。実際に胸を刺されながら柔術の技で取り押さえていたそうで、柔術が役に立ったと語ってくれました。ほかの人たちは逃げてしまったのだそうです。日本はアメリカに比べてはるかに安全で命の危機を感じることは稀ですが武道が敵との攻防だということを忘れてしまったら武道ではなく踊りになってしまいます。気を付けなければなりません。

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  1. 2022/11/04(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

環境

 稽古をする上で環境が大切なことは言うまでもありません。修行を大切にする仏教の寺院が人里離れた山の中にあることにも見ることができます。道路工事をしている横で座禅をする難しさを考えてもわかると思います。よほどの方でなければ無理でしょう。
 武道の稽古もしかりで私たちが稽古している流派は心も体も鎮めて稽古することが求められるので、騒々しい場所や人の出入りが多い場所は不向きです。
 場所だけでなく、着ているものにも影響を受けることがあります。ある人は現代剣道の経験が長く、いくら稽古しても現代剣道の飛び込む姿勢が抜けずに重心は高く、膝足首は立ち腰が落ちません。どうすればよいのかと考えあぐねていたのですが、あるときに普段着で稽古をすると自然に膝足首の無理な力はなく腰がスッと落ちるのです。その人にとって稽古着・袴と現代剣道がよほど強く結びついていたのだと思います。このような不思議な影響もあります。
 稽古は場所や着ているものやその他の要因に悪影響を受けますので指導者はよく考えなければなりません。

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  1. 2022/11/05(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

人は変わることができる

 海外の門人でストイックなまでに体を鍛えることを行っている人がいます。ウエイトトレーニングも行ってきていたので体はがちがちで何をするにも上半身中心になりました。7年前に指導したときにはどうなるのだろうと感じました。誠実な方でまじめに稽古に取り組みますので期待はしました。
 7年後には変わりました。誰が見ても無雙神傳英信流、澁川一流、大石神影流の直接教えを受けている門人だとわかります。道を外れずに地道にまじめに稽古していけば変われるのです。変われないのは教えられたことよりも自分の思いが強く,、道を離れているにもかかわらず自分はしっかり稽古していると思う方です。今までに自分の身についたものをすてたくなく、その上に何かをさらに得たいのです。変わろうとすれば捨てなければなりません。
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  1. 2022/11/06(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

本質が見える

 私が尊敬するある先生が演武され、古武道や流派についてお話しされる映像を、稽古を始めて1年もたたない人に見ていただいたことがあります。その人は「流派は違えど、精神的な根っこの部分は同じですね。」とお話しくださいました。良く見えたと感心しました。そこが見えるということは私たちが稽古する流派を正しく理解しているということですし、道を外れてはいないということです。
 見る力がつけば自分を客観的に見て正していくこともできます。1年もたたないうちによく会得したものだと思います。本質が見えるようにならなければ行うことは出来ませんので、話を聞きよく見て何が本質的に良いものなのかがわかるようになる努力をしてください。

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  1. 2022/11/07(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

常に自分を戒める

 武道の世界を長い間見てきました。武道の世界にも年齢を重ねてますます素晴らしくなられる方と反対にどんどん貪欲に地位や名誉を欲するようになる方がおられるようです。
 「欲」が心と業の達成欲求であれば心は修行の方向に向き「まだまだまだまだ」と自戒でき、至らぬところに気付き、より高く、より深く、より広く修行を進めることができますが、「欲」が名誉欲であれば求めるものが異なって来ます。修行はどうでもよく周りからの評価が大切になります。
 この名誉欲が、「自分はあれもこれもできる。すごいだろう。」となったり、はじめは復元研究と言いながら復元した流派を復元とも言わず演武したり、復元流派の支部を作ったり、自分が作った古武道でもない心も伝えられていない流派をあたかも昔から伝えられていたかのようにして広めたりします。宗家を自称し唯一無二絶対の存在になろうともします。「自分は〇段だ。」「自分は免許皆伝だ。」「自分は流派の中で唯一絶対の存在だ。」「自分は武道のことなら何でも知っている。」という表面的なことが名誉欲には大切なのです。そのためには大切な修行はどうでもよく、名誉を得るための方法が大切になってきます。また目的達成のために他者を蹴落とそうともします。自分では気づかずにそのようになる方も多いのです。もともとは他者と争い生き残るための技であった武道が持つ「業 ごう」であるのかもしれません。武道は狭い道です。長い距離を歩くうちに狭い道から外れてしまうのです。
 若いうちから常に自分を戒め至らぬところに気付く稽古をしていかなければなりません。自己満足の稽古をしていればいつのまにか道をたがえてしまいます。誰にでも起こることですのです。とくにできてもいないのに話したくなる人は自分自身に気を付けておかなければなりません。

