「神奈川県」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 神奈川県とは

2026-05-06

神奈川県横浜市緑区長津田

anond:20260505200627

コロナ激減『多数が免疫獲得』」というニュースはこれか。

記事中の「コロナ検査を受ける機会が減少した可能性もある」じゃないのかなあと思い、神奈川県下水サーベイランスを見に行った。医療機関受診者数の推移よりは信頼できるだろう。

去年の夏から下水内のウイルス量がその前年ほど増えなくなっているんだね。これは本当に感染者数が落ち着いたのかもしれない。

2026-04-21

5時夢月曜日ADひとり旅コーナークイズにて

マツコが「湖が~」とか最大のヒントを出してしまったので、普通人間は直ぐに答えがわかってしま

その前の「名所から写真を撮ってる」とかじゃ分からなかったけど

湖のヒントで、その名所が「ああ、梅か」と分かってしまう。そして続くラーメン

旅の予算が1万円なんだから都内から行ける湖で観光名所がある様な場所は限られている

多摩相模富士五湖、この正解があるところくらいなものだろう(中禅寺湖は…1万で往復出来るか?まあ、出来るか。すげえ時間かければ)

そんであの写真の背景(比較的都会)を見れば自ずと答えは明らかになってしま

(まさか洗足池という可能性もあるか?MX洗足池行きを「旅」と呼ぶならば)

マツコはそんなわかりやすいヒントを出してはいけない。分からなさ過ぎる大島アナ若林さんのためを思ってかもしれないが

それにしたってマツコは地理関係知識が膨大だ

かりそめ天国で偶にやる「神奈川県市町村全て答える」とか、凄まじいわ

自分は住んでる県に幾つ市町村があるかすら知らんし、配置も勿論分からないってのに

安田洋介さん、丸紅株式会社の人事による経歴詐称に関して

2018年3月25日に以下を投稿したのは私です。当時の東進ハイスクールホームページには慶応義塾大学卒業丸紅株式会社と書かれていました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

235 就職戦線異状名無しさん 2018/03/25(日) 21:58:26.29 ID:rfDpVrJ

http://www.toshin-daigaku.com/sp/detail_voice.php?id=112

私は、中学高校の6年間、硬式テニス部所属し、中学3年生のときにはキャプテンとしてチームを引っ張り、神奈川県大会優勝、全国大会ベスト8に導きました。

これ嘘だよ。安田洋介くんと同じ中学だけど、中学キャプテン安田君ではなくてU君っていう全くの別人。

安田君は副キャプテンですらなかったし、レギュラーの中で下の方だったか試合もあまり出てないよ。

高校テニス部ではなかったんじゃないか

嘘が多すぎ。神奈川県のT蔭学園ね。

236 就職戦線異状名無しさん 2018/03/25(日) 22:20:28.90 ID:rfDpVrJ

思い出した。しか中学だって3年間テニス部だったわけではないよ。

安田君は、テニスとは別のスポーツ同好会所属していたから、テニス部に入部したのは中一の終わり頃。

入部時期とか細かいことはどうでもいいんだけど、「キャプテンとしてチームを引っ張った」って嘘は流石に許せない。

キャプテンのU君の気持ちを考えると。

丸紅面接でもキャプテンアピールして内定取ったのかな。

http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/recruit/1463062000/235

http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/recruit/1463062000/236

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

安田洋介さんは硬式テニス部キャプテンではない。

東進ハイスクールホームページに載っていた安田洋介さんの体験記には明確に事実と異なる点が1つあります

中学3年生のときにはキャプテンとしてチームを引っ張り」という一文です。

安田さんはキャプテンではありません。

キャプテン上原さんという桐蔭学園中学校の生徒です。

桐蔭学園中等教育学校所属していた安田洋介さんとは異なります

レギュラーとして団体戦全国大会ベスト8まで行ったことは事実です。

後述しますが、これは全国中学テニス選手権大会トーナメントから安田さんの主張が事実と異なることを説明できます

そもそも安田さんは途中入部であるのでキャプテンとして選ばれる可能性はかなり低いです。桐蔭学園硬式テニス部歴史で途中入部の人がキャプテンとなったケースはあるのでしょうか?

安田洋介さんは硬式テニス部に2年弱しか所属していなかったのではないか

「私は、中学高校の6年間、硬式テニス部所属し、」という一文ですが、これも事実と異なるのではないでしょうか?

恐らく安田さんが硬式テニス部所属していたのは2年弱です。

安田さんは硬式テニス部に入部する前にはサッカー同好会所属しており、テニス部に入部したのは中1の秋冬あたりです。

安田さんの所属していた中等教育学校後期課程には硬式テニス部は一応は存在していたらしく高体連大会に出るために形式上あったのみで中等教育学校後期課程の人がテニスコートで練習している姿を見たことはありません。

中学校の生徒は高等学校にそのまま進学して高校テニス部所属しますが、中等教育学校の生徒はそのまま中高一貫中等教育学校に進学し高等学校の硬式テニス部所属できません。

まり中高の6年間のうち、中学校と中等教育学校の人たちが同じ部活動活動できるのは最初の3年間のみと言えます

安田さんは中等教育学校後期課程ですので、全く活動していないテニス部に仮に所属していても練習高校内ではしていませんし、恐らく所属もしていなかったと思います

よって安田さんが硬式テニス部にいた期間は中1秋から中3夏までであり、2年弱ではないかと思われます。仮に中等教育学校後期課程で硬式テニス部所属していても学校内での練習はしていないはずです。

【全国中学テニス選手権大会トーナメント表の学校名と安田さんの主張の矛盾

桐蔭学園では中学校と中等教育学校前期課程の2つの学校が同じ部活動大会エントリーできます。そのため大会運営者としては団体戦トーナメント表にどちらの学校名を書くのか迷うはずです。そこで採用されているのが、キャプテン所属学校を書くというものです。

以下に日本テニス協会ホームページから2003年から2005年までの全国中学テニス選手権大会トーナメント表を貼っておきます

第30回全国中学テニス選手権大会

キャプテン中等教育学校所属の関さん、中等教育学校記載

https://www.jta-tennis.or.jp/Portals/0/resources/tournaments/pdf/zenchu/2003/bt.pdf

