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はてなキーワード: 犯罪歴とは

2026-05-09

anond:20260509142035

日本黒人として生まれ毎日のように国籍聞かれて外国人外国人と言われて育ったけどその障がい児とやらを悪く言うのはどうなのかと思う。何が悪いの?黒人何が悪いんですか?私は犯罪歴ゼロですよ。何なら日本人の平均以上の年収で専門的なことしてるし外国語複数話せる。でも幸せではないな。周りのことを気にしすぎなのか日本という環境があってないかかな。日本は見た目とかお行儀に厳しすぎる気がする。あまり柔軟ではないなという印象がある。どういう人間になるべきかという理想人間像が固定化されすぎている。その理想人間から外れることを悪としている社会かな。

2026-05-02

anond:20260502104456

普段から礼儀を失しており、暴力犯罪歴がある人間も多いはてな村住民比較安全ってコト…!?

2026-04-22

フーコー的生権力としての「性自認

トランスジェンダーイデオロギーは、生物学的性(sex)を「社会的構築物」と位置づけ、個人性自認gender identity)を内面的な真理として絶対視する考え方であるクィア理論脱構築的枠組みを基盤にしつつ、より実践的・政策指向が強い点が特徴だ。一方、ダイバーシティエクイティインクルージョン(DEI)活動は、これを「多様性」の象徴として企業学校行政に浸透させ、異論を「トランスフォビア」として抑圧する仕組みを提供している。

ミシェル・フーコー理論特に権力(biopower)と医療化medicalization)の観点から見ると、このイデオロギー皮肉にも「解放」の名の下に新たな権力装置として機能している。フーコーは『性の歴史』で、近代権力が性や逸脱を「種(species)」として分類・内在化し、医学心理学を通じて主体生産管理すると分析した。トランスジェンダーイデオロギーは、まさにこのメカニズムを逆手に取り、性自認を新しい「内面的真理」として生産し、生(身体・発達・安全)を再管理している。

性自認の真理生産と生権力の再配置

トランスジェンダーイデオロギーは、性自認を「本人が知る絶対的な内面」として位置づけ、生物学現実性的二形性、ホルモン影響、筋骨格差)を「抑圧的な構築物」と退ける。これにより、新たな規範の再配置が生まれる。女性専用スペース(刑務所トイレ更衣室、スポーツ)の境界曖昧化され、性自認優先の政策が推進された。

英国刑務所では、2025年3月時点でトランスジェンダー囚人が339人(前年比15%増)と急増し、トランス女性(出生時男性)の性的犯罪歴率が極めて高いデータ過去に示されている。女性囚人全体の性犯罪率が約3.3%であるのに対し、トランス女性では男性型のパターンが維持される傾向が観察された。これは、フーコーが言う生権力典型——生物学的性の古い規範解体たかに見せかけつつ、性自認という新しい分類基準身体安全を再管理する装置だ。結果、生物学女性安全権が再配分され、脆弱層への被害転嫁を招いている。

スポーツ分野でも同様の再配置が見られた。国際オリンピック委員会IOC)は2026年3月女性カテゴリー参加資格生物学女性(SRY遺伝子スクリーニングによる一回限りの判定)に限定する新方針を発表した。これまで性自認尊重が優先された結果、身体的優位性による不公平女性アスリート安全問題が深刻化した。イデオロギーが「包括性」を掲げながら、実際には生物学現実無視した生の最適化を試みた末の修正である

医療化の逆説——「非医療化」の名の下の新たな管理

トランスジェンダーイデオロギー医療であるgender-affirming care(性自認肯定ケア)は、思春期ブロッカークロスセックスホルモン積極的に推奨してきた。しかし、英国のCass Review2024年最終報告)は、関連エビデンスの質が「極めて弱い」と結論づけ、長期的な精神衛生改善効果安全性に強い疑義を呈した。思春期抑制剤の使用原則として臨床試験限定され、包括的心理社会的支援へのシフトが推奨された。

フーコー医療化理論から見れば、これは非医療化仮面かぶった新たな医療化であるDSM-5やICD-11性同一性障害病理表現が緩和された「反医療化」は、一見解放的に見えるが、実際には性自認を新しい「真理の内面」として医療教育管轄下に置いた。フーコーが指摘したように、権力病理化だけでなく脱病理化によっても主体生産する。軽度の苦痛は「多様性」として肯定され、重い併存疾患(自閉症スペクトラム不安うつなど)や社会的影響(Rapid-Onset Gender Dysphoriaで指摘されるピアインフルエンスやソーシャルメディア役割)は十分に検討されにくい構造が生まれた。

結果、若年層の急増現象社会感染的な側面を持つ可能性が指摘される一方、イデオロギーはこれを「自然発見」として扱い、慎重な鑑別診断を遅らせる。フーコー的に言えば、これは生権力生産性——個人の「生」を性自認という枠組みで最適化管理しようとする試みだ。

DEI活動役割——言説統制と規範強制

ダイバーシティ活動は、トランスジェンダーイデオロギーを「インクルージョン」の象徴として組織に浸透させた。しかし、これは真の多様性ではなく、新たな単一規範強制として機能している。異論(Cass Reviewのような科学的慎重論や生物学現実の指摘)は「ヘイト」として排除され、言論空間が萎縮する。フーコーの「言説の秩序」論で言えば、特定の真理(性自認絶対性)が制度的に優位化され、他の知識進化生物学発達心理学犯罪パターン性差研究)が周辺化されるプロセスだ。