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  1. 2022/11/08(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

視線を落とさない

 無雙神傳英信流の大森流・英信流表の稽古は座して行う形がほとんどであるためか座るときに下を向きそのまま座った状態でも床に視線を落とす方がおられます。
 仮想の敵であっても視線は対した相手に向けなければなりません。床を見ていると体の角度が狂い、下から上へと抜付けることができず、突っ込んだ姿勢で抜付けるようになります。また座したときに下を見ていれば多くの場合、首の角度もやや前傾し方もそれにつれてやや前に出てしまうため肚も胸もゆったりとすることなく呼吸も浅くなってしまいます。
 自分の視線はどこにあるか、またどのように座っているかを確認してください。

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  1. 2022/11/09(水) 21:25:00|
  2. 居合 業

たとえ

 刀を中段に構えたときの手の内をどのように説明しようかと電車の中で思案しているときに自分の手を見て「つり革につかまっている時の手の内」と説明したらわかりやすいかもしれないと思いつきました。自分のつり革を持つ手が刀を構えたときの手の内と同じだったからです。我ながら良い説明を思いついたと思いながら電車に乗っている他の人たちのつり革の手を見ると、この説明はダメだと気づきました。実に様々なのです。あんなつかまり方をしていたら疲れるだろうと思えるようなつかまり方や、指先だけをひっかけているような方など実に様々でした。私が刀を構えたときの手の内をしていただけなのです。私には一番楽なやり方です。
 このように極端ではなくても、たとえで教えられてきたことの中にはひょっとしたら同じようなこともあるのではないかと思いました。その人にとっては良いたとえだと思っても、実際には多くの方にはよくわからない、または間違いを起こしてしまうようなたとえです。説明も言葉の奥にあるものをとらえるようにと言いましたが、わかりやすいようにと用いられる比喩もその奥にあるものは何なのかを考えないと間違って理解するかもしれません。

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  1. 2022/11/10(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鎗合

 大石神影流の鎗合は剣術の入り身の形ですが、この鎗合で「張る」動きが正しくできているかどうかがわかります。
 刀と刀での張る動きでは間合が近いため小さな動きの中で張りますが、鑓合では入り身しながら張ります。したがって足が動きながら張るのですが上半身で張っていた人は動きが止まってしまいます。とくに剣道経験者は手首を中心として張ろうとしますので、重いものは張れず、身動きできなくなります。足が動かなくなる人は正しく張れていないわけですから、初歩で稽古する試合口から張る動きを根本的に見直してください。そこから上達が始まります。

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  1. 2022/11/11(金) 21:25:00|
  2. 剣術 業

手直しを受ける

 遠隔地で稽古する方は勿論、定期的に稽古できる方であっても大きな思い違いをしていることがあります。そしてそれが致命的な場合には上達できないばかりか、稽古するたびに悪い癖を身につけていることになります。
 はじめに教えられた時には指導されたとおりにしていても次第に過去の経験に基づいて物事を行うようになり、それが正しいのだと思い込み指導されたことが記憶の中で入れ替わってしまうことがあります。新しいことをゼロから身につけるよりも過去の経験に依拠する方が安心なのです。しかもそれが無意識のうちに起こり自分自身では正しく行っていると思い込んでいますから難しいものがあります。
 遠隔地で稽古している方は必ず数カ月に一度は手直しを受ける覚悟を持って稽古しなければなりません。「習った、わかった、正しく稽古している。」では終わらないのです。道をそれてしまった場合にはそれを正すのにそれた月日以上に日数がかかってしまいます。1年手直しを受けずに稽古していて道を間違っていた場合には2年かけて元に戻らなければならないこともあります。すでにお話ししていますが、私が筑波大学の学生であったころには夏休み2か月、春休み1か月は広島に帰り梅本先生に毎日指導していただいていました。1週間の秋休みもありましたので1週間は稽古をつけていただき2週間の冬休みも道場の休み以外は稽古をつけていただきました。航空自衛隊に入ってからも同じで、夏休暇、冬休暇、連休。岐阜にいたときには2週間に一度(隔週で土曜日が休みになりました)は広島に戻り稽古をつけていただきました。大学生のころにはほぼ毎日古武道場で稽古していても、広島に帰るたびに「また下手になって帰ってきた。」といわれていました。正しく稽古していると思っていても、それていたのです。1年間手直しを受けずに間違った稽古を続けて1年たってから手直しを受けたと考えるとおそろしいものがあります。

