はてなキーワード: CCNAとは
https://www.ipa.go.jp/shiken/2026/ap_koudo_sc-cbt.html
この発表見てただ書き散らす。
簡単になるし午前と午後分けれて良いな~ってのが素直な気持ち。嫉妬すらする
年1というのは変わらないようだけど、今の基本情報みたいにAMとPMは別日に出来るので集中しやすそう。
合格率は今の試験内容のままなら極端に上がらないのかなと思う。基本情報の合格率UP理由は日程や自信ない人のキャンセルでの母数の減少なので、応用や高度も少しは上がるだろうが基本情報みたいなブレインダンプに近いサイトでの詰め込みでの合格は難しいと思う。
高度だと3問中2問の文章題だが、長文読解という問題はPCでは非常にやりにくい。試験テクニックのメモやマークも出来ないのでしっかり読まないと行けない。検索や右クリックの使用も出来ないだろうから手間は多そう。ただそもそも午後1も過去問やれば基本解けるのでそこまで問題はないと思う。
この発表で一番多かったのはここの部分ではないか。つまり筆記用具で論文を手書きしなくて済むという話だ。
なぜか分からないけど手書きじゃなきゃ受かるという自信満々の人が多いが、自分はキーボードで高度の論文お作法が身体に染み付くか?と思うと疑問である。
当たり前だけどテンプレなんて使えないだろうからキーボードで楽できるのは漢字変換くらいで、手でかける人がキーボードでさっさと打ち込めるようになるだけで準備してない人は結局CBTになっても評価はB以下で不合格だろう。というか手書きのほうが最初に構成考えるときに楽なんだけど、なんでみんなキーボードなら楽勝なんだろう?卒論得意勢?
これは全貌が明かされていないので想像でしかないが、おそらく全国のテストセンターで実施だと思うが土日もやっているテストセンターは少ない。平日の仕事終わりにやっているのも少ない。東京だと土日だと秋葉原のセンターが人気だし、平日夜は新宿がやってたりするが多くは17時くらいがラストだ。午前はともかく午後は途中休憩あっても4時間コースだ
これまでは強制日曜実施なので現場によるが貴重な休日が潰れるくらいだったが、今度は多少自由度が増えるが受けたい日に近所で受けられるかは微妙になる。もちろん東京近辺ならテストセンターはたくさんあるがちょっと郊外に行けば途端になくなる。おまけに基本情報やベンダーのようにいつでも受験可能では無いみたいなので集中し、申し込めば受けられた今より場所によっては不便になるかもしれない。国家資格なので地域差は無くしてほしいが聞いた話では他の国家資格もCBTに遷るみたいなので国としても不平等とは思ってないようだ
今までは年に1~2回なので多少被っても同じ問題はなかったが、もしCBTになるとしたら問題の種類は一気に増えないとすぐに情報集まって攻略法が出来るだろう。7500円で人海戦術すれば問題のパターンは集まるし、それを有料サイトで売れば投資分はすぐにペイできそう。特に午後2なんで問題が分かるか分からないで桁違いの難易度の差が出る。というよりAIにテンプレ教えて評価Aの文章が作れるので問題分かる=合格である。
もちろんちゃんと対策とかあるんだろうが、数十パターンを毎回追加とかでは息切れするだろうしそうじゃなければ3年後には攻略法定まって2週間で高度取りましたってQiitaの合格体験記が乱発されそう。
IPAの理由は分かるけど、基本情報の時と一緒で安易な易化でしかないと思う。もちろん2時間手で字を書くのは大変なのでCBTでキーボード入力できるのは素晴らしいが、受けてるとやはり紙のほうがやりやすい。テストセンターの消えないホワイトボードはストレスである。
なにより同じ日に受けた受験生で問題の差が出て合格率に差が出るなら個人的にはCBT化やめるか、これを機に根本的な試験内容も見直すべきだと思う。
ただ、一つ確実なのはCBTなら受かるって奴はCBTになっても直前でキャンセルするし、落ちるし、論文はC判定。受かる人は今の方式でも文句言わずに受かる。
1980年代前半に10万人ぐらいの都市に隣接した町で生まれた。
町立保育園/小学校・中学校ときて、工業高校と商業高校と農業高校、そして普通科松竹梅みたいな選択肢の中、普通科の梅に進学した。
父親は食品系仲卸問屋勤務で、母もそこでパートで働いていた。裕福な方ではないが、特に金で特別な苦労を強いられたことも無かったと思う。両親どちらも高卒で就職していて、父親の実家の土地に建てた一軒家住まい。
