はてなキーワード: アーサー王伝説とは
これは弥助問題の元ネタ論文でも何でもない可能性が高いので,論文をちゃんと読んでください。
っていうか,こういったテーマについては,藤田みどり『アフリカ「発見」――日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店,2005年)っていう研究書がちゃんと出ているので,ネット上でかしましい皆様におかれてはまずはそういった文献もあたってみてください(ちなみに,この研究書のもとになった博士論文は国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。
注をよく見てみましょう。おや? 日本語の文献が引用されていませんね。日本語の文献を引用せずに日本史研究ができるんでしょうか? これは問題ではないのですか?
はい,問題ありません。なぜならこれは,タイトル「アジア人と黒人のあいだでの人種と人種観の利用――日系・アフリカ系アメリカ人の場合」からも分かるように,日本史の論文ではなくアフリカ系アメリカ人を主題にした論文だからです。
これはどう読んでも,アメリカの黒人の日本人観および日系人との関わりについてカリフォルニアを中心に調査した論文,つまりはアメリカ黒人の歴史に関する論文であって,ロックリー氏や岡氏がこれを読んでいないと断言することはできませんが(誰しも専門分野外の本や論文を読むことだってあるでしょう),わざわざこれを「元ネタ」にするなどということはとうていあり得そうもないことです。彼らがこの論文を参考にして立論しているのでは? などというのは,馬の心肺機能に関する研究が『ウマ娘 プリティーダービー』を参考にしているのでは? と言っているようなものです。ジャンル違いすぎるわ! あとドリームジャーニー引けなくて凹むわ! っていうか今回のLoHは千直だから荒れそうって言ったの誰だよ! ふつうに安定して英雄譚取れたから拍子抜けしたわ!
こういうときは注を見て,どんな文献に基づいてこの話をしてるのか? っていうのをチェックするんですよ。弥助が出てくる部分の出典は,第一にMichael Cooper, comp. They Came to Japan: An Anthology of European Reports on Japan, 1543-1640 (Berkeley: University of California Press, 1965)っていう本の66ページで,これはまあ当時のヨーロッパ人が日本について書いたものをまとめて英訳した,っていうやつですから,多分日本語でも同じコンセプトの本はあると思うのでそれを探せばいいでしょう。第二は,Gary P. Leupp, Images of Black People in Late Mediaeval and Early Modern Japan, 1543-1900, Japan Forum 7, no.1 (1995)っていう論文で,ペイウォールの向こうに行ければ読めます(https://doi.org/10.1080/09555809508721524)。要するに,著者のデイヴィド・ライス氏(カリフォルニア大学バークレー校所属)は日本語読めないので,英訳された史料や英語で書かれた論文を典拠にして,本題に入る前のマクラとして弥助についてちょろっと書いたということでしょう。
仮に彼が日本史の研究者なら日本語を読めないのは問題外ですが,論文の内容から察するにあくまでアメリカ黒人史の研究者なので,それならまあ日本語の論文読んでないのも仕方ないかなという感じ。なんだろう,アーサー王伝説そのものについて研究するなら,古い時代の英語とかウェールズ語とかの史料が読めないといけないけど,「日本人がどんなふうにアーサー王伝説を受容したか」という研究なら,『Fate/stay night』が読めれば十分で,アーサー王については日本語の本を参考にしてても構わないじゃないですか。この論文もそんな感じです。
なので,ふつうの日本中世史研究者が,この論文を典拠として用いることはまずないです。だって普通に考えて,こんなの典拠にならないっしょ? 中世ヨーロッパ史の研究者が論拠として『Fate』を参考にするなんてあり得ると思います? そりゃ絶対あり得ないとは言えないけど,そういう蓋然性が薄い推測をわざわざするならもっと直接的な証拠(本の中でこの論文を引用してるとか)を持ってきてもらわないと……
(もちろん,最近は中世ヨーロッパ史の研究者が日本におけるヨーロッパ表象の研究に手を出していたりするので,そういう研究で『Fate』を史料として用いるのは全然あり得るっていうかもうやってる人はいたはずなんですが。そのへんの研究動向は,たとえばhttps://doi.org/10.34382/00003197とかhttps://doi.org/10.34382/00003198とかの論文を読んでもろて……あ,話がズレた)
この論文,表象の研究としてはまあ手堅いので,弥助論争に巻き込まれて変な受け止められ方をするのは気の毒だと思いました。ただそれはそれとして,日系サイドの話もアフリカ系の新聞に基づいて書かれているきらいがあるので,論文のタイトルから「アジア人」「日系」を外して黒人についての論文だと明確化するか,あるいは日系人についてもちゃんと彼らの出してた新聞を読み込んで「日系から見たアフリカ系」を調査しないとダメなんじゃないかなぁ,とは思います。まあ,当時の日系人が出してた新聞って日本語で書かれたやつがいっぱいあるので,単純に読めないのかもしれませんが,だったらなおさら「これは2つのマイノリティについての話です(キリッ」と謳うんじゃなくて,「これはあくまで黒人史の話でっせ」という断りを入れた方がよいような。日系人の歴史は黒人史の添え物とちゃうねんで。
