はてなキーワード: 量子力学とは
「漫画家イエナガの複雑社会を超定義」の「量子コンピューター」の回がこの後1:20からNHK総合で再放送するようなので、本放送を見たときの自分の感想を改めてここにまとめる。
一般のメディアにおける「量子コンピューター」の取り上げ方はいつも、専門知識を持っている人間から見たらとんでもない誇張と飛躍で充ちている。もはやSTAP細胞詐欺か何かに近い危険性を感じるので、こういう話に接する時の注意点、「ここを省略していることに気づくべき」要点を解説する。
メディアにおける「量子コンピューター」の説明は、大体いつもストーリーが似通っている。
件の軽い調子の番組だけでなく、ニュートンだろうと日経サイエンスだろうと、まあおおよそ複素関数論の「ふ」の字も紙面に出したら読者がついてこれなくなる程度のメディアではほとんど同じ構成である。
これはこの20年ほど変わらない一種のパターンになっているが、実はこのそれなりに繋がっているように見える一行一行の行間すべてに論理的な問題を孕んでいる。
この行間に実は存在する論理の省略、あるいは嘘と言っても良い誤摩化しをひとつひとつ指摘していこうと思う。
量子ビットには重ね合わせの状態が保持できる。これに対して計算処理をすれば、重ね合わせたすべての状態に並列に計算を実行できる。ように見える。
しかし、これも一般的に聞いたことがあるはずなので思い出して欲しいが、「量子力学の重ね合わせの状態は、『観測』により収束する」。
つまりどういうことか? 量子ビットに対する処理が並列に実行出来たとしても、量子コンピュータの出力はそれをすべて利用できるわけではない。
量子コンピュータの出力とは、量子ビットに対する並列処理の結果の、確率的な観測に過ぎない。
なので、手法的な話をすれば、量子アルゴリズムとはこの「確率(確率振幅という量子状態のパラメータ)」を操作して、望む入力に対する結果が観測されやすくする、というちょっとひとひねりした考え方のものになる。
単に並列処理ができるから凄いんだという説明は、増田自身一般向けの説明に何度も繰り返したことがあるが、まあ基本的には素人相手の誤摩化しである。
ここさえ踏まえれば、知識がなくともある程度論理的にものを考えられる人には、量子コンピュータに対する色々な期待も「そう簡単な話ではない」となんとなく感じられると思う。
量子コンピュータのキラーアプリとされている暗号解読は「ショアのアルゴリズム」という非常に巧妙な計算を通して得られる。
上で説明したように、量子コンピュータは単に「並列計算だから」なんでも高速な処理ができる訳ではない。暗号解読については、この「ショアのアルゴリズム」という自明でない計算手法(高速フーリエ変換の応用)が見つかってしまったからこそ問題になっているのであって、このアルゴリズムの実行が出来なければ暗号解読ができるとは言えない。
さてここからは量子力学というより計算機科学の話になるが、あるチューリングマシン上のアルゴリズムが別の計算モデルで実行可能かどうかは、その計算モデルがチューリング完全であるかどうかによるというのはプログラマには常識である。
これは量子コンピュータにおいても変わらない。量子コンピュータの一般に知られる多くのアルゴリズムはドイチュの量子チューリングマシンを前提に作られており、チューリング完全でないアーキテクチャでは実行できない。できるはずがない。ショアのアルゴリズムも当然そうだ。
しかしながら、この20年弱、D-Wave社が最初の「自称・量子コンピュータ」を開発したと発表して以来、さまざまな企業が「開発に成功した」と発表した「量子コンピューター」の中で、このチューリング完全なものは何一つ存在しない。
これらでは、今後どれだけ「性能」が伸びようとも、暗号解読の役には立たないのである。
以上の議論から総合すればわかると思うが、量子コンピュータで世界が一変するなんてヴィジョンははっきり言ってSF以下のファンタジーというレベルでしかない。
第一に、量子コンピュータの利用できるドメインは非常に限られたものであるし、第二に、その中の最も宣伝されているものである暗号解読の可能な量子チューリングマシンの開発の目処などまったく立っていない。どころか、業界のほとんど誰も挑戦することすら本気では考えていない。
