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2010年5月

2010年5月31日 (月)

ギリシャ債務危機が東欧・バルカン諸国の問題を悪化させる

Markus Salzmann

2010年5月26日

ギリシャの債務危機は東欧諸国を更なる圧力の下に追い込んでいる。大半の東欧諸国はユーロ圏でないとは言え、東欧諸国は危機の影響を直接受けている。

投資銀行モルガン・スタンレーのアナリストによれば、最も危機にひんしているのは、ブルガリアとルーマニアだ。ギリシャの銀行は、将来、バルカン諸国にある支店には、ずっと少ない資本しか供与せず、融資の規模を縮小するという懸念がある。

金融業界誌ザ・バンカーによれば、ギリシャの四大金融機関は、バルカン諸国で、20パーセント市場占有率をほこり、ブルガリアでは35パーセントにものぼるという。しかも、ギリシャ国立銀行、アルファ銀行、ピレウス銀行、EFGユーロ銀行と、ATE等の、ギリシャ銀行は、セルビア、マケドニア、アルバニア、ウクライナ、クロアチア、モルドバとトルコに多数支店を置いている。

もしもギリシャの銀行が、東欧の子会社から資金を引き上げれば、連鎖反応をひき起こしかねない。ギリシャ政府が、ギリシャの銀行に、昨年支払った国庫補助は、外国にある子会社の資本構成変更には使用しないよう求めたと経済アナリストは指摘している。

最新の数値によれば、ルーマニア経済は予想以上に縮小しているので、更なるIMF支払いを待っているルーマニアは、アテネによる融資の規模縮小によって、特に大きな打撃を受けるとアナリストは予想している。

格付け会社フィッチが指摘するように、ブルガリアの銀行もパートナー企業の資本に依存する部分が大きい。フィッチ社の東欧専門家エドワード・パーカーによれば、“ブルガリアには、低い所得水準のわりに、かなり大きな金融機関があるのだ”。

ブルガリアは、2009年の財政赤字が、GDPの3パーセントというマーストリヒト基準を初めて超えたため、ユーロ圏への加盟申請を延期した。多くの東欧諸国ではユーロ導入に関する疑念がひろがっている。多くの政府は、万一必要となったら、自国通貨を切り下げられる能力を保持したがっている。

“先週、東欧の債券市場で大規模な在庫一掃セールがあった。”世界銀行ウイーン支店の東欧エコノミスト、ユライ・コティアンが警告している。この影響で金利上昇と急激な通貨下落が起きる可能性がある。

東欧は一年前の危機に飲み込まれた。国際通貨基金とEUが、地域の崩壊を避けるため、ラトビア、ルーマニアとハンガリーを何十億ドルも支援した。いまやギリシャの危機がこれらの国々を倒産に追いやりかねない。

多くの東欧通貨の為替レートは、ここ数週間で急落した。ポーランドのズロチは過去二週間で約10パーセント下落した。ハンガリーのフォリントとルーマニアのレイも同様だ。

ワルシャワの中央銀行のヴィトルド・コジンスキ副総裁が、ポーランドはユーロ導入を再度延期すると発表した。単一通貨の導入は“最優先事項”とされていたのだ。昨年、ポーランドは、元々2012年に予定されていたユーロ圏加盟を、金融危機のため、既に延期していた。

債務危機の影響は、伝統的にギリシャと密接なつながりのある旧ユーゴスラビア諸国でも感じられている。最近ドイツの保守的な機関コンラッド・アデナウアー財団は、経済・金融危機の影響はクロアチアでも感じられており、“同様な傾向、つまり国家破産の脅威がありえるのかどうか”という疑問が提起されたと述べている。

既に2008年、クロアチアの経済成長は3パーセント以下に落ちていた。昨年の記録は約6パーセントもの低下で、クロアチア銀行のアナリストが今年は更に低下すると予想している。失業率は公式には約20パーセントとされており、実際の失業率は約30パーセントであることを示唆している。もう一つの重要な指標である海外投資は、2008年に比較して昨年の半分以上減った。

昨年、クロアチアの債務は160億ドルを越えた。これは国内総生産の約35パーセントだ。国家債務はわずか10年間で倍増し、2009年には17.9パーセント増えた。

東欧と同様、クロアチアの銀行は主に西欧金融機関が所有している。オーストリアとイタリアとドイツの銀行がクロアチアの金融機関の約90パーセントを支配しており、ギリシャ国債にはかなり深入りしている。もしも国債が帳消しになれば、クロアチアの金融機関にとって劇的な影響を及ぼすだろう。現在経済危機によってひどい衝撃を受け、自国通貨のディナールが強い圧力に直面しているセルビアも状況は同じだ。

同様に、東欧の危機はオーストリアの銀行に影響を及ぼす。“もちろん、オーストリアの銀行は再び影響を受けました”とウィーン比較経済研究所の東欧専門家ズデニェク・ローカスは語っている。1990年代以来、このアルプスの国は東欧とバルカン諸国に深入りしている。ウイーンの三大銀行、バンク・オーストリア、ライファイゼンとエルステ・バンクは、この地域で最大の貸し手だ。オーストリア国立銀行(ONB)によれば、2009年末、ブルガリア、ルーマニアとセルビアには、約350億ドルの未払い債務と他の未払い負債がある。

あるONBスポークスマンは債務不履行のリスクに触れ、ギリシャ政府がどこまで財政緊縮案を実行し、銀行を“最前線”から救い出せるか否かに大きく依存していると語った。

ギリシャ同様、東欧諸国も、ここ数ヶ月の危機の重荷を国民に背負い込ませようと、厳しくし始めている。国際通貨基金とEUは、賃金と福祉の削減を主張している。

一つの好例は、緊縮政策の結果、社会的インフラが崩壊しつつあるラトビアだ。ルーマニアでは、エミル・ボック首相が新たに、相次ぐ削減に着手した。ハンガリーでは、予算の整理統合がヴィクトル・オルバン首相の右派新政権の政策で最重要事項になっている。

旧ユーゴスラビアの貧困にあえぐ国々では、やはり腐敗したエリートが、銀行う救済するため、国民に血であがなわせることを決定した。ベオグラードは、同国が更なる支援を受けるための条件として、IMFから要求されている過酷な緊縮政策を巡って交渉中だ。既にクロアチアの“マーガレット・サッチャー”とあだ名をつけられたクロアチアのヤドランカ・コソル首相は、社会福祉支出のあらゆる分野における大幅削減を発表した。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/may2010/east-m26.shtml

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東欧ではなく、ポルトガルのリスボンで「ギリシャに続け」と、緊縮財政に反対する大規模デモがおきている。

どこかの国では、基地を押しつけられても、当該県以外、抗議デモの兆しは皆無。

牙を抜かれて』いる東海の小島の基地の白浜に...。

2010年5月29日 (土)

(ハイテク機器等の)使いやすさとファシズム

2009年9月28日、14:17

The Economist

アップルは伝統的に"カウンター・カルチャー、左翼" オペレーティング・システム(OS)と見なされているものの、実際には、伝統的に"右翼、ファシスト"オペレーティング・システムと見なされているマイクロソフトより激しい画一性と、中央集権化された管理をしているのかどうかという"iファシズム"にかかわる読者のコメント、というか疑問に、ジョシ・マーシャルがハイライトを当てた。"美学(マックには確実に有る)と中央集権化した管理(これもマックには確実に有る)の相互作用は興味深い" とマーシャル氏は書いている。ここには興味深い核があるが、すっきりした美学へのアップルの注力より、全てのアップル製品群のシームレスな相互運用性と使いやすさの方が重要なのだ。すっきりした美学はその一部に過ぎない。しかもそれは現代政治と実際に鋭く関わっている問題だ。医療改革、金融改革、都市計画等々多くの分野で、国民にとって生活をもっと楽なものにしようという努力は、リバタリアンと既得商業権益を持つ連中との双方から、管理の中央集権化、あるいは自由の制限を狙う、どことなくファシスト的な努力だとして標的にされる。

オペレーティング・システムは、第XVIII回スーパー・ボウル中の、リドリー・スコットによる"1984年" マッキントッシュTVコマーシャル以来ずっと、ファシズムと反抗という含意から切り離せないものとなった。(ひいきにしているレッドスキンが、レイダーズに38-9で破れるのを見ていたので、唯一の生放送広告も、私はさほど楽しめなかった。) 当時、オペレーティング・システムの対比は、グラフィカル・ユーザー・インターフェースを備えた右脳マックと、DOSの味気ないコマンド・ラインの世界との間のイメージ的なものだった。だから、マイクロソフトとIBMを、巨大なビッグ・ブラザーの様な大君主によって、シームレスに支配されている一様な全体主義のゾンビーとして描きだすことにある程度の意味はあった。しかし時がたち、IBMが衰退するにつれ、マイクロソフトのオペレーティング・システムは、シームレスな調整とはほど遠いことが明白となった。マイクロソフトの事業戦術は集中的で、場合によっては独占的だったが、同社製品は、それほど一様ではなく、安く、扱いにくく、理解するのが困難で、機能不全だった。彼らは実績ゆえに引きずる、旧OSとの互換性問題に苦しみ、おかげでOSは膨れ上がり、非効率的となった。そして、ウインドウズ・パソコンとソフトウエアが大量に存在することによって、理論的にユーザーには、より大幅な選択肢を提供するのだとは言え、典型的なしろうとのウインドウズ・ユーザーは、マック・ユーザーよりずっと頻繁に、混乱と技術サポートの人々との戦いに直面させられてきた。アップルが、iMac/iBook時代をたちあげてしまうと、マイクロソフトには、iMacs、iPods、iTunes、iPhones等々の様に、シームレスに統合されたハードウエア、ソフトウエアや、商用ウエブ・サイト・システムを全く提供できないことが明らかとなった。またソニーやノキア等の周辺機器メーカーは、アップル・ソフトウエアが保証してくれるような使い易さや、相互運用性に、遅れずについていくことができなかった。

マイクロソフトのオペレーティング・システムと同様、アメリカの医療保険制度も、陳腐化したレガシー・システムのおかげで、支離滅裂で、理解するのが困難で、往々にして機能不全で、肥大化しているのだ。(ウインドウズ・パソコンと違って、安くはないのだが。) 様々な部分が、お互いにうまく動き損ね、大半のユーザー、患者にとっても医師にとっても同様に、全体はほとんど理解不可能なのだ。だが、メディケアをどのように調整するか判断するために、あるいは保険契約が一連の基本的条件をカバーするよう命じるために、あるいは人生最後の数週間に、法的混乱の猛攻を味あわずに済むよう、高齢者が終末期カウンセリングを受けられるようにしようとするために、MedPACのような中央権力を設けて、こうしたことの何かを修正しようとすると、"患者と彼らを診ている医師から医療を奪い取り、支配しようとしている" と非難される。こうした理屈は既得の商業上の利益に突き動かされていることが多い。医療業界の各集団は、そうなると議会のロビー活動を通して、利権を勝ち取る力が弱まってしまうため、専門家委員会にメディケアに関する判断をして欲しくないのだ。

小さな文字で印刷された文言による法的混乱が、客から金を搾り取る手段として活用されている、金融、クレジット・カード業界にも同じことがあてはまるが、そのような慣習を禁止しようとすると、消費者の自由に対する制限だとして攻撃される。医療保険やクレジット・カードにおいては、自由というのは、自分の契約の中身が一体何なのか理解できないことの言い換えに過ぎない。うってつけの実例が、共和党下院議員ジェブ・ヘンサーリングの発言だ。"皮肉にも、消費者金融保護庁(CFPA)という名前の機関は、金融不況のさなか、全て'消費者保護'という名のもとで、消費者から選択の自由を奪い、彼らが借金する機会を制限する権力を持っている。実にオーウェル風だ。"

何よりもオーウェル的なのは、クレジット・カード会社が、過去の借金に対する金利を、35%まで恣意的に上げられる能力のことを "自由"と表現していることだ。より大局的に言えば、オーウェルの "1984年"パラダイムから離脱することが必要なのだ。それは二十世紀中頃の、自由に対する最も重要な脅威に対する素晴らしい表現だったのだが、もはや現代の自由に対する最も重要な脅威を表現できていない*。マックの広告が現れた1984年、このパラダイムがどれほど時代遅れなのかは既に明白だった。それは過去25年間にわたって、益々時代遅れとなってきたに過ぎない。オーウェルは、情報の非対称性を操作して、消費者や国民の無知につけ込むように設計された耐え難い"選択"の殺到という問題にはほとんど配慮をしていなかった。だがそれこそが、アメリカの商業、政治構造が、年中そうしたがっているやり方だ。

そして、それが、自由と不自由という問題と、マック対ウインドウズ論争とを結びつける真実の核心だ。マック・ユーザーは、ウインドウズ・ユーザーよりも、自由だと感じているというのは本当だ。しかし、自分は、支配者に対してハンマーを振り上げる対抗文化の反乱者なのだと本当に感じている人々はごく稀だ。そうではなく、そう、私はこの場を、特定商品の証言広告のために使うべきではないのだが、今年の冬、十年間ものウインドウズ・ユーザーという立場から、マックに戻った時の経験は、周辺機器をつなげ、ソフトをインストールし、ブルートゥース機器なりなんなりを接続すれば、いつでもパソコンはちゃんと動くというものだったから、彼らは自由だと感じているのだ。それは、控えめに言って、ウインドウズではありえない経験だった。ヨーロッパ対アメリカの、医療保険と医療の使いやすさも、同じようなものではないかと私は思う。だから、多くのヨーロッパ人は、医療が保証されているので、自分たちはアメリカ人よりも自由だと考えているだろうと私は思う。逆に、サード・パーティーのソフトウエア、ハードウエア・パートナーに対するアップルの商売上の振る舞いは、排他的で、自由がないという不満がある。ユーザーにとっての自由と、設計者の自由がいかに二律背反か、容易に想像できよう。だが現在 "自由" という問題の多くは、実際には、選択をするための基本を人が理解でき、安全に動き、機能する、わかりやすい環境の自由を巡るものだ。そうした類の環境を生み出すためには、ある程度の中央集権化された設計が必要だ。こうした文脈では、良質の中央集権化された設計に反対しても、人はより自由になれるわけではない。そんなことをしても、人は混乱し、無力になり、自分の時間の多くを、コンピューターや人生で、自分がしたいと思っている素晴らしいことをするのにではなく、基本的な課題をいかにしてなし遂げるか考えだすことに使うことを強いられるに過ぎない。

(*注: この分析は、イラン、中国、ミャンマーにはあてはまらない。必ず小さな文字の規約を読むように!)

記事原文のurl:www.economist.com/blogs/democracyinamerica/2009/09/userfriendliness_and_fascism

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社民党の福島党首が罷免された。彼女の態度が間違っているのではなく、罷免する側が異常なのだ。社民党、連立政権から離脱すれば、首尾一貫してすっきりする。

五十嵐教授、ブログ『五十嵐仁の転成仁語』の記事、自民党が仕掛けた「時限爆弾」が爆発したで、

更迭は、福島社民党党首にとって、政治家としての名誉であり、誇りとすべきものです。

と書いておられる。

マスコミ攻撃で頭を破壊されないために、目取真俊氏の『ブログ海鳴りの島から』の記事をどうぞ。沖縄の方々、民主党の首相に対するよりも、信頼感を持っておられるのか、真っ直ぐ本音を言っておられるようだ。

福島党首と名護市民の対話集会 1

福島党首と名護市民の対話集会 2

iPad発売と並んで、Appleの株価時価総額がMicrosoftを抜いたことがしきりに報道されている。古くからのAppleユーザーとして、iPad、関心は十分あるが、資金が皆無。悲しいことに、iPhoneにも機種変更をしそこね普通の電話を使用している。今年こそ新iPhoneに乗り換えたいと夢想している。再来週、iPadを購入した友人に会うので、せいぜい触らせてもらおうと思っている。

Appleあるいは、スティーブ・ジョブズの独善性、昔から筋金入り。今も、iPhoneアプリを巡り、サード・パーティともめ、Flash排除作戦で、かつての盟友?Adobeとも激しくもめている。何年たっても変わらぬ傲慢さ。「外から見るぶんには美学も感じられる」ということだろうか。

中村正三郎さんが、ブログ『ホットコーナーの舞台裏』で「Apple(アップル)のゲシュタポ化、独占弊害、Apple製品製造工場で自殺増加」という記事を書いておられる。文中、この記事同様、オーウェルの "1984年"に言及がある。

独裁を打破するという建前で登場したAppleやGoogleによって『1984年』独裁状態が生み出されてしまう実態、同じ作者オーウェルによるもう一つのおはなし『動物農場』の中で、支配者が変わっても、民衆搾取は変わらぬままという概念と直接つながっているだろう。

有名な「1984年」CMをご存じない方は、下記をどうぞ。

 

 

 

 

 

2010年5月27日 (木)

ギリシャ人は分かっている-Chris Hedges

Chris Hedges

2010年5月24日 "TruthDig"

ギリシャ人を祝して乾杯! 彼らは大企業が国を強奪・略奪しようとしている時には、どうすべきかを知っているのだ。ゴールドマン・サックスや国際的大銀行が、経済データを改ざんするのに、パワー・エリートと共謀し、ギリシャ経済が崩壊する方に、何十億ドルも賭けをしている時に、どうすべきかを彼らは知っているのだ。そもそも国民からまきあげていた金融企業に支払うために、国民の年金、社会的給付や職が削減されなければならないと言われた際には、彼らはどうすべきか分かっていたのだ。ゼネストだ。暴動だ。都心の閉鎖だ。ろくでなし連中を放り出せ。階級戦争-金持ち対貧乏人、寡頭政治家対市民、資本主義者対プロレタリアートといった言葉など恐れてはならない。ギリシャ人は、大半のアメリカ人とは違って、分かっているのだ。

