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はてなキーワード: 美談とは

2026-01-27

美談は誰かの呪いとなる…

カラッといこか

中はしっとり

2026-01-26

第1期が終わった段階で、第2期をどうしよう?という話が出て、自分は第1期で力を出し尽くしてしまったところもあり、「フリーレン」という作品をどうやったらより強い形で世に送り出せるだろう?と考えた時、現場的な関わりは少し休憩させてもらいつつも、自分ノウハウ知識を伝えることは、惜しまずに協力していきたかったので、監督協力というクレジットで参加することになりました。

ぼざろ、フリーレンとこの理由なんだけど、飽き性なだけじゃね?

作るもののクオリテイは良いのかもしれないけど、最後まで付き合ってくれないんだ、っていう残念さがある

というか新しい物語キャラクター、展開があって原作が長く続いてるのに、もう自分やることありませんってのは原作にも失礼では?続きに新鮮味を感じないってことでしょ?

声優が「1期で力を出し尽くしてしまったので2期から違う人に」ってなったら、仕事舐めてんのかって思う

なぜ監督けが美談みたいになるのか

2期は予定してなかったから他の仕事キャパがいっぱいだ、と言われたほうが納得できない?

となりのトトロ」は放送される度に、サツキヤングケアラーだって炎上してるじゃん

そしてカンタ児童労働は?って突っ込まれて、大学職員お嬢様農家のガキとの身分格差を思い知らされるっていう

きなこもち🌱🦋

@pathofthewind5

そうだね、「となりのトトロ」のさつきはヤングケアラーだけど、美談として消費されてきたもんね。

今もまださつきみたいな扱いを受けている長女はたくさんいるんだろうなと思うから、早くなんとかしてって思う。

https://x.com/pathofthewind5/status/2015666004479947122

2026-01-25

anond:20260125151857

いやこれ、ストックホルム症候群っていうか、DV加害者にすがって関係美談化する共依存者の女の文章構造そのまんまだろ。

殴られた(負けた・焼け野原)って事実がキツすぎるから

「でも相手も本気だったし…」

「死力を尽くした者同士の絆が…」

憎悪の中にも畏敬が…」

って、痛みを意味に変換して自分を落ち着かせてるだけ。

これ、DV被害女が「でもあの人ほんとは優しいんです」って言い出す時の脳内整合性の取り方と同じ回路。

しかも「子ども大人喧嘩比喩が最悪で、

殴られた側が「本気で向き合ってくれたから成長できた」みたいに語りだすやつ。

暴力教育や絆に見せ替える、共依存テンプレじゃん。

で、最後の「美化するつもりは毛頭ない」って免責も、あれ完全に「美化じゃない、理解なんだ」って自分に言い聞かせるための呪文

美化するつもりは毛頭ないって言ってるのに、本文は「死力」「血みどろ」「畏敬」「特別」って、美談美辞麗句フル盛りなんよ。

結局これ、「日米関係」の説明に見せかけて、実態は納得できる負け方をでっち上げて心の傷を縫い合わせる作文。

相手への敬意じゃなくて、ただのトラウマロマンスポルノ化だろw

2026-01-24

大家族の一番上の長男が下の子の子育てでヤングケアラーだと話題になっている件、男女逆だったら叩かれてないと言い張る意見を見掛けたけれど、私は絶対にそんな事ないと思う

寧ろこうやって下の子の面倒を見るのが姉だったら長子長女はいつも不遇なんだとネットで散々愚痴られるけれど

兄だった場合には尽くすのは立派なお兄ちゃんで済まされる事が多いよ?

トトロサツキ放送の度に児童虐待だと炎上するけれど、鬼滅の刃の炭治郎は立派な長男で済まされるじゃん

山上徹也の所だって一番の兄は病気自殺、徹也は大学に行けず自衛隊だけど、一番下の妹だけが大学に行っている

これがもし性別が逆だったら絶対に、末っ子が男で長男から甘やかされている、大学に行かせてもらえたのは男だからだ、姉の人生は弟のせいで狂わされた、ブラザーペナルティだって騒がれていたと思う

上のきょうだいが下のきょうだいに尽くして自分人生台無しにした場合、どう考えても姉に比べて兄の方が美談で済まされやすい傾向があると思う

NHK北陸新幹線工事の話やってるけど

なんで命懸けで工事してんの?????

JRが依頼したにしても命懸けの工事になってるのおかしくない???

命懸けなら工事やめるとかもっと安全工事になってからじゃないとダメだったんじゃないのこれ???

美談にしてるけど怖くない???

実際番組現場にいた人たちみんな怖かったですって言ってるじゃん

命賭けて新幹線トンネル掘れとかやばすぎない???

それが仕事ってやばすぎだよね?????

掘ったら死ぬかもしれないとかギャンブルじゃん

こんなんで月収何十万円とかだったんでしょ?

やりがい搾取でしょ!?

どうみんな!?

意見聞かせて!!!

2026-01-21

anond:20260121161706

それすらも美談として美味しく戴けるのが

ファンの鑑。

2026-01-12

増田史上最高にうまいラーメン屋なのに、もう2度と生きなくたい

当方、子なし夫。

近所にラーメン屋がある。これがもう、びっくりするほど旨い。好みドンピシャ人生で食ってきたラーメンの上位に普通に食い込む。俺はこの店が好きだ。かなり。

ところが、いつの間にか始まった。「お子様連れの方、お子様分無料」。

は?

いや、理屈はわかる。子は宝。少子化国家課題社会全体で支えるべき。それ自体異論はない。頭では理解している。理解はしているんだ。

でもな。感情は別。

その一杯の「無料」は、どこから湧いてくる?

から降ってくるのか?

違うだろ。誰かが負担してるだろ。

それが誰か。

子どものいない、俺たちだ。

職場でも同じ。産休、育休、時短制度として必要なのは百も承知

でも、その間に発生する仕事は消えない。誰がやる? 俺だ。増田だ。

仕事量は増える。責任も増える。給料? 1円も増えない。

子供手当? 税制優遇

うちは何もない。

子どもいないんだから金かからないでしょ?」

そういう話じゃない。

妊活もした。必死にやった。諦める直前で、健保適用が決まった。

……年齢制限で、使えなかった。

ああ、そうですか。制度ですか。それならまだ飲み込める。国が決めたことだ。

でもな。

なんで俺の好きなラーメン屋で、知らん客のガキのラーメン代を、ガキのいない俺たちが負担せにゃならんのだ。

妊活欧州製の高級外車が買えるぐらいの金はかけた。

妻も相当体に負担をかけた。その上で、諦めるという選択をした。

なのに、何で1,000円を超える1杯のラーメンからいくばくか、どこぞの知らんガキのために恵まなければならんのだ。

美談みたいに言うな。

善意押し売りをするな。

その「無料」の後味を、こっちは全部飲み込んでるんだ。

ラーメンは相変わらず、ものすごく旨い。

少なくとも俺の口には、最高だ。

だが、食い終わった後に残るものがある。

胸の奥に沈殿する、言葉にしにくい苦さ。

幸せそうな子連れ客に対する悪意と、その悪意を持っている自分というメタ認知に差す自己嫌悪

好きなものを好きなままでいさせてくれ。

正しさを、悲しみを抱える客に押し付けないでくれ。

本当に心の底から好きな旨いラーメンを食ってるはずなのに、

後味は最悪。

この店の前の道路で、トラックに飛び込んでやろうかな。

引き裂かれる。

辛い。

正直、女子枠ってそんなにおかし制度だとは思ってない。

男って、女がいるだけで勝手気合入る生き物なんだよ。

評価されたい、カッコつけたい、ちゃんとやろうってなる。

思想とかじゃなくて、ほぼ反射。

これ、戦争の話でも昔から言われてて、

前線女性がいると男が無駄英雄ムーブして死にやすくなるから外す、って理屈がある。

差別とか美談じゃなくて、行動の傾向の話。

逆に言えば、職場組織では

女性がいるだけで男の生産性が上がる場面が普通にある。

会議が締まる、サボりにくくなる、成果出そうとする。

別に女性が何か特別なことをしなくても、空気が変わる。

から女子枠って

女性を甘やかす制度」じゃなくて

「場を引き締めるための装置」だと思えば、割と合理的

感情的に嫌がるのは分かるけど、

意味不明とか非合理って切るのは、さすがに人間見てなさすぎだと思う。

2026-01-10

高市首相の夫はなぜ落ち込んだのか?

高市首相の夫はなぜ落ち込んだのか

2026年1月9日高市首相の以下の投稿話題になっている。

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高市早苗

@takaichi_sanae

夫とともに公邸引っ越して10日あまりとなりました。

私達の公邸への転居に関する報道を目にした夫は、落ち込んでいる様子でした。

それは、大手報道機関も含めて、「転居を前に公邸バリアフリー対応の改修も実施された」という誤った報道を目にしたからです。

「僕のせいで、多額の公金が使われたのか」と。

仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸引っ越しませんでした。

念のため、公邸管理をしている官邸事務所確認いたしました。

そうしましたところ、やはり、石破総理がお住まいになられていた時期から私の転居までの間に行われた作業は、室内清掃など、居住者が替わることに伴う通常の修繕であり、バリアフリー工事は一切含まれていないということでした。

夫にも伝えて、明るくリハビリに励んで全快して欲しいなと願っています。早く調理師資格を持つ夫の得意料理も食べたいし・・・

午後8:32 · 2026年1月9日

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現時点(2026年1月10日11時30分)ですでに1800万ビューを超えている。

この投稿一見すると、マスコミ誤報によって苦しめられる障害者の夫と、それと戦い夫を支える家族思いの高市首相献身という「美談」のようにも見える。

しかし、この投稿には極めて大きな問題が見られる。それをまとめておきたい。

障害社会モデル」という考え方がある。これは障害個人特性身体的な機能不全)ではなく、主に社会制度的・物理障壁偏見社会的排除)の側の問題と捉える考え方である。この考え方のもとでは、何が障害となるかはその社会構成する個人社会相互作用によって決まる。社会構造環境アップデートし、個人特性に合わせることが障害への対応であるとされる。

これに対し、「障害医学モデル」という考え方がある。これは障害個人身体機能の不全と捉える立場である障害個人問題であり、個人自助努力によって克服されるべきだという理解である。逆に言えば、そうした努力放棄し、他人世間に頼ることは甘えであり忌避されるべきだという考え方につながりやすい。

歴史的には障害医学モデルが主流であったが、現在障害社会モデルへと大きくシフトしている。

日本も同様である障害者基本法では、障害者

身体障害知的障害精神障害発達障害を含む。)その他の心身の機能障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会障壁により継続的日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。」

規定し「社会障壁」という障害社会モデルを下敷きにした文言を用いて説明している。

以上を前提として高市首相投稿分析する。

高市首相の夫は「転居を前に公邸バリアフリー対応の改修も実施された」との報道に接し、落ち込んだ。その理由を「僕のせいで、多額の公金が使われた」と説明している。

高市首相の夫の考え方では、自分障害のために公金を使用することは受け入れられないことのようだ。「僕のせいで」という言葉からは、「障害とは個人努力や頑張りや根性によって『乗り越え』なければならないものだ、ここに公金を投入することは税金無駄いであり、甘えであり、努力放棄なのだ」という負い目が透けて見える。

本当は自分努力で乗り越えなければならない「試練」を税金支援してもらうことは「施し」であり、「社会お荷物である自分世間様に「迷惑」を掛けてしまったという「恥ずべき負い目」として理解されている。

高市首相も同じ考えだ。「仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸引っ越しませんでした。」「明るくリハビリに励んで全快して欲しいなと願っています。」との投稿は、そのことを端的に表している。

ここからうかがえることは、高市首相もその夫も障害医学モデルの考え方を深く内面化しているということである。そして、その根源にあるのは「夫は社会お荷物なのではないか」「夫は社会迷惑を掛けているのではないか」という恐怖である

「仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸引っ越しませんでした。」との記載は、「施しを受ける立場になってたまるか」という高市首相の高貴で歪んだプライドの表明である。それはその後の高市首相言動からも明らかだ。

夫の落胆を目にした高市首相はどう対応たか

投稿では、官邸事務所に問い合わせ、転居に当たってのバリアフリー工事は行われていないことを確認し夫に伝えた、とある

高市首相の取った解決方法は「私たち世間様に迷惑はかけていない、公金からの施しも受けていない」という「身の潔白」を証明することだった。

高市首相がこの投稿に込めたのは「障害を持つ者が、その生活のために公金を使うことは申し訳ないことであり、我々はそれを徹底的に拒否することで身の潔白を証明する」というメッセージである

一国の首相がこうした投稿をすることの意味は極めて大きい。

この投稿社会一般に「障害者特別な金がかかる」「障害者世間様に配慮を求めることは本来慎むべきことである」というスティグマ(負の烙印)を強化する効果を持つ。

マスコミ報道事実誤認であるか否かはここでは重要ではない。高市首相がどのような意図で発信したものかという主観面も関係ない。客観的事実としてそのようなスティグマを強化する効果を有するという点が問題なのである

高市首相の夫は、誰かに面と向かって「税金無駄だ」と非難されたわけではない。誤報ではあったが報道に接しただけである

しかし、彼は萎縮した。「きっとそのように言われるだろう」「世間様は自分のことをそのような目で見ているだろう」と予期して自ら萎縮し、落ち込んだ。

これはこの社会蔓延している呪いである。「障害者社会から非難されないよう常にわきまえて生きなければならない」という呪いである

本来なら高市首相は夫にこう声をかけるべきだった。

あなた官邸に入居することでバリアフリー化が進み、この建物が誰にとっても使いやすアップデートされる」

税金を使うなという批判的外れ。私達が胸を張って環境を整えることで、後に続く人たちが『申し訳ない』と思わなくてすむ道をつくることになる」

こうした声掛けによって夫を呪いから解放すべきだったのだ。

しかし、高市首相はこの呪いを解こうとしなかった。むしろ無自覚にもこの呪いを強化してしまった。それは高市首相自身もまたこ呪いからめとられており、かつ、その事実認識できていないかである

高市首相の夫はなぜ落ち込んだのか。

それは妻と夫が「自助こそが尊く、公助に頼ることは恥である」という強固な政治信条をあまりにも深く共有し、自分たちをも断罪しているかである

この政治信条のもとでは二人は今の自分たちをありのままに受け入れることができない。この自己受容の欠如は、社会から断罪されるという幻影を生み、底知れぬ恐怖となって二人を襲っている。

彼を真に追い詰めたのは、愛する妻と共有するあまりにも潔癖な「自助」の呪いなのである

2026-01-04

高校部活大会国民行事にするのやめない?

仮に国民行事にするなら教育子供保護を盾にするのをやめない?

普通に卑怯プレーとか疑惑の判定とかあったら批判すべきだし批判されるべきでしょ

からなんか気持ち悪いんだよな

美談しかさないみたいな

そのせいで部活内のいじめとかもいつまでもなくならないのでは?

部活やってたら分かる汚い部分も見せて「そりゃこんなんじゃいじめも起きるわ」っての周知させなきゃ

改善もしないと思うよ

2025-12-27

2025年経営ログ

25年の年の瀬

冬の空気が張りつめ、

一年という時間の重さを、否応なく突きつけられる季節になりました。

経営をしていると、

一年は驚くほど短く、

同時に、異様なほど長い。

決断の数だけ夜があり、

責任の分だけ、誰にも言えない沈黙があります

結果が出た年も、出なかった年も、

経営者にとって「楽な一年」など、一度もありません。

皆さんにとって、この一年はどんな一年だったでしょうか。

年末から年始にかけては、

数字評価よりも、

「逃げずに向き合ったか

それだけを基準に、自分を振り返る

私はこの時期、必ず言葉を残します。

美談でも反省文でもなく、

次の一年へ進むための“経営ログ”として。

先日、とある文章を読みました。

読み進めるうちに、

胸の奥で小さく、しかし確かな感覚が生まれました。

あっ、これは俺だな。

好きなことに没頭し、

とにかく動く。

失敗する前提で動く。

細部には異常なほどこだわるが、

過去の失敗には、ほとんど執着しない。

後悔よりも、次の一手時間を使う。

やると決めたら、すぐやる。

できないことは、人に任せる。

完璧じゃなくていいから、

前に進むことだけは止めない。

気づけば、

そういう人間の周りに、

人も、仕事も、チャンスも集まってくる。

ただし、それは同時に、

簡単には降りられない生き方でもあります

途中でやめるくらいなら、

最初からやらない方が楽だと、

何度も思いました。

22歳のとき

私の夢

インテリアを通して、世に貢献したい」。

正直に言えば、

当時は理想論だったと思います

ただ、

「この仕事で生き切る」と決めただけでした。

暮らしは、人を静かにつくります

環境は、人格にまで影響する。

からこそ、

この仕事は片手間でやるものじゃない。

そう腹を括りました。

その覚悟を、

決定的なものにしてくれたのが、

とある師との出会いでした。

人生には、

説明のいらない一言で、

逃げ道が消える瞬間があります

それ以来、

私は人生を“全振り”してきました。

失敗も、恥も、誤算も、

正直、数え切れません。

カッコ悪い決断も、

笑われる挑戦も、

山ほどありました。

それでも続けてきたのは、

「挑戦しない理由を並べ始めたら、終わり」

そう自分に言い聞かせてきたからです。

経営は、センスではありません。

才能でもありません。

覚悟の量です。

不完全な情報の中で、

最悪の結果を想定し、

それでも決断する。

失敗したら、言い訳をせず、

自分名前責任を引き受ける。

それが、経営だと思っています

私たちが目指しているのは、

「小売の夜明け」。

消費から、利用へ。

所有から関係へ。

そこに、テクノロジーAIを掛け合わせ、

小売を、もう一度“社会必要産業”に戻したい。

環境を扱うということは、

人の人生に触れるということ。

からこそ、

数字だけを追う経営はしない。

思想のない拡大には、意味がない。

すべては、行動からまりました。

行動の差は、覚悟の差。

決断の差は、責任の差。

自信の差は、準備の差。

人格の差は、苦労の差。

幸福の差は、感謝の差。

成長の差は、挑戦の差。

信頼の差は、誠実の差。

知恵の差は、経験の差。

技術の差は、練習の差。

これは理屈ではなく、

現場で叩き込まれ現実です。

2025年

私たち会社は大きく前進しました。

南は沖縄、北は北海道

全国18店舗

点だったものが、

ようやく「面」として語れる段階に入りました。

同時に、

背負う責任も、確実に重くなっています

この結果は、

現場で踏ん張り続けてくれた仲間、

取引先の皆さま、

関わってくださったすべての方々のおかげです。

から感謝しています

それでも、

経営者としての私は、まだ未完成です。

一部の店舗で、

私のことを「ボス」と呼ぶ声があります

トヨタ社長は、こう言います

ボスは『私』と言う。

リーダーは『我々』と言う」

この言葉は、

今の自分への、強烈な戒めです。

ボスを脱却し、真のリーダーへ。

それは、

売上や店舗数よりも、

はるかに難しく、

そして、最も逃げてはいけない挑戦です。

2026年も、

また行動から始めます

恥をかく側でいい。

挑戦する側でいたい。

本年も、本当にありがとうございました

皆さまにとって新しい年が、

覚悟と挑戦に満ちた一年になりますように

2025-12-24

フリマアプリ会社で働いていた」への違和感

https://anond.hatelabo.jp/20251221114355

話題になっていた「フリマアプリ会社で働いていた」という退職エントリーを読んだ。世間では「心が洗われた」「よく言った!」などと絶賛の嵐だ。

まず最初に断っておきたい。

私は、とある企業経営レイヤーに属する人間だ。

件の会社とは一切関係がないし、正直あの会社がどうなろうと知ったことではない。

だが、あのエントリが「美談」として消費されている現状には、実務家として看過できない猛烈な違和感がある。

おそらく、組織利益や存続を左右する重い舵取りを任された経験がある人間ならば、あの文章を読んで抱く感想は「感動」などではないはずだ。

もっと乾いた、「呆れ」に近い感情だ。

「ああ、ビジネスパーソンとして必要OSが、根本からインストールされていないな」

致命的に何かが欠落している人間が、それを「正義」だと信じ込んで語っている姿に対する、埋めようのない断絶と脱力感。PLの重みを知る人間なら、誰しもがこの「やるせなさ」を感じたのではないか

もちろん、これがバズった背景は理解できる。あれは彼への純粋な称賛というより、例の企業に対する「積年のヘイト」が噴出した結果だ。彼を「巨悪を刺した勇者」に仕立て上げれば、みんな気持ちよく会社を叩けるからだ。

だが、だとしてもだ。

彼がやったことは、冷静に見れば明白な「背信行為」であり、ビジネスパーソンとして「ありえない」振る舞いの連続だ。

それなのに、「美談」というオブラートに包まれて、組織人としての背信行為正当化されてしまっている現状には、多くの実務家が口には出さずともモヤモヤしているはずだ。

誰も斬り込まないなら、私が沈黙している彼らの代弁者として、その「美談」の裏側を解剖しておきたい。

前提

まず前提として、度を超えた転売行為偽ブランド品の流通が「社会悪であるという点については、私も彼と認識を共にしている。おそらく、批判されている経営陣とて同じだろう。誰だって犯罪迷惑行為放置したいわけがない。 だが、ここからが決定的に違う。「それが社会悪である」ということと、「企業としてリソースを投下して今すぐ撲滅すべき最優先課題であるか」ということは、全く別のレイヤーの話だ。

変数vs多変数

その前提のもと、増田思考は、驚くほど「単変数」的だ。その思考の単純さが、最も端的に露呈しているのがこの一節だ。

あの当時の自分は、CS部門現場人間としてマスク転売に反対していました。理由は述べるまでもなく、「困っている人がいるのに転売おかしい!」というものです。

この一文を読んだ瞬間、私は頭を抱えたくなった。 ここには「自分主観的感情世界絶対的正義」という、極めて独善的な前提しかない。 自分が見ている景色自分が感じている感情。それだけが唯一の判断軸であり、それ以外の視点存在する可能性を1ミリ想像できていない。

もし私が彼の上司で、部下からこんなことを言われたら、その瞬間に絶望する自信がある。「ああ、この人をマネジメントするのは無理だ」とサジを投げるだろう。 なぜなら、彼は「対話」ができないからだ。自分感情が「述べるまでもない正義である以上、それに異を唱える経営判断はすべて「悪」になる。 こんなマネジメントコストの高い人材を抱え込むなんて、考えただけで胃が痛くなる。

彼が単変数問題を声高に叫ぶ傍らで、経営陣やマネジメント層は、無数の変数が複雑に絡み合う高次の方程式を解いている。そこには「倫理」という変数以外にも、法的リスク、数千万人のユーザー自由監視コスト株主への責任従業員給与原資、将来への投資、そして競合とのパワーバランスといった、相反する要素がひしめき合っている。 転売問題などのレピュテーションリスクについても、経営陣が気づいていないわけがない。リスク看過できないレベルに達したその瞬間に、リソースを一気に投下すればいいと計算し、あえて今は「静観」というカードを切っているに過ぎないと私は想像する。

その舵取りへの想像力を働かせることもなく、彼は「倫理観がない」と切り捨てた。30代のいい大人が書いたとは信じがたいほど拙い文章であり、知的な怠慢だ。

組織の内情を暴露する背信行為について

そして、私が最も問題視しているのは、彼が平然とやってのけた「背信行為」の暴力性だ。

彼は退職後、組織の内情を、誰が見てもその会社だとわかる形で暴露した(わざとかどうかはわからないが、社名まで公開していた)。さらに恐ろしいのは、彼がこの行為を「正義」だと信じていそうな点だ。自分の放った言葉が、かつての同僚や株主ステークホルダーにどのような損害を与えるかという「結果への想像力」が、彼には絶望的に欠けている。

メタ認知能力の欠如と「被害者」という立場への安住

さらに致命的なのは、その破壊的な衝動がどこから湧いてきているのかを俯瞰する「メタ認知能力」の欠如だ。

私の見立てでは、彼の動機心理学でいう「認知的不協和の解消」に過ぎない。

構造はこうだ。

彼は自身エントリーで、赤裸々にこう認めている。

「実際、偏差値50もない大学出身で、第二新卒で、何もできなかった自分が成長できた」

「正直、給料は軽く百万以上は下がりました」

これは極めて重要自白だ。

まり、彼はあの会社に「経歴の箔付け」をしてもらっただけでなく、自身本来市場価値よりも100万円以上も高い値付けで雇ってもらっていたことになる。

その「差額」はどこからまれたのか?

それこそが、彼が軽蔑する経営陣が、綺麗事だけでは済まない資本主義の荒波を冷徹に舵取りし、会社という箱を必死に守り抜いてきた結果得られた「果実」だ。

彼はその果実を長年貪り食ってきた。会社という防波堤の中で守られながら。

しかし一方で、彼は「自分清廉潔白で、人のために尽くす善人だ」という自己認識を捨てきれない。「汚い会社で身の丈以上の利益享受している自分」と「正義の味方である自分」。この矛盾する二つの事実は、強烈な不快感を生む。

この不協和を解消するために、彼にはどうしても「物語」が必要だったのだろう。

自分は金のためにそこにいたのではない。極悪非道組織に囚われていただけで、心までは売っていなかった被害者なのだ」という物語が。

会社を「絶対悪」として断罪すればするほど、そこで恩恵を受け続けていた自分過去正当化できる。彼のエントリーに見られる攻撃性は、高尚な倫理から来るものではない。自分の中にある不快感を解消したいという、独善的防衛本能に抗えなかっただけだ。

自分の受け取っていた対価が誰の泥臭い努力の上に成り立っていたのか。その想像力すらなく、去り際に後ろ足で泥をかける。

そんな人間は、ビジネスパーソンとして失格だ。

読み取った某組織メッセージ

そして、私はこの退職エントリを読んで、経営陣の「強烈な意志」を感じ取った。それは、「黎明期から居座る、今のフェーズに合わなくなった人材市場放出したい」という意図だ。

想像するに、例の会社にはまだ、彼のような人材が大量に残っているのではないか創業期や拡大期に入社し、運良くストックオプションや高待遇を得たものの、能力会社の成長スピードに追いつかなくなった「古参既得権益層」だ。

企業は、待遇が良いことで有名だ。外に出れば年収が下がることがわかっているから、彼らは会社にしがみつく。組織寄生し、甘い汁を吸いながら、口だけは「昔はよかった」「倫理観が」と文句を垂れ流す。 経営陣にとって、こうした「寄生する古参」の満足度を上げることは、組織を緩やかな死に向かわせる自殺行為に等しい。

からこそ、経営陣は今、あえて彼らが居心地の悪くなるような施策を打っているのではないだろうか。 それは短期的には従業員満足度を下げるだろう。だが、それは「代謝」のために必要な痛みだ。

不満を抱き、文句を言うだけの存在に「自分から出て行ってもらう」ための、組織マネジメントの一環。そう考えると、この退職エントリは、経営陣の描いたシナリオ通りにことが進んでいることの証左に見えてくる。 一時的な痛みに耐えてでも、組織を次のステージへ強引に引き上げようとするその胆力には、同情を超えて敬礼したい気持ちにすらなった。

さらに読み取った、「翻訳レイヤーの不在」という組織課題

この退職エントリーを読んで、私がもう一つ強く感じたのは、例の組織における「翻訳機能の欠落」だ。

先ほど述べたように、経営者が解いているのは、無数の変数が絡み合う「多変数関数」だ。

株主利益、法的リスク、競合優位性、キャッシュフロー、そして従業員士気。これら全てのバランスを取りながら、組織全体として最もパフォーマンスが出るポイント全体最適)を探し続けている。

一方で、現場が見ているのは「目の前の業務」という極めて限定された変数だ。増田のようなCSであれば、「ユーザー感情」や「倫理的な正しさ」が変数のほぼ全てを占める。彼らが解いているのは、部分最適関数だ。

ここで不幸なすれ違いが起きる。

全体最適」のために導き出された解は、「部分最適」の視点から見ると、往々にして「意味不明愚策」や「冷酷な切り捨て」に見えるからだ。

例えば、「将来の法的リスク回避し、サービス全体を存続させる(全体最適)」ために、「今の不正ユーザーの一部を泳がせて証拠を固める(部分的には悪)」という判断を下すとする。

だが、その意図を知らない現場からすれば、それは単なる「悪の放置」にしか映らない。

からこそ、健全組織には「翻訳者」が必要になる。

それが中間管理職本来役割だ。

経営層が弾き出した「冷徹論理的な解」を、そのまま現場に流せばショートするのは当たり前だ。だからマネージャーは、その決定背景にある「なぜ」を噛み砕き、時には現場の不満をガス抜きし、彼らが納得できる「物語」に変換して伝える。

この「説明コスト」と「感情ケア」こそが、組織繋ぎ止める接着剤なのだ

しかし、増田エントリーからは、その形跡が一切感じられない。

そこにあるのは、経営層のドライ意思決定が、なんの緩衝材もなく、剥き出しの高圧電流のまま現場に直撃している光景だ。

翻訳」不在のまま、資本論理を叩きつけられれば、純粋現場社員が「この会社は人の心がない」と錯乱するのも無理はない。

彼が怪物に見えた「経営者」は、実はただ淡々全体最適計算をしていただけかもしれない。

だが、その計算式を翻訳し、現場言語で語れる人間組織から消え失せていた(あるいは機能していなかった)。

この「中間レイヤー空洞化」こそが、彼を孤独義憤へと駆り立て、最終的に「背信行為」という暴発を引き起こし構造的な真因ではないだろうかと私は想像する。

(もしくは、説明しても話が通じないので出て行ってもらうためにあえて放置してる可能性もある。)

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一応、彼へのフォローもしておく。もちろん、彼個人全否定するつもりはない。 CSという職種性質上、高い「共感性」は必須スキルだ。目の前の顧客の痛みに寄り添えなければ、CSとしての機能は果たせない。 だから、彼らが解く方程式において「ユーザーの痛み」という変数の重み付けが、他の変数よりも極端に大きくなってしまうのは、避けられないことでもある。それが彼らの「才能」だからだ。その「痛みへの感度」があるからこそ、救われたユーザーもいただろうし、彼は優秀な現場担当者だったのかもしれない。それは想像に難くない。

だが、経営判断自身感情逆撫でするものからといって、会社という公器を危険晒す行為は、経営を預かる身として到底容認できない。それとこれとは全く話が別だ。

経営者が抱える「純粋さ」への嫉妬感情について

最後に、私自身の「メタ認知」も記して、この乱文を締めくくりたい。

ここまで増田をこき下ろしてきたが、彼が持っている「純粋気持ち」そのもの否定するつもりはない。顧客のために涙を流せる感受性は、人間として美しいものだ。それは認める。

ただ、正直に告白しよう。私がなぜここまで感情的になり、彼を断罪するような文章を書いたのか。 それはきっと、私自身が経営に携わり、会社という「器」を守るために、その「純粋さ」を犠牲にし、切り捨ててきたからだ。 彼の持つ、曇りのない眼差し顧客と泣き合えるほどの無垢な心。それに対する、ある種の「嫉妬」が私の中にあることは否定できない。

だが、これだけは理解してほしい。 彼がその純粋さを保っていられるのは、誰かが——経営者たちが——資本主義という冷酷な市場の中で、泥水をすすりながら適切な舵取りを行っているからだ。 彼らが「汚れ役」を引き受け、複雑な変数を処理し、防波堤になっているからこそ、彼は「善人」でいられる権利享受できている。

その構造に対する想像力もなく、たった一つの変数しか見えていない視野狭窄状態で、「あなた非人間的だ」と安全から石を投げられること。これにはどうしても辟易してしまうし、傷つきもする。 だからつい、こうやって匿名ダイアリー感情的になってしまったわけだ。

純粋でいられることへの嫉妬については、謝ろう。申し訳ない。ただ、その「純粋さを保つ権利」が誰の犠牲の上に成り立っているのか。その構造に気づかない限り、彼は次の「温かい職場」でも必ず同じ過ちを犯すだろう。

彼は現在、「現場裁量で社内調整し、規約を超えて一人のユーザーを救える」ような企業転職し、水を得た魚のように働いているらしい。

結構なことだ。だが、経営視点からあえて冷や水を浴びせるなら、それは組織が未熟だから許されているだけの「期間限定モラトリアム」に過ぎない。

規約を超えた個別対応」などというものは、オペレーションとして見れば再現性のない欠陥品だ。

ユーザー数が10倍、100倍になった時、その「温かい属人対応」は間違いなく破綻する。公平性担保できなくなり、現場パンクし、結局は彼が憎んだ「冷徹マニュアル対応」を導入せざるを得なくなる。

彼が今、幸せを感じているのは、その新しい会社がまだ「経営の多変数関数」を解かずに済む、牧歌的なアーリーフェーズにいるからに過ぎない。

いずれその会社が成長した時、彼はまた同じ壁にぶち当たるはずだ。その時、彼はまた「会社が冷たくなった」と絶望し、同じように砂をかけて去っていくことが想像に容易い。そうならないことを、切に願っている。

2025-12-23

anond:20251223210919

高橋尚子さんの社会人チーム加入時のエピソードとして語られている「歓迎会の余興で全裸サランラップを巻いてオバケのQ太郎の歌を歌った」という話は、事実とは異なり、誇張された都市伝説のようなものです。

正確な事実は以下の通りです。

ニックネームの由来: 高橋さんが「Qちゃん」という愛称で呼ばれるようになったのは、所属していたリクルート新人歓迎会で、オバケのQ太郎の歌を熱唱したこときっかけです。

服装: この余興の際、高橋さんアルミホイルを体に巻きつけてオバケのQ太郎を演じました。

監督の反応: 当時監督だった小出義雄氏(故人)はこれを見て大笑いし、「入社取り消しだ!これからQちゃんと呼ぶ」と言ったとされています

美談として: このエピソードは、高橋さんの飾らない、親しみやすい人柄を示す美談として、メディアで度々紹介されてきました。

したがって、「全裸サランラップ」ではなく、「アルミホイルを巻いて」というのが正しい情報です。

anond:20251223102122

忘年会の余興としてやったんじゃないかと思うんだよな。

 

国民栄誉賞をとった某オリンピック陸上選手社会人チームに加入したときエピソード

歓迎会の余興に全裸サランラップ巻いてオバケのQ太郎の歌を歌ったことが美談として語られているけど、

それと大差ないと思うんだよね。

 

いや。全然違うか。オバケのQ太郎かわいいけど、口唇性交はかわいくないかな。

2025-12-18

日本でのクルド人差別って、トルコへの忖度が原因としてあるのでは?

日本ってなぜか親トルコ国だしな

特に保守派を中心に、エルトゥールル号難破事件とか美談として語られがちだし

トルコのことが好きだからトルコ人の嫌いなクルド人いじめるんじゃね?

2025-12-10

生成AIの登場で、今まで恵まれ時代だったことに気付いた

美談にしてはいけないんだろうけど、20歳になるまでの間、クリエイターが命削って作った数々の作品を楽しめる時代で本当に良かった。

多少は「AI」による補正に頼ったものはあると思うが、多くの場合は、そこには間違いなく「楽をしたい」以外のAIを使う意図があったと信用できるし、どれだけ駄作や愚作と低評価されていても、何かしらのテーマメッセージが込められてると確信できるし、自分なりの解釈というものができた。

それらクリエイターに対する信用や作品の楽しみは、生成AIの登場で完全に失ったと思う。

しかしたら、この部分はAIで作った部分かもしれない…と一度でも思ってしまうと、解釈する必要性を感じなくなる。作り手からすれば、AIに任せればいい程度のどうでもいい事柄ということなのだから考えるだけ無駄から

俺はもう、かなり心がすり減ってしまった。毎度、ここはAIっぽいなと思うのをやめたい。

2025-12-09

「グエー死んだンゴ」を美談にしないでほしい

“グエー 死んだンゴ…” 父も知らなかった「22歳の遺言」 “ぼっち”ではなかった息子の生きざまが起こした奇跡

https://news.yahoo.co.jp/articles/1d45340987765f792615fb64e909b3e57bc7e3a6?page=1

この死んだ中山奏琉って人は、

淫夢厨でLGBT差別ワード使用したり「女さん」という言葉を使ったりしてる人ですよ。

差別に加担したくありませんよね?

デカすぎまとめ

https://note.com/shiny_peony887/m/mb8c91b5d2851

女版ホモやん

https://x.com/nkym7856/status/1964614364876738716

なんで安倍さん総理しないの?もう1回くらいすればいいのに

https://x.com/nkym7856/status/1964826112514728256

昨日凸って来た女さん垢消ししてるやんけ!

https://x.com/nkym7856/status/1965200952417546510

2025-12-06

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/otakuma.net/archives/2025120504.html

わたし気にしないよ、結果出せばいいじゃないって感じの人いますけど、広められた美談で誰がその道を目指すかって話で、”わたし”は関係ないでしょ自分のことで頭一杯かって思った。

2025-12-05

『ペリリュー-楽園ゲルニカ-』や『この世界の片隅に』といった、戦争を描いた近年のヒット作に関して「反戦を主張しないのがいい」という評価を頻繁に見掛けて、実に複雑な気持ちになる。

メッセージ性がないと駄目どころか、メッセージ性がないのがいいという評価世間にはこの手の評価が広く受け入れられているため、それよりもずっと少ない、作品メッセージ性を求める意見が許せない人達は随分と身勝手だなと思う。

もっとも『この世界の片隅に』については、原作者はともかく映画監督の方は意外としっかり考えている人なのを後日知って印象が変わったが。『ペリリュー』の映画の方は予告編を見る限り、友情を前面に押し出し美談にするように見えるんだよな…。


日本戦争を描いた作品反戦を謳いつつも日本側の被害ばかり描いていて加害を描かないという批判はよく見掛けるけれど、

個人的には被害ばかり描いても別にいいと思うんだよね。こんな悲惨な目に遭いたくないか戦争絶対にしてはならない、でも別にいいと思う。ただ、その被害をもたらしたのは誰なのか、どうしてそのような被害に遭ったのか、については描くべきだと思う。

それに加害を描いたところで、その加害を単に末端の兵士による暴走として処理してしまったのでは、興味本位露悪趣味になり下がる危険性もあると思うし。

どうも日本には戦争をまるで天災かのように捉えて、戦争犯罪についても震災下での犯罪等と同様、極限状況に追い詰められた結果と一般化してしまう人が多いように見受けられる。

この世界の片隅に』の呉にしろ、『ペリリュー』のペリリュー島しろ、何故その場所被害が、加害が行われたのかというそもそもの理由が描かれていないように思う。

問題は加害を描かない事じゃない。責任所在を追求しない、構造に目を向けない事ではないだろうか。

被害しろ加害にしろ日本側として一纏めに括った描き方には賛同できない。

先日徳川慶喜の子孫を名乗る人が新選組無法者集団と評して話題になったけれど。権力の頂点にいた者の責任について自覚が薄いと思った。そりゃ安全場所にいて衣食住も保証されていたらお行儀良くいられるでしょうよ。そんな立場から配下素行不良を責める事が如何に無神経で横暴である事か。


『ペリリュー』の「どうして」という回で、敗戦の知らせの後も徹底抗戦を呼び掛けて多くの部下を死なせた後に生き残り、島民に保護された島田少尉の、自分はどこから間違っていたのかという問い掛けがあったけれど。間違っていたのはこの人物個人ではなく、それに至る以前の日本政府の判断に拠るものでしょう。庶民自己責任を問う事は美談にも見えるけれど、権力者を免責する事にも繋がる。

戦後の話では何度か天皇にも言及されるけれど、単なるニュースの域を出ない。主人公達末端の兵士飢餓病気に苦しんだのも、人を殺す羽目になったのも、そもそも天皇を中心とした軍国主義体制のせいなのにそこを突き詰めて問う様子はない。

その点『はだしのゲン』だと、天皇が悪い、戦争翼賛した日本庶民も悪い、原爆を落としたアメリカも悪い、末端の米兵日本国民に対する加害者でもあるが彼等もまた被害者でもある……といった構造問題に触れている。


ただ、『ペリリュー』にしろこの世界の片隅に』にしろ、全体を見渡す目がないというのは当時の一般人の感覚としてはリアルなのかもしれない。2025年現在ですら台湾有事を想定して短絡的な交戦論を唱える人がいるくらいであるし。まして当時は庶民高等教育進学率も低く、情報を得る手段も限られていただろうから

特に『ペリリュー』の主要人である当時二十代の若者達にとっては、物心ついた頃から社会はそんなものであって疑念差し挟むのは難しかったのかもしれない。主人公名称変更後も「看護師」ではなく「看護婦」と呼んでいるような、アップデートの遅れた人物として描かれているし。

はだしのゲン』は作者の分身である主人公父親反戦主義者家庭で、意識の高い家庭に生まれ育ったようだからな。

漫画あくまエンタメではあるし、一つの作品で全てを描き切る必要もないのだし。

本当の問題作品それ自体というよりも、そこから読者が何を読み取るか、あるいは読み取らないか、だろうか。

はっきりとした反戦メッセージ押し出していない作品ではあっても、戦争は怖い、戦争はするべきではない、くらいのシンプルイメージは読み取れるのではないだろうか。それを読み取らないどころか正当化したり、他国攻撃材料にする人間の多さが問題なんだよな。

2025-11-25

漫画よりも小説のほうが没入感が上回る

小説よりも漫画の方が読まれやすいのは

小説文字を目で追うだけではダメでしっかり読者が脳を使って想像を働かせる

強い集中力想像力が必要となるから

読書をすると癒し効果ストレス解消になるとのことだが

それだけ読者の脳に対する影響が大きいからだと思う

漫画だと作者が「こういう世界観なんです」と答えを最初から用意してくれて、視覚情報によって読者の脳が興奮する

漫画の方が読む側のハードル小説よりもずっとずっと低い

わざわざ世界観想像する力はいらないし

作者が与えてくれた絵をひたすら受け止めればいい

今、私は育児しながら読書(主に小説)の趣味も両立させたいと頑張っているが

もー、ひっきりなしに「ママママ」呼ばれるので本当にキツイ

子供小学生になるまでは「育児苦痛が9割」なんじゃないの?と思っている

昔の親なんかもっとキトー育児をしていたし

子供が何か親の気に入らないことしたら、それが一歳の子供でもボコボコ殴って終わらせてた

昔の育児って頭が悪い大人にとってはものすごく有利だったと思う

だって子供ボコボコ殴ってもそれが躾したことになってたんだよ

そして、ヤングケアラーなんて言葉はなくて子供の苦労が美談

「育ててやった恩があるんだから」と言って、老後の介護子供に平気でさせてたんだよ!?

