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2024-08-25

anond:20240825190111

俺の趣味麻雀だとなんて言ってくるのか楽しみだからちょっとやってみてほしい

映画だけなんてもったいないから太田出版はいろんなジャンルに噛みつかせてやってくれ

北村紗衣と須藤にわか論点はずれているが、共通問題あぶり出している

太田出版Webマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。

私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。

発端となった元連載の内容

まず連載の企画趣旨は以下の通り

映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載

北村紗衣氏の主な論点は以下の通り

①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった

自分アメリカン・ニュー・シネマが好きではない

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった

④ニュー・ハリウッド反体制的な要素と、あからさまな暴力セックス表現が主な特徴として挙げられる

アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流

⑥『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画

北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨みえる。

須藤にわか氏の異議

これに対して、須藤にわか氏の主張は以下の通り。

①「あからさまな暴力セックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている

アメリカン・ニューシネマフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー

アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない

④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える

⑤ニューシネマは「暴力セックス」の映画ではない

⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー

⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評カテゴリー自体差別的

北村氏の反論

須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかやすくまとまっている

①New Hollywoodの特徴のひとつセックス暴力があげられるのは当たり前

②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている

③広く使われているジャンル用語勝手に変更しない

論点のズレ

須藤にわか氏の明確な誤り

須藤にわか氏は

例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリー自分で見て「このカテゴリーには黒人映画女性主人公映画が入ってないか差別的」だと言っている

と述べているが、これは明らかに違っていて、

北村氏がいうように、

決めたのは私じゃなくて今までの批評

まり北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ

ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズのものに反発している。

北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張であるそもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的カテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しか知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である

(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)

さらなる食い違い

須藤氏は北村氏の姿勢について、

「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。

と言っており、

北村氏は

「(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー」なんだから批判されて当然ですよね?

という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象範囲が違うようだ。

須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーのものであると同時に、カテゴリーに含まれ作品群も含まれると私は解釈した。

須藤にわか氏の論の本質と、北村紗衣氏の指摘

須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力セックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。

これに対して須藤氏は、

だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動実態がないもの運動責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。

アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評カテゴリー自体差別的

この点、北村氏も、

>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性主人公にした物語代表作として受容され、研究白人男性監督だけを対象としてきたこはいたるところで指摘されています<<

と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があることは認識しているように見える。

まり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズ問題があるという点では、共通認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネ解釈一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。

しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリサスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究白人男性監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

増田感想

文系学問特に文学社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロ作品人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品人間もつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単差別につながる。「この時代に生まれ人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品人間評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。

少なくとも発端となった連載は素人映画をより深く鑑賞する視点提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。

たとえば北村紗衣氏がいうように、

「やっぱり、この映画ハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しい」

というところが、「ダーティハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。

あるいは、須藤にわか氏のいうように

そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代アメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから

ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。

須藤にわか氏のエントリについたクソブコメ

serio フェミニストはありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。

→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている

hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな

→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性さらけ出しているのがキモい

jassmaz 文学理論批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力である。87年出版アラン・ブルームアメリカン・マインド終焉』を読もう。

→「この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは

北村紗衣氏のエントリについたクソブコメ

tokuniimihanai あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる

→読まずに断じているゴミ

takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間大量発生するのが歪み

→態度を保留するって、どういう立場後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい

ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ

そもそも商業媒体ブログ応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。

どちらのブコメにも共通していえること

二人に対するクソブコメの数々は

権威主義的で映画のものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わず他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能

ではないか、ということを己に“問い直して”みてはいかがだろうか。

2024-07-27

anond:20240727025354

戦国大名織田信長に仕えた黒人男性「弥助」と、弥助について書いたトーマスロックリー日本大学法学部准教授)の書籍信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(太田出版、2017年)が話題を集めていますトーマスロックリー氏の同著に、戦国時代日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述があり「それは事実とは異なる」「日本黒人奴隷を生んだというデマ世界に広まってしまうのでは」と非難懸念されているのです。』

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00b9dff9cd6151ac3d61c0460481db6a9e83d92d

2024-07-26

anond:20240726154831

戦国大名織田信長に仕えた黒人男性「弥助」と、弥助について書いたトーマスロックリー日本大学法学部准教授)の書籍信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(太田出版、2017年)が話題を集めていますトーマスロックリー氏の同著に、戦国時代日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述があり「それは事実とは異なる」「日本黒人奴隷を生んだというデマ世界に広まってしまうのでは」と非難懸念されているのです。』

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00b9dff9cd6151ac3d61c0460481db6a9e83d92d

2024-07-24

戦国大名黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない

追記をはじめに書くべきとのブコメがありましたので修正しました。

追記

○増補新版しか弥助の記載がないってコメントあるけどそうなの?そもそもロックリーの本の方が先にでているらしいし、頑張ってこんな微妙ウソつくのはどうなんだ。/そもそも記載は本当でも南蛮人から買うしかない

○弥助の事書かれて無い2017年大航海時代日本人奴隷持ってるけど、2021年発行増補新版の間で何かに目覚めたんかな?17年版は序章の改宗ユダヤ人異端狩りを逃れて日本へ逃げ込む所なんか凄い面白い本なんだけど

増補版しか手元にないせいでわからなかった

そしたらロックリー先生初出、岡・ソウザ先生がそれを取り入れた可能性もあるのか

そしてそれを取り込んでしまったせいで目茶苦茶な記載になったのかも

追記2

先生著作ミスについてコメントしていた。

肥後に弥助の妻子がいたと読み取れる件について)

○その部分は、校正の最終段階で、段落を丸ごと削除した際に残ってしまったミスです。2021年再版刊行時にすでに修正済みです。アカデミアの方であれば、そういったことが生じることはご存知ではないでしょうか?それに、弥介の話は前段落で終わっているのは、文章を読めば理解できるところです。

○なおkindleは初版以降の修正は反映されないことが確認されたため、本日中央公論新社協議の上、Amazon修正依頼しました。来週には修正される予定です。本日大規模重版かかりましたので、同じ頁の数字の誤字も修正されます。ご指摘、どうもありがとうございました。

(後掲岡先生のXより)

アカデミアでは段落丸々削除する程度のミスは当然に生じうるか問題なし、またこれを弥助の話と取るのは読解力の問題、とのようだ。

弥助の話をしている流れで肥後の妻子の話を続けているのだから普通の読解力だと弥助の話と受け取ると思うのだが。アカデミアの方々の高度な読解力は凄いね

また、私なら、まずミスしてしまった本を読んでしまった読者に謝罪するけどアカデミアの流儀は分かんないね

なお、「廿」については修正されていそうだが、「器量すくやか」の誤読(?)についてはコメントされていなかった。

本論

戦国大名黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない

かもしれない。

アサクリの弥助問題から派生して、日本大学准教授ロックリー先生が、「戦国大名黒人奴隷を欲していた」とデマを流している、との言説がある。

しかし、これはロックリー先生デマではないのではないか、との意見がX上で交わされているので、ロックリー先生名誉のためにまとめておこうと思う。(リンクが多くなりすぎるのでリンクは省略)

おそらく初出は岡先生ソウザ先生では?

東京大学史料編纂所准教授の岡美穂子先生と、その配偶者であり東京外国語大学特任教授ルシオ・デ・ソウザ先生の共著である大航海時代日本人奴隷 増補新版」(中公選書)という学術書がある。

この書籍にはこういった記載がある。

屈強で珍しいカフル人を従者にすることは、日本人にとっては「富貴」や「威風」の象徴で、交易関係する大名たちはこぞってその所有を望んだと思われる(215ページ)

https://i.imgur.com/ul26Fbq.jpeg

また、ロックリー先生著作の「信長と弥助」(太田出版)にはこうある。

権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。(13ページ)

https://i.imgur.com/3pNcW5T.jpeg

ロックリー先生著作2019年出版、岡・ソウザ先生著作2017年であることからロックリー先生は岡・ソウザ先生著作を参考に書かれた可能性がある。

まり、岡・ソウザ先生は従者と記載しているのを、ロックリー先生奴隷と言い換えてしまったようなのだ母国語ではないせいで細かいニュアンスが変わってしまったのか、意図的なのかは不明だが。

ちなみに岡先生ソウザ先生著作に「「富貴」や「威風」の象徴…こぞってその所有を望んだと思われる」とあるが、その根拠は示されておらず、不明である。岡先生ソウザ先生の博識にてらすと論ずるまでもないことなのかもしれない。

ただ、ロックリー先生著作英語版では内容が異なるという話もある。そこまで追えていないが。

というわけで「大航海時代日本人奴隷 増補新版」(中公選書)を読もう

商売上手の中央公論新社が、話題になったこの機会を捉えて「大航海時代日本人奴隷 増補新版」を増刷してくださるそうだ。(https://x.com/chukoshinsho/status/1815737944243573035

せっかくの機会なので皆様も是非お読みいただきたい。

注目すべきページがある。(https://i.imgur.com/aQlemYT.jpeg

弥助の年齢

書籍内では「16、7歳」(4行目)とあるが、実は信長公記では「廿六、七」と書いてある。もちろんこれは26、27歳のことであり、①単純なミス発見できなかったか、②「廿」という文字が読めなかったか、ということになる。ケアレスミスだろうか。

弥助の特徴

書籍内では「穏やかな気性」(5行目)とある。これも信長公記にあたってみると、「器量すくやか(健やか)」とあるが、現代文に訳すのならば「立派な」や「頑丈な」、「才気にあふれた」といった意味となる。これもケアレスミスだろうか。

肥後に妻子がいた?

