両国とも敗戦国、勝者無し-『戦勝文化の終焉』まえがき
[トム・エンゲルハート著『戦勝文化の終焉』2007年全面改訂版]まえがき
TomDispatch.com記事
1989年11月9日と2001年9月11日。前者は、ベルリンの壁崩壊最初の瞬間、『戦勝文化の終焉』刊行の6年前のことだ。後者は、本書刊行から6年後に起きた、19人が関与した民間ジェット機ハイジャックと、ニューヨーク市にあった二つの壮大なタワーの崩壊だ。11/9。9/11。この二つの日付の間に、アメリカの勝利と敗北についての考え方には顕著な浮き沈みがあった。
1991年、レーガン風表現で言うところの「悪の帝国」、ほぼ半世紀にわたるアメリカの敵ソ連が、あっけなく消滅した。ほとんど最後の瞬間まで、ワシントンの高官たちは、ソ連は永遠に続くものと考えていたので、ソ連が消滅した時、彼らのほとんどが最初はそれを信じられなかった。しかし間もなくこの出来事はアメリカ最大の勝利として歓呼で迎えられた。アメリカは冷戦に「勝利」し、史上これまで無かったような形で、本当の勝利を得たのだ。四十数年にわたる巨大な闘争は、超強力な敵の往生に終わった。
本書は、あの「戦勝」後に書かれた。広島上空での原子爆弾爆発の瞬間から、ソ連の崩壊までという、ほぼ半世紀の独特な時代は、歴史として、また(私自身が)生きた体験として振り返るべき最初の歴史時期の一つだった。私は自分がその中で育った世界の探検もした。(これからお読みいただく本には、1950年代と60年代の子供時代はどんな感じだったかについて色々書いてある。) ある種の驚異の念、当惑さえ持ってそうした。なぜなら、私の世界と人生を元気づけてくれた多くのものも、1990年代初期の日々には、私にとってすっかり終わったことのように思えたからだ。そして私は、何が起きたのか、それは何時、何故なのかに思いを巡らせた。
今気がつけば、現世紀末では(まだ)さほど明らかではないにせよ、アメリカは、不滅アメリカ至上主義と反対の側の、不可解なずっと短い期間の瞬間にある。最初、本書は冷戦終結からジョージ・W・ブッシュのぞっとする登場までの小休止期に刊行されたので、しかるべく書き改めた。
『戦勝文化の終焉』が刊行された年、アメリカ合州国は、強国として奇跡のように無類で、取るに足らない世界諸国上にそびえるものと見なされていた。アメリカは、誰も想像しなかったほど最強で、最もハイテクな、最も斬新な軍を有する「世界の保安官」 地球「最後の」超大国、あるいは最初の「超強大国」だった。海外の軍事基地ということになると、アメリカのグローバルな「フットプリント=足跡(占有面積)」は、ペンタゴンの官僚たちが間もなく使うようになった用語だが、それほど巨大なので、複数形では語れないほどだった。アメリカ合州国は、一時に片足しか地上に足を下ろす場所がないほどの巨人だった。当時のアメリカ戦略思想家たちが、やがて、宇宙の、そしてその下の俗人たちの絶対的軍事支配という最後の「宇宙のフロンティア」を夢想し始めたのも無理はない。(アメリカのフロンティアという夢は、間もなくお読み頂く通り、本書において多くの部分を占めている。)
だが実に奇妙なことに、アメリカ合州国には並ぶものがなく、敵無しなのに、小人のような悪玉連中(間もなく「ならず者国家」と呼ばれるようになった)世界の中で困惑しているようだった。戦勝を祝う美辞麗句にもかかわらず、当初のアメリカの対応は、ある意味、肉親が逝去した後に落ち込むような、困惑と麻痺の状態だった。国家、経済、そして連邦予算のペンタゴン化抑制についてのおしゃべりが、束の間マスコミに現れた。「平和の配当」が無造作に口にされてはいたが、何事もおきなかった。その間も、巨大な核戦力が任務もないまま存在し続けていた。「相互確証破壊」という長い狂った日々の後、ミサイル地下発射台は満員のままで、誰もそれに言及しようとしなかった。
第一次湾岸戦争から2001年9月11日の攻撃までの、冥界のような年月の間、不滅アメリカ至上主義の爆発は、不安と自信喪失、怒り、恨みで意見を異にする政治、かき乱されたアイデンティティとカルチャー戦争で、動揺していたのだ。そして2000年、「国造り」より「思いやりのある保守主義」のジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した。彼と共に男性たちの一団(それに若干の女性たち)が登場したが、彼等の思考は冷戦中に形成されており、アメリカの軍事力という考えにすっかり幻惑されていた。彼等はそれまでの十年間、ある種のグローバルな遍在と、偉大な冷戦を征服した国家にふさわしい全知と呼べるかもしれないものを夢見ていた。
9/11攻撃が起きると、まさに同じ高官たちが、究極の大惨事のように思われた衝撃から、驚くべき速さで脱け出し、脅えて精神的外傷を与えられた国民をおどして、アメリカ合州国を地球上の新たなローマにするはずの(ジョージ・W・ブッシュのネオコン支持者の一部がそう考えたがっている)一連の戦争、あるいはリベラルなマイケル・イグナチェフが2003年1月、イラク侵略のわずか一月前に書いていたように、「低カロリー版グローバル帝国」へと追い込んだ。その過程で彼等は、本書の焦点である、不滅アメリカ至上主義という昔からの伝統に頼ることとなった。これは私が「戦勝文化」と呼ぶものであり、それはベトナム戦争の終結までに、本質的に瓦解していたのだ。彼等は、新たな、何世代も続く「邪悪な」敵に対するマニ教的な善悪二元論の闘争における「戦勝」を約束しながら、その言語とイメージの多くを回復させたのだ。この戦争は、次の冷戦、あるいは代案として「第三次世界大戦」、あるいは「第四次世界大戦」でさえあり、更には大統領が呼ぶ通り「対テロ世界戦争」であるべきはずだった。この戦争は、アメリカの「フロンティア」(それがたまたま地球上の石油の中心地に一致したのだが)と、それにつきものの敵を取り戻してくれるはずだった。
大統領と彼の最高幹部らは、この時期、冷戦間の前任大統領たちより、頻繁に、執拗に(時として、一つの演説で10回ないしそれ以上)勝利を約束した。あれほどかたくな、かつ非常に頻繁に主張し続けることで、おそらく彼等は皆ある種の懸念を示していたのだ。結局、冷戦後世界において(前世紀の朝鮮戦争とベトナム戦争時代にあったように)、戦勝は間もなく、新たなローマの指導者にとってさえ、並外れて移り気な概念であることがわかった。ベトナムで戦った歴史学者のアンドリュー・バセビッチが、アフガニスタンとイラクにおけるブッシュの戦争を考察して言っているように、「東は西洋式戦争法の謎を解いてしまった. . . . アラブ人は今や、特に自分たちの縄張りで、自国民中でおきるあらゆる争いについて、アメリカの戦勝を拒否する能力を有し、また能力を有していることを自覚している」
この時代の歴史が書かれる時に、おそらくより特筆すべき変化は、強大な帝国が、地上のほぼどこにおいても、自分の意志あるいは自分のやり方を、当たり前のように他国に強いることができなくなったことだろう。ソビエト連邦共和国が蒸発して以来の事実として、力の指標としてこれまで最も認められていたもの、とりわけ軍事力が疑問視されるようになり、その過程で、戦勝が否定されたということがある。今現在こうして勝ち誇っていても(アメリカ軍の将軍たちはサダム・フセイン宮殿の一つで大理石テーブルの向こう側に座り、にっこり笑っていた)、明日は、それさえ、まず確実に(道端に仕掛けられた爆弾が爆発し始め、自動車を使った自爆テロが増えて)消え去るのだ。
戦勝がアメリカから去りゆく速度のもう一つの尺度として、「新たなローマ」といった言い回しや、右翼評論家チャールズ・クラウトハマーがタイム誌で語った「ローマ以来」のいかなる世界的大国より、アメリカは「更に優勢だ」という言説の類は賞味期限がかなり短かったことがある。イラク侵略は2003年に行われ、2004年始めには、アメリカ合州国をローマになぞらえることも、パックス・アメリカーナがパックス・ロマーナになれそうな見込みも消滅した。同様に、本来のアメリカ「戦勝文化」は200年ほど続いた一方、崩壊するのにほぼ半世紀かかり、その続編も、イラクにおいてわずか数年で破壊され黒焦げとなり、ブッシュ政権は自らの帝国プロジェクトの瓦礫の中に立ち尽くしている。この部分の物語については、新たなあとがきで取り上げ、第一次湾岸戦争から昨晩遅くまでの、不滅アメリカ至上主義の終焉物語について扱っている。
2006年9月11日迄には、戦勝文化は再び屈辱を受け、アメリカ合州国が新たなローマとはほど遠く見えるようになり、二カ国とも冷戦の敗者だったのではなかろうかと評者たちが思案しても許されるようになったのかも知れない。前世紀後半における二大強国のうち、より弱い方のソ連が単に最初に崩壊しただけで、戦勝という美辞麗句と自画自賛の花輪で囲まれたアメリカは、手を振って別れのあいさつすることもないまま、ゆっくりと出口に向かっているのではないだろうか? 9/11後の日々が再検討される頃には、世界的軍事優勢という野心的な計画を追求したブッシュ政権幹部は、そうとは気づかずに、アメリカ帝国の衰亡に対し、下り坂で決定的な後押しをしたのだと見られるようになるのかも知れない。
そして私たちがアメリカ戦勝文化の「余生」中で暮らし続けている今、すっかり書き改められた本書は、戦勝文化の容赦ない終焉を回顧するものとなっている。
本書について(英語記事を)読むには、ここをクリック。
記事原文urlアドレス:www.tomdispatch.com/p/victory_preface_2007
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同著者による、残り半分(あとがき)は下記。
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