はてなキーワード: 星の王子さまとは
ちなみに「君たちはどう生きるか」の小説は未読、過去のジブリは金ローで流し見(ハウル・ぽにょ・風立ちは映画館で観た)、宮崎駿の生い立ちも知らんしインタビュー等全く見てない。
他の人の考察も見ていない。この考察が正しいかどうかは分からない。
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→主人公=宮崎アニメを見て育ってきた(もしくはこれから見る)この映画の観客である我々だと思う。
なので主人公の原風景や心内風景と我々が宮崎アニメで見覚えのある風景を重ねることで主人公=我々を強調する意味がある。
■謎展開
そのたび
→アオサギは主人公が感じている自分の中の嫌いな部分。だから主人公は出会ってすぐ敵対したし、主人公を心理世界に誘った。
自分に誘われて冒険してるんだから主体的と言える。キリコもヒミも自分が作り出した像なので主体的と言えるのではなかろうか。
→「父が好きな人」というのが正に動機を説明していて、主人公は自分の中にある夏子への複雑な気持ちと対峙するために夏子を助けに行く。
複雑な自分の心境に触れることには痛みが伴うので禁忌となっている。
→夏子は主人公を守るためにわざと厳しく接して追い出そうとしている。
厳しくされた事によって主人公は夏子を夏子母さんだと認められるようになり、心の禁忌領域が晴れて夏子も救われた。
→異世界に来たくて来たわけじゃないって劇中で言ってた気がする(記憶曖昧)。呼ばれたんだと思う。
→映画の演出のことは全く分からんが、着替えシーンによってリアリティ出すことで、その後火事の中に飛び込んでいく視界が歪んでるシーンの非現実感が増している気がする(小並感)。
アオサギが主人公自身であることから弓矢にも意味があると思われるがその辺はまだ言語化できてない。
■ヴィランの不在
→アオサギは主人公自身なので主人公を心内世界に誘うし主人公の助けにもなるし主人公と和解する。
で、なにか代償が起きるかというと「なにも起きない」。えーーーーー!?じゃあなんで「触るな」って言ったの?
→これは根拠のない妄想だが、ばあや人形を触って倒れちゃうと、現実世界のばあやになんか悪影響でも出るんじゃないだろうか。知らんけど。
さっき主人公=我々と書いたが、大叔父は宮崎駿を表していると思う。
彼はこれまでの自身の監督作品を通して我々に「積み木」を伝えたかったようだ。
たぶん、「(ジブリ作品を通して)観客それぞれが自分にとって価値ある大事なものを見つけてそれを自分で組み立てろ。」と言いたいんだろう。
即ち「君たちはどう生きるか」と言っている。
インコは何を表しているのか。物語の力を信じないリアリストなのかな?とは思うが、禁忌を口実にヒミを使って何を取引しようとしていたか分からない。なんか大叔父と会話してたかもしれんけど忘れた。
全く何の比喩なのか分からない。インコとペリカンが分かってないということは映画の中の結構な部分が分かってないことになりそうだ。悲しい。
分からない
そんなこんなでまだ分かってないことが多い。記憶から抜け落ちてるとこもありそう。このあと他の人の考察読んで分かったことがあったら追記するかも。
小さな星の王子さまであることと、超有名な子供向け小説だと言うことは知っていました。
予想では小さな星に住む王子のささやかでちょっと哲学的な日常を三人称視点で描いた絵本的物語だと思ってましたが、まさか地球に居るとは!
そして人間と絡むとは!
そしてそして割りと重大インシデンツに見舞われている人間さんにほんのりうざ絡みするキャラクターだったなんて!
正直なところ、砂漠でサバイバルしてるていの話者と彼が考えるようにわずかな水と光があれば生きていけそうな王子の組み合わせはちぐはぐで、生きるか死ぬかの普通の人間に絡む王子にはイライラした部分もあるの。
他の星の人たちとのエピソードでも王子は素朴と言うのかな?何か鋭い言葉を発するでもなく振り回されるわけでもなく彗星のように一瞬邂逅してただ通りすぎるような無垢な純真の擬人化みたいな存在だった。だから最初は王子よりもガス灯の人や地理学者のほうが好きだった。
でもね、バラやキツネのエピソードからだんだん王子が好きになって、お別れのときにはすごくしんみりしちゃった……。
特にキツネの仲良しのエピソードが強い。あれでバラとも話者とも繋がって、意識を向けた存在が向けただけだんだん特別になっていく感覚が思いもよらず知らぬ間にすごく刻み込まされていることに気付く。
おなじような花が何百本あろうとバラの特別さは変わらないし、仲良くなった王子さまが居るかもしれないという可能性だけで夜空も特別になるのだ。すごい。
この話から感じた感想は、ありきたりだろうけど、そうね、「人(私)は話しかけられるだけでうれしい」ってことかな……。
最初は読んでて鼻持ちならないキャラな王子もバラもキツネも相手を認識して話かけてくるだけで特別になるんだ。話しかけられる、かけてくれるってことは相手に承認されているってことなんだ。ありきたりな承認欲求の話なんだよ。愛の話なんだよ。なんでわかんないかな。
だから話かけてはくるけど相手を見てはいない王さまとかはたとえ紙幅を増やしてもあのままでは特別にも仲良しにもならないんだ。
こういうプリミティブな感情って自分の子供ができたら同様のものを感じるのかな。わかんないや。
星の王子さまって作品は、今あらためてWikiであらすじを読むとそれだけじゃあなんの感慨もわかないつまらないお話なんだ。やっぱり大事なのは王子や話者の語り、お話であって、でもあらすじにセリフを付け足しただけでもだめで……。読書という行為による一文一文からにじみ出てくる目には見えないなにか大切なものでこの作品は構成されているような気がするよ。まあまあ好きな作品でした。
私が中学生の時、放映されていたアニメエヴァンゲリオンでは、ヒロインの一人アスカが男の子に「アンタ馬鹿?」って言い放っていたし、同じクラスの女子は援助交際をしていた。
高校に入るとギリギリルーズソックスが残っていたし(地方だった)その頃の女子高生は最強世代だった。
だけど女子高生の制服を着ている時代が人生で一番痴漢被害が多かった。
世の中のコンテンツはだめな大人の姿であふれていたし、事実援助交際をしていた女子高生にとって大人の男は金づるだっただろう。
20歳を超えた頃には、強い女たちがセックスについて明け透けに語るコンテンツが多かった。
やがて肉食男子草食男子なんて言葉が出てきて、最近の男は情けないなんて言ってる人もいただろう。
でも一方で女性向けファッション誌ではモテスタイルだの愛され女子だの。一生女の子宣言、女子飲み、女子会。
結婚できる女と結婚できない女の違いとはとか、婚活レポ漫画が流行ったり。
30歳になる前にはなんとなく結婚できるような気がしていたのに、そうはならないと気が付いた女性たちが、30までには結婚したい!となっていく。
同性代の「良物件」たちは自分たちより若い女の子や、負け組勝ち組の価値観の中で必死に成果を出した女性とすでに家庭を築いている。
そりゃそうだ。ミレニアル世代の女性は同年代の男の子を平気で傷つけるような言葉を投げたり、売春をしていたり、
女は強くあるべきをこじらせて、競争心をさらけ出して負け組勝ち組言い出す。
それがその世代のすべての女性の姿ではないけど、男性が恋愛に消極的になったり付き合いが結婚に発展しなかったりする理由としては十分じゃないだろうか。
同世代の男性はそういう女性像もインストールしているのだから。
だけど大概の既婚女性は、結婚は大人として身を固めることで、子供を産んで母親になることこそが女の幸せ、ということを悪気なく(時に悪意もありで)押し付けてくる。
私は結婚を考えていた恋人の男性と、30歳で死別した。長い時間をかけてそこから立ち直ってきた。
死別する前に私は職場が原因でうつになっていたので、それが悪化したから本当に長い時間がかかった。
外に出て人と会うこともできるようになって、何人かとデートもしてみたが、私に新しい恋愛はいらない、が出た答えだった。
この事情を、おいそれと人に話す訳にはいかない。内容が重たすぎる上に、この歳で結婚していない、恋人もいないとなると、かわいそうに思われてしまう。
確かに悲しくてつらい経験をしたけれど、今の私は幸せに暮らしている、ということがなかなかわかってもらえない。
今の私は、子供の頃憧れた仕事をこの歳になってやることができている。
環境は大きく変わったけれど、私の価値観はあまり変わっていない。
