■ 史上初となる共同開催史上初の共同開催となった2002年の日韓W杯は日本サッカー界にとって大きな転機となった。社会現象となったJリーグブームはすでに終了しており、日本サッカー界並びにJリーグは冬の時代に入っていた。観客動員数はピーク時のほぼ半数。大幅に減少してTV中継も激減。無理な経営が原因で経営危機・クラブ消滅の危機に陥るクラブが続出した。1998年に横浜フリューゲルスが消滅したのは象徴的な出来事だった。
危機的な状況だったが日韓W杯に向けて全国各地に最新鋭の巨大スタジアムが誕生してサッカー環境は劇的に良くなった。巨大スタジアムの効果もあって新スタ・ラッシュとなった2001年を境にJリーグの観客動員数は増加傾向に入ってサッカーならびに日本代表に対する注目度も一気に上昇した。日韓W杯の半年以上前から「フーリガン対策」が大きな関心事になるなど多くの人が自国開催のW杯を心待ちにした。
大会直前にはカメルーン代表が注目を集めた。協会と選手が揉めて予定通りに来日せず。カメルーン代表の合宿地である大分県中津江村は予期せぬ形で全国的な注目を集めることになった。大会が始まると端正なルックスで貴公子と呼ばれたイングランド代表のMFベッカムが大人気になった。MFベッカムのソフトモヒカンを真似る人が続出した。また、トルコ代表のFWイルハンも同様に甘いマスクで大人気となった。