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ドラクエ3 HD-2D版 

移動時は綺麗なグラフィック、マップの広さ・季節感と高低差がありドラクエ的な旅をしている感を得られて良かった。一方で戦闘システムが今までと違う(特にダメージ計算式)ので、一見ドラクエっぽいなぁと思っても、なんか違うなぁとも感じた。他にはルーラの使い勝手はよくなったが、ラーミアの移動速度が遅く、ユーザーの窓口を広げようとしている努力は垣間見えるが、行き届いていない感じもした。自分が求めるドラクエぽさが感じられる部分とそうではない部分の乖離があるリメイクだった。
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[ 2025/01/02 13:19 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

七英雄 

(リメイク版のネタバレあり) 
リメイクされたロマンシングサガ2。ロマサガ2といえば七英雄。初回プレイのラストバトルは、術法を全く鍛えずに敗北。知人からクイックタイムを覚えれば倒せると聞き、水の術法LVとJPを上げ撃破。七英雄はラスボスとしての強さが印象的だが、断片的に語られる設定もまた印象的。七英雄コラで知られるコミカライズは、当時殆どマンガを買わなかったのだがロマサガ2が好きだったので買った。
 リメイク前に語られていた七英雄は、民を守るため吸収の法を用いてモンスター(アリ)を討伐したが力を疎まれ追放された。狡兎死して走狗烹らる、という諺が相応しく同情の余地ある存在にみえた。リメイクはワグナス上司の大神官が七英雄の力と存在を疎み、追放に追い込んだ首謀者であると描かれた。克明に描かれたリメイク版だが、大神官を典型的な悪者の役割で物語に仕立てたのが、好みではなかった。私は古代人の総意で七英雄を追放した描き方を望んでいたようである。とはいっても、七英雄は吸収の法を用いた行い以外には非が無く、わかりやすい悪役を作らないと追放させる展開が描けなかったのかもしれない。 
 リメイク版で良かったのは吸収の法自体のリスク(同化した存在に記憶・人格を引っ張られる)をワグナス・ノエルが承知していたこと。この認識を持たせるだけで、彼らが自分がどうなろうが民を救いたいという気持ちが深く伝わることになる。しかしモンスターに堕したクジンシーがアバロンと皇帝と宣戦布告した為に、七英雄が最終的に敗れる結末を迎えることになった。余談だが、どこでオアイーブは血の誓いを知ったのか。語られていないが、オアイーブは帰還したワグナスかノエルと会って話を聞いていたのかもしれない。
 吸収を選んだ七英雄。継承を選んだ皇帝。ロマサガ2は短命種の人が千年単位の継承を経て、国全体を強くし不老の七英雄を破る物語。語られた七英雄と、人々から忘れ去られた最終皇帝。でも皇帝の仲間達は彼(彼女)のことを忘れず、また継承した人々の記憶が見守る最後は、子供の時はよくわかっていなかったが、大人になるととても刺さるエンディングだった。
 
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[ 2024/11/04 18:40 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

池田繁美氏逝去-富野作品に欠かせなかった存在 

「ぼくの美術の仕事は富野さんに教えていただいたようなもの」(出典:富野由悠季全仕事) 

 池田繁美氏は、由悠季名義のザブングル以降のZ・ガーゼイ・ブレン・Gレコ以外のほとんど作品で美術監督を担った。他のサンライズ作品も多い。富野監督が作品ごとでメインスタッフを変える、同じスタッフと組み続けない傾向がある中では珍しい存在である。キャラデザは業界外部から招聘したにも関わらず、美術背景は主に池田氏にお願いしていた。Gレコもスタッフ発表前は池田氏が担当だと思っていたが、違ったのが意外に感じたほどだった。池田氏の仕事姿勢については、富野由悠季全仕事のインタビューが一番手がかりになると思う。
 宮崎監督は自身の仕事仲間を次々亡くされているが、富野監督にも同様のことが起きているのだなと悲しくなってしまう。
 
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[ 2024/10/27 15:30 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

2chまとめ動画にみる落語的要素 

 かつての2ch等のスレッドのまとめをイラストと音声を使ってまとめた解説動画がある。例えば伝説の92といった、婚姻中の女性が不倫した、自身が有責にも関わらず、女性だから離婚しても夫から慰謝料をもらえる認識。女性はスレ内で相談するが、夫が降臨し投稿を止めさせスレは終わる。こうした家族・友人・仕事間のトラブル、夫婦の馴れ初めや仕事の成功失敗等を扱ったスレのまとめ動画は様々な投稿者によって乱立されている。
 上記の伝説の92が降臨したスレは様々な投稿者によって作成されている。興味深いのは、投稿者によって内容のまとめ(ストーリー)、イラスト、音楽といった動画を構成するセンスが違うこと。だから同じ内容ではあるが、投稿者の腕によって動画の面白さが違ってくる。原作の動画化は、作り手側により面白さが変わることを改めて認識した。また同じスレ(素材)を様々な投稿者が扱う点で、落語に似ていると思った。落語(解説動画)は同じ題材(スレ)を扱っても落語家(投稿者)により面白さが変わる。また2ch系スレのまとめは、立川談志のいう「落語は人間の業の肯定」からみても人間の悲喜交々や業が様々に浮き彫りにされている点でも落語的であると思った。
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[ 2024/08/14 19:17 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