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  1. 2022/11/12(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

捏造と被害者

 古武道と言いながら実際は戦後の捏造流派。まだ明治ならとも思えるのですが、戦後に来歴と形の多くを捏造された居合の流派名を名乗る方が次第に多くなり無視できないほどの数になっています。借りたと言いながら一方では拝受したといっている伝書をもとに、その人の想像で復元したので違和感が大ききく、まるで剣舞ではないかと思えるような形も見ました。稽古している方には全く悪気はありません。それらしい嘘に騙されて真面目に稽古しているのですから。
 戦後に組織の中でそれなりの地位がある方たちが行ったことなので、嘘を見破ることができる人もおらず、今となっては嘘を嘘とはっきり言うこともできないでしょう。被害者の数もあまりに多く、それなりの地位を得ている方も多いからです。また、誰かがこれは嘘だと公言して批判することもできないでしょう。善意の稽古者があまりに多くなってしまったからです。
 一人の知人が言いました。「おかしいんですよね、講習会へ通い形を覚えたら免許皆伝になるんです。そして○○家にあった伝書のコピーをもらうんです。先生のところでも形を覚えたら免許皆伝ですか?」 
 ありえません。形を覚えただけで免許皆伝になるなら覚のいい人は数日で免許皆伝になります。教わらなかった形を古文書を借りたまま返さず、想像で作った形だからそれでよいのでしょう。
 かくして武道は嘘の塊になっていきます。

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  1. 2022/11/13(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

師から伝えられた間違い

 師から伝えられた形を受け取ることができたら形は正しく伝承できます。しかし、歴史が誤って伝えられていたらそのまま伝えても正しく伝わることにはなりません。
 たとえば大石神影流では大石進種次が男谷精一郎と試合したのは天保4年と言われており、師の大石英一先生もそのようにおっしゃいましたが史実は天保3年でした。また、師は「大石進種次は男谷と試合したあとは試合をした江戸の剣術家の門弟から報復を受けるかもしれないので、江戸を夜出発して急いで柳河に帰った。」とおっしゃいましたが、報復を恐れてが正しいかどうかわからないものの、大石進種次が江戸に着いたのは天保3年3月5日で男谷と試合したのは3月24日。柳川へ出発した日は不明ながら状況から遅くても4月20日頃には江戸を発っていると考えられることから、江戸には短期間しか滞在しておらず、急いで柳河に帰ったのは真実と考えられます。
 一例として一度目の大石進の出府について述べましたが、このような間違いはままあるのではないかと思います。間違いは語り継がれていくうちにますます大きくなっていきます。こと自分の名誉にかかわることであればなおさらです。師やそのまた師、さらにさかのぼっても自分につながる人が偉大であれば偉大であるほど話は大きくなっていくからです。
 貫汪館で稽古される方は稽古に真面目に取り組まれることは当然のこととして、伝えられていることに関しては史実に基づくことかどうかを確かめるようにしてください。

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  1. 2022/11/14(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

間違いが伝えられる

 高松順蔵について調べていると、順蔵の子太郎が大村藩の斎藤貫之助のもとで稽古していた時に、武市半平太一行が大村藩へ廻国修行のために訪れ、高松太郎はその後、武市一行と行動を共にして廻国した。という記述を見たのでその根拠はないかと調べていたら安田町の文化振興企画員の方が教えてくださいました。『勤王烈士伝』の武市半平太の妻の武市富が記したものに間違いがあり、それをさらに拡大して間違いが広まったようです。以前日本武道学会中四国支部会で発表したように武市半平太は廻国修行では大村を訪れてません。しかし半平太の奥さんが「大村高鍋等にとどまる数十日」と記したことが原因でそれがさらに高松太郎と大村で出会ったことになったようです。
 高松太郎は久留米の津田一伝流で稽古しており、その時に武市一行がやってきたのであろうことは以前中四国支部会で発表した『飫肥藩津田一伝流師範矢野宗吾の英名録について』の資料からほぼ確かなことと考えられます。武市半平太の奥さんの記憶違いなのです。記憶違いの記事が肉親が記したものだからと信じられ、さらに間違いが拡大されていくというパターンでした。
 市町村が発行する書籍だから間違いはないだろうと思っていると実際は違ったということもあります。各支部で地域の武道史について記していただいていますが、間違いもあるという前提で出版されている書籍を読んでください。「おやっ」と思ったら複数の書籍で確認してください。

