はてなキーワード: 無防備とは
男子トイレの環境に対する男性たちの本音は、「プライバシーの欠如に対する強い抵抗感」と「効率性のためのやむを得ない妥協」の間で揺れ動く非常に複雑なものです。主な意見を分類すると以下の通りになります。
多くの男性が、現在の小便器の環境を「プライバシーがない」と感じており、内心では苦痛や抵抗感を抱いています。
「嫌だ」と言いにくい社会的な空気や、男性同士の牽制が現状維持に繋がっている側面があります。
一方で、小便器というシステムが持つ「回転率の速さ」というメリットを認め、現状を肯定、あるいは妥協している層も一定数存在します。
設計の古さや、利用者のマナーに起因する不快感も多く挙げられています。
総じて、男性たちは「嫌だが、効率のために我慢している」という状態にあり、もし利便性が損なわれないのであれば、よりプライバシーが守られた環境(仕切りの強化や個室化)を望んでいるのが本音と言えます。
東風商店街を防風"鈴"として守護する風鈴高校という優しいヤンキー高校。そんな街に先天性白皮症により顔面の半分の色素が抜けた狂犬みたいな主人公がやってくる。風鈴高校のテッペンを取るためにやってきた主人公だったが、しかし強さを喧嘩に生かすのではなく街を守るために使う風鈴高校のトップやその仲間たちに囲まれ少しずつ絆されていく。しかしそんな中、隣にある獅子頭連とトラブってしまいいろいろあって戦いが幕を開ける。
みたいな話。
まず間違いなく一番頑張っていると評価できるのは美術だと思う。
たぶん漫画?アニメ?原作だと思うんだけど、それに合わせて登場人物の9割くらいは安いコスプレ感にあふれているんだけど、今作の舞台になっている東風商店街は明るい方のティム・バートン映画に出てきそうなめちゃくちゃパステルカラーでファンシーな造形物がたぶん本当に作られていて、安いコスプレ感がほとんど浮いていない。背景のすべてを作りもの感のあるセットにすることでこんな奴ら現実におらんやろという登場人物たちがギリギリ世界観に溶け込んでいるように見えたり見えなかったりさせているのは何気にすごいと思った。てかティム・バートンに撮らせればよかったのに。
アクションに関して言えば、過去にあまた存在するそれ系の映画、クローズ・ゼロ、ハイローシリーズ、品川ヤンキー映画である程度のジャパニーズ・ケンカ・アクションの水準が作られた今見ると、正直レベルが高いとは言えない。明らかに当てていない殺陣、ヒッティングの瞬間にスローモーションになる演出はそれぞれの映画でも多用されてたぶんだいたいはハイスピードカメラと実際にゆっくりながらも当てているんだと思うんだけど、今作では当たっているのに顔が歪まない=スローモーションじゃなくて実際に拳を止めているのが見えてしまって激萎え。
ケンカ・スタイルでの書き分けに関しては、それぞれちょっとずつ頑張ってるんだけど気を抜くと振りかぶってパンチ、ヤクザ・キックになっちゃうのも不満。唯一、最初から最後まで通して頑張ってたのは眼帯の子くらいだったかな。特に風鈴のトップは守るために戦う派ということになっているんだけどそのスタイルが「めっちゃタフです」はどうなん。無防備に殴られることと守ることは別の概念だろ。めちゃくちゃディフェンス・テクニックが巧で何をやっても防がれてしまうとかでよくなかったか?まぁ不良っぽさはなくなっちゃうんだけどさ。
脚本に関しても基本はファンシーヤンキー映画として割り切るとしても、根本がやっぱちょっとどうかしてて。
まずこの街にとんでもなく厄介な他所者がやってきた……みたいな映画のテンションで主人公がやってきて初登校日。普通だったら転校生かなと思うんだけど、この日、入学式の日なんだよ。いやなんでだよ。もしかして地元民がエスカレーター式に上がる高校なん?高校ってそういうもんじゃなくね?色んな中学から集まってくるもんじゃね?もしかして俺が増田の民ながらある程度の公立高校を受験したいいとこの坊ちゃんなのがバレてる?
