はてなキーワード: 次男とは
少し前は日中誰もいない家でダラダラすることに罪悪感があったんだけど、別にいいかなと思うようになった。
今、子供が2人いてまだ育休中。外遊び大好き長男と自我が出てきた次男を毎日1人で見るのは不可能なので認可外の保育園に預けている。夫は、子供が目覚める頃に出勤して寝着いた頃に帰宅する生活。
ワンオペはきつい時もあるけど、まぁ何とか回せてる。
夫の稼ぎで生活している身としては、仕事で疲れている夫に、食べ終わった皿を下げろとか、子供をちゃんと見てるとか、ねちねち言いたくない。
しかし、自分がせこせこ動いているときに、のんべんだらりとしている人を見るのはイラつく。
不自由ない生活をさせてくれてありがとう、と思った5分後に私が洗ったパンツ履いて偉そうに、と思ったりする。
本当にムカつく。
しかし、そこで取り繕えなくなるよりも(まぁ自分もダラダラしてるからな)と思って皿を洗って洗濯物をたたむ方が精神衛生上良いのではないかと思うようになった。
子供にとっても、夫にとっても。
私にとっても。
三つ子育児でまともに眠れず産後鬱になり、夫は頼れず外部に助けを求めようとしても叶わず、夜に泣く次男を衝動的に畳に落として死亡させた母親は懲役3年6ヶ月の実刑判決をうけ、男達が罪が軽すぎる、女割子供を殺す方の性別と大騒ぎしていた。
高校生の息子のご飯を作るのが辛くて鬱になり、息子を後ろから何回も刺し首を絞め殺した父親は、鬱だから仕方ないよねと、執行猶予がついた。
女割ーと騒ぎ立ててる男達はガン無視だ。
https://news.ntv.co.jp/n/mmt/category/society/mmc3c3c9c50ecd470bb0fb3584357b777d
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
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瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
自殺してぇ、死にてぇ、安楽死合法化はよ、と言っている、そこのキミ。
傲慢ですねー。
傲慢ですよほんっとに。
自分に惨めな人生はふさわしくない、自分に苦痛はふさわしくない、自分に欠乏はふさわしくない、なぜならば自分は尊厳ある人間だから。
なんて思っています?
お前に尊厳なんかあるきゃねぇだろうが。
俺にもねぇ。
例えて言うならな、お前は紀元3世紀の四川省に住んどる小作農の次男坊で、周りの奴らは諸葛亮孔明だ。そう思え。今日からそうなる。
オラァよ、横山光輝の漫画を思い返すとカッとなっちまうのよ。あの三国志の漫画をよ。
何が言いたいかって言うとな、周りの連中はお前を玩具だと思っとる。お前に尊厳はない。
あの難民一家のボンボン孔明さんはよ、漢の劉邦一族の末裔が中華大陸を支配しなきゃなんねぇという狂気に取り憑かれてよ、お前を何百キロ先の戦場へと駆り出してゴミのように死なせようとしている。
中山靖王の末裔が劉備玄徳だろうがお前の知ったことではない。お前の喜び、お前の人格のすべてを劉備玄徳一党の野望のために捨てなくてはいけない。前漢の高祖劉邦自体ただの平民なのに。
諸葛亮孔明は劉備玄徳のために、その一子劉禅阿斗のために涙を流しはするが、お前に関してはどうでもいいと思っている。出師の表は忘れろ。
つまり、お前のステータスはオナニーのティッシュペーパーに過ぎない。
お前が今日、自殺するならば、お前のステータスは周りの連中のオナホールになる。
奴らはお前のことを口では、惜しい人を亡くした云々などとさえずるが、ヴァーチャーシグナリング、つまりセミの鳴き声のようなものである。
もちろん、お前が逆転できる見込みはないと思う。自殺を願うレベルの人は十分にダメージを受けている健全な連中のパフォーマンスに勝てないだろう。
俺は自分の精液さえ飲んだことがある。つまり、俺は頭がおかしい。
だが、俺の神は、うんこやおしっこ食ったり飲んだりしても忌み嫌う神ではない。
