■ クラブ史上初の日本代表サガン鳥栖のエースストライカーのFW豊田陽平が東アジアカップの日本代表メンバーに選出された。2012年はJ1の得点ランキングで2位となる19ゴールを挙げており、さらには、日本代表が必要としている高さと強さを兼ね備えた大型ストライカーなので、代表入りを期待する声は多かったが、今回、晴れてメンバーに選出された。鳥栖から代表選手が誕生したのは初めてなので、鳥栖のサポーターにとっては特別な1日となった。
鳥栖はJ1に昇格して2年目となるが、日本代表に呼ばれるような選手はいなかった。よって、日本代表の活動というのは「他人事」だったと思うが、FW豊田が選ばれたことで、日本代表のことを身近に感じることのできる人が増えるのは確実で、特に、チームメイトたちは刺激を受けるだろう。また、FW豊田という選手やサガン鳥栖というクラブの知名度がアップするのは確実で、様々な面でプラスの効果が表れると考えられる。
今回、センターフォワードは、FW大迫とFW豊田の2人が選ばれているが、当面はこの2人と日本代表の常連であるFW前田とFWハーフナー・マイクを加えた4人で1トップのレギュラー争いが繰り広げられることになる。大雑把に分けると、FW前田とFW大迫は似たタイプで、FWハーフナー・マイクとFW豊田が似たタイプなので、FW豊田が日本代表に定着するためには、「ハーフナーよりも上」というところが示す必要がある。
■ ライバルはFWハーフナーFWハーフナーとFW豊田の2人には、共通点がいくつもある。最初に所属したクラブ(横浜FM or 名古屋)では出場機会を得ることができなかったこと、J2のクラブにレンタルで移籍して力を付けたこと、J2で得点王に輝いたこと、チームのエースとなってJ1昇格に大きく貢献したこと、昇格1年目のJ1で得点ランキングで2位となったこと、J1でベストイレブンに輝いたこと等々、歩んできたキャリアや残してきた実績はよく似ている。
プレースタイルを比較するとFW豊田の方がスピードや強さがあるが、FWハーフナーにはリーチの長さがあって、左利きという点も武器となる。ただ、2人ともポストワークは得意とはいえない。ここ最近のFWハーフナーが、日本代表の試合でポスト役をこなせずに2列目の3人を生かしきれないことが多いが、FW豊田もポストワークに関しては、大差ない。FW前田やFW大迫と比べると大きく見劣りする。
ただ、FW豊田の場合、跳躍力と体の強さがあるので、単純なロングボールに競り勝つ可能性は、1トップ候補の4人の中では、群を抜いている。コンフェデでは、中途半端にパスをつなごうとして危険なエリアでボールを奪われて失点するシーンがあったが、FW豊田のような選手が前線にいると、アバウトなボールを蹴ってもマイボールにできる可能性が増すので、「不用意なミスからの失点」が減少することも考えられる。
FW豊田のもう1つの武器は、ゴール前のポジショニングである。鳥栖では1トップでプレーしており、トップ下は運動量があって、ムービングタイプのMF池田なので、ゴール前の動きに関しては、FW豊田に主導権があって、「彼の動きに合わせて周りが動く。」という約束になっていると思うが、FW豊田は普通のストライカーとは異なる動きをすることが多くて、この点については、独特の感性を持っている。
彼のゴールシーンをまとめた映像を見ると一目瞭然であるが、クロスボールに対してファーサードに流れて、そこでヘディングシュートを決めたり、右足で流し込むゴールが多い。ゴール前のポジショニングに優れた選手というと、広島がFW佐藤寿が日本人フォワードの中ではトップレベルと言えるが、FW豊田もハイレベルで、本能で勝負するタイプのストライカーのように思えるが、意外とクレバーである。
■ Jリーグの七不思議の1つ先のとおり、FWハーフナーとFW豊田が1つの枠を争って、FW前田とFW大迫がもう1つの枠を争う形になると考えられるが、FWハーフナーとFW豊田の2人には、もっと大きな共通点があって、2人とも鳥栖に所属していた(いる)ときに評価を高めたことである。FWハーフナーは2009年の途中に鳥栖にレンタルで移籍してくると、33試合で15ゴールを挙げる活躍を見せて、「J2で有数のストライカー」と評価されるようになった。
一方のFW豊田は、甲府に移籍したFWハーフナーの後釜として2010年に鳥栖に加入した。2年間プレーした山形では、2008年に23試合で11ゴールを挙げてJ1昇格に貢献しているが、このときはFW長谷川(現大宮)がフォワードの軸だったので、FW豊田が中心のチームではなかったが、鳥栖では絶対的なストライカーとなって、2010年は34試合で13ゴール、2011年は38試合で23ゴールと爆発して、チームをJ1昇格に導いた。
鳥栖というチームは、なぜかストライカーに困らないチームで、近年、エースの系譜が途切れたことがほとんど無い。2005年と2006年は「鳥栖のクラブ史上もっとも愛されたストライカー」と言えるFW新居が絶対的なエースとして君臨して、2005年は39試合で17ゴール、2006年は36試合で23ゴールを挙げて、2年連続でJ2の日本人得点王に輝いて、オフにJ1のジェフ千葉に引き抜かれた。
FW新居の後を受けたのは、現横浜FMのFW藤田祥で、2007年は44試合24ゴール、2008年は38試合で18ゴールとゴールを量産して、こちらもJ1の大宮に引き抜かれた。空白期間があったのは、2009年の序盤戦で、新エースとして期待されたFW廣瀬(現栃木SC)が活躍できなかったので、得点力不足に苦しんだが、前述の通り、シーズン途中にFWハーフナーが加わって、2010年からはFW豊田がエースとして活躍している。
いつ頃からなのか、はっきりしないが、鳥栖は「ストライカー養成所」と呼ばれており、近年のFW豊田の活躍によって、その評価は不動のものになったが、点取り屋がいなくて苦しんでいるチームがたくさんある中で、なぜ、鳥栖からは優秀なストライカーが次々に生まれてくるのか。何かしらの理由があると思うが、「これだ!」と断言できるような分かりやすい理由は見つからない。Jリーグの七不思議の1つと言える。
今回、FW豊田がクラブ史上初の代表戦士となったが、実は、FW新居とFW藤田祥の2人もJ2で指折りのストライカーとして、ハイペースでゴールを量産していたので、密かに日本代表入りを期待していた鳥栖のサポーターというのは、少なくなかった。残念ながら、そのときは、その願いが現実になることはなかったが、FW新居の時からカウントすると8年越しの夢がようやく叶ったと言える。
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