小笠原のメッシーナ移籍が決定した。
小笠原満男が、一般的なサッカーファンの間にも認知されるようになったのは、ナイジェリアで行われたワールドユースのころになる。
タレント集団いわれた当時のユース代表。前年に行われたアジアユースでは、4-4-2のボックス型の中盤を形成。小野、本山、稲本、酒井がスタメンで起用されていて、小笠原が起用されることはほとんどなかった。アジアユースを終えて、トルシエ監督がユース代表監督に就任すると、3-5-2のシステムを採用。小笠原は、小野、酒井、本山、遠藤とともに、レギュラーで起用されるようになった。
右アウトサイドに本来はボランチの酒井、左アウトサイドに本来は攻撃的MFの本山を配置した変則的な中盤は、イングランド、ポルトガル、メキシコ、ウルグアイといった強国の中盤を圧倒して、決勝進出を果たす。衝撃的だったのは、勝利という結果よりも、むしろ、その試合内容にあった。決勝のスペイン戦以外は、ずっと日本が主導権を握ったまま試合が進んでいった。
この大会の小笠原は、トップ下の小野と、1ボランチの遠藤をつなぐリンクマンとしての役割を、完璧にこなした。意外性溢れるスルーパス、安定したボディコントロール、精度の高いクロスを披露して、不調の小野に代わる影の司令塔役として、大車輪の活躍を見せた。
国際舞台で1ボランチというのは非常にリスクのある布陣だが、中盤のプレーヤーの圧倒的な技巧によるポゼッション率の高さと、小笠原や遠藤、酒井といった選手達の献身的なプレーで、決勝のスペイン戦を除いて、ピンチらしいピンチもほとんどなかった。19歳 or 20歳の青年達がアフリカのピッチで繰り広げたサッカーは、テクニカルでかつインテリジェンス溢れる、実に日本らしいサッカーだった。
あれから、もう、7年が過ぎた。あのときの戦士達が、期待通りの選手へと成長できたかどうかは分からないが、小笠原満男が、中田英寿も小野伸二も稲本潤一も中村俊輔も高原直泰もいない、Jリーグの先頭に立って引っ張ってきたのは間違いない。それは、5年連続5度のベスト11選出という実績が如実に語っている。
あの独特の軌道を描く美しいロビングパスの芸術性を、気難しいティフォージ達が理解できるのだろうか?そして、辛口のイタリアマスコミは、そのパスを、何と形容するのだろうか?
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