現政権の前の右翼政権はギリシャ財政赤字の規模を偽っていた。国内総生産の3.7パーセントではなく、13.6パーセントだったのだ。しかも、もはや、スペイン、アイルランド、イタリアとポルトガル等の経済もギリシャ並のひどさのようで、それこそがユーロが過去数ヶ月で価値を20パーセントも下げた理由だ。アメリカの緊急援助同様、行き詰まっている他のヨーロッパ諸国への数千億ドルの緊急援助も、大惨事に先回りをしたに過ぎない。それが、アメリカの株式市場が落ち放題で、金価格が急上昇している理由なのだ。アメリカの銀行はギリシャでこそ余り目立ってはいないが、大半のエコノミストが認めている通り、ギリシャは始まりに過ぎない。ウオール街は他のヨーロッパ諸国に莫大な投資をしており、破たんが始まれば、アメリカ自身の経済基盤も、アテネの崩壊のように轟音とともに崩壊するだろう。大企業の大権力者達が、アメリカも、過酷な管理を課し、削減しなければ、クレジットが消滅するぞとがなりたてるだろう。連中は、我々を痛めつける資金と権力を持っている。今後、更なる失業、更なる個人的な、そして企業の破産、更なる家屋の差し押さえや、更なる人々の苦難がおきるだろう。そして法人国家は、この苦難にもかかわらず、戦争をするために、国民を一層ひどい借金漬け状態に押し込み続けるだろう。連中は、我々を従順にしておくために恐怖を利用している。私たちは徹底的に破壊されつつあるのだ。アメリカ経済とて、ギリシャ経済同様に腐敗している。アメリカも、なんとかやりくりするために、一日に何十億ドルも借り入れている。アメリカにも途方もない、決して返済できないだろう赤字がある。ヨーロッパ指導者たちの不吉な屁理屈に留意すべきなのだ。

先週、ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、議員たちに救済措置のドイツ負担分を承認するよう要求した際に述べた。"ユーロは危機にあります" "もしも我々がこの危機を避けなければヨーロッパにとっての影響は測り知れないものとなり、更にヨーロッパを超えた影響も測り知れません。"

ヨーロッパを超えてというのは、つまり我々に及ぶということだ。ゲオルギオス・パパンドレウの現政権の前にいた、コスタス・カラマンリスの右翼政権は、ジョージ・W・ブッシュの下で、共和党がやったことをやっていたのだ。連中は、大企業というご主人様たちを豊かにすべく納税者の基金を略奪し、国を破産させたのだ。正直で勤勉な市民たちが、長い年月をかけて、着実に築いてきた個々人の退職金口座や年金口座から、連中は何億ドルもかすめとったのだ。国民に、テロリストを恐れ、人身保護法を含めた市民的自由を放棄するようにさせるため、連中は大プロパガンダを活用している。ブッシュやカラマンリスらは、彼らが幇助した大企業の犯罪者階級連中と一緒に、類まれな贅沢生活をする一方で、一般の労働者は男性も女性も、償いをするためには、更なる苦難に耐えなければならぬと諭されるのだ。まるで封建時代の強姦。だが個人的な意志の力と前向きな思考があれば成功できるというおとぎ話を未だに信じ込んでいるアメリカ国民ですら、だまされたとさとる日は必ずや、やってくる。

こうした緊縮政策、我々には見覚えがある。中南米は、ロシア同様に、国際通貨基金と世界銀行によって、公共サービスを骨抜きにし、生活必需品や食料への助成を止め、民主主義の基盤である中流階級の所得水準を、財政責任という名目のもとで大幅削減するよう強いられた。小企業、特に農民は、一掃された。国営企業は、腐敗した政府幹部によって、本当の価値のごくわずかの価格で、資本主義者に売りとばされた。電気・ガス・水道などの公共施設や国営サービスは民営化された。

ギリシャで今起きていること、そしてスペインやポルトガルでおきるであろうこと、アメリカでも、カリフォルニア州のような場所で起き始めていることは、世界的なホワイトカラー犯罪者階級による仕業だ。アメリカ政府を含め、いかなる政府も、彼らに逆らうことはしない。それは我々次第なのだ。バラク・オバマは、法人国家を覆い隠す、単なる最新の仮面に過ぎない。彼の政権は、我々国民の利益ではなく、企業の利益のために働いているのだ。ゴールドマン・サックスやシティバンクと同様、オバマは連邦準備金制度理事会の銀行が、どうやって我々を食い物にし、ウオール街のための個人口座、ATM装置として機能しているのかを大衆には知ってもらってはこまるのだ。彼もアメリカ史上最大の支配階級に対する富の移転画策を手伝ったのだ。彼はアメリカの帝国主義戦争のために働き、市民的自由を回復させることを拒否し、アメリカの致命的赤字は抑制していない。彼の政権が、取締機関を骨抜きにしたために、取締機関はBPがメキシコ湾を毒のたまり場にしてしまうのを許したのだ。オバマが意味のあるやり方でメキシコ湾の生態系を救うべく介入すること、天然ガスと石油会社の悪習を縮小させることをこばんだのは決して事故ではない。彼は誰が権力を握っているかを知っているのだ。無党派の調査団体、センター・フォー・レスポンシヴ・ポリティックスによれば、BPと社員は、過去20年間にわたり、350万ドル以上を国会議員候補者たちに提供したが、その資金の最大部分がオバマに流れたのだ。

私たちは世界の金融制度の崩壊に直面している。これはグローバリゼーションの終わりなのだ。そしてこの最後の瞬間に、金持ちたちは、まだ間に合ううちに出来るだけ、むしりとっておこうとするのだ。コーポラティズムと、軍国主義と、国内・国外の諜報機関の融合が、彼らの仕事の大半は民間の請負業者によって遂行されているのだが、こうした企業に恐るべき支配機構を渡してしまった。ギリシャ人が考えているように、これは外国による占領の一種と考えよう。ギリシャの暴動は解放されるための戦いだと考えよう。

ドワイト・マクドナルドは、戦争遂行が "当たり前の生き方"である、アメリカ的文化の行く末を提示した。19世紀後半と、二十世紀初頭、カール・マルクスを含めた改革と社会運動の理論家たちから、まんまと逃げおおせた永久戦争という概念が、大衆支配をするこの効果的な仕組みに、社会改革が対応できないようにしてしまったのだ。旧来の改革論者は、国家内部の階級闘争にばかり集中するあまり、マクドナルドが指摘するように、 "戦争の政治的重要性に関する十分な理論"を決してまとめることがなかったのだ。この溝が埋められるまで、"現代社会主義はどこか学問的な香りを漂わせつづけるだろう"とマクドナルドは警告した。

マクドナルドは、1946年のエッセイ"Root Is Man"で、資本主義と永久戦争との結婚の詳細を描いている。永久戦争経済と、それと並行する精神構造が敗北するまでは、効果的な抵抗運動はありえないと彼はあきらめていた。アナキストだったマクドナルドは、西欧デモクラシーにおけるマルクス主義者もリベラル派も、ともに国家の高潔さを前提とする人類の進歩を、誤って信じていたという。この信念は、とんでもない間違えだと彼は言う。資本主義アメリカ合州国であれ、共産主義ソ連であれ、国家というものは結局のところ、自らの子供たちをむさぼり食らうのだ。しかも国家は、自国民を、恐れさせ、無限戦争の状態においておくために、大量プロパガンダ機関を活用して、これを実行するのだ。市場の聖なる偶像の前で、またはユートピア的な労働者の天国の前で、人類はいけにえにされるべきだと主張して、国家がこれを行うのだ。戦争国家は、ドイツ野郎なり、ボルシェビキ、ナチス、ソ連工作員あるいは、イスラム教テロリストといった敵を次々に提供してくれる。マクドナルドは、恐怖と戦争が、国家安全保障の名において、寡頭政治家連中が、略奪をするための仕組みであることを理解していた。

"現代の全体主義は、恐怖とプロパガンダによって、大衆を政治構造に完全に統合することができるために、大衆は自らの奴隷状態を主導するようになってしまう" と彼は書いている。"これは奴隷の身分をより解放するのではなく、逆に悪化させる。ここでパラドックスは、そこには解決する余地が皆無だということだ。資本主義ではなく、官僚主義的集団主義こそが、最も危険な将来の社会主義の敵なのだ。"

民主主義国家は、永久戦争経済と、それにともなうプロパガンダを廃絶しなければならないとマクドナルドは主張する。民主主義国家は、真実、公正、平等と共感といった、非歴史的で、より深遠な価値観に従って、行動し、統治しなければならないのだ。教会、大学、マスコミから民主党に至るまでのアメリカ・リベラル派は、空虚な政治と法律によって要求される実務的な命令に敬意を表することで、道徳的な発言権を失ってしまったのだ。リベラル派は邪神に仕えているのだ。戦争、科学、技術や消費による進歩への信仰が、こうした非歴史的な価値観を踏みつぶすことを正当化するのに利用されてきた。グローバル化の至上命令の盲目的な受容と、グローバル化は、不可避な進歩の一つの形式だという、悲劇的で、誤った信念というものが、おそらくはマクドナルドの主張の中心的例証だ。市場のニーズか、人類か、いずれかを選択するなどということはありえない。そんな選択などありえない。我々が、法人資本主義であれ、他のあらゆるユートピア構想という形であれ、人類の進歩、という虚構に仕えることから自由になるまで、我々は牙を抜かれたままであり続け、人々の無用な窮状を存続させるだろう。アテネでストライキをしている群衆が理解しているとおり、大切なのは銀行ではなく、子供たちを育て、共同体を作り上げ、生活を維持する人々なのだ。そして政府が、一体誰のために仕事をしているのか、何のために存在しているのかを忘れ去った際には、政府は置き換えられるべきなのだ。

"進歩主義者はイデオロギーの中心に歴史をおいている" とマクドナルドは"Root Is Man"の中で書いている。"急進主義者はイデオロギーの中心に人間をおいている。進歩主義者の態度は、人間の本性(彼はそれが善だと考えており、だから必要なのは、この高潔さに機能できる機会を与えられるよう制度を変更することだけで)についても、 科学的な方法で歴史を理解する可能性についても、楽観的だ。急進主義者は、悲観的そのものとは言えないにせよ、二面性について、少なくともより敏感だ。彼は、科学が物事を能力する能力についても、ある点を以上については懐疑的だ。彼は、現代のみならず、いかなる総称であれ(社会あるいは労働者階級の利益)人間の運命における悲劇的な要素に気づいている。急進主義者は個人の良心と感性を強調する。進歩主義者は実際に起きていることから出発しようとする。急進主義者は自分が起きて欲しいと考えているところから出発しようとする。前者は歴史は‘自らの側にある'という感覚を持っているに違いない。後者は自分自身の個人的良心によって指示された道を進むのだ。もしも歴史も、彼が進みたい方向と一致していれば、それを喜ぶのだ。しかし、彼は‘現実がどうである'かではなく、‘どうあるべきか' という方向に進むという点において、実にかたくななのだ。"

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/the_greeks_get_it_20100524/ 242人が「いいね」(thumbs up)と評価している。

Information Clearinghouseの同じ記事にも、50を超えるコメントが書かれている。

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彼の常ならぬ激しい調子に驚かされている。文中の"The Root is Man"は絶版のようだ。

昔訪れたアテネを懐かしく思い出した。青い空、パルテノン神殿、立派な博物館。アテネそのものが博物館のようなものだった。海岸で食べた鯛の塩焼き。海岸の安レストランの冷蔵庫で氷漬けの魚を選び、好みの調理法で料理してもらった。砂浜にあるテーブルには、しっかり醤油がおいてあった。ワイン、ビールによくあった。

ウゾは苦手だが、ギリシャ・ブランデー「メタクサ」もなかなかだった。容器も素朴。

スブラキもオレンジも安価だったが、オリーブ油、オリーブ・ピクルスは苦手。

水中翼船ででかけたヒドラ島もなつかしい。島では自動車は走っておらず、ロバが引く馬車でホテルに行ったのを覚えている。

ギリシャ人は議論好きで、始めると部外者そっちのけ。いつまでも終わらなかった。

町歩き時に看板がまったく読めないのだけは困った。仮に綴りを多少覚えても単語の意味が全くわからない。

ともあれ名目所得は裕福でなくとも、休暇が多く、のんびり暮らしている様子の彼らをうらやましく思ったものだ。ただアテネ空港に迷彩色をほどこした軍用機が多数止まっていたのには驚かされた。観光都市の空港に迷彩は似合わない。それを言うなら、沖縄の美ら海水族館まではるばるでかけると、途中の広大な基地がいやでも目に入るのだが。

『旅を感じる時』というギリシャの光景を唄った曲がある。カラオケ・リストに載らないのを残念に思っている。

日本でも、銀行が危ないというストーリーで助成が行われた記憶がある。大きすぎて潰せないということはないと、あのトンデモ大臣が言っていた。

困った場合には税金で助けられるが、儲かった場合には自分たちの懐に入る。属国資本主義、大企業支配エリートにとっては、やめられない美味しい制度なのだろう。

多くのブロガーの皆様が絶賛してやまない大幹事長、辺野古に土地を持っているそうだ。今頃笑いがとまらないだろうというブログ記事も散見される。元防衛大臣もそうだ。

沖縄に基地を押しつけるのであれば、安保と基地を受け入れる政治家、与野党をとわず、辺野古に土地を購入するだけでなく、沖縄の基地周辺に自宅を構えるべきだ。

飛行機で国会に通っていただいてかまわない。生活基盤は基地の周辺におくべきだ。それが責任だろう。北朝鮮潜水艦の魚雷より、米軍基地の方が迷惑だと感じるだろう。

まもなく幹事長の悪知恵で、国会法が改悪され、内閣法制局の役人が憲法解釈に歯止めがかけられないようになる。役人の解釈改憲は悪辣だろうが、政治家の見境のない豹変ほど悪辣ではないだろう。勝手に変えられて、宗主国の戦争につきあって、無辜の外国の民間人を殺害したあとで、選挙をしたとてどうなるのだろう。もう、その時点では、少数政党そのものが排除されているだろうが。死者は決して帰らない。政治家・役人は、庶民を食い物にするのだ。貧しい庶民ができることは、彼等のおこなう悪を、どこまで小さく食い止めるかだけ。それも、少数の本質的異議を唱える政党が存在している、あと僅かの期間だけ。

日本軍を宗主国の傭兵として、海外派兵をしたいが、憲法破壊がむずかしいからだが、この法律、憲法破壊と同じこと。社民党、意義をとなえるどころか、一緒に提出さえしている。

ブロガーの大半の皆様も、ほとんど文句を言わない。

そして、『自民党は26日、自衛隊の海外派遣を随時可能にする一般法「国際平和協力法案」を衆院に提出した。』のだという。

皆様、日本人が見ず知らずの土地に、宗主国に言われて、(あるいは独自に)、人を殺し、殺されるにでかけることの何が嬉しいのだろう。

いや現代はスレイ・ステーション時代。東京本省の作戦室にいながらにして、無人飛行機を大画面つきビデオ端末で操作し、攻撃・殺戮するだけだから大丈夫、ということなのだろう。あるいは、鉄人28号のような鎧を開発するのだろう。

宗主国を向いた属国の政治屋諸氏、ギリシャやタイの政治家でなくて良かったと、ほくそえんでいる、いや、呵々大笑しているに違いない。

大幹事長の辺野古土地や、国会法改悪や「国際平和協力法案」には決して触れない有料政府広報紙と、液晶デジタル・テレビ無料番組の睡眠効果、何とも偉大。

たとえ赤字でも。やがては我々の税金で洗脳プロパガンダをしてくれるだろう。素晴らしき新世界。

本土人は別として『沖縄県民は分かっている。』

追記:下記の記事も、そうした沖縄の方の声だろう。

ナガハマヒロキのネオトーキョー絵巻 2010年05月29日記事
普天間基地問題について本気で書いたので、読んでください。

2010年5月25日 (火)

アフガニスタンの麻薬、ロシアへ流れ込む

Strategic Culture Foundation

2010年5月24日

アレクサンドル・バレンツェフ

国際麻薬・法律執行局のトップ、デビッド・T・ジョンソン国務次官補の、アメリカ国務省、国際麻薬国際麻薬管理戦略レポート(INCSR)によれば、アヘン用ケシ作物根絶という発想を否定すべきなのだという。

アフガニスタンにおける麻薬生産は、NATO軍による占領後、40倍に増えた。原料となる化学物質が、パキスタンやEU加盟諸国のいくつかを含む他の国々からアフガニスタンに輸入されている。ケシ栽培に対する大量資金注入は、多くの場合、農業活動への資金援助を装い、アヘン用ケシ栽培から、約400箇所の麻薬施設でのヘロインとアヘン精製、貯蔵、アフガニスタンやパキスタン麻薬市場への卸売りまでの、違法麻薬生産を構成する全工程をアフガニスタンが擁しているのだ。

現時点で、アフガニスタン内の純粋ヘロイン在庫は、3,000トンを若干下回るものと推測されており、アフガニスタン麻薬供給業者の収入は年間約30億ドルにものぼる。アフガニスタンからのヘロインで、国際麻薬マフィアは少なくとも年間1000億ドルを稼いでおり、この資金が、アフガニスタンのみならず、中央アジア全体、キルギスタン、カザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタンの組織犯罪を助長している。

麻薬ビジネスによって生み出された収入は、ケシ農園から麻薬常習者までを結ぶサプライチェーンの様々な部門を支配する犯罪集団の間で、山分けされている。アフガニスタンのケシ栽培業者たちは極端な貧困にあえいでいる一方で、ケシ畑所有者の大半はアメリカ、イギリスや他の西欧の民主主義国家で暮らしている。ケシ農園を根絶するのではなく、麻薬密売業者と麻薬密売組織のボスを追いかけようという、B・オバマ政権のアフガニスタン・パキスタン問題特使リチャード・ホルブルックの提案の背景を説明できるのは、ケシ畑所有者の幸福に対する配慮をおいて他にあるまい。アメリカと、いくつかのEU諸国は、アフガニスタンにおける麻薬生産問題を、2010年3月にウイーンで開催された国連麻薬委員会の第52回委員会での決議に載せようという、ロシア代表団の提案を拒絶した。