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  1. 2022/11/15(火) 21:25:00|
  2. 武道史

パフォーマンス

 博物館、資料館に勤務経験のある方と話した時に、勤務場所で居合などの演武が行われたことを話していただいたことがあります。その方は武道に関しては素人の方です。その方には演武された居合、剣術が武道というよりパフォーマンスに見えたそうです。
 明治維新後に剣詩舞が体系立てられ他者に見てもらう、また見せる舞として確立されました。居合も素抜き抜刀術のみが稽古されるようになると、剣詩舞のように見てもらう、また見せる武道を思考する人たちが表れてきたのではないかと考えられます。今風に言うとパフォーマンスです。本来武道の動きは対する者に見えてはならない地味なものです。それを見せようとすれば素人受けするように動きの本質は変化していきます。剣術も同じような道をたどったのでしょう。居合・剣術の芸能化と言えるのかもしれません。
 貫汪館で稽古している無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術は地味な形ばかりです。見せようとすれば本質を変えざるを得ません。また形の改変を行わなければならないようになるでしょう。修行とは全く関係ないことです。古武道が芸能化せず古武道として残るためには正しく稽古してくださる人達が必要です。

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  1. 2022/11/16(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

伝わらない

 土佐の居合にとって初歩的で基本であり且つ又求め続けなければ会得できjない大切なことがあります。
 ある時、現代居合道で長年土佐の居合を稽古している人と話していて、それが全く伝わっていないことに愕然としたことがあります。見ず知らずの人が審査して段位が上がるので、その審査に通るように指導され、師が全責任をもって流派を伝えるわけでもなく、ひょっとしたら師であった人も伝えられていなかったのかもしれませんし、審査している人も伝えられていないのかもしれません。外側だけの居合です。それが伝統的な居合と言えるのかどうか・・・。
 流派を伝えるということは習う者がいい加減な場合はさておき、伝えられたことを全て伝えるということです。しかし、段位審査を見たこともない人が行うのであれば、審査に合格するように教えても関係ないことは教える必要もありません。これは柔術流派が大日本武徳会に所属すれば講道館式の乱捕をしなければならなくなり、しなければ柔術ではないような風潮が生まれ、やがて柔術の流派が形稽古をしなくなり流派がなくなった過程に類似しているところがあります。
 現代居合道か古武道としての居合の違いでしょうか。部外者は何も知らずに現代居合道か古武道としての居合を選ばなければならない現状です。日本古武道振興会が広報に力を入れなければならない所以です。

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  1. 2022/11/17(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 ありがちなのですが形を攻防のパターンととらえ、居合では座ってから剣術では切先を交差してから柔術では間近に向かい合ってからが稽古だと考えその前の動きに無頓着になる人がいます。
 居合は座る前jから、剣術は刀を抜く前から柔術は間近に接する前からすべて形です。実際の技をかける前に心と体が鎮まっていなければ形になりませんし、技も不十分なものしかできません。
 居合で袴をばたばた下品にさばき、そっくり返るように姿勢を作って座ることはありませんし、剣術で小手先で雑に刀を抜くこともありません。柔術で相手に接近するまで雑念だらけのいい加減な動きもしません。ここがわからなければ残心もわからず、形が一つ終われば気を抜き、また気を入れなおして形を使うという稽古になってしまいます。

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  1. 2022/11/18(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大切なところ

 貫汪館では7段迄の昇段審査を行い、形の習得状況によって段位を発行していますが、これは外見的な「かたち」「手順」ができているのを確認するためのものではありません。
 ちゃんと上達するコースに乗っているかどうかを確認するためのものなので、礼法に心がこもっっているか、心も体も沈めて動こうとしているか、臍下丹田で動けているか、ゆっくりであっても素抜き抜刀術が対敵行為になっているか(死に体で動かない敵に抜付けるわけではありません)、動いている最中も心と体は緊張せずどのような状態にも対処できるようになっているか(決められたことを決められたとおりにだけ動くのは武道ではありません)といったようなことを確認しています。たとえ形が手順通りにできても上記のことができなければだめです。
 ここを間違えた昇段審査に向けての稽古をしても無意味です。昇段審査に向けての稽古は普段の稽古をより充実させていけばよいだけであって特別な稽古は必要ありません。また、いつも言っているように無雙神傳英信流、澁川一流、大石神影流は大切なところは共通していますので、試験を受ける流派の稽古に特別に時間をかける必要もありません。特別にその流派に時間をかけなければならないと思ったとしたら、いつもの稽古方法は間違っていてどれもできていません。
 大切なことを会得する稽古をしていれば多少手順を間違っていたとしても簡単に修正できます。