ちゃんと読むっていうのは,この論文のテーマは何で,どういう史料を使っていて,という,基本的なことを確かめながら読むことです。そうすれば,どれが話のマクラに過ぎず,どれが本題なのか,っていうのがわかって,「アメリカ黒人史の論文が日本中世史研究者の元ネタだったんだよ!」なんていうアホな主張をすることもなかったはずなので。
ラノベの魅力というのはある種の時代性と限定性だと思うんですよね。
特定の時期の特定の界隈以外ではあまり評価されていないようなものほど、ラノベとしての良さがある。
時代を超えて評価される作品は単なる「名作文学」でしかなくて、それはライトとは呼べないと思うんですよ。
『ライトノベルの定義』なんてものは、どうせあと30年もして5chも滅んでしまったら皆忘れてしまうでしょう。
その昔、そんなネットミームがあったという思い出の中に消える。
この「思い出の中に消える」という部分こそがラノベのラノベらしさだと思うわけです。
ある種の時代性と限定性とさっき言ったばかりなんですが、たとえば人類全体の中で感染症が途切れることなく飛び交い続けるかのようにいつも誰かが罹患している中二病があったとしたら、それは個々人の感覚では「アーサー王がめっちゃ好きだった限定的な時代」として存在すると思うわけです。
人類の中にいつからかずっとアーサー王伝説は存在するんですけど、それはいつの時代においても子供時代に憧れる英雄譚でしかなくて、大人になったらごく一部の人間を除けば自然と卒業するような物語だったと思うわけです。
魔術師に導かれ伝説の剣を引き抜いた若き王、奇跡と魔術と剣と聖杯、魔女の陰謀、集う仲間、崩れ去る絆、誰もが一度は憧れるような殿堂入り中二ストーリー。
どれが一番好きとは言わないんですが、ラノベの本体は読後に読者が綴る怪文書だと思っております。
子供部屋に籠もって妄想たくましく自意識をこじらせた者たちが、インプリンティング効果やウェルテル効果で電波ゆんゆんになって書き上げる承認欲求ダダ漏れのレビュー。
遊びの本を読んで、特に責任もないままに、勢いだけで一気に書き上げて、翌朝になって恥ずかしくなって消そうとするも、レビューにいいねがついているので消さずに残す。
そういった諸々に宿る安易でジャンクな薄っぺらさこそが最もライトな文芸なわけです。
※ほぼメモ書きです。
ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff, 1920-1992)といえば、『第九軍団のワシ』をはじめとするローマン・ブリテンシリーズで有名な作家である。このシリーズは、一般にローマン・ブリテン三部作(『第九軍団のワシ』、『銀の枝』、『ともしびをかかげて』)ないし四部作(『辺境のオオカミ』も加える)と呼ばれている。岩波書店でもそう書いている。
https://www.iwanami.co.jp/book/b269788.html
一方、英語版Wikipediaのサトクリフの項目を見ると、『第九軍団のワシ』シリーズは他にもある。要は、4部作で終わっているというわけではないのだ。ファンサイトSutcliff Wikiでは、正式名称ではないとしつつ、"Dolphin Ring"と呼称している(一方、第九軍団のワシ、銀の枝、ともしびをかかげてを指してRoman Britain Trilogyという言葉遣いもされている。実際、1980年にThree Legionsというタイトルでセット本が出ている)。その作品群について整理しておく。
(1)作中時系列順
2世紀:第九軍団のワシ(The Eagle of the Ninth)
3世紀:銀の枝(The Silver Branch)
4世紀:辺境のオオカミ(The Flontier Wolf)
5世紀:ともしびをかかげて(The Lantern Bearers)
9世紀:剣の歌(Sword Song)
1954年:第九軍団のワシ(Oxford University Press)→岩波書店、1972年
1956年:盾の輪(同)→山本史郎訳『シールド・リング ヴァイキングの心の砦』原書房、2003年
1961年:夜明けの風(同)→灰島かり訳『夜明けの風』ぽるぷ出版、2004年
1963年:落日の剣(Hodder and Stoughton)→山本史郎・山本泰子訳『落日の剣 : 真実のアーサー王の物語』原書房、2002年(2巻本)
1980年:辺境のオオカミ(Oxford University Press)→岩波書店、2002年
1997年:剣の歌(The Bodley Head)→山本史郎訳『剣の歌 ヴァイキングの物語』原書房、2002年
これらの作品群がファンWikiでDolphin Ringと呼ばれているのは、言うまでもなくアクイラ一家のあのイルカの指輪(=古代ローマ人のハンコ)が共通して登場するからで、時代の流れとしても共通した設定を持っているからである。ただ、『三銃士』シリーズのような一貫した主人公や陣営を描いているわけではない。第九軍団のワシの主人公マルクス・フラーウィウス・アクィラ(訳書には従っていない)は、元々属州ブリタンニアに駐屯するローマ軍団に属していて、家のルーツはエトルリアにあるから、もとはといえばイタリア半島の人間なわけだ。ところが、彼が色々あってブリタンニア定住を決め込んだことが指輪の運命を決めている。『銀の枝』の主人公ティベリウス・ルキウス・ユスティニアヌス(ジャスティン)とマルケルス・フラーウィウス・アクィラ、『辺境のオオカミ』のアレクシオス・フラーウィウス・アクィラ、『ともしびをかかげて』の主人公アクィラ(上の名前は不詳)は、いずれもマルクスの子孫にあたる。
