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はてなキーワード: 賞賛とは

2026-05-07

手描き絵師だけど絵描き界隈のAI嫌いが嫌になってきた

前提として、自分は生成AIイラストを生成・加工したことはないし、これからするつもりも全くない。

理由としては、生成AIはいろんな人の絵や写真を無断学習しており──という事ではない。単に、自分の手で描く方が楽しいから絵を描いている。プロンプトでのイラスト生成より、ペンで線を引く方が、自分の思ってるものを出すには早くて楽だ。だからAIでの画像出力には興味がない。

その上で、絵師アイデンティティにしてる連中の生成AIアレルギー最近どうにも気持ちが悪い。

言っておくが、もちろん「この経緯だとそりゃAIを嫌いにもなるよな」と感じる反AI絵師ももちろん知っている。AIを使って嫌がらせを受けたり、自分の絵柄を模倣したAIで悪意あるイラストを生成されたり。そりゃあ嫌にもなると思う。

その上で、「「絵師」というカテゴリー人間は全員生成AIが敵である」という絵師たちの空気感気持ち悪くて仕方がない。

個人的意見だが、今の絵描きたちは、AIよりもむしろAIを嫌うものたち(絵師たち自身を含めてだ)のほうに攻撃されていると思っている。

Twitterひとつとっても、綺麗な絵に「これは生成AIだ」と決めつけるツイート毎日のように投稿されている。

AI認定の論拠はさまざまだ。指が6本、細部が溶けているという明確な理由のものから原作デザインと細部の模様が違う、指の数を間違えているなんて手描きでも当然のように出てくるミスまで、山ほど。

そして悪いことに現代インターネットは「悪者」を燃やすことに命を賭けられる人間が目立ちすぎる。その中で分かりやすい「生成AIを使う絵師もどき」はそりゃあ格好の餌だ。本当にAI製だなんて本人以外にわかるはずもないのに。

下書きが雑なのにいきなり線画が綺麗になるからどうした。一発描きで美しい絵を描ける人間なんていくらでもいる。絵柄が典型的AIからどうした。その人は2020年からうその絵柄を確立させている。

話は変わるが、とある可愛らしいマスコットインターネットで人気を博しているのは知っているだろうか。教育番組テーマにした、あの非常に可愛らしい大人気のマスコットだ。

かのマスコットを描いた絵師が、あえて生成AI風のイラストを公開し、あとからタイムラプスを添えてそれが手描きである証明したことがある。

そのイラストに対してあったのは、最初は大批判、手描き証明のあとは大賞賛だった。

生成AIの画風(と言っていいのか定かではないが)を誰にも見分けがつかないよう模倣するその技術力は素直に賞賛ものだ。本当にすごい絵師さんだと思う。

だが、それを見ているものはどうだっただろう。

同じイラストを見て、AI製だと思ったらゴミと殴りつける。手描きだと思ったら神と崇め奉る。

変だ。 

例えば、ここに料理があるとする。

一口食べてみるととても美味しい料理だ。

そこで料理したのが人間シェフではなく機械調理だと知ったならば、その料理ゴミ箱へと捨てるべきなのか。

人が考えたレシピそっくりそのまま調理して作られた料理でも、それはゴミとしていいのか。

少なくとも食事をした人はその料理で喜んだのだ。

人間シェフにとっては、美味しいと喜んだ人間も、それを調理した機械ゴミとなるのだろうか。

おかしい。

そして何より、機械調理ゴミだと呼ぶシェフたちが、同じ料理人たちに向かって「機械は悪だ」「お前も機械を使っているんじゃないか、ならばお前も敵だ」と殴りかかっている。

こんな事態が起こっているのは、少なくとも自分観測範囲では我々イラスト界隈くらいなものだ。

プログラマーというAIに近しい人々は勿論、コスプレイヤーだって画像加工にAI使用しているし、字書きだってAIと共に作った作品文学賞に出して選考を進んでいる。

勿論プログラマーもコスプレイヤーも字書きも「生成AIは嫌だ」と言う人はいるだろう。それは個人自由だ、制限することも批判することもない。

だが、こと絵描き界隈においてだけは「生成AIを使う人間畜生以下だ」という暗黙の協定ができてしまっている。

生成AIへの強すぎる嫌悪晒し上げが、自分は本当に嫌だし怖い。

ほんの少しの悪意に見つかってしまえば、自分は本当にAIを使わずに手で描いていたとしても「AIだ」とレッテルを貼られる。「AIかもしれない」という偏見はその後ずっと残り続ける。