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  1. 2022/11/19(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

行住坐臥

 行住坐臥という言葉を教えてくださったのは筑波大学の中林先生でした。中林先生はお若くして亡くなられましたが大切なことをいくつもお教えくださいました。
 稽古は行住坐臥のうちにあり、行住坐臥が稽古であれば道場での稽古はその一部にすぎず行住坐臥の稽古の確認であるともいえます。道場で何かを身につけなければならないという特別なものであるわけではなく習ったことが行住坐臥の中で稽古でき、道場ではそれを確認し、正してもらいまた行住坐臥で稽古する。
 日常生活は稽古の場でもあり又真剣勝負の場でもあり「武」から離れるものではありません。「週に一度道場で稽古するのが楽しみだ」は「週に一度正していただけるのが楽しみだ」なのです。
 稽古の年数によって日常生活も流派の遣い方も同時に進化しより楽になり広くなっていくものであり、そうでなければあり方が間違っています。「今日はたくさん稽古した」ということはなく、「今日はたくさん道場で気づきがあった」です。なぜならば行住坐臥稽古しているのですから。ここがわからなければ上達はありません。

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  1. 2022/11/20(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

歩く

 昨日、行住坐臥ということについて述べました。稽古が週に一度道場に出る2時間だけという方はそれなりの上達です。「仕事中に稽古ができるわけがない。」と言われる方もおられました。仕事中にも座り、立ち、歩き、体を使っているのですが全く別のことをしていると思っておられるのです。
 昔話ですが、私が航空学生教育群で幕僚、兼務で英語教官をしていた時のことです。群司令が学生の歩き方をよくしようとしてバレエの先生を呼んで学生隊で指導してもらおうとされたことがあります。その時、私の上司が「森本の姿勢・歩き方が良いと思う。」とおっしゃってくださいました。その時、私は「米軍の軍人の軍人としての立派な歩き方を取り入れてはいますが少し違うのです。」とお答えしました。米陸軍防空学校で学んでいた時に、この人の歩き方は軍人として素晴らしいという方を何人も見てきました。その時思ったのが胸で歩いているということです。しかし、胸で歩けばどうしても重心が高くなります。それを鍛えた筋肉で保持します。私の中に違和感があったのはそれでは刀が抜けないということでした(もちろん刀を帯びて歩いているわけではありませんが常住坐臥です)。それで丹田で歩くのでもなく胸で歩くのでもなく中間的な歩き方をして過ごしていました。歩き方も稽古であり、また、実践でもありました。航空学生教育群はその当時行われていた観閲式で熊谷の生徒隊と航空自衛隊徒歩部隊として行進しており、航空学生教育群の学生隊の区隊長から選ばれた人が隊列の幕僚として指揮官の後ろを歩くのですが、海部首相のときの行進では群本部の幕僚で英語教官もしていた私が幕僚として生徒隊の区隊長と一緒に歩きました。
 行住坐臥はいくらでも、何とでもなるものです。

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  1. 2022/11/21(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

指揮する

 これも昔話で行住坐臥と関係することです。
 幹部候補生学校を出て、術科学校で地対空ミサイルに関する技術的なことも習得し習志野の第一高射隊に戻った時は中空検閲が間近に迫っていた時でした。小隊教練の検閲のため防大出身の射統小隊長が指揮官として訓練をしておられました。発射小隊にかえってすぐ、射統小隊長が喉の調子が悪く声が出ないので、今日だけかわって訓練をしてくれと言われシナリオを渡してくださいました。小隊の指揮をして数日後、私にその役がふられました。
 第一高射隊は日本ではじめてできた高射隊(地対空ミサイルの部隊)で歴史も長く優秀な隊員ばかりが集められており、幹部も防大出身者かたたき上げの空曹あがりの幹部しかおらず、一般大学出身の幹部は私が初めてという部隊でした。したがって検閲を受けるために集められた小隊の構成員も一流で号令通りに動ける人たちでした。つまり名刀をわたされたようなものです。名刀が名刀の働きをするか否かはそれを持つ者によります。
 訓練を何度もしましたが、号令をかける呼吸は自然に居合の呼吸(たんに声を出すということではありません)でした。予令も動令も居合の呼吸そのままです。不思議なのですが、それが小隊をうまく動かせるのです。小隊に意思が伝わるといってもよいかもしれません。中空検閲の前に視察に来られた防大1期の第一高射群司令が「森本は部内部外か(中卒高卒で自衛隊に入り、夜学の大学に通いながら幹部になった人たちで、当然普通に大学を出た者たちよりも号令などは体に沁みています)」ときかれ。「いえ、筑波大卒です。」とおこたえすると、群司令は「森本のような一般大卒の幹部がいるなら防大は必要ないではないか。」とお褒めいただいた程です。
 このことを居合の師匠の梅本先生にお手紙でお知らせすると、たいそうお喜びになられ、すぐにお返事のお手紙をいただきました。
 一般社会で生活する方には無縁な教練という場ではありますが、これも行住坐臥で、武道と仕事を切り離して考えることはできないという一例です。

