難波一甫流に『秘極千金之巻』という伝書があります。この伝書は流祖の難波一甫斎から伝わったものではなく広島で矢野家によって付加された伝書だと推察していますが、その内容は現代的な感覚から見れば迷信と思われるようなものがほとんどですが、何かいわれのあることなのかもしれません。
学会の準備等で「道標」を記す時間がありませんので、今日から少しずつ『秘極千金之巻』の内容を記していきます。おのおの考えてみてください。
『秘極千金之巻』
一 武道之家一日二日七日廿日
一日也 此日は武士のために悪日なり 其日にあたる時君主の前へ出るとも又外へ出るとも 万事心律あしき儀なきやうたしなみ申事なり
一 朝起小べんを見ル事
あさおきて小便のいろを見るに 小べんしたる処にあわなきと見え申さば其日の内に必大事来ると心得べし 又淡あると見は 吉日也と心得べし 毎朝心をかけ見る事也
一 朝起点左の手内見ル事
朝起左の手内へつばをはき入れて見るに あわなしと見え申さば必大事くせつあると心律ぺし 又あわあると見え申さば吉日なり 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/12/01(土) 21:25:01|
- 武道史
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今から考えるとずいぶん非常識なことも記されていますが、命がかかっていた時代ですから、このように非常識に思えることも教えられたのかもしれません。
脈にかんしてはよく言われることでいわれある事かもしれません。
一 向朝日かけを見る事
朝起きて朝日にかけを見るに 肩より下がなきか こしより下がなきと見へば 其日の内に大事来ルと心律ぺし 又首より上なきと見へば 其日の内に死と心付ぺし
一 人之所江出人之時心之持様之事
人の蹄所へ参候時は 其家にて大事あるなきを知る事 是は門口にて 小べんをして見る 参てよき時は小べんしたる所にあわ有成べし 又あしき時はあわなきもの也 よるは手の内につばきを入て見る あわある時はよきなり またみゃくを見てうちきれあらばあしきなり
一 毎日朝自みゃく見ル事
あさおきては みゃくを見ル うちきれあらば 其日の内にあしきそうあるべし 又打きれなきは吉日也 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/12/02(日) 21:25:08|
- 武道史
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飲食物に毒があるかどうかを見るには銀を用いるのはよく知られたことです。特定の毒物には科学的根拠もあったように思いますが、毒を盛る人の人相などはほんとかなと思えてしまいます。
帯がもつれるとか脇差が抜けかねるというのは自分の心の状態がおもてにあらわれることをいうのでしょうか。
一 毒かい之事
毒かわれたる時は 我が身わきの下かゆくなるものなり どくかい申人のひたいか はなのうへに あおきすぢが見ヘ申物也 能く能く心得ぺし
一 河渡りやう之事
旅 川なと渡り申候時は かわのはたにて小便して見るに 川の瀬の音我耳へ入て渡りてよし 音なき時は渡り不申なり
一 朝帯もつるゝ事
あさ起て帯もつれば三日より内に大事有と心律ぺし いつれも大事
一 自刀脇差ぬけかねる事
わが刀脇差 をもひよらすぬけかね申時は大事と心得べし 君主などよび候て 出し時は いよいよ心得候てぬき候て見る事弟一なり ぬきかね申時はくせつ大事と心得なり 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/12/03(月) 21:25:35|
- 武道史
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ほろ武者(母衣武者)というのは騎馬武者で、背中に大きな母衣という大きな球形の布をつけている武者の事を言います。布の中は竹かごなどで中空になっているようです。母衣の目的は流れ矢などを防ぐことにあったといわれます。
戦国大名の精鋭の家臣が着用したといわれます。
一 ほろ武者討死見知様之事
敵方よりかけるほろは いかにも ほろきぬ向へいさみかゝる時は 後勢大分有もの也 ほろきぬ後へいさむ時は あとぜいなきものなり いつれも見合様かんやうなり
一ほろ武者高名を見る事
ほろ武者は高名の時は ほろいかにもいさみ申もの也 其後の雲を見るに 青く雲出来ルもの也 ものいふ声もいかにもいさむもの也 いずれも見知様大事也
一 敵味方村がりし時勝負見知ル事
てきみかた入合し時 高名のほろはいかにもいさみ候て ほろ馬のかしらむかふもの也 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/12/04(火) 21:25:50|
- 武道史
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呪文を唱えたり、真言を唱えるというのは、よく各流派の伝書に出てくることです。それによって心が定まればこれにこしたことはありません。修行もせずに、そのような能力が身につくこともないでしょうから。
敵の城や軍勢にのぼる気を見るのは兵学の書にも載せられていることですが、そのような気が上るのを感じられた方もおられるかもしれません。
胸騒ぎというのは誰にでもある事でしょうが、私自身は無理に行って失敗したことは多々ありますので三つ目の文章は納得できることではあります。
一 軍之吉凶之事
軍息□之承軍へ出時 此もん字三べんけんさきにて日に向ひてかさき候て出申ものなり 心の内にて おんみれいたらくたらんそわか と三べんとなへ出申也 又敵の中江入時も右の通なり 万事吉日也
一 軍中に而状有無を知ル事
早中にて大分人数有無を知る事 敵の方にあを雲たちかかり候へは 大分勢有もの也 味オ方同然也
一 むなさわぎ有時之事
気分何となくむねさわきして 心さだまらず時は我身の大事と心得べし よそへ出ぬもの也 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/12/05(水) 21:25:41|
- 武道史
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江戸時代は今の天気予報というものがなかったので、船旅は命にかかわることも多かったようです。
