(ハイテク機器等の)使いやすさとファシズム
2009年9月28日、14:17
The Economist
アップルは伝統的に"カウンター・カルチャー、左翼" オペレーティング・システム(OS)と見なされているものの、実際には、伝統的に"右翼、ファシスト"オペレーティング・システムと見なされているマイクロソフトより激しい画一性と、中央集権化された管理をしているのかどうかという"iファシズム"にかかわる読者のコメント、というか疑問に、ジョシ・マーシャルがハイライトを当てた。"美学(マックには確実に有る)と中央集権化した管理(これもマックには確実に有る)の相互作用は興味深い" とマーシャル氏は書いている。ここには興味深い核があるが、すっきりした美学へのアップルの注力より、全てのアップル製品群のシームレスな相互運用性と使いやすさの方が重要なのだ。すっきりした美学はその一部に過ぎない。しかもそれは現代政治と実際に鋭く関わっている問題だ。医療改革、金融改革、都市計画等々多くの分野で、国民にとって生活をもっと楽なものにしようという努力は、リバタリアンと既得商業権益を持つ連中との双方から、管理の中央集権化、あるいは自由の制限を狙う、どことなくファシスト的な努力だとして標的にされる。
オペレーティング・システムは、第XVIII回スーパー・ボウル中の、リドリー・スコットによる"1984年" マッキントッシュTVコマーシャル以来ずっと、ファシズムと反抗という含意から切り離せないものとなった。(ひいきにしているレッドスキンが、レイダーズに38-9で破れるのを見ていたので、唯一の生放送広告も、私はさほど楽しめなかった。) 当時、オペレーティング・システムの対比は、グラフィカル・ユーザー・インターフェースを備えた右脳マックと、DOSの味気ないコマンド・ラインの世界との間のイメージ的なものだった。だから、マイクロソフトとIBMを、巨大なビッグ・ブラザーの様な大君主によって、シームレスに支配されている一様な全体主義のゾンビーとして描きだすことにある程度の意味はあった。しかし時がたち、IBMが衰退するにつれ、マイクロソフトのオペレーティング・システムは、シームレスな調整とはほど遠いことが明白となった。マイクロソフトの事業戦術は集中的で、場合によっては独占的だったが、同社製品は、それほど一様ではなく、安く、扱いにくく、理解するのが困難で、機能不全だった。彼らは実績ゆえに引きずる、旧OSとの互換性問題に苦しみ、おかげでOSは膨れ上がり、非効率的となった。そして、ウインドウズ・パソコンとソフトウエアが大量に存在することによって、理論的にユーザーには、より大幅な選択肢を提供するのだとは言え、典型的なしろうとのウインドウズ・ユーザーは、マック・ユーザーよりずっと頻繁に、混乱と技術サポートの人々との戦いに直面させられてきた。アップルが、iMac/iBook時代をたちあげてしまうと、マイクロソフトには、iMacs、iPods、iTunes、iPhones等々の様に、シームレスに統合されたハードウエア、ソフトウエアや、商用ウエブ・サイト・システムを全く提供できないことが明らかとなった。またソニーやノキア等の周辺機器メーカーは、アップル・ソフトウエアが保証してくれるような使い易さや、相互運用性に、遅れずについていくことができなかった。
マイクロソフトのオペレーティング・システムと同様、アメリカの医療保険制度も、陳腐化したレガシー・システムのおかげで、支離滅裂で、理解するのが困難で、往々にして機能不全で、肥大化しているのだ。(ウインドウズ・パソコンと違って、安くはないのだが。) 様々な部分が、お互いにうまく動き損ね、大半のユーザー、患者にとっても医師にとっても同様に、全体はほとんど理解不可能なのだ。だが、メディケアをどのように調整するか判断するために、あるいは保険契約が一連の基本的条件をカバーするよう命じるために、あるいは人生最後の数週間に、法的混乱の猛攻を味あわずに済むよう、高齢者が終末期カウンセリングを受けられるようにしようとするために、MedPACのような中央権力を設けて、こうしたことの何かを修正しようとすると、"患者と彼らを診ている医師から医療を奪い取り、支配しようとしている" と非難される。こうした理屈は既得の商業上の利益に突き動かされていることが多い。医療業界の各集団は、そうなると議会のロビー活動を通して、利権を勝ち取る力が弱まってしまうため、専門家委員会にメディケアに関する判断をして欲しくないのだ。
小さな文字で印刷された文言による法的混乱が、客から金を搾り取る手段として活用されている、金融、クレジット・カード業界にも同じことがあてはまるが、そのような慣習を禁止しようとすると、消費者の自由に対する制限だとして攻撃される。医療保険やクレジット・カードにおいては、自由というのは、自分の契約の中身が一体何なのか理解できないことの言い換えに過ぎない。うってつけの実例が、共和党下院議員ジェブ・ヘンサーリングの発言だ。"皮肉にも、消費者金融保護庁(CFPA)という名前の機関は、金融不況のさなか、全て'消費者保護'という名のもとで、消費者から選択の自由を奪い、彼らが借金する機会を制限する権力を持っている。実にオーウェル風だ。"
何よりもオーウェル的なのは、クレジット・カード会社が、過去の借金に対する金利を、35%まで恣意的に上げられる能力のことを "自由"と表現していることだ。より大局的に言えば、オーウェルの "1984年"パラダイムから離脱することが必要なのだ。それは二十世紀中頃の、自由に対する最も重要な脅威に対する素晴らしい表現だったのだが、もはや現代の自由に対する最も重要な脅威を表現できていない*。マックの広告が現れた1984年、このパラダイムがどれほど時代遅れなのかは既に明白だった。それは過去25年間にわたって、益々時代遅れとなってきたに過ぎない。オーウェルは、情報の非対称性を操作して、消費者や国民の無知につけ込むように設計された耐え難い"選択"の殺到という問題にはほとんど配慮をしていなかった。だがそれこそが、アメリカの商業、政治構造が、年中そうしたがっているやり方だ。
