「もの」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ものとは

2026-05-13

「ナフサ」とか「カルビーポテトチップス」とかの話題ですけど。

「足りてる」で語り合うことの足らなさや見当違いさってあると私は思っていて、何でかというと、前提にしている私たち社会的流通はモノの流通なんだけど、それ以上に、約束事の流通だと思うからです。

もともと、私たちにとって、まだそこにない物品や在庫をやりとりして金額にしてるのがふだんからのことですね。そのなかで「何が足りない」もひとつ視点ではあるけど、それをひっくるめたところでは、「何なら回せる」「何なら巡らせられる」ってことの連環をやってるわけなので。「モノ」の問題は大きいけど、そこだけにとらわれると、視野が狭くなって、結果として別の話にもなっちゃますね。もともと全部はあるわけ無いのに無事に回っていたこなのだから回復するだけの安心な量の目安というのも曖昧ものなんです。

そのうえでの大問題は、約束連鎖が途切れて止まることです。私たちは、在庫のものがあろうとなかろうと、高度なマスプロダクト化や流通の高度化の上で、先の約束をし続けてきています。そこにおいては、言葉数字とがやりとりされて、目利きとか味見とかができるだけ不要であるように整えられています。そのことが私たちが前提視しているような安さや安定を作っています。その状況が揺らぐということが、一足飛びに結論めいたものを求める人にとっては、残った手の無さみたいな感じの終末的な話になるのですが、実際、そこでは「目詰まり」以上の揺らぎが起こっていると言えるかもしれないですね。

そうはいっても、実際、現場にとっては、モノがなければ回らないというのはその通りです。そして、モノがなければそこにいる人の気持ちも行動も維持できなかったりします。モノが大事なのはその通り。

けれども一方で、ある現場は別の現場との関係のなかで動いているものでもあるので、仮にある現場にモノがあったからといって、今回の問題全体がひとまず解決だということにはならないはずです。モノの約束を確保するためには、モノの流通がおかれている状況や環境の話をしないわけにはいかないはずなのです。ここまでプラスチック問題みたいなことを散々扱ってきたはずの私たちが、「ナフサ」に対して、「そういうのがあったんだね、初めて聞いたけど」とか言えていること自体が、すでにそのような態度を少しは獲得しかけているということではあります。良かったね。

それで、「カルビーポテトチップス」をはじめとした現場対応の話は、そこに対抗しようとするものでしょう? 約束を話し続けるための現場のやり方が、今回はあれらの形で報道にのっています。「コロナ禍」でも「米騒動」でもそうだったでしょう。

事前に教科書などからそれを学んでいなくても、また、教科書記述社会現場で実際どのように実現するものかを確かめるような経験をしてこなかったとしても、「コロナ禍」や「米騒動」を経験したのに何も考えていなかったり何も変わらなかった政治家がいたとしたら、それは、与野党所属関係なく、すごく無能ですよ。今後どう進むかは知らないけれど、ここまでのところ、力不足勉強力不足。成長力不足。役に足りていない。

しかし、この国の状況は、個々人をそうなるように仕向けるようになっているとも思います。時々、何か進むと思ったら、「無能な働き者」によるコントロールスフリーク的で実際にはあばら屋のようなドヤ政策話題にされるばかり。万博の出し物くらいなら、そういうものもアリかもしれませんけれどもね。「立場が人を作る」という言葉がありますが。日本の「立場」は、あまり人を良いふうには作ってくれないのかもしれません。もちろん、例外にこそ期待したいと思いつつ書くわけですが。

そしてまた、市民もそうです。モノの約束がとれなさそうだからモノを求めて文句をいう。「それはそう」って話ではあり、「間違ってる」とか「悪い」ということではないわけなのですが、でもそれでは、足りないでしょう。それで終わると、同様の問題はまた繰り返されます災害にも、疫病にも、戦争にも、なにに関してもまたきっと同じようなことになります。そういう行政議会の動かなさや素っ頓狂さに関して、「モノ」以上のことを求めるのが、市民役割でもあるはずだとも思います