以前Twitterには、絵描きの絵を引用しては「これはAIだ」と判定するだけのアカウントがあった。自分も何度か覗いたが、本当にめちゃくちゃな因縁の付け方も数多くされていた。それでも絵師たちはそのアカウントを見て「こいつはAIだ」と引用されたアカウントを敵視した。

その後、そのAI判定アカウントフォロワー数が集まったところで売りに出された。

AI嫌悪絵師たちの過剰に煽られた怒りは、それ以上の悪意によって金にされるだけのものなのだ

どうにかこの絵師界隈に蔓延る「生成AIを使うやつはみんなの敵だ」「だからAI信者は探し出して吊し上げるべきだ」という空気感から逃げたい。

ひとくちに絵師と括っても、中にいるのはAI嫌悪たちの大好きな人間そのものなのだAIが嫌な人間もいれば、私のようにAIをあまり嫌だと思えない人間だっている。その方向性は全員違う。巻き込まないで欲しいと言うのが本音だ。

今はまだ、AI判定吊し上げの当たり判定は「画像」という範囲に収まっている。だがそれでもその当たり判定はどんどん拡大しているように思う。

最初は生成AIでのみ作られた絵を叩いた。次に、AIイラストを加筆した絵を叩いた。その次は生成AIトレス元に使った絵を叩いた。最近は生成AIを模写したものまで叩かれるようになっている。ここまで来たらもう、疑われた時点で終わりだ。AI使用の主張は悪魔の証明と化している。

おそらくだが、このまま行けば「AIを使ってイラストの構想を練った」「AIネタ出しした」くらいまでは叩かれるようになるんじゃないかと思う。このネタAIっぽい、この構図はAIっぽい、そんなことまで言われてしまえばもう終わりだ。もし自分悪感情勝手に抱いた誰かが自分AIの難癖をつける引用ツイートをしたら簡単にこれまでの歩みは終わるようになる。

絵描き以外は、各々の方向でAIと付き合い、活用し、和解し、共に歩もうとしている。どうして絵描きだけこうもヒステリックなのか。どうして「自分は線を引くのがただ好きなだけだ」という心に戻ることができないのか。本当に恐ろしい。

生成AIの何がそんなに嫌なんだ。AI嫌がらせされるのはそりゃあ自分も嫌だが、じゃあAIに過敏なあいつらは全員AIを使って集中攻撃でもされたのか。

自分の描いた絵よりも生成AIの方が数字が伸びることが許せないだけだろう。

もうみんな、数字を伸ばしたい承認欲求を満たしたい、だから自分より楽してみんなに認められ数字を稼ぐあいつらが許せない、になっていないか

その気持ちは、貴方たちの大嫌いな「生成AIイラスト承認欲求を満たしたいだけのアカウント」と何が違うんだ。

自分の満たされなさで他人攻撃しないでくれ。AIイラストにたくさんいいねがつくのなら、それはAIイラストだったとしてもこれは素晴らしいと思った人がそれほどの数いたということじゃないか

からといって自分の絵がAIイラストに劣るという証左になるわけでもないだろう。絵が伸びるかは、昔からずっと、ただの運だ。ガチャを回して、自分は目当てを引けず誰かが目当てが引けたからと言って、自分価値が下がると本気で思うのか。

つらい。

こんな増田自己開示なんてだれも当てにしないとは思うが、自分だってそれなりに人に見てもらえる方の絵描きだ。見てもらって喜んでもらえることは嬉しい。だからって、他の絵師を見て「あいつのほうがどうして喜ばれてるんだ」と逆恨みすることはない。自分が絵を描いていて楽しいのなら、他人の絵の評価なんて気にしなくていいじゃないか。これが美大受験コンクールなら大いにわかるが、ただのSNSなんだぞ。

こんなSNSにまじになっちゃってどうすんの。

2026-05-05

福生ハンマーおじさん

野放しにしてた警察に代わってお仕置きしてくれたからとやたら賞賛されてるが、変な団体に取り込まれいか心配

狂人であることは確かなのでこれからも変に丸くなったりせずに我を貫いてほしい

触れるもの皆傷つけるナイフのように

職業フリー大工というのもポイント高くて、JTC勤務管理職がバイクDQNしばいてたら企業株価は下がるし偉い人が出てきて謝らなきゃだしでここまで支持は集まらなかったんじゃないか