だからか、大学に行くということは特に考えていなかった。だったら商業にいけば良かったのだが、はっきり言うと、学力が足りなかったのだ。
当時は手に職があるのが強いと言うことで、中の上ぐらいの学力が無いと商業高校には入れなかった。工業高校はヤンキーのイメージが合って、根暗な俺には無理だったし、学校でもヤンキー共がそこにいくと言うから避けたいと言う、今思うとお前何考えているんだって理由で避けた。がんばれば商業高校にも入れたと思うが頑張るモチベもなくそのまま進学した。
時は就職氷河期のまっただ中だったが、父も母も比較的安定していたので「世の中不景気っていって大変だねえ」ぐらいで実感なんてあるはずもなかった。
しかし、卒業が近付いて進路という段階になって、先生が進学を特に勧めるようになって実感が出てきた。先生は誰もが厳しいと口にし、進学を勧めてきた。その中に専門学校もあった。
先輩が就職できなかったが、フリーターで楽しく働いている、それも悪くないよ、そんな話も聞こえてきたが、父の会社はフリーターを使う立場でもあって、そのころになってフリーターだけは絶対にだめだと言われるようになっていた。
しかし現実問題として就職が苦しいとなった頃で、Windowsとインターネットがぽつぽつ使われ始める時代だった。それで、地元のコンピュータを勉強できるビジネス専門学校への進学を決めた。決めた上で、高校生活の残りは部活にのめり込んだ。
専門学校は名前さえ書いて入学金を振り込めば自動合格するような所だった。
専門学校では、同級生の半分以上が年上だったりだぶっていたりとするような人々だった。上は40歳ぐらいもいたと思う。ここでだ。本格的に社会の不景気を実感したのは。
ここで危機感を覚えて本格的に勉強を始める事になる。父に頼んでエプソンのパソコンを家でも買ってもらい、勉強して、当時ギリギリ「二種」から「基本情報」へと名前を変えた基本情報技術者試験に合格した。学生時代では最も必死に勉強したと思う。その他にもCCNAなどの取れる資格はみんなとった。資格数としては学年トップだったはず。その上で、来ていた求人でいくつか会社を回った。その中で、工場の生産システムを専門に運用して面倒を見る部署から来ていた求人があり、一番沢山パソコンを触れそうと言う理由で決めた。
当時この生産システムは通称「ホスト」と言われてていて、汎用機にコボルで書かれたレガシーなシステムであった。これを面倒見るために一から勉強して日常のジョブ投入とかは問題なく面倒が見られるようになりつつも、伝票類の物理的な運搬とか、時には入力のヘルプに入るなど、総務と経理の小間使い的な仕事をこなしていた。
入社翌年、ホストからオープン系にリプレイスするという話が来た。
当時、ITバブルが始まってきて、オープン化という事が中小企業の営業にも言われ雨量になってきた。それと同時にホストの保守費用の値上げが来て、あたらしいもの好きの社長がオープン化システムへのリプレイスを決断。オープン系(と言ってもUnixi系)にシステムを載せ替えた。
これが相当なデスマではあったが、今になって思うと元々のシステムを作った古老がまだ嘱託で仕事をしていた時期でもあり、最後のタイミングだったであろうと思う。結局リース契約は1回更新する事にはなったが。ここで基礎スキルを身につけることになる。今に至るまで製造業の生産・ERPを専門として、扱うパッケージは何度も変わっているが、それで喰っている。
さて、実はオープン系にするというプロジェクトにはもう一つ、係員にしか知らされていない理由があって、それは海外への生産の移転へ対応できるようにすることであった。
売上の8割以上を依存している大手企業が、海外に工場を移転するに当たって、現地に団地を作るので下請けも一括して来い、と言う話があったのである。それが大々的に発表されたのは、システムが上手く稼働できなくて必死になっていた頃であった。稼働を始めた頃には中国の工場が稼働を開始し、集中ケア期間を終えて安定稼働に移る頃には工員が中国に多数出張にでて技術を教えている段階だった。
生産ラインは移転され、パート従業員や派遣社員は派遣切り。そんなことをやっている頃に、リーマンショックが来た。
システムの面倒を見ていると、会計の情報や売上の情報なども入ってくるので自然と知ってしまう訳だが、会社の実情はそれほど急激に悪化はしなかった。だが、リーマンショックに乗じてついに国内ラインの大規模閉鎖とそれに伴う工場閉鎖、従業員の解雇が発表された。正直バブル崩壊のトラウマてきな反応だと思う。