むちゃくちゃ話が脱線したけれども

没入感と言う意味では小説の方が漫画を上回るんだなぁという話がしたかった

もちろん、読者がものすごく好きな漫画を読んでいるときと、読者があまり好きではない小説を読んでいるときでは前者の方が没入感はあると思う

漫画は読むのを中断したからといって、またそのページを読めば作者が用意してくれた世界視覚情報としてそのまま与えられるけれど

小説だと、途中で邪魔が入ると、それまで文章から映像想像していた脳みそにめちゃくちゃストレスがかかる

育児読書は相性があまり良くなくて

から世の中のお母さんはXで育児垢を作って、スマホを弄ることを趣味にしてしま

私もスマホを弄ることが趣味

スマホをテキトーに弄ってる最中子供に話かけられてもそんなにストレスはない

だって、たいして有益情報見てない

とるにたらないくだらない情報を流し読みしてるだけだから

本当に話が脱線しまくったけれども

読書楽しい。没入感最高ということが結局言いたかった

2025-11-19

30になったときまさか自分がこんな底の底にまで沈むとは夢にも思わなかった。底って言うけどさ、この世の「底」ってどこやねん。地球の裏側か?どぶ板の下か?いやむしろ引きこもりがちな布団の裏か?とか考えだすと止まらないけど、ともかく、どうしようもなくなって「もう終わりや」と思った。

「もうあかん死ぬしかない」そう思った瞬間、不思議と心が軽くなったような、魂がひとつ脱皮して「一回死んだつもり」になった。死んだらなんでもできるやろ、幽霊国籍戸籍もいらんし、と開き直った。むしろ、生きてるのが仮やろ。本体はもうどっか失踪してるかも知れんし。

それからやで、地面ぺたぺた這って「這い上がる」っちゅう美談でもなんでもなく、ただただぼーっとしながらチラシ裏みたいな日々を過ごしていた。なのに、気づけば「ん?結構進んでない?」ってなってて、階段一歩ずつ昇ってる猫みたいな自分に気づく。しかも、「俺、意外とやったらできるやん」という謎の手応え。あとで冷静になると「いや、お前、全然すごないで」とツッコミ入れたくなるけど、その瞬間はなぜか無敵感に包まれてたんや。

不安」なんていうのも、そもそも実体があるんか?目で見たことあるやつ、手ぇ挙げて。ないやろ。頭のなかで増殖する藻みたいなもん。やってみたら、大体なんとかなるし、なんともならんことは、始めから誰にもなんともできんねん。

周囲の雑音、あれは気にしだしたら人生詰む。足引っ張るやつ、どこにでもおるしな。本人らは「アドバイス」や「忠告」のつもりか知らんけど、どこぞの田舎交差点で大声出してる爺さんと大差ない。そういうのは「無視力」を鍛えてスルーや。

ところで「自分で動く」って話やけど、これがなかなか難しい。だって外は寒いしな、雨も降るし、家を出たら猫に威嚇されるし。けど、やっぱどんなにしんどくても自分で一歩なんかやってみるしかない。もし無理やと思ったら、さっさと退却。撤退もまた勇気。だらだら粘って依存したら、どのみち底の泥に吸い込まれから

依存、これがやっかい。なんだかんだ言い訳して「仕方なかった」とか言い出すやつ。まあ、それはそれで本人の人生やし、見ものやけどな。他人人生に期待するほど、こっちも暇ちゃうし。

とまあ、そんなこんなで、やっと今この文章を書けるくらいにはなった。ほんま、人生ってやつは、気抜いたらすぐ裏切ってくる。と同時に、思ってたより雑に扱っても大丈夫やったりする。

結論「もう誰に何言われても知らん。好きにやる。無理そうならやめよ」でええんちゃうか、と思う今日このごろやで。

稲を天日干しするな

日テレの朝の番組で水卜アナが米作り体験とかしてたんだけど

例によってコンバイン乾燥機使わないで天日干しして「美味しい!」とか言っててマジでおわってる

いまだに大昔の「乾燥機は不味い!天日干しが美味しい!」を信じてるような農家

「こういう農業もっと広めたい」

みたいなこと言ってるの、もはやエセ科学農家かつカルト集団なんよ

もう乾燥機温度管理なんて当たり前にできるので、乾燥機使って米が胴割れしてるならそれは使い方が下手なだけ

温度管理と水分量の管理ちゃんとしとけば乾燥機の方が美味しいっていうのは大昔から当たり前で

天日干しは「好天に恵まれれば乾燥機と同等」っていうレベルのものしかない

他の農作物だってセンサー使って徹底的に管理した方が美味しいっていうのは当たり前の世の中なのに

なぜか米だけはエセ科学蔓延っててそれをテレビ美談として流すのは見ていて痛々しい

コンバイン使わないのは田んぼにもよるんだけど、そういう農家でも刈り取った稲をコンバインに突っ込んで籾殻にして乾燥機にぶち込むから

本当に米作りの農業を広めたいならもっと科学的な農家取材してくれよ

2025-11-16

ぐえー死んだンゴの人が女叩きしてたのに美談にされて顔まで晒されて可哀想というツイートが叩かれて非公開になってた

亡くなった後に好き勝手おもちゃにされて顔を晒されるのは普通に嫌では、ネットミームとして潔いか面白いんであって過剰に持ち上げるのは違うってむしろ往年のインターネット感覚だし

叩いてる男をみたらインターネット面白さすら今はこんなちょっと嫌なやつが盛り上がってるだけなんだなと思ってニキが女叩きしてたという情報よりよっぽど萎えたわ

anond:20251116002403

おい、現実から逃げるための美談ファンタジー業界の標準みたいに自己放尿するんじゃねぇよ。

まず 「小学生高校数学終えた」「中学生黒字ビジネス」みたいな事例は、単なる例外値だ。平均でも中央値でもなく、ただのノイズ

ノイズ母集団仕様だと思い込む時点で、統計リテラシー幼稚園児未満。

IT業界ってのはな、優秀なやつもいるが、大半は普通学力普通生活普通能力だ。

しろ業界を支えてるのは、そういう普通の人たちがひたすらコード書いて実装を積み上げてるからだ。

天才同士が戦ってる魔境みたいなイメージは、ただの自己放尿的な幻想だよ。

要するに「俺は凡人だから無理」って言い訳を、勝手神話で薄めて飲みやすくしてるだけ。

しかも、仮に一部に小学生天才がいようが、だからなんだ?

お前が競う相手天才伝説じゃなくて、仕様書・工数納期バグ四天王だ。

そいつらに勝てねぇなら、天才がどうこう以前の問題だ。

IT業界はな、天才サーカスじゃない。結果を出すか出さないかだけの、ただの労働市場だ。

天才伝説ビビってる時点で、まだリングにすら上がってねぇよ。

怖いなら怖いでいいが、せめて現実幻想区別くらいはつけて、自己放尿をやめるんだな。

以上だ。

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