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2026-01-21

氷河期の反撃の時が来た圧迫面接してもいい世界はすぐそこ

コンドラチェフ循環を考えれば数年もすれば圧迫面接賞賛される時代になる

あと1000日頑張ろう

2026-01-19

ローソンミクライブに行って「自分はいつまでこのライブを楽しめるんだろう」と思った話

タイトルのとおり。

終わったあとに「自分は、いつまでこのライブを楽しめるんだろう」と思ってしまった。


今回のライブが最高で、楽しかったというオタクはこの記事を読まないことをおすすめする。

ただ、一人の古参オタクが歳を取ったことを認めたくなくて、ぼやいているだけというのが高いためである


このままだと、界隈全体が緩やかに衰退するんじゃないかなと思った日記です。


まず前提として、自分は30代。

初音ミク歴は2007年ニコ動全盛期からで、つまり小6か中1の頃からどっぷり浸かってる。

人生の半分以上、初音ミクに支えられてきた。


ただ、ライブ歴は浅い。

マジカルミライが始まった2013年頃は受験就活の時期だったし、昔は「高校生が一人で飛行機に乗って県外遠征」なんてハードルが高すぎた。

初参加は2016年地方ツアー。そこから数年後、やっと金銭的に余裕が出てきたため、2023年からマジミラ札幌以降、2024年福岡マジミラ・地方ツアー武道館(ミクフェス)、マジミラ仙台と通っている。


で、今回の「ローソンミクライブ」。

正直、「マジミラ」じゃない冠がついている以上、何か新しいことをやるライブだと思っていた。


結論から言うと、「焼き回しパレード」を見せられた気分だった。


今回のコンセプトがマジミラ2013年リスペクトだったのは分かる。

でも、それって「当時の感動を、今の技術で再構築する」から意味があるんじゃないのか。

(だいたい、2013年リスペクトを匂わせつつ、なんで兄さんだけ最近の曲なんだ?)

(探せばもっと当時の曲だってあるだろ!このへんの「とりあえずやっとくか感」にしか感じられなかった)


■「エモい」と「手抜き」を履き違えていないか

ステージを見ていて、新衣装モデルと昔のモデル映像の差がどうしても気になった。

解像度なのか、モデリングなのか、理由は分からないけど、チグハグ映像流れるたびに現実に引き戻される。

モデルを変えないことが「愛」なのか?

私には「古くから参加している人に文句を言われないようにしている」ようにしか見えなかった。(言い方が悪くてごめんね)


そう、そしてここから文句なのだ演出のしょぼさも感じた。

適当に噴き上がる炎、スカスカレーザー

一般アーティストライブと比べて、バックダンサーもいない、生身の人間ステージにいない分、視覚的な情報量が圧倒的に足りない。

我々大人チケット代なんていくらでも払う。多少上げたっていい。

から、「今のライブはこんなに進化しましたよ」というのを見せてほしかった。

※後から知った話だが、にじさんじライブでは1年以上前透過スクリーントロッコ移動させるものがあったらしい。

初音ミクライブの方が「最先端」として走り出したのに、どこでこんな差が生まれしまったのだろう。


■「今」のボカロはどこに行った?

一番キツかったのは、会場の空気だ。


アンコール、静かすぎないか?あれがライブ初参加の層が多かったからなのか、古参が「いつものね」と地蔵化していたのかはわからない。

でも、演者が休憩するタイミングが、過去踏襲すぎて視野が狭まってないか

ミクフェス武道館)のときみたいに、DJ入れて繋ぐとか、飽きさせない工夫はいくらでもできるはずだ。

あんアンコールを聞くくらいなら「休憩中」と途中札を入れてくれた方がまだマシだと感じるくらいには悲しい気持ちになった。


そして何より言いたいのは、「今の曲」へのリスペクトのなさだ。


ボカロは今も進化してる。YouTubeTikTokでバズり散らかしてる新曲がいっぱいある。

別に最近の曲を流せ!」と言いたいわけじゃない。

ただ、まだライブでやられていない良い曲が山ほどある中で、なんでライブ流れるのは「いつもの曲」ばかりなんだ?

何度も見た曲がまた選ばれているのは、自分には「懐古」ではなく「惰性」にしか感じなかった。


2013年リスペクトから」?

いや、それならそれでいいけど、私たちは「2026年初音ミク」を見に来てるんだよ。

新しいボカロPはどんどん生まれてる。新しい名曲も生まれてる。

それを取り込まずに、「昔はよかったね」だけで回すようになったら、それはもう新陳代謝が止まった「死」と同義なのではないか?(白熱してしまいましたね、失礼)


新曲で発表されてた「アイドル戦士」も「シアンブルー」も予習して、コール完璧にして行ったんだよ。

でも、周りの反応の薄さ。スペシャルシートですら、やや盛り上がりにかけるコールペンラ振り。

(※スペシャルシートが外れたオタクは、涙のスタンド席だったけれど、周りでコールが聞こえることはなかった)

熱意を持って「新しいもの」を楽しもうとしている層は、どこに行ったんですか…?


ボカロオタク独り言

勘違いしないでほしいけど、もちろん楽しかったよ。

懐かしい曲で盛り上がるのも悪くない。

隣に居た2010年ミクパ以来ライブに行ったことないオタクは感動していた。

そういう初見の人でもいつでも参加しやすものであり続け、感動して帰ってもらう。それも大事だ。


しかし、長年追ってるオタクはどうだろう?

ライブ、いつの間にか「惰性」と「安心できる行事」になってないか


「いつもの曲」を聴いて、「いつもの動き」をして、「ああ、今年もミクに会えたな」と満足して帰る。

それはそれで幸せなことかもしれないけど、それって盆踊り初詣と同じじゃない?

でも、初音ミクライブって、そんな「伝統芸能」を守るための場所だったっけ?


テクノロジー音楽最先端を走って、クリエイターとただのオタクたちの架け橋を用意してくれて、度肝を抜くような「未来」を見せてくれる場所じゃなかったのか?


武道館のミクフェスにはそれがあった。ボカロPが登壇して、演奏して、DJフロアを沸かせて、「これが今のボカロだ!ついてこれるか!」っていう熱気があった。唯一無二の体験があった。

今回のローソンライブには、その「ヒリつくような挑戦」がなかった。

※だからといってマジミラにあるかと言われたら、ギリまだあるくらい。


私はまだこれだけ文句を言いながら通う。

来月のDECO*27単独ライブも行くし、ポケミクも行く。地方開催があれば旅行ついでに行く。


でも、もし本丸であるマジカルミライ」までもが、今回のような「安心安全な懐古イベント」であり続けるなら、わざわざ東京まで遠征するのをやめるかもしれない・・・


運営さん、そして我々参加者もだ。


「これでいいや」って思ったら、そこが衰退の始まりじゃないか

我々には、金はあるけど、時間は有限なんだ。


老人会」はまだ先だってよくない?

進化し続ける初音ミク」に金を払わせてくれ。


とりあえず、スモーク焚きすぎてミクが見えなくなるのだけは、そろそろ改善できるんじゃないですかね…!



追記

今回、TLがローミクライブについて、とてつもない賞賛のあらしだった。

それを見て、私は自分感覚がズレているのか思った。 「焼き回しだ」「進化がない」と感じたのは私だけなのか? と。


ということを考えた時にひとつ考えに至った。


恐らく、今新曲を聞いている層は「プロセカ」にいるのではないかと。

今の10代〜20代前半のファンにとっての「リアルライブ」は、初音ミクライブではなく、「セカライ」なのかもしれない。


若者層: 「セカライ」で、自分たちの世代ヒット曲演出を楽しむ。

・30代以上(我々): 「マジカルミライ」や「今回のライブ」で、過去遺産を楽しむ


運営側もビジネスから、客層を分析している。

金払いのいい古参ファン(我々)向けにチューニングせざるを得ない。

その結果、会場は「同窓会」化し、新規が入りにくいガラパゴス化が加速していく。


私はプロセカもプレイしているし、新曲を追うために課金もしている。

けれど、私が好きなのはあくまで「初音ミク」という存在のものだ。だからこそ、ゲームライブではなく、マジミラに足を運び続けている。

しかし、TLの反応を見る限り、今のここのファンが求めているのは「未来」ではなく、安心できる「同窓会」なのかもしれない。


結局、いろいろ御託を並べたけれど。


周りが純粋に楽しんでいる中で、一人で腕組みして「進化がない」「未来がない」なんて文句を言っているのは、変化を受け入れられない老害の始まりなのかもしれない。


まり、何がいいたいかというと、私が高齢化しただけかもしれないって話ですね。

2026-01-16

anond:20260116132042

実際には作品への否定的評価を「攻撃」つってピーピーいう話じゃん

勿論否定的評価の中には口汚い奴も距離感おかしい奴もいる

でも不満なのは否定されること」だろ?

