※ 独断と偏見で 「KING KAZU ベスト10ゴール」を選んでみました。
⑩ ゴールラッシュの幕開け (1997年9月6日 アジア最終予選 1戦目 ウズベキスタン戦) → 初のW杯出場を目指す加茂ジャパンの初戦。異常なほどの盛り上がりを見せる国立競技場でエースのFWカズが圧巻のパフォーマンスを披露。開始早々にDF井原がペナルティエリア内でファールを受けてPKを獲得すると、エースが落ち着いてネットを揺らし、大事な先制ゴールをマーク。重圧のかかる中で冷静に決めたメンタリティの凄さが際立ったゴールだった。その後もカズの勢いは止まらずに、結局、ウズベキスタンから一人で4ゴールをマーク。チームも6対3で勝利し好発進した。サッカーマガジン誌はこの試合のカズに「10.0」を付けて称えたという。
⑨ 12年ぶりの国立でのゴール (2010年9月26日 J2第28節 カターレ富山戦) → 「ゴールを決めれば最年長ゴール記録を更新する」というだけにとどまらず、「試合に出場すれば最年長出場記録を更新する」という状態のキング・カズであるが、43歳となった2010年シーズンも3ゴールをマーク。特に28節のカターレ富山戦で決めたフリーキックからのゴールは、舞台が国立競技場ということもあって、その価値が増大した。12年振りの国立でのゴールの後、久々に「カズダンス」を披露。チームメイトを巻き込んで、周囲は大騒ぎとなった。ちなみに、国際Aマッチでは89試合で55ゴールを挙げているが、そのうちの27ゴールが国立競技場でのゴールである。
⑧ 代表でのラストゴール? (2000年6月6日 ハッサン2世カップ ジャマイカ戦) → フランスW杯を終えて、クロアチアのザグレブに移籍。ここでは結果を残せなかったが、1999年途中に京都サンガに電撃移籍すると、加茂周氏とのコンビで1999年は11試合で4ゴール、2000年は30試合で17ゴールを挙げる活躍を見せる。その活躍が認められて、日本代表にも復帰。2000年6月に行われたハッサン2世カップでは、因縁のジャマイカ戦に出場し、MF中田英寿のアシストからゴールをマークする。現時点では、このゴールが代表でのラストゴールと記録されている。
⑦ 左足でコーナーキックを直接ゴール (1994年2月26日 サンワバンクカップ ヒムナシア戦) → 右利きであるが、左足でも同じようなキック精度を誇るキング・カズ。左右両足でコーナーキックやフリーキックを蹴ることのできる世界でも稀な選手であり、利き足ではない左足でもフリーキックを何度か決めているが、圧巻だったのは左足でコーナーキックを直接決めたサンワバンク・カップでのゴール。Jリーグの開幕前にアルゼンチンのヒムナシア戦を迎えた試合で直接ネットを揺らした。コーナーキックが直接決めること自体が珍しく、Jリーグでも1年に1度あるか、ないかのレベルである。それを利き足ではない足で決める辺りが普通ではないところである。
⑥ アメリカ行きが近づいたゴール (1993年10月28日 アジア最終予選5戦目 イラク戦) → アジア最終予選で韓国を破った日本は勝てばアメリカW杯行きが決定するという状況で最終のイラク戦を迎えた。その大事な試合は、開始早々に日本がMF長谷川健太のシュートがクロスバーに当たったところをカズが頭で押し込んで先制に成功する。予想外の早い時間の先制ゴールに平常心を失ってしまったのか日本代表は、この後、イラクに圧倒されて、なんとか1対0のリードで前半を折り返すが、後半についに同点ゴールを奪われる。苦しい展開となったが、しかし、後半24分にMFラモス瑠偉のスルーパスからFW中山雅史がゴールを決めて2対1と再びリードを奪う。
⑤ セリエAでアジア人初ゴール (1994年12月4日 セリエA 第12節 サンプドリア戦) → 1994年の夏にセリエAのジェノアに移籍。当時、世界最高のリーグだったセリエAでの活躍が期待されたが、リーグ開幕戦のACミラン戦でイタリア代表のバレージと激突して負傷。出鼻をくじかれてしまったことで、思うような活躍は出来なかった。セリエAで唯一のゴールとなったのが、12月4日のサンプドリアとのダービー。チェコ代表のFWスクラビーがヘディングで落としたボールをうまく右足で合わせて待望のゴールを奪った。結局、21試合で1ゴールという記録を残して、イタリアを去ることになった。
④ アジア・アフリカチャンピオンに (1993年10月4日 コートジボワール戦) → アジアチャンピオンとして臨んだコートジボワール戦。アメリカW杯のアジア最終予選まであと11日に迫っていた大事な時期に、アフリカチャンピオンのコートジボワールを国立競技場に迎えた試合は0対0のままで延長戦に突入。その延長で決勝ゴールを決めたのはやはりこの男だった。FW高木が頭で落としたボールをカズが持ち込んでシュート。これが決まってアフリカチャンピオンを下した。ちなみに、この試合は左サイドバックで実兄のDF三浦泰年が先発出場。兄弟で代表のピッチに立った。
③ アジアチャンピオンからのゴール (2011年3月29日 日本代表戦) → 震災の影響で急きょ、大阪で行われることになった日本代表とJリーグ選抜のチャリティーマッチ。Jリーグ選抜のメンバーとして唯一、J2のクラブから選出されたカズは後半15分に登場すると、後半37分にDF闘莉王の落としたボールに素早く反応して、見事に右足でネットを揺らした。被災地の仙台での視聴率は25%を記録。久々の大きな舞台で、いつまでも、みんなの記憶に残るゴールを決めて「みんなのヒーロー」となった。
② 歴史が変わった夜 (1993年10月25日 アジア最終予選 4戦目 韓国戦) → 1993年のアジア最終予選。6チームによるセントラル方式で行われたアジア最終予選で、日本は1勝1敗1分けという成績で第4戦の韓国戦を迎えた。中盤のキーマンであるMF森保を出場停止で欠いた日本だったが、後半に左サイドに流れたMF吉田のクロスからこぼれ球をカズが押し込んで決勝ゴールをマーク。史上初めてワールドカップ予選で宿敵の韓国を破って悲願のW杯初出場まであと1勝に迫った。苦杯をなめ続けていた韓国に勝利し、まさに「歴史が変わった夜」だった。
① 「魂込めました、足に。」 (1992年11月3日 アジアカップ GL3戦目 イラン戦) → 1992年の広島・アジアカップ。地元開催で上位進出を目指したオフト・ジャパンであったが、グループリーグでUAE、北朝鮮とドロー。2分けで、3戦目のイラン戦にグループリーグ突破がかかることになった。実績ではイランの方がはるかに格上であり、引き分けでもOKのイランはスコアレスドローを狙って試合をクローズしにかかったが、試合終了間際の後半40分にDF井原のパスを受けたカズが右足を振りぬいて決勝ゴールをマーク。1対0で勝利した日本はグループリーグを突破。準決勝で中国を3対2、決勝でサウジアラビアを1対0で下して見事にアジアカップ初優勝を達成。
翌年のJリーグ開幕とアメリカ大会のアジア予選にはずみの付く大きなタイトルを勝ち取った。もしこのゴールがなければ、グループリーグ敗退が決定しており、翌年の「サッカーブーム」や「Jリーグブーム」もなかっただろう。近年の日本サッカーでもっとも重要なゴールの1つである。「魂込めました、足に。」 という名言が生まれた試合でもある。
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