オシム監督がどういう意図でそのフレーズを使ったのか、そして、その真意が正しく伝わっているのかは分からないが、ボクは、「古い井戸/新しい井戸」という表現が好きではない。一般的には、井戸は枯れてしまったらもう使用できなくなるが、プレーヤーは井戸とは違って、古いものがイコール悪いわけではない。マスコミは、案の定、さっそく、「古い井戸/新しい井戸」という組み分けを行っているが、どうにも、違和感を覚える。今回ばかりは、オシム監督のこの表現方法は、適切ではなかったと考える。
さて、イエメン戦では、”古い井戸”グループでは、川口、加地、坪井、三都主、遠藤がスタメンで出場した。(巻も古い井戸グループかな?)十分なパフォーマンスを見せた選手もいたし、不十分なプレーしか出来なかった選手もいたが、それを一緒くたにして、「古い井戸の選手は使えない。切り捨てろ」といった論調が少なからずあったことは、驚いた。ジーコ監督時代には、メディアは国内組・海外組の組み分けをして賛否両論を巻き起こしたが、当時の状況に似た雰囲気を感じる。
確かに、ジーコ氏の4年間は、結果的にハッピーエンドとはならなかったが、だからといって、全てを切り捨てるのは、あまり短絡的過ぎる。いい面もあったし、悪い面もあった。いい面とは、加地と三都主という、本格的なサイドアタッカー(サイドバック)の発掘と抜擢、最終ラインからの丁寧なつなぎ、決して最後まであきらめない精神の植え付け等である。
しかしながら、ここ最近のトレンドは、ジーコ時代を全面的に否定して、オシム監督を持ち上げることなのかと思う。でも、自分の目に確かな自信があるのであれば、「いいものはいいし、悪いものは悪い」と、しっかり選別すべきではないかと思う。
ボクは、ジーコ氏+川淵氏が犯した最大の誤りは、トルシエジャパンの功績を全て否定することから始まったことだと考える。得てして、実績のない監督は、前任者を否定することで、自身を肯定させる手法を取りがちである。ジーコ氏がトルシエジャパンの遺産をもっと有効に使えなかったのかという点は、今でも疑問に思う。
オシム監督は、はじめの2試合では、ジーコ色を消しにかかったように見えるが、これから先、古い井戸も再活用させようとたくらんでいることだろう。古い井戸と新しい井戸が融合したとき、真のオシムジャパンがスタートする。オシム監督が、ジーコ氏と同じ行動をとは思わないが、でも、少しばかり不安に思う。
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