その対象に自分は直截入っていなかったが、その頃、システムを更新を担当した会社の方から転籍の打診があった。会社も同意の上で、より良い給料を提示するから転籍しないかというのである。ホストをオープン系に乗せ替えるという経験を、ユーザ側でした経験をかうと。
それまでの会社は、IT系はバックオフィス系の事務員の賃金であり、30手前で手取りで20万円いかなかった。基本的に残業は禁止で、サビ残がある割には稼げないという環境。
現場は月20時間の残業が前提になっている給与で、それと基本的に賃金テーブルが同じなため、残業が無い分だけ低賃金になってしまうと言う構造的な問題があった。
それでも実家暮らしだったので暮らせていたし、周りの環境もそうだったし、何より専門卒の同級生の中では比較的まともな感じだったのでこんなもんかな、と思っていた。
が、その転籍先企業が提示した待遇は月額40万円というもので、近隣の大都市のオフィス勤務となるがかなり待遇が上がる。その他にも福利厚生が付いてくると言う事も魅力的で、一人暮らしもしてみたかった俺は、転籍をすることにした。
ところが、1ヶ月の有休消化期間と退職手続きをして転職先に手続きにいったら、内容は正社員じゃなくて契約、偽造請負であった。
確かに月額40万円だったが、年俸で500万という意味であった。厚生年金は入れないので国民年金・国民健保。報酬からはしっかりと席料2万円が引かれ続け、パソコンなども指定のものを時前で買わされた。とはいえ、前職よりは100万程度手取りは増えたのでこんなものかなと思ったし、やる事やってもらえれば大丈夫だから、元の会社の仕事を中心に降るし、と言われてはあそうですかと受け入れた。というかそれ以外に選択肢がなかった。
ただ、システムの知識はかなりあったし、ユーザー側ではなく開発側の資料に自由にアクセスできるのは純粋に楽しく、サビ残をする為にこそこそする必要も無くなった。当時は自由に働ける新しい働き方みたいな事を真に受けていたので。
転機になったのは東日本大震災の時である。仕事が飛んだ。結果、その間の報酬が飛んだ。どんぶりで人月契約すると言う動きだったので、東日本大震災でプロジェクトが止まった間、無報酬になってしまったのである。
当然失業保険の手当などもでない。周りの似たような仕事をしている社員は出ているのに、出ない。教育を任されていた後輩…といってもプロパー社員も出ているのに、出ない。
これを転機に、転職活動をして、別の会社に正社員で雇われたいと思うようになった。
しかし、全くだめだった。転職サイトに登録しても専門卒では全然応募しても駄目で、専門卒でも許容しているのはSESの様な会社ばかり。面接に進んでも今と同じかそれ以下の待遇でこちらのスキルなんか全くみてないようなものばかり。東日本大震災による契約停止は1.5ヶ月ほどで済んで、その後プロジェクトが再開されたため仕事も戻ったこともあって切実度が下がったが、それでも続けていた。
さらに、そもそも大卒でないと検索しても表示すらされないと言う話すら聞いて、そこからサイバー大学に入学した。
ただ、結局大卒の資格を取る前に、正社員登用された。契約している会社に元請けから内部監査がかかって、触法する可能性のある偽造請負を是正すると言う話が出たためである。
月給は手取り20万ちょいに下がったが、人生で初めてボーナスが出る待遇となり、手取年収はほぼ同じとなった。その上で、厚生年金に復帰し、さらにIT関係の健保など福利厚生が使える様になった。ここで、ここまで身分によって待遇が違うのかと言う事を実感した。
実は今、最初の会社に戻っている。理由は簡単で、父親がコロナ禍で倒れて後遺症が残り、地元に戻らなければならなくなったためである。元の会社は生産システムを強化していて、の後も繋がりはあったので、その伝手で戻る事になった。
年収はほぼ変わらずに入社できたのは幸運だったが、定期昇給はなくなり、ボーナスも定期的には出ない待遇になったが、こればかりは仕方が無いと諦めている。
結局未だにはてなを利用し続けている。
最近AI増田が流行っていて、生きた人間の、線としてつながる日記を書いてみたくて投稿することにした。
匿名の人にも人生があって、その後もあるんだなって感じたので、そういえばと思い自分の記事を読み返してみた。
もし、誰かの暇な時間を満たせられれば幸いです。
片親の生活保護家庭から高卒後自立して貧乏学生になった増田です
将来の不安について綴ったところ、色んな人から反応をいただきました。
それから10年、何度か自分の記事がホッテントリに載ることはあったけど、そんなに多くは書いていない(年2~3記事?)
・所有資格は基本情報ぐらい、NCPやCCNA(期限切れ)みたいなベンダー資格は何度か取得したけど…
・当時のバイト先はスーパーの海鮮だったけど、その後、みんな知ってるレンタルサーバー屋さんでバイトしていた
・就職はもっと給与いいところを目指したので、バイト先には勤めなかった(高卒であっても入れるらしかったのも一因)
結局学生生活はバイトがそれなりに忙しいこと、成績維持のために楽単ばっか選んで、専攻分野もそんなに勉強できず、将来仕事に活かせられなかった。(とはいえIT分野については独学でそれなりにやっていたので、就職先は6社受けて4社受かる、みたいな感じだった)
成績上位は同じゼミの金持ちの子で、当時思っていた通り、生活に支障がないやつが学費免除受けられやすいんだろうなぁと実感した。
・総資産は300万程度
・年収400万は以前より貧困ではないかもしれないが、東京でみるとやっぱり貧乏だと思う
・職場で飼い殺されている
生活は苦しいままだと思うけど、定職があるのは確かにいいことだと思う。
大学の先輩は就活に失敗し、携帯電話販売スタッフを転々としていたので、それに比べるとマシかもしれない。
ITに関して独学していたからというのもあり、職場の同期や元同期からも信頼が厚いが、金融インフラ系という堅い仕事ながらに、裁量が多すぎる(というか抽象的でフワフワな職場)はかなり自分にあっておらず、6年経ってもスキルが1人前に身につかないと感じている。
書いてて思うけど、全く職場の風土が自分にはあっていない。しかし転職するスキルもないので、八方塞がりで、とにかくしがみつくので精一杯。
元同期からいつも「うちに来なよ!」と言われるが、みんなのように外資系とかIT大手とか行ける気がしないよ・・・
客観的に見て幸せだと思う。大学や職場では、優秀な友人たちに恵まれ、今でも交流がある。
だけど補助は2年後に打ち切られる予定だから不安でしかない・・・
ただ、貧乏生活を得て、「有るもの」を数えることが得意になった。
iPhone持ってて、好きなアニメや音楽聞けて、服も楽しめるし、ご飯は食べられるし、眠ることも、お風呂に浸かることもできて・・・
だから、無いものを数えていた昔に比べて今は幸せなんじゃないかと思う。
この選択は未だにわかっていない。姉は高卒で就職し、フリーターで精神障害2級で人生詰みみたいなところあったけど
弟も同じく工業高校出身で、最近死亡事故起きたような割と名前の知られてる会社で日勤夜勤を繰り返しながら働いている。
俺だけ偏差値真ん中ぐらいの総合学科で、そこから大学に行った。よく考えるとちょっと家族でも異質な生活してるかもしれない。
個人的には給付奨学金を収入のおかげで受けることができたこと、大阪の家賃2万の家に住めたことなどで
ある程度有意義な学生生活は送れたと思う。でも、不登校時代があったりヤングケアラーだったりして、ハングリー精神がないので
恵まれた環境にいながらも、大学という世界をうまく使えなかった気がする。
今も、東京に住んで、様々な専門家と触れる機会があり、趣味を最大限に楽しめる環境にいながらも、意欲がなくて機会を持て余している。
学費の借金は、車1台分と考えれば、まあそんなもんなのかなと思うし、会社も約1000人規模の大きな会社に勤められたので良かったと思う。
あとは転職でこの大卒という資格の恩恵を受けられれば・・・だけど産近甲龍未満の私文なので微妙そう。
一生このまま一人で趣味をしつつ、このままこの地でこのまま死ぬのかなぁとか25歳あたりまで考えていた
作業手順もステータスの判定基準も、ミス後のリカバリ手順などすら共有しない組織で、放り込まれた現場でみんなと大きなミスをしたところ休職をすることになって