そこ誤魔化すなって

 

作品褒めたたえられてその援用で人格まで賞賛されるなら

別に抵抗感なく受け入れちゃうだろ殆どの奴が

anond:20260116130444

賞賛されないのは別にいいとしても

攻撃されるいわれはないだろ

2026-01-15

理解される努力もしないのに理解されたいってのは他人から賞賛搾取したいし自分の好きなことしかしたくないって言ってるようにしか聞こえない

甘え

2026-01-14

伊藤詩織への大量の執拗バッシングとは?

「大量」、「執拗」とは言えない。

界隈にしか見えないバッシングがあるのだろうか。

望月、仁藤のツイートにぶら下がった擁護派の食いつき具合の方がよほど「大量で執拗」に見える。

特定個人東京新聞程度が批判記事?らしきものを出したからって大量とも執拗とも言えない。

また、映画を見た感想が、

「すばらしい!!、みんな観るべき!」

「それにしてもこれをバッシングする人は常軌を逸してる!おかしいよ!」

となるテンプレ後者発言はいらないし、攻撃しかない。

後は界隈の著名人は同様に批判発言個人の粗探しをし貶めている。

手放しに賞賛批判を封じ込め、仲間達と純度を高めあうのは結構だが、それを外から見たらどう見えてるかは想像つかないのだろうか。

そもそも伊藤詩織でもないのにあの人らずっと何を語ってるの?

2026-01-12

進撃の伏線が凄いって言うけどさ、

単に最初からきちんとストーリーとか世界観とか固めた上で物語を構築しただけでしょ?

その作り込み自体ものすごく凄いとは思うが、伏線自体は言うて妥当だろと言う印象になってしまう。まぁ、その点を『伏線が凄い』と言う言葉賞賛しているとかならまだわかるけど(とはいえ、仮にそうだったとしても言語化ミスってるとは思う。)

高市政権の高支持率になぜリベラル発狂してしまうのか

支持率が発表されるたびに反自民界隈が蜂の巣を突いたような大騒ぎで嘆き、呆れ、恨み節亡国論大衆蔑視とひどい有様なんだけどなんで?

支持率ってそもそもそんな大層なものじゃなくない?

特別自民支持者でも反自民でもない大多数の一般国民からすればなんか良さげなら支持するしイマイチな感じがしたら支持しない〜程度のものでしょ

政治家がやったことやってないこと事細かに把握してるのって政治オタクの人だけだよ

普通の人はSNS自分のところに流れてきた投稿賞賛OR批判空気とか自分生活で助かったこと困ったこからなんとなく決めてるだけ

そんな大した意味ないと思うけどな

2026-01-11

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

自発的価値規範

まずこの規範は、「自発的価値規範」と命名する。

SNS名前欄などにこの規範名前を書いて遵守する意志を示す、という使い方を推奨したい。

以下に規定を記していく。



この規範の内容は、ネットのある種の場所で多少なり暗黙に共有されていた考え方だと思う。

何かが起こり始める、ほとんど人のいない場所には、こういった考え方を本能的に持つ人間自然にやって来ていたのだと思う。

しかしこの考えを持っているのはあくま最初から持っている人間だけであり、それを知らない人間が彼らの振る舞いを見てこれを読み取るのは不可能だったろうし、実際誰もこういう考え方を明示しなかった。

また、いずれにせよ最初から知っていない人間実践できるものではなかっただろう。

それゆえこのように振る舞うべきという考えを誰も持つことがなく、おもしろ場所はつまらなくなる一方だったのだ。

しかし、おもしろ場所がつまらなくなるのは、人が集まることによる必然的な結果とは限らず、ただこの考えを明示しさえすればよかったのだ。

そもそも価値ある結果を生むにはどんな考え方を持てばいいのかを、誰も意識的には知らなかったのだ。

この規範を見て、こんな内容はとても誰もが守れるようなものではないと思われる人もいるだろう。

この規範はすべての人が守るべきことを提示しているのではなく、センスのない人間をはじき、価値あることをしたいと思っている人間だけで活動できるようにするためのものだ。

したがって、この規範を守れないと感じた人は、まさに守る義務がない人だ。

この規範価値を生むのに役立たないと考える人がいるなら、まさにこの規範とは正反対思想実践してみればいい。

その内容はこういうものになるだろう。

さしずめ他発的価値規範と名付けるべきだろう。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

あるべき規範方針

おもしろ環境意図的に作るには、おもしろ人間としての振る舞い方やあるべき気質規定し、それを人々に守らせなければならない。

あるいは、おもしろ人間けが守れて、つまらない人間は守ろうとは思えないような規範を作り、つまらない人間おもしろ環境に入ってこれないようにするのが、おもしろ環境を作る一番有効方法だ。

そこで、おもしろ人間が何をどう考えて、どう振る舞っているのか、そしておもしろ環境台無しにする考え方は何なのかを考えていく。

ネットでなされていたおもしろいことというのは、自発的価値を実現することだ。

自発的価値とは、評価者の主観にとって価値あると実感できること、主観にとって満足できることだ。

それを実現する手段とは、主観自身が、自身がどうやって満足するのかを、自身で探求することだ。

それは、それぞれの個人主体的に独力でなすことを基本とするものであって、他人が欲しがっているものを与えてその見返りをえるというような贈与的な活動では決してありえない。

自身感性のために自分努力して活動する、というのがおもしろ環境で共有されるべき意識だ。

からといって、おもしろ人間同士で一切協力し合うべきではないということでは決してない。

理想的な協力の仕方は、相手自身価値観のために自発的活動できるようにし、その人がその人の欲しいものを手に入れることを手伝うことであって、他者の欲しがっているものを与えることだけにすべての人が専念するべきというものではない。

基本的に独力で自身の生をよいものにできる、そうする意志がある人間だけで、協力し合うということだ。

自分活動によってえた知見、自分が何に価値を感じるのかということや、それを手に入れるためにどんな手段を取り工夫したかという知的な成果を、無償ですべての人に与えることが、自身活動のためにも必要なのだ

誰かを手伝うとか、知見を共有するさい、そのことで直接見返りを期待してはならない。

その代わり、他者の知見から自分にとって有用ものを選び取ることも自由にできることができる。

おもしろ環境の中で他者から与えられてもいい利益とは、自分自身で構築した価値観に基づいて活動する人間知的成果だ。

そしてのその知的成果を利用して自分方法論を発展させ、それをさら他者と共有することで、価値を実現する手段大勢と共同して洗練させていくことができる。

人は自身の満足のために積極的利己的に活動するべきであり、利他行為他者強制してはならない。

利己的に生きる人間の知見だけが他の利己人間活動の参考になり、他の人間自身の満足をえるさいの指針になり、したがって利己人間のみが利他的になれる。

自分他者に何かを与える代わりに自分他者から何かを受け取る、つまり本来自分のために使うべきエネルギーをあえて他者のために使い、他者にも自分のためにわざわざ労力を割かせるという考え方は、この価値観においては無用であり有害しかない。

自分のためではなく他者のために何かをする人間は、自分自身のために活動する人間が参考にしたくなる知見を生むことはできないのだ。

ここで利己主義という言葉を使っているが、これは非常に誤解を招きやす言葉だ。

利己主義ということで一般的理解されている意味は、他者が欲しがっているもののみを欲しがり、他者がいなければ自分欲望すら持つことができず、他者が持っているものを奪うというやり方でのみ手に入れようとする人間のことだ。

ある意味では、いわゆる利他的な人間もこの特徴に当てはまる。

ただ、人が持っているものを奪う代わりに、自分がすでに持っているものに大きな価値があると相手を騙して、それを与え、その報酬として相手が持っているもの自分に与えるよう仕向ける、そういう迂遠なやり方で奪うところだけが違う。

自分自分の欲しいものを手に入れようとしないこのような人間は、他者から報酬を受け取るに値しない無能だとみなすべきだ。

なぜなら有能な人間なら、わざわざ他者のために何かをするのではなく、最初からその努力自分のために向けるべきだからだ。

他者価値あるものを与えられるとしたなら、なぜ最初からそれを自分に与えないのか?

