はてなキーワード: 読み手とは
まあ間違いなく創作でしょうね。念の為AIにも鑑定させようと思ったら未成年ネタだからブロックされたわ。
グルーミングネタでAIの鑑別から逃れてるのも上手いと思った。 anond:20260507145706
これは……確かに「いかにもネットの相談掲示板やSNSで注目を集めそうな構成」ですね。
結論から言うと、この文章は「技術的なリアリティを装いつつ、ドラマチックな舞台装置を盛り込みすぎた創作」である可能性が極めて高いです。
・WindowsのPINロック解除を頼まれた際、わざわざLinuxを焼いてブートし、テラバイト級のデータを「調査」するのは、単なる「初期化のついで」としては作業負担が重すぎます。
・犯罪の証拠として残すなら、普通はデータそのものを暗号化して保存するか、まるごとイメージバックアップを取ります。わざわざ手作業で「テキストに起こす」のは、物語としての「苦悩する主人公」を演出するための過剰な描写に見えます。
・盗撮動画の冒頭に「犯人の名札がバッチリ映っている」というのは、あまりに都合の良い設定です。プロでもない限り、自分の名札を映したまま放置するようなマヌケな犯人像は、物語を成立させるための「わかりやすい伏線」に感じられます。
・「LO、LO2」というフォルダ名: ネットスラング(某雑誌名)をそのままフォルダ名にするあたり、読み手に「こいつはヤバい奴だ」と即座に理解させるための記号的な表現です。
・「悲劇の目撃者」というロールプレイを楽しんでいる書き手の言葉に近い響きがあります。
・本当に「墓まで持っていく」と決めた人は、わざわざネットにこれほど詳細な「証拠の隠滅プロセス」を書き込みません。
・「過剰に詳細な犯罪描写」が含まれていること自体が、創作(フェイク)であることの強力な裏付けになります。
この文章は、「実話の断片(PC修理を頼まれた等)に、ネットで好まれる『故人の闇』というスパイスを大量にふりかけたフィクション」である可能性が濃厚です。
特に「EVO JAPAN(格闘ゲームの大会)を見ながら作業」といった具体的な時事ネタを入れることで、リアリティ(生存報告感)を出そうとする手法は、ネット創作の定石でもあります。
https://youngchampion.jp/series/9bfd786c099f4/
なんかこう全体的にキャラクターの内面についてリアリティがない感じがあるよね。
漫画的な面白さ重視でデフォルメしてるって感じでもなく、「こういう人はこういう感じらしいよ」って噂話ベースだけで組み上げられたようなペラペラのキャラばっかり。
普通はドラマや漫画のキャラでも自然と持ってるような血の通いがないっていうか。
中身がとことんまでにフワフワしてる感じでなんか怖い。
特にキャラの内面が出てくるタイプのシーンの奥行きのなさにぞっとする。
作者がこういうキャラをこういう風に動かしたいですって意志表明だけしかないっていうか、そういうキャラクターにしたいならどういうエピソードを固るかって肉付けがない。
よく言えば「こういうキャラのこういう話なんです。はい次はこういうキャラです。コイツはこうです」ってドンドン進んでいってタイパがいいんだろうなって気はする。
つまる所、『ポルノ』なんだよな。
この漫画って凄い『ポルノ』何だと思うし、だから今の時代に受けたんだろうな。
一時期はやったAVの「出会って◯秒で合体シリーズ」みたいな感じかな、アレコレ装飾してリアルっぽくするの全部放棄して、「とにかくこういうポルノで気持ちよくなりたいよね!」で全部進む。
要するに普通の作品がドラマを積み上げつつその中にメッセージやテーマを織り交ぜてる中、こういったポルノ漫画は読者が楽しみにしてる分だけずっと続くんだ。
そういうのが好きな人、そういうのが読みたいタイミングって確かにあるんだと思う。
饅頭じゃなくてアンコだけ大盛りでひたすらムシャムシャ食べたいような気分の時とか。
そんな時にこの漫画は皮のないむき出しのアンコがタップリ出てきて、そのアンコの中で粒あんだったり白あんだったりの変化がある感じで、とにかく脳にガツンと気持ちよさをぶっ刺されたい人には最高なんだろうな。
まあアイスクリームとかだってただひたすらバニラ味の甘い塊を延々にそれだけ食ってるわけだから、そういう嗜好品があるのは何もおかしいことじゃないと思うし、そういうのを「変なコンテンツ」だとは思わない。
「こういうのが嬉しいんだろ!」ってのだけ延々と出されてもそれはそれで退屈っていうか、あんまりこっちが気持ちよくなるだけのドラマじゃ段々飽きてくるというか。
つまる所、刺激に緩急が欲しいんだろうな。
ずっとアクセル全開だと結果的にメリハリを感じなくなるというか、いつまでも最高速で走り続けるジェットコースターは結果的にそれを当たり前のものに変えてしまうというか。
ましてそのスピード感を生み出すためにキャラや物語の味付けをひたすら濃いものばかりにされると疲れるし、それが面倒な人間関係の話に偏ってるといよいよずっと同じポルノの連続で読み手がダレてくるっていうか。
もっとこう全体のバランスとかトータルの後味とかそういうのを大事にしたコンテンツを求めてるんだろうな。