DEIは「多様性」を掲げながら、生物学女性の権利、親の関与権、科学エビデンスに基づく慎重さを犠牲にする矛盾を抱えている。これは、クィア理論脱構築とは異なり、実務レベルでの生の直接管理(人事方針教育カリキュラム医療ガイドラインへの介入)として現れる側面である

フーコー批判——権力螺旋と遅延効果の欠如

フーコーは、抵抗のものが新たな権力装置を生む「権力螺旋」を繰り返し指摘した。トランスジェンダーイデオロギーとDEIは、まさにこの螺旋に巻き込まれている。生物学規範の抑圧を批判するはずの運動が、性自認という新しい真理を生産し、身体・発達・安全を再分類・管理する生権力として機能してしまった。

真に人間らしい多様性とは、生物学現実直視しつつ、苦痛を抱える個人への共感的な支援科学的に行うことである

イデオロギーが「肯定排除か」の二元論矮小化する限り、社会コストは増大する。2024-2026年国際的修正(Cass Review後の欧州シフトIOC生物学女性限定方針)は、現実がこの生権力限界を突きつけ始めた証左と言える。

成熟した社会は、フーコー物差しで自らの権力装置不断批判し、イデオロギーではなく害の度合いとエビデンスに基づくバランスを求めるべきだ。様々な性自認を抱える個人尊厳尊重しつつ、女性子供保護科学的慎重さを犠牲にしない——それが、本来ダイバーシティ意味だろう。

クィア理論皮肉フーコー視点から批判

クィア理論は、ジュディス・バトラーイヴ・コソフスキーセジウィックらによって展開された、異性愛中心主義ヘテロノーマティヴィティ)を脱構築する試みとして登場した。規範を「行為の反復」として相対化し、ジェンダーセクシャリティを流動的なパフォーマンスとして再定義することで、抑圧から解放を目指したはずであるしかし、21世紀に入りこの理論制度化・政策化される過程で、皮肉にも新たな規範の再配置と生権力装置として機能し始めた。ミシェル・フーコーが『性の歴史』や『監獄誕生』で分析したように、権力は単に抑圧するのではなく、知識・言説を通じて主体生産・分類・管理する。クィア理論は、旧来の生物学的性規範批判しながら、自ら新しい「正常/異常」の線引きを導入し、人間本性を再定義し、さらには一部の逸脱者を「脱人間化」するプロセスを促進している。

新たなジェンダー規範の再配置:性自認優先の制度

代表的な事例が、女性専用スペースの「解放政策である英国では、性自認を重視した刑務所配置方針が長年続けられた結果、生物学男性でありながら女性として認識されるトランス女性囚人割合が急増した。2025年3月31日時点で、イングランドウェールズ刑務所には339人のトランスジェンダー囚人確認されており、前年比15%増という急拡大を見せている。過去公式データでは、こうしたトランス女性(出生時男性)のうち、性的犯罪歴を持つ者の割合が58.9%〜62%に達し、生物学女性囚人(3.3%)や男性全体(約17%)と比較して極めて高い男性犯罪パターンを維持していることが明らかになった。

同様の再配置はスポーツ分野にも及ぶ。国際オリンピック委員会IOC)は2026年3月女性カテゴリー参加資格生物学女性(SRY遺伝子スクリーニングによる一回限りの判定)に限定する新方針を発表した。これまで性自認尊重した参加が認められてきた結果、生物学男性身体的優位性による不公平が深刻化し、女性アスリート安全競技の公正が脅かされる事例が相次いだ。トイレ更衣室、温泉などの日常空間でも、性自認優先の通知や条例が導入され、生物学的性の境界曖昧化された。

これらは、クィア理論が唱える「規範撹乱」ではなく、新しい規範の再配置である生物学的性を「社会的構築物」と位置づけ、性自認を優先する言説は、フーコーのいう生権力として、身体と生を新たな基準管理する装置となった。旧来のheteronormativityを批判しながら、性自認という内面的真理を「知識権力」の対象に据え、人口を分類・最適化する——まさにフーコーが警告した、権力が「生」を対象化するメカニズムだ。

人間本性の再定義流動性 vs 生物学現実

クィア理論は、人間本性を「本質的」なものではなく、パフォーマティブに構築されるものとして再定義した。これにより、ジェンダー・ディスフォリアを抱える若者への「アファーマティブケア」(性自認肯定医療)が推進された。しかし、英国カスレビュー2024年最終報告)やその後の追跡調査では、思春期抑制剤やクロスセックスホルモン治療エビデンスが「極めて弱い」ことが指摘され、長期的な精神衛生身体的影響(骨密度低下、認知発達への懸念)が懸念されている。2025年以降、イングランドでは思春期ブロック剤の使用原則禁止され、ホリスティック包括的)な心理社会的支援シフトする動きが加速した。

この再定義は、フーコー医療理論を逆手に取ったものだ。19世紀同性愛が「逆性的感覚」という医学カテゴリとして生産されたように、クィア理論性自認を新しい「内面的真理」として医療教育法制度の対象に据えた。結果、生物学現実進化的に形成された性的二形性や犯罪パターン性差)を「抑圧」と位置づけ、流動性強制する新しい規範を生み出した。