あとは今作では主人公の相棒キャラ的にデータキャラが出てくるんだけど、そいつ、最初に商店街のオムライス屋の娘がチンピラに絡まれていてそれを主人公が助けるときにずっと物陰からメモ取ってるのね。多勢に無勢になってボコられてても。いや、シンプル卑怯者じゃん。そんな奴応援する気になれないよ。そして、なんか町ブラしてるときに本人が「ここから先は獅子唐連のシマだから絶対入っちゃダメですよ」って言ってた場所に知らんあいだに入っちゃってトラブルの火種になる。データキャラなのにアホなんかよ。
そして獅子唐連のリーダー。強さと自由さを履き違えた強さ至上主義者で強くないと自由になれない、そして俺は強いのに自由になれないのは周囲が弱いからだからお前らは強くなるべきだし、弱い奴は死ぬべきっていうよくわからん設定なのはまぁ、ファンシーマッドキャラとして割り切るとして。その獅子唐連がやることが東風商店街を襲撃して町中にペンキを撒くことなのね。何?もしかして俺、実写版スプラトゥーン見てた?バケツでペンキバッシャーやったり、ロールでぬりぬりしたりしてんの。いや、そのことと強さ、自由さに何の関係があるねん、アホなんか。やってる側も、なんで俺は街にペンキ縫ってるんだと思わんのか。
ドラマとしては主人公はたぶん幼い時に両親を亡くしてるんだけど、アルビノがキモいって理由で親戚からハブにされて(そもそもそんな話ある?)、学校でもいじめられ(これはある)、孤独で自分自身の強さ以外何も信じないっていう獅子唐連タイプの人間なんだけど、これが風鈴高校にはいることでコミュニティに属し承認されるということを知る、という展開はまぁいい。だったら同じく自分自身の強さ以外何も信じない獅子唐連のカシラと戦って、孤独じゃないからこそ主人公が勝つという展開にすべきだとは思うけど、まぁ、そこはいいや。
で、なんか定期的に綱渡りをしている映像が挿入されてそのたびに自分の嫌な記憶がフラッシュバックするんだけど、嫌な記憶と綱渡りって基本的にあんま関係なくね?普通に考えたら綱渡りに対応する精神状態って「理性と本能」みたいなそこから落ちたらマズい概念じゃね?で、終盤、襲撃してきた獅子唐連に対して主人公が一人立ち向かってボコられたときに、また綱渡りが始まって落っこちるんだけど、俺はここで優しさを知った主人公がそれでも再び孤独の中の狂気に陥ってしまって街の人もドン引きのキラーマシンに変貌するんだけど、それを風鈴の仲間たちに呼び戻される展開かと思ったら別にそんなこともなく普通に風鈴の奴らが来てましたってなるだけ。
このシーンもだったら襲い来る獅子唐連に主人公が立ち向かおうとするも仲間から拒絶され、じゃあ俺一人で行く!→やっぱりみんな来た!とかなら成立するけど、主人公が一人で立ち向かうことになるのってこいつが一人でトンズラしようとしてたらたまたま襲撃が始まったってだけだから、別に風鈴は主人公を助けるために出てきたわけじゃなくて単に出遅れてただけだから別に格好いいシーンじゃないんよね。
なんかそんなんばっかりで、ちゃんと考えて脚本書いてる?って思っちゃった。これは不良という悪をファンシーにしましたじゃ説明がつかない。
まぁそんな感じかな。
イケメンがいっぱい出てきて戦闘シーンもほとんどファンタジーでバイオレンスもあんまないからヤンキー映画の入門としてはギリいいかもしんないけど正直現代の基準には達してないと思ったかな。あと、なんかジェネリックイケメン多いな。主人公は劇団ひとりだし、眼帯はジェネリックガクトだし、風鈴トップはジェネリック小泉孝太郎だし、ロンゲはジェネリック松田翔太だし、獅子唐の副頭取はジェネリック伊勢谷友介だし、イケメンのパターンも意外と有限なんやなと思いました。
この格言は、アイルランドの詩人フレデリック・ラングブリッジが19世紀末に綴った詩の一節である。同じ暗い牢獄、同じ鉄格子、同じ限られた視界の中で、二人の囚人は全く異なる宇宙を目撃する。一人は足元に広がる湿った汚泥——腐敗し、沈み、絶望の象徴——に視線を落とし、もう一人は遥か夜空に瞬く星々——無限の光、真理、そして永遠の希望——に目を向ける。
鉄格子とは、遺伝的素因、初期環境、そして強烈な初体験によって刻み込まれた生物学的宿命そのものだ。
脳の報酬回路——中脳辺縁ドーパミン系(腹側被蓋野から核 accumbensへとつながる神経経路)——は、生存に有利な行動を即時的な快楽として強化するよう進化してきた。この回路の過剰活性が、sensation seeking(感覚追求傾向)という性格特性を生む。心理学者マーヴィン・ズッカーマンが提唱したこの特性は、新奇性、リスク、支配感、背徳的スリルを強く求める傾向を指し、遺伝的要因(例:DRD4遺伝子多型)によって個人差が大きい。一度この回路に「刷り込まれた」嗜好は、神経可塑性の限界によりほぼ不可逆的となる。記憶再固定(reconsolidation)というメカニズムで長期的に定着し、意志の力だけで完全に消去することは現代科学では不可能に近い。
泥を見る囚人は、加害の快楽に囚われた者だ。暴力や性的支配、背徳的スリルがもたらす即時的なドーパミン爆発は、脳の報酬系を再配線し、日常のささやかな喜びを色褪せさせる。刑務所という外部の厳格な構造では「模範囚」として規則を守り、仮釈放の審査を通過できる。しかし、鉄格子が外れた瞬間——社会復帰の自由という名の無防備な空間——で、トリガーが再活性化する。神経科学のLibet実験(1983年)が示したように、意識的な「決定」は、無意識の脳活動(準備電位)に数百ミリ秒遅れる。
この哀しみは、決して「弱さ」ではない。人間本性の暗い半面そのものだ。報酬系のdownregulation(受容体減少)により、普通の生活では満足できなくなり、泥の底へと沈んでいく。社会はしばしば「意志の力で更生せよ」と道徳的に責める。衝動の強さを自覚し、任意の治療や構造化された管理を求める道すら、十分に用意されていない。彼らの孤独はさらに深まる。
一方、星を見る囚人は、同じ衝動を創造の原動力に転換する天才だ。極端な好奇心、リスクテイク、新奇性追求は、科学者、芸術家、探検家を駆り立て、未知の真理を掴む。ニュートン、アインシュタイン、ヴァン・ゴッホ、ニーチェ——彼らもまた、社会的規範から逸脱した「狂気」を抱えていた。過剰なドーパミン反応と衝動性を共有しながら、それを「泥」として消費せず、抽象的な探求や芸術的飛躍に昇華させた。鉄格子は彼らにとって、創造の檻ではなく、集中の枠組みとなった。星は、衝動が光に変わった瞬間の輝きである。
しかし、彼らの人生は必ずしも幸福ではなかった。ニュートンは晩年を激しい偏執と孤独に苛まれ、アインシュタインは深い人間関係の困難を抱え、ヴァン・ゴッホは耳を切り、自ら命を絶った。ニーチェは精神崩壊の末に狂気の淵に沈み、多くの天才たちがうつ病、双極性障害、依存症と隣り合わせで生きた。
鉄格子は彼らにとって創造の枠組みとなったが、内面的な牢獄でもあった。星を見上げる視線は、自己破壊的な炎を宿している。
泥と星は、遠く離れた別物ではなく、人間性というコインの表と裏だ。遺伝的宝くじ、幼少期の偶然、環境の偶然が、どちらの面を上向かせるかを大きく左右する。科学はここに「自由意志のフィクション」を暴く
ここに逆説がある。悲劇的に生きることが、人類史を動かしてきたということだ。星を見る者の苦痛と狂気なくして、人類は科学の飛躍も、芸術の深化も、思想の革新も得られなかっただろう。泥を見る者の暗い衝動もまた、人間性の暗部を露わにし、社会規範形成に動機を与えた。栄光と哀しみは、常に表裏一体。人間は衝動の囚人として生まれ、鉄格子の向こうに何を見るかで運命を分かつ。
泥と星の間で揺れ動きながら、生きることの悲哀を背負い続ける——それが、人間という存在の、避けがたい運命なのかもしれない。
高速道路のサービスエリアに車を止め、男子トイレへ向かおうとした時、私の近くに20歳くらいの女の子が歩いていた。
背中に届くくらいの黒い髪。
地雷系に近いような雰囲気の服装、黒とクリーム色の色合いのトップスと黒いミニスカートを履いていた。
私は男子トイレに向かっていると、その子が男子トイレに入っていった。
多くの男性が戸惑いながらも見て見ぬふりをして用を足したり歩いて去ったりしている。
その子は独り言をブツブツ言ったり、そこに居る男性たちを見て回るような動きをしていて、不気味だった。
私は、用を足したい。小便器の前に立ち、チャックをおろし、用を足し始めた。
すると、となりにその子が立っていた。
「ちんぽ。ちんぽ。」
ぶつぶつと呟きながら、用を足す私を見ている。覗き込むように。
(この子、何かしらの障害か何かがあるのか、相手しないでおこう)
用を足し、手を洗い、外に出る私。
その子はずっと、私の後をつけてきた。
シーンが変わった。
私は畑の真ん中で、泥団子を作っていた。
手に泥団子を握りまとめている。
人通りの少ない道と面している。
無言で泥団子作っていた。
なにか歌っていた。
気配を感じて、振り向くと後ろにその子が立っている。
話しかけられた。
怖さも感じたが、妙に気に入られた。
「お前の精子を寄越せ」
(絶対、性病になるやつじゃん。まあ、これ、夢だろうし、いいか。貴重な経験だよなー。)
綺麗で居たいのだ。
それに、屋外でしたくない。室内で性行為をしたいのだ。
それでも、これが夢の中だと分かったから、されるがままだった。
夢が終われば、無かったことになる。
そんなことを考えていたら、次のシーンに移っていた。
ラブホの室内に居た。
私もその子も裸で、私はベッドに仰向けで、その子が騎乗位で乗っている。
狂気とも言えるストーキングのような行為もコンドームを着用させずに性行為を強要していたのも。
そこに原因があったのかもしれない。
それまで不気味さと怖さがあったのに。
私は夢から覚めた。
去年の夏と秋の間くらいに、年に2〜3回くらい会っていた友達が、自分の意思で天国へと旅立った。自分の意思で選んだ人は天国には行けないとかそういうのは一旦置いといて。これは表現として。
それを受けて自分は、友達がその選択肢を選び取らないようにもっと何かできたことがあったんじゃないかと結構思い悩んで、しばらく泣いて過ごした。かなり嫌だった。後悔をした。
そこから数ヶ月後、年単位でかなり長いこと仕事を探している別の友達が、あまりにも仕事見つからないからもう死んじゃおっかな、とか言い出した。いや言うてるだけでしょと思う一方で、ほんとに旅立っちゃった方の友達の顔が浮かぶ。例えばここで話を聞いて、一緒に仕事を探したり、見つかるように何か協力したとして、自分には一切の利益が無い。自分の時間を人のために使うことになるし、完全ボランティアだし、大変そうだしむしろ損だ。しかし前と同じ後悔をする可能性に、胃が痛んだ。二度と後悔したくなかった。できる範囲で少しだけ、仕事探しに協力することにした。
求職中の友達は、かなり狭い範囲の職種で仕事を探していて、他の仕事はできないしやりたくないとのことだった。かなり昔にその職種で働いていたが、なんやかんや色々あって仕事が全て無くなって、今の状況に至っている。そして同じ業界内(割と狭い)で同じ職種(かなり絞ってる)で仕事を探している。言い方はアレなんだけど、一度失敗してることに対してノープランで体当たりの再チャレンジをしようとしている形になる。そんな無防備な事やったこと無いからわからなかったけど、頭を絞った。それはなかなか難しいとは思うけど、どうしてもってことならせめて作戦立てようぜ、と提案した。
友達は、ここ数年は社会福祉で生きており、自分ではほとんど働いていないそうだ。しかしゆくゆくは自分の足で立って歩いていきたいとのこと。そこで、求める職種で人生一発逆転を狙うのではなくスモールステップを踏んで、まずは簡単なアルバイトでもしてはどうか、いきなりちゃんと働いたら骨を折るんじゃないか、準備運動した方がいいのでは、と話してみた。
すると、アルバイトをするとその分保護費が減るからアルバイトとか意味無いんだよね、と言われた。「取り越し苦労はしたくない」とも言った。
この会話は、友達が書類選考の際に提出するための資料を、そういうのが得意な自分が3時間くらいかけて一人で整えている最中に行われた。本来は完全に本人がやるか、人にお金を払って依頼するべきやつだ。仕事だったら相場的にたぶん3万円ちょっとは稼げてた。
繰り返すが、この友達に仕事が見つかろうが見つからなかろうが、自分には関係無い。少なくとも利益らしい利益は一切無く、時間と気持ちを割いたり頭や手を動かしている分、損ですらある。しかし最悪の後悔だけはしたくないと思ったからやっている。これはあくまで後悔したくない自分のためで、自己満足だから、正直何を言われたってよかったはずだった。しかし、この「取り越し苦労はしたくない」を聞いた瞬間思った。俺いまめっちゃ取り越し苦労してんなあ、と。
自分の足で立って歩きたいという最初の言葉を信じて協力したけど、本当の意思はそれじゃなかった。こっちがどれだけ仕事が見つかるようにがんばったって、本人がこれじゃ仕事が見つかるはずが無い。だからこれは取り越し苦労だ。意味無いから。取り越し苦労を一切せずに、最初からずっと好きなことだけして自力で生きてる人ってこの世に何人くらいいるんだろう。取り越し苦労を繰り返していろいろなものを積み上げた結果が今立っている場所なんじゃないのか。自分で自分の足元見てみてここじゃ嫌だと思うなら、自分で積み上げるしか無いんじゃないか。今好きなことだけして生きてるように見える人たちだって、そこに至るまでにかなり色いろんなものを積み上げてきたんじゃないか。自分はこうやって生きてきちゃったから、一切の取り越し苦労をせず最初から好きなことだけして自力で生きていく方法は、正直本当にわからない。申し訳無いけど、これ以上は力になれないかも、と思った。誰かを助けようとするって、生半可な気持ちじゃできないみたいだ。
提出書類を整えてあげる、というのは自分で言い出したことだから、それはしっかり最後までやり切った。できたよと言ったが「うん」しか言われなかったので、こういう時はありがとうって言うんだよと言うと、「言い慣れてないから…」と言われた。
この友達に協力を申し出た理由は、自分が後悔したくないから、という完全な自己満足だった。完全に自分のためだ。しかし途中で逃げた。この無意味さは正直無理だった。もしもこの先最悪の事態がまた起きたら、きっとまたかなり後悔すると思う。起きないでほしいまじで。あの時もっと付き合っとけば、仕事見つかるまで一生話聞いとけば、とか、できもしないこと思うかもしれない。わかってる。でもできなかった。何があっても後悔しないほどやり切ったかと言われたらやっぱり全然で、後悔の可能性を残す方を自分で選んだ。たぶん友達という関係性、距離感とはまた違う関わり方をしてしまったんだと思う。ほんとはもっとやり方があって、その選択を自分が間違えたんだと思う。また違う友達にこの話したら、お前それやってることほぼ福祉だよ、と言われた。そうだよな。ただ、最悪の事態、今回に関しては起きないとも思うんだよな。だって無理に仕事しなくても生きていけるわけだし。仕事見つからなくていいんだよ。俺たくさん働いて納税するからさ、もうそれ使って生きててくれよ。俺がお前にできるのそれくらいかも。そんでたまに話聞くよ。それくらいかも。ごめん。自分で始めた物語なのに逃げちゃったから、とにかく生きててくれなんて言える立場じゃないんだけど。でもめちゃくちゃ願ってるよ。それくらいかも。ごめん。
雨の夜、A子は駅前のアパートに戻った。濡れた路面が街灯に反射し、細い光の線が床に伸びている。傘を忘れた手のひらが冷たく湿る。息をつきながら、手早くカバンからノートパソコンを取り出す。
文章は短く、無機質だ。しかし、A子の胸は凍った。二つ上の先輩、C男の部屋のことをほのめかしている――そう直感した。机のランプの光、窓の隙間の向こうの影、C男が何をしているかまで、誰かに見透かされている感覚が、胸の奥で冷たい鉄の鎖のように絡みつく。
指先が震え、膝を抱えて座り込む。布団の端をぎゅっと握りしめながら、A子は小さく呟いた。
「どうして…どうして知っているの…」
恐怖と好意が入り混じる心を押さえつけながら、読むしかない、返すしかない――逃げ場はどこにもなかった。
⸻
掲示板は、A子にとって日課になった。返信を打たなければ、相手に何かを察される気がする。息を整え、指先を震わせながらキーボードに触れる。
『夜の影は、先輩の部屋にも忍び込む』
文字の並びには直接的な言葉はない。ただ、C男の部屋や生活がほのめかされ、A子は背筋を冷たくする。授業で見せる先輩の無防備な笑顔や、何気ない仕草が頭に浮かび、胸の奥がざわつく。手のひらが汗で湿り、息が浅くなる。
閉じることも、逃げることもできない。読むしかない、返すしかない。文字だけで、相手の心理に巻き込まれる日々は、夜の静寂の中でますます重くなる。
⸻
日中も、A子は常に誰かに見られている感覚に囚われる。通学路では後ろを振り返り、カフェではスマートフォンの通知を過剰に意識する。掲示板でのほのめかしが、日常のあらゆる隙間に影を落としていた。
『細い糸は、手元に見えなくても動くもの』
意味は曖昧だが、A子には自分の行動やC男との関係まで指しているように思える。背筋が冷たくなり、息が詰まる。カバンの中の財布や通帳をつい確認し、部屋に戻ると窓の外を何度も見張るようになった。
心理的圧迫は、日常の些細な動作すら監視されている感覚に変わり、孤独と不安は日ごとに深まっていく。
⸻
『水面に映る影も、見上げる空も、知らぬ間に変化を映す』
直接的な情報はない。ただ、A子がC男と過ごす時間や、自分の生活の些細な変化まで読み取られているかのように思える。膝を抱え、肩を震わせながら返信を打つ。
やり取りを止めることはできない。無視すれば何かを察される気がする。匿名の文字だけで心がじわじわと支配され、逃げ場のない感覚が夜の部屋に広がる。
A子の視線は画面に釘付けになり、心臓の鼓動が耳まで響く。文字の向こうに誰かが潜んでいる――その確信が、夜の静けさをさらに重くしていた。
⸻
深夜、C男に関するほのめかしが届く。
『隣の灯りは、知らぬ間に誰かの目を集める』
A子は息を詰める。好きな先輩まで、影が伸びている――胸の奥に冷たい恐怖が広がった。布団に潜り、手元のパソコンをじっと見つめる。逃げ場も、証拠も、助けもない。
文字だけの相手の影が、C男への想いを無力感に変え、心理的圧迫は日常そのものに食い込む。窓の外の雨粒が音を立て、部屋の中の孤独は濃く、深く、A子の心を包み込む。ほのめかしの網は広がり続け、逃げられない現実を確実に示していた。
雨の夜、A子は駅前のアパートに戻った。濡れた路面が街灯に反射し、細い光の線が床に伸びている。傘を忘れた手のひらが冷たく湿る。息をつきながら、手早くカバンからノートパソコンを取り出す。
文章は短く、無機質だ。しかし、A子の胸は凍った。二つ上の先輩、C男の部屋のことをほのめかしている――そう直感した。机のランプの光、窓の隙間の向こうの影、C男が何をしているかまで、誰かに見透かされている感覚が、胸の奥で冷たい鉄の鎖のように絡みつく。
指先が震え、膝を抱えて座り込む。布団の端をぎゅっと握りしめながら、A子は小さく呟いた。
「どうして…どうして知っているの…」
恐怖と好意が入り混じる心を押さえつけながら、読むしかない、返すしかない――逃げ場はどこにもなかった。
⸻
掲示板は、A子にとって日課になった。返信を打たなければ、相手に何かを察される気がする。息を整え、指先を震わせながらキーボードに触れる。
『夜の影は、先輩の部屋にも忍び込む』
文字の並びには直接的な言葉はない。ただ、C男の部屋や生活がほのめかされ、A子は背筋を冷たくする。授業で見せる先輩の無防備な笑顔や、何気ない仕草が頭に浮かび、胸の奥がざわつく。手のひらが汗で湿り、息が浅くなる。
閉じることも、逃げることもできない。読むしかない、返すしかない。文字だけで、相手の心理に巻き込まれる日々は、夜の静寂の中でますます重くなる。
⸻
日中も、A子は常に誰かに見られている感覚に囚われる。通学路では後ろを振り返り、カフェではスマートフォンの通知を過剰に意識する。掲示板でのほのめかしが、日常のあらゆる隙間に影を落としていた。
『細い糸は、手元に見えなくても動くもの』
意味は曖昧だが、A子には自分の行動やC男との関係まで指しているように思える。背筋が冷たくなり、息が詰まる。カバンの中の財布や通帳をつい確認し、部屋に戻ると窓の外を何度も見張るようになった。
心理的圧迫は、日常の些細な動作すら監視されている感覚に変わり、孤独と不安は日ごとに深まっていく。
⸻
『水面に映る影も、見上げる空も、知らぬ間に変化を映す』
直接的な情報はない。ただ、A子がC男と過ごす時間や、自分の生活の些細な変化まで読み取られているかのように思える。膝を抱え、肩を震わせながら返信を打つ。
やり取りを止めることはできない。無視すれば何かを察される気がする。匿名の文字だけで心がじわじわと支配され、逃げ場のない感覚が夜の部屋に広がる。
A子の視線は画面に釘付けになり、心臓の鼓動が耳まで響く。文字の向こうに誰かが潜んでいる――その確信が、夜の静けさをさらに重くしていた。
⸻
深夜、C男に関するほのめかしが届く。
『隣の灯りは、知らぬ間に誰かの目を集める』
A子は息を詰める。好きな先輩まで、影が伸びている――胸の奥に冷たい恐怖が広がった。布団に潜り、手元のパソコンをじっと見つめる。逃げ場も、証拠も、助けもない。
文字だけの相手の影が、C男への想いを無力感に変え、心理的圧迫は日常そのものに食い込む。窓の外の雨粒が音を立て、部屋の中の孤独は濃く、深く、A子の心を包み込む。ほのめかしの網は広がり続け、逃げられない現実を確実に示していた。
発端はイランのフリゲート「デナ」が撃沈された事件を受けた印元外務長官(外務省官僚トップ、いわゆる外務大臣ではない)のツイートである
https://x.com/KanwalSibal/status/2029438199546954240
I am told that as per protocol for this exercise ships cannot carry any ammunition. It was defenceless.
とある。
「デナ」が参加したミラン演習は印主催の国際観艦式とその後の実働演習が一体となったものである。
これを利用してアラグチ・イラン外相や反米活動家連中は吹き上がっている。
しかし疑問は残る。
通常観艦式では多く観閲者-通常は国家元首であり、相応の礼を払うことがまた国際慣例である-に対して礼砲を撃つことがあり、さらにこの訓練では後のフェーズで実弾演習を行っている(海自艦も参加。米艦は参加を直前で見送り)。
この段階で相当「如何なる弾薬も非搭載」というのは怪しい。無いものは当然撃てない。
仮にも軍艦であり、往復は即ち軍事行動であってそこを全くの丸腰で通過することは考えにくい。
また、デナは補給艦を随伴しており、弾薬を降ろしていたとしても再補給も可能である(ただし洋上給油能力はないとされる)。
素人考えの域に入るが、全ての弾薬を降ろすと重量バランスが著しく悪くなるのではあるまいか(およそ1500トンの数%の話にはなるだろうが)。
なお、この人物はキャリアを見る限り外務官僚一本槍で、軍事に詳しい風ではなさそうだ。国家安全保障諮問委員会委員の経歴があるが2010年まで。このころミラン演習は国際演習ではあったが現在ほどの規模ではない。
政治的立ち位置は不明である(現ポストのネルー大総長はモディ政権下で就いている。弟は現野党の国会議員らしい)。
この辺を勘案すると、政治的に”盛った”可能性は低いように思われる(例えば野党系で政権攻撃の具にするために盛った、という確証はないというレベル)。
例えば、入港に当たり武装のスイッチを入れないとか、形式的な封印をするとか、そういった行動が伝言ゲームによって「如何なる弾薬も積載することが出来なかった」になったのではないだろうか。
私が訴訟を起こした相手は、加害教員と、北海道芸術高校札幌サテライトキャンパスを運営する学校法人恭敬学園です。私のように無防備で幼い学生が次々と同じような被害に遭い続けるのを絶対に止めたいという思いで、この裁判を起こしました。私が本当に許せないと思っているのは、判決が出ても非を認めて謝罪しようともしない加害教員です。
このたび、思ってもいなかったような騒ぎになり、マンガワンで活躍されていた、加害教員とは全く関係のない漫画家さん、作家さんを巻き込んでしまい、申し訳ない気持ちで一杯です。
私は、小学館の編集者さんが間に入って加害教員と示談の話し合いをした際、「連載を再開する際には読者の方々の為にも体調不良や療養など虚偽の理由を述べずに休載期間について事実に基づいた説明をしてもらいたい」と希望しました。それが受け入れられなかったこともあり、示談には至りませんでした。判決後、小学館が、私にわからないように別のペンネームを使って加害教員を原作者として活動させていたことを知って、確かにショックでした。しかし、私は、前科がある人であっても、絵を描いたりストーリーを考えたりすることはしても良いと思いますし、そういう人に発表の場を与えることも、一概に悪い事だとは考えていません。ただ、私は、加害教員の漫画を読んでくれている読者に対して誠実に、休載の本当の理由を伝えるべきだと思っていただけなのです。加害教員には、犯罪行為を認めて充分な対処をした上で、二度としないと約束してから次に進んでもらいたいと考えていました。
2026年3月5日発売の週刊文春に「被害女性が全告白『私は性加害漫画家と小学館を許せない』」というタイトルの記事が掲載されましたが、私はこのタイトルがつけられることを事前に知りませんでした。私が文春の記者さんにお話したのは「やるせないです」という言葉であり、「小学館を許せない」という発言はしていません。
2026年3月5日、小学館の取締役の方々が代理人弁護士の事務所に見えて、電話を通じて私に、これまでの対応について謝罪して下さいました。私は、被害の実相を知ってもらい、同じような被害に遭う人を無くしたいという思いが第1で、小学館に対して強い怒りや恨みを持っているわけではないこと、特に、漫画家さんの作品を小学館から引き揚げて欲しいとも思っていないし、多くの漫画家さんの活躍の場であるマンガワンをなくして貰いたいとも思っていないこと、私自身、小学館が発行している漫画のファンで漫画に助けられてきた人間なので、今後も良い漫画を世の中に出していっていただきたいことをお話しました。小学館の方からは、今後の再発防止をお約束いただき、終始、穏やかにお話することができました。
これ以上、小学館への批判がインターネット上で炎上することは、望んでおりません。また、あらかじめ申し上げておきますが、文春に対する批判についても、同様に、望んでおりません。
私の事件に、多くの方が関心を寄せていただいたことは、本当に有り難いです。私が心から望むことは、加害教員からの被害の実相を広く知っていただき、こんなことが起きないよう、社会全体で子どもを性被害から護る仕組みをつくっていただくことです。それぞれのお立場で、できることに取り組んでいただければ、大変嬉しいです。どうぞよろしくお願い致します。
翌晩、増田あすかに引き連れられ、一行は町外れの「旧・聖マリアンナ病院」へと足を踏み入れていた。
「いい? 全員、索敵を怠らないこと! 霊素(エクトプラズム)の揺らぎ一つも見逃しちゃダメよ!」
彼女が踏みしめる古びたリノリウムの床は、実は「佐藤」がその瞬間に、彼女の歩幅に合わせて生成しているホログラムに近い実体だ。
建物の外――増田の視界が届かない場所には、もはや空も大地も存在しない。
そこにあるのは、数十億年前に滅びた地球の残骸と、それを包み込む虚無だけ。この病院も、学校も、通学路も、すべてはたった一人の「生き残り」を飼育するために維持されている巨大なテラリウムに過ぎないのだ。
実際には、ユキが自らの触手の一本を地下階で震わせ、壁を叩かせた音だ。
「きたっ! ほら、やっぱり私の勘に狂いはなかったわ!」
増田は目を輝かせ、音のした方へと駆け出す。その無防備な背中を見送る三人の視線は、凍りつくほどに冷淡だった。
「出たああああ! 本物! 本物の幽霊よ!」
それはレンが魔力で作った、知性も魂もないただのエネルギー体だ。増田が追いかけると、その影はすり抜けるように消えていく。
「待ちなさい! 逃げるんじゃないわよ!」
彼女が「本物」を求めて必死に伸ばしたその手は、常に宇宙で最も凶悪な怪物たちの懐の中にあった。
探索を終え、朝日(佐藤が作り出した、ただの発光現象)が差し込む頃、増田は満足げに腰に手を当てた。
「今日は収穫アリね! 証拠写真は撮れなかったけど、あの冷気……あれは間違いなく霊の仕業だわ!」
「そうだね、部長。僕も背筋が凍ったよ」
レンがわざとらしく肩をすくめて笑う。
実際、さきほどの冷気はユキが体温を絶対零度まで下げた際、制御しきれずに漏れ出した余波だ。増田が普通の人間なら、その瞬間に凍結して砕け散っていたはずだが、佐藤が彼女の周囲だけ物理法則を書き換え、保護していた。
「ふふん、あんたたちも少しは『世界の真実』に近づけたかしら?」
勝ち誇った顔で部室へと戻る増田。
その後ろ姿を追いながら、三人は通信を交わす。
そんな、自分ですら持て余していたはずの私の人生に、ある日ひょいと猫が入り込んできた。最初は、ただこの空っぽで重たい部屋に自分以外の鼓動が欲しかっただけだったのかもしれない。でも、気づけば私の人生の9割は猫になっていた。朝、絶望とともに目が覚めても、隣で「飯」と鳴く命があれば起き上がるしかない。夜、あの頃の言葉がフラッシュバックして震えていても、喉を鳴らして私の腹の上に乗ってくる温かい塊があれば、その重みで現実に繋ぎ止められる。あんなに死にたかった過去も、消えない傷も、猫の前では驚くほど無力だ。私がどれだけ自分を嫌いでも、猫は私の腕の中で全力でくつろぎ、全幅の信頼を寄せて眠る。その無防備な寝顔を見ていると、誰に何を言われようと、少なくとも私はこの小さな生き物にとっての「世界のすべて」なんだと自覚させられる。私の価値を、親でも社会でもなく、一匹の猫が証明してくれている。仕事をしていても、誰かと話していても、頭の片隅ではいつも「あの子、今は寝てるかな」「お腹空かせてないかな」と猫のことばかり考えている。かつては呪詛のような言葉で埋め尽くされていた脳内が、今ではふわふわの毛並みとピンク色の肉球に占拠されている。それは、私にとって何よりの救いだった。人間という生き物は、言葉を持つのに、どうしてあんなに残酷な使い方しかできないんだろう。親という立場を盾にして、守るべきものを壊してしまうんだろう。猫を見ていると、もう何もかもがどうでもよくなる。ただ食べて、寝て、甘えて、今日という日を全力で肯定して生きている。そこに過去への後悔も、未来への不安も、誰かからの評価も存在しない。私の人生の9割が猫になった今、残りの1割で切に願う。もう人間なんてやめたい。私も、あの子のようにただ愛されるためだけに存在し、窓辺の陽だまりの中で丸くなっていたい。言葉に殺されることも、言葉で誰かを傷つけることもない、ただ静かで温かな「猫」になりたい。