もっとも、ローマ軍団が描かれているのは『辺境のオオカミ』までであり、『ともしびをかかげて』はローマ軍団がいなくなったあとのブリタンニアを描いている。基本、サクソン人とブリトン人との戦争が描かれる。『落日の剣』はその後日譚にあたるが、主人公はアンブロシウス・アウレリアヌス(この人は実在の人物で、サクソン人と戦っていたブリトン人の指導者)の甥アルトス(アルトリウス)となっている(もちろんアクィラも登場するが)。つまり本書はアーサー王伝説の翻案なわけである。しかも『ともしびをかかげて』よりも長い。『ともしびをかかげて』は、20年ほどを描くが、後者は40年ほどのスパンがある。本書は明らかに大人向けであり(ファンWikiにもFor Adult Readersとある)、児童書である他書と毛色がかなり異なる。
『夜明けの風』はアルトスよりも100年ほどあとの時代で、デオルハムの戦いで壊滅したブリトン人の王族の生き残りオウェインが指輪を持っている。『剣の歌』では主人公はヴァイキングの少年ビャルニ(指輪は、ウェールズで暮らす少女アンガラドが持っている)になっている。そして時代的にはもっとも最後にあたる『盾の輪』の主人公もまたヴァイキングの少女フライサと孤児ビョルン(後者が指輪を持っている)で、湖水地方に立てこもってノルマン人に抵抗する様が描かれる。
見ての通り、厳しい立場に立たされた者を主人公にするというプロットはほぼ一貫している。『第九軍団のワシ』は父親の不名誉(ちなみに時代はあのハドリアヌス帝の治世にあたる)、『銀の枝』はカラウシウス帝に忠義を尽くした故に叛逆者となってしまった二人(なおこの頃の皇帝といえばディオクレティアヌスだ)、『辺境のオオカミ』は軍人としての失態だが、同時にローマ帝国と辺境民族(ピクト人)との戦いが背景にある。『ともしびをかかげて』は撤退するローマ軍から脱走して敢えてブリタンニアに残った主人公の苦労が描かれるが、彼の立場を厳しくしているのは、サクソン人のブリタンニア侵入である。サクソン人と戦う側が主人公になっているのは『夜明けの風』が最後で、『剣の歌』以降はヴァイキングが主人公になっている。アングロ・サクソン人のブリテン島征服が一段落して平和になったと思ったらデーン人がやってきたわけだ。さらにそのデーン人もノルマン・コンクエストで痛めつけられる(ノルマン・コンクエストは、思いっきり誇張すればデーン人(+アングロ・サクソン人)対ノルマン人の戦いであり、こいつら全員元をただせば海賊である)。ローマ人、ピクト人、ブリトン人、サクソン人、デーン人、ノルマン人とイギリス史に登場する諸民族の融和がシリーズのコンセプトとなっている(それは第一作の時点から明らかで、イルカの指輪は父を殺害したピクト人の長老がマルクスに返却している)。
出版年代を見ると、最初の『第九軍団のワシ』とシリーズ最終作となる『盾の輪』がもっとも早く出ていることが分かる。そして63年の『落日の剣』まではほとんど2年おきに出している。それから間が空いて80年の『辺境のオオカミ』と遺作の『剣の歌』がある。特に『剣の歌』は推敲が十分でないように思われる箇所もある(作業途中で亡くなってしまったのだろう)。日本語訳では『ともしびをかかげて』が一番早い(おそらく、内容的に最も評価されているのではないかと思う。カーネギー賞もとっているし)。明らかに児童文学ではない『落日の剣』はともかく、児童文学作品でも猪熊訳と山本訳(と灰島訳)とに分かれる。版権取得の問題かもしれないが、あるいは猪熊の作業量の限界だったのだろうか(1928年生まれだし)。そもそも『夜明けの風』は『ともしびをかかげて』の割と直接的な続編といって良いだろう。なお、自分の親は子どもの頃に『第九軍団のワシ』と『ともしびをかかげて』を読んでいたようだ(サトクリフの名前を出したら「あの小説か」と反応があった。結局「三部作」を貸している)。年齢が結構高い人でも、その二つは知っているのではなかろうか。
英語圏では多分されていない「四部作」(第九軍団のワシ~ともしびをかかげて)という言い方も理由がないではない。この四つはシンメトリカルな構成をしている。『第九軍団のワシ』『辺境のオオカミ』と『銀の枝』『ともしびをかかげて』(つまり13・24)と並べられる。前者では、主人公は百人隊長として失敗したあと、北方辺境で名誉回復を遂げる。後者では、大陸への渡海という選択肢を捨て、ブリテン島南部で戦う。「四部作」はアクィラ家のアイデンティティがローマからローマン=ブリテンへと移り変わっていく物語なわけである(既に『銀の枝』でカラウシウス帝の口からローマ帝国亡き後にどうローマを残すのかというテーマが語られる)。そしてもはや「アクィラ」という名前が語られなくなった世でも、困難に立ち向かうアクィラ家の精神は、イルカの指輪に象徴されてあとからきた民族へと受け渡されていく。そして現代のイギリス人にも・・・というのがサトクリフの言いたいことなのだろう。
かつて趣味で小説を十年近く書いていた者だ。俺も理系だが、理系は歴史を学ぶ上で決して弱みではない。むしろ、物事を大局的に眺め、出来事の意味や結果をロジカルに考えるうえでは助けになるし、論理的な文章も得意だろう。なので、自信をもって執筆に向かってほしい。
とはいえ、いきなり中世ヨーロッパを舞台にした小説を書くのは難しい。農民であれ騎士であれ、生活の細部を思い描こうとするだけで筆が止まってしまう。朝起きて顔を洗い、用を足して食事をする、その半時間のことなのに細部がさっぱりわからず、筆が進まない。ありがちな悩みだが、深刻な悩みでもある。
仮に十年前の日本を舞台にした小説を書こうとしても、「当時はスマホが既にあったか」「はやっていた音楽は何だったか」「あの事件はもう起きていたか」など、俺たちの記憶は甚だ頼りなく、資料に頼らざるを得なくなる。ましてや、生まれる前の出来事など仮定に仮定を重ねた蜃気楼のようで、資料なしでは立ちすくんでしまう。よくわかる。なので、俺が読んで面白かった本を共有したい。
ところで、増田は世界史を勉強したいと述べているが、どうも「小説を書くための中世ヨーロッパの知識が欲しい」と「知識欲から漠然と世界史について学びたい」が混在しているようだ。ブクマやレスを見ると、その両方に対する回答がある。俺は、ひとまず前者について答えたく思う。後者については、中央公論社の「世界の歴史」シリーズか、講談社の「興亡の世界史」を読んで、そこから気になったキーワードからどんどん広げていくといいと思う。なお、俺は前者しか通読していない。
さて、過去の世界を生々しく想像するためには、俺は四つの視点が必要だと考えている。数理的視点、物質的視点、非物質的視点、それからエピソード的視点だ。以下、それぞれについて述べる。各々の視点に応じて、手に取るべき書籍は異なってくる。
さらに、この四つの視点があると、頭の中で歴史の知識を整理するのに役に立つ。少なくとも俺にとってははやりやすい。
過去の世界は偉大なようだが、人口は現代よりも少なく、都市の規模は小さく、穀物や工業製品の生産量も少ない。そういうわけで、もしもタイムスリップして中世の大都市を眺めたとしても、その小ささに俺たちは意外さを覚えるかもしれない。確かに現代にも通用する芸術作品はあるかもしれない。時代は異なるが、ピラミッドや紫禁城のような壮大な建物もあるだろう。とはいえ、庶民はそんな生活とは無縁であったはずだ。パリの城壁は今や環状線であるが、今のパリの都市圏はそれを越えて広がっている。
さて、小説を書く上ではリアリティが必要になる。それを支えるのが数の感覚だ。例えば、ある国家の人口がどれくらいで、即時に動員できる兵士がどれくらいで、都市と都市の距離がどれくらい離れており、移動速度はどれくらいか。集落の規模はどの程度か。船舶で運べる量は。モデルとする時代の数字をおおよその知っておくことで、明らかに不自然な描写は減らせるだろう。このあたりについては「銃、病原菌、鉄」や通史的に世界の人口を扱った書籍が助けになると思う。細かいことは気にしなくていい。オーダーが合っている程度で充分だ。数字を確かめるだけなら、ウィキペディアだけでもいい。これは英語版を併用することを薦める。
要するに衣食住の細部だ。先ほど騎士や農民の一日を想像するのが難しいと述べた理由はこれになる。増田が必要としているのはおそらくフランシス・ギースの出しているシリーズだ。都市や農村、城の生活が細かく書かれている。
他に、当時栽培されていた植物や動物については、「世界史を変えた50の○○」シリーズもいい。ある素材が手に入るか入らないか、あるいは知識の有無だけで国の命運が変わるというのは、たびたび起きてきたことだ。中世ではないが、例えばヒッタイトで鉄の製法が独占されたこと、柑橘類で長期航海の敵、壊血病が防げるとか、そうしたことだ。
また、具体的な書名はいちいち挙げられないが、図版の多い図解○○のようなシリーズも良い。もし、増田が視覚的にものを考えるタイプならなおのことだ。慣れていくと建築や芸術の○○様式というのが何となくわかるようになってくる。
加えて、児童書も侮っては行けない。専門家が監修した子供向けの本は、えりすぐりの内容を含んでいる。仮に含まれていないとしても、これだけは伝えておきたいという基礎知識は抑えてある。これは立花隆が言っていたことだったと記憶しているが、なじみのない分野を学ぶためには基本的な内容の本を三冊読むといいそうだ。なぜなら、本当に大事なことはその三冊すべてに書かれているからであり、結果的にその分野の基礎を身に着けることができる。
これは当時の人間が何を知っており、どんな風に考えていたかを指す。直接は物質として残らない、人の頭の中にあった知識や文化にまつわることだ。当時の科学知識、価値観、法律、迷信などもここに含めてよい。
さっき中世人の朝を想像するのが難しいと述べたが、昼以降の社会生活を想像するのはこれでさらに難しくなる。
たとえば俺は異世界ファンタジーをあまり読まないのだが、中世には叫喚追跡という風習があった。当時のイングランドの自由市民は犯罪が生じた場合には、その犯人を逮捕・処罰する義務を負っていた。隣保組織の長は角笛を吹き、大声で喚声をあげながら犯人を追跡しなければならず、また周囲の住民もその指揮に従って追跡に加わることが義務付けられていた。しかも、この協力を怠った住民に対しては制裁が課せられる。寡聞にして、こういうファンタジー小説は読んだことがない。
ここまではいかないにしても、海外文学を読むとなじみのない、ちょっとしたジェスチャーや迷信に出会うことがある。欧米だと、指を交差させることで幸運を祈るし、ロシア人は今でも扉越しに握手をすることを嫌う(宇宙ステーションでさえ)。この辺にリアリティは宿る。ジェスチャー関係なら、中世とは少しずれるが「常識の世界地図」が面白い。
法に関しては詳しくないがが、習慣や生活については先ほど述べたフランシス・ギースの本が参考になると思う。価値観では「中世の秋」がいいだろう。科学史については、増田は理系だから「磁力と重力の発見」を薦めたい。難易度はかなり高いが、知識がいかに科学になっていくかを肌で感じられる。
当時の職業に関しては、未読だが「十三世紀のハローワーク」がいいらしい。
キリスト教・宗教史に関しては、聖書のエピソードの概略や聖人伝を知っているといい。絵画が好きなら名画で学ぶ○○といったシリーズがたくさん出ている。ただし、聖書がわかったからと言ってキリスト教がわかったことにはならないので注意。
これは著名な人物の伝記に関する話だ。あるいは、当時の人々が親しんでいた物語も含めてもいい。こういう偉人の伝記や小話をたくさん知っていると、歴史好きの物知りとしてマウントを取ることができるが、その出来事が世界史上でどのような意味があったかを語れなければ、自己満足で終わり益は少ない。とはいえ、興味深いのは確かで、プロットの参考になるかもしれない。
このあたりの知識のためには、児童書も含めて伝記を読みあさることになる。または、ハプスブルク家の歴史だとか、各国史だとかを扱った新書を乱読する。絵画に興味があるなら、これも名画で見る○○のようなシリーズがおすすめだ。
当時の人々に身近だっただろう中世の騎士の物語については、ブルフィンチがアーサー王伝説、シャルルマーニュ伝説をまとめている。それとは別に「マビノギオン」も面白い。とはいえ、いきなり原典に当たる必要はなく、入門書を読めばいい。
ギリシア・ローマ神話は呉茂一の本が細かいところまで網羅しているし、ホメロスもオウィディウスも岩波文庫に入っているが、呉茂一の本は初心者には細かすぎるし、原典に当たるのは趣味の領域だから、小説を書くなら入門書で充分だと思う。同様の理由で、「史記」だとか「ローマ帝国興亡史」なども趣味に属する。当時ならではの視点は面白いが、鵜呑みにできない誤謬もあるだろう。
もちろん、単純に上記の分類にすべて本が収まるわけではない。大抵の通史・各国史はこれらを兼ね備えている。
以下、何となく面白かったものを思いついたままに書く。「中世ヨーロッパの歴史」「十二世紀ルネサンス」「ケルトの水脈」「西ヨーロッパ世界の形成」(ただしこの本は著名な王の事績がほとんどの載っておらず、当時の価値観や考え方についてのページがほとんどで、そこがアマゾンで叩かれている)。それから、隣人からの視点として「「イスラーム」から見た世界史」「アラブが見た十字軍」など。
書き洩らしているかもしれないが、今のところ思いつくのは以上だ。
他に、中世を舞台にした小説・映画もおすすめだ。難解だが読み応えのあるミステリ「薔薇の名前」、SFだが「異星人の郷」がいい。「大聖堂」は未読だ。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」はコメディだが細部の正確さは中世映画随一であるとのこと。毒のある笑いに抵抗がなければおすすめ。
中世風の舞台を描くために中世について勉強する。素晴らしいことだ。俺は敬意を表する。それに読んでいるうちにどんどん楽しくなってくるだろう。何かを知る、これは純粋な喜びだ。
だが、小説を書く以上、ある程度は想像力で補わないといけない。ある場面を書く際に必要な情報があるとしても、そもそもその資料は存在しないかもしれない。研究者でさえわからないことは多い。俺もこれだけ読んできたが、わからないことだらけだ。むしろ、疑問が深まった感さえある。細部も忘れてしまった。増田はぜひ自分で本を買ってメモを取るなり線を引くなりしてほしい。読み飛ばさず、時間を掛ければそれだけ得るものも多いだろう。
もっとも、描写に困った場合は、該当シーンを省いてしまうのも手だ。小川哲がどこかで述べていたが、ある歴史SFを書くときに、細部を省略したシーンがあるという。ストーリーにあまり関わらない部分を省くのは、立派なテクニックだ。読者だって中世建築の細部について延々読まされても困るだろう。
もうひとつ忘れてはいけないのは、増田は研究者になろうとしているのではなく、小説を書こうとしている、ということだ。知識は目的ではなく、手段だ。これを忘れてしまうと、他人の設定の粗を探したり、中世なのに価値観が現代的なのを揶揄し始めたりする。こうなると、物語世界を素直に楽しめなくなる。
大事なのは歴史的正確さよりも、読者を喜ばせることだ。そういう意味では、演出として火薬が出てきたっていい。あるいは、読者が感情移入しやすくするように、人を殺してなんぼの武将ではなく、戦争で人を殺すことをためらう武将として、描写する必要がある(ドラマの戦国武将がやたらと戦争を嫌い、優しいのはそのためだ)。異世界ファンタジーの読者が読みたいのは中世ではなく、中世っぽいものだ。そもそも中世ヨーロッパ風なのに唯一神を信じていないファンタジーは多い。
そういう意味では、本を読んでもその知識が直接生きることは少ないかもしれない。くれぐれも、読者に向かって知識をひけらかしてはいけない。あるシーンの正確さのために資料に当たるのはいいが、その成果を延々披露しては読者のストレスになるだけだ。もちろんそういう衒学的な歴史小説もあり、固定ファンはついているが、ネット小説の読者には少ないだろうし、ネット小説の肝であるPVを稼ぐことにはならない。これはいい悪いではなく、ネットと書籍の媒体の差だと思っている。
また、レッドオーシャンの中世ヨーロッパ風ファンタジーに飛び込むのなら、正確さよりも作者の専門知を活かしたものの方が(ブクマで書いている方もいるが)読者の目に留まりそうである。そして、くどいようだが、これだけおすすめの本を書いてきたが、読者が欲しいのは正確な知識ではなく血沸き肉躍る物語である。
だが、作者にとっての最大の危険は、どんな物語よりも過去に起きた事実の方が面白いのだと気づいてしまうことだ。この罠にはまると、どんな小説も所詮作り事と思われて素直に読めず、何を書いてもむなしくなってしまう。言い換えるなら、創作欲が知識に殺されてしまう。増田には、これに一番気を付けてもらいたい。
それを防ぐには、面白い小説を読み、面白いものを書くこと、これに尽きる。先行作品としての中世ファンタジーを愛し、数多く読み、繰り返し読むこと。
今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作とされる。
巨体は星々と頭が摩するほどで、その腕は伸ばせば世界の東西の涯にも達した。腿から上は人間と同じだが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがない。肩からは百の蛇の頭が生え、火のように輝く目を持ち、炎を吐いた。
半人半蛇だけど「炎を吐く邪悪な蛇」のイメージにはなっているかも。
ラードーン(古希: Λάδων, Lādōn)は、ギリシア神話に登場する、林檎園の黄金の林檎を守っていた、100の頭を持つ茶色いドラゴン。
(中略)
口から炎を吐き、一説では顎の関節が尾にある為、体全体が口のようになっており、百の首を持つといわれている。
と、Wikipediaには書かれているが、ラードーンが火を吐くかどうかは定かでない。
何が出典なんだろ?
『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。
『ヨブ記』によれば、レヴィアタンはその巨大さゆえ海を泳ぐときには波が逆巻くほどで、口から炎を、鼻から煙を吹く。
(中略)
その姿は、伝統的には巨大な魚やクジラやワニなどの水陸両生の爬虫類で描かれるが、後世には海蛇や(それに近い形での)竜などといった形でも描かれている。
ドラゴンになったのは後世。
プリニウスの著作で唯一現存しているのが、自然と芸術についての百科全書的な37巻の大著『博物誌』である。自然界の歴史を網羅する史上初の刊行物であった。
(中略)
プリニウスの『博物誌』10巻には、サラマンドラは斑点を持つ小さなトカゲで、雨が降ると現れるが晴れると姿を消し、体が冷たく火に遭うと溶けると記録されているが、これはサンショウウオに関する記述と考えられている。
また、『博物誌』11巻にはピュラリスというキプロスの炉の炎の中でしか生きられない動物が登場しており、精霊のサラマンダーはこちらに近い。上記の通り、炎を操る特徴からファイアー・ドレイクと同一視され、ドラゴンとして扱われることもある。
『ベーオウルフ』が成立した時期は、作品内部にも外部の言及としても成立の時期を特定する記述が存在しないため、必ずしも明らかではないが、8世紀から9世紀にかけての間に成ったと考えられている[3]。
第一部でベーオウルフは巨人(ドラゴンとも言われている)グレンデルとその母親と戦い、第二部では炎を吐く竜と死闘をかわす。 なお、インパクトが強くかつ謎の多いグレンデルとその親に関しては言及されることが多いが、炎を吐く竜に関してのものは少ない傾向にある。だが、同時にいわゆる「ドラゴンの約束事」(財宝を蓄え守っている、翼を持って空を飛ぶ、火を吐くなど)をほぼそろえている珍しいドラゴンでもある。
スラヴ民族は文字を持たなかったため、伝えられた神話を民族独自に記録した資料は存在しない。スラヴ神話が存在した事を記す資料として、9世紀から12世紀の間に行われたキリスト教改宗弾圧の際の「キリスト教」の立場から記された断片的な異教信仰を示す内容の記述が残るのみである。スラヴ神話は地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。
ズメイ・ゴルイニチ(「山の息子の竜」の意)の場合、3つ首以上、多ければ12の体幹を持つと表現され、火や毒を噴くなど、歴然とした一般の「竜」のイメージで描かれる。
『アングロサクソン年代記』はアングロサクソン史を古英語で綴った年代記の集大成である。編纂は9世紀後半のアルフレッド大王の治世に、恐らくはウェセックスにおいて行われた。
「火の竜」を意味する名前の通り、炎をまとい、口からも炎を吐く。空を飛び、それが現れる時は辺り一面、昼のように照らされる。曇天の空に不思議な光が走る時はファイアー・ドレイクが飛んでいるのだとされた。
隕石という説があるらしい。
『イヴァンまたは獅子の騎士』(イヴァンまたはししのきし、Yvain, le Chevalier au Lion)は、1170年から1181年頃にかけてクレティアン・ド・トロワにより著作された散文騎士道物語であり、アーサー王伝説を主題にした5作品のひとつである。
イヴァンは旅の途中で火を吐く大蛇と獅子が戦っているところに出くわす。イヴァンは問答のすえ獅子に加勢し、大蛇を倒した。これに恩義を感じた獅子は、イヴァンと行動を共にするようになり、イヴァンは獅子を連れた騎士とだけしか名乗らなくなる。
『黄金伝説』(おうごんでんせつ、羅: Legenda aurea または Legenda sanctorum、レゲンダ・アウレア)は、ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃 – 98)によるキリスト教の聖人伝集。1267年頃に完成した。
その時代、エチオピアの町では一人の魔術師が権力を持っていた。彼は常に恐ろしい二匹のドラゴンを連れていて、自分にはむかう者にけしかけていた。あまり大きなドラゴンではなかったが、口や鼻から火や燃える硫黄を噴出し、人や家を焼きつくしたので誰も魔術師に反抗できなかった。その噂を聞いたマタイは魔術師の元を訪れた。魔術師はマタイにドラゴンをけしかけたが、マタイが十字を切るとドラゴンは地面に倒れて眠り込んでしまう。
同じく「黄金伝説」に書かれている、有名な聖ゲオルギウスが退治したドラゴンは、毒を吐くが火は吐かない。
聖マルタが退治したタラスクは、「燃える糞を撒き散らす」と言われているけど、これ英語版では確認できなくない?
タラスクは、レヴィアタンとボナコンの子供なのだが、ボナコンの特徴である「燃える糞」が、日本語訳されるときに混同されたのでは。
といったところから考えると、5世紀くらいまでは「火を吐くドラゴン」概念は薄かったが、
8〜9世紀頃から伝承として語られはじめて、10〜12世紀頃にはすっかり定着していたという感じだろうか。
なぜ火を吐くようになったのか?
サラマンダーは、火をより大きく燃え上がらせる能力があり、火山の溶岩の中に住んでいるという伝承もある。
ズメイや、ヤコブのドラゴンは、吐く息から硫黄の臭いがするといい、火山を連想させる。
ドラゴンには「地を這うドラゴン」と「空を飛ぶドラゴン」の二種類のイメージがあるが、
蛇や蜥蜴からは空を飛ぶイメージがしづらいことを考えると、隕石からの連想には説得力がある。
そこから火を吐くように変わっていったことを考えると、これも自然な解釈に思われる。
うーん、わかんね。
追記。
「フンババの咆哮は洪水であり、彼の口は火を意味し、吐息はまさに死である」というのは単なる比喩なのでは。
しかも宇野維正は有名なエンタメ系ジャーナリストで、その彼がマーリンを知らないというのは結構な驚きだし、「アーサー王伝説を知らないの?」と疑問に思うのは当然で、まあ好意的なリプライではないけれども、煽りというほどではないわな。
62と78は「無知を指摘する煽り」じゃないし、それ以外は「無知を指摘すること自体が相手を不快にさせる」という事例であって、元増田が例示した「アーサー王伝説も知らないのかこの馬鹿死ねよ無知この恥さらし」のような、無知を指摘した上で言葉として煽りが入っているものとは違うよね。しかも10ツイートもない。
すまん、参考までにどのツイートが「オタクたちの煽り」なのか具体的に番号で示してもらっていい?
02 ツイッターがここ数年でオタク化してるって誰かが言ってましたね
03 味方全員の必殺技のゲージをそれぞれ20%上げたり、味方全員を1ターン無敵にしたり、必殺技が全員の体力と必殺技のゲージを少しずつ上げたりできるキャラで、戦闘のサポートするのに最強のキャラでなかなか手に入らないから、Twitterのトレンドになったと言うことです。
04 安室奈美恵って誰だよ...←
05 マーリン知らないの笑う
06 このキャラらしいです(´◦ω◦`) [FGOマーリンの画像]
07 円卓分からないんですか
08 塔の上から猫を投げ捨てる人でなしですよ
13 ガーデンアヴァロン!!!!!!!!!!!!
14 マーリン知らないは草
15 トレンドのマーリンの中で一番ぷっちぎってるツイートがこれというのも逆に面白いですね・・・お見事です👍 FF外から失礼しました・・・お詫びにいいねとリツイートしておきます。
16 日本はオタク化が進行しています。素晴らしいです。 子供向けのEテレでは、大ヒットアニメを放映するなどして、小さい子供にもアニメのことを知ってもらおうとしています。
18 王の話する人です
19 トランスフォーマー最後の騎士王観ればわかる(分かるとは言ってない)
22 王の話ばっかしてます
23 王の話をするとしよう。
26 ニモのお父さんのことですよー
29 アーサー王伝説に出てくる魔術師です世界でも有名なんですよ
30 ディズニー映画の王様の剣に出てくる 魔法使いのお爺さんですよ?w(・o・)
36 多分あれだよ メジャーリーグのチームの・・・
38 安室奈美恵って誰ですか?
40 「星の内海。物見の台。楽園の端から君に聞かせよう。君たちの物語は祝福に満ちていると……」 「――“罪無き者のみ通るがいい”――」 『永久に閉ざされた理想郷(ガーデン・オブ・アヴァロン)』
41 モンストですよ
42 スネ夫の亜種
44 王の話をするとしよう。
45 多分、今になってキング・アーサーとトランスフォーマー最後の騎士王が流行ったんでしょう…(すっとぼけ)
48 エロメンコバースの超越ウィッチによく入ってたカードですね
49 マーリン(Merlin)はヨーロッパ中世の伝説上のグレートブリテン島の魔術師。 [Wikipediaの画像]
50 マリーン ほんと~に気になる
51 知らないのも仕方がない…
56 分からない。
57 (謎ω謎)???????
58 FGOのマーリン知ってて当たり前みたいなリプ飛んでるの見てイキってて気持ち悪いと思った(渾身の感想)
60 パンに塗るやつでしょ
62 安室奈美恵を未だに崇拝してるほうがどうかしてるんだけどね
63 他人の趣味にとやかく言う気は無いですが、ゲームだかアニメのキャラなんてクソどうでもいい頻出単語をトレンドに上げないで欲しいですね。
66 FGOで人のマーリン使ってて欲しくてお話したくて会いたくて震えるガチャ
67 円卓の騎士も知らないとかやばそ
68 すっごく簡単に説明すると、一番スマホアプリの中で課金されている人気ゲームの中でも飛びぬけて人気で強いキャラが、今だけ確率的に手に入りやすくなっているのです。
69 安室ちゃんが誰って凄えな...この日本は二極化が進んでるわ(主観)
71 王の話をずっとしてる人( ˙-˙ )
73 あの有名なアーサー王伝説のマーリンを知らないんですか!?ディズニーで映像化されてるくらいなのに!
74 RTから来ました。アーサー王伝説に出てくる魔法使いですね。
75 fate grand order略してFGOというスマホゲームの登場人物の名前です。
77 王の話をするとしよう
78 お前誰だよ()
80 フェイトグランドオーダーというゲームアプリのキャラです
83 んなとっくに過去のミイラみたいな奴誰もどうでもいいって思ってるからだよ てかお前がこの世で頭おかしいぐらい金稼いでるFGOを知らないのが問題 何?君ほんとに日本人? 日本に住んでない人? 日本人でfate知らないとかもはや非国民だから自害しろランサー
85 日本人なら皆やってるアプリ、FGOの事知らないの?お前、韓国人だろ?
88 某スマホゲームでものすごく性能の良いキャラクターが当たるセールが始まりまして。
89 アーサー王伝説及び円卓の騎士の伝説に登場する、花の魔術師マーリンの事ですね
91 うーん 嘘松w
94 まーたアニメアイコンどもが騒いでるよ
95 知ってはいるが活動してたん?みたいな FGOは世界一とっちゃったし
96 スマートフォンのゲーム「FateGrandOrder」に出てくるキャラクターみたいですね>マーリン 今回プレイアブルになったか手に入りやすくなったとかで話題になっているみたいです。
やる夫スレは読んでみると意外と面白いものが多く、ここ1年ぐらい結構ハマっている。
内容の質も非常に高く、10年前の葉鍵SSブームを見ているようである。
色々と読み込んだので、お気に入りの作品とその感想をまとめてみることにした。
あらすじ:
ある日、一大決心して翠星石に告白しようとする。その矢先、翠星石が同級生の上条当麻に告白され、付き合い始めるところを目撃してしまう。
やる夫の友人、やらない夫とLはやる夫をいつものカフェに連れていき、慰めようとする。
そこには同じく幼なじみの上条当麻に彼女ができたことを知って意気消沈している同級生、美樹さやかの姿があった。
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感想:
フラれたもの同士が結託して付き合いだした二人を邪魔しようとしているうちに仲良くなって……という、わりと定番の筋書きなのだが、それゆえに素直なストーリーで読みやすい。
さらに登場人物が皆好感の持てるキャラクターなので非常にさわやかな読後感を味わえる。
やる夫スレの定番ヒロインである翠星石でなく、比較的新顔の美樹さやかをヒロインに起用しているところもポイントが高い。
美樹さやかの性格はほぼ原作に近く、普段は活発で明るい性格なのだが悩み事に対してはうじうじと考えてしまうタイプ。
これが意外とやる夫とマッチしていて、この二人の掛け合いは見ていて好感が持てた。
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なし
あらすじ:
会社員のやる夫は、いつものように先輩社員の伊藤誠とランチを食べにファミレスへ入っていった。
電話の相手は妹のフェイト。父、やらない夫の訃報を知らせる電話だった。
葬儀を済ませて仕事に復帰したその日の夜、やる夫は自宅の玄関先で自分を待つフェイトを発見する。
家出をしてきたのでしばらく泊めてほしいとのこと。
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感想:
義理の妹と一つ屋根の下で同居、と聞いて萌えやエロのようなジャンルを想像されるかもしれないが、そういう描写は一切ない。
幼い頃に亡くした実母・キル子への想いや、険悪な継母・水銀燈との生活を思い浮かべながら、他人とも友達とも恋人とも、もちろん実の妹とも違うフェイトとの接し方について悩むやる夫の姿は非常に大人びていて、多くのスレで見られるようなお調子者のやる夫の面影は見当たらない。
また、先輩社員の伊藤誠は一見原作と同様の性格に見えるが非常に常識人で、義妹と同居することになったやる夫に的確なアドバイスを与えたりもしている。
(性的な意味でなく)大人な内容の作品なので好き嫌いの分かれる作品だが、興味があれば是非読んでほしい。
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なし
あらすじ:
米国地方都市、パーソク市の名家ニュー速デ家の跡取り、やる夫は幼なじみの翠星石に振られてから落ち込んだ毎日を過ごしていた。
学校をサボって公園で時間を潰していると、謎の少年、蒼星石と出会う。
蒼星石は怪物に追われていた。巻き込まれるように追い詰められるやる夫。
絶体絶命のそのとき、蒼星石の持つカバンが開いていることに気づく。
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感想:
本作は3部構成になっている。本編「やる夫は剣を抜いたようです」と、その外伝「剣はやらない夫を選ぶようです」は時系列の大半が重なっており(全てではない)、やる夫視点の話とやらない夫視点の話がそれぞれ描かれる。
「剣はやらない夫を選ぶようです」は完結後、すぐに本編の終盤にリンクし、最終章の「やる夫は剣を――」につながっていく。
数あるやる夫スレの中でもかなりの大長編で、全90話にもわたる超大作である。これに番外編等を加えると100話に達するだろう。
オープニングの説明にある通りアーサー王伝説を下敷きにしており、アーサー王伝説から多数の英雄が登場するが、それ以外の神話などからも多数のエピソードを取り入れている。
Fate シリーズに似たような雰囲気があり、スレ内でも作者が Fate 風に解説をするなど関連する部分も多いが、作風としてはどちらかというと「うしおととら」や「からくりサーカス」といった、藤田和日郎の作品に近い。
多数のキャラクターが登場するものの、それぞれの登場人物にしっかりとした個性があり、彼らの織り成す大小さまざまなエピソードはどれも味わい深い。
特に夜神月と水銀燈は読者の想像を超えて活躍し、話を盛り上げてくれた。
本編も面白いが、私としては外伝「剣はやらない夫を選ぶようです」を特に推したい。
何の力も持たない一般人やらない夫が、ストーリーが進むにつれ強くなっていき、それにつれて最初はやらない夫を主人として認めなかった「知性ある剣」オルナ(朝倉涼子)が徐々に彼を主人として認めていく展開は、王道ながら非常に盛り上がる。
エピソードも名作が多い。特に「東横桃子」編は素晴らしかった。細かい説明は省略するが、是非ここまでは見てほしい。
難点としては、まずひたすら長いことが挙げられる(1話10分で読むとしても15時間以上かかる)。
長すぎてとても読む気がしない、というのであればまずは本編6話まで(夜神月+水銀燈編)、12話まで(ヌケド+でっていう編)、の2回に区切って読むことをおすすめする。
もう一つは、やる夫編とやらない夫編が非常に複雑にからみあっており、読む順番が難しいということにある。
おすすめとしては、上記リンク先のまとめサイトで各話の最後に「スレ内投下順」と書かれたリンクがある場合はそれに従って読み進めることである。
やる夫編、やらない夫編を行き来することになるが、結果として理解の助けになるだろう。
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あらすじ:
フリーターや契約社員として生計を立てているやる夫は、次の仕事を探していた。
なかなか仕事が見つからず苦労している中やる夫が転職サイトで発見したのは、AV女優のマネージャー募集という求人広告だった。
やる夫は、初音ミクを始めとしたAV女優達を通じて、仕事とは何か、生き方とは何かについて考えていく。
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感想:
http://blog.livedoor.jp/nyusokudeyaruo/archives/1569171.html
AV女優というタイトルに釣られがちだが、内容は仕事や生き方などをテーマにしたかなりシリアスな話。
AV女優として働く女性達はそれぞれ異なる理由でこの道に飛び込む。明確な目的意識を持って飛び込むもの、借金の返済のため仕方なく働くものなどその背景は様々。
始めは目標があったにも関わらず、仕事をしていくうちに少しづつ堕落していく女性なども描かれ、登場人物の心情変化が丁寧に描かれている。
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