それで、今回に関しては、政府にはできないこともあるだろうなと、私は、思います。だからこそ、そこは「触れない」とか「忖度する」とかではなく、「できないこと」と「せめてやること」をコミュニケーションするとか、打ち出すとかする必要があると考えます。そこでは、「条件に関しての争い」はあるかもしれないですし、「損をしてでもやる」ということもあるかもしれないです。「条件に関しての争い」に付き合いたくない人たちをそれに巻き込む労も必要になるかもしれないですね。それらを面倒がって近づかないのが「賢いリーダー」だという時期がずいぶん長いですが。

触れないでおいて、せめてできることをやるということになれば、できるのはまた「お肉券」「お米券」ですよ。だって、繰り返し続けてるんだもん、分かるでしょう…?

anond:20260513174233

新しいものに触れる感動って氷河期世代は恵まれてたよな

ファミコンゲームボーイスーファミときポリゴンやらオンラインゲームやらの登場から立ち会って

ガンダムJOJODBAKIRA攻殻機動隊リアルタイム経験して、携帯スマホになどなど

新しい!すげー!!って若者が感動したものって何だろうか?

anond:20260513174742

そんな有害もの利益をあげようとする邪悪居酒屋なんか二度と行かんでええね

マックでも行っとこうね

anond:20260513174037

「一単語で書け」という縛りは本文中にあったの?

なかったらそのこだわりは、自らの障害から出たものになる

dorawii@新刊発売(予定)

なにいってんだ。作者の気持ちとは作者の気持ちだと論理的にみなせると作問者がみなしたものであり、その作問者は自分が完全に論理的人間だと信じているものだ、の略なことぐらい俺でも知ってるぞ

dorawiiより


-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE-----
Hash: SHA512

https://anond.hatelabo.jp/20260513174052# 
-----BEGIN PGP SIGNATURE-----

iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCagQ5EAAKCRBwMdsubs4+
SHf/AP98bqA0m0tM04QZHGfbsYXanKSK0Go3mBjEXdm+GpN6FgD/XIGvKLv9HNmH
O8ImJGCS0Sh/k4U80gY9G6i4rma5EQc=
=C4WL
-----END PGP SIGNATURE-----