ロシアの法執行機関、ロシア連邦麻薬管理庁、ロシア連邦保安庁、警察は、アメリカ側の同等組織や、アフガニスタン政権の諜報機関に、麻薬精製施設や在庫、主要麻薬密売ルート等に関するデータを定期的に渡しているが、ほとんどなんの対策も講じられていない。繰り返す戦争と、アフガニスタン政権の悪名高いまずさの下では、アフガニスタン農民が、ケシ栽培から、合法的な農産物に転換するのを支援するため、国際機関から支給される資金は、通常ケシ栽培支援に使われている。2004年、カルザイ政権は、アフガニスタン人に、1ヘクタールのケシ作物根絶に対し、1,250ドルを支払ったが、平均的なケシ栽培農家は、1ヘクタールで16,000ドル稼ぐ(平均、年三回の収穫として)。

アメリカ軍はアフガニスタン南部での麻薬密売を邪魔することを好んでいるが、そこではいずれにせよ、戦争が継続する下で大規模麻薬生産は不可能なのだ。アフガニスタン北部では、アメリカは、アフガニスタンをタジキスタンと結ぶ道路と橋を建設しており、この経路は、ウズベキスタン、キルギスタンやアゼルバイジャンを経由して、更にロシアへと続いている。

アフガニスタン西部では、麻薬活動の蔓延は、イランによって完璧に封鎖されている。この地域の国境は、世界で最も厳重に防備されているものの一つで、深さ5メートルの堀、壁、更に300メートル毎に絞首台がある。国境はイラン軍の約60%が警備している。

アフガニスタンにおける麻薬の実態は、国連薬物犯罪事務所(UNODC)によって監視されているが、この国連機関が発表しているアフガニスタンのケシ栽培と、麻薬生産の数値は、怪しいほど控えめだ。UNODCは、アフガニスタン麻薬生産のわずか15%がロシアを経由する北部ルートを通って密輸されていると推測しているが、ロシアの法執行機関は、最近の急増後、北部ルートの比率は少なくとも35%にのぼっていると主張している。

麻薬は、あらゆる種類の輸送方法(自動車 70%、鉄道 20%、飛行機 10%)を用いて、ロシアに密輸される。密輸の大半は農業用必需品を装っており、密輸業者の生活を裕福にしている。カザフスタン税関は、基本的にアジアからの自動車は検査の対象としていない。

アフガニスタンを中心に関心を持っているアメリカ人専門家アンドリュー・F・タリー氏は、イランとロシアは、アフガニスタンからの“ヘロイン圧力”に直面しているとあからさまに語っているが、ロシアの統計データは、この見方を完全に裏付けている。違法麻薬流通と関連した凶悪犯罪の件数は、過去数年間、着実に増加している。2008年、国境検問所では、麻薬密輸で212人が逮捕され、ロシア連邦麻薬管理庁だけでも、麻薬卸売りのかどで、753人の外国人を拘留した。2009年の最初の三ヶ月で、国境検問所で逮捕された人数は、大半が中央アジアの共和国の国民だが、97人にも達している。

2009年秋、キルギスタンは同国の麻薬取り締まり機関を解体した。職権の大半は警察に、合法的な麻薬流通取り締まりは厚生省に移管された。麻薬密売組織のボスたちがもっぱら利用している、資金洗浄にまつわる、キルギスタン悪評を考えれば、このグローバルな改革は大いに警戒すべきものだ。

現行のカザフスタン法規では、ロシアとカザフスタン国境を越えて出入りする外国人や、国籍をもたない人々の流れを監視することさえ不可能なので、カザフスタンは、麻薬ビジネスの蔓延と戦う上でロシアの“奇妙な”同盟国だ。国境は長く(約7,600 km)、技術的装備は乏しく、ロシアへの麻薬密輸に対する障壁としてはほとんど役立っていない。

西欧の専門家たちは、莫大な利益を生み出す、アフガニスタンにおける違法麻薬生産と戦ってもアメリカの利益にはならないと、きわめて合理的に述べている。アフガニスタンで西欧他国籍軍と仕事をしている多くの企業にとって、麻薬ビジネスが、きわめて重要な収入源になっているということも考慮する必要がある。ヘロイン生産には膨大な量の無水酢酸、アセトンや、塩酸が必要だが、それをアフガニスタン国内で入手することは不可能であり、また個人的な仲介人では必要な量は調達不可能だ。最近、在アフガニスタン・ドイツ軍司令部は、在アフガニスタンNATOに洗濯とゴミ処理サービスをしているデュッセルドルフに本社を置く企業エコログを、麻薬密輸のかどで捜査した。このスキャンダルは現在ドイツで本格化している。

ヘロインの流れを、アフガニスタンからロシアへと注ぎ込む、あらゆる想像可能な条件が、現在、アフガニスタン国内に生み出されつつあることを認識すべきだ。こうしたお膳立てが一体誰の利益を推進するのだろうかという問いの答えを見いだすのは困難なことではなかろう。

記事原文のurl:en.fondsk.ru/article.php?id=3045

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5月25日、米軍による東京の山の手地域爆撃から65周年だそうだ。法要を営む方々や、悲惨な体験を描いた絵や体験談がテレビで紹介されていた。

安保条約の下で、沖縄、三沢、横須賀の基地から出て行く宗主国の海兵隊、戦闘機、空母が、同じことを、イラクやアフガニスタンやパキスタンで、毎日のように実行していることは、もちろん報じてくれない。非道な行為。当時日本はアメリカと戦争状態にあった。イラクやアフガニスタンやパキスタン、決してそうではない。

安保条約・基地が抑止力かどうかという議論以前に、安保条約・基地、少なくとも宗主国が一方的な殺戮支援をするための条約・設備であることに疑問の余地はないだろう。アメリカ軍基地が日本を守っているという証明ができなくとも、イラクやアフガニスタンやパキスタンの国民の殺戮には、大いに役立っていることは自明の事実。

暴力団に相撲の特等席切符を手配したとして、親方達が調べられているという。暴力団に便宜をはかると警察沙汰になるが、日本を不沈空母にしてアメリカ軍基地強化に協力すれば警察沙汰にならず、大勲位菊花大綬章をもらえる。そういうものだ。So it goes.

チャプリン『殺人鬼時代』主人公の簡潔な名セリフがある。

"One murder makes a villain. Millions a hero. Numbers sanctify"「一人殺害すれば犯罪者になるが、百万人殺害すれば英雄になる。数が殺人を神聖化する。」

先日NHK-BSの『フォグ・オブ・ウォー』でマクナマラをみながら、このセリフを思い出した。マクナマラ、カーチス・ルメイが推進した東京空襲にも深く関与していた。

2010年5月23日 (日)

ソ連邦からの独立宣言後20年、ラトビアの緊縮政策は世界の労働者階級への警告

Niall Green

2010年5月4日

20年前の今日、1990年5月4日、ラトビア共和国運営評議会はソビエト社会主義共和国連邦からの独立を宣言した。モスクワのスターリン主義官僚が軍事力によって支配を維持しようとしており、ソ連から正式に離脱するには更に16カ月かかった。

大半が旧エリート官僚出身の新興資本主義者階級によって、国家の独立と資本主義の復興が“自由”を獲得し、経済停滞を克服する唯一の手段だとして喧伝される中、20年後のラトビアは、他の旧ソ連共和国同様、経済崩壊に直面している。ラトビア国民は世界金融資本と結託した政府が遂行する厳しい緊縮政策にさらされている。

ラトビア経済は、2008年にアメリカ合州国で勃発した経済危機により、ひどい打撃を受けた。ラトビアは、ひどい金融投機、特に不動産への投機にさらされ、2008年と2009年、世界経済の危険な地域からの、金融資本による大規模引き上げに苦しんだ。ラトビア経済は昨年18パーセント縮小し、2010年末までに更に4パーセント縮小するものと予想されている。

この危機を穴埋めするため、ラトビアの首都リガの政府は、世界で実施されたものの中で、最も厳しい支出削減の一つを断行した。2008年以来、ラトビアの公共部門の給与は25パーセント低下したが、さらに低下するだろう。民間部門の給与は最大30パーセントも削減された。公式失業率は23パーセントで、欧州連合の中では最高だ。

小売りは、2009年の最終四半期には、2008年の同時期と比較して、30パーセント以上縮小したが、これは失業と賃金引き下げの、生活水準に対する壊滅的影響のあらわれだ。

2009年と2010年の連結政府予算で、公共投資は国内総生産(GDP)9パーセントにまで縮小された。これはアメリカ合州国でいえば、公共投資を1.3兆ドルも止めるのに等しい。

ラトビア緊縮政策の一挙手一投足が欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)によって指示されていた。リガ政府は、世界の金融投機家連中のためにブリュッセルとワシントンで行われる決定の現地執行機関なのだ。

右派の新時代党出身のエイナルス・レプシェ蔵相は、国家歳出削減を熱心に支援した。3月に蔵相の地位につくと、レプシェは“強硬策を実施するには強硬な人々が必要だ”と述べ、赤字を縮小すべく更なる“改革”を約束した。2002年から2004年まで首相だったレプシェは最近、国家年金を30パーセント削減しようとしたが、この動きには最高裁判所で、待ったがかけられた。

残忍な削減のおかげで、ラトビアの財政赤字は、2007-2008年のGDPの12パーセント(ギリシャと同じ財政赤字比率)が、現在の8パーセントという数値にまで低下した。とはいえ政府と国際金融エリート連中は、この数値をGDPの3パーセントにまで落とすよう要求している。これは、賃金、社会福祉給付、年金や公共サービスへの更なる攻撃によって実現されよう。

こうした施策と引き換えに、EU、IMF、世界銀行や近隣諸国は、わずか220万人の国民しかいない規模の国家にしては巨額の75億ドルという緊急援助をラトビアに与えた。

2009年1月に緊急援助が発表された時点で、金融機関はオーバーナイト・ローンに対し、不当に高い33パーセントの金利を要求しており、ラトビア政府は事実上、市中で金を借りることができない状態だった。

緊急援助資金の大半は、そのまま直接、北欧諸国の資本、特にスウェーデンによって支配されている金融部門に向けられた。この援助は、銀行間融資を促進すべく、金融機関の資本構成を改めるのに使われた。IMF-EU介入は、その可能性が、銀行間金利を更に上昇させた、通貨ラトの大幅切り下げ回避にも功があったと評価されている。

リガ政府による緊縮政策の実施に対するいかなる反対あるいは躊躇のきざしも、緊急援助資金が止められてしまうと威嚇された。とはいえ、IMF、EUと銀行はラトビア支配層エリートが、社会支出の壊滅的な削減を進んで実行しようとしていることに気がついた。

2009年1月、緊縮政策反対の大規模抗議に直面し、ラトビア連立政権は、抗議デモ参加者と対決する機動隊を派遣して対応した。同時に、IMF-EUの絶対的命令を推し進めようとする姿勢をはっきりと見せている。その後の政府要員の交代も、ラトビア労働者の運命には大した違いはもたらさない。

自分たちの投機で世界金融危機をひき起こした、まさにその当事者で、緊急援助と労働者階級に対する緊縮政策で利益を得ている金融略奪者連中が、同じく新時代党のヴァルディス・ドンブロフスキス首相を称賛している。“少なくとも国際投資家の視点からすれば、彼の実績は目を見張らせるものだ”とJPモルガン・チェースのエコノミスト、ヤーキン・セベチは語っている。

2月、格付け会社のスタンダード&プアーズは、ラトビアのBB-格付けを、極めて弱いBBに上げた。もう一つの大手格付け会社、ムーディーズは、ラトビアは依然として“イベント・リスクの影響を非常に受けやすく”“更に大幅で、より痛みを伴う調整を避けるため、地域経済の回復と、ヨーロッパの金融制度に依存している”と警告した。

多くの経済評論家は、過去18カ月の大幅な削減にもかかわらず、金融資本が融資に対し、より高い利子支払いを要求しかねず、ラトビア経済は更に危機が深まりかねないと語ってはいるが、ラトビアが債務契約支払いを凍結しない方に賭けている。言い換えれば、既にギリシャを襲い、現在ポルトガルを襲いつつあるのと同じ運命に、ラトビアも見舞われかねないのだ。

ユーロに対して固定された、通貨ラトの価値を維持しようとする試みにもかかわらず、レプシェや他のラトビア・エリート層の主要人物たちは、ラトビアの輸出を後押しするため、デフレ政策を好んでいるように見える。ラトの切り下げは輸入品のコストを引き上げ、貯蓄の価値を下げ、労働者にとって一層壊滅的な結果をもたらすだろう。

隣接するエストニアとリトアニアの経済も同じようなものであり、通貨ラトの切り下げは、これらの国々にそれぞれの通貨の対ユーロ固定廃止を強いて、東欧のEU加盟諸国中に、平価切り下げ競争の連鎖反応をひき起こしかねない。

ラトビアで実施された反労働者階級施策が、フィナンシャル・タイムズによれば“ギリシャや他のヨーロッパ諸国に対するお手本としてもてはやされてきた”。1100億ドルのEU-IMF緊急援助を得るため、ギリシャ政府は更なる緊縮政策を発表した。

わずか二年前、他のバルト海沿岸諸国と共に、ラトビアは、東欧における、耐乏ではなく、繁栄の手本だとしてもてはやされた。その高い成長率ゆえに、ラトビアは、いわゆる“バルト海沿岸のタイガー”の一つとされ、2006年から2007年まで、主にリガ不動産市場への投機によって加速され、ラトビア経済は10パーセント以上成長した。同様な成長を見せたラトビアや隣接するバルト海沿岸諸国は、“自由市場”と、EU拡張の成功の証しだとされていた。

ところが、こうした高い成長率には、地域の大半の労働者にとり、益々不安定な状態がともなっていたのだ。戦後のソ連時代に築き上げられた医療や社会保障等の公共サービスや教育施設は資金が底をついた。西欧水準のほんのわずかでしかない給与と、EU加盟以来の価格急騰のため、何十万人もの労働者、特に職人、看護士や医師が、EU内の他の国で仕事を見つけようと、ラトビアから去った。

旧ソ連圏全域で起きたと同様に、資本主義の復興は、スターリン主義官僚にとって、裕福な資産家層へと変身して、自らの特権を具体化させる手段の役割を果たした。ラトビア、あるいは他の国々で新たに形成された資本家階級は、世界資本への直接かつ従属的な関係を確立するために、独立国家の創造を利用したのだ。

二十年前には、ラトビアや他のバルト海沿岸共和国の民族主義者と親資本主義勢力は、1940年代、ソ連支配下で行われた集団強制退去や処刑、及び、“一国社会主義”の構築という公式スターリン主義政策にともなったロシア愛国主義を含むスターリン主義の犯罪を利用して、ラトビア独立を、国家への圧迫に対する、前向きの解決策として提示することができた。

現在ラトビアで労働者階級が直面している大変な苦境が、国家の独立やら、資本主義の復興、あるいはEU加盟というプロジェクトには、何ら進歩的な中身などなかったことを証明している。

ラトビア、バルト海沿岸諸国、全EU、そして旧ソビエト連邦の労働者たちは、世界の金融貴族連中と、政府に巣くう彼らの腐敗した手先という、同一の階級の敵に直面している。保守派、社会民主主義者、あるいは旧スターリン主義者など、あらゆる既成政党は、資本主義をてこ入れするため、労働者階級の生活水準に対する同様な攻撃を遂行している。この攻撃において、連中は、時に過激そうに聞こえる言説をまくしたてながらも、利潤制度や既存政治体制に反対する、本当に独立した労働者階級の運動には、ひどく敵対的な労働組合や様々な旧左翼組織によって、支援され、助長されている。国家エリートや欧州の銀行連合に対抗して、ラトビアとヨーロッパの労働者は、社会主義インターナショナリズムを目指す戦いにおいて団結しなければならない。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/may2010/latv-m04.shtml

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翻訳が間に合わず、5月4日から、かなり遅れた。以下は、毎回の蛇足。

現在、沖縄県民が直面している大変な苦境が、安保条約や沖縄返還、あるいは米軍再編等のプロジェクトには、何ら進歩的な中身などなかったことを証明している。

2010年5月20日 (木)

インド人作家アルンダティ・ロイ、対テロ法による告訴の脅威にさらされる

Kranti Kumara

2010年4月26日

 

東部インド・チャッティースガル州警察はブッカー賞を受賞した作家、エッセイスト、人権活動家のアルンダティ・ロイを、同州の厳格な対テロ法によって告訴する“可能性を調査”している。

 

3月29日号のアウトルック・インドに掲載された記事で“毛沢東主義派を賛美している”としてロイを非難する、ヴィスワジット・ミトラなる人物の告訴に応じて、警察はロイの調査を開始した。それは“同志との歩み”という題名の、主として部族民、つまりインド先住民が暮らす、森林高原地域高地ダンダカラニヤに、毛沢東主義派ゲリラ達と話し、彼らの活動をその目で見るべくでかけたロイによる、33ページにわたる秘密訪問記事だ。

 

ミトラは自分は“一般市民”だと主張している。しかし彼はインドでも人口最大の州ウッタル・プラデーシュの与党バフジャン・サマジ党BSPの現地指導者だと言われている。

 

チャッティースガル州の警察長官(DGP)ヴィスワ・ランジャンは、マスコミにこう語った。“更なる対策を講じる前に、まず本件を調査することが必要だ。… 法律専門家たちに、意見を述べ、結論を出すよう依頼してある。"

 

ミトラの常軌を逸した反民主主義的“苦情”には意義があると、警察長官(DGP)が考えていることは、彼の更なる発言で裏付けられる。ランジャンはこう言ったのだ。“アルンダティ・ロイが、他の連中によって悪影響を受けたのか、あるいは彼女が実際に市民社会にまぎれこんだスパイなのか私にはわからない。どうして私がわかるだろう?"

