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はてなキーワード: 水筒とは

2026-05-12

映画館水筒持ち込んだり居酒屋に行って酒飲まなかったり

結局お前等ってケチなだけじゃん

2026-05-07

魔法瓶水筒をみたら、爆発すると思え。

サーモスが、中身が発酵した圧力で容器の栓が発射され失明含む負傷事故が起きたとしてジャーボトル計800万点あまりを回収するリコール

https://x.com/USATODAY/status/2050024993552039953

2026-05-02

今日中学ソフトテニス説明会行ってきたけど

まず、車の送迎について、保護者が持ち回りで子供たちを連れて行く、そして「何かあっても学校は何も責任を負いません」という書類署名して出せ、と

いや、出さないよ

どこの誰が運転するとも、どんな車かも、免許持ってるかも確認してない、保険適用範囲もわからない、そんな状態で怖くて署名なんかしないよ

自分ち以外全員出してるし今まで出さない人はいなかった、って聞いてびっくらこいた

もし車に突っ込まれて片足なくなっても保険金が出るかもわからないって怖くないのか?

聞いてみたら「今まで何もなかったので」

うん、子供絶対に乗せない

顧問先生弁当代を出すのはいいよ

先生ボランティア休日潰して引率してくれたり給料も出ないのに指導してくれるんだから全然出す

でも、保護者弁当を買って渡すって…なに?

お茶おにぎりミニ弁当、冬は水筒にお湯入れて暖かいインスタント汁を準備して、グリーンピースNGで〜、いや先生の好きな弁当買わしたれや

嫌やろ、どんな保存状態だったかも、好きでもないおかずが入ってるかもしれない弁当もらうの

他にもOGレクリエーション企画する係(3年間固定)とか、とにかく取り決めが細かい責任が不釣り合いに重い

これが強豪校ならわかるよ

弱小、過去に強豪だったとかでもなく昔から今までずっと弱い

普通の市立中学普通ソフトテニス

うちは軽い気持ちで入ったし、1年生の他の保護者説明についていけなくて引いてる

ただ学校歴史だけは長い

説明聞いてるうちに何となくわかったけど、これは学校側が求めてる訳ではなく、保護者勝手にしてる自治が過剰なんだ

「昔からこれでやってたから」で非効率負担けが負の遺産として積み上がってる感じ

で、子供のためにやってる感で保護者間で牽制しあってる

とりあえず車以外は半年くらい言う通りにするけど、やらなくていいようなことは辞めてもいいか提案する

子供には悪いけどダメそうなら部活変えるなり、民間クラブに入るなりしてもらおう

こんなのやってられないわ

2026-04-27

anond:20260427202439

昔は獣の胃袋を水筒にしていて、そこに獣の乳を入れておいたら、遺ってた酵素の働きで🧀チーズ誕生

…ていうけど、現代精肉にそんなことはおきないやで

anond:20260427115034

分かりにくいがいつものやつよりはまだまし

答え:例えば水筒でも何でもいいんだが、リュックの紐に水筒(固定リング付)を固定する場合

dorawiiの言うC型だとリュックの紐と水筒が同じところにかかるよな?カラビナごとリュックから外したいときに、誤って水筒が外れて床に落ちる恐れがある

S型だとリュック紐側しか開かないため水筒カラビナから落ちるということは基本的にない

dorawiiみたく不器用で両方の留め具を押すような奴はいからそういうやつが使うのには向いていない

追加:リュック紐など固定側は1本、もう片方は鍵や水筒など複数入れて使う場合にS字は便利

複数の出し入れの際に固定側はいじらなくていいから、落ちることを心配する必要がないからね

https://anond.hatelabo.jp/20260426213055

学校あほだけど親もあほに思えるんよなあ

お茶じゃなくてスポドリとか経口補水液とか考えられませんでしたか

塩分タブレットとかゼリー

・大きい水筒水筒2個は

・重さがネックなら粉末パウダーお茶パックは

なぜ自販機お茶を買うことになってるかもよくわからんねえ

いや、本当は色々調整した結果なのかもしれないけど、よっぽどがあれば自販機お茶購入とかより賢い選択肢があると思うんだよね

2026-04-26

学校に従うと殺される

遠足で「お茶買いたい」認めず、小1女児熱中症 「過失なし」と全面対決する学校の言い分

https://www.sankei.com/article/20240409-7I5X5D33TFKJVB7ME6IV3GH3DU/


これな

学校の悪い所が全部出てる奴だよな

私たちルールに従った」として責任放棄してるだろ?

そりゃまぁ?

過失まで認められるところはないのかも知んない

けどもさ

学校に帰る方が早い」と【判断】したんだろ?違うのか?

熱中症を疑う症状はなかったと【判断】したんだろ?違うのか?

結果、死んだ事故もあったよね

飲み切る前の水筒に口をつけていたか問題ないと【判断】したんだろ?違うのか?

お前らが【判断】して飲ませなかったんだよ

状況が変わった今の真夏に、昔は大丈夫だったからと部活で水飲ませないとか、今許されないじゃん

給食を無理やり食わせるのも、今許されないじゃん

お前らの常識で、神のように振舞って強制していたことは、今許されないじゃん

今度のは「他の子ジュース買わせろって言うから買わせない」と【判断】したわけで

その【判断】は適正だったって主張してる

仮に、死亡していても過失にならんってことでしょ?

だって、正しい【判断】だったのだから


これ、学校側が行った【判断】は正しく、そこに過失責任はないってことになってるのよ

判定にあたり、その時児童が本当に脱水症状があったかは「関係ない」から

学校側がそう【判断】する客観的な状況があったか責任はないという論法

学校側が【判断】して、行動を強制して、仮に結果人が死んでも、安全配慮義務に反していない

そういわれたらさ

もう学校のいう事なんて聞いてられないじゃん?

学校勝手に下した正しい【判断】に従って死んでも自業自得だって事でしょ?

んじゃ、その自己責任としてお茶を買って自分を守らないといけないじゃん?

学校勝手大丈夫だと【判断】したら殺されかねない

そんな指示に従えないよね?

で、これ、当然に、自分熱中症だと思う【判断】は学校ルールより優先されるよね?

クソ教師の指示になんて従う道理がないよね?

自分の命は自分で守らなきゃってなるよね?



例の判決はそういう事でしょ?

2026-04-25

水筒の蓋のパッキンとか分解して洗うのが当たり前なんだろうか

蓋の構造が単純で分解しなくても綺麗に洗えるのがうりの水筒とかあるけど。

一度も部分解して洗ったことがない。

2026-04-23

anond:20260423184346

 こうなってくると何をいうても、直ぐそこへ持ってくるので話がゆきつまってしまう。二人の内でどちらか一人が、すこうしほんの僅かにでも押が強ければ、こんなに話がゆきつまるのではない。お互に心持は奥底まで解っているのだから吉野紙を突破るほどにも力がありさえすれば、話の一歩を進めてお互に明放してしまうことが出来るのであるしかしながら真底からおぼこな二人は、その吉野紙を破るほどの押がないのである。またここで話の皮を切ってしまわねばならぬと云う様な、はっきりした意識も勿論ないのだ。言わば未まだ取止めのない卵的の恋であるから、少しく心の力が必要な所へくると話がゆきつまってしまうのである

 お互に自分で話し出しては自分が極りわるくなる様なことを繰返しつつ幾町かの道を歩いた。詞数こそ少なけれ、その詞の奥には二人共に無量の思いを包んで、極りがわるい感情の中には何とも云えない深き愉快を湛えて居る。それでいわゆる足も空に、いつしか田圃も通りこし、山路へ這入った。今度は民子が心を取り直したらしく鮮かな声で、

「政夫さん、もう半分道来ましてしょうか。大長柵おおながさくへは一里に遠いッて云いましたねイ」

「そうです、一里半には近いそうだが、もう半分の余来ましたろうよ。少し休みましょうか」

わたし休まなくとも、ようございますが、早速お母さんの罰があたって、薄すすきの葉でこんなに手を切りました。ちょいとこれで結わえて下さいな」

 親指の中ほどで疵きずは少しだが、血が意外に出た。僕は早速紙を裂いて結わえてやる。民子が両手を赤くしているのを見た時非常にかわいそうであった。こんな山の中で休むより、畑へ往いってから休もうというので、今度は民子を先に僕が後になって急ぐ。八時少し過ぎと思う時分に大長柵の畑へ着いた。

 十年許り前に親父おやじが未だ達者な時分、隣村の親戚からまれ余儀なく買ったのだそうで、畑が八反と山林が二町ほどここにあるのである。この辺一体に高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。越石こしこくを持っていると云えば、世間体はよいけど、手間ばかり掛って割に合わないといつも母が言ってる畑だ。

 三方林で囲まれ、南が開いて余所よその畑とつづいている。北が高く南が低い傾斜こうばいになっている。母の推察通り、棉は末にはなっているが、風が吹いたら溢れるかと思うほど棉はえんでいる。点々として畑中白くなっているその棉に朝日がさしていると目まぶしい様に綺麗だ。

「まアよくえんでること。今日採りにきてよい事しました」

 民子は女だけに、棉の綺麗にえんでるのを見て嬉しそうにそう云った。畑の真中ほどに桐の樹が二本繁っている。葉が落ちかけて居るけれど、十月の熱を凌しのぐには十分だ。ここへあたりの黍殻きびがらを寄せて二人が陣どる。弁当包みを枝へ釣る。天気のよいのに山路を急いだから、汗ばんで熱い。着物を一枚ずつ脱ぐ。風を懐ふところへ入れ足を展のばして休む。青ぎった空に翠みどりの松林百舌もずもどこかで鳴いている。声の響くほど山は静かなのだ天と地との間で広い畑の真ン中に二人が話をしているのである

「ほんとに民子さん、きょうというきょうは極楽の様な日ですねイ」

 顔からから汗を拭いた跡のつやつやしさ、今更に民子の横顔を見た。

「そうですねイ、わたし何だか夢の様な気がするの。今朝家うちを出る時はほんとに極りが悪くて……嫂ねえさんには変な眼つきで視られる、お増には冷かされる、私はのぼせてしまいました。政夫さんは平気でいるから憎らしかったわ」

「僕だって平気なもんですか。村の奴らに逢うのがいやだから、僕は一足先に出て銀杏の下で民さんを待っていたんでさア。それはそうと、民さん、今日はほんとに面白く遊ぼうね。僕は来月は学校へ行くんだし、今月とて十五日しかないし、二人でしみじみ話の出来る様なことはこれから先はむずかしい。あわれッぽいこと云うようだけど、二人の中も今日だけかしらと思うのよ。ねイ民さん……」

「そりゃア政夫さん、私は道々そればかり考えて来ました。私がさっきほんとに情なくなってと言ったら、政夫さんは笑っておしまいなしたけど……」

 面白く遊ぼう遊ぼう言うても、話を始めると直ぐにこうなってしまう。民子は涙を拭うた様であった。ちょうどよくそこへ馬が見えてきた。西側山路から、がさがさ笹にさわる音がして、薪たきぎをつけた馬を引いて頬冠ほおかむりの男が出て来た。よく見ると意外にも村の常吉である。この奴はいつか向うのお浜に民子を遊びに連れだしてくれと頻しきりに頼んだという奴だ。いやな野郎がきやがったなと思うていると、

「や政夫さん。コンチャどうも結構なお天気ですな。今日は御夫婦で棉採りかな。洒落しゃれてますね。アハハハハハ」

「オウ常さん、今日は駄賃かな。大変早く御精が出ますね」

「ハア吾々なんざア駄賃取りでもして適たまに一盃いっぱいやるより外に楽しみもないんですからな。民子さん、いやに見せつけますね。余あんまり罪ですぜ。アハハハハハ」

 この野郎失敬なと思ったけれど、吾々も余り威張れる身でもなし、笑いとぼけ常吉をやり過ごした。

馬鹿野郎、実に厭なやつだ。さア民さん、始めましょう。ほんとに民さん、元気をお直しよ。そんなにくよくよおしでないよ。僕は学校へ行ったて千葉もの、盆正月の外にも来ようと思えば土曜の晩かけて日曜に来られるさ……」

「ほんとに済みません。泣面なきつらなどして。あの常さんて男、何といういやな人でしょう」

 民子襷掛け僕はシャツに肩を脱いで一心に採って三時間ばかりの間に七分通り片づけてしまった。もう跡はわけがいか弁当にしようということにして桐の蔭に戻る。僕はかねて用意の水筒を持って、

「民さん、僕は水を汲くんで来ますから留守番を頼みます。帰りに『えびづる』や『あけび』をうんと土産みやげに採って来ます

「私は一人で居るのはいやだ。政夫さん、一所に連れてって下さい。さっきの様な人にでも来られたら大変ですもの

だって民さん、向うの山を一つ越して先ですよ、清水しみずのある所は。道という様な道もなくて、それこそ茨いばらや薄すすきで足が疵だらけになりますよ。水がなくちゃ弁当が食べられないから、困ったなア、民さん、待っていられるでしょう」

「政夫さん、後生から連れて行って下さい。あなたが歩ける道なら私にも歩けます。一人でここにいるのはわたしゃどうしても……」

「民さんは山へ来たら大変だだッ児になりましたネー。それじゃ一所に行きましょう」

 弁当は棉の中へ隠し、着物はてんでに着てしまって出掛ける。民子は頻りに、にこにこしている。端はたから見たならば、馬鹿馬鹿しくも見苦しくもあろうけれど、本人同志の身にとっては、そのらちもなき押問答の内にも限りなき嬉しみを感ずるのである。高くもないけど道のない所をゆくのであるから笹原を押分け樹の根につかまり、崖を攀よずる。しばしば民子の手を採って曳ひいてやる。

 近く二三日以来の二人の感情では、民子が求めるならば僕はどんなことでも拒まれない、また僕が求めるならやはりどんなことでも民子は決して拒みはしない。そういう間柄でありつつも、飽くまで臆病に飽くまで気の小さな両人ふたりは、嘗かつて一度も有意味に手などを採ったことはなかった。しかるに今日は偶然の事から屡手を採り合うに至った。這辺このへんの一種云うべからざる愉快な感情経験ある人にして初めて語ることが出来る。

「民さん、ここまでくれば、清水はあすこに見えます。これから僕が一人で行ってくるからここに待って居なさい。僕が見えて居たら居られるでしょう」

「ほんとに政夫さんの御厄介ですね……そんなにだだを言っては済まないから、ここで待ちましょう。あらア野葡萄えびづるがあった」

 僕は水を汲んでの帰りに、水筒は腰に結いつけ、あたりを少し許り探って、『あけび』四五十と野葡萄一もくさを採り、竜胆りんどうの花の美しいのを五六本見つけて帰ってきた。帰りは下りから無造作に二人で降りる。畑へ出口で僕は春蘭しゅんらんの大きいのを見つけた。

「民さん、僕は一寸『アックリ』を掘ってゆくから、この『あけび』と『えびづる』を持って行って下さい」

「『アックリ』てなにい。あらア春蘭じゃありませんか」

「民さんは町場もんですから、春蘭などと品のよいこと仰おっしゃるのです。矢切百姓なんぞは『アックリ』と申しましてね、皸あかぎれの薬に致します。ハハハハ」

「あらア口の悪いこと。政夫さんは、きょうはほんとに口が悪くなったよ」

 山の弁当と云えば、土地の者は一般に楽しみの一つとしてある。何か生理上の理由でもあるか知らんが、とにかく、山の仕事をしてやがてたべる弁当不思議うまいことは誰も云う所だ。今吾々二人は新らしき清水を汲み来り母の心を籠こめた弁当を分けつつたべるのである。興味の尋常でないは言うも愚おろかな次第だ。僕は『あけび』を好み民子は野葡萄をたべつつしばらく話をする。

 民子は笑いながら、

「政夫さんは皸の薬に『アックリ』とやらを採ってきて学校へお持ちになるの。学校で皸がきれたらおかしいでしょうね……」

 僕は真面目に、

「なアにこれはお増にやるのさ。お増はもうとうに皸を切らしているでしょう。この間も湯に這入る時にお増が火を焚たきにきて非常に皸を痛がっているから、その内に僕が山へ行ったら『アックリ』を採ってきてやると言ったのさ」

「まアあなたは親切な人ですことね……お増は蔭日向かげひなたのない憎気のない女ですから、私も仲好くしていたんですが、この頃は何となし私に突き当る様な事ばかし言って、何でもわたしを憎んでいますよ」

「アハハハ、それはお増どんが焼餅をやくのでさ。つまらんことにもすぐ焼餅を焼くのは、女の癖さ。僕がそら『アックリ』を採っていってお増にやると云えば、民さんがすぐに、まアあなたは親切な人とか何とか云うのと同じ訣わけさ」

「この人はいつのまにこんなに口がわるくなったのでしょう。何を言っても政夫さんにはかないやしない。いくらだってお増が根も底もない焼もちだ位は承知していますよ……」

「実はお増も不憫ふびんな女よ。両親があんなことになりさえせねば、奉公人とまでなるのではない。親父は戦争死ぬ、お袋はこれを嘆いたがもとでの病死、一人の兄がはずれものという訣で、とうとうあの始末。国家のために死んだ人の娘だもの、民さん、いたわってやらねばならない。あれでも民さん、あなたをば大変ほめているよ。意地曲りの嫂にこきつかわれるのだから一層かわいそうでさ」

「そりゃ政夫さん私もそう思って居ますさ。お母さんもよくそうおっしゃいました。つまらないものですけど何とかかとか分けてやってますが、また政夫さんの様に情深くされると……」

 民子は云いさしてまた話を詰らしたが、桐の葉に包んで置いた竜胆の花を手に採って、急に話を転じた。

「こんな美しい花、いつ採ってお出でなして。りんどうはほんとによい花ですね。わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった。おオえエ花……」

 花好きな民子は例の癖で、色白の顔にその紫紺の花を押しつける。やがて何を思いだしてか、ひとりでにこにこ笑いだした。

「民さん、なんです、そんなにひとりで笑って」

「政夫さんはりんどうの様な人だ」

「どうして」

「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何がなし竜胆の様な風だからさ」

 民子は言い終って顔をかくして笑った。

「民さんもよっぽど人が悪くなった。それでさっきの仇討あだうちという訣ですか。口真似なんか恐入りますナ。しかし民さんが野菊で僕が竜胆とは面白い対ですね。僕は悦よろこんでりんどうになります。それで民さんがりんどうを好きになってくれればなお嬉しい」

 二人はこんならちもなき事いうて悦んでいた。秋の日足の短さ、日はようやく傾きそめる。さアとの掛声で棉もぎにかかる。午後の分は僅であったから一時間半ばかりでもぎ終えた。何やかやそれぞれまとめて番ニョに乗せ、二人で差しあいにかつぐ。民子を先に僕が後に、とぼとぼ畑を出掛けた時は、日は早く松の梢をかぎりかけた。

 半分道も来たと思う頃は十三夜の月が、木この間まから影をさして尾花にゆらぐ風もなく、露の置くさえ見える様な夜になった。今朝は気がつかなかったが、道の西手に一段低い畑には、蕎麦そばの花が薄絹を曳き渡したように白く見える。こおろぎが寒げに鳴いているにも心とめずにはいられない。

「民さん、くたぶれたでしょう。どうせおそくなったんですから、この景色のよい所で少し休んで行きましょう」

「こんなにおそくなるなら、今少し急げばよかったに。家の人達にきっと何とか言われる。政夫さん、私はそれが心配になるわ」

「今更心配しても追おっつかないから、まア少し休みましょう。こんなに景色のよいことは滅多めったにありません。そんなに人に申訣のない様な悪いことはしないもの、民さん、心配することはないよ」

 月あかりが斜にさしこんでいる道端の松の切株に二人は腰をかけた。目の先七八間の所は木の蔭で薄暗いがそれから向うは畑一ぱいに月がさして、蕎麦の花が際きわ立って白い。

「何というえい景色でしょう。政夫さん歌とか俳句かいものをやったら、こんなとき面白いことが云えるでしょうね。私ら様な無筆でもこんな時には心配も何も忘れますもの。政夫さん、あなた歌をおやんなさいよ」

「僕は実は少しやっているけど、むずかしくて容易に出来ないのさ。山畑の蕎麦の花に月がよくて、こおろぎが鳴くなどは実にえいですなア。民さん、これから二人で歌をやりましょうか」

 お互に一つの心配を持つ身となった二人は、内に思うことが多くてかえって話は少ない。何となく覚束おぼつかない二人の行末、ここで少しく話をしたかったのだ。民子は勿論のこと、僕よりも一層話したかったに相違ないが、年の至らぬのと浮いた心のない二人は、なかなか差向いでそんな話は出来なかった。しばらくは無言でぼんやり時間を過ごすうちに、一列の雁がんが二人を促すかの様に空近く鳴いて通る。

 ようやく田圃へ降りて銀杏の木が見えた時に、二人はまた同じ様に一種感情が胸に湧いた。それは外でもない、何となく家に這入はいりづらいと言う心持である。這入りづらい訣はないと思うても、どうしても這入りづらい。躊躇ちゅうちょする暇もない、忽たちまち門前近く来てしまった。

「政夫さん……あなた先になって下さい。私極きまりわるくてしょうがないわ」

「よしとそれじゃ僕が先になろう」

 僕は頗すこぶる勇気を鼓こし殊に平気な風を装うて門を這入った。家の人達は今夕飯最中で盛んに話が湧いているらしい。庭場の雨戸は未だ開いたなりに月が軒口までさし込んでいる。僕が咳払せきばらいを一ツやって庭場へ這入ると、台所の話はにわかに止んでしまった。民子は指の先で僕の肩を撞ついた。僕も承知しているのだ、今御膳会議で二人の噂が如何いかに盛んであったか

 宵祭ではあり十三夜ではあるので、家中表座敷へ揃そろうた時、母も奥から起きてきた。母は一通り二人の余り遅かったことを咎めて深くは言わなかったけれど、常とは全く違っていた。何か思っているらしく、少しも打解けない。これまでは口には小言を言うても、心中に疑わなかったのだが、今夜は口には余り言わないが、心では十分に二人に疑いを起したに違いない。民子はいよいよ小さくなって座敷中なかへは出ない。僕は山から採ってきた、あけびや野葡萄えびづるやを沢山座敷中じゅうへ並べ立てて、暗に僕がこんな事をして居たから遅くなったのだとの意を示し無言の弁解をやっても何のききめもない。誰一人それをそうと見るものはない。今夜は何の話にも僕等二人は除のけものにされる始末で、もはや二人は全く罪あるものと黙決されてしまったのである

「お母さんがあんまり甘過ぎる。あアして居る二人を一所に山畑へやるとは目のないにもほどがある。はたでいくら心配してもお母さんがあれでは駄目だ」

 これが台所会議の決定であったらしい。母の方でもいつまで児供と思っていたが誤りで、自分が悪かったという様な考えに今夜はなったのであろう。今更二人を叱って見ても仕方がない。なに政夫を学校へ遣やってしまいさえせば仔細しさいはないと母の心はちゃんときまって居るらしく、

「政や、お前はナ十一月へ入って直ぐ学校へやる積りであったけれど、そうしてぶらぶらして居ても為にならないから、お祭が終ったら、もう学校へゆくがよい。十七日にゆくとしろ……えいか、そのつもりで小支度して置け」

 学校へゆくは固より僕の願い、十日や二十日早くとも遅くともそれに仔細はないが、この場合しかも今夜言渡いいわたしがあって見ると、二人は既に罪を犯したものと定められての仕置であるから民子は勿論僕に取ってもすこぶる心苦しい処がある。実際二人はそれほどに堕落した訣でないから、頭からそうときめられては、聊いささか妙な心持がする。さりとて弁解の出来ることでもなし、また強いことを言える資格も実は無いのである。これが一ヶ月前であったらば、それはお母さん御無理だ、学校へ行くのは望みであるけど、科とがを着せられての仕置に学校へゆけとはあんまりでしょう……などと直ぐだだを言うのであるが、今夜はそんな我儘わがままを言えるほど無邪気ではない。全くの処、恋に陥ってしまっている。

 あれほど可愛がられた一人の母に隠立てをする、何となく隔てを作って心のありたけを言い得ぬまでになっている。おのずから人前を憚はばかり、人前では殊更に二人がうとうとしく取りなす様になっている。かくまで私心わたくしごころが長じてきてどうして立派な口がきけよう。僕はただ一言いちごん、

「はア……」

 と答えたきりなんにも言わず、母の言いつけに盲従する外はなかった。

「僕は学校へ往ってしまえばそれでよいけど、民さんは跡でどうなるだろうか」

 不図ふとそう思って、そっと民子の方を見ると、お増が枝豆をあさってる後に、民子うつむいて膝の上に襷たすきをこねくりつつ沈黙している。如何にも元気のない風で夜のせいか顔色も青白く見えた。民子の風を見て僕も俄に悲しくなって泣きたくなった。涙は瞼まぶたを伝って眼が曇った。なぜ悲しくなったか理由は判然はっきりしない。ただ民子が可哀相でならなくなったのである民子と僕との楽しい関係もこの日の夜までは続かなく、十三日の昼の光と共に全く消えうせてしまった。嬉しいにつけても思いのたけは語りつくさず、憂き悲しいことについては勿論百分の一だも語りあわないで、二人の関係は闇やみの幕に這入ってしまったのである

 十四日は祭の初日でただ物せわしく日がくれた。お互に気のない風はしていても、手にせわしい仕事のあるばかりに、とにかく思い紛らすことが出来た。

 十五日と十六日とは、食事の外用事もないままに、書室へ籠こもりとおしていた。ぼんやり机にもたれたなり何をするでもなく、また二人の関係をどうしようかという様なことすらも考えてはいない。ただ民子のことが頭に充ちているばかりで、極めて単純に民子を思うている外に考えは働いて居らぬ。この二日の間に民子と三四回は逢ったけれど、話も出来ず微笑を交換する元気もなく、うら淋しい心持を互に目に訴うるのみであった。二人の心持が今少しませて居ったならば、この二日の間にも将来の事など随分話し合うことが出来たのであろうけれど、しぶとい心持などは毛ほどもなかった二人には、その場合になかなかそんな事は出来なかった。それでも僕は十六日の午後になって、何とはなしに以下のような事を巻紙へ書いて、日暮に一寸来た民子に僕が居なくなってから見てくれと云って渡した。

 朝からここへ這入ったきり、何をする気にもならない。外へ出る気にもならず、本を読む気にもならず、ただ繰返し繰返し民さんの事ばかり思って居る。民さんと一所に居れば神様に抱かれて雲にでも乗って居る様だ。僕はどうしてこんなになったんだろう。学問をせねばならない身だから学校へは行くけれど、心では民さんと離れたくない。民さんは自分の年の多いのを気にしているらしいが、僕はそんなことは何とも思わない。僕は民さんの思うとおりになるつもりですから、民さんもそう思っていて下さい。明日は早く立ちます。冬期の休みには帰ってきて民さんに逢うのを楽しみにして居ります

  十月十六日

政夫

民子

 学校へ行くとは云え、罪があって早くやられると云う境遇であるから、人の笑声話声にも一々ひがみ心が起きる。皆二人に対する嘲笑かの様に聞かれる。いっそ早く学校へ行ってしまいたくなった。決心が定まれば元気も恢復かいふくしてくる。この夜は頭も少しくさえて夕飯も心持よくたべた。学校のこと何くれとなく母と話をする。やがて寝に就いてからも、

「何だ馬鹿馬鹿しい、十五かそこらの小僧の癖に、女のことなどばかりくよくよ考えて……そうだそうだ、明朝あしたは早速学校へ行こう。民子は可哀相だけれど……もう考えまい、考えたって仕方がない、学校学校……」

 独口ひとりぐちききつつ眠りに入った様な訣であった。

 船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバン一個ひとつにつめ込み民子とお増に送られて矢切の渡へ降りた。村の者の荷船に便乗する訣でもう船は来て居る。僕は民さんそれじゃ……と言うつもりでも咽のどがつまって声が出ない民子は僕に包を渡してからは、自分の手のやりばに困って胸を撫なでたり襟えりを撫でたりして、下ばかり向いている。眼にもつ涙をお増に見られまいとして、体を脇へそらしている、民子があわれな姿を見ては僕も涙が抑え切れなかった。民子今日を別れと思ってか、髪はさっぱりとした銀杏いちょうがえしに薄く化粧をしている。煤色すすいろと紺の細かい弁慶縞べんけいじまで、羽織も長着も同じい米沢紬よねざわつむぎに、品のよい友禅縮緬ゆうぜんちりめんの帯をしめていた。襷を掛けた民子もよかったけれど今日民子はまた一層引立って見えた。

 僕の気のせいででもあるか、民子十三日の夜からは一日ひとひ一日とやつれてきて、この日のいたいたしさ、僕は泣かずには居られなかった。虫が知らせるとでもいうのか、これが生涯の別れになろうとは、僕は勿論民子とて、よもやそうは思わなかったろうけれど、この時のつらさ悲しさは、とても他人に話しても信じてくれるものはないと思う位であった。

 尤もっと民子の思いは僕より深かったに相違ない。僕は中学校卒業するまでにも、四五年間のある体であるのに、民子は十七で今年の内にも縁談の話があって両親からそう言われれば、無造作に拒むことの出来ない身であるから、行末のことをいろいろ考えて見ると心配の多い訣である。当時の僕はそこまでは考えなかったけれど、親しく目に染しみた民子のいたいたしい姿は幾年経っても昨日の事のように眼に浮んでいるのである

 余所から見たならば、若いうちによくあるいたずらの勝手な泣面と見苦しくもあったであろうけれど、二人の身に取っては、真にあわれに悲しき別れであった。互に手を取って後来を語ることも出来ず、小雨のしょぼしょぼ降る渡場に、泣きの涙も人目を憚はばかり、一言の詞ことばもかわし得ないで永久の別れをしてしまったのである。無情の舟は流を下って早く、十分間と経たぬ内に、五町と下らぬ内に、お互の姿は雨の曇りに隔てられてしまった。物も言い得ないで、しょんぼりと悄しおれていた不憫ふびんな民さんの俤おもかげ、どうして忘れることが出来よう。民さんを思うために神の怒りに触れて即座に打殺さるる様なことがあるとても僕には民さんを思わずに居られない。年をとっての後の考えから言えば、あアもしたらこうもしたらと思わぬこともなかったけれど、当時の若い同志どうしの思慮には何らの工夫も無かったのである八百屋お七は家を焼いたらば、再度ふたたび思う人に逢われることと工夫をしたのであるが、吾々二人は妻戸一枚を忍んで開けるほどの智慧ちえも出なかった。それほどに無邪気な可憐な恋でありながら、なお親に怖おじ兄弟に憚り、他人の前にて涙も拭き得なかったのは如何に気の弱い同志であったろう。

 僕は学校へ行ってからも、とかく民子のことばかり思われて仕方がない。学校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、自分自分を叱り励まして見ても何の甲斐もない。そういう詞の尻からすぐ民子のことが湧いてくる。多くの人中に居ればどうにか紛れるので、日の中はなるたけ一人で居ない様に心掛けて居た。夜になっても寝ると仕方がないから、なるたけ人中で騒いで居て疲れて寝る工夫をし

2026-04-19

anond:20260419114827

ここで抜けてるのは生物毒系だけでなくて家庭内ケミカル挙動かな。ハンドクリームヘアスプレーファンデーション、樹脂容器の可塑剤離型剤紫外線防止剤、殺虫剤防虫剤芳香剤、衣類柔軟剤タバコなど。結局ハンドクリーム毎日少しずつたべることになるんだよね。まあ妻の口紅はすこしずつ毎日食べているんだけど。樹脂の水筒やポットに長時間水を入れておくと場合によっては樹脂臭いと感じる人もいるよ。可塑剤などが移行するのかな。

2026-04-07

男は不審者情報にいちいちキレるのやめなよ

女子高生にウインクをした男がいたと不審者情報が回って、また男達が切れているが、子供不審に思って、親が通報して、注意喚起が回ってるだけじゃん。

大体普通の人は女子高生にウインクなんてしないんだから、それで注意喚起回っても男には何の害も無い、冷静になって。

不審者情報って不審者がやったこと、不審者の様子が大幅に省略されてんだよ。

通報して警察から聞き取りされて不審者情報になるまで、恐怖を感じた子どもから大人までそりゃ危ないなぁって皆が思うようなやつが注意喚起にまでいくわけよ。

子どもが恐怖を感じること、親や警察が変な人がいるから気をつけろと注意喚起する事にいちいちキレるな。

どういうふうに省略されるのか参考記事はっておく、これも水筒を下げてたら危ないぞって優しい声かけした老人が不審者扱いと男達がキレてたけど、実際はこうなのよ。

女子小学生に「首から水筒をかけたら危ないぞ」→防犯メールで警告 「いい人では?」の疑問に福岡県警が答えた

https://www.j-cast.com/2024/07/23488949.html?p=all

7月16日午前11時40分ころ、 田川郡糸田町路上で、 小学生女児らが見知らぬ男から『首から水筒をかけたら危ないぞ』 などと声をかけられる事案が発生しました。 男は、 年齢70歳位、身長170センチメートル位のやせ型で、 茶色Tシャツ、 白色長ズボンを着用していました」

実際には、男性女子小学生らに「首から水筒をかけたら危ないぞ」との声をかけた後も、しつこく話しかけたのだと説明した。さらに、防犯メールには記載されなかったが、男性は閉じた状態の傘を持っており、そこには大量のお菓子がはみ出るほど詰め込まれていたという。

女子小学生らは何かをされる危険性を感じ、隙を見て逃げたという。

しかし、女子小学生らは男性が何を言っているかからず、言葉として覚えていたのが「首から水筒をかけたら危ないぞ」との発言だったこと、メール文字数制限などもあり、防犯メール記載されたのがこの言葉になったと担当者は話す。

2026-03-18

幼稚園の配布物

娘がこの度幼稚園卒園したのだが

その幼稚園のお知らせの紙がわかりづらく、入園式の時点で、すでに「この配布物作った人はこれを読んだ人がどう思うか」という視点がないのかと突っ込みたくなった

親子で参加するおもちつきイベントは、おもちつきのお知らせの紙が配られたその後日でまた、おもちつきの新たなお知らせ情報が別の紙に載っていたりして

「どうして、おもちつきという一つのイベント情報資料タイミングをずらして、しかも、情報分散させて配布するんだ」と心の中で突っ込んだ

もちつきの当日、忘れ物をした保護者がいて「あれ?(きちんとおもちつきのお知らせを読んだはずなのに)どうして忘れ物をしてるんだろう」と、独り言を言ってるのを聞いて

「それはね、おもちつきのお知らせが情報分散されて、複数回に分かれて、資料が配布されたからだよ。複数資料を読まないとおもちつきイベント情報網羅できなかったんだよ」と教えてあげたくなった

卒園式のお知らせでは、持ち物に「水筒」と書かれていなかった。

私はそれを見て、水筒子どもに持たせたらいけないのかな?でも、幼稚園で娘と一緒にいるときにのどが渇いたと言われたとき飲み物を飲ませることができるように⋯と考えて、自分の分と娘の分の水筒を用意して、当日は娘に水筒を持たせず、私のカバン自分と娘の水筒を入れた。

卒園式では、「持ち物に水筒と書かれていなかったから、自分の分も卒園児の水筒も用意してない。困った。でも、卒園式のお知らせに水筒って書いてなかったから持ってこなかった」と言っている保護者を見かけた。私はそれをみて、この幼稚園の配布物を作っている人物は、資料を読んでいる人間がどう思うかと言う視点を持ってないし、

その資料を読んでいる人達が、卒園式で必要になると予測できるものを全て書くという考えもないんだよな、だから資料を読んでいる側の人間(保護者)は園で何が必要になるか、先読みして自分で用意するしかないんだよなと思った

2026-03-15

ジムに通って一年が経った。色々書く。

タイトルの通り。誰かの参考になればいいな、と思う。

 

ちなみにジム契約した人が一年継続する可能性は4%らしい・・・

体感そんな希少ではないのでは、と思う。

 

概要

自分スペック

 30歳男性。既婚。子なし。

 175cm/80kg(筋トレ前)→77kg(現在)

 デスクワーク中心のエンジニア。やや社畜残業は平均55時間くらい。

 

ジムについて

 町の小さなショッピングモール内のジム契約

 月額3000円くらい。若者は少なくて中年~老人が中心。24時間とかでもなく、22時には閉まる。

 器具は他ジム比較すると多分いまいちフリーウェイエリアダンベルとベンチが置いてある場所)も2人分しかない。

 ただトレッドミルランニングマシーン)は充実していて、埋まってるということはまずない。

 スタッフはいるが、あまりトレーニーとのコミュニケーションは活発でない。

 器具の使い方を教えてくれる人、という認識

 

トレーニングについて

 週2~5回と、その週によってバラバラ。月単位で数えると、10~14回くらい通ってるみたい。

 1回のトレーニングは平均2時間くらい。仕事帰りか、休日に出かけるかのどちらか。

 

 トレッドミルラットプルダウン、プッシュアップ、レッグレイズスクワット各部疲れたら切り替える感じでやる。

 ぶっちゃけ自重が多め。あまり追い込みすぎず、負荷弱めを満遍なく。

 大きな筋肉とされる足、背中、胸を中心に鍛えるようにしている。逆に前腕と腹筋は行ってない。

 

継続のコツ】

環境作りがめちゃくちゃ重要

 契約するジムは自宅から近くて、かつ通勤経路にある安いジムにした。

 それだけでも継続率に大分差が出ると思う。

 

 タオル水筒シャツと短パンリュックの中に常備したり、会社の引き出しやロッカーに入れておくとよい。

 洗濯の頻度が増えることになるが、自分ドラム式洗濯機のお陰で洗濯が苦にならなかった。

 

 仕事通勤家事時間は当然少ないに越したことはない

 通勤時間はドアtoドアで20分くらいと短めで、残業も加味して考えるとこれくらいが平日中に通える限界なんだと思う。

 家事ドラム洗濯ロボット掃除機+食洗器で省時間化。

 食事時間を掛けないに越したことはない(もっとも、これは人による)

 自分社食スーパーの総菜が中心。あとは肉や卵を焼いたり、プロテインバーを食べたり、時たま外食したり。

 

カレンダーに実績を記録する

 ジムに行ったらGoogleカレンダーに目印を付けるようにした。

 トレーニング内容まで書こうと思ったこともあるが、記載が面倒でサボる可能性を考えて自分はできるだけ簡易にした。

 今のところはジム通いとカレンダー記入も継続できている。

 

ジムの良いところ】

トレッドミルが神

 ジムに行かないと気付けなかったが、ただのランニングマシーンがこんなにありがたいとは!

 逆に外で走ると雨、風邪日光信号車などモチベ減少の要因がそこかしこにあって、継続が大変なんだ。

 

 加えてスマホ動画が見れるのもめっちゃいい。

 これも外だとまず無理。気づいたら1時間経っている、ということもザラ。

 

 負荷の調整がしやすいのと、消費カロリーが出るのも嬉しいポイント

 

ラットプルダウンが神

 背中トレーニングって自宅トレだとちょっと難しい。

 (懸垂バーの購入も検討したが、場所を取るのがちょっと嫌だ。それと続かなかったときに置物になるのも嫌だ。)

 ラットプルダウンはお手軽かつ体感効果が大きいため、やっていて楽しい器具

 いつかフルスタック10回3セットできたら良いな、と思っている。

 

・自室を汚さずに済む

 ジムに行く前は自宅で筋トレをしていたことがあったが、汗が垂れたり臭いや湿気の籠りを微妙に感じていた。

 今はジムトレーニングをするので、家では洗濯物が出るくらいで済む。

 

人間関係の煩わしさが少ない

 ジムに通う前は社会人スポーツサークルに入っていたが、人間関係の維持と頻度の調整に大分苦労した。

 が、ジムはその辺の面倒が一切ないため、自分にとっては楽だった。

 

一時的に通うのを辞めたときのバフ効果が超強力

 個人的重要ポイント

 資格試験残業80時間ダブルで重なったときがあって、その時はジムを1ヶ月休会した。

 その時に、可処分時間と体力がしっかりセーブされていて、そのお陰残業勉強もなんとか乗り切れた。

プラス効果

・食べても太りづらくなった

 学生時代運動部所属しており、基本的に食う量は多め。

 社会人になり数年経っても食事量の限界が想定以上に衰えなかった。

 ジムに行く前は食べるとその分ダイレクト腹や顔が膨らんでいたため、食べることに罪悪感があった。

 それが低減されたのは大きい。

・見た目上、ほんのり痩せた

 上半身ガチっとした。アゴシャープになった。

 背中筋肉が盛り上がり、陰影が付いたのは嬉しかった。

 ただ一年継続たにしては思ったより痩せなかった。腹は出てはいないが割れてもない、くらいのレベル

 食事改善必要なのだと思うが、うまくコントロールできていない自覚がある。

 

姿勢改善され、肩こりが無くなった

 背中トレの効果が大きいようで、姿勢が良くなった。肩甲骨を寄せる動作大事なんだなと。

 

【気になるところ】

別にそんな痩せない。逆に辞めたら太らないか心配

 

・思ったよりも人間関係希薄

 ほぼ会話が無いため、ちょっとだけ寂しい。

 モチベ維持のために人と交流する機会がもう少しあれば・・・と思うことも。

 

臭いキモイ人がいる

 ジムに入った時点でその人がいることがわかるくらい臭い

 フリーウェイトを占領するタンクトップナルシストスマホ休憩長すぎおじさん

 女性スタッフやトレーニーにダル絡みする男性

 ナルシストおじさんもその一人。

 自分がそうならないように気を付ければそれで良いや・・・と達観できず、やっぱり見かけるとイラつく。

 

・我に返るとジムの無機質な運動無意味さを感じる

 わざわざお金を払って運動して、食べてまた運動して、洗濯して、次いくために支度して・・・という営みに虚しさを感じることも。

 筋肉付けても仕事で使わないし、意味無いんじゃ、と思ったりもする。

以上です。

2026-03-07

anond:20260305142950

ネットで見かける「主婦過酷すぎる1日」のタイムテーブルを冷静に分析してみた

ある主婦作成したという1日のタイムテーブルを見た。睡眠時間わずか3時間で、息をつく暇もないほど家事家族の世話に追われている過酷な内容だ。

ただ、タスク粒度や内容を冷静にチェックしてみると、「毎日やること」と「週単位・月単位でやること」の区別がついておらず、1週間に実施している作業をすべて1日に詰め込んでいるように見える。

全体的な分析と指摘点は以下の通り。

分析と指摘点のまとめ

以下、タスクを集約したタイムテーブルに、それぞれの視点からツッコミ(※)を入れてみた。

04:30 - 06:00|朝の準備と夫の見送り
06:00 - 06:30|自分の朝食とリセット
06:30 - 09:00|徹底的な朝の掃除洗濯

※指摘: トイレ風呂場の徹底掃除(手洗いなど)を毎日行っているなら過剰。また、シーツと枕カバー毎日洗濯・交換する必要があるのか疑問。数日に1回、あるいは週末のタスクで十分なはず。

09:00 - 10:00|献立作成と付随する家事

※指摘: 冷蔵庫掃除、窓とサッシの拭き掃除は明らかに毎日やる必要のない過剰タスク家計簿のチェックや献立検討も、週に1〜2回まとめて行うことで効率化できる。

10:00 - 11:30|外出・買い出し

※指摘: 計画的にまとめ買いを工夫すれば、毎日スーパー通いや銀行での出金は不要

11:30 - 12:30|昼食・事務作業・プチ掃除

※指摘: 食器棚や家電の拭き掃除、夫の靴磨きを毎日しっかりやる必要はなく、完璧主義に陥っているように見える。家計簿の記帳も毎日必須タスクではない。

12:30 - 16:00|地域活動と午後の家事

※指摘: 町内会活動会合毎日あるものではない。また、夫のワイシャツアイロンがけは、形態安定(ノンアイロンシャツを導入するなどの工夫でまるごと省ける余地がある。

16:00 - 19:30|夕食準備と待機
19:30 - 23:00|夜の家事地域活動

※指摘: チラシの作成などの事務作業も、毎日発生するタスクではないはず。不定期のタスク日常カウントされている。

23:00 - 25:30|夫の帰宅対応と就寝準備

このように整理してみると、本人の「やらなければならない」という思い込み完璧主義によって自ら首を絞めている部分と、不定タスクを「いつものこと」として合算してしまっている部分が大きいように思える。本当に必要な「日次の家事」だけに絞れば、もっと人間らしい生活が送れるはずだ。

2026-03-06

anond:20260305142950

[1]午前6:30起床

[2]洗濯物を干す

[3]弁当と朝食の調理

[4]子供の朝食の準備

[5]夫が子と起きてくる

[6]弁当を詰める

[7]夫の水筒お茶入れる

[8]子のサポートしつつ自分も朝食を掻き込む

[9]調理器具食器類を洗う

[10]着替え

[11]子の着替えとトイレサポート

[12]鞄の中身を確認忘れ物がないかチェック

[13]子の体温測定

[14]保育園への連絡帳を書く

[15]子と家を出る

[16]保育園登園

[17]子の荷物等を預けつつ保育士に軽く今朝の報告

[18]出勤

[19]メールチェック

[20]資料準備

[21]プレゼン

[22]鬼ダメ出しを食らう

[23]資料作り直し

[24]デスク弁当を掻き込む

[25]プレゼンの内容についてさらに上の上司から追加内容を言われる

[26]焦って追加

[27]別の案件資料まとめる

[28]資料取引先へメール

[29]郵便物を出しにいく

[30]ついでに保育園費用を振り込み

[31]折半生活費も振り込み

[32]資料作りに終われつつ退勤

[33]子のお迎え、帰宅

[34]子のト手洗いとイレサポート

[35]子の様子を伺いつつ夕食作り

[36]夫に子守りをバトンタッチして風呂掃除

[37]みんなで夕食

[38]子が散らかした残飯の処理

[39]子と風呂

[40]子の歯磨き、寝かしつけ

[41]夫の晩酌作り、晩酌に付き合う

[42]食器洗う

[43]シンクの清掃

[44]ごみ集め

[45]洗面台の清掃

[46]ゴミ出し

[47]洗濯機の予約

[48]翌日の朝食とお弁当の下準備

[49]冷蔵庫確認、軽く清掃

[50]寝室の加湿器の水を入れる

[51]歯磨き

[52]町内会の催し物チェック

[53]町内会で頼まれた名簿作り

[54]翌日の仕事タスク確認

[55]義母ラインに子の写真送信

[56]午前0:30に就寝

2026-03-05

専業主婦の一日

[1]午前4:30起床

[2]コーヒーメーカースイッチを入れる

[3]夫の弁当用と(朝食の調理)

[4]朝食の調理を開始

[5]夫の着替えの準備と確認

[6]夫の弁当を詰める

[7]夫の水筒コーヒーを入れる

[8]家中ゴミ箱からゴミを回収する

[9]ゴミ分別して袋に入れる

[10]曜日確認して当てはまるゴミを出しに行く

[11]帰りに新聞を取ってくる

[12]夫のパントースターに入れる

[13]夫を起こす

[14]夫の朝食をテーブルに並べる

[15]新聞テーブルに置く

[16]夫の脱いだパジャマや着替えと洗剤を洗濯機に入れてスイッチを入れる

[17]玄関で夫の靴を出して揃えて置く

[18]夫のグチを聞く

[19]夫の服装をチェックして

[20]上着を着せる

[21]玄関で夫に靴ベラを渡す

[22]夫に頭を下げて見送る

[23]夫の食器を片付ける

[24]テーブルの上を拭く

[25]フライパンから自分の朝食を取り上げ冷めかけたコーヒーで流し込む

[26]調理器具食器を洗う

[27]夫が床に散らかした物を拾って整理

[28]掃除機をかけて水拭きする

[29]洗濯物を干す

[30]ベッドのシーツを枕カバーを外して洗濯機に入れて回す

[31]別のシーツと枕カバーをはめる

[32]玄関の掃き掃除

[33]洗面所シンクと鏡を拭く

[34]脱衣所の床掃除

[35](脱衣所の)ストック確認

[36]風呂場の掃除

[37]浴槽・排水口の掃除

[38]風呂用品のストック確認

[39]トイレの床に置かれた小物やタンクの上の物を全て外に出す。

[40]床に夫が飛び散らかしたものを水拭き乾拭き

[41]床とタンク・手洗い器・便器を磨いた後に便器内をブラシと手で洗う

[42]出した物を元通りに設置

[43]廊下を水拭き乾拭き

[44]財布と家計簿チェック

[45]夕食の献立を考える

[46]冷蔵庫を開けて物の確認

[47]ついでに(冷蔵庫の)掃除

[48]シーツと枕カバーを干す

[49]ついでに窓とサッシを拭く

[50]花瓶を拭いて水を足す

[51]銀行お金をおろす

[52]スーパーに行き夕食に必要な物他を買う

[53]買ってきた昼食の菓子パンを朝の残りのコーヒーで食べる

[54]家計簿をつける

[55]食器を拭いて食器棚に戻す

[56]食器棚・炊飯器電子レンジを拭く

[57]コーヒーメーカーを洗う

[58]夫の靴を磨く

[59]町内会活動会合に出掛ける

[60]町内会の催しの掲示などを確認する

[61]洗濯物を取り込み畳んでタンスにしま

[62]夫のワイシャツアイロンをしてハンガーにかける

[63]枕カバーシーツを取り込んで畳んでしま

[64]夫に帰宅時間確認(必要から)

[65]無視され仕方なく夫の分の夕飯をつくり始める

[66]途中で宅配便などの受け取り

[67]電話の遣り取り(一日中随時)

[68]夫に帰宅時間再度確認また無視

[69]一応夕食作りを進める

[70]19:00になっても帰宅しない

[71]やっと夫から「遅くなるので夕食いらない」と連絡が来る

[72]おかずの半分をタッパーに入れて

[73](夕食を)自分の分だけ食べる

[74]風呂を沸かし

[75]その間に調理器具自分食器を洗う

[76]夫の為に湯舟は保温にして自分シャワーを浴びる

[77]調理器具食器を拭き仕舞

[78]町内会で頼まれたチラシのワープロ打ちをする

[79]23:00に夫帰宅

[80]夫のスーツを脱がせる

[81]ブラシを当ててハンガーにかける

[82]夫が風呂に入っている間に夫の下着パジャマ風呂場に持っていく

[83]夫の靴を下駄箱にしま

[84]風呂から上がった夫の体をマッサージする

[85]夫に求められ疲れているが仕方なく応じる

[86]夫のいびきが聴こえる中、夫が明日着ていくスーツシャツ確認する

[87]午前1:30に就寝

2026-02-13

中学生可愛すぎてワロタ

近所の公園でワンカップの空容器に水筒からうつして飲んでたら中学生複数人羨ましそうに眺めてたw可愛すぎww

2026-01-07

映画アルファ 帰還りし者たちを見た

いろいろ頑張って旧石器時代を撮っているはずなのに結論が妙に鼻につく。59点。

 

紀元前2万年くらいのヨーロッパ部族の長の息子である無能なケダは狩りの途中でバイソンに谷から放り投げられ高台に落下。死んだものとされてしまう。どっこい生きていたケダはいろいろあって脱出、途中で襲い掛かってきた狼といろいろあって仲間になり帰宅する。

 

いつも通りあんま深くあらすじとか見ずに見始めたら期せずして昨日のトーゴーと2夜連続人と狼犬の絆物語だった。

タイトルにもう書いてあるからいきなり特大ネタバレするけど、この話って旧石器時代に"狼"が"犬"になる犬誕生初夜物語なのね。だからアルファ」。最初の犬。なのでこの作品旧石器時代である必要がある。

で、だ。旧石器時代に詳しくない俺としてはこの作品リアリティの置き所に困るわけですよ。主人公部族ってみんなしっかりと毛皮製の服を着てるし、牙や骨で作られた装飾もじゃらじゃらしてるし、たぶん動物の胃袋製かなんかの水筒とかまで持ってるし。紀元前2万年ってこんな感じ?メルギブのアポカリプト原住民よりだいぶ近代っぽい感じするけど……などと考えてしまう。主人公は落下の際に足を骨折するんだけど即座に添え木当てて固定するし。

これあってんのかなぁ、どうなのかなぁと思いつつも、この作品旧石器時代英語話すのおかしくね?ということで常時架空言語を話し続けるという徹底っぷりなのでたぶん時代考証結構してるんだろうと思う。

ほならなんで最後最後ドヤ顔で「お前の名前は"alpha"だ」とか言い出したんですかね!っていうのが俺の中での一番のモヤモヤポイント紀元前2万年前にギリシア文字を生み出した種族の話だった?もしかして

 

と嫌味を言いつつ。

内容としては割と真っ当な成長ストーリーで、最初イノシシの止めもさせなければ火をおこすこともできない無能オブ無能主人公だけど、族長という親の大いなる庇護から文字通り荒野に放り出されて(自分が傷つけた)狼という自分庇護すべき対象を得ることで生きる覚悟を決めるというプロット自体一定の強度がある。

彼は自身の飢えと傷つき獲物が取れない狼のために初めての狩り=殺しを経験し、ともに寒さをしのぐために火おこしを頑張る。直接的すぎるきらいはありつつも誰かのためなら頑張れる主人公という像をちゃんと描けていてよかった。直接的すぎるで言えばサバイバル生活を続ける中でこいつ女みたいな顔してるなって主人公ちょっとずつひげ生えてきて逞しくなっていくのもちょっとわかりやすすぎて草。

また共同生活を行うも本能で動こうとする狼に対して「待て」を教えたりと躾けver0.1みたいなことを始める展開もまぁ悪くない。狼が可愛いしね。ただこの野生動物と絆を深めていく展開に関しては実写版ヒックとドラゴンちょっと良すぎてなぁ。それに比べるともう一歩というところ。

その後のイチャイチャパートは犬好きにはもうたまらんでしょうな。犬(狼)映画なのでそこをちゃんと魅力的に撮ろうという心意気は高く評価できるし実際によく撮れてると思う。

 

ただ、成長要素以外のストーリーはやや弱い。

高台に取り残された主人公は結局、大雨が降って谷底が増水したこと脱出成功するんだけど、なんかすぐに水が引いてその後、割と即座に谷の上に帰ってくる。そこで自分の墓があるのを見て、オワタ……ってなるんだけど、でもぶっちゃけ「元居た場所」に戻れてるなら来た道を変えればよくね?実際にはそこから数か月に及ぶ大サバイバルになるんだけど、来るときはそこまででもなかったよね?ってなっちゃった

普通に増水でめちゃくちゃ流されちゃって自分がどこにいるかもわからない。でも手に彫った星座を頼りに方角だけはわかるから来た道とは全然違うルートサバイバルする必要があるのほうが納得力高い気がするんだけど。

後割と大見せ場で狼と犬だからこその連携少ないなみたいな。

途中で氷が張った河を走ってたら氷が割れて氷上に狼、水中に主人公が生き別れになるシーンがあってその横断面で上下を同時に描く画面がめっちゃカッコイイのはよかったんだけど、結局主人公が頑張ってナイフで氷割って脱出するって言う、そこはなんか思いつかんけど狼との連係プレイなかったん?って思っちゃった。

あと終盤、洞窟PUMAに襲われるシーンで狼が体格的にも格上のPUMAに果敢に立ち向かい主人公が弓矢で援護しようとするんだけど動き回る2匹に狙いが定まらない。目を閉じて矢を放つと見事PUMAにだけ命中九死に一生を得たのでしたってなるんだけど、それはもう単なる南無三ギャンブルなんよ。

これが信頼感とかバディ感になるにはなんか事前に合図を決めてあったとか、"動かなければ"射手の能力であれば自分には当たらないはずだみたいな文脈があってのことでくんずほぐれつしてる中に目を閉じて撃つはもう「当たったらごめーん」なのよ。

 

まぁそんなこんなでいろいろと粗はありつつ骨子は定番の行きて帰りし成長譚と野生動物懐きものという一定の強度があるテンプレートなので安心して楽しめるし、狼は可愛いし、紀元前2万年ってこんな感じやったんやなぁっていう(映画描写が正しいとしてね)楽しみ方もできるし、そんな悪い作品でもなかった。

狼はかわいいので犬好きは普通に見ていいと思うし、他に見たい映画を圧してまで見る必要はないけど1時間半いい感じに時間潰したいなって時にはオススメ

2025-12-26

甲状腺がんRTA記録 (3/3)

術後2日目(34日目)

消灯が早いので、起床時間前に目覚める。夜間に看護師がドレーンが首から外れていないか懐中電灯で照らして確認するので、何回か目が覚めていたが、良く寝られたと感じる。前日しっかり食べたので、各段に体力が回復している。

しか今日目標は、明日ドレーンを抜いてもらうために無駄に動かない、である

この日から通常の食事となる。朝食にはクロワッサンが登場。カロリーが高いメニューが続くが、完食し続ける。朝のバイタルチェックで、ドレーンにつながるプラスティック容器に本日の日付が書き込まれる。ちょっと多いですね、といわれる。今日シャワー禁止で、おしぼりで体をふき、ドライシャンプーをする。声帯を動かすために小さくハミングをして音を鼻腔に響かせる。低音は問題ないが、高音は音が割れる空気声帯から漏れている。その後もときどき声帯を動かす練習を行った

水筒へ水を汲みに休憩所にいくと、同室のクレーム老女と歩行器老女がテレビを見ながら熱心に世間話をしていた。話し相手がいるのは良いことだ。気難しいタイプクレーム老女と話の弾む歩行器老女のコミュニケーション能力の高さに感服する。

10時ごろ、診察室に入るとさらに初顔の若い茶髪女性医師がいた。4人目の医師主治医と同世代か少し若い明日内視鏡しますね、ドレーンは70mlか、明日は無理かもね、とコメント。そんな不吉なことを言わないでほしい。

ベッド上で体を起こさず、ウォークマンを聴いて過ごす。この5年ほど使用していなかったのだが、入院に際して役に立つかもと持参していたのだ。久々の充電にも問題なく動き、大容量メモリ内に保存されている懐かしい曲、プレイリストノイズキャンセリングゆっくり聴く

体力、気力が激減しているのでスマホは長時間みる気力がなく、本も読めない、スマホソシャゲの周回を脳死でやる、という気持ちにもなれない。音楽は心の救いになった。特にクラシック音楽中学生ときに熱中した音楽が良かった。

体のすべてのエネルギーが、傷の修復に投入されている。全身の体積からみるとほんの小さな傷のはずだが、生存に関わる危機だと体が判定している。村上春樹の「1Q84」で、傷ついた野良猫が隠れてじっと動かずにいるように、といった表現があったことを思い出す。そう、傷が治るまでは動けない、動いてはいけないのだ。

今日ドレーンは抜けなかった、明日退院はできない、仕事、連絡、請求書、入金、どうする、どうすると善後策をぐるぐる考え続ける。

昼過ぎバイタルチェックにきた看護師にドレーンの状況をきく。全然出てないですよー、と良い知らせ。

師長がアラサー女性のベッドに謝罪に来る。どうやら不手際が2日連続で起こっている。前日は医者本日看護師やらかしたようだ。聞いていると確かにそれはまずいとしか言いようがない失態だった。大部屋にプライバシーというもの存在しない。

回診に来た主治医にドレーンを早く抜いてほしいと訴えるも、ここまで非常に順調に来たのだから少し待ちましょう、抜いた後に体液が溜まって再度穴をあけることになったら大変です、と諭される。

16時過ぎ、研修医がやってきて、傷口のチェックをしたあと、ドレーンから排出液をためるプラスティック容器を見て首をかしげる。再度手術の傷跡を確認し、今度は主治医を連れてやってきた。主治医も首とドレーンをチェックする。どうやら突然体液の排出が止まったので、ドレーンが曲がっているか、詰まっているのではないか確認にきたらしい。特に問題はなく、帰り際に主治医研修医明日処置の準備をというのが耳に入る。ひそかにガッツポーズを決める。

食事バイタルチェック、掃除ときクレーム老女も看護師スタッフにお礼を言うようになった。私をはじめ他の同室者が愛想よくお礼を言い続けたのでつられている。まあ、ようやってもらってると感謝しないといけないわな、ともつぶやく。病室の空気がかなり軽くなった。

術後3日目(35日目)

夜中、寒さと鼻水で起きる。自宅でもときどき発生する現象だ。持参していた貼るカイロを腰に貼り、横になる。朝、鼻水がたまっているが、元気に目覚める。日々、もりもり回復していることを感じる。

今日目標はドレーン抜去である

朝食に分厚い食パンバタージャムが出る。昼食、夕食はどんぶり椀の白米だし、とにかく炭水化物を取らせる方針のようだ。病院なので当然ながら、毎回塩分はかなり少なく、甘い味付けが多い。

横になってウォークマンミュージカルレ・ミゼラブルサウンドトラックを聴き、感極まって涙を流していると時間が非常にランダムバイタルチェックがやってくる。やばい、と慌てて態勢を整える。やたらと体温が高く、血圧も高すぎて看護師が眉を顰める。音楽を聴いて興奮していたので、とも言えずなんででしょうねーとあいまいごまかす。

診察待ちの待機部屋で同室の歩行器老女と顔を合わせる。お話好きの老女はすすっ、と私の隣に座り、すぐに自分の病状を話し出した。マスクで隠れていたが、鼻の手術で顔が内出血が大変になことになっている。私も自分の手術痕について話をして、赤いのって目立ちますよねー、嫌ですよねーと、同病相哀れんだ。

9時過ぎの診察は、若い茶髪女性医師。予告していた内視鏡を鼻から入れる。声帯を動かし、確認をすると、「うん、右に比べて少し遅れていますが、左の声帯も動いていますね!これならすぐに戻るでしょう」と良い結果になった。主治医も喜ぶだろう。

ドレーンのプラスティック容器と日付をチェックし、「20mlか、ぎりぎりだな、主治医先生はなんて言ってました?」少し待ちましょう、と言っていたとは言わず「いやあ」笑ってごまかす。「ま、抜きますか」やったね!と心の中で快哉を叫ぶ。

透明の管を抜き、首にできた穴に巨大な防水絆創膏を貼る。この後、バイタルチェックで絆創膏の状況が確認されることになる。体液がにじみでないように、この日も安静に過ごすことを心の中でひそかに誓う。絆創膏に体液がたくさんにじみでて状況が悪いから再度ドレーン、退院NGです! という事態を避けたい。

ドレーンのプラスティック容器をつるす点滴スタンドと別れを告げて、歩きやすくなる。歩行器老女がすれ違う際に、ドレーン取れたのですね、よかったですね!と祝福してくれる。ありがとうございますシャワーの予約に行き、看護師からもおお、取れましたか!と声がかかる。にこにこ笑ってお礼を言う。大変うれしい。

同室の若い女性看護師が差額ベッド代について話している。現在の差額なし大部屋に入る前の病室の請求書のようだ。救急で運ばれたときに、家族第一希望のほか、第二希望の部屋タイプにチェックをいれていたらしい。その第二希望部屋タイプのベッド代である。本人が希望したわけではないので、納得しがたいだろう。緊急入院する際に、そこまで気の回る人も少ないと思う。ただ希望は紙に記載してしまっている。状況はなかなか厳しい。

水筒に水を汲みに行く際、杖を突いて歩く同室のクレーム老女とすれ違う。突然話しかけるのははばかられるので、笑顔会釈する。和顔施は仏の教え。

母に自宅から仕事スマートフォンを持ってきてもらう。ざっと情報を流し、不在中問題が発生していないことを確認チャットで連絡を入れ、退院日の帰宅からWeb会議に出る予定とする。大きな心配事が解消し、ようやく安堵する。あとは予定通り退院するだけ。スマートフォンは再度母に自宅に持ち帰ってもらう。

夕食前に、首の手術痕がぴりぴりとするのを感じる。鎮痛剤が切れたようだ。食後に飲む予定であるし、前倒して飲むほどではない。痛むというより、何かがピリッとした、神経が走った、という感じであった。

術後4日目(36日目)

快調に目覚める。絆創膏は体液がにじんでもなく、きれいである。昨夜看護師に一度貼り替えましたか?と尋ねられたぐらいである。術後、傷の修復に全投入されてたエネルギーが、他の部分にも回ってきたのか、体に力を感じた。

この日は日曜日のため医師は不在、病棟から患者看護師も激減し、イベント食事と最低限のバイタルチェックだけで、大変に平和だった。土曜に退院たかったな……。

夜のシャワーの予約をし、退院の準備作業を考える。

一番の問題は、私の体力である。前日まで安静に努めていたため、起き上がった姿勢で長時間いれるのか、はたまた長時間歩けるのか、公共交通機関帰宅できるのか、不安になる。

慣れるしかないため、一時間のうちで起きる時間、横になる時間割合を少しずつ変えてゆく。食事の量は変わらないのに軽く完食できるうえに、食間に空腹を覚えるほどになった。お見舞いでもらったミカンを食べる。

退院後に傷口をメンテナンスするためのテープの使い方を看護師から教わる。手術前に買っていたテープで、3か月ほどの期間なので、買い替えもいらないだろうという。私の手術跡は大変見えやすいところにあるので大丈夫だろうと言われる。耳の近くなど、鏡で確認しづらい位置に傷跡がある人は大変なようだ。

夕食後のトレイを戻して部屋に帰ろうとすると、クレーム老女が杖もなく一人で歩いてトレイを返却に向かっていた。驚いて思わず目を見張り、ついでにっこり笑って会釈する。

部屋に戻ると、クレーム老女が歩行器老女のトレイも下げようと申し出て、そんな、悪いですよ。大丈夫、私も少しは動く練習しないといけないしね、とやりとりをしているのが聞こえる。誰も悪い人はいないのだ。

真っ赤な一文字の傷跡も、やや色が薄まり、幅が狭くなってきた。

退院(37日目)

快調に目覚め、しっかりと朝食をとる。母から今日寒い、気を付けてとLINE。うん、持ってきた服で帰るしかないのだけどね。

診察待機部屋では、退院前の患者私服で集まる。もう歩行器が不要になった同室の老女とお互いに退院を祝いあう。歩行器老女が先に呼ばれた後、残された若い男性と向き合う。「同じ部屋だったんですよ。男の人の部屋はお話したりしますか」「いや、まったく、全然です」老人ホームデイケア女性利用者同士はおしゃべりをするが、男性はしない、という話を思い出した。話をするほうがメンタルには良いと思う。

2日ぶりに主治医と診察で会う。退院ですね、では取りましょう!とドレーン穴に貼った巨大絆創膏を慎重にはがす。穴に貼る小さなシール研修医が用意して手渡すが、主治医が首を傾げ、いや、いらないですね。このままで。となる。何かにじんできたら、市販絆創膏貼ればいいです。と言われる。

まり痛みを感じないのだが、鎮痛剤は飲まなければ痛むのか、処方が切れたあとに痛んだらバファリンなど市販薬を飲めばよいのか、と確認する。甲状腺はあまり痛まないという人が多い、痛まないならもう飲まなくてよい、余った薬は痛んだ時にとんぷくとして服用すればよい、とのことだった。

テープの使い方は教わりましたか、と確認される。はい、すぐに貼るんですよね? いや、ボンドが取れてから!と訂正される。一週間ほどで透明のボンドがボロボロ自然に剥がれ落ちるので、そのあとからテープメンテをするようにと指示される。

次回外来の日時、生活上の注意事項を確認し、退院となった。

改めてお礼を述べ、頭を下げて別れを告げる。

自動精算機で会計をする。高額療養費に関する申請自動で行われると説明を受けており、マイナンバーカード恩恵にあずかる。10万弱の表示に安堵する。命のほうが大切であり、お金のことは考えないようにしていたが、常に不安がどこかにあった。がん保険などに入っていなくても何とかなるものである自分治療に関わった人の数、労働時間、機材、薬剤を考慮すると、アメリカなら破産しているかもしれないと思った。

優先座席を利用させてもらい、公共交通機関で一人で無事に帰宅する。

ほっとするのもつかの間、リモートでの仕事の準備を始める。

昼過ぎ、ぴりぴりしたもの首に感じる。特に痛くはないので薬をのまずにやり過ごす。その後は鎮痛剤なしで問題なかった。

6日ぶりに誰もいない自宅で一人で過ごす。感受性が高く内向的自分にとって、これが快適で最適な環境だと何十年も思っていた。入院中は24時間、常に人の気配を感じていた。四六時中トラブル騒音が発生していた。突然一人の静けさが身に染みて、誰かと暮らすのも悪くはないかも、と思う自分に驚いた。

まとめ


がんの疑いから32日目で手術、治療開始となった。RTA頑張った。

反省点として、生検から告知まで2週間かかっており、もっと早い日にしてほしいと依頼していれば日数は7日ほど短縮できていた可能性が高い。患者からの働きかけを躊躇してはいけなかった。ただ、様々な関係者のご厚意と尽力で最善に近い対応ができたと考えている。改めて感謝をしたい。

これからのがん治療予定は、摘出した甲状腺から筋肉への転移可能性の検査甲状腺機能が右半分だけで保持されているか検査問題なければ10年間の経過観察となる。

退院直後から仕事を再開し、家事、炊事を始めた。自覚する体力ゲージは以下のように推移した。

入院100
手術直後 0
術後1日目 5
術後2日目10
術後3日目 15
術後4日目20
退院 30
退院1日目 60  →いきなり上がる。
退院2日目 70

日常生活いかに体を使っているか外科手術・入院いかに体力・筋力を低下させフレイルとなるのかを実感した。体重入院前後で変動なしだったが、筋肉量がかなり落ちた。可能なかぎり手術・入院をしなくてすむように、健康留意して生活をしたい。

終わりに

長文を最後までお読みいただきありがとうございます。どなたかの参考となればと記録を残しましたが、私には長年の強度の高い運動習慣があり、年齢平均よりは体力・筋力があることを申し添えます

一番良いことは、この記録が参考となる事態が発生しないことです。

皆様とご家族のご多幸と健康をお祈りいたします。

甲状腺がんRTA記録 (2/3)

入院(31日目)

長期間自宅を開ける準備をして、何度も戸締りを確認し、家を出る。万が一のための連絡先、パスワードを机の上に残す。

指定された10時に病院に行き、使い方も慣れてきた自動受付機に診察券を入れると予約なしとカードが戻されてしまった。戸惑っていると、初めて来たときに案内してくれた初老男性入院こちらですと案内してくれ順番カードをとってくれた。荷物を見れば入院患者であることは一目瞭然なのだ

マイナンバーカード登録レンタル着のサイズ、各種書類確認後、病棟に向かう。

病棟身長体重測定後、部屋に案内される。他の患者もいる大部屋だが妙に広い。希望タイプ今日は満室なので今日はここで、明日空き次第移動するという。希望していないタイプの部屋であるため、差額ベッド代はかからないとのこと。良かったと安堵するが、明日手術だよね、どうやって移動するんだと不安になる。

入院患者識別用の氏名年齢血液タイプバーコード付き耐水コーティング紙が手首にまかれる。退院まで取らないようにと注意される。手術の開始時間11時。2件目の手術となるため、前の手術終了時間により前後するとのこと。足首、ふくらはぎの太さを測り、手術着と弾性ストッキングを渡される。10時までに着替えるようにと指示。LINEで母に手術開始予定時間を伝える。

主治医がベッドまで挨拶に来てくれる。手の甲に「左」とマジックペンで書かれる。エコーCT画像の左右について確認をする。気管と甲状腺腫瘍位置関係についてきくと、「そうです! 足元から写すので左右逆になります

画像を思い出すと、気管が円となっていた。体の正面から撮れば、気管は上下に伸びる直方体となるわけで、円になっている時点で喉を垂直にスライスした画像だと気づくべきだった。

午後には、薬剤師がやってきて手術後から毎食後に服用する痛み止めと胃薬を渡される。看護師から首の手術跡を保護するためのテープ売店で買ってくるように指示を受け、病棟から売店に向かう。外来患者ゆきかう売店のあるエリアから入院病棟に戻るエレベータが満員でなかなか乗れない。車いす入院患者が先に待っていたので、空いていたエレベータに乗るように促すが、後でいいと首を振られた。後日実感したが、入院中はあまりにも暇なので、急いでいる人がいればお先にどうぞどうぞ、という気持ちになる。早く病室にもどったところでやることはないのだ。外にいるほうが気がまぎれる。

何も他にすることがなく、持参した文庫本を三分の一まで読み進む。早々に読み切ってしまうのではと心配したが、その後しばらく本を読むような余裕はなかったので問題なかった。

昼食の量が多いな、と思っていたのだが夕食はさらに量が多かった。白米が茶碗ではなくどんぶりサイズで出てくる。食事トレイ可能であれば自分で返却してください、と言われていたので、半分を残し、自分トレイワゴンに下げにいくと、トレイセロハンテープで留められている小さなメニュー票(氏名付き)は取らないように、と看護師に注意される。

すぐにわかったのだが、どれだけ食べたかはすべてチェックされ、完食できていない場合栄養士がやってきてどのような味、形状、硬さなら食べられるかを確認するのだ。これにはうかつな回答ができない。白米の炊き具合が自分にとって硬すぎると回答した老人が、その後おかゆ麺類のみとなり、退院したらもうしばらく麺は食べたくない、と嘆いているのが耳に入った。

翌日からしばらくシャワー禁止となるので、シャワーを浴び、念入りに頭を洗う。シャワー室は2つ、予約制で時間20分。要介護患者にも対応しているためか、シャワールームがかなり広い。

21時から手術前の絶食が開始となった。ベッドの上に氏名、絶食開始時間、絶飲開始時間記載された紙がでかでかと掲示されている。

4人部屋は満室で、耳栓をして健やかに寝た。入院するまでの間、何か忘れていないか、準備に手落ちはないかと、落ち着かない緊張状態が長く続いていた。もはや自分にできることは何もない、まな板の上のコイとなり、墜落するように寝た。

手術(32日目)

早めに寝たため、朝5時に目覚める。起床時間は6時。同室者を起こさないようにトイレに行き、給茶機で水を飲む。6時半から絶飲となるので、最後の水だ。

7時の朝食時間経過後、看護師が各ベッドを巡回し、体温・血圧・血中酸素飽和度を記録する。手術前に移動する、というので荷物をまとめる。

9時半、落ち着かないので早めに手術着に着替え、弾性ストッキングをはく。すぐに看護師がやってきて点滴用の針を腕に刺し、チューブを固定する。更に他の看護師もやってきて、もうすぐ部屋が空きますから!という。前の患者退院を待っている状態

10時点滴が開始される。生理食塩水のようだ。

10時40分、空きました!と声がかかり、荷物キャスター付き机にのせ、点滴スタンドとともに、机ごと部屋を移動する。移動先の部屋で、荷物を開け、手術直後に必要となりそうなもの(コップ、水筒ティッシュマスクタオル等々)を取りやすそうな位置に置く。

10時50分、手術室へ案内するという若い人懐こそうな看護師がやってきて、自分で歩いて移動を開始する。通常のエレベータを使おうとすると、大混雑中だったので、関係者専用のベッドが3台ほど乗りそうな広いエレベータにぽつんと二人だけ乗って手術フロアに移動する。

11時前、手術室の前で待機。緊張状態患者に何くれとなく同伴の看護師が話しかけてくれる。誰かといる、ということが必要ケアであることが感じられる。手術フロアは、廊下があり得ないほど広い。ベッドに乗せられた患者廊下のあちらからこちからと行き交っても全く問題ない広さである。他の手術室から、朝一の手術が終わったと思われる患者が移動式ベッドでガラガラと運ばれていった。

ほとんど時間通りに手術室に招き入れられる。想像していたより3倍は広い。患者は一人なのに不釣り合いに感じる。医療漫画でみるように、ガラス窓の向こうには見学室のようなものもある。ここでベッドに乗る。小柄な私でも幅が狭いと思うベッドなので、体格の良い男性であれば大きくはみ出るだろう。麻酔をする前に、仰向けに寝て少し膝を曲げた態勢で手足が固定される。

手術を担当してくれる看護師主治医が横たわった私に挨拶をしてくれる。よろしくお願いします。としか言えない。名前右から左でとても覚えられない。全身が白く覆われ、目の部分しか露出していない看護師たちはやたら目力が強く、いつか見た中東マッチングアプリ女性がならんだ画像が頭に浮かんだ。

麻酔マスクが口に当てられると、その次の瞬間には手術が終わっていた。

名前を呼ばれ、終わりましたよ!と声を掛けられ目を開ける。周りを取り囲んだ3、4名の看護師たちに、手を動して、足を動かして、と立て続けに指示される。何か聞きたいかと言われ、今何時かと聞く。13時XX分ですよ(もはや記憶にない)。輸血はしたか、と聞くとしていませんと回答。その後も足を動かしてみたりと確認が続く。とりわけ目力の強い看護師笑顔大丈夫ですか、何かききたいことはありますかと聞いてくれる。気管は切りましたか、と尋ねると、笑顔が固まってそれは先生に聞かないとわからないという。え?そうなの?

冷静に考えると、術後の意識レベル確認をされている患者が聞くことではなかった。しかし、意識が飛ぶようなつまらない会議でも意見を求められたら瞬時に適切な意見を述べる反射神経が鍛えられているので、何かありますか、と聞かれたら、ついつい意味のある質問をしなくては!と反応してしまうのだ。

そこで記憶は途絶え、気が付くと病室にいた。

から酸素チューブが伸び、点滴スタンドから首に点滴が行われ、首からは透明の管(以下、ドレーン)が出ている。

おそらくは手術から30分経過。意識確認、体温、血圧、血中酸素飽和度が測られる。

その後、1時間置きにバイタル、痛み、しびれ、麻痺確認される。痛みは感じないが、口がカラカラだと訴えてもそれは仕方ないとスルーされる。起き上がってはいけない。絶対安静。断続的に睡眠覚醒を繰り返す。自分で体を動かすことができない。

15時ごろ主治医がベッドサイドにやってきて、気管は切らなかったと教えてくれた。

16時半、看護師がやってきてベッドから起き上がるようにと指示をする。鼻から酸素チューブを抜く。水を口に含んで飲むと、大きくむせる。「むせてますね」すかさずパソコンに記録される。生理食塩水に加え、抗生物質が点滴される。首のドレーンの先はシャンプーを入れるような透明なプラスチック容器で、赤い液体が少したまっていた。点滴スタンドを押して、歩行可能であることを確認する。トイレ自力で行くということだなと理解する。母親と友人にLINEで手術終了、意識回復を連絡する。倒れるように横になるが、自分で体をずらして体位を動かせるようになった。

17時頃、主治医がやってくる。傷口、ドレーンをチェックして「順調ですね」と満足げに帰る。

手術後少しそれこそ10歩ほど歩いただけなのに力尽きて横になっていると、18時すぎに流動食が運ばれてきた。まったくお腹が空いていない。しかし、食べるべきだろうと体を起こす。体に力がない。全くない。エネルギーが完全に切れているのだ。トレイメニュー票には、重湯、スープ栄養ジュースの他、手書きで「牛乳」が追加されていた。これは「君なら飲めるよね?」という挑戦なのだろうか。おお、飲んでやろうじゃないか。と気合を入れる。しかし、少し重湯を数口入れるだけで胃が重い。少し食べては横になって休憩をし、時間をかけて食べ続ける。水分ばかりでお腹がちゃぽちゃぽ限界を感じたので、カロリーのありそうなものを優先し、無色透明スープを半分残し、あとは完食した。食後の痛み止めの服薬を開始する。

19時ごろ、主治医が見慣れない若い女性を伴ってやってきた。研修医だという。退院まで回診などに来るという。いかにも生真面目で肩に力が入っている。よろしくお願いしますと挨拶をする。

しばらくのち、トイレに立ち、ふと病室の入り口にある洗面台の鏡を見て、愕然とする。首の左に手術の傷口があるのかと思えば、首のど真ん中に真っ赤な一文字がひかれていた。やや左が長い。切開痕から更に左へ三センチほどずれたところから透明な管、ドレーンが出ている。透明なボンドで留めてあるので傷口が丸見えなのだ。まるでフランケンシュタインだ。ただ、高さは想定よりかなり低く鎖骨の直上ぐらいであり、襟足の短いハイネックでも十分隠せるだろうというのが慰めだった。

初めて目にする赤い傷跡は、衝撃だった。

術後1日目(33日目)

夜間、点滴、ドレーンの確認見回りにくる看護師懐中電灯に何度か起こされるも、十分に眠れた感覚をもって起床時間前に目覚める。明らかに前日の夕方より体力が回復している。

起床時間後、看護師巡回入院患者バイタルチェック、お通じ確認などが行われる。前日濃い紅だったドレーンの液体が、透明なオレンジ色になっている。質問をすると「おー、順調ですね!」と言われる。出血が止まってきたサインだという。プラスティック容器に、本日の日付の印がマジックペン記載される。メモリがあり何mlたまっているかわかる仕組みになっている。

7時過ぎに朝食がくる。おかゆ牛乳バナナ。量が多くないですか? とにかく回復のために気合を入れて食べる。気持ちは完全にフードファイター

トイレ、給水で廊下を歩くたびにすれ違う人を傷あとでビビらせている気がする。傷口をこれだけさらしている患者が他に見当たらない。しかしドレーンの管が皮膚に張り付けられており、隠すことも難しい状況だ。そもそも見た目を取り繕い、整えようとする気力がない。

9時すぎから入院患者の診察が始まる。入院フロアにある診察用の部屋に順番に呼ばれる。呼びに来たのが昨日の手術室で会った目力つよつよ看護師だった。診察は初顔の中年男性医師だった。手術をした三人のうちの一人だろうか、年齢的に主治医上司だろうと推測する。傷口、ドレーンを念入りに確認し、鼻から内視鏡を入れる。声帯を動かしてチェックをする。「水でむせていたらしいですが、左の声帯が動いていないですね」という。手術で声帯のまわりをひっぱったので、一時的麻痺で戻る可能性は高いという。

そうか、手術の影響がでているか、と少し落ち込む。声帯機能の低下により、声がかすれる、割れる、嚥下しづらくなるという事前のリスク説明は確かにあった。

12時すぎに昼食。おかゆ、魚、カボチャサラダ、お吸い物とやはり完食するにはかなり気合必要な量がやってくる。とにかくおかゆの量が多い。

食後、抗生物質の点滴が始まる。これが終われば、生理食塩水の点滴が残っていても点滴は終わりになるという。これだけ食べていれば点滴でエネルギー補給する必要はないだろう。

大部屋の病室内でトラブルが発生する。80を軽く超えている老女の大切な持ち物が紛失したという。入院期間が長く、別のフロアからの移動もあった。不機嫌で怒りが爆発している老女を4、5人の看護師がなだめながらあらゆる引き出し、荷物を開けてゆく。更に老女の怒りの声が響き渡る。クレームの内容は持ち物から病院看護師訪問看護師、息子、嫁と際限なく広がっていく。

通常であれば、トラブル現場から遠ざかればよいのだが、ほとんど動く力がない。他の同室者はとっくに出ていった。あきらめの極致で聞くとはなしに聞いていたが、だんだんとこの老女は寂しいのだな、と理解した。一人暮らし人工肛門訪問看護を受けていて、普通の会話では相手にしてもらえない。クレームであれば、立場の弱いものが応対せざるを得ない。

15時すぎ、母が見舞いにくる。携帯指定したのに、手術後病院から携帯ではない家電話に連絡があり、父親対応したらしい。私が受けるつもりだったのにとぷりぷり怒っている。さらに、数日前家族けがをして救急車で運ばれていたのだと、新事実を知る。何か色々話したいことが溜まりすぎているようで話が止まらない。座った姿勢で話を聞き、うん、うん、と相槌を打ちながらドレーンを見ると、赤い液体が出てきている。やばいのでは。

更に追い打ちをかけるように診察の案内がやってくる。母を待たせて診察室に行く。またもや初顔の中年女性医師。手術対応の3人目だろうか。年齢的にこの人も主治医上司に見える。傷口を確認し、腫れていないですね、と頷く。ドレーンの先のボトルを見て、明日抜くのは無理かな、ちょっと多いなとコメント。ええ、さっきからいけてない気がしていました。

この日手術結果のチェックに来たような中年医師2名と手術室の看護師は、その後会うことはなかった。

とにかく退院するには、ドレーンを抜く必要がある。起き上がると体液が出やすくなる、と理解する。可能な限り横になって過ごすこととする。ベッドに横たわったままドレーンと、声帯についてスマートフォンで調べ続けた。ドレーンがあるためシャワー禁止で、おしぼりで体をふき、ドライシャンプーをする。

今まで頭を占拠していた手術の結果が良好だったため、仕事心配が始まる。

定例会議の日程、今月の予定、必要な連絡などが頭をぐるぐるする。早く退院しなくてはと焦りだす。

16時過ぎ、主治医が病室にやってくる。再度内視鏡を入れて声帯を見たいという。一時的麻痺していても三か月ぐらいで大抵は戻るのだが、手術で神経には触らなかったので、状況を確認したいという。おそらく、手術については自信があったのだろう。手術の結果一時的しろ麻痺が発生した、という判定は不服なのだと思われた。

頻繁に確認されるのだが、不思議なほどに首の手術のあとは痛まない。私は8時間以上寝ると頭の重みで頭痛になる。この24時間で21時間ぐらい横になっているのにまったく頭痛がしない。鎮痛剤ってすごいな、と感心する。

新たに同じ病室入ってきたアラサー女性は、救急車病院に担ぎ込まれたらしく、平静を装っているが自分の重大な病気をまだ受容できていない。時折上ずる声が痛々しくアラフィフおばさんの胸が痛む。

病室内の空気が重すぎる。看護師バイタルチェックや食事を運んできたときに、意識して明るく大きな声で「ありがとうございまーす」と返事をする。よどみすぎている空気を軽くしたい。

同室の老女二人がいびき合戦を始めたので、耳栓をして早々に寝る。老人のいびきは大きい。亡くなった祖父母を思い出した。

甲状腺がんRTA記録 (1/3)

首都圏ではない政令指定都市在住、独身アラフィフ独居女性甲状腺がん治療体験記。

長年のはてなユーザーであるため、がん治療RTAと知っていました。

どなたかの参考となればと思い、記録に残します。

恐ろしいほどの長文となってしまったので、お急ぎの方は概要最後のまとめのみどうぞ。

https://anond.hatelabo.jp/20251226195323 (3/2)

https://anond.hatelabo.jp/20251226195436 (3/3)

概要

治療開始までの日数
日数 概要説明
0日目 しこり発見内科診療所において、超音波検査しこりが見つかる。
2日目 紹介状受け取り 内科診療所にて、がん拠点病院の予約票、紹介状を受け取る。
3日目 生検 がん拠点病院にて、細胞検査を受ける。
17日目 がん告知 生検の結果としてがんの告知を受け、治療方針を決定する。
19日目 手術日決定 手術日程を決め、入院事務手続きを行う。
24日目 手術説明キーパーソンとともに、手術内容の説明を受ける。
32日目 手術 がんを取り除く手術を受ける。<治療開始日>
37日目 退院病院から自宅に戻る。
入院生活で役に立ったもの
グッズ名 概要説明
ドライシャンプー頭皮と髪に液体をかけふき取る シャワー禁止期間の頭のかゆみ、フケ対策に。
耳栓 遮音性が高いもの 大部屋で寝る際に。睡眠の深さで回復力が変わる。
パンツナプキン 夜用紙パンツ生理ナプキン使い捨てパンツの代わりに。ドラッグストアで買える。
貼るカイロ使い捨てカイロ冷え性対策。室温は変更不可のため。
洗濯ばさみ ベッド柵に挟む大サイズ 濡れたタオルを干す。ごみ袋をかけるなど。
魔法瓶水筒 400ml入るもの 給茶機からお湯、冷水を入れてベッドサイドへ持ち込む。
ウォークマンノイズキャンセリング機能付き 気力ゼロで横たわって時間を過ごす際に。


詳細体験


しこり発見(0日目)

内科診療所にて、一か月前に予約した頸動脈超音波検査(以下、エコー)を受ける。

健康診断の結果、高コレステロールであった。BMI生活習慣(食事運動睡眠)に問題がないため、内科からは投薬をすすめられたが、ネット記事高齢女性の高コレステロールは薬を飲む必要が少ない、心配なら頸動脈エコー確認をという記事を読んだことがあり、薬を飲みたくないがために動脈硬化が進んでいないことを確認するために頸動脈エコー希望した。

エコーを行う医師診療所に定期的に来る)が検査を行っている最中に「甲状腺検査を受けたことはありますか」と尋ねる。「ありません」と回答。検査を受けながら横目で見る頸動脈は、素人目には狭窄もプラークもなく、そら見たことか、と思っていた。

その後、内科医が診察で「甲状腺にしこり腫瘍)があるので、大きい病院検査をしてください。どこが良いですか」と近隣の病院を3、4候補に挙げる。近年、重大な病気疑いが発生し、精密検査問題なしとなることを繰り返していたので、正直またか、と思った。そのうちの一つに乳がん定期検査に通っていたためそこを希望すると、内科医がその場でネット検索し、耳鼻咽喉科が休診になっているという。そのため、他の候補で自宅から最も近い病院希望する。まったく知らなかったが、そこは厚生労働省指定地域がん診療連携拠点病院だった。コレステロールの話はどこかに行った。

内科診療所からがん拠点病院に予約を入れるので、どの日程がよいかいかを書いてその日は帰宅する。

紹介状受け取り(2日目)

内科診療所から予約票と、紹介状の受け取りにくるようにと連絡がある。

紹介状A3用紙を三つ折りにしたサイズなので怪しいと思いエコーの結果は入っているのかと受付に確認するが、入っていますと頸動脈の薄いプラーク位置記載された紙を示される。それではないと思うが、面倒なのでそのまま出る。この時点であまり深刻に考えていなかったのだ。

生検(3日目)

大きな病院入口で戸惑っていると、還暦を軽く通り越している案内係の男性が「初診ですか」と声をかけてくれて、必要カウンターに連れて行ってくれた。番号札をとるのもやってくれた。

病棟を長く歩いて耳鼻咽喉科の前で1時間ほど待つ。予約をしていても待つ。診察室に入ると、30代と見える女性医者から話を聞かれ、やはり紹介状問題があり、エコーをやり直す必要がある、血液検査必要と言われた。今日時間はありますか。あるなら生検までやりましょう、とちゃきちゃき話が進む。この医師主治医となり最後まで対応をしてくれた。病院中のあらゆる科の患者が集まる検査エリアに送られる。エコーの長い順番待ちと血液検査の結果待ちでさらに2時間経過。ようやく呼ばれた診察室で、画像血液検査結果を見た医師からから細胞検査生検)を行う旨を告げられる。医師のほか、細胞検査のためにやってきた担当者二名エコーをしてモニターを見ながら、二回ほど首に針を刺し、問題のしこりから細胞を取り出した。針の太さのせいか注射よりはやや痛い。

事前にネット甲状腺のしこりの大部分は良性である、という知識仕入れていた私は気軽に医師に尋ねた。「悪性である可能性はどれぐらいなんでしょうか」医師はあっさりと答えた。「うーん、形が悪性らしい感じなんですよね。良性だとつるっとしているんですが、そうじゃないので」確かに画像ではしこり境界線がぼやけていた。境界のはっきりしたつるっとした形ではない。足がでたキャンサーか。

ここで初めてがんかもしれない、という実感がわく。良性のしこりだと大丈夫だと自分では思っていたのだが、楽観的に過ぎた。いきなり世界が反転する。

細胞検査の結果は一週間後にわかるが、来週医師休みなので、二週間後の予約となる。ワークライフバランスは大切だ。がんだとしても、急ぎのものではないのだな、と理解する。病院のあちこち掲示されている「緩和ケア」「がん支援センター」「がん患者家族相談に乗ります」のお知らせがやたらと目についた。

がん告知(17日目)

二週間の間に、がんなのだろう、という受容が進んでいた。友人に会うたびに、「なんかさー、がんかもしれないんだよねー」と自分で話をすることで、自分自身が受け入れやすくなっていた。人と話す、ということの大切さを感じた。

会社孤立無援で追い込まれメンタルをやられていたときに比べると、守秘義務もなく何でも話してしまえるので、心の負荷はましだった。重い抑うつ状態に苦しみ世界から孤立した経験が、今の自分を助けてくれているということに不思議を感じた。あのときに比べれば地獄レベルがまだ浅い。だから平気を装える。「神と和解せよ」とは現実をそのままに受け入れろ、ということだ。

長い待ち時間後に、診察室で医師細胞検査の結果「甲状腺の乳頭がん」であることを告げられる。転移していないかを調べるためにCTを、甲状腺機能確認するための追加の血液検査、尿検査を行うこととなる。

CTの前に説明担当職員からCTについて説明され、同意書にサインを求められる。拒否をする選択肢はないと思う。検査前には、造影剤おしっこに行きたい気がするかもしれませんが大丈夫ですから、と何回か複数検査技師に念を押される。確かに造影剤を投与されるとすぐに膀胱が熱くなり、漏らしたか、と焦った。どういう仕組みなのかよくわからない。

2時間ほど経過後、診察室で医師と向き合う。CT画像からリンパへの転移は見当たらないため、甲状腺ががんの原発ステージ1と判定された。甲状腺ホルモン値は正常、他の血液、尿検査値も問題なし。1cm以下であれば経過観察もありうるが、腫瘍の最大径が1.3cmなので、手術で甲状腺を半分切除し、目に見えないがん細胞があるかも知れないのでそれにつながるリンパをとる、という治療方針になる。どこまで切るかはチームで確認する、という。また腫瘍場所が気管に近いため、浸潤していたら気管もスライスする必要があるかもしれない。これは開けてみないとわからないという。

事前に「国立がん研究センター」の甲状腺がん情報を読み込んでおり、その方針が乳頭がんの標準医療であることを理解していたため、他に方法はとかは特に質問もしなかった。甲状腺がん種別では乳頭がんが一番おとなしく予後がよいものなので最悪のパターンでなくてよかった、という気持ちだった。

手術で甲状腺を半分切除しがんを取り除く、という治療方針同意し、次回、手術・入院日程を決めることとする。次回は一週間後にするかと聞かれたが、できるだけ早くと依頼する。

割合人生の重大事のはずなのだが、あっさり淡々と進んでいく。

血液検査の結果の紙を見ると、コレステロール基準値内だった。

手術日決定(19日目)

耳鼻咽喉科主治医面談。チームで画像確認した。左甲状腺につながるリンパはすべてとるのではなく、半分ぐらいとれば良いとなったとのこと。

手術の日程の相談をする。入院期間は約1週間。医師から今月が良いか、来月が良いかと聞かれる。最短で依頼する。まず手術説明をして、その後に入院となる。分厚い手術台帳というもの医師が持ってきてパラパラとめくる。患者に渡す紙以外徹底して電子化している病院なのだが、これは紙の台帳なのか、と不思議に思う。「じゃあ、X/X(二週間後)はどうでしょうか」「ではそれでお願いします」。手術説明を次週に行い、手術はその次の週となった。

薬の説明部署で、服用している薬がないかアレルギーお薬手帳などの確認、問診、入院中に持参する薬など厳しいチェックが行われる。

入院説明部署で、入院生活の心得のビデオ視聴、レンタル品申込書や同意書、キーパーソン親族・連絡先の記入。日頃の生活状況のアンケート退院後の生活支援の要否、がん患者向けの就労支援の要否など確認書類への署名が続く。特養老人ホーム介護事業者のパンフレット地域別にずらりと用意されている。自覚症状のないステージ1、5年生存率95%である種別のがん患者には特に支援必要はなかった。

入院部屋タイプは第二希望まで記載するようにとされていたが、最も安い大部屋のみの希望とする。差額ベッド代の問題をうっすらと知っていたのだ。これが後で効いてくる。

この日は検査がなく、会計が230円で驚いた。

手術説明(24日目)

心電図レントゲン検査を行い、耳鼻咽喉科の診察室で順番を待つ。キーパーソンとなる家族、近隣に住んでいる後期高齢者母親に同伴してもらった。これまでの診察は午前だった。この日は午後。診察室の前で待っている人は格段に少ない。みんな手術説明対象者だろうか。

一人で来ている老人、老夫婦、そして私と母親と年齢層が高い中、一組だけ若い家族がいた。30ほどの女性小学生低学年の子供、幼稚園児らしき子供、そして会社から直行したようなスーツ姿の30代らしき男性。小さな子は退屈しきっている。子供病気はつらいな、とアラフィフの胸が痛む。

1時間ほど待機したあと、診察室に呼ばれる。母を紹介し、主治医説明が始まる。

これで手術に必要検査はすべて実施済みとなったとのこと。結果は特に問題ないという。前回の血液・尿検査結果もすべて基準値内だった。がんがあることのぞけばまったくの健康である

机の上のモニタエコー画像を表示しながら、これが気管で、これが甲状腺でここに腫瘍が、と主治医が私と母に説明をする。

「右の甲状腺を切除します。……?いや、違った違った、左!」

「……左ですよね」

お互いに左の首に手を置いて、うなづきあう。

手術でまれに起こる危険性の説明がある。首の反回神経が近いため、声帯麻痺可能性、副甲状腺が損傷してしびれ、麻痺可能性の説明がある。同意書を渡され、入院時に持参を依頼される。

手術は2時間から3時間かかり全身麻酔となる。終わったらキーパーソン電話をする、自宅の電話番号でよいかと聞かれ、携帯電話の番号でと依頼する。可能性は低いが出血が多かったら輸血をするので、同意書に署名をしておいてほしいと言われる。手術の開始時間はまだ未定だという。

先生が執刀してくれるのですかと主治医確認すると、他の先生もいて3人でやるとのこと。よろしくお願いしますと目を見て気持ちを込めてお願いし、頭を下げる。頼むよ、先生。うまくやってね!と祈る。医者にとっては毎週のように行う手術だろうが、患者には一生に一度かもしれない重大事なのだ患者としてはお願いするしかない。

麻酔科に回される。全身麻酔をした際に、まれに起こる危険性についての大変に事務的な説明があり、同意書を渡される。入院時に持参するようにと言われ、「先生麻酔をしてくれるのですか」と聞く。「んー、まだ担当は決まってはいませんねー」「……そうですか」ファンシータンブラーが机に置かれ、ペンも軸がカラフルで、なかなかにふてぶてしいねちゃん先生だった。

入院病棟で手術の流れの説明ビデオの視聴後、看護師面談をする。入院生活上の注意、服用している薬やアレルギー確認心配事がないか、と聞かれる。とにかく全身保湿をして肌のコンディションを整えてくるようにと注意を受ける。売店ヒルドイドも売ってる、なんなら買って帰れという。病棟乾燥しすぎだろう。風邪をひいたり、インフルエンザコロナウィルス感染したら入院・手術は延期、手続きはすべてやり直しになる、と警告を受ける。それは避けたいので、万全の体調管理に努めると誓う。

この日はこれで解放され、次に病院にいくのは入院日となった。

しばらくは行けなくなるであろう美容院で髪を切り、入院グッズなどを用意する日々の中、夜、ベッドで横になったとき、突然エコー画像を思い出し「がんがあるのは右甲状腺では?! 医療事故になるのでは?!」と飛び起きる。画像中の気管と甲状腺位置から甲状腺腫瘍があるように思えた。とにかく寝なくてはと横になりつつ、病院電話して確認するべきかなど考える。不安で胸がドキドキする。

しばらくしてふと、細胞検査で左の首に針を刺したことを思い出した。

あ、左だった。左だったよね?!

朝起きてから、Geminiに聞く。エコー画像は左右が逆に見えるので左甲状腺でしょう。と回答を得て安堵する。画像の端に「L」か「R」の文字はありませんでしたかと聞かれ、見ていなかったなと反省する。

2025-12-23

昔、とある地方を旅したことがある。

その時、私はバスに乗っていた。

「次は90分」

車内アナウンスがそう告げた。

聞き間違いかな、と思って前方の掲示板を見ると、そこにも確かに「90分」という文字が流れていた。

90分?

いたことのない地名だ。

そもそも90分とは時間じゃないのか。

私は好奇心に負け、本来降りるはずだった停留所はその先だったが予定を変更し、その場所で降りることにした。

その停留所で降りたのは私だけだった。

周囲を見渡しても、目に入るのは雑木林ばかりで、建物らしいものは何も見当たらない。

お昼時というのに、どこか薄暗い。

夏のはずなのに蝉の声は遠く、風は湿って生暖かかった。

私はどうしたものかと立ち尽くし、誰かがいればこの地名について尋ねるつもりでいた。

しかし周りには、深く茂った雑木林しかなかった。

とりあえず歩こう。

そう思い、本来降りるはずだった停留所の方に向けて、私は歩き始めた。

道は車二台がやっと通れるほどの広さで、しかし車が来る気配はない。

耳に入るのは、風に擦れて鈴のように鳴る葉音だけだった。

足元では湿った土が至る所でアスファルト割れ目から顔をのぞかせている。

どれくらい歩いたのか分からない。

しばらく歩いたはずなのに、景色ほとんど変わらなかった。

その間、人の気配はおろか、動物昆虫さえ目にすることはなかった。

妙な居心地の悪さを覚えながら、ズシ、ズシ、と重くなった足をそれでも急かすように、私は歩き続けた。

ジワリと広がった背汗が冬のようにすぐ冷たくなり、息を切らした私は足を止めた。

顔を上げると、すぐ近くに公園があることに気づいた。

住宅地の片隅に追いやられた公園のような、狭く小さな公園だった。

花壇らしき縁から植物が大きくはみ出しており、手入れされていないことは遠目からでも容易に分かった。

私はその公園のベンチで一息つこうと足を向けた。

公園の中には誰もおらず、私は何故か却って安心した。

一組だけあるベンチは砂場の前にあり、薄青いペンキは所々剥げていた。

腰を下ろしてリュックを隣に置き、水筒を取り出して茶を飲んだ。

喉を潤し、息を吸い込むように吐き出すと、自分がまるでこの公園と一体になったかのような、安堵ではない何かを感じた。

疲れていたのかもしれない。

ふと砂場に目を向けると、枠の外に細長い柱が立っている。

視線を上へと辿っていくと、その先に時計があった。

時計は90分を指していた。

私は今でも思い出そうとするが、靄がかかったように詳細には思い出せない。

よくある、十二時から始まる丸い時計だったはずだ。

それでも私は確かに

あの場所で、90分を見つめていたのだ。

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