31回全国中学テニス選手権大会

キャプテン中学所属上原さん、中学校と記載

https://www.jta-tennis.or.jp/Portals/0/resources/tournaments/pdf/zenchu/2004/bt.pdf

第32回全国中学テニス選手権大会

キャプテン中学所属近藤さん中学校と記載

https://www.jta-tennis.or.jp/Portals/0/resources/tournaments/pdf/zenchu/2005/bt.pdf

安田さんが東進ハイスクール体験記で書いた通り、仮に安田さんがキャプテンであるのなら第31回全国中学テニス選手権大会トーナメント表には桐蔭学園中等教育学校と書かれていなければおかしいはずですが、実際はキャプテンである上原さんの所属していた桐蔭学園中学校文字記載されていますトーナメント表を見ても安田さんの書いた内容が事実と異なることはわかるかと思います

安田さんは途中入部ですがテニス開始から1年足らずでレギュラーを獲得し、その後3年時に全国大会に出場しています。間違いなく才能は部内で最上のものがありました。小学生からテニスを始めたレギュラーと対等にガンガン打ち合ってる姿を間近で見て「センスがあると1年前後あんなに上手くなれるのか」と感嘆したことを覚えています安田さんは中学時代体験したことをそのまま書けばアピールになるのに何故キャプテンであると虚偽の記載をしてしまったのか惜しまますレギュラーの中で最もテニス歴が浅いのが安田さんでした。それが十分にアピールポイントなのではないでしょうか?

2026-04-19

anond:20260419062513

幼稚園児は単に親の財力で品評される

神奈川県では小学校6年努力すればいいだけ

2026-04-18

anond:20260418132515

新宿は、ある既存宿場に対して新たに宿場がつくられた場合に付けられた地名である。このほか、「新たな宿場」という意味ではなく、「新居の宿」が縮まって新宿表記されるようになった地名東京都葛飾区新宿。異説あり)もある。

地名

編集

自治体

編集

東京都新宿区(しんじゅくく) - 東京都内に存在する特別区新宿

東京府豊多摩郡内藤新宿町(ないとうしんじゅくまち) ⇒ 内藤新宿町

東京府南葛飾郡新宿町(にいじゅくまち) ⇒ 新宿

その他

編集

新宿しんじゅく)

編集

東京都新宿新宿 - 甲州街道宿場だった内藤新宿から発展した、新宿駅を中心とした地域。 ⇒ 新宿

東京都新宿西新宿西新宿

東京都新宿北新宿北新宿

新宿

東京都青梅市住江町の旧名[1][2]。

茨城県結城市新宿新田( - しんでん)、江川新宿(えがわ - )、山川新宿(やまかわ - )

群馬県館林市新宿

埼玉県さいたま市緑区新宿 ⇒ 三室 (さいたま市)#新宿

千葉県千葉市中央区新宿新宿 (千葉市中央区)

千葉県柏市新宿(なか - )、東中新宿(ひがしなか - )

千葉県木更津市新宿

千葉県館山市新宿新宿 (館山市)

神奈川県逗子市新宿新宿 (逗子市)

富山県魚津市新宿新宿 (富山県)

愛知県名古屋市名東区新宿新宿 (名古屋市)

兵庫県佐用郡佐用町西新宿(にし - )

山口県周南市新宿通( - どおり)

新宿町(しんじゅくちょう)

編集

埼玉県東松山市新宿

静岡県沼津市新宿

愛知県豊川市新宿町 → 新宿町 (豊川市)

新宿(しんしゅく)

編集

群馬県桐生市新宿新宿 (桐生市)

埼玉県鴻巣市新宿

埼玉県鴻巣市北新宿(きた - )

埼玉県蓮田市西新宿(にし - )

埼玉県蓮田市南新宿みなみ - )

埼玉県春日部市新宿新田( - しんでん)

埼玉県児玉郡神川町新宿

埼玉県北足立郡伊奈町小針新宿(こばり - )

千葉県市川市新宿(しも - )

千葉県流山市新宿(かみ - )、上新宿新田( - しんでん)

千葉県東金市東新宿(ひがし - )

府中宿 (甲州街道)を構成する府中三町の一つ。現在は、東京都府中市の一部。

神奈川県厚木市荻野地区 - 荻野新宿通称新宿

神奈川県南足柄市駒形新宿(こまがた - )

神奈川県中郡大磯町国府新宿(こくふ - )

静岡県駿東郡清水町新宿

福井県坂井市三国町新宿(みくにちょう - )

新宿町(しんしゅくちょう)

編集

東京都大田区新宿町 - 現在大田区萩中2・3丁目、西糀谷3・4丁目。大田区町名も参照。

新宿(にいじゅく)

編集

東京都葛飾区新宿新宿 (葛飾区)

水戸街道宿場新宿 (水戸街道)

千葉県香取郡東庄町新宿

新宿(あらじゅく)

編集

栃木県大田原市新宿

埼玉県川越市新宿

山形県西村山郡朝日町新宿

新宿町(あらじゅくちょう)

編集

茨城県常陸太田市新宿

栃木県足利市新宿

新宿町(あらじゅくまち)

編集

埼玉県川越市新宿

新宿(しんしく)

編集

新宿 - 神奈川県平塚市にかつてあった地名[3]。

新宿町( - ちょう)、古新宿町(こ - ちょう) - 神奈川県小田原市にかつてあった地名[4]。

佐賀県杵島郡江北町大字山口新宿[5][6]

2026-04-11

anond:20260411123559

自転車を除く、がついてない一方通行ってほとんど存在しない

日本で唯一、神奈川県けが自転車一方通行規則を敷いていたが、ようやく緩和される見込み

先週までパブリックコメント募集してたし、おそらく今年度中には正式に全国統一ルールに転換される

現時点で既に暫定で緩和になってるので、取り締まりはされないはず

ポピュリズム戦争ニュータイプ 富野監督ガンダムにこめた思い 2025年11月11日 10時00分 聞き手武田啓亮

 「戦場リアリズムを描いた」――。富野由悠季監督(84)が手がけたアニメ機動戦士ガンダム」がテレビ放映されてから46年。これまで70以上のシリーズ作品が生み出され、その原典として今なお、愛され続けています戦争体験から遠ざかった世代が大多数となった戦後80年、アニメなどフィクションを通して描かれる戦争はどう変わったのか。視聴者意識は。〝最初ガンダム〟にこめた思いとともに、語りました。