そして、それが、自由と不自由という問題と、マック対ウインドウズ論争とを結びつける真実の核心だ。マック・ユーザーは、ウインドウズ・ユーザーよりも、自由だと感じているというのは本当だ。しかし、自分は、支配者に対してハンマーを振り上げる対抗文化の反乱者なのだと本当に感じている人々はごく稀だ。そうではなく、そう、私はこの場を、特定商品の証言広告のために使うべきではないのだが、今年の冬、十年間ものウインドウズ・ユーザーという立場から、マックに戻った時の経験は、周辺機器をつなげ、ソフトをインストールし、ブルートゥース機器なりなんなりを接続すれば、いつでもパソコンはちゃんと動くというものだったから、彼らは自由だと感じているのだ。それは、控えめに言って、ウインドウズではありえない経験だった。ヨーロッパ対アメリカの、医療保険と医療の使いやすさも、同じようなものではないかと私は思う。だから、多くのヨーロッパ人は、医療が保証されているので、自分たちはアメリカ人よりも自由だと考えているだろうと私は思う。逆に、サード・パーティーのソフトウエア、ハードウエア・パートナーに対するアップルの商売上の振る舞いは、排他的で、自由がないという不満がある。ユーザーにとっての自由と、設計者の自由がいかに二律背反か、容易に想像できよう。だが現在 "自由" という問題の多くは、実際には、選択をするための基本を人が理解でき、安全に動き、機能する、わかりやすい環境の自由を巡るものだ。そうした類の環境を生み出すためには、ある程度の中央集権化された設計が必要だ。こうした文脈では、良質の中央集権化された設計に反対しても、人はより自由になれるわけではない。そんなことをしても、人は混乱し、無力になり、自分の時間の多くを、コンピューターや人生で、自分がしたいと思っている素晴らしいことをするのにではなく、基本的な課題をいかにしてなし遂げるか考えだすことに使うことを強いられるに過ぎない。
(*注: この分析は、イラン、中国、ミャンマーにはあてはまらない。必ず小さな文字の規約を読むように!)
記事原文のurl:www.economist.com/blogs/democracyinamerica/2009/09/userfriendliness_and_fascism
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社民党の福島党首が罷免された。彼女の態度が間違っているのではなく、罷免する側が異常なのだ。社民党、連立政権から離脱すれば、首尾一貫してすっきりする。
五十嵐教授、ブログ『五十嵐仁の転成仁語』の記事、自民党が仕掛けた「時限爆弾」が爆発したで、
更迭は、福島社民党党首にとって、政治家としての名誉であり、誇りとすべきものです。
と書いておられる。
マスコミ攻撃で頭を破壊されないために、目取真俊氏の『ブログ海鳴りの島から』の記事をどうぞ。沖縄の方々、民主党の首相に対するよりも、信頼感を持っておられるのか、真っ直ぐ本音を言っておられるようだ。
iPad発売と並んで、Appleの株価時価総額がMicrosoftを抜いたことがしきりに報道されている。古くからのAppleユーザーとして、iPad、関心は十分あるが、資金が皆無。悲しいことに、iPhoneにも機種変更をしそこね普通の電話を使用している。今年こそ新iPhoneに乗り換えたいと夢想している。再来週、iPadを購入した友人に会うので、せいぜい触らせてもらおうと思っている。
Appleあるいは、スティーブ・ジョブズの独善性、昔から筋金入り。今も、iPhoneアプリを巡り、サード・パーティともめ、Flash排除作戦で、かつての盟友?Adobeとも激しくもめている。何年たっても変わらぬ傲慢さ。「外から見るぶんには美学も感じられる」ということだろうか。
中村正三郎さんが、ブログ『ホットコーナーの舞台裏』で「Apple(アップル)のゲシュタポ化、独占弊害、Apple製品製造工場で自殺増加」という記事を書いておられる。文中、この記事同様、オーウェルの "1984年"に言及がある。
独裁を打破するという建前で登場したAppleやGoogleによって『1984年』独裁状態が生み出されてしまう実態、同じ作者オーウェルによるもう一つのおはなし『動物農場』の中で、支配者が変わっても、民衆搾取は変わらぬままという概念と直接つながっているだろう。
有名な「1984年」CMをご存じない方は、下記をどうぞ。
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コメント
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自分が自由だと誤信している者こそが、救いようが無いくらいに奴隷化されている者なのだ。(ゲーテ)
投稿: | 2010年6月 2日 (水) 23時13分
Gen様、ご指摘の綴りミス、訂正いたしました。
投稿: メタボ・カモ | 2010年5月30日 (日) 01時06分
Flush -> Flash でしょうか。
記事の翻訳、ありがとうございます。興味深く読ませていただきました。
動物農場的ということでしょうかね。支配者を打ち倒し、次の支配者が現れると。
投稿: Gen. | 2010年5月29日 (土) 22時02分