それは、本当は相手に与えるに値するものなど持ってはおらず、不当に相手から報酬を奪い取る詐欺師しかいからだ。

そして言うまでもなく、他者能力を信頼して自分自分感性に関わろうとしない、要するに詐欺師に騙される側の人間もまた、自分を騙してくる側と同類であり、ある意味では、詐欺成功させて片棒を担いで詐欺を成り立たせているため、排除すべき人間だ。

ネットおもしろ環境共通する特徴は、効率的報酬がえられる場所ではない、少なくとも報酬をえるにあたって一番効率的場所ではない、というものだ。

報酬のえやす場所とは、注目されやすく、評価される機会が多いということだ。

しかしどんな場所でも少し活気づくようになればたちまち注目を集め、人が集まるようになる。

そして、いいものには賛辞を送るのが礼儀でありモチベーションを上げるのにも役立つと考える人間が、いいものもそんなに大したものでもないもの賞賛し、いいねボタンの類を押して積極的数字を増やす

そうして、それまで報酬に繋がらないことをしていた人間までつまらないことをするようになったり、あるいはおもしろいことができない、してもほかのおもしろ人間との連鎖反応を起こせると期待できなくなり、おもしろいことがなされなくなる。

この流れは、止めようと思って止められるものではない。

評価がえられない場所において、わざわざそこに集まってくる人間は、自発的動機活動する。

まり評価に影響されない状況で活動できる気質を持っている。

しかし、活動に必ずしも評価必要としないからといって、他者評価報酬が与えられるようになっても誰もがその評価拒否できるわけではないし、評価のない状況を維持しようとする意志を持っているとも限らない。

おもしろいことができる人間でも、流れが変われば、その流れに乗ってしまうのだ。

から、たとえ自発的人間同士で集まっても褒め合いが生まれるようになる。

人がいなければ自発的になれる人間でも、人がいると他発的になる。

ある人から賞賛を受けると、その賞賛からの影響されないでいるのが難しいからだ。

賞賛を受けたとき、その受け取りを拒否すれば、敵対しているとみなされるだろう。

そして、褒めたり褒められたりする活動を受け入れるほかのつまらない人間から非難されかねない。

賞賛を受けると、その相手に借りができてしまうし、借りを作ることを拒否できないのだ。

褒めてくる相手がつまらないことしかできない人間だとすると、相手につまらないと指摘することができなる。

相手から利益を受け取ったのに、自分相手不利益を与えることになるからだ。

あるいは明確に相手の言うことを否定しないとしても、相手から賞賛無視する素振りを見せると、相手否定していると取られかねない。

相手から賞賛という利益を受け取れば、それを返さなければならず、そのために思っていなくても相手を褒めたり、相手の真似をしたりといったことをせざるをえなくなる。

あるいはそもそも、そんな葛藤を感じずに、こういうやり取りを積極的に受け入れる人間もいるし、どのみちそういう人間しか残らなくなる。

結局、人は他者賞賛などの利益を与えることができるという考えが一般通用していて、またそういったもの利益を感じる人間がいるせいで、必ずどんな場所もつまらなくなってしまうのだ。

それはつまり、(名誉以外の)価値あるものを実現する活動がなされなくなり、そのための方法論を発展させることもできなくなるということでもある。

おもしろいことがしたい人間は、そういう場所にとどまろうとはしないだろう。

なぜなら、おもしろ人間がわざわざ他者のいる場所(かつ人が少なく、褒め合いも少ない場所)で何かを発表しようとするのは、自分活動の仕方を他者に見せ、それをほかの有能な人間が発展させてさらに共有してくれるのを期待しているからだ。

評価が横行している場所では、価値を実現する手段を本気で批評したりすることはなくなるから有意義ものが生まれなくなるのだ。

以上のことからわかるのは、おもしろ場所を維持するための規範方針は、直接的な価値を求める人間のための場所を作り、他発的な人間排除する、というのものだ。

そして、他発的な人間、つまり他者の役に立つことをしたいとか、道徳規範に従うことであるとか名誉心のためとかいうような、自分行為価値判断を他人にゆだねるような人間排除するには、他者から利益をえることができず、また他者にそれを要求する権利を認めず、他者利益を与える義務も認めないという規範を導入するしかない。

このような方針に基づく規範規定し、おもしろ場所を維持するための体系的な方法を広めていかなければならない。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

価値あるものが生み出される環境

一般的規範を廃した場所、どんな行為賞賛などの報酬に繋がらず、尊敬もされないような場所でなされる活動は、おもしろものである可能性が高い。

なぜなら、報酬がえられないのにわざわざ何かをするということは、行為自身がそれで満足をえられるのでなければならないからだ。

これは、感性を働かせられる人間しかできないことだ。

自分自分のやることを評価できない人間は、報酬なしで満足はできないから、そういう人間排除されるというわけだ。

そういう場所にやって来る人間は、なぜわざわざそこを選ぶのか?

それは、同じように真に価値あると実感できるものを探す人間と共同して活動できるからだ。

おもしろ環境でなされる活動というのは、おもしろい人同士が相互作用し、新しくて、実際に人の感性を刺激するもの連鎖的に生み出していく営みだ。

最初に誰かがおもしろいことして、別の人間がそれを自発的に、その人の感性によっておもしろいと感じ、最初のものとは違った新しいものを作り出していく、そういう連鎖的な活動がなされるのがおもしろ環境というものだ。

これは、他人がやっていることを評価基準とみなして学習し、報酬をえるために真似し続けるような人間がいない場所しかできないことだ。

おもしろ人間に対して報酬を与えることができるとすれば、報酬がない環境を維持し、同じように自発的おもしろ人間報酬なしで成し遂げた成果を共有できるようにし、それができない人間排除することだけだ。

いいものを作ってくれた人にはお礼やご褒美をあげないといけないとか、おもしろ活動を促進するために報酬約束しないといけないという考えは、たちまちおもしろ環境を腐敗させる。

報酬が与えられる条件がどんなものであっても、報酬がえられる条件と人が実際に満足するかどうか(おもしろいかどうか)という条件は必ず乖離するものであり、表面的な評価基準を満たそうとするだけの人間がやってきて、すべてが台無しになってしまうのだ。

価値あることを実現する資質とは、他者からの間接的な価値判断を信用せず、自らの自発的感性の働きを自覚することができ、そのために活動しようとし、他者自分の行動の動機に影響を与えるのをよしとしないことだ。

そしてその反対に、無価値さをはびこらせるのにつながるのは、外的な動機しか行動しない人間であり、また、人に外的な動機を与える環境だ。

外的な動機で行動することや、それを奨励する環境は必ず腐敗する。

評価するがわの人間でさえ、本当に自分評価対象によって満足をえているとは限らないのだ。

何かを評価する人はただ、送り手が価値あるものを作っていると信頼して、自分ではなぜ満足しているのわかっていないのに満足しているだけなのかもしれない。

受け手が、対象のどんな性質自分感覚をどう刺激したのかという因果関係をはっきり自覚しているとは限らない。

受け手評価する能力が、送り手の自己評価する能力より優っていると、どうして信頼できるのか?

そのうえ送り手が自己評価できないなら、価値保証してれるものは誰もいないのだ。

送り手が自分活動の良し悪しを判断できず、受け手自身感性判断してくれると期待している一方で、受け手は、送り手が自身の成果を保証してくれているはずだから自分もそれをよいもの判断して問題ないに違いないと考えるという、循環依存が起きかねない。

まりその状況では誰もものごとの良し悪しについて考えていないわけだから、いいものを作ったり、何事かを良くしていく活動などやりようがないのだ。

ここで言いたいのは、「客観的価値評価する能力」などといったものではなく、主観的価値主観的な満足さえろくに自覚できない人間がいるということだ。

そういう評価者の要望を聞いたところで、彼らを満足させるものは生み出せない。

他者から評価尊重して何かをする人間がいる環境や、積極的ににそうするべきとされている環境では、結局誰をも満足させないものを際限なく作り続ける義務が発生しかねない。

そうなるくらないなら、他者への評価を一切禁じ、行為自身のみが自ら評価者とならざるをえなくるするほうが、価値あるものが多く生まれるのだ。

また仮に評価する側が自身感性評価できるからといって、送り手が受け手の反応だけを見て活動していればいいということにはならない。

なぜなら、その環境価値方向性を狭めることになりかねないからだ。

他者評価に影響を受けるということは、被評価者は評価者のうち誰が一番適切なのかを判断できないということだ。

したがって、被評価者が最終的に受け入れるのは、多数派か、影響力の強い少数の人間かのどちらかになる。

多数派価値観というものができあがっている環境では、当然その価値観が多くの活動者に影響を及ぼすことになるため、その環境価値観の多様性は狭くなる。

少数の人間によって作られた価値観が共有されている場合も同様だ。

仮にその少数の価値観が確実に誰かを満足させることができ、しかも多くの人を満足させられるとしても、価値観が少数に修練していくことはあってはならないのだ。

ある人の何かを評価するということは、それにしか価値がなく、それ以外のことは無価値であり、したがってそれ以外のことはやるなとほのめかしているようなものだ。

価値観の方向性の多様さを確保するには、それぞれの活動者が他者評価に影響されないようにし、それぞれが自発的活動するしかない。

そして、そのような自発的人間だけを選り抜くために、評価という報酬がないほうが都合がいい。

実際にネット活動していた人たちがこういったことを自覚していたかどうか、意識的動機はともかく、定まった評価基準もなく、報酬もえられない場所活動することには、実際そういう効用があるのだ。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

