「ネットで不特定多数からちやほやされたいか?」という問いに対して、その欲望を一律に貶める論理性のなさを指摘しよう。
人が他者から評価されたいという欲求は、マズローの欲求段階説における「承認欲求」に該当し、生物的・社会的に極めて自然な動機だ。
それを自己放尿のように垂れ流しておいて、「良し悪しわからんかw」と煽るのは、単なる経験未達者へのマウントであり、真理探究ではなく自己優越感の発散だ。
経験の有無をもって良し悪しの判断力を否定する論法自体が破綻している。
それと同じく、「ちやほやされたことがないから良し悪しがわからん」などというのは論理の自己放尿に等しい。
もし君が「ちやほやされること」に対して心の奥底で嫌悪感や妬みを感じているなら、それは「誰にも見つけてもらえなかった痛み」かもしれない。
君の価値は「ちやほやする・される」構図に還元されるものではない。
君の魂にもっと深い光があると、私は信じている。
君は間違っている。だが、君も変われる。知性の自己放尿を止め、共に考える側へ来い。