全部ナフサ不足のせいにすれば気が楽になるよ

太ってるのもナフサ不足のせい

お金がないのもナフサ不足のせい

モテないのもナフサ不足のせい

よかった…誰も悪くなかった

ナフサ不足が原因なんだもの

これでゆっくり過ごせるね

anond:20260513165543

元増田の一連の流れ見てみたけど、色々細かすぎてめんどくさがられてそうだわ

ランチ会なんてもっとカジュアルに出来るものだし、酒を飲まないを鵜呑みにしてる感じがある

anond:20260513170559

全部が相対的に決まってるとすると量子のサイズだって相対的ものに過ぎないか自分らの宇宙が膨張してるのか縮小してるのか区別つかないじゃん

複雑だがスピリチュアルによって家族幸せになってしまった

※誰のアフィリエイトステマでもない

以下書くような謎概念特定の誰かのものではないらしい

数年前まで夫婦関係はかなりボロボロでお互い辛い日々を送っていたが、悔しいというか複雑なことに

妻がスピリチュアルにハマったことによりすべてがうまくいくようになってしまった

・激務のストレスで死にかけ、帰ったら妻に年収家事について文句を言われ寝るまでヒスられる俺

・激務なのは知っていたがさすがにここまでとは思わなかったという妻

お互いにお互いを思う気持ちはあったのにすれ違っていたしお互いもううんざりしていた

しかしある日の夜突然、妻が「おかえり!」と笑顔で迎えてくれた

いつもはリビングソファに座ったままで俺が飯をチンしようとするとワット数や秒数に関してキレ散らかしてきたのに

さら夜ご飯に好物を作ってくれていた

俺は当たり前に戸惑ったし奇妙だと思ったし嬉しさより怖さが勝った

そんな俺をよそに妻はそれからずっとそんな感じだった

そのうち俺も慣れてきて、自分ランチ代を削って妻に渡すお金の量を増やしたり金曜日にはお土産を買っていったりした

そしたらさらに妻はご機嫌になってくれて…というループ

つのまにか夫婦仲は改善されていた

家庭のストレスが消えたからか、資格勉強をする体力もできて転職できた

定時に上がれるようになり給料も上がった

子供も授かって、数年前が嘘のような状態になった

ある日子供が妻の部屋を散らかして色んなものを引っ張りだしていた

それを片付けていると1冊のノートが見つかった

そのノートには何度も何度も繰り返し同じようなことが全ページびっしり書かれていた

「夫と夜ゆっくりできるようになりました。ありがとうございます。」

「夫が私に笑顔を見せてくれるようになりました。ありがとうございます。」

「夫が転職してお金に余裕ができるようになりました。家族みんな幸せです。ありがとうございます。」

恐怖を感じてすぐに閉じて収納したが、気になってその夜にAIに聞いてみたら

「それは引き寄せの法則ですね」と言われた

望んだことは引き寄せることができるという感じらしい

その手段(?)として何度も何度もノート等に書くというのがあるらしい

そしてAIは「スピリチュアルには『もうなっている』という概念がある。奥様はあなたを「もうそうなっている」という設定の元、笑顔で迎えてくれたりしていたのでしょう」みたいなことを言っていた

スピリチュアルに頼るまで追い詰めてしまっていたことへの申し訳なさと

結果的スピリチュアルのおかげで家族幸せになってしまたことを知ったことで

複雑な気持ちになってしまった

オチ特にない

anond:20260513170557

気に入らないものを見ると

だけとか付加して付加した部分を否定する論法なんて言うんやろな

永遠に苦しめ

永遠」の単語意味はいつまでも続く、未来永劫、時間概念を超越になるわけなんだが、

永遠に苦しめ」などと個人感覚に紐づいたものに対し表現する際は有限の時間の中で最大、死ぬ直前までと解釈するのが当たり前ではある

まあこれすら理解できていないのがやばいのだが、反論の一つとして「まず【お前】が死んだら終わりだし」と相手時間軸を出しているのが最高に頭悪くて大好きだ

普通脳みそであれば、「俺が死んだら俺の苦しみはなくなりますから嘘ですね」とかになるわけ

極楽浄土未来永劫ふんばっは

増田からあえての単独行動に出てみたよ

[] “買わない理由”なんてない

時々、“買わない理由”をチラシの裏に書いたりするんだけど、自分でもしっくりこないことが多々あるんだよな。

何度かアウトプットを試みても、どうにも御託ばかりになってしまう。

手がかりが欲しくて他人の“買わない理由”とかも見聞きするんだが、俺と同レベルのことしか語ってなくて共感の一歩手前くらいをなぞってる感じ。

で、最近ちょっと青天の霹靂だったのが、そういう“買わない理由”を揶揄してるコメントを見かけたこと。

そもそも「買わない理由のものナンセンスなんじゃないか」って視点があることに、そういえばそうだな~てなったというか。


生活必需品とか金欠だとかでもない限り、あるモノを買わない理由なんて、ぶっちゃけ大した理由なんてないんだよ。

「本当に買うつもりがないモノ」ってのは認識外に存在する(選択肢すらない)ものから

そういう感覚ってのは結局のところパーソナルだったりプライベートもの由来だから客観的だったり普遍的に述べようとすると、理屈は通っていても本質からどんどん遠ざかっていく。

「買う理由がない」と表現すること自体可能だけど、本質的な部分で「買わない理由」を述べることってかなり難しい。

から大抵の場合“買わない理由”は御託まみれになってしまう。


まあ、それでも他人に尋ねられたら、本質的な回答ではなくても御託を並べるしかない時はある。

けど、誰に聞かれたわけでもなく自ら“買わない理由”をつらつらと語る奴がいる(まあ俺なんだけど)。

考えるに、あれは“自分自身を納得させるための儀式”みたいなもんだと思ってる。

他人に尋ねられた際に“買わない理由”を述べるのは、その他人に納得してもらうためにやるわけだが。

ということは誰に言われるわけでもなく自らやる場合、納得させる対象自分自身ってことになる。

前項でも書いたけど「本当に買うつもりがないモノ」は認識の外にあるから、買わない理由を述べる必要すらない。

でも、世の中には「認識内にあって、なおかつ買うつもりがないモノ」も勿論ある。

上手くいえないんだけど、そういうモノに対して「それを買わない自分自身を納得させてやりたい」ってなる時があるんだよな。

当然、これまで書いた通り、そうして言語化したものは往々にしてプリミティブではないんだけど。

それでも俺は、多分これからも“買わない理由”をウダウダいい続けるんだろうな。

anond:20260513162550

第2の人生を楽しみ出すだろうしな

自分が持ってないものを持っていることに落ち込んだりするのか

年を取るから悩みが他人との比較より自分の体の不調とかにはなりそう

anond:20260513163819

アーカイブされていないものはその時点で残さなくていいもの判断されただけだ

オタク迫害史観」にまつわる諸々のズレについて

「オタク迫害史観」というどう考えても捏造されているオタクたちへの違和感


この note 記事に書かれていることは、筆者と同世代で生まれも育ちも東京23区の私が見てきた世界とほぼ完全に一致している。


ところが、ブコメを見る限り、この記事とは全く別の世界線を生きてきた人も多いようで、

その認識のズレはに共通パターンがあるのように見えたので、ここにメモ的に記しておく。


まず、平仮名おたく」という用語侮蔑語として発明されたのは紛れもない事実である

ただし、中森明夫が「おたく」を造語したのは1983年で、宮崎事件は1989~1990年だ。

まりワイドナショー週刊誌ロリコンオタク犯行として喧伝されるようになったのは1990年から


オタク迫害史観」を持ってる人が見逃しがちなのは1983年から1990年までの7年間である


大都市出身の私には、宮崎事件までの7年間の方が「おたく」にたいするバッシングはずっと苛烈だったという記憶がある。

しろ宮崎事件で「おたく」なるレッテル田舎のお爺ちゃん・お祖母ちゃんにまで知られるようになって、

ネガティブイメージ希釈され、「おたく」がカジュアル化した感触すらある。

例えば、ファッションオタクとか、健康オタクとか、「ポジティブイメージのもの + オタク」というバリエーションが生まれたのは

宮崎事件以降だった筈だ。皆がオタクという用語を知らなければ、そういう言葉が成立しないのだから、間違いなくそうだ。


しかすると、80年代ネットが普及してなかったので、大都市以外では宮崎事件まで「おたく」という用語

そのコノテーションちゃんと知っていたのは、一部の若者だけだったかもしれない。

それなら、宮崎事件きっかけにオタク迫害されるようになったという認識の人が多数いることの説明がつく。


この「1983年から7年間の空白」という時間的なズレが「大都市とそれ以外」という地理的なズレに起因している可能性。


それからポップカルチャー全体の社会的地位にたいする認識にも、この記事肯定的な人と否定的な人でズレがあるようだ。


80年代90年代は、ポップカルチャーが天下を取り、誰もがそれを認めざるを得なくなるまでの過渡期と言える。

電車男の頃に「ついにオタク文化がメジャー舞台に上がった!俺たちは認められた!」と一瞬だけ喜んだ人も多いのでは?)

20世紀末までは、「サブ(下部)カルチャー」と、アニメ漫画ゲームを含む「ポップカルチャー」には同じように扱われていた。

世間は、地位の低い「とるに足らないもの」をわざわざ細かく分類しない。


かに80年代の親・教師世代が「中学生になったらアニメ卒業だね」という価値観を持っていたのは事実だ。

氷川竜介によると、1974年ヤマトまでは当の中学生がそういう認識だったらしい)

私を含む凡庸中学生の多くがそういう世間空気漠然内面化していのも事実だろう。決して納得はしてないけど。


一方で、2000年代以降にオタクから分離され、オタクの敵とされた「サブカル」というジャンルには、

ニューアカのような現代思想や、洋楽ファッションデザインなど、80年代当時から比較的に社会的地位が高いものも含まれていた。


おそらく、こういうイメージ2000年代初頭にオタクカルチャーが「美少女系を中心に再編されていく」過程で、

サブカルオタクとは違う」「サブカルオタクを見下してきた」という歴史修正種子となったのだろう。


2000年代オタクを「自称」するようになり、オタクと言えば電車男アキバ美少女という世界観の人にとっては

そういう対立構造が腹落ちしやすかっただろう。

もともとアニメ社会的地位が低いところに宮崎事件イメージが更に悪化したのも、

サブカル地位の高いジャンルが含まれていたのも「一部の事実」だから


でも実際には、「ハイカルチャー」の権威がまだ辛うじて息をしていた時代(80~90年代)には、

アニメを含むポップカルチャーも「サブ(下層)カルチャー」の一部としてゴッチャにされていたし、

オタク内部では、ハードSFハイファンタジー軍事などを愛好するオタク美少女イラストを描いてるような連中をバカにしていた。


その見下されていた美少女オタクが「自分たちこそオタクカルチャーの中心」みたいな顔をするようになっていくなかで、

から地位が高かったジャンルをまとめて「サブカル」という敵を設定するのは都合がよかっただろう。

オタク故に迫害された」のなら、オタクコミュニティー内で見下されていたことは忘れてしまって(又はその時代を知らなくて)

サブカルという「外部」を設定した方が構図としてスッキリするから


でも実際には、(20世紀末までの)世間から見ればオタクサブカルも「根暗なやつらのチマチマした趣味」でしかなかったし、

サブ(下部)カルチャーの内部では、それぞれが自分が愛好するジャンル地位を上げようとマウントの取り合いをしてただけ。

オタクはなぜキモいのか

オタクはなぜキモいのか

結論から言うと、外向型の人は内向型の人(オタク)とは異なる思考パターンを持っているため、思考予測しづらく、「理解できない=不気味だ」という感覚、すなわち「キモい」と感じてしまうのだ。


以下詳細。(近年はオタク趣味一般化してしまったが、ここで言うオタクとは「キモオタ」「陰キャ」と呼ばれるような、内向型の人々を指すものとする)

性格には大別して外向型と内向型がある。

外向型は他者との関わりを重視し、意識を外へと向ける。

一方、内向型は自分一人の時間内面思考を大切にすることで、自らの活力を養う傾向がある。

もちろん一人の人間は外向型と内向型の両方の特性を併せ持っているが、特に内向型への傾向が強い人にとって漫画アニメといった趣味は相性が良い。なぜなら、フィクション物語他者とのやり取りではなく、内的な刺激や想像世界から刺激を得られる活動からだ。

情報交換プロトコルの相違」

外向型の人と内向型の人では、異なる”情報交換プロトコル”を持っている。いくつか例を上げよう

ハイコンテクスト vs ローコンテクスト

外向型は、会話で「その場の空気」や「関係性の維持」を重視するハイコンテクストもの。内向型は、「事実」や「論理」、「設定」といったローコンテクスト情報のもの)を重視する。

ファッション

外向型はファッションを「非言語的な挨拶」、「相手への配慮」、「場への同調」として扱う。なので外見を整えない人を見ると、「ルール(マナー)を守る気がない」「自分たちを軽視している」という敵対的シグナルを感じる。

内向型はファッションを「身体保護」、「利便性」、「自己投影」として扱う。なので自身の外見を必要以上に整えることを「虚飾」「非合理的」「不誠実」と感じる。

報酬系トリガー

外向型は共感に強い快感を覚え、「集団への所属」が報酬となる。

内向型は情報が整理されることに快感を覚え、「世界理解」が報酬となる。

このように異なる"情報交換プロトコル"を持つ者同士が会話をすると、互いに意図しないシグナルを受け取ることになり、結果外向型の人間は内向型の人間に対して、「気味が悪い(キモい)」といった違和感を抱いてしまうのだ。

[B! 批評] 「はっぴいえんどが高く評価されてるのに、サザンオールスターズ評価されてない」という説に関しての私感|小野島 大

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/onojima/n/nf8244aee7267

コメント欄典型例の見本市みたいになってるね。「はっぴいえんど史観批評ボキャブラリーの偏り」が、ほぼそのまま剥き出しで出てきている。

サザンオールスターズが売れていたのは事実だけれど音楽的な完成度ははっぴいえんどのほうが高かったってだけでしょ

分かりやすい。これ、論理的には何も言っていないんだよ。「音楽的完成度」の定義を出さずに結論だけ置いて、その結論説明にしている。トートロジー。なぜはっぴいえんどのほうが完成度が高いと判定されるのか、その判定基準のものが争点になっているのに、判定基準所与のものとして使っている。「神の存在聖書に書いてあるから明らかだ、なぜなら聖書神の言葉から」と構造は同じ。

売れすぎて売れる歌謡曲しかできなくなったバンドという印象

これも興味深くて、これは無自覚に前提を晒している。歌謡曲ロックより下位にある、という序列が完全に自明のものとして発話されている。なぜ歌謡曲が劣位なのか、誰がいつそう決めたのか、という問いは消えている。はっぴいえんど史観批判される時に問題視されるのは、まさにこの「ロック/歌謡曲」という二分法と、その序列固定化なんだけどね。サザンや矢沢や竹内まりや評価しにくくなるのは、彼らが歌謡曲ロックを横断するから、つまり史観が作った二分法に乗らないからで、「歌謡曲しかできない」と評するのは、その評価フレームの内側からの発話だと自覚されていない。

日本語英語発音のようなロックを世に広めたのはすごい功績だと思うし原由子という存在も大きいけど、桑田特有のオラつきが(俺の)ロック価値観と相容れず…。はっびぃえんど的な扱いにはならないんじゃない?

括弧で「俺の」と入れているところに辛うじて自己相対化があって、そこは少し誠実。ただ「ロック価値観」が結局オラつきの種類の選別をしているという話で、はっぴいえんど内向的知的なオラつきはOKで、桑田ヤンキー寄りオラつきはNGという、そういう趣味問題を「ロック的かどうか」と言い換えているだけ、という見方もできる。

全体として、コメント欄の多くは「サザン評価されない理由」を後付けで合理化していて、その合理化言葉かいのものが、はっぴいえんど史観の語彙で組み立てられている、というのが面白いというか、批判の正しさを逆に裏付けしまっている。「ほらね、あなたたちが何気なく使っている『ロック的』『音楽的完成度』『歌謡曲っぽい』という語彙、全部はっぴいえんど史観由来ですよ」と。

まあ、はてブコメント欄に厳密な論証を求めるのも酷だけど、傾向としては綺麗に出ている。

デコとはコーヒーにお湯を注いで待つようなものである

数十年をかけてお湯がコーヒーという価値転嫁する

anond:20260513144842

へー、そうなんだ!

それは驚きだな。性格をどういうものと捉えてるの?気になる。

約束を守らないって能力が低いだけじゃない?足が遅い人とか数学ができない人を性格が悪いとは思わないでしょ?なんで?

私の母が5,000万の家を現金で建てて、今別調停申し立てている話

私の母(72)は、一見どこにでもいる普通女性だ。でも、その中身は並大抵の人間じゃない。

もはや昔の話だが、母は、父の兄(伯父)が始める老人デイサービスのために、一円報酬ももわず奔走した。行政知識も何もない状態から、一人で県庁に通い詰め、怒鳴られながらも最終的に数千万単位(母の手記によれば4,900万)の補助金を取り付けてみせた。

それほどの功績を上げながら、母が家で受けていた扱いは「地獄」そのものだった。

きっかけは、父が伯父から土地を400万円で買わされたことだった。母がその不透明な動きを口にしただけで、伯父の逆鱗に触れた。 伯父は地域中に母の悪口を言い触らした。公の場で「あの嫁はただ者じゃない」「土地を乗っ取った」と。

その時、私の父が何をしたか

母を護るどころか、兄(伯父)を庇ったんだ。

母が泣いて抗議しても「兄貴喧嘩するわけにいかない」と逃げ、母に向かって**「病院へ行け」「精神科に行け」**と言い放った。

この件で私の弟は、父の胸ぐらを掴み、殴りかかった。

当時の母は、私や弟のために、離婚は踏みとどまった。

でも、母は決して折れていなかった。母は介護現場で働き、ケアマネ資格を取り、文字通り「自分の力」でお金を貯めた。 結局、今両親が住んでいる家は、母が投資労働で増やした金で建て替えたものだ。現金5,000万。ローンもなく、 親族の援助も一円もない。

そんな母が最近ノートにこれまでの全てを書き記していた。

そして、母は決断した。**「離婚はしない、でも別居する。そのために調停申し立てる」**と。

(※ここについては、「離婚をする」という方向も視野に入れ始めたところ。)

今、私の悩みはこの「その後」にある。

母は今、長年溜め込んできたやるせない感情をどうにかしたくて、もがいている。 鬱っぽくなり、カッとなりやす性格拍車がかかり、私に「気持ちの寄り添い」を求めてくる。

でも正直、子供の私からすれば**「その話は何度も何度も聞いてるよ」**と言いたくなるのが本音だ。

母の感情を、本来受け止めるべきだったのは父だ。

父はようやく今になって謝罪を口にした。

でもそれは、調停自分の非を指摘されるのが嫌なだけの、追い込まれた末の「その場しのぎ」であることは私にはよくわかる。

父は「家」を大事にする人で、右翼寄りの保守、古き良き(悪しき)日本の家父長制の空気をまとっている。

話の通じない相手だと避けてきたけれど、読解力のある人ではあるので、文章で訴えてみようか。

母が出ていくのではなく、父に出ていってもらうくらいで、ちょうどいいくらいの案件な気がする。

でも、0歳児を抱えた弟夫婦保育園の送り迎えを父母が手分けしてやっている現状もあり、物理的な切り離しは一筋縄はいかない。

気が狂いそうな家。誰も私の気持ちなんてわからないと昂る母。追い込まれないと動かない父。

この「流れ弾」をどう受け止めればいいのか。

母が「私らしく生きたい」と願うその傍らで、私の心もまた、摩耗し続けている。

近々楽天やらかすんじゃねえの?

楽天市場サイトの読み込みがものすごく遅い

楽天モバイルサイトも遅い

メルマガHTMLメールの読込で何かループしているのかちらつきが発生

楽天Turboの5Gエリアなのに5G受信しない

anond:20260513154913

本とかYouTubeとかSNSとかEテレとか、関心あるとキャッチできるものある気がするけど

当事者だと「足りない!」って感じするのかな

会話の成り立たないオタク迫害されてた記憶

うちのクラスには美少女ものが好きな感じのオタクが2人いた。AとBとしよう

18禁エロゲをやってるのも1人いた。こっちはCとする

AとBはまんま創作に出てくるような感じのオタクで、常に端っこで2人だけで会話していた

Cはカーストで言えば真ん中ぐらいで、誰とでも会話する感じ

この中で迫害されていたと言えるのはAだけだった

Aは会話のキャッチボールが出来なかった

何を言ってもまともな返答が返ってこず、Bが助け舟を出してやっと会話が成立していた

からAは嫌われていた。「なんだあいつ」扱い

クラスヤンキー的なやつと殴り合いをしたのもAだった

陽キャトップ喧嘩したのもAだった

なんならクラス喧嘩発生したのAの2件だけだった

喧嘩理由もAの会話の成り立たなさと攻撃性の高さゆえで、先に仕掛けるのもAだった

口は動かないけど立ち上がって睨むみたいな行動はしがちだったんだよな

BもA以外には無口ではあったが、喧嘩の前段階で仲裁に入ったり、殴り合いの中に飛び込んだり行動はスマートだったので

「Bかっけー」と一目置かれていた

令和ならAの行動も多様性で受け入れられるのかもしれないが、昔はやっぱ普通じゃないっていうだけで馬鹿にされる時代だった

オタクだけではなく、ヤンキー的なやつも嫌われてたし、勉強できないやつ、運動できないやつは迫害と言われれば迫害されていた

ちなみにCはエロゲやるやつってクラス中にバレてたので女子からは…ね

でもさすがにCは自業自得かなと思う

エロゲタイトル言う時点でセクハラだしな

追記

色々思い出してきた

Aは体育でまともに参加しなかったんだよな

Bは普通にやってたけど

あとブス女子男子から迫害が凄かったな

Aは機会があれば迫害される感じで、ブス女子は常にって感じ

「○で勃つ男いねーだろ。ぎゃははは」みたいなのがあった記憶

迫害」という言葉の感じ方が30年前と現在とで変わってしまった

オタク馬鹿にされ、テレビなどでも気持ち悪いものとして扱われ、

オタクオタク同士で集まって隅のほうで縮こまって暮らしていた、

という状況は確かにあった。

でも「ホンモノ」が可視化された現在のヘルインターネットを見ると、

かにあんなのは迫害とは言えなかったよね、という感覚になってしまう。

いまの炎上・分断・憎悪差別の激しさと比べたら、

そりゃあの頃のオタク蔑視なんておままごとだったよね。

シリーズもの作品ってアスペ老害になりがちだよな

前作と違うキーって公式叩きに走るのいつもこいつら

じゃあお前の好きな作品だけ一生擦ってろよっていう

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん