はてなキーワード: 新聞配達とは
たくさんの人に読んでいただき感謝です。高木さんと、ご家族も天国から見てくれているといいな。
>たいへんおもしろく読んだが、これだけよく抑制された具体的な地名のない文章で、なんで秋田県だけ出してきたんだろ。
これは、高木さんが兄について語るとき、必ず「秋田の兄貴」「秋田のバカ兄貴」と、必ず秋田をつけたんですね。それで覚えてました。
秋田の人ごめんなさい。
>良く分からないけど、トラック側からそれなりの金額(1億前後)の補償が出るのでは。
零細トラック会社で、会社をつぶして、支払いから逃げられたときいてます。
補償がでていたら、高木さんに会うこともなかったかもしれませんね。
>心が濁り切ってるのでClaudeに聞いてみたら「人間執筆の可能性:約85〜90%」だそうで、なんだか安心した。安心して胸を打たれてよいのだと。
一か所だけ、文章がもたついたので、「Gemini、校正して」と、AIで清書した箇所があります。人間執筆度合いは95%です。
だめですよね。
> HPを調べた、というところが時代と言うか世代を感じて増田は若いのに苦労してきたんだなって思ったわ
高木さんの情報がなさすぎて、色々検索をして情報を得ようとしましたが、業界の会合の参加者名簿みたいなのにあるだけでした。
他思い出したことをつらつらと。
・高木さんからもらった10万円のアマゾンギフト券は、大学入学までとっておいて、Macbook Airを買いました。
高木さんに、これを買わせてもらいました、と見せに言ったら、薄いね、軽いね、すごいねーとしげしげと見ながら言ってくれました。
・高木さんとは、昼にしか会ったことなくて、夜に飲みに連れて行ってもらったりとかは一度もなかったです。
お互い車で来ているので、お酒を飲んだこともないですね。
追記終わり、以下本編
7歳の時に父が交通事故で死亡した。
土曜日に友人宅にいった帰りにトラックに追突されての死亡だった。世界で一番悲しい日だった。
地元のニュースに出たのだが、同級生や先生に腫れ物にされるように対応されるのが本当に嫌だった。彼らが、どう対応してくれれば良かったのは、いまだにわからないけど。
労災ではないので、会社からはすずめの涙のお見舞金がでただけ。
母は専業主婦だった。ここから、ハードモードがはじまる。かと思った(母いわく)。
父は大卒、母は高卒だったが、父の親族からは「高卒と結婚するなんて」とさんざん嫌みを言われ、葬式の時にもさらに嫌みを言われたので母は「絶対にこいつらは頼らない」「息子も以後会わせない」と思ったとのこと。
しかし、母の父母は遠方で、裕福ではなく、また病気しており、育児の力になれない。
そして、持ち家ではなかったので、家賃も継続してかかる。食費光熱費もかかる。そのままだと保険金は数年でなくなる。
よって母は働きはじめた。
専業主婦で特にスキルがあったわけでもない母ができた仕事は、まずは近所の事務パートからだった。
地方のパートの時給なんて1,000円よりはるか下の時代。母は、パート代だけでは毎月の収支が赤字で、いつまでもつかと考えて暮らしをしていたらしい。
9歳のときに、母が「お仕事の人に会うからみんなでご飯を食べに行くよ」という話になった。
私はとてもうれしかった。父が死んでから外食は1回あったかなかったかくらいだった。
仕事の人がどう、ということよりも、ファミレスで食事し、ドリンクバーを飲めることを喜んだ。
そしてファミレスについたら高木さんがいた。ぱっと見、60-70歳くらいのおじいちゃんで、にこにこしていた。
高木さんはこういった。
「はじめまして、たかしくん(仮名)。私は高木といって、お母さんと同じ会社で働いています。お休みの日にわざわざ来てもらってありがとう」。
(詳しくは覚えていないが、こんな感じだった)
そして、「何でも好きなものを食べて」というので、母の顔色を見ていたが、高木さんは
「今日は私がごちそうするから、何でも食べてね。男の子は食べないと大きくならないよ」というので、
確かハンバーグと、ポテトと、アイスと、ドリンクバーを頼んだ気がする。
高木さんは私の学校生活の話を聞き、好きな運動について聞き、友達について聞き、大きくなったら何になりたいかを聞いた。
(その時はパイロットと答えた)
いわゆる何でもない雑談だった。
その後、数か月に一度くらい高木さんと一緒に食事をすることになる。場所はきまって、家から一時間位離れた場所にあるファミレス。
「好きなものなんでも頼んでね」といって、学校のよもやま話をする。たまに会う気のいい親戚のおじさんみたいな関係だ。
こんな関係が続いたあるとき、確か小学校6年生くらいだったと思う。私はふと思った。母は高木さんの愛人なのではないだろうかと。
父が死んで、家賃は払えているが、ぜいたくはできていない。しかし、レストラン代は気前よく払ってくれる。
(おみやげ込みで、お会計が合計で1万円を超えているのを、クレジットカードでさっと払うのを遠めにみて、この人金持ちだと思った)
母に高木さんについて聞いても、「お母さんの会社の偉い人だよ」としか言わない。母の会社名を聞いても、ホームページはない。
いったい何なのだ、と思った。
母がもし意に沿わず、お金のために愛人稼業をしているのであれば、自分はバイトでも何でもして家計を支えないと、と思った。
ただ、こんなことを直接母に聞くと、母は傷つくだろうとも思った。
この人は、母の体目当てでつきあっているのかもしれない。そして、いくばくかのお金をあげて、それで私たちが何とか暮らせているのかもしれない。
私がいなければ、母は愛人とかしなくても暮らせるのかもしれない。自分が負担なのかもしれないとも思った。
中学生になって、ネットで調べて、新聞配達であれば中学生でもできることを知り、母に新聞配達をしたいというと「どうして?」という答えが返ってくる。
理由は、お母さんを少しでも助けたい、というと、「あなたはお勉強をしっかりすることが、一番大切」と言ってくる。
何度かやり取りをした後、私は、「高木さんとお母さんの関係を疑っている」というようなことを言った。
母は、ショックを受けて、涙ぐんでいたが、その場で高木さんに電話をし、「高木さん、一度たかしと一緒にお話しできますか」といって、次の日の夜に会うことになった。
高木さんは、「たかしくん、いらぬ疑いを持たせてしまい、すまなかった。少し私の話を聞いてくれるかな」と言って、話し始めた。
高木さんはいま68歳(確か)で、秋田県の生まれで、なぜか3人の兄たちからいじめられて、集団就職で秋田県をでていまの県(県名は内緒で)に来たこと。
独立してから、仕事で知り合った方の娘さんと結婚して、息子が一人いたこと。
そして、交通事故で妻と息子さん(当時10歳)が死亡したこと。
その時の新聞記事をみせてくれた。
また、事故の前に旅行に行った遊園地での家族写真をみせてくれた。
高木さんは泣いていた。
「こんな話でごめんね。妻と息子が死んだとき、どうして自分だけ生き残ったのかと思った。どうして自分が死んで、妻と息子が生きてくれなかったのかと思った」
「この世には神も仏もいないと思った」
「自分には子供がいないので、遺産を相続するのは憎き兄とその子供になる。それは嫌だ」
そんなことを思っているときに、「誰でもきてOK」みたいにドアに書いてあるキリスト教の教会にふと入ってみたとのこと。
しかし、誰でも来てOKというわりに、面倒くさそうな対応をされ、それに傷ついたというより、神も仏もいないのに自分は教会に行ったりするなど、何をやっているんだろうと思い、少し笑えたんだと。
そこから、自分はどう生きるべきか、どうすれば死後に妻と息子にあったときに、胸を張れるのかと思ったときに、「身近にいる困っている人を助けること」「広い世界にアクセスするためのチケットである学歴をつける手伝いをすること」「そのためにお金を稼ごう」と思ったとのこと。そして、稼いだお金を継続的にあしなが育英会に寄付してきたのだと。
高木さんはこういった。
「自分は中卒で仕事を始めた。兄たちから逃げるにはこれしかなかった。私は運がよくてたまたま成功した。でも、もし学歴があったら広い世界を見て、自分が本当にやりたかった仕事を選べたと思う」
「だから、たかしくんには、勉強を頑張って広い世界を見られるようになってほしい。働くのは後からでもできる」
そして、こうもいった。
「いまお母さんは、お仕事で社労士という資格を目指そうとしている。お母さんの勉強も応援してくれるかな」
母の仕事の詳細についてはよく知らなかったが、パートから正社員になったという話は聞いていた。社労士のことは全く知らなかった。
でも、母が資格を取って仕事をするのは、正直素晴らしいと思った。
そして、うまく言えないけど、高木さんのことは信じられると思った。
高木さんは、「あなたのお母さんの頑張りは素晴らしい」「会社の多くの人から信頼されている」ということを何度も言っていた。
そして数年後、母が社労士に受かった。確か私が高校2年生のころだった(と思う。うろ覚え)
この時、自宅に私と母宛てにアマゾンギフト券がそれぞれ10万円ずつ送られてきて、手書きの手紙で、「おめでとうございます。これは親子の頑張りのたまものです。お祝いさせてください」と書いてあった。
(手紙はまだとってある)
私が大学に行くときに、母はもう社労士になっており、高木さんのすすめで社労士事務所として独立して、高木さんとその知り合いの会社が仕事を回してくれたおかげで、収入もぐっと上がった。そして、母は自分の稼ぎで住宅ローンを組み、マンションを買うことにし、そのタイミングで高木さんに「もう援助いただかなくても大丈夫です」と伝えた。が、高木さんからは「年寄りのお願いで、大学の学費までは出させてくれないか」と言って、母は受け入れた(と後から聞いた)。
実家から出て大学に行き、地元に戻るたびに高木さんとも会った。そして、このころは「たかしくん」ではなく「たかしさん」と呼ぶようになっていた。大学でどんなことを勉強しているか、周りにいる友人知人はどんな人か、今後の世の中はどう変わっていきそうか、自分はこれからどうなりたいかについて聞かれ、話をした。高木さんは、にこにこして聞いていた。すごいね、いい時代を生きているね、と何度も言っていた。
高木さんと自分は、親子、みたいな感じでもなくて、兄弟という感じでもない。たまにあう親戚のおじさんが、間合いをみながら話してくるんだけど、よそよそしくはない、という感じ。甘えたことをいったことはないし、精神的に甘えてもいなかったと思う(お金は世話になったけど)。
社会人になって3年目。母から連絡があって、「高木さんががんで入院している。時間があるときに見舞いに行こう」という電話が来た。ちょうど年度末だったので、年度が終わったタイミングで実家に帰って、そこから車で高木さんの病院にいった。
高木さんは、ものすごいやせていて、でも目だけ妙に元気に見えて、そこから生気が感じられた。少し小さなこえで、「たかしくん、わざわざ来てくれてありがとう」といった。何故だか、手を握らないという気持ちになり、手を握った。ああ、老人の手だな、死にゆく人の手だな、と直感的に思った。
高木さんは、ゆっくりとこう続けた。「たかしさん、これまでありがとう。たかしさんと、お母さんの成長を見るのが私の楽しみでした。お母さんはいま自分で会社を経営し、たかしさんは世界に羽ばたいていきましたね。私の余命は半年か1年です。私は、自分の兄弟とその子供には一円もお金を残したくないので、会社も自宅も売却をすませていて、残ったお金もできる限り使い切るつもりです。」
とここまで来たとき、「ひょっとして私に大金来る?」と一瞬思ったがすぐに、「すでにほとんどのお金を寄付しました」と続いてちょっとだけ残念に思ったが、その残念に思った自分が、あさましいなとも思った。
で、高木さんは、続けた。「たかしさんとお母さんにお願いがあります。私の妻と息子が眠る墓があるのですが、そこに私を連れていってくれませんか。病院には話はつけてあります」というので、翌日介護タクシーに乗って、病院から30分くらいの墓地にいった。
墓地はなだらかな坂になっていて、中腹に「高木家の墓」と書かれた墓があった。高木さんを連れて行くと、「さちこ、よしゆき(どちらも仮名)、来たよ」といって、妻とお子さんの名前をいい、「もうすぐ行くからね」と語りかけていた。ああ、高木さんにとっては待ち望んだ瞬間なのかなとふとおもった。そして、高木さんは「お願いがあります。お願いばかりでごめんね。私が死んだら、おかあさんとたかしさんに、ここに骨壺をいれてもらえませんか」というので、私は「もちろんです」とだけ答えた。後で、自分の死後の手順が事細かに書かれたWordファイルを送ってくれた。
その後、2か月おきに実家に戻り、その際には高木さんに会いに行っていたが、徐々に容態は悪くなり、墓地に行ってからちょうど1年半後に、高木さんは亡くなった。高木さんの「自分の骨を他人に見られたくない」という信念を尊重し、お棺の中をご家族の写真でいっぱいにし、私と母、そして高木さんの弁護士の3名だけで、葬儀をした。弁護士には、高木さんが死にそうになったら、残金をできるだけ少なくするために寄付してほしいと伝えてあったようで、強い、強い兄弟への恨みを感じた。
弁護士さんは、高木さんとは30年以上の付き合いとのことで、晴れ晴れした顔で、「高木さん、今頃奥さんとお子さんに会って、若返って天国で子育てしてますよ。幸せな時間を過ごしてますよ」というので、昔写真で見た高木さん家族が、あの頃に戻って、写真そのままの笑顔で子育てを再開していることを想像すると、泣けてきて、弁護士さんの前でぼろぼろ泣いた。心底、そうあって欲しいと思った。なお、高木さんの兄弟の相続については、弁護士さんが対応されたので私は知らないし、特に知りたくもない。また、弁護士の方が主催した仕事仲間向けの「高木さんお別れの会」は、私が参加する会でもないかと思い、母子ともども参加していない。
49日が終わったあとで、母から「高木さんから、預かっているものがある」といって、未開封の封筒を渡してくれた。中には手紙が入っていた。手書きではなく、弁護士さんがタイプしたもの。引用する。
「たかしさん、思えばたかしさんと出会ってもう20年近くになりますね。かわいらしい男の子が立派な大人に成長するのを見させていただきました。私の死後の後片付けもありがとうございました。あなたが生きる時代は素晴らしい時代です。お仕事を頑張って、守るべき人を守って、素晴らしい人生を送ってください。これまでありがとうございました」
これを読んで、また大泣きした。高木さんとの思い出、といっても親子ではないので、時々ファミレスで会って話をするくらいの思い出だ。母への手紙も見せてくれた。
「〇〇さん(母の名前)、一生懸命たかしさんを育て上げ、自分の事業も作られて、大変な苦労だったと思います。すべて〇〇さんの頑張りによるものです。ぜひ胸を張って、誇ってください。私の死んだあとの後始末、お手数おかけしました。素晴らしい人生を送ってください。これまでありがとうございました」
ちなみに、高木さんは亡くなる少し前に、母に「あなたと息子さんはもう大丈夫。残ったお金はもっと困っている人のために寄付をさせてもらうね」と言っていた。なので遺産は全くもらっていない。
母に、「高木さんとは本当に愛人関係ではなかったの?怒らないから本当のことを言ってみて」聞いたが、「それが本当になにもなかったの。逆に、高木さんは私たちを支援していることを、他の人に知られたくなかったみたいで、高木さんの会社にいたときもほとんど接触してこなかったし。高木さん、私たちが一番つらい時に助けてくれて、生活基盤を作ってくれて、風のように去っていったよね。。。妖精だったのかな」といったところで、全く妖精には見えない外見の高木さんを思い出し、「妖精か!」といって、母と笑いあいました。
まあ、母と高木さんが愛人関係だったのかどうか、本当のところはわからないし、まあ今となってはどちらでもいいかなと思う。私が実家にいたときに、母は外泊もなかったし、LINEなどで怪しいメッセージなどもなかった(母よすまない、時々勝手にスマホをチェックしてた)。私は愛人関係はなかったと思うので、まあそれでいいかと。
最後まで、高木さんはどうして、この母子にここまでしてくれたのか、ということを聞く機会がなかった。おそらく、小さい息子のためにパート仕事を必死に頑張る母親を見て、何か感じるところがあったのだろうけど、そこを聞くと、彼の亡くなった奥さんとか息子さんの話をほじくり返すみたいで、失礼かなと思ってた。
何が言いたいかというと、「高木さん、ありがとうございました」ということです。今も実家に帰るたびに、高木さんのお墓にいって手を合わせています。うまいオチはないが、これで終わり。
東屋の屋根を激しく叩く雨音が、俺たちの世界を外界から完全に隔離した。遠くで新聞配達の原付がプルプルと音を立てて通り過ぎる以外、何の物音もない。潮風と雨の匂い、アルコールの匂いが混じり合い、頭をぼんやりと熱くさせる。俺はテーブルの上に全裸で大の字に寝そべっていた。
裸体を晒し、チンポを天井に向かってビンビンに勃起させたまま。左右にはまだ服を着たままの健と康太がいる。健は中学時代からの腐れ縁だ。高校が別々になっても、時々会って夜通し遊ぶ仲で、俺が全裸になるのはもう「当然の事」になっていた。以前も何度も繰り返してきた、二人だけの秘密の儀式みたいなものだった。一方、康太は健の高校の同級生。
健が「うちの高校の奴がお前に会いたいって言ってる」とメールで連絡してきた物好きな奴だ。
健の話によると、康太はクラスでちょっと目立つタイプで、サッカー部で一番足が速く、明るくてノリが良くて、女子からも人気があるらしい。でも根は好奇心旺盛で、悪戯好きな悪ガキが服を着たような奴だ。健が俺の「全裸になる話」を面白おかしく話したら、康太が目を輝かせて「マジで? 会わせてくれよ!」と食いついてきたんだとか。
健曰く、「康太は一度興味持ったら止まらないタイプ。俺より積極的かもな」と笑っていた。実際、さっき「はじめまして」の挨拶を交わしたばかりなのに、康太の視線は俺の裸体に遠慮なく突き刺さっていた。夜中二時頃、大雨が本格的に降り始めた。
健と康太が「もう少し飲もうか」と椅子に腰を下ろす。
テーブルの上には、酒でフラフラになりながらもフル勃起した俺がいる。康太が最初に動いた。
「チンポでけえな」
ニヤニヤした顔で、何の抵抗もなく俺の勃起チンポを右手で握ってきた。熱い指が幹を包み、親指でカリ首を軽く擦る。
俺はわざとらしく体をくねらせ、大声で反応した。
「アァァ!気持ちイいい!」
「ずっと勃起しっぱなしで苦しくないか?」と言いながら、もう片方の手で俺の乳首を摘まんできた。コリコリと指で転がし、軽く捻る。
俺が大げさに喘ぐと、東屋中に大爆笑が響いた。健は最初、若干引いた顔をしていた。
中学からの付き合いなのに、康太の積極的なタッチを見て少し戸惑っていたようだ。でも俺が過剰に体をくねらせ、わざとらしい喘ぎ声を連発すると、健も腹を抱えて笑い始めた。
「腹がよじれる!」
「じゃあ俺も」
健がついに俺のチンポを握ってきた。上下にガシガシと揺らされ、俺は当時流行っていた北島康介のネタを全力で叫ぶ。
「康介w」
「アホ水泳部w」
三人で大爆笑。康太の積極性がきっかけで、健も一気にノリノリになった。俺は嬉しくてどんどん過激になった。
「おう」
大雨の中、俺はチンポを振りながら全力疾走した。
雨粒が全身を叩き、車のヘッドライトに何度も裸体を照らされる。アドレナリンで頭が真っ白になり、怖さなんて吹き飛んでいた。ただ友達の笑顔が浮かんで、俺は笑いながら走った。
コンビニ前に着いた瞬間、スーツ姿の中年男性が雑誌を立ち読みしている姿を見て急に萎え、チンポがしぼんだ。慌てて東屋に戻ると、二人が笑いすぎてヒクヒクしながら「おかえり勇者」と迎えてくれた。
康太がタオルで俺の濡れた体を丁寧に拭きながら、
「また勃起させろよw」と言った。でも一度萎えたチンポは中々復活しない。
「シコったら勃つんじゃねぇか」
康太が呟いた。
「やめろよ」と健は言うが、俺は即座に解釈した。
するなよ!ということは、つまり…やれ!ということだ!!ダチョウ倶楽部方式だ!!!
「みんな!注目!俺のオナニーを観てくれ!」
大声で叫んで、俺はテーブルの上でシコり始めた。
最初は中々勃起せず、頭がフラフラする。康太と健が心配そうに顔を近づけて覗き込んでくる。
シコシコシコ。
ようやく硬くなり、俺はいつものスタイルに戻った。右手でチンポを激しくしごき、左手で乳首を摘まみ、足を内股に。
「普段そうやってるん?」
「ああ」
「気持ちいい?」
「ああ……」
康太が俺の右乳首を強く摘まんできた。
「おおおおおっ!」
鋭い痛みが一瞬走った。
ところが不思議なことに、痛みは全身を駆け巡る快感に変わる。俺は泣きそうになりながら、その感覚を二人に詳細に話した。
「俺はマゾかもしれない」
しばしの沈黙の後、康太の指は容赦なく乳首を捻り、引っ張り、爪を立てるように刺激してくる。初めて会ったのにまるで俺の体を自分の遊び道具みたいに扱う積極性が、健とは明らかに違っていた。康太はそんな男だ。
俺は無言で立ち上がり、オナニーを続ける。
「こんなまじめな表情してたんだw」
「顔芸?」
「乳首つまんでいい?」
「はい!」
「マゾかよw」
「康太、片方頼む」
「おうまかせろ!」
健と康太が左右の乳首を同時に容赦なく摘まみ、強く捻り、引っ張り、指の腹で擦りまくる。
「うぎゃあああああああああー!」
俺は叫び声を上げ、体をビクビク震わせた。痛いのに、痛いほど気持ちいい。乳首が熱く腫れ上がるような感覚が、チンポに直結して快感を増幅させる。
康太の指は特に強く、俺の反応を楽しむように力を加減しながら責めてくる。
「たえろ!耐えろよ。」
「うっす……」
完全に二人のおもちゃになっていた。
康太の積極的な責めと、健のノリに乗りながらも少し遠慮が残るタッチのコントラストが、俺をさらに興奮させた。ずっと心のどこかで、こんな風に親友二人に徹底的に責められることを願っていたのかもしれない。康太がチンポを握ってシコるスピードを上げ、健が乳首をさらに激しく捻る。
俺はもう限界だった。
「超気持ちいいいいいい!」
北島康介のセリフを全力で叫びながら、熱い精液を勢いよく噴射させた。でも、まだ勃起は収まらない。
「賢者モードとか無いのかよw」
「まったくないw」
俺は再びシコり始め、
「雨に打たれながらシコるので見ててw」
「ちょっと泳いでくるw」と言いながら、東屋の外へ出て大雨に打たれ、海に飛び込んだ。
明け方。雨が止んでセミが鳴き始めた頃、俺はヒクヒク震えながら立っているのもやっとだった。
何度射精したのだろう。
健と康太が無理やり全裸の俺を押さえつける。
「男の潮吹きって見てみたいな」
健が言った。康太が俺のチンポを激しくシコり続け、健が乳首を容赦なく責め続ける。
最後の瞬間、透明で清潔な液体が噴水のように勢いよく噴き出した。
「止まらねえな」
「ああ……止まらねえ……」
全身真っ黒に日焼けした俺を見て、康太が驚いた顔をした。
「今更かよw」
雨上がりの朝の空気が爽やかで、どこか甘く感じられた。
なぜなら、人が怖いからだ。もう少し踏み込んで説明すると、「他人に自分の存在を見定められ、価値がないことに気づかれ、人がみんな自分を避けていく」のが死ぬほど耐えられないからだ。とにかく自分の存在を評価されたくない。できることなら、最も人の記憶に残らない、普通で平凡な存在になりたい。排斥されたくないし、自分の価値もつけられたくない。就活や婚活のような、人間を商品のように品評し、見定められ、価値を測定されることはなるべく、いや、絶対されたくない。もしも人間に初期アバターがあれば、その姿で一生生きていたい。自分の存在が他人から全く見えないようになって欲しい。でも、誰かに愛されたい。傲慢だが、そういう根底の欲求だけがあるのが苦しい。産まれた時から、集団に入るたびに虐められ、排斥されてきたから、「人に自分の価値を計られる」ことに非常に強い拒絶反応が起きる。
圧倒的に人間社会で生きるのに向いていない。だが、自殺もできない。自分は子どものころから極度に怖がりで、ジャングルジムも怖くて登れなかった。だが、子どもの頃はまだ人が怖い存在だということに気づいていなかったから、見境なく話しかけては嫌われるを繰り返していた。それを繰り返していくうちに、周りから人が誰もいなくなり、「自分は異常で、人から避けられる存在だ」という学習をした。それからは、集団に適応しようと、自らを嘲笑の対象にしてもらうことで集団に入れてもらっていた。確かにひとりで孤独でいるよりは、どんなにバカにされても集団の中にいることで安心感を得られた。だが、中学に入ってからは、それも通用しなくなり、「完全なる孤独」に突入した。それでも部活は毎日かかさず行っていたが、「一緒に剣道部を見学しにいこう」と言われて、何となく見たことがあるが関わりはほとんどない人たちがいて、「知ってる人がいるから安心だ」と思い、そのうえ、母親から「運動部に入りなさい」と言われていたので、ちょうどいいと思い、剣道部に入ってしまった。剣道部は過酷で、個人競技で順位付けされ、その結果でカーストも決まる、非常に厳しい場所だった。俺は臆病だから大きい声を出すこともできなかったし、人を竹刀で叩くことにもためらいがあった。結局最後まで俺は弱いままで、試合では出して貰えず、後輩が代わりに試合に出ていた。後輩から毎日バカにされ、同級生や上級生は腫れ物扱いで、存在を無視された。一度、同級生に「お前、ウザイんだよ。やる気がないなら部活来るな」と校門の前で言われ、殴られた。それを見ていた誰かが先生に言ったらしく、先生と話し合いをした。それも影響あって腫れ物扱いされていた。週末に色んな学校に練習試合に行かされ、どこの学校の人も野蛮なやつが多く、その上、教師もまるで競馬を見てるおっさんのように試合中の生徒に暴言をぶつけていた。1回宿泊もできる施設で、有名な先生の元で練習ができる機会があったのだけど、「目が悪く、剣道用のメガネも持っていなかったので、どこに行けばわからなく、ウロウロしていたら、その有名な先生に目をつけられ、全員が集まった集団の中で自分とその先生の学校の人、合計2人が立たされ、「面を受ける」という合法的な体罰を受けた。剣道では、面というのは素早く竹刀を動かすため、気持ちのいい音を出すために、できるだけ最小限の力で面を打つのだけど、その時は違った。力いっぱい竹刀で頭を何度も殴られた。非常に痛かったし、集団の前で晒し者にされたことが非常にショックだった。今でも強烈に覚えている。「人間って怖いものなんだな」とその頃に徹底的に記憶に植え付けられた。部活では、定期的に先輩後輩関係なく、練習試合をさせられ、順位もつけられた。いつも自分は負けてばかりで、後輩以下で、いつもバカにされていた。自分の無能さを毎回そこで味わった。後輩に毎日バカにされ、メガネを取られて壊されることもあった。部活外では、いつもひとりだった。中学に入った時に、小学生のころ地域の子どもたちで集まって登校したり、遊びに行ったりしていたんだけど、そのメンバーの女性がいて、「こんにちは」と話しかけられるから、ヘラヘラ笑いながら返事をしていたら、ある時、上級生の友達が「なんであんなやつに挨拶してるの?」と聞き、「挨拶を返す時の顔がえろいこと考えてる顔みたいでキモイから」と言っているのが聞こえてしまい、挨拶されても返さなくなった。そうしていたら、上級生の女性が「いつも挨拶してるのに返されない!あの子は酷い!」と広めたらしく、上級生とすれ違うと「キモイ」とか「宇宙人」とか言われるようになった。親が仲良いので、ディズニーランドのお土産を貰ったんだけど、リトルグリーンメンのストラップを貰った。「宇宙人」というメッセージだと思っている。風呂上がりに、外の風景を窓から見るのが好きだったから、風景を見ていたら、上級生に見られ、「きもちわるっ!なんで裸なの!w」と大声で言われた。小学生の頃に転校生に執拗に「友達になろう」と言ったら「君とだけは友達になれない」とか、仲がいいと勝手に思っていた同級生に嫌われ、エンガチョをされたこともある。
このあとも、学生時代は常にいじめ、もしくは腫れ物扱いの対象となっていたが、人と関わる気力が失われた決定的な時は中学生時代だった。
その後、高校で黒いスーツをきた集団に嫌がらせされてると思ったり、バッグや体操服に体液のようなものが付いていたこともあり、障害が悪化した。手洗いが酷く、「ヤバいやつ」と何度も言われた。高校時代はいつもマスクをしていて、水泳の授業の時に「誰!?」とコソコソ言われたこともある。明らかに異常者として扱われ、全く人が寄ってこなかった。めちゃくちゃ頭が悪かったが、虐められたくなかったので、進学コースを選んだら、なんでこいつが?と何度も言われた。ある先生のことを北朝鮮のスパイだとおもっていた時もあった。Fラン大学に入ってからは、暇が増えたので精神病はある程度良くなった。今日は昔のことを思い出して、疲れた。
28歳男性、生活保護、Fラン大学中退、最終学歴高卒、障害者手帳2級、障害基礎年金2級、医者から言われた診断名はASD、ADHD、社交不安障害、強迫性障害、躁鬱傾向あり。クエチアピンやリスペリドンを出されているので、統合失調症もあるのかもしれない。今はクエチアピンがよく効いて、今まで常に不安だったけど、不安が結構ましになった。職歴はFラン大学時代の5年間(留年した)新聞配達、それとB型作業所、A型作業所。A型作業所に適応できなく、鬱や被害妄想が悪化した。具体的に書くと、「呼吸が浅くなる。震える、大勢に指を刺されているような感覚になる、文字が怖くなる、悪意をぶつけられているような感覚になる、音に敏感になり、音が怖くなる、攻撃的なSNSの投稿が怖くなる、布団に入り猫の動画を見ると良くなることがある、デパスを飲むと良くなることがある、リスペリドンは効かない、音がすると怒られそうな気がする、隣の人が怒ってないかがすごく気になる、音が大きく感じる、鳥の鳴き声などが闇の組織の通信音に感じる、周りの人が人間とは思えず、なにか自分に危害を加えたり、悪意をぶつけることしか考えてないように感じる、死んだらこれが収まるなら死にたいと考えてしまう、寝て起きると良くなる、睡眠不足の時が多い、ゲームからも悪意を感じてしまうのでプレイが続行できない、文字の点々が特に怖い、思考してる時に頭に浮かぶ文字も怖い、人が恐ろしくて仕方ない、鬱の時のようななんとなく死にたいではなく、突発的な死にたさしか出なくなる。」という症状が出てきた。仕事を休む日が増え、クビにされたので現在は無職。ここまで書き出せたのはきっとクエチアピンのおかげだと思う。もっと早く出してくれていれば、もう少しはましな人生になっていた気がする。今日は昔のことを思い出しすぎて非常に疲れたので、デパスを飲んで寝るつもりだ。おやすみ
と、タイトル通りの失敗をした。
見たいと思っていたのは、『ワン・バトル・アフター・アナザー』だった。だけど、佐藤二朗『爆弾』がすごい興行成績を上げているというニュースを見て、ネット予約だけど、迷った末に後者の方を選んだ。
結果、「金返せ!」と鑑賞後に入ったトイレの中でおしっこしながら叫んだ、心の中で。
時々駄作にぶち当たるのはしょうがない。見るまでわからないからだけど、私は貧乏人なのでそんなしょっちゅう今時の鑑賞料金の高くなった映画館には通えない。だから駄作だと、ほんとにクソ腹立つ。
今回の『爆弾』はまさにそうだった。
佐藤二朗や、山田裕貴などの俳優の演技が絶賛されていたが、それはそうなるわ。だって、映画は俳優の演技に完全に依存しており、監督を含めた制作側は俳優に任せときゃ大丈夫だろう、程度にしか考えていなかったのではないかと邪推せざるを得ないほど酷かった。
まー酷い。話の辻褄はとんでもなく合ってないし、「あれ何だったの?」と思う伏線ぽいのが山のようにあって、何も回収されない。
どうやら評判をつまみ食いして読んでると、小説の方も大概酷いらしい。
ともかく、何度も何度もしつこく佐藤二郎の顔のドアップばかり見せつけられると、飽きてくるわけ。で、ほんとは違う(何が違うのかは言わないが)ってラストの方で明かされるんだけど、それはないだろ!と、謎が明かされてもカタルシスどころかがっかりするというエンターテインメントとしては全然納得のいかない展開。
そんなの現実的にあり得ない、っていうのは映画なら全然いいと思う方なんだけど、いくらなんでも「そんな馬鹿な」としか思えない展開は流石に呆れてしまう。
これは一つだけネタバレすると、爆弾事件が起きまくってて死傷者多数の状況で、爆弾が爆発するかもしれない電車の即時運行再開を客が求めるか? あるわけないだろ!w
それでもまだ、肝心の爆弾爆発シーンは、タイトルがそれの映画なんだから見せ場になってるはずだと思っていたら……とんでもなくしょぼい、しょぼい、しょぼすぎる!
今時、ハリウッド映画クラスの爆発シーン程度、CGで安く作れるだろ。なんなら今時は生成AIですら分で作れるぞ。
俺なら観客が予想もつかないタイミングでとんでもない豪勢な爆発シーンを仕込んだだろう。だが、警察を騙すのに観客を騙さないという、作り手はほんとに何も分かってないとしか思えなかった。
ほんとにこの『爆弾』って映画はクソ映画、駄作としか言いようがないほど酷かった。
でも、これがどうして絶賛されているのか、訳がわからないというのがいちばんの謎。ある映画レビューサイトでは五つ星評価で平均で4つも取っていた。考えられない。何故?
追記:
tomiyai 小説は普通に面白かったけどね。想像で補ってるところはあるだろうが。素人が個人で作ってる爆弾って設定でド派手な爆発シーンを期待する方がおかしいでしょ。
いや、そんなのいくらでも出来るでしょ。ガソリンスタンドに爆弾仕掛けるとか、色々。実際、あの新聞配達用のカブ一台の爆発シーンは最も良かった。だから飛び込んだ先がガソリンスタンドとかの設定にしたら大爆発は全然可能。ていうかね、『爆弾』てタイトルなんだから、そこを見せ場にしなきゃダメだと思う。
それにね、名前忘れたけどほんとの犯人だったやつが爆発で死体が木っ端微塵になるシーンは、多くの人が言っているように傑作映画の『スピード』の真似だけど、真似ならもっとド派手にできたろう。『スピード』の場合、家の外からも撮ってあって大爆発がよくわかるようになっていた。だけど『爆弾』のはショボすぎるよ。
ここではないあるところで似たようなレビューを書いてアップした(あんまりにもつまらなくてムカついたからw)けど、少しとは言えそれなりに共感してくれる人はいたよ。
飲食店側にメリットがあるのは分かっているが、こんな田舎で配達する奴がいるのか、と思っていた。
それも県内のもっと大きい人口圏を差し置いて先にエリアになった。
さらには、その圏内エリアも歪で、何故か人が少ない自宅周辺が、もっと人口密度が高いエリアを差し置いて配達エリアのなっており、何事かと思っていた。
今日頼んでみてわかった。
そこの拠点にあわせてあるので配送エリアが歪になっているぽい。うちの近くも新聞店あるんでその影響でエリア内ぽい。
新聞店は他にもチラシのポスティングとか、冷凍弁当の配食サービスとかやってるのは知ってた。なるほど確かに新聞店は町のことよく知ってるベテランの配達員を抱えてるし、斜陽産業だから新規開拓が必要だし、合理的なんだな。
その新聞店、縮小していく新聞配達から逃げ遅れて、廃業する他の店のエリアを引き継いだりしてるぽく、そこが配達をになうことでウーバーイーツ対応が実現したらしかった。
まぁどこまで需要があるかはアレだけど。
時系列・事実関係・家系設定の重複や相互排他が目立ちます。主なポイントを整理するとこうなります。
「久下時重の子孫」「武蔵七党の子孫」「藤原本家の子孫」「織田信長の子孫」という複数の名家系統を同時に直系で持つ設定は系譜的に極めて不自然。
→ 歴史的にあり得ないわけではありませんが、全員“直系子孫”扱いは系図的にほぼ不可能。
「織田信長の配下の子孫」でありながら「織田信長の子孫」でもあるのは、信長本人が自分の配下になるという構造矛盾。
「祖母は女優だった」と「祖母は慰安婦だった」が同時成立するには特殊な経歴説明が必要だが、時間的にも社会的にも両立は極めて困難。
「祖父は山本五十六の知人」かつ「祖父は山本五十六の配下」は可能だが、「戦艦長門に乗船していた」と「祖母と慰安所で出会った」を繋げると、軍規や場所の面で現実性が低い。
「駆け落ちして破門された」なら、軍人としてのキャリアやその後の生活とも衝突する。
③ 両親に関する矛盾
「父親は6年の闘病」「7年の闘病」「8年の闘病」と期間が食い違っている。
「母親は介護職」「営業職」でも二重経歴は説明できるが、「飲酒運転の車に轢き逃げされた」と生存前提の経歴が混在している。
「貧困家庭」「生活保護」と「幼少期から高級生地によく触れていた」「専用PCを与えられていた」は生活水準の面で乖離が大きい。
「いじめられっ子」かつ「公文式で都道府県3位」「名門国立中学進学」は性格・環境描写の落差が大きい。
「大学在学中からNTTで技術者として働く」「派遣社員として月40万円稼いでいた」は可能だが、その後「大学中退」なのに“大学に通いながらNTT勤務”や派遣の経歴を維持するのは時系列整理が必要。
「川崎で新聞配達をしながら大学通学」と「秋葉原のゲーセンで遊び込む」+「高収入派遣勤務」が同時成立するのは時間的に厳しい。
「人生5回目の110番」の前後に他の警察沙汰エピソードがない。
「厚木のカラオケ店を出禁」と全体のストーリーの関連性が薄い。
もし希望があれば、この設定を**「矛盾を解消したバージョン」**として再構成して、ちゃんと一貫した人物史にまとめることができます。
高校1年の頃、高校生活に馴染めない中でバンプの天体観測を聴いた。
クラシックやらカービィ星の泉のBGMやらビリー・ジョエルやらポケモン言えるかなやらモー娘。やらはちゃんと聴こえてたんだけど、たぶん音楽として認識してなかった。
それからしばらくしてからケーブルテレビが家に入ってきて、スペシャとMTVが見られるようになって、そこでミッシェルとかくるりとか10-FEETとかACIDMANとかゆらゆら帝国とかコールドプレイとかレディオヘッドとかBlurとかBeckとかアンダーワールドとかジャミロクワイとか色々なPVを見るようになった。
あの頃は9.11があって(日本の場合は3.11のときもそうだったけど)、音楽シーンはモロにその影響を受けてたり受け流したりしてた記憶がある。
ワールズエンド・スーパーノヴァ、Virtual Insanity、Rabbit In Your HeadlightsのPVは今でも初めて見た時の衝撃を覚えてる。
それと前後して高校を辞めて、俺はしばらく引きこもってYahooゲームのブロキシーとかFlash見ながらくるりのアンテナをヘビロテしてた。
今でもアンテナ聴くとブロキシーのちっさいチャットでネカマとイチャイチャしてた過去を思い出す。
紆余曲折あってバイト始めて、お小遣い制の頃より圧倒的にお金がある状態になった俺は、音楽雑誌を買い漁った。
つってもお小遣い月1000円の頃の貧乏性がなかなか抜けなくて、買ったのは新品のロキノンじゃなく、古本屋に無造作に置いてあったSNOOZERのバックナンバーだった。
編集長のタナソーは昔からエモいんだかキモいんだか意識高いんだか低いんだか意味分からんことばっか言ってるけど、それが無理して村上春樹とか野坂昭如とか読んでた16〜17の頃の俺にはドストライクだった。
古本屋に足繁く通っては欠けてるバックナンバーを買い集めて、いつまでもちゃらんぽらんなチバユウスケやチキンボイスをからかわれてもどこ吹く風なジャック・ホワイトや延々ダサいばっか言ってるギャラガー兄弟やタナソーにジェリーフィッシュを勧めたら「リズム隊軽くね?」って言われてちょっと凹んでるっぽい岸田繁を堪能してた。
そこからはSNOOZERに載ってるCD片っ端からレンタルしてMDに入れて(勿論4倍モードにして)ひたすら色々聴きまくった。
ビートルズ聴くようになったのもこの辺で、曲間で音が途切れないタイプのコンセプトアルバムが好きだったのと村上春樹が何かの小説のあとがきでそれ聴きながら書きましたとか言ってたので、Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandから入った。
新聞配達でカブを走らせながら爆音で音楽聴いて、夜明け前の街をひたすら大声で歌ってた。
その後別の高校に入り直した。
昼間働いてた職場に音楽好きの人がいた。俺の住んでた田舎でSNOOZERを知ってる人に会ったのは初めてだった。めっちゃ盛り上がって、Sparklehorseとかレイ・ハラカミのカセットを借りた。特にSparklehorseはカセットとの相性良すぎてヘビロテしてた。書いてても懐かしい。
その後人生最初で最後の彼女ができた。2人きりの車内でシガー・ロスを聴かせたのはちょっとイタかったかなと思うけど、誕生日に栗コーダーカルテット(空気公団だったかも)のCDをプレゼントしたのは喜んでくれてたと思いたい。
だいたいこんな感じ。
ゲーム音楽、クラシック、レゲエ、雅楽とか民族音楽、ゴリゴリのパンクとかメタルはもうちょっとおっさんになってから好きになった。
その辺の良さは初期のニコニコが教えてくれた。
ボカロ全盛期も好きだった。アンハッピーリフレインとかいーあるふぁんくらぶとかドーナツホールとか今でも歌う。ごめんね歌うのがおっさんで。
今はあんま拗らせてない(と思いたい)ので、売れ線の音楽も普通に聴く。
車内でまっしろわーるどとか君に、胸キュン。(まりほりVer.)流してもキモいとか言われなくなったので、良い時代になったなあと思う。
みんなの音楽遍歴も聴きたいなあ。
数年ぶりに渋谷を歩いた
あるだろ。円山町に。
もう何年もずっと、誰の迷惑にもならずに。
今はもうやめたのかもしれないけどね。
数年前に感じたのは、ハロウィンは渋谷の子供をいじめているということ
当時上の子は、保育園に入れなかった。そのため恵比寿の保育園に入れた。
弟は渋谷の保育園に入れたが、転園も可哀想なので、上の子は恵比寿のままだった。
仮装をして近所を回るのだ。コロプラからお菓子をもらい、花屋さんから花を一輪もらう。
そう言って、いまはなき高島屋に向かった。
カタカナが読めるようになった娘は、それを見て、悲しい顔をした。
悲しいのは上の子だけじゃない、下の子の幼稚園では、ハロウィンのイベントはやらない
それどころか、ハロウィンについて何も教えない
渋谷ではそれができない。どうして?誰が考えた?
渋谷に住んでない奴らが、渋谷のことを考えているんじゃないかな。
渋谷から三茶に向かう車の中で、子どもたちは今でも嬉しそうに話す。
「養命酒のコンビニって優しいよね。ハロウィンのお菓子もらえたよね。」
それは、本当に小さい。十円もしないようなお菓子だった。
そういえば、渋谷の区役所の代替えの建物(?)があったところに、
公園ができるらしいと聞いた。
大人が集まる公園だそうだ。子どもたちが、遊べるようなものではないと聞いた。
裏に保育園があるのにもかかわらずだ。
どうして?
トー横キッズたちが渋谷に流れてきたのだ。だから公園を閉鎖したのだ。そんな話を耳にする。
アマゾンミュージックの自動再生でウェカピポがよく流れてくる。なんかジョジョで聞いた名前。
SOUL'd OUTを知らんかったし、なんかペポパポ言ってるからサイケな感じの曲だと思って毎回速攻で飛ばしてた。「ウェカピポ」ってのも宇宙人語めいた擬音みたいなもんだと思ってた。
しょっちゅう流れてくるんで、ブラブラ散歩してる時に気まぐれでちゃんと聞いてみた。
イントロで数秒流れる怪音を過ぎると大分雰囲気が違う。なるほど。すぐに飛ばすとこういう罠がある。夜を使いはたしても大分イントロ詐欺だったしな。
ジョジョに出てくる邦楽といえばチョコレイトディスコのイメージだったけど、これも邦楽だったのか。
ダッダッダッダッダッダッダッダッダッ
ナーウェイカッピポー
いいね。ウェカピポってそういう事なのね。
なんかよく聴いてるとバックのワウが効いたギターが気持ち良い。ヒップホップでこの感想もどうなんかなって思うけど。
映像表現が評価されてる映画を観て、話としては割とありきたりな脚本の方に魅力を感じたりもするし。おれはそういうとこでちょっとズレてんのかもしれない。
音は結構好きだけど、ここはUrbanniteウェカピポって気分にはあんまりならない。
郊外の夜は俺一人で歩きたいから皆さんは寝といて(物理)くれって思う。
おれだけの時間と思って変な時間に歩いてても、結構生活は動いてる。遅すぎる帰宅か早すぎる出勤の会社員もいる。新聞配達の原付も通る。たまに若者がデカい声で談笑しながらチャリで走ってたりもする。
河川敷歩いてても人とすれ違うとビクッとなる。
コンビニに行けば店員も起きてる。実はファミマではなく松下電器のものらしい音が鳴れば、なんとなくコソコソ入店してもいらっしゃいませが飛んでくる。「見てるぞ」の意だってこち亀に書いてあったな。
会計もなんとなく店員に悟られないようスニーキングでセルフルジへ向かう。
そうこうしてる内に空の縁がオレンジになってくると、途端に現実に引き戻されたような焦燥感が湧いてくる。
朝ご飯を作ろうとしたが材料が切れていたので早朝のスーパーに買いに行った。
かごに入れて会計を済ませようとしたら品出しをしていたパートのおばさんに通り道を台車で塞がれた。
虚を突かれた思いをしながらも塞がれた通りをくぐってレジに向かった。
レジは無人だった。この時間帯は品出しがメインで接客はサブ業務なのだろう。
しばらくするとさっきのおばさんがキレ気味にレジを打ち始めた。すごく迷惑そうだった。
苛ついた私はかごを床にぶん投げて店を出た。
さっさと帰ろうと自転車に乗るとサドルがひっかかって横の自転車が倒れた。
どうせあのおばさんの自転車だろうと思ったので放置したところを新聞配達のお兄さんに見られた。まるで犯罪者を咎めるかのような視線を向けられた。
私は素知らぬ顔でそのまま去った。
悪意を振り撒けたことが清々しくすらあった。
空白12年職歴無し37歳で新聞配達2ヶ月→スーパーのパート3か月→飲料補充助手の派遣やってる者だけどさ、1週間前にさ
起床時に腰に電流が流れて「あっこれもう無理、仕事辞めよう」って瞬間的に思うぐらいの激痛に襲われてさ
膝を立てて横にして肘を立てて身体を横にして膝をベッドの横に持ってきて何とか起き上がって
歩いてるうちに痛みが減ってくるんでなんとか支度して出勤して14kg近い飲料箱を上げ下げしてたんだけど
2日目にロキソプロフェンのシップ貼って寝たら3日目に8割治って4日目には全く痛くなくなったのよ
今は腰に全く痛みがなくなって快適そのものなんだけど
ロキソの偉大さを実感すると同時にそもそもギックリ腰だったんかなアレ
休まずよく働いたな俺
謎の根性ついてるわ