古武道を稽古する人にとって流派の伝書には特別な意味がありますが、一般の人にとっては江戸時代のものであっても古いものとしか認識されないことが多いと思います。したがってそれほど大切なものとは思われません。ひどい場合は紙切れ扱いです。
しかし、一般の人が考える紙切れには物語があります。小城藩の膨大な新陰流の史料群の後ろには柳生但馬守と小城藩、さらには幕府と小城藩とのつながりの大きな物語があります。小城藩の新陰流の史料群はそれを証しています。大石神影流は幕末の流派ですので各地に残された伝書はそれほど多くありませんが、それがいつ発行されたものかで物語がそれぞれ異なっています。天保11年以降のものであれば大石種次が江戸で水野忠邦の引立てを受けてさらに名が上がったのちに藩命を受けて大石のもとに遊学したという物語があるかもしれません。天保3年から10年までのものであれば、大石進種次の江戸での試合を聞き、藩の許しを受けて大石のもとへ遊学したという物語があるかもしれません。
古いものにはその物が持つ価値だけではなくそれぞれの物語があります。その物語を語れれば大切に思う人も増えるかもしれません。ただしきらびやかに虚飾されたイメージやインチキな物語を語れば、ますます価値がないものとされる可能性もあります。
- 2021/11/01(月) 21:25:00|
- 武道史
-
-
残心は心の問題ですが、はっきりと形に現わしたのが無雙神傳英信流の逆刀の二撃目の後の上段です。これは形の上で上段にとるせいか、「どうだ」という間違った心持で上段にとる方もおられます。二撃目の後の上段はいつでも、またどこからでも斬撃することができる上段ですので、「どうだ」という気持ちにはなれません。「どうだ」という気持ちで上段にとられる方はその形を作ろうとされますので、動きの途中で斬撃したり体をかわしたりすることができない上段です。自分の動きの最中に倒れた敵が足を薙いで来るかもしれませんし、刀を投げてくるかもしれません。外形を求めれば異なったものになってしまいます。
- 2021/11/02(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
『五輪書』の一説です。
世間の人毎に兵法の利をちいさくおもひなして或ハゆびさきにて手くび五寸三寸の利をしり或ハ扇をとつてひぢより先の先後のかちをわきまへ又ハしなひなどにて、わづかのはやき利を覚へ 「しなひ」(この当時は袋撓)で速さの利を覚えることを否定していますから、その当時でも「しなひ」を刀の代わりに用いるものとしてではなく 「しなひ」を「しなひ」として用いてその速さで優劣を考える人たちもいたのではないかと思います。そのあとに次のような文を書いていますので。
我兵法におゐて数度の勝負に一命をかけてうち合生死二つの利をわけ刀の道を覚へ敵の打太刀の強弱を知り刀のはむねの道をわきまへ敵をうちはたす所の鍛練を得る 防具着用の竹刀での稽古も同じです。もし防具を着用しての竹刀の使い方が大石神影流の手数の使い方と異なり現代剣道のような動きになっていたらそれは大石神影流とは言えません。心しておかねばならないことです。袋撓や防具を着用しての竹刀の使い方が手数(形)とかけ離れたものになっているとすれば、いくら立派なことを言っても流派を何も身につけていないということなのです。
- 2021/11/03(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
まじめに稽古することは非常に大切なことです。ですが真面目さ、生真面目さが時に上達の邪魔をすることがあります。
かつて習った他武道・他流派の教えをまじめに大切にしていたら新たなものは入ってきません。また動きは捨てることができたとしても、考え方を大事に取っていてはこれもまた新たなものが入ってきません。
同じ流派を稽古している場合にも当てはまることがあります。初心者のとき、少しでき始めたとき、さらに上達しかけたとき、それぞれの段階に応じて教え方は異なってきますが、全くの初心者のときに教えられたことを忘れられなければ、その上の教えは入ってきません。まじめなことは大事なのですが、くそ真面目は時に上達を妨げます。
- 2021/11/04(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
武道とはあまり関係のない話です。
アメリカのテレビドラマを見ていたらある病院の医療関係者が今から手術を受けようとする人の家族に「休暇中の○○先生を探して手術をしてもらった方が良い。私ならそうする。」と話していて、そのドラマではそのようにして無事手術は成功し、手術を受けた後も回復がスムーズでした。日本も外国も外科医に関しては変わらないのかと感じました。