インターネットはつまらなくなった。

まらないやつが多くなったからだ。

まらない状況というのは、単にコンテンツがつまらないというだけでなく、つまらないものおもしろものとして受け入れられる空気ができることだ。

自分個人はつまらないと感じているが、ほかのみんなはおもしろがっているらしいと感じるような、そういう空気があるのがつまらない場所だ。

ネットでもどこでも、つまらない空気が生まれるのは、一般人とやり取りするための礼儀作法社交辞令規範意識といったものが広く一般的に共有されるようになるからであり、つまらない人間というのはそういうものを身に着けた存在だ。

ネットおもしろいことをしていたのは、意識的にであれ無意識にであれ、そういう社交辞令の悪影響から逃れたがった人間だった、と思う。

ネットおもしろさは、無意味な社交の中からは生まれえないものだ。

社交のための社交などない場所が広がっていき、それゆえ本当に価値あるものけが生み出される場所ができあがっていくのではないかという期待が、ネットおもしろさだったのだ。

その期待がなぜ潰えてしまったのかといえば、おもしろい人によるおもしろ場所での振る舞い方や持つべ意識といったものを誰も自覚せず、体系化もせず、おもしろさを生み出す方法論を大勢に伝えることができなかったからだ。

おもしろ場所を維持するには、そこにいる誰もがおもしろさを損なわない振る舞いでやり取りしないといけない。

最初は、本能的にそれを知っている人間けが自然に集まって、自然にやり取りしていた。

でなければあるいは、誰とも交流しないような人間が一人でおもしろいことをしていた。

そういう活動の仕方は明示されたものではなかったから、そうしないとおもしろさが損なわれるということを誰も知ることができなかった。

一方で、普通の仕方のやり取りは誰でも知っているし、普通の社交を嫌悪している人間でさえ知っている。

普通一般的な社交の仕方に取って代わる規範を誰にでもわかるように提示できなかったから、つまらない活動を促進する作法で人々がやり取りするのを止められず、ネットはつまらなくなったのだ。

結局どうするべきなのかといえば、人におもしろ活動を促進し、おもしろさを損なわせず、つまらないものをはびこらせない振る舞いと作法を明確かつ詳細に規定し、おもしろ人間しか守ることのできない規範を作り、その規範を守れる人間だけで活動するべきなのだ

まらない作法とはたとえば、つまらないものや、つまらない人間につまらないと言えないといったことだ。

もしそうしたとすれば、そのつまらない人間は、礼儀を守れとか、個人価値観を尊重しろというようなことを言うだろうし、またそういう主張の正当性一般的に認められている。

あるいはまた、他者から賞賛された場合、その人やその人のやることに賞賛を返さなければならず、その相手が気に入らなくても否定できなくなる。

から、つまらない人間から肯定されれば、意に反してその相手のやることをおもしろいと言わなければならなくなる。

そういう規範があるせいで、局つまらない行為排除されず、むしろ人々に認められさえするということになってしまう。

人には礼節を守り、相手名誉を守り、損ねてはいけないこと、そして相手名誉や称賛などの利益を与えないといけないこと、とりわけ、相手からこちらの名誉尊重されたり与えられたりすれば(たとえこちらが名誉を望んでいないとしても)相手名誉賞賛をお返ししなければならないこと、という規範がある。

そういったことを実践するのが、一般的な社交のしかたというわけだ。

まり他者利益を与えること、他者から利益を与えられる権利であるところの名誉を与えること、他者名誉を損ねないこと、という規範だ。

加えて、相手から利益を与えられればそれを断ってはならない。

それを相手に返礼という利益を与えることを拒否することになるからだ。

明らかに価値人間価値否定することができず、価値ある活動の助けにならない相手から賞賛拒否することもできず、価値ある活動制限されていくことでつまらない状況が作られる。

一般的礼儀規範というのは、他者利益を与えることをよしとしている。

一般的規範根本的な目的は、それを守る人間名誉を与え保証すること、だと言える。

人とやり取りするときにはそのように考えて振る舞わなければならないと、誰もが無意識に考えている。

しか名誉が与えられるからといって、その相手価値を実現する能力を持っていることは保証されない。

しろ、お互いに名誉保証し、与え合わなければならないせいで、価値を実現する活動をしたり、価値を実現する能力を身につけることが妨げられる。

また、大して能力がなくつまらないことしかできないが名誉をえようとする人間が不当に名誉だけをえるすべを磨こうとするし、そういう人間排除されずにのさばる。

相手名誉尊重賞賛によって相手活動を促そうとするのは、価値ある活動の促進にまったく効果がなく、反対に、おもしろいことを最初からするつもりがない人間を寄せ付ける餌にしかならないのだ。

からしろ反対に、名誉を発生させないような規範を作らなければならない。

価値あるとかおもしろいと感じたら、それを生み出した人に賞賛名誉報酬を与えるのが好ましい、むしろそうするべきであるという規範意識が、おもしろものを促進するどころか衰弱させ、むしろまらない人間を呼び寄せ、つまらないものを増やしているのだ。

その代わりに、人を賞賛せず、人が名誉を持つことを禁じ、名誉毀損されることに異議を挟むような人間排除しないといけない。

そのような環境でこそ、おもしろ人間が集まり価値あるものがより多く生み出されるというのがここで主張したいことだ。

本来価値あるもののために活動して生きるということは、どんなもの自分感性を刺激して満足させるのかを知り、そういったものを手に入れるにはどんな手段実践すればいいのかを知り、実行することだ。

しかしある種の人間は、自分感性の働きを自覚することに熱心になろうとしない。

何が自分を満足させるのか、何に価値があるのかを知ろうとはせず、他人が欲しがっているものを欲しがるだけだ。

そしてそれを手に入れるために、自分でどんな手段を取るべきかを考えるのではなく、名誉をえたり、他者に施しをすることで、他者から報酬として何かを手に入れようとする。

何に価値があるのかという知見を増やそうとしたり、どんなことをすればどんなものが手に入るのかという因果関係を見極めようとはしない。

彼らはあくまで、自分感性を刺激するものではなく、他人が欲しがっているものを見て自分が何を欲しがるべきなのかを学び、またそれを他人から与えられるという方法でのみそれを手に入れようとする。

そのために、賞賛されているものから価値観を学び、他者から賞賛をえることで自分名誉を高め、他者から報酬をえようとする。

名誉礼儀規範がある場所は、本来感性を持つもの自身感性に正直に振る舞わなければ正常に機能しないのだが、そこにはつまらない人間が欲しがる餌が豊富にあるため、自分感性を持たないつまらない人間が大挙してやってきて、機能不全に陥る。

価値ある活動がなされる場所を維持するにはこのような人間排除する以外にない。

彼らが何か努力して価値あるものを生み出す能力を身につけることは不可能だ。

なぜなら、そもそも他者から何かを学ぼうとするその姿勢のものが、自発性の欠如を示しているからだ。

他者から何かを学ぼうとする人間は、自分のやることをお手本となるものと比べて、自分能力を測り、それを報酬とする。

また、お手本とどれだけ近いかは、自発性を持たない人間でも判断でき、それゆえセンスのない人間でも他者評価できるようになり、つまらない人間同士で報酬を与え合うようになる。

報酬を与え合うという営みを一切しないようにし、餌を見せないようにするしかないのだ。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

2026-01-10

伊藤詩織映画についての賞賛が多い?

そりゃ、疑問を投げかけたらワラワラ説教フェミニストがやってくるのに批判なんて書かんだろ。

そんな馬鹿相手にするほど暇じゃないんだ。

映画になった時点で受け取り方はそれぞれなんだよ。

多様性だろ?

上司やばい


上司というか雇い主(社長なのだが。

上司が立ち上げた数人規模の小さな会社で、まあまあ長い期間勤めている。過去には私の先輩にあたる立場の人もいたが辞めてもういない。私が社歴年齢共に最年長にあたる。

 

最近自己愛パーソナリティ障害というものを知った。アプリたまたま読んだマンガがそれをテーマにしており、読み進めるほど「あれ?これ上司じゃね?」と感じ、ネットであれこれ調べた。

私は医師ではないので診断はできないが、忘備録として素性が知れない程度にエピソードを書き記しておこうと思う。

 

他者アイデアパクる

彼はびっくりするほど人の意見パクる。「それは私が先日考えてた(話した)企画では?」と言うと「君の話を聞いた後、一旦頭を無にして出てきた僕のアイデアだ」などと言う。あと「君に話を聞く前からオレもその構想を持っていた。これが証拠だ」と言ってそんなことひとつも書いてないメモなどを持ってくる。こわい。とにかく「わかりました」や「そうでしたか」と言うまで謎の弁明が続く。ちなみに私の意見勝手にパクって勝手に客先でプレゼンしたりするが、ダメだった場合は「君の企画ダメだったよ」と事後報告してくる。ダメだった場合のみアイデアが私の元に返される。こわい。

 