いろんなところで書いてる記事が、たまに小バズりするんだけどね。
「考えさせるなあ」とか、「共感するなあ」とか、穏当な感想を受けるだけだと、なんか違うんだよな。
日本人は、全否定か全肯定かしかないから、少しずつ前に進むってことが難しいんだと思うんだよな。
「こいつの書き方はムカつくけど、議論する価値はある話だ。俺がもっと論理的に整理してみるぜ」くらいの、賛否ある態度で、読み手が真面目に主体性を持って考えてほしいといつも思ってるのだけど。
煽って書いたらただ否定され、穏当に書いたらただ「共感」されて議論はしてくれない。
そんな、読み物として処理すれば良いだけの話は書いてないんだけど。
日本人一人一人が主体性を持って主張しないと、これだけ生活に影響するぞってレベルの話を書いてるのだけど。
みんなも知ってるところで「日本死ね」とかさ。
あれで何か変わった?
これ、俺は記事の書き方が悪かったなんて話してる訳じゃないよ。
共感にしろ反感にしろ、あれだけ伸びたのに、そもそも育児支援の議論になんで本格的な進展がないの?
ネットもメディアも、扱うのは「話題になった記事」という事実だけ。
自分の生活に関わることなのに、それを期に他の専門家の育児環境研究も紹介しようって盛り上がりすらなかった。
お前らどれだけ話を広げる力がないんだよって。
なんで共感か反感かだけで済ませるの? それ以上のことに繋げる発想が何もないの?
そういうところなんだよなあ。
AIはサイト上での操作手順を説明するときは、画面ごとにクリックすべき場所を囲んだものの図も生成して欲しいわ。
言葉で言われてもそれで指示されているのがどこか読み手とAI側で結構齟齬があるもんなんだよな。
geminiにグーグルのサイト手順聞いたって自発的にはしてくれないし、遅れてるもんだよ。
dorawiiより
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・「漫画が上手い」というしゃらくせえ
クリエイター気取りの消費者の言葉を吹っ飛ばしてくれる「絵が上手い」「この作者にしか描けない絵柄」「漫画が上手い」が当たり前の上での「忖度なく読み手自分の心のひだから共感・興味を引いてくれる」
・安野モヨコ作品、あまりに「女」の感情とか社会での立ち位置に肉薄しすぎてしばらく他の漫画が読めなくなる(なお主人公のお金周りと恋愛脳周辺がバフかけられているのは見ないものとする)
すべてが社会生活のなかでうっすらみえるがそこを直視すると色々嫌になるから見ないようにしてるのを抽出してオモロくして分かりやすく的確に予想を超えてお出ししてきてくれる
・一番ショック(よかった)だったのはフクちゃん息子が
「カヨはわかってくれると思ってたのに…!」から童貞捨てたあとのカラッと感の切り替えがですね…
・最終回の海、よすぎ
・軽率に百合百合ゆうのはよくないがフクちゃんと主人公の関係は当たり判定なんじゃないでしょうか 作者さんのインタビューで「2人はつるむ時はつるむけど、ずっと連絡取ってベットリ一緒タイプの友達ではない」ってあってなお良い〜ってなった その各々の人生を生きてるうえでのたまに並走/交差する人生ってのがこの歳になると旨味を感じるから…
公式にパートナー(彼女や妻)がいるキャラクターを扱い、そのパートナーとの関係を「別れ」「死別」「最初から出会わなかった」などの形で消去する二次創作に対しては、ソースに基づくと以下のような多層的で対立する反応が見られます。
公式の人間関係を改変することに対し、強い心理的抵抗を感じる層が存在します。
一方で、描き手側には、単なる嫌がらせではなく、独自の創作上の論理やこだわりがある場合も示唆されています。
近年では、単に消去するのではない新しいアプローチも増えているようです。
この問題の議論自体に対し、冷ややかな、あるいは相対的な視点を持つ人々も多いです。
総じて、公式CPの消去は、「キャラへの誠実さ」を求めるがゆえの処置である場合もあれば、「原作への冒涜」と受け取られる場合もあり、二次創作界隈における非常にデリケートな対立点となっていることがわかります。
2倍速はさすがに聞き取れないからしないけど
1.1〜1.5倍速はよくやる
よく言われるのが「作り手のテンポや間をないがしろにしている」だけど
多くのコンテンツは枠が有るわけで、枠に収めるために長くなったり短くなったりしている
あるいは、色んな人に見てもらえるように、テンポを早くしすぎないように敢えてゆっくりにしてるものも有る
もしくは、本人はもっとテンポよく話したいけど、アドリブで全部考えている場合は思考が追いつかないからゆっくりになっているケースも有る
なので「意図せずゆっくりだ」とか「速いテンポで理解できるなら速いテンポでもいい」というものも沢山あるはずなんだ
この最たる例が本だと思う
自分は本を読むのがすごく遅いが、人によっては自分の2倍くらいのペースで読んでいる
また、深く理解したいからとじっくり読むときもあれば、まずは概略を知りたいからと斜め読みすることも有る
最初から最後らへんを読んで、ミステリーの犯人が分かったうえで読む人までいる
なのに、動画になった途端に全員一律1倍速を求めてくるのは何故なんだろうか?
自分は場合によっては0.8倍速くらいにすることもある、あるいは何度も巻き戻して同じシーンを見る
自分に取って速すぎるんだからそれでいいと思う、それはだめなんだろうか?
批判者の言う所によると、「倍速視聴する若者は、見たという実績を元に誰かと話がしたいだけ。コンテンツが溢れてる時代だから時間がもったいない」らしいが、本当にそうだろうか?
「倍速視聴してる人は理解できていない、頭に入っていない」という主張も、果たしてその人が1倍速で見ていたら理解できていたのかは疑問だ
私がそれを名言だと思うのは、この言葉を作品の中に配置する前後でこの言葉がどういうレトリックが駆使されているのかを明示的に説明することの一切なしに、この言葉までたどり着いたときにも前の言葉と同様になんのつっかえる余地もなく理解できるようになっているからだ。
それは丁寧に文脈を築き上げているということだし、いくらそうしていてもやっぱり難解なレトリックになってしまっているというものはありえるだろう。
隠喩だの直喩だの学校で教える知識というのは作者目線として有用な情報として教えているのであって、読み手としてはなんら知識なんてなくて理解できるものが至高だと思う。
そうでないものは衒学趣味の自己満足あって表現としては失格だと私は思う。
自分に言わせれば俳句なんて失格の宝庫だよ。解説ありきじゃん。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260323183927# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCacEKTwAKCRBwMdsubs4+ SM3AAP9SvUMh/aOOiCxdNQIVpcvGkPqiyz/iznOO5hivGPvbKQD/d/kTTRL59f6W ieGGe8LRqLMTl8MTG6hovxL08UoC1ww= =H5Kd -----END PGP SIGNATURE-----
ある。かなりある。
ただ、「人間臭い文章」って実は うまい文章 とは少し違ってて、コツは「自然な欠点を入れる」より 書き手の事情や癖を入れる ことや。
AIっぽくなる原因はだいたいこのへん。
なので、指示するときは「上手に書け」じゃなくて、どんな人が、どんなテンションで、何を気にして書くか を指定すると一気にマシになる。
例えば効くのはこういう指定。
「20代後半、相手に少し気を遣ってるけど、へりくだりすぎない」
「仕事はできるけど文才はない人の文」
これだけでだいぶ変わる。
2. 完成度を下げる指示を入れる
「少し言い淀みがある感じで」
「全部をきれいに言い切らない」
「1か所くらい軽い脱線を入れる」
「論理は通すけど、整いすぎない」
AIは放っておくと整えすぎるから、あえて“整えすぎ禁止”を入れる。
「昨日の打ち合わせで〇〇と言っていた件です」みたいにする。
4. 感情を1色にしない
AI文はずっと丁寧、ずっと前向き、ずっと冷静になりがち。
でも人間は
「助かった、でもちょい不安」
「うれしい、けど正直びびってる」
みたいに感情が混ざる。そこを入れると急に生っぽくなる。
たとえば「ちょっと」「わりと」「なんか」「正直」みたいな口癖、
文の長短、句読点の打ち方、改行の癖。
---
例1:AIっぽさを消す基本形
条件:
---
---
例2:キャラを載せる形
丁寧ではあるが少しくだけていて、ところどころ本音がにじむ。
“ちゃんとして見せよう”とはするが、少し雑味が残る文体にしてください。」
---
---
例3:メール向け
「このメールを、礼儀は守りつつもAIっぽくない文章に直してください。
条件:
---
あと、かなり効く裏技がある。
最初から書かせるより、“雑な下書き”を渡して直させる ことや。
でも、
「こんな感じで言いたい。順番ぐちゃぐちゃでもいいから直して」
「この言い方は残して、他だけ整えて」
「この一文のダサさは消さないで」
これら自体は悪くないけど、抽象的すぎてAIがいつもの優等生モードに入る。
「出力後に、自分で“AIっぽい表現”“テンプレっぽい表現”“過剰に整った接続”を3つ見つけて削ってください。」
これで一段マシになる。
直す場所はこの2つだけで十分。
普通に考えて、自分の関わる社会に性犯罪者は混じっていてほしくない
性犯罪者が漫画業界に復帰してはならない理由は一つ、漫画家は表舞台の職業だから。
漫画作品は作家の色が前面に出るからこそ、読み手は作者のクリーンさを求める。倫理観や発言の法に触れない部分まで最近は完璧を求められてきてるし、法に触れるとなると完全にアウト、不可触民。
だから裏方ならOK。それもキラキラしてない業界なら尚更。極論、スーパーの厨房や交通整理の旗振りおじさん、下水道管作業者や介護スタッフみたいな「社会の難しいところをやってくれる人」だったら更生されたと見なされるポイントは高いだろう。
演歌の作詞家とかなら、同じ原作系かつ表舞台寄りの仕事でも怒られなかった可能性はある。児童は、というか国民の大多数にとってあまり触れない媒体だから。
だからまあ、日陰者って言われるように、日陰で粛々と生きるべきと思ってるんだよな。非性犯罪者にとっての不可触民、穢れ、それが性犯罪者。
「右」と「左」の対立はもういらない? 対話で見えた予想外の世界線
https://digital.asahi.com/articles/ASV1G2HJNV1GULLI003M.html
【宇野】 朝日新聞で論壇時評を2025年3月まで2年間担当し、そのときに梶原さんの『「“右翼”雑誌」の舞台裏』(星海社新書、24年)を読みました。
論壇とは何なのか、いつも考えていて、論壇時評といっても取り上げる雑誌はやっぱり朝日新聞っぽいものを選んでいるんじゃないのか、と感じることがある。「WiLL」や「Hanada」も時々読んでいたけど、取り上げることは限られていた。一方で本屋さんに行くと、論壇時評で取り上げるような雑誌は1、2冊くらいで、「WiLL」「Hanada」がずらっと山積みになっていて。ただ正直に言うと、熟読するのはやや抵抗あるな、とも。
そんななかで梶原さんの本を読んで、面白いと思いました。現場で学園祭のノリで編集していく様子が楽しそうで、何より梶原さんがちゃんと対話しようとしていたのが印象的だった。まずは自分たちが考えていることを知ってもらい、そして相手がどう思うかも聞いて話し合おうという企画を色々と練っている。うまくいかなかったものも含めて、いわゆる「左」とか「右」というのを超えた対話を実現しようとする努力が伝わってきました。
【梶原】 実は「WiLL」の編集部にいたとき、コラムニスト・勝谷誠彦さんの「あっぱれ!築地をどり」という連載を、入社当時から19年に退社するまで13年近く担当していました。
朝日新聞の論調を、東京本社の所在地にちなんで「築地をどり」という流派になぞらえ、いわばおちょくるものです。とにかく朝日新聞を隅から隅まで毎日読んで、ネタを探す。細かい記事や読者投稿まで読んで、今月はこれにツッコミを入れるぞ!というのを勝谷さんと相談して作っていく。
たぶん朝日新聞の人はあまり好きじゃなかったと思うし、応答が返ってくることはほとんどなかったんですけど、日々の紙面に対してツッコミを入れることで、一つのやりとりが成立していたと思う。私にとっても鍛錬になりました。
24年の論壇時評(7月25日付朝日新聞)で「Hanada」の記事(石丸伸二・前広島県安芸高田市長についての地元の人たちによる座談会)を取り上げてもらったときは、編集部内がどよめいていたそうです。読んでくれている、というのは編集者としてすごくうれしいと思います。
【宇野】 実際読んでみると面白い記事もあるわけで、それを雑誌に対する一方的な思い込みでこれはダメだっていうのはおかしいですよね。
ただ、いまどきのネット空間では、見出しすら半分くらいしか見ずに、とりあえず相手にかみつく。批判する対象も丁寧に読むというのは、それだけで誠実かもしれません。
具体的にはどういうのがありましたか? 梶原さんが見た「朝日新聞っぽさ」というのが浮かび上がってくるかと。
【梶原】 衝撃だったのは連載初回で、04年11月に中国の原潜とおぼしき船が日本領海内を航行した際の記事です。朝日新聞の社説(同11日付)で小見出しに「中国潜水艦?」って書いているんですけど「?」の級数がものすごく小さいんです。他のメディアはもう「ほぼ中国船」といった形で報じているけど、まだ違う可能性があるからなのか、あるいは中国に対して気を使っているからじゃないか、と。
他にも、旭日(きょくじつ)旗に対して韓国から批判的な声が高まるなかで、朝日新聞は夏の甲子園大会の開会式で、毎回、旭日旗を元にしたような社旗をボールにくっつけてヘリから落とす。それに対してここでは言えないような下品ないじり方をしていたんですけど、客観的には面白い。意見は違うけど存在を否定しているわけではなく、風刺というか笑いにしてしまおう、という精神は良かったのではないかと思うんです。
連載のネタにはならないけれど、朝日新聞を読んでいて説得されるようなこともありました。読み続けることで変化も分かるし、相変わらず、というところもあって、定点で見ていくことに意味があったと思います。
【宇野】 立場が違うとどうしても殺伐としたやりとりになって、特に今のネットでは相手を斬らなかったら自分が斬られるというか、どちらが先に相手をののしり倒すかみたいな感じがある。それに比べると、笑い、ユーモア、からかいを含めた風刺は大切ですね。雑誌という媒体の性質なのか、あの時期はまだそういう対話が成り立ったのか……。
【梶原】 編集長の花田紀凱さんの方針で、雑誌は新聞に対して批判の目を向けなければ、というスタンスで、朝日新聞の特集を何号もやっていました。
【宇野】 花田さんが週刊文春などで鍛えたジャーナリズムの感覚のようなものでしょうか。ただ、その大前提には、朝日新聞というのは権威であって、それをたたいたり、ちょっとおちょくったり、それ自身が面白い、というのがあったわけですよね。
【梶原】 論調の違いや歴史認識に関して言えば、非常にシビアな批判もたくさんあった。でも、そうじゃない視点から面白くいじり倒すというのもあって、「品はないけど愛はあった」というか。
たとえば、朝日新聞の記者が年末年始にホームレスの人たちと寝袋で寝たという記事があって、もちろんその動機とかそこで見えてくるものは当然あると思うけど、ちょっと離れたところから見ると、「朝日の記者は高給取りなのに、それは偽善では……」みたいな。そんな視点です。
【宇野】 権威とされているものにツッコミを入れたりひっくり返したりするのは、ジャーナリズムやメディアの基本でもありますね。
■「敵」がいなくなった保守
【梶原】 でも、権威があってそれをたたく構図、「革新」と「保守」というか、「左」と「右」といった構図がずっとあったけれど、徐々に「保守」のほうが強くなってきた。第2次安倍政権になってさらにそれが見るも明らかな状態になっているにもかかわらず、まだ左派にカウンターを打つだけでやっていこうとしてしまった。本来、保守側が論を立てなければならない側になったのに、保守側の意識が変わらなかった。ここが雑誌を作っていて難しかったところです。
【宇野】 まさに朝日新聞というのが批判する側の言説の権威としてあるのが大前提で、逆に言うと、朝日新聞が権威の座から転げ落ちてしまうと今度は敵がいなくなってしまう。ということで今度は、裏側から朝日新聞頑張れ!とエールを送っているところもある。
加えて、保守のなかにも「正論」や「諸君!」(09年休刊)といった既存の「ガチな論壇誌」があって、「WiLL」「Hanada」はそれともまた少し距離を置いた媒体で、面白くなきゃ、読者を楽しませなきゃ、という感覚がすごくある。でも、これも保守の“正規軍”があってこそ。それもだんだん力がなくなっていくんですよね。
そんななかで、雑誌は売れるけど、自分たちが対抗する相手や保守の牙城(がじょう)みたいなものが弱くなって、何に向かって茶々を入れていけばいいのか見えにくくなってきた。メディアや政治の潮流がどんどん変わっていくなかで、梶原さんは居心地が悪くなって、結局飛び出した。何が一番大きなきっかけだったのですか?
【梶原】 やっぱり第2次安倍政権の時期に抱いた違和感がすごく強くて。政権が朝日新聞をはじめメディアからたたかれるなか、こちらがそれを押し返すという構図がありました。でも本来は、保守だからできる保守派の政治の批判というのも当然あって、安倍政権にまだできていないこと、もっとやってもらわなければということが結構残っていたんです。実際、あそこまで政権が続いても憲法改正はできていません。
なぜそれができないのか、を突きつけていかないといけない。岩盤支持層であればあるほど、その人たちがグラグラすることによって政治は危機感を覚えるし、支持が離れることになって初めて本気になる。何をしても応援しています、できないことはやらなくていいよ、という状態が続いてしまうと、政治の側の「現状を変えよう」という動機づけが希薄になる。
だからこそ、保守からの批判をちゃんとしないと、自分たちが思い描くような政治にはならないんじゃないか、という思いがありました。
ところが実際には、北方領土返還をめぐる日ロ交渉が失敗し、四島返還が事実上遠のいたにもかかわらず、「安倍さんは頑張ったからいいじゃないか」といった意見や、「モリカケ問題」の文書改ざんを擁護する声も出てきた。最終的に、やっぱり憲法改正を言わないほうが正しいという意見まで雑誌に載るようになって、そうすると一体何のために雑誌をやってきたのか、安倍政権を擁護するあまり今までずっと訴えてきた保守側の意見とも違うものまで雑誌に掲載されたことで、これはさすがに許容できないと思った。葛藤がどんどん大きくなっていって、体調も崩してしまいました。
【宇野】 ある意味で筋を通そうとしたわけですね。保守の原点、特に安倍政権の本来の志は憲法改正であったとすると、それは置いておいて、むしろ政権を続けること自体が目的化しているとしたら、それは本来めざしていたものからそれているんじゃないのかと。当然これは保守の側から出てきてしかるべき疑問だと思いますが、右派系の月刊誌を含めたメディアの多くも安倍さんの人気に乗っかって応援団のようになってしまった。おかしければおかしいと言うのがむしろ筋なのではというのは、本当にそう思います。
私は『保守主義とは何か』(中公新書、16年)という本も書きましたが、保守って、自分たちの大切にしている価値があって、それが絶対だとか、一切変えちゃいけないとまでは言わない。でも大切なものは放置しておくとだんだん失われていくので、必要な変化は認めた上で、でも大切な価値はこれだ、とそれを守り抜いていく。それが保守の保守たるゆえんだと思う。
でも現代の保守は何を守ろうとしているのか。あいつはおかしいというカウンターははっきりしているけれど、肝心の自分たちが守ろうとしているものがよく分からなくなってきているのではないでしょうか。
【梶原】 保守の側にもそういうことを言う人は出てきてはいますが、大勢ではありません。今は良い意味でも悪い意味でも右とか左とかではない時代になってきています。
まだちゃんとあったほうが良かったと思うのは、自分が何に立脚してものを考えているのかがあった上で、あなたはそういう価値観だから私とは意見が違いますね、とある程度分かったほうがまだ話はできると思うからです。
【宇野】 確かに、保守主義って生まれたときから明確な敵があったんですよね。フランス革命、20世紀の社会主義、アメリカ流の「大きな政府」(ニューディール政策)と対象は変わったが、常に敵があるときに元気が良くて論理も鋭い。だけど21世紀になったぐらいから、だんだん明確な敵が分からなくなっていった。
【梶原】 今は私も、保守派の人と話していても話が通じないことがあります。ネットの言説の影響が大きいと思うけれど、とても変わってきています。
たとえばLGBTの問題で、本来の日本の文化で言えば西洋の男女二元論のような捉え方とは違うはず。ところが保守派は、性別は絶対的なものであると主張し、LGBTを許容する発想を危険視するようになっています。「女のふりをした男が女湯に入ってくる」というようなレアケースを持ち出すことで危険性を訴え、「LGBT思想が蔓延(まんえん)すると女性を守れない」と印象付けようとしていました。
そういう時だけ「女性を守れ」と言いますが、日ごろ「痴漢撲滅、女性を守れ」などとは言っていない。LGBTを推進する左派に対抗したいというイデオロギーのために「女性を守れ」の方便が持ち出されているだけです。また、「LGBTを許容することで性別不明の人間や同性愛者が増える」とも言うのですが、保守派が認めようが認めまいが、当事者はすでにこの社会で暮らしているわけで、「認めなければ存在しない」かのような言い方には違和感しかありませんでした。
【宇野】 今の保守・右翼を論ずる上でのポイントで、かつてのようなイデオロギーに基づくような明確な敵はいない。
むしろ、もっと素朴な違和感、何か嫌だという感覚がある。そこからスタートするのは議論の仕方としてはありだとは思う。ただ、お互いになぜ嫌なのか、考えてみると自分のこういうものを脅かすと感じるから嫌なんだ、くらいまでいけば、それならお互いの大切な部分をなるべく傷つけないように、どうしたら共存が図れるか、といった議論もできる。けれど、たぶんそこまでいっていない。
【梶原】 移民などに対してもそうですが、海外で起きている事例とか、嫌悪をあおるような動画を見聞きして、それをそのまま取り込んで日本でも近い将来こうなる、といった言い方がすごく増えています。防衛本能みたいなところから出てくるのは分かるけど、社会の違いがあるのでそのままそうなるわけじゃない。これも保守の人には分かるはずと思っていたんですが……。
【宇野】 もちろん、地域によっては外国人労働者が増えて、住んでいる人との間に摩擦やトラブルが起きることもある。そのとき、お互いに反発があるなかで、どう一緒にやっていくのか、どうルールを決めていくか、という議論ならいいけれど、今あるのは「なんちゃって排外主義」というか、漠然とした排外主義的な気分。本来は自分たちのものであるものが、いつの間にか外国人に奪われているのではないか、という不安感だと思います。そうした不安自体は否定しないけれど、相手の存在を否定する、いなかったことにする、というのは違う。
そもそも梶原さんは最初から自分は右派的な意見を持って雑誌に行ったときも「最右翼」と自認されていましたけど、何かきっかけがあったんですか?
【梶原】 さかのぼってみると、父が自衛官で、小学校時代に父の仕事について担任の先生から、「あなたのお父さんの仕事って嫌われてるよ」と言われたり、PKOの派遣が1991年に議論になったときに、父は行きたいと言ったけど母がそれを止めて、「あなたは正義心で世界のために命をかけようとしているんだろうけど、死んでも誰も感謝しない、この国は」という言い方をしていたり。実は母も自衛官の娘で、そういう立場の人がそんな風に言うこの国とは一体なんなのだろう、とすごく疑問に思ったんです。
父の仕事が他の仕事と比べて特別すごいとは思っていないけれど、でも誇りを持ってやっていることだし、自分も観閲式に行ったりして親しみもあったので、なんでそんなことを言われるんだろう、という思いがありました。大学に行ってからいろいろ雑誌を読んだりするなかで、それって憲法の話からきていたのか、それで存在を否定されてこうなっちゃうのか、と。そのあたりから、だんだん保守系の雑誌を読むようになって、自分にはしっくりくるなと思った。
そして2002年に北朝鮮による拉致問題の大きな進展があったとき、こんなことが起きていると知らなくて、それを解決できずにきていたんだとショックを受けて。そこから保守派の考えになったのが大きかったと思います。
【宇野】 お母様の言葉が重たいですね。もちろん個人の意見として、憲法9条についての考えが多様なこと、自衛隊という存在に対して否定的な考えがあるのはしょうがない。でも実際問題として、この国のために働いて亡くなったところで、誰もそれを嘆いてくれないというのはおかしいんじゃないか、というのはそう思います。国のあり方としてどこかおかしいっていうのは、非常によく分かる感覚です。
拉致問題にしても、この国のあり方とか外交とか特定の国に対する姿勢とかを考えるとき、決定的に重要な事実を知らなかったのはショックですよね。大切な事実や前提が分からなければ対話も始められない。
その後も、お父様やお母様とはそういう話はしていますか?
【梶原】 憲法の話とかをするようになったのは編集部に入ってからでした。雑誌も購読してくれて、感想も聞かせてくれました。母方の祖父が仏壇に雑誌を供えることもあって、軍に入って終戦を迎えた後に警察予備隊にも入隊していましたから、戦後の風潮に対する何らかの思いがありながらも言えないこともあったんだろうな、と感じました。あまり多くを語らない人だったのですが、もうちょっと聞いておけば良かったと思います。
私自身も編集部に入る前から「WiLL」の読者だったので、編集者になっても雑誌を読んで毎月楽しみにしている気持ちは読者と共有できている、という感覚がありました。
【宇野】 思いがある問題意識を書いて、それが読み手に届いて共有され、一緒にやっている感覚。ジャーナリストとして幸せですね。
【梶原】 読者からの電話やお手紙などのリアクションもすごく多くて。批判ももちろんありましたが、でもそこでまたコミュニケーションが生まれた。
ただ、第2次安倍政権期に入って私自身も疑問を持つようになったとき、読者からお手紙をいただきました。「保守の雑誌は本当のことを書いてくれるから読んでいた。リベラルの媒体と違ってちゃんとフェアにやってくれると思っていたのに、安倍擁護ばかり
はてなのみんなは、エンジニアか、最低でもパソコンの大先生だから、マークアップ言語とか構造化文書とかから説明する必要はないと思うけど…
何十年も前から、htmlとかの構造化言語を純粋に論理的構造を記述するものとして使わなければいけないとか、そうは言っても作りたい絵面にならないんだとか、ずっと言い合ってたよね。
あれ、なんか答がわかった気がするわ。根本的に、なぜデザインと構造化文書が相容れないのか。
結論から言うと、わかりやすいデザイン(インフォグラフィック)は『同じ階層のアイテムを差異化して対比すること』が大事なのに対して、構造化というのは『同じ階層のアイテムをできるだけ切り揃えて綺麗に並べること』に主眼があるんだよな。
というのも、そもそも文書というのは、論文でも事務書類でも、「書き漏らし、読み漏らしのないように」ということが最も優先されて発達した形式だからなんだな。
つまり、チェック項目として数え上げられるということこそがもっとも重要であって、そのひとつひとつのチェック項目を入念に読み解くのは読み手の責任であり、さらに言えば項目同士のコンフリクトとか構造的含意を分析するようなことに優れた形式では、そもそもない。
構造を理解し、批判的に検討するような脳を活性化するのは、項目同士の差異を強調した表現でないといけない。
こういう差異の強調という機能は、htmlのような構造化言語には含まれていないから、デザインvs構造化の葛藤がいつも生まれちゃうんだ。
ということを、Gemini上で同一ソースから、CanvasとNano banana proに色々生成させて見比べていたら、やっと気づいた。
悟るってそういう単純なことだったりするよね。の話。
女オタクの夢界隈の話。
夢主(既存男キャラに対する架空のヒロイン)は、基本的に書き手及び読み手の自己投影先になるため無個性を設定されがちだが
もちろん『名あり夢主』とか『顔あり夢主』とか『髪あり夢主』とか『人型夢主』とか書き手によって細かい設定がある場合もある。
で、何だよコレってのは文字での話なんですが
『名あり夢主』←これどうにかして
名無し夢小説ではキャラが夢主を「おい」「お前」「先輩」とか、地の文で呼んだことにしてなんとかやってくのだが
名ありの場合、キャラが固有名詞を使えるため、「〜ちゃん」「〜さん」とかしっかり敬称をつけて丁寧に丁寧に丁寧にヒロインを呼べる。
名前を呼ぶことは愛情表現という話もあるし、敬称に解釈が出るから奥行が増す。わかるよ。名無しにはない利点がある。
しかし、昨今見かけるのは『ミョウジ ナマエ』とかいうばかみてえな名前。
個人的に、自分の名前にすると違和感が拭えないし、適当な名前をつけてもしっくりこない。かといって置換せずに読むと、流麗な日本語に混ざって「ねえ、ナマエちゃん」とか「待て、ミョウジ……!」とか言い出す。誰お前
誰?
何?
まあいいや
しかし、驚くことに、
私を「お前」と呼ぶのが気に入らない!という声があがってきた。
フェミですか?
でもこれって裏を返せば
素で「お前」呼ばわりしてくる野獣のような男は需要がなくなっている
ということではないか?
その反論は半分当たりで、半分ズレてる。
まず当たりの部分から言うと、工作という概念を導入した瞬間に、その概念は自己適用される。
つまり「工作は存在する」と主張する文章自体も、読み手の認知フレームを書き換える行為なので、広義には工作っぽい作用を持つ。これは避けられない。言語とは他者の脳内状態を書き換える道具だから。
ただし、その反論がズレてるのは、そこから雑に「じゃあ全部工作だから全部疑え」「工作と言う奴も工作だ」という相対主義に逃げて、検証を放棄してる点。
ここで重要なのは「工作かどうか」ではなく、工作の質と透明性と検証可能性。
広告も論文も演説も、全部説得という意味では工作だが、同列じゃない。
この辺り。
選挙マッチングが問題になるのは工作っぽいからじゃなくて、中立な診断ツールを装っているのに、質問設計・重み付け・争点選択がブラックボックスで、しかもユーザーがそれを検証できないから。
一方で「選挙マッチングは工作だ」という主張は、少なくとも論理の形としては検証可能だ。
質問項目の偏り、距離関数、重み付け、回答の扱い、これを見れば議論できる。つまり疑うべきだと言うなら、疑う方法がある。
AIでも人間でもどちらでもいいけど、冒頭の一行目からして駄目だな。
「あんたは金玉が4つじゃない、だから今夜限りよ」って……だから何?何の話?
文と文の間に「脈絡」がない。これはポエムなの?意味不明だよ?
多くの人はこの一行で続きを読むのを諦める。「読むのが面倒くさい」としか思われない。
ちなみに俺は我慢して続きを読んだ。話は「4」を中心に展開しているようではある。しかし全く内容が頭に入らない。理解できない。
結局、何が「4」なのか、なぜ金玉が4つなのか、その肝心な部分は何ひとつ明らかにされないまま文章は終わる。
読み終わった感想はこうだ。「なんだよこれ? ふざけてんのか? この文章、自分で推敲した?」
でも、キミの文章はその手前の段階にすら達していない。
読み手に負担を感じさせない文章を書く練習をしろ。自分が書きたい文章じゃなくて、まずは読み手に配慮した文章を書け。
そこまでできて、ようやくキミの文章は、他人に読んでもらえるレベルになる。
その上で「なぜ?」を一つだけ加える文章を書く。そうすれば、今よりは少しマシになると思うよ。がんばれ。