ここで特に問題なのは、こうした人間本性の再定義社会契約民主的プロセスほとんど経ずに急速に制度化された点であるホッブズルソーが描いた社会契約は、個人の加害性や自由限界相互に認め、合意に基づく規範を構築する仕組みである民主的プロセス議会審議、科学レビュー国民合意形成公衆討議)は、これを支える現実的な装置だ。しかし、クィア理論の影響下で性自認優先政策アカデミアや一部の運動から行政法制度へ波及した過程では、こうしたプロセスが大幅にバイパスされた。生物学現実潜在的加害性の検討が十分に行われないまま、政策が「進歩的トレンドとして導入された事例は枚挙にいとまがない。

社会契約民主的プロセスは、一種の「遅延効果」を持つと見るべきだ。思想トレンドの変化が熱狂的に進行する中で、即時的な制度反映を「遅らせる」安全装置。審議の時間科学エビデンスの蓄積、利害関係者の声の反映——これらがなければ、流動的な人間像の再定義現実の害(身体的・心理的・社会的コスト)を十分に考慮せずに固定化されてしまう。クィア理論脱構築を掲げながら、この遅延効果を「抑圧の装置」と位置づけ、民主的チェックを弱めながら生権力を再配置した。

医療基準改定による「非医療化」の逆説——フーコー医療理論適用

ここで注目すべきは、医療基準自体改定による「非医療化」が、フーコー医療理論でこそ最も鮮やかに説明できる点であるDSM-5(2013年)では「Gender Identity Disorder(性同一性障害)」を「Gender Dysphoria(性別違和)」に改称し、アイデンティティのもの病理化する表現廃止した。ICD-112019年)では「Gender Incongruence(性別不一致)」を精神疾患から性的健康関連条件」章へ移動させ、精神疾患としての分類を正式に解除した。これらは一見クィア理論が推進した「反医療化」の勝利のように見える。

しかし、フーコー医療理論から見れば、これは非医療化の名の下に行われる新たな医療化・生権力の再配置にほかならない。フーコーは、権力が「病理化」だけでなく「脱病理化」によっても主体生産管理することを繰り返し指摘した。旧来の病理化(行為を「種」として内在化し、管理対象とする)を批判するように見せかけつつ、「合意と害の不在」という新しい基準で逸脱を再分類する。適合する軽度の逸脱(規範撹乱的な多様性)は「正常な多様性」として保護特権化され、適合しない重い衝動(非同意暴力要素の強いパラフリック障害)は、より強く「ただの犯罪」として切り捨てられる。これにより、クィア理論は反医療化を装いつつ、性自認を新しい内面的真理として医療制度的介入の対象に据え、人口の生を再最適化する装置を構築した。まさにフーコーが警告した「権力生産性」の典型である

犯罪者の脱人間プロセス二重基準階層

さらに深刻なのは、逸脱の「軽重」による選別が、犯罪者の脱人間化を促進している点だ。合意ベースの軽度パラフィリアや規範撹乱的な表現は、クィア理論によって「多様性」として保護特権化される。一方、非同意暴力要素の強い性的衝動(パラフリック障害)は、「ただの犯罪」として切り捨てられ、道徳的社会的に脱人間化される。DSM-5がパラフィリア自体を非病理化しつつ、害を伴うもの障害とする区別を設けたのも、この二重基準制度化した例である

フーコー的に見れば、これは生権力典型的な逆説だ。クィア理論は「反医療化」を掲げて旧来の病理化を批判したが、結果として新たな分類装置を構築した。「クィアであること」が文化的道徳的資本となり、十分に「クィア」でない逸脱者(重い反社会性+性的衝動の複合型)は、規範の外側に排除される。犯罪者は「宿命的な怪物」としてではなく、社会管理すべき生として扱われるべきなのに、理論は「軽い逸脱」の保護と「重い逸脱」の脱人間化を同時に推進する二重基準を生んだ。これにより、管理される自由自発的衝動抑制治療や専用環境選択肢)は十分に整備されず、宿命的な渇望を持つ人々をさら孤立させる。

フーコー批判——権力螺旋に巻き込まれ抵抗

フーコーは、権力は「抑圧」ではなく「生産」であり、抵抗のものが新たな権力装置を生むと繰り返し指摘した。クィア理論はまさにこの螺旋に巻き込まれた。規範脱構築しようとしたはずの運動が、性自認という新しい真理を生産し、身体と生を再管理する生権力として機能している。人間本性を流動的に再定義した結果、生物学現実や加害性の潜在性を直視する機会を失い、脆弱層(生物学女性子供)の安全権を再配分する事態を招いた。

社会契約民主的プロセスという「遅延効果」を欠いた再定義は、こうした生権力の再配置を加速させた。人間らしい社会とは、逸脱の宿命を認めつつ、害の度合いに基づく透明な線引きと、加害衝動者への「選択肢」(任意医療的介入や構造化された環境)を拡大する社会であるフーコー物差しで測れば、クィア理論実践規範の単なる置き換えに過ぎない。脱構築の名の下に生まれた新たな抑圧を避ける——それが、今求められる成熟した視点だろう。

2026-04-13

努力するイケメンと何もしないブサメン二極化について

職場に、27歳で結婚してもう3児の父になっている先輩がいる。いま40代だが、ずっとジムに通っていて、毎朝きっちりヘアセットして出勤してくる。仕事もできる。家事育児専業主婦奥さんに一任しているらしく、本人はそのぶん仕事自己管理リソースを振っている。

