キルギスタンにおけるウズベク系とキルギス系の民族紛争: 1990年オシ事件の再演
Aleksandr Shustov
Strategic Culture Foundation
2010-06-17
ソビエト連邦共和国崩壊時に起きた一連の血みどろの紛争中でも最悪の一つ、1990年のオシにおける異人種間衝突から二十年後に、現地のウズベク系人とキルギス系人コミュニティー間の戦いの再発に、我々は直面している。事態の進展がソ連崩壊後の地域における、もう一つの独立国家崩壊の前兆となる可能性は高いのだろうか?
キルギスタン政権は、オシとジャラル・アバド州で非常事態を宣言したが、共和国暫定政権が独自で暴動を鎮圧できないことは明白だ。敵意と死亡者数の規模から判断して、現在キルギスタンは、フェルガナ盆地全体に容易に広がりかねない紛争の瀬戸際にある。
銃器を用いた武力衝突は、6月10日深夜オシ市のクラブでのキルギス人とウズベク人の若者の間の喧嘩が口火となり、すぐさまより広範に展開した。政権は、共和国警察と軍隊に厳戒態勢をとらせ、オシ知事のメリスベク・ミルザクマトフが、テレビ放送された演説で、平和と自制を呼びかけたが、衝突のエスカレーションを防ぐ対策は失敗に終わった。オシでは、銃砲と鉄棒を持った若者の一団が市内中を歩き回り、住宅、店舗、自動車、レストランやガソリン・スタンドに放火し、学校や国家機関は閉鎖を余儀なくされ、公共交通機関は止められた。政権は市内へのガス供給も停止した。
昼までには、オシ中心部での戦闘と放火は鎮圧されたが、騒乱の中心点は市郊外のチェリョームシキ地区へと移り、地区は後に警察によって封鎖された。チェリョームシキに武装した人々が多数集まっていることが報告されており、ある衝突では、暴徒たちは、地域周辺の警戒線に立つ兵士たちから武器を取り上げるのにさえ成功した。キルギスタン政権は、支配を取り戻すべく、チェリョームシキに、装甲車で追加警察部隊と、軍特殊部隊を派遣せざるを得なくなった。
オシ住民は都市の街路にバリケードを築いていた。市の空港にはキルギスタンを脱出しようとする多数の人々が殺到した。オシのあらゆる店は閉鎖し、住民は食料や必需品を入手できなくなり、うろつきまわるギャングたちは無防備な地区で略奪をした。目撃者の説明によれば、オシ市内の交通は完全に麻痺し、暴徒はバリケードで止まらされた車から人々を引きずり出し、車をひっくり返して放火した。
6月11日の夜にはバクテント地区で緊張が高まった。200人程の攻撃的な若者がバクテントの中心街に集まり、オシに向かって、自民族の同胞を保護しようと計画した。活動家たちは現地警察署とその武器庫占拠さえ主張したが、最終的には状況はおさまった。キルギスタンの首都ビシケクが、次の大規模な混乱に見舞われ、約500人が議事堂前に集まり、バスでオシまで自分たちをつれて行くよう要求した。要求が拒否されると、彼等は何十台ものタクシーを捕獲し、警察が群衆を追い払わねばならなかった。
6月12日には、バクテントとジャラル・アバド州で暴力行為が発生し、バクテントのいくつかの地域では暴動が起こり、ある集団がジャラル・アバド州のクガルト地区にある軍事基地を攻撃し、何台かの車輛と多数の銃器を捕獲し、スザク村に向かった。スザクでの銃撃戦がそれから間もなく始まった。ジャラル・アバド州のアクシ地域でも騒乱が始まった。若者達が集まり、ジャラル・アバド市で銃声が聞こえた。
オシは大惨事に直面していた。暴徒が何台かの装甲兵員輸送車両を捕獲し、それ利用して非武装の人々に発砲をはじめた。Fergana.ruが提供している情報は、まだ完全ではない可能性があるが、それによれば、死亡者数は1,000人を超え、犠牲者の大半はウズベク系だ。キルギスタン南部からの難民が隣国のウズベキスタンに流入し始め、ウズベキスタンは両共和国間の国境に特殊部隊を配備した。キルギスタン政権は公式に、ロシアに介入を要請したが、今のところモスクワは、キルギスタンにおける平和維持活動には及び腰だ。秩序を回復しようとして、キルギスタン政権は、予備兵を動員し、必要があれば取り締まり機関が発砲することを許可した。
6月13日には、オシでの暴動の波はおさまったが、激しい戦闘がジャラル・アバドで再開し、若者の集団が、ウズベク人が居住する地域を攻撃し、銃撃戦を始めた。市内の銀行、店舗や、住宅は放火され、ビシケクから特殊部隊が配備されることになった。ロシアは、軍の施設の安全確保と、ロシア国民保護のため、第31空挺団の大隊をカント空軍基地に配備した。