書籍内では肥後に妻子がいたとされている(後ろから2行目)。文脈上これは弥助のことだと思われるが、史料中で弥助に妻子がいたことを示すものはまったくない。何を根拠にしているのだろうか。

余談

ルシオ・デ・ソウザ先生は、ロックリー先生の最新作「A Gentleman from Japan」の推薦を書いており、関係は良好だと思われる。

余談2

岡美穂子先生によると次の通りだ。

ゲンダイ」系の媒体、上から圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます。どうせ競馬女性の裸の写真しか載っていないんだろうから読者の質など知れていると、オカミはタカをくくっておられるのかもしれませんが、なかなかどうして、左翼知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼絶対嫌だ。

そんなこんなんで、お友達がいるわけでもない日刊ゲンダイで、本が紹介されました。とても嬉しいです。

https://web.archive.org/web/20201101144221/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-06-01/

先生ブログによると、左翼知識人日刊ゲンダイをかなり支持しているとのこと、また、御本人は左翼でも知識人でもないけど、右翼絶対嫌とのことだ。

ちなみにこのブログは、2024年5月16日まではウェブアーカイブにて確認できるが、岡先生が今回の弥助・黒人奴隷議論に御参加されるころには既に削除されてしまっている。

知的財産喪失だと思われ、非常に残念に思う。

余談3

弥助・黒人奴隷議論に際し、岡先生のなされた御発言をまとめておこうと思う。

○これだけ「歴史修正主義」って叫ぶ人が出てきてるのに(笑)、右系論壇が沈黙しているのは、さすがにこの問題に関わったら、常識を疑われると認識できているのだろう。

○将来を嘱望されていた呉座さんがあんなことになってしまったのは、あなたたちのような人と不用意に繋がってしまたからでしょうね。

○「権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的国益問題」と判断すればですが。

○私はロックリーさんの著作は、日本語も英語も「歴史読みもの」であり、学術研究であるとは考えておりません。しかしそれが書かれるにあたって、彼が様々な文献にあたり、想像を超える努力したことは存じております

○彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。

○に「裏で」繋がっていませんが。私が海外出版した本のレビュー権威あるジャーナルで紹介してくれたのは彼ですし。面識のない人を「あんた」と呼ぶのは、いかがなものでしょう。おそらく、現在表に出ている人間で、彼を表舞台に連れてこれるのは私だけですが、こんな人のためにはできませんね。

https://twitter.com/mei_gang30266

ここから、①右翼右派に対する敵対心がある、②ロックリー先生著作は読み物だが、ロックリー先生努力やそれを信じる人のためにも否定しない。(ロックリー先生史実と主張しているが)、③政府から言われれば自身著作修正しても良い、④ロックリー先生とは夫婦揃ってかなり深いつながりがある、という御意見をお持ち・事実関係であるいうことが読み取れそうだ。

余談4

著名な学者であり、岡先生の同僚でもある隠岐さや香先生まで、岡先生擁護論陣を張っていた。

先生はじめまして。大変お疲れ様です。横から失礼します。

日本研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧一種として国際的にも認識されています

https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/

https://x.com/okisayaka/status/1815268791099764775

ちなみにオンラインハラスメント日本での事例として、隠岐先生御紹介のページでは望月衣塑子さんの新聞記者が挙げられている。あれってフィクションじゃなかったっけ…?

2024-07-23

弥助のWikipedia関連メモ

Wikipedia 編集履歴ピックアップ 日本語版

(中略)

(中略)

(中略)

(中略)

2023-05-30

anond:20230530012214

太田出版」のいままでの数々の所業のせいで、ギョウカイのオオタさんはネタにされて苦笑いを禁じ得ない毎日だろーなー

…一方、「光」と名のつくオオタ某は(以下略

邦題射精責任』が訳者村井理子によって歪められている可能

村井理子

@Riko_Murai

男性は、ほんのわずかに気持ちいいことのために、本当に女性人生危険晒すのでしょうか? ええ。晒します。そんなことは毎日起きています。道端に咲くタンポポぐらい、ありとあらゆる場所にある話です。

――ガブリエルブレア

射精責任 - 太田出版 https://ohtabooks.com/publish/2023/07/19181958.html

@OHTABOOKS_PR

より

ohtabooks.com

射精責任 - 太田出版

全米騒然! ニューヨークタイムズベストセラー選出 世界9カ国で翻訳 刊行からSNS話題沸騰!! 男性は、ほんのわずかに気持ちいいことのために、本当に女性...著『射精責任作品案内。/ISBN:97847783187892023年7月19日搬入発売。

午前11:47 · 2023年5月29日

村井理子

@Riko_Murai

本書で議論されているのは、「望まない妊娠責任100%男性にある」という点です。中絶の原因となる〈望まない妊娠〉という点が非常に重要なのです。避妊責任アンバランスさにも言及がありますので、よろしければお読み下さい。

午後6:17 · 2023年5月29日

ふじさわ📚編集者

@FUJISAWA0417

📚全米ベストセラー🏆日本でもTLを騒がせ続けてきた話題作『射精責任』、いよいよ予約開始です👏営業に「売れる未来が見えない…」と後ろ指刺されながらも、ヘルジャパンをぶっ壊すために版権取っちゃったので😇皆さんの力で日本でもベストセラーにしてくださいませ🙏予約だ👉

ふじさわ📚編集者

@FUJISAWA0417

Amazon売れ筋ランキング(全体)、2桁台、来た!すごい!!みんなの力で!!『射精責任』をベストセラーにしてくれ!!!日本を変えよう!!!!!私たちの肉体的、精神的痛みに、NOと言おう!!初版刷って少しでも安くこの本を広めよう!引き続きよろしくお願いしま!!!

ふじさわ📚編集者

@FUJISAWA0417

男は絶対責任を負わないぞという社会に対するミラーリングワードです。女はすでにしっかり責任を取ってるし、そこから逃れらないって話も書いてあります。7月刊行予定で頑張ってます。読んでね。



パンチのあるタイトルと、強烈な目次と、上記のような思想訳者編集者という素敵な組み合わせで話題になっている『射精責任』(邦題)ですが、どうも訳者村井理子氏が恣意的な訳し方しているようです。

Munehiko Matsuyama /松山宗彦ポーカー翻訳

@donkeydragonfly

タイトルインパクト訳者村井さんの百人組手上等の構えで話題沸騰中の「射精責任」だが、原題をそのまま訳すと「責任ある射精」となる。この二つ、微妙ながら大事ニュアンスの違いがあるように思えるのだが。

💫T.Katsumi🏳️‍🌈📢

@tkatsumi06j

そのまま訳すなら、

責任ある射精を」でしょうか。

原作者にどう伝えているのかは気になるところです。「逆翻訳してこう伝わります」と伝えたのかどうか。出版翻訳ではそこまでして著者と密に確認したりしないのかもですけれど、なにしろ書店に並ぶ本の表紙ですから。副題の訳も気になっています


モーリーン@読書ノート作る人

@maureen_kanae1

この原書”Ejaculate Responsibly”をポチった。タイトル動詞から名詞に変わるだけで印象がガラッと変わる。

原書責任を持って射精しなさい」

名詞の方が責任所在を探すニュアンスが強いな。タイトル大事

モーリーン@読書ノート作る人

@maureen_kanae1

翻訳者さんにとってこれは火を見るより明らかなことであるはずだから、『射精責任』という題名にするまでの決定プロセス意図を知りたい。

原題の方が男性側を咎めるような、諭すようなニュアンスがあるからかなあ。


かに射精責任』と『責任ある射精を』では受け取る印象が全然変わってしまますね。

射精責任』だと自慰行為による射精ですら責任を負わなきゃならんのかという気分になってしまます

この分だと本書の中身も意訳だらけになって、訳者村井理子氏による利己的な内容に(リコだけに)書き換えられているかもしれません。

しかしたら原書グローバルな視点で書かれている良書なのかもしれませんが、日本特有ミサンドリーベースのラディカルフミニズムによって原書作者のガブリエル・スタンリーブレアさんの思惑とは違う方向性に歪められてしまっている可能性が否定できません。

今のところ、ツイッター上で本書を絶賛しているのは(発売もしてないのに)、いかにも男性への憎悪毎日生きづらそうなミサンドリストばかりの印象でした。

そういった層にリーチをかけるために意図的にこういう訳し方したのでしょうか?自分が一から書いたわけでもないのに、海の向こうの人が書いた原書をダシに男性攻撃を煽るのは村井理子氏の翻訳家としての、そして太田出版出版社としての理念を疑います

発売は7月だそうです。

2023-04-03

背徳とはこれか

太田出版ウェブサイト山本直樹の新作が発表されている。

から山本直樹エロマンガが大好きで読んでいたが、結婚してからは買わなくなった。

夫や子どもに見られたら恥ずかしいから。

電子書籍で買ってこっそり読んでいたんだが。

先月から始まった連載が個人的に刺さっている。

中年大人子どものような女の人とセックスするだけの話なんだが。

の子とは違うんだよ、知らないこと教えると、好奇心を刺激されて、この子ははまっていったんだろうな。

自分もませた子というよりはよくわからないままセックスを覚えてはまった時期があったから。

後悔や反省はないんだが、グルーミングとはこういうことかと。

それが嫌ではなくて、あの時の気持ち良さを思い出して、反復してる。

山本直樹エロマンガはいいよね

2022-05-18

印税で5000万円稼ぐのに本を何冊売ればいいか

編集者相手に8時間くらい話し、聞き書き体裁で200ページくらいの単行本にするとして。

価格税抜き1500円で売って、1冊あたり150円が入るとすると、だいたい35万部売れば約5000万円。

がんばれ。太田出版幻冬舎なら前向きに検討してくれるはず。

2021-09-17

太田出版(Quick Japan)村上清のコメント欺瞞について

 太田出版サイトで、Quick Japan村上清が欺瞞に満ちた自己中心的な弁明を公開したので、筆を取ることにする。

 先ずは、村上コメントから引用する。

引用ここから

記事中にも書いております通り、もともと本企画は「いじめた側といじめられた側の対談」という趣旨でした。しかし今思えば当然なのですが、「いじめられた側」の方に応じていただくことが叶いませんでした。対談という形が不可能になり、

引用ここまで=

 実に奇妙と言うか不可解な弁明である

 村上清は、彼自身が"いじめサバイバー(凄絶なイジメ被害経験して生き延びた人間)"という『設定』だったはずである。ならば村上清は、自分自身いじめていた同級生などを探し出して連絡を取れば「いじめた側といじめられた側の対談」を実現できたのではないだろうか。

 村上清は、何故、自分いじめ加害者との対談を実現させるために行動しなかったのか?これには、仮説としての理由が幾つか考えられる。

【仮説その1】

 村上自身コメントでも明らかなように、いじめられた側の被害者にとって、いじめた側の加害者との再会・対談など、大きな精神的苦痛以外の何物でもない。だから村上清も嫌がったという理由である

 この場合村上清は、いじめられた側の人間に対して、加害者との再会は大きな苦痛を与えることになると理解・予想した上で、注目を集めるような記事を書いて手柄を立てたかたからという動機で、そのための精神的な負担他人押し付けたということである。つまり村上清は、実に自己中心的人間だということである

【仮説その2】

 これは仮説その1に、もう一つ別の理由を付け加えたものである

 ある暴力的事件被害者の立場だった人間が、別の場所で起きた別の事件では、加害者立場ということは屢々ある。そのようなケースでは、被害者としての鬱憤を紛らわすために、加害者になろうとすることも珍しくない。村上清も、そのような「加害者になろうとした被害者」だったのではないか

 村上清は、いじめ加害者被害者の対談をセッティングし、被害者が苦しむ様子を見て楽しむことで、学生時代自分には所属することが叶わなかった"いじめ加害者グループ"に仲間入りしたかったのではないか?それによって村上清は「今(記事執筆当時)の自分は、もうイジメ被害者ではないのだ!」と、鬱憤を晴らしたかったのではないだろうか?これが第2の仮説である

【仮説その3】

 村上清が実は"いじめサバイバー"ではなかったとしたら、どうだろうか?

 この場合村上清をいじめていた加害者実在しないということになり、それならば、村上自分自身のケースの加害者を探し出そうとしていなかったことも、説明がつく。

 そもそも村上清が"いじめサバイバー"というのは、村上自身自己申告に過ぎず、何か証拠が有る訳ではない。

 もしも、いじめ紀行の記事批判された時に「記事を書いている自分(村上清)も、いじめ被害経験者なんです。だから記事には馬鹿にする意図は有りません」と言い訳することが出来れば、これは非常に便利で都合が良い。こう考えると"いじめサバイバー"を名乗ることにはメリットが、つまり名乗る動機が有ると言える。

 村上清が、自分いじめ加害者との再会と対談を行わなかった理由は、何だろうか?

2021-08-04

日本サブカルビートたけし80年代の亡霊

 そもそもQuick Japan を出している太田出版は、ビートたけし太田プロダクションに在籍していた当時の80年代半ば、たけしの本を出版する目的太田プロ出版から有限会社として独立したもの前身である。したがって日本現代サブカル的な価値観には、ビートたけし的な価値観センスが脈々と息づいていると言っても、強ち間違いではない。

 では80年代半ば、そのビートたけしが何をしていたのかと言えば、ある男性俳優高層ビルから飛び降り自殺した事件の際、彼と愛人関係にあったとされる男性マネージャー記者会見関係を追及されて、号泣しながら「もういいじゃないですか!」と取り乱す様子を滑稽な感じで物真似したり、多数の死傷者が出た羽田旅客機墜落事故を「逆噴射!」「機長やめてください!」と茶化したり、ロクなことをしていなかった。要するに、同性愛者や精神疾患罹患者などの社会的弱者嘲笑していただけである

 念の為に言っておくが、当時もビートたけし批判する人間存在した。単に、マスメディアビートたけしサイドに立っていたから、批判の声が黙殺されたというだけである

 Quick Japanの『いじめ紀行』で村上清がやろうとしていたことは、新しいことでも何でもなく、80年代から代わり映えしていなかった、質の悪い悪ふざけに過ぎない。善悪倫理を抜きにしても、そもそもの出発点から村上清がやろうと目論んだことは古臭いカビが生えた代物だったのである一般人批判的な声を黙殺したことまで、焼き直しであり、独創性に欠如している。

 日本芸能人サブカル業界人は「自分たち時代の先端にいる」と思っているのかもしれないが、実際は四十年近く前の価値観センスのままで時代に取り残されているのだから、滑稽と言う外ない。

 「二十代だがビートたけし面白さが分からない」と書いた増田は、正常なのである

2021-07-21

Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」 2

anond:20210721172728

小山田圭吾=いじめっ子

小山田圭吾といえば、数年前にアニエスb.を着て

日本一裕福そうなポップスを演っていた、

あのグループの一員だ。

ソロになった今でも彼の音楽は裕福そうだが、

そんな彼は私立小・中学時代いじめる側だったらしい。

ヤバい目つきの人だなあとは思っていたが。

全裸にしてグルグル巻きにしてオナニーさせて、

バックドロップしたり」とか発言してる。

それも結構笑いながら。

僕も私立中学高校エスカレーターで通っていたので、

他人事とは思えなかった。

僕の当時の友人にはやはりいじめ加害者傍観者が多いが、

盆や正月に会うと、いじめ談義は格好の酒の肴だ。

盛り上がる。私立って、独特の歪み方をする。

小山田さんは、「今考えるとほんとヒドかった。

この場を借りて謝ります(笑)」とも言っている。

だったら、ホントに再会したらどうなるだろう。

いじめっ子は本当に謝るのか?

いじめられっ子はやっぱり呪い言葉を投げつけるのか?

キドキしてきた。

対談してもらおう!

最終的にはいじめられてた人の家の中まで入った。

しかし結局この対談は実現せず、小山田さんへの個人インタビューとなった。

以下、この対談の準備から失敗までを報告する。

2月22日

*14時、太田出版で『QJ』赤田・北尾両氏と会う。

いじめ対談のことを話す。

面白いね、やってよ。和光中学の名簿探してみるから

――まず、いじめられっ子を探すことにする。

20時、ボアダムズライヴを観に新宿リキッドルームへ。

終演後、何と観客の中に小山田圭吾発見

運命的なものを感じる。何か挨拶しとかなきゃ。

しかし、カヒミ・カリィと一緒の小山田さんにいきなり

「昔、いじめっ子だったんですよね」

という訳にもいくまい。

とりあえず『月刊ブラシ』を手渡す。

ミニコミ作ってるんで読んでください」

「あ、ありがとう

この間、約二秒。

ちなみに僕は普段いつも自分ミニコミを持ち歩いている訳ではなく、

この日持ってたのは本当に偶然だった。

ますます運命的なものを感じる。

2月25日

当時の和光中学の名簿を思いっきり入手。

太田出版バイトたまたま和光出身の人が入ったらしく、

そのルートから運命的なものを感じる。

いじめられてた人の名前まで判明した。

西河原法夫さん(仮名)といい、

「学年を超えて有名」だったとか。

対談依頼の手紙を書く。

3月15日

原宿の西河原さんの自宅へ交渉に。

住所を頼りに昔いじめられてた人の家に行く、

しか自分全然初対面。

この時の気分はうまく説明できない。

現実舞台ファミコンやってるような気になってくる。

よくよく西河原さんと話してみると、

自分消しゴムを隠される程度のいじめしか受けていない。

(前出のように)ハードいじめられてたのは別の人ではないか

とのこと。

じゃあ、本当にいじめられてたのは誰なんだ?

3月23日

太田出版ルートでは、

「もはや誰が小山田さんにいじめられていたのかは判らない」

とのこと。

間抜けな話だが、小山田さん本人に聞くしかなくなった。

所属事務所「3-D」に電話

事前に手紙は送っているが、反応はよくない。

当たり前か。

next: anond:20210720235609

2021-07-20

五輪ETVは責められて、小山田を参加させていたフジロックの罪を問わないのか!』

五輪ETVは責められて、小山田を参加させていたフジロックの罪を問わないのか!』

障碍者福祉とか児童教育を謳わない「不道徳イベント」ならば、不道徳人間の参加も許されるかもね。

1995当時だって太田出版」というマイナー出版社から許されてた訳で、

これが「小学館」「学習研究社」など児童教育出版社だったら、たぶん見逃される事はなかったかもしれない。

年代でも雑誌カラーがあって、小山田くんもエログロ出版社に合わせた話をした部分はあっただろうな

「『Quick Japan 第3号』掲載小山田圭吾記事についてのお詫び - 太田出版」に連投ブクマがついていたから、まとめた

より陰湿で目だたなくはなったといえ1980年代家庭内暴力や校内暴力全盛時と比べるとイジメのものは減ってはいる。

先に指摘したとおりわれわれはすでに(良し悪しは別として)「学級の強い結びつき」を解体してきてる。

イジメの温床とされてきた詰めこみ教育クラスごとの『近すぎる』人間関係はなくなっていき、

「各人が自由で快適な学習環境」を選択できるようになり学校は昔の『駅前カルチャースクール』の集合体になった。

もちろんそこで払うべき代償は(核家族化のときと同じような)人間関係希薄化であり、

イジメ差別暴力ハラスメントをなくそう」という善意結果的に『ひとはみんな他人ネオリベラル社会を生み出してる。

「当然イジメは減るが余計なお節介(ハラスメントとのボーダーライン)も減るし助けあいも減る」と書いたとおり、

しばしば勘違いされがちだがハラスメントイジメ副産物が助けあいであってその逆ではないので、

余計なお節介なしでは助けあいもない。断られても気にせずどんどんナンパしてかないとモテないのと同じ。

最初から適切な相手に適切に交わって相手もそれを返してくれるなどという都合のいい話はありえない。

特筆すべきは(これも指摘したとおり)『余計なお節介』の一例であり同時に『失敗した(上手くいかなかった)助けあい

すなわち一般的には「嫉妬」と呼ばれる感情のいきどころ(人間関係希薄になれば嫉妬も減る。

「『イジメを減らす』っていうのは『ライバル意識を減らす』ことだぞw(わかっとんのか?ww」と書いたとおり。

人びとが「学級」という概念にとらわれてた世相では『よいライバル関係とは何か?』成功譚として

まんが道」のような作品が生まれ自由で快適な学習環境」だと「やるだけやったがバッドエンド」が大衆の夢になる。

「でも…わたしは決して後悔しない…」みたいな(話の内容それ自体は)ヒデー話(誰も幸せにならない)に

人びとが感動するのは単純にこれこそがおとぎ話(現実セカイでありえない)だから。要はないものねだり。

学級が解体されカルチャースクールと化しイジメは減るしこうした作品に描かれてる余計なお節介ハラスメントも減るし

当然『ガチンコでぶつかりあう』ライバル関係みたいなのもありえなくなる。

はいものの「(ガチンコライバル関係は確かに美しいかもしれないけど)人間関係めんどくさいからな~

都会の暮しのほうがお気楽だよ(孤独かもしれないけど自由がある」みたいなノリでは済まない。

イジメやイビり(例の「いちどだけしますあの大泉時代少女マンガ世界でアタシがどんなヒドイめにあったか」的な)

嫉妬嫌がらせと不可分なライバル関係なくしてはいかなる学習教育もありえないから、

ひらたくいうとイジメを減らそうとするほど人間バカになるしもともとあった生得的な能力から逃れられなくなって社会格差が進む。

自分ひとりのマイプロジェクトがあって淡々と才能を伸ばしてけるひとなどいない。

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一応、書いてあることを羅列して句読点改行適当にやっておいた。

というのも、全部読んでみたけど何言ってるのか微妙だったからなんだが、

結局、こうやってまとめて読んでみても、やはり微妙かも知れない。

言っていることが端的に分かるようならツリーにぶら下げてくれると嬉しいぞ

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2021-07-17

Twitterに入ってから相当の時間が経ちました。この頃は必ずしも楽しい場所とは言えなくなったし嫌なこともあるけれど、それでも繋がれる場所としてはありがたいなと思ってきました。でも常々苦手に思っていた人たちのこの二日の書きようを見て、ブロックまたはミュートをしました。さようなら

https://twitter.com/makiji/status/1416098113870188544?s=19

牧村G憲一

@makiji

共著『渋谷音楽図鑑』(太田出版)、坂本龍一監修『コモンズスコラ』第16巻「日本歌謡曲ポップス」、『ポップ・ミュージックを語る10視点』監修など。music is music 毎週日曜日23InterFM897慶應義塾大学アートセンター訪問所員。緩やかなレーベル主宰。felicity+オーディション受付中。

なに被害者ぶっとんねん

2021-07-16

anond:20210716113928

正直「虚言だろ」というのも分かる気がする。だからこそ「あれは虚言でした」と今、声明を発表しなければ小山田は終わりだしそれすらしないならもう擁護できないよね。

太田出版迷惑をかけることにはなるだろうが、それこそ25年前の記事ウソまみれだったなんて話は「時効」でしょう。

どちらにしろ、ここまでのどこかのタイミングであの時代を総括してこなかったサブカル界のツケがたまたま今回ってきただけで、全てが自業自得、自滅。オザケン電気グルーヴ石野もいつか未来のどこかでこういうカウンターを食らう宿命だと思っている。

2020-12-08

宅八郎死去」を完全スルー出版業界の闇

宅八郎死去」について

宅八郎死去」について、

日刊スポーツなど新聞社や、出版社系でないネットメディアは報じているが、

ポストセブンSPA!、文春、新潮講談社など出版社メディアは一切報じていない。

噂の真相系のリテラや、朝日系のJキャス、ブブカ系のBUNKAタブー、そしてナックルズまでも無視

Twitterなどで宅八郎の思い出を語っている著名人も、宅八郎とそれほど接点がなかった人ばかり。後は、軽く付き合いがあった編集者ぐらい。

宅八郎に振り回された作家田中康夫や小峯隆生(元週刊プレイボーイ編集)、SPA編集長だったツルシカズヒコ(今は共産党シンパに)などは一切無視している。

週刊ポスト編集部への乱入事件や、田中や小峯に対するストーキングなど、香ばしいエピソードが満載なのだが、小学館集英社にとっては触れられたくない過去なのか。

文春や新潮など、宅八郎とはあまり繋がりがない社まで無視なのは異常だ。

テレビワイドショーも大々的に取り上げるか、と思ったら、出版社に倣って?取り上げず。

TBSサンジャポ」なんて、宅はほぼレギュラー出演者だったはずだが。

宅は小学館事件以降、大手出版社出禁で、書籍刊行できたのも「太田出版」。

それにしても業界ごと「完全無視なのはどうよ。田中や小峯に、当時の心境を聞きに行くメディアライターはいないのか。

2020-07-19

anond:20200719174532

「あたしたちの漫画道」って題名漫画ネーム切って出版社持っていけば何かになりそうな気がする。同人王との対比にもなるしな。太田出版かな

2019-03-12

anond:20190307215624

元増田である

週末に不動産屋に連絡を入れてみた。

件の家賃17000円の物件を下見していたところ、

不動産からネットに乗っていない家賃12000円の別物件を紹介され、そちらにすることにした。

ほんの少しだけ狭いけれども、ほとんど同じ間取りだ。

トラバにある通り、田舎の古い空き家の多い地域ならではのテクニックなのかもしれない。


ちょっと問いに答えます

トランクルームはいけないのか?

始めはトランクルーム検討していたのだが、ブコメなどでご指摘いただいている通り、部屋にして本棚に並べて参照して通覧する必要がある。

たとえばの本を出すと、たとえばの話だが

足柄下郡誌』(伊勢書店、1899)、『北巨摩郡誌』(山梨教育会北巨摩支会, 1915)な感じの古さとレアリティ地域性の共通テーマを持った本が沢山ある。

これらは実際にはそれぞれだいたい国会図書館デジタルコレクション電子化されているのだけれど、それだと項目ごとに通覧しにくいため、原著で持っていた方がいい。

そして、トランクルームだと取り出して参照して……だと手間がかかる。

ということで、テーマごとに本が並んでいると調べるのに都合がいいのです。

部屋を借りた方がトランクルームと同じくらいの値段でずっと広く使うことができる、と今回発見があった。


図書館で借りればいいのかもしれないが、もう一つ持っている本のジャンルサブカル系のあるジャンル(たとえばの話『大技林』とか太田出版みたいな)で、

これはサブカルの亡き先輩から引き継いだもの地域図書館にはないし、コレクションとして保持・増長させたいと思っている。

ということで男のロマン「別荘」を企図することにしたのだった。

2018-05-04

山本直樹と「分校」第三巻のこと

山本直樹が好きである森山塔も大好きである

三十数年前、森山塔作品に偶然出会った。フランス書院から出ていた文庫版のあとは寝るだけであった。小さな本屋何気なく手にしたその黒い単行本に衝撃を受けた。衝撃を受けたまま一旦家に帰り、翌日学校帰りに買った。淫行かしらも、とくべつのあわも素晴らしい。いまだに名作であると思う。刷り込まれたからであろうか。いまだにコーフン模様とかにはしびれさせられる。僕がクンニ大好きになったのは森山塔の影響が大であると思っている。

その後、はっぱ64がビッグコミックスピリッツで連載されていてその画風が森山塔のものなので混乱した。同一人物であった。山本直樹は今も好きである

先日、分校の三巻が出た。すごく楽しみにしていたのだが、ウェブで連載されていた頃に比べて消しが濃くなっている所が大いに不満である。ドバシと先生の絡みがすごく良かったのに残念である

作品のものは素晴らしい。けっこうな御歳であるはずなのに、あのリビドー作品全体に満ちているような画風、リズムは素晴らしい。凄い。太田出版から出ているのだから堀田レベルでの画、消しの薄さ、消しの無さを期待していたのだが、前巻が有害図書指定を受けたこから、守りに入ってしまったようだ。

分校の第二巻も素晴らしかったのだ。まずはKindle版を買った。一読してちょっとやばいかなと感じるところがあったので、急ぎ紙版の本も注文した。その後、悪い予感は当たり有害図書指定となったわけだが、これはそのような指定を行った大人の方が感性が鈍っていると言うほかない。

2017-08-30

雑記①】

雑記①】

真木よう子炎上→鍵垢名「騙された」→ツイ消し

北尾修一:コミケ写真集編集。8/31太田出版退職予定

CAMPFIREクラウドファンディング北尾転職先?

太田出版酒鬼薔薇聖斗絶歌出版したクソ会社

万年書房:9/1に北尾が立ち上げ予定(炎上HP削除)

6/28真木よう子Twitterデビュー

7/3:フォロワーのリプに反応し松クラ度をアピール

7/23:一松アイコンで寝ている画像ツイート

8/14:視聴率暴露ツイート(1時間後にツイ消し魚拓無し)→東スポ記事化

8/25:コミケ参戦表明、クラウドファンディングスタート

(追加:8/12コミケを見に行く)

以降、ネット上でオタクアンチオタクコミケ参戦についての泥沼抗争。

8/27:真木よう子Facebook謝罪

8/28:突如鍵垢になりアカウント名が「????騙された????」になる

8/29:アカウント削除。百万年書房ホームページ閉鎖

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