逆シャアのちょいメモ 

シャア 「ふん、そういう男にしてはクェスに冷たかったな、え。」
アムロ 「俺はマシーンじゃない。クェスの父親代わりなどできない。だからか。貴様はクェスをマシーンとして扱って」
シャア 「そうか。クェスは父親を求めていたのか。それで、それを私は迷惑に感じてクェスをマシーンにしたんだな」

逆襲のシャア終盤。クェスの扱いに巡って、シャアとアムロが言い合っている。読み返すと、ねじれているなぁと思った。逆シャア初期の富野シナリオは、アムロにはベルトーチカとの子供がいてアムロが父親になる案であったが否定され、アムロには新恋人のチェーンがいる内容に落ち着いた。こうした諸事情で父親になれなかったアムロが「父親代わりなどできない」とシャアにいうのは、初期案に対しての思いも含んでいるようで可哀想にも思えた。
 さらにいえばクエスの父親問題の件でシャアに説教するならアムロよりブライトが適任ではあったと思う。実際に父親になっていたのはブライトであり、シャアはブライトを認めていた(やるなブライト)。評価点は人間というより指揮官としてかもしれないが…。Zガンダムのエゥーゴでの共闘時代も良好な関係に見えたし。何よりシャアはアムロにいわれるのだけは嫌であっただろうし。
 
 
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[ 2024/08/10 19:39 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

HD-2D版ドラクエ3の世界地図からみる追加要素の可能性。 

2024年11月14日発売予定 HD-2D版「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」
HD-2D版の世界地図が公開された。

DQ3tizu4.jpg

よく見るとFC・SFC版と違いがあったので、比較してみたい。
比較する地図は下記のものとする。

DQ3tizu2.jpg
(参考:世界地図風ミニタオル(Ⅲ)

DQ3tizu5l.jpg

変更されている地点

① アリアハン北東に小島の追加

② ロマリア西に小島の追加

③ ノアニール西部の森林の地形に若干の変化
  →HD-2D版は森林が海に浸食されて複雑化しているように見える

④ カザーブ東の森林の雪原化が広くなっている
  →FC版でも雪原はあるが、雪原の面積が広くなっているように見える
   さらに真ん中には新しく寄れそうな地点がありそう

⑤ カザーブ東に流れる川の流れる位置が変わっている
  →大陸の形も変化している

⑥ 新しく寄れそうな地点が多数
  →全て合っているとは限らないが、⑥と打った地点は
    何か寄れる場所がありそう。周りが何かで囲われているような描写である。

他にも龍の女王の城を覆う岩山の面積が広くなっている、
全体的に岩山の面積が多く取られている印象。
 
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[ 2024/07/15 11:07 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

ガンダムSEED FREEDOMのギャグ/ネタ的消費を容認する作風について 

 ガンダムSEED FREEDOMは、シンの闇が深いとか、とあるようにネタ的みせる描写、ネタを容認する作風が印象的だった。

zugo.jpg

例えるなら、原哲夫であいえば蒼天の拳のような印象だ。なぜこう思うか。SEEDも蒼天も、ギャグ/ネタ的見せ方で展開を転がす手法を覚えてしまった後の作品という点からである。さらにいえば、シリアスな笑いの作風から、ギャグに自覚的になった作風への変化であもる。
 原哲夫は、北斗の拳~花の慶次~九頭龍までは、いわゆるシリアスな笑い(笑いを取りにいっていないが、笑ってしまう要素がある)の範疇で踏みとどまっていたと思う。ただ中坊から、主人公の豪快な中坊のキャラと相まって、原の作風が笑いも取る作風、ギャグ/ネタ的見せ方で展開を転がすものへと変貌したように見えた。蒼天の拳は中坊の次の作品。
 SEEDの監督 福田己津央の作品もSEED-Dまでは原と同様にシリアスな笑いの領域にいたと思うが、FREEDOM前のクロスアンジュから原と同じ上述したような作風へと変化したと思う。SEED FREEDOMが見やすかったのは、クロスアンジュで覚えたギャグを使ってきたから。
 むしろSEEDとSEED-Dの世界観や提示しようとした物語がシリアス過ぎて、福田監督の元々得意な語り口の領域とは噛み合っていなかったと思う。そしてSEED FREEDOMは福田監督の領域と合っている。よってSEED・SEED-Dのシリアス性は、MBSプロデューサー竹田靑滋氏と脚本の両澤千晶女史によるものが大きいと推測。この二人が最終的にはいない(両澤女史は2016年に他界)FREEDOMが、最終的にこの作風(ギャグも容認)に落ち着いたという言い方もできる。
 
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[ 2024/06/23 18:38 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

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