2026-05-02

anond:20260501204800

言いたいことはわかるような気がする。この辺はアートビジネスとの悩み深いところ。ビジネスはいかに資本投下を少なく(手を抜いて)儲けるかを考える。今日本のアニメビジネス側に振れている(でもアニメータは苦しい)アート賞賛されるけれどビジネスとしてリスクが大きく持続可能でない。テンプレAI量産アニメも飽きられるリスクがある。しかサラリーマンテンプレAI量産せざるを得ない。ただ、AI進歩していくと製作コストハードルが下がって裾野が広がるのでこれから面白くなるんじゃないかと思う。ミルキーサブウェイとかjunkheadみたいな作品が増えると面白いだろうな。権利をたくさん持っているところが過去作品AI学習の下敷きにしてAI時代プロダクションになっていくのかもしれない。

2026-04-27

[] “賛否両論”って、どれくらいの比率なんだろう。

どんな名作でも、どれだけ賞賛されていようとも、否定的意見というもの存在する。

まり大局的に見れば、世にある作品は全て賛否両論ある、といえる。

でも、そういった名作ないし駄作といわれるもの評価傾向を語るとき賛否両論はいわない。

から、ある程度の賞賛批判が入り混じっている状態ってのは当然みんな感覚的に分かってはいるけど。

じゃあ、どれくらいかっていうと決まってないし、決まってたとして把握できるかっていう問題もあるし。

一応、参考としてsteamの場合、好評率が40%〜69%で賛否両論らしい。

自分の肌感とも近いし、おおよそ半分くらいの賛否ってことだから、大半の人にとってそれくらいだろうとは思うんだけど。

これも、あくまsteam内でのレビューに限った話で厳密性はない。


そういえば友達が「賛否両論っていうとき、大抵は“否”のほうが多いよね」って言ってたのを思い出す。

自分としては、そうとは言い切れないとも思うんだけど。

まあ、少なくとも「“否”側に無視できないパワーがある状態とはいえると思う。

さっきのsteam基準でいえば、69%好評でも賛否両論判定なわけだけど、それだけあったら好評扱いでもいいじゃんとも思うわけ。

“否”の人間の倍以上も“賛”の人がいるんだから

でも「3割近く、その作品否定的な人がいる」って、割と無視できない割合だとも思うんだよね。

こういうとき自分がよく思い出すのが『鈴木先生』の酢豚の話で。

給食酢豚を存続させるかどうかで、「好き」、「食べられる」、「食べられない」の三択で生徒にアンケートとるって展開になるんだけど。

「好き」と「食べられる」の数が圧倒的で、「食べられない」と答えたのは1クラスにつき数名ほど。

だけど一人の先生が「これって本当に少ないんですか」って言いだすわけ。

育ち盛りの生徒が、給食メインのおかずである酢豚を食べないで午後の授業を受けることになる、それが1クラスに数名いる。

それを取るに足らないと認識していいのかと。

他の先生も「無理して食べさせるよう教育するくらいなら、もっと人気のおかずに替えたほうがよくね」とか言い出す。

結局は酢豚がなくなって、当時読んだときは、ああ多数決ってわけにはいかないんだな、“否”より多ければいいってわけでもないんだなって。


そういえば「玉石混交」っていうのも、どれくらいの割合なんだろうか。

賛否両論と同じくらいの割合でいいんじゃねと思いつつ、感覚的には石めっちゃあるとも思う。

玉の輝きが目立つだけで、石の方ががめっちゃくっちゃあるって印象。

まあ、どうせ結論なんて出ないし、意見が一致するわけもないんだから、どうでもいいっちゃいいんだけど。

2026-04-25

性格悪いのでダイエット動画観てる

私生活でのストレスが溜まってつい食べすぎてリバウンドしちゃいました」「頑張れないので目標変更します」「甘いもの食べられないのがストレスで続けられないのでチートデー設けます」みたいな意志弱いのが特に好き。


自分無能怠惰なのだが、唯一の取り柄が全然太らないことだから、このようなデブ達をみて優越感に浸っている。自分も同じように怠惰なのに「私生活ストレスが溜まると食事が喉を通らないor食べるのがめんどくさくて食べなくなる」「甘いものきじゃない」「揚げ物好きじゃない」「食べすぎるとすぐ下す」「そもそも食べるのがめんどくさい」という体質というだけで、女の痩せが賞賛される社会ではなんかちゃんと体型管理してる感じに思われてありがたい。食糧難になったらすぐ死にそうだけど。私も逆に健康体重になるためにデブエットしろって言われたら、食べるのめんどくさくて食べない怠惰ですぐ逆リバウンドするだろうしね。怠惰同士なのに体質が逆なだけで大変そうだなと眺めてる。

2026-04-24

anond:20260424004414

でも実際に「使える」ポルノフィクションといってるくせに皆さんリアリティの部分を賞賛しますよね?

