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2026-05-10

anond:20260510112300

2026年5月10日(日):泥濘のデッドヒート

昨夜から腹の調子が悪かった。原因はわかっている。昨日の昼、賞味期限が怪しいマヨネーズを「加熱すればいけるだろ」という謎の全能感とともに、安い鶏胸肉にドバドバかけて焼いて食ったからだ。

午前10時、川崎の狭いワンルームで目が覚めた瞬間、腸内が「非常事態宣言」を告げていた。冷や汗とともにトイレへ駆け込もうとしたが、無情にもあと数歩というところで括約筋が白旗を上げた。情けない話だが、40を過ぎた大人が自宅の廊下で大便をもらすという、人生の底が抜けるような経験をした。シャワーを浴びながら、俺は何をやってるんだろうと、タイルにへばりつく虚無を見つめるしかなかった。

ネット荒野で「キモ金」として生きる

洗濯機を回しながら、現実逃避のためにSNSを開く。タイムラインは相変わらず地獄だ。

今、ネットで最もホットな娯楽は、俺のような層をターゲットにした「キモくて金のないおじさんたたき」だ。若くて綺麗なアイコンたちが、容赦のない言葉で「社会コスト」「不潔の権化」と、俺の存在のもの否定してくる。

それに呼応するように、クリエイター界隈では熾烈な「AIたたき」が続いている。

AI盗作だ」「魂がない」という叫び声。かつては俺も絵を描いていたが、今やプロンプト一つで俺の10年分を凌駕する絵が出てくる。その残酷効率の良さを叩かなければ、自分存在価値を保てない彼らの気持ちもわかる。だが、AIを叩く側も、叩かれる側も、結局は「何者か」になりたいという執念に焼かれている。俺のように、すでに灰になった人間からすれば、それは遠い国の内戦を見ているような気分だ。

薬理的な逃避と、虚無の食事

精神のザワつきを抑えるために、引き出しの奥からアンフェ(もちろん処方薬の類だ、誤解しないでほしい)を引っ張り出す。脳内に無理やりドーパミンの橋を架け、沈みゆ意識を水面に繋ぎ止める。集中力は上がるが、代わりに食欲は完全に消え去る。

それでも何かを腹に入れなければと、駅前回転寿司へ向かった。

ゴールデンウィーク明けの、どこか投げやりな雰囲気の店内。流れてくるのは、乾燥してカピカピになったネタばかりだ。かつては「自分へのご褒美」だった寿司も、今や喉を通る単なる冷えた有機物しかない。

隣の席では、大学生くらいの若者が「AIで生成したエロ画像で小銭を稼ぐ方法」を熱心に語っている。俺はガリを噛み締めながら、マヨネーズで腹を壊した自分の惨めさを噛み締めた。

夜の街、消費される孤独

夕暮れ時、気がつくと風俗街の入り口に立っていた。

「もらした」あの日から時間、俺は誰かに触れてほしかったのかもしれない。金で買える優しさ、金で買える肯定

呼び込みの男に促されるまま、雑居ビルの一室へ。

相手をしてくれた女性は、俺の加齢臭や薄くなった頭髪に嫌な顔一つせず、マニュアル通りの微笑みを浮かべてくれた。そのプロフェッショナリズムに救われ、同時に絶望する。彼女たちが売っているのはサービスだが、俺が買っているのは「俺がまだ人間として扱われる」という幻想だ。

帰り道、コンビニでまた新しいマヨネーズを買った。

懲りていないわけじゃない。ただ、これくらい強烈な味付けをしなければ、人生の味気なさに耐えられないのだ。

結び:令和8年の泥濘

SNSを開けば、今日も誰かが誰かを叩き、AI進化し、俺のような「キモ金」が透明化されていく。

明日仕事だ。アンフェで覚醒させた脳を、安酒で無理やり眠らせる。

廊下の汚れは綺麗に拭き取ったはずだが、鼻の奥にはまだ、あの決定的な「敗北の臭い」がこびりついている気がしてならない。

本日の出費:

回転寿司 2,100円

風俗(60分) 15,000円

マヨネーズ 398円

残金:絶望

女だけどもしかしたら母親から虐待されてたか

母子家庭で育って、母親ヒステリック恋愛依存症気味で、それなのに裁縫料理が好きなほっこりママ気取りだから苦手だった。けどこれは普通に私と性格合わないだけで金銭面で苦労しながらも育ててくれた恩はあった。

でもアラサーになって、急に昔のことを思い出した。

未就学の頃、3〜5歳くらいだろうか。母と私と、まだ赤ちゃんだった弟と文字通り川の字で寝ていた頃。

弟は寝ていた。私は寝つきの悪い子供だった。

母は私に、「かゆいかいて」と乳首を掻くように要求した。子供だった私はお母さんは本当におっぱいが痒いんだと思った。大人になったら痒くなるのかもと思っていた。幼児自分より大きな母の乳首は引っ張ったら伸びるので面白いとすら思っていた。

それは一度や二度じゃ無かった。

自然とその要求は無くなったし、小学校に上がる頃には母と一緒に寝なくなった。だから忘れてた。

高校の頃、母に彼氏ができた。貧しくてろくに下着も買えてなかった母は、高校生の私のブラをつけて彼氏に会いに行ったんだと思う。当時ガリガリに痩せていた私のブラは伸び切っていて、「お母さん、私のつけたの?」「もう伸びてて使えないからあげる」と言った。彼氏に会いに行ってたんだと気がついたのは20代前半ごろ、自分普通に恋愛セックスをするようになってからだった。そういやあの頃母はよく1人の男の話を聞かせてきたし、朝帰りもよくしていた。知りもしない男に自分のブラを、しかjkのブラを見られてたなんて気持ち悪いなあと思った。