 

ロイは、チャッティースガル州の悪名高い特別公共Security Act (2005)略称CPSAに基づく起訴で脅されている。ヒンズー至上主義者であるインド人民党(BJP)によって起草されたこの法律には、“違法な活動”に関する見境のない定義があるのだ。

 

この法律の条項によれば、“公共の秩序”に対し“危険や懸念をもたらす”あるいは、“法の執行政権”に対する“障害となりがちな”行為、あるいは、書面の通信文でさえ、あるいは、いかなる法律、あるいは“法律によって定められた”規定への不服従を“奨励する”ものは違法であり、七年間の懲役刑となりうるのだ。

 

CPSAは、インドや国際的な公民権擁護団体によって、大いに非難されている。反対する諸団体は、法律の真の狙いは、その組織が既に2004年に禁止されている、毛沢東主義派武装反抗勢力ではなく、民主的権利を踏みにじり、毛沢東主義派の弾圧に無差別的な暴力を用いている政府や治安部隊を批判してきた、市民的自由を擁護する人々や、NGOやその他の人々なのだと非難している。半年前、CPSAを制定する前に、チャッティースガル州政府は、反政府武装反抗勢力を支持していると疑われた村を焼き払ったことを含め、無数の残虐行為に連座している、反毛沢東主義民兵のサルヴァ・ジュドム(ゴーンディー語で“浄化狩り”という意味)をたちあげた 。

 

東インド“部族ベルト地帯”の毛沢東主義派武装反抗勢力を巡り、政治とマスコミの騒ぎが高まるさなか、対ロイ攻撃が起きた。今月始め、インドの国民会議派主導連立政府が推進する、全国的に組織された対武装反抗勢力作戦、オペレーション・グリーンハントは、毛沢東主義派ゲリラが、チャッティースガル州ダンテワダ県で警官76名を殺害し、大きな挫折を味わった。(“インド政府、対毛沢東主義派・部族民戦争で挫折を味わう”参照:英語原文)

 

ダンテワダ襲撃の後、インドのテレビ局やマスコミ評論家によって、ロイや、鉱山、ダムや他の大企業の“開発”プロジェクトのために、彼ら伝来の土地を没収することに対する部族民の抵抗を弾圧することが本当の狙いだと警告して、オペレーション・グリーンハントを非難したエコノミック・アンド・ポリティカル・ウイークリー編集者等の人々に対する行動がとられるべきだというあらゆる種類の呼びかけが行われている。

 

P. チダンバラム内務大臣自身がこのキャンペーンをあおっている。オペレーション・グリーンハントを擁護し、インド・エリート層の、搾取的で、弾圧的な政策が、今、インド最大の部族地域を震撼させている武力衝突の主要な原因だと主張する人々を、テロ是認ではないにせよ、見て見ぬふりをしていると、彼は繰り返し非難してきた。

 

4月15日、インド連邦議会上院ラージャ・サバーでの演説でチダンバラムは言った。“人権団体やNGOは、夢の世界に暮らしていて、現実を直視してないと私は考えている。もしも[インド共産党毛沢東主義派が]既存政権を打倒して、権力を握ったら、彼らは、いかなる人権団体でも、この国で活動することを許すだろうか? 彼らは、いかなるNGOでも、この国での活動を許すだろうか? 議会は存在するだろうか?”

 

内務大臣は更にアルンダティ・ロイをけなした。激昂の余り、チダンバラムは問うた。“33ページの記事を書いた連中全員が、33ページの記事を書くことを許されるだろうか? 33ページの記事を掲載する雑誌があるだろうか?”

 

何よりも、チダンバラムは、チャッティースガル州のBJP政府に、ロイの捜査を即座に中断するよう要求せず、まして、それが彼女を脅し、告訴しようとする企みだと非難するどころではなかった。

 

もしロイが、インドのブルジョア支配者集団の憎しみを買ったのだとすれば、それは彼女が、部族の人々に開発と民主主義を押しつけるために戦争をしかけるという、連中の偽善的な主張を率直に否定し、台なしにしたためだ。有能な作家である彼女は、インド国家によって遺棄され、虐待されてきたインド先住民の窮状を感動的に語り、チャッティースガル州と東部の部族ベルト地帯全体を巡る自らの決定を、インド政府が強く主張する動機の背後にあるその基本的権益を詳しく説明している。

 

ロイはこう書いている。“過去五年間ほど、チャッティースガル州、ジャールカンド州、オリッサ州と西ベンガル州の政府は、企業と、全てが秘密の、鋼鉄工場、海綿鉄製鉄所、発電所、アルミニウム精錬所、ダムや鉱山に関する、数十億ドルもの価値のMOU(合意覚え書き)に調印している。MOUを本物のお金に変えるためには、部族民たちを移転させねばならない。だから、これは戦争なのだ。”

 

ロイは、多くの場合、暴力的反抗も含む、部族民の国家に対する反対は、毛沢東主義派よりずっと昔からのものであるとし、部族民たちがこうむらされてきた何十年もの蛮行、怠慢と強制退去のおかげで、彼らのかなり多数に、毛沢東主義派の武装闘争の味方につくようにさせているのだと、正しい意見を述べている。

 

インド共産党毛沢東主義派の政治を扱う上では、彼女はさほど鋭敏ではない。しかし彼女が批判的でないとは到底言いがたい。

たとえロイが完全に毛沢東主義派武装反抗勢力を称賛しようとも、彼女のルポルタージュと意見は、憲法上、言論の自由にあたるはずだ。しかしインド・エリート層は、アメリカ・エリート層同様、民主的権利に対する大規模攻撃を正当化するため、過去十年間“対テロ戦争”とされるものをひき起こし、反対意見の人々を益々犯罪人化して扱っている。

 

ロイは、決してチャッティースガル州の過酷なCPSAに巻き込まれた初めての人物というわけではない。チャッティースガル州政府に批判的な多くの人々が、投獄されており、中には何年も投獄されたままの人もいる。この部族地域で活動し、政府が提供し損ねている基本的なサービスを行っているNGOの指導者やメンバーたちが、CPSAの下で逮捕と告訴の標的にされているように見える。

 

こうした犠牲者の中で最も著名なのは、最も虐げられ、政治的にのけものにされている人々に医療を施して人気のある医師ビナヤク・セン博士だ。彼はPeople’s Union for Civil Liberties (PUCL=人権擁護人民同盟?)という名のNGOの副代表だ。

 

セン医師は、投獄されていた毛沢東主義派の指導者を治療した後、2007年5月に逮捕され、ねつ造された容疑に基づいて、チャッティースガル州の中央刑務所で、二年以上拘留された。持続的な国内および国際的抗議キャンペーンによって、インド最高裁が介入し、彼を保釈するよう命じ、彼は最近釈放されたばかりだ。ところが、ビナヤク・セン医師に対する告訴の一つとして取り下げられておらず、インドの国民会議派主導の政府は彼を告訴することへの支持を示している。

 

2008年8月、“毛沢東主義派と関係している”という偽りの容疑で、チャッティースガル州の監獄で90日間暮らしたドキュメンタリー映画作家、ジャーナリスト、アジェイの釈放を祝う集会で、デリー大学社会学教授ナンダニは、この州に満ちている恐怖の度合いを語っている。報道機関は、CPSA法によって告訴されるのを恐れ、サルヴァ・ジュドムの残虐さにまつわる報道を控えるのが当たり前になっている。フリーの法律研究者ウシャ・ラマナサンは、条項を批判することが“違法”だという条項まであると、この法律の中世的性格を語っている。

 

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/apr2010/aroy-a26.shtml

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先住民の方に、全部押しつけるというシナリオ、基地問題も似たようなものでは。

 

長崎大学、谷川昌幸教授のブログに、直接関連した下記記事がある。

 

2010/04/19

ロイ,公安法違反容疑で告訴される

 

2010/04/11

アルンダティ・ロイのインド・マオイスト取材報告(1) 注:(8)まである。

 

Democracy Nowにも、この訪問後の彼女のインタビューがある。2010/3/22付け 英語

 

Arundhati Roy on Obama’s Wars, India and Why Democracy Is "The Biggest Scam in the World"

2010年5月17日 (月)

新たな戦略的協調関係を目指す画期的なロシア-ウクライナ・サミット

キエフでのメドベージェフ-ヤヌコーヴィチ会談

Viktor Pirozhenko

Strategic Culture Foundation - 2010-05-16

東ヨーロッパの二大国家の指導者、ロシア大統領D. メドベージェフとウクライナ大統領 V. ヤヌコーヴィチが、5月17-18日にキエフで会談する。当初予定されているものとして、議題には下記の五つの条約署名が含まれている。

- ロシアとウクライナとの国境の陸上部分における境界策定

- ロシアのGLONASS衛星ナビゲーション・システムへのウクライナの参加

- 金融、教育、文化部門での二国間協力

ロシア連邦大統領府長官セルゲイ・ナルィシキンは、ロシアとウクライナの大統領が、ヨーロッパの安全保障と、トランスドニェストリアにおける紛争の解決について、共同声明を行うだろうと述べた。

ウクライナが、現時点ではアメリカが運用しているGPSに対する唯一の代替手段であるGLONASSに変更することは、注目に値する進展だ。GLONASS計画は、緊密に一体化していたロシアとウクライナ企業によって実施されるべきプロジェクトとして、ソ連時代に開始されたが、ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊によって実現が遅れてしまった。現在、モスクワもキエフも、ウクライナのGLONASSへの復帰は、論理的、かつ長く待望されていたステップだと見なしている。

ロシア-ウクライナ関係という視点からすれば、GLONASSを採用するというキエフの決定は、ウクライナの新大統領V. ヤヌコーヴィチが、同国のロシアとの関係を、前政権時代より単に更に友好的ということにとどまらず、一層の開放性に基づいて、再構築を目指すのだということをはっきりと示している。GLONASSは、リアルタイムに位置と速度情報を提供する自動テレマティック衛星システムだ。民間ユーザーが利用できるが、軍用にも利用でき、これは明らかに、ロシアとウクライナが、多くの軍事技術標準を同期させる予定であり、両国の防衛協力を広く拡大することを意味している。

ロシアとウクライナにおける経済近代化と、知識集約部門における連携強化を追求することで、二国間のより深い科学的協力が促進される。そこでは、既存の研究開発潜在力を、現在の経済ニーズに適応させることが主要な課題と見なされている。

長期的なロシア-ウクライナの計画では、本格的な共同原子力発電プロジェクトが重要だ。ロシアがウクライナに新たな原子力発電能力を建設し、ウクライナが、世界中の原子力発電所に燃料を供給しているロシアのアンガルスク国際ウラン濃縮センターに参加することが計画されている。二国間での、初期段階では原子力エネルギー分野での、こうした経済交流は、広範な業界レベルでの統合の原点となろう。

ロシア・ウクライナ間航空宇宙産業における今後の協力は、通常の取引関係を超えるものとなろう。現在検討中の計画には、ロシア航空機製造複合企業と、世界中で有名な大型航空機のウクライナ、アントノフ航空機製造会社の合併がある。

概して、ウクライナ政府は、多くの場合ウクライナがロシアとともに共有していた、かつての統合された技術的連携の再建こそが、産業を維持し、現代化し、またイノベーションの消費から、イノベーションを生み出すことへの移行の機会をウクライナにもたらし得る唯一の戦略であることを理解している。

メドベージェフ-ヤヌコーヴィチ・サミットは、ロシアとウクライナの関係で、人道的な側面おける新生面を切り開くことが期待されている。現在のロシアとウクライナが、統一された国家、ロシア帝国とソ連邦という立場の枠組みで共存していた時代である、XVII-XX世紀における両国の共通の歴史研究に重きがおかれている。ウクライナのドミトロ・タバチニク教育科学相は、新しい歴史教育カリキュラムや教科書が、ロシアの協力を得て作成されるべきであり、学校や大学のカリキュラムで、ロシア文学は外国文学とひとくくりにされるべきではないという見解を述べた。

ロシアとウクライナ指導者による国際政治に関する共同声明が、サミットの目玉になることは確実だ。キエフは、クレムリンの政策でも上位にある構想、メドベージェフ大統領によるヨーロッパ安全保障条約提案に立ち戻るだろうと伝えられている。二人の指導者は、他の多くの国際政治問題に対しても協調的な立場を示す可能性が高い。

5月15日、ウクライナのマスコミは、ロシアのD. メドベージェフ大統領キエフ訪問時に、少なくとも更に三つの文書が署名される予定だというニュースを報じた。しかも、来るサミット用に、およそ10-12の文書がモスクワで準備されている情報まである。

壮大な目標と調印予定の目ざましい諸条約は、過去二十年間で初めて、ロシアとウクライナが、二つのスラブ国家にとって自然な、本当の戦略的協調と、信頼し合える関係に向かいつつあるという事実の反映なのだ。

ヴィクトル・ピロジェンコ

記事原文のurl:en.fondsk.ru/article.php?id=3036

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ロシアのマスコミ報道、必然的に、自国政府の方策についての自画自賛となるだろう。それが公営であれ、私営であれ、広報機関の使命なのだろう。日本のマスコミ、一体、誰の代弁をしているのか考えていただく参考になれば幸い。日本のマスコミ、少なくとも小生のように貧しい庶民の意見は書いてくれない。

基地問題にかかわる日本のマスコミ報道、沖縄発を除けば、自国民ではなく、宗主国目線のものばかり。たとえば、沖縄嘉手納道の駅に数時間いるだけで、植民地状態はわかるだろうに。

「沖縄に基地をおいてもらうしかない」と、友人の自民党員や民主党支持者は言う。彼ら自分は何も負担しないのだから、好きなことが言えるだろう。彼らイラクやアフガニスタンの人々の悲惨な運命にはもちろん触れない。意見が根底から対立する人々と、友人だからと、酒を飲むのはやめる必要があるのではないかと考え始めている。戦争・戦争支援を支持するカラオケ・スナックに行くのはある種の「軽犯罪」ではないか、と以前から思っているので。酒は家で一人で呑める。カラオケ・スナックに行かなくとも死にはしない。健康にも、貧しい懐にも、確実に、良いだろう。

2010年5月14日 (金)

アメリカのマスコミはアメリカを次の戦争に導こうとしているのか?

アメリカ軍が"マスコミに埋め込まれている"

Robert Bridge

RT - 2010-05-11

 

昔は危険な戦争に向かう兵士たちに戦争報道記者たちが勇敢についていった。当世では逆に兵士たちがマスコミに埋め込まれ、ひたすら記事に付き従がっているように見える。

 

本記事は、不幸にして簡単には答えが出ない素朴な疑問をするものだ。“ニュース報道、特に次の悲惨な戦争に賛成するよう、世論を歪める危険性があるような報道を立証するため‘匿名情報源’を利用する場合、マスコミ報道は一体どこで一線を画すべきなのか?”

 

アメリカ人がイラク戦争で学んだと考えた苦い教訓は、次の戦争へと猪突猛進する前に、アメリカの政治家やマスコミ機関が我々に与えてくれる情報に、質問、質問、ただ質問をすることが肝要だということだった。アメリカの指導者たちに、二度と再び、連中が次の金のかかる軍事作戦の種を蒔く際、脅しの策略で、我々をだらりと眠りこませるようなこきはさせないと、我々は事実上、異口同音に叫んだのだ。だがそれも昨日のことで、世間の記憶というものは短いことで悪名が高い。かくして戦争という悪夢、またもや繰り返されつつある。

 

見当違いだった“任務完了”祝賀の余韻の中、イラクに大量破壊兵器など存在しなかったことが、恥ずかしくなるほど明白となった後、アメリカのマスコミ機構は(民衆扇動家の映画制作者マイケル・ムーアの少なからぬ支援と、彼の映画“華氏9/11”のおかげで)公に厳しく非難されて、戦争支持の主張が、決して再び腰を落ち着けこるとを許さない、とマスコミは誓った。

 

と同時に、アメリカ軍が既にバグダッドに長期間居すわった後、我々が目を離していた醜い真実を、戦争に共謀したアメリカ人たちが自由に議論した。そして、この全く無駄な行動を、“デモクラシーが機能している”のだと、我々は誇らしげに尊大に表現した。

 

現在アメリカのマスコミは、中東での次の不運な出来事を前に、ただ立ち上がっているだけでなく、素早く、パキスタンで、竜巻に伴って発生する漏斗雲へと化して、実際それに向かって、軍隊の行進を率いている。アメリカ軍の行動を新聞が精力的に問題にしていたベトナム戦争の日々とは大違いだ。そして、更なる戦争への陣太鼓が、やかましく叩かれる中、またもや、アメリカのメイン・ストリートからは、文句すら聞こえてこない。

 

こんにちは、パキスタン・タリバン

 

月曜日、ニューヨーク・デイリー・ニューズに“血の災いがおきるだろう”とジェームズ・ゴードン・ミークは書いた。“タイムズ・スクエアの無辜の人々を虐殺するため、ファイサル・シャハザードはパキスタン・タリバンによって訓練され、派遣されたことがわかった以上、テロリストに対する戦いは、最終的にどのような手を使っても良いのだ。

 

落ち着けミーク。

 

そもそも、誰が、あるいは、どんな動機で、素人っぽい爆弾を後部座席でくすぶっている花火に取り付け、タイムズ・スクエアに、自動車で乗りつけたままにしたのかを、主要容疑者、ファイサル・シャハザードが、確信をもって語るのを、警察外部の誰一人として、聞いていないのだ。

 

もしも、シャハザードが実際に南ワジリスタンの聖戦アカデミーで学んでいたのなら”と、月曜日クリスチャン・サイエンス・モニターは、正当にも問うている。“あるいは、どこか他のパキスタンの辺鄙な地域で学んでいたのなら、どうしてもっと優秀な爆弾製造者になれなかったのだろう?

 

    “シャハザードの爆破装置は、奇妙で、素人くさいように見える。タリバンの基本的な作戦教本には、爆弾について、二章があり、自家製爆弾に必要な、起爆装置の正しい製造法から、正しい化学成分に到るまでの全てを説明している。

 

記事は更に、爆弾は花火、ガソリン、プロパンガスのボンベ、そして化学肥料でできていたと語る警察当局者を引用しているが、爆弾製造原料としては、いささか風変わりなリストだ。

 

これら物質は、それぞれ、すべて可燃性が高く、危険だが、化学肥料を除いては、典型的な爆弾材料ではない。硝酸アンモニウム肥料を強力な爆薬にするには、燃料油と混合しなければならないが、シャハザードはその手順を怠ったと報じられている”とクリスチャン・サイエンス・モニターは結論づけている。

 

たしかに、1999年、学生ビザで初めてアメリカ合州国に入国して以来、パキスタンに“何度も”里帰りしていたという大学卒のシャハザードなら、もし本当に正真正銘のテロリストと一緒に訓練していたのであれば、そのような基本的技術など容易に習得していただろう。なぜアメリカのマスコミは、この明白な不条理に関して、容易には答えられない質問をしようとしないのだろう?

 

しかも、シャハザードの行為の犯行声明をしているとされる、テフリク-エ-タリバン(TTP)としても知られている“パキスタン・タリバン”が、攻撃の背後にいたのかどうか、誰にも確信がないのだ。実際、TTPは、彼の行為は称賛するものの、組織は、ファイサル・シャハザードとは“いかなるつながりもない”と記者団に対し語っている。

 

テフリク-エ-タリバン・パキスタンは、ファイサル シャハザードとは何の関連もない”同組織の広報担当アザム・タリクはペシャワールで電話を通して記者団に語った。“我々は決して彼に訓練を施したこともなく、彼が我々のところにやって来たこともない。

 

たとえ彼らが、実はそうした物事に無関係であっても、自分たちが攻撃をしかけたと、TTPはいつも主張するのだから、怪しいと思うべきなのだ。結局、テロリストの仕事ほど“悪評こと最高の宣伝”という格言があてはまるものはない。だがアメリカ合州国においては既に後のまつり。わずか数ヶ月前には話題にもならなかった集団パキスタン・タリバンが、シャハザードの未遂テロ行為の背後にいたことが、実質的にくっきりと刻まれた。

 

一方、ファイサル・シャハザード自身はいかなるテロ組織との正式な関係なしに“単独で行動した”と主張している。つまり、穏やかな言い回しをすれば、中東におけるアメリカ軍の活動に同意しない少なくともわずかなイスラム教アメリカ人が存在すると考えて間違いなさそうだ。2009年11月30日に単独行動し、13人の兵士を殺害し、30人を負傷させたフォート・フッドの銃撃犯イスラム教徒ニダル・ハッサンの場合、まさにそうしたシナリオを実際既に我々は体験している。

 

最後に、ファイサル・シャハザードをパキスタン・タリバンと結びつける実質的証拠を、アメリカ・マスコミは事実上全く提供していない。アメリカにとって、空想ではなしに、事実が必要な時に、彼らが入手する最善のものと言えば、マスコミに、これを信じるべきだとばかりに語る“匿名の情報源”の言葉の絶え間ない流れだ。そこで、またもやアメリカ人は、愚劣極まりない理由で、次の戦争に加担していることに気づくことになりかねない。もっとも重要なのは、マスコミ社会の誰一人として、多少の基本的事実確認に気をつかおうとしていないことだ。

 

シャハザードがしようとしていたことに、彼らが関与していたことを私は安心してお話しできる”日曜日、NBCのインタビュー番組で、エリック・ホルダー司法長官は語った。これは、皆様方、生身の人間が発したシャハザードに対する最も決定的な非難であり、パキスタン・タリバンに肉体を与え、生まれ変わらせたことになるのだ。それから先の話は単なる推測で、大多数が“匿名の情報源”のものだとされている。これによって“報道の自由”には、もともと意図されているのと全く違う意味が与えられることになる。

 

パキスタン・タリバンや、ファイサル・シャハザードや、オサマ・ビン・ラディン自身より突然格好よく見えてきた人物、TTPの指導者ハキムラー・メフスードについて、アメリカのマスコミは無数の不可解な情報源をかき集めている。

 

タイムズ・スクエア爆弾容疑者のファイサル・シャハザードはTTPとつながっていたと捜査当局は考えている”とCNNは報じ“ある警察幹部と、あるアメリカ諜報機関の職員は語っている…あるパキスタン・タリバンの集団は…

 

‘彼はパキスタンで援助を得たのだろうか? そう、彼は援助を受けたのだ’”と当局者は自問自答して語った。‘当局者は、シャハザードが、なんらかの訓練を受けたと考えていると語ったが、訓練が、特にタイムズ・スクエア爆撃の企みのためだったかどうかは触れなかった

 

別の匿名出所の例として、ニューヨーク・タイムズは“あるアメリカ諜報機関幹部”が“連中は爆弾製造者や、人員をやりとりしている…これは魔女の秘薬のようなものだ。”と語ったのを引用している。

 

もしも読者が、特に本件に関し、他の記事を検証する手間をかけられれば、即座にはっきりするだろう圧倒的多数の政府当局者、警察や他の明きらかな高官たちが、あたかも記者自身が連中を思いついたかのごとく、記事中に、決まったように、出所の明示もなしに引き合いにだされる。世紀の大記事になるかもしれないものの報道に、こうした手抜きのやりかたは到底許せるものではない。

 

しかし、もう一つ容易に特定可能な問題もある。

 

第一に、こうした見当違いの人物、つまり、テロリストが、長い公開インタビューで、言い分を語るのを、我々が聞くことが重要だろう。ところがテロリストとされる連中の一人たりとも、リチャード“靴爆弾犯”レイドも、クリスマスのデトロイト空港での253便爆破未遂事件犯アブドゥル・ファルーク・アブドルムタラブも、あるいは尋問担当のアメリカ人によって何百回も“水攻め”され、最終的に自白をするに至った、9/11攻撃の首謀者とされているハリド・シェイク・モハメッドさえも、アメリカ人に対して、言い分を発言する機会は与えられていない。テロとの戦いでは、非公開の軍事法廷が最新流行となっており、この陰気な傾向はずっと続くもののようだ。

 

現在も、一部は依然グアンタナモ湾拘留センターで、法的代理人もなしに朽ち果てつつある拘留された‘テロリスト’たちから、なぜ我々は一言も言い分を聞けないのだろう? アメリカ人が、アメリカ以外の国際社会とともに、これら危険人物から何かを聞くことが、何らかの公判手続き、捜査や、対テロ戦争を本当に危うくするものなのだろうか? 対テロ戦争で使われている自白を引きだすための拷問等の、極秘で極めて反民主主義的な戦術を考えれば、これは我々の権利だろう。

 

現在我々が読み聞きできる唯一の話題、パキスタンにおける“戦争への取り組み”強化ばかり。

 

週末“バラク・オバマ大統領の政権によって、アメリカ合州国中央情報局(CIA)に与えられたパキスタン部族地域における無人飛行機攻撃拡大の承認は、アメリカによるパキスタン国内での宣戦布告も同様だ”とアジアン・タイムズは報じた。“強力な戦闘員集団の基地であり、アルカイダの本部がある、北ワジリスタンでの総力戦を遅らせるため、パキスタンが、ちょっとした休憩時間を稼ごうとしていた時にこの出来事が起きた。

 

さらに記事はこう書いている。“CIAは…たとえ彼らの正体が不明であっても、下級の戦闘員に対する無人飛行機による攻撃を強化する権限を与えられた。オバマは以前‘標的となる幹部テロリストを抹殺する’には無人機攻撃が必要だと語っている。

アフガニスタン国境近くのパキスタン、北ワジリスタン部族地域で、アメリカの無人飛行機によって少なくとも10人の戦士が殺害されたと、現地の当局者は語っている”とBBCは報じている。

 

    “ニューヨークでの自動車爆弾未遂事件とパキスタン・タリバンのつながりを見て以来、アメリカはパキスタン政府に対する圧力を強化した。

 

これは余りに好都合に過ぎるという人々もいるだろう。

 

Robert Bridge, RT

 

記事原文のurl:rt.com/Politics/2010-05-11/us-media-america-war.html

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元記事、見ざる・言わざる・聞かざる三猿の絵が添えてある。

 

See no evil, hear no evil, speak no evil.

 

普天間飛行場の移転を巡り、徳之島に「500人規模のヘリコプター部隊の訓練」の場の移設を想定している伝えたという、今日の記事を読んで思い出した。

 

「WikiLeakが発表したような戦闘」訓練の場ではないのだろうか?

 

ビル・トッテン氏の素晴らしいコラム記事の一部を再度掲載しておこう。


No.908 日米安全保障条約 の末尾部分。

 

条約の内容を議論もせず、なぜ政治家やメディアはアメリカが同盟国として日本を守ってくれるといい続けるのだろう。そして沖縄の基地問題、自然破壊、米軍による犯罪を他人ごとのように放置しつづけるのだろう。

 

「あやまちはくりかえしません」という誓い、本当のものにするには、そうした基地を認めない行動が不可欠だろう。呪文をいくら繰り返しても物事は変わらない。呪文だけなら「あやまちをすでにくりかえしています」

 

吉田敏浩著『反空爆の思想』「小見出し」も思い出した。文中太字になっている。

 

アフガニスタンとイラクの戦争被害者への間接的加害者である日本人 30ページ

厚木基地の滑走路はイラクに通じている 32ページ

 

「アフガニスタンとイラクの戦争被害者への間接的加害者であることをやめよう」ということは、属国日本では犯罪だ、と属国裁判所が言ったのだと、今日のビラまき判決、独断で解釈している。

 

宗主国・属国の支配者にとっては、ひたすら黙って、沖縄に基地を押しつけ、アフガニスタンとイラクの戦争被害者への間接的加害者でありつづける日本人こそ良い日本人。

 

そういう日本人の兵士が「丸腰でアフガニスタンにでかければ平和をもたらせる」という伊勢崎教授の意見、全く理解できない。想像上の大魔術ではあるだろう。昔、キオの魔術というのがあった。

 

スーパのビラのため講読している新聞、日本の経済破壊の張本人やら、基地必要論者の文を載せている。チャルマーズ・ジョンソン氏や、ガバン・マコーマック氏のような方々の文章、決して載せない。スーパーのビラなしでは、貧乏生活がたちゆかない。

 

日本のマスコミは日本を次の戦争に導こうとしている。 アメリカ国軍が"マスコミに埋め込まれている"

 

以下は余談:

 

5/11夜から5/12昼まで、良くわからない理由で(前回とほとんど同内容ゆえ繰り返さない)このブログ、突然に再度使用不可になった。

 

何の理由説明もなく、5/12の昼頃、またもや突然使用可能になった。二度あることは三度ある。それも何時あるのか全くわからない。この記事公開直後に閉鎖される可能性もある。

 

今度は「永久閉鎖」だろう。運営側の都合で止めるのだから、なんともならない。ご興味を感じられた記事が万一あれば、ご自分でお手許に複写されるようお勧めする。

 

不思議なことの一つ。人気記事ランキングで10位になった記事「NATOに日本を組み込む」リンクが何故か間違っているため、クリックしても「ページが見つかりません」という表示が出て、記事にたどりつけない。なぜなのか質問したところ、意味の良くわからないご返事を頂いた。その後、間もなく閉鎖処分を受けた。まるで、カフカの『審判』。

 

結局、ブログも、マスコミ?の変種なのだろうが、突然の閉鎖を心配せずに済むブログ運営組織、どこかにないものだろうか?

日本のブログ、中国のネットや北朝鮮宣伝放送を、本当に笑える開放度だろうか?

2010年5月11日 (火)

「インビクタス」ネルソン・マンデラへのクリント・イーストウッドの無批判な賛歌

Hiram Lee

2010年3月18日

インビクタス

反アパルトヘイト闘争におけるその役割ゆえに、30年間近く獄中ですごした、ロベン島にある監獄からの、ネルソン・マンデラ釈放20周年記念より、わずかに早く公開された、クリント・イーストウッド監督による「インビクタス」は、アパルトヘイトの後、人種的緊張を克服しようとした南アフリカ人指導者と彼の努力への賛歌だ。映画の主役、モルガン・フリーマンとマット・デイモンは、いずれもその演技でアカデミー賞候補にノミネートされた。

インビクタスが始まると、新たに選出されたマンデラ大統領は、人種的緊張で分裂した国家と向き合うことになる。統合された社会への移行は始まったばかりで、しかもその課程は困難なものだった。

白人の南アフリカ人に対し、長年のアパルトヘイト支配への報復としての偏見を、彼の政権が抱いてはいないことをなんとか示めそうと、マンデラは、元大統領デ・クラークのスタッフに、自分の政権にとどまってくれるよう依頼する。全員黒人のマンデラ警備陣にも、デ・クラーク警護隊の白人職員が参加する。“ちょっと前までこの連中は俺たちを殺そうとしていたんだぞ”黒人ボディガードの一人は文句を言う。“寛容が魂を解放する”とマンデラは答える。

マンデラの党、アフリカ国民議会(ANC)が、他のあらゆる南アフリカ・スポーツ・チームでそうしたように、南アフリカ・ラグビー・チーム“スプリングボックス”の名を“プロテア”に変更しようと動き出すと、そうはさせまいとマンデラが踏み出す。チームと そのエンブレムは、黒人の南アフリカ人たちから、アパルトヘイトの象徴として嫌悪されていたが、白人南アフリカ人の間には多くの熱狂的ファンがいるのだ。マンデラは、このチームからその名前と色を剥奪すれば、国内の緊張が激化するだけだと考えた。

“民衆”はスプリングボックスが嫌いなのですと言われて、マンデラは答える。“この場合は民衆が間違っている。”彼はスプリングボックスの主将フランソワ・ピナール (マット・デイモン)と会うと決心する。二人の会話の中で、マンデラは、むしろ謎のように、ピナールに任務を与える。南アフリカは、1995年のラグビー・ワールドカップを主催することになっている。もしも黒人と白人の南アフリカ人両方が一緒に応援するようにして、スプリングボックスがカップで優勝できれば、アパルトヘイトの傷を癒すための大きな一歩になるだろう。

その後、チームの勝ち進む力が疑わしくなると、19世紀のイギリス詩人ウイリアム・アーネスト・ヘンリーの詩“インビクタス”の写しを、マンデラがピナールに激励として渡す。映画は、追い詰められたチーム・メンバーが、マンデラに与えられた任務を実現しようと苦闘する姿を追う。

アパルトヘイトから変化してゆく南アフリカ、そして、その課程におけるマンデラとANCの役割を批判的に検討する映画なら大歓迎だ。そのような映画、作家や映画監督にとって、劇的可能性として絶好の機会となるだろうに。不幸にして、これはそういう映画ではない。

インビクタスが、観客に対して与える衝撃は驚くほど僅かだが、これは、イーストウッドが、アパルトヘイト後の南アフリカと深く関係している最も重要な疑問に取り組むことができず、より深く掘り下げ、こうした条件下の生活や、マンデラとANCの政策について、何か最も重要なことを明らかにしそこねたことがその大きな原因だろうと言わざるをえない。貧しい南アフリカ人が直面する社会条件、彼らの怒り、彼らの希望、彼らのフラストレーションについての描写が余りに僅かで、マンデラとピーナールの“運命”描写が余りに過多なのだ。

束の間かいま見る郊外の黒人居住区、最も衝撃的なレベルの貧困がはびこっている場所は、映画の主人公達がわずかな時間だけとおり過ぎる舞台セットのレベルを決して越えることがない。言い換えれば、インビクタスの中には、世界の重さが見いだせないのだ。

この映画は、マンデラを巡る神話を作り上げようとする、もう一つの試みだ。とはいえ、この作品を特にそうした狙いを追求しようとしたものと見なすのは、おそらく誤りだろう。イーストウッドは、単にマンデラについての公式説明を受け入れ、そこから話しを進めただけなのだと言う方が、より正確だろう。イーストウッド映画のマンデラは、悪いことをするはずのない偉大な政治家で、人の手を借りずに、何十年も分裂していた国を一体化させた、先見の明をもった南アフリカの救済者だ。彼は聖人なのだ。

南アフリカの人種差別主義者による弾圧に対する戦いで果たした彼の役割ゆえに、マンデラが、多くの人々によって、今後長い時間、高く評価され続けることは間違いない。1948年以来、反アパルトヘイト運動で活動してきたマンデラは、1960年代初期には、ANC軍事組織の指導者として、人種差別主義の国民党政府に対し武器を取って戦うことも辞さなかった。

CIAの支援を得て、国民党政府は、1962年にマンデラを逮捕し、1964年に終身刑を言い渡した。1990年に釈放されるまで、マンデラは27年間牢獄で過ごした。彼が無事に生き延びたのは素晴らしい事だ。彼を牢獄から釈放させるキャンペーンは、虐げられた南アフリカ人との団結と、国民党政権の残虐な政策への反対のほとばしりとなって、世界中で何百万人もの人々によって支持された。