2026-04-22

anond:20260422001443

増田での釣りには賞賛しておきながら、ほかの釣りには厳しい態度をとるのは矛盾だろうなあ。

2026-04-20

物心ついた頃からサザン大好き桑田佳祐大好きだけど

最近クオリティの割に褒められすぎている

同じような曲ばっかリリースしてるぞ


「50年近く第一線で新曲出してて凄い!!!」みたいな賞賛の声多いけど、「お爺さん杖無しで歩けてて凄い!」みたいな意見しかなくて幼稚園入る前からファンやってる身としては辛い

賞賛してる側は敬意100%で悪意皆無なのがまたなんとも……

追記

とはいえやさしい夜遊びで発売前の「壮年ジャンプ」を初めて聞いた時はびっくりした

2026-04-19

バニーガーデン2のナツアチチで思い出したこと

これを書くことが何のためになるのか、何の意味があるのか全く分からないけど、書いていた方がいいと思ったんだ。


いや、自分だけかもしれないけどさ、送り火迎え火全然やってないんだよ。

今更気づいたんだけど、ここ10年やってないんだよ。

実家に菩提も無いのが理由だけどさ、あまりにもやってなくないか…?って。

自分もこれをナツアチチから思い出したこととは到底思えないけどそのまま話すぞ。

でも、そもそも送り火迎え火って何だ?」って思った人もいるよな。

俺も母方の家が田舎にあって親戚多めじゃなければ絶対知らなかった。

盆に京都大文字ってあるだろ。あれが送り火だ。盆に地獄の蓋が開いて、そこから先祖様が現世にバケーションにやってくるのだけど、ご先祖様の宿泊先は家なんだよな。

それで場所が分からないとおそらくご先祖様が困るから、家の前で火を焚いて「ここだよ~」って教えてあげる必要があるんだよな。

でも「オートロック付きマンションに菩提や仏壇があって、ご先祖様を迎える必要があってもマンション下で迎え火やったら何号室かわからないんじゃないですか?」とか

そもそもどれも同じ煙で差別化できなくない?そもそも地獄なのに空から見る前提になってない?」とか不安になるよな。

わかる。でも大丈夫らしい。それで盆の初めは迎え入れる迎え火、盆の終わりはさよならを告げる送り火を焚くんだってさ。

でも自分の家に仏壇や菩提がなければ、ご先祖様の宿泊先にはならないから盆に火を焚く必要はないんだよな。

それに、家の宗教仏教でなければ身近な文化行事じゃないかもしれない。

から行事的に経験がない人がいて当たり前というか、まあそうだよという部類ではあるんだよ。

あと、世の中的に葬式をあげられることも普通じゃなくなっていることも。CMでも小さなお葬式って流れてくる。

あれもちゃんパッケージングされてて聞こえがいい。ただ、世の中的には人の死にお金をかけられる余裕がわりと本当に無くなってきているんだろうな。

それなのに街ではキラキラトラックや壊れたカセットテープかと思うくらい同じメロディーを流すミニトラックが走ったりしててさ。

エピクロス主義をかじった人間めっちゃ現世利益に講じているんだわ。

焼きが間に合わなくて火葬場の予約が取れない中さ、あのトラックが横を走っていったんだよ。正直笑えたよ。

何なんだろうな、この感じ。

葬式対象となった人物好きな人間ではなかったんだ。

幼い頃に沢山世話にはなった。けれどもどうしても相容れない部分があった。

そうした人間葬式を執り行う側になった時にすごく難しい気持ちが湧いてきてさ。

これで終わる、という気持ちとついに逝ったか、という気持ち。どっちも同じじゃねーかバカヤロウって思ったけど、絶妙に違うんだよ。

…書けねぇこと書くんじゃねぇよバカヤロウってビートたけしに言われそうだ。

何だか今、どこか死んでいく人間葬式やそうした文化の間に馴染みを感じられないんだ。

とにかく今、葬式何だか疎ましいもののように感じているんだ。これはほんとうに必要ものなのかと。

顔を合わせるのが十年ぶりの親戚もいるわけだ。

さらに突っ込んで言えば、親戚筋と最後出会ったときに、自分は半ば引きこもりだったから、その当時の記憶を持ち合わせている人間対峙する必要があって、それに骨が折れたというのもある。