6月16日朝の時点で、公式な死亡者数は187人にのぼった。1,928人に医療が必要だったが、うち902人が入院した。ただし本当のところ、殺害された人々の総数に関して信頼できる情報はない。Fergana.ruは、戦闘で1,526人が死亡したが、その大半がウズベク系人だったとオシ自治政府当局が語ったと引用している。何万人ものウズベク系人が自宅からの退去を強いられた。国際連合難民高等弁務官事務所によれば、6月15日に難民となった人数は275,000人だ。大半は女性、子供と老人だが、約100,000人がウズベキスタンに殺到した。
大多数の専門家が、オシの虐殺は打倒されたキルギスタン大統領K. バキーエフ一派が組織した挑発の結果だと確信している。6月14日、ジャラル・アバド州司令官で、国家保安庁のクバトベク・バイボロフ副長官は、騒乱に油を注いだ責任は、キルギス系人やウズベク系人に無差別発砲を始めたタジク系住民集団にあると非難した。タジク人はバキエフ一派に雇われていたとも彼は発言した。タジキスタンはバイボロフ副長官の発言に激しく反応し、キルギスタンは、その主張を証明する証拠を示すか、謝罪すべきだと要求した。
言うまでもなく、この紛争をひき起こした勢力の主な狙いは、キルギスタン暫定政権の立場を承認するはずの、6月27日の国民投票を頓挫させることだ。キルギスタンの多数の国民が現在難民となってしまっているため、国民投票結果は信頼性に欠けることになるので、この連中は、一定程度、狙いが既に成功したと誇れる状況にある。ウズベキスタンとタジキスタンも、やはり紛争という軌道に引きずりこまれてしまった。前者は多数の難民を受け入れねばならず、後者は自国民が武力衝突の勃発を幇助したという申し立てに直面している。キルギスタンにおける紛争のエスカレーションは、もし実際におきれば、ウズベキスタンとタジキスタン双方に更なる影響を及ぼすのは確実だ。カザフスタンもキルギスタンと国境を接していることを考えれば、現在、中央アジア全体が、深刻な脅威にさらされていることは明らかだ。
記事原文のurl:en.fondsk.ru/article.php?id=3104
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過日、郵便局窓口で、見てはいけないものを見た。
お年寄りの女性が、「郵便局員?か誰かに、うっかりして、通帳と印鑑を全部預けてしまった」と、郵便局の窓口の方に相談していたのだ。
「預かり証はありますか?」等、郵便局の方は落ち着いて尋ねていたが、もちろんそのようなもの、貰ってはいないようだった。
まさか、話を終わるまで横で聞いているわけにも行かず、用件を済ませて、郵便局を出たので、あの後どうなったのか全く分からない。
あのおばあさま、全財産を身ぐるみはがれてしまったのだろうか?詐欺師が金をおろす前に、口座を無事、停止できたのだろうか?
考えてみると、毎回の選挙でも、大多数の皆様、あのお年寄りの女性のように素朴に、相手の善意を信じる行動を長年とりつづけ、結局すっかり身ぐるみはがれているような気がしないでもない。ボケ中高年の錯覚であって欲しいものだ。
選挙時期になると、あの宗教政党支持者の知人が必ずやってくる。元隣人だったのだが、かなり昔に転居してからも、投票依頼にやってくる。論争するのも面倒なので「はい、投票します」と答えているが、もちろんその人物の希望に沿って投票したこと等皆無だ。後にお礼の電話がかかってくるので、「おめでとうございます」と心にもないことを毎回言っている。
票数にカウントされているのだろうか?
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ウズベキスタンの外務省は「外国人が引き起こした動乱説」を公式に表明しました。
中国がチャーター機で避難させた新彊ウイグル系ビジネスマン等は「暴徒が武器庫を襲撃して武装、強盗も蔓延。暴徒は軍に鎮圧された」っつってます。
ま、米国の経済破綻が近いと、他も一斉に混乱すべきで、でないと相対的に米国の立場が悪くなり過ぎるとか、色々思惑があるんじゃないですか?
日本の債権を無視して財政再建しろ!の大合唱とか…。
投稿: 田仁 | 2010年6月23日 (水) 23時12分