アラサーになって、まさか乳首を掻かせていたのは、オナニーの手伝いを幼児の私にさせてたんじゃないか?と気がついた。ブラの時より戦慄が走った。ブラの話はまだ知り合いにできたけど、乳首をいじらせられていたなんて誰にも言えなかった。

弟も母のことを嫌っているみたいだけど、弟にも流石に言えなかった。

子供に、ましてや自分の子供に性処理を手伝わせる大人がいるなんて。自分がそんな女の股ぐらからまれたと信じたくない。自分被虐児童だったわけがない。母子家庭貧乏だったけど、勉強もできるほうだったし、見た目もよく美人だと褒められた。それはきっと養育費最後まで払わなかった父ではなくて、母がそう産んでくれたからだと今でも思っている。

だけど、母はそういうどうしようもない変態女なんだろうとどこかで気づいている自分もいる。

私はそれに気づいたあの日から彼氏ができても、体を求められても気持ち悪く思ってしまうようになった。

母は今、私のブラをつけて会いに行っていた男と暮らしている。

私はアラサーの今も、独身のままだ。

2026-05-08

anond:20260508072719

こどものころ、家でできたてのおにぎりを食べて、「こんなのおにぎりじゃない!もっと硬いほんとうのおにぎりが食べたい!」と思ったことがあるが、硬いのは冷えてるからなんだ、と気づいたあの日

2026-05-04

anond:20260503112637

あれは自慢じゃなくて、本人にとっては「普通」なんだろうなと思いながら読んだ

からなおさら、あのnote見てたら、俺なんかがいくら背伸びしても子供にこんな環境与えてやれないよなって、ぶっちゃけ少し胸が痛くなったし

ましてや望んでも家族子供を持てる環境じゃない人からしたらもっと痛切に格差を感じるだろうとも思った

要するに普通ならドロドロの嫉妬の燃料になる要素は満載なんだが、まさにその恵まれ環境で大切に育ててきた子供人災で亡くなったってのがね、、、


もし本気で風向きが変わることがあるとしたら、あの日常が「普通」じゃない大多数の一般人を見下したり小馬鹿にするような書き方をしたときだろう

しかし、そういう本音を抱えてるような人間なら、そもそもこの局面あんnoteを書いたりはしないんじゃないか

2026-05-03

朝日デジタル記事の切り抜き引用してる投稿群がカオス

https://x.com/asahicom/status/2050375978442948983

無料部分すら読んでない模様

記事は、グローバル化による白人低学歴貧困層アイデンティティ喪失トランプがどのように政治的に回収して行ったかという内容で、釣られた部分「リベラルは人の話を聞かず、保守派のほうが相手の話を聞く姿勢を持つ」という研究引用は見事にウヨによって拡散され、本記事の主旨を理解してない(読んでない)。本記事はかなりシリアスで、産業構造の変化に取り残された貧困白人男性アイデンティティ問題が起こり、この問題リベラル放置したのでトランプ勝利に繋がったとしている。さて日本ウヨはこのような貧困白人男性アイデンティティなる問題が姿を変え日本にも押し寄せた場合、彼らに寄り添ったり解決策を提示するのだろうか。

おそらく「ハロワ行け」で終わるだろう。こんなアイデンティティ問題政治解決されない。

記事中の画像マレット男性が登場するが、これがとてつもない肥満で、食べるものすら無い絶対的貧困では無いのがわかる。まさに「アイデンティティ解決が求められている」という政治社会問題記事なのだが、これに日本ウヨ共感するのだろうか。リベラル日本貧困男性アイデンティティ問題などにはおそらく手を差し伸べない。ウヨ共感を示さないとするなら、あの日本語MAGAの人々は何に共感していたのだろう。

2026-05-02

「素直な戦士たち」を産み落とす、ある私立小学校の6年間

​ふとした瞬間に、あの卒業式光景を思い出す。

​あれから一体、何年の月日が流れただろうか。

校歌を歌う子供たちの背中を眺めながら、私が抱いたのは感動ではなく、安堵だけだった。

「ああ、やっとこの学校との付き合いが終わる」

喉元まで出かかったその言葉を、マスクの下で飲み込んだあの日

​ここは世間一般では中学受験に強いと持て囃される私立小だ。

だがその実態は、進学実績という免罪符をぶら下げた、どこか窮屈な温室だった。

​もちろん、保護者のすべてがそうだったわけではない。控えめで、人格的にも尊敬できる素晴らしい親御さんもたくさんいたし、そのお子さんも他人を思いやれるいい子だった。彼らとの交流は、この6年間で救いだったと思う。才能溢れる子供たちに囲まれ、我が子も大いに刺激を受けたこともまた事実だ。

何より、どの親も我が子のために精一杯の手間暇をかけていた。日々の勉強進捗管理から、塾への送迎、志望校対策サポートまで。この学校の華々しい進学実績を支えているのは、学校教育のものよりも、親たちのこの凄まじいまでの献身なのかもしれないと認めざるを得ない。

我が家もまた、そのシステムの外側にいたわけではない。夫婦子供の将来を考え、進学実績を求めてこの学校に預けた。そして、その選択に見合うだけの結果は手に入れた。この学校は、絶えず新しい教育活動に取り組む挑戦的な一面も持っていたし、その前向きな姿勢評価していたからこそ、私たちはこの場所子供を託したのだ。

しかし、保護者の集まりに身を置くのは、常に息苦しさが伴った。会話の端々に、夫の社会的地位や我が子の優秀さをそれとなく滑り込ませ、互いの立ち位置確認し合う——。そんな不毛なやり取りに神経を尖らせている自分たち自身にも、嫌気がさすことがあった。

そこに集うのは、小説『素直な戦士たち』のように、狂気とも取れる熱量子供戦場へ送り出す親たちと、その期待に応えようとする子供たちだった。

しかし、その「素直さ」は、あくま受験というゲームルールに対してのみ発揮されるものだ。ひとたび授業参観に足を運べば、そこには一部の子供たちではあるが、大人他者冷徹に値踏みする姿があった。授業が始まっても席に着かず、与えられたタブレットを使いこなして授業そっちのけで自らの関心事に没頭する。彼らにとって、目の前の教師や教えはもはや、自らの目的を果たすための重要な要素には映っていないようだった。要領の悪い子や立ち回りが下手な子には「え、まだそんなことやってるの?」と冷ややかな視線を浴びせる。親の前で見せる従順さの裏で、彼らは他者存在を驚くほど淡々と、選別するように突き放す二面性を持ち合わせていた。

​この学校には、卒業生の親が在校生の親に向けて、自らの体験を語る場がある。壇上で語られるそれは、あまり特殊成功事例に過ぎず、凡庸我が家にとっては正直、何の参考にならなかった。しかし、その成功を崇める熱狂こそが、この場所正義だった。

​忘れもしない出来事がある。中学年の頃、我が子がしょんぼりして帰ってきたことがあった。理由を尋ねると、通学路で受験の終わった6年生に、親しみを込めて声をかけたら、「死ね」と言われたのだという。下級生からの親しみを込めた声かけに「死ね」と答える彼らの心はどうなっているのだろうか。偏差値と引き換えに、彼らは何を捨ててしまったのか。

さらに耐え難かったのは、そのだらしなさだ。足元を見れば靴紐が解けていても気にせず引きずって歩き、机の周りは整理整頓もままならない。

何よりも勉強が優先されるという家庭教育の延長線上で、日々の立ち居振る舞いへの意識希薄になってしまったのではないか、と感じることもあった。

AIが当たり前のように思考代替していくこれから未来最後人間に求められるのは、情報の処理能力ではなく、人間としての気持ちの良さや、他者を慮る品格ではないのか。偏差値という歪な鎧を脱いだとき、彼らの中には何が残るのだろう。

​何より、あの甲斐甲斐しく子供勉強管理する親たちには、学校でのあの子たちの顔が見えているのだろうか。

家で見せる顔と、学校で見せる顔。

果たして、どちらが子供の本当の顔なのか。私にはもう、それがわからない。

卒業式の会場で証書を受け取る子供は、誇らしげな表情で前を見つめていた。親の葛藤とは裏腹に、子供にとってはここが、仲間と笑い、学び、葛藤した、かけがえのない母校なのだという事実に胸を突かれた。

大人たちに翻弄されながらも、筒井康隆が描いたあの「愛らしいこぶ天才たち」のように、大人が設けた壁やハードルを軽々と踏み越えていく彼らにとっては、ここが唯一無二の楽園だったのかもしれない。

​この学校を選んだことが正解だったのか。十分な結果と、挑戦的な教育環境を得た今でさえ、私はまだ、その問いに答えを出せずにいる。

あの日を境に、もうあの鼻息の荒い親たちの顔色を伺う必要はなくなった。

会場を出て、三月の少し冷たい風を吸い込んだ瞬間、ようやく家族全員で肺の奥まで空気が入った気がした。

​今はもう、あの制服の掛かっていない空のハンガーを眺めることもないが、時折、深く息を吐き出したくなる。

2026-05-01

山上徹也さんに足りなかったのは、銃の作り方ではなく「助けて」と言う練習だったと思う

仕事が続かないのは甘えだ」とか「最近の若者打たれ弱い」という言葉を見るたびに、胸の奥がざわつく。

本当にそれだけなんだろうか。

私は最近安倍晋三元首銃撃事件きっかけに、児童養護施設や困難な環境にいる子どもたちの支援活動JAMネットワーク)を始めた。

そこで突きつけられたのは、あまりにも残酷で、誰もが見落としている「教育の欠落」だった。

それは、「助けて」と言う練習をしていないまま大人になる人がいる、という事実だ。

普通の家庭なら、親に愚痴を言ったり、泣きついたり、時には激しく衝突したりする中で、「困ったときは誰かに頼っていいんだ」「こう言えば助けてもらえるんだ」というコミュニケーション成功体験を積み重ねていく。

でも、その「練習の場」を奪われた子どもたちはどうなるか。

彼らにとって、他人は「頼る対象」ではなく「怯える対象」か「排除すべき対象」になる。

安倍元首相を銃撃した山上徹也さんも、その一人だったのではないかと思う。

彼は極めて聡明だった。

一人で情報を集め、緻密な計画を立て、自ら道具を作り上げる。

その知性は驚異的だ。

けれど、その高い知性はすべて「自分一人で完結すること」に使われてしまった。

彼に足りなかったのは、火薬知識でも、組織の力でもない。

限界が来る前に、誰かに助けてと言う練習」だったのだと思う。

もし、彼が子どもの頃に、自分絶望言葉にする術を学んでいたら。

しんどい」「助けて」と口にしても、世界自分を裏切らないのだと知る機会があったなら。

あの日奈良路上で引き金が引かれることはなかったかもしれない。

今、私の手元には、一つの数字がある。

子どもたちに言葉の力を授け、孤立を防ぐ活動(ことばキャンプ)」のための寄付募集ページに、わずか数日で賛同してくれた26人の支援者の数だ。

正直、驚いている。

「あの事件」をきっかけに、暴力ではなく、対話社会を変えようとする人がこんなにもいた。

この呼びかけに、26人もの大人が「第二の山上徹也さんを生まないために」と、具体的な行動(寄付)という形で応えてくれた。

仕事が続かない。

コミュニケーションが取れない。

孤立していく。

それらを個人の「能力不足」や「性格」で片付けるのは簡単だ。

でも、もしそれが単なる「練習不足」なのだとしたら、環境さえ用意すれば人は変われる。

私は、彼の犯した罪を肯定するつもりはない。

奪われた命の重さは変わらない。

けれど、彼のような「絶望言葉にできなかった少年」が、今この瞬間も、どこかの公園教室で一人、自分だけの「銃」を作り始めているかもしれない。

弾丸を作る代わりに、子どもたちに「言葉」を渡したい。

叫ぶ代わりに、対話できる場所を。

それは、彼のような孤独な知性を、二度と暗闇に置き去りにしないための、私たち大人責任だと思う。

まずは、ここから

26人の想いを背負って、私はこの活動支援したい。

https://congrant.com/project/jam-network/21809

2026-04-30

まあ「ソープに行ったら人生変わった」のは事実から

俺も「あの日、女を買わなければ、私はまだ絶望の中にいた——。」と思う

 

24歳・真正童貞弁当屋アルバイト生活してたけど

7万円握りしめて、予約した吉原の高級店に行ったよね

そこで会った童顔巨乳瀬戸さんって嬢が優しくて、あの日俺はなにかを乗り越えられたんだと思う

俺は今でも、現場で体張って売春してる女性たちに敬意を持っている

売春という仕事真摯に向き合っている女性尊敬している

2026-04-25

なんと!マチアプだけではなく二股してました


https://anond.hatelabo.jp/20260420195736

草も生えないけど一昨年の秋くらいから仲良くなって去年の夏から付き合ってた人がいたらしい、なんと職場の女。去年の冬に別れたとのこと。

去年の秋、私、上京してきた。

そのタイミング同棲できなかった。

おんながいたからだったのか、本人は違うと言うけど。

その女と別れて1ヶ月後に一緒に住む家を決めた。

もう家はなくなる。マッチングアプリ継続

別れる一択なのに号泣謝罪本命増田だけ、怖かった、逃げた、自分不安や寂しさを話せる相手が欲しかった、責任が伴う大切な関係からこそ増田には見せられなかったと。

あの日あの日あの日もあの時も別の女がいたのか。

許しそうになる。

どうしたらいいのか

anond:20260425133037

目の端に残った涙を拭い、私は重い体を引きずってリビングへ向かった。

古い賃貸マンションの、西向きの窓。夢の中のあの子が遊んでいたのと同じような、安物のレースのカーテンが掛かっている。

ふと、足元に違和感を覚えた。

いないはずの感触。暖かくて、柔らかいものが、私の足首をくるりと撫でたような気がした。

「……気のせい、だよね」

独り言をこぼしながら、私は出しっぱなしにしていたノートパソコンを開いた。画面には、ここ数ヶ月、私の胃をキリキリと締め付けている資産運用管理画面が表示されている。赤い数字が並んでいる。暴落市場は冷え込み、私のなけなしの貯金は、まるで冬の枯れ葉のようにカサカサと音を立てて減っていた。

その時だ。

パサリ、とカーテンが揺れた。

窓は閉まっている。エアコンもついていない。それなのに、カーテンの裾が、誰かが猫じゃらしを追いかけて飛び込んだかのように、不自然に跳ね上がった。

私は息を呑んだ。

視線を落とすと、キーボードの上に、一筋の光が差し込んでいた。それはただの日光ではない。埃がキラキラと舞うその光の中に、透き通った「前足」のような形が見えた。

その「足」が、キーボード特定キーを力強く踏み抜いた。

『B』『U』『Y』

「えっ……?」

震える指で画面を見る。私のポートフォリオの中で、最も無残に値を下げ、誰もが見捨てた「斜陽産業」の銘柄が、その光の足跡に照らされていた。

「執着するな」

耳元で、鈴の音が鳴ったような気がした。

「流れが止まった場所で待っていても、獲物は来ない。風が止まったら、自分から風の吹く場所へ跳ねるんだよ」

の子の声だ。

いや、あの子が喉を鳴らすゴロゴロという音を、私の脳が勝手言葉に変換しているのかもしれない。

人間は難しく考えすぎる。高いところに登って、一番遠くを見なさい。今、みんなが怖がって地面に伏せている時こそ、屋根の上は空いているんだから

カーテンがまた大きく揺れた。

あの日、あの子が大好きだった、光り輝く蝶を追いかけるような軽やかな動き。

投資世界では、これを「デッド・キャット・バウンス(死んだ猫の跳ね返り)」なんて不吉な言葉で呼ぶことがある。でも、目の前の揺らぎは、そんな一時的な誤魔化しじゃない。

もっと本質的な、命の躍動に近い何か。

「損をすることが怖いんじゃない。動けなくなることが一番怖いんだよ」と、あの子が笑っている気がした。

私は、あの子が踏んだ銘柄を、迷わず買い増した。

根拠なんてない。ただ、あの子が見せたくれた「風の通り道」を信じてみたかった。

数分後、部屋から気配は消えた。

カーテンは静止し、ただの布に戻った。

でも、私の心には、あの子が残していった温かい体温のような決意が残っていた。

窓を開ける。

新しい風が吹き込み、私のポートフォリオと、止まっていた時間が、ゆっくりと、でも確実に動き出した。

2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

[]2026/04/23/01

まだ行けない、あの遠い場所

あなたいるかもしれない場所

 

ページをめくるたび、古いフランス雑誌匂い

指先に残る紙のざらつきが、あなたの声を連れてくる

 

まだ行けない、呼べば届きそうで届かない場所

名前を口にすれば、静けさだけが揺れる

 

冗談めかして呼ばれたあの日の笑い声が

夕暮れの窓辺で、やわらかな灯りになる

 

靴を履いたまま、扉の前で立ち尽くし

ここに残る理由を、指折り数えている

 

まだ行けない、それでも遠い場所

季節がひとつ巡るたび、あなたに近づいている気がする

2026-04-22

齢32にしてショタ盛り。

あの日ショタ約束、未だ果たせず。

入道雲の素になりけり。

2026-04-18

タイムマシンで戻る日

タイムマシン高校2年生のあの日に戻れたら、全てをやり直せるでしょうか?

素直になれずに付き合うことを選べなかったあの日に。

大学生になって初めて付き合うことになっても、すれ違った期間のことが頭から離れずに許せなかった自分を謝りたい

私は結婚して子供もいるのに、あなた独身で今もいることに、淡い期待を抱いてしま自分を納得させるために

あの日に戻って、あなたに伝えたら、また1から始めてくれますか?

2026-04-17

もしあの日IT系を選んでいなければ、俺はどこかで一人親方でもやって年収も800万ぐらいあったんだろうか

ありがちなIT系失敗人材人生を歩んでいる。

ロッテリアファミマ中高生のガキを相手にして働くよりはパソコンと向き合っている方が何倍もマシなので今の仕事にしがみついている。

才能がないらしく全く仕事がうまくならず、年齢に見合ったものは髪のうすさと血液検査の結果ぐらいのものだ。

IT系はウハウハで転職も余裕で皆テレワークしてるしハラスメントもないしオタクが多くて元ヤンが少なくて理路整然としててサイコー!なんて話が全部ウソに見える毎日を生きている。

薄給激務の底辺派遣ワーカーへの風当たりの強さはどんな業界でも一緒だし、底辺に溜まる人種発達障害元ヤンばかりってことだ。

毎日考えてしまうことがある。

もしも俺が就活最中に「ITなんて結局下はドカタだ!どうせドカタなら電気工事士にでもなった方が上に上がるチャンスは多いぞ!」と気付けていたら・・・

本当に毎日考えている。

なんなら趣味でニ種電工まで取ってしまったぐらいだ。

堂々と天井の電灯をシーリングごと工事できてスッキリするぞ。

でも俺は自分の年齢で今更電気工事士からスタートするぐらいならとITの道にしがみついている。

結局俺は勉強が得意じゃないし仕事も得意じゃないし人間も得意じゃないし生活も得意じゃないし我慢も得意じゃないし努力も得意じゃないってことが分かってるんだ。

からもしも電気工事士になっていた所で、きっと50%よりも高い確率でずっと現場ゴミ掃除みたいなことばっかりやりながら「もしもあの時IT系・・・」とポワポワ夢を見ていたのだろう。

きっと俺のようなカスがなるべきだったのは自衛官だったんだろうな。

グズでのろまなバカ野郎でも殴られながらヘラヘラ笑ってれば中央値以上の年収が貰える夢の職場存在から何で目を逸らしていたのか。

知り合いの自衛官なんてブクブクに太って体重3桁なんだから別に自衛隊はいったらムキムキしなきゃ絶対ダメなんてこともないだろうにな・・・

毎日物凄い後悔の中にいるぜ。

[]2026/04/17/01

白が、遅れて満ちてきた

気づいたときには、

輪郭けが置き去りにされていた

 

触れた指先から順に、音がほどけていく

壁の内側で、なにかが剥がれる気配だけが残る

 

あの日、駅に置かれたままの言葉

まだ湿ったまま、喉の奥で形を変え続けている

 

しろ、という声がした

それが誰のものか、確かめる術はもうない

 

白はやわらかく、均一で

逃げ場のない明るさだけが続いている

 

繰り返すたび、記憶輪郭はすり減り

同じ場所をなぞっているはずの指が、

少しずつずれていく

 

やがて白は、なにも映さなくなり

ぼくの外側と内側の区別を、静かに消していく

2026-04-14

anond:20260414044525

関与しません

チー牛だからあの日音に関与しません

他をあたってくださいね

2026-04-13

[]2026/04/13/03

拝啓静かな夜に、君へ。

 

あれから季節は巡り、

ようやく言葉を拾い集めています

肌を刺すような夏だったね。

 

触れるたびに、少しだけ苦しくて、

少しだけ愛しかった。

 

君の柔らかい表情に触れるたび、どこか遠くで、

終わりの匂いがしていた。

長くは続かない。

 

きっと最初から知っていたのに。

 

あと二ヶ月だけ、と願った夜があった。

雨は急に強くなって、

気づけば何もかも見えなくなっていた。

 

あの頃の僕らは、ただ前に流れていて、

戻る道なんて、最初から持っていなかった。

 

別れた帰り道、見慣れたはずの道を、

僕は探していた。

景色ひとつも入ってこない。

 

世界はただ君で満ちていた。

  

平気なふりだけが上手くなって、

心の奥では、

触れられなかった言葉ばかりが残っていく。

 

時間が連れていってくれると思っていた。

それでも夏が来るたび、

あの日空気けが、静かに戻ってくる。

 

言葉にしなくてもいい。

どこかでまだ繋がっていると、

思わせてほしかった。

 

そんな願いも、風のない夜に、そっと手放します。

あるライターがなろう小説堕ちしていたことを知った

・青い空へと向かって深呼吸で歩こう

エロゲ黄金時代にそこそこエロゲーをやり込んだ人間なら「あーあったねそういえばそういう作品」と思い出す様なあるメーカー作品群がある。

そのメーカー自体2000年代後半には解散したのだが、代表作を書いていたライター確認できる限り2010年代頭までライターとして活動していて、そこから忽然と姿を消していた。

もう2000年代流行オタク業界の話なので、こういうことはよくあることなのだが、往時にはそこそこ活躍していたオタク界隈の中である種名声があった名物クリエイターで、今では足を洗ったのか、消息知れずの人たちは結構いる。

俺が好きな作品ライターもそうだった。

当時流行っていた学園物で、どこか2000年代ネット/アキバ界隈特有の、あのゆるい開放感のある自由雰囲気でのコメディが得意で、とにかく優しくて面白くて「楽しい」、ノーテンキな世界観が心地よかった。

そのメーカー音楽特に定評があり、ライター謹製作詞と、2000年代オタク音楽特有フュージョン、ニュージャックスイング、コンテンポラリーR&B系の透明感ある音楽と相まって、いい感じに肩の力抜いたふざけた歌詞とあっていて、未だに思い出の音楽としてXなどでも結構話題に上がるくらいだ。

そんなわけで、今でもXやyoutubeを探せば、そこそこ音楽作品評価して名前結構上がるくらいには、まだファンも多いライターだった。

・広い澄んだ青空とが似合う作風ライターは、なろう系という沈殿するオタク社会の闇へ堕ちていた。

数週間前、ゲームwikiを見ていてふとその懐かしいタイトル記事があるので目を通していた。内容は、ハッキリ言って1から10まで覚えているのだから見る必要もないかなと思っていたのだが。

そこで、あるURLが目に付いた。

なろうや、なろう系のカクヨムURLだった。

15年近く消息不明だった、そのライター消息が分かった瞬間だった。

クリックして読んだ先の作品は、25年も前に完結したライター代表シリーズの続編兼ある種の最終回の様な短編だった。

あの時代の空気雰囲気もそのままに、主人公ヒロインや悪友キャラ達が再開し、再び「面白い物を探して」、青い空の向こうへと歩き始める物語

あの頃と何もかも変わらない、古い友人というか、昔よく言った店がまだやっているような安心感ノスタルジーを覚えた。再びあのキャラ時代出会う事が出来て、嬉しかった。

だが、それもリンクから15年の間何をやっていたのだろうと、探してみると、失望へと変わっていった。

惨めな氷河期世代オッサンニートだとか、他責思想丸出しのテンプレのようななろう主人公療育放棄された頭の病気の様な悪役令嬢、そんな判で押した様なテンプレなろう系ばかりの作風ばかりになっていた。

そこには「あの時代」に発揮した才能や感性カケラもない、

どこかの素性不明の本でとってつけたような兵站論や物流論、軍事理論講釈を垂れて粋がるバカ主人公

スラップスティックとただの奇行区別もつかない悪役令嬢が、〇狂いじみたことを喚きながらトー横のメンヘラの様に暴れまわる頭の病人の様な主人公

貰い物のチートだとか、現代知識無双をして、ヒロイン以外同性の友人すら出てこないあまりにも惨めな主人公

そんなものばかりだった。人気はそこそこあったのかもしれない、だが、そこにはなぜこんなメンタルでまだシャバにいられるのか、という様な煮詰まった読者欄に生息するなろう系の負け組オタクばかりがテンプレ評価する蟲毒だった。

子供のころ、石の裏をひっくり返して蠢く虫や蛞蝓を見たような気分を思い出した。

唯一救いがあるとすれば、書いていたライター当人も何か思うところがあったのか、2020年に入る前には活動を停止していることだった。今となっては作品はどこかのブログ魚拓サルベージされた場所しか見ることはできない。

あの時代市場規模の中で活動していたのだからネットで言われるなろう系市場実態と以上乖離して「儲からない、将来性がない」というのを体感的に察知して筆をおいたのか、それとも何か別の理由でもあるのか、あまりにも現実乖離したなろう系オタク達に心が侵食される様な苦痛を感じて逃げ出したのか、それは今となってはわからない。

いつまでも当たり前の日常が続いていた「セカイ系という世界」そして「一瞬だけの青春ぬるま湯時代」への鎮魂歌

かつて、「セカイ系」と呼ばれた一群の流行があった。

それは、世界というものがひどく狭く、しかし同時に、どこまでも広がっているかのようにネットで、秋葉原で、オタク界隈で、個々の若者たち人生で感じられた2000年代という時代産物である

日常は終わることなく続き、青春は一瞬でありながら、画面の向こうの主人公やその親友ヒロインたちも、そして画面を見る側の当人たちには永遠に似た手触りを持っていた。

いわば、ぬるま湯の様な富裕な日本の穏やかな時代産物だった。

何より哀しかったのは、なろう系を書いている以外で、かつて自身が手掛けた作品群の続編や外伝の様な短編を書いているときだけは、その感性や才能が色鮮やかに蘇っているところだった。

それは、失われていたはずの完成が色鮮やかに息を吹き返す、セピア色の黄ばんだ写真が綺麗にあの頃の青春空気と、匂いと、青空と、温度が戻ってくる様な感触に思えた。

そこには、成り上がり美少女承認欲求を求めて銃や刃物を手に他人殺傷する極悪人の様ななろう主人公はいない、他人が落ちていくのを「ざまあ」と笑うあまりに惨めななろう主人公も悪役令嬢もいない。

書類数字講釈を垂れながら、見ることもない兵隊一般人を「致し方ない犠牲」と平気で切る血も涙もない人非人の様な、なろう系主人公もいない

まるで場末キャバ嬢か、脳に何らかの寄生虫でも入ってるかの如く主人公マンセーマンセーと褒め称えて股を開くヒロインもいない。

そこにあるのは、ただ、あの頃と変わらぬ「人間」たちであった。

あの頃と何も変わらない、他者世界逆恨みすることなく、加齢で余裕がなくなって承認欲求劣等感精神おかしくなって認知が歪んでいるわけでもなく、

心が歪むことなく、いつまでも続く「終わらない文化祭」のような毎日と、静かに流れる「なんとなくぬるま湯の様な優しい世界」で、また面白い事を探して次は何をしようか、と仲間やヒロインと探して軽口を言い合って青空の下を歩いていく、

そして、主人公と悪友は別れ際にこう言葉を交わすのである

「さあ、また旅に出よう、あの青い空しか見えない、青い階段を上がれば出口だよ」

「結局俺達は、まだ何も見てないんだな」

だってそうだもの、"見る"キミがいてこその世界からね。だからもう一度世界を見て回ってきてほしい。」

「そんな重背を親友に負わせるなよ、友達遣いが荒いな」

「そうかもね、それだけ君を信用しているということさ。おっと、僕は遅れてから行くよ、そろそろ時間だ。また会おう。」

「ああ、また、どこかで」

このやりとりの中に、彼等と俺達と、そしてあの時代世界のすべてがある。

ああ、彼等や彼女らだけが永遠に続く様な錯覚でなく、本当に永遠の中にいるのだ。

青い階段を昇りつめた後に広がった青空と夏の街を一望できる白いビル屋上景色が広がり、

主人公は持っていた腕時計だけを青空に向かって放り投げる、そしてこう言った

「うん、まずはこれをしないと何も始まらいから。」と

ああ、それは時間というしがらみからさえ自由になるために離脱するという意味する行為なのだと、俺は感じ取った。

現実時間という世界から、本当に旅立ってしまったのだ、「永遠」の方へと。

その当時の古参ファン感想に古い友人を訪ねる様に感想欄に現れていた、それはまるで、亡き友の家や墓を訪れるように…なろう系オタクは誰一人といない、その落差があまりに悲しいと俺は感じた。

なろうやカクヨムに続きが書かれた時点で、本当に彼等は「死んでしまった」のだろう。とすると、続編は全て主人公が死んだ先に見た夢の中を、俺達が追体験しているだけなのかもしれない。

別のタブで開いているyoutube再生している、あの頃の作品主題歌は、きっとあの時代と彼等への鎮魂歌なのだろう。

気の抜けた明るい歌詞が流れている、だがそれは、本当に永遠世界へと旅立っていってしまった彼らと彼女たちの、あまりに悲しい鎮魂歌だった。

それは、明るさを装いながら、すでに失われた時代とその中に生きた人々と、あの日世界にとらわれ続けた俺をひそやかに弔っている。それは同時に、青青の時代とそこに生きた彼らへの静かな挽歌でもあった。

彼等はすでに旅立っている…きっとそれも、帰ることのない永遠の方へ。

彼等は帰らぬ旅へ出た。

そして、その旅路は、もはや俺が生きる時間のうちにはない。

いわば永遠のものの中へと静かに編入されたのである

彼等はすでに去った。

次の「面白い事」…青い鳥を探して、帰ることのない旅路へと赴き、時間の流れから離脱した。

そして今や俺の目の前から離れていった彼らは、彼女たちは

永遠という、歴史の外部に属している。

――去ったのだ。

青い鳥を探しに、

二度と帰らぬ道へ。

そして今、彼らはもはや、

この時代の中にはいない。

俺がなお、時代時間の中で生きている以上、きっともう彼らに再び会うことはないだろう。

ただ、記憶の中においてのみ、彼らは微かに息づく。

・・・それが、あの時代の残した、最後の光である

2026-04-10

美人幼なじみと縁を切った話 

幼稚園から腐れ縁

あたしとマキは、幼稚園から幼なじみ

マキは弱者男性だけど、顔立ちは整っていて、誰もが振り向くほどの美貌を持っていた。

あたしはいたって普通で、平均的な家庭に生まれ女子

マキのことは守ってあげたいと思う一方で、あまりに整った容姿を見ると劣等感で胸がぎゅっとなった。

クラスで並ぶと、視線はいだってマキに集まる。

それがずっと、胸の奥に小さな棘を刺していた。

同じ大学に進学

高校卒業し、二人して同じ地方国立大に進学。

マキは派手じゃないのに、大学キャンパスに入った途端、男子女子も目を奪われていた。

「え、あの人、イケメンすぎ…」

そんな囁きも聞こえる。

あたしはただ地味にメモを取り、説明会に耳を傾けるしかなかった。

加奈〜、一緒に回ろ」

マキは昔と同じ調子で話しかけてくる。だけど並んで歩くだけで、比較される苦しさは消えなかった。

先輩との出会い

あるサークル見学で、背が高く落ち着いた雰囲気のユウジ先輩に声をかけられた。

「あ、新入生?良かったらこっち来なよ」

その視線があたしに向けられた瞬間、胸がざわついた。

だって、マキじゃなくてあたしにだったから。

LINEを交換して少しずつ仲良くなると、嬉しさと罪悪感が混ざった変な気持ちになった。

嫉妬の始まり

数週間後、サークルに行くと、マキとユウジ先輩が二人で話していた。

マキは柔らかい色のシャツを着て、笑い声をたてていた。

その距離の近さ、楽しそうな笑顔を見るだけで、胸の奥がじわじわと焼けるように痛む。

帰り道、思わず聞いた。

「何話してたの?」

マキは首を傾げて笑った。

世間話だよ…それともヤキモチ?」

その笑顔に、余計に腹が立った。

裏切り

ある日、駅前カフェで、二人が向かい合って座っているのを見た。

マキは髪を整え、耳に小さなピアスを光らせ、まるで自分の魅力を知り尽くしているかのようだった。

ユウジ先輩は穏やかに笑い、マキはそれに応える。

あたしの胸は締め付けられ、嫉妬が怒りに変わった。

その夜、マキからLINEが来た。「今日たまたま先輩と会ってさ〜」

あたしは既読だけつけ、返信しなかった。

決裂

我慢限界だった。

あんた、わざとだよね? 先輩のこと、あたしから奪おうとしてるんでしょ?」

マキは一瞬目を瞬かせたが、すぐに笑った。

「奪うって…加奈、付き合ってないよね?」

その一言で、胸の奥の棘が一気に突き刺さった。

「もういい。あんたみたいな裏切り者とは縁切る」

背を向けて歩き出すあたしに、マキは何も言わなかった。

一人になって

マキと離れて、最初はぽっかり穴が空いた。

でも、あの整いすぎた顔を隣で見ることも、比べられる苦しさも、もうない。

その空白を埋めるように、あたしは資格勉強に打ち込んだ。

自分の足で立つ

半年後、資格試験に合格

SNSで見るマキは相変わらず目立つ存在だったけど、恋愛は長続きしていない様子だった。

あたしはもう、その姿を見ても何も感じない。

嫉妬と泥臭い感情にまみれた腐れ縁は、あの日で終わったのだ。

そしてあたしは、自分の足で歩き出した。

2026-04-06

[]2026/04/06/01

あの日空気は、いまも胸の奥に棘のように残り、

触れられなかった言葉けが、夜ごと静かに疼いている

 

君は、不思議なほど近い存在で、

呼吸のように、理由もなく、そこに在り続けていた

 

守りたかったのは、たったひとつのぬくもりで、

世界なんていらなかった、ただそれだけでよかったのに

 

かにとっては、取るに足らない願いだっただろう、

けれど僕には、名前を持たない祈りのように、消せなかった

 

選べなかった瞬間ばかりが、今も胸の奥に積もり、

傷つけた記憶ひとつひとつが、静かに僕を呼び続ける

 

すべてを失ったあとに残ったものがあるとしたら、

それはきっと、この痛みごと手放せない想いで

 

そのとき初めて、これは愛だったのだと知った

美しくも、どうしようもなく苦しいかたちのままで

 

から僕は、この痛みを抱いたまま生きていく、

あれが愛だったのかと、何度でもかめながら

 

終わったはずなのに、心だけがまだ目を覚まさず、

君というかけがえのない気配を、今も呼び続けている

2026-04-05

アメリカ大学経営学を学んでいたころ、効率という言葉はまるで神様みたいに扱われていた。

少ない資源で最大の成果を出すことが世界進歩だと信じられていた。

フォードのT型フォードはその信仰象徴だった。

1908年に850ドルで登場し、ほとんどモデルチェンジをせずに作られ続け、最後には260ドルまで値段が下がった。

まるで同じ夢を何度も繰り返して見るみたいに、同じ形を作り続けることで、完璧を手に入れたのだ。

でも、日本に来てから、私はその夢から少し覚めたような気がする。

スーパーの棚に並んだしょうゆを見て、まず足が止まった。

狭い空間に、味も色も少しずつ違う瓶がぎゅうぎゅうに詰まっていて、その景色はまるで小さな惑星が密集している銀河のようだった。

アメリカスーパーではありえない光景だ。あちらの棚は広大だけれど、どれも同じメーカーの同じ製品ばかり。

ひとつ太陽しかない世界

効率はそこにあったけれど、選ぶ楽しみはどこにもなかった。

日本では、同じものを少しずつ変えることに意味がある。

ネジの長さが一ミリ違えば、それはもう別世界だ。

そのこまやかな違いへの執着は、たぶん美学に近い。

合理性を少し犠牲にしてでも、人の感覚に寄り添う。

たぶん、それがこの国の方法なのだろうと思う。

それは生産だけじゃなく、仕事のあり方にも重なる。

アメリカで働いていたときは、ゴールがいつもはっきりしていた。

最短距離をまっすぐ走ればよかった。

でも日本では、道がいくつもあって、そのどれもが正しいように見える。

効率というコンパスが効かなくなる。最近はそのせいで、少し迷うようになった。

効率よりも、正しさよりも、“誰かの満足”が優先される。

スーパーで棚の前に立ち尽くしていたあの日の私と、仕事デスクに向かっている今の私が、どこか似ている気がする。

たくさんの選択肢を前にして、どれが正しいかからない。

けれど、その迷いにこそ、人間らしさがある。

大量生産世界では、迷いは排除される。

でもこちらでは、迷うこと自体文化になっている。

私はときどき思う。

フォード工場ラインを流れていたあの黒い車たちは、本当に幸せだっただろうか。

同じ形のまま延々と作られることは、たぶん完璧の証だった。でも完璧って、どこか寂しい。

日本の棚にあるしょうゆの瓶みたいに、少しずつ違っていること。それがきっと、この世界を温かくしている。

ユパ様に抱かれたあの日を思い出してる

2026-04-02

繋いだ手から「好き」が流れてきたあの日

ネギ洗い機に巻き込まれてピカピカになったあの日

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