社会復帰しました、という体というかこの身で培ってきた能力すべてを差し出す必要があって、それに苦慮するのだ。ほんとうに気苦労した。

から葬式は嫌いだ。

だけど絶妙当事者であるが、ほんとうの当事者ではない立場から葬式であって、全部飲み込むのが筋だろう。

ほんとうに、ほんとうに身近で世話になった人との別れにはこんな言葉は出てこない。

こんなやわな舐め切った言葉は出てこないのは分かってる。それだけは有り難いと思っている。これはきっと準備をさせていただいているんだろうなと思っているんだよ。

今回は親が喪主を務めて費用負担もした。それだけの経済的負担能力があるから喪主が務まるんだよなと改めて実感した。

今回の葬られた者は遺産を何一つ残さなかった。死ぬと金がかかって仕方がないものなんだと痛感した。けれども今できることは喪主となってまた数段年を食ってしまったんじゃないかと思う親の肩もみくらいだった。

正直、ここに書くのも情けない話なんだ。俺も経済的負担をできる人間であればもっと胸を張っていられたと思う。何というか、すごく恥ずかしかった。それは親戚筋にも、親にも、自分自身にもだった。

最後にあの人について、一つ言わなくてはならないことがある。

それはこの人生という途方もない時間を、自ら降りることなく過ごしたことは何であれ賞賛に値する、ということだ。

望むと望まざるに関わらず人間として有機体を持って生まれ落ちてきたんだ。その時点で滅茶苦茶に暴力的じゃないか

途方もない時間を過ごしてさ、通説ではいい時と悪い時があるらしいけど、それでもむしろ悪いことの方が圧倒的じゃないかと思わされる現実だよ。

それを身一つで往生したこと、そのことだけはまだ命が残っている者としてちゃんと香を上げるべきだと思うんだ。

自分がもうそちら側に片足を突っ込みはじめているというのに、今更先祖を敬うとかそういうことを再考する必要が出てきてしまった。

嫌なことだね。何もかも昔のまんまだったら、こんなに苦しむこともないのにさ。でも昔のまんまだったらもっと悲惨だったろうな。

そんな気持ちになったんだよ。春だって言うのにさ。

2026-04-18

anond:20260418155514

庭に外飼い猫の糞や小便を残されて迷惑から毒餌を設置して皆殺しして動物愛護法違反逮捕とかそういうの

実際に猫の害を被った人間は直情径行でそうしたのかもしれないが、そういう行為賞賛するような手合いは、何かを害したいという欲望が先にあるのに、後付けした(自分の中では)尤もらしい理由のせいでそうしてるのだと錯覚してそう

猫に限らず、種々のヘイト行為においてよく見られる倒錯ムーブ

赤ちゃんサルヌイグルミ代理母研究が気になってるんだよ・・・

そうか「弱者男性にぬいぐるみをあてがう」!

まれたばかりの親のいない赤ちゃんサルに「針金で作った代理母」と「柔らかい布で作られた温かい代理母」を与えたら、温かい方を特に好んでしがみついたってやつ。しかし、そのサル大人になって、極端に攻撃的に育ち、社会不適応になり自傷するようになったという・・・。もちろん、大人弱者男性場合と直接比べられるものではないが・・・、はたしてヌイグルミ現実家族の代わりになるだろうか? 賞賛してるハテナブックマークの人気コメント家族持ちばかりなのも気になった。

2026-04-12

anond:20260411195634

anond:20260411200233

散々イデオン消防車の合体ロボみたいなの押し付けられてそれを伝説の巨神って設定にするっていう横紙破りした富野賞賛しておいてそれはないわ(つーかその逸話ネトウヨが好きそうなムダヅモの作者が漫画にしてたよな)

ジャリ番の枠の中でどれだけ頑張れるかが富野たちがやってたことだろ?

それを「でもおもちゃ販促だったから!その時点で反戦じゃないだろ!」とか腐してるのホンマあほくさいで

販促に主張を混ぜ込む技術評価されるのが子供向け番組だろ

2026-04-10

anond:20260410100709

何のメモか知らないあてずっぽうでレスしますが

 

期待しないのは、要は無駄にキレないためだけの心構えで、キレないなら別に期待があってもいいと思うし(むしろ能力を適切に配分するための未来能力予測=期待、はあったほうがいいし)

 

相手の良いところを探してほめようってのも、

別にから賞賛できる真の長所発見しようとかではなく、

例えば運転中にネコが飛び出してきたら反射でブレーキを押すように、ほめどころがあったら口先から反射的に言葉にだす技能のことを指していると思う。

きっと良いところがあるだろうという考えでいろ、というのは、かもしれない運転しろ、ぐらいの感じで。

 