私は若いころにはは入院したことすらないのですが初めて入院して手術を受けたときにはそのような知識もなく、後から考えると最悪の医師に当たってしまいました。「私が執刀します。」とあいさつに来たときに悪い予感しかせず「ほかの人にしてほしい。」と言いたかったのですがそういうわけにもいかず、そのまま手術でしたが最悪でした。いまだに尾を引いています。
ほかの部位を痛めたとき、たまたま武道学会に来ておられた全日本の剣道チームのトレーナーの方に武道学会でお世話になっている方を通じてその動きを見ていただきました。「その程度動くならばむしろ地方では手術を受けないほうが良い、手術によって動かなくなる場合がある。」というアドバイスももらいました。時間的に余裕もあったので医師を探し、友人に紹介され高名な医師の手術を受けることができました。その分野に初めて日本に内視鏡手術を取り入れ、国内外の医師を指導しておられ、私が診察を受けたときにはいつも数人の外国人の医師が診察室にいてその医師の診察を学んでいるような医師です。本当は紹介状もいるのですが私がしていることをお話しして、飛び込みでも手術をしていただけることになりました。手術後はトレーナーの方に心配していただいたようなこともなく快調です。
外科医だけはしっかりした方に手術をしていただかなければならないと実感しています。
- 2021/11/05(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
昔、剣道、居合道、杖道を長い間稽古して今は稽古していない方とお話したことがあります。剣道では打った後に向へ継ぎ足で抜けていくのに居合ではそのような動きがないことを不思議に思っておられました。剣道の先生からは江戸時代にも押切だったので、今行っている剣道の動きは江戸時代からのものだとも教えられたそうです。
今の防具をつけての剣道の動きがある形をする流派を見たいと思いますが、みたことがありません。その剣道の先生が創作された話であったのか、実際にあったことなのか。確かめようもありません。銃剣道も旧軍の先生方に教えられた稽古と今行われている稽古は異なります。競技化が進んだということだと思いますが、記録しておかなければ今の動きを昔の人もしていたということになるでしょう。
- 2021/11/06(土) 21:25:00|
- 武道史
-
-
「泣いて馬謖を斬る」の意味はご存じだと思いますが、組織運営をする上では常に頭に置いておかなければならないことだと思います。
たとえその組織に古くからいる人である程度の実績がある人であっても、一度ならず二度三度と自分の勝手な考えで組織にダメージを与えることをし、それを何とも思わず、また、組織を考えずに自分を優先する人は改まることがありません。そのままにしておくと、その組織にいる真面目な人、努力している人、何も知らない初心者の人に被害が及びやがて組織は壊滅的な打撃を受けます。そして大きな損害を与えておきながら責任を転嫁して自分はしれっと無傷のうちに去っていきます。
やさしさ、慈悲の心は必要ですが、その心がより多くの人を不幸にしてしまうことがあります。私は「泣いて馬謖を斬」らなかったことが災いし何度か危機を迎えています。いろいろと体験してきました。
- 2021/11/07(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
人の目は後ろをみるようにはできていませんからどうしても後ろには隙ができやすくなります。特に前に進んでいき左右の安全を確認したときには通ってきた後ろには隙ができがちです。また、人の目は上が見えるようにもできていませんので上方には隙ができがちです。後ろに比べて上はさらに隙ができやすいと思います。
見知らぬところへ行ったら自分を中心に意識を球体に広げる稽古もしてみてください。
- 2021/11/08(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
書籍によって歴史が歪められて実蔵が目に入らなくなってしまうのはよくある事です。武道学会での発表と一般の方が読む武道関係の書籍に書かれていることは異なることがありますので、史実ではない虚像が独り歩きします。武道学会の論文にも間違いがある事もあり、その他の論文にも間違いがある事があります。
『十九世紀における日本体育の研究』は今村嘉雄先生によって記された非常に参考になる本ですが、大石進に関して次のようになります。
彼ははじめ神影流を学んだが、同流が面、籠手だけの防具をつけ、袋竹刀をもって試合することを不満とし、胴も攻撃の部位に加え、鉄面・腹巻・合手の内(籠手の内)を作り諸手突・片手突・胴斬りの工夫をし、五尺三寸以上の長竹刀を使用した。彼は添付年間に江戸に出て他流に挑み、殆んど彼に適する者がいなかった。身長七尺と称せられていたから、彼にとっては、五尺余の長竹刀も必ずしも長くはなかった。しかし彼と相対した諸家は自信の身長体力を無視して、大石と殆ど同寸の長竹刀を使用するようになった。
ここまでは、大石進種次の身長も書き、それに応じた竹刀の長さであったことなどを記していて、竹刀の長さだけを強調する多くの書籍に比べて、正しく書かれていますが、その誤に以下のような記述が出てきます。
大石の長剣術は槍の刺突と刀剣の斬撃とを一器に求めた点、一個の創意には違いなかったが、槍としては短く、剣としては長すぎるうらみがあった。加えて槍術が既にその長さの利を改質しつつあった時代に、剣術の槍の長さの利を求めたことは、むしろ時代錯誤のそしりをまぬかれない。 上記の部分は、先述した「彼にとっては、五尺余の長竹刀も必ずしも長くはなかった。」という部分と矛盾しています。大石神影流では身長に応じた長さのものを使い身長が高いものは高いなりに低いものは低いなりのものを使うことになっているということまで調査することなく、大石神影流は全員5尺3寸の竹刀を使うと思っていたのだと思います。
「大石の長剣術は槍の刺突と刀剣の斬撃とを一器に求めた」ともありますが、大石進種次は刀の切先は突くように作られているのに試合に突き技がないことに疑問を持って試合に突き技を取り入れたのであって、槍の技を取り入れたわけではありません。また、今村嘉雄先生が剣道だけでなく諸流の剣術の形を見ていたら突き技が剣術にあることを知っていたはずですから、「槍の刺突と刀剣の斬撃とを一器に求めた」という発想が出てくるはずはないと思います。というか剣道の先生なので現代剣道の試合や形からだけでもわかるはずです。
東京教育大学の教授によって書かれた書籍にも間違いがあるくらいですから、売るために書かれた書籍は猶更です。このようにして、一般の人は書籍によって間違った知識を持っていきます。
- 2021/11/09(火) 21:25:00|
- 武道史
-
-
「慎む」という言葉は死語になったのかもしれません。武道の世界でも慎めない人がたくさんいます。それを言ったら斬られても仕方がないだろうということでも今の時代は斬られることがないので平気で口にできます。嘘でもまことしやかに言うことができる時代です。
何のために武道の稽古をしているのかを考えればどう行動しなければならないのかがわかるのですが、武道が自分を売るための手段であれば慎むことはマイナスになるのでしょう。
- 2021/11/10(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
私の場合は居合の師に恵まれるまでまさしく3年かかりました。先生の業を拝見したのはそれよりも随分前で、古武道の経験もないのに「本物を見た。」と感じました。中学生であったので行動できる範囲も狭くその時には師事することは出来ませんでしたが、のちにさらに強い結びつきを得ました。縁であったのだと思います。
柔術の師には居合の先輩によって巡り合ったのですが、師に挨拶してから大学や仕事の関係もあって広島に帰ってから稽古を始めることができました。
剣術の師には出会うまでに30年以上かかりました。良師に恵まれました。30年以上求め続けていました。最後に出会った古武道の師ですが、それまでに習っていた居合、柔術と一つも違和感なくすべてが結び付きました。
業だけでは絶対にダメ、心がたとえ悪魔であっても業は使える人はいます。もっとも業もなく、心は腐っていて、しかしながら良師を装っていて広報活動も上手、知識も偏った知識は豊富という人もいます。こういう人に一般の人は騙されます。
業と心を兼ね備えた人に会う前に焦って上記のような人に師事したら、そのような方向にしか行けません。
たとえ良師であっても自分に合わない流派もあり、また指導方法や性格が合わない場合もあります。このように考えると、「師を選ぶ」といっても自分の方向性やありようが大切で、そのうえに縁が存在します。自分が何をしようとしているのかによって良縁も悪縁もあります。もっともほかの人から見たら悪縁でも、本人が自分自身でわからないうちにその方向を目指しているなら悪縁ではなく、その人にとっては良縁なのかもしれません。
- 2021/11/11(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
口から出た言葉が自分に返ってくるのはよくある事です。世の中で起こっていることを批判したつもりが、実は自分に当てはまっているのです。武道の修業には魔が入ってくることが多く、少しできるようになったら他者が気になり批判をし、段位などが高くなったら自分自身が他者よりも高いところにいると錯覚して他者を批判しということがよくあります。とくにSNSが発達した現代では簡単に思ったことを公にできてしまうので、よほど心しておかねばなりません。
書く前に前によく考え、書く前と書いてから公表する前にもう一度考える態度を持った方が良いのかもしれません。
- 2021/11/12(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
広い世界では様々な考え方の人がいて武道に関する伝統的な日本の考え方が通じないことが多々あります。これまでで一番驚いたのはとある国の空手を教えている人物からのメールによるコンタクトでした。ファーストクラスの飛行機で招待し五つ星のホテルに滞在させるので、その国における貫汪館の3つの流派に関する権限を全て与えてくれというものでした。当然断ったのですが、「〇千万円で、また毎年〇百万円を・・・」と答えればよかったのかもしれません。そうすれば今の高額の運営に関する赤字を脱することができました・・・。
その人のウエブサイトを見たのですが、その人が指導している空手の流派はある日本人がある流派を習って独立して自分の流派を作り海外を中心に教えている流派でした。収益を得るために作った流派のように感じました。ひょっとしたら、コンタクトしてきた人が住む国の考え方ではなく、その日本人が教えた考え方なのかもしれません。
- 2021/11/13(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
武道は他との係わりの中に存在します。人と人、大きく言えば人と自然との係わりです。このかかわりは一方的に自分がこう思うと主張してもだめで相手がそう感じていなければなりません。自分が口論しているわけではない、敵対しているわけではないと思っていても相手が口撃されている争われていると感じたら、それは自分が思っていることとは異なります。その関係性が見えずに自分はこう考えている、冷静である、争ってはいない、あなたの勘違いだと思ってもそれは一方的な思いとなってしまいます。そのような状態になることは武道をしている人間にとっては良くないことです。2者の間は上記のような状態が起こったら自分の未熟さを思わなければなりません。調和が失われています。
第三者が一方的に攻撃されているときにそれを守るということはあるでしょう。また、始から意図的に自分が優位に立とうとする相手もいるでしょう。悪意がある相手であれば初めからその対処をしていかなければなりません。それが稽古の応用です。どのように対処するかは稽古に照らし合わせて実際に活かしてください。
以前は武道をする人間にそのような悪意を持った者はいない、相手よりに上に立とうとする人間はいないと思っていましたが、むしろ逆ではないかということも見えてきました。武道をする人間。高段者や地位の高いものになればなるほど、そのような人間の割合が高いように感じます。むしろ相手が武道をしている場合には気を付けなければなりません。一見紳士です。決められたパターンで対応してきます。その奥にあるものを見抜いてください。
- 2021/11/14(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
物事が順調で勢いを感じているとき、魔に魅入られることがあります。これまでにどのような状態を見たかをいくつかお話します。
良くないものに縁ができ深入りして信奉し抜けられなくなる。その人にとっては素晴らしい人に見えているようなのですが、見える者から見たら外側だけ見事に見せるペテン師です。そのようなものに縁ができ、自分自身のレベルはそこにとどまりやがて駄目になっていきます。
人に裏切られる。これはありがちなのですが順調で勢いのある人にはそれにあやかろうとする人物が現れます。
そのような輩の目的は自分が利益を得ることなので平気で裏切っていきます。また、はじめはそのような目的ではなくその人が持っている者を学ぼうとしてやってきた人であっても、自分も偉くなったような気がしてそれを自分の力で得たものだと勘違いし裏切ります。
本当に魔に魅入られるとしか思えない例ですが、事故が起こったり、病気になったりすることもあります。
そのような事態にならないためには、日々至らぬところに気づき、人間関係も慎重に付き合う人を選び、下手な慈悲の心を持たず斬るべき縁は切り、本当に大切にしなければならないものを大切にしなければなりません。最近、そのようなこともあると注意したにもかかわらず、魔に魅入られ、本当は切るべき縁であるペテン師のような人物との結びつきを自分にとって至上の縁だと思い込んでいる人もいます。そのような状態になったらどうすることもできません。信じている者を否定されると人はますますかたくなになります。
- 2021/11/15(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
古武道の流派名を商標登録にしている流派があります。流派名を商標にする場合の考え方は二つあるようです。
一つ目は自分のところだけで流派名が使えるようにし、他には流派名を使わせない。こういう考えだと歴史を無視した考えだと思いますが現在の法律は武道の流派名を商標として登録できますのでいかんともしがたいものがあります。たとえば大石神影流は大石進種次が称しましたが、大石進が他藩から遊学してくる武士で熱心で実力のある者へは免許皆伝を出したので、かなり多くの藩で稽古されていました。しかも家元制はとっていないので各藩で独立して稽古が行われています。こういった場合に、どこかが商標登録をしたら歴史的にはおかしなことになります。現在でも少しだけ稽古された方なら多くおられますがそのうちの誰かが商標登録したら私たちは稽古できないことになってしまいます。このような考え方を持つ方は自分の利益しか考えられないのだと思います。
二つ目は商標登録することによって自分たちが稽古できなくなることを防ぐという考え方です。そういう考えを持たれているところは他で同じ流派名を用いておられても訴訟を起こすということはありません。一つ目の考え方を持つ人たちへの対抗策です。こういった考え方を直接聞いたことがあり、なるほどと思いました。
二つ目の考えを取るにしても会員が多くあり、お金がなければどうにもならないことです。
- 2021/11/16(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
今の時代はお手軽で簡単で短期間で習得できるものが良いものと考えられる傾向があります。礼法や歩き方斬撃の稽古に数カ月かけてそれから形稽古という従来の方法を取っていたら敬遠されてしまうものかもしれません。『五輪書』にあるように
此道の達者となり我兵法の直道世界におゐてたれか得ん又いづれかきはめんと、たしかに思ひとつて朝鍛夕錬してみがきおほせて後獨自由を得おのづから奇特を得通力不思儀有所是兵として法をおこなふ息也
ということを要求されたら、はじめからやる気も失せるのかもしれません。難しい時代です。
スポーツのようにそれぞれの競技に合った体の資質を持っていなければ上に行くことは難しいというわけではないので誰でもちゃんと稽古していけば上達するのですが。
- 2021/11/17(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
宝暦13年(1763)4月9日、村上傳次左衛門が柳河藩に草刈傳五という浪人の仮住まいを申請しますが、藩は許可しませんでした。宝暦13年には岡藩浪人であった村上傳次左衛門も正式に柳河藩士となって10年近くたっています。また嶋原藩浪人が柳河にやって来て柳河藩士と試合を望み、村上傳次左衛門がこれに対処して10年くらいたっています。
この草刈傳五がどういう人物であったかは全くわかりません。考えられるのは草刈が村上と同じ岡藩浪人でり、縁者であったか、廻国修行者で柳河藩に滞在して村上に師事したかったかであろうと思います。村上傳次左衛門の名は試合を受ける者としてこの当時知られていたのではないかと思います。試合といっても真剣や木刀ではなく、大石進種次が記しているように袋撓であっただろうと思います。時代劇(死語になりつつありますが)のように命をとしてのものではなかったはずです。草刈傳五もまた村上傳次左衛門と試合をして弟子になることを願ったのでしょうか。
その後草刈傳五はどうなったのでしょう。廻国修行者であれば、またどこかへ修行に行き、稽古しているはずです。何か手掛かりがあればよいのですが・・・。大石神影流の歴史には関係はなく小説の題材になりそうな話です。
- 2021/11/18(木) 21:25:00|
- 武道史
-
-
嶋原藩浪人黒木四郎太は釼術者ですが、宝暦の初めころ柳河藩にやってきて、柳河藩で師範になろうとして誰か柳河藩士で試合をする者がいないかとしていたところ、村上傳次左衛門がそれに応じました。試合の内容は記録にないものの、その時の村上傳次左衛門の働きに藩主が御満悦であられたと記録に残っています。試合の内容が良かったのでしょう。
その後の黒木四郎太の動向が気になります。柳河を去ったとしてもどこに行き何をしたのでしょうか。この試合のとき村上傳次左衛門はまだ岡藩浪人という身分であったと思っていたのですが、どうも柳河藩士となっていたようで藩士の身分で浪人と試合したことになります。藩の許可を得ていたのでしょうし、柳河藩の威信がかかった試合であったでしょう。
九州では関東地方であまり他流試合をしていない頃でも、わりと頻繁に行われていたようです。袋撓の試合であれば死人は出ず、けがをしても大怪我にはならないので、あったことなのでしょう。以前も述べましたが稽古をつけていただくという姿勢で他流派の道場を訪ねて他流試合をしていたようです。
- 2021/11/19(金) 21:25:00|
- 武道史
-
-
明治の剣道範士辻新平は小城藩の心形刀流師範永田右源次の実子です。辻家へ養子に行ったために辻という名字に代わりました。小城の辻新平が住んでいたところへ行ったこともありますが城下から離れた田に囲まれた土地でした。
ある人物の廻国修行の英名録の嘉永5年7月の記録に次のようにありました。
同藩
江添門人
心形刀流兼
永田兎源次
門生
先川二之助 このころに、永田右源次は小城藩の心形刀流の師範になったのだと思います。江添というのは小城藩の大石神影流師範江副兵部太夫のことです。以前述べたように永田右源次は防具着用の剣術の試合は大石神影流で練っていたことになります。当然子の辻新平も大石神影流の試合を学んだことになります。
- 2021/11/20(土) 21:25:00|
- 武道史
-
-
大石進を関東地方で撃剣を盛んにした農村地帯の在郷武術家と同じようにとらえる書籍も研究もあります。士分ではない、または軽格の士であったので旧来のやり方にとらわれず、自由に他流試合もし、防具・竹刀を改良し試合技術に突き技や胴切りの技を取り入れることができたのだとする間違った認識です。確かに大石家は城下には住んでいませんでしたが柳河藩では城下に住んでいない武士も多くいたのです。
大石家は関ヶ原の戦いの後に改易されたとき、熊本藩の加藤清正にすくわれて加藤家に仕えました。このように加藤家に仕えた旧家臣は立花宗茂が柳河藩主となった時に帰参を希望しました。しかし奥州で召し抱えた家臣もあり、禄を与えることができないので横須の地を開墾させ、これを与えることにしました。28名いたといいます。大石家もその一員でした。その後開墾した地をそのまま与えられ、のちに大石家は宮部の地を与えられています。
これとは別に一度城下集住を進めながらも、希望して直接農地経営を希望する武士にはそれを許したようです。柳川古文書館の学芸員さんに教えていただいたところでは「城下に住めば出費がかさむけれども、在宅(農村地帯に住む武士は在宅と呼ばれています)であれば実入りも多いから在宅を望む武士もいた。」ということだそうです。大石進種次の弟子には農村地帯で直接農地経営をした武士が多くいます。武士以外には百姓はおらず、庄屋、寂城寺、神主といった身分の者がいるくらいです。また城下の武士に教えるには、馬に乗って柳川城下に泊りがけで出かけ、教えていたようです。城下の武士や足軽も『諸国門人姓名録』には記されています。ちなみに柳河藩では足軽も士格の者とは別の日に藩主の上覧を受けていました。
柳河藩の特殊性もあるのですが、大石進種次を在郷武術家として扱うのは間違いです。他の師範と同様に定期的に大石一門も藩主の上覧をうけ、家老の大改めをうけています。こういうところも知られなければならない歴史です。
- 2021/11/21(日) 21:25:00|
- 武道史
-
-
以前は10年ひと昔といいましたが今はどうなのでしょう。
指導者が気を付けなければいけないのは、この10年ひと昔です。自分の時代に経験しているからというつもりで指導しても歳の差があり経験が異なれば通じないことがあります。
日本武道学会の軽米先生の発表抄録にこのような文がありました。
しかし、日本古来の運動文化といえども、現代社会に生きる我われにとってその動作や技術は非日常的なものが多く、他の運動競技と比べるとかなり異質であるといえる。
たとえば、剣道で最も多用される足遣いに「送り足」があるが、この足遣いは常に右足が前、左足が後ろになるものであり、日常生活では経験し得ないものであろう。また、競技者の利き手がどちらの手であっても、竹刀を握るときは右手が鍔元(前)、左手が柄頭(後)を握る様になっている。
いずれにせよ、我われの日常生活とはかけ離れた動きが多く、剣道における技術習得の難しさはこの点に求められるのではないだろうか。 私は父の実家が農家でしたので子供のころに手で田植えをし、鍬を使って畑を耕しました。田植えをするときには半身で右足前、鍬を持つときにも半身で右手前で左手は鍬の柄の端の方、後ろに下がりながら継ぎ足していました。大石神影流を始めて大石先生に教えていただいたときには大石神影流は鍬を持つ動きと関係しますと教えられました。半身になって、力ではなく鍬の重さを落とし、また、畝を作るとき土を鍬で放る時の手の内が「張る」時の手の内です。
このような経験をしたことがない人に、そのような教え方をしても、今の若い人たちには軽米先生が言われるように「我われの日常生活とはかけ離れた動き」なのですから、教え方も工夫しなければ伝わりません。私たちの世代は日常生活の中で基礎を養っていましたが現代の若い人たちの多くは知らないことです。伝えるのが難しい時代です。
- 2021/11/22(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
人は中途半端な知識が少し多くなってくると語りたくなります。これはほとんどの人に当てはまるのではないかと思います。良識のある人は自分の知識は不完全なものとして話しますが、自分は他者よりも知っていると思っている人は自分が真実を語っていると自信をもって話します。
常々お話ししているように他流派のことは語るべきではなく、知っていたとしても外に出すものではありません。他流派の人と親しくもないのに、その人を語ったり、その人の流派の良し悪しを語ったりはすることではありません。それによって第三者が道に迷ってしまっても責任を取ることは出来ません。
事情通であると思っている人が話す古武道界の事情にも大きな間違いがあることがあります。私が立場上知りえることなので口外もできませんが、よく知らずに堂々と語っているのだろうと思いながら、その発言によって人が間違った方向に行ってしまったらどうするのだろうと思いますが、責任などは感じないのでしょう。
- 2021/11/23(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
昔、浅野藩主を祀る饒津神社の境内に白石元一先生の修武館という剣道場がありました。しっかりした道場で床も高く古風な建物でした。戦後は一時バレエ教室に貸していたということでバレエの練習用のバーが壁面に取り付けてありました。私が中学生の時の剣道の外部講師の先生がその道場に所属していて、私も時々、修武館で稽古させていただくことがありました。白石元一先生は武道専門学校の卒業生で広島で多くの門弟を育てられましたが、道場の隣にあった家から時々道場に顔を出されるくらいでその頃には防具をつけられることはありませんでした。
初めて白石先生に稽古をつけていただいたのは高校生の時でした。高段者の方たちにまじって剣道形の稽古をしていた時に道場に出てこられました。その時白石先生は高段者の稽古を見られていて「それでは切れん」と言われて、私を打太刀にされて仕太刀を使われました。「切れん」という意味は、刀の使い方云々ではなく、理合として真剣勝負では相手を斬ることは出来ないという意味で、こうしなければならないと何度も教えていただきました。その時に私は「良い形を使う。」とほめていただいたのですが、白石先生と形をさせていただくときの感覚が後に大石英一先生に手数の稽古をつけていただいたときの感覚と同じでした。形が上手下手ということではなく、気を抜くと相手の刀が入ってくるという感覚です。気を抜くと斬られるという感じがしました。もちろん先生方には斬ろうという思いはありませんが私は下手なりに動きも心も最高の状態にあらざるをえませんでした。本物の修業の場になったのです。同じ場所にいながら別の特別な場所にいるような感覚でした。
ただし、ほかの直弟子の高段者の方たちは、「先生、今は形がそうではなくなったんです。」と話されていました。私には白石先生の方がごく自然で無理無駄がないように思われましたが。
白石先生がお亡くなりになられてから形見分けにいただいたのが下の色紙です。ここに書いてある文章を体得しようと稽古しています。
45年以上前の話なので武道史に分類しました。
- 2021/11/24(水) 21:25:00|
- 武道史
-
-
よくお話ししますが、居合の師匠の梅本先生のもとに森先生という大先輩がおられました。梅本先生より年上の方でしたがよく師事され補佐されていました。旧陸軍の将校をされていた方で様々なことを教えていただきました。
ある時私にこのように教えてくださいました。「少しできるようになって自信がつくと自分が優れていると思うようになる。そう思いだしたら天狗界に落ち始めている。天狗界にはいったら抜け出せなくなり、心のレベルの低いところに居続けることになる。天狗界にはおちてはいけない。」
天狗にも大天狗もあれば、小天狗もあります。森先生に教えていただいたことは経験を重ねれば重ねるだけ真実だと実感します。多少技ができるようになったことを誇り、そこから抜け出せない者、勝ち負けにこだわり抜け出せない者、地位にこだわり抜け出せない者、知識の豊富さにこだわり抜け出せない者、すべて武道の世界に見ることですが、本人は気づいておらず、また、居心地もよいようなのでどうどうすることもできません。武道を何のために修行しているのかを常に忘れてはならないのだと思います。狭い道です。すぐに道から外れてしまいます。
- 2021/11/25(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
大石神影流はこれまで書籍に興味本位のことばかり書かれたために特異な剣術だと思われる傾向が強くあります。これまでの書籍があまり調べることなく、俗説によって書かれていたためですが、そこに堀正平が気付き、堀正平自身の記述の中で時の経過とともに大石神影流に対する考えが変化しています。
大石神影流の手数(形)もさぞかし長竹刀に特化したものであろうと考えられるのですが、手数には特異なものは一つもなく長い木刀や刀でなければこの手数はできないというものは一つもありません。
いつもは総長3尺8寸の木刀で稽古されていると思いますが、ためしに短い木刀で稽古してください。違和感を感じないはずです。
- 2021/11/26(金) 21:25:00|
- 未分類
-
-
一つ一つの形・手数は心の存在があって成り立っています。心の状態があるから形・手数が成り立つのであって、またそれを成り立たせるように心の修業があります。しかし一度流派が途絶えてしまうと、たとえ形の手順だけ書き残されていて形・手数の外形をなぞることができるとしても、それがその流派の求める心のありように基づく形・手数とは言えません。
古文書によって復元した方・手数は外形は似ていても、それは代々師範から弟子へと伝わってきた心の修業に基づいていないため似たものにしかすぎません。禍々しい心の持ち主が似たものを作ってもその形・外形には禍々しいものが宿り、本質とは真反対のものになってします。しかし素人はわかりませんので、簡単に騙されてしまいます。
形を覚えたとしても心の修業がなければ流派を会得できたといえないのは上記の理由によります。心が禍々しければそのような形・手数にしかならず、それを稽古したとしても心は本来の流派が求める正しい道に進むことは出来ないのです。
- 2021/11/27(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
特に初心者の方は丁寧に一つ一つの動きを大切に稽古しなければなりません。丁寧に一つ一つの動きを大切に稽古を重ねて行けば道から外れることはなく上達していきます。しかし、焦って一足飛びに上達しようとしてしまうと、すぐに道を外れ、戻ってくるのに時間がかかり丁寧に稽古している方がはるか彼方へ進んでしまいます。何も身についていないのに、すばやく動きたい、力強い動きをしたいという誘惑に負けてしまうと道を外れてしまいますので気を付けなければなりません。
ある時、ある有名な柔術流派の先生から、その先生と先生の師匠が稽古されているビデオを送っていただいたことがあります。その稽古の様子が私の柔術の師が私に稽古をつけてくださったときの動きと同じような動きであったことにびっくりしました。丁寧に一つ一つの動きをおろそかにせず動いておられたのです。
- 2021/11/28(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
稽古を丁寧に行うことの大切さを述べましたが、日常生活で丁寧な言葉遣いをすることも上達につながります。言いたいことが伝わればいいじゃないかという考え方もありますが、場に合わないいい加減な言葉遣いや人間関係を無視した言葉遣いをしていると、場や状況に対する感性が鈍感になってしまいます。その鈍感さは対人関係である武道にも表れてしまうのです。いい加減な動き、相手と状況を考慮しない動きにつながってしまいます。
美しい日本語を何が何でも話さなければならないということではなく、状況と人間関係を考慮した言葉遣いをしようと心がけることが武道の上達にもつながっていきます。
- 2021/11/29(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
丁寧に稽古できないのも言葉遣いを丁寧にできないのも、自分を過大評価していることの裏返しである事があります。
自分に過剰に自信を持ってしまうと、このくらいと思いいい加減い行い、言葉遣いも相手を見下したようなものになってしまいます。本来は形稽古だけでも自分の実力はわかりまだまだだということがわかるものですが、わからない方もいます。形稽古ゆえに手順ができるようになったら自分ができるようになっているのだと錯覚し、兄弟子や師の言葉も言葉通りに聞けないのです。幸いに大石神影流では防具をつけて試合稽古をしますが、試合稽古もかりそめのものだと思っていなければ錯覚する人が出ます。しょせんは限定された条件の中での稽古なのです。
たとえば、人ごみの中で突然後ろから突かれたときに自分はかわすことができるのか。100m離れたところから狙撃されようとしているときにそれを感じることができるのか。そういうことをイメージしただけで自分はまだまだだとわかるはずです。自分を過大評価してしまうところから問題は生じてきます。
- 2021/11/30(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-