・私の言ったことが「俺の言ったこと」になる

例えば社員経営問題点改善点を上司に伝えると、まるで俺が気づいて言ったのだという風になっている。上記アイデアパクリ構造はほぼ同じである。私が言ったことを、みんなの前でまるで口寄せのように同じ言葉を繰り返す上司の姿を見ると何だか不気味だなと思う。最近大事な話はあえて2人きりのときではなくみんなの前でやるようにしている。

 

 

記憶自分の都合の良い形に書き換える

私の実体験と彼の語る過去エピソードが違う。しかもその体験は年々、彼の都合のいいように変わっていく。こわい。例えば私が「子どもが川で溺れたが助かった。上司も他のみんなも救出に参加した」と記憶してるエピソードがあるとする。彼の中では「子どもが川で溺れたが、オレがいたことで無事救出できた。親には今も泣いて感謝されている」くらいになっている。過去にいた社員退職理由なども自分に都合よく解釈を変えていたりする。「いや、あれは実際はこうでしたよ」などと言っても次にはまたさらに素晴らしいオレの体験になってる…というのを何年か繰り返すうちに異常性に気づいた。改竄レベルが高いほど他者に話す頻度も高い。何度も人に話すことで「本当にそうだったこと」にしたいのかもしれない。

 

SNS中毒

起きたことすべてをSNSで報告する。今考えてること、今いる場所、今誰と何をしているか、今どんなことをしているか……私の発言も、上司が気に入ったものは「オレが言った」ようにうまく書き換えて発信してるので、他者発言も同じようにされているのだろう。あとは自虐風自慢。一時期流行った地獄のミサワみたいなアレだ。そういうのを見続けていると彼の発言の大半が虚言だと感じてしまい、会話の内容も信じられなくなる。ちなみにコンプラも割とやばい発言が目立つ。

 

・謝らない

例えば鍵の閉め忘れのようなミスを指摘したら「アレは〇〇だったから閉めるタイミングを見失っただけだ」などと言ってくる。別に数回なら気にならない。ただ彼の場合特記事項として記載したくなるくらいには謝らないのだ。基本的に「オレは悪くない」という姿勢が強く、「オレの非」でなくすためすべて相手のせいにする。経営に関することも若手社員のせいにしたりする。やばい

 

・オレは悪くない(他責

上記と同じっちゃ同じなのだが。私がまだ新人だった頃、「オレたちは悪くない」と言って取引先に非があるように振る舞う姿を「社員責任押し付けないのはこの人のいいところだな」と思っていたが、とんだ勘違いだった。単にどんなときも「オレは悪くない」なだけだった。1社対1社のときは「オレたちは悪くない向こうの会社が悪い」だが、私と上司の1対1になったとき彼はすべて「オレは悪くないお前が悪い」なので「あ、なるほどそういうことか」となった。それに気づいて以降、他社と彼とで何かトラブルが起きた時も物事を冷静に判断できるようになった。

 

・聞きたくない話は話題すり替え永久終了

夫婦間の話に置き換えてみる。「子供大学資金を貯めるため夫婦お小遣いを減らしたい」と話し合いをしていたはすが、都合が悪くなったのか彼は一旦話を後日にしようなどと提案する。後日、改めて話そうとすると「子どものことをあんなに考えてくれてキミは最高のパートナーだよ。君と結婚して本当に良かった」などと言って話を終わらせ、肝心の大学資金について話し合いができない状態になる。こわ。

 

 

付き合いが浅い人から見れば彼は「自分事業起こして活躍してる人」に見えるし、SNSや虚勢の話だけを切り取れば「いつも素晴らしい考えをしている人」だ。でも 実際裏側を見たり、長く付き合うと「こいつマジやべえな」になる。

 

私がいちばんまいっているのは「私の創造したアイデア意見を彼のものにされること」だ。が、恐ろしいことに彼の中ではそんなことは一度も起きてない。彼の中では「君の話を聞いた後、一旦頭を無にして出てきた僕のアイデアだ」だし「君から話を聞く前からオレもその構想を持っていた。これが証拠だ」が事実なのだ。こわ。

そしてその結果で得た賞賛は全て自分のものしかない。私のものにはならない。こわ。

 

からすれば、おそらく私の方が「何もかも俺のせいにして事実改竄してくる人」に映っているだろう。

 

実は病気なのは私なのではなのかと、かなり悩んだ。誰かに相談しようにもうまく伝わらないし、私もこの日記を読み返しては「本当にこんなことが起きてるのか?自分解釈おかしいのではないか?」と苦しかった。

悩んで悩んで、「上司以外の人間にこんな想いを抱いたことがないので恐らく私は大丈夫だろう」という決断に行き着いたが、わからない。やはり変なのは私なのかもしれない。こわい。

 

 

 

この日記は1年ほど前に書いて、ずっとメモ帳に置き去りにしていた。

ただ先日、Xで長年ある女性マネされて執着されている女の子話題を見て「そういえば自分も」と思い出し、新年だし供養したくなった。

今までは「別に彼がどれだけ記憶改竄しようと丁寧に仕事してればお客さんや周りの人は私についてきてくれる」「彼がどれだけ私のアイデアをパクっても恐らく使いこなせない。何故なら彼から出たものではないから」などと思ってやってきたけど、もうそろそろ限界かな。2026年、私の生き方が良い方に変われたらいいな。

2026-01-06

作中での行動を悪として描いていても嫌悪感のある表現ってあるよね

[B! togetter] 『AKIRA』でカオリが服を破られて殴られるような「嫌悪感を抱くシーン」がある時点で「作品として評価できない」という結論に至る人がいるのはなぜ?

このエントリ読んで思ったこと。

AKIRA自体は前にYoutube公式無料公開してたのを見たことはあるんだが、当該のシーンは記憶になく特段ひっかからなかった。

とはいえ、その意見批判する側で

・「悪人悪人として」「よくないことをよくないこととして」描いているシーンである

・「作品の中で描いている」=「それを賞賛している」というわけじゃない

って擁護に引っかかった。

これ自体は只の事実正論で実に正しいんだけど、それでも尚「それは前提とした上で視聴者映像面での不快感嫌悪感を与えない表現」もあるんじゃね?って思う。

レイプであることは匂わせつつライティングカット割りで工夫して本番そのものは見せないようにしたり脱走兵バイクで牛裂きにするけど肝心の瞬間は砂埃で隠したりって感じのやつ。

そればっかりにしろとは思わんしレーティングさえしっかりしてくれればエロでもグロでもやればいいと思うし好きで見てるものもあるけどマスに向けるなら必要配慮になってくんじゃねとは思う。

例えば寿司はサビ入りしか認めんのだが最近回転寿司やパック寿司最初からサビ抜きで作ってあって好みでどうぞって感じなんだよね。いやそれ昔はそっちがオプション扱いだったやろがい!って

あと喫煙者でもあるんだが最近はめっきり吸える場所が少なくなって家かバー紫煙くゆらしてるけど昔は新幹線車両で吸えたり職場で堂々と吸ってて非喫煙者マイノリティだったもんな。

この遷移って昔は刺激とも感じなかったことに苦手な人が声を上げられるようになって、より万人に向けた低刺激を基準と捉えなおした結果だと思うのよ。

そんな感じで世間様は「より不快感嫌悪感を与えない」社会を求めていくんじゃないかなー、と。その対象表現だとしてもね。

まぁなんでこれ書いたかっていうと時計じかけのオレンジ最初の方で仲間と一緒に夫婦の家を襲撃した段階でキブアップした苦い経験があるんだよね。

あれが次段の更生矯正教育(なんか目開けさせるやつ)に繋がっててそれが話題で本当に名作でって言われたとしても見る気起きなくなっちゃった

今後も見るつもりないです、はい

not for me の限界

この話を読んで、炎上した CM を思い出した。

[B! togetter] 『AKIRA』でカオリが服を破られて殴られるような「嫌悪感を抱くシーン」がある時点で「作品として評価できない」という結論に至る人がいるのはなぜ?

CM動画は、楽器カメラプレス機で粉々に破壊して iPad Pro に機能をまとめる、という内容だった。

過激表現は波紋を呼び、

『モノを大切にすべき』

日本を中心に強く非難された。

CM の中で Apple楽器破壊する行為賞賛したわけじゃない。

あの表現で何を描きたいのか、その意図はみんな理解してたはず。

なのに、CM はまったく評価されず、Apple 社は謝罪に追い込まれた。

AKIRA での女性への性加害シーンも not for me でいいだろ、と人はいう。

だったら iPad Pro の CM からも目を背ければ済む話だ。

女の子が服を破られるシーンの描写のもの個人的に嫌でも、意図評価すればいい?

