DF三浦泰年 (清水エスパルスなど)
→ 「ヤス」の愛称で親しまれた三浦兄弟の兄。清水ではボランチで起用されることが多かったが、左SBのレギュラーのDF都並が怪我で出場できなくなったので、左SBのレギュラーとして起用されるようになった。直前に行われたアジア・アフリカ選手権のコートジボワール戦ではまずまずのプレーを見せたが、アジア最終予選の初戦のサウジアラビア戦と2戦目のイラン戦では守備のときに穴となって、日本代表が苦戦する要因の1つとなった。2011年に北九州の監督に就任して、2013年からは古巣である東京ヴェルディで監督を務めている。
MF澤登正朗 (清水エスパルス)
→ 豊富な運動量と高い技術を有したゲームメーカー。清水一筋でプレーして、「ミスターエスパルス」と呼ばれた。一次予選のときからメンバーに選ばれていたが、一次予選の最終戦となったアウェーのUAE戦の起死回生の同点ゴールが印象的である。「0対1のままで負けても最終予選に進出できる。」というシチュエーションだったが、無敗で一次予選をクリアする値千金の同点ゴールだった。同世代となるMF磯貝(G大阪)らとともに「ラモスの後継者」と言われたが、フル代表の主軸になることはできなかった。
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◆ まとめ #630 ドーハ戦士 22名の思い出 (後編) (2013/11/4)
→ ドーハの悲劇からちょうど20年が経過しました。様々な媒体でドーハの悲劇が取り上げられていますが、当時の日本代表メンバー22人の思い出を1人ずつ語ってみました。今回は、MF福田、MF北澤、DF柱谷、DF都並などをピックアしています。#629が「前編」になります。
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