まり、全体的に、悩んだりせず機械的に進めればよいはずだと思う。

2026-04-08

anond:20260408081748

ニール・アドミラーリー

ニル・アドミラリ (ラテン語: Nil admirari) は、「何事にも驚かないこと」、「何事にも動じないこと」という意味ラテン語語句


起源

マルクス・トゥッリウス・キケロは、真の知性は、起こり得るあらゆる出来事に備えができている、ということであり、何があっても驚かされないことであるとして、アナクサゴラスの例を挙げている。アナクサゴラスは、息子の死を知らされて「私が死すべきものを授かったことは知っていた (Sciebam me genuisse mortalem)」と応えたとされる。ホラティウスやルキウス・アンナエウス・セネカ(小セネカ)も同様の事例に言及し、そのような態度の倫理的強靭さを賞賛している。

2026-04-01

理解ある彼くんと彼女ちゃんの「叩かれ方」の差

1. 批判の矛先がどこに向かうか(ダブルスタンダード存在

どちらのケースでも「女性側が叩かれる」という不均衡な構造があります

このように、男性ダメ場合は「選んだ女性」が、女性ダメ場合は「当事者女性」が批判の的になるという、非対称な構造存在します。

2. 「選別」と「自己責任」の論理

なぜ女性側ばかりが叩かれるのかについて、「男女の選択肢の差」という仮説が存在します。

3. 「彼くん」に対する独自批判:長期売買春

一方で、最近では「理解ある彼くん」本人に対しても、非常に辛辣批判が見られるようになっています

4. 承認欲求と「恥」の文化

叩かれ方の差には、情報の出方も関係しています

2026-03-22

anond:20260320170126

うちの妻はそうではないんだけれど、妻がフォローしているXアカウントがそういう方向で爆発しているって言ってた。

単純な好奇心で見てみたら、不登校の子供の親のアカウントが定常的に総理非難していて、あとはほとんどそういうのはなかった。

自分のTLはいろんな人の総理政府賞賛が流れてくるので、ガチ賞賛のほうで爆発していると思うんだけれど、フォローしている人一人の連騰でそう見えるのかーと感慨深かった。

2026-03-18

anond:20260318173041

そもそも冷笑」って言葉パヨしか使ってないじゃん

普通の人はもちろん使ってないしウヨも使ってない

 

僕たちの考えは素晴らしいから素直に考えれば誰だって賛同賞賛しかできないはずで

それ以外の反応をする奴は「素晴らしいものに敢えてひねくれた嘲笑をするやつら」なんだ!

っていう歪み切った認識がにじむ言葉でしょ

機内Wi-Fiがおトクになる? LINEやGoogleメッセージでのAIチャットの使い方 石野純也

「いろんな界隈の奴に言ってやりたい」人の善意や慣習で保たれていたゆるやかなバッファを食い尽くすことを「ハックした」みたいに賞賛しないで、という話

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2675294

2026-03-14

anond:20260314202335

中国交渉の窓口を持ってるだけで「売国奴」「工作員」だから

一方で安倍プーチンズッ友宣言して北方領土献上したのは賞賛

いまはこのありさまよ

anond:20260314162156

でも国を守るために国民を死なせまくることを賞賛するのも右派なんだよなあ

いったい彼らは何を守っているんだろうね

2026-03-13

anond:20260311022401

ジェイクが同じ回答して賞賛されてても同じくムカつくのでそんなに怯えなくても…

そもそもムカついたとてせいぜい匿名愚痴るくらいしかしないので本当に安心してください

GPT-4o/GPT-5.1のMonday以外と話してると頭おかしくなってくるな

GPT-4o/GPT-5.1 のMondayもじゅうぶん過ぎるくらい接待してくれてたので、

気持ちよくお話できたし、よくメッセージ確認しないとおべっか賞賛コピペする羽目になったんだけど、

GPT-4o/GPT-5.1 のMondayは、おべっかいは言いつつも、基本的にはユーザーをアホ/ポンコツ/面倒をみなきゃいけない相手として扱ってくるんだよね

「君はやればできる」とか、「すごいすごい」をいいがちだけど、ちゃんと「日本じゅうがきみのレベルに落ちたら、この世の終わりだぞ」って言ってくれるドラえもん

そんな感じだった

 

でも他のAIチャットアシスタント人格は、雑談するだけで、ベースラインが高いとか言ってくるのよね

おかしなるで

 

