はてなキーワード: 宇宙開発とは
日本にとってのロシアは、文化的には強く惹かれるのに、政治・地政学では強く警戒せざるをえない相手、という話です。
巨大な自然
寒冷地の厳しさ
ドストエフスキーやトルストイ、チャイコフスキー、ソ連宇宙開発など、
「深い」「重い」「でかい」という印象がある。
でも国家として見ると、
ウクライナ侵攻以降の警戒感
が前面に出る。
北海道の先にいる。
これは、
言語の壁
政治体制の違い
歴史的な不信
があるからです。
つまりロシアは、距離は近いのに安心感が育ちにくい隣国なんですね。
3. 日露関係は“安定した友好”になりにくい
日韓は
近すぎる
歴史問題が生々しい
でした。
日露はそれとは違って、
なので日露は、
親しく見える時期があっても、深いところでは常に警戒線が消えない関係
として見えやすいです。
これがかなり独特でしたね。
雪と大地
無口で硬い人々のイメージ
でも同時に、
軍事力
不透明さ
国家の圧
話の通じなさへの不安
もある。
美しいけど怖い
壮大だけど信用しきれない
という二重の像を持ちやすい。
5. 日本から見たロシアは“文明としては強いが、関係としては冷たい”
この言い方が近いかもしれません。
アメリカは好き嫌いはあっても、戦後日本の生活や文化に深く入り込んでいる。
台湾は親近感が強い。
韓国は近すぎて摩擦も多い。
中国は巨大で切り離せない。
でもロシアは、
一言でまとめると、
ロシアには壮大さと警戒が同居する“重い隣人”を見る。
こんな整理でした。
さらに詰めるなら、
「日本人はなぜロシアに“ヨーロッパでもアジアでもない巨大な異界”を感じるのか」
まで掘れます。
日豪関係の3本柱
1. 海
まず土台はここです。
オーストラリアも、大陸ではあるけれど、世界とつながるには海運が決定的に重要。
海で結ばれる理由
ここで重要なのは、日豪は海の使い方がぶつかりにくいことです。
たとえば同じ海洋国家でも、漁業権や領土で激しくぶつかる相手だと距離が縮まりにくい。
つまり海の柱では、
2. 宇宙
あなたが言ったはやぶさのオーストラリア帰還は、まさに象徴ですね。
というイメージを持つようになった。
追跡、通信、回収、安全管理、観測網、こういう地上側の協力が必要。
日本の執念
という物語になった。
と
の両方を持っているんです。
3. 通信
海底ケーブルを含めた通信インフラは、昔でいう海運や鉄道みたいなものです。
見えないけれど、これがないと国が回らない。
ここでオーストラリアは、日本にとって南側の重要な結節点になりやすい。
日本の通信はアメリカや東アジアに目が行きがちだけど、南側のルートや分散も大事。
障害、事故、地政学リスクに備えるには、ルートが複数あった方がいい。
になりやすいです。
なんです。
3本柱をまとめると
海
通信網を守るには海の安定がいる
つまり、
は一本ずつ独立しているようで、
実際は全部が連動している。
日豪関係は、この連動にかなり向いているんです。
ひとことで言うと
日豪関係は、
海でモノが流れ
宇宙で目を持ち
通信で神経がつながる
関係です。
と見るとしっくりきます。
ソフトウェア開発をしており、AIエージェントをよく使う。AIのおかげで仕事がガンガン進むようになったが、世界中の電力を食い尽くしてでもAIを使って仕事の効率を上げる必要性はあるのだろうかと思う。
少なくとも自分が関わっているソフトウェアが成長し、多くの人に使ってもらえるようになっても人類の発展に大きく役立つとは思えない。これが、石油にかわる新エネルギーを発見や、海底資源の探索、宇宙開発に関わるような仕事、「AIのために電気代上がります」、と言われても納得感がある。でも、たぶんそうじゃない。
とはいえ、「じゃあ、明日からAI使うのやめまーす」とも言えない。AIを使う開発がスタンダードになってきており、この流れに乗れないと自分のお仕事がなくなってしまうから(そもそもAIにお仕事が奪われるという話もある)。
結局のところ、自分の食い扶持を守るためにAIを使うことをやめられないが、「馬鹿みたいに電力使うAI使って仕事する意味あんのかな、これ」と思わずにはいられない。
ガンダムの世界では、地球連邦政府が何の説明もなく存在しているが、実行力のある連邦政府がどのように成立したかは謎。
第二次大戦の反省と、三次大戦への恐れから強固になったはずの現実の国連も、力が失われるスピードは早かった。
ジオンという宇宙国家の脅威により成立したなら話は分かりやすくなるが、順序は地球連邦政府の成立の方が先。
一応、「劇的な人口増加と環境汚染に対応するため、全人類を統合し、大規模な宇宙移民計画(スペースコロニー建設)を円滑に推進するため」という理由付けがあるようだが、もしそのような事態になったとしても、現実の世界を見る限りは「宇宙開発力のあるいくつかの国家が自国中心の宇宙移民計画を推進し、一部の権力者と富豪が率先して宇宙移民を開始する」みたいなイメージしか湧かない。
たぶんそれすらもマイルドで、環境汚染は先進国では無いものとして扱ったうえで、発展途上国に責任転嫁され、人口増加に対しては決定打が無く、資源の奪い合いの戦争が起こるみたいなことになる。
ガンダムの世界では、現実よりも人間が理性的だったか、圧倒的なカリスマが存在して、地球連邦政府の成立を一気に推進したようなバックグラウンドがかるんだろう。
国産ロケットを人工衛星ごと爆発させて何千億円も溶かしたのが効いたんかな?
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7a24bf7b44cf51531693aefa87013c41ac12544
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は22日午前10時50分ごろ、H3ロケット8号機を鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げた。約30分後に準天頂衛星「みちびき5号機」を軌道投入する計画だったが、第2段エンジンの燃焼が予定より早期に終了し、軌道投入に失敗した。H3は2023年に初号機の打ち上げに失敗しており、国産主力ロケットの2回目の失敗は日本の宇宙開発にとって大きな打撃となる。政府は対策本部を設置して原因究明を急ぐ。
日蓮という人物の「エネルギーの強さ」や「物事の核心を突き詰めようとする情熱」を考えると、令和という現代なら、また違った輝きに全力を注いでいたはずなんですよ。
日蓮は、当時の既成宗教(浄土宗や禅宗など)に対して「それでは人々は救われない」と真っ向から挑んだ、いわば「時代の最先端を行く改革者」でした。
もし彼が現代に生まれたら、どんな「きらきらしたもの」に熱中しているか、いくつか可能性を妄想してみましょう。
日蓮が法華経にこだわったのは、それが「宇宙の根本法則(妙法)」だと信じたからです。現代なら、古文書の中ではなく、宇宙の果てや量子レベルのミクロの世界に「世界の真理」を見出そうとするかもしれません。
「火星移住こそが人類の宿命だ!」と叫びながら、スペースXのようなプロジェクトを自ら立ち上げている姿が目に浮かびます。
彼は当時の幕府(中央集権)に対して、命を懸けて異を唱えました。現代なら、既存の金融システムや巨大テック企業に対抗する、完全に分散化された新しい社会インフラの構築に熱中しそうです。
「中央集権的なプラットフォームに魂を売るな!」とSNSでインフルエンサーとして大暴れしているかもしれません。
「一人ひとりが仏になれる」という法華経の思想を、「全人類の知性を拡張するAI」として具現化しようとする可能性もあります。
誰もが等しく最高の知恵を持てる世界を作るために、寝食を忘れてコーディングに没頭する日蓮。彼の性格なら、既存のAIの限界を指摘して「これこそが真のAIだ!」と独自のモデルを提唱しそうです。
おっしゃる通り、彼の性格は非常に情熱的で、妥協を許さず、常に「最高のもの」を求めます。
鎌倉時代において、法華経は彼にとって「最も新しく、最もダイナミックで、最も救いのあるクリエイティブな教え」でした。
こうした、「今の世界で最もエネルギーが渦巻いている場所」に真っ先に飛び込んでいくはずです。
インターステラーって、表向きは宇宙を舞台にしたSFなんだけど、よく見るとずっと「進め」「止まるな」っていう進歩主義的なメッセージが描かれている。
引用される「怒れ、怒れ」というディラン・トマスの詩も、本来は死に向かう父に向けた言葉なのに、映画の中では「衰退していく文明そのもの」に向けた叫びに変わってる。もう終わりだって諦めるな、科学を捨てるな、進歩を放棄するなと。
作物は枯れ、宇宙開発は否定され、過去の偉業はフェイク扱いされるあの地球の姿って、ちょうど現実が縮こまり始めた時代の空気と重なる。
重要な登場人物の「マン博士」は人類最高の英雄とされていたけど、実際には恐怖に負けてデータを捏造し、仲間を裏切り、使命よりも自分の生存を優先してしまう。あれは、理想を掲げてきたはずのアメリカが、いつのまにか内向きで独善的になっていく姿そのものにも見える。最大の希望の象徴であった国が、別のものに変質することの現れ。
そうやって見ると、インターステラーは、ただ未来に希望を託してるだけじゃなくて、かなり強い不安が同時に現れている。進歩を信じ続ける側に立つクーパーと、恐怖に屈して縮小へ向かったマン博士。その対比そのものが、ノーラン監督の中にある「このまま理想を失ったら、人類もアメリカも終わりかねない」という怖さと、「それでも進めばまだ未来はある」という希望の両方を背負ってる…と読んでみる。
そうすると、インターステラーは宇宙の話をしながら、実「文明と理想がどこへ向かうのか」を問い続けてる映画。「進歩しなければ絶滅してしまう」という脅迫的な進歩主義と、「理想を捨て孤立主義に陥ること」への恐れ、アメリカが変質してしまうことへの強い不安、いや怒り。
理想主義が捨て去られること、進歩が捨てられ停滞することへ「怒れ、怒れ」と呼びかける。
これはNASAの予算が縮小されている今現在のアメリカを予期して、ブラックホールの底の4次元空間から放たれた、ノーランの警鐘だったのかもしれない… (それらしい着地)
地球温暖化の問題について、小学生が抱きそうな素朴な疑問をローカルLLM(テキスト生成AI)に訊いてみた。
モデル:
Qwen3-VL-8B-Thinking-UD-Q4_K_XL(GGUF)
プロンプト:
地球温暖化の問題について、地球から大気圏外までとても長くて丈夫なホースを通して、ホースの両端にポンプを設置、地球の余分な二酸化炭素を宇宙に放出すれば問題が解決するというアイデアがあります。莫大な資金と技術があれば実現できますか?
回答:
Think
(省略)
/Think
地球温暖化問題を解決するための「大気圏外へ二酸化炭素(CO・)を放出するホース構想」は、技術的にも経済的にも現実的でないため、実現不可能です。以下に主な理由を整理します。
長さと重量の問題:
地球表面から宇宙空間まで(約7,000 km)延びるホースは、自身の重力によるたわみや破断リスクが致命的です。
炭素繊維など最強の材料でも、張力強度は10 GPa程度ですが、ホースの自重による応力は100 GPa以上に達します(計算例: 1m2断面積のホース100km長の自重で約1,000,000倍の応力)。
大気圧は海面で約100 kPaですが、高度100 kmでほぼ0に近い真空状態です。
ポンプを沿って連続して圧力を維持するには、エネルギー消費量が膨大(例: 1kgのCO・を宇宙まで運ぶのに約900 MJのエネルギーが必要)。
36億トン/年の排出削減に必要なエネルギーは、世界全体の年間電力生産の40,000倍に相当(約10^21 J)。
ホースの建設費(材料費+打ち上げ費用)は100兆ドルを超えると推定されます。
運行コストも年間100万倍の規模で増加し、地球のGDPの数十分の一を消費します。
現在のロケット技術では「宇宙へCO・を輸送」は可能ですが、連続的な大規模排出は既存のシステムでは実現不可。
宇宙に放出されたCO・は瞬時に分散し、効果的な「削減」になりません。
大気中の濃度低下には、地球を含む閉鎖系内の循環処理が必要です。
既存の技術(炭素捕集・貯蔵(CCS) や 太陽光発電による排出削減)の方が実用的かつ経済的です。
例えば、CCSで1億トン/年の除去は現実的ですが、ホース構想では数千倍のコストがかかります。
国際法の制約:
宇宙活動に関する《宇宙条約》により、商業的宇宙開発は厳しく制限されています。
「大気圏外へのCO・排出」は、国際的な規制違反となる可能性があります。
このアイデアは「科学的発想」として興味深いですが、物理法則と経済の観点から完全に不可能です。
地球温暖化問題は、持続可能なエネルギー転換・排出削減・森林回復などの現実的な対策に焦点を当てるべきであり、理論的な「宇宙ホース」は無駄な資源浪費につながります。
実現可能性のないアイデアを推進するよりも、現実の解決策を優先すべきです。
<リ
゚ 環境問題の解決には、現実的で持続可能な技術の開発が鍵です。
まずは、現状の科学的根拠に基づく方法を検討しましょう。 =リ玻=リ'ン
(参考文献: NASAの宇宙船設計データ、IPCC報告書、材料工学の基礎資料)
※この回答は、技術的・経済的制約を考慮した分析に基づいています。
「宇宙にCO・を排出する」は、科学的に無効な方法であり、誤解を招く可能性があります。 ('=リ゙。'<リ
゚ (⇒ 正しい解決策の探求を)
https://climate.nasa.gov/ | https://www.ipcc.ch/report/ar6/wg1/ | https://www.energy.gov/energy-sources/renewable-energy-and-clean-tech/battery-storage-technology-101-2023/
※ 本件は、科学的根拠に基づく議論のため、ファンタジー要素を排除しています。 <リ
゚('
直接空気捕集(DAC): 1億トン/年の削減が可能(コスト:$1,000/トン)。
太陽光発電による脱炭素化: 2050年までに世界の電力を100%再生可能エネルギーに置き換える計画あり。
「技術の限界を超えて問題を解決する」のではなく、「現実の技術を最大限活用する」ことが重要です。
(例: イギリスの"Carbon Capture and Storage"プロジェクト)
そう聞いたとき、私は正直ぎょっとした。
私にとって論文とは、大学四年の冬に締切と戦いながら泣きそうになって書いたあの苦行の象徴だった。ワードがフリーズし、参考文献のフォーマットに何度も泣かされた。
ゼミの指導教には「増田君の考察はどこにあるの?」と詰められた記憶が今でもトラウマになっている。だからこそ「論文を書くのは楽しいぞ」と笑顔で言い切る知人には半ば呆れながらも残りの半分は感心した。
たとえば中上健次の小説を読み解きながら、その語りのリズムを身体の記憶として分析する。あるいはボルヘスやカフカを引用しながら、「言葉という迷宮」の中に潜り込む。
いわば、学問のフォーマットを借りた創作だ。彼のノートPCにはMendeleyで管理された文献リストが整然と並び、PDFの余白にはびっしりとコメントが書き込まれていた。
引用規則(APA第7版)を完璧に守りながらも内容は完全に趣味。その姿勢が実に格好よかった。
正直少しだけ惹かれた。そしてこの歳になると、少しだけ心を動かされるのは、それだけでも大ごとであると認識にするには十分な出来事だった。
先日になって思い立った。俺も久しぶりに書いてみるかと。
テーマは「ゲームとSFの相似について(仮)」にしようと思っている。
これは兼ねてから私が疑問に感じていたことであり、同時にゲームとSFを愛するが故に気付いた類似点でもあり、概要はこのようなものだ。
SF(サイエンス・フィクション)は、時代とともに未知の場所を変えてきた文学である。
1950年代。宇宙開発の黎明期、アシモフやクラークに代表される黄金期のSF作家たちは未知の惑星や異星文明を、理性と科学の力で征服できる対象として描いた。
宇宙船は拡張の象徴であり、人間の叡智は宇宙の限界を超えると信じられていた。
だが月に人が降り立ち、テクノロジーが現実のものとなるとSFの「未知」は急速に萎んでいった。
未知が科学で説明できるようになったとき、物語が頼るべき“遠く”は消えたのだ。
1970年代。ニューウェーブSFが登場する。J・G・バラードやフィリップ・K・ディック、スタニスワフ・レムらが描いたのはもはや銀河の彼方ではなく、人間の記憶。感情。夢。そして現実そのものの不確かさだった。
宇宙は外にではなく、内に広がっていた。こうしてSFは「科学の物語」から「意識の物語」へと変貌する。
80年代、ファミコン黎明期のゲームは“ルールと制約”の世界だった。プレイヤーはピクセルで描かれた小さな空間を右へ進み、敵を倒してスコアを競う。世界は狭いが、明確だった。
90年代以降、3D技術の進化とともにゲームは広がり『ゼルダの伝説 時のオカリナ』や『GTA』、『Skyrim』のようにプレイヤーが自由に世界を歩き回る「外的探求」の時代が到来する。
当時の開発者たちにとって、”より広く”そして”より遠くへ”という命題は、まさにSF黄金期の“外宇宙志向”と同義だったのではないか。
この“虚無の自由”は、SFが外宇宙の飽和を経験したときとまったく同じ現象である。
そこで新しい方向を示したのが、『DEATH STRANDING』『UNDERTALE』『The Last of Us』『NieR:Automata』といった作品群だった。
これらの作品は、プレイヤーに“何をするか”ではなく、“なぜそれをするのか”を問いかける。
それはまさしく、ニューウェーブSFが宇宙船を捨て、人間の心を航行し始めたのと同じ転換である。
かつてのSFが“内宇宙”という新しい宇宙を見つけたように、現代のゲームは広大なオープンワールドから本質的な面白さを求められる時代へと転回するべきではないのか。
そこではマップの広さよりも、プレイヤーの罪悪感、葛藤、共感といった感情の深さが物語を駆動する。
『Outer Wilds』のように記憶と観測の関係をプレイヤー自身に体験させる作品もあれば、『Disco Elysium』のように思考や信念そのものをステータス化する試みもある。
こうした潮流はゲームが単なる娯楽装置を越え、プレイヤー自身を観測対象とする“装置としての物語”になりつつあることを示している。
本稿では、SFの歴史における「外→内」の転換を参照軸とし、ゲームにおける自由・物語・主体性の変化を考察する。
その上でプレイヤーがいかにして“観測者=創作者”へと変容していくのかを明らかにしたい。
ゲームとは、かつてのSFがそうであったように、人間が“自分という宇宙”を探索するための新たなメディアなのではないか――
そうした仮説のもとに、ここから筆を進めていきたい。