いつでも手元にあるものを大事にして、幸せを大事に噛みしめること。
できるだけ人を傷つけたり心配させたり悲しませたりしないこと。
私にこの価値観をインストールしてくれたのは、星の王子さまと宮沢賢治。
メインストリームを追えない、同世代のみんなと好みがどこかずれている、人が普通にできていることが自分にはなかなかできない、そんな今までだったけれど、
おかげで人は人、自分は自分という価値観がOSにしっかりインストールできたことは、随分と自分を生きやすくしてくれているのかもしれない。
ゲイが祝福されない云々はともかく、
資本主義はキリスト教のプロテスタンティズムから生まれたとも考えられている
宗教改革におけるカルヴァンの思想は、より徹底した聖書中心主義であり、神は絶対的な権威をもち、人間の原罪はキリストの福音によってのみ救われるというものであった。その神による救済は「予(あらかじ)め定められている」であり、それを定めるのは絶対の権限を持つ神だけである、したがって「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠の生命にあずかるもの、永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている」とした。そのような人間がどのようにして神への絶対的服従を示すことができるかというと、現世の天職を与えられたものとして務めることでしかできない、と説いた。このようなカルヴァン派の信仰は西ヨーロッパの商工業者(中産階級)に支持されていった。そしてこの西ヨーロッパの商工業者の中から、近代社会を出現させる資本主義が生まれてきた。→『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
いずれにせよ、神は最初から私を救うか救わないかという正解を持っているが、それは私が死んで答え合わせがあるのであって、
私が死ぬまで正解は分からない、正解はCMのあとではなく死んだあとである
だからこそ、目の前の仕事を全うするしかないし、仕事がないとしても人生を謳歌するしかないとさえ私は考えている
その、仕事を全うする、人生を楽しむ、といったことも神は最初から計画されていることだし、
もっと広く考えるならば、この世界のすべてが神が計画されていることである
つまり、自由意志があるようで自由意志がないわけであるが、個々人にとってそれはどうでもいいことなのである
なぜなら、我々人は、神様が何をお考えになっているのか、知りようがないからである
そして、それを知ることができるのはイエス・キリストのみであり、それ以外の預言者は偽の預言者である
人は神様が何をお考えになり、これからどうされようとしているのか、知る方法はないはずだからである
だから、別にキリスト教を信仰しろ、信心深くあれ、不信心は許さん、とはまったく私は思わないが、
人は機械ではなく、ロジックのみで動作するわけではなく、必ずしも論理的、科学的思考が正しいとも言えない存在であり、
特別な信仰はなくても、頭のどこかに神というか、なにか見えないものを信じる必要性さえあるように私は考える
水木しげる氏の、見えないものを信じる、にも似ているように私は思っている
キリスト教や宗教を悪と考える人たちがこの世界に多く存在することも事実である
しかし、本当に宗教が必要ないのか、人の心に平安を与える唯物論的ではない何かが必要ないのか、
個々人がそれぞれ考えておく必要があるように思う
そういえば庵野氏の昔のインタビューの中に、今の庵野氏の心情とは大きく異なっている可能性はあるが、
「飽食の時代だから心の問題を描いた」みたいな発言があったが、
たしかにそれはある側面では正しく、それがオウム真理教のような終末思想のカルトを多く生み出した
しかし、当時の庵野氏が言う、飽食の時代でなければ明日食べるもののことだけ考えるから心は問題にならない、
これは本当だろうか
もちろん、明日食べるもののことだけしか考えられなくはなるだろう、自分もそうなるだろう
しかし、エヴァで例えるなら、その極限的な状態でシンジにとってのゲンドウが死ぬ、シンジにとっての周囲の人たちが死ぬ、
でも、自分が生きてるからそれでいいや、みたいに思えるものだろうか
たしかに他人に対して思い入れがない、思い入れがない他人であればそうかもしれない
極限的な状態であれば、食料のために親が子を食べる、子が親を食べる、人が人を食べる、殺し合い奪い合う、
そういうことが起こっても不思議はない
しかし、人であるならば、どこかで我に返ったとき考えてしまうのではないだろうか
これでいいのか、何か間違っていないか、
そういった考えが人にあるからこそ、道具を発明したり、農業を発明してきたのではなかったのか
もし、人がそうでないのであれば、今でも殺し合い奪い合っているはずである
しかし、そうならなかったのはなぜなのか?