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  1. 2022/11/22(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 また昔話です。第一高射隊にいたときのことです。私は第一高射隊には初めての一般大学卒の幹部であったためか(私以前は日本で初めて作られたミサイルによる防空部隊であり、歴史と伝統のある第一高射隊には一般大学出身の幹部は着任させてもらえなかったようです)、ある隊員から「夜学で勉強したい。」と相談を受けました。関東地方の防空の任に当たる高射隊は四つありましたがそれぞれ状況は違うものの待機に着いているので難しいのです。私が米留する前のことでした。
 発射小隊の先任が苦労して夜学の短大を出られたということを知っていましたので、先任の苦労をお話しし、先任に相談すれば考えてくださるから直接先任に相談しに行くように言いました。後日私が米留中に年次射撃のために来られた先任が私にうれしそうに「○○が相談に来てくれました。彼にお話しくださいましたでしょう。」といってくださいました。
 私が直接動かなかったのは先任が苦労人で面倒見が良い方だとわかっており、部下から自分が経験したことについて相談を持ち掛けられれば快く対応してくださるということがわかっていたからです。先任は空士、空曹をまとめる要です。私が上から直接指示するよりも先任が動いた方がすべてがまるくまとまります。
 武道は勝ち負けを競うものではなく「和」です。如何に物事が快く誰もが安心して動けるようになるかを考えなければなりません。若いころのことですが、行動のもとには「武」を置いて行動していました。これも行住坐臥の一つです。

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  1. 2022/11/23(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日本古武道振興会への入会の条件

 日本古武道振興会への入会には様々な条件がありますが、最も大切なのは規約の(入会)第6条に記されている「明治以降に成立した流派及び復元された流派の入会は原則として認めない。」というところです。これが古武道の定義にかかわる部分で、古武道の要件は原則として明治維新以前の流派であり、復元流派はこれに含めないということなのです。
 古武道といいながら最近作った流派名がない創作武術や、いかにも古く歴史を騙る創作武術は日本古武道振興会では古武道として認めていません。以前その家で稽古されていた流派であっても一度途絶えて明治維新以降に復元された流派、ましてや最近復元された流派は古武道ではありません。いくら本人が忠実に復元したと思っていても創作武道ですので古武道振興会の会員になることは出来ません。また古武道から出ているものの明治以降に工夫を加えて新たな流派名を名乗っているものも同様です。
 併伝の定義も規約に記されています。「江戸時代以前から併伝(単なる併修を含まない)された流派は之を併せて単一の流派とみなす。」 併伝とは江戸時代以前から、つまり明治維新以前から一つの流派を修行するためには必ず他の特定の流派を修行しなければならない流派を言い、他の特定の流派を習っても習わなくてもいいよ。というのは併伝ではないのです。たとえば広島藩の貫心流の師家である細家は貫心流剣術と司箭流長刀、さらには如風流槍術を伝えていましたが、稽古する者は絶対に三つの流派を稽古しなければならないというものではありませんでした。これは併伝ではなく併修です。
 上記のことを間違えて日本古武道振興会に入会申請される方もあります。貫汪館で稽古される方は古武道に関する基本的な定義は頭に入れておいてください。

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  1. 2022/11/24(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

見ていればよくなる

 高齢の方で体がなかなか自由に動かなくても、ちゃんと見ていれば時間がかかっても自然にその方向へ向かっていきます。しかし自分ではしっかり見ていて、自分で見たことはある程度できていると思っていても指導者からまだまだといわれる人は見ていないのです。
 自分では見ていると思っていても本質を見ておらず自分が興味のある所だけを見ていたり、手順を見ていたりして、いつもお話ししている大切なところが目に入っていません。見方を工夫して本質を見て取れるよう努めてください。

