はてなキーワード: 母親とは
先日、若者が遊びに来るような感じではない生活感のある駅前で、手を繋ぎ、スーパーの袋を持ったカップルか若夫婦が「駅前に何でもあっていいね」「向こうにサイゼもあるみたい」「便利〜!」と嬉しそうに話していた
同棲し始めたばかりか新居に越してきたばかりなんだろう
同棲してるカップルが「すき家買って帰ろっか」みたいな、そういう日常使いの存在なのだ
しかし初デートからそこまで生活感出してくるのはお前、お母さんとデートでもしてるつもりか?となるだろう
いや、普段会わない母親が上京してきてご飯でもとなったとしても「デニーズで」「サイゼで」「かつやで」とはならんだろう
一緒に住んでる親と近所で外食するならともかく、自立した大人としてもてなしたい、お互いに気持の良い時間を過ごしたいと思ったら、東京カレンダーに載ってるようなグルメレストランとはいかずとも、はなまるうどんよりはつるとんたんとか、大戸屋よりは和食えんとか、かつやよりはまい泉いこうかとなるだろう
そうして食事の時間に美味しさや普段行かない物珍しさというバリューを乗っけようとするものだろう
まして初デートなんて会話だけじゃ「楽しく過ごす」のハードルが大分高いんだから、食事や店の雰囲気で少しでも盛り上がる要素がないとあまりにきつい
「普段からどんな話してるかを見るんだ!」などと相手を試すつもりでいるのかもしれんが、同時にお前も試されることになるんだぞ
サイゼでも二人なら楽しいね♡なんていうのは、冒頭のように信頼関係が出来上がったラブラブカップルだけなのである
そんなの嘘だい!俺っちは初対面から俺の事を大好きで安飯に文句も言わないデカ乳で童顔で童貞を殺す服みたいなのを着て来る従順な彼女が欲しいんだい!と思ってるのなら、砂漠でダウジングをして石油を掘り当てようとする方がまだ効率がいいと思うぞ
今母親は80歳。78歳の時に脳梗塞で倒れ、そのまま介護生活になった。
おかげで友達となじめず、辛い学生時代を送った。服は母親の選んだ古臭いものをいつも渡された。
食べ物も美味しいものは禁止されていた。いつも玄米と野菜、肉が出ることはほとんどなかった。
それとなく伝えてみたことはあったけれど「人は人、うちはうち。」
母が倒れてからは、スーパーの見切り品と古米を毎日出している。
ケアワーカーの人の勧めでイベントには参加させてるが、周りと話が合わないみたいだ。
母親があるとき、趣味の本とかは捨てないで欲しい、周りの人の話についていけない。もっと栄養があるものがほしい、イベントの食事が美味しかったと言っていた。
「人は人、うちはうちでしょ」
と言った時、すごく気持ちよかったのを覚えている。
介護をしつつ、自分は土日は東京に出て浮いたお金でウルフギャングでステーキを食べたり、カフェ巡りをしたりしてる。
私は母親にしてもらったことをそっくりそのまま返してるだけだ。
余生を幸せに過ごして欲しい。
【はじめに】
システム工学的「エポケー(判断保留)」と、リヴァイアサンの代謝
本稿は、現代日本政治における「権力と宗教」の構造的癒着、および「山上徹也」という事象を、道徳的善悪の彼岸にある「システム工学的な機能不全と最適化」の観点から記述する試みである。
あらかじめ断っておくが、本稿には犯罪行為を正当化する意図も、特定の信仰を弾圧する意図も一切ない。
現象の「論理的解明(Explanation)」は、決して行為の「倫理的擁護(Justification)」と等価ではない。
病理学者がウイルスの感染経路を淡々と追跡するように、筆者は犯罪者も、政治家も、信者も、すべて巨大な統治機構(リヴァイアサン)を構成する「部品」および「代謝産物」として等価に扱う。
読者が感じるかもしれない不快感は、システムそのものが内包する「非人間的な合理性」の反映に過ぎない。
筆者は前稿『歪なリヴァイアサン』において、自民党を「魂(イデオロギー)を持たない利益配分マシン」と定義した。
しかし、高度成長が終わり、配るべき「カネ(利益)」が枯渇したとき、魂を持たないこのマシンは、いかにして自らを駆動させる熱量を調達するのか?
本稿は、この問いに対する回答である。
システムは生存のために、外部から「安価な魂」と「無料の労働力」を調達する必要があった。その調達先こそが、統一教会という名の「政治的下請け業者(BPOパートナー)」である。
本稿では、リヴァイアサンがいかにしてこの異物を「召喚」し、その病理的な代謝プロセスの中で、いかなる副作用(山上徹也)を必然的に排出したのかを解剖する。
序論:誤診された「犯罪者」
2026年1月、奈良地裁は山上徹也被告に無期懲役を言い渡した。判決文、そして世論の多くは、彼を「家庭環境に絶望した、極めて特異で孤独な犯罪者」として処理しようとしている。
しかし、これは誤診である。あるいは、意図的な隠蔽と言ってもよい。
我々の「システム論」の視座に立てば、山上徹也という存在は、決して予測不能なバグ(異常値)ではない。彼は、戦後日本の政治システムが正常に稼働し続けた結果、必然的に排出された「産業廃棄物(システム・バイプロダクト)」である。
彼を「極端な個人」として切り捨てることは、工場が川に垂れ流した汚染水で奇形魚が生まれた際に、工場の排水システムを点検せず、「その魚の特異体質」を責めるに等しい。
なぜ、統一教会という異質なカルトが、日本の政権中枢にこれほど深く食い込めたのか。
「教会が巧みに自民党を洗脳・浸透した」という被害者面をしたナラティブが流布しているが、これは歴史的にも構造的にも誤りである。
正しくはこうだ。自民党というシステムには、構造的な「欠落」があり、その穴を埋めるために教会を自ら「召喚」したのである。
自民党と統一教会の関係を「信仰」や「思想の共鳴」で語ることは、事の本質を見誤らせる。
両者を結びつけていたのは、互いの「欠損」を補い合う、極めてドライで実利的な「政治的バーター取引(交換条件)」である。
この取引のバランスシート(貸借対照表)を精査すれば、なぜシステムが教会を切断できなかったのかが明確になる。
自民党が教会から調達していたのは、カネ(献金)以上に、「カネのかからない実働部隊」であった。
選挙には膨大な人件費がかかる。しかし、教会から派遣される秘書や運動員は、給与を要求しないどころか、教団の教義に従って「無私の奉仕」として24時間働く。
これは、企業経営で言えば「違法なほどの低賃金労働力」を独占的に確保しているに等しい。自民党議員にとって、これほどコストパフォーマンスの良い「兵隊」は他に存在しなかった。
数万票単位で動く教団の組織票は、全体の得票数から見れば僅かかもしれない。しかし、当落線上にある小選挙区の候補者にとっては、この「確実に計算できる数万票」こそが、政治生命を左右する決定打となる。
スパイ防止法制定や選択的夫婦別姓反対など、リベラル層からの反発が強い右派的政策の推進運動を、「国際勝共連合」という別動隊に担わせた。これにより、自民党本体は「中道」の顔を保ったまま、保守層の支持を固めることができた。
対する教会側が求めたのは、日本という巨大な資金源でビジネスを続けるための「不可侵条約」と「お墨付き」である。
教祖や幹部が、岸信介、安倍晋三といった歴代首相と並んで写真に収まること。あるいは、関連イベントにビデオメッセージをもらうこと。
これらは単なる記念ではない。信者や勧誘対象者に対し、「総理大臣も認める立派な団体である」と信じ込ませるための「最強の営業ツール」として利用された。政治家の権威は、霊感商法を正当化するためにロンダリングされたのである。
長年にわたり、霊感商法に対する警察の捜査や消費者庁の規制が、不可解なほど鈍かった事実は見逃せない。
さらに決定的だったのは、2015年の「名称変更」の承認である。悪名高い「統一教会」から「世界平和統一家庭連合」への看板の掛け替えを、当時の下村文科相下の文化庁が認めたことで、教団は過去の悪評をリセットし、新たな勧誘活動を展開することが可能になった。
これは実質的に、国家が教団に対し、「日本国民からの搾取を継続してもよい」というライセンス(免許)を更新したに等しい。
教会が喉から手が出るほど欲しがり、自民党が頑なに守り続けた最大の利権。それは、日本国内に「聖域」と呼ばれる非課税地帯を維持することであった。
通常の企業であれば、商品を売って利益が出れば法人税がかかる。
しかし、教会は「壺」や「多宝塔」を売る行為を、商行為ではなく「宗教的な寄付(献金)」と定義した。
日本の宗教法人法において、宗教活動による収入は「非課税」である。
これにより、信者から巻き上げた数千億円規模の資産は、国家による徴税というフィルターを通らず、丸ごと教団の懐に入った。これは、実質的に国家が教団に対して「法人税相当分(利益の約20〜30%)の補助金」を裏で渡しているに等しい。
株式会社と異なり、宗教法人は財務諸表の公開義務が極めて緩い(実質的に外部からは見えない)。
この「不透明性の維持」こそが、自民党が教会に提供した最大のサービスの一つである。
「信教の自由」を盾に、宗教法人法へのメス(厳格な会計監査の義務化など)を入れないことによって、教会は日本で集めた莫大な資金を、誰にも監視されずに韓国の本部や米国へ送金することができた。
日本は、教団にとって世界で最も効率の良い「集金マシン兼タックス・ヘイブン(租税回避地)」として機能させられたのである。
(元)連立パートナー(公明党・創価学会)への配慮という「人質」:
それは、統一教会だけに課税しようとすれば、かつて自民党の連立パートナーである公明党の支持母体(創価学会)や、自民党の保守地盤である神社本庁など、他の巨大宗教団体の既得権益も脅かすことになるからだ。
この「相互確証破壊」の構造があるため、宗教法人税制はアンタッチャブルな聖域となり、統一教会はその「大きな傘」の下で安住することができた。
この取引において、自民党は「政治コスト」を削減し、教会は「法的リスク」を回避した。
しかし、経済学の原則として、「フリーランチ(タダ飯)」は存在しない。
自民党が浮かせたコストと、教会が得た利益。その莫大なツケを払わされたのは誰か?
その全てのツケは、「信者家庭からの略奪的採掘」によって支払われた。
燃料としての家族:
自民党に「無償の秘書」を派遣するためには、教会職員を養うカネがいる。そのカネを作るために、山上徹也の母親は「霊感商法」によって資産の全てを搾り取られた。
山上家が破産し、兄が自殺し、一家が崩壊したプロセスは、悲劇ではない。それは、自民党という巨大なエンジンを回すために、燃料として「消費」されたに過ぎない。
燃料(資産と家庭の幸福)が燃やし尽くされた後に残った、燃えない残骸。
金も、親の愛も、学歴も、社会的地位も奪われ、空っぽになった人間。
それが山上徹也だ。
彼は社会不適合者だったから犯罪行為を起こしたのではない。システムが彼から全てを収奪し、その後の「廃棄物処理」を怠った結果、有毒ガスが充満して引火したのである。
あの手製の銃は、狂人の武器ではない。それは、政治システムが排出した「毒」が、逆流して配管(安倍元首相)を破裂させた物理現象だ。
2026年の無期懲役判決と、それに続く高市首相の解散総選挙。これらは一連の「汚染除去作業」である。
裁判所は、彼を「政治犯」として認めなかった。認めてしまえば、「自民党がカルトを使って国民を搾取していた」という因果関係を司法が公認することになるからだ。
彼を「母親への恨みで暴走したかわいそうな男」という物語に閉じ込め、刑務所という最終処分場へ隔離することで、システムは「我々には責任がない」と宣言した。
高市首相は、判決の直後に解散を打つことで、この事件を「過去の歴史」へと押し流した。選挙の争点を「教団問題」からずらし、再度の勝利によって「禊(みそぎ)」を完了させる。
これにより、「教会を利用するシステム」は温存され、単に「より見えにくい形」で地下潜行するだけとなる。
「山上徹也は極端な個人ではない。システムが生んだ副産物である」
我々が見ている「平和な日本」は、山上家のような「声なき生贄」を燃料として燃やすことで、かろうじて維持されている。
無期懲役の判決が確定した瞬間、システムは安堵の息を漏らしただろう。
当時は母親がジャニオタだったのでジャニの番組を見るためにBSも契約してプラスアルファで払ってる
もう親がBSを見ることはないし、他の家族はそもそもNHKを見ない
もう受信料払いたくないけど、引っ越しもしてないのにBSだけ払いませんできないの辛すぎる
なんで払ってる家庭と払ってない家庭があるんだよ、今時データ放送なんだからBS映りませんって家庭のほうが少ないだろ
通常受信料払ってるだけ払わないとこより優良世帯なんだからBSは辞めさせてくれよ
てかもっと言うならそもそも受信料自体一円も払いたくない。口座引き落としにしてるから払いませんでもできないし払うけど
せめてBSだけでも解約させてくれ
やっぱおかしかったわ
上の子は下の子の面倒を見て、その上の子が大きくなって子供生んだら下の子が面倒を見て…ってサイクルになってた
初めて聞いた時流石に冗談かと思ったよ
もう思考回路が違うんだよね、みな助け合い‼️キラキラみたいな
なんも疑問に思ってないの、時間とか将来を奪われていることに
厄介なのはその「助け合い」に、兄弟の彼女や彼氏も入れ込むこと
付き合ったら最後引きずり込む感じ
あれは怖いよ
嫁さんから嫁母(同じ市内在住)と今までにないぐらいの口喧嘩したとの報告があった(実家LINEグループ上で言い合いになって母親がグループ抜けるまでいったらしい)。
適当に「言いすぎたわゴメンゴメン」って頭下げて仲直りしろよと思うが、嫁の性格上絶対やらんし(夫婦喧嘩したときもいつも歩み寄りは私から)、いつまで続くか全く先が見えずゲンナリする。
異常にコミカルなファイナルデスティネーションなんだけど妙にウェットな部分もある不思議な映画だった72点。
父親を早くに亡くした兄弟のビルとハルはある日物置でドラムを叩くサルのおもちゃを発見する。ねじを巻いてみたところ乳母が死亡。これはもしや人を殺すサルなのではと思った弟のハルはいじめっ子の兄のビルを殺そうとねじを巻くも母親が死亡。その後も引き取ってくれた叔父、叔母が死亡し恐れおののいたふたりはサルを封印。それぞれの道を行く。数十年後、ビルはろくでなしに、ハルは父親になるも子供の頃のトラウマがもとで子供を遠ざける日々。しかしビルがサルを取り戻しハルへの復讐を企んでいることが分かり……
というお話。
ちょっと予告編がよくできすぎてて期待感が上がりすぎていたのでそれは越えてこなかったなって部分で若干の残念さはあるものの、「理不尽な面白死を楽しむ映画」として「面白死」「演出」のどちらの点も一定以上の強度があるし、「死」をどう扱うべきかという部分で監督の一貫したメッセージ性が感じられるのもよい。
面白死自体はめっちゃ雑で大雑把なファイナルデスティネーションみたいになってる。例えばもっとも愉快なシーンで行くとモーテルのようなところで女性がプールに飛び込もうとしているんだけど、不思議な力によって電線が切れてそれがプールにつながる水に浸かってしまう。あっ、感電死するやつだ!と思って見てると、プールに飛び込んだ女性が爆散して主人公のところに足が飛んでくる。これがめっちゃテンポよく進むので、やりすぎ感と相まってついつい笑っちゃう。
演出面も強くて、叔父の死亡展開。捨てたはずのサルがなぜか叔父の家に置いてあってこれは呪いのサルでねじを巻いたら誰かが死ぬんじゃないかという話を兄弟でする。いじめっ子の兄は「巻いてみようぜ!」と言い出し、弟は「やめとこうよ」と言うんだけど、「やめとこうよ」のセリフを食い気味にシーン転換して叔父の葬式の場面に移る。テンポ良すぎるだろ!で、その後、ちゃんと叔父がどんな面白死をしたのかも映してくれるのもよい。
こういう死のわんこそばみたいな映画って同じようにギミック死が続くだけだから飽きるって問題があるんだけどこの作品はそれを演出面でうまく補完していると思う。
一方でFDシリーズみたいに「面白死アトラクション全振り」ってよりは(実際そういう側面も強いんだけど)監督のわりとウェッティな価値観も盛り込まれていて、主人公たちが母親から告げられ、最後にもう一度大人になった主人公のハルから子供に継承される「死は平等に訪れる、だから生きてる我々は踊ろう」という展開。
出てくるシーンはすげーバカみたいで不謹慎だろ!って思っちゃうんだけど、でもそれも一つの真理だよなと。
主人公のハルと兄のビルは「父の死」に囚われて「死を招くサル」を発見し、大切な人間を次々に失ってしまう。そして今度は大切な人間を失ったことに囚われて兄のビルは弟のハルへの復讐のために人生を捨ててしまうし、主人公のハルは新しくできた自分の家族(幸せ)を遠ざけてしまう。
おそらくだけどこのサルは単なる呪いの道具ではなくて「トラウマ」のメタファーなのかもと感じた。トラウマを無理に覆い隠そう、別のものにしようとすればするほど周りは不幸になり却って自分を傷つける。
こういった作品では普通は呪い道具を破壊して終わるが今作では主人公が息子に「サルはどうするの?」と聞かれて「これは俺が保管する。そしてずっと守って生きていく」と答え息子はそれに同意する。そして車の前を作中でも引かれていたヨハネの黙示録の馬に乗った死が横切り、主人公は軽く会釈をして見送り=死を受け入れ街を去る。
コミカルすぎる様々な死とこのウェッティな価値観の食い合わせが悪いと感じる人は少なくないと思うので、なんか思ってたのと違ったなぁってなる人も多い気はするけど俺は嫌いじゃないかな。
出てくる奴らみんななんかちょっとイカれてて死んでもあんま悲しくないのもよい。叔母が死んだときになぜか遺体搬送を応援してるイカれたチアリーダー部が最後に面白く全滅して終わるんだけど、これは「(死を他人事みたいに楽しんでる)お前らだよ」というメッセージだと思うんだけど、それはそれとしてウェットすぎないカラッとした終わり方でそれもよかった。
音楽の使い方もよかったし、人生に残る大傑作とかでは別にないけど面白死アトラクション映画としてもFDシリーズとの差別化もできているし普通に見てて楽しいし、意外とちゃんとしたメッセージ性もあって普通にいい映画だった。ただその食い合わせが気になる人はいるかなって感じ。
視聴者の反応が悍ましい
番組も見てないし、当人のSNSもみてないんだが、番組が中止になったりするのがホッテントリに上がってきてた
反応を見ると、出発点が「ヤングケアラーだ、この親許すまじ」って地点になってる人が多すぎて吐きそう
あれってさ両親も了承したTV番組やん
子供への悪意の塊、子供なんて単なる道具ってなってる両親だったとしたらばさ
常識的に考えてないだろう?
バラエティ番組だぞ
子供は親を愛してないみたいなプロファイリングまで始めちゃってさ
そりゃ公開中止するわ
んで、何が悍ましいって
その着火してる当人が、自分の妄想を根拠に「あの子絶対八つ当たりされる可哀想、できることないかな?」とか自分に酔ってんの
密着!15人大家族うるしやま家
https://www.fujitv.co.jp/daikazoku/
とかもうダメじゃん
親も家事して子供が手伝う体でヤングケアラーになるのは微笑ましいからOKか?
引用されたシーンは、47歳娘が母親に対して「一度でいいから誉められたかった」と言って泣くシーンだ
彼女は強権的な父と甲斐甲斐しい専業主婦の母、甘やかされて40過ぎた今でもこどおじの弟を持ち、今は独立して一人暮らしをしている独身だ
母は父と弟を可愛がり甘やかす一方で娘には厳しく、家事や弟の世話をさせられヤングケアラーな幼少期を送った
電話越しに泣く娘に、母は「何いってんの?暇そうでうらやましいよ。ぐじぐじ言ってる暇があるなら家に帰って家事を手伝ってほしいぐらいだ」と言う
母は共に暮らす父や弟に家事を求めることはないが、遠くに住み一人で暮らす娘には家事を手伝わないことを責める
母親の言い分が正論であり娘は甘えている、こんな漫画悪影響だから描くなと炎上した
そんで叩いていた一人が、例のヤングケアラー長男には可哀想だと言っていて横転
切り抜かれた漫画では泣き言漏らす娘と「正論」を言う母親のシーンしかないので背景知らないのかもしれないけど
漫画は背景をつまびらかに描けるが、現実の人間はそんなの無理なので世の元ヤングケアラー成人たちも今の一瞬の姿だけで甘えてると断罪されるのだろう
HPVワクチンはなぜか日本では反対している女性が多いんだよね
自称被害者の親として訴訟や講演活動をしているのも母親ばかり(父親はスピ系陰謀論にハマった嫁に呆れて黙って耐えているのだろうか?)
ナイトスクープで取り上げられた大家族の母親、鹿つのと同種の人間って感じするなあ
つつけばつつくほどムキになって効いてませんアピのために幸福円満家族感出そうとするだろうし
子供はその追い詰められた切羽詰まった空気感じてまたこわばっていくだろうし
しんどいだろうな
呪いを可視化しすぎているコンパクトなテンプレホラー映画で54点。
主人公と仲間たちは古い屋敷でパーティーの最中に謎のタロットカードを発見。他人のカードを使って占ってはならないという謎ルールを破って主人公はパーティーの面々を占ってしまう。そして解散後、メンバーが次々とカードの占い結果の通りに死亡していく。主人公は呪われたカードの謎を解き明かし死の連鎖を止めることができるのかできないのか。
みたいな話。
この映画の一番のオモシロポイントは呪いをめっちゃ可視化してること。
普通、上記のあらすじから想像されるのってファイナルデスティネーションシリーズの超常現象版みたいな、「不思議な力で事故死していく」みたいな感じだと思うんだけど、今作では「タロットに象徴されたモンスター」が毎回登場してめちゃくちゃ驚かせてくる。
例えば最初の被害者の占い結果は「女教皇」。栄光への梯子を上りつつあるが失敗すると転んで潰されてしまう。という内容で、実際に屋根裏への梯子を上ってジャンプスケアにびっくりして落っこちちゃう。で、上には屋根裏部屋への梯子が!普通の映画だったら梯子が落ちてきてグシャッ!南無三!だけど、この映画だと女教皇が具現化して梯子を掴んで「えいやぁ!」って落してくる。で、もう一回梯子を手に持って引き上げてまた落とす。めっちゃフィジカルで殺しにくる。
あとは橋の上でハングドマンのの呪いに遭遇した時も自動車についてる障害物検知装置がハングドマンがいる場所に向かって反応し続けたりとか。これ「いる」って表現としてけっこう新しくて面白いと思うし、なにより呪いで次々人が死ぬ作品は数あれどこんだけ物理的な反応残し続ける作品はそうそうないでしょ。
で、「昔そのタロット占いで友人を亡くして生き延びたおばあちゃん」に助けを求めて源流を知るって言うテンプレパートがあったり、デブの東南アジア人が「こんなところにいられるか!俺は部屋に戻らせてもらう!」をやったり、残ったメンバーでもう一度屋敷に乗り込んでタロットとそれにまつわる呪いと対決したりして終わり。
ストーリー的には主人公は闘病中の母親の回復を祈ってカード占いをするも毎回「死神」のカードが出てしまい実際に母親が死んでしまったことを気に病んでいて、"呪い"の方は貴族の妻に対して「死神」のカードを出してしまったことで子供が殺され自分は呪いに身を窶したという共通点があって、最後に「呪いには呪い、倍返しだ!」っつって主人公がタロットカードで"呪い"を占って「死神」を出して"呪い"本体とそのタロットの呪いが相殺して終わるって展開は、まぁまぁ納得感があってよかった。主人公を苦しめていた「死神」が主人公を救うってのもわかりやすい。
ただ「死神」を出してしまったことで不幸になって呪いに身を窶した"呪い"を「死神」で倒すってちょっと非人道的な感じがしないでもない。
あんまよくなかった点としては、恐怖表現がちょっとぼんやりしてることが多い。
例えば地下鉄の駅に続く地下道でタロットカードに襲われる場面で、遠くで明かりがいっこ消えて奥が暗くなるってよくある演出があって、これは次々明かりが消えて暗闇が近づいてくる感じだろうな!と思ってたら、なんかぬる~っと闇が迫ってきてなんか逆に怖くない!ってなっちゃったりとか。
暗いシーンが多すぎて目が疲れるなぁとか。むしろなんか見えなさすぎて怖さを感じづらいとか。
あとはこれだな、ゴア表現に手を抜きすぎ。タロットモンスターをめちゃくちゃ具現化しててそいつらはめっちゃ気合入った造形してるのにそいつらを使って人が死ぬシーンではほとんどその現場を直で映さない。梯子のシーンもグシャって音と、血しぶきは上がるけど「梯子でどういうふうに人が死んでん!頭に刺さったんか!?胴に刺さったんか?」みたいなのは見せないし、終盤で魔術師に箱に閉じ込められてガチのタネも仕掛けもない人体切断マジックにされるところも実際に切断するシーンになると箱の外からしか写さない。これ系のホラーで大事なのはそこじゃん。僕は不満です!
これも単純に俺の好みだけど主人公が泣きギレするシーンが多くてめちゃくちゃ鬱陶しくてイライラしました。感情的になって叫ぶ人間って会話が成立しないから嫌いなんよ。そりゃデブの東南アジア人も「頭が冷えたらまた連絡して」って言って部屋に引きこもろうとするよ(実際には呪いなんか信じてないというスタンスで帰ろうとするだけ)。
でも映画の時間も90分くらいだしホラーテンプレを忠実に守ったうえで「タロットカードの呪いをめっちゃ具現化したらおもろいやろなぁ」っていう制作陣の気合は伝わる出来だったので見て損したとまでは思わなかったかな。暇つぶしに見るホラーとしては及第点といったところなのでそういう用途ならオススメ。