◆ 06シーズンを振り返る ■ 圧倒的な戦力で初めてのリーグ制覇 開幕前にFWワシントン、MF小野、MF相馬らを獲得し、Jリーグ史上最高の戦力を有した浦和レッズ。シーズンの序盤は、FW田中の怪我もあり、ワシントンの1トップを採用。小野とポンテをトップ下に置く、<3-6-1>の布陣で戦っていたが、小野がなかなかチームにフィットせずに不完全燃焼に終わった。
W杯中断以後は、田中が復帰しワシントンと2トップを組んだが、2トップもなかなか機能せず。最終的には、山田暢久を右ウイングバックからトップ下にコンバートし、ワシントンの1トップで、山田とポンテのトップ下という、<3-6-1>を採用。トップ下に起用された山田は、切れ味鋭いドリブルと正確なシュートを武器に試合を決定つける印象的なプレーを連発し、リーグ制覇の原動力となった。
一方の守備陣は、闘莉王・坪井・堀之内(ネネ)の3バックが磐石で、リーグ最小の28失点。その中でも、特出した活躍を見せた闘莉王は、高さ・強さ・リーダーシップのどれをとっても、文句のつけようがなかった。“DFなのに前線に上り過ぎる”という批判を受けることもあるが、DFだから上がってはいけないという決まりはどこにもない。むしろ、リスクを背負ってでもゴールに上がっていく積極性を買いたい。闘莉王が留守中は、鈴木啓太が完全にカバーし、闘莉王と鈴木啓太のコンビは、オシムジャパンでも、そのまま中核となった。
[優勝の要因]
・リーグ最高の守備陣 ・・・ リーグ最小失点
・ワシントンの勝負強さ ・・・ 得点王
・獅子奮迅の山田の活躍 ・・・ コンバートが成功
序盤戦の基本フォーメーション
W杯中断以降の基本フォーメーション<補足>
2列目にポンテと新加入の小野を並べるというフォーメーションは、キープ力の向上というポジティブな面もあったが、ボールを持てる選手が増えたために、浦和レッズ本来の縦への速さが失われてしまった。
ポンテ・小野・長谷部の3人を共存させる布陣は魅力的ではあったが、機能性はいまひとつだった。中断以後、小野の怪我もあり、山田をトップ下にコンバートさせ、空いた右サイドには平川を起用すると、ボールのないところでも動きが活発になり、スムーズな攻撃ができるようになった。■ 浦和レッズのサポーターの特異性 浦和のリーグ制覇の要因のひとつにとなったのは、サッカーをよく知る熱狂的なサポーターの存在が挙げられる。とにかく、このチームのサポーターは、チーム(=レッズ)のマイナスになるような行動は決して行わない。
試合中に軽率なミスをした選手に対するブーイング、劣勢の展開のときに横パスが続いたときに浴びせられるブーイング、失点を喫したときの罵声などなど、味方選手への野次等の行為は、日頃、スタジアムでもよく見られる光景だが、大局的に見ると、スタジアムの空気が悪くなるだけで、決してチームのプラスにはならない。「試合途中で劣勢の展開であっても最終的にはレッズが勝つ。」という勝者の持つ余裕なのかもしれないが、ホームでの強さの一因である。
■ 植えつけられた勝者のメンタリティ天皇杯決勝の後、ブッフバルト監督が、「勝者のメンタリティ」というフレーズを使っていたことが印象的だった。天皇杯の決勝は終始押され気味で、サッカーの内容では、ガンバを下回っていた。それでも試合に勝利したのは浦和だった。
チームごとの戦力の差が少ないJリーグでは、サッカーの内容で上回ったチームが順当に勝利する試合が多いのだが、浦和レッズだけは別で、彼らは、Jリーグの中では、唯一、自分達が主体のサッカーが出来なくても、耐えて勝利をつかむことが出来るチームである。かつての西ドイツ代表やユベントス、黄金時代の鹿島アントラーズのように。ただ、これらのチームは、経験豊富なベテランが多く流れを読むことに長けた選手が主力を担っていた。浦和の選手は、これからキャリアのピークを迎える選手がほとんどである。特異な例といえるかもしれない。
■ 物足りなさを感じた攻撃陣戦力を考えると、浦和の優勝は必然だった。特に、日本代表クラスが何人もベンチに控える選手層は、他チームを圧倒した。ただし、攻撃に関していうと、持てる武器を全てチームに還元できたかというと疑問符がつく。
06年の浦和のサッカーは、極力リスクをかけないサッカーだったといえる。前線にタレントが揃っていたため、バランスを崩してまでリスクをかける必要のがなかったともいえるが、それにしても、ワシントン・ポンテ・山田・三都主の個人技に頼った単調な攻撃が目立った。引かれた相手を崩しきれずに、勝ち点を失う最大の要因であった。
ポジションを離れて前線に飛び出していくのは闘莉王くらいで、MF長谷部であっても、ゴール前に進出して、シュートを狙う場面は多くなかった。同じポジションの中村(川崎)のシュート数が68本、遠藤(G大阪)のシュート数が66本であることを考えると、長谷部のシュート数が34本だけであることはあまりにも少ない。相手チームが、攻意意欲を持って試合に臨んできたときは、自分達の持ち味が発揮できた。そのため、上位との直接対決に強かったが、格下相手で、引いて守られたときは苦戦した。
攻撃陣の課題
・攻撃のバリエーションに乏しい
・受身のサッカーであるため、相手に引かれると崩しきれない。
・最小限のリスク → ポジションを崩すのは闘莉王のみ。
・過剰なリスク管理 → もっと攻撃的にできる。
◆ 07シーズンの展望■ オジェック氏の就任 07シーズンは、ブッフバルト監督に代わってオジェック氏が監督に就任し、リーグ連覇とアジア制覇に挑戦する。
95年シーズンの浦和レッズでの戦い方や、01年のコンフェデレーションズカップでのカナダ代表での戦い方を見る限り、ブッフバルト監督と同系統のサッカースタイルでる。継続路線となり、悪くない人選である。(ブッフバルト監督が、浦和時代に監督であったオジェック氏の影響を少なからず受けていて、監督としてのスタイルを築き上げたという方が正しいだろう。系統が似ているのは当然といえる。)
ブッフバルト氏の辞任については惜しむ声もあるが、タイミング的には、一番いい形でチームを離れることになったと思う。素晴らしい守備組織を作ったブッフバルト氏の手腕は高く評価できるが、前述したように、攻撃に関しては、それほどの多くの引き出しを持っていたとは思えない。07シーズンも監督を続けることになっていれば、何かしらのボロがでていたことだろう。潮時だった。
■ 左サイド・三都主の穴 人気と資金力が豊富なチームなので、主力がライバルクラブに引き抜かれる危険性はほとんどないが、海外移籍となると話は別で、三都主がザルツブルグに移籍することが決定した。全試合に出場して、5得点10アシストをマークした、左サイドのスペシャリストを失うことになった。
「サブには相馬がいるので大丈夫。」という意見もあるが、そうは思わない。確かに、突破力では三都主を上回るかもしれないが、クロスの精度は三都主に、はるかに及ばない。試合中に、より効果的に得点に絡めるのは三都主で間違いない。相馬もポテンシャルは高いが、相馬で代役で務まるは思わない。
■ 存在感を示して欲しい長谷部 本人も認めているように、06シーズンの長谷部は不完全燃焼であった。確かに守備面での貢献は高かったが、攻撃面では才能を発揮するシーンはほとんどなく、得意の長距離ドリブルは封印されたままだった。
06シーズンを振り返ったとき、「長谷部の出来が悪かったから試合に負けた。」といわれるような試合は、一度もなかった。長谷部のような将来の日本代表を背負って立つべきプレーヤーは、勝っても負けても、彼自身の出来が、チーム勝敗を左右するような状況(立場)で、プレーし続けてもらいたい。
例を挙げると、マンチェスターU所属の朴智星とセルティック所属の中村俊輔。ともに、イギリスのクラブでプレーするアジア人で、ともにチームに大きく貢献している両選手ではあるが、チーム内での立場は異なる。所属チームの格という点では朴のほうが上ではあることは間違いないが、マンチェスターUが試合に敗れたとしても、朴に批判が集まることはない。まず、批判が行くのは、ルーニーであり、ロナウドであり、スコールズである。その一方で、セルティックが試合に敗れれば、まずはじめに、チームの中心である中村俊輔に批判の声が上がる。プレーヤーとしてステップアップするためには、どちらの状況が望ましいのかは一目瞭然である。
■ 飛翔の07シーズンリーグ戦と天皇杯を制したことで、名実ともにビッグクラブの仲間入りを果たした浦和レッズではあるが、素晴らしい内容で勝ち取ったタイトルというわけではなかった。07シーズンに期待されることは、ライバルチームを圧倒してタイトルを獲得することであり、それが可能なだけのポテンシャルを持ったチームといえる。
そのためには、やや後ろ向きだったチームスタイルを前向きに改善したい。人数をかけて攻撃をすることで新たにリスクが生まれるが、そのリスク以上に、相手チームに脅威を与えることが出来るだろう。常に試合の主導権を握って試合を進めることが出来るようになれば、浦和を止めるチームは本当に限られてくる。
07シーズンの序盤は、モデルチェンジのために、苦しむものと思われる。ただ、それはステップアップのための生みの苦しみであって、避けては通れないものである。そして、その壁を乗り越えることができれば、輝かしい未来が待っているだろう。
だから、後世では、06年の浦和レッズのサッカーは、退屈なサッカーだったと記憶されることだろう。殻を破った後の浦和レッズのスペクタクルなサッカーと比べると・・・。
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