アパルトヘイトに対するマンデラの一貫した、往々にして勇気ある戦いゆえに、多くの人々が、マンデラを英雄と見なしてはいるが、マンデラとANCの綱領は、決して南アフリカ人や国際的な労働者階級の綱領ではなく、国民の大多数の権利を擁護することはできなかったという事実は変わらない。ANCの綱領はブルジョア民族主義者的性格のものであり、“非ヨーロッパ人”資本家を権力につけることを要求していた。

現在の南アフリカの状態が、ANCと彼らの綱領の本当の性格を明らかにしている。ANCの支配層エリートが成功する中、貧者と労働者階級の国民は苦しみ続けている。World Socialist Web Siteが、マンデラ釈放記念にまつわる最近の記事で触れたように、“最新の数値によれば、国民の約70パーセントが法定貧困レベル以下で暮らしている。現実的な推計によれば、失業は労働人口の約40パーセントに達している。同時に、社会の裕福なメンバーは、年間収入が50パーセントも増加した。

“異なる民族集団の間で、また同一民族集団の中で、社会的不公平が深まった。黒人南アフリカ人の大多数は依然貧しい生活を送っているが、与党アフリカ民族会議(ANC)のトップにたつ僅かな少数派は億万長者となり、アパルトヘイト体制下で南アフリカを運営してきた裕福なエリートたちに加わった。” (http://www.wsws.org/articles/2010/feb2010/pers-f15.shtml)

これらの事実からだけでも、インビクタスで描かれる時期や出来事に対し、より批判的な取り上げ方が要求されているように思われる。イーストウッドが人種差別反対に関し、誠実であることは間違いないが、芸術家には、より深く掘り進め、物事の表面下にある真実を浮き彫りにする責任がある。映画はマンデラを傷つける必要などないし、実物以上に持ち上げる必要もあるまい。欲しかったのは、正直で批判的な描写だ。

映画中で、国家主義的な連帯に基づく結束として、愛国的なプライドの象徴を中心に、黒人と白人の南アフリカ人を団結させる、というマンデラが提案した計画は、映画制作者による批評の対象とはならない。スプリングボックスの最終的な優勝が、あらゆる人種の貧しい南アフリカ人の苦難を和らげる為には何の役にも立たなかったという事実は、見過ごされたか、無視されている。優勝は、たとえ短時間であるにせよ、国民を良い気分にさせたのだが、明らかに、それが重要だったのだ。

インビクタスのハッピーエンドは、むしろ空ろに響く。映画は、スプリングボックスがカップで優勝した後、黒人と白人の南アフリカ人が街路で一緒に祝うところで終わる。マンデラは、リムジンの外の雑踏する街路を眺め、目にしているものに微笑みながら、車でスタジアムを去る。画面に写らずにフリーマン演じるマンデラが“インビクタス”の詩、末尾数行を朗読する。“門がいかに狭かろうと/いかなる罰に苦しめられようと/私が我が運命の支配者/私が我が魂の指揮官なのだ”困難をものともせず、マンデラは天命を実現させたのだ。

もっと真剣な映画制作者であれば、スプリングボックスの輝かしい優勝の直後から物語を始めて、ラグビー試合によって統合されたはずの国で、日々、月々、そして年々、何が起きたのかを問うただろう。マンデラとANCが、正確には、一体どれほど国民を“癒してくれた”のだろう? 残念ながら、その話は完全に欠落している。イーストウッド、現実の出来事を題材に、ほとんどおとぎ話へと変容させたのだ。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/mar2010/invi-m18.shtml

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サッカーFIFAワールド・カップ日本代表選手23人が発表された。

はるばる応援に出かける皆様のご無事をお祈りする。

南アフリカ大会は、2010年6月11日から7月11日。

ネルソン・マンデラ釈放20周年は、2010年2月11日だった。

wsws.orgに掲載された順序と逆に、前回翻訳した『グリーン・ゾーン』で主役だったマット・デイモン、こちらにも登場。

    • 音楽が非常に苦手な人を称して「音痴」という言葉がある。

    • 運動が非常に苦手な人を称して「運痴」というだろうか?ちなみに、「うん、国債」というCMもある。コピー史上に残る、名作か迷作。

小生は後者で、運転教習所の先生方に、死にたくなければ車に乗るなといわれ挫折したほどであるゆえ、この映画全く知らなかった。スポーツ・ニュースが始まるとテレビを消している。スポーツ欄は基本的に読まない。意味がさっぱりわからないからだ。野球のルールも知らない!

blogに書かれている皆様によるインビクタスの感想、拝見すると絶賛また絶賛。悲しいかな、少数派には理解ができない。

選挙のたびに、有名スポーツ選手が続々自動的に与党(かつては自民、いまや民主党や、こけろみんな、満身創痍党等々)の議員になるのを見るにつけ、スポーツ嫌い(正確には体育会系嫌い?)こうじるばかり。

今日も大物選手が偉大な政治家に説得され出馬する大ニュースを聞かされた。

「英雄的なスポーツ選手など皆無だ」というつもりはない。世の中広い。

「プラハの春」時、ソ連の侵略・支配に反対し、ドゥプチェクらを支持する「二千語宣言」にエミール・ザトペックやベラ・チャスラフスカ等有名選手も署名した。署名撤回を拒否した人々、ソ連崩壊まで極めて苦しい生活を強いられた。そこまで覚悟して声明に署名したのだろう。

日本にも、沖縄基地、安保問題で、与党・エセ野党に反対する「英雄的」スポーツ選手、おられるのだろうか?

そこで一句。

わが抱く思想はすべて運痴に因するごとし初夏の風吹く

似たセリフ「デトロイト航空機テロ事件」記事末にも書いた。

悲しきトラウマ。

「初夏の風」といえば、川上澄生作品を思い出す。素晴らしい言葉と絵。

鹿沼市立川上澄生美術館にある作品、見られるのは時期限定らしいのでご注意を。2010/5/11時点では美術館web冒頭に、この作品がある。

大物選手出馬ニュースで、すっかり気分が落ち込んだが、五十嵐仁の転成仁語

5月10日(月)本家イギリスで明らかとなった小選挙区制の問題点

を拝読して、気分回復。

皆様が絶賛される大政治家氏が率先して小選挙区制や政党交付金制度を導入したのだ。ソマリア派兵を進める長島昭久議員を防衛大臣政務官にしたのも彼の采配だろう。アメリカ様にもの申せる政治家は彼一人だそうだが、基地問題については黙して語らない。

こぞって小選挙区導入の提灯持ちをした日本のマスコミ、もちろん、こうした視点には決してふれず、たけのこ政党宣伝ばかり。

2010年5月 9日 (日)

『グリーン・ゾーン』: こわごわと提示された余りに遅すぎる疑問

Jane Stimmen

2010年3月19日

監督:ポール・グリーングラス、脚本:ブライアン・ヘルゲランド、ラジブ・チャンドラセカランの著書に基づくもの

イギリス生まれのポール・グリーングラスが監督した映画『グリーン・ゾーン』は、ラジブ・チャンドラセカランによる2006年の本『インペリアル・ライフ・イン・ザ・エメラルド・シティ』=エメラルド・シティーでの帝国の生活、邦題は『グリーン・ゾーン』)に“ヒントを得た”と言われている

全米図書賞候補となった『インペリアル・ライフ』は、2003年のイラク侵略準備と、侵略直後の余波を描いている。舞台裏の有力者たちや、テレビ・カメラの前に立っていた連中の役割と狙いを暴き出している。

インペリアル・ライフ』は、アメリカ国務省とペンタゴンとの間の権力闘争、えこひいきに基づく人事、秘密主義、賄賂、儲かる契約、アメリカ当局者が語った嘘、バグダッドとイラクの住民全体に対する戦争の影響を詳しく述べている。チャンドラセカランの著書の中で主役になっていないのは、悪名高い“大量破壊兵器”(WMD)捜索だ。ところが、これが映画の焦点なのだ。

この本の映画タイアップ版に描いた「まえがき」で、グリーングラス監督 (『ブラディー・サンデー』、『ボーン・スプレマシー』、『ユナイテッド93』、『ボーン・アルティメイタム』)は、2004年に、イラク戦争にまつわる有望な映画を考え出そうとして大いに苦闘し、ほとんど希望を失いかけていたことを物語っている。彼は思考過程をこう説明している。“もしも我々が、ごく普通の軍人、戦争の開始と同時に、WMDがそこにあると信じて、イラクに入る優れた主人公を作り出し、彼が正しい理由と信じていたものを探す様子や、戦争前の諜報情報が全く根拠のないものであったことを次第に理解し始めるところを追うことができれば、思わず引き込まれるような遍歴の基盤ができるのではないだろうかと思いました。彼は我々全員を代表することになり、彼の真相究明は我々自身のものとなるでしょう。”

これが、違法な侵略後、アメリカの占領が本格化していた2004年時点のグリーングラスの発想だ。世界的におそらくは史上最大であろう大規模な抗議運動が2003年には起きていた。WMDに関する主張など、ずっと前から計画されていた作戦である、サダム・フセイン政権の打倒と、イラク・エネルギー資源の確保の口実に使われたものであることは、世界中の何百万人もの人々は皆知っていた。

既得権益を持っていて、ブッシュ政権の主張を信じることを選んだ連中が、アメリカ軍と政府にいたことは疑うべくもない。だが、一体どのようにして、そのような“ごく普通の人”が“われわれ全員”の代表になれるのだろう? もしも、グリーングラスが、もったいぶらずに、アメリカの主張の虚偽を指し示すような、あらゆる証拠を無視したのであれば、彼はそう発言すべきなのだ。彼の説明は、そもそもの発端から、極端に低いレベルで、自分の映画を売り込んでいることを示している。

グリーングラスは次に、2006年に、自分が、どのようにしてチャンドラセカランの本を貰い、あれよという間に、解決を求めるべき場所が明らかになったことを語っている。“『インペリアル・ライフ・イン・ザ・エメラルド・シティ』を読み終えるやいなや、これが行き詰まっていた私たちの映画を解き放ってくれるだろうと気がつきました。”実際、明白にグリーングラスは、本から過剰に抜き出してはいないものの、本は確かに、イラク戦争に対する現実的な手法への一定の基礎となっている。グリーングラスがチャンドラセカランの本から引きだしたものは、ある種の印象を残している。

グリーングラスのアクション映画『ボーン』シリーズのスター、マット・デイモンが、前評判が非常に高いWMDを見つけ出すことが任務であるロイ・ミラー上級准尉を演じる。その芸歴が、悪者を射殺した後でさえ人好きのする人物でいられるという能力によっているデイモンは、この役に、ある種、意図的な当惑をもたらしている。構成要素として、一種限定された意味で、これは適切だろう。

匿名の情報源が主張する現場で、WMDの隠匿場所を封じ込めるという、極めて危険で、究極的に不毛な任務につく、ミラーと彼の部隊を追うこととなる。それが、“マゼラン”という暗号名のある人物からの諜報情報に基づく、偽の手がかりであることがわかり、ミラーは正当にも、彼と仲間の兵士が送りこまれる危険に激怒する。ある記者会見で、彼はフラストレーションをあらわにし、CIAのマーチン・ブラウン(ブレンダン・グリーソン)とペンタゴンのクラーク・パウンドストーン(グレッグ・キニア)の二人の注意をひく。

この二人の男も、それぞれの所属部門も、互いに反目しており、ミラーが一体誰を信じるべきか、すぐにははっきりしないのだが、間違った諜報情報は、ある信頼すべき筋から出ているという、パウンドストーンのお世辞たらたらの主張で、それも間もなく、明らかになる。ミラーはこう言われて苛立ち、ブラウンに向かって、いつだという。別の無駄な捜索で、とらえ所のないWMDにまつわる真実を明らかにするのに役立つかも知れないと思える資料を、彼は手に入れることになる。

グリーングラスの映画では、CIAが信頼に足る組織と褒めちぎられていることが多くを語っており、ほとんどブラックユーモアとして笑える! これは映画中の、多くの混乱を招く要素の一つに過ぎない。よじれたカメラ・アングルと、手持ちカメラのギクシャク感が(この監督のトレードマークの一つ)一部で、意図的な不安感を生み出している。

“ごく普通の”イラク人として提示されるのは、“国を助けたいだけなのだ”と語るイラン-イラク戦争の退役軍人で、WMD現場と疑われる場所の近くで行われている、ある重要な会議に関する情報だけを伝えようとした後、ミラーの通訳となるフレディ(ハリド・アブダラ)だ。フレディーは唯一本当に共感できる人物であり、マゼランを見つけ出そうとして、場所から場所へとミラーと急いで移動するフレディーを演じる上で、アブダラは立派な仕事をしている。

様々なメンバーが絡む幾つかの追跡場面がある。良いアメリカ兵士が、悪いアメリカ兵士によって追跡され、様々なイラク人が、様々なアメリカ人に追跡され、あるイラク人が、違うイラク人、様々なアメリカ人や別のイラク人に追跡される。アメリカ軍によって、バグダッドの不幸な住民の上に雨あられとふりかかる、行き当たりばったりな突然の蛮行を描きだそうという、グリーングラスの称賛すべき努力を含め、幾つかの場面は際立っている。追跡の中で何軒かのアパートに入り込むが、多数の無辜の傍観者たちがアメリカとイラク軍兵士双方によって撃ち殺される。

また、追跡の合間に、ニュース報道や出来事の断片が挿入される。ブッシュの悪名高い“任務完遂”演説や、突然で性急なイラク軍解散等々。こうしたものが、まとまりのない基準として機能し、アメリカ占領初期のごまかし、虚報と無能のレベルを浮き彫りにしている。

絶え間のないプール・パーティーやらバイキング料理がある、オアシス『グリーン・ゾーン』と、この堅固に防御された地域の外の、戦争で荒廃したバグダッドの地獄のような現実を、グリーングラスは対比しようとしている。どれだけ多数のフード姿のイラク人が、拘置所の中で、あちこち追いやられる光景があろうと、ゾーンの壁の内部にあるプールサイドに、どれだけ多数のビキニを着たアメリカ人女性が物憂げに、ずらり並ぼうと、残念ながら、描写は十分に維持されておらず、辛辣でもない。

何人かの登場人物は、イラク戦争へと駆り立てた実際の人物たちの見え透いた描写だ。ローリー・デイン(エイミー・ライアン)は、元ニューヨーク・タイムズ記者ジュディス・ミラーの代理だ。

ところが、この場合、芸術は現実を手本とはしておらず、映画制作者が、彼女を、特に事実確認が得意というわけではないが、真実を求めている人物として、描き出しているため、ミラーは『グリーン・ゾーン』によって、半ば名誉回復されている。余りに信用しやすいため、彼女はマゼランの情報を受け入れ、戦争の前段階で(ウオール・ストリート・ジャーナルに) WMDについての虚偽記事を書く。

戦争前のマスコミの薄汚い役割が余りにも軽く扱われすぎている。映画中の他の多くの要素同様、十分徹底的にも、真面目にも描かれてはいない。デインは、マゼランに近づかせて貰えないことにうんざりし、パウンドストーンとブラウンに、マゼランの正体に関する更なる情報を教えろと迫る。パウンドストーンは知ってはいるが言ってはくれず、ブラウンは薄々と知ってはいても、口が堅い。ある時点で、記者はデイモン演ずるミラーに名刺を渡し、何かわかったら電話して欲しいと頼む。

デインは、嘘キャンペーンの犠牲者として描かれているが、実際には、アメリカ・マスコミ、より具体的にはニューヨーク・タイムズのミラーは、公式方針を伝えることと、戦争、戦争、戦争と陣太鼓をたたき続けることに意図的に共謀していたのだ。この一つの歴史的現実が、『グリーン・ゾーン』の中で、最も明白には、そういう状況に直面した際、マスコミは真実を伝える能力がある、という幻想を強化するばかりの結論部分で、見逃されているか、取り繕われている。現実社会においては、一体何度“削除”ボタンが押されるだろうかと、我々は思いをめぐらさざるをえない。

グリーングラスの作品は、何ら新しいことを明らかにしてはおらず、既知の事柄も深く検証しそこねているため、映画全体としては、まとまりがなく、おざなりな雰囲気だ。映画は、決して、ごまかしの上辺を突き破りはせず、デーモンが演じるミラーは決して言い当てる以上のことはしない。“嘘をついたな”というだけでは十分ではあるまい。テーマは“国民は真実を知らなければならない”ということに帰着するのだが、ミラーは明白に、命令に従い、イラク占領支援を継続するつもりでいる。

アメリカとイギリスの映画制作者によって、何年も前に問われるべきだった疑問が、今や画面に登場してきたわけだ。とは言え、グリーングラスのような資金を持った別の人物によって、もっとよく考えられた、徹底的な努力が示されなかったのは残念なことだ。“我々が何故戦争を始めるのかが、いつだって大事なのだ”と誰かが叫ぶのを聞けば、束の間の満足感を味わうが、この感覚、実際に起きている他の様々なことによって、薄められてしまう。

適切に提示される、いくぶんカタルシスを起こさせるセリフは他にも多数あるが、こうした全てが、遅すぎで、微温的で、前進する方法も示唆していないものである以上、この作品、せいぜい生煮えとしか言えないものとなっている。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/mar2010/gree-m19.shtml

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とんでもないエセ広報ドキュメンタリー『ユナイテッド93』を作った監督の作品、見る気力が起きない。ハート・ロッカーと同じく、これもハリウッド「グローバル・テロ戦争」プロパガンダ映画の一つだろう。