現状の「自称・量子コンピュータ」(量子情報システム、とでも言おうか)にも利用の可能性はある。何より量子状態そのものが作れるので、物理学や化学領域の量子システムをシミュレーションするのに適しているのは言うまでもないだろう。しかし、まあ、現状あり得る比較的現実味のある用途というのは、それくらいではないか。
このように、メディアが量子コンピュータについて語るとき、そこには非常に多くの誤摩化しや飛躍が含まれる。これは結構業界の根幹に関わる問題なのではと思うが、時間が来たので総括は後述にでもすることにする。
何か質問があればどうぞ。
序論:「手を握ってもいいですか?」を巡る考察
現代社会において、恋愛や対人関係における非モテ男性の特徴として、優柔不断さがしばしば指摘される。彼らは意識的に、あるいは無意識的に、恋愛的アプローチや感情表現において「踏み出すべきか、踏みとどまるべきか」という葛藤に直面する。この一見日常的な現象は、量子力学的な「ある・ない」の曖昧さという観点から新たな光を当てることができる。量子力学における曖昧さや重ね合わせの概念が、優柔不断さを象徴的に表すものとして捉えられるのだ。
量子力学では、粒子は観測されるまで「ある」と「ない」の状態を同時に保つことができる。この状態は「重ね合わせ」と呼ばれ、確定的な状態が観測されるまで、複数の可能性が共存している。シュレーディンガーの猫が有名な例として挙げられるが、この猫は箱を開けるまでは「生きている状態」と「死んでいる状態」の両方が同時に存在しているとされる。この現象は、非モテ男性の優柔不断さに対して驚くほど強い共通性を持っている。つまり、彼らは恋愛的行動を起こすべきかどうかの選択を前にして、「アプローチする自分」と「アプローチしない自分」の両方を同時に保持している状態にあるといえる。
非モテ男性の心理的な優柔不断さは、社会的要因や個人的な経験に根ざしているが、それだけにとどまらない。この不確定性には、自己認識や他者との関係性における内的葛藤、あるいは自尊心の低下や失敗に対する恐怖が影響している。量子力学的な観点から言えば、彼らは「行動しよう」と「行動しないでおこう」の両方の可能性を抱え、まさに重ね合わせの状態にいる。この状態は観測、つまり恋愛的な行動に踏み出す決断がなされるまで続く。そして、実際に何かしらの行動が起きたとき、その結果が「成功する自分」または「失敗する自分」として現実化するのだ。
また、量子力学において観測者の介入が重要な役割を果たすように、非モテ男性の優柔不断さもまた、周囲の影響や観測(期待や圧力)によってその振る舞いが変わる可能性がある。恋愛において「観測者」とは、恋愛対象者そのものである場合もあれば、社会的な目線や友人、家族の期待感、さらには文化的な規範が影響する。これらの観測者がどのように関わっているかによって、非モテ男性が「行動を起こす」か「起こさない」かという状態が確定される。
さらに、量子力学的な「不確定性原理」の視点からも、非モテ男性の優柔不断さは説明できる。不確定性原理とは、ある粒子の位置と運動量を同時に精確に知ることは不可能である、という原理だ。これを恋愛の文脈に置き換えると、非モテ男性にとっては「自分の意図(行動するかしないか)」と「相手の反応(成功するかどうか)」を同時に完全に予測することは不可能である。つまり、相手の反応が確定しない限り、彼らは自分の行動を決定することができないというジレンマに直面している。これは、量子力学的な不確定性が、彼らの行動選択をさらに曖昧にし、行動に移すことをためらわせる要因となっていることを示唆している。
加えて、恋愛における優柔不断さのもう一つの要素として、マルチワールド解釈が挙げられる。この解釈では、量子力学的な選択は並行世界においてすべての可能性が実現する、という考え方がある。非モテ男性の心理状態もこれに似た構造を持っている。彼らは、恋愛的アプローチにおいて複数のシナリオを想定し、そのどれもが「現実化」しうるという思考パターンに囚われることが多い。成功と失敗、拒絶と受容、行動と不作為――これらすべての可能性が彼らの頭の中で並行して存在し、最終的にはどの選択肢も現実化する可能性を持ちながら、同時に一つの現実として確定しないまま残る。この複数の選択肢に悩む過程が、彼らの優柔不断さを際立たせる原因となっているのだ。
本論文では、このように非モテ男性に見られる優柔不断さを、量子力学的な概念を援用して分析することで、従来の心理学的な解釈に新たな視座を提供することを目的としている。非モテ男性が恋愛においてどのように行動するか、またその行動がどのように決定されるかという問いに対し、量子力学の重ね合わせや不確定性の原理を活用することで、新しい理解を深めていく。恋愛における「ある・ない」の曖昧さを巡る議論は、量子力学と非モテ男性の優柔不断性の共通点を通じて、新しい見解を提供できる可能性があるだろう。
タイムパラドックスやな! これ、結構頭がこんがらがる話やけど、いくつか解決方法が考えられてるんよ。
過去に戻っても、歴史を変えることはできひんねん。例えば、タイムマシンで過去に戻っても、自分の存在を消してしまうような行動は絶対に取れへんねん。
結局、何やっても、歴史はもう決まってて、矛盾は起こらんように収まるってことや。
過去に戻って何かを変えたら、元の世界とは別の分岐した新しい世界ができるんや。
それで、パラドックスは発生せえへん。例えば、自分が戻ったことで親を救えたとしても、それは元の世界やなくて、新しい世界での話ってことや。
過去を変えようとすると、何かしらの出来事が自然に起こって、元に戻る仕組みがある。
例えば、何か重要な物事を変えようとすると、急に事故に遭うとかで、その変化が起きへんようにするんや。
あるいは、時間は柔軟に変えられるって考え方もあるんや。
この場合、過去に戻って変えたことがそのまま未来に影響を与える。つまり、タイムパラドックス自体が無効になるんや。
ただ、この場合は新しい時間軸が形成されるから、元の歴史とは異なる未来ができるっちゅうことやな。
どれも結構難しい話やけど、要は「矛盾はうまいこと避けられるようになってる」ってことやね。
時間はまだまだ謎が多いもんやから、こういう議論がずっと続くんやろな。
(2と4は同じ論理じゃないの?)
ええ質問やな!
「時空は変更可能」って理論と、「多世界解釈」は似たように見えるけど、実際はちょっと違うんや。
ここでそれぞれの違いを説明するで。
• 根っこは量子力学の考え方や。多世界解釈は「シュレディンガーの猫」の話でも有名やけど、量子レベルで無数の可能性が同時に存在しているって考え方が元になってるんや。
• ある出来事が発生したときに、その結果によって新しい世界(別の可能性を選んだ結果)が常に分岐していくというもんや。
• 例えば、あんたが過去に戻って何かを変えた場合、その瞬間に元の世界とは分岐した新しい世界が生まれる。でも、元の世界もそのまま残ってるから、「並行する複数の世界」が同時に存在しているんや。それぞれの世界は独立していて、互いに干渉せえへん。
• これに対して、「時空は変更可能」っていう理論では、過去を変えたらその影響が直接未来に反映されるんや。新しい未来が形成されるけど、元の世界は上書きされる可能性があるんや。つまり、元の世界が「なくなる」か、「完全に置き換わる」っちゅう話や。
• この理論の下では、一つの時間軸しか存在せえへん。過去を変えると、そのまま新しい未来が展開されるけど、分岐したり、別々の世界が同時に存在するわけやないんや。
• 多世界解釈:過去を変えることで新しい並行世界が生まれるけど、元の世界もそのまま存在してる。つまり、どんどん世界が分かれていく感じや。
• 時空は変更可能:過去を変えると、元の未来は上書きされるかもしれん。つまり、一つの世界が変わっていくんや。新しい世界が作られるっちゅうよりも、世界が変わっていくって感じやな。
あんたがタイムマシンで過去に戻って、昔のお父さんが選挙で立候補するのを手助けして当選させたとするな。その瞬間、元のお父さんが選挙に出なかった世界と、新しく当選した世界の二つの世界が同時に存在するんや。元の世界はそのまま続いてるけど、新しい世界も新たに走り出すんや。あんたはどちらの世界にいるかは、そのときのタイムマシンの設定次第やけど、どっちもちゃんと存在してるで。
同じくタイムマシンで過去に戻ってお父さんを当選させたら、その瞬間に元の世界はなくなって、新しい世界が形成されるんや。あんたが過去に戻る前の未来はもうなくなってしまって、完全に新しい未来に上書きされるんや。つまり、あんたはもう「選挙に出ないお父さんがいる未来」には戻られへん。
光って、本当にすごいんだよ。だって光は、最短距離で目的地にたどり着く道を一瞬で見つけるんだぜ?