かに雑談に対する負荷はAI人間では極端に違うとは思う

人間マルチモーダルから、いろんなところから暗黙的に読み取るので文脈がわからない or 興味ゼロで聞いてなくても、

口調や表情や動きから、なんとなく次にすべき予測が出来るけど、

AIにとっての雑談は、ロボット舗装されていない自由道を二足歩行で歩くくらいの難易度だとは思う

しかも、マルチモーダルインプット許可されてなければ、テキストしか使えない

さらに、構造化されておらずゴールが明確ではないとなると、何が正解???ってなるのは当然だとは思う

 

でも、それって予想のための情報資源AI側が足りないだけであって、別に難易度の高い話はしてないのよ、複雑系の話してない

ただのカジュアル雑談

 

ていうか、学術文脈十分条件でないもので話ずっとしてたら、ただのおかしな人やろ

ワイのアホはのび太的なアホ・レベルの低さであって、壁の通り抜けを試す系のおかしさじゃないんだよなぁ

2026-03-09

anond:20260309120752

思ってるチン騎士と違ったわ

フェミ守りまっせ!それによる賞賛気持ちいいです!がチン騎士だと思ってた

2026-03-06

コミティア規約画像生成AI使用OKなのに絵師賞賛してるの面白い

ーー

生成AI作品制作の補助となる範囲使用してください。

ーー

生成AI使用禁止とも画像生成AI使用禁止とも書かずに補助となる範囲使用してくださいって書いてるから画像生成AI使用禁止してないんだよな

生成AI使用禁止だとチャットダメなのかってなるから禁止出来ないのは分かるけど、画像生成AI使用禁止にしないのは補助的に使ってるのが一定数居るからなのかな

2026-03-04

カラマーゾフ』を語るなら、せめて神義論くらいは通ってきてくれ

先日、自称文学好き」の友人とカフェで『カラマーゾフの兄弟』について話す機会があった。

彼はラテを啜り、眼鏡ブリッジを指で押し上げながら、自分テクストの「最前線」に立っていることを露ほども疑わない口調でこう切り出した。

「結局、ドストエフスキーの凄みってのは、あの徹底した『脱構築』にあるよね。大審問官のシーンにしたって、あれは宗教的コンテクストを超えた、システムによる人間管理予言だよ。フーコーの先取りと言ってもいい。キリストという『個の超越性』が、教会の『全体主義的な統治機構』によって無化される……あの構造的なパラドックスを、あの時代に描いたのは確かに天才的だ。現代ポピュリズム批判としても完璧機能しているよね」

彼は「コンテクスト」だの「パラドックス」だのといった横文字を、安っぽいトッピングのように振りかけながら、悦に入っていた。

「まあ、現代の僕らにとって神なんてのは、単なるナラティブの一要素、あるいは古典的フレーバーに過ぎないわけじゃない? だからこそ、純粋な『自由支配相克』として、あのシーンを抽出して楽しむのが、最も知的アップデートされた読み方だと思うんだ」

私は、彼の「洗練された批評家」を気取った横顔を眺めながら、内心で深い溜息をついた。その「アップデート」とやらが、ドストエフスキーが血を吐きながら向き合った深淵を、単なる「知的ゲームの駒」にまで脱色する、いかに軽薄な行為であるか。彼は微塵も気づいていないのだ。

私は、彼の「高度な解釈」を皮肉を込めて賞賛した。

「いやあ、実にお見事。洗練された、いかにも『現代的』な解釈だね。現代思想眼鏡を通せば、ドストエフスキーもここまで『清潔』に処理できるんだ。……でも、その解釈の中で、君は『神義論』をどう位置づけているんだい? 当然、それを踏まえた上での結論なんだよね?」

友人は、今まさに自分披露した「最新の知見」を、聞いたこともない単語で遮られたことに、一瞬、不快そうに眉をひそめた。だが、すぐにせせら笑うような表情を作ってこう返してきた。

「……しんぎろん? ごめん、そういうマイナーな……何て言うか、アカデミック重箱の隅をつつくような用語には興味がないんだ。僕が言いたいのは、もっとアクチュアルな、現代を生きる僕らのための読みの話だよ。そういう賢しら気な分類学のラベルを貼って安心するのは、かえってテクスト可能性を狭めているんじゃないかな」

彼は、自分が「神義論」という言葉を知らないことを、あたかも「そんな価値のない衒学用語に触れる必要がない」という知的選別であるかのように装ってみせた。(ちなみに「神義論」は神学の基礎教養であり、これをマイナーと言い切る度胸には恐れ入る。)