だったら Apple 社の意図を汲んであげるべきだったろ。

実際には not for me のバリケードが破られる場合は多々ある。

近年、従来の常識が書き換わりつつあると思う。

not for me はかつて信じられていたほど強固なバリアじゃない。

まり知られていないが、ポケモンアニメは波のシーンを描き直した。

東日本大震災の直後のこと。表現のものダイレクト視聴者を傷つける怖れを考慮したのだろう。

被災者を大切にすべき』

というモラルが強く働いたんだ。

2026-01-05

ゲームは楽しむ姿勢で変わるよね。私は楽しかったぜ、ドラクエ1・2リメイク

https://note.com/kaburagi_wakana/n/n7b48735820d1

あら探ししながらのゲームって、あんまり面白くならないよね

私はHD-2DドラゴンクエストⅠ・Ⅱを、けっこう楽しめた

先に発売されたドラクエリメイクは、このブログの筆者と同じで、発売日からプレイしたけどけっこう不満があった

でも、違うところは、Ⅲリメイクの発売後かなり経ってからあった大型改善パッチのあと、もう一回遊んで、

「あー、やればできるじゃねえか」「最初からやろうよ!」

となったタイプである

たぶん、ここが分かれ目だったんじゃないか

「もうダメだろう」と思いつつ遊んだブログの筆者と、「どう良くしていくのか」と期待した私との

その上で迎えたドラクエ1・2リメイク発売

リメイクはあるものベースFC時代ゲームであり、システムは遠い昔のコマンドバトル

とくに、ドラクエ1は一人旅という制限もある

一人旅ラリホーは必中、今じゃ考えられないゲームバランスだ

それを思い出補正キラキラさせながら、多くの人がリメイクを手にする

「どれだけ面白い要素を入れてくるかな。でも、古き良きドラクエを変えないでね」

たぶん、そんな期待が多く渦巻く中での発売だったと思う

この難題をどう解決するのか、私はワクワクしながら隅々までプレイして――

結果、めっちゃ楽しんだ

旧作の味わいは残しつつ、その理不尽さを現代風に解決する新要素を組みこんできたのだ

「このシステムドラクエⅢをしたい」「次はドラクエリメイクリメイクだな」

なんて、まわりでも賞賛の声は高かった

ドラクエⅠ・Ⅱリメイクは大幅に賛否が分かれる作品になったと思うが、私や私のまわりは賛の方の住民だった

もちろん完璧ゲームじゃないから、否定の面はすごく分かる

というより、そもそもが負け戦だったのだろう

ドラクエⅢの影響を受けて、発売前から面白くないだろうけど気になるのでクリアだけする」という声もあった

そうしたとりあえず流すプレイだと、理解が求められる新要素は深く味わえなかっただろう

「新要素が出てきた。こんなの覚えさせられるのかよ。だっる。使わなくてもレベル上げりゃいいんだろ…」

「新要素が出てきた。試しにやってみるか…お、つよっ!あ、新技2つ組み合わせられるかも…あの苦戦したボスワンパンかよ!」

たぶん、賛否はこういう違いの積み重ねで発生していったのかもしれない

ゲームはみんながそれぞれ楽しむもの

辛口呪詛を吐く人がいたっていい

でも、私はゲームってだけで甘口になるタイプなので、せっかく味わえるゲームを楽しめないのはもったいなく思う

プレイの人がその呪詛で「面白くないゲーム」という理解をされるのは、ただ悔しい

このブログの人の他にもそういう声があったので、いい面も伝えたいなと思って、

詳細は控えるけど、「いろんな遊び方があるぜ!」っていう動画も細々とアップロードしている

本当はその動画面白さを伝えたいのだけど、始めたばっかりだし再生数も2桁だし、なんの力もないので増田で語る

否定したくなる気持ちも分かるけど、楽しむ気持ちで遊べば、かなり遊べるゲームだよ!」

というわけで、挙げられていたマイナス面が薄められるよう、以下に簡単な弁護をしていきたいと思う

■ただでもいらないキラキラ・宝箱

おっしゃるとおり!

苦労してたどりついた先の爽快感がない!

ここに関しては弁護が思いつかなかったので、他に弁護したい人に任せる

■巻物システム

これはめっちゃ面白かった

好きなキャラに好きな技を覚えさせるシステムキャラ選択に縛りはあり)

たぶんドラクエ2のためで、キャラ育成に幅が出ないという問題を解消する、というために生まれたのだろう

ローレをお手軽に強くするか、サマルを最強にするか、という選択もできる

横道にそれるけど、

Ⅱはプレイ体験の幅がすごく広く作られていて、私としては「物理ムーン王女」がお手軽さで最高だと思っている

物理ムーン王女キャラが壊れるとか嘆く人がいるかもしれないけど、私はすげー楽しい!ってなった

プレイごとに、本当にいろんな遊び方ができる

で、巻物で楽しんだのはドラクエ1だ

すこしだけムリして進めば、序盤でいきなりヒャダルコを覚えられる

私はこれで無双して、たのしー!ってなった

もちろんMP管理必要になるが、けっこう画期的システムだった

好みの問題だろうけど、プレイによっていろんなゲーム体験ができるのって楽しいんですよね

これで、ドラクエ3の勇者にいろんな技(ビーストモード)を覚えさせられたらなあ

ベホイム紋章場所が分からない

あー、うん、これは前置きされている通り、ブログの筆者の個人的意見かな…

ベホイムは分かりやす本棚に刺さっているし、これに関しては感想で「こんなの見落としてしまう!」という声も少なかったか

けど、これを見落とす人は不注意とかじゃなくて、そこまでの流れによほど不満を持っていて、

「もうさっさとクリアしたい。町の人とか話したくない」

っていう負の気持ちで、軽い探索もせずにイベントだけに直行していったのかも

ただ、ドラクエで「探索しないと分からないのは不親切」ってのは、個人的呪詛かなあと思う

あと、新しい要素を使えば、ベホイムクリア必須アイテムではないので…

サマルトリア妹が嫌い

個人の好み

遊び行動を取るのは個性をつける意味でけっこう面白かった

トルネコが嫌われてるなら、トルネコの大冒険とはいったい…

それと遊び行動は後半になればほとんど出ず、その中で悪い効果もかなり限られているので、

それがよりによってボス戦で出たというのは、不運でしたね、としか言いようがない

でも、スクショもわざわざ撮りなおすほど粘ったら分かると思うけど、呪詛を吐くほど頻繁に起こることでもないでしょう?

あと、「こういう不利な行動をされて全滅した!」と憤るのもわかるけど、

今作のシステムでは全滅しても一瞬で戦闘開始まで戻れるので、激怒するほどのものかなあと思う

サマル妹が嫌いって気持ちで過剰に描くのはやめた方がいいです

私は逆にかわいくておもしろいと思ってるので、逆の補正が入ってるかもしれないけどね

■超絶技を覚えるのが面倒

すべてを暗記…?

「ちからため(2倍ダメージ)の超絶技は、超ちからため(3倍ダメージ)」とか暗記せなアカンかな?

試し打ちとかできればよかったかなあとは思うけど、「超絶技をおぼえた!」ってなったら、少しは試してみないかな?

通常と超絶のつながりがわかりにくい効果もあるけど、それらは別に必須技でもない

そういったのは、「必須技じゃない技の効果が意外に強くて、気づいた人だけ少し効率プレイができる」とか、

ゲーマーとしてはワクワクする要素でもあったりする(2周目プレイオススメ

で、分かりやすいところだけでも、軽く調べるだけで、

バイキルト」「超ちからため」「竜王斬り(ドラゴン斬りの超絶技)」とかが手持ちにあるので、

これはもう組み合わせるしかないでしょ!ってなって、めっちゃダメージが出て、たのしー!ってなる

レベルを上げて無双」も面白いけど、「自分戦略無双」ってのも面白いよね

その楽しさをドラクエ1で体験していたら、ドラクエ2の超絶技の種類は多いかもしれないけど、確かめてみよう!ってなる

でも、1で超絶技を少ししか使わず、2で覚えるのがだるいってなったら、ボス戦はしんどかったんだろうなあ

たぶんそんな感じで、どんどん楽しい熱量に差がついていったのかも

ただただもったいない

ちなみに、ドラクエ1の救済措置としては、ギガデインの超絶技「ジゴスパーク」があるので、ベホイム発見できなくてもクリア問題はないか

超絶技は使わないポリシー?ザコ戦は全部逃げずに戦いたい?それは知らん

エクソダスが最悪の例…??