希死念慮が高くなってしまった。大学まではITに意欲的で、スキルもあったと自覚している人材だけど、現場では情報共有もなく、何も得られず
飼い殺されて第2新卒期間を逃したあたりで、どうしていいのかわからなくなった。うつ病は今もそのまま残っている。
その時ゲームをしていた友達がウクライナ人で、ドローン爆撃や真冬のブラックアウトなどを間接的に体験したので、人のために生きることを決意した
貯金はないけど、なんとかボーナスとか持株会とか使って、空港チケット買ったり、大使館に連絡したりして友達を日本に連れてくることにした。
お互い狂っていると思う。会ったこともない相手同士をこんなに信頼して、モルドバ行って手続きをしたり、ポーランドから日本へ来たり
主に相手のほうが必死にやったと思うけど、その後の手続き周りは全部頑張った(歯列矯正のメンテナンスとか地味に大変だった)
今は一緒に1DKの狭い部屋で暮らしてる。最近他の人の手助けがあり、ようやく難民補助ももらえるようになって、少しだけ生活が安定し始めた。
貧乏学生はなりふり構わず差し伸べてくれた手を握れば、何とかなるかもしれない。
大学の奨学金制度は掲示板を見て自分で手続き行ったし、単身IT会社に自分を売り込みに行ってバイト採用決まったり
今も誰かに助けられつつも、自分も誰かを助ける番として生きることができている。
見返りを求めるわけじゃないけど、人助けは「砂の中の金」を探すものなのではないかと感じた。
恵まれないお腹の空いた子どもが、与えられたご飯を人1倍食べられるわけではないように、与えられたものを活用できる人は少ない。
財団の給付奨学金は、そんな人たちにも機会を与え、100人中1人でも大成できる人を見つけたかったんじゃないかと思った。
それを感じることが自分もたまにある。
独学したITの勉強は、他の友達にも教えた。一人は就活のときに俺を裏切ってどっか行ったけど、まあそういうこともある。
たくさん人を手助けしては、損をすることが多かったけど、今は真摯で誠実な友達に恵まれている。
ウクライナ人の友達もその一人で、難民申請中は俺が日本語を教えたりして、今始まった日本語学校では、ほぼトップの成績を誇る
何より、Javaの勉強を始めて、今後の人生を一緒に歩む目標に向かって進んでくれている。
「友達が死ぬのが怖いから」と差し伸べた手だけど、掴んでくれたのなら絶対に離さない。死ぬまで俺も人助けの責任を全うしようと思う。
俺は、砂の中から砂金を見つけたのだ。
社会に出て思うのは、貧乏も裕福も選んで決めたもんじゃないし、得られたものでやりくりするしか無いなということだった。
恵まれた人生の中でクソみたいな結果しか出さないやつも存在するし、恵まれた人生の中で、それでも更に欲深く生きるやつもいた。
苦労も惜しまない、得ようと思った人が得るのが社会に出てからの人生なんだなと感じた。
そういった「意志の強さ」が疲弊して、貧乏なままで居続けるのが貧困なんだなぁとも感じた。
自分は人を助ける側として、働きたいと思った。
当然職場など、色んなところで人に助けてばかりの人生だけど、それでも何か少しでもいいから誰かの助けをして
自分も誰かの役に立ちたいと思った。
JavaもAtCoderもCCNAもLPICも基本情報も別にレガシーではないだろ。ただの基礎で全部現役
レガシーってのはもう使われていないものをいう。このへんをレガシーって言うのはモダンな技術の理解もあやふやなんじゃないか。逆にモダンな技術がどう動いてると思ってんだ
元増田が就活で弱いのは即戦力スキルが欠けてるからで、基礎そこそこありますって言われても即戦力部分を教えるのは高コストでビジネススキルゼロで高リスクだから忌避する。基礎スキルは普通に重要
Javaわかれば関数型言語もいけるしスクリプト系の言語もいけるし低レイヤーにもピボットできる。デザインパターンやInterfaceの学習もJavaなら容易。AtCoder緑なら基本のデータ構造とアルゴリズムはわかっててコードリーディングも速い。データベースの理解も速いだろう。データベースはB木の応用だからな。LPIC持ってりゃDockerの理解は一瞬だろう。CCNA持ってるならAWSでVPC構築できる。元増田が欠けてるのはこのへんの応用全般とIT系ビジネスの流れ全部。勉強のルート自体は表層的ではないので正しい。むしろ基礎が欠けてる奴があまりにも多すぎる。
自分が面接官なら元増田は正直にスキル不足と言って落とすが、少なくとも平均以上に学習しているという労力は買う。実務経験1年でそこらへんのジュニアは抜くだろうからな。ただその1年の教育を自分のチームで請け負いたくはないので落とす。
令和2年度から異動先で関わっていたICT関係業務が楽しかったのでそのまま続けたかったが、令和6年度まったく無関係の部署に異動になってしまった。今の仕事つまらん。
資格を取り、意欲・資質(?)を人事部門にアピールし、ICT関係の業務へ戻りたいと考えるに至る。
早速APを受験して合格、人事へ履歴変更の書類を提出してアピール。しかし令和7年度には異動内示はなく、APだけでは「弱い」のではないかと考えた。組織内にはFE持ちすら珍しいはずなんだがな……。
NWやAWSでもアピールできたのだろうが、AP受験勉強の中でセキュリティ分野のおもしろさに気づいたため、SCを受験することにした。
とはいえAPとSCの要求レベルの差は歴然と判断。令和7年秋季合格を目指そう……と思っていたらいつの間にか時が過ぎていたため大急ぎで改めて計画を立てることにした。
30代後半法学部卒
未経験状態で異動先でICT環境の大規模整備に放り込まれた経験あり
AP取得済
3.18現在自分の知識と合格迄の乖離具合があまりはっきり見えていないのでとてもざっくり計画。1ヶ月ごとの進捗記録とともに見直す。
ネットワーク分野が単なる暗記に留まっているおそれがあったため。理解を深めるのに有用と判断した。受験料高いな。
午前は鬼門の午後試験の対策にはならないと考える。過去問道場を利用して半年かけてゆるくやっていく。
読んでばかりだと全然理解できない。これはCCNA白本で泣いた。ノートにまとめたり、ChatGPTやGrokあたりを壁打ちに活用してみたい。
毎日30問くらいずつ解いていく。
継続。
2とIPA過去問を利用。過去問を解き、知識不足はテキストインプットし直し等?やってみないとわからん。
継続。
テキスト6.を活用開始。※続編?の気配あるためそちらも注視。
受験。
1ヶ月毎に進捗を記録したい。
たしかに凄いけど日本で言ってるのがしょぼスタートアップとかであんま現実味ない
確かに安価でコード補完からデプロイ、資料まで作ってくれるけど今日ですらスクリプト書く側がlpic、ccna、基本情報でも持って無きゃ低レベル壁打ちにしかならない
当たり前だが大企業だとセキュリティやプライバシー費用対効果で判断の後に限定的な公開から始まるのでうまく行かない
基礎知識のない奴が見てくれだけのサービスを公開していくのかと思うと怖い
AIマンセーしてる人に質問したらマジで知らなくて途中からAIに聴きながらの会話になったのを見て書いた。
あとローコードツールとノーコードツールはほぼ死滅しそう。組み込みコパイロットの性能の悪さもあるけどAI作業の恩恵一番受けないわ