 ――今年も、最新作「機動戦士ガンダム ジークアクス」が大きな話題を呼びました。富野さん以外が監督したものも含め、映像化されたものだけで70作品以上になります時代ごとの新しいガンダムシリーズから入ったファンが、1979年放送の初代ガンダムを見るという流れができています

 

 本当に嫌な言い方なのですが、僕以降のガンダム作品は一切見ていません。作り手が違えば、他人が口をはさむのはよくないからです。ガンダムという作品商品になってしまい、作家立場からは何も言えなくなったのです。

 

 ちょっと違うなと思う作品もあるし、逆に、ああ僕には作れないよねと思った作品もある。だからガンダム人気を支えてくれるための新作というのは認めるんだけれども、元の作品とは一緒にしてもらっちゃ困るというプライドもあります

 

 ガンダムは発表当時、人気がなくって、めちゃめちゃにへこんだ時期もあります。それが今、こうして親しまれているのはうれしいものです。

 

 昔は「子どものもの」「絵空事」でしかなかったアニメという媒体を、考える材料として見てくれているというのは、うれしいですよ。だけど、困ったこともある。40年、50年経って、ガンダムというタイトルは残っても、原作者名前というのは消えていくのも宿命なのです。そういう歴史的なところに足を踏み込んでしまった、というのはちょっと寂しいなとも思います

 

 ――ガンダムで描かれた戦争描写には、どんな思いを込めましたか

 

 ものすごく簡単です。子どもたちに、戦闘行為というのは乱暴行為からやってはいけませんよっていうことを分からせるということしかないですね。

 

 ただ、当時の観客がそれを理解しているかと言ったら、ほとんど理解していないんです。それはもう仕方ないことで、理解してもらうのに20年、30年、かかるんだという覚悟はしていました。


独裁者をどう止められるのか

 

 ――長年のガンダムファンの一人として、かつては「ジオンにもジオン正義がある」という捉え方が少なくなかったように思います。今、SNSなどを見ると、ジオン公国の独裁や大量殺戮(さつりく)に対して、批判的な見方が増えているように感じます

 

 僕の立場としては、良かったなと思っています視聴者の年齢が上がってきて、みんなが勉強してきたんですよ。だってガンダムなんて46年前の話ですよ。かつてのアニメファンが成長して、大人になっていく中での理解が広まっていったのだと思います

 

 むしろ、僕が今、困ったなと思っているのは、実際問題として想像したときギレン・ザビジオン公国総帥)のような独裁者をどうすれば止められるのか、ということ。

 

 作中ではザビ家内権力闘争の結果、妹(キシリア)の手によってギレンが殺され、独裁体制崩壊しましたが、現実はそう簡単はいっていないでしょう?

 

 暴力によらない、政治的手段独裁者を止めるにはどうすればいいか。その難しさを考えさせられているのが、ガンダム真骨頂なのです。

 

 

  ――作中で描かれるジオンの設定を見ると、ドイツなど第2次世界大戦枢軸国イメージが重なります。設定の意図は?

 

 明確に敵というのは分かりやすく作らなければいけないのですから、皆さんが知っている独裁体制を利用しただけです。

 

 増えすぎた人口を移したスペースコロニーの中で、独裁国家を作る。自分たちは「棄民である地球には帰れないらしいという境遇になれば、やはり「反地球」の行動を起こすだろうという設定は見事にできたと思っています

 

 そうしてフィクションを描いたつもりが、20、30年もしないうちに、次の独裁者誕生現実になってしまいました。

 

 ロシアアメリカの現状や、中南米アフリカ中東各国の事例を見ても、今の国際政治は、アニメ以下でしょう。このまま、行き着く先まで問題のある政治家たちを是認していったらどうなるのか。

 

 独裁者のような人間大国を動かしている21世紀って、すごく変な時代でしょう。まさにポピュリズムが生み出したものだろうと思っています

  

 

 

 ――今の世界情勢と、かつての大戦前夜を重ねてみる人もいるようです。

 

 80年前を振り返った時に、ナチスヒトラーという人も選挙で選ばれたんだという事はよく知るべきです。政治哲学者で思想家ハンナ・アーレントは著書「全体主義の起源」で、一般大衆のことを「群衆」「モッブ」と呼んでいます独裁というのは、独裁者が1人で起こすわけではないのです。まず、独裁者を生み出す群衆がいて、その上に立って旗振り役ができるやつがトップに立つ。

 

 日本場合真珠湾攻撃で開戦したとき著名人を含めて、かなりの人が「これで気が晴れた」みたいな言い方をしている。勢いにのって、国民までもが軍国主義化していた。僕は、これは新興宗教と同じだと思っています

 

 ――朝日新聞を始め当時の新聞も、婦人会在郷軍人会などの不買運動に屈して、筆を曲げてしまった。そして、戦争を賛美する論調になった新聞はよく売れ、新聞軍部と一体化してしまったという負の歴史があります

 

 軍だけでなく、コモンセンスとしてものをしゃべることができるメディアでなくなったのです。昭和16(1941)年の段階で、すでにそうではなくなっていましたよね。一番汚いと思ったのは全滅を「玉砕」と言い換えるような、負け戦だと思わせない言葉かいですね。戦艦大和を沈められても「世界最大の戦艦だった」と誇るような言葉かいは、戦後もずーっと残っているのです。

 

 

軍事技術者だった父

 ――富野さんは終戦時3歳。父親軍事技術者だったそうですね。

 

 化学技師でした。戦闘機の与圧服の開発などもしたみたいですが、一番は、ゴムを使った雨がっぱみたいなものを作らされていた。風船爆弾気球を作る仕事もやらされていたようです。

 

 父が戦後、何度か僕に言った言葉があります。国に裏切られた、と。あの戦争にもどこかで光明があるんじゃないかと思っていたらしい。きっと日本は勝つ、とすり込まれていたんですね。

