はてなキーワード: 歴史観とは
「ネトウヨはすぐに他国の軍事弾圧を肯定するくせに、なぜ天安門とか六四天安門とかbioに書くのか」という話をしばしば見かける。何か妙な勘違いなのだが、ネトウヨの連中は「敵国に迷惑がかかる行為を称揚し、自国に迷惑がかかる(と思い込んでいる)行為を批難する」という点において一貫しているだけであり、何も矛盾はない。中国の現体制に対して何かしら迷惑やダメージがある現象なら何でもいいのであり、つまり軍事弾圧の是非や民主主義イデオロギーは最初から問題としていない。要は一昔前の、自由と民主主義の国アメリカがその辺の独裁国家を支援していたのと同じである(ピノチェトとかフセインとか)(パフラヴィー朝なんかは話がちょうど良い具合にややこしくなると思う)。
軍隊による民衆弾圧に親和的なのもある意味当たり前の話で、むしろ「軍人は何のために銃を握るのか」という議題に対し、少なくとも日本人の歴史観においては「国民を守るために銃を握ることはありえない。それは異常である。国体または軍隊自身を守るために銃を握るのが一般的であり、その目的達成のために国民に各種の危害を加えるのは比較的当然のことである」という認識のはずだ。そもそもそれこそが日本国憲法第九条の前提そのものではあるまいか。恐らく「普通の日本人」とやらにとって、軍隊が自国民を守るために存在し行動する、という「印象(コンセンサスと言い換えてもよいだろうか)」そのものが存在しないはずだ。それは案外、「普通の」どころか左右両翼の共通認識ではないだろうか。
確かに、明治以降の旧軍は侵略戦争か、なんとなくその場のノリでその辺の戦争に参戦するか、いずれかの経験ばかりだったわけで、直接的に国民を守るための軍事行動というのは教科書に載るレベルでは存在しない(占領地に住んでる人を守るというのも、そりゃまず占領してんだし……という話が先に来る。まあスタコラサッサと逃げた関東軍は流石にちょっと凄い気はするが)。当然、ここで元寇や災害救助の話をしても仕方ない。それは過去の話ではないのか、現代にあってミャンマーやシリアと同レベルで恥ずかしくないのか、ではない。軍隊とは本質的に恥ずかしくて危険なもの、できればこの世に存在しない方がいいものなのだ。繰り返すが9条はそういう話のはずで、ここに論理の飛躍は一切ない。
話をあえて脱線させるが、日本人は恐らく「尊敬に値する軍隊」を近現代において認知したことがなく(自衛隊は日々努力し結果も出しているものと思うが、まあ個人単位で時々変なの沸いてはいるしなとも)、また「軍隊に対する正しい尊敬の仕方」も習得していない。これらは良い手本となる先達国があるのか、またそこから学ぶだけでどうにかなるものなのか、は良く分からないが、これからでも議論はあっても良いと思う。国民に銃を向けない軍隊や近似組織は当たり前ではなく、どうにかして作り続けなければいけないものではなかろうか。「デモ中に鉄砲を掴んだら危ないぞ」ぐらいは正直それはそう程度の反射的感想でもありえるところで、大事なのはわざわざそこを起点にしてまで危険な発言をすること等を阻止することであろう。
また別の方向に脱線させれば、日本人はまた「イデオロギーの基に生きて、時々うっかりイデオロギーのために死ぬ」という生活を想像できないのではないか。国益になるなら自他のイデオロギーを問わない、というのはネトウヨの根底の(ごく一部ではあろうが)どこかにあるし、本来それ自体はあまり頭ごなしに否定するものでもない気がする。
逆に言えば、日本国民はネトウヨの「9条のせいで日本が駄目になる」という妄言を、妄言ではなく実際に真剣に実現する義務を怠っている。9条を守って国体の崩壊や日本国民の財産、生命が著しく損害を受ける事態になれば、それは国際社会において極めて重宝される歴史や教訓となるはずであり、「お国のために死ぬ」より数十段もマシな「お世界のために死ぬ」が実現するにはする。これは割と皮肉や冗談ではなくて、一国の利益がために他国を侵略するという不正義の対極である以上、国際社会はそこに何らかの価値と教訓を見出し称揚する責務が存在するはずだ(責をさぼる可能性は大分あるが)。国際社会への貢献とはそのようなものであり、できないのであれば素直に「すみません終戦時点ではアジア諸国をマジで見下していて方々に攻め入るだけの国力を持つに至るとは思っていませんでした。完全に大東亜共栄圏脳のまんまでした。これからは行きすぎない程度の暴力装置で自由と民主主義のために集団的自衛権とかPKFとかぐらいはします」と謝罪したうえで改憲議論でもしたほうがよろしい。
話をタイトルに戻せば、価値観を共有できない国とどう向き合うのか、というより「友好的に向き合ってはいけない」という、普通は世界各国と仲良くするのは良いことでは……?という直感に反するイデオロギー準拠の行動指針にどう向き合えばいいのか、(すぐ撃てばいいという話では断じてないことこそをも含め)考えなければいけない訳である。もちろん「考えなければいけない」などというみっともない文末はよろしくないのだが、これはもう完全にしようがない。
クリント・イーストウッドを「ばりばりハリウッドの大御所」って言ってる時点で歴史観がゼロだということを証明してるね。にわかと同じ。
と思ったけど、採用の経緯聞いてアウト
感情移入出来ないので「私達の侍、私達の目となる存在を、探していた」(ファミ通インタビュー記事より:サイレント削除、魚拓やスクショで証拠あり)
弥助が侍かどうかの議論はもうどうでも良いんだよ。
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信長が人身売買してたポルトガルから、奴隷の弥助を解放したのでは無く、
弥助はエリート傭兵でパートナーとして日本にやってきて信長に雇われ、たった15ヶ月で重臣になり、本能寺の変では代々仕えてきた森蘭丸を差し置いて、信長の首と刀を託されたストーリー。
日本での史実では、その後弥助は獣扱いされて見逃されているが…
海外では弥助が元奴隷、という認識が無いので、日本人の常識を話した時点でレイシスト扱いされてる。
実際、UBIソフトの社長は日本人をレイシストと呼び、その発言は現在でも撤回されていない。
ゲームの話では無いよ?ゲーム関連の話題だから勘違いしちゃった?
未だに「弥助は侍なのか?侍じゃないのか?」と定義のないものを国内で議論して言葉遊びしているが、
弥助が侍であったかどうかは、もうどうでもいい。
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慣れてる人には普通のゴア描写だけど、個人的にはめっちゃ不愉快だった。
首を跳ね飛ばすシーンとかね。
黒人が日本人を殺して回る動画みて不快感を感じるのは、差別意識かもしれないけど。
感じるものは感じるわ。
日本人が日本人殺すのはええんか?と言われそうだけど、感情はね。
動画みたら分かるよ。
https://youtu.be/n4eNqdf2HZw?si=2ZlDRQYqmZRyEV-d
分からないのはケツの穴まで黒人ちんぽに堀り抜かれたリベラルだけだね。
あと、何度も言われてるけど、歴代のゲームが現地の架空の人間が主人公だったのに、
まぁゲームだから善政を敷いてた明智を悪党にして配下の武将を殺し回るのは別に良いけど。俺は差別意識あるからさ。
日本に来て数ヶ月の黒人が福知山で偉そうに正義ぶって日本人殺してたら不愉快にはなるよ。絵面みてもね。
トートロジーでは、
表現の自由戦士は弥助擁護しろ!ってのが左翼の言い分なんだけど、だから左翼はバカだって言われるんだよ。
さんざん左翼の言い分でゲームを規制しようとしてきた流れがあって、そこに不快なゲームが出てきたら
「お前ら、これは素晴らしいゲームだ。黒人が日本人を殺し回ってもフィクションだしなんの問題も無いだろ」って左翼に言われたら
って。
で、外人はこのゲームして、圧政から黒人侍弥助が「日本人を救う」ストーリーを楽しむわけだ。
日本人が盛んに奴隷売買していたという、トーマスロック・リー歴史観に基くゲームだからね。
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『日本には黒人奴隷なんて居なかった』って日本人なら普通に信じ込んでいる常識だけど、
東京国立博物館のアンバサダーで菅総理のブレーンだったデービッドアトキンソン氏が、一般人に「エビデンスは?」って絡みに行くくらい
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だから世界的大ヒットドラマSHOGUNに黒人が1人も出ていなかった事について、クレームが寄せられた。本当の話だよ?
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ネトウヨが頑張って発信するけど、もちろん反論する日本人はレイシストか、bot呼ばわり。
本当の日本人は「礼儀正しく謙虚」だから過去の罪は認めてるし、過去に黒人奴隷売買をしていたとしても、今はしてないんだから良いじゃないか、という扱いをされてる。
アメリカとかヨーロッパも黒人奴隷を使ってたのに日本人だけを責めるな、って位置にいる。
左翼の言うところの、世界に恥を晒している日本人ゲーマーの活動はそんなに恥ずかしい?
いや、居てももう無理かもね。
redditでは弥助は侍である、という事で運営からは議論すら禁止されたけどね。
弥助は侍で確定だよ。
日本ではまだ議論が許されてるけど。海外では(redditでは)確定。モデレーターが次話題にしたら荒らしとみなしてBANするって。
実際「日本人は自国の歴史を知らない」と欧米人どころか中国人にまで言われるよ。
日本人は驚くほど自国の歴史を知りません、と。外人に日本の歴史を学ばされる。
だからアトキンソン氏も一般人を「啓蒙してやろう」と絡んで行ったんだよね。
と。
日本みたいな島国と違って、地続きなのに、「一緒には住めない」と思ったから別の国として独立してるわけで、「アイツらとは違う」という選民意識はどこの国でもあると思う。
でも、日本の場合、他国と自国の間に線を引く、他国民と自国民の間に線を引くにあたって、日本という国家や日本人という概念があまりないまま、よそ者、外人、くらいの雑なくくりで認識してる。島国で侵略を受けた回数が少ないことや、幕藩体制もその前の戦国も連邦国家だったためだと思う。
偉大な王が興した国も腐敗してグダグダになり遊牧民が滅ぼすというようなのももちろんだけど、いろんな事件や物事を、故事成語や宗教の言葉、古典文学の一節に絡めて総括したがる。
アメリカ人は、歴史に「なぜ?」を求めるけど、誰のどういう決断によってどう動いたかということに帰結させようとする傾向が強く、歴史は個人の決断が動かしたと考えてる。「そのときあなたならどういう決断をすべきか?」という歴史教育をする。
フランス人は社会全体のうねりに帰結させたがる。誰々から誰々の手紙みたいな、膨大な一次資料を歴史の授業の教材にする。フランス革命がアイデンティティなのだと思う。
日本は、歴史にifを求めないし、歴史を責めない。あちら側からしたらそれが正義で、こちら側からしたらこれも正義で、全ての出来事は仕方ない。みたいな考えに落ち着く。
イランの鼻につくところは、選民思想と歴史観が、悪魔合体してるところだと思う。それでいて、こんだけ欧米から干されてもうまいこと綱渡りしてるし、アカデミアは強いし、賢いっちゃ賢いんだろうけど、やっぱ特異的だ。
それより、日本じゃイラン人っていうと薬物関係の犯罪者が多い印象。北朝鮮やロシアといい、欧米に輸出入を禁じられると違法な物品の売買が強くなるだろうか。ならずもの国家だからなのか、欧米が締めつけるからならずもの国家になるのか、卵が先か鶏が先かだね。
n=1だし、革命前に国をでたイラン人から聞いた話だから偏ってるかもしれないが、イランの国民性がちょっと特殊。
西洋の文化はギリシャ由来で、それもペルシャの真似だと思ってる。
イランというのは、アーリア人の国って意味で、ペルシャはイランの一地方の名前。
イラン人の歴史観は、いつの時代もまずイラン人が文化的な国を作り、栄華を極めたあとに必ず内紛でグダグダになり、その度に馬やラクダにのった蛮族(トルコ人やアラブ人)に滅ぼされるけど、イラン人は優秀だから官僚として取り立てられ、力を蓄え新しいイラン人の帝国を再興させる。それの繰り返しという歴史感。
彼らの中では、アラビア人の国もトルコ人の国もモンゴル人の国も、結局はイラン人官僚が支えてたし、それらの国が栄えたのもその前にイラン人が作った国とその文化があったからという理屈。(追記。なお、ヨーロッパ諸国は産業革命までは辺境。十字軍はエジプトらへんのアラブの蛮族とヨーロッパの未開人の小競り合い)
「NASAにはイラン人が沢山居る。Yahooのナンバー○イラン人、Googleの〜」という感じの自慢話が長い。そういう連中は革命前にイランを出た人やその2世とかだけど、国民性として、知性へのこだわりが強いみたいで、教育には力を入れてる。実際、科学論文数ランキングがかなり高い。注目される論文数で日本がイランに抜かれたとか何年か前にニュースになった。
それはさておき、そういうわけでイラン人は自分たちが特別だと思ってる。イスラムで括られるのも、中東で括られるのもすごく嫌がる。特にアラブといおうものなら、必ず訂正が入る。
「イスラム教は受け入れたけど、アラブ人になったつもりはないから。アラビア語なんかわからんから」
「あれはすごく昔のアラビア語。お経みたいなもん。なにいってるのかわからん。日本人だって卒塔婆のサンスクリット語読めないだろ?ちなみにサンスクリット語もアーリア系だからな」
とのこと。
で、シーア派ってのは、教科書だとアリーの子孫がなんちゃらって習うけど、結局そのアリーの子孫はペルシャの王族の血が入ったから実質イラン人の宗教、みたいな話だとか。イスラムは受け入れたけどアラブ人に上に立たれるのはとにかく嫌らしい。
そんなメンタリティな上に、革命前まで親アメリカだったもんだから、そりゃ中東からは偉そうな調子乗ってる国として総スカン。実際、石油と天然ガスが湧いて調子乗ってたし。シーア派とスンナ派というより、オレ様なイランの自慢がムカつくから、宗教のせいにしてるんだよ。経済制裁でこんだけ絞り上げられててもまだ偉そうだし。
そうすると、ますますイランがアラブ人組織のハマスに肩入れするのがわからない。
パレスチナを国家として承認してないのは、欧米だけ。他の国からしたらイスラエルが他国に侵攻してる。しかも民族浄化しようとしてるという認識。イスラエルに肩入れしてる欧米がおかしい。
追記をはじめに書くべきとのブコメがありましたので修正しました。
○増補新版にしか弥助の記載がないってコメントあるけどそうなの?そもそもロックリーの本の方が先にでているらしいし、頑張ってこんな微妙なウソつくのはどうなんだ。/そもそも記載は本当でも南蛮人から買うしかない
○弥助の事書かれて無い2017年版大航海時代の日本人奴隷持ってるけど、2021年発行増補新版の間で何かに目覚めたんかな?17年版は序章の改宗ユダヤ人が異端狩りを逃れて日本へ逃げ込む所なんか凄い面白い本なんだけど
そしたらロックリー先生初出、岡・ソウザ先生がそれを取り入れた可能性もあるのか
そしてそれを取り込んでしまったせいで目茶苦茶な記載になったのかも
(肥後に弥助の妻子がいたと読み取れる件について)
○その部分は、校正の最終段階で、段落を丸ごと削除した際に残ってしまったミスです。2021年の再版刊行時にすでに修正済みです。アカデミアの方であれば、そういったことが生じることはご存知ではないでしょうか?それに、弥介の話は前段落で終わっているのは、文章を読めば理解できるところです。
○なおkindleは初版以降の修正は反映されないことが確認されたため、本日中央公論新社と協議の上、Amazonに修正依頼しました。来週には修正される予定です。本日大規模重版かかりましたので、同じ頁の数字の誤字も修正されます。ご指摘、どうもありがとうございました。
(後掲岡先生のXより)
アカデミアでは段落丸々削除する程度のミスは当然に生じうるから問題なし、またこれを弥助の話と取るのは読解力の問題、とのようだ。
弥助の話をしている流れで肥後の妻子の話を続けているのだから、普通の読解力だと弥助の話と受け取ると思うのだが。アカデミアの方々の高度な読解力は凄いね。
また、私なら、まずミスしてしまった本を読んでしまった読者に謝罪するけどアカデミアの流儀は分かんないね
なお、「廿」については修正されていそうだが、「器量すくやか」の誤読(?)についてはコメントされていなかった。
「戦国大名は黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない
かもしれない。
アサクリの弥助問題から派生して、日本大学准教授のロックリー先生が、「戦国大名は黒人奴隷を欲していた」とデマを流している、との言説がある。
しかし、これはロックリー先生のデマではないのではないか、との意見がX上で交わされているので、ロックリー先生の名誉のためにまとめておこうと思う。(リンクが多くなりすぎるのでリンクは省略)
東京大学史料編纂所の准教授の岡美穂子先生と、その配偶者であり東京外国語大学特任教授のルシオ・デ・ソウザ先生の共著である「大航海時代の日本人奴隷 増補新版」(中公選書)という学術書がある。
屈強で珍しいカフル人を従者にすることは、日本人にとっては「富貴」や「威風」の象徴で、交易に関係する大名たちはこぞってその所有を望んだと思われる(215ページ)
また、ロックリー先生の著作の「信長と弥助」(太田出版)にはこうある。
ロックリー先生の著作が2019年出版、岡・ソウザ先生の著作が2017年であることから、ロックリー先生は岡・ソウザ先生の著作を参考に書かれた可能性がある。
つまり、岡・ソウザ先生は従者と記載しているのを、ロックリー先生が奴隷と言い換えてしまったようなのだ。母国語ではないせいで細かいニュアンスが変わってしまったのか、意図的なのかは不明だが。
ちなみに岡先生・ソウザ先生の著作に「「富貴」や「威風」の象徴…こぞってその所有を望んだと思われる」とあるが、その根拠は示されておらず、不明である。岡先生・ソウザ先生の博識にてらすと論ずるまでもないことなのかもしれない。
ただ、ロックリー先生の著作は英語版では内容が異なるという話もある。そこまで追えていないが。
商売上手の中央公論新社が、話題になったこの機会を捉えて「大航海時代の日本人奴隷 増補新版」を増刷してくださるそうだ。(https://x.com/chukoshinsho/status/1815737944243573035)
せっかくの機会なので皆様も是非お読みいただきたい。
注目すべきページがある。(https://i.imgur.com/aQlemYT.jpeg)
書籍内では「16、7歳」(4行目)とあるが、実は信長公記では「廿六、七」と書いてある。もちろんこれは26、27歳のことであり、①単純なミスが発見できなかったか、②「廿」という文字が読めなかったか、ということになる。ケアレスミスだろうか。
書籍内では「穏やかな気性」(5行目)とある。これも信長公記にあたってみると、「器量すくやか(健やか)」とあるが、現代文に訳すのならば「立派な」や「頑丈な」、「才気にあふれた」といった意味となる。これもケアレスミスだろうか。
書籍内では肥後に妻子がいたとされている(後ろから2行目)。文脈上これは弥助のことだと思われるが、史料中で弥助に妻子がいたことを示すものはまったくない。何を根拠にしているのだろうか。
ルシオ・デ・ソウザ先生は、ロックリー先生の最新作「A Gentleman from Japan」の推薦を書いており、関係は良好だと思われる。
岡美穂子先生によると次の通りだ。
「ゲンダイ」系の媒体、上からの圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます。どうせ競馬と女性の裸の写真しか載っていないんだろうから読者の質など知れていると、オカミはタカをくくっておられるのかもしれませんが、なかなかどうして、左翼系知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼は絶対嫌だ。
そんなこんなんで、お友達がいるわけでもない日刊ゲンダイで、本が紹介されました。とても嬉しいです。
https://web.archive.org/web/20201101144221/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-06-01/
岡先生のブログによると、左翼系知識人は日刊ゲンダイをかなり支持しているとのこと、また、御本人は左翼でも知識人でもないけど、右翼は絶対嫌とのことだ。
ちなみにこのブログは、2024年5月16日まではウェブアーカイブにて確認できるが、岡先生が今回の弥助・黒人奴隷議論に御参加されるころには既に削除されてしまっている。
弥助・黒人奴隷議論に際し、岡先生のなされた御発言をまとめておこうと思う。
○これだけ「歴史修正主義」って叫ぶ人が出てきてるのに(笑)、右系論壇が沈黙しているのは、さすがにこの問題に関わったら、常識を疑われると認識できているのだろう。
○将来を嘱望されていた呉座さんがあんなことになってしまったのは、あなたたちのような人と不用意に繋がってしまったからでしょうね。
○「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章を否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式な要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的な国益問題」と判断すればですが。
○私はロックリーさんの著作は、日本語も英語も「歴史読みもの」であり、学術研究であるとは考えておりません。しかしそれが書かれるにあたって、彼が様々な文献にあたり、想像を超える努力をしたことは存じております。
○彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史や日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。
○に「裏で」繋がっていませんが。私が海外で出版した本のレビューを権威あるジャーナルで紹介してくれたのは彼ですし。面識のない人を「あんた」と呼ぶのは、いかがなものでしょう。おそらく、現在表に出ている人間で、彼を表舞台に連れてこれるのは私だけですが、こんな人のためにはできませんね。
ここから、①右翼・右派に対する敵対心がある、②ロックリー先生の著作は読み物だが、ロックリー先生の努力やそれを信じる人のためにも否定しない。(ロックリー先生は史実と主張しているが)、③政府から言われれば自身の著作を修正しても良い、④ロックリー先生とは夫婦揃ってかなり深いつながりがある、という御意見をお持ち・事実関係であるいうことが読み取れそうだ。
著名な学者であり、岡先生の同僚でもある隠岐さや香先生まで、岡先生擁護の論陣を張っていた。
日本史研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷、オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧の一種として国際的にも認識されています
https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/
ちなみにオンラインハラスメントの日本での事例として、隠岐先生御紹介のページでは望月衣塑子さんの新聞記者が挙げられている。あれってフィクションじゃなかったっけ…?
日本の学者や研究者を名乗る人がYASUKE肯定した結果、それを根拠にして、日本の人種差別主義者ガーとか英語コミュニティでコメント付いてる例
However, a recent, widely shared post from Japanese historian Yu Hirayama argues that Yasuke was indeed granted samurai status by Nobunaga. Hirayama cites Yasuke’s stipend, housing, and sword afforded him by Nobunaga, but acknowledges that Nobunaga’s enemies did not view Yasuke as a samurai.
(しかし、日本の歴史家である平山優氏による最近の広く共有された投稿では、弥助が実際に信長から侍の地位を与えられたと主張しています。平山氏は、信長が弥助に与えた俸禄、住居、そして刀を根拠として挙げていますが、信長の敵対者たちが弥助を侍とみなしていなかったことも認めています)
↓ 対するコメント
racist in Japan and racist in the rest of the world get to work hand-in-hand now
(日本のレイシストと世界のレイシストは、今、手を取り合って働く)
https://www.polygon.com/24204308/assassins-creed-shadows-yasuke-samurai-ubisoft-controversy
While there’s some question as to his exact role, Yasuke was a real person and, as a Japanese scholar has recently pointed out, there’s no doubt that he was a samurai, which is a social status that can encompass a variety of duties.
(弥助は実在の人物であり、日本のある学者が最近指摘したように、彼が武士であったことは間違いない。)
https://metro.co.uk/2024/07/23/ubisoft-apologies-assassins-creed-shadows-doesnt-say-21281545/
この炎上の根本原因は、アジア人蔑視、アジア人の透明化、そして日本文化の軽視だろ
実際のところ、『アフロサムライ』や『キンバリー』、Netflixの『弥助』、『Rise of the Ronin』のような時代劇ゲーで主人公を黒人にできるオプションなどは、
だから、この問題を『主人公が黒人であること』だと逆張りでミスリードするのはやめろ
つか、増田はいつもの逆張りでも、ガチで『サムライの中には黒人もいたはずだ』『白人によって歴史が消された』『もしかしたら日本にもいたかもしれない』と
信じてる人たちもいるわけ。それは長年にわたり、一部の人々の間で下記の言葉が信じられて来たからだ
For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood
この言葉や歴史観は、子ども向けのウェブサイトや書籍、教師向けの資料にも掲載されてたりする
これは、一部の人が司馬遼太郎の作品を事実として信じているのと似た現象なんだけど、アメリカの黒人公民権運動で利用されてきたっていう歴史がある
そのため、本心で下記みたいになる人もいる
Where Are The Black People in 'Shogun'?
このような人々のさらなる誤解をさらに深めるような無意味な逆張りはやめろ
anond:20240724130753 anond:20240724183209 anond:20240724193537 anond:20240724215021 anond:20240724215021
anond:20240724211603 anond:20240726211114
追記があったので。キミがnoteで逆張りをおやんなさいanond:20240726185220
○日本の戦国時代では黒人奴隷が流行ってた、イエズス会は奴隷を禁止してたのに。
○真田広之のSHOGUNで黒人武士が出てこないのは差別と糾弾された。
こんなのが一般的になってんだぞ
ちなみに東大准教授の岡美穂子さんは誤りを正さないことに肯定的。
理由は「それを信じた彼らが可哀想だからじゃないか」という趣旨。しかも、外務省から言われたらやるという権威主義。
彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史や日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。
「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章を否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式な要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的な国益問題」と判断すればですが。
ちなみに岡先生の配偶者のルシオ・デ・ソウザさんは、このデマの発信元のロックリーさんの著作の推薦文を書くなどの近い関係。
趣旨は「歴史学者へのオンラインハラスメントは言論弾圧だ!」とのこと。
日本史研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷、オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧の一種として国際的にも認識されています
https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/
ちなみに隠岐さや香先生の例示した報告では、日本におけるオンラインハラスメントの事例として安倍晋三によるものを挙げている。なんとその出典は新聞記者(映画)。あれは望月衣塑子記者によるフィクションなんですが・・・隠岐さや香先生大丈夫?
本人いわく刊行前に炎上し、刊行後も批判ばかりで正当な評価がされていないという、みの『にほんのうた:音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』。「議論のきっかけに」「集合知を歴史観につなげたい」と言いながら誰が何を言っても「村社会」「リンチ的」としか言わないのは正直どうなのかと思う。絡むのと晒し上げられてめんどくさいし下手をすると訴訟とか言い出しそうだから匿名で自分が気になったことを書いといてあげよう。
これは複数人から指摘されている「どこが地の文でどこが参考文献の主張なのかわからない」問題と同じだが、歴史の設定や「音曲」というワードなど、この本の全体をつらぬく視点と前半の記述に既視感しかない。上積みやひねりがあるのかと思ったら、ない。これには何も言いようがない。「数百冊」音楽書を読んだのなら、先行する言説をどう扱うかくらい身につくと思うのだが、それもまったくない。自分では十分に言及しているつもりなのだろうが、複数の人から複数回同じようなことを言われているということは文章として失敗しているということです。
どこの世界でも誰かになにかを教えてもらうときには礼儀も対価も発生する。「有識者の今後のご活躍を待つ状況です」じゃなくて、自分が聞き手になるなり、間違えていてもいいからたたき台を作るべき。だれも「ぼくはみなさんの成果物だけかすめとります!」と宣言されたらいい気分はしない。
リスナーには毎度コメント欄で褒めちぎられ、レコード会社にはSNS向けのちょうどいいインタビュアーとして使われ、DJイベントに呼んでくれる老人からは若いのに頑張ってると褒められていると妙な勘違いをしてしまうのはわかるが、もうすこし謙虚になったらどうなんだろう。わざわざ見に来ている自分のリスナーが知らないだけで、世の中の人の知識量を舐めないほうがいい。すでに知っている情報に人は興味を持たない。あなたより若くて物知りで頑張っているライターもミュージシャンもたくさんいる(YouTuberにいるかは知らない)。
この本を出して、参考文献にあげた人たちから一切言及されていないということが何を意味しているのかもう一度考えるべきでは。
揶揄しているようなコミュニティは残念なことに存在していない。そもそも儲かっていないから利権の取り合いもない(一部御用ライターのようなものもいるにはいるが、そういう賢い人はSNSをやっていない)。だからといってこれまでの批判を貧乏人からのやっかみや人気者への嫉妬のように感じているのだとしたら、性格が歪んでいるので直したほうがいい。硬直化した、一般の人を置き去りにした議論に風穴を開ける!という構図に魅力を感じるのはかまわないが、現状認識が幼稚すぎる。これは『土偶を読む』と似ている。しかしそもそも数百冊の音楽書を読んでいるのならこういう考えに至らないと思うのだが…
ついにしびれを切らして「定員20人時間2時間」という議論の場を設けたようだが(これに来ないのなら口を出すなというような姿勢も見えるが)、この設定では誰一人として十分に話ができない。議論やシンポジウムというものをしたことがない、見たことがないのだろうか。結局ファンミーティングになるのが目に見えているし、そりゃ誰も来ないでしょ。本当に議論したいなら自分から頼んで声をかけましょう。
結局のところ「日本すごい」が言いたい本なのだと思うが、そこに大半の人が乗れていないように見える。ジャンルが外国から規定されることへ嫌悪感があるのだとしたら、その意識自体が現在の音楽をとりまく状況や、あなた自身の偏った認識を示唆しているように思う。そこを客観的に見れないなら「歴史」を書くのは無理。筋が悪すぎて箸にも棒にもかからない。『日本国紀』じゃん。本人は枝葉末節を批判されていると勘違いしているようだが(枝葉末節にこだわってる人もいるが)、根本が厳しい本だと思う。だから批判するのにもコストがかかるし、結果的に無視をするようなかたちになっている、ということくらいはわかってほしい。
しかしもともと雑誌や本に書かれていた評価評論ランキングをそのまま垂れ流す動画を作っていて、どうしてこんな本を書いてみようと思ったのでしょう。なにかコンプレックスがあるようにも思えないし(あるの?)、出版社に焚きつけられたのだとしたらちょっとかわいそう。実際のところ、自分でもあんまりよくなかったんじゃないかと思い始めているでしょう?
がんばってとは思わないけれど、恥ずかしいことはしないほうがいいよ。もう少し本を読んでからがいいと思う。数百冊は読んだそうだからたぶんあと3冊くらい読めばいいんじゃないかな。
よくBLM運動で過去の偉人の像が倒されているのを、ネトウヨがポリコレだとか過去を現在の価値で断じているとか言うが、それは世界各国で当然に行われてきたことだし、これからも行うべきなのだ。
例えばアメリカの正史ではイギリスやスペインは植民地住民を専制権力で支配する悪の勢力となっているが、独立前は当然、イギリス王や貴族は立派な人々と(アメリカでも)見做されていた。成功した植民地生まれの人々は競ってイギリス製品を買い、イギリスの王侯を模した生活をしていた。
独立戦争によって反英、反君主制が主流となり、アメリカ独自の生活をしてアメリカ産品を買うのが立派な人間となった。そして遡って、それまで立派な人間とされていたイギリスの王侯は悪人とされた(なおイギリスの王侯貴族を範とする文化は内戦前の南部には残存した)。
フランスもそう。革命前は貴族こそが道徳的であり、平民は悪であった。
これらの価値観を独立や革命によって転換しないなら、今もアメリカでは英王が崇拝され、フランスではルイ16世が崇拝されるのか。馬鹿げている。
違うというなら歴史観に一石を投じるよなw
つい先日、台湾総統選が行われた。
政治のことはよくわからないが、中国は台湾の一国二制度をやめ、省の一つとして制定し、台湾を含めた「一つの中国」の実現を目標としている。
一方台湾は、中国とは全く別の独立国として建国したいという目標がある。
中国では抗日戦争ドラマや映画には悪い日本軍人が出てくるのはお決まりなのだが、それを手助けする国民党軍もまた決まって登場する。これはもう中国で戦争ものといったら外せない登場人物になっている。
ストーリーはどれもお決まりパターンで最終的には絶対的善である共産党軍の勝利で終わる、というものであり、勧善懲悪ものの教科書のようなものばかりである。
そういったドラマに慣れ親しみまた公教育などでも国民党軍の悪事に触れてきている中国人にとって台湾人とは、非国民の後代であるという認識が非常に強い。
それで特に最近は何かにつけて「台湾独立」という話題がニュースを賑わらせており、中国人ならば台湾に対して「中国を困らせる子悪党」という認識を少なからず持っている。
簡単に言うと、中国大陸人は「立派な大人」、台湾人は「悪さをしでかす悪ガキ」であり、中国人としては、悪い大人に騙されている子供(台湾)に早く家に帰ってきてほしい、そんな風に台湾に対しての思いがある。
中国の庶民レベルでもこのような台湾人に対するレッテル貼りが存在する限り、台湾が中国側からの話に耳を傾けることは到底あり得ないだろう。
彼女はとある中国人の音楽家と知り合いになって色々と話し込むうち、その人の生い立ちの話になった。なんでも、彼が幼少の頃、両親が国民党であったという理由で共産党軍人に●されてしまったが故に、共産党を非常に恨んでいる、というのである。そういった観点で中国共産党を見たことがなかった友人にとって、大きな衝撃だったようだ。
そういう歴史観をお持ちの人なんだろ、そっとしておいてやれよ
35歳二人の子持ち専業主婦。これを書くのには勇気が言ったが、誰かの心の支えになるという確信があるので書く。
息子は中2、ASDで娘は高校2年の健常者。夫は確定診断はないが自閉症スペクトラムの気質持ちだと思う。
これを書こうと思った動機は「吐き気で苦しんでいる母にASDの息子がダイの大冒険がどうのと声をかけてきた」というツイートを見て、その日ずっと涙が止まらなかったからだ。ツイート主の苦しみが目から血を流して死んでしまいたいくらいのものだということが心の底からわかる
それでも案外母の気持ちに寄り添う引用リプが多かったのには救われた気分だった。私の母の時代だったらこうはいなかっただろう。
はっきり言うけど、オスの障害者は家父長制維持のための部品だ。それを産んだ時点で母親は原罪を背負われる。そして産んだものに対する無償で魂が擦り切れるほどの献身が当然のごとく要求される。
それに対して女がほんの僅かでも苦しみを吐露したら「鬼」「お前が産んだのが悪い」と罵られる。私が自殺するときが来たら巻き添えにして殺すのは義母だろう。
障害者のオスはそうやって女を無限地獄のケア労働に縛り付けるための「重し」として機能することを15年の育児で骨の髄までわからされた。
夫のように多少頭の回る障害者もっとストレートに憎しみの対象だ。彼らは女に心身ともにたっぷりケアされないと簡単に逆上する。自分が障害を持っているからというコンプレックスを女にぶつけてくるのだ。
(なぜそんな男と結婚したのかという匿名のミソジニストの罵倒が予想されるだろうけど、そういう質問をすること自体が自閉症の弱男的なのだという”ニンゲンの常識”を死ぬまでに身に着けておいてください)
今の私にとって支えとなるのは娘。娘がいるおかげで正気を保ってる。人の感情が読めない夫とその遺伝子を濃く受け継いだ息子を育てる苦しみに耳を傾けてくれる第一の存在が彼女だ。娘と私はたぶんフェミニストだし、教育の程度はいいからリベラルな価値観を共有していると思う。
障害という錦の御旗を通してなお卑劣に女を抑圧するこの男性社会のサバイバーとしてお互い生きてきた絆が娘と私の間にある。
去年の秋、娘がボロボロに泣き腫らして帰ってきた。冷静な彼女なので一体何をされたのかと気が動転したが、聞くと歴史の授業で「第二次大戦中のドイツ政権」※にたいして肯定的な意見をいったところ、教師に吊るし上げられ「あなたどういう親に育てられたの」と大声で指弾されたらしい。
娘をリンチした馬鹿教師は私が色んな仲間にかけあって教育委員会にまで上げて飛ばしたけど、あのことがあってから娘と私は「昔のドイツ政権」がした女性を解放する政策について時々話すようになってる
そして今の世界情勢を見て、私はあの時のドイツはある部分では正しかったと私には思えてならないし、私の家族たちのような人間に関わる別の政策についても、絶対悪と呼べるような時代は終わりつつあると感じている
フェミニズムの観点からの「第二次大戦中のドイツ政権」の再評価が必要だと本気で思ってる。
私は結構色々な運動に首を突っ込んでいるし、障害を持った人間を育てるフェミニストの仲間といえる方とも出会っているから、少しずつこうした話を広めていけると信じてる。
残酷だけど、命は至上の価値じゃない。ましてや本来なら尊厳ある生を歩めたはずの女性の足かせになることが、劣った器質を持っているからというだけで正当化されていいわけがない。
※補足します。私が第二次大戦中のドイツ政権に対して一般的によく知られた政党名を使わないのは、そうやって悪の権化であるイメージがついた名前を使うことで女性が非道な悪人の濡れ衣を着せられ偽善的な左翼男性のミソジニーに利用されるだけということをよくわかってるからです。
・私のことをある呼称で呼びラベリングして鬼の首を取ったかのように誹謗する自閉傾向を持つミソジニー持ちがここにはたくさんいるでしょう。私がそれでもこれを言うのをやめないのは、もはや男性が人権や政治的正しさやあまりにも覆しずらい歴史的評価の重みという圧力をもってしても虐げられた女性の声を封殺することはできないと信じているからです。私は息子に手をかけません。世界はいずれそういう女性たちにもっと敬意を払うべきと認識するでしょう