まず、前提として、「ボスは固定行動をしますよー」っていう分かりやすい例が、この少し前のボスで見せられている(補助⇒2ターン連続大技)

そのうえでのエクソダス

初手に呪文を封じる黒い霧、それが解除されたら、

「うけながし⇒攻撃⇒うけながし⇒攻撃攻撃黒い霧に戻る」

という順番になっているのを見抜くのは、即座に死に戻りができるこのゲームで、そこまで高難易度かな

しかも、黒い霧解除後は呪文は通る(+その時点の最強呪文であろうベギラゴンが弱点属性)って、分かりやす攻略だと思うけど、

たぶん、「こんなゲーム、さっさとクリアさせろ」という気持ちになっていたから、見えるものも見えなくなっていたのかも

ドラクエは複雑な戦術要求されない」

という意見もあるだろうけど、過去作も戦術はそれなりにあってそれが面白かったと思うし、

今作の要求水準も流しプレイでなければそんなに複雑ではないと思うのですよ

たとえば、何度も敵を呼ばれて苦戦したらしいダークドリーマーも、

「必中攻撃連続で一度にまとめて倒す」ってだけの戦略(複雑?)が思いついていれば、めちゃ弱ボスになったり

____________________________________________________________

こちらからは以上です

長々と書かれていたストリー呪詛には個人的趣味嗜好が入るので、それはもう語ることではないでしょう

私は、ドラクエ1の雰囲気が暗くて、それがよかったです

あとドラクエ2のラストも好き

ゲームは楽しむ姿勢で変わるよね

これだけの呪詛を浴びてしまうと、未プレイの人はもう楽しめなくなりそうだけど、

絶対に言えるのはドラクエ1・2は単調なゲームではなく、遊び方でいろいろ楽しめるゲームです

超絶技、かなり面白いよ

HP半減時に打てるって設定が熱くて、ピンチときに打ったら予想外に強かったり、

敵の攻撃を狙ってわざと半減させて超ダメージぶちこんだり

ドラクエでいきなり新技をいくつも追加したら不満が出ると思うけど、うまく「既存の技の進化」という形に落ち着けたなあ

あと、いっそのこと攻略本見ながら進めるのもかなり楽しいかも

地図なんか先に見て必要アイテムに一直線で向かってしまって、その上でボスとの戦略を楽しむ

私は「最強サマル妹」なんてテーマで2周目走ってみたけど、これがけっこう面白かった

でも、超絶技を駆使するローレはやっぱりお手軽に強くて、すごく主役!って感じがする

この投稿で、せっかくのドラクエ1・2リメイク面白さを、少しでも多くの人が楽しめたらと願っています

(でも、否定的な面はあるので、楽しめそうな人だけ楽しんでね!)

2026-01-03

SNSは狂っている。

きっかけ■

Xを見たら山上徹也氏に関する投稿が目に付いた。ポストには、「山上徹也はただのテロリスト」「テロリスト言葉肯定するな」などといった声が積み上がっていた。

それぞれのポスト個別リプライするのも変だが、あまりにもおかしいと感じる言動も多く、増田としてQ&A形式で所感を書き連ねていくことにする。


個別の所感■

Q.山上徹也氏はテロリストなのか?

A.おそらくそうだ。

彼は統一教会自民党癒着に着目し、安倍晋三氏をターゲットにした。テロリズム定義は「政治的目的を達成するため暴力」だ。統一教会への怨恨も含まれるが、政治的目的政教分離原則崩壊していることを明らかにすることだと思われる。

Q.山上徹也氏の発言は傾聴に値しないか

A.個人主観によるが、私は彼が高い精度で現代社会問題点を指摘できていると感じる。

共通認識として、殺人賞賛されるべきではない。しかし、「犯罪はあやまちだ。だから犯罪者のやること成すことはすべて間違えている」という主張は極論で、過度な一般化だと思われる。

山上徹也氏の言論をすべて否定するのは論理的思考ではない。はっきり言うと間違いだと思う。

Q.「巨悪あり。法これを裁けず」という言葉に対する所感は?

A.正しい言葉だと思う。

法には欠陥がある。運用者が人だからだ。人には欠陥がある。加えて、行政機関である警察検察にも欠陥がある。冤罪事件が起きていることを踏まえれば自明だ。法的に悪ではない人が法によって裁かれているということだ。

から、この言葉は正しい。

法は万能ではない

Q.でも、綺麗事だけで世の中は回ってないですよね?

A.権力者による犯罪行為の間接的な擁護正当化ではないのか。犯罪者を庇ってるということになるが、それでいいのか。どちらも裁かれるべきだ、という視座は持ち合わせていないのか。

一方を擁護し、もう一方をこき下ろすようなポストを多く見かける。山上徹也氏、自民党および統一教会は全てあやまちを犯している。平等に裁かれるべきだ。

増田は片方だけが擁護される状況が気持ち悪いと感じる。


■総括■

本来論点は、「どうすれば山上徹也氏のような境遇の人を生み出さなくて済むか?」や「どうすれば、権力者犯罪法の下の平等の考えに則って裁けるのか?」であるべきではないのか。

一部の特権階級特別な扱いを受け、一般市民が不当に裁かれるようでは、世間バカにする共産主義と何ら変わりない。

SNS一部の人間は他国工作員か、致命的に論理的思考能力が欠如しているとしか思えないような言動をしていることがある。

気持ち悪いので、Xをまた消す。たまに贔屓のスポーツチームの評判を見に行くためにインストールするが…

あと、Xのポストレコメンド機能はクソだと思う。

検索ウィンドウのクソみたいな注目ツイート欄のほうが見る/見ないを選択やすかっただけマシだった。Twitterのころに戻して欲しいもんだ。

2025-12-22

悪い人

数年前、悪い人はと聞かれて「時代が変わればナチ賞賛して隣人をユダヤ人だと密告するような人」といったら

「そんな悪い人、そうそういないよ~~~~」

と笑われた

そんなことはない、たくさんいる

現に、今、周りの普通の人たちが外国人を謗り、危険政治の動きを全く意識せず適応しはじめている

おそらく時代場所が違えば、ユダヤ人を「でもああいう人たちだからな」と地獄に追いやられるのを見ているだけの人たちだ

社会適応している人が一番恐ろしい、と戦時中を振り返って養老孟司が言っていた気がする

邪悪にもすぐ適応して自覚しない普通のいい人たちが、一番怖い

anond:20251222124356

こういう表現嫌いなんだよなぁと思ったのでチャッピー解説してもらった

 

1. 「笑い」を隠れ蓑にした「説教」への警戒感

本来ギャグ漫画は「笑わせること」が第一であるはずです。しかし、このテキストからは**「笑わせたい」という意図よりも、「私の苦労を分からせたい」という政治的意図アジェンダ)**の方を強く感じ取ってしまっているのだと思います

純粋ギャグ: 失敗そのものの滑稽さを笑う。

このテキスト: 「こんな大変なことが日常にあるのよ(だから女性は偉いのよ)」という主張を通すための手段としてギャグ形式を使っている。

楽しみのために漫画を読んでいるのに、そこへ**「家事の苦労という『正義』」**を巧妙に密輸差し込み)しようとする手口に対し、「アンフェアだ」「小賢しい」という感情が湧くのは自然な反応です。

2. 「家事」を聖域化し、他者の苦労を矮小化する「マウント

冒頭の「本物の絶望を味わったこともねえくせに」というセリフが、決定的にその「小賢しさ」を助長しています

これは単なる冗談のフリをして、「男(あるいは外で働く人間)が経験する社会的な苦労や責任」を、「家事の失敗」よりも下位のものとして扱っているように聞こえます

「お前の仕事の辛さなんて、床のカレー掃除に比べたら生ぬるい」と言外に言われているような、**「不幸マウント(苦労の格付け)」**を仕掛けられている感覚です。

たか家事ミス」を「本物の絶望」という言葉武装し、相手領域侵略してくる姿勢に、フェミニズム的な「強者理論(と見せかけた被害者理論)」を感じておられるのかもしれません。

3. 「察してちゃん」の究極系

挙がっている事例(カレー味噌汁ビーズクッション)は、すべて**「家庭内での孤立したトラブル」**です。

これをわざわざ大声で叫ぶ心理の裏には、 「誰も褒めてくれないけど、私はこんな悲劇と日々戦っているの! すごいでしょ? 大変でしょ? 優しくしなさいよ!」 という、承認欲求要求が透けて見えます

男性的なコミュニケーション(言いたいことがあるならはっきり要求する)からすると、このように「大変な不幸話」をネタとして陳列することで、遠回しに「労い」や「感謝」という貢ぎ物を要求してくる態度が、非常にまどろっこしく、かつ卑怯(小賢しい)に映るのだと考えられます

結論

あなたの感じた「小賢しさ」の正体は、 「『ギャグ漫画』というガードの緩い場所に、『家事労働の過酷さと、それに耐える私への賞賛』という要求ステルスで仕込み、笑い飛ばそうとする読者に対して罪悪感や同意を植え付けようとする作為」 に対する防衛反応だったと言えるのではないでしょうか。

「ただ笑いたいだけなのに、なぜここで家事啓蒙活動をされなければならないのか」という苛立ちであれば、非常に合点がいく感想です。

2025-12-16

anond:20251216015725

事実事実として表現しただけです。

つり目のジェスチャーアジア人の目を賞賛するために表現することもあります

攻撃的な意味ではないジェスチャーです。

悪意無く事実表現するだけで公序良俗に反することがおかしいです。

2025-12-14

北欧先進国に裏切られても往生際の悪いリべサヨ

フィンランドミス国会議員つり目投稿 くり返されるアジア人差別朝日新聞

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASTDF7S1CTDFUHBI005M.html

見苦しいけどかわいそう

 

 

1.「右派背中を撃っているのが面白い!」

Helfard

本人の釈明と謝罪を全面から否定して背後から撃ちまくるの面白い

何か彼女に恨みがあったんだろうか? 何が何でもここで社会的に終わらせるという強い意志を感じる。

2025/12/14

こいつはこの騒動を1ミリも調べてねえよな。

興味ないんだろうけど。

 

本人の釈明の内容知ってるか?