 

 働いていた神奈川県小田原市工場の近くにも焼夷(しょうい)弾が落ちたことがあったのに、なんで日本が勝てると思ったんだろうか。不思議しょうがないんだけど、その時代日本を考えると、父が特別軽率だったとは思えないですね。

 

 戦争を「かっこいい」と思ってしまうのは

 

 ――戦争のものへの忌避感は持ちながらも、兵器アニメ戦闘描写をかっこいいと感じるという人は少なくないと思います私自身もそうです。この矛盾について考えていました。

 

 矛盾しているとは思いませんし、おかしいことでもないですね。

 

 民衆支援で軍は成立しているんです。軍装の兵士が正しく起立している姿を見るとかっこいいじゃないですか。「死に装束」なのにかっこいい。戦死という悲劇すら美しく見せるためには、戦死者に対しては、礼を尽くさなければならない。「兵隊さんたちありがとう」と思わせる、そしていざとなった時に民衆が戦力になっていく構造は、有史以前からあったんですよね。

 

 ガンダムでは、地球降下作戦を指揮したジオン軍のガルマ・ザビ戦死を、ギレンが国威発揚に利用するという描写を入れました。だから僕には痛切に分かることなんだけれども、平和時の一般国民にはなかなか通じません。どうしてか。「アニメの話でしょう?」。それでおしまいなんですが、この感覚もまた当然のことだと思っています平和なら、ね。

  

 

 ――戦後80年が経ち、「はだしのゲン」など、実際の戦争被害を題材にした作品描写が「残酷だ」と敬遠されることが増えていますガンダムシリーズなどのフィクション作品でも「人が死ぬ描写が重い」と感じる人も多いようです。

 

 ガンダムでは戦場リアリズムを描きましたから、当然の感想だと思います

 

 作り手である自身も、敵だろうが味方だろうが、人が死ぬカットを作るのはものすごくつらいのです。絵空事からって、笑っていられない。登場人物が命を落とす場面では、担当する声優の顔が見えるんです。

 

 今のバトル漫画なんかを見ていると、リアリズムでは戦闘していないですよね。死ぬ寸前までいっても絶対死なないような。そういうものを見慣れている世代にとっては、リアル戦争を描いた作品を見る気にはならないのでしょうね。

 

 ――戦争を知る世代がいなくなったとき映像作品で今までと同じような戦争の描き方はできると思いますか。

 

 架空戦争としての物語はあるでしょう。でも、リアリズムで作るというきめの細かさを持った作品は出てこないでしょう。戦っているらしくしているだけで、それは戦争ではありません。

 

 エンターテインメントでなければ客を呼べないと考えたときリアリズムを持って問いかけることは難しいだろうし、そういう視点を持った映画人がどれだけいるだろうかと。現に、飛んでくる弾丸ミサイルをかわすといった、シューティングゲームアクション映画のような作品になっているでしょ?

 

 

 

 

ニュータイプとは何か」今も

 ――ガンダムでは、優れた洞察力を持つ人類を指す「ニュータイプ」という概念提示し、人が分かり合えるかもしれないという希望も描かれました。ファンの間では今でも、「ニュータイプとは何なのか」という話題で盛り上がります

 

 僕自身、ずっと考え続けています

 

 ニュータイプは、ガンダム物語をきれいにまとめるための「方便」だったけれど、僕が一番困ったのは、ニュータイプになるための方法を、子どもたちにきちんと示すことができなかったこと。その意味では、敗北感がとても強い。それはまだ続いています

 

 新しいガンダムを作る気がまだあるかといえば、それは、ある。これだけ気にいらないガンダムがいっぱいあるんだから(笑)

 

 世界中の人間が一気にニュータイプになるかもしれないという楽しい作品が作れたらいいなと思っているけれど、それはアニメの中で考えるしかないことです。そう簡単に作れるとも思えない。やっぱり、アニメは難しいよ。

 

 

 

 https://digital.asahi.com/articles/ASTBR2C33TBRPITB00JM.html

2026-04-10

下水処理場からリサイクル

来年花博で既にゴミ処理場でやってるのをアピールするってなってる

もともとSDGs強めでいくって話だったんで(神奈川県なのでね

2026-04-06

anond:20260406134847

東横線元住吉ネタ投稿したいというお気持ちだけ先行して、

元住吉神奈川県なのに気付かなくてダダ滑りムーブなってるの、

いかにもはてなおじさん(老害)っぽい。

anond:20260406120808

場所都内某所、最寄りは東急東横線。駅徒歩7分。築12年の3LDK専有面積68㎡。

価格は5,480万円。

妙に安いな。本当は神奈川県だろ?

変動金利0.475%の35年ローン。

今どきこの金利は有り得ないので5年くらい前からコピペだな。

2026-03-27

キリスト教学校教育同盟2026年3月2日公開記事

https://www.k-doumei.or.jp/news/

このリンク先のページは、一般社団法人キリスト教学校教育同盟通称キリスト教学校教育同盟略称:教盟 / k-doumei) が2026年3月2日に公開した記事です。

記事概要

タイトル機関紙2026年3月特集平和教育実践」加盟校アンケートまとめ

• 内容:2025年12月2026年1月実施した加盟校アンケートの結果まとめ。

◦ 回答校数:55校59件(小学校7件、中高35件、大学16件、学園1件)

テーマ戦後80年を意識した「平和教育戦争と平和)」に関する実践状況

質問例:2025年度に平和教育に関わる礼拝・授業・活動を行ったか、どのような内容か、課題は何か、など。

• 特徴:学校名は原則非公開(説明必要場合のみ表記)。詳細な回答はPDFで公開されており、個別校の具体的な実践内容(礼拝での平和メッセージ修学旅行、授業、活動など)がまとめられています
トーン:キリスト教主義学校として「いのちの輝きと平和を求めて」というミッションを掲げ、平和教育積極的に推進する立場事故直後(3月16日事故)のタイミング特集されたため、イデオロギー的な「平和教育実践」を守る・強化する文脈が感じられます

記事から確認できる平和学習採用実践している学校の傾向

記事本文では学校名をほとんど伏せていますが、以下の傾向と一部言及からわかる学校群です:

主な実践校の傾向(記事+関連情報から):

中高一貫校中心に平和学習積極的実施沖縄修学旅行広島長崎学習礼拝での平和メッセージワークショップなど)。

戦後80年を意識した取り組みが多く、「構造平和」「人権」「いのちの尊さ」をキーワードにしている回答が目立つ。

課題として「教師の熱の低下」「思想の偏りへの懸念」「客観的視点の難しさ」などが挙げられている(一部回答)。

具体的な学校例(キリスト教学校教育同盟加盟校で平和学習積極的もの):

• 松蔭中学校高等学校神戸市

恵泉女学園中学校高等学校東京都

平和学園(神奈川県など)

敬和学園高等学校新潟県

共愛学園前橋国際大学附属中学校高等学校群馬県

新島学園中学校高等学校群馬県

北星学園北海道

明治学院高等学校東京横浜

活水学院長崎県)

鎮西学院長崎県)

これらの学校は、キリスト教学校教育同盟ネットワークを通じて日本基督教団牧師社会派関係者講師・協力者として招くケースが多く、沖縄広島を中心とした現場体験型平和学習採用しています

全体の印象

この特集は、辺野古事故の直後に「平和教育実践」を積極的に発信する内容となっており、イデオロギー的な平和教育反戦人権構造的抑圧への気づき重視)を守り・広めようとする姿勢が強いです。学校名を伏せている点も、外部批判意識した対応に見えます同志社国際高校(別途強い関与)と並んで、これらの学校群がキリスト教学校教育同盟を通じて平和学習を推進している実態がわかります

(追記)ミッション学校政治偏向マップ

https://anond.hatelabo.jp/20260327175419

2026-03-26

[]「平和学習採用学校リスト(日本基督教団)

以下は、日本基督教団(UCCJ)の人物(主に牧師関係者)が関与・協力した平和学習プログラム採用している主な学校団体を、公開情報報道に基づいて挙げたものです(2026年3月時点)。関与の形は、講師派遣プログラム企画協力、海上視察案内、開会礼拝でのメッセージなど多岐にわたります

1. 同志社国際高等学校京都府京田辺市

• 関与人物: 金井牧師日本基督教団佐敷教会担任牧師、故人)。

• 内容: 開校以来(1980年代〜)の沖縄研修旅行辺野古コース」の平和学習で、海上視察プログラムを長年協力。2023年から抗議船「不屈」「平和丸」を使用した海上から基地見学を導入。金井牧師研修初日の開会礼拝メッセージ担当するなど、プログラム全体に深く関与。学校側は宗教ネットワークを通じた信頼関係実質的に協力・委託的な形で採用していた。

2. 沖縄キリスト教学院大学・沖縄キリスト教短期大学(および付属平和総合研究所

• 関与人物: 金井牧師(同研究所コーディネーターを2010〜2021年に務めていた)。

• 内容: 研究所自体平和学研究・平和教育拠点学校内や外部からの依頼で平和学習プログラム提供支援金井牧師肩書を使って全国カンパで抗議船「不屈」を購入した経緯もあり、学院平和教育に深く結びついていた。

3. 全国キリスト教学校人権教育研究協議会(全キリ)参加のキリスト教学校

• 関与人物: 日本基督教団牧師複数名(例: 堀江有里さんなど教団関係巡回教師講師)。

• 内容: 年次セミナー(「いのち平和人権」をテーマにした全国大会)で分科会や講演を実施。「オキナワと平和学習」などの分科会があり、教団牧師講師聖書研究担当。参加校はキリスト教主義学校が多く、平和学習の教材共有・研修活用

学校

• 松蔭中学校高等学校神戸市

頌栄短期大学神戸市セミナー会場として使用

平和学園(神奈川県など、キリスト教学校教育同盟とも連携

恵泉女学園東京平和人権関連の取り組みが活発)

• その他参加校の傾向:フェリス女学院横浜共立学園青山学院関係校などキリスト教主義学校多数(毎年セミナー平和学習実践を共有)。

4. 宣教力学協議会MSC)加盟のキリスト教主義学校

• 関与人物: 日本基督教団社会派牧師・教団関係者

• 内容: 教団の宣教力学校向けに平和教育を含むキリスト教主義教育の推進。講演会研修会を通じて平和学習重要性を強調し、加盟校(中学高校)でプログラム採用支援。教団の社会委員会平和関連委員会が背景にある。

具体的な加盟校・関連校の例(MSCおよび関連ネットワークから):

敬和学園高等学校新潟県新発田市

共愛学園前橋国際大学附属校(群馬県前橋市共愛学園中学校高等学校

新島学園群馬県など、新島学園短期大学・中学校高等学校

北星学園北海道平和宣言を発行した実績あり)

関西学院関係校(兵庫県など、教団認可神学部とのつながりが強い)

5. その他のキリスト教学校(例: 明治学院関連や教団つながりの学校

• 関与人物: 金井牧師明治学院チャプレン時代からのつながりで、同志社国際高以外にも影響)。または教団社会派牧師

• 内容: 沖縄広島などの平和学習研修旅行で、教団牧師講師ガイドとして招くケース。NCC日本キリスト教協議会教育部を通じた平和教育資料提供セミナーも間接的に関与。

具体的な学校

明治学院大学・明治学院高等学校東京横浜)
国際平和研究所PRIME)などで辺野古沖縄関連の平和学習シンポジウム実施。教団関係牧師研究者が関与。

明治学園北九州市)
中学3年生の沖縄修学旅行平和学習ひめゆり平和祈念資料館など)を実施日本基督教団ネットワークを通じた平和講話などが取り入れられるケースあり。

• その他の例:

活水学院長崎県

鎮西学院長崎県

神戸女学院兵庫県平和教育積極的

補足

日本基督教団社会派人物は、個人的ネットワーク的な信頼関係同志社教会・同じ教団つながり)を活かし、キリスト教主義学校平和学習に深く関与する傾向が強いです。特に金井牧師のケースは、牧師職+平和研究所+抗議船運航+学校プログラムという多重関与の典型でした。