悲しいことだが、大切な人が無残な死を迎えても、これも神様がご計画されていたことである
神様の役割は、お賽銭のような賄賂をもらって人の願いを叶えることではないし、
すべての人類一人一人が不自由なく幸せになることでもないからである
逆に考えても、すべての人が幸福な世界なんてありえないとしか思えないわけで
あくまで個人的な解釈だが、まず聖書は寄せ集めの書物という考え方もあるわけで、
キリスト教の中にも聖書は無謬であり絶対的に正しいという考え方と、
いや、聖書にも間違いがある、本質的には神が絶対であり神を信じることである、という考えもある
だから、あくまで個人的な解釈だが、自分としてはキリスト教的に、
ゲイであれノンケであれ関係なく、すべての人たちが救済されるか救済されないか、という問題を抱えており、
それは神様が最初から決めているわけであるが、我々人は死ぬまでそれは分からないのである
だからこそ、一日一日を大切に生きていくしか、人にはそれぐらいしかできないのである
人は思い上がりやすく、この世界を宇宙をすべて悟ったつもりになりがちである
鋼の錬金術師のフラスコの中の小人ではないが、神に思い上がるな、と言われるまで人は自らの思い上がりに気が付かない
そして、人は基本的に怠惰であり、その思い上がりからも歴史的にも多くの悲劇を生み出してきた
神を信じなくてもいいが、自らが思い上がっていないか、常々肝に銘じておく必要があるように思う
タマネギ大を1つ半刻む
圧力鍋にいれる
そのままむき出しだと目が痛いから水3カップに沈めてついでに中火で着火
人参を大1本、皮向いて半月切り 5ミリくらいの厚み 乱切りでもいい 鍋へ
じゃがいも大1は皮むいて長手に4つわりにしてはしから1センチくらいで切る 鍋へ
鶏むね肉1枚かわをむいて長手に4つわりにしてはしから繊維に直角にきる 肉は皮めが下がきりやすいな
パンやナスは皮が上がいい というか包丁そろそろ研いだほうがいい
全部鍋に追加したらひたひた以下だった そういえば鶏肉みずたき(福岡水炊きほど濃厚ではなくしゃぶしゃぶにちかい)の出しがあまってたから全部濾し入れる ここに書くほどじゃないけど自分の昼ごはんのためとかでしょっちゅうやってる鶏肉しゃぶしゃぶ
蓋をロックして圧を強めにかける
急ぐときは鍋を蒸気がシューシューいいだしてから12分まって水かけて冷却して蓋をあける
鶏皮を剥ぐと手を洗いたくなるので洗う前に排水口にたまったくずをゴミ袋に移動すると効率がよい そのあと食器用洗剤で手を洗う
鍋の火をとめてだいぶしてからおもりがおちた音がしたら蓋が開けられるので底からまぜて水を1カップいれてルーを割り入れじゃがいもをくずさないようまぜる あとはとろみと味をみながら水を足す(最初は箱にかいてあるより水量少なめにしないと圧力鍋の規格を超えるし、圧力鍋煮込みだと水がとばないのでびしゃびしゃになるので、あとから足すのだ)
もう一度沸騰するまで加熱して色が深くなりとろみがでたらシュレッドチーズとご飯にかける
ルーはSBゴールデンプレミアム たぶん1箱350円くらいする(買い置き) たまにSBジャワのカロリー1/2中辛もやる もっとおいしいのやってみたい 安いカレーは(十分おいしいけど)ほぼほぼとろみの小麦粉と牛脂になっていくのよな 塩分とひきたて黒胡椒とカレー粉を足すとなんとかなったりするけどそれって無駄じゃね?と
安くないカレールー、1袋500円くらいしてスパイスしかはいってないようなやつ買ってみたい
まあオレなんかシャブコンソメいれて余計おいしくしちゃうから安いのでもいいのかなぁ
ちなみに家族につくらせると嫌いな人参をこまかい微塵にするのに時間がかかるし
ひき肉(半分脂肪)でつくるから肉からとけだした油が上にうくし(おれがこっそりすくって捨てる)
そんなに手間かけて安い味にするなら最初から星の王子さまだのポケモンだの
まろやかだの熟だのレトルトだの安いやつでいいじゃんとおもう
がお子様がいるおたくは後加工でまろやかにしたいだろうから参考にされたい
卵が一つもないが買いに行く気もしないので救済メニュー
水菜と卵がほしいな