例えばABCDEFGっていうルートがあったとして、光はその中で最短ルートを一瞬で選ぶ。
もう、迷うことなんてない。これだけでも十分すごいって思うんだけど、さらにすごいのは、この現象にはシュタゲみたいなロマンがあるってこと。
どういうことかって言うと、光は最短の道を「選ぶ」って言ったけど、実はその選び方が普通じゃない。
光は最短ルートをただひとつ走るんじゃなくて、実際にはABCDEFGっていうすべてのルートを通ってるんだよ。
すべてのルートを通りながら、その中で最短のルートの結果だけが現実として観測される。
これが量子力学の世界で語られる「光の最短経路選択」ってやつ。要するに光はあらゆる可能性を同時に試して、最短ルートの結果だけが残るんだ。
俺たちの目に映るのは、その最適解だけってわけだけど、その裏でどれだけ多くのルートを光が試してるのかって考えると壮大すぎる。
俺たちは最短のルートを通る光しか知らなくて「ふーん、光って早いね」って思うわけだけど、その裏で光はその結果にたどり着くために、無数の可能性を試してるんだぜ?
それでいてクール。「え?最短ルート通るのが普通ですけど?」って涼しい顔してるんだよ。
やっぱ、光ってすげぇよな。
まず「特殊相対性理論」からやけど、これは光の速さがどんな状況でも変わらんってことが基本やねん。
たとえば、電車が走っとる中で懐中電灯を前に向けて光らしても、外でじっとしてる人が見た光の速さも同じやねん。
でも光の速さだけは、どんなに速く動いても変わらんのや。
ほんで、この理論やと「時間」や「空間」も相対的に変わるっちゅうことになる。
速く動くほど時間が遅くなるんや。これを「時間の遅れ」っていうねん。
例えて言うたら、宇宙船でめっちゃ速く移動してる人は、地球におる人に比べてゆっくり年を取る、みたいな感じや。
次に「一般相対性理論」やけど、こっちは重力が関わってくるねん。
簡単に言うたら、重いもんが空間をぐにゃっと曲げるっちゅうことや。
たとえば、地球みたいなでっかいもんがあると、その周りの空間が曲がって、そこに他のもんが引っ張られるから「重力」が生まれるんや。
まあ、ざっくり言うたらこんな感じやけど、ほんまはもっと複雑なんやで。
(もう少し詳しく教えてください)
ほな、もうちょっと深くいこか。
まず、「特殊相対性理論」についてやけど、これを理解するには「光の速さが一定」っちゅうのがどんだけすごいことか、ちゃんとわかっとかなあかん。
普通の物体は、速く動けば動くほど、その速さは他のもんに足されるやろ?