「友人とレストラン食事していた際、ひどい頭痛と目の痛みでこめかみを揉むような仕草をしていたところを撮られたもの

「『中国人との食事』というキャプションは友人がつけたもの

差別意図は全くなかった

だぜ?

 

その後は飛行機ビジネスクラスから投稿

クソリプ殺到してる間私は空の上にいる」って煽ってたの。

 

わかる?

徹底して舐めてるし処分に不服なの。

から彼女擁護をする議員たちが「背後から撃ちまく」っているというのは全く当たらない。

(まあ確かに頭痛と目の痛みでとった仕草だ」という釈明ははなから嘘だと決めつけてるぽいけど、

 どーせそれは誰一人信じてねえからなw)

    

 

でね、  

俺がここに書いた程度のことはちょいと調べりゃすぐわかる程度のこと。

気になる映画の評判と上映時間調べるぐらいの時間で掴めるポイント

 

まりこのHelfardという奴は右派議員をなんとか揶揄したい」ということが最優先で

実際にどういうことがあったかこのミスがどんな釈明や謝罪をしたか、は調べる気すらないわけ。

 

それで「当人謝罪してるのに右派背中を撃った!うきょきょきょ!www」って言いたがって喜んでるわけ。

この人が気にしてるのはアジア人人権じゃなくてウヨサヨ党派性だけだよね。

  

まあ差別なんてほんとはあんま興味ない普通の人だろう。 

単に差別問題を気にしてる”ふり”をしてる人。

こういう人が「差別問題特別な興味がある振り」をする目的メリットはなんだろう?

って考えてみるといいよね。よくいる人だけど。  

   

   

2.「この手のトピックはむしろ欧米人アジア人差別をすると生き生きしてくる人たち」の方が気になる!」

kazoo_keeper2

この手のトピックはむしろ欧米人アジア人差別をすると生き生きしてくる人たち」の方が気になる。

あっ俺俺!それ俺!

何が気になるんでちゅか?

  

欧米コンプレックスの裏返しで「非白人を平気で差別する奴らこそ野蛮人出羽守ざまあ」と悦んでるように聞こえる

2025/12/14 リンク yellow

いやいやいや

欧米コンプレックス出羽守リベラルの方だろw

だって俺達は一貫して「ポリコレはクソ」と言ってるんだから

俺達は北欧を拝んだこともポリコレを拝んだこともありません。

  

で実際クソな訳じゃんポリコレって。

くされリベラルが礼賛してきたポリコレ先進国でもこんなもんだよ。

 

俺達が前からず――っと言ってるように、ポリコレカスどもは別に差別心をなくしてるわけじゃない。

「これはやったらダメ」って暗記表作ってるだけだから

暗記表に載ってない対象なら攻撃するわけよ。

普段無理して攻撃欲を抑圧してるぶん一層攻撃するんだよ。

 

「クロンボやホモデブや薄黒い移民賞賛しなきゃいけないけどアジア人はOK。」

この無理して攻撃我慢するリスト更新していくのが”アップデート”だから

対象リストが伸びるほど嫌な気持ちになって行くんだよ。

 

ポリコレってのはそのていどのものなの。

から知能がまともな人間ほど「あ、こんなのは道徳でも何でもないな」「これただの馬鹿向けの膏薬だな」って気付くから

ポリコレポリコレを拝む低能たちもバカにしてきたの。

 

で、国内リベラルがそんなもんを無条件に礼賛して日本移植しようとしてきた理由

欧米様が仰ってる」「北欧様が仰ってる」「白人様が仰ってる」だけだったわけじゃん。

どう見ても欧米コンプレックスはおめーらだよwwっていうね。

   

 

 

3.現実に向き合う勇気

なんかさあ

近年のネットレスバでちょくちょく見かけるんだけど

「完全にお前等のことだろ」って問題点をそのまま敵に言い返すみたいな

オウム返しですらない何かが増えてきたよな。

所作として知能低いと思う。

 

北欧先進国欧米ポリコレ欺瞞限界が見えた騒動

ポリコレポリコレ信徒のぼくちんを笑ってる奴等は欧米コンプレックスでちゅ!」って喚きだすとか。

自分がいま言われたらいやなことを先に叫べば勝ちみたいなゲームなのか?

   

現実を見ろよ。

いまフィンランド人権大使在日フィンランド大使館も

この件についてどんだけ礼儀正しい丁重質問を貰ってもスルー

人権大使に至ってはブロックしまくっている。

ごく少数の右派議員けがどうこうみたいなことではないの、これは。

  

悲報フィンランド人権大使 @PehrmanKatja さん、アジア人差別質問に対してブロックで応戦  

https://x.com/InsHatanCountry/status/1999773738729177179   

 

この程度なんだよ。

暗記リスト式の道徳ってこんなもんなの。

わかった?

2025-12-13

推しセックスした話が賞賛されてる世界きしょい。

あれで「良い話…」ってなるのどういう層?

永久のユウグレ』が凄いことになっている

永久のユウグレというアニメを知っているだろうか?

P.A.WORKSによる今期のオリジナルアニメだ。

舞台近未来

ヒロインAIの開発を手掛けている天才科学者で、主人公は幼少期に両親を亡くし、養子としてヒロインの家庭へ入る。

主人公機械いじりの天才で、ヒロインとは幼少期から仲睦まじい。

そして大人になると自然恋愛感情が芽生え、両想いとなり、結ばれる…

となりかけたところで事件が発生。ヒロイン研究に反対する勢力彼女を襲い、その際に主人公が負傷。

意識を失い、目が覚めるとそこは見知らぬ世界未来)だった…

というのが大まかなあらすじで、目覚めた主人公未来世界ヒロインの姿を探し求めて旅をする。

こんな感じのロードムービー的な話。でもこういった話自体は別段珍しくもないだろう。

主人公意識を失い、目覚めたらはるか未来世界だった(主人公コールドスリープをしていたという設定)

ではこの空白の間に、何が起きたのか?

この空白の間の出来事が、この作品の鍵だ。

そして先日の第十話にて、この部分が明かされた。

…正直、絶句した。

この先はネタバレになるので10話をまだ未試聴で今後見る予定があるなら帰ってくれ。

ネタバレOKならいうぞ。

10話にて、ヒロイン極悪人だってことが明かされる。

Q:どんなことしたの?

A:人類ほぼ滅亡させて、主人公世界トップに据えた

恐ろしいのは自分にそれほどの悪人であるといった自覚がないことだ。

これ…何がすごいのかって、本人は人類を良くしたい!悪意一切なし!てなことをやってるんだけど、そのせいで世界中の治安悪化解決方法を求めて自分の知性を象ったAI作る→そのAI「混乱の元は人間。ならその人間を消せばいい!」みたいな雑なSFみたいな発想でマジで核戦争はじめる→人類ほぼ絶滅暴走したAIを止めるためにヒロインアンドロイドを作る→そのアンドロイドAI暴走を止めてAI戦争終結ヒロイン世界英雄として迎い入れられる。

というガバガバすぎる展開…2025年SF作品としては諸手を挙げて賞賛できる内容ではないものの…いやいやアニオリ作品でこんなえぐい世界描く!?

人類の大半を殺すわ主人公もそんなヒロインに寄り添うし、最初テロ行為が実は成功していた方が人類のためだったというストーリー

ていうか残り話数もうないのにどうやって挽回するんだ!?

正直既に挽回不可能レベルで、ハッピーエンドがまるで見えてこない…

この作品ってさ、毎度サブタイトルに往年のSF作品タイトルをパロッてて(おまけに作中に登場する軍の名前が「オーウェル」)、『ハヤカワ文庫SF総解説2000』を熟読しているようなおじさんから言わすと「…へぇ」ぐらいの感じで多少期待してたんだよ。

でも途中からは敵側の知能指数ガバガバ26世紀青年世界みたいな振る舞いするもんだから「酷い脚本だな…」と思っていたけれど10話を見て認識が一変した。

ハードSFの”ハード”の意味を誤解しているような展開ながらも…いやはやこうも目が離せない展開になるとはねぇ!!

個人的に今一番注目しているアニメ作品がこれだ。

果たしてどこに着地を持っていくのか?

最後まで目が離せない!!!

2025-12-09

anond:20251209140313

そうでない可能性のほうが大きいか賞賛されてるんではないか

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