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  1. 2022/11/25(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

高松順蔵

 高松順蔵は坂本龍馬の姉、千鶴の夫で、坂本龍馬にとっては義理の兄になります。インターネットで調べればすぐに出てくる人物です。高知の郷土史では高松順蔵の居合の師が松村茂達であるとなっているので、松村茂達を調べ、墓碑などから新田宮流であるとわかっていました。むりやり無双直伝英信流に結び付けている書籍も見ましたが、「土佐の居合=無双直伝英信流」と連想しただけのことであろうというのは容易に想像がつきます。これも明治維新以後の話から想像したもので江戸時代には無雙神傳英信流のほうが勢力が大きかったことはすでに明らかにしています。
 ところで、高松順蔵は新田宮流だけでなく無雙神傳英信流も修めていることが以前の高地での武道史調査で明らかになっています。師は山川久蔵です。これは下村茂市や坪内長順とおなじようなパターンですので、山川久蔵と松村茂達には密接な関係がある可能性があり、ひょっとしたら山川自身が江戸在番中に新田宮流を修めていたのかもしれません。

 これで私たちの無雙神傳英信流抜刀兵法も名のある人物と結びつきました。幕末の歴史好きな人たちに大石神影流だけでなく無雙神傳英信流を通じて私たちが稽古していることに興味を持ってもらえます。
中岡慎太郎は高松順蔵に学問を習ったようです。史料は未発見ですが、中岡慎太郎が高松順蔵に無雙神傳英信流も習っていたら私たちの流派にとっては興味深いことになります。

元に戻りますが高松順蔵の歌集『採樵歌』に次のようにあります。

柴田介八みまかりし後、其手書を見るにつけそのかみ余
諸共に山河先生に従ひて長谷川派の剣法を学びしことな
とおもおひつつけて

 長谷川や同じ流れの友千鳥のこせし趾をあわれぞと見る


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  1. 2022/11/26(土) 21:25:00|
  2. 武道史

高松順蔵 2

 坂本龍馬の義理の兄である高松順蔵の居合に関する和歌は昨日述べた歌のほかにもあります。

 甚三郎居合の曲抜する奇々妙々

 剣太刀□にぬけ出し手□とハいまにぞさやに見てしられぬる


 □は読めない文字です。居合の曲抜とはどのような抜き方だったのでしょうか?無雙神傳英信流であったのか田宮流(新田宮流)であったのか。または大道芸であったのか。高松家文書がほとんど伝わっていないので不明ですが、千葉栄次郎の曲打のようなものであったのでしょうか。高松順蔵の武道に関する和歌は、これから解読していきます。新たなことがわかるかもしれません。坂本龍馬がよく訪ねていたという高松順蔵です。龍馬に居合を教えることがあったかもしれません。

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  1. 2022/11/27(日) 21:25:00|
  2. 武道史

防具

 大石神影流では防具を着用する稽古も行いますが、この稽古で手数の稽古が身についているかどうかがわかります。
 現代剣道の経験者のなかには現代剣道の動きが出る方もおられます。このような方は手数の動きが全く身についていないのです。体の中に現代剣道が染みついて離れないのですから手数の稽古量が足りないと言えるでしょう。ありえないことですが、真剣勝負になったとしても現代剣道のスナップを効かせた竹刀の遣い方で真剣を使おうとするでしょうし、打突部位以外に刀が触れることを気にしないでしょう。実際に防具着用の稽古をした時、剣道経験者でなくても、私が軽く小手に竹刀を触れさせる動きをした時に全く意に関せずに打ち込んでくる人もいます。自分の感覚では斬られていないと思うのでしょう。
 真剣の場合には体に軽く触れてもダメージを追います。しかし現代剣道では一本になりません。その部分にも無頓着なままだとしたら根本的な思いから変えていかなければなりません。真剣で手数の稽古を経験したほうが良いかもしれません。
 現代剣道を経験していない人で防具を身につけて稽古をするときにありがちなのが、ただ相手を打とうとする理にかなわない動きです。素人のチャンバラといってよいのでしょうか。自分が打たれ突かれているのにその感覚もなくただがむしゃらに相手を打とうとするのです。このような方は手数の稽古をただ手順の繰り返しとしてしか稽古しておらず、真剣の場として稽古していないのです。それゆえ手数の稽古と防具を身につけての稽古が別物になってしまいます。思いを変えて稽古しなければ華法剣術です。
 お教えしているように稽古しなければ別の方向へ行ってしまいます。細い道なのです。