どんなにクソが肛門についていても、どんなに太っていて脂ぎっていても、どんなに口が臭くても、どんなに体が曲がっていても、どんなにフケが頭からマリンスノーのように落ちてきても、
神は全く気にしない。神は衛生状態や清潔感や見た目の美しさを全く考慮しない。神は学歴も、職歴も、能力も、性格の良さも気にしない。
神は信仰のみを気にする。キリストの父なる神を一瞬でも呼び求める人を救う。
神は貧困で生活保護を不正受給していて過去には強盗殺人で服役してうんこ漏らしている脂ぎった糖尿病で失明寸前でしかも口臭がうんこで目やににまみれて鼻水垂らしている股間の臭い腋臭がくっせぇ性格のひん曲がった偏屈でレスバトルが趣味の鼻毛ボーボーの邪悪な高齢者の信仰者を愛するが、
マサチューセッツ工科大学卒で誰にでも親切で優しく、家族を愛して日々地域社会に貢献し、清潔感があり、女性や弱者に憐れみがあり、海外の難民支援に寄付を何十万もしてきて、勇敢で気品あり努力家で忍耐強い、その上家族を愛して愛し抜いているベンチャー企業の役員である不信仰者を、神は愛さない。
お前が今日自殺するならば、お前はオナホールになるか、それともキリストとともに神の祭司になるかが問われていることになる。
お前に尊厳はない。尊厳は必要ない。なぜならば、神はお前に尊厳がなくても、お前を愛するからだ。
以上。
自殺してぇ、死にてぇ、安楽死合法化はよ、と言っている、そこのキミ。
傲慢ですねー。
傲慢ですよほんっとに。
自分に惨めな人生はふさわしくない、自分に苦痛はふさわしくない、自分に欠乏はふさわしくない、なぜならば自分は尊厳ある人間だから。
なんて思っています?
お前に尊厳なんかあるきゃねぇだろうが。
俺にもねぇ。
例えて言うならな、お前は紀元3世紀の四川省に住んどる小作農の次男坊で、周りの奴らは諸葛亮孔明だ。そう思え。今日からそうなる。
オラァよ、横山光輝の漫画を思い返すとカッとなっちまうのよ。あの三国志の漫画をよ。
何が言いたいかって言うとな、周りの連中はお前を玩具だと思っとる。お前に尊厳はない。
あの難民一家のボンボン孔明さんはよ、漢の劉邦一族の末裔が中華大陸を支配しなきゃなんねぇという狂気に取り憑かれてよ、お前を何百キロ先の戦場へと駆り出してゴミのように死なせようとしている。
中山靖王の末裔が劉備玄徳だろうがお前の知ったことではない。お前の喜び、お前の人格のすべてを劉備玄徳一党の野望のために捨てなくてはいけない。前漢の高祖劉邦自体ただの平民なのに。
諸葛亮孔明は劉備玄徳のために、その一子劉禅阿斗のために涙を流しはするが、お前に関してはどうでもいいと思っている。出師の表は忘れろ。
つまり、お前のステータスはオナニーのティッシュペーパーに過ぎない。
お前が今日、自殺するならば、お前のステータスは周りの連中のオナホールになる。
奴らはお前のことを口では、惜しい人を亡くした云々などとさえずるが、ヴァーチャーシグナリング、つまりセミの鳴き声のようなものである。
もちろん、お前が逆転できる見込みはないと思う。自殺を願うレベルの人は十分にダメージを受けている健全な連中のパフォーマンスに勝てないだろう。
俺は自分の精液さえ飲んだことがある。つまり、俺は頭がおかしい。
だが、俺の神は、うんこやおしっこ食ったり飲んだりしても忌み嫌う神ではない。
どんなにクソが肛門についていても、どんなに太っていて脂ぎっていても、どんなに口が臭くても、どんなに体が曲がっていても、どんなにフケが頭からマリンスノーのように落ちてきても、
神は全く気にしない。神は衛生状態や清潔感や見た目の美しさを全く考慮しない。神は学歴も、職歴も、能力も、性格の良さも気にしない。
神は信仰のみを気にする。キリストの父なる神を一瞬でも呼び求める人を救う。
神は貧困で生活保護を不正受給していて過去には強盗殺人で服役してうんこ漏らしている脂ぎった糖尿病で失明寸前でしかも口臭がうんこで目やににまみれて鼻水垂らしている股間の臭い腋臭がくっせぇ性格のひん曲がった偏屈でレスバトルが趣味の鼻毛ボーボーの邪悪な高齢者の信仰者を愛するが、