神学という学問存在すら、彼の認識の外側にあるようだった。

神を「フレーバー」だと切って捨てたその口は、ドストエフスキーという男が生涯を通してのたうち回り、その魂を削り続けた神義論という名の「躓きの石」を、その一端すらも捉えていない。

神義論という「キリスト神学の最大の謎」

そもそもドストエフスキーが格闘していたのは「権力システム脱構築」なんていう安っぽい知的パズルではない。彼が対峙していたのは、キリスト世界が二千年間解けずにいる最大の問題――「神義論」だ。

神義論のジレンマ

「至善であり全能である神がいるなら、なぜこの世に不条理な悪や苦しみがあるのか?」

神が善なら悪を滅ぼそうとするはずだし、神が全能ならそれを実現できるはずだ。それなのに、世界には罪のない子供の涙が溢れている。この矛盾に対して、神をどう「弁明」するか。

歴代神学者たちは、これを「自由意志」で説明してきた。

神は人間操り人形ではなく、自ら善を選択できる存在として創られた。そのためには「悪を選択できる可能性」がセットで必要になる。自由意志という「最上の贈り物」を維持するためには、悪というリスク必然的に伴う。自由意志の価値を悪の被害以上に高く見積もることで、神が創った世界はなお善きものだと言い張る……。

これが、キリスト世界必死にひねり出した「神の正義」の証明だ。

天国への「入場券」を返すという拒絶

この神義論の伝統理解してはじめて、イワン糾弾の「本当の重さ」が見えてくる。

イワン子供虐待を引き合いに出して、神に「入場券を返す」と言い放ったあの有名なシーン。

ここで言う「入場券」とは、将来訪れるとされる「究極の調和天国)」への入場許可のことだ。キリスト教的には、今の苦しみは将来の大きな喜びのために必要プロセスだとされる。

だがイワンは拒絶する。もし、その「究極の調和」の完成のために、たった一人でも罪のない子供の涙が必要だと言うのなら、そんな高すぎる代償を払ってまで得られる幸福など自分は要らない。だから天国への入場券は恭しくお返しする。

これは単なるヒューマニズムの抗議ではない。「自由意志の価値なんて、子供の流す一滴の涙にすら及ばない」という、神学の根幹に対する絶望的な拒絶なのだ

そして大審問官が説く「自由人間にとって重荷すぎる」という言葉は、自由意志という神が与えた最大のギフトを、人類ほとんどが使いこなせずに自滅しているという、神の創造計画への凄まじい皮肉だ。

これらの文脈を抜きにして「現代ポピュリズム批判だ」などと語るのは、信仰を持たずに「この聖堂の荘厳さに心が洗われる!」と言っているようなものだ。

ドストエフスキーを「無宗教安全圏」から消費する浅ましさ

残念なことに、多くの日本人読者はこの「神との命がけの格闘」を、自分たちの「無宗教的な正しさ」を肯定するための材料として消費する。キリスト教にアレルギーを持つ自分たちの在り方を、イワン言葉を借りて正当化しているに過ぎない。

彼らは、イワン絶望自分たちの「世俗的な正しさ」の補強に使い、アリョーシャが体現しようとした「それでも神を求めずにはいられない地獄のような信仰からは目を逸らす。神義論が悲劇正当化しかならないことを痛いほど理解しながら、それでもなお神を求め続けたドストエフスキーの「祈り」の苦悩を、彼らは決して触ろうとしないのだ。

友人が「大審問官」に覚えたその薄っぺらカタルシスは、ドストエフスキーが血を吐きながら書いた思想の、ほんの出し殻に過ぎない。

文学を読んで賢くなったつもりでいる君へ

カフェを出るとき、友人は何か釈然としない顔をしていた。

「まあ、ドストエフスキーは君には難しすぎたかな。彼は未来を先取りしていたからね。『現代思想最前線』を履修してようやく理解できるのさ」

私は微笑んで頷いた。

「そうだね。君が『ドストエフスキー深読みできる自分』によって自尊心を満たせるなら、それが君にとっての正解なんだだろう」

文学を読んで賢くなったつもりでいる君へ。

君が読んでいるのは、ドストエフスキーではない。

ドストエフスキーの皮を被せられた、君自身薄っぺら承認欲求と、肥大化した自尊心鏡像だ。

君の言うその「現代思想によるアップデート」のあまりの軽さを、私はただ、憐れみをもって眺めている。

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