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  1. 2022/11/28(月) 21:25:00|
  2. 剣術 業

武道史の研究

 古武道を稽古する者の武道史の研究は自分が行っていることは何かということを明らかにするため、稽古を確実なものとするために行います。
 大石神影流についてはだいぶ明らかになってきましたが、大石進種次が36歳の時、天保3年(1832)4月に男谷精一郎と試合をする以前のことはほとんど史料が出てきません。文政11年(1828)大石進種次は32歳の時に剣術で他藩からも賞賛されているということで知行を倍増されていますが、これ以前に九州あるいは中国地方までで相当に名を上げていると考えられるので、これ以前の事績が知りたいのですが史料が出ないのです。このころの史料が出てこないので大石神影流について最終的にまとめる作業がとん挫しています。この時期は不明としてまとめるしかないのかもしれません。であればすぐに暑い本が1冊出来上がります。
 無雙神傳英信流の研究では主に土佐に林六大夫が持ち込んだ居合について調査研究していますがこれまで知らなかったことも明らかになってきました。残存する史料に限りがありますので限界はありますが、まず今手元にある史料を分析してまとめていきたいと考えています。師の梅本三男先生は福島小一(中山博道から神道無念流の免許皆伝を得て呉の海軍で剣道を教えていた)にはじめに居合を習っていますので、私も無雙神傳英信流の稽古のときに違いを明らかにするために夢想神伝流を習ったことがありますので中山博道が土佐の居合を改編して自身の居合を作った経緯と目的なども知りたいところですが、残された人生は短いので他流派の研究はしません.。夢想神伝流の方が何故細川義昌にばかりに興味を持ち、実質的な流祖である中山博道の居合流派創流について研究されないのか不思議です。中山博道創始の夢想神伝流は細川義昌の居合とは異なるものです。
 澁川一流に関しては流祖の松山の家が明治時代に火災にあったこともあり、幕末の流派なのに江戸時代の史料がほとんど出てきません。大石神影流と無雙神傳英信流の調査研究に力を入れています。

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  1. 2022/11/29(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古

 良い稽古はすればするほど上達しますが、間違った稽古はすればするほど下達します。たとえ自分は良く稽古していると思っていても正されることがなければ、遠ざかり下達しているのですが、自分が「我」をたてて、自分の思うとおりに稽古しているので自分自身では満足しています。それどころか師が間違っているのではないかとさえ思い始めます。
 お話ししているとおり、私は居合の師から離れて暮らしているときは自分自身で稽古はしていたものの年に何度も帰郷して師から手直しを受けていました。数日の休みがある時が待ち遠しく楽しみでした。それが修行においては当然の在り方だと感じていました。お金が許せば週末ごとに帰郷したいとさえ思っていました。澁川一流の師は週に一度稽古をつけてくださいましたが、稽古日でない曜日にも仕事の関係で師のお宅の近くを通るときにはお話をお伺いするためにお電話をして寄らせていただいていましたし、免許皆伝上極意をいただいて、「自分で指導しなさい。」と言われてからもお話をうかがいするためにお訪ねしていました。お話をお伺いするだけでも心の修業になります。大石先生に稽古をつけていただいたのは月に一、二回でしたが、すでに他のニ流派を教えていましたので修行態度は理解しており、稽古に通わせていただくたびに「よく稽古をしてきている。よく理解している。」と言っていただいていました。時にはお話だけで終わることがありましたが師にお会いしてお話を聞けることが喜びでした。
 そのような稽古をしてきましたが、それでももっと師にお仕えできたのではないかと反省することが多々あります。今にして思えば不十分と感じるのです。三人の師匠は今はおられず教えを受けることができませんが、ご生前に教えていただいたことは私の血と肉になり、また私自身が不十分と感じることは今でも追い求めています。
 そのような私自身がこの人は将来的に免許皆伝にいたるかどうかと見るときの基準です。私のような者でも不十分ながらもできたことと思える事が基準です。時間の問題ではなく心の問題です。

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  1. 2022/11/30(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
ご質問のある方は記事へのコメントではアドレスが記されてないため返信ができないので貫汪館ホームページに記載してあるメールアドレスからご連絡ください。よろしくお願いします。

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