南部キルギスタン: 来るべき紛争の震源地?
2010年5月25日
Aleksandr Shustov
Strategic Culture Foudation
4月7日のクーデター以来、キルギスタン南部では動揺が長引いている。最近、ジャラル・アバド州で、現地のキルギス人とウズベク人住民が衝突したが、免職されたキルギス大統領K. バキエフが暴動を仕組んだのだと広く疑われている。
5月19日未明、最大3,000人がジャラル・アバド市の競馬場に集まった。抗議デモ参加者はこの地方の知事ベクトゥル・アサノフに対する不満を表明し、地域における民族間の緊張をかき立てたかどで、現地の少数派ウズベク人指導者カディルジャン・バティロフの逮捕を要求した。後に群衆はジャラル・アバド中心街に向かって行進した。
途中で、抗議デモ参加者たちは、警察と治安特殊部隊に止められた。人びとは、バキエフ家邸宅があるテイト村の、彼の隣人たちの家、特に打倒された大統領の親戚であるというだけで標的にされた第二次世界大戦に従軍した90歳になるバキエフの伯父の家を焼き討ちしたことに激怒していた。抗議デモ参加者は、住宅はウズベク人であるK. バティロフの命令で焼き払われたのだと信じているが、彼は出来事と一切無関係だと主張している。
ジャラル・アバドの中心街にたどりつけず、知事に訴えそこねたため、群衆はウズベク人のコミュニティー・センターとして機能している現地の大学に向かった。道中、抗議デモ参加者の数は5,000-7,000人にまで増えた。昼までには、群衆が大学のキャンパスに侵入しようとして、治安部隊に投石する中、大学近辺で発砲音が聞こえた。警察は、警告として、空に向けての発砲を余儀なくされ、後に、疑いなくショットガンで武装していた一部の抗議デモ参加者との銃撃戦になった。
5月19日の正午までに、抗議デモ参加者は、K. バティロフの事務所を占拠したが、彼らに対して催涙ガス弾を使用した警察により、速やかに追い出された。同日夜には、抗議デモ参加者2人が死亡し、74人が負傷したことが判明した。暫定政権の代理人で国防相のイスマイル・イサコフは、紛争当事者の双方との交渉を開始し、現地の長老たちの助力を得て、大半の抗議デモ参加者に帰るよう説得するのに成功したが、治安部隊が、従うことを拒否した連中を追い払った。
翌日、ウズベク人コミュニティーは、5月19日の出来事に関し、バキエフ支持者と治安部隊を非難する声明を配布した。治安部隊は、業務を群衆の行進が大学地区に向かうのを防ぐのではなく、キャンパス周辺の警備に限定したことと、キャンパスから、攻撃してきた連中を追い出そうとしていたウズベク人に対して武力を行使したことを批判されている。スザクにおける二人のウズベク人殺害は、ウズベク人による現地警察署の攻撃を誘発する狙いの挑発だと説明されている。暴動は、前政権のもとで、ジャラル・アバドの影の知事役を務めていた元大統領の弟、アフマトが仕組んだもので、彼らが暫定政権を支持しているので、ウズベク人を標的にしたのだと、ウズベク人コミュニティーは考えている。
ジャラル・アバドにおける緊張のおかげで、暫定政府は緊急措置に訴えるよう駆り立てられた。5月19日に非常事態が宣言され、20:00-6:00 夜間外出禁止令が、ジャラル・アバドとその近辺に課された。内務相バキト・アリンベコフが、ジャラル・アバドと、スザク地区の司令官に任命され、国防相イスマイル・イサコフは、暴動を終わらせるのに必要なあらゆる策を実施するよう指示された。暫定政権は、暫定指導者ローザ・オトゥンバエワを、2011年12月31日までのキルギスタン暫定大統領とする布告も発令した。彼女は2007年憲法に従い、選挙が行われるまで、共和国の首相兼大統領としてつとめ、その後は、国民投票によって採択される新憲法に規定されている通りに行動することとなる。彼女がその職に就くにあたって要求されたのは、六月の国民投票における承認待ちであるが、彼女がいかなる政党の党員資格からも離れ、2011年大統領選挙には出馬しないと約束することだ。
もしも暫定政権が、キルギスタン南部における部族間紛争をひき起こそうとする企みを無力化しそこねれば、緊張は内戦に近い性格の紛争へと発展する可能性が高い。1990年のオシ州におけるキルギス人とウズベク人住民の衝突では、数百人が死亡した。万一新たな紛争が勃発すれば、ウズベキスタン、そして、多分、キルギスタンのバトケン州に飛び地ヴォルフを持つタジキスタン共和国も必然的にその紛争に引き込まれるので、ジャラル・アバド地区の紛争のエスカレーションは、中央アジア共和国五ヶ国のうちの三カ国の間で広範な敵意をひき起こし、地域全体の安定性に対する深刻な脅威となろう。
記事原文のurl:en.fondsk.ru/article.php?id=3047
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2010年5月25日記事の翻訳であることをお断りしておく。さすが旧宗主国の分析。(現宗主国が、現属国を分析し、支配する力のすごさが容易に想像できる。)
5月25日に読んでいたが、事態それほど深刻とは知らなかった。
日本では、こうした民族間の衝突は幸にして決して起きない。
とはいえ、来る参院選、前門の虎、後門の狼。
民主党も、自民党も、公明党も、みんなの党、いずれでも、安保堅持、基地堅持、新自由主義、対米従属、消費税引き上げしか選べない。
富裕層への増税や、法人税増税という話題、決してマスコミには載らない。
安保見直し、思いやり予算見直しという話題、決してマスコミには載らない。
既に、日本もアメリカ式二大政党、その実一党独裁国家ではないだろか?
山梨で進次郎対小沢ガールズという見出し。世界に冠たる民度の国を実感する。
どっちもどっち。そうした人びとを選ぶ有権者のすごさに驚嘆!
マッカーサーは帰国後、日本人は12歳の少年のようだと米上院公聴会で証言したそうだが、タイム・マシンで、日本はそのまま止まっているのだろうか?
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