例えば、車が時速50キロで走っとって、その車の上からボールを前に時速20キロで投げたら、ボールは時速70キロで進むことになる。
せやけど、光は違うんや。どんな状況でも、どんなに速く動いとっても、光の速さは毎回秒速約30万キロメートルで一定やねん。
ほんなら、何が変わるんや?って話やけど、答えは「時間」と「空間」や。
速く動けば動くほど、時間は遅く流れるし、移動してる方向の長さは縮んでしまう。
具体的な例を出すと、もし君が光の速さにめっちゃ近いスピードで宇宙船に乗って1年旅したとしようや。
地球におる人らからしたら、その1年が例えば10年にも20年にも感じられるかもしれん。
つまり、君は歳をとらんけど、地球では時間がめっちゃ進んどるわけや。これが「時間の遅れ」や。
ほんで、次は「一般相対性理論」やけど、これはもうちょっと難しい話やねん。
特殊相対性理論は光とかスピードに注目してたけど、こっちは「重力」に焦点を当てとるんや。
重力っちゅうのは、普通に考えたら物体が引っ張り合う力やと思うやろ?でもアインシュタインはそれを「空間と時間が曲がるせい」やって言うたんや。
地球みたいな大きな質量を持っとるもんは、その周りの空間をぐにゃっと曲げるんや。これを「時空の歪み」っちゅうねん。
で、その歪んだ空間に沿って、他の物体が動くことで、まるで引っ張られてるように見えるっちゅうわけや。これが「重力」の正体や。
ゴムシートの上に重いボールを置いたら、シートがへこんで周りにくぼみができるやろ?そのくぼみに他の小さいボールを置くと、転がって重いボールに引き寄せられる。これが重力のイメージや。
太陽とか地球みたいなでっかいもんが周りの時空をへこませて、そこに他の天体が引っ張られるわけやな。
重力が強い場所ほど時間はゆっくり流れる、これを「重力による時間の遅れ」っちゅうねん。
例えば、地球の表面におる人と宇宙の遠くにおる人では、地球の表面のほうが重力が強いから、時間がわずかに遅く流れるんや。
これらの理論がなんで重要かっちゅうと、GPSとか人工衛星みたいなもんは、めっちゃ速いスピードで地球の周りを回っとるやろ?
そのために時間が遅くなってるし、地球の重力も影響を与えとるんや。
せやから、相対性理論を使ってそのズレを計算して補正せんと、正確な位置情報は得られへんねん。
ほんなわけで、相対性理論っちゅうのは、宇宙全体の「時間」や「空間」、そして「重力」がどう動くかを説明するめっちゃすごい理論なんや。
(では最後に、相対性理論と超ひも理論の関係を教えてください)
まず、相対性理論っていうのは、さっきも話した通り、重力を扱う理論やね。
特に「一般相対性理論」やと、重いもんが時空を曲げることで重力が発生する、っちゅうふうに説明しとるわけやな。
これは大きなスケール、例えば星とか銀河、宇宙全体を説明するのにめっちゃ強力な理論や。
けどな、宇宙には重力だけやなくて、他にも4つの基本的な力があんねん。
重力に加えて、電磁気力、強い核力、弱い核力っちゅうもんがあるんや。
相対性理論は重力には強いんやけど、他の力、特に小さいスケールの話になってくると話がちゃうねん。
原子とか素粒子みたいなめっちゃ小さいもんを扱うのは量子力学っちゅう別の理論が必要になる。
ここが問題なんや。相対性理論と量子力学っちゅうのは、どっちもめっちゃ成功してる理論やけど、整合性が取れへんねん。
大きいスケールやと相対性理論、小さいスケールやと量子力学、って分かれとるわけや。
でも宇宙全体を一つの理論で説明したいなら、両方をつなげる必要がある。
これを統一理論とか万物の理論っちゅうんやけど、これがまだうまくいってへんねん。
そこで出てくるんが超ひも理論や。
超ひも理論っていうのは、宇宙にある全ての物質や力が、ひも状のものからできてるっちゅう考え方やねん。
普通、素粒子は点みたいなもんやと思われとるやろ?でも超ひも理論では、実はそれがめっちゃ小さい「ひも」やっていうんや。
このひもが振動することで、違う性質の粒子になったり、力を生み出したりするっちゅう考え方や。
なんでこれがすごいんかっていうと、この理論は重力と量子力学を一緒に扱えるんや!
つまり、相対性理論で扱ってた重力も、量子力学で扱ってる小さいスケールの現象も、ひもの振動っていう一つの仕組みで説明できるようになるかもしれんって話や。
相対性理論と量子力学の一番の問題は、重力を量子化できひんってことや。
量子力学は確率的な世界やけど、相対性理論は連続した空間を扱う理論やから、この2つが衝突してしまうんや。
特に問題になるんが、ブラックホールとかビッグバンみたいなめっちゃ極端な状況や。
そこでは重力もめっちゃ強くなるし、量子効果も無視できへん。せやけど、これらを同時に説明できる理論がまだないんや。
そこで超ひも理論が登場するんやけど、ひもがめっちゃ小さいスケールでは、重力の量子化も可能になるっちゅうわけや。
つまり、相対性理論が扱ってる「大きなスケールでの重力」と、量子力学が扱う「めっちゃ小さいスケールの力」を同時に説明できるっちゅうことや。
ただしやな、超ひも理論はまだ理論段階で、実験で直接確認されたわけやないんや。
それに、超ひも理論が正しいと仮定すると、宇宙には我々が感じ取れん11次元も存在するっちゅう話になる。
今のところ、わしらが日常的に感じるのは3次元の空間と1次元の時間だけやけど、残りの次元はめっちゃ小さく「巻き込まれて」るから見えへんらしい。これが正しいかどうかもまだわからんのや。
まとめると
•相対性理論は重力を説明する強力な理論やけど、量子の世界では問題がある。
•超ひも理論は、相対性理論と量子力学を一つの理論でまとめようとするもんで、ひもの振動で全てを説明できるかもしれん。
•ただ、超ひも理論はまだ理論の段階で、実験的には確かめられてへんし、11次元の宇宙とか、ちょっと奇抜な要素も含まれとる。
超ひも理論がほんまに正しいんかどうか、まだまだ謎が多いねんけど、もし解けたら宇宙の全てが一つの理論で説明できるようになるかもしれんって、めっちゃ壮大な話やな!
おやおや、君の分析は確かに「完璧な頭脳」らしいが、少し自惚れが過ぎるようだね。
まず、イベントで2000円使うことに疑問を投げかけているが、君が自宅でアニメを一気見することを「明らかに有意義」とするその論理は、主観の域を出ていないよね。娯楽の価値は質だけでなく、多様な経験から得られる満足感にもある。アニメの一気見が君にとって最上であるとしても、他の人にとっては友達とイベントに参加することが、それ以上の満足をもたらすこともあるのだよ。
次に、通勤や移動についてバイオニック脚を提案するとは、確かに「未来」を見据えたアイデアかもしれない。だが、残念ながら我々はまだ2024年にいる。現実的な手段で移動する必要があるんだ。それに、テレポーテーションやサイボーグ技術を今すぐ導入するために何千億も投資するよりも、少額の交通費を払って平和に日常生活を送る方が遥かに賢明だと思わないかい?
5000円の贅沢についても、君は「知識を深める方が価値がある」と述べているけれど、知識は確かに貴重だ。しかし、たまには美味しい食事を楽しんで心の栄養を補給することもまた、豊かな人生を築く要素なのだよ。君の完璧な頭脳も、時にはシンプルな喜びを軽視しすぎていないか、見直す余地があるのではないかい?
さらに「安い娯楽」の質を否定するけれど、誰もが君のように量子力学や自作のボードゲームに熱中するわけではない。人それぞれが自分に合った楽しみを見つけることが、最も効率的で持続可能な娯楽の形なんだ。それを「質が伴わない」と一刀両断するのは、少々狭量に見えるよ。
そして、生活苦しいアピールについても言及しているが、それを「社会心理学的現象」として分析するのもいいけれど、実際に生活費の問題に直面している人々にとっては、君の理論は現実感を欠いているかもしれないね。少しは彼らの立場にも配慮し、真剣に耳を傾けることも、君の知識の幅を広げる一助になるのではないかな?
さて、君の「真の楽しさ」への探求は素晴らしいが、時には他者の視点から物事を見て、様々な楽しみ方があることを認める柔軟さも求められるのでは?
科学的コミュニケーションを少しでも齧ってたら分かると思うけど、
幼稚園児と物理学博士が量子力学についてまともに会話できるわけないだろう?
これを対人論証とは呼ばないのよね
しかも知識のある側に、バカ側を分かった気にさせるエンタメを無償提供させようってことを正気で言えるトンデモ非常識で草
お前はオタク?
絵師に絵を描くの好きなんだから無料で絵を描いてと頼むヤツ、スポーツ選手に運動好きなんだから無料で学生にコーチしてと頼むヤツ、プログラマーにプログラム好きなんだから無料でプログラミングしてと頼むヤツ、
この手のバケモンがお前
量として膨大な前提知識を得ることは時間もお金もかかってて無料じゃないし本来お金をもらってやるような話
これが分からんあたり、何の専門性もない知識層じゃない人間なんやろな
自分の金で買えよ
そういう時って知ってる単語だけ拾い出して、「あっ相対性理論?量子力学?聞いたことある!詳しいの?ねえヒモ理論ってあれなに?どういうこと?」とかなんか妙にキラキラした眼で見上げてきて、「いや専門外すね」とか言うと勝手にがっかりした顔してきてイラッとさせられる不思議ちゃんがたまにいるよね…
周りの男たちは仕事や年収の話をしており、女性陣は興味津々で彼らの話を聞いている。
そして彼らが一通り話し終えると視線は俺へと集い、俺は彼らとは全く違う話をしようと決めていた。
「僕の趣味は数学です。特に、Lie群の理論に興味があります」と切り出した。
すぐに女性たちの顔が少しずつ曇り始めたのがわかった。「Lie群って聞いたことありますか?」と続ける。案の定、誰も首を縦に振らない。
「Lie群は、数学の中で非常に重要な概念で、特に微分幾何学や物理学での応用が多いんです。例えば、特殊相対性理論や量子力学でも使われているんですよ」と言うと、相手の女性は困惑した表情を浮かべた。
その表情を見る度、俺は心の中で悦に入る。
この中で俺だけが理解している高尚な知識。それを理解できない彼女たち。その優越感に酔いしれ、俺に悦楽を与える。
男の一人は貧乏ゆすりを始めた。だが構わない。俺は自分の話を続けることにした。
「具体的には、Lie群は連続対称性を持つ幾何学的構造を研究するんです」とさらに詳しく説明する。
女性の一人が不安そうに目を泳がせる。別の女性は微笑みを浮かべているが、その目に理解の色はない。
「えっと、つまりどういうことですか?」と女性の一人が勇気を振り絞るように質問してきた。
俺はニコッと笑い、「簡単に言えば、物理学での対称性の理解に重要な役割を果たしているんです。例えば、回転や平行移動といった操作を数学的に扱うことができるんですよ」と、できるだけ易しく説明を試みるがそれでも彼女たちの表情は固いままだ。
その時、俺は思う。
しかしそれでいいのだ。
俺の世界に足を踏み入れることができる人は少ない。
街コンが終わり、家に帰る途中、俺はふと考える。
俺の人生はこのままでいいのだろうか?
道中、そんな疑念はすぐに消え失せる。
自然界の法則の探索は、一般相対性理論と量子力学の発展の中で行われてきた。
相対性理論はアインシュタインの理論だが、これによれば、重力は時空の曲率から生じることになり、リーマン幾何学の枠組みで与えられる。
相対性理論においては、時空はアインシュタインの方程式に従って力学的に発展することになる。
すなわち初期条件が入力データとして与えられていたときに、時空がどのように発展していくかを決定することが物理学の問題になるわけである。
相対性理論が天体や宇宙全体の振る舞いの理解のために使われるのに対し、量子力学は原子や分子、原子を構成する粒子の理解のために用いられる。
粒子の量子論(非相対論的量子力学)は1925年までに現在の形が整えられ、関数解析や他の分野の発展に影響を与えた。
しかし量子論の深淵は場の量子論にあり、量子力学と特殊相対性理論を組み合わせようとする試みから生まれた。
場の量子論は、重力を除き、物理学の法則について人類が知っているほどんどの事柄を網羅している。
反物質理論に始まり、原子のより精密な記述、素粒子物理学の標準模型、加速器による検証が望まれている予言に至るまで、場の量子論の画期性は疑いの余地がない。
数学の中で研究されている多くの分野について、その自然な設定が場の量子論にあるような問題が研究されている。
その例が、4次元多様体のドナルドソン理論、結び目のジョーンズ多項式やその一般化、複素多様体のミラー対称性、楕円コホモロジー、アフィン・リー環、などが挙げられる。
状態ベクトルの収縮は、ユニタリ変換による時間発展という過程と露骨に矛盾しているように思える。
どのように20世紀の物理学者はこの問題に折り合いをつけていたのか。
状態ベクトルは実際に量子論的レベルでの実体を表すのではなく、観測者の心の状態を表していると主張している。
したがって、状態ベクトルの収縮という過程でのジャンプは単に観測者の知識の状態の不連続な変化の結果で、物理学的実体を持ちうるような物理学的変化ではない。
観測という過程で物理系はそれを取り巻く環境と解きほぐしようもなく絡み合うことになるという事実を利用する。
すると環境における自由度はランダムで、観測不能と考えられるため、その自由度を足し上げることによって、状態ベクトルによる記述ではなく密度行列による記述が得られる。
この密度行列が、基底に関して対角行列となる時、物理系は対角成分のうちの一つによって表される状態になり、その状態にある確率は対角成分の値によって与えられる。
状態ベクトルはユニタリ変換による時間発展をし、物理学的実体を表している。
ただし、それらの観測結果のそれぞれが観測者の意識の異なる状態と絡み合っている。
したがって、対応する異なる意識状態もまた同時に存在し、それぞれが異なる世界を体験し、異なる観測結果に遭遇することになる。
量子力学の従来の定式化は暫定的で、観測過程に意味づけをするために新しい物理理論が必要という可能性もある。
ドブロイ・ボームの枠組みや、コンシステントヒストリーの理論のような標準的な量子力学と異なるような観測結果は持たないようなものもあるが、別な枠組みによれば、少なくとも原理的には標準的な量子力学と新しい理論を区別する実験が存在すると思われる。
おそらく物理学者の大半は、これらの観点の最初の3つの観点を抱いていると言っても良いと思われる。
そうした物理学者は、量子論の形式が持つ数学的な優雅さは言うまでもなく、量子力学の予言が目を見張るような形で例外なく実験によって立証されているということが、この理論が何ら変更を必要としていないということを示す、という議論をするかもしれない。
エドワード・ウィッテンは、幾何学的なラングランズ・プログラムの一部とアイデアとの関係について「電気・磁気の二重性と幾何学的なラングランズ・プログラム」を執筆した。
ラングランズ プログラムに関する背景: 1967 年、ロバート ラングランズは、当時同研究所の教授だったアンドレ ヴェイユに17ページの手書きの手紙を書き、その中で大統一理論を提案した。それは、数論、代数幾何学、保型形式の理論における一見無関係な概念を関連付ける。読みやすくするためにヴェイユの要望で作成されたこの手紙のタイプされたコピーは、1960 年代後半から 1970 年代にかけて数学者の間で広く流通し、数学者たちは 40 年以上にわたり、ラングランズ プログラムとして総称されるその予想に取り組んできた。
弦理論やゲージ理論の双対性の背景を持つ物理学者は、カプースチンとの幾何学的ラングランズに関する論文を理解できるが、ほとんどの物理学者にとって、このトピックは詳細すぎて興味をそそるものではない。
一方で、数学者にとっては興味深いテーマだが、場の量子論や弦理論の背景には馴染みのない部分が多すぎるため、理解するのは困難(厳密に定式化するのは困難)。
短期的にどのような進歩があれば、数学者にとって幾何学的なラングランズのゲージ理論解釈が利用できるようになるのかを見極めるのは、実際には非常に難しい。
ゲージ理論とホバノフホモロジーが数学者によって認識され評価されるのを見られるだろうか。
弦理論の研究者として取り組んでいる物理理論が数論として興味深いものであることを示す多くのことがわかっている。
ここ数年、4 次元の超対称ゲージ理論とその親戚である 6 次元に取り組んでいる物理学者は、臨界レベルでの共形場理論の役割に関わるいくつかの発見を行っているため、この点を解決する時期が来たのかもしれない。
過去20年間、数学と物理学の相互作用は非常に豊かであり続けただけでなく、その多様性が発展したが、私は恥ずかしいことにほとんど理解できていない。
これは今後も続くだろう、それが続く理由は場の量子論と弦理論がどういうわけか豊かな数学的秘密を持っているからだ。
これらの秘密の一部が表面化すると、物理学者にとってはしばしば驚きとなることがよくある。
なぜなら、超弦理論を物理学として正しく理解していないから。つまり、その背後にある核となる考え方を理解していない。
数学者は場の量子論を完全に理解することができていないため、そこから得られる事柄は驚くべきものである。
したがって、生み出される物理学と数学のアイデアは長い間驚くべきものになるだろう。
1990 年代に、さまざまな弦理論が非摂動双対性によって統合されており、弦理論はある意味で本質的に量子力学的なものであることが明らかになり、より広い視野を得ることができた。