これらの平和学習は「戦争悲惨さ」「沖縄実相」「構造的罪への気づき」を強調する内容が多く、教育基本法第14条(政治的中立)の観点から議論を呼んでいます

情報報道公式サイトに基づくものです。教団全体が一枚岩ではなく、社会派教会派の違いがある点は補足しておきます。


2026-03-23

戦争支持の人々は何を願ったか 今に通じる「らしさ」揺らぎへの反発 2025年10月1日 7時30分  朝日新聞

 戦後80年、多くの歴史が語られてきた。ただ、大切な問いは、実はまだ十分に検討されていないのではないか。いま問われるべきは、なぜ、当時の人々があれほど熱心に戦争を支持したのかの解明ではないか――。そんな思いで、日本の外から日本近現代史研究する歴史家、益田肇さんに聞いた。

 

人々にとっての戦争の「魅力」

 ――なぜ、「日本戦争に突き進んだ理由」に向き合ったのですか。

 

 「本当に問われるべき問いが、まだきちんと検討されていないのではないか、と感じていたからです。一般的歴史では、『軍部暴走し、国民戦争に巻き込まれた』と、人々が『受け身』に描かれることが多い。まるで人々は、台風が通過するごとく戦争を耐え抜いたかのように。そこに抜け落ちているのは、戦争を支持する人々の存在です」

 

 「その結果、人々が戦争を賛美もしていたという事実が見えにくくなっている。近年、そうした人々に焦点を当てた研究が増えてきましたが、私は、人々にとっての戦争の『魅力』に着目しました」

 

 ――魅力、ですか。

 

 「当時、多くの普通の人々が熱心に、前向きに戦争全体主義を抱きしめました。そうした人々をただ批判するのではなく、戦争の『魅力』を考えてみたいと思ったのです」

 

 「日本戦争に突き進んだ理由は、当時の政治外交を追うだけでは捉えきれません。政治外交真空の中で行われたのではなく、時代磁場の中で動いているからです。その磁場を知るため、普通の人々戦争全体主義の名のもと、いったい何を願い、何を争っていたのかを探りました」

 

 ――当時の人々の認識を知るのは大変そうです。

 

 「多用したのは日記です。手紙新聞雑誌への投稿も。一人の日記に頼るより、大量に使うことで時代あぶり出そうとしています。同じ時代に生き、同じように感じていた共時的パターンは何か、と。断片では何かわからなくても、大量に並べるとイメージが浮かび上がってくる『モザイク画』のようなものです」

 

 「すると、戦争のものを支持していたというより、他の作用があって戦争支持を唱えていた人々の姿が浮かび上がってきた。身の回りでもともとあった別の『戦い』に、国防愛国論理が乗るとうまく回りだす――という様子が、断片を並べていくことで見えてきたのです」

 

「お前のやうな女がいるか国防を危くするのだ」

 ――どんな断片でしょう。

 

 「例えば、正月日記に今年の決意として『忍耐、勤勉、努力』と書くような真面目一徹神奈川県青年がいました。幼い頃から男らしい兵士になるのが夢でしたが、徴兵検査で甲種合格できず、その途端、日記記述は一層好戦的になる。対米開戦も喜ぶ。戦場には行けないが国内で頑張ると張り切り、勤務先で評価が高まった頃が一番誇らしげです。戦争の支持は、彼にとってはむしろ男らしくなりたい、ちゃんとした人物になりたいという思いの現れでした」

 

 「東京小学校長を務めていた女性は、1931年座談会で振り返っています洋服で道を歩いていた時に20回ほど嫌がらせを受け、『おいこら! 何のために洋服なんか着ているんだ、お前のやうな女がいるか国防を危くするのだ。今日は許してやるが今後もこんな格好をしたら、見つけ次第叩(たた)き殺すぞ』と通行人から怒鳴られた、と。注意した側にしてみれば、それまで不愉快に感じていたことを『国防論理批判できるようになったわけです」

 

 「昭和維新運動に参加するような青年将校らにしても、口では国の行く末を憂えるような議論をしていても、実際に問題視しているのはジェンダー規範の緩みだったりすることがあります。例えば、二・二六事件首謀者の一人として刑死する鳥取県出身青年は、若い頃の日記国家が立ち行かなくなるといら立っていますが、よく読むと実際には、大正期に、女が男のようになり、男が女のようになりつつあることにいら立っている。いわく、『女は恋をするもの』『男は恋せらるるものである』ことが『自然』なのに、近ごろは『女権尊重の声』が高くなり、『女そのものが威張り出して』いて、男にも『女の様になった奴(やつ)が多い』、と記しています

 

 「似たようなことは財界でも。ある鉄道会社社長経済誌で『我が臨戦体制』に胸を張りますが、実際にしたのは一斉朝礼や幹部の定刻出社、全社的な清掃運動など、様々な業務合理化と能率増進です。戦争が始まった途端、平時になかなかできなかった規律を整えることが戦時論理可能になった。同様に、各地の村での派手な結婚式や酒の飲み過ぎも、自粛対象になりました」

 

解放時代」にくすぶった反発

 ――研究大正時代(1912~26年)までさかのぼっています

 

 「大正期は基本的に『解放時代』で、多くの人々が『らしさ』からの脱却を図っていました。女性良妻賢母に当てはまらない生き方を求め始めた。女性が髪を切り、スカートはいて、さっそうと街を歩けば、男性オールバックの長髪にして香水をつける。労働運動部落解放運動朝鮮人権利運動も活発になった」

 

 「同時に、これらの解放の動きへの反発がくすぶり始め、1910年代後半には『世の中が乱れている』と感じる人が増えています。いわば男らしくない男、女らしくない女、日本人らしくない者たちへのいら立ちです。この底流を見ないと、31年の満州事変以降、戦争への支持が噴き出した背景が理解できない。それが後に噴出するエネルギーとなるからです」

 

 「ここで重要なのは手段目的が往々にして逆転していたことです。例えば、『婦人よ家庭に還れ』『筋骨共に隆々これが日本男子』とのスローガンは、表面上の論理としては、婦人を家庭に戻すことで(手段未来戦士を育てよう(目的)、男子の体格を向上させて(手段日本を背負って立つ男子となれ(目的)となっています。でも実は、その『手段自体が、失われた『らしさ』復活のため、多くの人々が戦い続けてきたそもそもの『目的』ではないでしょうか。以前から、『妻らしさ』『母らしさ』の逸脱である職業婦人モダンガールを家に押し戻し、オシャレ熱に興じるモダンボーイや読書ばかりの文学青年に『男らしさ』を教え込もうとしていたではないか、と」

 

 「自分らしさを重視する『個人主義』や『多様性』、その結果生じる従来の『らしさ』の揺らぎと対立の増加。これらにいら立つ人々にとって、民主主義議会政治はむしろ調和を乱す元凶。個を重視し、多様性を認め、対立助長するからです。この『機能不全』を戦争全体主義で克服しよう、競争対立、分断と格差疲弊した社会を立て直し、一体感調和を取り戻そうと願う人々の姿が浮かんできました」

 

人々は戦争に「巻き込まれた」のか?