『反空爆の思想』吉田敏浩著 NHKブックス1065の30ページを引用しよう。

アフガニスタンとイラクの戦争被害者への間接的加害者である日本人

『イラク戦争の出撃拠点』(山根隆志・石川巌著 新日本出版社二〇〇三年)によれば、横須賀を母港とする空母キティホークの艦載機はイラク戦争中、五三七五回出撃し、八六万四〇〇〇ポンド(約三九〇トン)以上の爆弾を投下した。巡洋艦カウペンスとイージス駆逐艦ジョン・S・マケインはトマホーク・ミサイルを約七〇発も発射した。三沢基地と嘉手納基地に所属するF-16戦闘機とF-15戦闘機も、クウェートにある基地を拠点にして空爆に参加した。在日米軍からイラク戦争に投入された兵員の総数は約一万人である。さらに沖縄駐留の海兵隊が二回に分けて計五〇〇〇人ほどイラクに増派され、二〇〇四年四月と二月のファルージャ包囲無差別攻撃にも加わった。
 在日米軍基地の維持経費には、日本の国費すなわち税金が使われている。提供施設地代、基地周 辺対策費、施設整備費、光熱費、水道料、労務費など、日本が負担する米軍駐留経費は年間総額六〇〇〇億円以上にもなる。つまり、日米安保条約の枠を超えたイラク戦争への出撃を認め、在日米軍基地を財政的に支えることで、日本はアメリカの戦争に加担していることになる。

「在日米軍基地や海兵隊」抑止力などではなく、帝国の世界制覇用先制攻撃の足場だ。日本語を正確に使う義務がマスコミにはあるだろう。「語彙・読解力検定」など主催する前に、自分たちの歪んだプロパガンダ言語表現をこそ改めるべきだ。

2010/3/11付けのグレゴリー・クラーク氏の文章をみつけた。
引きずる米軍基地問題

「傍目八目」という言葉、こういう場合を指すのだろう。
オーストラリア育ちの学者らしく、『オバマ対鳩山: 不平等で、違憲で、違法で、植民地的で、虚偽的な米日協定の素性』の筆者でもあられるガバン・マコーマック教授「属国」発言にも言及されている。下記の記事にもあげた、日本人の顔をしていても、頭の中はアメリカ支配層のコピーで、「安保こそ、基地こそ命」という宗主国のための属国政治家でなく、こういう方にこそ、日本人のための政治家になっていただきたいものだ。
題名は、「長引く米軍基地問題」とする方が適切ではと思うけれど。

大西洋共同体(NATO)に日本を組み込む ブレジンスキー

2010年5月 7日 (金)

タイムズ・スクエア爆弾犯、CIAが操るテロ集団ジェイシュ-エ-モハメッドと関係

ジェイシュ-エ-モハメッド とは、9/11ハイジャッカーに資金を援助したCIA-MI6スパイが創設した組織だ

Paul Joseph Watson

May 6、2010

Prison Planet

タイムズ・スクエアの自動車爆弾未遂事件で、爆弾犯人とされているファイサル・シャザードと旅行をした関係で、パキスタンで逮捕された男は、イギリスMI6とCIAが操っているテロ組織のメンバーだ。

火曜日にカラチで逮捕されたシェイク・モハメッド・レハンは、“2009年7月7日、カラチからペシャワルまで、シャザードと小型トラックでドライブしたとされていると、当局は語っている。二人は7月22日にカラチに戻った。何故二人がペシャワルに出かけたのか、そこで誰かと会ったのかは不明だ”とL.A. タイムズは報じている

レハンは、1990年代中期にその名を知られるようになった、インドとパキスタンの間で紛争になっているカシミール国境地域の攻撃にも関与していた、過激派テロ組織ジェイシュ-エ-モハメッド(モハメッド軍団?)のメンバーだ。この集団は、インドとパキスタンを、核戦争の瀬戸際にまで追いやり、双方に兵器を販売している、イギリスとアメリカの兵器製造業者にとっては、大いに儲かる緊張を生じた、2001年12月のインド国会攻撃実行も支援していた。

“インドとパキスタンを戦争の瀬戸際に押しやるのに貢献した2001年12月インド国会へのテロ攻撃は、いずれもパキスタンのISIによって秘かに支援されている二つのパキスタンを本拠地とする反政府集団、ラシカール-エ-タイバと、ジェイシュ-エ-モハメッドによって実行された”とミシェル・チョスドフスキーは書いている。“言うまでもなく、こうしたISIが支援するテロ攻撃は、アメリカの地政学的権益に役立っている。テロ攻撃は、インド国内の団結を弱体化し、破壊するのに貢献するだけでなく、パキスタンとインドとの間での地域戦争勃発を促進する条件も生み出している。”

タイムズ・スクエアの事件とのつながりで脚光を浴びつつある集団ジェイシュ-エ-モハメッドは、当時ISI長官だったマフムード・アフメド中将の命を受け、モハメッド・アッタに、アラブ首長国連邦から100,000ドルを運んだ9/11資金の運び屋であるアフメド・オマール・サイード・シェイクによって設立された。アフメド・オマール・サイード・シェイクに、ペンタゴンとワールド・トレード・センターへの攻撃用資金援助をするよう命じた、このマフムード・アフメドは、9/11日朝、ワシントンDCで、共和党下院議員ポーター・ゴスと民主党上院議員ボブ・グラハと会っていた。攻撃前後の日々、アフメドは、CIA長官ジョージ・テネットや、当時上院外交委員会の委員長で現副大統領ジョー・バイデンとも会っていた。

ISIを調査していたダニエル・パール殺害におけるジェイシュ-エ-モハメッドの関与にまつわる報道で、ピッツバーグ・トリビューン-レビュー紙は、パキスタン政府は“サイード・シェイクの権力は、ISIに由来するのではなく、アメリカCIAそのものとのつながりによるものだと考えている”と報じている。

元パキスタン大統領ペルベス・ムシャラフも 、ロンドン留学中のシェイクを、ボスニアを不安定化させる活動のために、MI6が採用したのだと主張していた。1992-1995年のボスニア紛争時、CIAはオサマ・ビン・ラディンとアルカイダが、ボスニアのイスラム教徒を訓練し、武装させるのを手助けした

2002年、ロンドン・タイムズは、シェイクは“普通のテロリストではなく、パキスタン軍と諜報機関のエリート幹部や、オサマ・ビン・ラディンやアルカイダ組織の奥の院ともつながっている。”と報じた。

2008年のムンバイ虐殺を含む無数のテロ行為や、政治的拉致への、密接な関与にもかかわらず、シェイクは、CIAとイギリス諜報機関双方により、毎回助けられていた。

要約すれば、これが、失敗したタイムズ・スクエア爆破にからんで浮上した集団を設立した人物だ。CIAとMI6のスパイだ。

“専門家たちはジェイシュ-エ-モハメッドは、未だにパキスタンの強力な政府諜報関係者とのつながりで恩恵を得ていると考えている。専門家の中には、パキスタンの統合情報局が、この集団の形成を手助けしたと考えている人々もいる”と昨日のL.A. タイムズ記事は報じている。

地政学専門家の圧倒的多数が同意している通り、パキスタンISIは、事実上、CIAの出先機関に他ならない。ISIは、CIAの承認無しには何もしない。この外国のスパイ組織には、ジェイシュ-エ-モハメッドのようなテロ集団に資金援助をし、武器を与えていたや 9/11ハイジャッカーに資金援助をしていたという事実のような悪名高い実績があるにもかかわらず、CIAは、9/11以来、ISIに何百万ドルも支払っており、これはISI総予算の三分の一以上にものぼる。

CIAがほとんど全ての中東のテロ集団に関与している以上、CIAとタイムズ・スクエア爆弾犯人との関係が明るみにでたとて驚くべきことではない。西欧の諜報機関や、西欧の諜報機関に支配されているテロ集団によって、訓練され、武器を与えられ、過激化させられ、うまく謀られて罪を犯させられたり、挑発されたりしなかったテロリストになど、出会った試しがないのだから。

記事原文のurl:www.prisonplanet.com/times-square-bomber-linked-with-cia-controlled-terror-group.html

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読者投稿が30編あるが、中に「なぜCIAをAl CIADAと呼ぶのを裏付けてくれる」というものがあった。

2010年5月 5日 (水)

メキシコ湾石油流出事故:アメリカ版チェルノブィリ

2010年5月3日

wsws.org

日がたつにつれ、メキシコ湾における石油掘削装置の爆発によってひき起こされた大災害の規模は拡大している。(公式予測の)5,000から、(数人の科学者による推測の)25,000バレルまでの量の石油が毎日メキシコ湾に押し寄せている。事が解決するまでに、何千万ではなくとも、数百万ガロンの石油がアメリカの湿地帯と海岸線に流れ着くだろう。

アメリカ・エネルギー業界で最新の産業大災害によって、既に11人の作業員が亡くなっている。今やメキシコ湾沿岸の漁業と水産物産業が何年も、おそらくは一世代という期間、操業停止となる可能性がある。地域の脆弱な生態系の破壊は回復が不可能な可能性がある。

この大災害には、掘削装置のオペレーター、トランスオーシャン社や、爆発のわずか一週間前に坑口の大作業を行ったハリバートン等のパートナーや請負業者とともに、世界最大企業の一つ、ブリティッシュ・ペトローリアムが関わっている。

この大災害をもたらした超巨大企業の一社とて何ら対策を持ち合わせていない。BPは、深海掘削プロジェクトを15カ月前に開始する際“提案している方策の結果として、偶発的な石油流出がおきることはありえない”と保障した。流出についてさえ、同社は“海岸とは距離が離れている(77キロ)し、実行される予定の対応策もあるので、甚大な悪影響は無いと思われる。”と主張した。

爆発の後に語られた様々な保証はとうてい信じがたい。当初、BPと同社のパートナーは、掘削装置は安定しており、油井は流出無しで、蓋が出来たと主張した。掘削装置が沈没し、パイプラインが破裂した後、偶発的石油流出があっただけだとBPは語った。流出の存在を認めた後でさえ、同社は流出を実際より少なめに扱おうとし、推計は再三増加してきた。ある最悪時のシナリオでは、石油流出は一日100,000バレルにまで急増しうる。

木曜日朝から金曜日夜までの間に、流出によって生じた油膜は三倍に拡大し、ほぼ1万平方キロに広がった。ルイジアナ、アラバマとミシシッピへの影響に加え、流出は、はるばるメキシコ湾岸フロリダ州を下り、フロリダ最南端の島々に広がり、メキシコ湾流が、浮遊している原油を、半島突端を越えて漂流させ、大西洋沿岸地域にまで到達させかねない。

大災害は、既にアメリカ合州国における歴史上最悪の流出となっている。もし、ある評者が“海底石油火山”と表現したものに蓋をする取り組みが失敗すれば、掘削装置が掘りあてた石油層がすっかり枯渇するまで石油流出は続きかねず、流出は確実に史上最大のものになってしまうだろう。

既に、これは“オバマのカトリーナ”だと言われ始めているが、もう一つの例えの方が、おそらく一層より多くを物語るだろう。チェルノブィリだ。1985年の原子炉メルトダウンは、ウクライナとベラルーシの広い地域を汚染し、推計50,000人の死者をもたらした。この事件は、経済的繁栄と軍事力という宣伝文句の背後で、ソビエト連邦のスターリン主義政権は硬直し、空洞化していたことを明らかにした。

スターリン主義官僚の初期対応は、大災害を隠蔽し、程度を最小限に評価することだった。ただ時間の経過につれて、災害の規模から、より広範に認知されることとなった。その過程で、この災害は、官僚主義の無能さと国民の命運への無関心をさらけ出した。

アメリカ資本主義にとって、過去三十年間は社会的、経済的、文化的、政治的腐敗の時期だ。アメリカ合州国が、世界の支配的軍事力という立場にしがみついていても、内部的腐敗はひたすら深まっている。

“政府にあれこれ言わせない”という名目で、自由市場の力を解き放ち、企業国家アメリカは略奪許可証を与えられた。一方、アメリカの社会インフラは劇的に劣化した。この事実は、2005年のハリケーン・カトリーナ時、ニュー・オリンズ堤防決壊によって極めて劇的に明らかになった。

企業エリートへの従属と、アメリカ人の福祉に対する無関心という点で、オバマ政権はブッシュ政権に匹敵する。4月20日の大災害は、掘削は絶対に安全だと主張し、石油会社への従属を行動でしめして、メキシコ湾と大西洋沿岸における海底油井掘削拡大の承認をオバマが宣言してからわずか一月ほど後に起きた。

爆発以来、政権の主要な関心は、石油独占企業に対する大衆の反発をそらすことだ。BPは、坑口操作の管理をまかされており、実質的に、犯人に犯罪現場の管理をまかせたも同然になっている。

金曜日、現場にいる政府高官である、沿岸警備隊のサッド・アレン長官は、大災害を生じた原因と見られる、この種の設備故障への計画を立てていなかったことへの批判に対し、BPを擁護した。“前例のない大惨事に対して計画を立てるのは困難だ。今回がそうだったわけだが”彼は述べた。“予期ができないことは、計画に組み込むことはできないのだ。”

このような発言がされてしまうということは、翌日の株式市場変動にばかり異常にこだわっているアメリカ支配階級のいい加減さの証しでしかない。実際、今回起きたような終局的爆発は、完全に予測が可能だったのだ。同様な事故は、昨年のオーストラリア沖での事故を含め、あちこちで起きていた。ハリケーン・カトリーナ同様、科学者たちは、ずっと前から“でかい事”つまり、アメリカ沿岸近くの深海油井からのとめどもない流出を懸念していた。

一週目、ほとんど大災害を無視したあと、ホワイト・ハウスはシャッター・チャンスを設ければ、なんとか事態は取り繕えるのではと目論んだ。ところが、オバマのメキシコ湾岸訪問は、彼も政府も、迫り来る破滅的状況を防ぐ、いかなる対策も持ち合わせていないという事実を隠しきれなかった。政権自身認めているとおり、石油流出に対するいかなる解決策とて何ヶ月も先の話なのだ。

世界中の人々は、世界経済を支配している超巨大企業の、途方もない潜在的破壊力を思い出させてくれるものを、またもや目の当たりにさせられているわけだ。世界的な金融メルトダウンから、環境の荒廃や気候変動、大量窮乏化と疾病に到るまで、大衆社会の、こうした企業利益への服従が、次から次へと大災害をひき起こしている。

企業幹部や政府幹部を含め、この最新の大災害の責任者たちは説明を求められるべきであり、刑法で告訴されるべきなのだ。何よりも、これら企業を公営で民主的に管理される事業体へと変容させることだ。差し迫った必要性は、それにより、こうした事業体の自然と社会との関係を、社会的ニーズに合致させるべく、意識的に規制できるようにすることなのだ。

(アメリカ)Socialist Equality Party政治委員会

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/may2010/pers-m03.shtml

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2008年から2009年の住宅バブル崩壊により、金融危機が起きた。
2010年4月5日に、ウエストバージニア州で炭鉱が爆発し、29人の炭鉱夫が亡くなった。
この石油掘削基地の事故が起きたのは、今年4月20日。
世界最大の「ならずもの国家」は世界最大のパンドラの箱?

おりしも、同時期に、ボリビア、コチャバンバで国際会議「世界の貧困と地球環境問題を考えるマザーアースデイ」が開催され、エボ・モラレス大統領は「資本主義は母なる地球の敵だ。」と発言している。

2010年5月 3日 (月)

日本軍、アフリカの角で、アメリカとNATOに合流

Stop NATO

2010年4月25日

Rick Rozoff

日本海軍の北川敬三二等海佐は最近AFP通信と話し、ともあれ第二次大戦後、日本最初の海外軍事基地を、アフリカの角、ジブチに開設することを明らかにした。

北川氏は海上自衛隊と呼ばれている日本海軍のPlans and Policy Section所属で、この配備の責任者だ。

AFPは、前例のない配備の特徴を強調する日本将校の発言を引用している。“これは国外で唯一の日本基地で、アフリカでは最初のものとなります。” [1]

軍事施設は、経費4000万ドルを要し、来年早々、日本軍兵士を収容する予定だ。

ジブチは、紅海とアデン湾の合流点、動乱の起きているイエメンの対岸、同様に紛争に苦しんでいるソマリア北西部と国境を接する位置にある。この国をイエメンから隔てている狭い海域は、スエズ運河、紅海、アデン湾とアラビア海を経由する、地中海とインド洋間を航行するあらゆる海上交通の通路だ。

数カ国の大国とあらゆる同盟軍、つまり、アメリカ、NATO、欧州連合、中国、ロシア、インド、イランその他によるアデン湾への海軍配備は、上記航路における民間艦船の自由通行を保証し、国連のソマリアへの世界食糧計画援助を保護することを狙ったものだ。特に、この二番目の懸念が、2008年に、この地域の軍用艦艇を所有する諸国に対し、身代金目当ての、船舶と乗組員のだ捕鎮圧を要請する、国連安全保障理事会決議1838成立をもたらした。対海賊任務だ。

ところが、アフリカに軍事基地を設置することに関する彼の国の関心を説明する上で、上記の日本海軍将校は、より直截だ。北川はAFPに“我々は海賊と戦うためと、自衛の為に、こちらに展開している。日本は海洋国家であり、20,000隻の船が毎年航行するアデン湾での海賊の増加は気がかりである。”とも語っている。

「自衛」という用語は偶発的なものではない。1947年の日本国憲法第9条は、明確にこう述べている。“日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。”

そこで、第二次大戦後の時期、日本の軍隊は、日本国自衛隊(JSDF)と呼ばれてきた。

憲法はまた明確に日本国外での軍事力の展開を禁じており、政府見解は“武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されないと考えている。”と述べている。

それにもかかわらず、冷戦後の年月で、第二次世界大戦後元枢軸国による軍事力行使に関するあらゆる禁令が無視され、[2] 2004年2月、アメリカとイギリスのイラク侵略後間もなく、戦闘に従事しない役割とは言え、日本はイラクに600人の兵士を派兵した。日本の海軍、日本海上自衛隊は、アフガニスタンにおけるアメリカの、限りなき自由作戦を支援する為に、2001-2007、再度2008年1月から今年の始めまで、燃料と水を供給し、憲法のもう一つの基本的教義、文書で集団自衛と呼んでいるものへの参加禁止に違反している。これに関する(政府見解の)該当部分は下記のとおりだ。

“わが国は、主権国家である以上、国際法上、当然に集団的自衛権を有しているが、これを行使して、わが国が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法第9条の下で許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されないと考えている。”

ところが2007年防衛白書は、“国際平和協力活動”なる条項で、更なる軍隊配備の可能性を残しておいた。

この融通無碍で曖昧な言い回しの精神で、日本は2008年にアフガニスタン戦争支援を再開し、今やアフリカ大陸に軍事基地を確保した。

後者のプロジェクトを統轄する日本人当局者は、“キャンプは我々の要員と資材を収容するために建設される。現在、我々はアメリカ軍基地に配備されている。”とも語った。北川司令は“我々はイエメン、オマーン、ケニヤとジブチに軍隊チームを派遣した。2009年4月にジブチを選んだ。”と補足した。

一年前、共同通信は、外務省当局者が、2009年4月3日“日本とジブチは、ソマリア沖における現行の対海賊任務期間に、アフリカの国に駐留する日本海上自衛隊と関連職員の行動条件と法的地位を規定する、日本軍駐留に関する地位取極に合意した”ことを確認したという発言に言及した [3]

協定は、同日に東京で、日本の浜田靖一防衛大臣とジブチのマハムッド・アリ・ユスフ外務大臣によって調印された。日本がアデン湾に二隻の駆逐艦を配備する一ヶ月前だ。

二ヶ月後、日本は、二隻の新鋭駆逐艦、4,550トンのはるさめと、3,500トンのあまぎりを、アフリカの角沖に配備した。また昨年7月 日本のマスコミは“アメリカが….日本に、本格的軍事活動を遂行するための自前の施設を建設するよう依頼し”当時ジブチに駐留していた“陸上自衛隊とMSDF[海上自衛隊]の隊員およそ150人は、空港近くのアメリカ軍の宿舎で暮らしている。”ことを明らかにした [4] 日本軍は海上自衛隊のP-3C哨戒機用滑走路と、兵舎を建設する計画を発表した。

アフリカの角における、ロシア、中国、インドとイランの艦船は、自国と他国の船舶を保護し、彼らの任務は、対海賊作戦で、所定の期間に限定されるものと理解されているが、日本とアメリカとNATO同盟諸国は、アフリカ大陸における武力紛争に使用すべく、この地域に恒久的な陸、海・空軍基地を設置した。

2001年始め、アメリカはジブチ政府と、旧フランスの外国人部隊の基地キャンプ・レモニェにアフリカ最初の主要な米軍事基地を設置する交渉を開始した。(つい最近まで、ペンタゴンはLemonierと表記していた。)

これは、アデン湾の海賊との戦いがアメリカとNATOがこの地域に展開する口実となる数年前のことだった。

ジブチは(1975年に、スペインのフランコ将軍による黙認のもと、モロッコに奪取された西部サハラを除き)1977年、フランスにより、その独立を認められたという、アフリカ大陸で最後に独立を達成した地域だ。人口は900,000人に満たない。

フランスは依然、世界で同国最大の海外軍事基地をジブチに擁しており、およそ3,000人を駐留させている。

2003年にペンタゴンがキャンプ・レモニエに転入、接収して以来、アメリカは同基地にアフリカの角共同統合機動部隊(CJTF-HOA)を設置し、アメリカ軍の全四部門、陸軍、空軍、海軍と海兵隊から、2,000人と推計されるの兵士を駐留させている。

アフリカの角共同統合機動部隊の作戦地域は、ジブチ、エチオピア、エリトリア、ケニヤ、セーシェル、ソマリア、スーダン、ウガンダとイエメンを包含しており、次第にインド洋の島嶼国家コモロ、マダガスカルとモーリシャスも包含しつつある。

以下、中略。

ソマリア沖の日本駆逐艦と、第二次大戦後の年代における、日本最初のジブチ海外軍事基地は、北米とヨーロッパの東京の同盟者たちの地政学的計画と一致している。

最も完全に具体化された計画は、北米の外に、四半世紀最初のアメリカ地域統合軍、アメリカ・アフリカ軍の創設だ。海賊、アルカイダの同盟者や他の脅威が、連中を正当化する役割を果たし終えたずっと後になって、ペンタゴンとNATOと日本は、アフリカに彼らの軍事拠点を保有するわけだ。

関連記事:省略

出典:省略

記事原文のurl:rickrozoff.wordpress.com/2010/04/26/japanese-military-joins-u-s-and-nato-in-horn-of-africa/

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非常に長い文章なので、冒頭部分と、最後の部分だけを翻訳した。関連記事も、出典も省略。関心のある方は原文を。

Plans and Policy Section、日本語がわからない。ご教示いただければ幸い。

この談話をした方は、

原文、憲法そのものと、憲法第9条の趣旨についての政府見解を混同しているようだが、大筋に影響はないのでは?

憲法解釈については、防衛省情報検索サービス、憲法第9条の趣旨についての政府見解を参照。

本原文については、既にブログmedia debuggerで、触れられている

The Voice of Russia 4/28には、下記関連記事がある。

ジブチに建設される海上自衛隊基地をめぐって

何とも、不思議なことに?日本のマスコミは全て無視。普天間の米軍基地、ジブチの日本軍基地、宗主国の戦略の中では、つながっているだろうに。

今日はおりしも憲法記念日。

憲法記念日の時期に、与野党政治家諸氏、憲法を壊せと命じる宗主国参りに余念がない。民主党、大切な国是、対米従属は「チェンジ」せず、しっかり「継続」堅持。

訪米中の超党派議員の中には、宗主国の世界制覇用基地横須賀出身(小泉進次郎・自民党衆議院議員)、立川出身(長島昭久防衛政務官・民主党衆議院議員)がいる。国民の税金を使って宗主国に貢献する面妖な方々だ。さらに、大手新聞主筆までも、同じ時期にワシントン訪問。属国の闇は限りなく深い。

ブレジンスキーの「優秀な学生」だった長島昭久議員、ブレジンスキーの指導の効果あって、ソマリア派兵を最初に国会で主張した人物。

日本経済新聞、2010/5/1

長島昭久防衛政務官は30日、米国防総省でヒックス米国防副次官と会談した。中国海軍の艦船が沖縄本島周辺の公海上を航行した問題を受けて、中国海軍の現状について意見交換。宇宙分野やサイバー攻撃対策での日米間の協力策について話し合った。前日にはキャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)とも訪米中の議員団と共に短時間、面会した。

asahi.com 2010/5/1

麻生氏は、民主党の長島昭久防衛政務官ら超党派の議員らとともに、米戦略国際問題研究所(CSIS)が主催する日米関係のセミナーに出席するため、ワシントンを訪れている。

こうした人々、沖縄を含め日本国内のみならず、はるばるジブチにまで基地を設け、自衛のための必要最小限度を超える、憲法上許されない武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣する海外派兵をし、集団的自衛権を行使しようとしている。財政が赤字で、消費税を上げる国が、どうして、はるばるジブチに基地を建設するのだろう?最近、海賊の話題はほとんどきかないが?

万一「事業仕分け」の俎上に、普天間移転や、おもいやりみかじめ予算を含め、こうした項目を続々載せてくれるなら、民主党へ投票するのにやぶさかではない。もちろん自民党でも。

某紙憲法関連記事、憲法改正という名の憲法破壊がなかなか思うように進まない、いらだちがにじみ出ている。「必ず破壊してやる」という経営陣の声が聞こえてくるようだ。

ジブチ海軍基地でみるとおり、憲法9条、既に実態はボロボロ。首の皮一枚というか、髪の毛一本で、残っている。

「1Q84」空前のベストセラーだという。小さな書店でも山積み。題名のヒントになっているであろうジョージ・オーウェルの小説「1984年」の永久戦争世界が、26年遅れで到来している今、「1984年」の方が、もう少し売れても良さそうな気がする。新訳もでている。

いくら支配者が変っても、チェンジするのは支配者層の顔ぶれだけで、民衆が搾取される状況、全く変わらないことを描いた彼の傑作寓話「動物農場」も同様。

関連記事として、2009年2月に、下記を翻訳してある。彼らの計画、着実に進んでいる。

大西洋共同体(NATO)に日本を組み込む ブレジンスキー

追記:2010/7/17 ようやく属国の広報部に下記記事が掲載された。この記事、ガセでなかったようだ。

2010/7/25 岩上安身「新聞は捕虜収容所の壁新聞」

自衛隊の海賊対策、ジブチに拠点建設へ 長期化に備え

2010年5月 1日 (土)

アメリカの戦争の隠された犠牲者: 毎日18人の退役軍人が自殺

Bill Van Auken

2010年4月28日

オバマ政権とペンタゴンが、ワシントンの侵略戦争に駆られている自殺のまん延に関して、益々防御的になる中で、毎日平均18人のアメリカ退役軍人が自殺をしている。

アメリカ退役軍人省当局者の発言を引用した驚くべき数値が、先週ミリタリー・タイムズによって報じられた。

退役軍人省は、省による治療を受けている退役軍人の自殺企図が毎月950件あると推計している。このうち、7パーセントは自殺に成功し、11パーセントが、9カ月以内に再度自殺を試みる。

自殺が一番増えているのは、イラクとアフガニスタン戦争の退役軍人たちのもので、9月30日に終わる2009年度で、1,868件の自殺企図があった。このうち約100人が自殺に成功している。

兵士の自殺の“増加”と、イラクとアフガニスタンで継続している戦争との関係は否定できない。同等の(年齢と性別を補正した)一般市民の間での自殺率は、横ばい状態のままであるにもかかわらず、軍内部の自殺率は、2001年と2006年の間で倍増した。しかも、この数値は着実に増え続けている。2009年には、160人の現役勤務の軍人が自殺したが、2008年には、140人、そして2003年には、77人だった。

自殺が増大するのは、いわゆる“対テロ戦争”が10年目を迎えようとしており、およそ200,000人の米兵がアフガニスタンとイラクに派兵されている中、全員が志願兵であるアメリカ軍の軍人であれば否応なしにあじあわされる、繰り返される戦地派兵が原因だとする人々は多い。

繰り返される派兵の効果が、イラクとアフガニスタンでの戦地勤務の間の、アメリカ本土の基地で過ごす合間、つまり、いわゆる“滞留時間”の短さによって更に悪化する。二つの戦争では、大半の場合、要員不足のおかげでこの期間は、わずか一年に限定されている。現在では、二年に近くなっているが、派兵されていた時期に味わった心理的なストレスを改善するには、少なくとも、三年必要であることが、心理学的研究によって判明している。

軍司令部は、この二つの関連を曖昧にしようと務めてきた。 先月、例えば軍医総監エリック・シューメーカー中将は、上院委員会で、兵士の自殺において、最よくある因子は“何らかの形の壊れた人間関係”だと語った。だが明らかに、複数回の派兵と、それが兵士に対して及ぼす心理的衝撃が、人間関係の断絶に到るような、破綻した結婚生活や、精神衛生上の問題の主要因なのだ。

自殺に関し、ペンタゴンに助言をしている元空軍将校で、テキサス州大学精神分析医のクレイグ・ブライアンは、現象を軍自身が行っている訓練と結びつけている。

“制御された暴力・攻撃を使用するよう、困難に直面した際の強い情緒的反応を抑えるよう、肉体的、精神的苦痛に耐えるよう、怪我や死の恐怖を克服するように、わが戦士を我々は訓練しています”と彼は今月早々タイム誌に語っている。こうした項目は、兵士が、疑わずに人を殺せるようにさせるべく設計されており、“自殺のリスク上昇とも関連しています”と彼は述べた。こうした心理的特性は“わが軍の戦闘能力に、悪影響を与えることなしに”変更することはできないと、彼は補足した。単刀直入に言うと、ブライアンによれば、自殺は一種の職業災害なのだ。“端的に言えば、軍人は兵士訓練のおかげで、自殺する能力が強化されるのです”と彼は言う。

まさにその訓練が、イラクとアフガニスタンでのトラウマ的経験とあいまって、市民社会に再度溶け込もうとしている、二つの戦争に出征した退役軍人たちの多くに対し、重度の困難さをもたらしているのだ。自殺というのは、こうした問題の、最も目につく悲劇的な指標だが、問題は他にも色々ある。

先月、イラクとアフガニスタンからの退役軍人の失業率は、14.7パーセントに達したが、アメリカの公式失業率より50パーセントほど高い。

最近の退役軍人省による推計の一つによれば、154,000人のアメリカ退役軍人が、ホームレスで、彼らの多くは道路で暮らしている。こうしたホームレス軍団の人数は、イラクとアフガニスタンから帰国する人々で、次第に膨れ上がりつつある。

軍医総監シューメーカー中将は、月曜日、精神的問題との戦いから復帰しつつある兵士に対する軍の対応の一つが“過剰投薬”だと認めざるを得なかった。

“我々は過剰投薬を懸念していると申しあげることができる”と中将は語り“使われている薬剤の満艦飾と、種類を我々は大いに懸念している。”と補足した。

ミリタリー・タイムズによる先月の報道によれば、アメリカ軍兵士の6人に1人が何らかの向精神薬を服用しており、兵士の15パーセントが、前月に処方薬を乱用したことを認めている。

シューメーカーのこの発言は、ニューヨーク・タイムズが日曜日に掲載した、コロラド州のフォート・カーソンの、いわゆる“傷病兵士療養部隊”を暴露する記事に答えて、開催された記者会見でなされたものだ。記事は、この施設や同様の施設を“'病んだ退役軍人の男女が人目につかぬ様に隔離され、処方された薬品を山の様に与えられ、下士官に厳しく扱われる絶望の倉庫”と呼んでいる。

記事の中でインタビューをされた兵士たちは、鎮痛剤を処方されたが、睡眠薬や他の薬剤と同様、その依存症になってしまったし、アルコールやヘロインは兵舎内で、簡単に手に入ると語った。ところが、ごくわずか、あるいは全く治療されていないのだ。

2007年以来、フォート・カーソンの部隊に配属された兵士の少なくとも四人がそこで自殺した。

4月16日、元陸軍参謀長で退役軍人省長官のエリック・シンセキは、退役軍人の自殺に関し、連邦議会で証言し、同様に多くを物語る数値を提示した。ホットラインは、月に退役軍人の自殺10,000通話の相談を処理していると彼は説明したのだ。

シンセキは、議会委員会で、アメリカ軍要員の二つのイメージに悩まされていると語った。一つ目は“我々のあらゆる期待をしのぐ偉大な若者たち”である新兵のイメージだ。

二つ目は、“アメリカのホームレス、失業、精神衛生(問題)、鬱病患者、薬物乱用者、自殺、の不釣り合いな割合”を占める退役軍人のイメージだ。

途中で“何かが起きたのです”シンセキは語っている。“そして我々は、それが何であるのかを解明しようとしています。”

それは、偉大なる謎などというものではない。こうした“偉大な若者たち”は、侵略戦争と植民地型占領の中に投げ込まれ、そこで恐ろしい暴力にさらされ、全国民の征服に従事させられ、必然的に民間人の男性、女性や子供を殺害することになる。こうした条件から生じた精神的、情緒的トラウマがあることを認めた人々は、のけ者、弱虫として扱われるのだ。

シンセキがワシントンで証言をしたまさにその日、イラク戦争の退役軍人で、心的外傷後ストレス障害の治療を受けていた27歳のジェシー・ハフは、オハイオ州デイトンにある退役軍人省医療施設の外で自殺した。イラクで道端に仕掛けられた爆弾によって負傷していたハフは、(アメリカ南北戦争の)北軍兵士像の足元で、自動小銃で頭を二発撃って自殺した。いとこの一人は、AP通信社に、イラクから帰還してからというもの“彼は別人のようでした”と語り、若者と一緒に暮らしていた父親は、ハフは“本当に苦しんでいました”と語った。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/apr2010/mili-a28.shtml

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2009年11月、テキサス州フォートフッド米陸軍基地で、退役軍人に対応していた精神科軍医が、アフガニスタンへの派遣命令を受け、13人を射殺した事件の背景にも、warrior transition unit(傷病兵士療養部隊=訳が見つからないので適宜訳した)があった。

この事件については、ブログ「薔薇、または陽だまりの猫」をお読みいただきたい。[TUP-Bulletin] 速報848号 米軍基地銃乱射事件:イラク帰還兵に深まる心の闇

「希望は戦争」という言葉が、昔、話題になった。今は廃刊になった雑誌に2007年1月に載った論文の題名だったようだ。

文章に驚いたが、すかさず反論した人々が、見当はずれだと揶揄されたことに、もっと驚いた。

文章をみると、「戦争が起きれば社会は流動化する」や「国民全員が苦しむ平等を」という文章がある。ごく一部、引用させていただこう。

もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。

 持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。

宗主国アメリカ、長いこと永久戦争をしているが、社会は流動化しているのだろうか?格差は縮小しているだろうか?国民全員が苦しんでいるのだろうか?持たざる者が、戦争によって得るものは一体なんだろう?

砲弾の餌食を生み出そうという大本営宣伝部隊プロパガンダ、着々進行中。

『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫) という本を大分前に購入しては見たが、人殺し訓練の説明?読む気になれず、行方不明。ベトナム退役軍人の、こうした問題も詳しく書かれていた(ように思う。)

藤永茂氏のブログで知ったシルコーというネイティブ・アメリカン作家の『悲しきインディアン』は、第二次大戦時、フィリピンで戦って、やはり神経症になったネイティブ・アメリカン、タヨの話。

この主題と直接関連する下記ビデオがDemocracy Now! Japanにある。
番組そのものは英語だが、日本語字幕がある。24分 2009年7月

戦争の地獄を持ち帰る者たち イラク帰還兵による殺人、自殺、誘拐

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