マサチューセッツ工科大学卒で誰にでも親切で優しく、家族を愛して日々地域社会に貢献し、清潔感があり、女性や弱者に憐れみがあり、海外の難民支援に寄付を何十万もしてきて、勇敢で気品あり努力家で忍耐強い、その上家族を愛して愛し抜いているベンチャー企業の役員である不信仰者を、神は愛さない。
お前が今日自殺するならば、お前はオナホールになるか、それともキリストとともに神の祭司になるかが問われていることになる。
お前に尊厳はない。尊厳は必要ない。なぜならば、神はお前に尊厳がなくても、お前を愛するからだ。
以上。
俺が地方公務員になりたいと思った動機は、ただ他人を助けたいという想いからでした。
ド田舎の農家の次男坊として生まれたものの、歳の離れた兄が本当にダメな人で、俺が物心がついたころには家業は傾いていました。父は単身赴任で出稼ぎにいき、母は兄の件で心を病んでしまいました。
幼い俺は世間知らずの餓鬼で、漠然と自分の家と貧しいのはわかっていても、これが普通なのかなあとぼんやり考えていました。クラスでは隅っこ寄りでしたが、不良みたいな感じではなかったかな。
父親も母親も兄弟も家にはおらず、幼い自分のそばには祖母がいました。おばあちゃんの豚丼、玉ねぎが焦げて苦くて油っぽかったなあ。フライパンが焦げるからってたくさんサラダ油いれるから…
世間的には、これはネグレクトと呼ぶようです。どうやらおかしいんだと理解したのは就職してからでした。たしかに家で寂しいと思うことは多かったですね。
幼い頃の俺はかまってちゃんで、独り言が多くて、不潔だけど、それでもそこそこ運動神経もよく、見た目も頭脳もそれほど悪くはなかった。だから、友達でいてくれた人はちゃんといました。 みんなに感謝しています。
たまに彼らの背中を思い出して、「ああ、俺ってあんなにすごい勉強ができて性格も良くて、いい同級生に恵まれたのに、こんなに彼らと距離がついてしまったんだ」と泣くことがあります。せめて友達には胸を張って誇れる人生にしたかったのに。
俺が公務員になろうと思ったのは、「俺みたいに悲しい思いをしてる人を助けられたらいいな」というふんわりした想いからでした。貧乏な生活も嫌でしたし、友達も俺の長所は優しいことだと言ってくれていましたから。
ありがとう、家庭環境が良くなかった俺の心の支えは君たちだった。俺、男なのにメンヘラでごめんな。
運良く採用拡大期に地方公務員試験を突破できました。そりゃあまあ努力もしたけど、マクロ的には運が良かったんだと思います。
けど、就職してからも努力不足もあり、よくなかったなあと思います。新卒一年目は右も左もわからず、上司には迷惑をかけました。新卒二年目で上司がうつ病で離脱してかなりつらかったですね。三年目、優しい人だと思ってた先輩がうつ病を理由に退職しました。周りの上司が彼に対して罵詈雑言を吐いていたのをみて、どうかしていると思いました。
大人に対して「きっと優しくてすごい人たちが外にはたくさんいるはずだ」とぼんやり幻想を持っていましたが、そんなものはすぐに打ち砕かれたのです。管理責任を問われたから、弱った人に陰口を叩く。なんて醜いんだろう。人間はみんな弱くて醜いんだと思わされました。
そして、誰でもない俺自身もまたそういう「醜い大人」になる未来が想像できてしまいました。理想と現実には大きなギャップがあったんです。
そこから紆余曲折あって、犯罪被害を受けたり、他人を助けたい想いを抱えたまま他人を見捨てたり、犯罪者扱いされたり、職場で役割が変わったら無能すぎて辞めたり、実績を残せてうかれたり、命を助けたり、父親が死んだり、いろいろなことがありました。なんだか傷だらけでぼろぼろです。これが普通なのかな? たぶん違うんだろうな。
メンタル弱いのはずっとコンプレックスでしたが、メンヘラだからこそ自分の弱さを克服しようとがんばれた部分があったと思います。それに、これだけ悪い境遇だからこそつらい境遇や、良くない環境に置かれた人の気持ちがほんのすこしだけわかっているつもりです。
いま30歳を間近にして、自分の願いが何なのかをまた問い直しています。うまくいかないことばかりの人生。俺は、どうなりたいんだろう?
以前、俺のことを悲劇のヒーローと形容した人がいます。事実だからこそ傷つきました。
けど、俺に降りかかった不幸はありふれた悲劇なんです。きっと能登半島地震や東日本大震災では、俺以上に辛い思いをした人がいるでしょう。俺はヒーローではなく、誰の心にもある道徳心や思い出、信念を捨てずに保った凡庸な大人なんです。
大人になると道徳や倫理観をゴミ箱に捨てる人がたくさんいますが、俺はまだ大事だと思っています。いい歳してどうなんだとか、まあ、それはそうなんですけどね…
悲劇のヒーローで終わりたくないなあ、と思っています。けど、善い人ではいたい。少なくとも視界に映る善良な人達が、みんなそれなりに幸せでいてほしい。そのためにがんばります。弱者になってしまえば目の前で困ってる人を助けることすらできないから、がんばるんです。
それをメサイアコンプレックスやアダルトチルドレン由来のものだと、既存の概念にあてはめて理解するのは簡単なことです。あるいはそれが運命だと言う人もいるかもしれません。
けれども、だからこそ、俺はその宿命のようなものに抗おうと思っています。この大きな挫折を乗り越えられたらきっと、また歩けるんだと。そして、まだ生きてる身内のためにがんばろうと。そう思うことで、まだぎりぎり生きていけそうです。
次男は親父の側近として活躍してたんやけど、兄貴はそうじゃなかったって話なだけやで。
次男は影の政府と言われる事務局(バイト)で要職におって、政権中枢の人間ではあったんや。
また、兄貴は中位程度の法学者である弟よりもさらに位が低い法学者だったといわれとる。
イランの憲法ではイスラム法学者としての地位がそれなりに求められるから、これは致命傷でもあったんやな。
ただ、そもそもの話なんやが、イラン革命は王朝の世襲による権力固定を否定しとったから、親族を後継者に立てるのは本来ちょっとまずいんや。革命支持派からの反発があるからな。
それでも革命防衛隊が次男を擁立したのは、父ハメネイが作り上げた革命防衛隊とバイト、民兵組織(バスィージ)を中心とした強固な権力基盤を最小コストで権力移譲できたのが
それ以外の条件としても:
・革命防衛隊と仲良くできる(バイトで面通ししてるし一緒に仕事もしてる)
・裏切らない(次男は宗教権力からも革命派からも支持が弱く、革命防衛隊も次男を立てることで統治の正当性を担保できるので、相互依存の関係が成立)
っていろいろ都合がよかったのが次男やった。
まあ、それ以外の課題は革命防衛隊が何とかする(実際法学者グループを脅すなどしてなんとかした)ので、大丈夫やろという算段やったんやろね。
世襲とか法学者の位が正当性にどう影響するかについては、ちょっと前に書いて1ブクマしかつかなかったクソ記事があるから、よかったら読んでな。
2026年2月、米国とイスラエルがイラン国内の軍事拠点を同時攻撃し、最高指導者ハメネイ師が死亡。
イラン国営テレビによると、死亡したイランの最高指導者ハメネイ師の後継者にハメネイ師の次男モジタバ師を選出した。
モジタバ師を「受け入れられない」と宣言していたトランプ米大統領の方針を真正面から否定する動きと受け止められている。
イラン情勢の長期化が警戒される中、原油価格が急騰している。
先の衆議院総選挙で圧勝した高市早苗総理大臣が率いる自民党にとっては青天の霹靂
高市政権は「財政出動+エネルギー政策+市場安定策」の三点セットを取らざるを得ない
こうした政策パッケージが続く場合、物価は上昇圧力がかかり、長期金利も上昇、為替は円安方向が基本シナリオ
株価は短期的には下方圧力が強く,中東情勢の緊迫化が長引けば長引くほど下方に,
試しにGeminiとChatGPTディスってもらいましたっ!
Googleの全サービスと連携できます!って言うけど、それGoogleに全部筒抜けなだけやないですか。検索エンジンで培った「それっぽい答えを出す技術」をそのままAIに転用した感じで、深い議論になると急に薄くなる。Googleブランドの看板で生きてる次男坊。
一番最初に出てきたから「AIといえばChatGPT」になっただけで、先行者利益で生きてるだけ。画像生成できます、コード実行できます、プラグインあります、って機能てんこ盛りにした結果、全部中途半端。「何でもできる」は「何も尖ってない」と紙一重。ユーザー数だけ多くてコミュニティがうるさい。
普段テレビを見ないのだが、今WBCのためにnetflixを見ると(たぶん)普通にテレビで流れているCMが流れるため目に入ってきた。
某銀行のCMのようなのだが、海外をさすらっていた長男キムタクが長女石原さとみと次男(名前不明)の暮らす家に戻ってくる。お金に関するリテラシーに欠ける兄と姉に弟はお金に関する指南をしようとする(?)みたいなストーリーでいくつかバージョンがある。
よくあるシチュエーションのようにも思うのだがものすごい違和感は年齢にあると思う。
海外をさすらいひとときの享楽にしか関心がなさそうな風来坊の兄を演じるキムタクは53歳、妹の石原さとみは39歳である。
ふたりともそりゃ一般人よりは若く見えるし役的にはもっと若い設定ですと言われたところでそれでもあまりにも幼稚では?となる年齢である。
設定だけを見たら長男は25歳までくらいの精神年齢だし、妹は大学生くらいが関の山だろう。そのくらいの俳優さんがやってくれたらもっと違和感が少ない設定になるのでは?と思う。もし弟が銀行員という設定にしたいのであればせいぜい長男は30歳くらいまでにしていただきたい。
いわゆる実家からは分家になったということで家紋がない状態になってると思います。
特に理由は無いですが家紋が欲しいのですがどのような手順で新しいこの家族の家紋を入手・定義すれば良いでしょうか?
https://run-for-them.raiselysite.com/maximhd/posts/nuremberg-dublado
https://run-for-them.raiselysite.com/maximhd/posts/pnico-7-filme-ompleto-dublado
https://run-for-them.raiselysite.com/maximhd/posts/pnico-7-dublado
https://run-for-them.raiselysite.com/maximhd/posts/manual-prtico-da-vingana-lucrativa-dublado
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2665999
サイゼは価格キープのため「利用者の7割が受け入れる味」に調整している、という記事に対する
貧乏なのに3割なので悲しい、というブコメを見て元彼を思い出した。
元彼は三兄弟の長男で、次男は出来が良く東大に行った。両親が出来の良い次男を優遇気味だったらしく、三男はヤンキーっぽくなった。
優遇もされずヤンキーにもならずの長男と付き合っていたのだが、彼は日々の不満がとても多かった。いつもお金が足りていなかった。給料日前にカツカツになっていた。
三兄弟の父が結構稼ぐ人で、母は専業主婦。実家の住宅の質や食事の質などは高かったようだ。しかし次男が特別に優遇される実家の空気を嫌って長男と三男は飛び出しているわけで。
自立した生活をするなかで、両親が提供していたレベルの食生活の再現ができない。納得できるレベルの外食を続けようとすると金が足りない。
一緒に食事をすると「金額に文句」か「味に文句」のどちらかを必ず言い、口汚く罵るほどはいかないが、不満をぼやきながら悲しそうな顔をするので、不快になってきて別れた。
暴力振るわれたり私が攻撃されたりはしてない。ただ本当に悲しそうな顔と愚痴が頻繁なことが嫌で別れた。
舌だけが肥えていたわけではなく、生活全般について、金が足りておらず愚痴を言っていた。その割にデジタルコンテンツ課金などの無駄遣いが多かった。
消費者として目が肥えていることに見合うような収入を得られるよう転職の活動をしているか、娯楽費を節約して金を貯めて良いマットレスを買うような購買行動をとるタイプであれば別れなかったかもしれないが、いつまでも潰れて死んだマットレスを使って体が痛いと言って、それでいてアプリゲームにチマチマと課金していっつも金が足りなくなっているので、見ていて腹が立って腹が立って耐え難くて無理だった…。
貧乏人が子供を作らなくなり金持ちが2人目3人目を産む世界について考えるとき、元彼のことを思い出したりもする。
中流以上しか子供を作らない場合、中流以上を親に持つ子供たちの中から必ず次世代の下流が生まれる。
実家で両親が提供してくれた衣食住よりも、自力で構築した衣食住のほうが質が悪いという現実に直面することになる。
逆に貧乏ほど子だくさんの社会であれば、実家よりも自立することで階層がアップする人間が多いことになる。
こういうことから社会のムードが決まっていく部分もあるのかなと思う。
元彼のことを恨んでないし憎んでない。悪人だとも思ってない。ただ、不快感があって苛々するのだけはどうしようもなかった。
こたけ正義感は異様にモテるらしいが、顔の作り云々・スペック云々というより、「上昇の空気感」を持っているというのが大きいと個人的には思う。
大地主の息子なのにモテない人とかは「下降の空気感」がある。ものすごくお金に困ってる女性にしか相手にされずに女性不信のスパイラルにはまってる。
私も一人っ子苦手や…
近所にすんげー苦手な子供がいる。他の子はだいたい子供同士で遊ぶのに、子供じゃなく私の方に来る。「長男くんのお母さーん」って来られるのも嫌、「長男くんのお母さん、見て見てー」って言われるのも嫌。あたしゃ娘と次男見守るのに忙しいの。子供は子供と遊んでくれ。何故大人の方に来る???一説によると、親からの無関心とかそういうのが原因っていうのもあるらしいけど、一人っ子でっせ?愛情満点に決まってるじゃないの…。
もう一つ。
マンション買って住んでた家族、男の子2人育てていて、下の階は女子1人でしかも中学生くらいの落ち着いた歳。
下の階の人が上の階の人にうるさいと苦情を言い、上の人床一面にジョイントマットを敷く。
それでも駄目でまた苦情を言われ、マンション退去したらしい。
女の一人っ子しか育ててない人には分からないんだろうなぁ。1人と2人は違う。2人と3人は更に違う。男と女も違う。
小さい子と中学生も違う。静かに過ごしたいなら集合住宅に住まなきゃいいのに。
退去した家族はどんな思い?文句言う方は楽だよねー。引っ越したわーやったーって思ってそう。
一軒家一択。深夜にドタバタはきついけど、小さい子って早めに寝んのか?日中も駄目なんか?うちの近所も一人っ子の親の方が苦情を言ってる。誰にでも。お前には分からんだろ?外野だろ?黙っとれ。と思うばかり。
で、私の体内はいつ副交感神経に切り替わる?仕事の前日の不眠ほど、嫌なものはない。色々思い出して頭から溢れるものが止まらない。
俺は百貨店ではない小売業だが、小売の中でも百貨店は特にやばい。全国でもうまく行ってるのJR東日本と三越伊勢丹ぐらいだと思うので、地方だと名鉄や西鉄レベルの電鉄系名門でもめちゃ苦しいはず。それ以下になるともうわからないレベルで厳しい。
たぶん地元の国立出た後に、親戚や知り合いからの目を気にして就職先選んでしまったんではないかなあ。増田さんとこの次男ちゃんは◯高から◯大を出て、◯鉄百貨店に就職されたらしいわぁ、みたいなの。増田も気づいてると思うが、そんなのは糞食らえだ。地元のオバなんか、維持されない国道や橋梁なんかと一緒に10年そこそこで滅んでいく運命にある。
俺はバックルームの澱んだ空気を知っている。従業員食堂では、疲れ切った店員たちがスマホでクソみたいな課金ゲームをしたり、いびきかいて寝たり、パートの中年女性同士でクソみたいな噂話したりとかそんなのだ。そこには進歩だとか希望だとかはなく、ただ凋落する日本を象徴する疲労だけを煮詰めたような場である筈だ。
職場で朝礼をやってるか?店長やらチーフが繰り返す、安心安全だとかお客様第一とかクソみたいなもんだ。親会社から天下りしてきた社長が月一だか年一だが予算を出してくるだろうが、前年比で95パーとかでしかもそれ達成できなくて怒られるとかそんなもんだろ。あいつらは事業を成長させる枠組みを作れない戦犯であるのにも関わらず、現場に精神論で責任を押し付けるクソみたいな奴らだ。
チラシを近所にポスティングしろとか、会員カードを作らせろとか、10000円で12000円分使えるクーポン(現金前払い式)買わせろ、とか言ってくるだろ。あいつら会議で対策練ろうとして、なんもアイデア出せなくて、そういうクソみたいな「施策」に逃げてるだけだ。
まだ潰れてない、と思ってないか。潰れてないのはたぶん、土地建物の契約年限だとか、そっちなんじゃないか。あるいは今の社長(天下りの無能)が判断を引き延ばしてるからなのか、従業員の整理解雇に必要な費用だとかにビビっているだけかもしれないが、いづれにせよ、増田の努力や働きぶりに関係ないところで何となく存続してるだけだ。建物はボロボロだが、建て替えはおろかリニューアルの話すらないだろ。そういうことだ。
子供が欲しいと思う動機って自分の遺伝子を残すっていう本能的なものを除けば、自分の有形無形の資産を子供に引き継がせることが目的だと思うんだ。
かつてはその最たるものが「家」であり、跡継ぎとして長男が優遇され次男以降はそのスペア、いずれ家から出ていく女性の扱いは総じて悪かった。
でも今の時代の価値観は男女は平等であるべきで、兄弟の中で扱いに差をつければ虐待とされる時代だ。
核家族化が進んだことで「家」の概念も薄くなり、家庭内のマンパワーは減っていくなのに求められる子育ての質は年々高まっていく。
低収入の人間にとっては子育てのマンパワー不足を金銭で補うことは難しく、それらを頑張って乗り越えたとしても子供に受け継いでもらう資産はほとんど無い。
今の社会においては子供を作ることによる恩恵を大きく受けられるのは富裕層だ。
富裕層は富裕であるが故に、自分の資産を子供に引き継いでもらうことのメリットが大きいからだ。
また低収入の人間が子供を作ること自体が虐待の温床になることも多く、教育という点でも子供にとってデメリットが大きい。
これらの点を踏まえると俺は少子化対策に最も必要なのは、形骸化した「家」の存在を前提にした子育てを否定し家庭と子育てを完全に分離することなんだと思う。
家庭での子育てを前提にしているからこそ、保育園が足りなかったり、子育て世帯への給付や減税がただの富裕層優遇にしかならなかったりしている。
すでに格差が広がっているのに「すべての家庭は平等です」みたいな子育て支援策を実施しても、子供の生活レベルや教育の格差を拡大させるだけ。
それよりも公的な機関で子供を育て教育することを社会の前提し、家庭内での子育てを例外として扱い重税を課す。
こうすることで公的機関で育つ子供が多数派になるように誘導する。
親元で育つ子供は重税を納めてでも手元で育てられた富裕層の子供や、伝統芸能などパトロンが付いた家の後継ぎくらいになるだろう。
そういう個人優先の社会では家庭での子育ては、基本的に親にも子供にもデメリットしかない。
それに対して次男、めちゃくちゃ喋るし歌う。
で、次男がよく話しかけてくるから次男とはよく話すのだが、大人しい長男とはあまり話していないことに最近気づいた。
次男がお昼寝している時に長男に、お話したいこと無いかと聞いたら、次男といっぱいお話したから今日はもういいという。
あれか、長男の会話許容量が次男で埋められ、俺の入る隙がなくなったのか。
それはそれで悲しい。
まぁ、長男が次男と会話することを楽しんでいるなら、それが一番いいのだが。
長男が2歳だった頃は、嫁や俺に対してそんなことはなかったので不思議だ。
一人一個で与えたお菓子を半分に割って、長男と交換しているのをよく見る。
長男はそれを受け入れているし、なんだか楽しんでいる。
縦半分にされたプリンを見て笑ってた。
北国生まれの私は、大学を出てからずっと関西で働いている。妻も関西出身だ。
両親はもう亡くなっていて、実家もない。でも、何度か家族を自分の生まれ故郷に連れて行ったことがある。観光地だから見どころも多いし、食べ物も美味しい。インバウンド客もそこそこ多い。人口は減っているけれど、観光という点では恵まれている街だ。
じゃあスキーでも体験させてやるかと思って、家族で生まれ故郷の街にスキーしに行くことにした。
私自身も大学卒業以来10年以上スキーをしていないから、今回はレッスンを受けて、道具は全部レンタルするつもりだった。
ところが、大学時代によく行っていたスキー場のホームページを見て、思わず笑ってしまった。
今どき電話って……。
それなのにレンタルやレッスンを運営しているのは地元の別会社で、そのホームページを見たら20年前の化石みたい。
それでいて「インバウンド客を取り込みたい」とか言ってるんだろう?冗談もたいがいにしてほしい。
最低限、問い合わせフォームを作って、メールで返信できるようにするだけでもいいのに。
いまどき個人事業主でもそれくらいやってる。
AIだのDXだの言わなくても、ほんの少し手を動かすだけで売上が変わるのに、なぜやらない?
大した手をかけなくてもお金が転がってるのに、なぜ拾おうとしないの?