 ――先ほどの個々の話は、日本戦争に突き進んだ時代を映すモザイク画の素材なのですね。

 

 「そうです。個々は小さな話でも、全体としてうねりを作り、当時の磁場を作る。そのように見ると、『解放時代』『引き締めの時代』『戦いの時代』という流れが浮かび上がってきます。それぞれの時代はくっきりと分かれるわけではなく重なっていますし、同じ人間にも異なる側面が共存している。それでも、どれかが強く現れる時代や時期があります

 

 「19世紀末の大衆社会の到来以降の国家戦争のあり方を見ていると、国家が主とも、社会が主とも、言い切れなくなる。国家戦争が起きるから、『男らしさ』『女らしさ』『妻・母らしさ』『家族らしさ』が求められ、皆が国家に協力させられるのか。それとも、『らしさ』規範があちこちで瓦解(がかい)するから復権させる引き締めのために定期的に危機が唱えられ、国家戦争が求められるのか。小さな話を集めていくと、国家が主で人々が巻き込まれたという一方通行作用だけでないことが見えてきますそもそも国家社会から離れて存在するものではないからです」

 

政策決定者と人々の作用双方向

 「言霊とでも言うのでしょうか。一度言葉を発すると、そこに文字通りの真意がなかったとしても、言葉独自に力を持ち始めるものです。社会に飛び交うそうした無数の言葉が重なると『国論』となり、政策決定者たちが無視できなくなる。その選択も縛られる。日本戦争への道を考える上でも、政治外交だけでなく、人々の願いが集合する社会検討して、両者を融合するよう努めました。政策決定者と人々の作用双方向だったのです」

 

 ――政策決定者が世論の影響を受けた、と。

 

 「当時、為政者国内のごたごたを避けようとして、国外で戦うことを選びました。これも、日本戦争に突き進んだことの理由の一つです」

 

 「例えば、関東軍の謀略で引き起こされた31年の満州事変を、その後のいわゆる『十五年戦争』の起点と捉えると、軍部日本戦争に引きずり込んだという軍部中心的な理解になりますしかし見落としがちなのは、これが『解放時代』の真っ盛りだったということです。『らしさ』から解放絶頂期で、見方によっては社会秩序が急速に瓦解した時代でもあった」

 

 「満州事変はそのタイミングで起き、社会変化にいら立っていた人々が飛びつきます。当時、政府は不拡大方針をいったん閣議決定したものの、国内戦争熱を前に引き下がれなくなる。このようにたどれば、戦争への道が、政策決定者と人々の相互作用から作り出されていたことが見えてきます

 

社会保守の機運が運動になった転換点

 「上海事変(32年)でも、3人の工兵爆薬を担いで敵陣に突っ込み戦死したとされた『爆弾勇士』(現在事故可能性が指摘されている)が、『男らしさ』の貫徹として全土で支持を集めました。ただ、そうした『らしさ』を尽くした人をたたえる美談ブームはこれが初めてではない。『爆弾勇士ブームはむしろ20年代半ばに始まる美談ブームの背後でくすぶっていた社会保守の機運が、全国的運動となった転換点と見るべきでしょう」

 

 「社会のなかの政策決定という点では、外相松岡洋右典型例です。松岡は(石油資源の確保のために東南アジア方面進出する)南進論には否定的でした。必ず米国の反発を引き起こす、と。その読みは正しかったのですが、それを密室会議しか言わない。南進論を支持する社会磁場を読み取り、人前では南進論を推す右翼にも同調するのです。彼が提唱した『大東亜共栄圏』構想や西洋植民地主義に虐げられた民族の『救済』という論理にしても、当人意図はるかに超えて、南進論や対米強硬論過激化を呼び起こしてしまいました」

 

人々を受け身に描くことの問題点

 ――メディアの影響は。

 

 「極めて大きかったと思います。37年7月盧溝橋事件から12月南京陥落までで特に顕著です。全国紙の一面記事は、映画の一コマのような劇的な写真で読者の興奮を高め、県版記事は、郷土兵の戦死顔写真付きの美談に仕立て上げて文字通り顔の見える報道で読者の情感に訴えた。こうして全国紙の部数は劇的に伸びました。地方紙も、当時は地元有力者が社主を務めるケースが多く、政財界と直結していた。新聞社が県民決起集会主催し、その興奮を記事にしていて、さながらイベント会社のようでした」

 

 「世論にのみ込まれたという意味では、満州事変での朝日新聞象徴的です。新聞各社が強硬論を書きたてる中、朝日は当初慎重論を唱えていました。ところが大規模な不買運動が始まり、売れ行きが万単位で落ちると、社論が転換し軍部支持の方針が決まった。他の新聞社と一緒になって『肉弾勇士』を称賛する歌詞の読者コンテストを開くなど、戦争支持を盛り上げました」

 

 ――人々を受け身に描くことの問題点とは何でしょう。

 

 「人々が一枚岩犠牲者に見えてしまうことです。そうした歴史観は、現代にも影響します。今の政治社会を考える時も、同じ受け身の構図で自分たちを捉えてしまい、重要役割果たしていることに無自覚になる。それは他者責任転嫁する見方も強めます戦争への道は人為的ものです。だからこそ、支持した人々が大勢いたという点から見直したいと思いました」

 