こういう人を見ると、正直「そりゃ勝つだろ」と思ってしまう。体型管理もしている、見た目にも気を使っている、仕事でも結果を出している。人生のいろんな局面で、ちゃん努力を積み上げてきた人なんだろうと思う。

そして実際、その先輩は飲み会でもよく「自分は頑張ってきたし、失敗もしてきた」と語る。そこに嘘はないのだと思う。問題は、その「頑張ってきた」「失敗してきた」が、こちらのそれとは同じ言葉で括れない種類のものだ、ということだ。

 

この前の飲み会で、先輩が10代の頃の恋愛話をしていた。中学高校大学と、ずっと女の子から告白されてきたらしい。でも本人は「告白してくる子と付き合うより、自分から好きになった子を落としたかった」と言う。だから自分からアプローチして、振られたことも何回もある、と。

さらに、中学生の頃の初デートの失敗談も話していた。下見をしていなかったせいで道に迷った、行き先もその場でぐだぐだになってしまった、うまくエスコートできずすごく挫折感があった、と。本人の語り口としては、「俺だって最初からうまくいったわけじゃない。失敗しながら学んだ」という、よくある成長譚だった。

たぶん、その話自体は本当なんだと思う。実際に気まずかったのだろうし、本人なりに傷ついたのだろう。だが、聞いていてずっと引っかかったのは、その失敗談の前提として「常に周りに付き合ってくれる女の子がいた」という事実の重さだった。

告白され続けてきた。自分から好きになった相手に何度か振られた。それでもまた次に行ける。初デートで失敗しても、そもそも中学生の時点で初デートまで辿り着いている。そこに、もう自分とは見えている世界が違う感じがあった。

 

ここで言いたいのは、「イケメン努力していない」という話ではない。むしろ逆だ。彼らの中にはかなり努力している人がいる。ジムに通い、服装に気を使い、会話も改善し、仕事でも結果を出す。

問題は、彼らが努力しているかどうかではなく、努力に対して返ってくるフィードバックの質が根本的に違うことだ。

イケメン人生には、少なくとも若いから「取っ掛かり」がある。話しかければ返事が来る。誘えば検討される。失敗しても、完全なシャットアウトではなく「次はもう少しちゃんとしてほしい」「でも嫌いではない」みたいな、改善可能性を含んだ反応が返ってくる。

もちろん全員が優しいわけではないにせよ、少なくとも人間として評価される土俵には立てる。

これはものすごく大きい。なぜなら、人間ポジティブフィードバックがあると改善を続けられるからだ。筋トレでも勉強でも仕事でもそうだが、少しでも手応えがあると人は続けられる。

恋愛や対人関係も同じで、「やれば多少は良くなる」「失敗しても改善意思があれば…n回目までは…見捨てられない」という経験がある人は、試行錯誤を積み重ねられる。

一方で、ブサメン側にはその取っ掛かりがない。容姿改善努力をしても、良い容姿にはなれないことが多い。

清潔感筋トレ服装、会話術。そういう定番改善策はたしか意味がある。でも、それで劇的に世界が変わる人ばかりではない。そして変わらなかったときに返ってくるフィードバックは、拒絶ですらなく「無視」が基本だ。

これがきつい。拒絶はまだ情報があるが、無視には情報がない。ダメな点がわからない。改善の方向も見えない。そもそも観測されていない。

自分他人人生の画面に表示されていない感じだけが積み重なる。そうなると、人は行動停止と思考停止に入る。

その結果、スタート地点以上の差がつく。スタート地点が良い人は、そこから良いフィードバックを受けながら改善を重ねていく。

からさらに洗練される。見た目も、会話も、仕事も、自己効力感も伸びる。恋愛経験人間関係経験になり、それがまた社会的成功につながる。

逆にスタート地点が悪い人は、最初の時点でつまずき、その後も改善の手応えを得られないまま年齢だけ重ねる。若さという最終的な逃げ道も失われる。

加齢で見た目はさらに不利になり、未経験や自信のなさはコミュニケーションにも出る。行動しないか経験が増えず、経験がないかさらに行動できない。

そして「その年になるまで何をやってたの?自業自得でしょ?」となる。悪循環としてはかなり強い部類だと思う。

自分はこれを、個人努力不足というより、ある種の構造問題として見ている。

もちろん親から虐待を受けていた「トーキッズ」や、ハードコア環境に置かれて前科者になり、その後立ち直れない問題と完全に同じとまでは言い切れない。

置かれている状況も困難の中身も違う。ただ、スタート地点の不利がその後のフィードバックの悪さを呼び、その悪いフィードバックさらに再起を難しくする、という構造はよく似ている。

社会は、家庭環境の悪さ、学歴の不利、犯罪歴の重さについては、少なくとも「自業自得」「他責をやめろ」と切って捨てるのではなく「それは人生に影響するよね」と認める方向に進んできた。

ところが、容姿、とくに男の不利な容姿については、驚くほど軽く扱われる。「中身を磨け」「努力が足りない」で話が終わりがちだ。

でも実際には、容姿が悪いことはかなり強い人生デバフだと思う。しかも厄介なのは、そのデバフが初期値の不利にとどまらず、周囲から返ってくる反応の質そのもの悪化させることだ。

人は反応によって育つ。良い反応を受けて育った人と、無反応の中で萎縮してきた人が、同じ地点に立てるわけがない。

から、冒頭の先輩の「俺も失敗してきた」という言葉モヤモヤする。いや、失敗してきたのは本当なのだろう。

でも、その失敗は、失敗しても次のチャンスがある人の失敗なんだよな、と思ってしまう。失敗が経験値になる世界と、失敗以前に参加権がない世界は、かなり違う。

イケメン怠惰ではない。努力している人は本当にしている。ただ、彼らは女性たちからフィードバックの質がいい。改善を待ってもらえ、再挑戦の余地を与えられる。その環境の中で努力できる。だからますます強くなる。

そしてブサメンは、その逆のスパイラルに落ちやすい。取っ掛かりがなく、無視され、停滞し、老いる。この問題もっと語られていいはずなのに、なぜかずっと「他責をやめろ」で片づけられている。

人生はいろいろなデバフがある。その中で、ブサメンであることは驚くほど可視化されていないデバフだと思う。見えにくいだけで、軽くはない。むしろ、本人の自意識と行動力時間じわじわ削っていくぶん、かなり性質が悪い。

たぶん一番つらいのは、損をしていることそのものより、その損が存在しないことにされることなのだ。

2026-04-12

日米の帰化手続き

試験審査の内容(最大の違い)

アメリカ

英語テスト:読み・書き・話し・理解の基本能力を面接確認日常会話レベル)。一定年齢以上(例: 50歳以上で永住20年以上など)で免除通訳可能場合あり。

公民テスト(Civics Test):アメリカ歴史政府憲法に関する知識テスト公式100問(または65歳以上は限定20問)から10問出題され、6問正解で合格。事前学習可能で、USCISサイトに全問題と回答あり。2025年10月以降申請者は新バージョン2025テスト適用

面接申請書類の内容確認も兼ねる。合格比較予測やすく、準備次第で通りやすい。

日本

明確な「試験」はないが、日本能力審査実質的ハードル国籍法に明記されていないが、実務上「小学校3年生程度の読み書き・会話能力」(JLPT N3〜N4目安)が求められる。

審査方法法務局での面談(1時間程度)、動機書の自筆内容、宣誓書の読み上げ、場合により漢字読み書きの筆記テスト面接では在留歴・家族仕事動機犯罪歴などが聞かれる。

日本語が不十分と判断されると不受理や不許可可能性が高い。漢字圏以外の人や能力不安がある人は特に注意。

違いのポイント

アメリカは「知識テスト公民)」が中心で英語力も基本レベル日本は「言語能力日本語)」の総合判断が中心で、知識テストのようなものはなく、面接書類審査が深い。


3. 宣誓(Oath / 宣誓書)の違い

アメリカ手続きの最終ステップ位置づけられ、**Oath of Allegiance(忠誠の宣誓)**を公開の式典(Naturalization Ceremony)で唱える。

内容:外国への忠誠放棄米国憲法支持、米国の敵に対する戦闘義務必要時)、忠誠心など。米国市民になるために必須で、宣誓後すぐに帰化証明書(Certificate of Naturalization)を受け取り、正式市民となる。

式典はグループで行われ、ビデオ鑑賞や国旗掲揚など儀式的。宣誓しなければ市民権は得られない。

日本

申請受付時に「宣誓書」を担当官の前で音読署名する。これは「日本国民となったら法令を遵守し、善良な国民となることを誓う」という簡潔なもの

これは手続きの初期段階(書類点検時)で、忠誠心の強い儀式ではなく、日本能力チェックの一環。最終的な帰化許可後、特別な公開宣誓式はない。

日本憲法や忠誠に関する深い知識テストはなく、宣誓の重みはアメリカより軽いとされる。



違いのポイントアメリカは「忠誠の儀式」として象徴的・最終的。日本は「誓約確認」として手続き的・初期段階。


まとめ:主な違い

試験重視:アメリカ知識公民)+基本英語の明確テスト日本日本能力総合審査テスト形式は緩やか)。

宣誓の位置づけ:アメリカは最終の儀式的忠誠誓約必須・公開)。日本は初期の簡易誓約日本語チェック兼ね)。

全体の性格アメリカ移民大国らしい「知識と忠誠の確認」で比較的準備しやすい。日本は「日本人として社会に溶け込めるか」の生活実態審査が厳しく、言語経済素行が鍵。

anond:20260412092814

2026-04-02

anond:20260402105717

犯罪歴あったら忌避するのは当然だし、交通事故件数多かったら忌避するのは当然だし、怪しい活動してるやつを忌避するのは当然だろ

2026-03-31

アメリカとかイギリスどころか東南アジアでもコレだよね

面接当地公用語常識から話せないってのはまずありえない

一定年数住んでまともに納税してきてるかチェックも普通だし

日本が緩すぎただけ

2026-03-19

多くの他人NPCであると考えたら色々楽になったのでお前らにオススメしたい

3行!

1 全ての他者に対して十二分な思考力・共感性・人格人間的魅力を求めると消耗してしまう。人間、少なくとも一般的日本人はそこまでレベルが高くないかである

2 この問題に対して、「この世界テレビゲームシミュレーターのようなものであり、理解不能な行動を繰り返す他者はそういうアルゴリズムを与えられたNPCなのである」と考えるようにすることは高い効果が得られる。

3 他人が非効率的な行動や理解に苦しむ言動を繰り返していても「なるほど、このキャラクターはこういうアルゴリズムを与えられているからなんだな」と割り切れるようになるとかなり楽になる。

ちょっと長くなるぞ

俺はインターネットに毒されたせいもあって、ちょっと現代人に対して期待しすぎている所があり長年苦しんでいた。

現代人はまともな人権意識倫理観があるはずなのに何故ハラスメント行為を平気で繰り返すのだろうか・・・何故こんなにも非効率的な行動を繰り返して周りに迷惑をかけるのか・・・何故こんなにも無能性格も終わっているのか・・・、などのことを日々考えていた。

そんな中で俺はとある発見をしたのである

「結局コイツらに本質的な知性や真っ当な人間性はなく、一見それらがあるかのように振る舞う習性インプットされているだけの出来の悪い人工知能のようなものしかないんだ」と割り切ってしまうと一気に楽になるということを。

そのイメージを固めるために俺はMMORPGやシム・ピープルのようなゲームを思い浮かべることにした。

この世界がある種のゲームであるならば、ゲーム全体には不特定多数NPCPC共存しており、NPCは与えられたアルゴリズムに従って動くことで世界PCに対して絶えず干渉し続けているという形となる。

その世界存在するNPCの行動原理は時にPCからは全く理解不能であるが、それらに意思目的意識存在せず単に「そういうI/Oになっているから」以上の理由存在しないのだ。

PCは彼らのアルゴリズムに直接干渉する権限はないのだから、「そういう現象」として扱う以外の道はないのである

このようにして一部の他人に対して人間性の実在を疑ってかかるよう覚悟を決めると、まさしく蒙が啓かれたらしく世界の見え方が変わってきた。

たとえば1日に100回「死ね」の言葉自分の机で呟き続けている人物が時折世の中にはいるわけだが、そういった相手に対して今までの私は「何か不機嫌になる理由があるのかな?私が不機嫌にさせているのかも?」と悩んでしまっていた。

だが、今の私は全くそんなことは考えない。

「なるほど、このNPCアルゴリズムによって不定期かつ高頻度に罵声ブツブツ言うようにプログラミングされているのだな」で終わりだ。

これは本当に画期的だった。

「なんでこの人はこんなことをしているのか?アドラー心理学にでも考えてみるか?」と悩んでいたものが、本当にたったの一瞬で終わるのである

私は一部の他人NPCとして扱うようになったが、別に彼らに対して人権侵害を行ったりはしていない。

何故なら彼らは「種族人間 役割属性一般人 犯罪歴:なし~不明」のNPCであって、法治国家ルールによって守られる存在からである

たとえばある種の法律システムに組み込まれMMOにおいて一般NPCを不当に傷つければそのプレイヤーカルマ値PCを傷つけたのと同じように低下していくわけだが、現実世界も同じような仕組みで動いているわけだ。

相手が「人間」の「一般人である以上、彼らに対しての犯罪行為PCに対して行っているものと全く同じように扱われると考えるべきだ。

だが、彼らに対して必要以上に優しさや配慮を振りまいてやる必要はないし、見返りが期待できないのであれば仲良くしてやる必要なんてないわけだ。

他人あくま他人しかないのだから、考えを理解しようと頑張り過ぎに適当に切り捨てるぐらいでいい」というだけの話ではある。

こんなことを理解するのに何十年もかけて自分流の補助輪を発明する必要があった私はNPC共を笑えない程度には知能が低いのかも知れない。

だがそれでも別にいいのだ。

世界の大部分がNPCに埋め尽くされているのであれば、その中でついた優劣でさえ「この世界は強めのNPC複数配置されており、ゲームバランスが自分から見ると厳し目に設定されている」というだけで終わりなのだから

たまたま設定された性能が高かっただけのNPC自分比較していちいち落ち込むだけ時間無駄というものだ。


これを読んで「そっか、俺も同じ事悩んでたからやってみようかな🤔」と考えるPCNPCがいるなら、よければ「試してみたぞ。ここをこうするともっと良くなる気がする」などと語ってくれたら幸いだ。

この理論で言えば、他人からみた私も「こういうセリフを言うようにプログラミングされたNPC」に見られるのかもだがな。

2026-03-05

マンガワン騒動で思うのは犯罪歴アウティングしてもいい、みたいな雰囲気が作られていること

小学館の社内全体で犯罪歴共有して当然みたいなコメントブコメにもあるしXにもアホほどある

具体的には、ペンネーム変えても経理が気がつくはず、体調不良理由休載したのは会社ぐるみ隠蔽している、みたいなやつ

胸糞悪い犯罪者だろうが人権が消えてなく無くなるわけじゃない

ネトウヨ自認だけど、なにもかも左派凋落しすぎたのが悪い

はてブですら、こんな人権意識なんだから左派反省しろ

2026-03-04

人気漫画家だけ社会復帰が語られる不思議

最近の件を見ていて、ちょっとよく分からなくなったことがある。

というのも、これまでネットでは「犯罪歴のある人の社会復帰」という話が出るたびに、だいたいかなり冷たい反応が普通だったと思うからだ。

ヤクザが「社会の目が厳しい」と言えば自業自得だと突き放されるし、薬の売人が一生肩身の狭い思いをするのは当然だと言われる。

性犯罪者にはGPSを付けろという声が当たり前のように飛び交うし、少年犯罪者なんて、しばらくネットおもちゃみたいに扱われることも珍しくない。

炎上した人間を、地の果てまで追い詰める勢いで叩くのも、ネットではよく見る光景だった。

このあたりの空気は、わりと共通認識だったと思う。

ところが今回に限って、急に「犯罪者社会復帰必要だ」とか「更生の機会は社会が与えるべきだ」とか、どこかリベラル調子言葉があちこちから聞こえてくる。

もちろん、それ自体は立派な意見だと思う。

社会復帰の機会が必要だという考え方自体は、特に珍しいものでもない。

ただ正直に言うと、少し引っかかる。

あれ、そんなこと今まで言ってましたっけ?

という違和感だ。

これまでの話と今回の件で何が違うのかを考えると、結論はたぶんかなり単純なところにある気がする。

聞いた話では、その人の漫画が人気だったらしい。(恥ずかしながら自分は読んだことがないけれど)

まり、かなり身も蓋もない言い方をすると、

面白い漫画が読めるなら、その作者が過去に何をしていようが関係ない」

という気持ちがまず最初にある、ということなんじゃないだろうか。

言い換えるなら

会ったこともない誰かの尊厳より、

自分面白い作品を読めるほうが大事

たぶん、そういう感情だ。

そしてこれは別に否定するつもりはない。

しろ人間としてかなり自然感情だと思う。

好きな作品を守りたい。

自分にとって価値のあるものを失いたくない。

そう思うのは普通のことだ。

ただ、その気持ち正当化するために、急に「犯罪者社会復帰」という立派な看板を持ち出すのは、少し雑なんじゃないかとも思う。

もし本当にその立場を取るなら、これから先、元ヤクザ性犯罪者や、過去炎上した人たちの社会復帰についても、同じように一貫して擁護することになるはずだからだ。

でも、ネットのこれまでの空気を見る限り、たぶんそうはならない。

ヤクザが「社会の目が冷たい」と言えば、また自業自得だと突き放されるだろうし、昔炎上した人が普通幸せ生活を送っていたら、「許されるわけないだろ」という声が出てくるはずだ。

その時にはきっと、「犯罪者社会復帰」なんて言葉はどこにも出てこない。

ここまで書いていて、少し皮肉だなと思ったのは別の点だ。

はてなブックマークという場所は、普段かなり鋭く「ポジショントーク」や「ダブルスタンダード」を見抜く場所だという印象がある。

立場によって原則を使い分ける議論とか、きれいごとを都合よく振り回す論法とか、そういうものにはかなり厳しい。

そして同時に、普段は「リベラルきれいごと」を散々からかう場所でもある。

からこそ今回の流れを見ていると、ちょっと不思議な感じがする。

というのも、今回見かける議論の形って、

普段はてなー批判している“リベラル的な議論の構図”とかなり似ているようにも見えるからだ。

自分たちの都合を守るために理念原則を掲げる。

ただし、その原則が他のケースにまで適用されるわけではない。

そういう議論を、これまで散々「ポジショントーク」と呼んできたんじゃなかっただろうか。

もちろん、人間から好きな作品を守りたい気持ちは分かる。

ただ、それならそれで

面白い漫画が読みたいか擁護する」

で終わらせたほうが、むしろよほど誠実なんじゃないかとも思う。

ただ、この話をどう整理するのが一番筋が通っているのかは、正直まだよく分からない。

今回語られている「犯罪者社会復帰」という原則は、

本当に一般的原則として語られているのか。

それとも

人気作品の作者という例外的なケースだから成立している話なのか。

もし前者なら、元ヤクザ性犯罪者過去炎上した人たちの社会復帰にも同じように適用されるはずだし、

もし後者なら、それはそれで「原則」というより単に例外扱いということになる。

このあたりをどう考えるのが一番筋が通っているのか、正直まだよく分からない。

2026-03-03

anond:20260303150419

今回はどちらも名義を変えているけど名義を変えるな、変えるなら犯罪歴や性加害歴を示せという要求人権侵害が認められる可能性は十分に高いでしょ

少なくともアウティング肯定するのはあり得ない

anond:20260303201039

それは要するに魔女裁判原理です。

内心の自由憲法で認められているのは「内心はわかりようがないから」というシンプル根拠があり、内心を理由弾圧してよいならいくらでも難癖をつけられます

社会における「正義」とは「正しい手続きを取っていること」のみで測られなければなりません。

差別禁止する法律犯罪歴に対するものも含めてのものであると認められており、それに照らして正義ではないのはあなたです。

星霜の心理士原作者が名義を変えるべきだったかそのままにすべきだったか

まず話題になってたから読んでみた。

キャラ心理を丁寧に描写していて、現代的な価値観で各キャラを癒やしていく過程が引き込ませてくれるもので、絵もめちゃくちゃ上手いし端的に面白いなって思った。

自分は知らなかったけど漫画好きの間では知られてるみたいだったしそのうちもっと評価されるようになっていったんだと思う。

で、あの、これやっぱ名義変えてて良かったんじゃない…?

性犯罪者が元の名義のまま社会的評価されていくより、違う名義で知らない誰かが売れてるって思ってたほうが被害者に取って良かったんじゃない…?

マツキタツヤのままだったら読まなかった!!私の大好きな漫画に傷をつけたやつだって知らせておけ!!!とか無関係私たち第三者が喚いてるけど、

そういう性犯罪者漫画を読みたくない我々読者の気持ちより被害者二次加害が及ぶ可能性のほうを気にするほうがよっぽど大切だと思うんだけど。

犯罪者犯罪歴を背負ったまま生きていけ、とかい忘れられる権利全否定するような人権を知らないクソ言説唱えてるバカも出てくるしさ。

無関係私たち気持ちを優先しろみたいなのは良くないと思うよ。ほんと。

どんどんやべーのが発掘されてるな

takanagi1225 名前変えてるのは更生したと言えない。ただ逃げて隠してるだけ。


そもそも有名人じゃなければ犯罪歴世間に広く公表されることすらないから隠して生きていけるんだけどそれじゃ更生にならないんだ

前科がある人間は一生周りの人に私は犯罪を犯しました!って公表しながら生きないといけないってこと?

anond:20260302204055

be_it_sore 声かけたら偶然マツキタツヤだったじゃなくて、編集部から本人目当てで声かけてるの編集部倫理観どうなってんだよ…少年少女雑誌扱ってる会社でも未成年わいせつってたいしたことじゃないんだ

radiobroken マンガワン編集があえてマツキタツヤに今なにしてる?とコンタクト取ったのが驚き 犯罪歴のある作家の更生もあって然るべきだがここが引っかかってしまう(あとはペンネーム変えずに書けよと言う気持ち)

前科者はミュートしないといけないらしい。

障害者と同じだよね、救済は必要だけど見えるところにはいないでほしい。NIMBYじゃん

漫画家犯罪歴の公開が必要ならはてブだって犯罪歴公開すべきだろ

はてブは人目に付く場所なんだから犯罪者かどうかがわからないといけないだろ。

スピード違反とかそういうの全部開示で

anond:20260302204055

いや、実際に、基本的人権って思想ちゃんとまっとうするなら、犯罪者社会復帰大事なんだよ。

人権概念本丸ですらある。

卑しい黒人奴隷、えたひにん、貧民出身者、幼き頃教育を受けてない人々、そういう人の過去理由に、現在マイナス判断しないこと。これが基本的人権趣旨である

過去」には犯罪歴が含まれる。当然。

 

からお前の言う通りのことやってるやつがいたら、そいつ人権を軽視してるんだよ。

はてなーはもはや人権左翼じゃなくなったんだろうな。

 

(なお人権なんか軽視すべきかもしれないという視点は当然ある)

2026-03-02

anond:20260302064609

というかそもそも今回の話って誰の何が悪かったの?

批判してる人も論点まちまちなんだよね

 

スカトロはそれ自体が罪ではないし

未成年淫行の罪は刑罰で償い済み

示談交渉が決裂も別に罪ではない

編集者の行動も、小学館曰く「参加以前に既に当事者間で協議されていた条件があり、編集者は、当事者に対し、弁護士委任して公正証書作成してもらうよう助言をしております。(以下略)」

↑これも別に罪でもないだろ

過去犯罪歴民事訴訟情報を開示する義務もない

前科者を雇用したり仕事に使うのだって全く罪ではない

民事訴訟進行中なのも仕事を切らなくちゃいけない理由にはならんだろ

 

というか

犯罪者の書いた漫画読んじゃった~!ゲロゲロ~」とかやってるやつらの方が加害者だろ

2026-03-01

anond:20260228095749

いいえ。 差別禁止する法律はあります

犯罪歴に対するものも含めて。

ただ、同時に契約自由もあります

差別されない権利に対して契約自由で対抗している状況です。

違法性裁判以外で判断されることはないです。

個々の事例で裁判しない限り違法性があるかどうかはわかりません。

あなた判断できることではないです。

でもお前ら前科者を受け入れないじゃん

罪を償った前科者を自分職場に受け入れる覚悟在りますか?

罪を償ったのに色眼鏡で見られて差別されるから隠さざるを得ないんだよね。

そもそも過去犯罪歴を当然に開示すべきとする法的根拠なんてないんだよ。

黙ってる権利は誰にでもあるわけ。

それなのに後から発覚したらそれが大罪みたいに言われるの、ちょっとおかしいと思いますよ。

2026-02-28

既に事件当時、起訴されて罰金刑まで終えてるのに

過去犯罪歴のある奴はマンガに関わることすら赦されないのかよ

就職たらこの人前科ありますって

人類通達しなきゃダメなのかよ

2026-02-27

小学館のアレ

まず作家人格作品の出来は分けて考えたほうがいいんじゃねということ

作家がクソ野郎だろうが犯罪者だろうが面白い作品面白い

それ以外に何かあるか?

逆にどんなに作家人格者だろうが作品がクソなら誰も読まないだろ?

あと小学館対応は俺もクソだったと思う

だがそれは被害者に口止めしたこと以上に作家犯罪歴を隠したこと

堂々とこいつは犯罪を犯したバカ野郎です

でも面白い作品ができたのでどうか読んでくださいでいいじゃねーかよ

漫画しか描けないやつが漫画家できなくなったらそれこそより大きな犯罪犯しそうやんけ

それなら漫画描かせて生活縛って納税させたほうがまだマシだろ

2026-02-17

anond:20260217044202

「殴らないからいい人」

犯罪歴がないからいい人」

レベルで言ってるだろ

「殴らないし犯罪歴もないが性格カスで一緒にいると不快」というお前みたいなのはゴロゴロいんだよ

それは原石ではなくゴミ

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