土佐の樋口真吉が四国から九州へ渡った時に台風に合い、以下のように書き残しています。この様子を読んで「一 船乗様之事」を読むと当時の人の船旅に関しての感覚がわかるかもしれません。
廿四日
九ツ半時出船船場岡村新田、宿屋賃を取らず、画二枚を与ふる、海程貮里餘行て吉田の沖、尾浦岬とか云海湾ニ猫(ママ)を投して泊ス、海岸人逢テ夜篝條潮光海ニ満て恰春燐ノ来集ニ似リ、半夜發船風ニ乗て飛行ス、寒月発て升走帆将十里時怪風波俄然として起、浮沈須臾覆さんとす、逆波山よりも高く、颶風南北ヨリ来リ船飄て聊不進、豊後の地高嶋二里餘前アリといへとも行を能わす、天黒の怒波やます、頗進退こゝ江谷る、舟人同行祈神名相號てし、舟子弐人舳ニ居て忙しく帆を拮据、予と五郎舟ニ居る、激波船ヲ撃滌、船中五郎舳ニ退テ波ヲ僻、予壱人船ニ有篷を以て禦撃浪を、数の撃浪乾地一寸もなし、持嚢ニ至まて潮ニ涵ス、可憐、眼前一時の藻藹となり忽魚腹ニ葬られんとす、舟人術なく茫然として運ニ任セ橈を返、夜半未た深々、い豫地九州明かならす、船行七八里にして
廿五日也
漸日の明るを覚ふ、時ニ豫州路近ク見ゆる、其より橈取直し東を目當ニ漕行、浪ハ未安からす、乍浮ミ乍沈ム、兎角して一湾ニ漕付、日巳ニ巳の刻なり、同行初て一居して面を合前時の苦ヲ話シ、舟人飯ヲ炊キ再ヒ生たる思をなす、砂上ニをり衣服ヲ披ケて乾、實ニ一時の奇変也、時ニ漁舟の来ルあり、舟人問云、コノ前ニ当ル浦村ハ何トカ云、漁夫答テ云八幡濱也、因テ又八幡ニ行岸ニ登ル、八幡宮神祭なり、俄躍盛なり、前時ハ海中ニ在シ、今ハコノ歓ヲナス、トモニ奇観と云ツヘシ、庄屋門内ニアル、下代堺屋助次郎ニ宿ス、吉松玄太書翰ヲ出ス、此夜雨降、宇城ヨリ海路十里
一 船乗様之事
船に乗候時 舟場にて右之文字を右のあしのゆひにて土に書候て 其指を左の手の内ににぎり候て舟の内見候ば 乗船破損する時は船頭の首より上なきと見へるもの也 その申すこへもしどろに聞へ申なり※ 「右之文字」とは前述の「おんみれいたらくたらんそわか」
一 敵味方幟見様之事
てき味方のはたもの 大将の傭へを知る内に 其もんを如をき申事肝要なり つねづね大将の紋を知る事 武士のたしなみなり
一 馬けしとむ事
軍へ向馬 まへひさを打敷かけとむ時は大事也 かと出をしかへいづるなり 常の時も同前也
一 散の中遁様之事
南明菩薩と敵の中へ入時 此文を三べんとなへ候て入もの也 常の時も同前なり 貫汪館HPの無雙神傳英信流の行事のページ(←クリックしてください)に大石神影流剱術の演武の写真を載せました。ご覧ください。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/12/06(木) 21:25:02|
- 武道史
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戦陣の中での作法について記してあります。こればかりはおのおのの大名家によっても作法は異なるでしょうし、一番鎗というのは集団戦になってくると個人の高名のための戦闘を否定され始めてもいますので、あまり快く思われない事であったかもしれません。
人の顔を覚えるというのは大事な事であったでしょう。
一 行ちがふ時人を見覚ル事
軍中にて大事の時は みかたを見知る事 内にみかたを見知をよくよく心掛る事弟一なり
一 天下一番槍望様之事
一番槍と申は 城江かけ候て人先へ参り 今日の一番槍はなにがしとなのり申事 左様に心にいさむを一番槍と申なり
一 旗指物入と云事
はたにても 指し物にても 見付竹を入候時は馬乗候て かしらをかがめ候て はたさしものより先へ人申事なり のぼりにても同然也
一 吟味の時甲付之首見様之事
人の取りたる頭のとき 数なりひろいたるものかよく見申事 又子とものくび女首かを見申事也 手前に取りたる甘を何首にても大身の首と数いさむる事 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/12/07(金) 21:25:42|
- 武道史
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戦場では手柄を示すために首を取っていたようですが、戊辰戦争になると、そのようなことは禁止されていたようです。ただし、捕虜の扱いは捕虜という概念がなかったために酷いものだったらしく函館の榎本軍は別として多くは切り捨てられていたようです。
第二次長州征伐では、戦闘において長州川は幕府方で降伏したものは士分の者は打ち首にし、身分の低いものはよい待遇で扱い解放するという心理的な作戦をとっていたようです。
現代人の私たちからすれば首を取ることも鼻を切ることも野蛮な行いにしか思えません。
一手おひ見使の事
味方の手おひ見知り候て 心を付け申す事 大事にて候共すこしと申して 其上心におくれ申さば さたのかぎりと申して心を付申事也
一敗軍の時はなきり様之事
敗軍と云は はや落むしやに成候て 首数を取申時は はなの下ひげ迄切とりて われら数を取たると申してひろうするなり 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。 平成25年2月10日(日)に兵庫県立武道館(兵庫県姫路市西延末504番地)で行われる第36回 日本古武道演武大会のプログラムが送付されてきましたのでお知らせします。小さな画像をクリックしていただくと大きくなります。渋川一流柔術の演武は午前11時18分からです。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/12/08(土) 21:25:31|
- 武道史
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秘極千金之巻の最後です。
物を整理しておくことはいざという時に必要なものを取り出すことができ、大切なことだと思います。30年くらい前、幹部候補生学校にいた時に早朝に非常呼集の訓練があり、「装備品は背嚢と何々と何々、こういう服装で集合」と連絡がありました。与えられていたロッカーは狭いので背嚢などは倉庫に入れてあり、皆取りに行きましたが倉庫のライトがつきません。自然災害があり停電しているという前提の訓練でした。真っ暗な中手探りで装備を探しましたが、かなり苦労したことがあります。
秘極千金之巻の末尾には「全不可有他言者也」とあり他言他見を許さないと解釈できます。よく中山博通に関して細川義昌への起請文に他言他見をしないと記したから言葉を用いて弟子に指導せず弟子は博通の稽古を見て学んだという事が記されていますが、これは免許皆伝でもないものが他言他見をしないという事であって、皆傳になったうえで弟子に教えるのは師として当然の事であり、この秘極千金之巻も当然のことながら免許皆伝者からその弟子の免許皆伝者へと伝えられています。中山博通が指導しなかったのは、その人たちを居合の弟子とは考えていなかったからでしょう。教えられていないのですから、技の解釈に大きな違いが生じるのは当然の事だろうと思います。
細川義昌の記したものには東京に出た折に中山博通不在のために有信館の門人数名(現在、居合関係で名の知れた人はいませんが)の名をあげて何々を指導したと記録してあります。当時は細川義昌から直接指導を受けた中山博通の弟子もいたのです。これは植田平太郎の弟子に関しても同じで細川義昌が香川に指導に出向いたときには植田平太郎だけではなくその門人にも指導しています。
「道を立深く執心する人に大事のこさす大切にせよ」
「師にとわすいかに大事を教へき心をすましねんころにとへ」
一陣家兵具置様之事
人家にて兵具置様と申は 何にても道具はやく取出候様に 内に心を付 吟味申事肝要也
一介太刀打様之事
軍中にても又は常の所にても 助太刀打申時は まず手おひと みかたとのカを候て 其のうちわきにて こへをかけ うたせ由丁もの成 其上みかたまけ候は 罷出刀をすけ申すもの也 すけ太刀といふなり
右武家之重徳雖為秘術
御執心不浅令相伝候
全不可有他言者也 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/12/09(日) 21:25:02|
- 武道史
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稽古道具の良し悪しは確実に上達の速さに関係があるように思います。良し悪しとは必ずしも高価なものという事ではありませんが、居合の感性が低かった方が重量はあるもののバランスが良く銘も良い真剣を使われ始めたら確実に上達し始められました。真剣を使われ始められたころは真剣を用いるときだけ動きがよく、真剣よりも軽い居合刀を用いられるともとの駄目な動きに戻っていたものが、次第に居合刀を用いても真剣と同じように遣えるようになってきました。私には高価すぎて手が出ない銘の刀ですが、それを購入されて本当に良かったと思います。
逆に駄目な道具を用いているとなかなか上達しないようです。私たちは濃州堂の居合刀(模擬刀)を用いていますが、バランスも良く、また私たちの流派の好みに合わせて作っていただけますので何ら不足を感じる事はありません。しかし、以前稽古に来られていた方で濃州堂の居合刀(模擬刀)をお勧めしているのに、何を思ってか自分でどこかから居合刀を購入してきて使っている人がいました。なかなか上達もされないので、手に持ってみるとバランスも悪く鈍重な刀に感じました。
柔術で六尺棒を使う場合も同じで同じ長さ太さであればよいというわけではありません。安ければよいというわけではなく、手に合うしっかりしたものを用いなければなりません。
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- 2012/12/10(月) 21:25:47|
- 居合・剣術・柔術 総論
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形稽古を考えながら行ってはいけないという事を間違って解釈されている方がおられますので記しておきます。
手順を考えながら、動きを考えながら行うと動きそのものがいびつになり、ものに居付いた動きになってしまうので考えながら稽古してはいけないのですが、考えずにというと素早く動いて自分自身に考える時間を与えまいとする方がおられます。しかし、それは素早く動くという事に居付いた動きであって、有効な動きとはなりません。相手がある武術においては相手の状態を無視して技がかかることはあり得ないからです。
稽古のありようを工夫してください。
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- 2012/12/11(火) 21:25:21|
- 居合・剣術・柔術 総論
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居合が上達してきて手首や腕で刀は振らなくなったものの今田臍下が中心となりきらず肩を中心として斬撃を行う時期があります。この状態からさらに上達するために以下の事に気をつけて稽古してみてください。
抜付け後の運剣は心も体も沈め、刀を廻らそうと思うのではなく、臍下を中心に刀が廻るのを待つ心持である事。
運剣後にさらに力を込めて斬撃をするのではなく運剣がそのまま斬撃へとつながる事。
強く斬撃しようとは思わず、刀に任せること。斬撃力が弱いと感じたらますます、体の力みをなくすこと。
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- 2012/12/12(水) 21:25:08|
- 居合 業
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夜太刀は月明かりがない中での心得を形に表したものですから、その理をよくわきまえて行動しなければなりません。
歩む時には音を立ててはならず、足の裏を柔らかく用い地面を踏みしめない事。
刀を抜くときは鞘と刀身があたり音が出やすいので、心して音をたてぬようにする事。
月明かりがない場合でも地面近くからすかして見れば相手のかげが見えるので刀を抜きながら出来るだけ目の位置は下に置くこと。
相手は一人とは限らぬので斬撃の後もごく静かに行動する事。
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- 2012/12/13(木) 21:25:26|
- 居合 業
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五方斬は刀の用い方を練習していますので、只速くと焦って使ってはなりません。速くと焦って刀を使うとは筋が通らなくなり、胴斬り、脛払いの動きも高さがいい加減になってしまいます。
ポイントをいくつか述べておきます。
初めの左右の袈裟斬りは水月あたりまでしか斬り下ろさない事。また右足は右袈裟を斬ったのち一度左足まで戻す事。
左袈裟からの運剣は体の左側を廻剣させて刀を右腰に取る事。この際、股関節を緩め腰は自然に落ちている事。右腰に取った刀の刃筋は水平になっている事。
胴斬りの最中に刀を返すことを考えれば刃筋はくるってしまうので、胴は斬り離す心持である事。
胴を斬り離したのち、ささに股関節を緩めながら刀を返して確実に左腰に水平に取る事。
脛を払った後の運剣は斬り払う動きがそのまま運剣となり右側を振りかぶる廻剣させ振りかぶる事。ただし確実に両脛を払う事。運剣を早くと思うと刃筋が通らなくなる。
運剣後の振りかぶりと斬撃は一連の動作であるため斬撃の前に動きが止まる事はない。
平成25年第1回目の貫汪館居合講習会は
3月17日(日)に行います。講習内容は大小詰・大小立詰、澁川一流柔術御膳捕です。御予定しておいてください。
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- 2012/12/14(金) 21:25:23|
- 居合 業
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抜付けも斬撃も肘が伸びてしまってはいけません。肘が伸び切ってしまう原因は腕で刀を操作したいと思うことにあります。この結果肘を痛めて稽古ができなくなる事がありますので注意しなければなりません。
かといって意図的に肘を曲げてしまうのは力みとなってしまいます。一応の目安を述べますので試みてください。
全身の力みを抜いて建ってください。下半身も上半身も肩も腕も指先までも極力力みをなくしてリラックスしてください。その姿勢ができたら掌を上に向けて静かに腕を前に肩の高さまであげてください。その時の肘の曲がり具合が抜付けや斬撃の肘の曲がり具合です。
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- 2012/12/15(土) 21:25:13|
- 居合 業
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本日は年末恒例の廿日市天満宮奉納演武を行いました。
柔術を稽古される小学生の皆さんは素直で無理無駄のない動きをされ立派な奉納であったと思います。特に最年少のお子さんは演武中竹本師範の目から自分の目をそらすことなく、自分が習った事を素直にそのまま演武していました。この態度は、ともすれば良い演武をしたいと考えてしまう大人が大いに見習わなければならないものだと考えます。
柔術初心者の大人の方達も素直な良い演武をしてただけたと思いますので引き続き、この気持ちを忘れずに稽古していただきたいと思います。
居合の演武においても詰合の演武をはじめ、皆さん素直な良い演武をしていただきました。このまま上達していただきたいと思います。
居合も柔術も力強くとか、形よくという思いが生じたら道から外れていきます。自分自身に気を付けながら稽古を重ねてください。
写真は廿日市天満宮からの風景です。一番下の写真は境内にあるもので、廿日市で幕末に世保流を教えた河内先生の石碑です。物外から免許皆伝も授かっています。大東亜戦争後もしばらく稽古が続けられていましたが失伝してしまいました。
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- 2012/12/16(日) 21:25:45|
- 居合・剣術・柔術 総論
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大小詰は刀で抜付けるわけでもなく、斬撃するわけでもない柔術的な技法であるために難しいと感じる方もおられるかと思いますが、実は素抜抜刀術の形稽古を行うたびに大小詰の基礎は稽古しているのです。それをしているか、していないかは其人次第ですが。
袴捌きを行うとき、無双神伝英信流抜刀兵法では袴の股立ちを両手ですくいます。この時軽い布の重さだけを掬っているのか、軽い布の重さを掬うのではなく掬う動作を必要以上の力を用いて行っているのかによって大小詰の基礎を稽古しているか、無駄にしているかが決まります。
大小詰が苦手な方は自分が袴捌きをどのように行っているかを考えてみてください。そこから見えてくるものがあるはずです。
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- 2012/12/17(月) 21:25:19|
- 居合 業
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柔術を専門に稽古される方の中には間合いの観念が希薄な方がおられます。半棒や六尺棒の稽古を正しく重ねていれば間合いというものがどういうものかはわかり、また太刀打ちなどの稽古をしていけば理解が深まるのですがなかなか稽古時間がとれないようです。
柔術の技が掛かるか掛らないかは相手との間合(距離)にも大きな関係があります。そしてそれは相手と自分との体の大きさや体重、腕の長さなどの関係によって決まり一定ではありませんし、技によってもその間合いは異なっています。適正な間合いというのは色々な方と稽古し、工夫して自得するしかないのですが、自分自身の間合をつかみながら稽古していかなければ会得できるものではありません。ただ手順を繰り返していれば上達するものではないのです。
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- 2012/12/18(火) 21:25:29|
- 柔術 業
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逆刀の二つの斬撃は二通りの刀の用い方を教えているものです。
一撃目は大きく斬る事はなく相手の額を手早く割り込むための斬撃です。この動きは額を割るためであるので刀を斬り下ろす事はありません。また通常の斬撃と違って腰を前に進めながら行いますので、深く斬撃することもできないのです。この動きがどういうものかを知りたければ、左手のひらを右手の手刀でパンと打ってみれば理解することができます。
2撃目の斬撃は通常の斬撃ですので、基本の斬撃通りに行えばよいだけです。
1撃目を通常の斬撃の動きを中途半端に行うことと理解していては上達につながりませんので、よくわきまえて稽古してください。
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- 2012/12/19(水) 21:25:57|
- 居合 業
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早い段階で壁にぶつかる人はその性格に起因する事が多いようです。ではどのような性格の人が早い段階で壁にぶつかるのかというと
生真面目すぎる人、几帳面すぎる人、せっかちすぎる人、です。生真面目すぎる人、几帳面すぎる人は中身も出来ていないのに示されたとおりに形(外形)を作ろうとします。その結果自分で作ってしまった形から抜け出すことが出来ず、どのような状況になっても融通は利かず変化できない状態のままになり、それを打破しようにも決まったとおりに動きたい性格があるので代わる事ができないのです。
せっかちすぎる人は相手にお構いなく自分だけが動こうとしますので相手が崩れ始めてもいないのに勝手に自分だけが動いて技をかけようとします。それは有効ではないとわかってもせっかちな性格が、待つという事をさせません。
このような性格に起因するものは性格から直していかなければならないのですが、早い段階から苦労しなければどうにもなりません。
生真面目であり几帳面であるというのは良い面も多いのですが、すぎれば自己中心的であるということにつながる場合もあり、せっかちというのも世の中が自分のペースで動いてくれると考えてしまう面があります。
日本古武道協会事務局長 山田重夫先生に2月10日(日)に行われる第36回日本古武道演武大会のチラシを送っていただきました。載せますのでご覧ください。小さな写真をクリックしていただくと大きくなります。当日演武する貫汪館の方以外で見学にお越しになられる方はご連絡ください。いただいた入場券があります。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
- 2012/12/20(木) 21:25:47|
- 居合・剣術・柔術 総論
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高根より吹下す風の強けれは
麓の木々は雪もたまらず 「山下風」での当ての動きは柔術的な動きですので、居合のみ稽古しておられる方には難しいものです。
間違われやすい動きは、当てようとして手を上げたときに体を固めてしまい、体を固めたままに当てる動きです。このほうが素人目に力がみなぎっているように見え、また自分自身も力が籠もっている様に錯覚するのですが、それはあくまでも力みに過ぎません。力んだ体は自由に動ける体ではありません。
歌に「高根より吹下す風」とあるようにあくまでも風ですので体は軽くなければなりません。風と異なるのはそこからの当ては体の重みを使うことにあります。工夫してください。
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- 2012/12/21(金) 21:25:36|
- 居合 業
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猛き虎の千里のあゆみ遠からず
行より早く帰る足引 「虎一足」の張受のポイントは受けようとする動作を眼目としないことです。当然、張受をするわけですので、上半身・肩・肘・手の内などは受けるための備えをしていなければなりませんが、それでもやはり大切なのは後方に体を開くことなのです。つまり歌にあるように「行より早く帰る足引」ということになります。
後方に体を開くことによって刀は結果として張受の動作となります。「受けよう、受けよう」として受ければ、体は突っ立ち下肢にも踏ん張る力が働き「行より早く帰る足引」は出来なくなってしまいます。いくら力強く受けたつもり(体の力みを錯覚してそう思う事が多い)でも、相手の刀には完全に遅れてしまいます。
「行より早く帰る足引」というところを工夫してください。
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- 2012/12/22(土) 21:25:11|
- 居合 業
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道標には自分の動きのみを述べることもありますが、この動きは相手との関連性があって初めて生きてくるものです。
相手の意識、相手との間合、相手との位置関係等々自己とのかかわりにおいて変化し続けるものをとらえていて自分の動きは生きてきます。たとえ自分だけが下肢の力を抜いて相手に自分の重さが掛かるようにしたところで相手との間合が遠ければ相手に重さが掛かるわけはありませんし、タイミングが悪ければ自分だけが動いている事になります。このような事は柔術の稽古であれば二人組で行っているので自分の動きが相手に作用しているか、していないかは容易に判断がつくことですし、作用していなければどのような状態であればそれがうまく働くのかは工夫できる事です。
人生で相手にお構いなしに動く癖を身に付け自己満足をしている方は自分の修業であるとよほど覚悟を決めて稽古に臨まなければ上達できないと思います。
久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。 貫汪館ホームページに会報第73号を載せました。お読みください。 数日前に写した庭の木の芽です。上から順番に梅、ポポ、柿の木です。
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- 2012/12/23(日) 21:25:18|
- 居合・剣術・柔術 総論
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昨日、相手との関連性が大切であることを述べましたが、素抜抜刀術の稽古しかしていない方は、昨日述べたような自己満足の動きに終始してしまいがちで、体を力ませて足腰固めては力強いと自己満足したり、さらに強くと思ってタメを作った動きをして自己満足を覚える事があります。
足腰を固めていては自由に働く相手に対応できない事はスポーツをする方なら誰にでもわかる事であり、刀を振り上げてタメを作れば、胴を斬られる事は素人でもわかる事なのですが自己満足の世界に落ちていれば、これにさえ気づきません。
素抜抜刀術ばかりしていたらこのような自己満足の世界に陥りがちなのですが、少し気づきかけた方に対して、「相手を気で抑えているので相手は動く事が出来ないのだ」と指導者なりが教えてしまえば、その方の道は閉ざされてしまいます。『猫の妙術』を読んだ事がある方は、自分の気のほうが強いとは限らないという事はご存知であろうかと思いますが、我師が『武術叢書』を読んでいても、無雙神傳英信流の同門の人たちでさえ、それを読んでみようとされた方はほとんどいませんでしたので、そのような方向に行ってしまうとどうにもならないのかもしれません。
上に述べた事は、では太刀打や詰合を稽古していればそうはならないのかといえば、そうでもなく形を単に決まったパターンとして行っていれば、やはり上記のような間違った方向に行ってしまいます。相手が手順を間違えたときに自分が何事もなかったかのように続けていられるか、それとも動きを中断してしまっているのかで自分自身を判断してください。
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- 2012/12/24(月) 21:25:42|
- 居合 総論
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力みをなくし、必要最低限度の力で動くようにならなければわかることもわかってきませんし、見えるべきものも見えてくる事はありません。
渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生は言葉で説明されず動きで示す教え方をされましたが「稽古を重ねてていれば力みもなくなってくる」と話されました。稽古の時に私の手をとっていただいた畝先生に手は搗きたての餅のように柔らかくどっしりとして重かった事を未だに私の体は覚えています。先生の手は優しくなおかつ、どっしりと包み込むような手の内で、先生の手に取られると心地よくさえありました。私はいまだに先生の手のような動きはできませんし、先生の手を何とか会得しようと稽古しています。
無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は晩年「無重力状態にある刀を横に振っても縦に振っても全く力を必要としない。」と話されましたが、それは力みをなくしてやっと到達できるところにあります。先生の教えに従って稽古をすると今迄力む事に慣れていた私は力まない事に不安でもありましたが、続けることによって先生が話された事が体で理解できるようになりました。
力む癖のある方は力みをなくす稽古を続ける事は相当に不安であると思いますがそれにまけて力んでしまえば何も見えてきませんので努めて行わなければなりません。
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- 2012/12/25(火) 21:25:29|
- 居合・剣術・柔術 総論
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力みが強い人が力みをなくそうとすると、最低限度に必要な(最適な力)まで抜いてしまい体が全く働かなくなる事がよくあります。これまで「1」か「0」かという体の使い方しかしてこなかったからだと思います。
よくたとえるのですが、箸を使い始めたばかりの子供、または箸を使うのが下手な子供の状態を思い浮かべてください。箸をわしづかみにしたり、手に極端に力が入ってしまい箸先が自由に働いてはいません。刀を以て力む方や棒や鎖鎌などを手にして力む方はこのような状態にあります。かといって前述のように最低限度に必要な(最適な力)まで抜いてしまう方は箸を落としてしまったり、箸先で物を取る事は出来ないでしょう。
力みをなくすという事は箸が自由に使えるのと同じように刀を自由に用いたり、六尺棒や半棒や鎖鎌を自由に使うための方法なのです。考え方を間違えてしまうと稽古にはなりません。
貫汪館会報73号がアップされていなかったようですのでアップを確認しました。お読みください。
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- 2012/12/26(水) 21:25:28|
- 居合・剣術・柔術 総論
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平成24年度日本武道学会中四国支部会発表抄録の抄録を載せていきます。中四国支部会は昨年と同じく少林寺拳法本部で開かれ、私は昨年と同じように丸亀で讃岐うどんを食べ丸亀城城を訪れてから少林寺拳法本部に向かいました。
本四架橋と讃岐うどんの写真です。本場のうどんはおいしく来年もまた、食べるのが楽しみです。一つは暖かいうどんと暖かい汁、もう一つは冷たいうどんと冷たい汁です。
廣島藩 自得剣道 村山次郎一の英名録についてⅠ.はじめに
村山次郎一の英名録1)は『剣道五百年史』2)の著者である熊本県の富永堅吾氏の収集文書である。
本研究では村山次郎一の英名録をもとに村山次郎一が廻国した地域においてどのような流派が存在し他流試合を行っていたのかを明らかにし,江戸後期の各藩の剣術の動向に関する基礎資料としたい。
Ⅱ.村山次郎一について
村山次郎一は廣島藩の藩士の名前をまとめた『復刻 藝藩輯要』3)にその名はなく、家督を継ぐ立場ではなかったと思われる。また,英名録で名乗っている自得剣道は廣島藩に関する記録には出てこない。流派としての体はなしておらず個人的に名乗ったか,名乗らざるを得ない事情があったものと思われる。
村山次郎一の名は神道無念流斎藤弥九郎の長男 新太郎が廻国修行をした時の『諸国修行英名録』4)の嘉永元年(1848)2月27日の記録に貫心流の細六郎(2代目)の門人として名が出ており,本来貫心流であった事が分かる。また,細家文書5)の『貫心流剣術免許目録控帖』6)にも嘉永元年(1848)5月朔日の項に村山次郎一の名が出てきており,嘉永元年(1848)には目録迄授かっていたものと思われる。
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- 2012/12/27(木) 21:25:21|
- 武道史
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日本武道学会中四国支部会のホームページを「道標」のリンクに追加しました。このページの左側のリンクをご確認ください。Ⅲ.廻国修行の経路と試合した流派・人数
村山次郎一の廻国修行は4期に分かれている。日付・場所・流派名・師範を除いた試合門人数を各期の下に記した。それぞれが不明なものはこれを省略した。
1.安政5年(1858) 5月~6月の松山藩 新當橋本流
(5/26・松山藩明教館道場・新當橋本流・橋本彌傳次・13人)(5/26・場所・流派名・師範は同じ以下省略・9人)(5/29・7人)(5/30・7人)(6/3・23人)
2.安政5年(1858) 8月~12月
(8/20・紀伊有田領報国忠義撃剣教場・北辰一刀流・[総裁:菊池孫輔]千葉重太郎・15人:内塾生1名)→(8/24~8/28・同国日高郡薗浦新町教場・北辰一刀流・[勧開:岡本孫四郎]千葉重太郎・10人:内塾生1名)→(心形刀流・紀田藩柏木兵衛門人田嶋東作・9人)→(9/12,13・紀州田邉藩・新影流・高田清太夫・心形刀流・柏木兵衛・55人:師範名を連名で記し、そのあとに門人を連名で記してあるため門人の流派名は不明)→(9/18,19・本宮・新影流・辰田丹左衛門 門人目宗ニ・6人)→(9/23・紀州新宮藩・甲源一刀流・張矢良右衛門・27人)→(9/27・紀州・北辰一刀流・千葉定吉・2人)→(北辰一刀流・千葉重太郎・3人)→(10/19,20・南紀廣浦義勇團教場・北辰一刀流・濱口儀兵衛取立海上六郎・4人)→(10/22・北辰一刀流・千葉十(ママ)太郎・10人:内塾生2名)→(10/25・因藩[伏見]・一刀流兼大石神陰流・河田左久馬・5人:内肥後1名)→(11/28・京都所司代・西岡是心流・大野應之助・8人/同日同所同流・吉田故嘉兵衛・8人/同日同所・北辰一刀流・横田佐内・2人)→(12月・一刀神陰流)
丸亀城の石垣は美しいです。昨年も見たのですが今年も美しいと感じました。
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- 2012/12/28(金) 21:25:14|
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久留米道場の稽古記憶が更新されています。お読みください。3.安政6年(1859) 3月~5月
(3/25・大坂[伊賀名張藩]・一刀流・2人)→(同日同所・天真一刀流・一圓俊之助・8人)→(同日同所・[土佐藩士]・3人)→(4/8・摂州尼崎藩・次源流兵法剱術・石原亀三郎・21人)→(4/9・摂州尼崎・源九郎判官流・竹内久治郎 同苗武兵衛・8人)→(4/14・摂州兵庫津九条殿御内・一刀流・長谷川右門・6人)→(4/17・[久留米藩]・津田一傳流・津田一左衛門・3人)→(4/20・西播赤城藩・直心影流・中嶋佐門 預り・27人:内内弟子 4人)→(5/21・播州龍野藩練武場・円明流・脇坂金次郎・22人)(同日同所・無三自現流・故 竹内喜七門人 鳥飼貫之 加集寅介 高見権十郎 取立・34人)(同日同所・心形刀流・水谷虎之助・17人)→(5/22・播州三日月藩廣業館練武場・直心影流・河端老之助・22人)→(5/25・播州山崎藩 藩裏練武場・神蔭流・岩崎又左衛門 秋田貢・20人)→(5/26・播州安志藩・真心影流・古 赤川瀬左衛門・17人)
4.万延元年(1860) 12月
(12/5・長州清末藩・小野派一刀流・菅兵右衛門・19人:内1名 田宮流兼)(同日同所・新抜流・有地八左衛門・10人)
稽古回数 今年の6月からの稽古回数(月曜と土曜:奉納演武含む)は56回でした。中極意に至っていない方の各人の稽古回数を載せますので来年から気を引き締めて稽古するための参考にしてください。初心のうちは稽古回数が少なければ、上達の速度は他の方よりも極端に遅くなってしまいます。また不足してしまえば、あらぬ方向に行ってしまい下達します。指導も困難になってしまいます。できれば週に1回の稽古はしていただきたいと考えます。勤務の関係で稽古回数が少なくなってしまう方は一人稽古を欠かさず行ってください。その稽古もただ行ったというだけでなく、一人稽古の成果が道場で分かるレベルの稽古が必要です。
子供の初心者や小学校4年生以下は希望者には月曜の稽古に参加していただいていますがそれ以外の方は週に1回の稽古しかないのですから、極力、毎週稽古に参加するようにしてください。
大人(全56回)
H 32
M 13
N 22
N 31
I 22
T 22
N 9
子供(全56回)
Y兄13
Y妹14
N 19
M兄21
子供(初心者or小4以下)
M妹20
Ma 16
Mi 20
T 6(11月から)
丸亀城から見る景色です。昨年も見たのに飽きません。いい立地条件のお城で全ての周囲が遠方まで見渡せます。
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- 2012/12/29(土) 21:25:38|
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貫汪館HPの渋川一流柔術と無雙神傳英信流抜刀兵法の行事のページに廿日市天満宮奉納演武の写真を載せました。ご覧ください。なお澁川一流の演武写真は(1)と(2)の合計18枚載せています。Ⅳ.まとめ
1.複数の流派名のあとに門人を列記した藩
本英名録では紀州田邉藩において新影流 高田清太夫・心形刀流 柏木兵衛のあとにどちらの流派の門人かわからない形で門人名が列記してある。紀州田邉藩においても試合や,稽古に関して流派の垣根が低くなっていた可能性がある。
2.塾生のある流派
紀伊有田領報国忠義撃剣教場と同国日高郡薗浦新町教場,場所不明の千葉十(ママ)太郎の門人の道場には塾生がいる。いずれも北辰一刀流であり防具着用の剣術の先進的な流派である。
3.指導者が明確ではない道場
2.に述べた紀伊有田領 報国忠義撃剣教場と紀伊日高郡 薗浦新町教場,10月 22日に試合が行なわれている道場の流派は北辰一刀流であり千葉重太郎が師範となっている。このうち報国忠義撃剣教場は総裁として菊池孫輔の名が記されており,薗浦新町教場では勧開として岡本孫四郎の名が記されている。江戸からの遠隔地に千葉重太郎が直接指導に来る事はなかったと考えられ,また千葉重太郎以外に師範の名が記されていないことから北辰一刀流の免許皆伝を得たものがいなかったものと考えられる。「総裁」「勧開」がどのような立場にあるものであったか,また,どのような稽古方法がとられていたのか今後明らかにしたい。
桜が咲いていました。昨年はどうだったか記憶にありません。
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- 2012/12/30(日) 21:25:56|
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4.河田左(佐)久馬の流派について
河田左(佐)久馬景与(1929~1897)は鳥取藩士で尊皇攘夷運動に関与し,明治維新後は鳥取県令や元老院議員・貴族院議員を務めている7)。河田は剣術は家伝の一刀流を祖父および祖父の没後に奥野左蔵に学び,維新後の明治16年(1833)には山岡鉄舟らとともに宮内省の道場である済寧館の御用係となっている8)。
大石神影流の『諸国門人姓名録』には河田左(佐)久馬が長府の大石進の門人である多賀虎雄に学び,さらに2代目の大石進が在坂中に大石進にも入門したことが記されているが9)、これまで刊行されている書籍には河田左(佐)久馬と大石神影流の関係は記されておらず判然としなかった。村山次郎一の英名録によって河田左(佐)久馬が「一刀流兼大石神陰流」と名乗れるほど大石神影流を修行していた事が判明した。
註
1)熊本県立図書館 富永家文書
2)富永堅吾,『剣道五百年史』,百泉書房,1972
3)林保登,『復刻 藝藩輯要』,芸備風土研究会,1970
4)氷見市教育委員会蔵
5)広島県立文書館 細家文書: 幕末に広島藩で3代にわたり貫心流を教授した細家の文書
6)貫心流剣術の免許目録の控であるがすべての記録があるかどうか不明
7)『鳥取藩士第1巻 世家・藩士列伝』,鳥取県立鳥取図書館,1969
8)山根幸恵,『鳥取藩剣道史』,渓水社,1982
9)『大石神影流『諸国門人姓名録』について』,森本邦生,日本武道学会第40回大会発表資料
上から2枚の写真でお城のほぼ360度の周囲が写っています。3枚目はお城のそばから海に目をやって写してみました。
お城のおばちゃんのギャラリーです。ご自身が描かれたはがきの大きさの絵を無料で分けてくださいます。絵に書かれた言葉も素敵です。また絵を持ち帰るための手作りの手提げの布製の袋もくださいました。下の写真は昨年いただいた絵です。葉書の裏には頂いた日付を記していただけます。今年いただいた絵は次男のこれからの人生にふさわしい言葉が書いてありましたので次男にお土産にしました。何枚もある物の中から選ばせていただきます。週に3日、午後からおられるようです。土曜日にはいらっしゃいます。
写真に写っている男性は皆さんが御存じの方です。偶然、ここで出会いました。
年の終わりに今年増えた家族が自己紹介します。はじめに、おねえちゃんからです。
名前は森本ミイちゃん。5月19日にお父さんの家族にしてもらいました。大牟田の道の駅「花ぷらす」に居ましたが冬の寒さが厳しく春になっても体力が回復せず、もう駄目だと思っていた時にお父さんに車に乗せられ広島に連れてきてもらいました。
初め、お父さんがどんな人かわからず自動車の中をうろうろしていましたが、最後は自動車を運転するお父さんのお膝の上に座らせてもらいました。広島についてすぐに連れて行ってもらったところが松村動物病院で、優しい女性の先生に診てもらいました。治療は2か月近くかかりましたが、今は元気です。先生は私が5歳くらいだと言っていました。
寒いのが嫌いで、今はずっとベッドの中で寝ています。お父さんが道場から帰ってきても1階でパソコンをしているときには、寂しいので呼びに行きお部屋の前で声を出します。するとお父さんが出てくるので2階へ走って上がります。お父さんが追掛けてくれるので楽しいです。10回くらい追いかけっこをしてもらう事があります。
時々、お父さんと一緒にお風呂の湯船に入って温まります。
私はおとなしい性格なのでお家に来る人にいたずらはしませんから安心してください。
次は妹です。
名前は森本すみれちゃん。11月24日にお父さんの家族にしてもらいました。本当に小さかった頃、9月頃に一度お父さんに遊んでもらった事があります。ミイ姉ちゃんは道の駅に居ましたが、私は道の駅の裏の公園にいました。お父さんが大牟田で大石神影流の演武をする前の日に遊びに来てくれて、私がついていったらそのまま抱っこして車に乗せてくれました。お母さんと早く離れ離れになったので抱っこは大好きです。抱っこされると気持ち良くて、そのまま寝てしまいます。その夜はお父さんは私のためにホテルに泊まらずに寝袋で車の中で寝てくれたので、私も寝袋の中に入れてもらいました。
松村動物病院の男の先生は私が5か月くらいだと言いました。
いたずらが好きなのでミイ姉ちゃんにちょっかいを出しては、叱られたり、無視されたりします。ミイ姉ちゃんはいつもベッドの中にいるので、お父さんが帰ってきたらお父さんに遊んでもらいますが、乳歯で思いっきり噛むと「痛い」といってしかられるので、最近は強く噛むのはやめました。
ベッドで寝るのが嫌で、お父さんのお布団の中に入れてもらっていましたが、お父さんが寝返りを打つとつぶされてしまうので、最近はベッドに入ることもあります。私のベッドもミイ姉ちゃんのベッドもお父さんのベッドの上にあります。寝るときはみんな一緒です。
お風呂は嫌いで、いつも大きな声で泣いてお父さんを困らせます。だけど、今日初めてミイ姉ちゃんと同じように湯船につかりました。初めは怖かったけど、温かいのが気持ちよくてお父さんの腕の中でついうとうとしてしまいました。
おうちに来る人は、ついつい噛んでしまうかもしれないので気を付けてくださいね。
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