解放」と「引き締め」をめぐる「社会戦争

 ――「らしさ」から解放と、それへの反動としての「引き締め」は、今も各地で起きているのでしょうか。

 

 「もちろんです。私は、人々の『解放』と『引き締め』をめぐる戦いを『社会戦争』と名付けました。この視点の利点は、日本経験普遍的現代的、総合的に見直すことができることです。どの社会にも、どの時代にも、解放と引き締めの戦いはあるから日本史を世界史とつなげて考えることができる」

 

 「為政者の動向だけでなく、普通の人々視野に入れて政治社会総合的に捉える。この視座から見ると、日本における参政党の躍進、米国でのトランプ大統領再選、ロシアでのプーチン大統領への支持にも、背景にそれぞれの社会戦争があるのではないかと思えてきます

 

 ――解放と引き締めが振り子のように繰り返されてきたと考えると、あの時代が「例外」だったと思えなくなります

 

 「戦中は暗く息苦しい時代で、その前後に明るい時代があったという理解があります。戦中を日本近現代史における例外とみなせば、楽です。『例外的な時代だったが、元に戻したので大丈夫』と言える。例外にすれば、ひとごとのようにできる。だからこそ、あの時代を単なる『例外』とみなすべきでない。むしろ、今とも地続きの、自分のこととして見るべきだと思います

 

 「歴史見方を変えると、現在見方も、未来見方も変わる。だから歴史の視座の多様化が大切なのです。過去重要な転換期に、普通の人々翻弄(ほんろう)されるだけの受け身存在ではなかったことに気付けば、私たち現在未来への向き合い方も変わってくると思います

 

海外から日本近現代史研究する意義

 ――益田さんはシンガポール研究拠点です。

 

 「そのおかげで、欧米日本だけでなく、アジア各国の研究者とも共同研究する機会に恵まれ、多様な見方に触れることができます。今春には編者として『Cold War Asia: Unlearning Narratives, Making New Histories』を出版しました」

 

 「従来の冷戦史は、米国ソ連中国政治指導者や高官を中心に展開されますが、この本ではアジア各地の普通の人々体験を通して冷戦を描きました。同様に、日本史も相対化して考えるようになりました。異なる国々でも似たパターンが見えてくれば、日本で起きたことが特別とか例外とは見なくなります

 

 「視野を広げないと歴史を語れないことにも気付くので、関心領域地理的にも時間軸でもどんどん広がっています。例えば、今回は私の専門は日本近現代史20世紀アジア史、米国外交史と説明していますが、日本では『広すぎる』と思われるかもしれません。でも20年間研究していれば、どうしても専門領域は広がるんです。今回は日本主題なので日本近現代史を一つ目にしていますが、冷戦史を書いた時は米外交史とアジア史と説明しました」

 

歴史家の役割大きな物語提示

 ――国内外で秩序が揺さぶられる今、歴史学に求められることとは。

 

 「そもそも歴史学の原理アナリシス分析)です。基本的に分けて考えていく。分けることで物事真実が見えてくるという前提です。だから研究者は、時代を絞り、地域を絞り、テーマを絞る。研究が進めば進むほど、分岐が進み、専門化が進むゆえんです」

 

 「ただ、それぞれの研究成果を本来、どこかで融合させないといけない。もともと世界はつながっているし、政治社会文化といった事柄本来分かれたものでもない。だからアナリシスの対になる概念シンセシス総合)も必要ではないかと思います。私が取り組んだのはこの路線で、小さな話をあっちこっちから拾い集め、モザイク画のように『合わせる』ことで新たに見えてくるものもあるという姿勢です」

 

 「歴史家の役割大きな物語ナラティブ)を社会提示することだと考えています日本

2026-03-22

高齢者ばかりの「老いた街」が首都圏各地で誕生する

埼玉浦和大宮千葉市川船橋など郊外でも都心急行快速で数駅で行ける場所例外

東京でも多摩市はすでに高齢化が周辺自治体より早く進んでいる。

総務省人口動態調査によると、すでに埼玉県や千葉県、神奈川県でも人口が前年実績を割るなど首都圏人口減少局面に入っている。これまで首都圏というだけで生き残っていた自治体や駅も、決して楽観視できる状況ではない。今後10年、20年というスパンで見ると、高齢者ばかりの「老いた街」が首都圏各地で誕生することになりそうだ。そのカウントダウンはすでにはじまっている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/66ee3303cafea2fce859098df1c174fd1e88d132?page=3

2026-03-11

神奈川県東京都全然違う

長らく川崎新横浜で働いていたが昨年一念発起して新宿本社のある会社転職した。

営業職なので都内会社をあちこち訪問して気付いたのだが、神奈川県東京都全然違う。

都内、おしゃれで綺麗すぎる。

すべての物が金掛かってる。そしてすべてが新しい。

神奈川県にも新しいビル商業施設はあるが、都内はすべて新しい。

都内でも新宿は古いものもなくはないけど、日本橋とか赤坂はすべて新しい。綺麗。

格差を感じざるを得ない。

平成昭和もない。

あと飲食店コンビニ店員さんが責任者らしき人も含めて全員外国の方だった。

都内怖い。

建物を綺麗にする金はあるのに労働者への賃金は抑えようとするその姿勢が怖い。

格差すぎる。

2040年老人=首都圏人口1020代=首都圏の半分に届かない

2040年前後人口バランス(概算)

高齢者 約4000万人

10代+20代 約1800万人

老人 = ほぼ※首都圏人口(日本人の約3人に1人が首都圏に住んでいる)

若者 = 首都圏の半分に届かない

在留外国人最多413万人、初めて400万人台に乗る 令和7年末 1年間で36万人増 「移民」と日本人

https://news.yahoo.co.jp/articles/70bc0d10bc68aa5d85f1785f49025efc63027513

首都圏範囲: 一般的東京都神奈川県埼玉県千葉県の1都3県を指します。

最新の人口状況(首都圏・1都3県): 2025年時点のデータで、約3700万人〜3800万人程度と推定されています

東京都人口: 2026年2月1日時点の推計で約1,427万人(東京都統計)。

ーー

3,700万 ÷ 1.23億 ≈ 約30%

日本人の約3人に1人が首都圏に住んでいる規模です。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん